昨夜は、夜の8時には、夕食も食べず(ただし、昼食を三時にたっぷりとっている)に寝て次の日は朝の4時半に起きました。やるべきことがいっぱいある。ただし、頭を使わない仕事をしながら、レコーダーの、録画時間を稼ごうとして、クラシッククラブ(NHK BSP )を開けました。
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副題1、『2023-3-23 朝のNHK BSP クラシック俱楽部は、王子ホールの【MARO ワールド】の放送だった』
レコーダーの残り時間を気にして、「生け花の水きりでもしながら、それを、聞きましょうかねえ」と、簡単な気持ちで、開けた番組でした。が、最初に、篠崎史紀さんが、MAROワールドの、目的や意義について、三分程度お話をしたのです。
それは、聞き甲斐のあるお話でした。しかし、15分から、20分語ってもらえば、ほかの、話も出てきたと思います。たとえば、裏に王子ホール開設者と、篠崎さんとの、個人的なお付き合いがあって、最初の目玉商品として、支援があって、企画が始まったとか、
2004年当時、篠崎さんは、NHK交響楽団内で、忸怩たる思いがあったとか?
私はN響の会員でもないし、NHKホールに生演奏を聴きに行くほどの、音楽ファンでは、ないのですが、別方向のエピソード、例えば、東京音大の学長が、選挙で選ばれたというエピソードなどから、そこまで、推察ができるのですよ。あ、は、は。・・・・・音楽・および、N響の・・・・・通の方に、質問をしたいが、相当すごい頭を、私が持っていることがお判りでしょう?と・・・・・・
まあ、ともかくのこととして、2023-3-24の朝、4時45分ごろ、私は篠崎さんの、お話を三分程度聞いたわけです。
NHK BSPの朝の番組の方に戻ります。それで『ああ、そうだったのですか? まあ、結果が、よくて、ようございましたね』と、思いました。王子ホールそのものがコアなファンで囲まれたファミリームードいっぱいのホールです。小さいので、そうなるし、銀座の、一等地で、地下鉄駅、二つの駅から、近い、または、有楽町駅から近いという、好立地な条件も加味して、そういう風になっています。
まあ、生活に不安のない、富裕層が集う大き目のサロンというわけです。ロビーで、ワインも提供されます。むろん、ただではないが、ほかのホールで、ワインが飲めるホールは、そうそうは、ないでしょう。コーフィー、紅茶は、コロナ禍が収まれば、提供される・・・・・はずのところは、多数あるはずですが・・・・・
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副題2、『私は、2021年の秋に、「40回、出演要請があった」と、ご本人が、言っている、反田恭平君の、TV出演、特に、NHKTV内インタビューに激しい違和感を抱いたから、今朝、聞いた、MAROワールド設立の目的に特別な意義を感じた』
さて、私が、マロさんのお話を特別に、興味深く聞いたのは、2021年の、ショパンコンクールの後で、NHKテレビ内だけですが、反田恭平君のお話を聞いて、激しい違和感を感じたので、その事への、これが、対照にある例として、考えるからです。
反田君は、自分の人生の目的として、「クラシック音楽の演奏家(特に後輩たち)の生活が成り立つ様に働きたい」と、言いました。「いま、交響楽団を、若手で、作っています。将来は、音楽を教育する施設=大学?を作りたい」とも言いました。
マロワールドも、主に弦楽器だけですが、全部で、10人前後のお仲間です。ただし、すでに、ある程度の地位を確立した青年たちを招いているので、彼らに、生活上のサポートを与えるのが目的ではありません。室内楽を演奏したい。ヨーロッパの、サロンみたいな感じで、というのが、目的です。
一方で、反田君の、2021年秋の、非常におおきくビジネスと、結び付いた、発言を聞いて、「あなた、何言っているのですか? まだ、音楽家としての、成熟もきたしていないのに?」と、激怒に近い感情を抱きました。
ここからですが、24日の深夜書き始めたので、文体が、いろいろ、変わっています。自宅にいないので、このままでご容赦ください。スマホの電源が、切れると、インターネットが、不通になるので。
反田恭平が、若手音楽家を糾合して、作った交響楽団というのについてなのだが、「すでに、存在している交響楽団・・・・仮に、EFG交響楽団と名付けてみよう。そこの音楽監督に彼が招かれました」というのだったら、私は、何も言わない。むしろ、祝福をしたい。しかし、彼が、作ったとなると、あなた、20人か、それ以上の数、たとえば、30人程度の人生を引き受けて、何もストレスを感じないで、居られるのですか?」と問うてみたくなる。
そこに集まった人は、今のところ、生活費の面では、親がかりの人が多いと、推察している。が、彼らが、30歳を超えるころからは、親から、独立して生きるだろうから、月に50万円程度の、所得を、各人に与えないといけない。それが、一生続くのだ。いや、反田君は、「メンバーは、腰掛でいいのです。彼らが、次の段階として、ウィーンフィルに入ったり、N饗に入ったり、読売交響楽団に入るのを手助けできればいいのです」と、いうのだろうか?
だけど、25人いるメンバーが、次から次へと、抜けていく、そういう交響楽団で、いい演奏が、できますか? それに、嫉妬というものも当然、置きますよ。「え、あの人N響に入れたの? 私の方がうまいのに、どうしてあの人が選ばれたのかしら?」と、内心で、疑問に思う人も当然出てくるでしょう。
他人との関係って、こちらがお金を払う関係だと、うまくいくのです。それから、お金が全く絡まない段階でも、うまくいくのです。しかし、就職という最も確実にお金が稼げる手段で、他人と、かかわってしまうと、すごく重い責任が出てきます。反田君は、それをわかっていますか?
彼は、自分の名声で、企業の、寄付行為を、仰ぐことができると、思っているのでしょう。
それは、10年ぐらい有効かもしれない。特に私が批判をすると、CIAが支援をしますからね。例えば、石塚雅彦さんです。彼は、パーシモンホールには、顔が利くかもしれません。ご近所のはずです。いや、これは、単なる私の推測ですから、本当のところはわかりませんが。
ともかく、コアな、ホールが、パーシモンで、獲得できたとしても、お客を獲得できるのでしょうか?
「まあ、二か月に一回、5万円程度の、出演料を渡すという形でいいんです」と、かれはいうのかしら。「よりどころがあるだけでも、良しとしてください。演奏家は、会社員と違って、よりどころがないですよね。僕が作った交響楽団名を、使ってください。それを名刺の中に、印刷しても、いいですよ」という程度の、話かもしれません。
それなら、成り立っていくでしょう。画家もそうだけれど、音楽家、は、個人事業主で、他人から、尊敬をされないところがあります。
特に、お金の面では、半分素人の人が多いはずです。ご近所の子供にピアノを教えるシロガネーゼとして、かつ、夫の給料で、生活のオオモトを支えていると、言う人が多いでしょう。この夫と、言うところに妻と、入れてもいいのですが、芸術の仕事、一本やりで、稼げる人なんて、本当に少ないと思います。
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副題3、『反田恭平君のお父さんって、超・大物・富裕層なのかしら。そうなると、これは、ちょっと話が違ってくるのだけれどね』
ところで、反田恭平のお父さんって、北海道に住んでいる、普通のサラリーマンでしょう。違うのでしょうか? 例えば、松下幸之助・級・の、創業者社長で、超富裕な、ひとなのでしょうか? 松下幸之助には、第二夫人は、いたのですよ。そちらにも、ちゃんとした中流の上、または、上流階級の、生活を与えて、お子様もいるのです。もしかすると第三夫人もいたかもしれない。
まあ、そういう超・富裕階級の、隠されたお子様だったら、大口をたたいても、いいかもしれないので、私が間違っていたという事になります。
でも、そういう有名人が、父親だったら、当然、すでに、公開をされていると思いますけれど、どうしても、秘密にしたい理由があるのかしら?
さて反田君のお母さんは、大変ポジティブに、ほめて、ほめて育てたそうです。私は、学校内いじめ事件に、大きな関心を抱いている人間ですが、いじめられる子は、親に看過されて育っているので、むろん、ほめてもらった機会が少ないのです。
で、反田君は、その正反対です。で、その誉め言葉の中に、「あなたは、今のところ、苗字が違うけれど、本当のお父様は、あの有名な、〇〇さんなのですよ。だから、あなたも、この国をリードできる、立派な人材なのです。ピアノの世界でも、人に勝って当然だし、世の中に役に立つ仕事をグングン進めていいのです」と、教えているのかしら?
