あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

10年めの3月11日

2021-03-11 18:40:48 | Weblog

今日、3月11日。

10年が経ったのか・・・まだ、言葉がない。

当時、被災された方のそれぞれの話を聞くことができなかった。あまりにも酷く、悲しくて・・・。

津波の様子を見るのがとても辛かった。

今でも辛いけど、少し、あのときと比べて、少し冷静に見られるようになったのではと感情の変化を思う。

テレビで追悼式があった。

午後2時46分。

ソファに座っていたけど、席を立って黙祷した。

「天国で、楽しく、安らかにお過ごしください」と。

そして、多くの悲しみをもったご家族の皆さまが前向きにお元気に過ごされますように。

私には祈ることしかできない・・・。

式辞では天皇陛下の言葉が心に入ってきた。

まだ、復興は終わっていない。心を寄せて・・・とあった。

私はかつての戦争で「天皇陛下、バンザイ」と亡くなっていった若者、多くの方を思えば、かつての天皇に対して「なぜ?」と思っている。

でも、今日の式辞の挨拶は心に響いた。

それは一方では総理の挨拶があまりにも不味くて形だけだったからかもしれない。

心を打たれるものがなかった。

10年前に、たまたま、宮城へ行ったときにスイスからボランティアで来ていたグループと電車内で会った。

私などは何もしないのに(せめて、お店が繁盛するように何かを買うのが精いっぱい)思わず「ありがとう」とその方々に頭を下げた。

この前行った富岡には黒い袋が山積していて、乗ったバスから見えたゴーストタウン。

防護服の人が遠くに見え、バスの案内の人が「窓を閉めてください」と言った。放射能があるから。

だから、やっぱり、オリンピックどころじゃないのよね。

まずは、東北が先!と本当に思う。

その上、このコロナ禍で、なぜオリンピックを開催する?

仮設住宅に住んでいる人の多さ、どうにかしてくれ~と言いたい。

無念の思いで亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。

 

庭に黄色い水仙が咲いていた。

黄色は「希望」

なんといえばいいかわからない3月11日だけど、

被災された方々に、そして、ともに悲しみに打ちひしがれた方々にいいことがありますように・・・。

 

コメント
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