銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

瓜南直子の案内状が、不思議な形で、寝室にあった話と、我が家へ、何十回と侵入する泥棒の話

2019-11-29 23:27:12 | 政治

  今は、19-11-30の夜10時です。下の文章を推敲して行きます。今のところ、初稿の五倍以上になっています。ところで、これは、当初の総タイトルを、【中曽根康弘、靖国神社、瓜南直子、ドゥローイングギャラリー、侘助、浄智寺などのkey wordで、思い出す事々】としておりましたが、少し変えていきます。また、午前四時にさらに大幅に総タイトルを変更しました。一見するとつまらない事を書いている様に見えるでしょうが、これが、現在日本の真実だと、言う点を書いて行きます。 

副題〇、『前報の、副題5を推敲中に私の手は、止まった』

 私の頭の中を、三日前の夜は、黒田清子さんが占めておりました。それで、本日は、黒田清子さんと、雅子様が、20年ぶりに和解をされたと、言う、女性自身の記事について、言及し、そこから、上皇后・美智子様へ、入っていく、長文が、既に、頭の中にできておりました。

 しかし、2019-11-29 23:15分に前報(後注1)を推敲中に、瓜南直子さんと、言う画家についての、文章が、頭に浮かび、それに、今、脳が、占有されています。それで、申し訳ございませんが、そっちへテーマを移動をさせていただきたいのです。表現するフィールドは、グッと、小さくなります。

 しかし、今、私が書いていることは、すべて、隠されている、ミステリーを解き明かしていくことなのです。・・・・・なぜ、美智子様と、平成天皇(幼名、あきひとさま)は、生前ご退位を決意なさったのか?・・・・・と、言う設問を立てて、ミステリーを解いていくと、また、また、鎌倉エージェントの二人へ、行きつくのでした。この二人が、それを、企画したのだと、なってきます。そして、色々なルートを通じて、美智子様を、説得をして、美智子様が、『その方が良い』と、納得をされたから、雅子皇后が、出現したと、なります。結局のところ、主役は、伊藤玄二郎と、公的には、自分を死んだことにしているが、本当は、まだ生きている、井上ひさしと、なっていくのです。その二人についてのミステリーを解くと、いう事になるのです。

 で、そういう意味では、本日のテーマも概念は、同じなのです。本日の主役は瓜南直子さんと言う、美貌の、日本画家です。亡くなったときは、50代だと、思いますが、芸大卒で、そのころ、6号の額装の日本画が、30万円程度で、売れている作家だったと、覚えています。ただ、この絵の値段というのは、急変するものなので、今、ここに30万円という数値を、あげても、「違って居ますよ」と、言う方が、現れるかもしれません。

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副題1、『瓜南直子さんが、柴田悦子画廊で、個展をした時の案内状が、私の寝室で、2014~2017年の間に発見をされた。不思議な事である。彼女は、2012年に死亡なので、その案内状は、時期的には、相当前のものであった』

 私は、2010年までは、大変な無理をしてでも、銀座の貸し画廊の、ほとんどを回っていたのです。で、柴田悦子画廊にも入って居ました。しかし、2010年よりも前のはがきを一枚、床に転がすはずがないのです。

 それが、目立つことは目立つが、非常に微妙な形で目立っていたのでした。最初に部屋に入ったときは、見えないという形です。しかし、ものを片付けると、見えてきたという形です。だから、正確には、いつ入れ込められたかがわからないという形です。私に其れを、気にしてほしいが、自分達の悪については、目立たない様に、やっていきたいと、言う、連中特有の、仕業でした。

 というのも自分としては、瓜南直子さんの絵に感動したという記憶がないのです。だから、特別扱いをするはずがないのです。なぜかというと、彼女は、薄い塗り方で、日本画を描いています。私は、基本的には、日本画には、興味がないのです。その上、色彩感覚としても合わないです。私は、彼女の様に、絵が表す概念を重視するよりも画面に使われている、色に惹かれる、人間だからです。で、重要視してはいないのに、はがきが、一枚床に転がっている。これが、大きなミステリーの始まりです。

 多くの画廊を巡っていたのは、自分の勉強のためですが、感動した、いい作品については、メルマガで、特に英語で、感想を書いていて、それが、結果として、相当いい美術評論になっていたと、思います。だから、こそ、美術界において、激しい弾圧を受けることとなります。どうしてかというと、私が、人気者になって、大衆社会へ、広く知られる存在になると、困ると、思って居る連中が居るからです。それが、CIA日本人エージェントです。瓜南さんが、この章の主人公だと、言うのは、ネットの世界での、表むきの攻撃者と、なっていたからです。ネットの世界の、裏側の攻撃者は、システム異常を起こす、主に、古村浩三君と、その支配下にある集団だったでしょう。

 と、同時に、鎌倉雪ノ下の自宅近辺にも、恐ろしいことが、表のこととして、公開で、又は、秘密裡のこととして、非公開で、続々と起きることとなります。パソコンに関するハッキングと、システム破壊については、少しずつ書き始めていますが、自宅へ、四種類の泥棒が入るという事は、この2019年、【植木鉢の罠】と、言うシリーズを、書く前までは、あまりはっきりとは、書いていません。

 しかし、今では、この泥棒が、瓜南直子さんの案内状を寝室の床にばらまいたと、見ています。ブログで、瓜南さんの事を書いているからこそ、案内状を、床にばらまいて置けば、脅かしに役立って、これから、先に、彼女については、書かないであろうと、見て、そういう事をされたのだと、2019年の11月29日には、述べておきます。

 これは、以前よりは進歩なのです。「よく、ここでは、35%まで書きます」とか、「65%まで、書きます」と、言って居ますが、・・・・・瓜南直子さんのはがきが、床にちらばっていたのは、・・・・彼ら、鎌倉エージェントの中のだれかが、合いかぎを使って、侵入して、わざと、置いたのだ・・・・・と、言う点を、書く・・・・・のですが、それが、以前と比較すると、進歩なのです。

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副題2、『我が家からは、数々の、ものが盗まれているが、四種類の泥棒の内、主役は、警察の特殊部隊である。したがって、日本の警察は、伊藤玄二郎とか、井上ひさしの私兵と、化していると、言っても、過言ではない』

 この泥棒ですが、四種類いると、見ています。これは、日経新聞のコラムで、明らかになったのですが、まず、第一に、警察の特殊部隊が入っています。「中に入ったら、パソコンが何台もあるので、驚いた」と、部下が言うと、上司が、「そういうときは、電源あだぷたーの数も調べないといけない。電源あだぷたーの数だけ、パソコンを持っているはずだから」と、言ったと、言うのが、【警察の昨今(?)】という連載コラムの中にあったのです。

 ここで、会話を交わしている連中は、まだ、かわいい方で、彼等のさらに上に、もっと、特殊な任務を持っている人間が居て、書類を盗みに入って居ます。書類とは、北久里浜駅東側の丘の上にあった、旧・横須賀市・水道山をタダで、手に入れた連中が居て、実質的な、詐欺なのだけれど、書類上は、地籍変更届という形で、法務局を、通るというものです。(蛇足1へ行く)

 それと、私の両親が、明治大正生まれの人間としては、割と、知的に高い位置にいて、父が、サラリーマン画家として、たくさんの新聞取材を受けていたと、言う記事の切り抜き等です。ラストエンペラーの宮殿や、甘粕満州映画理事長の部屋も飾っていました。画題は、中国の遺跡です。(蛇足2へ行く)

 電源アダプターなんて、その記事が出る前までは、秋葉原の裏通りに、ビール瓶ケースに入れて、ひとつ千円ぐらいで、いっぱい売っていたのです。ところが、その記事が出た後で、私がびっくりして、家の中を調べると、薄い形のノートパソコンを本棚に挟んでいて、二台持っていたのが、一台しかないし、電源アダプターが、7本はあるはずなのに、無いんです。あの頃は差込口が、太いのやら、細いのやらがあって、電源アダプターが、パソコン一台につき、一本は、必要だったから、秋葉原の、そのジャンク品を、買いに行ったら、もう一本も売っておらず、「純正品しか手に入りませんよ」と、言われて、私が持っている、ノートパソコンの場合、一万三千円するのだそうです。交通費、それから、純正アダプターを買いなおす費用、等々、消耗を激しくさせてやろうと、する動きが、激しいわけです。

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副題3、『石原都知事に対する、私の評価は、とても低いものだった。私をネトウヨ呼ばわりをして、軽蔑しようとする、動きもある模様だが、私は、青嵐会出身の、石原慎太郎氏のファンでもないし、憲法改正を、急ぐ、安倍晋三総理大臣のファンでもない。勿論のこと、右翼ではない』

 特にそのころは、電池の持ち時間が短かったので、電源アダプターは必需品でした。家の中では、システム破壊が激しいので、外で、仕事をする、私にとって、電源アダプターは、必需品でした。

 そのころ、東京都内の図書館では、電源を使わせないと、言う形だったので、石原都知事と、猪瀬副都知事とは、文化面では、エセ文化人だと、思いました。偽物文化人です。焚書坑儒を実践している人物ですから。其れは、何度も書いてきています。リンク先を見つけるのが、しんどいので、このままにしておきますが、私は、メディアが、伝えるのとは、全く違った形で、有名人を見る、物差しを、与えられているわけでした

 石原都知事は、黒田清子さんの、結婚式のスピーチで、メロメロであるというか、しっかりしていない、人物である事をさらけ出してしまったわけですが、私は、図書館の電源を封鎖すると、言う現象で、その結婚式以前に、既に、全くダメな人間だと、知っていたので、別に驚きませんでした。けれど。息子の、良純さんと言うのは、よくできていると、思いますけれど。

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副題4、『泥棒が入れこむという話から、始まって、雑誌アンアンが、美尻特集というのを、発刊したのが、ここにつながって来る』

 泥棒の話に戻ります。其れは、CIAエージェント側の方針転換と、同時に活発になってきた、弾圧の一形式です。ピストルで、撃ってやろうとか、車で、轢き殺してやろうという様な物理的な、手法が、ことごとく失敗しているので、心理作戦を用いて、殺してやろうとする、新たな、方向転換を示すものですが、盗むと同時に入れこむという手法も用いられています。瓜南さんの、はがきが、床に転がっていたのは、そちらの方でした。

 ここに、2000~3000字かいたのに消えています。仕方がないので、再び書きましょう。

・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・~+=*=+~・ここから次の、この同じ罫線までの間は、全くの加筆です。したがって、アンダーラインを敷きません。読みにくくなるからです。ご了承をいただきたく。