いや、世の中って、50代の非常に優れた男性と、出会う可能性のある、20代とか30代の女性も、いる世界です。仕事上の縁とか、学習上の縁でです。大学教授とセミナーのメンバーとしてとか。会社社長と、秘書の関係とか? しかし、それだけ、年齢差があると相手には、当然、妻がいますね。
そういう時に、50年以上前までの、若い女性は、第二夫人となったのです。しかし、最近は、違ってきました。特に、自分に、きちんとした、しかも、高額の収入のある女性は、第二夫人とはならず、子供を妊娠したら、相手とは別れて暮らし、お子さんを育てることに意欲を注ぐ人が多く出てきていて、お子さんもまた、優秀です。「万智ちゃんを、先生と呼ぶ子らのいる、神奈川県立橋本高校」の作者も、そうですよね。
ヤマザキマリさんの母親も、弦楽器奏者だと、聞いていますが、そういう人生を選んだ人ですよね。去年の冬になくなったとか? そして子供世代が、もう、六十に近いでしょう。でも、ヤマザキマリさんがあれほどに活躍をしているのをみると、
別の(あの男性)が気の毒ですよね。集中的リンチに等しい記者会見(わたくしは見ていなかったが)で、妻よりも愛人を優先したと、みなされてたたかれ切って、芸能界から、干され切っている男の子のことです。山の中で、自給自足をしているとか、ネットで出ていました。マスコミには、偏波がある。ものすごい偏波がある。
反田君に戻ります。こういう想像=父親が、大物富裕層である=が、もし当たっていたら、反田恭平の発言は、傲慢ではないと、なります。親世代で、すでに、勝ち組なのだから、子供世代ではさらに大きな仕事をするのは当然だと、なりますか?
それでも、私は、抵抗したいです。
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副題4,『反田君の母親なのだけれど、反田君を愛していることは、わかる。
けれど、音楽の素養が深くない模様だ。技術のことではない。精神のあり方だ。音楽とは、あらゆる芸術の分野で、もっとも神に近いフィールドだと、だれかが、語っている。それを、反田ママは、知らない模様だ。そして、恭平君にも教えていない。他人に優越することの大切さは教えている。だが、音楽が、神様の、存在を一般の人に知らせるものだと、言うことを教えていない』
私は、それを多分だが、後藤節さんの自伝の、【雨の歌】の、あとがきか、何かで、見つけた。あとがきで、後藤節さんを、推奨している、人物が、伝聞として、それを書いている。
ここから先、私は、自分の個人的体験を書いています。しかし、それが、敵さん(=CIAエージェントにとって、大ごとだったらしくて、今システム異常が、起きてごたごたしました。それを恐れてではないのですが、ファビオルイージについて書いたものをお読みいただきたいので、その部分は、後ろに回します。
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副題5,『ここから先、ファビオ・ルイージというイタリア出身の指揮者について触れたい。そのお話しぶりは、自然で、・・・・・たぶん、謙虚な方で、・・・・・しかも、素人には、見えない、または、聞こえていない真実が、いっぱい含まれているので、聞くのがとても楽しい』
今度N響の指揮者に、ファビオ・ルイージというイタリア出身の人が、就任します。この人をNHK、もしくは、N饗は、大いに押したいと、思っているらしくて、この前、この人の密着取材番組が、15分程度、放映をされました。
チューリッヒの湖畔の自宅で、香水を作るのが趣味だそうです。【ゆず】という日本製の香油もありました。香りを含む油分類の原材料の、ガラス瓶が、500本以上、もしかすると、1000本は、ありそうな、実験室内で、白衣を着て、細い細いピペットで、数CCずつ、3~5種類の、香油を、混ぜていくのです。それがね。大変わかりやすい説明付きで、開示されましたが、独学だそうです。
ピラミッド状に作り上げていくのだそうです。揮発性において、重いもの、中程度のもの、軽いものと、重ねていくのだそうです。ゆずなどの柑橘類は、軽い方だそうです。
私は香水は使わない人間ですが、化学屋だから、高砂香料の株は持っています。株主総会に行ったら、野依さんが、社外取締役か、顧問かをなさっていて、10人乗りぐらいのエレベーターで、ご一緒しました。あれも、CIA側が図ったワザとの仕組みだったかもしれません。しかし、なにはともあれ、ノーベル賞受賞者、野依良治と、同じエレベーター内に居たのです。
その時に、私は、自分が、化学屋だからこそ、野依さんの偉さがわかっているので、さすがにビビりました。
寺島しのぶに話しかけるという様な態度がとれなくて、「野依さん、私は笹井芳樹さんは、他殺だと、思うのですが、野依さんはどうお考えですか?」と、言う質問はできなかったのです。野依さんは背は高くないし、テレビで見るよりも、お顔も怖くないですよ。でも、話しかけられませんでした。平等主義と個性優先主義を貫いている私も、化学の世界での、野依さんの偉さの前では、借りてきた猫でした。それに、エレベーターに同乗したのは、時間にして、たった、三分ぐらいですから、スタップ細胞疑惑を持ち出すのは、無理でした。
もう一度、香水作りに戻ります。ファビオ・ルイージは、その趣味の世界に、ものすごいお金をかけています。
昔、平山郁夫さんの、鎌倉・二街道のアトリエが、NHK日曜美術館で、公開をされました。広くて、白木づくりで、清潔そのものです。で、壁に、ずらっと、ガラス瓶(500グラム用らしい)に入った、日本画用の絵の具が、並んでいるのです。岩絵の具って、粒子の大きさで、色が変わるそうで、したがって、500色以上はあると思います。もしかしたら、千色です。
平山さんのアトリエが、30畳か、40畳だったのに比較をすると、ファビオルイージの実験室は、細長い5畳程度です。そして、収集された、原材料は岩絵の具と同じガラス瓶に入っています。ただし、50㏄か、100㏄のサイズで、それらは、平山郁夫家の、総資産と、同じくらい高いものだと感じました。そして、清潔すぎる平山家よりも、狭い空間に、冷蔵庫とか、ラベル印刷用ワープロとか、いっぱいガラス瓶以外のものがありました。だけどだからこそ、人間臭い暖かさを感じました。
それほどに、お金をかけた、趣味を持ちながら、それでも、学校を開きたいとか、自分の交響楽団を作りたいとは、言いません。
ファビオ・ルイージが素晴らしいのは、演奏の合間に語るお話が、独特で、かつ聞きやすいのです。『そうですか、なるほどねえ』と思うお話ばかりです。
特にシューベルトの解釈については、驚くばかりでしたが、その通りだろうなあと、思いました。ルイージの解釈で、私がひかれた点は、「シューベルトは、甘くて優しい(または、易しい)音楽だと、思われていますが、実は、知性が高い人で、演奏家にとっては、謎が多い、わかりにくい作家なのです。シューベルトは、自分の考えていることを、簡単には、見せません。彼が目指しているところとか、目的としているところとか、私たちに伝えたいと、思っているところが、なかなか、わからないのです。とても、とても深いのです」・・・・・という部分です。
なーるほどと思いました。私は、シューベルトについては、即興曲は大好きです。特に142番の第三曲は、13歳の時から、好きな曲となっています。アンダンテですが、演奏家によって、スピードが違うので、レオンスカヤのものが一番、好きです。五枚ぐらい違う演奏家のものも、買ったけれど、ほかの演奏家のものはだめです。ただ、内田光子と、ブレンデルもCDを出しているはずですが、お茶の水で、中古を探しても、見つかっていません。ブレンデルは、テレビかラジオで、聞いたことがあるのですが、ちょっと、すぴーどがはやかったかな? 内田光子が「死ぬときは、シューベルトを聞きながら、死にたい」といったそうで、それは、ピアノ曲の筈で、特に即興曲90番と142番・全8曲を指すのではないかなあと、推察しています。
しかし、そんな私も、シューベルトの歌曲は、だめなのです。NHKが、有名な歌手の歌う、演奏会を、日本語の、訳詞付きで流しても、その番組を、二度再生することはないのです。
それを私は、今まで、北の方の曲だからだわ。きっと、私には、南の国の歌の方が合うのよと、考えていました。『北の国って(まあ、オーストリアも山岳地帯は寒いですからね)、寒々しくて、重々しいのよ』と思っていました。
ところが、この間、仲道郁代が、グリーグを弾くのを聞いたのです。共演は、小林研一郎指揮の読売交響楽団です。すごく引き込まれて楽しめました。特にお隣が、小林研一郎を、100回は聞いているという人で、聞き方が、上手だったし、そういう猛者なのに、威張らないで、けんきょな人だったので、なんか、その影響もあったのかもしれませんね。
