6月末から2ヶ月間、私の最寄駅を含む区間がメインテナンスで運休していたパリのメトロの6号線。8月末に運転を再開しました。
鋼桁の塗装なども行ったようで、落書きだらけだった桁もきれいに銀色に光っていました。
以前のこのブログのエッセーで、私がなぜ6号線の中の時間を好むのか、考察しました。
今朝も、次女をスクールに送った後、6号線で通勤しましたが、いろいろと考えました。やはり、私にとってはメトロ6号線の中の時間は、人生の思い出に残る特別な時間となりそうです。
私は教師をしていますが、一風変わった教師なのだろうと思います。
鞆中学校の海野先生からは、「細田先生は本当にピュアだ。」と言われました。先月、イスタンブールに出張しているときに、徳山高専の田村先生にその話をしたところ、「ピュアという表現が非常に適切だ。」と言われました。
何がピュアなのかいろいろと議論しましたが、ある側面がとてもピュアなのであって、いいおっさんですから、いろいろと悪いこともしてきましたし、すべてがピュアな仙人では決してありません。ものの観方がピュア、といったところでしょうか。
今朝の6号線では、以前からたまに考える、私が教師となったルーツについて、音楽を聴きながら考えていました。
直接的な契機は、大学3年生のときに、岡村甫先生の少人数ゼミを受講したことでした。これが無ければ、私がこんな職業に就いていることはまああり得ないと思います。
でも、その少人数ゼミで、私にとって運命的な出会いをすることができたのは、それ以前の私の生い立ちに理由があります。
私の両親はどちらも島根県の大田市出身ですが、父方の祖父は中学校の教頭、母方の祖母は小学校の先生でした。
思い返せば、島根の田舎でかなりの時間を過ごしましたが、そこでの時間が私の教師の素養を育んでくれたように思います。
一つ一つ説明することはできませんが、父方の実家は大家族で、その親戚が夏休みなどに一同に会する様子は壮観で、我々の母親たちが一所懸命食事を作り、長老を囲んで皆で夕食を食べたりしていました。
母方の実家は、私の母が一人娘ということもあって、私たち孫は祖父母を独占でした。これでもか、というくらい、島根の自然で遊ばせてくれました。それが、今の私の教師らしからぬ野性の原点かと思います。
私の祖父母たちの世代は、戦争も経験していますから、大変な時代を生きてきた方々だと思いますが、その方々が、全うに家族を営み、生きてこられたおかげで、私も今、生き甲斐を持って生きることができているのだなと感じ入り、メトロ6号線で涙がこぼれました。
どうも、最近、涙腺が緩いようでして、感性が鋭くなっているようです。ピュア度が高まっております!
今週は、ロンドン、南仏への出張が入っており、立て込んでおりますが、研究は各方面と連携してぐいぐい進めております。
私の教え子たちでブログを読んでいる人ももちろんたくさんいますが、よく、「先生の√2倍の考え方が強く記憶に残っている」と言ってくれる人たちがいます。何度も何度もブログにも登場するからでしょうか。
もちろん、いつもコンスタントに成長していけるわけではないし、自分自身だけで成長などしていけるわけもないし、しかし、自分自身の研鑽も不可欠なわけです。
√2倍の考えを導いた経緯はこちらにまとめてあります。
√2倍/年の成長を意識して生活することは、重荷にもなりますが、5年前の36歳のときの、重荷と格闘している様子がこちらです。
東日本大震災の直前の師走ですから、4年近く前の、√2倍論がこちらです。
上記の4年近く前のブログで、単純に自分の能力を磨く、という方法以外に私が指摘しているのが以下です。
『「例えば,人間が謙虚になる,ということも総合力の向上に大きく寄与します。傲慢で,自分はよいと思っていても味方が誰もいない状況と,謙虚になってその人のビジョンに賛同する人が100人に増え,その人たちと連携して大きな仕事ができるとなると,総合力は簡単に2倍以上に増えるでしょう。そうすると,人生の難しさを知り,歴史の重さを知り,謙虚になることが総合力を向上させる大きな要素,と考えることもできます。
視野を広げることも総合力の向上には大きく寄与します。今の私の理解では,とにかく境界条件を小さく設定している人が多い。いまだに「アメリカ,中国」と言っている時点で,マスコミからの怪しい情報しか勉強していないことを露呈しているでしょうか。もっともっと本物の情報を自分で獲得し,多くの仲間から情報を入手し,物事の本質を見極められるように精進しないといけません。視野の狭いリーダーが下す判断ほど恐いものはありません。