 ところで、読者の皆様の中には、我が家に泥棒が入るという事で、私の方に、何らかの落ち度があるのではないかと、誤解をなさる方があるやもしれずと、心配になりました。それで、真実を書いて行こうとすると、それが、伊藤玄二郎達には、最も困ることなので、どうしてか、一気に三千字ぐらい消えていると、言うわけです。其れは、写真を探す作業の、時間帯に、起きてしまった事でした。でも、消えたからこそ、最重要なので、もう一回、書き表します。

 どうして警察が泥棒が入るかというと、2005年の夏に、我が家から、15m西側に住んでいる故・石川和子さんが、私の猫に反旗を翻されたことに、パニックに陥って、警官を呼んだことに、大いなる、増長ポイントがあります。それ以前にもひそかに行われていたでしょうが、それを境にして、ぐぐ、グッと、警察が、泥棒に入る様になったのです。石川和子さんは、伊藤玄二郎、鎌倉春秋社社長の愛人だったと、公言している女性で、彼の会社名を、自分の陶芸教室にもらって居ます。たぶん、高校時代の、伊藤玄二郎の、下級生だと、思います。陸上部の後輩でしょう。ぼてっとした体格だから、投擲などを、専業種目としていたのではないかなあ? 彼女自身は、「パーティコンパニオンをしていた時に、知り合った」と、私に直接に言って居ますが、そんな軽い間柄で、自分の会社名を渡すのなど、伊藤玄二郎があほすぎて見えますので、違うと、思いますよ。本当は、結婚の約束でもしていたのに、今の奥さんと、結婚をしないといけない羽目になったので、捨てた代わりに、会社名を慰謝料として与えて、家も買ってあげて、陶芸用炉も、設置してあげたのでしょう。しかし、それは、生活費を稼ぐための方便であって、彼女が、美術系創作家として、レベルが高かったかというと、「別に!」という存在です。しかも教養も高くないです。で、うっすらとですが、私に対する恐怖心とか劣等感とかを持っていたと、思います。ところが、それをあがなってくれる存在が、出てきました。それが、我が家で、2003年より飼い始めた、さびちゃんという猫です。私は猫が大好きだし、猫も私を大好きなのですが、私の方が、忙しくて、多くの時間を遊んでやれません。それなのに、この猫は、下町娘風のおきゃんなタイプで、しかも、好奇心がいっぱいで、かつ、エネルギッシュでした。だから、昼間、我が家にだれもいないのが、つまらなくて、よく石川和子さんの家に遊びに行って居たのです。其れを彼女は、自分が、川崎千恵子より上の存在であると、いう風な宣伝材料として使って居た模様です。そのことがやがて、警官を呼ぶ大騒ぎに発展をしていくのですが、その前に、色々、説明をして置かないといけません。

 でもね。石川和子さんの、困った点というのは社会常識がない点です。大人ではないのです。で、好きなもの(この際は私の猫)は、返さないのです。それで、我が家の男どもは、ものすごく怒って、「猫を出すな」と、私に命令するのですが、私は猫好きですから、自由にさせていたのです。ところが、男どもが帰る前に迎えに行くのですが、その際に、石川和子さんは、いじめを行使するのですね。2005年の一月の事でした。寒い中で、私を長時間待たせるのです。ある日、そのいじめの目的が、柳沢昇という今の男(一応結婚をしていることになっている)との、セックス意欲亢進の為に、行って居ると、いう事が、私の方にわかってしまったのです。夜に迎えに行くので、それがわかってしまったのです。本当に嫌な思いをしました。

 これはね。綾瀬市の、小さな家を舞台にして、飯島愛だったらしい少女と、或る不良少年が、かわいそうな、女子高校生を、40日間も掛けて、性的な虐待を繰り返して、結果として、嬲り殺して、その遺体をドラム缶内で、コンクリート詰めにした事件と、コンセプトは同じです。ぞっとするほどのいやな思いをしました。で、私も到頭、猫を家の中だけで、飼う事にして、外に出さないことにしたのです。

 ところがその七か月後の夏、私が、パソコンを打っている部屋とは、別の部屋の窓が開いていて、しかも下屋根といって、猫が八艘とびに利用することができる・・・・・そういう場所から、とんとんトーンと、10メートル以内を飛んで行って、石川和子さんの家に遊びに行ってしまったのです。間に隙間が二か所ありますが、ひさしが、出っ張っているので、幅が50㎝ぐらいですから、猫にしたら、楽々のジャンプです。私は、二時間以内に、猫がいないという事には、気が付きました。直感が鋭いので、何かが変だぞと思って、家じゅうを探して、いないので、石川和子さん宅=鎌倉春秋窯に、迎えに行きました。いつもは工房の入り口から工房内に入って、「さびちゃ-ん」と、呼ぶと出てきます。工房とは土間の上に、壁だけを作ってある、バラック仕立てで、その当時は、ドアもない形式でした。

 ところがその日に限って、その入り口に柳沢昇が、仁王立ちになっていて、「住居侵入で訴えるぞ」と、大声で怒鳴りました。

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副題5、『ここで、柳沢昇に対して、私が何を考えていたかを語らないといけなくなった。加藤登紀子さんの度々のNHK登場他と、「Oisix」「大地を守る会」「らでぃっしゅぼーや」の三者が、統合を果たしたというニュースなども、柳沢昇について語る、私の文章が、後押しをしている。そして、カンブリア宮殿で、その社長が出てきた』

 柳沢昇が、結婚をするときに、興信所が私を訪ねてきて、「どういう人物ですか?」と、質問をしました。その時に、既に、私は、これから語ることが、すべてわかっていました。が、「普通の人ですよ」と答えておきました。だからね。彼は、私に感謝をしないといけません。伊藤玄二郎が雇ったのだと、思いますが、石川和子さんの、両親とか、兄弟だったかもしれません。

 それ以前に誰か(もしかしたら、石川和子さん本人だったかもしれない)が教えてくれたのですが、「石川和子さんは、有機野菜の配達人と結婚をしたのだ」と。それでね。その会社ですが、上の副題5の、二重ガッコ内のどれかだったと、思います。で、彼の年齢から考えて、『柳沢昇とは、三里塚闘争を、率いた、加藤登紀子さんの旦那の会社に勤めている人間で、その、闘争の流れの一人であって、大学は出ていないでしょうね。まあ、セックスの力で、石川和子さんをものにしましたね』と、思って居た。これは、当たっていて、石川和子さんが、亡くなった後で、別の女性を家に入れて、夜も泊らせている。

 そんなことが私にわかってしまうのは、朝の七時ごろ、その家(=鎌倉春秋窯)から、私が顔を知らない女性が出てきて、道路の割れ目に生えている、ど根性三つ葉をつんで帰ったからだ。私の方だけど、毎朝七時に園芸の仕事をするわけではない。その日だけ、たまたま、朝の七時に外にいただけだった。こういうところに私は、天の采配、特に神様が、私をたすけてくださっていると、感じる。下の写真も似たような流れの中で、撮影ができたものである。写っている人物は、柳沢昇ではなくて、故・前田祝一である。これは、2014年ごろの写真だ。

 太陽の陰を見ると午前中だ。という事は、炎暑なので、私が、園芸の仕事など、するはずもない時間帯だ。確かに私は家の中にいた。しかし、何かが、ひらめいて、外に出た。すると、前田祝一が大変な悪事を計画し、それを実行をしている最中だった。この写真は、手前側7メートルぐらいの位置からとって、彼だけを拡大している写真だけれど、この写真があると無いとでは、私の書いている文章の証拠能力の高さがまるで違ってくるので、撮影できたことがありがたいと、思って居る。全く事前に知らされていない出来事を、起きている真っ最中に、しかも、家の中にいて、それを見ることができないのに、感じ取って、外へ出たのは、全くもって、神様のお助けだったと、思って居る。

 この時、右側に別の男が居た。しかし、私は、その男が、警察の人間が、工事会社の営業マンに仮装をしていると、見たので、撮影をしていない。この時に、二人は、私に気が付いたので、声を潜めた。しかし、何が話し合わされているかは、すぐわかった。しかし、ここでは、・・・・・前田祝一が悪事を実行していた・・・・・とだけ、語って先へ進みたい。でないと、この文章が終わらなくなる。で、元へ戻ります。其れは、逃げではないのですよ。しかし、11月30日の夜には、体力が残っていなかったのです。そのくらいのレベルでは、自分を守らせてくださいませ。

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副題6、『新左翼運動の陰には、CIAがいる。其れは、イスラム国や、タリバンという、過激派イスラム集団の後ろに、CIAがいるのと同じ現象である。彼等は、純真な若者を、不正義に対する、対立者として、リクルートをする。しかし、そのあとは、その集団内で、フリーセックスという餌を与えて、セックスのびんらん状態を招き、その、麻薬的力によって、若者のまっすぐな気持ちを萎えさせていき、日本にまともな、大人の、男性がいないと、言う状況を作り出す。一方で、行動様式としてはダサいが、まじめだと、考えられている共産党系だが、そのトップは、これまた、CIAに支配をされている。

 井上ひさしなど、その典型的人物であって、表むきは平和主義者、戦争反対論者、ヘイトスピーチ反対論者で、あり、9条の会を組織しているが、裏では安倍晋三総理大臣を操作し、新皇后、雅子様も、言うなりに動かしている人物である。また、つい最近、NHKが、連合の今はどうなっているかという、特集を組んでいたが、神津りきお氏は、2016年には、退任の予定があったのに、いまだに、トップである。これは、学芸大学付属世田谷高校での、山尾志桜里との関係を書いた、私のブログの反作用として、彼の寿命を延ばしている。しかし、裏側では、山尾志桜里を使って、国会を牛耳っているのが、これまた、鎌倉エージェントと私が呼んでいる、CIA日本人エージェント達である。山尾志桜里が、野党間を、うごめいていて、国会審議の議題を、提案している。安倍晋三総理大臣の桜を見る会の問題なんて、税金の私的利用の額としては、非常に小さい。しかも、そういう事は、当然あるでしょうという事を問題にしている。

 もっと大切なことは、消費増税で、2兆円もの無駄遣いが出ているという事。そして、消費増税によって、日本経済が、急降下しそうな事などだ。

ここで、午前四時になったので、いったん筆をおきます。この続きは、明日か明後日書きます。

 でも各内容を忘れない様にするためにメモを置きましょう。

* 秋山祐徳太子のブリキ男、永田ひろ子の、妊婦のおなかを洞窟内で、掻っ捌いて殺した狂気、

* 柳沢昇の、無学を、利用して、心理学でいうオウム返し法を用いた話。

* 四世代同居の石井夫人(石井秀樹邸の主ではない)が、猫を抱き上げて、柳沢昇を救った話。したがって、後日引っ越しを迫られた話。そこに、加藤昌氏と、井上ひさしが絡んでいる話。その時、石井一家に、「近々帰ってこられます」と、約束した手前、私を殺そうとしている話。

* 私の猫に選ばれなかった、石川和子さんがパニックに陥って、警官を呼んだ話。

* 交通警邏隊の、警官二人の内、若い方が、交通事故の調書を取って、脅かした話。石段で上がるのに、どうして、車の交通事故が起こりますか?

