翌日は通常通り7時前に目が覚めた。
父に手を合わせ、コンビニに買い物に出た。
梅雨も明けたのか、青空が広がり、夏の朝の爽やかな風が吹いていた。
地元紙の新聞を2冊買った。
家に帰り、1冊は母に渡し、新聞を広げた。
昨日メールでやり取りした囲い込み記事が出ていた。
そして、その横に別記事として父の事を書いた記事が出ていた。
わざわざ高い広告料を払って出す必要は無かったわけだ、しかしこれもケジメだから仕方が無いだろう。
朝飯を食っていると本家の伯父がやってきた。
地区のまとめはお願いするとして、会場からのバスの経路や立て看板など意見があるようで、すぐに会場にお願いの電話を入れた。
そうこうしていると親戚の伯父、叔母、近所の人たちが集まり家の中は凄い混雑になった。
会場から担当が来て、会葬の礼状の確認を行った。
喪主の母の名前、長男の私、妻の名前、義理の弟の名前、妹夫婦の名前、そして親族代表の本家の伯父の名前など確認をした。
会場の担当の方が枚数を確認するというので、対応していた義理の弟や叔父たちと話し合い、こんなものだろうと数字を言った。
会場の担当者の方は、その倍以上の数字を言う。
そして会場も通常は半分に仕切って使っているが、今日と明日はワンフロアーにして、他の予約は入れないと言う。
数は担当の方にお願いして、会葬の品も同数用意する事になった。
昼前には告別式で流すビデオの打ち合わせだった。
前日、近所の方に10冊以上のアルバムに付箋で選んでもらった写真を、一枚一枚見てもらう。
さすがにプロ、それ以外の写真も目に留まったものはスマホで撮っていた。

午後4時、いよいよ出棺、若い男性達に担がれて父は家を出て行った。
私達も喪服に着替え後を追った。
会場には前日渡した写真が遺影になって飾られていた。
祭壇も黒を基調にした立派なものだった。
通夜は6時から始まり、喪主の代わりに私が挨拶を行った。
原稿を書く時間も無く、思いついた事を私の言葉で口にした。
会場の後ろの方が暗くて良く見えないが席は埋まっていた。
無事に通夜も終わり、下の弟を責任者として残し、子どもたち(孫たち)が父を見守ることになった。
父に手を合わせ、コンビニに買い物に出た。
梅雨も明けたのか、青空が広がり、夏の朝の爽やかな風が吹いていた。
地元紙の新聞を2冊買った。
家に帰り、1冊は母に渡し、新聞を広げた。
昨日メールでやり取りした囲い込み記事が出ていた。
そして、その横に別記事として父の事を書いた記事が出ていた。
わざわざ高い広告料を払って出す必要は無かったわけだ、しかしこれもケジメだから仕方が無いだろう。
朝飯を食っていると本家の伯父がやってきた。
地区のまとめはお願いするとして、会場からのバスの経路や立て看板など意見があるようで、すぐに会場にお願いの電話を入れた。
そうこうしていると親戚の伯父、叔母、近所の人たちが集まり家の中は凄い混雑になった。
会場から担当が来て、会葬の礼状の確認を行った。
喪主の母の名前、長男の私、妻の名前、義理の弟の名前、妹夫婦の名前、そして親族代表の本家の伯父の名前など確認をした。
会場の担当の方が枚数を確認するというので、対応していた義理の弟や叔父たちと話し合い、こんなものだろうと数字を言った。
会場の担当者の方は、その倍以上の数字を言う。
そして会場も通常は半分に仕切って使っているが、今日と明日はワンフロアーにして、他の予約は入れないと言う。
数は担当の方にお願いして、会葬の品も同数用意する事になった。
昼前には告別式で流すビデオの打ち合わせだった。
前日、近所の方に10冊以上のアルバムに付箋で選んでもらった写真を、一枚一枚見てもらう。
さすがにプロ、それ以外の写真も目に留まったものはスマホで撮っていた。

午後4時、いよいよ出棺、若い男性達に担がれて父は家を出て行った。
私達も喪服に着替え後を追った。
会場には前日渡した写真が遺影になって飾られていた。
祭壇も黒を基調にした立派なものだった。
通夜は6時から始まり、喪主の代わりに私が挨拶を行った。
原稿を書く時間も無く、思いついた事を私の言葉で口にした。
会場の後ろの方が暗くて良く見えないが席は埋まっていた。
無事に通夜も終わり、下の弟を責任者として残し、子どもたち(孫たち)が父を見守ることになった。