一昨日、林真理子作「西郷どん!」後編を読了した。
ちょっと時間がかかったけど前編、後編と読めて満足。

わが薩摩の志士、西郷隆盛は明治政府設立に貢献。
沖永良部島に流されているときに、生麦事件だったんだなんて知る。そのときかと・・・。
前編は西郷と愛加那との息子、京都市長となった菊次郎の助役川村への語りから始まる。
明治37年(1904年)10月12日菊次郎が京都市長に就任したときである。
薩摩の貧しい侍の家に生まれて奄美大島、徳之島、沖永良部島と流されながら日本の新政府を作った。
なによりも多くの人に慕われた。
後編に出てきた西郷の言葉として
「農業こそが国の土台じゃち」
「農業だけは誰も不幸にせん。農業こそは、魂の産業じゃっでなあ」
「農業こそが国の基(もとい)である」
など、西郷に言わしめた農業の大切さの言葉には、とても共感するし、それは庶民を大事にすることにも通じる。
指宿の砂蒸し温泉、鰻池が出てくるのは嬉しい。
鰻池は中学校の遠足で歩いて行った。
果たして西郷隆盛はどういうルートで行ったのだろうか。
ふるさとにいたころはよく行き、数年前にも行ったけど、西郷どんが来たという鰻池は有名だ。
また、斉彬と行ったのは「殿様湯」かと思うと、またまた嬉しい。
ここにも行った。
中学校のクラスメートの家だ。いまでもやっているかしら。
またまた横道にそれたけど、大久保利通との関係は、幼き頃を思うと、あまりにも切ない。
同じ薩摩人、それも仲がとてもよく、志は同じだったのに・・・。
尚古集成館には、母の父、つまり祖父が勤めていたと聞いている。
島津斉彬の別邸の、尚古集成館があるここは、磯庭園と言われ(今は仙厳園)よく行ったものだけど、ここからの桜島は素晴らしい。
桜島だけはいろいろ知っているのねと感慨深く思う。
ラストの菊次郎の言葉の
「しかし、あと百年たったら、答えが出るような気がします。その時の日本は父が言ったとおり、どれほどかましな国になっているでしょうか」
明治10年(1877年)9月に西郷隆盛が自決してから、まもなく144年・・今の日本はましになっているのでしょうか。
私には「否、いいえ」としか言えない・・・多くの武士、人々の死を思えば、申し訳なさが先にたちます。
翻って、篤姫にしろ、西郷隆盛にしろ、知らないことが多すぎる。私だけかもしれないが、郷土のいわゆる偉人(他県の人はどうか思うかだけど)のことは、大いに知るべしだとあらためて思う。
最後に林真理子さんの参考にした文献があったが、その数やすごい。もっとも取材はこんなに手間や時間がかかるのは当然だろうけどね。
薩英戦争に「前の浜の戦」というのがあり、興味をそそられた。
歴史は広い意味で、あらためておもしろいなと思った(知らないことが多すぎた・・・
)
くしくも今日、兄から届いた。

そう、串木野のさつま揚げ。
開けたら

生と真空パックが両方ある。
さつま揚げの一説には斉彬が作らせたというのがある。

今夜いただきます。
きっと、うんまかね!