* 三原橋交差点で、私が、本当の交通事故に出会って、聖路加へ、救急車で運ばれたのに、交通事故にしないで置きましょうと、築地警察署内で、言われた話。

* 京橋の相鉄フレッサイン内で、徹夜で、それを書いたのち、次の日の朝、やっと我が家へ、たどり着いて、8時半に寝入ったのにもかかわらず、午前10時半に、渡辺賢司が、布団をたたく轟音で目が覚めさせられた話。交通事故に出会って、やっと帰ってきたのにもかかわらず、寝かせてやらあないぞという、この山の人々の殺人鬼状態について。ベランダのあるうちは、みんな、午前10時から、布団をたたく様に命令をされていた話。誰が案を出したのか? 前田祝一であるか? 伊藤玄二郎一派であるかが問題だ。

* 猫のことで、のこのこと、この山に警官がやってきた、2005年、8月以来、自分が悪いのにも、拘わらず、警察が、猛烈に、私を弾圧し始めた話。

* しかし、その裏側を書いているからこそ、今度は、民間人に、警察が合い鍵を渡して、泥棒として、侵入させている話。安野忠彦・智紗夫妻とか、大原光孝氏は、合いかぎを持っているだろうと、言う話。お化粧品が盗まれたり、冷凍エビが盗まれたり、洗剤の瓶に、切れ目を入れられたり、粉末状、磨き粉に水を入れるのはだれであろう。パジャマを盗んだり、アクセサリーを盗んだりするのはだれであろうか? それが、全部、栗生長官の命令で、行われていることであろうか?

* その手の連中が、町内会役員をしたりして、威張っている話。そのためか、町内会、掲示板が、嵐でもないのに、倒れた話。

* この山の町内会掲示板とは、警察の情報ばかり載っている不思議な、板である話。子供のポスターが、はられていた話。⇒、独立会員、貝塚やすさんの話。彼女とは、たぶん親戚の間柄だと、思われる田代ひと士の話。彼がK'sギャラリーに現れて、嶋田章三、商用論をぶったことから、exibit Live and Moris のオーナー森さんのCIAの手下としての役割がわかった話。

* 渡辺賢司、か、その妻が、雨の中をことさらに、どたどた、靴音高く通ったので、

 雅子様のお馬アレルギーが、井上ひさし案出の、謀略=嘘であることがわかった話

 そこまでかけたら、この章を終わりといたします。だけど、このメモだけで、終わりとするかもしれません。このメモを全部展開したら、10万字を超えるでしょうから。

 

 

 

 

後注1、

黒田清子さんの、憂慮 + 渋谷センター街で、私に降りかかりそうになった大災難 + 鶴岡八幡宮の大イチョウ倒壊の真の原因は? 2019-11-27 00:34:35 | 政治

後注2、

泥棒の話は、何度も書いているが、直近のものを、イ)とする。

イ)

何故急に英検が、中止になったのか?・・・・・西隣の二階の天井灯と、冷凍エビの盗難・・・警察のオートバイ・・・井上ひさしからのコメント  2019-11-02 00:24:22 | 政治

 ロ) 

其の一か月前に、もっと、重要なものが盗まれていることを書いている。その時、ケンタッキー・フライド・チキン鎌倉店の、T字路に、ぬっと、大原光孝が、現れたことが、重要で、 

駅ロッカーから、パスポート、保険証、土地権利書、税務申告用元帳、税務申告用領収書類を盗んだ人間と、八幡宮様は同類ですよ。おそろしい。    2019-10-25 09:13:12 | 政治

 ハ)

大原光孝という人物の、本当の姿を書き始めている。 

画家の剽窃、その2 ・・・・・鎌倉駅のロッカーから19-9-19深夜、パスポート、及び携帯Wi-Fiが、盗まれ、次の日の夜八時に、パスポートだけ、寝室の床に転がっていた  2019-10-08 00:55:22 | 政治 

剽窃問題の1・・・・・ユマニテのドア、Iive and Morisと読売新聞、野見山暁次と山口千里、文化庁の組織変更      2019-10-06 23:55:35 | 政治

 

 

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ゲーム依存症に関する研究が発表される。

2019-11-29 05:58:55 | 政治

 これは、19-11-29日に作って、下書きボックスに入れて置いた記事です。しかし、12月12日アップの、下記の記事に必要になったので、公開へもっていきます。

皇后さまの体調に理解を、と、医師団が言うが・・・・・ここに、複雑な日本政治の、真実が奔出していると、私は考える
2019-12-12 22:25:31 | 政治

イカの記事は、NHK 19-11-27の7時のニュース記事を、コピペしたものであるが、38000字を超えると、言った。しかし、マイクロソフトワードへ、いったんコピペすると、短縮される。2792文字だそうだ。まえから、そういうしくみには、きがついていたが、

 対私狙いの謀略的ニュースには、そういう傾向がある。私は確かに、最近単純なゲームをしているが其れは、脳をお掃除する為である。ブログとは、全く違うフィールドを使うので、脳が活性化される。

 私のブログとは、それほどに、難しい、領域を使って居るのだ。、あ、は、は。

「ゲーム依存」初の全国調査 長時間ほど仕事や健康に悪影響

2019年11月27日 17時40分医療

ゲームへの依存に関する全国規模の調査が初めて行われ、ゲームに費やす時間が長いほど仕事や健康に悪影響を及ぼしている実態が明らかになりました。

生活に支障が出るほどゲームに熱中する依存症は、WHO=世界保健機関がことし5月、「ゲーム障害」という病気として認定し世界的に対策が求められています。

全国調査は、無作為に抽出した10歳から29歳までのうち過去1年間にゲームをしたと回答した4400人余りを対象に行われました。

                       

それによりますと、ゲームに費やす時間は平日で1日当たり、
▽1時間未満が40.1%ともっとも多かった一方、
▽1時間以上、2時間未満が27.1%、
▽2時間以上、3時間未満が14.6%などとなっていて、
▽6時間以上と回答した人も2.8%いました。

 

また、ゲームをする時間が長いほど生活への影響が大きくなっていて、「ゲームをやめなければいけないときにやめられなかった」と回答した人は、1日のゲームの時間が1時間未満の人では21.9%だったのに対し、6時間以上の人では45.5%でした。

 

このほか「学業に悪影響がでたり、仕事を失ったりしてもゲームを続けた」という人は、1時間未満で1.7%でしたが、6時間以上では24.8%。

 

「睡眠障害や憂うつなど心の問題が起きてもゲームを続けた」人は、1時間未満で2.4%、6時間以上で37.2%でした。

「社会全体で対策に取り組むことが重要」

 

調査を行った国立病院機構久里浜医療センターの樋口進院長は「ゲーム障害や依存症を治療するためのガイドラインはほとんどなく、今後、調査結果を治療に生かしていきたい」と話しています。

また樋口院長は「ゲーム依存で治療に来る人の数は急増していて問題は深刻化していると感じる。中には小学2年生がゲーム依存になって昼夜逆転した生活になり学校に行けなくなったケースもあった」と話しています。

そのうえで「睡眠不足や食事が不規則になることに加え体を動かさないから体力も低下する。骨密度も正常よりも低く体のあちこちに痛みがくる」と健康へのさまざまな影響についても指摘しています。

さらに、海外では長時間、同じ姿勢でゲームをし続けることで血管の中に血液の塊ができる「エコノミークラス症候群」になったケースもあるとして、深刻な場合は死亡することもあると警鐘を鳴らしています。

樋口院長は「ゲーム関連の事業者も含めて社会全体で依存対策に取り組むことが重要だ」と話しています。

健康損なっても続けてしまう「ゲーム障害」

 

WHO=世界保健機関は、ことし5月、ゲームに依存している状態を「ゲーム障害」として治療が必要なけがや病気を分類するガイドライン=「国際疾病分類」に新たに加えました。

WHOの定義する「ゲーム障害」は、テレビやパソコンなどでゲームをしたい欲求を抑えられない状態を指し、具体的には、ゲームをする頻度や長さ、やめるタイミングなどを自分でコントロールすることができず、健康を損なうなどの影響が出ているにもかかわらずゲームを続けてしまう状態が少なくとも1年以上続いて、家族関係や社会的な生活に影響を及ぼしている状態としています。

ゲームへ依存する状態が病気としてガイドラインに加えられたことで世界的に調査や研究が進むことが期待されるとともに、対策が求められています。

ゲーム業界は注意呼びかけ 調査進める方針

ソニー・インタラクティブエンタテインメントや任天堂、日本マイクロソフトなど190以上のゲームを手がける企業や団体が加盟するCESA=コンピュータエンターテインメント協会は、子どもがゲームを安全に楽しめるよう、イベントでチラシを配るなどして注意を呼びかけています。

例えば保護者に対し、ゲームをする時間や有料コンテンツの利用について子どもと話し合い、家庭でルールを決めておくよう勧めています。

またゲーム機やスマートフォンなどの機能や使い方を制限する「ペアレンタルコントロール」を紹介し、保護者が事前に利用できる時間の長さや時間帯を設定しておくことで、子どもの利用時間を制限することができると説明しています。

このほかCESAを含むゲームに関する4つの団体は、ことし5月にWHO=世界保健機関がゲーム障害を病気として認定したことを受けて、大学の研究者や医師ら外部の有識者7人で作る研究会を設けました。

