私の仏滞在の最終月に三組、お客さんが来られますが、それぞれとても大切なお客さんです。
最初のお客さんとして岐阜大学の国枝稔先生が来られました。国枝先生の後見役でもある民間のコンサルの方も一緒に来られました。結果的に極めて充実した時間を過ごすことができました。
まずは9月3日に私の家族もよく行くバスク料理の店で夕食。コンサルの方は事前に私のブログを見ておられたようで、相当に変わった元気のある人間だとは想像して来られたようですが、思った以上だったようです。。。
国枝先生は私の二つ上ですが、以前から親しくさせていただいていました。ですが、実はじっくりとコミュニケーションするのは今回が二回目で、初回は東日本大震災の仙台近辺の被害調査チームでご一緒したときでした。そのときは明確なミッションがあったので、ミッション以外の一般論を話す時間は多くは取れませんでした。今回は、非常に長い時間、濃厚なコミュニケーションを、まさに化学反応のようにすることができて、楽しかったです。
私はトルコ出張も終わった後だったので、完全にトップギアに入っており、初日の夜のディナーでは、やや国枝先生の愚痴も聞かれ、「愚痴なんか言ってる場合ではありませんよう!」と私が教育?する場面も一、二回ありました。もちろん、愚痴などはごくわずかで、哲学をぶつけ合って、それをコンサルの方も頼もしく見ておられる、という構図でした。
初日の二次会では、オープンカフェでさらにワインを飲んで、武田鉄矢の「人として」のサビの部分を二人で歌う、というシーンも見られ、かなり上機嫌でそれぞれ帰宅しました。(歌った理由ですが、実はその日の朝に、オープンカフェで座っていた目の前の歩道を、次女と「人として」を歌いながら歩き、突然泣き出した、からです。)
まあ、このディナーが、ウォーミングアップ、でしたね。
翌日、9月4日は、電車でパリ東駅からMeaux(モー)という駅まで行き、レンタカーでフレシネーのLuzancy橋とマルヌ5橋を見る、というツアーに出かけました。私にとっては三度目だったのですが、自分でもびっくりするぐらい、新たな発見がいくつもあり、やはり分かった気に簡単になってはいけない、と心底から感じました。「無知の知」を改めて肝に銘じることができました。もちろん、いろんな発見をできたのも、国枝先生らといろいろ議論しながら橋を見たから、です。橋の視察については写真も掲載したいので、別のエッセーで投稿します。また、私がフランス滞在中に実際に訪れたフレシネーの橋梁巡り(Luzancy、マルヌ5橋、プルガステル橋、ブチロン橋)を、コンクリート工学誌か何かに投稿しよう、と改めて思いました。良質の読み物に仕上げたいと思います。
橋梁巡りの最中も非常にたくさんのコミュニケーションをしました。レンタカーを返した後、17時ごろにMeaux駅から電車に乗る前に、Meauxの大聖堂の真ん前のカフェでビール二杯、フライドポテトで語り合いました。超一級のPCの原点を見た後ですから、技術論も含み、話が弾みました。
そして、パリに戻ってから、二回目のディナー。ウォーミングアップも前夜終わり、橋梁巡りも終わった後のディナーなので、開始早々から化学反応の連発で、話は異様に盛り上がりました。途中で後見役のコンサルの方はすぐそばのホテルに戻られました。「後は徹底的に若い人たちで語り合ってくれ」とのことでした。さすがです。
国枝先生も内田樹先生の本を読み込んでいることもあって、 とにかく価値観が合います。一方で、私が何かを話したときに、それに同調するだけでなく、異なる視点からのとても興味深い意見を必ず言ってくれるので、私にも刺激満点でした。
人物眼が優れており、私のことも非常によく観察されていることが分かりました。そんなにしょっちゅうお会いするわけではなく、そんなに私のことをじろじろ見ているようにも思えませんが、見ている人は見ているのですね。まあ、国枝先生にも言われましたが、私は分かりやすい人間のようですので。
藤井聡先生の「政の哲学」も国枝先生にプレゼントしました。ぜひ、国枝先生に読んで欲しい本だったからです。
結局、ワインを二本空けて、お開きとなりました。一年に一回くらいでよいと思うので、これくらいの徹底的なコミュニケーションを国枝先生とも重ねていきたいな、素敵で、すごい人だな、ととても幸せな気持ちになりました。日本だと、なかなか時間、取れないんですけどね。こういう時間が大事なんだな。
フランスでの時間は、様々な意味で私にとっては重要ですが、次女との時間、という意味でも極めて大きな意義を持つことになりました。