ネガティブな人がポジティブに変わるだけで,総合力は大きくアップです。不健康な人が健康になるのもアップですね。 』
2014年の現時点の私が追加するとすれば、以下でしょうか。
・脳の働きが30歳くらい以降、飛躍的に進化する。進化するように使い続けなければならない。脳にストックされている知識のネットワークが活性化することで、パフォーマンスは著しく増大する。
・信頼できる人たちとのネットワークが極めて重要。ネットワークが拡がることも成長につながるが、ネットワークの中の人々の能力が増大していくことも、実は自分自身のパフォーマンスの増大に直結する。
・4年前のブログでも触れていますが、人間に対する理解、人間社会に対する理解が深まることが、自分自身の能力をフルに発揮することにつながる。
孔子の「四十にして惑わず」の「不惑」がありますが、私も仕事の面では不惑に到達している気にはなっていましたが、家庭のこともすべて含めて不惑であったとは言い難く、フランス滞在中の8月(日本出張、ギリシャ家族旅行、トルコ出張)を終えていくつかを克服し、いよいよ不惑にたどり着けるかな、と感じ始めました。
まだまだ√2倍の茨の道は続きます。
私の仏滞在の最終月に三組、お客さんが来られますが、それぞれとても大切なお客さんです。
最初のお客さんとして岐阜大学の国枝稔先生が来られました。国枝先生の後見役でもある民間のコンサルの方も一緒に来られました。結果的に極めて充実した時間を過ごすことができました。
まずは9月3日に私の家族もよく行くバスク料理の店で夕食。コンサルの方は事前に私のブログを見ておられたようで、相当に変わった元気のある人間だとは想像して来られたようですが、思った以上だったようです。。。
国枝先生は私の二つ上ですが、以前から親しくさせていただいていました。ですが、実はじっくりとコミュニケーションするのは今回が二回目で、初回は東日本大震災の仙台近辺の被害調査チームでご一緒したときでした。そのときは明確なミッションがあったので、ミッション以外の一般論を話す時間は多くは取れませんでした。今回は、非常に長い時間、濃厚なコミュニケーションを、まさに化学反応のようにすることができて、楽しかったです。
私はトルコ出張も終わった後だったので、完全にトップギアに入っており、初日の夜のディナーでは、やや国枝先生の愚痴も聞かれ、「愚痴なんか言ってる場合ではありませんよう!」と私が教育?する場面も一、二回ありました。もちろん、愚痴などはごくわずかで、哲学をぶつけ合って、それをコンサルの方も頼もしく見ておられる、という構図でした。
初日の二次会では、オープンカフェでさらにワインを飲んで、武田鉄矢の「人として」のサビの部分を二人で歌う、というシーンも見られ、かなり上機嫌でそれぞれ帰宅しました。(歌った理由ですが、実はその日の朝に、オープンカフェで座っていた目の前の歩道を、次女と「人として」を歌いながら歩き、突然泣き出した、からです。)
まあ、このディナーが、ウォーミングアップ、でしたね。
翌日、9月4日は、電車でパリ東駅からMeaux(モー)という駅まで行き、レンタカーでフレシネーのLuzancy橋とマルヌ5橋を見る、というツアーに出かけました。私にとっては三度目だったのですが、自分でもびっくりするぐらい、新たな発見がいくつもあり、やはり分かった気に簡単になってはいけない、と心底から感じました。「無知の知」を改めて肝に銘じることができました。もちろん、いろんな発見をできたのも、国枝先生らといろいろ議論しながら橋を見たから、です。橋の視察については写真も掲載したいので、別のエッセーで投稿します。また、私がフランス滞在中に実際に訪れたフレシネーの橋梁巡り(Luzancy、マルヌ5橋、プルガステル橋、ブチロン橋)を、コンクリート工学誌か何かに投稿しよう、と改めて思いました。良質の読み物に仕上げたいと思います。
橋梁巡りの最中も非常にたくさんのコミュニケーションをしました。レンタカーを返した後、17時ごろにMeaux駅から電車に乗る前に、Meauxの大聖堂の真ん前のカフェでビール二杯、フライドポテトで語り合いました。超一級のPCの原点を見た後ですから、技術論も含み、話が弾みました。
