あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

周りの人たち

2014-09-02 23:56:32 | Weblog
昨日、職場で、Mさんから葡萄をいただく。
「葡萄、好きですか」と。
なんでも、私だけに持ってきてくださったという。
「大、大好きです」と答える。
帰りに冷蔵庫に入れたあった葡萄を下さる。
甘くて、おいしい。
思いがけないことだったので驚き、彼女の気持ちが嬉しかった。
普通に仕事をしていて、普通の生活だったのに、彼女はおじいちゃんからおくってもらったという葡萄を持参してきていたのだ。
私のことを思ってくれたこと、それが嬉しい。

職場にはいろいろな人がいる。
おおかたの方は礼儀正しく、真面目に働いている。

ただ、その中にひとりの50代の女性…。
周りが素敵な人だけに、その人の行動がマイナスとなって目立つ。
感情の起伏の激しい人なのだろう。
挨拶しても返ってこないときがあるのは病気かしらと思うこともある。
悩みでもあるのかしら、ひいては、私が何か悪いことをしたのかしらと思ったりもするけど、そうでもないようだ。
幸せではないのだろうなと思うけど、それは余計なおせっかいというものだろう。
ただ、自分が幸せだったら、あるいはある程度満足していたら、心広く、人に優しくできると思うのだけど、いかがだろうか。
何かしら、私の勝気な面が出て、意見したいと思うこともあるけど、言ったら言ったで「覆水盆に返らず」で、悔いてしまうだろう自分が想像できる。
ひとりのその女性が目立つということは、考えを変えれば、他の方々はひじょうに温かく礼儀正しいということであり、私は恵まれているということだ。


あらためて、人は年齢じゃないなと思う。
それは、当然といえば当然だけど。

Mさんのように礼儀正しく、素敵な20代の女性もいる。

まあ、それが世の中でしょう。
十人十色とはよく言ったものだ。


こういう人を見てわが身を正せです。

礼儀知らずの冷たい言葉を浴びせる人にならないように…と、こういう人が周りにいるのかもしれないなあ…。

いずれにしても、そんな人をも受け入れる許せる人になりたいとも思う。
ちょっとしょげるときもあるけど、自分自身が心広く明るく私らしくと思うのだ。

そういう人に左右されることなく…ただ、自分にストレスを与えないためにも、自分を大切にするためにも、近寄らないのもひとつの方法かもと最近は思ったりもする。自分をあえて窮地に追い込むことはない。

ムリに話をすれば、不愉快になるのだから。
うまく生きること。

それも処世術だ。

自分が尊敬できない人のことで、あれこれ思うことほど、愚かなことはない。
同じ土俵に立つことはないのだ。


電話対応に忙しい日々だけど、何度か取り次ぐ青年たちは、みんな礼儀正しくさわやかだ。
言葉遣いを知っている。

20代の若者たちから学ぶことが多い。

で、やはり、よりたくさんの素敵な人がいるこの職場でいろいろ体験できることに感謝するのです。




コメント
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