研究会は、来年度にも大人と子どもに分けて全国規模でゲームの利用に関する実態調査を進める方針で、今後の対策に生かす方針です。

スマホ依存問題 IT企業の対策は

子どもや若者がスマートフォンを長時間使いすぎる、スマホ依存の問題が指摘されていることを踏まえ、IT企業側も一定の対策を取っています。

アメリカのアップルは、去年から、iPhoneの基本ソフトに使いすぎを防ぐための機能を盛り込みました。
具体的には、利用者がスマホを手に取って使った回数や、どのアプリをどのくらいの時間使ったかが日ごとに分かるようになっていて、ゲームやSNSといったアプリごとに使用時間に制限を設けることができます。
保護者が子どものスマホの使用時間などのデータを受け取ってアプリの使用時間を制限することもできます。

またグーグルも、スマホの基本ソフト、「アンドロイド」にスマホの使用時間などを確認できる機能を設け、アプリごとに使用時間を制限できるようにしています。

このほかスマホのアプリの中には、スマホを使わないことによって動物や植物が育っていくなど、楽しみながら使いすぎを防ごうというアプリも開発されています。

ゲーム依存の男性「早く元の生活に」

神奈川県内に住む滝沢拳一さん(28)は、深刻なゲーム依存になり、現在、専門の医療機関でカウンセリングなどの治療を受けています。

ゲームにのめり込むようになったきっかけは、職場での人間関係に悩んだことだったといいます。

滝沢さんは「現実は嫌だなと思うようになってゲームをするようになり、仕事をやめてからさらにのめり込んでしまった」と話しています。次第にゲームをする時間が増え、数日間寝ずに食事をとることもせずゲームをし続けることもあったということです。

その時の状態について「寝ているか起きているのか分からない感じで、ひどい時には幻覚や幻聴があった」と話しています。

その後、体調は日に日に悪化し、いらいらして家の中の物を壊すこともあったということで、家族に連れて行かれて治療を受けるようになりました。今、少しずつゲームをする時間を減らし、再び、就職することを目指しています。

滝沢さんは「まだ完全には治っていなくて、自分をコントロールできない時もあるが、早く元の生活に戻れるようにしたい」と話しています。

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黒田清子さんの、憂慮 + 渋谷センター街で、私に降りかかりそうになった大災難 + 鶴岡八幡宮の大イチョウ倒壊の真の原因は? 

2019-11-27 00:34:35 | 政治

 この一文ですが、最初の予定では、総タイトルを、

【黒田清子さんと、雅子様が何十年ぶりかで、仲直りですって・・・・・自民党が、女性天皇容認という大・大・矛盾】としておりました。しかし、途中で、挟んだ挿入が長く長くなりましたので、総タイトルを変更します。

副題1、『私は珍しく、19-11-26日に、新聞を、読んだ。そこに、女性自身の、中づり広告的、宣伝が載っていた。非常に興味を惹かれる記事があった』

2019年12月10日号 目次 

雅子さま「3大事件で不和20年」
 黒田清子さんと和解の夜

 というものだ。私はまだ読んでいない。⇒

と、26日の深夜に書いたのですが、27日には、それを買ってきて、封を切って、読んだところです。まあ、実際に読んだという事は、初稿とは、異なるので、オミットして、初稿として、26日に書いた部分を続きとしてお読みいただきたいです。ところで、ひどく驚いたことには、25日(?)発売のその週刊誌の、第三頁に、既に、雅子様の伊勢神宮参拝の、十二単ひとえ像が、載っていることです。私は、週刊誌の記事は、実際に起きた出来事から、三週遅れぐらいで、記事になると、一時期、想像したことがあるのですが、はるかにすさまじい勢いで、IT技術の応用が進んでいるという事でしょう。

 ⇒ しかし、タイトルを見ただけで、抜群のセンスだと、思う。こういう企画を立てた人物が、どういう人かは知らないが、非常にセンスがいいし、皇室内部もよく知っている人間だと、思う。

 私は、前報(後注1)の特に、副題3と、4で、雅子様は、これから、天皇制を、実質的に破壊をして行く方だろうと、言う推定を述べている。

 現在の皇族方(または、降嫁された元皇族方)の中で、もっとも、人間的に、高度な方が黒田清子さんである。そして、父である平成天皇(幼名、あきひと様)を敬愛しておられる。そこから、くるものだと、思われるが、天皇制を、俯瞰的に見ることもできる方だ。したがって、憂慮すべき点のことも、よくわかっておられる方だと、思われる。

 だから、黒田清子さんが、雅子様と、対立することは、大ありだと、考えている。この記事では和解と、なっているが、其れは、黒田清子さんの方が、『ちょっと、見守りましょうね』と、いう感じになっているところだと、感じている。黒田清子さんは、内心では、お馬のアレルギーなんて、いやな話だなあと、思っておられるであろう。しかし、美しい絹のお洋服(ローブデコルテやら、スーツやら)と、絹の二種類の、十二単をお召しになった、雅子様の、美貌(特に最近では、晴れやかなお顔である)に、大衆の人気が沸騰をしているので、黒田清子さんの方が、我慢をして折れたという形であろうと、推察している。

 しかし、私が、推察している通りに、事が運んで行って、雅子様が、引き続き、数多くの特別待遇を主張なさり、結果として、令和天皇(幼名・徳仁様)が、軽んじられ、みすぼらしくみえる様に、行動をし続けたら、黒田清子さんの、内心の怒りは、またまた、沸騰をすると思う。その時、黒田清子さんは、どう、お動きになるだろうか?

 まあ、私が心配しても仕方がないことだが?!?!?

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『自民党とは、結局は、皇室が維持され、天皇制があった方が、自分達が有利だと、思って居る組織であろう。それなのに、女性天皇、実現を望むとは、滑稽を通り越す、大矛盾である。あまり氏とか、二階氏というのは目先の利益だけ考えている存在であろうか? それとも谷垣禎一氏を通じて入って来る、鎌倉エージェントの意向を、ただ、ただ、単純に受け売りしているのであろうか? 彼ら(イコール、伊藤玄二郎と、いまだ、生きている井上ひさし)は、雅子様は、自分達の掌中の玉だと、思って居るのだから、雅子様の、権力が拡大するのは、御の字なので、女性天皇の誕生を望んでいる。其れを谷垣禎一さんを通じて、安倍総理大臣に、伝えている。あまり氏とか、二階氏は、谷垣さんか、安倍総理の、提言を受けて、ああ動いていると、私は考えている

 私は秋篠宮殿下とか、そのお子様の悠仁様が次期天皇に、なるべきだと、主張している人間ではありません。ただ、ただ、日本の、被・植民地化が、さらに進むと困るなあと、考えているだけの、一介の専業主婦です。だから、今の自民党政権が、女性天皇擁立の法制化などを進めるのなら、「ああ、そうですか」としか言いようがないです。それに逆らう力は、私にはないです。

 そして、愛子様は、雅子様よりも、地頭がいいかもしれないと、思う時がありますので、愛子様が、天皇におなりになっても、かまわないのです。しかし、愛子様の将来の地位・如何にかかわらず、雅子様は、後、40年は、生き伸びられるわけでしょう。そうなると次期天皇を生んだ雅子様は、ますます、ご自分の特別待遇を要求なさる様な気がします。特権を行使なさるでしょう。困ったことです。そうなると、天皇制は、ぐずぐずになっていくでしょう。

 というのも雅子様の、要求なさる、特権とは、ことごとく、令和天皇を、でくの坊に、見せて行くという、概念があるからです。国民は、やがて、令和天皇【幼名、なるひとさま】を小ばかにする様になるでしょう。

 一方、上皇后・美智子様は、平成天皇を小ばかにして、ご自分が上だという様な姿は、外には、絶対にお見せには、ならなかった方です。内々では、わかりません。しかし、公的な席では、それをお見せには、ならなかったのです。

 一方の雅子様ですが、ご成婚直後の記者会見の仏頂面をはじめとして、数多くの例として、それが、見える方なのです。今回のお馬のアレルギーの一件ですが、猫アレルギーというのはあります。しかし、猫の毛皮と、馬の毛皮って、組織が違うのですよ。だから、お馬のアレルギーなんて、ありそうでない病気なのです。どうせ、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、まだ生きている井上ひさしあたりが案出したことでしょう。

::::::::ここで、挿入に入ります。御用学者の存在です。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『鎌倉鶴岡八幡宮の大イチョウの倒壊は、御用学者の間違った提言が災いして、起きているのだった。アメリカキササゲを切ってしまったことに最大の原因がある』

 鶴岡八幡宮の境内に、関係者が、小さな箱と、呼ぶ、神奈川県立美術館がありました。2016年に閉鎖になっています。それが閉鎖になったことも大問題ですが、その庭にアメリカキササゲという、非常に珍しい巨木が生えておりました。

 その傍で、日曜美術館の司会をしていた、井浦新が、森永の、カップ入りコーヒー飲料、マウントレーニアの、コマーシャルを撮影していた場所です。そこは、旧、美術館の、職員用出入り口のそばでした。

 天然記念物になっても、良いような、臥竜のごとき大木だったのです。其れを鶴岡八幡宮は、誰か、御用学者の間違った讒言によって、切り倒されたのです。それも、40%ぐらいの災いとして、大イチョウが倒壊をしたのでした。 

 で、御用学者というのが、CIAにとって、カモフラージュで悪事をなしていく際の、重要な小道具であることがわかります。で、お馬のアレルギーも、また、東大教授の何とかさんが、学問的成果を、発表するという事になると思います。将来ですが、きっとそうなるでしょう。

 

  私は今まで、ご近所住まいの前田清子さんと言う、静岡大学法学部卒、その後、東京都立大学大学院でフランス語を、学んだ女性を、鶴岡八幡宮様が、國學院大學の講師にご推薦なさったがゆえに、大イチョウが倒壊したと、言い続けてきています。そして、それが、原因の、35%ぐらいを占めていると、も、言ってきていると思います。どうしてそういう事を言うかというと、前田清子さん本人もそうですが、その夫の祝一氏というのが、ものすごい悪業を対私に仕掛けてきている存在だからです。

 私は、過去において、数多く、CIAエージェントと接する機会があって、彼等から、何度も殺されかかっています。1965年、1978年、1998年、2007年、2011年、2014年と。そういう事を正しく見抜くことができるし、それを、文章に書くことができるので、弾圧されるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『私は、よく考えると、人生で八回ほど、殺されそうになっている。そのすべてから、無事に逃げおおせているのだが、渋谷センター街で、行われた、ある未遂の謀略だけには、恐怖を感じた。そして、それをブログか、メルマガで書いているので、一時期センター街を、バスケット通りと、改名しようとしていたのだった。誰が? むろん、表側の人間はいる。警察か、区長か、商店街会長のはずだ。が、裏側を言えば、真実の提案者,または、企画人は、伊藤玄二郎と、井上ひさしであるはずだ』