そして、パリに戻ってから、二回目のディナー。ウォーミングアップも前夜終わり、橋梁巡りも終わった後のディナーなので、開始早々から化学反応の連発で、話は異様に盛り上がりました。途中で後見役のコンサルの方はすぐそばのホテルに戻られました。「後は徹底的に若い人たちで語り合ってくれ」とのことでした。さすがです。
国枝先生も内田樹先生の本を読み込んでいることもあって、 とにかく価値観が合います。一方で、私が何かを話したときに、それに同調するだけでなく、異なる視点からのとても興味深い意見を必ず言ってくれるので、私にも刺激満点でした。
人物眼が優れており、私のことも非常によく観察されていることが分かりました。そんなにしょっちゅうお会いするわけではなく、そんなに私のことをじろじろ見ているようにも思えませんが、見ている人は見ているのですね。まあ、国枝先生にも言われましたが、私は分かりやすい人間のようですので。
藤井聡先生の「政の哲学」も国枝先生にプレゼントしました。ぜひ、国枝先生に読んで欲しい本だったからです。
結局、ワインを二本空けて、お開きとなりました。一年に一回くらいでよいと思うので、これくらいの徹底的なコミュニケーションを国枝先生とも重ねていきたいな、素敵で、すごい人だな、ととても幸せな気持ちになりました。日本だと、なかなか時間、取れないんですけどね。こういう時間が大事なんだな。
フランスでの時間は、様々な意味で私にとっては重要ですが、次女との時間、という意味でも極めて大きな意義を持つことになりました。
次女は、どちらかというと母親べったりの子で、長女とはかなり異なります。母親が育児休暇を長女のときよりも長めに取ったことが一因と推察していますが、様々な理由によるのでしょう。
日本にいるときに、私と一緒に寝たい、と言ったことは皆無に等しかったように記憶しています。日本で彼女が通っていた保育園は、理想的な環境からは遠く、次女も様々なストレスを感じていたようですが、朝の保育園の送りも渡仏前はほとんど奥さんがやっていました。長女の送りや、二人の娘のお迎えは私ももちろんたくさんやりましたが。
そして、フランスでの時間が始まりました。時間を有効に使う習慣はすでに付いていましたので、次女との関係をどのようによくしていくか、ということも私の目標の一つでした。パリのスクールに彼女と一緒に徒歩で通う時間や、午前のみでスクールが終わってしまう水曜日の午後を、次女とのパリ散歩の日にして、パリを楽しみながら勉強する時間にしたことも、彼女とのコミュニケーションを改善していくとてもよい時間になりました。そして、次女が、「今日はパパと寝たい」と言う日も出始めました。
今朝は、極めて重要な朝となりました。
9月2日(火)から次女の通うスクールの新学期が始まりました。数人のとても仲の良い友達に再会できるのを心待ちにしていましたが、新学期が始まるとメンバーの大幅な入れ替えがあり、それらの友達はいなくなっていました。次女よりも小さい子どもたちが多く、基本のコミュニケーションは英語ですので、次女にとっては相当に難しい環境になってしまいました。
金曜日の今朝、次女がスクールに行きたくない、と駄々をこね始めました。奥さんも私も次女の苦しい気持ちはよくよく分かりますので、まずは奥さんが次女とコミュニケーションして、出勤しました。次女は大泣きです。
私がスクールに送っていくので、次女と大事なコミュニケーションを始めました。
「あなたの気持ちはすごく分かる。友達がそんなに簡単にできるわけはないし、大変だよね。友達ができる方法をいくつか教えてあげる。」と言うと、次女はすごく興味をひかれたようでした。
自分がストレスを感じて嫌な気持ちでいると、必ず表情や行動に出る。それを他の子どもが見たらどう思うか。絶対によい印象を持たない。本心では友達になりたいと思っていても、近づきたいと思わなくなる。だから、すぐに友達ができるかは分からないけど、「友達ができるといいなあ」と楽しい気持ちを持つようにしよう。そうすると表情も明るくなるから、スクールの子たちも近づいてくると思うよ。
「一年生になったら、一年生になったら、友達百人できるかな」の歌、知ってるでしょ?これを大きな声で歌いながらスクールに行こう。そしたら楽しそうじゃない?
