エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #神様のお恵み

2019-05-24 08:50:36 | 聖書の言葉から
 
#一滴の夕焼
マハトマ・まど・みちおさんの詩から。 神さま 私という耳かきに 海を 一どだけ掬わせてくださいまして あり......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

をご参照ください。



生きているのに

死んでいるあなたへ



マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。





なぜか

 

書かずにいられなかった

 

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#腑に落ちる と #心の声 

2019-05-24 08:42:11 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#精神科医からもひどい扱いをされる #発達トラウマ障害の人々
 #トラウマ記憶 は凍結保存,解凍するためには,#優しい温もり が必要    発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia
 をご参照ください。


 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。



 昨日,一昨日のつづき。p.239の,第3パラグラフ,下から2行目。今朝はp.240の第2パラグラフの4行目からも。



 トラウマは人々を根っこから変えてしまいます。というのも,トラウマを負わされた人は,もはや自分ではないからです。

 自分を生きていない感じを言葉にするのが,猛烈に難しいんです。言葉が発達するのは,「あそこにあるもの」を分かち合うためにあるのが中心です。言葉が発達するのは,自分のいろんな気持ちを人に伝えて分かち合うためにあるのが一番じゃない(言葉を司る脳は,自分が生きている実感を司る脳から,場所的にひどく離れていますから)。たいていの人は,自分のことより,人をとやかく言いますものね。昔、ハーヴァード大学の心理学者,ジェローム・ケーガルが言ってましたっけ、「一番内に秘めた経験を言葉にすることは,深い井戸に繋がっていて,分厚いミトンの手袋をしたまま,小さな壊れやすい宝石を摘まみ上げる事になっていますからね。」って。

 過去は,腑に落ちる体感システムのおかげで,言葉にしてこだわらずに済むものにすることができます。腑に落ちることが,いまここで自分の実感に気が付く基です。1人の患者さんが私に「8歳の時に,父が家族を見捨てました」と言うならば,私は話を止めて,〈いまどう感じますか?〉いまここの自分を確かめてっ,て言いますね。出てった後で,お父さんに一度も会っていない子どもの自分について話した時に,身体の中で起きていることを確かめて,って言います。「あなたの身体のどこが,苦しい?」って訊きますよ。腑に落ちる感じを大切にして,心が痛む声を聴くんです。

 

 短いですが,スピリットを生きる基本形。

 キリスト集会を作る基本形。

 

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#エリクソン と #こころ #不思議

2019-05-24 08:10:48 | エリクソンの発達臨床心理
 
#顔 #大嫌いな自分の顔 #発達トラウマ障害 #心の病の源
 聖書の言葉:ϕανερώσει τῆς ἀληθείας,ファネロセイ・テス・アレセイアス,真理の明るさ    三流以下の「懲りない人々」   現代の「礼拝」  ......
 

 

「発達トラウマ障害」Enpedia

をご参照ください。

 The life cycle completed 『聖書の神様の命が一巡することができた』 p.87。 第2パラグラフ,下から7行目途中から,です。今朝は,p.89の12行目から。  



生きている実感があまりにも,驚きと感激に満ち溢れたヌミノースなものなんで,「生きている実感」は,結局は,晴れ晴れと生きる心の習慣になりますし,さらには,生きている実感がリアルに自分を生きていることの不可欠の条件になります。同時に,2人か3人,心響き合う人間に発達するイメージと言葉を分かち合う者達だけがそれぞれの「生きている実感」から唯一の「共に生きている(共に居る)実感」の中で一心同体になります。…。

 「共に生きている(共に居る)実感」に関して,フロイトさんも,もっと言ってますからね。「間違いなく,ひとりびとりの人がキリストと一心同体にする絆が,ひとりびとりの人が互いに一心同体になる絆のはじめです」(1921)って。しかし,すでに触れましたように,フロイトさんがこう言ったのは,教会や軍隊のような「一心同体になる集団」についての話の中でしたね。しかしながら,人類皆兄弟姉妹に至る一心同体となる仲間全ては,親や創始者から,神々に至るまで,とても善いと感じる大好きな人と一心同体になる体験がなければ,ありえません。ですから,シナイ半島の上に現れた聖書の神様は,自分に語り掛けたのは誰か,を応えなければならなかったモーセから問われて,「私は,今ここで生きている者だ」と自己紹介していますし,モーセに率いられたユダヤの民に,「『自分が生きている実感』である私が,『自分が生きている実感』を皆さんにギフトとしてプレゼントしますから」と示しています。聖書の神様から「自分が生きている実感」を頂けると自ずから独立し不動になる自由な独立心こそ,一神教が進展した中心であることは,間違いありませんし,父なる聖書の神様は自分の仲間になって下さるし,最高の光を見ることに違いありません(エリクソン「生きている実感とキリストガリラヤ物語」1981)。