 最初は、物理的に、殺されそうになりました。1965年には、三鷹に在る旧中島飛行機の滑走路で、後ろから首を絞められたとか、1978年には、北久里浜で、益山智恵子さんに、車で、轢き殺されそうになったとか、1998年には、パリ・バスティーユ駅で、数人の大男(白人たち)に拉致されそうになったとか、2007年9月28日の早朝には、渋谷郵便局の二階で、清掃員に化けた、警察の特殊部隊に、拉致されそうになったとか、2011年一月には、鎌倉雪ノ下の自宅で、アポを取ったうえで、外人が画商を名乗って、訪れてきて、ピストルで、撃たれそうになったとか、2014年6月13日には、保土ヶ谷のネットカフェで、再び、警察の特殊部隊に、拉致されそうになったとか。

 明瞭に思い出すだけでも、6回命を、狙われたわけですが、ことごとく、逃げおおせているのです。しかも、全部、スムーズになのです。身体的能力が意外にも高いのかもしれませんが、常に直感が働くし、けっしてパニックには陥らず、かつ、だまされもしないのです。相手方は、私の逃げ出し方には、あっけにとられているはずです。

 6回と、言って居ますが、もう一つ、これは、時期は、2005年から、2009年の間のどこかですが、渋谷センター街で、これまた、警察の特殊部隊に拉致されそうになっています。大勢の人が歩いているのにですよ。ただ、私の方が異常を察して、はっとした顔をした途端に、五、六人いる男性の中の一人が、「今日は、止めよう」と、いう合図をほかの連中に出したのですよ。だから、無事でした。これだけは、私の直感が、救ったと、いうか、どうか、難しいところです。相手も、よく考えていて、・・・・・もし、逃げられたら、文章化するはずだから、少しでも、気が付いていると、思ったら、やめろ・・・・・と、上司が命令していた可能性があります。

 その男性達は、すべて、三十代で、服装が、周辺のわかものとは、まったく異なっていたので、気が付いたのです。白いワイシャツに、グレーの長い夏ズボンを穿いているので、遊び人ではないと、思いました。周りは、カラフルな、バスケットボールもしくは、スケボー好きな、男の子の姿だった時期です。『なぜ、こんなまじめな人間が、夜の12時にセンター街を歩いているの?』と、不思議に思ったのが、身を助けてくれたのです。

 其れは、私が本を作っていた時期で、自宅のパソコンが、システム的に、破壊されまくるので、外で、貸しパソコンを使って、出版用のデータを作るという、ノマド生活をしていたころです。しかし、一つの場所で、二時間以上、仕事を続けると、また、外の貸しパソコンにも異常が発生するので、渋谷、新宿、池袋、秋葉原、等の、ネットカフェの多いところで、ネットカフェのはしごをしながら、しかも徹夜で、データを作っていたころの話です。

 ワードで、頁設定をして、本の形にしていくのですが、そのあとで、キンコーズか、アクセアとか、言う、アドビの入っているパソコンを置いているところに行って、一気にPDF化するのです。そのためには、この4つの街が最適だったのです。で、その日は、渋谷を使って居る日でした。センター街を下から上へと、違うネットカフェへ向かって歩いて居たら、対抗方向から、警察の特殊部隊だと、見事に分かる、屈強な若者たちが、降りてきたのです。しかも、先頭の若者が、しっかりと、私を見つめながらです。

 この時だけは、私は、恐怖にかられました。だって、大勢の一般人が周辺にいるのですよ。あ、もう一回ある。2014年の6月4日に、京橋のペンステーションという喫茶店内で、午後の五時ごろ、拉致されそうになったのです。しかし、その時は、周辺を囲んでいる六人ぐらいのお客が、全部、普段そこにいるタイプではないので、『危険だ。さくらが周辺にいる』と、わかったので、無事だったのですが、この渋谷センター街の、夜の12時なんて、周辺にサクラではない、普通の人間がたくさんいるのです。

 『そういうところで、どういう風に拉致するのですか?』と、疑問をもって、答えを自分側で、想像すると、・・・・・その、5,6人のうちの誰かが、私を刃物で刺すという形で、行われ、すぐさま、準備・待機中のパトカーが、やってきて、被害者の私と加害者の男の両方が、乗せられたうえで、私はどこかで、腐乱死体になるまで、放っておかれ、そのうえで、青木ヶ原に捨てられて、「どうも、自殺をしたらしい。持ち物から判断をすると、雨宮舜という筆名で、ブロガーをしていた、国際キリスト教大学卒の、川崎千恵子であるらしい」・・・・・という形になるでしょう。

 それがたった10秒ぐらいの間で、全部わかったのです。刺されたら痛いでしょう。その上、薬も使われたら抵抗できないじゃあないですか? 山口みつ子さんは、薬で、昏睡をさせられたと、思って居ますし、この渋谷のケースが、山口みつ子さんの他殺の前だったとしても、そのくらいの想像はできますよ。

 それからね。カリタス小学校の、スクールバス待ちの隊列に、51歳の、引きこもりだと、言われている男が学生服を着て、襲撃をして、外交官と、少女を殺しましたね。これも、彼と同じ学生服を着た人間が、現場に何人もいて、カリタスの小学生やら、外交官を、目指して、狙い撃ち的に殺して、その上で、犯人役の、51歳の男も、殺したと、思いますよ。そして、さっと仮面パトカーなどの、待機していた車に乗り込んで、現場を去り、後は、普通の警察官が、規制戦を張って、記者や、一般人を入らせない様にして、現場が片付いたうえで、警察側発表という形で、鎌倉エージェントが考えた脚本通りの、ニュースが流れることとなるのです。そこまでの、事が、自分の実体験から、容易に想像可能なのです。

 この渋谷センター街での、出来事は、思い過ごしでも何でもありません。というのも、その後、しばらく、センター街の名称変更が図られて、それが、何度もNHKニュースで、放映をされたからです。バスケット通りと、改名しようとしましたが、成功しませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『上に言って居る通り、物理的、機械的に、私の肉体を滅ぼそうとしても、8回も不成功に終わっていて、私が、死なないので、心理的な、手法で殺そうと、方針返還をした模様である。その代表的、いじめ人が、鎌倉では前田祝一・清子夫妻であり、安野忠彦・智紗夫妻であり、白井達雄・小野寺夫人・夫妻であり、大原光孝・恵美子夫妻、故・石川和子・柳沢昇夫妻などの、たった、実動15軒しか、2019年現在は、住人がいない、八幡宮様すぐそばの、丘の中の、人間たちである。銀座とか、同窓会の、人間も使われているが、ここでは、鎌倉の人間たちだけに言及をする。親切で普通だと、思う人達も住んでいたのだが、自発的に引っ越して行ったり、他動的に、引っ越しを迫られていたりして、今残っているのは、鎌倉エージェント側の、人間ばかりだ。毎日、本当に大変なのだけれど、彼等があれこれ、やってくれるので、この世の真実がわかると、言うメリットもある。

 私をいじめると、その人間に必ず災禍が起きるのだけれど、最も活発に動いている、安野夫妻とか前田夫妻に、災禍が起こらない。一方で、フェイスブック紙上で、私をいじめる投稿を繰り返した瓜南直子さんは、私が、もう、彼女の投稿類は、絶対に読まないで、置こうと、決定した、2011年の、11月から、たった半年後に、死んでいる。

 ここですが、彼女の投稿を読んでいるファンは、「どうして、あなたは、そういうの?」と、疑問を持たれるでしょうね。しかし、全日本あすハガ連と、映画のプログラムの投稿、ラーメンに関する投稿、北鎌倉の侘助に関する投稿、泉湧寺のグループ展に関する投稿、ドゥローイングギャラリーの個展に関する投稿、これらは、すべて、対私への攻撃にあたるのです。ただし、その裏側を、説明するためには、リンク先がアスベスト訴訟などにも及び、100万字ぐらい必要なので、いつもしておりませんが、神様はご存知であると、言う形で、通させておいてくださいませ。

 其れに引き比べると、前田夫妻とか、安野夫妻など、ほぼ、33年にわたって、ひどいことをしてきているのに、平気で、ぴんぴんしている。不思議なことだなあと、思って居たら、差は、その人間が善人であるか、悪人であるかにあったのだった。だから、瓜南さんは、善人であって、ただ、ただ、・・・・・グループ展とか個展とかを、貴方からは、お金をもらわないで、無料で、開いてあげます・・・・・という餌につられて、伊藤玄二郎か、酒井忠康氏の言うとおりに、動いていたと、考えている。そして、前田夫人たちの悪に対しては、神様が、叱責を下されはなかったのだが、一方で、神様から、叱責をされている善人は、

 やはり存在して居たのだった。2010年の三月9日だったと、思うが、早朝、三時半ごろ、突然に、雷が落ちた様な大きな音がして、大イチョウが倒壊した。台風が来ているわけでもないし、大雨が降っているわけでもないし、地震が起きていたわけでもない。まあ、鶴岡八幡宮様は、年間、2000万人が参拝する、神さまなので、ぜんにんの筆頭であろう。だから、災禍が、下った。私は、こういう事を丁寧に丁寧に書いているのに、あの大組織で、私の文章を毎日読み、正しい判断を下す人物がいないらしくて、この2019年の、10月11日と、13日にもひどいことを工務所の人間に命令して、おやりに、なった。でもね、「お気の毒だけど、三つ目の災禍として、収入が減っているという現象が起きていますね。早急に悪人たちと手を切らないと、いけませんよ」と、言っておきたい。が、全く、お読みになっていないみたいで、もう、仕方がないと、思って居る。

 ともかく、大イチョウの倒壊には、私としては、・・・・・それには、三つの原因があり、樹木という意味では、アメリカキササゲを、八幡宮様が、伐採をなさったことが一番大きい・・・・・と思って居る。其れを第一の原因としたいと、思って居る。

 その次に、ギャラリー山口のオーナーみつ子さんが、2010年1月17日に、本当は、他殺という形なのに、自殺という形で喧伝をされたことにあると、思って居る。例のぶるーからーとしての、警察の特殊部隊に、スパコンから、作り出された合いかぎと、失神をさせる薬を使って、窓から落とされたのだと、思って居る。で、殺されたのにもかかわらず、その後、自殺という形で、事が、多大に、喧伝をされた事。それについて、怒った私が、たった、5%程度だが、2010年の二月には、既に、書き始めている。後で、リンク先を明示したいが、神様は、私の文章に必ず、反応を示してくださるのだった。それが、大イチョウの倒壊だったと、見ている。山口みつ子さんを殺したのも、CIAエージェント達だし、(実際には、ブルーカラーとしての警察の特殊部隊がやったのだと、見ているが)、