ところで、ここで、余談ですが、仲道さんのピアノのブランド名がわからないというところから、お隣との会話が始まったのです。その人も知らないピアノだと、言うので、ホールの人に聞くと、彼女は、ご自分の、ピアノを持ち込んでいたそうです。そういえば、サイズが、ことさら長かったのですが、YAMAHAだそうです。だが、ロゴが、違っていました。帰宅してから、ネットで、調べると、仲道さんは、浜松で育ったそうです。それで、YAMAHAが特別なロゴ入りの、かつ、アクションが、長いものを作ってあげているのでしょう。ともかく、心理的な環境としては、非常にいい席でした。
私は、テレビだと、もう、シンフォニーは聞くのが億劫だと、言う人間です。音楽の専門家ではないし、楽しみのためですし、80を超えていますから。ただ、ホールを見に行くつもりだったミューザ川崎で、グリーグのピアノ協奏曲、#14をつよく、引き込まれながら、楽しく楽しく聞きました。
私ね、この一月から、藤田真央、仲道郁代、牛田智大と、三連続で、ピアノを聞いています。藤田真央、仲道郁代の演奏会は、大変あつく盛り上がりました。牛田智大は、曲目選定が、素人向けではなかったとか、横須賀だったからか、本演奏中は盛り上がらなかったのです。シーンとしているという感じ。しかし、彼はアンコールで、頑張ったので、アンコール二曲目(バッハのシャコンヌ、ブゾーニ編曲版)20分程度では、観客の、20%がスタンディング・オベーションに入りました。そこで、熱量が上がったのです。結果、私は、・・・・・へーっ、今、音楽会って、歌舞伎座と同じですね。聴衆が、みんな演奏家のファミリーと、化している・・・・・・と、思いました。いいことです。
もう一度、ファビオ・ルイージに戻ります。彼は、幼いころ、特別に体が、弱かったそうです。で、親が、スポーツではなくて、ピアノでも習わせようと、思ったのですって。でも、それって、一つのマイナスですよね。人生に、谷は、ある。誰にでもあると、思います。ルイージにとって、幼児期が谷だったのです。だから、あんまり無理をしない人生を送っています。
頼まれた仕事を丁寧に、こなしているうちに、今がある。そして、N響の主任指揮者というのも、雇われた任務ですよね。だけど、とても楽しみにしている仕事なのだそうです。
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副題6、『高齢の人の晩年の、美しい人生という事で、つぎにロッシーニに入ります』
ロッシーニはイタリア生まれですが、フランス政府が、「どうか、フランスに住んでください」とお願いをして、広い庭がある、大きなお館を提供します。ロッシーニは、遺言で、そのお館を、芸術家のための、老人ホームにしてほしいと、言い残します。彼の遺産は、むろん運営に提供されていますが、それだけでは足りないので、フランス政府、および、各方面からの寄付で、運営をされているそうです。
ロッシーニは、とても、良い仕事をしました。芸術家って、独身の人が多いので、晩年に支えてくれる人がいないでしょう。それが、きの会う、友人が見つかりやすい、大きな老人ホームで、暮らすのはとても幸せです。
しかし、お館を、自分のお金で、買ったわけでは無いのです。だから、順当なら、返却をするだけですね。だけど、老人ホームにしてほしいと、願ったのは、自分が晩年になって、(彼が妻帯者であったか、どうかを、私は知りませんが)、独身の芸術家で、制作やら、演奏ができなくなった人の受け入れ先が、必要だと、思ったから、提案し、実行をしたのです。
反田恭平君に言いたい。・・・・・・あなたね。2021年の秋に、おっしゃった、数々のビジネスライクな発言を聞くと、ショパンコンクールって、あなたにとって、金を儲けるための起爆剤だったように聞こえてきますよ。非常に嫌な感じを受けます。やめてください。あなたご自身の名誉のためにも・・・・と。
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副題7、『ここで、音楽会用のホールについて、語りたい。牛田智大の、横須賀芸術劇場で、鎌倉芸術劇場のプログラムをもらったので、二つを比べたい。同じ名前を関しているのに、非常に違うので、それを批判をしたい』
横須賀芸術劇場で開かれた、牛田智大の、演奏会で、もらったチラシの中に、鎌倉芸術劇場で、開かれる、フジコヘミングの演奏会の広告が入っていた。
で、鎌倉芸術劇場に対して、それの、
コンセプトが、中西レイ主導で、で来ていると知っているが、ロビーに、広いスペースを取っているくせに、美術画廊が、小品しか飾れない構造(=引きがない)になっているので、どうして、中西レイ以外の人の意見を入れなかったのだと、怒りが、深いので、それを語っておきたい。もしかしたら、私が、実は大物なので、
神奈川県立美術館を葉山に移動をさせたのと、並行的に、美術家を冷遇する、施設を作りましたか? と、思うし。
また、中西レイは、ご自分が、ヒット作を次から次へと、生み出し、大収入を上げた人なので、たくさんの、音楽ホール実見したり、テレビで見ていると、考えられる。たとえば、地方で、開かれる、公演でも、それに、ご自分の作品をうたう歌手が出ていれば、聴衆の拍手如何などを、知るために、ご覧に、なっていたと、考えられる。だから、いわゆる公会堂形式の舞台は、知っておられると思うけれど、
ヨーロッパの、オペラハウスとは、音楽ホールを知らないで、主張をされたと思われる。
それは、それで、かまわないのだけれど、劇場の名前を、鎌倉芸術劇場と名乗るのだったら、これは、困っちゃうなあと、言うたぐいの命名だ。
横須賀芸術劇場は、天井のシャンデリアこそないが、劇場そのものは、ヨーロッパの古い劇場を、なぞっている。
金ぱく、こそ使っていないが、えんじ色の壁と、灰色に近い白の柱コンビネーションは、とても、美しい。富裕な都市、横須賀(米軍に対する、日本国内からの、思いやり予算がある、また、自衛隊がある。また、最も華やかな時代の、日産自動車がある。浦賀ドックもあった)と、もっとも、勢いの強かった時代の堤義明氏の、経済的集合があり、
かつ、芸術家としての、野島稔を、尊敬した、劇場として、設計がなされている。同じ名前、=芸術劇場を、使っているので、そういう劇場かと思って、訪問をした、私は、鎌倉芸術劇場に、大いに裏切られた。鎌倉市には、納税組織としては、大きな団体が、ない。だから、主に、市民税と、国庫扶助等で、できていると思うのだけれど、
先行している、横須賀芸術劇場の、芸術劇場と、言う名前を使わないで、欲しかった。画廊も含まれているのだから、鎌倉(市、市民)文化センターでよかったのだ。または、芸術センターとしてほしかった。劇場だけではない、画廊も一緒なのだから、特にそういう命名にしてほしかった。
行ってみて、大いに裏切られた気分を味わったから。がっかりしている。これから先は言うのをやめておきましょう。もったいない設計である。非常にもったいない設計である。・・・・・とだけ言っておこう。
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副題8、『ここで、豆腐や鵜飼いで、行われたひどい罠を、語りたい。それは、歌を、テーゼとして、作り上げられた罠だったので、何度も書いているのだが……』
私は、、実は、自然に歌が口の端をついて出てくる人だ。それは、40年は前の、京浜急行の中でも、起きた。品川から、北久里浜に帰ってくる途中のことで、通勤の帰りのサラリーマン(主に男性)でいっぱいだった。そこで、突然、トスカから、アリア【恋に生き、歌に生き】が出てきた。小さい声で、歌ったが誰にも注意を受けなかった。
2013年のことだった。わたくしを含むICU10期卒の人が、6月の13日だったか、日曜日に大学に招かれた。懇親会の前に、まず、チャペル(千人ぐらい収容できる)で、礼拝が行われた。三曲ぐらい讃美歌をうたって、外へ出ると、招待客ではなくて、平素から、この教会に所属している人(女性)が、つかつかと、近づいてきて、
「あなたは、天与の美声を持っています。霊南坂教会に行きなさい。そこの、QUIREに関さんという三期卒の人がいるので、頼っていって、そこに入れてもらいなさい」と、言われた。わたくしは関さんを知っていた。6歳年上だが、知っていた。で、いいお話だなあと思ったが、実行は、していない。霊南坂教会に、日曜日に行っていないし、そこの聖歌隊にも、いまだ、加わっていない。
ICUチャペルというのは、天井がとても高くて、気持ちがよいので、普通の場合よりも、大きな声が出た。それで、8m四方の人は、私の声に気が付いてくれたのだった。それは、今から、10年は前で、70歳の時だった。これをブログで諸いたからこそ、
