昨日曜日、ラグビー日本選手権決勝・トヨタ自動車対三洋電機戦をテレビ観戦しました。本来ならNHK総合で中継すべきところ、チリ地震による津波警報を愉しむ(?)NHKの都合で、教育テレビに廻されました。
前半は三洋をノートライに抑えて12対0と想像以上の出来。ところが、つとトイレに立った後半二十六分、1トライ1ゴールを許し、あっけなく逆転されて12対17。さらに1トライ追加されたところで、私は観戦をギブアップ。
午後、陽射しが出たので、散策に出ようか、テレビを視るかと逡巡しながら、結局テレビを視てしまったのでした。
結果論ではないけれども、トップリーグの戦いをみても、トヨタの勝ち目は薄い、と戦前から思っていました。
三洋に較べると、トヨタにはコスイところがないからなのです。
それが如実に現われていたのが、タックルで倒されたあとの密集で、ボールを離さないとホイッスルが鳴らされるノット・リリース・ザ・ボールの反則。
この行為は反則ということになっているのだから、反則には違いがないが、実際は離さないのではなく、離せないことが多いのです。
敵味方大勢の選手がのしかかってくるので、ボールが下敷きになって、離そうにも離せない、ということもありますが、多くの場合、相手が手で押さえて離せないよう、コスイことをする、ということなのです。
密集の中なので、レフェリーからは見えないでしょうし、理由はどうあろうと、ボールを出さない(出さないのではなく、出せない、のだとしても)のは反則ということになっているのだから仕方がない。
とくに三洋スタンドオフのトニー・ブラウン(さすが元ニュージーランド代表)、フランカーの若松大志(関東学院大出)は巧妙。こすっからさで三洋に一日の長あり、と思わせた試合でした。
来年はトヨタもこすっからさを身に着けて……とは思わない。勝てなくてもいいから、いまのままの泥臭くて、愚直なラグビーをつづけてほしい。
まあ、負け惜しみはここまで、ということにして、近場の散策に出ました。
ふと閃くものがあったので、武蔵野線に乗って隣駅の新八柱で降りました。閃いたのは、あの仏舎利塔へ行ってみようと思ったことでした。
仏舎利塔というのは毎朝乗っている通勤電車が新八柱を出ると、少し離れた高台の端に見える塔のことです。天気のよい朝だと金色の尖塔が朝日を受けて燦然と輝いています。
通勤で武蔵野線を利用するようになって二年経ちましたが、車内では本を読んでいることが多かったので、その塔の存在に気づいたのは最近です。
新八柱はスーパー銭湯や県立西部図書館へ行くときに乗り降りする駅ですが、駅前以外は歩いたことがありません。駅前を少し離れると、たちまち方向感覚を失ってしまいます。お寺の名もわかりません。仏舎利塔だと思っていますが、もしかするとお寺ではないかもしれません。
ともかく高台があって、それが切れて崖になっている場所を捜しました。
知らず知らず東に向かっていました。武蔵野線から見えるのですから、目指すのは南東でなくてはいけない。
私が間違ったのは、ときどき利用する県立西部図書館が新八柱駅の東方向にあると思い込んでいたことでした。実際は北北東だったのです。ほぼ直角に交差する道を曲がれば南向きと思ったのに、じつは東に向いていた、というのはそういう次第です。
途中で太陽の位置がおかしいと気づいて、西に向きを変えました。道は緩い上り坂になりました。マンションに遮られているので見通しは利きませんが、左手にこんもりとした木立が見えます。
坂の途中にあった交差点の名は日暮。
ヒグレか? と思ったら、「HIGURASHI」とアルファベット表記がありました。どのような謂われかは知らねど、なかなか酔狂な地名だと感じました。
その角に「徳蔵院墓苑」という案内看板あり。一画は高台になっています。例の塔があるのはここに違いないと交差点を左折すると、楠(クスノキ)の並木道がありました。
画像はパソコンに取り込んだあと、明るく修正してありますが、実際はもう少し薄暗くて、もっといい感じです。
ふ~む、東京に戻ることは叶わず、松戸暮らしがつづくのであれば、こんなところに棲むのがいいかな、と思いながら歩きました。
高台の裾を抱き込むように曲がると、真っ赤な幟が賑々しく並んだ参道に出くわしました。
参道を上り切ると、正面に本堂。
「徳蔵院誌」によると、創建は後花園天皇の時代というから、およそ六百年前です。市川にある下総国分寺の隠居寺として建てられ、のちに現在地に移されたようです。
周辺はこの当時から日暮村と呼ばれていたそうですから、結構由緒のある地名です。
本堂を左に見ながら墓所に入ると、目指していたものがありました。通勤電車から眺めるのはまさしくこの塔でした。
仏舎利塔ではなく、密厳塔と呼ばれる合祀墓です。後継者がいなくても、三十三回忌までは法要を営んでもらえるとのこと。
この世あの世とは人間が考えるだけの迷い事。
とはいえ、気にしないといったら嘘になる。我が宗派とは異なるが、こんなところに入れてもらうことも考えましょうか、と考えました。
徳蔵院があるのはこんな高台です。
段差の多い墓所を一周して本堂前に戻りました。梅がハラハラと散り始めていました。
松戸七福神の一つ・寿老人です。
徳蔵院前に掲げてあった松戸七福神巡りの案内図。
松戸市内のお寺はいくつか巡ったつもりですが、七福神巡りとなると、徳蔵院でやっと二ツ目。真打ちまではまだまだ、です。
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