 アメリカキササゲを、伐採してやれと、企画したのも、井上ひさしであることが、確実だからだ。この、みつ子さん他殺という、遠く離れた東京で、行われた、ケースこそ、鎌倉での、大イチョウ倒壊の、第二の、原因だと、私は考えている。其れは、東京での出来事だったけれど、伊藤玄二郎や、井上ひさしの存在と、行動様式を考えると、八幡宮様にも通じて行ってしまうのだった。同根の現象だった。

 しかし、この第一の原因と、第二の原因は、どちらも、書き表すのに、多大な力が居るものだった。それで、第三の原因ばかり書いてきている。それが、・・・・・前田清子さんを、1980年代当時の宮司白井さまが、國學院大學のフランス語用、講師に、推薦なさったこと・・・・・だ。これは、公明正大に、公開されている事実だから、とても、書きやすい。しかも、私にとっては、蚊帳の外の出来事なので、感情がゆすぶられることもない。 

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『ごく最近なのだけれど、山口みつ子さんが他殺であると、いう件は、ギャルリーユマニテが、50%の、情報源であって、残りの、50%は、exbit Live and Moris のオーナー森さんが、情報源である……と言い始めている。(後注3へ)

 ここなのだけれど、情報源といっても、彼等が言葉で、「みつ子さんは、他殺です」と、言ったわけではない。ただ、ただ、彼等の態度を見ていると、それが、わかるという事だ。其れを、ここでも、少し説明をして置きたい。というのも、どうして私が、今、人気絶頂の雅子様を俎上にあげて、その問題点を語るかというと、

 私の方に多大な被害があるからだが、その一つが、銀座と、京橋界隈で、真実の友情を示してくれた、やまぐちみつ子さんが殺されたことなのだ。が、その、企画を練ったであろう、鎌倉エージェントは、伊藤玄二郎をかなめとすると、反対方向では、雅子様を盛り上げるために、国民の税金を、50億円以上は使ったと、みなされるからだ。もしかすると、100億円? 

 其れは、裏側の真実を言うと、雅子様を、自分達の掌中の玉と思って居る、鎌倉エージェントの特権を、いや増しに増していく方向での、税金の私的流用だった。恐ろしいことだが、ミステリーとして書くほかはない、事実なのだった。そういう事なのだ。だから、雅子様は、政治的アイコンとなる。単なる、おひい様ではない。又は、単純な意味での、クイーンでもない。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『BSプレミアムで、2019年11月27日、夜、井上陽水の特集があった。それに、語り手のひとりとして、山本容子が出ている。栗田玲子さんの画廊、ガレリアグラフィカ・お抱えの、版画家だ。「おお、ものの、見事に、私のブログに対抗しようと出てきましたね。メディアを利用してね。これは、昔、アガサクリスティについての、特番が組まれた時の二番煎じですね」と、言おう。以下に、栗田玲子さんについて、最近書いた文章を、後注4として置いておかないといけなくなった。』

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『しかし、2016年、三月に、ギャルリーユマニテの、十束さんが、私に、「ひっこします」と、たった、一か月前に、して、言ったことに私が激怒したことに、最近の文章の過激さの、すべての原因がある。

 彼が、今まで、教えなかったことに対して、何の謝罪の前置きもなく、ただ単純に「引っ越します」と、しかも、堂々と、告げたことは、私に多大な衝撃を与えて、・・・・・もう、覚悟を決めた。書くぞ、山口みつ子さん他殺の真実を・・・・・と、決意をさせた。

 だって、みつ子さんの死の引き金を引いたのは、武蔵野美術大学卒で、今は、新制作を発表の場として、活躍をしている、保坂涼子さんだからだ。涼子さんには、その事実があるがゆえに、秋山祐徳太子などの助言に基づいて、航子と名前を変えている。しかし、2016年に二回、2017年の五月に一回と、三回もユマニテで、個展をしている。これは、もし、ユマニテさんが、それ以前も、その間も、それから、それ以降も、ずっと、親切だったら、「偶然でもあろう」と、言え様。

 しかし、不親切や、意地悪を繰り返すのなら、ひどい話だと、なる。あきれ返るほどの悪意の表明となる。保坂涼子(=航子)の個展が、そこで、開かれたことは、ありとあらゆる紙の証拠で、確認できるので、大いなる傍証づけになるし。しかし、リアルな行動としては、私は、決して喧嘩には、もっていかない。

 どうしてかというと、最優先にしていることは、考える事、及び、その、付随事項としての書くことなのだ。其れを、遂行するためには、常に、明鏡止水の境地にいないといけない。

 私は、その手の精神状態ではない時もある。この2016年、3月の末に、京橋に於いて、私は、十束さんに対しては、本当に怒った。だって、画廊の引っ越し(特にビルオーナーの建て替え要求によるもの)など、一年前にわかっているはずだからだ。まあ、引っ越し先を、決定したのは、六か月前だとしても、四月に、全部のものを移すのに、それを、三月に教えるとは、本当にひどい恥辱を与えられたものだ。しかし、私は内心の怒りを外へは、態度には出さない。外見としては、すごすごと、ユマニテを後にしたという形になる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『2016年、7月末に起きた、やまゆり園事件は、京橋の画廊、ユマニテの、十束さんが起こしたといっても過言では、無い』

 私は、その十束さんに、痛めつけられた日に、すごすごという形で、そこを去り、京橋の路地を歩きながら、・・・・・うーん、これは、参りましたね。ものすごい攻撃を、これから先受けるでしょうね・・・・・と、考えた。というのも彼らは、勝ったと、思うと、重層的に攻め込んでくるからだ。十束さんが、出入りの、CIAエージェント秋山祐徳太子とか、黒田悠子さんに、「やっつけてやりました」と、報告をしたかどうかを私は知らない。

 しかし、当時は、地下二階にあったあの画廊に入るためには、どうしてもエレベーターを使う。地下鉄京橋駅の、そちらへの階段には、ガードマンが詰めているし、エレべーターには、監視カメラがあるし。この監視カメラを同時進行的に、見つめている存在が、今までは、警察であろうと、見ていた。しかし、最近では、exibit Live and Morisのオーナー森さんではないかと、思い至っている。というのも後注3で言って居る通り、K's ギャラリーで、私と同時刻に訪問をしてきた、野見山暁次のファンを名乗る三人の女性、高橋俊明、平田清彦の、一グループと、二人をタイミングよくあの画廊に、訪問をさせたのは、森さんだったと、見ているからだ。

 で、もしかすると森さんが、十束さんのスマホに、自動的に、スイッチを入れて、私と、十束さんの会話の、盗聴が始まったか? それとも、森さんが、ユマニテに電話をかけて、「彼女(=雨宮舜、本名、川崎千恵子)が、そちらへ向かって居ますよ。彼女は、まだ引っ越しの事を知らない筈です。本日、事務所に顔を出したら、それを教えてやってください。その時、彼女が、貴方に対して、何を言い、どういう態度を取ったかを後で、教えてくれますか?」と、言ったのか?

 または、すべては、以前から考えていた通りに、警察主導で、行われたのか?

  ともかくにして、詳細は、わからないものの、十束さんが、総仕上げをした事は、確かなのだ。何の総仕上げかというと、 屈辱を与えるという総仕上げだ。

 ニューヨーク大学の美術学部長をしていたレディ・クリシュナ氏から、作品を高く評価されている私にとって、ユマニテのスタッフの、金成悠子さんが、虫けらのごとく私を扱うのは、長年の間の屈辱だったが、その総仕上げをしたのが十束さんだった。それが、2016年の三月だった。

 鎌倉エージェントは、長い年月をかけて、謀略事件の準備をする。やまゆり園事件もスタップ細胞疑惑もその通りだ。しかし、準備したケースを、実行に移す機会については、あたまを使うはずだ。最高のチャンスを使おうとするだろう。

 ユマニテで、『個展がないなあ。どうしたのだろう?』と、思いながらも、空鉄砲という形で、訪問を重ねていたのは、1月から2月にかけてだった。やまゆり園内に、勤務していた植松聖が、おかしなことを言い始めて、入倉かおる園長に、精神病院へ、措置入院をさせられたのは、2月だった。

 もう、見事に符丁が合う。

 まあ、レディ・クリシュナ氏のエピソードについては、また、別の機会に語ろう。なお、このレディは、名前の一部であって、彼は男性である。インド系の高貴な顔をしている男性で、自宅は、ソーホーのビルの階にある。日本の、坪数で言うと、一平面で、60坪ぐらいは、占拠していると、言う形だ。

 ここで、午前五時半になったので、止めとしておきたい。アメリカキササゲの話が、途中になっているが、お許しいただきたい。渋谷センター街での、エピソードを書くことだって、大変なエネルギーを必要としたことだから、ここで、終了とするのをおゆるしいただきたい。
 28日の夜に、リンク先を示し、推敲も致しましょう。予定では、そうします。が、実際には、どうなることやら。

後注1、

目に余るよ、鎌倉エージェント(=CIA)の雅子様を・政治的に利用するレベルが・・・雅子様のお馬アレルギーは、本当の事ですか?

2019-11-25 21:20:00政治

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目に余るよ、鎌倉エージェント(=CIA)の雅子様を・政治的に利用するレベルが・・・雅子様のお馬アレルギーは、本当の事ですか?