次の年に、豆腐屋【うかい】のお茶大付属高校のクラス会で、歌を使ったいじめが、計略をされてしまった。伊藤玄二郎(裏にいまだ生きている井上ひさし】⇒ 栗田玲子(有名な画廊のオーナー、教育大学西洋史学科卒のはず。で、イタリア通、ヤマザキマリさんとも、親しいはず) ⇒、宇都宮和代 (お茶大西洋史学科卒、イタリアに一年間、研修に行っている。高校教師になってからだと、記憶している)とか、
いまだ生きている井上ひさし(上智大学卒)⇒ 中島加奈子さん(上智大卒。有名な幼児向けお受験塾の経営者)、
伊藤玄二郎 ⇒ 高野悦子(岩波ホール支配人・・・・ポルトガルに強いと、言う意味で、伊藤玄二郎と、共著がある) ⇒
坂本きっこ(冨山房インターナショナル社長にして、神保町にある高級な喫茶店、Folio の経営者・・・・伊藤玄二郎とも、出版社社長・どうし・として、親しいはずだし、高野悦子さんとも、神保町の町内会とか、ロータリークラブとか、で、親しいはず・・・・・
そして、こちら雪の下の住民前田夫妻ともフランス文学を通じて、親しいかもしれない、金子美都子聖心女子大教授(名誉というのか、元というのか?)などが、からんでいる、凝ッタ凝ッタ罠でした。まあ、襲われた私は、びっくり仰天です。
しかし、それについて、ほぼ正しいことを書いたために、井上ひさしは、私をさらに追い詰めようとして、中島加奈子さんに、北久里浜まで、遠征をさせて、歌わせたのでした。石川さんちという、私たち夫婦が持つ40年前の、住家の、西南にあるお隣の二階で、中島加奈子さんが、二回ほど、来訪して、歌ったのです。
井上ひさしとしては、自分の愛玩物である、高野悦子とか、坂本きっことか、中島加奈子を、分析され切ったので、激怒して、壊滅的に、私を、やっつけようとしたのだと思います。一人暮らしの、石川さんが、昼間はディケアに通っていて、無人になる、建売住宅に、中島加奈子さんを入れて、二階で、アカペラで歌わせたのです。
モーツァルトのフィガロの結婚から、ケルビーノのアリア【恋とはどんなものかしら】です。上智って、ドイツ語が強いのです。だから、完璧なドイツ語で、全曲を、6分ぐらいうたったのです。2015年のことでした。
私は中島加奈子さんの、同窓会上の住所が、三多摩だったので(しかし、現在では、港区あたりに引っ越しているのかもしれませんが?)まさか、そこで、歌っているのが中島さんだとは、思わず、
北村充子(音大を出ていないのに、横須賀市立根岸小学校のPTA合唱指揮者となっていた。で、やりて中のやり手として、人々の噂の対象となっている。「在日だからね。特別に勝気なのよ」などと、私はママ友たちから、聞いて居た。・・その結婚の形式=中学生で、担任を結婚相手として、射止めたほかで、やりて中のやりて、としてとても有名。彼女を、対、私いじめよう弾丸として、動かしたのは、在日の組織を支配している井上ひさしか?、それとも、杉本正子さんか?)・・・・恐るべきやり方で、1985年の夏休みにいじめてきた。)さんか、彼女のお嬢さんだと思っていました。それであっても、中島加奈子さんであっても、その歌は、実は、いじめようの悪意に満ちたものだったのです。
しかし、私は、それが、わかっていても相手の悪意なんて、あまり気にしないのです。お歌そのものが好きだから、悪意があろうがなかろうが、いい声だったら、いい影響力があるので、私もつられて歌いだすのです。2015年当時、私たち夫婦は、敷地が、60坪ある庭で、花や野菜を作っていました。だから、草取りをしながら、しゃがんで歌うのです。おなかがつぶれている。胸も前傾姿勢だから、つぶれている。だから、歌うのには適していないのです。
しかし、他人がいい声で、先導をしてくれたら、こっちも気張ることもなく、声が出てくるのです。そして、中島さんとは違って、全曲を覚えるなんて、やりません。プロとして、だれかの前で、歌うという意識はないからです。そして楽しく、楽しく、30分ぐらいうたいました。曲は、12~15曲です。その結果、中島加奈子さんは、わかってくれたのです。わたくしが、本当に自由自在に歌っていて、それの陰には、人に優先しようとか、勝ちたいと、言う気分など、全くないこと。・・・・・を。
ただ、同窓会で、歌うのは、前衛アーチストって、人を驚かすぐらいの、冴えが、必要なのですよ。それで、ちょっと、日本人離れをしているが、同窓会で、歌うのであって、級友に勝つために歌うのではないのです。
分ぐらいかな?
副題1、『今、NHK ETVの、クラシック音楽館を聞き終え、野島さんの思い出の演奏会として、プロコフィエフの、ピアノ協奏曲第二番が選ばれていたのを聴いてがっかりした。
今、10時半に至り、実際にNHK ETVのクラシック音楽館を聞き終えたところです。残念ながら、本日の配信用に、選ばれた演奏会が、1985年の、969回定期演奏会だそうで、曲目が、私の様な素人には、難解で、したがって、楽しめませんでした。この告知によって、そこにチャンネルを合わせられた方の中に、特に音楽の専門家ではない方が、いらしたら、ご不満を抱かれた方もあるかと存じます。演奏に求められる技量は、高い曲でしょう。ただ、ト短調だし、
作曲者の、プロコフィエフ自身が、ロマン派の作曲家ではないので、難しいです。20世紀の音楽とは、一種の現代音楽ですし、でね。お詫びの意味を込めて、グーグル検索で、得た、その曲を特に解説しているwikipedia から、引用をさせていただきます。
=*=*=*=*=*=*=
プロコフィエフは1912年にピアノ協奏曲第1番を完成し、自らのピアノ独奏で初演してセンセーションを巻き起こしていた。第2番は第1番と同じくサンクトペテルブルク音楽院時代に書かれたもので、1912年末から1913年4月にかけて作曲・完成された。
初演は1913年夏にパヴロフスクで行われた演奏会で、プロコフィエフ自身のピアノ独奏、A.P.アスラーノフの指揮で行われたが、これは第1番以上に大きな騒動に発展した。初演後の『サンクトペテルブルク新聞』には悪意に満ちた記事が掲載されたが、一方で批評家でプロコフィエフの擁護者であったヴャチェスラフ・カラトゥイギン(Viatcheslav Karatygin, 1875年 - 1925年)は「10年後、聴衆はこの若い作曲家の天才に相応しい万雷の拍手で、昨日の嘲笑の償いをしたくなるであろう」と評している。また1914年にロンドンでセルゲイ・ディアギレフと会った際にこの曲を目の前で弾いて見せ、これが契機となって『アラとロリー』(スキタイ組曲)や『道化師』などの作品が書かれることになった。
この作品の初演時の版はロシア革命の混乱の中で失われており、プロコフィエフは1923年、ドイツのエッタルに滞在中に記憶をたどって総譜を復元・改訂している。この改訂版は1924年8月5日、パリにおいてプロコフィエフの独奏、セルゲイ・クーセヴィツキーの指揮により初演された。現在演奏されているのはこの改訂版であるが、最初の版より穏健になったと推察されている。
本作は、第1番で見られたモダニズム的傾向がより押し進められている。またピアノが終始支配的であり、オーケストラに与えられている役割は伴奏に近い。構成的に見て、スケルツォと間奏曲を中間楽章に挟んだ4楽章制としている上、内容的には前作に増して野生的でかつロマン的楽想、グロテスクかつ複雑なダイナミズムによる表現、超絶的技巧など大胆で斬新なアイデアを取り入れた野心作となっている。
プロコフィエフが作曲したピアノ協奏曲の中で唯一の短調の作品であり、短調で始まり短調で終わる構成となっている。
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本日、演奏された、楽譜は、ロシア革命の混乱で、いったん失われたものを、ドイツで、思い出しながら書き直したもので、初演時より、穏健になったそうです。それでも、初演時に、、大不評だった名残が確実にあって、抒情性はありません。私の様な聞き手には、全然向かない曲でした。野島さんは、1970年代には、N饗と、ベートーヴェンを何回か演奏しているのです。30代ですね。それを出してほしかった。大熱演で汗を左右に飛び散らせながら、の映像でした。プロコフィエフよりは、ずっと、ずっと、わかりやすいです。
本日の映像だと、野島さんが、力量(というか、技術力)は高いというのはわかります。それに、曲として、ピアノが支配的で、交響楽団は、ほぼ伴奏に回っているそうです。となると、これは、N饗が、野島さんにオマージュをささげたことになり、プロのピアニストたちは、これを見て大喜びをしたと言う事なのでしょうか?
