切手収集、果てしなき旅そしてロマンを求めて...

小学校2年生の国語の教科書で挿絵に日本の記念特殊切手が紹介されていました。その魅力に取り付かれて早50年近く...。

【多局印カバー】中央競馬50年

2012年09月09日 | 初日カバー
 秋競馬が始まりました。クラシック牝馬3冠はジェンティルドンナで堅いのではないでしょうか?!
 フランス、GⅠ凱旋門賞には3冠馬・オルフェーブルが出走予定。激しい気性のオルフェ、嵌ると強いと思いますが…。

 さて、今年は“近代競馬150年”です。同・記念切手には牝馬、牡馬のクラシック3冠馬10頭が切手図案に採用されます。ナリタブライアンは切手登場2回めになります。 
 中央競馬50年記念切手発行の時には御覧の多局印カバーを作成しました。北海道の方に産地関連のカバーと交換を願い出ましたが、アッサリと断られた苦い経験が思い出されます。

 発行当日、関西のトレセンがある栗東局へ1番乗り…。カバー収集家は誰も居らずで一寸拍子抜け。 


 10月の“近代競馬150年”も関西ではこの4局をカバー収集家は廻るのではないでしょうか? 東京方面では、シンザンの銅像を描く風景印使用局や東京競馬場最寄りの武蔵府中局、そしてトレセンのある美浦トレセンター内局があります。



 北海道はサラブレッド生産地の郵便局の風景印にサラブレッドを描く図案がありますね。
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【多局印カバー】くノ一伊賀忍者の里へ・・・

2012年09月08日 | 初日カバー
 切手の配色を見て驚きました!「ケバ過ぎるって…」

 自宅から伊賀上野迄は車で片道1時間半くらい。初日印指定局の三重・上野郵便局へ。近くには上野城があって、市街地は城下町の雰囲気が満々です。一般局内にテーブルを並べて初日印会場にして、地元の郵趣会の人が応援押印。

 ゆうペ~ンの表紙を貼付して初日カバーを作成しました。

 上野局以外の押印局として、旧国名の『伊賀』が入って、丸型和文日付印のD欄『三重』の伊賀上野駅前局を選出。車でないと短時間で行けない場所でした。地元の郵趣会もこの局を選定していたようです。 
 三重県内では津局で同切手に因む小型印を使用しましたが、私はパス…。

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【多局印カバー】ふるさと切手、大阪城とビジネスパーク

2012年09月05日 | 初日カバー
 もう多局印カバー作成列伝(?)のネタは尽きた…と思われたblog閲覧者も居らっしゃるかもしれませんが……w。ネタは未だ未だあります、そして続きます…。

 途中、他の話題を挟む時もあるかも知れませんが、メインは『多局印カバー作成』の記事でお付き合い下さい。



 お皿の中に城が入っているかの様な図案のふるさと切手・大阪版が発行されました。初日印指定局が大阪東局でした。題材としての初日印適応局は、ツインタワー内に局舎を構える大阪ツイン21内郵便局になります。
 
 作成後に後悔したのが、この頃未だ使用していた大阪東局の三日月型和文試行印を押印しなかった事です。

 大阪ビジネスパーク近くにあって、大阪城を描く風景印使用局の大阪KDD内局で押印。カシエとして大阪市交通局で発売していた“タウンカード”(勿論、使用済ですよ!)をカシエ代わりに貼付しました。 
 図案は切手より断然良いかな?!

 最後に、大阪中央局で押印してこのカバーの押印は終了しました。
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【多局印カバー】日本プロ野球50年

2012年09月01日 | 初日カバー
 当時の郵政省から報道発表があった時は驚きました。切手としては伝説の巨人軍エース・澤村と大阪タイガースのスラッガー・景浦のペアーが切手としてもベストな構成なのに、プロ野球に功績があったにせよ、一企業の正力松太郎が横入りして、変な20面シート構成になりました。
 この切手の初日カバー作成には人海戦術をとりました。私は、甲子園局、西宮東局と甲子園球場を描く風景印使用局と兵庫県の特印とハト印使用局の神戸中央局を廻りました。 
 外野にはラッキーゾーンが有った図案ですね!
 


 そして大阪在住の昔からの南海ホークスファンの方には、大阪球場を描く風景印使用局の浪速局、そして大阪球場の至近局の大阪難波局、大阪中央局を廻ってもらいました。 

 南海ホークス身売り後、大阪球場は住宅展示場になりました、フィールド内にですよ!現在は大阪球場は潰し、なんばパークスという商業施設になってますが、大阪球場のピッチャーズマウンドのプレートとホームベースがその位置にモニュメントとして残されています。  


 名古屋市在住の収友には、中日ドラゴンズ関係の局で作成してもらいました。当時のナゴヤ球場です。 
 
 


 そして極めつけが、巨人軍・澤村投手の出身校の京都商業高校の至近局の竜安寺局で押印、そして学校まで行かれ高名のゴム印まで押印されました。 
 
 

 

 1枚のカバーに押印しませんでしたが、収友との共同作成となったカバーになります。 
コメント (2)
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