2019-11-25 21:20:00 | 政治

 下に挿入している写真が、倒立をしています。私がそうしているわけではなくて、この世を真実支配している、例の、CIAエージェント(特に其のIT技術部門のサラリーマンたち)がそうしているわけです。で、皇族方のお写真であるにもかかわらず、そのままにしておきます。また、今の時間は、26日の午後、3時ですが、今から下の文章を加筆しつつ、推敲をしていきます。加筆部分にはアンダーラインを強いておきます。

副題0、『本日の文章を書き始める前に、お断りをしたい事・・・・・特に、今、人気絶頂の雅子様と、その周辺に隠れている、存在への批判・・・・・という大型のテーマに取り組むので、その、前に、自分の心構えを語っておきたいのだ』

 私は、明日続きを書きますと、言いつつ、中断した、文章を、5、6、篇、かかえている。本日も、基本的な義務としては、前報の、続きを書かないといけない。しかし、頭の中にあるのは、全く違う事だ。常に、頭の中にあることを外に出すという主義の、人間である、私は、本日も前夜まで、書いていた文章の続きを明日書きます。と、言い放った、お約束とは、また、また、違うテーマに飛ぶのだが、どうか、そのことをお許しいただきたい。

 この文章は、最初の総タイトルを、【あれがねえ。今、気にかかっていてねエ。昨日からの約束を果たせません】といしていたのだけれど、公開後、15分で、違うものへと、総タイトルを変更する。二番目の方が、本日、本当に言いたいこと、に近い。

 私は、自分のブログ文を書く前には、他人が書いたものは、読まない主義にしている。しかし、ニュースが起きた、日時について検索することは、多々ある。ところで、本日の総タイトル、皇室の政治利用が目に余るよと、言って居るのだが、その目に余る状態は、一点として、雅子様の行動に、集約している。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『【賢所大前の儀】に関する報道が、今、ほどんどない。これは、実は、私がどれほどに、大物であるかを示している。下の写真だが、私は正立の形で、処理したのにもかかわらず、倒立の形で出てきている。それも、私が、このブログの世界で、どれ程に、大切なことを語っているかを、証明している事実だ』

 私が、批判を開始したい、雅子様の行動とは、10月22日の午前九時からの、『賢所大前の儀』から、始まっているのだけれど、そのニュースが、一か月過ぎた、11月25日11月25日である今、グーグル検索でも出てこない。『即位礼正伝の儀』に関する項目は、あっち、こっちに散見されるのだが、賢所大前の儀に関しての、報道が、見当たらない。

 しかし、やっと見つかった。朝日新聞が、グーグル検索サイトに載せている【即位礼】というニュースサイトの中で。その儀式で、私が問題にしたい写真は、一枚だけだ。やっと見つけたが、それが、利用できない。朝日新聞に載っているニュースだし、NHKのライブ報道で、見た人は大勢いる画面なのに、それを、コピペさせない。それで、仕方がないので、私のパソコン内へ、その記事を全コピーandペーストしたうえで、パソコン内の画像をスマホで、撮影をしたうえで、ここに置きたい。

  しかし、今、見るところ、写真が上下さかさまになっている。大変失礼だが、それが、私が言いたい事、====雅子様が、掌中の珠として、政治利用をされている====と、いう事への、証明にもなるので、このままにして置きたい。なお、この写真の説明は、::::::::以下に朝日新聞のものを使う。::::::::: 

09:00

皇族方が賢所へ

皇族方や安倍晋三首相ら三権の長が皇居・賢所へ向かう。

「即位礼当日賢所大前の儀」のため、賢所に向かう皇族方=2019年10月22日午前9時、皇居、代表撮影

::::::::::::::

 ところで、これをやっと見つけたというほどに、見つからなかったのは、私が、10月22日朝、ライブで、NHK放送を見ている最中に「雅子様って、ひどいなあ」と、つぶやいたのが、室内盗聴で、聞き取られていて、後日、雅子様批判、及び、CIA批判を展開するだろうと、推察されて、その【賢所大前の儀】のニュースが、今、グーグル検索では、押さえられきっていると、思われ11月25日である今、グーグル検索でも出てこない。即位礼正伝の儀』に関する項目は、あっち、こっちに散見されるのだが、賢所大前の儀に関しての、報道が、見当たらない。る。新聞をコピーしてきたら、あるかもしれないが、無いと、見る方が、確実だ。

 私が雅子様批判を開始したのは、午前九時なので、夕刊の締め切り前に十分間に合うので、夕刊には、この儀式は出てこなかった可能性がある。無論、同じ伝で、次の日の朝刊にも出てこなかった可能性がある。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、「さすが朝日新聞だ。これは無論のこと、皮肉で言って居る。CIAの代弁者としての大メディアだから、CIA側の掌中の玉である、雅子様の即位の礼を、長文のサイトで、詳細に、報道をしている。しかし、悪意満帆であって、時系列的に、ニュースが並んでおらず、一番最初に行われた、この賢所大前の儀が、最後の項目として出てきている。しかも、飛び飛びで、細切れである。

 朝日新聞のそれは、マイクロソフトワードに、転写すると、全体で、34頁にも及ぶ長大な資料なのだけれど、賢所大前の儀は、最後の項目として、やっと出てくるのである。

 しかし、お茶大付属高校は、1950年代は、古文とか国語に関しては、非常に深く、鍛えるところであったので、私は相当に、日本史には、詳しい。で、日本史上の、由来を考えると、天皇の代替わりにおいては、賢所大前の儀の方が、正殿の儀よりも、重要なもののはずなのだ。

 ここで、ひどく重要な事へ入りたい。明治天皇は、北朝、南朝の分断に於いて、ずっと不遇の位置に在った方が、突然に、宮中にお入りになったと、いう説があることだ。山口県田布施町で、逼塞しておられた方が、急に、天皇に、御成りになったという説のことだ。それが、どうして可能だったかというと、維新の志士の内、坂本龍馬などは、外国の勢力に、教唆され、サポートをされていたので江戸幕府とか徳川家の将軍などよりもずっと、おおきな権力を握ったので、その種の転覆が、可能だったと、いう説のことだ。

 私は、この説には、さして、こだわりたくないのだが、明治天皇が、・海・外・か・ら・の・受・け・を、相当に、気になさって居たことは、歴史上、証明をされている。

 その海外への示威行為に当たるのが、正殿の儀であり、簡単な言葉で、換言すると、宣伝の場でもある。私にとってではなくて、天皇家にとっては、賢所大前の儀の方が、たかみくらが大報道をされている正伝の儀よりも、重要だと、見るべきだと、思われる。しかし、現在の所、そちらの方は、ほとんど、報道がない。

 もう一つ、重要な事があり、それは、読者の皆様には、開示をして置きたい。

 明治天皇のお后、昭憲皇太后について、wikipediaから、数章をコピペで引く、形で、お報せをさせていただきたい。::::::::::

昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう、1849年5月9日嘉永2年4月17日〉 - 1914年大正3年〉4月9日)は、日本の第122代天皇明治天皇皇后勝子(まさこ)、のちに美子(はるこ)。お印若葉。旧名は、一条美子(いちじょう はるこ)。

欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力した。皇后として史上初めて洋装をした。明治天皇崩御に伴い皇太后となり、1914年(大正3年)崩御(64歳)。嫡妻として明治天皇の側室柳原愛子)が生んだ嘉仁親王(大正天皇)を養子とした。

::::::::::

・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・~+=*=+~・

副題3、『雅子様は、賢所大前の儀の最中、NHKカメラ、及び、スタジオで、待機している人々、及び、賢所前で、お出ましを待っている大勢の人を、予定よりも20分近く、待たせられた。秋篠宮さまが、待ちきれなくて、椅子にお座りになり、ほかの皇族方もそろって、椅子にお座りになった途端に、雅子様は、とびらの中から、お出ましになった。

 私は、これは、雅子様の、ご気分で、遅れたのか? それとも、謀略であるのかと、迷ったが、ともかく、

・・・・・ああ、また、雅子様の、特別待遇、ご要求が始まった・・・・・と、感じ入った。

 その日に急速に、女性天皇待望論が、各所から、勃発したので、なるほどと、思い至る。

 したがって、雅子様の、大遅刻は、(小さいが)、国民を教唆洗脳していく謀略として仕組まれたもので、NHKカメラが、秋篠宮さま、他、皇族方、ご一同すべてが、待ちきれなくて、後ろに置いてある、椅子に、ご着席になった途端に、その画面を、潮時として、スマホで、雅子様周辺に控えている、機内庁職員に、伝えて、その職員が、雅子様にお出ましをお願いしたと、見ている。で、秋篠宮さま他、皇族ご一同は、びっくりしたように、椅子から、立ち上がられた。それが、一種のこっけいさを、生み出していた。

 秋篠宮さまを不利にして、さげすむための謀略だったと、見ている。

 雅子様は、国民の祭典にお出ましの際に、涙を流された。純粋な、お嬢様としての姿がそこにあった。しかし、ご自分が、ご出産になった愛子様が、令和天皇の次の天皇に、御成あそばすことは、お望みだと、推察する。また、何よりも、美智子上皇后が、それをお望みだと、聞いている。だから、ありと、あらゆるところで、秋篠宮さまご一家不利な、情報が流される。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『外務省内では、雅子様は、仕事のできない人として、評判の、人物であったと、聞いている。私は、天皇家のお后様としての、仕事もできない方だと、思っているが、すべては病気という形で、責任を、法規されるのであろう。それが、さっそくに出たのが、お馬のアレルギーだったと、見ている』

 ここらあたりの矛盾なのだけれど、雅子様は、意外にも主体性がないと、見える。メディアでは、ハーヴァード大学卒、かつ、東大大学院卒で、外務省勤務経験があるという事で、非常にしっかりした、実務経験も豊富な方だと、国民に、思いこませている。

 しかし、実際のところは、外務省では、大変評判が悪かったと、聞いている。仕事のできない人として、有名であったと聞いている。ここなのだけれど、私には、連絡を取ることが可能な知人として、外務省関係者が、四人いて、アメリカ大使館勤務の人物が。三人いる。その7人のだれからも、聞いた話ではないといっておきたい。でないと、その7人に迷惑がかかるからだ。私には、時々、・・・・・天からもたらされたなあ・・・・・と、思われる様な重要な情報が手に入ることがある。この雅子様は、外務省内では仕事のできない人として、評判が高かったと、言うのもその手の、情報の一つである。

 ご成婚後の雅子様を見ていると、皇太子妃としての仕事は、確かに、できない方だった。で、外務省内での、不評は正しい事だったと、感じている。雅子様という方は、都会のインテリ家庭に生まれたお嬢様の典型ではある。夜更かし型、夜型で、ご自分の趣味や、趣向を優先されるお嬢様である。次の日に、公務が控えていても、「じゃあ、早く寝て、早く起きる様に、しましょう」という様な、心構えの変更ができない方だ。

 この点なのだけれど、美智子上皇后様、常陸宮妃殿下、高円宮妃殿下、黒田清子さん、秋篠宮妃殿下、眞子内親王、あたりは、とることのできる行動様式なのだけれど、雅子様には、とることのできない行動様式なのだった。

 という事で、当然のごとく、周囲の期待する、皇太子妃像は、実現されない。

その大矛盾を統一する手段が、適応障害と、いう病名であった。そんな、病気を抱えた方に、どうして、皇后色が務まるだろうか? しかし、最近のメディアは、一切それについては、触れない。で、・・・・・案の定ですね。病気は単なるつじつま合わせだったのですね・・・・・と、私は、感じている。だから、これから、は、その件は、もう蒸し返されないわけですね・・・・・とも考えているが、実際には、どうなるだろうか? 