うーん、わからない????
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副題2、『野島さんが、東京音大の学長になったなんて、本当に偶然というか、奇跡だと思う。きっと、ご両親の遺徳が加味したのだろう』
1970年代の、野島さんは、太っていた。そして、上品な中学生という趣だった。ただし、1980年代に入って、やせられたのだった。上の番組も1985年とあるので、その時代のもので、やせた野島さんが、演奏をしている。その1985年のある日、鎌倉の中央公民館(現在の呼び名、きらら)で、野島さんの演奏会があり、私は三度目としてか、それを聞きに行ったのだが、そこにやせた野島さんが現れた時には、びっくりしたものだった。その日、500席の会場が、300席ぐらいしか埋まっておらず、急遽、野島さんは、プログラムを変更して。クラシック初心者でも、よく知っている曲ばかりに変更した。または、吉田秀和さんが、見えていなかったからか?
私は、その変更で、大いに楽しんだ。この演奏会は、幼い日に、野島さんと、同じく、鎌倉で同じ先生に教えてもらった友人たちが企画したものだったと思う。
その日の思い出を、私は、30年後、このブログの世界で、書いて居る。特に、野島さんが、東京音大の学長になられたと、聞いて驚いたので、書いた。野島さんが、ショパンに見えたというのは、とても、やせて来ていて、すらっとしておられて、かつ、長髪だったので、そう見えたのだった。ただし、野島さんが、ピアニストとして、ショパンフェチだとは、到底思えない。野島さんは、あまり、ショパンを弾かない。
アメリカで、出した、リストトラベルのCDは、その年度の傑作として、雑誌で取り上げられているそうだ。タワーレコードが、急遽、その二点を、販売するそうだ。
野島稔がショパンに見えた20年前。野島稔の消息の変遷に感無量だ△
野島さんが、東京音大の学長になられたのは、ひとえにその清潔感が、寄与したと、思われ、決して、政治的な獲得・運動をなさったわけではないのだ‥・・・と、私は考えている。つまり、前の学長が、音楽以外の事で、不評を買ったので辞任となり、それで、選挙で、野島さんが選ばれた。改革と刷新の担い手として選ばれた。芸術院賞、のごたごたがあった時にも、野島さんが、お金や、社交性で、地位や、名誉を買わない人として、特に、選ばれている。でも、より小さな学校である桐朋の卒業生である野島さんが、より大きな学苑の、学長になったのは、本当に、おどろきである。
ところで、野島さんは、決して誇示的な人ではないのに、CDや、N響との共演では、難しい曲目を選んでいる。あまりにも技量が高いので、周辺が、そういう企画を持ち込むのだろうか?
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副題3、『以下は、紹介をしたくて、書いた、最初の文章。番組が終わってしまった今では、まあ、不要というのかな?・・・・・・しかし、2014年に描いた上の文章と比較をすると、あまり、好きではない演奏家が、なぜ、好きではないかをはっきりと書いて居る。そこが、強くなった自分というものを感じるところだ』
午前中に朝日新聞を見て、追悼という文字を見て、びっくりしました。それで、大急ぎで、ネット検索をして、この一か月前の、5月9日に、野島さんが亡くなっていることを知りました。ただ、番組の紹介をするのは、知覚してから、10時間以上のちの今(=夜九時)になっています。恐れ入ります。
私は、まだ、内田光子さんを丁寧には、聴いていないのです。CDは、持って居るのですが、15年前から、ラジカセを壊され続けていて、聞くことが出来ないのです。内田光子さんは、日本のテレビでは、あまり、出演をされないので、まだ、聴いて居ません。
しかし、日本で、特にNHKテレビで、聴くことが出来る日本人ピアニストの内、もっとも、好きな方が野島稔さんです。
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野島さんが好きな理由はいろいろあるのですが、もっとも、好きなポイントは、この方は、メディアの力で、膨らんでいる部分が無いからです。
それだけ、音が美しいと感じるのです。演奏内容に、ご本人そのものしかなくて、そのご本人そのものが、控えめで、純粋で、一途だと、思います。技量は、すごいのだと思います。この技量の部分については、私は自分が音大出ではないし、もちろん、音楽評論家でもないので、野島さんが、高校三年生で、日本音楽コンクール第一位だったとだけ、お伝えしましょう。
だけど、野島さんは、一般人社会におけるスターではないです。平原綾香でもないし、高島ちさ子でもないし、吉野直子でもないです。一般社会における人気者ではないです。
むろん、ピアニストとしても、中村紘子でもないし、中道郁代ほどの、人気は、無い方です。
日本って、マスコミで、ちやほやされる人が、過剰に人気が出るでしょう。それに、芸大と、桐朋の対立もあるし。いや、「在ったし」と、言うべきかもしれないけれど・・・・・野島さんなど、その葛藤の時期の、最先端の人として、
芸大 対 桐朋の、軋轢に巻き込まれた方だと思うのです。で、それで、損をされた部分があるでしょうね。
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私は、実家では、テレビは、あまり見ない方だったのです。見たのは、フィギュアスケート(上野純子さんのご親戚が、町内会の同じ班に住んでおられて、「テレビを見せてください」とおっしゃったので、それ以来フィギュアスケートは、見る様にしています。そのご親戚は学者だったので、テレビは、置かない主義だったのです。)とか、イタリアオペラとか。
今、住んでいるこの雪の下二丁目の地域でも、ご本人から、テレビは見ないと、聞いた家が一軒あります。が、他にも見ないお宅はある筈です。
しかし、私が、1978年大詐欺事件(北久里浜の、旧横須賀市の水道山が無償で、ある個人の手に渡った事案・・・・表面上は、地積変更届というものを、巧緻に利用しているので、犯罪とはならない。が、実質的には、泥棒だと思う)の時にお世話になった、超一流弁護士さん(=友人の父君)が、夜はテレビの野球をご覧になっていたので、
仕事がきつい人が、テレビを見ることはありだと思います。
でも、逗子で、一人暮らしをしていた時は、テレビを一切見ておらず、ただ、ラジカセで、CDを聞くだけでしたが、そのうち、レオンスカヤの、シューベルトの即興曲だけを、一回、聞く様になりました。Op90番(ドイチュ番号、899番)と、Op142番(ドイチュ番号935番)を、一時間かけてです。
今の言葉でいうと、はまったと言う事です。3年間、または、夜は、鎌倉で、寝る様になっても、逗子のアトリエを保持していた合計6年間は、ほぼ、毎日聴いていて、決して飽きなかったのでした。
野島稔の演奏会を、四回聞いているし、テレビでも何度も見ているのに、シューベルトが無かった様な気がして、それは、残念です。また、上で言っている様に、ショパンもないです。ただし、易しい曲目を選んだ、鎌倉中央公民館での演奏会では、ショパンは、あったと思いますよ。そして、それでいいのです。お客さんに合わせてください。画廊でも、銀座と、鎌倉の画廊が作品の傾向が違う様に、それで、いいのです。
最近のテレビでは、クン・ウー・パイクと、アンドラーシュ・シフが、それを弾いていました。NHK のBSP クラシック倶楽部でです。
野島さんの、ピアノ演奏会としては、埼玉県のどこかの会場で、10年以上前にあって、音楽評論家が、「この会場で、この人数だけで、聞くのは、本当に惜しい演奏だ。NHKが、録画に来るべきだった」と、新聞に書いて居ました。毎日新聞だったと覚えております。
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ここで、蛇足的引用に入ります。今、ドイチュ番号が、不安になって、グーグルで検索しました。シューベルトの即興曲と、入れて、検索をすると、自動的にyu tube に入ったのですが、
