打越通信

日記ふういろいろ

故郷での一日

2017-05-06 21:59:27 | 日記ふう
朝早く熊本の自宅を出て県南の実家を目指す。
九州道から伸びた自動車道が実家近くまで出来たおかげで1時間ちょっとで着く。
実家に着き、ここに住んでいる甥っ子のジュンを起こす。
今日はもう一人の甥っ子(ジュンの弟)に子供が出来たので、お祝いを持って一緒に鹿児島市内まで行く予定だった。
ジュンは突然仕事が入ったようで一緒に行くことが出来なくなっていた。
ストリートビューで近所の場所を確認してすぐに実家を出た。
県境を超えた頃、ジュンから連絡が入り先方の都合が悪くなったという。
県境の隣町まで来ていたが予定を変更し帰ることにした。
せっかくなので親父たちと釣りに来ていた海が見たくなり海岸線を目指した。
折口海岸に行ってみた。
綺麗な砂浜が広がっていた。



海水浴には少し早いが砂浜には多くの人たちが出て貝堀でもしているようだった。
1時間ばかりきれいな砂浜を水際まで行って散歩した。
さてどうするか?
今日は夕方から中学時代の野球部連中と会うことになっており、実家に泊まる予定だった。
実家に戻り、さっそく庭の草刈と庭木の剪定を始めた。
なんだかんだと言って連休の一日は必ずやらねばならない作業なのだ。
庭の掃除が終わったころジュンが仕事から戻ってきた。
ジュンも手伝うというので、草刈機を持って畑に出た。



腰くらいまで伸びた草を2台の草刈機で約2時間の作業だった。
風呂で汗を流し、同級生たちの待ち合わせ場所に出かけた。
こじんまりしたスナック風の居酒屋にすでに4名の少年野球小僧が集まっていた。
中学時代に戻ったような感じでむかし話に花が咲く。
私が出てきているということで遅れてもう一人加わり、再び野球談議や思い焦がれたマドンナ達の話題で盛り上がった。
そういう話の中で、私とバッテリを組んでいた一つ年下のキャッチャをしていた奴が亡くなったという話題になった。
そしてもう一人、外野を守っていた5番バッターもつい最近、病気で亡くなったという。
もうそういう年になったのかと遠い過去を悲しくも思ったものだった。
結局のところ、上記のような状況だが全員揃うことはできないが揃うメンバーで再びチームを復活させることになった。
ピッチャーを誰がするか?当然今の私にはかつての剛速球を投げることはできない。
そんな話をしていると後ろの席から声がかかる。
こいつも同級性(高校時代だけ)だった。
中学が違うので他のメンバーは数名しか知らない。
別席でどうも話を聞いていたようだった。
顔を見てもどこのオヤジかと思うほど久しぶりだった。
今いる席を振り返り、ここでも昔話に花が咲いた。
彼と同席だった人は、この地発祥の「宝楽饅頭」の社長様であった。
なんだかんだと午前様近くまで飲んで(私は飲んでいない)数名をクルマで送り、実家に戻ったのだった。