次女の表情がかなり明るくなってきました。
それから、スクールで頑張っているときに苦しくなることもあるかもしれない、でもあなたが頑張っていることをママもパパも知っているし、おばあちゃんだって知ってる。だから、一人じゃないよ、みんな応援しているよ、とも伝えました。
その後、私が出発前にいろいろと仕事をさばいている間に、次女が何かを持ってやってきました。
「ねえ、おやつ持って行っていい?スクールで出るおやつが食べられないから、自分で持ってきてる子もいるんだよ。」とうまく交渉術を使いながら、ハイチュウを二つ持ってきました。
いろいろと話し合いましたが、まあ、いいよ、ということになりました。
なぜハイチュウが二つか。一つを、友達になりたい子にあげる、という次女の作戦だったのです。かわいい。
その他、このエッセーが長くなり過ぎるので割愛しますが、メトロでも大笑いするやり取りがあり、結局スクールにはかなり良い状態で到着できました。
到着直前に、同じスクールの次女よりも小さい子たちと一緒になったので、「ねえ、小さい子の頭をなでなでしてあげたら、喜ぶんじゃない?そうやってかわいがっているのを、他の子どもたちも見て、ああ、やさしい子だな、と感じると思うよ。」と最終アドバイス。
到着後、皆に見えにくいところで早速、小さい子の頭をなでなでしておりました。もちろん、英語でほめてあげました。
次女のみならず、どの子も苦労していることを、先生たちも話してくれました。ハイチュウを二つ、明確な作戦とともに持ってきたことも、私が先生に伝えておきました。すごく感心していました。
最後は、次女をぎゅっと抱きしめて、次女もかなりいい表情でみんなの輪の中に入っていきました。
今日は15時半に私がお迎えに行きますが、どんな会話をできるか、今から楽しみです。
今朝の私の話を聴く次女の目線が、とても印象に残りました。
今朝、次女をスクールまで歩いて送りました。片道20分以上かかりますが、とても大事なコミュニケーションの時間です。
三曲、歌いました。
一つ目は、志村けんが、ちあきなおみの「夜へ急ぐ人」をコントで歌うのですが、それを私と娘二人がYou Tubeで見て大好きで、次女も歌詞を覚えているので、それを一緒に歌いました。これはご愛嬌。
二つ目は、長女が小さい頃によく、お風呂の中や子守歌で歌ってやった、ゴダイゴの"Holy & Bright" です。私は歌が得意(その代り、絵は究極に下手)なのですが、次女も聴き覚えがあったようで、何度か歌ってやりましたが、楽しそうにしていました。
三つ目は、武田鉄矢の「人として」です。この歌も以前、お風呂の中で歌ってやったりしていましたが、最近、「武田鉄矢の今朝の三枚おろし」にはまっていることもあり、歌ってみました。
サビの部分、
「人として人と出会い、人として人に迷い、人として人に傷つき、人として人と別れてー、それでもー、人しかー、愛せないー。」と歌っているときに、いろんなことが頭をよぎり、泣いてしまいました。
次女は、歌を歌っていた父親がいきなり泣き始めたのでびっくりしていましたが、理由を教えてやりました。
理由を教えた後、スクール近くの交差点でぎゅーっと抱きしめてやりました。
そうすると、次女も少し考えて、短い「人の歌」を作って、歌詞を教えてくれました。
やはり、トルコ出張で、相当に感性を刺激されたようでございます。。。
日々、無数の判断をしながら、前進して生きているわけです。
マネジメントとは何ぞや、と仕事においても生活においても常に考えますが、一つの解釈の仕方は、「時宜を見て、適切に優先順位を付けること」かなと思います。
大先生方も絡む大きなイベントの調整を急ぐことも大事ですが、目の前の次女のお世話も大事なわけです。今日は、朝は長女のお弁当を作り、次女をスクールに送っていき、午前のみでスクールの終わる次女を迎えに行って、そのまま一緒にフランス語のレッスンに行き、次女を90分間、DVD鑑賞させながら私はレッスンを受けます。次女がスクールに行っている間に、私はマルシェで買い物も済ませ、研究のスカイプミーティングも行います。
私のレッスンの終わった後は、日本へ荷物を送る段ボールを受け取るために都心のヤマトの営業所に行ったり、フランス国内出張のためのTGVの切符を購入したりもします。すべて次女を連れてです。
その後、長女のお迎えにも行き、夕食も食べさせてから、今夜は岐阜大の国枝先生がパリに来られるので一緒にディナーです。明日は、国枝先生にもフレシネーのPC橋梁群をご案内する予定です。
今朝の私にとっては、マルシェでサーモンの切り身を買うことも非常に重要。それがあれば、明日の夕食を奥さんが作れるからです。
サーモンの切り身と、日本の重要業務の段取りも、重要性はタイミンングによって異なります。
目の前の子どもの相手も、大事な業務に追われているときには面倒になることもありますが、大局的な視点を持てば、どちらが重要でしょうか。
「7つの習慣」における「第二領域」(急がないけど重要なこと)も同じ概念かと思います。
人間はみな同じように生きているように見えて、実はまったく異なる考え方(原則)に基づいて生きています。
私は、大局で間違わないように、緩くマネジメントして、突発的な状況にも柔軟に対応できるように、今のところは生きているつもりです。