どの演奏も、Opで、90番とか、142番と書いて居ます。私のブログが、将来、人々に通用をしなくなるために、急にドイチュ番号というのが推奨され、NHKが、音楽番組内で、紹介するときには、必ず、ドイチュ番号が、使われます。これが、政治的な部分です。いつも、政治はついて回る。特に私の場合はね。
ほら、エスカレーターを、東京では、左側によって、人々が使い、右側は追い込仕様にとってありますね。大阪は反対だそうです。それをどこかで、いいこととして書いたら、急に東京メトロとか、JR東日本が、「エスカレーターないでは、左右両方にたって、動かない様にしましょう」と言って、キャンペーンを開始しました。が、ちっとも定着以内でしょう。
それからね。渋谷の、センター街を、バスケット通りと改名しようとしました。これも、私のブログを、無価値にするためですが、決して定着せず、元通りになりました。その改名時には、商店街は、大迷惑をこうむったはずです。
秋葉原の歩行者天国がなかなか、再開しなかったのも、同じです。
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ところで、先ほど、30分程度、吉野直子さんの下の名前・直子・を思い出せなかったのです。それは、なぜかと言うと、藤木大地さんが、覚園寺で、演奏会をした時に、鎌倉エージェントが、「吉野直子は、お前方の人間ではないのだ。こっち側だよ」と誇示したのです。なぜそれが判るかというと、吉野さんの自宅の塀に、武部聡志企画だとする、藤木大地・演奏会のポスターが貼ってあったからです。
吉野さんは、ICU卒だから、同窓会の縁で、親しいと思うのですが、その祖母君は、お茶大付属高校の縁で、私は、さらに親しいのです。祖母君はね、由比ガ浜の300坪程度のお屋敷(数寄屋造りの平屋建て)に住んでおられたのです。鎌倉の、婦人子供会館が、戦争未亡人を援助するために、バザーを開催する様になると、祖母君は、積極的に参加なさってね。浅草橋から、木型を買ってきて、落雁を作ってバザーに提供なさったのです。和三盆に、ほんのちょっと、麦こがしを入れて、色を付けて、木型に押し付けるのです。
それをパックに入れて、45年前に、500円で売っていました。茶道をたしなむ人に即座に完売という形です。遠隔の中に、それは、書いて居ませんが、海軍の士官の未亡人などが、多かった鎌倉で、お稽古事をする、お教室を提供することなどが、主な出発点だったと、思います。そして、昔の女学校の同窓会が連合する形で、運営をしていたので、同窓会同士で、競争心があったわけです。で、15人程度が、そちらに午後、あつまって、楽しい作業をするのです。旧制第三高女とか、学習院が、競争相手だったと、記憶しています。そのお屋敷ですが、最近、知ったのは火事に出会ったと言う事です。でもね。祖母君も祖父君も亡くなっていて、もしかしたら、無人の空き家でした。だから、解体費用が不要になって、跡地が、上手に利用できるという点で、ほとんど被害はない形でしょう。
でもね、私としては、祖母君との思い出を書いたとたんの家事だったので、非常に嫌な思いをしました。たぶん放火だと思います。今般の知床の沈没船を演出した手合いと、同じグループのしわざです。
きれいなきれいな、野島稔さんの追悼の番組に関連して、汚い話に終わってしまいそうですが、日本の底流に、非常に汚い、特権者がいることも事実です。殺人まで、平気で行う特権者がいることも事実なのです。その上で、音楽があり、クラシック音楽演奏家の世界もあります。多層社会日本です。
この章を書くにあたってのお断り、いつもと違うテーマです。ただ、今まで、ネトレプコを、私は好まないと、言う投稿ばかりしてきたので、此処で、訂正をしておく必要を感じています。で、政治的テーマから急に離れますが、お許しくださいませ。
ネトレプコを初めて素敵だと、思ったプレミアムシアター19-7-2
NHKのBS3が日曜日深夜に、Premium Theatre というタイトルで、色々な劇場の公演を放映します。音楽会も含みます。バレーやオペラ、日本での歌舞伎や、その他、小劇場の公演も。
深夜に始まるので、日付的には、月曜日に及びます。昨日は、ほぼ、4時間半でした。
そして、特集テーマとして、どういう形の演奏会場が、音響効果がよいかという日だったのです。日本では、シューボックス型というのはサントリーホールが、最初の劇場だと、思うのですが、今般モスクワにもそういう形の劇場ができて(どうも、パリにはまだの様な気がするが)、其のこけら落とし公演が開かれました。それを、NHKが、放映しているというわけです。
こけら落とし公演なので、モスクワのお客が喜ぶようにオールロシア人作曲家の、楽曲の様でした。私としては、ほとんど動機(主要なMelody部分)を覚えていない様な曲で、あって、有名なヴァイオリニスト・ズーカーマンぐらい以外は、『ああ、コーラス曲が、ロシア的だなあと』と、思うぐらいで、忙しいので、早送りをしたりしてみていました。ただ、最後まで、待ったのは、冒頭の番組紹介で、アンナ・ネトレプコが出ると、聞いたからです。私は実はネトレプコが好きではないです。しかし、モスクワ初の、シューボックス型劇場のこけら落としに出るという事は、相当に、気合を入れて来るだろうと、思って、その姿を見たいとは、思いました。で、待っていました。
ずっと待っていたら、最後に出てきました。つまり、大きな、もよおしのトリ(?)をつとめるというわけです。どれほどに、大物扱いを受けているかがわかります。ソプラノは、もう一人出ていたのですが、そちらの衣装が、50万円でできたるものだったと仮定すると、ネトレプコの衣装は、『200~300万円は、かかっているでしょう。もしかしたらもっと上ですか?』というほどに、素敵なものでした。
私はね、一応は、美術系ですから、まず、そこで、『おやおや、張り切っていますね』と思ったわけです。というか、『場所と、自分の立ち位置を、きちんと、わきまえている人だなあ』と、思ったわけです。
数年前の事です。メトロポリタンオペラを映画にしたものをNHKが放映をしました。すると、二度目の結婚の相手があらわれたりして、ネトレプコの、フェロモン横溢の面が、強く出ていて、それだけで、私は毛嫌いをしてしまうのです。ところが本日は、だいぶ違いました。スリムになっていると、いう事と、本日来ていた、質的に、また、手間がかかっているという点で、最上級の衣装が素敵で、尊敬に値すると、思いました。
国家的行事のしかも主役なら、立派な衣装を着てこないとだめです。私は、今のクールビズ運動は、かまわないとは思うのですが、記者会見等で、カメラの前に立つのに、ネクタイをしていない姿は、怒りに燃えます。だって、記者会見場って、温度は、二十七度ぐらいに抑えられているでしょう。ネクタイをしていても厚くないですよ。『これは、ひどいなあ。国民を馬鹿にしていますよ』と、常に思って居ます。
そう言う日本国内の、日常に比較して、ネトレプコが、最上級の衣装を着て現れたのには、大いに、うれしかったです。
その衣装ですが、一般的にソプラノが、リサイタルで、用いている、膨らんだスカートではないのです。どことなく、民族衣装を思わせる形であって、すとんとしているコート風のものです。全体が一つの棒みたいに見えるスタイルです。しかも赤やピンクではない。派手な感じのグリーンでもない。ベージュと白の配色です。
今、ネトレプコの坊や、は、10歳ぐらいでしょう。結構大変なのではないですか? で、アンナがスリムになっていました。お子さんに戻れば、家は、大金持ちなのだけれど、お父さんは、実父ではない。そして、お母さんは、働いていて、しょっちゅう旅に出ている。それでは、不満がたまります。まあ、7歳ごろまでは、常に帯動をしていたみたいだけれど、学校がきちんと始まると、それほど、連れ歩けないですよね。
今までは、何もかもを、手に入れて、まるで、平家の清盛みたいな状態であったネトレプコに、何らかの気がかりができて、慎重になっていると、感じました。でも、それが、かえって、表現上、良い結果を生んでいるのだとも、思います。
今までは、それを感じなかった、繊細さとか、上品さを感じました。私は過去、否定的な感想ばかり、書いていたので、此処で、違う感想をも、述べたいと、思います。彼女が当日選んだ曲はリムスキー・コルサコフの、歌劇、【皇帝の花嫁】から、【イワン・セルゲーイチ、庭へ行きましょう】でした。