 ここで私どもに繰り返し甦ってくる思いは,赤ちゃんの時に赤ちゃんとお母さんとが,互いに大切にし合うことには,聖書の神様からの力がある,ということですね。それから,究極的には,赤ちゃんは,お母さんを「聖書の神様」に親替えして,人と聖書の神様とが,互いに大切にし合うことには,聖書の神様からの力がある,ということになりますし,「聖書の神様が御顔を見上げて,皆さんの顔に光をプレゼントしてくださいますから,皆さんの顔も晴れ晴れと光らせて,皆さんに心底からの安心と自由と心底からの独立心もプレゼントしてくださいます」(訳注:旧約聖書の初めのほうにある「民数記 みんすうき」6章26節の引用)ということに必ず立ち至りますから。ここから,私どもは,発達という創造物語に従うことと,山川草木悉有仏性としての「私達」が,実感を伴った体得底の一心同体として,必ず腹の底から体感することになりますよ。1つの生きている実感を共有して一心同体になる体験のとらえ方を考え直さなくてはなりませんよ,というのも,1つの生きている実感を共有して一心同体になるってことが,「大きな人」に合わせなくっちゃという忖度になることが,あまりにも多いんですからね。

 

                                   3重になっている,生きている実感

 

 この私とは,とらえ方にしても,言葉にしても,もちろん,フロイトさんの発明品ではありません。スコラ哲学では,この私とは,身体と魂が一心同体になることですし,哲学においては,自覚的な生き方です。ウィリアム・ジェームズ(1920)が,いくつかの手紙の中で触れているのは,「私を育てると,時空がまとまって来るもの」だけではなくて,≪私が自らを精一杯生かすこと≫についても,述べていますね。この≪私が自らを精一杯生かすこと≫は,従う者が全うになる全うな生き方そのものと結びついています。ここで,ウィリアム・ジェームズは(ドイツ語をよく知っていましたから),≪私が生きている実感≫(大我)に従って生きる心の習慣について,生まれつきの「小我」が無意識に働くことについて,合わせて考えました。自分が体験してきたことが,計り知ることのできない,いまここを私が生きることのど真ん中におられる,恵み深いキリストに,目覚めた私が自覚するように,心から善かったと思えるものにすることこそが,無意識的な小我のお勤めの一つだ,ということは明らかです。ですから,普段自分だと思っている小我は(それとなく触れましたように),聖書の神様の命が一巡する対体験のおかげで一心同体になる圧倒的な恵みの大きな水の流れを実感しますが,それは,1人の「聖書の神様の命が一巡する時空の大河のように流れる恵みの流れに終わりまで与る者」であって,1人の弱弱しく苦しむ者ではありませんね。「自分から人に関わる」人で,「事を始める」人であって,「自分から人に関われない」人ではありません(「受け身」と言う方が好まれるのは,受け身になる関わりを自ら始める場合があるからです)。



 吉本隆明さんも「受け身」のお話し。

 今日のエリクソンも「受け身」のお話し。

 うまくできています。

 

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#吉本隆明さん と #こころ  ついでに  #お気に入り

2019-05-24 07:25:15 | エリクソンの発達臨床心理
 
#赤ちゃんを大切にするお母さんのお勤め #お母さんの態度は無意識 #希望の伝染 #上に立つ者次第 
 現世考: NHK発達障害特集には,また困った困った     発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角に......
 

 

数年前の戦後70年(2015年)を記念したNHKの「知の巨人たち 第5回 詩人 吉本隆明(たかあき)」を見直して,腑に落ちて生きることの大切さを確認して,様々な副産物がありましたね。

 その副産物をメモに残すつもりで,ブログに記しておきたいと考えました。ついでに『心とは何か 心的現象論入門』を今朝は読んでいて,ブログの更新が遅れました…。それも小さな副産物でしたね。

 最初の節「「受け身」の精神病理について」を読んで,吉本隆明さんの直感の鋭さと,それを理論的に組み立てる構想力のある人だと,改めて感じました。私は,加藤周一さんが好きで,加藤周一さんの遺著『日本文化における時間と空間』が日本人の手になる最高の心理学のテキストである,と考えてきましたが,もしかしたら,吉本隆明さんのこの本が,それに次ぐ心理学のテキストになるかも,ということを感じながら,読み進めています。

 乳児期を受け身の時期,と吉本隆明さんは見ます。赤ちゃんが何を受け取るのか,が冴えています。それは「母親の物語」だといいます。これは,エリクソンからも学んだものだと考えられます。その物語はお母さんは共同体を代表して,赤ちゃんに与えます。

 今のニッポンは,どんな物語を,赤ちゃんに聞かせているのでしょうか?

 

 ついでながら,ニッポンの学校の「贋(にせ)のまじめな雰囲気」が,「大人になって,嘘の真実を作る嫌らしい性格を作る訓練になっています」というのが,気に入りましたね。

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