細川ガラシャの話。
「江」では脇役でしかなかったので印象は薄い。
明智光秀の娘、玉として生まれ、16歳で細川忠興に嫁ぐ。
玉に仕えていた侍女の勧めで洗礼を受けた。(キリスト教)
この時忠興に「殿のなさりたいように・・・」と申し出た。
忠興はガラシャを愛してやまないほどだったので、ガラシャの言い分を聞き入れた。
これがエスカレートして、ガラシャの服は忠興が選んだ。(布地から柄まで


)
これは史実?
忠興は非常に手が器用だったのでガラシャにカルタを手作りで作ったという。
(これは史実で本物のカルタが残っている・・・扇形をしている
作るにあたって屏風師に習ったとも言われている)
自分の鎧、兜も自分で作った(これも史実)
大阪城内細川邸に火がつく。(忠興はこの時一緒にはいなかった)
ガラシャ、家臣数名が火に巻き込まれた。
しかしガラシャは少斎に長刀で胸をつかれて死亡。その後少斎は自害。
(キリシタンだったので選択肢がなかった・・・)
忠興は文武両道という人だった。
合戦も上手かったし、茶を嗜んだという。
(利休に習ったというから凄い

)
秀吉もそうだったっけ?利休をそばに置いていたよね。
茶を飲むときに合戦の相談もしていたとか・・・(史実ではないかもしれないが・・・)
忠興とガラシャの間の子供は男子3人、女子2人。
三男の忠利が熊本にいたので、そこに親と祖父母(細川家の)の墓を建てた。(四つ御廟だと思うが・・・)
忠興とガラシャの血が脈々と続き、現在の細川護煕氏が子孫であることは有名。
あっ!先日離婚を発表した賀来千香子が出てた

間が良すぎと思ったら番宣だったか・・・