・・・・・蛇足1、
アンナネトレプコが、ザリャジエ・という新しいシューボックス型の劇場のこけら落としで、トリだと上の方で言って居ます。しかし、最後に、もう一曲管弦楽がありました。マリインスキーオーケストラ、ゲオルギエフ指揮で、【展覧会の絵】から、【大きな門】です。それで終わるのは、この音楽会の、選曲がとても、よかったなあと、言う感覚を見ているものに与えました。格が、大きな曲ですから。
・・・・・蛇足2、
今、日本時間の、零時6分です。録画番組を、中断したら、ライブで、ウィンブルドンの、大阪なおみ選手を、放映をして居ました。今年の、ドレスを提供しているのは、NIKEのようです。
これが、素敵です。とてもいいです。城をどうして用いないのか? と、今まで思って居ましたが、白を、用いています。非常にいいです。ただし、勝負態度は、弱い。だから、テレビをこれ以上は見ませんよ。ぜひ、勝ってほしいと、思いますが、ひやひやしそうなので、疲れが、増すので、見ません。
なお、このブログの、2010年から数え始めた、延べ訪問回数は、5447717です。
2019年7月2日、雨宮舜(本名 川崎千恵子)
先ほど、夜の7時半ごろ、山ノ下へごみを捨てに下りて行ったのです。途中で、ひどく美しいものに出会いました。小さなお子さんなのだけれど、フランス人とのハーフだということで、お人形みたいなのです。
私はね、美しいものを見た時の身体的反応が、瞬時に現れる人間なのです。たちまちに、身内に神様が降臨されるのですね。それが、もっとも、顕著に表れるのは、お歌が自然に口をついて出てくるということです。
で、「今日はあんまりいい声が出ていませんね。今は、疲労困憊しているし・・・・・」と、思いながら、こういう風に歌が出た時は、まあ、15分ぐらい自然に、歌が出てくるので、それに身を任せるつもりで、鎌倉街道へ入って、北鎌倉へ向かいました。あたりには夜6時を過ぎると、人はほとんどいないのですよ。
途中で、鶴岡八幡宮の、流鏑馬道用の門があるのです。中ぐらいの大きさの鳥居です。そこをくぐって、誰もいない道を、『東側の鳥居まで歩くかなあ』と、思っていたのです。しかしですね。『今、自分が歌っている歌が、アベマリア(グノー)だなあ。これってキリスト教の歌だから、日本・神道の領域で歌うのは、申し訳ないかもしれない』と、思い至りました。
昔はね。美術館の職員用玄関前で、プロの朗読者と、二人で音楽会を催したこともあるのです。そこにガードマンの人も出てきて、4人で、楽しんだのでした。そのときは、ありとあらゆる種類の歌を歌ったのです。二人で、いたので、ここが、神社庁の、領域であることなど、すっかり忘れていて、宗教に気を使うこともなかったのです。が、あれから、8年は過ぎているし、しかも、今は、一人だけだし・・・・・と思うと、非常に、違うのでした。・・・・・で、何となく、気が引けて、踵を返したのです。
しかし、家の中では歌えないのですね。私の家では、主人は、7時半には布団の中に入ってしまうのです。そして、夜の八時には、ぐっすりと寝入ってしまいます。この・・・・・夜の八時から、私が銀座へ出かけた日には帰宅するのが、10時か、11時なので・・・・・その、三時間弱の、間に泥棒ちゃんは、はいるのだ・・・・・と、推察していますが、本日は、そういう難しい話は、それぐらいで、止めにしておいて、
ともかく、『家の中では歌えないなあ』と、思うわけです。が、ご降臨なさった神様は、なだめなければならないわけです。で、わが家まで戻って、その建物の外の、南側の庭で、土づくりをしながら、15分程度歌っていたのです。土づくりは毎日する仕事です。日当たりが悪い中で、植物を何とか育てるためには、ふるいでふるった、ふかふかの土の中に、苦土石灰ほかの、植物の成長にとって、よい成分を混ぜ込めて、最高のベッドを作ってから、種をまきます。時には、苗を植えこみます。
で、15分程度、歌ったら、神様も、去られたみたいなので、家の中に入ります。そして、本日は、10時間も、普段の日より遅れてしまった、花の水切りを洗面所の流しで、やっておりました。そばには、無論テレビなど、置いていない場所で、無音の場所です。
すると突然、きゃいーんという叫び声が、東北東の方向から聞こえて来ました。アライグマです。私が住んでいるこの山の中で、啼いたのです。でも、非常に不思議な気がしました。アライグマは、今、日本全国で、征伐しようという動きがでていて、人々が生ごみを厳重に管理する様になったので、最近、啼き声を聞くことが、ほとんどないのです。20年ぐらい前までは、啼きました。夜は、しょっちゅう啼いていました。叫び声に近い啼き声です。昼間でも我が家の庭に出てきて、器用にゴミ箱のばねをはずしておりましたけれど。で、今は、台所ごみはすべて、家の中に置いております。
でね、直感的に思ったのですよ。『あのアライグマは、私の声に感応して、叫んだのではないかしら?』と。つまり、この話は三段論法になっています。私は、美に感応して、神様のお導きに入り、歌を歌ったわけです。・・・・・その声に、アライグマが、『ああ、久しぶりに、ぼくは解放されたなあ。普段さあ。弾圧されて、弾圧されて、追い回されているから、身を潜めていて、声も出せないのだよ。めったなことをすると、ここに住んでいる事が、人間に判ってしまって、罠が仕掛けられるからね。で、悪くすると捕獲をされて、遠くへ連れていかれるのだ。お母さんもそれで、帰ってこなかったからさあ。それなのに、なんだか、ひどく、のびのびした声が聞こえて来るよ。天空に上る様な声だなあ。あれに、僕も感化されちゃったみたい。僕も、久しぶりにのびのびしたよ』と、感じ入って、きゃいーんと叫んだのではないかしら・・・・・と。
いや、久しぶりに、15年前の、メルマガ時代の、雰囲気が戻って来ました。私は悪い刺激を受けなければ、ひたすら美を追い、美に耽溺しているだけで、満足をする人なのです。それなのに、山の外の人たちが、悪い刺激を次から次へともたらすので、政治分析ばかりする様になってしまったのですけれどね。
まあ、あえて、彼らがそういうことを連続して来る理由を推察すれば、抽象的な世界を好み、具体的なレベルで、人と交わろうとしない人間(=この閉鎖的な山の中での、私)は、弱いと、みなされているからかもしれません。で、鶏の群が、一羽だけ選ばれたスケープゴートの、とさかをつつくような雰囲気で、攻撃をされるのかもしれません。が、私は本当は、弱くもないのですよ。具体的な世界で、喧嘩をしないだけで、弱い人間ではないと、自覚をしています。友人にも、そういわれています。だが、それが、具体的な世界で、勝負を付けたがる種類の人には、見えないのかもしれません。理解も、されないことなのかもしれません。
この一文だって、そういう政治の方向に入ろうとすれば、たちまちに、2万字程度に膨らむのですが、あえて、そういう方向へ入らずに、平和な世界で聞くことのできる音だけの話で、終わらせておきましょう。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3715274です。
雨宮舜 (本名、川崎千恵子)
この一文は、実際には、2016-10-12 20:53:26にアップするのですが、日付だけは、10日にさせておいてくださいませ。こちら側の整理の都合です。
ちょっと、連続性からは、外れますが、和製ミュージカル、DNA Sharakuについて、本日は、語らせてくださいませ。
日曜日の深夜=月曜日の早朝に、録画ニュースを点検中、現在テレビが放映している画面から、結構いい声が聞こえてきます。それは、BSプレミアムで午前零時過ぎの事でした。
そして、歌い手について、テロップが出て、【新妻聖子】とか、【朝海ひかる】とか、俳優名が出てきます。これらの人の名前は、ミュージカルをほとんど、リアルな舞台としては見ない私でも知っています。後、【ミッツ・マングローヴ】とか、【尾形イッセイ】ぐらいは、顔を見ただけで、テロップが、現れなくても、わかりますが、・・・・・
ただ、若手の男優である主役の男の子たちを知りませんでした。ところが、すごく力量があると、思われるのです。で、彼らの歌唱にまず、惹かれました。普段だと、メロディをまだ、知らない曲を聞くのは苦手な方ですが、その日は、知らない曲でも、聞いていたいと、思わせられました。