次女は、どちらかというと母親べったりの子で、長女とはかなり異なります。母親が育児休暇を長女のときよりも長めに取ったことが一因と推察していますが、様々な理由によるのでしょう。
日本にいるときに、私と一緒に寝たい、と言ったことは皆無に等しかったように記憶しています。日本で彼女が通っていた保育園は、理想的な環境からは遠く、次女も様々なストレスを感じていたようですが、朝の保育園の送りも渡仏前はほとんど奥さんがやっていました。長女の送りや、二人の娘のお迎えは私ももちろんたくさんやりましたが。
そして、フランスでの時間が始まりました。時間を有効に使う習慣はすでに付いていましたので、次女との関係をどのようによくしていくか、ということも私の目標の一つでした。パリのスクールに彼女と一緒に徒歩で通う時間や、午前のみでスクールが終わってしまう水曜日の午後を、次女とのパリ散歩の日にして、パリを楽しみながら勉強する時間にしたことも、彼女とのコミュニケーションを改善していくとてもよい時間になりました。そして、次女が、「今日はパパと寝たい」と言う日も出始めました。
今朝は、極めて重要な朝となりました。
9月2日(火)から次女の通うスクールの新学期が始まりました。数人のとても仲の良い友達に再会できるのを心待ちにしていましたが、新学期が始まるとメンバーの大幅な入れ替えがあり、それらの友達はいなくなっていました。次女よりも小さい子どもたちが多く、基本のコミュニケーションは英語ですので、次女にとっては相当に難しい環境になってしまいました。
金曜日の今朝、次女がスクールに行きたくない、と駄々をこね始めました。奥さんも私も次女の苦しい気持ちはよくよく分かりますので、まずは奥さんが次女とコミュニケーションして、出勤しました。次女は大泣きです。
私がスクールに送っていくので、次女と大事なコミュニケーションを始めました。
「あなたの気持ちはすごく分かる。友達がそんなに簡単にできるわけはないし、大変だよね。友達ができる方法をいくつか教えてあげる。」と言うと、次女はすごく興味をひかれたようでした。
自分がストレスを感じて嫌な気持ちでいると、必ず表情や行動に出る。それを他の子どもが見たらどう思うか。絶対によい印象を持たない。本心では友達になりたいと思っていても、近づきたいと思わなくなる。だから、すぐに友達ができるかは分からないけど、「友達ができるといいなあ」と楽しい気持ちを持つようにしよう。そうすると表情も明るくなるから、スクールの子たちも近づいてくると思うよ。
「一年生になったら、一年生になったら、友達百人できるかな」の歌、知ってるでしょ?これを大きな声で歌いながらスクールに行こう。そしたら楽しそうじゃない?
次女の表情がかなり明るくなってきました。
それから、スクールで頑張っているときに苦しくなることもあるかもしれない、でもあなたが頑張っていることをママもパパも知っているし、おばあちゃんだって知ってる。だから、一人じゃないよ、みんな応援しているよ、とも伝えました。
その後、私が出発前にいろいろと仕事をさばいている間に、次女が何かを持ってやってきました。
「ねえ、おやつ持って行っていい?スクールで出るおやつが食べられないから、自分で持ってきてる子もいるんだよ。」とうまく交渉術を使いながら、ハイチュウを二つ持ってきました。
いろいろと話し合いましたが、まあ、いいよ、ということになりました。
なぜハイチュウが二つか。一つを、友達になりたい子にあげる、という次女の作戦だったのです。かわいい。
その他、このエッセーが長くなり過ぎるので割愛しますが、メトロでも大笑いするやり取りがあり、結局スクールにはかなり良い状態で到着できました。
到着直前に、同じスクールの次女よりも小さい子たちと一緒になったので、「ねえ、小さい子の頭をなでなでしてあげたら、喜ぶんじゃない?そうやってかわいがっているのを、他の子どもたちも見て、ああ、やさしい子だな、と感じると思うよ。」と最終アドバイス。
到着後、皆に見えにくいところで早速、小さい子の頭をなでなでしておりました。もちろん、英語でほめてあげました。
次女のみならず、どの子も苦労していることを、先生たちも話してくれました。ハイチュウを二つ、明確な作戦とともに持ってきたことも、私が先生に伝えておきました。すごく感心していました。
最後は、次女をぎゅっと抱きしめて、次女もかなりいい表情でみんなの輪の中に入っていきました。
今日は15時半に私がお迎えに行きますが、どんな会話をできるか、今から楽しみです。
今朝の私の話を聴く次女の目線が、とても印象に残りました。