曲が、いいので、惹かれました。女優陣がお歌がうまいのは、劇団四季出身だとか宝塚出身だとか言うので、よくわかるのですが、男性の若手俳優は、一切知らない人物だったので、重唱等に、迫力があって、びっくりです。ただ、主役の一人である【ナオト・インティライミ】と言う人物は紅白にも出たとか。それから、もう一人の主役、【小関悠太】君は、【テニスの王子さま】と言うミュージカルにも出たとか? そういう舞台があることは、情報としては、知っていましたよ。だけど、73歳であり、かつ、政治とか、現代アートに大きな関心がある私は、和製ミュージカルには、興味を払いませんでしたから、まったく知らない人物と言ってよいのです。
最近、紅白なども、見ないので、この種の男優は、知りませんでした。ところで、一種の脇役と言うのかな? 悪役の方(弾圧者側)を担った人物たちにも、歌唱力、演技力ともに、豊かな俳優【中川晃教】他が配置されていて舞台が、充実していましたね。
ミュージカルは、大昔(ほぼ、50年前)に、帝劇で【ラマンチャの男】を見たぐらいだし、宝塚は、【根岸明美】が、男役の方で、スターだったころ(60年前)に見たぐらいだけでしたが、その放映を見て、和製ミュージカルをすっかり見直しました。結構レベル高いですね。
ぷろっと(筋)も複雑であり、現代を反映していて、よかったと思います。つまり、真実の創造性を持っている人間は、抑圧をされると、言うことを、危惧している筋です。
その真実の創造性を持っている人間は、「・DNA・写楽・と言うものを持っているので、それを持っている人間を、探し出して抹殺すべきだ」と統治者がいい、それに対して、絵を描いたり、歌を作ったりする事が好きな若者が、戦うという筋です。
それは、すでに、現代日本に、有る状況であって、身につまされる筋でした。
全部公演は、終わっているみたいですが、ほぼ、一か月間、東京、大阪、福岡で、公演をしたみたいです。では、これだけの大所帯で、一か月公演か? 『3億円収益が入ったとしても、ちょっと気の毒だなあ』とは、思いますよ。だけど、演じている人物たちは、お金儲けより、創作する喜びを感じ取ったでしょうね。それに、私みたいに、何の報酬もない人間に比較をするとキャストも、裏方さんも、この舞台の関係者は、みんな「幸運で、幸せな人たち」と、いえるのです。ただ、再演があると、いいですね。札幌、仙台、横浜、名古屋、京都、広島などを巡演して行けば?と、思います。
ところで、エピソードですが、本日ね、京橋で、尾上右近君とすれ違ったのです。人違いではないと、思います。バックパックを背中にして、年齢にふさわしい、とても、さりげない私服でした。明治屋前で、夕方7時15分ごろです。彼なども、きわめて、幸運な、歌舞伎俳優の一人でしょうが・・・・・
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3272564です。
2016-2-23 雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
副題1、『今、日テレは、あるデュオを売り出そうとしているのだった』
今日も片山君擁護の文章を書こうと思っております。ところが、書こうと思っている内容を、外出して疲れて帰宅した夜の10時半から書き始めて、完成まで、もって行く自信がありません。で、一回ほど、脇へそれようと思います。
本日、汐留を歩いていたら、日テレ大階段と言うところで、ライブをやっていました。地下一階に大きくて広い道が、新橋から汐留へ向かってできているのですが、その日テレビルの場所で、ライブをやっているのに気がつきました。100mぐらい程、離れていても、「上手だなあ」と思ったのです。
その上、お客がひどく多い。で、不思議に思って近寄ってみると、日テレが支援をしているグループで、毎週金曜日の夕方ライブを継続的にやっていて、すでに、8回は、継続していて、しかも、あと二ヶ月、継続するそうです。
ジャニーズと言うのが、少年のタレントを生み出す場所だと思っておりましたが、このUSAGIと言うデュオは、日テレが売り出そうとしているのでした。
私がこの場所に来たのは、事務センターと言うところに用事があったからで、その用事を済ませて帰りに、もう一回立ち止まって、そこへ寄って見ました。
すると、そのライブは、終盤に差し掛かっていて、最後の曲へ向かう前に、ヴォーカルの方が、心情を吐露していました。わりと、恐ろしい内容ではありました。ただし、本当の本音だと思うスピーチでした。
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副題2、『誰が仕掛けたのかは知らないが、そのデュオは、友達同士で、結成したものではなかった』
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うーん。今キーボードのEnter keyが重い。これは、片山容疑者については、本日書きませんと書いたので、また、油断をしていると見て、攻撃をされているかな? じゃあ、片山君擁護の文章を、書かないといけないかな? 日本語はアイウエオの母音を基準にして子音と組み合わせた言語ですので、母音用のキーが突然重くなるという災いにはしょっちゅう接していますが、Enter key が重くなるという妨害にもしょっちゅう出会っています。それをやっているのが誰か? 本当に個人名を書きたいぐらいですが、その人または、別の人物が、攻撃方法を、見つけ出し、そのバグは、相当数の人物のパソコンに、ばら撒かれ、入っているでしょうから、まるで、もぐらたたき状態で、毎晩、パソコンの修正のために膨大な時間を使わないとならないのです。だけど、だからこそ、私の書いていることは正しいのです。
片山君は、何も悪いことはやっておらず、サイコパスでもなんでもないでしょう。ただただ、彼一人へ、成りすまし疑惑問題を収斂させて、自分達は逃げおおせたいと考えている連中から、「こう、言いなさい」と言う、命令を受けていると、私は見ています。そのことは、また、後で、別の章で丁寧に検証をしていきます。
:::::::::: で、元へ戻ります。
で、ヴォーカリストは、聴衆を巻き込むために、本音で語っているのですが、その本音が、本当のことであって、だからこそ、聞いていて切ないのでした。
ちょうど、ASKAの麻薬騒動の最中です。大成功をしたあの二人組みは、同じ高校の出身です。で、自然発生のデュオで、しかもヒット作連発で、大金持ちになった後で、ヒット作が出な苦なる時期は当然訪れますね。そして、収入が、下降線へ向かう・・・・・それが、経験した事がない事なので、さらに不安になる。その不安から逃れるために、薬へ手を出したのでしょう。
その手の先例を前にすれば、音楽業界のイメージは、果てしなく落ちてしまい、特に、今からデュオで、売り出そうとしている、USAGIは、落ちる不安ではなくて、上がれるかどうかの不安でいっぱいなのでした。かわいそうに。
歌うことは大好きなのでしょう。音楽も大好きなのでしょう。しかし、偉い人に目をかけられ、チャンスを与えられてみると、それから先に新しい不安が始まるのでした。お金がからんでくるから、責任も重大ですし。
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副題3、『既に、ある程度の成功をしている個性的な、二人が、あるプロデューサーの助言で、デュオを組む・・・・・難しい事限りがないが』
二人は、それぞれ、独立して、この10年ぐらい活動をしてきていて、ある程度の成功点に達しているのでした。でも、これからさらにビッグになるために、二人組みのなる事を提案されたのだそうです。爆笑問題とか、ゆずとか、チャゲアンド飛鳥などの様に、自分達だけで、そうしようと決めたのではないから、大変ですね。
とても、簡単な文章ですが、本日はここで、終わっておきたいです。2214395です。
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2014年5月23日、雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)