 今即位礼、一か月後だが、既に、暗雲が立ち込めていると、私は、見ているのだが、どうだろう?

 雅子様は、お顔が、きれいだ。それに、英語力もしっかりしておられる。だけど、愛子様の、公園デビューに、当時は、皇太子だった、今の令和天皇【幼名 なるひとさま】を、伴ってお出かけになった点など、皇室の人間としての、意識が、無いと、思われる。今般も、天皇陛下が馬車をお使いになるのに、特別にご自分だけ、お車だとは、天皇を尊敬していないと、いう形になる。結果としてそうなる。ともかく、それも、ご病気だと、いう事になると、他人(一部の国民)の、批判を、排除することとなる。そうなると、税金を使って生きている天皇様が、権威をどんどん落としていき、

 天皇制を維持する必要があるかどうかなどという論議が、若い人から、起きてくる可能性があると、思う。私自身は、天皇制については、あまり深く考えてはいないが、

 天皇制が無くなることは、日本を、実質的に、植民地化している世界の軍産共同体に、とっては、いい事だから、その知的部分である、CIAの日本人エージェントが、それを望んでいることは明白だ。そして、彼等の掌中の玉となっている雅子様が、ぐんぐん、ぐんぐん、令和天皇を、・で・く・の・坊・風に見せて行くことになるのだろう。

 そういう現象を即位後、一か月以内に、二つも、発見してしまった、私としては、もう、何とも、言いようがない。

 ただし、父君のことは大好きで、その言葉は、金科玉条のごとく、思っておられるだろう。だから、純粋なお嬢様であるのに、とんでもなく、悪意も深いことをなさるのだけれど、それは、父君、小和田晋氏からの命令に沿った行動だったとしたら、お父様大好きなので、矛盾なく、雅子様は、実行ができると、見ている。

 ここらあたりの情報は、芸能ニュースに存在している佳子様情報などから、たどっていくと大量に手に入る、情報である。

 佳子様は、かわいいお嬢様として、タレント並みの人気があるので、芸能ニュースの中で、色々、散見できる。その中で、高円宮妃が佳子様の英語力を、批判しているニュースがあるはずだ。私もどうして、佳子様は、ティーエイチと、エスの区別などを、なさらないのか、不思議ではあるが、アールとエルの区別もなさらない模様で、高円宮妃にはその点では賛成するが、その種のニュースから、次へ次へと入っていくと、美智子上皇后に関するニュースが出てきて、それを、読むと、何故、美智子様が、秋篠宮さまを令和天皇(幼名、徳仁さま)の後継者にしたくないのかが、自然に分かって来る。2019年も、8月ごろまで、だと、自由自在に手に入る情報として、それらが開示されていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『副題3に書いたことを、私は、10月22日の直後に書くつもりではあった。しかし、書く時間がないうちに、天皇皇后両陛下の伊勢神宮参拝の日がやってきた。11月21日は、下宮参拝の日である。天皇陛下は、馬車で、ご参拝になった。しかし、また、また、雅子様が、ご自分は、特別待遇を受けるべき人物ですと、いう主張をなさった。長時間間を開けて、ご参拝になったと、思われる、雅子様の方は、車で、お出かけになった。馬に対してアレルギーがあるからだそうだ。

 NHKは、何度も何度も、「雅子様には、馬に対するアレルギーがあって」と、報道をした。しかし、私が、たまらない気持ちになって、後注1に置いている文章を書いた後では、NHKは、アナウンサーが読む文章内で、トーンを落としている。21日には、一つのニュースの中で、三回は繰り返したその説明を、22日は、一回に落としている。

 ここで、26日にはっきりとした、追加分を書きたい。美智子様は、平成天皇(用明明人さま

 其れもあるし、22日に突然にあまり氏が、「女性天皇待望論」をぶち上げた。そのとたんに『やはりね』と、思い当たった。雅子様は、本当は、お馬のアレルギーはないと、思う。そういう風に仮定してみよう。すると、色々なことが明瞭になる。というのもお馬のアレルギーなんて、かつて、聞いたことがない病気だからだ。それに、雅子様は、犬を飼っておられる。触ったりなでたりしておられる、動画も、公開をされている。そうなると誰かが、その「お馬のアレルギーであるので、馬車を使えない」という謀略のアイデアを練って、雅子様に、父親の小和田晋氏、又は、母親の、後ろにいる、創価学会を通じて、吹き込んだと、私は考えている。そうすれば、雅子様は、お馬のアレルギーを主張して、天皇陛下に寄り添わない形を、国民に指し示すことができる。

 非常にはっきり言うと、雅子様の政治的利用とは、鎌倉エージェント、特に、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、まだ、生きていて、私の文章の専属読解家と、なっている井上ひさしが、昔、雅子様を批判した、私を追い詰め、このブログの読者数を減らしてやろうとして、雅子様人気に便乗をして、雅子様に、小さな芝居をさせているという事を指す。

 ただ、この持論には、確信を持っています。其れは、ですね。22日に、背後を、どたどたと、いう荒々しい靴音を立てて、渡辺賢司が、挨拶をしないで、背中側を、通ったからです。女物の傘で、顔を隠していましたが、あのどたどた音は、男の体重でしか出せないものだと、思いますよ。まあ、確定をしないで置きます、奥さんかもしれませんからね。が、その靴音で、自分が、ただしことを書いていると、確信をしました。

 『つまり、今、人気絶頂だと、思われる雅子様を、批判するなんって、あいつ、本当にばかだぜ。我々は、かった。だから、追い打ちをかけろ。挨拶をしない形で、通る様に、ご近所を説得して使役をするのだ。そういう形で、動員するのだ。今の段階では、渡辺賢治夫妻を使うのが、ふさわしい。そうすれば、打ちひしがれて来るさ。さあ、俺たちは、かったのだ』と井上ひさしと、伊藤玄二郎は、と、思っている最中だと、信じています。

 

、それを、ひていてs

【蛇足】私が、上記の文章を書いたら、さっそくパソコン内で、以下のニュースが現れた。

皇位継承「男女平等念頭に」=自民・二階氏 

2019/11/26 11:29  

 

自民党の二階俊博幹事長は26日の記者会見で、安定的な皇位継承の在り方をめぐり、「男女平等、民主主義の社会だから、それを念頭に置いて考えていけばおのずから結論は出る」と語った。女性・女系天皇を容認する発言とも取られ、党内で波紋を呼ぶ可能性がある。


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上級国民・下級国民から、一夫多妻制度について、一言・・・・・千葉真一、中西レイ、浅利慶太、小澤征爾、渡辺謙、酒井忠康氏、

2019-11-23 22:43:24 | 政治

  今は、24日の夜九時半です。下の部分を書き足していきます。*****罫線以下にです。

副題1、今、私は、新しいものを一本、7000字まで、書いて公開をしたところだった。しかし、一時間で、いったん引っ込めている。其れは、その一文の本当の主人公は、exibit Live and Moris のオーナー森さんという男性で、あって、そこから、ギャラリー山口のオーナーみつ子さんが他殺であると、言う証明をしたいからだ。

 みつ子さんの死については、既に、ギャルリーユマニテのラインで、取り組み始めている。三年かかって、ほぼ、結論にまでに至っている。

 しかし、その一連の文章を、日本の山脈、北アルプスにたとえるのなら、南アルプスにあたるのが、森さんなのだ。森さんの方が、ギャルリーユマニテの、オーナー十束(=とつか)さんよりもずっと、複雑な人間である。

 したがって、とりかかりにくいのだ。だが、新潟市内で、死後轢断死体となって、発見をされた大桃たまきちゃん殺しの裁判が始まった。22日は、検察側から、死刑求刑が、発表をされた。

 それで、書き始めるきっかけを得たのだったが、それでも、本日中に、第一章でさえ、完成させられないことに気が付いた。どうか、お待ちいただきたい。

 森さんは、現在は、画廊 exibit Live and Moris を閉鎖している。しかし、相変わらず、美術界にいて、活躍をしている。どういう形で、活躍をしているかというと、秘めた形で、小さな裏工作をしている。・・・・・伊藤玄二郎からの命令に応じて、画家たちと連絡を取っている・・・・・と、私は、感じているのだが、

 この2019年10月5日、鎌倉在住の画家、高橋俊明氏が、K'sギャラリーに現れ、私には、声をかけずに、去ったが、そういう仕組みも森さんが、手配をしていると、私は、感じている。

 高橋さんには、私は、使いかけのロールを三本ぐらい上げている。ロールとは、油絵を描くキャンバス(布地の状態になっているもの)で、170cmくらいの高さ(又は幅というべきか❔)の、キャンバス地が、ぐるぐると、巻いて売っているもの。それを切って、木枠というのに張って、油絵を描くのが、専門家たちなのだ。値段としては合計でも三万円ぐらいのものだけれど、木枠も自分で作れば、そのロールで、6号の油絵(高橋俊明氏だったら、一枚、10万円で、売るはずだと、思うが、)が、30枚ぐらい取れると、思う。そういうロールを、ただで、あげている。

 そのエピソードは、電話で、連絡をしあって居るので、鎌倉エージェントは、把握をしている。で、その高橋俊明氏が、K's ギャラリーで、私と出会っても、挨拶をしないで、無視を続ければ、私が傷つくとみて、銀座に呼び出したと、私は、見ている。その手配を「何時に来なさい」とか、「どこそこで、待機をして居たうえで、私が、ゴーっと、連絡をしたら、あそこの画廊に向かいなさい」などと、時間を含めて、また、演技するべき項目を含めて、高橋俊明氏に納得をさせているのが、森さんであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ところで、この小さな工作においても、私は引っかからなかった。珍しく、「引っ掛かっていないわよ」と、私の方から「あっかんベー」と森さんや、高橋俊明氏に向かって言っておきたい。ところで、K’sギャラリーのオーナー増田きよ美さんが、このはかりごとを、事前に、知っていたか、どうかなのだが、そこについては、今は、まだ、わからないと、言っておこう。ただ、全般的な流れについては、彼女は、十分に知覚をしていると、思われる。が、頭がいい人なので、・・・・・一方、相手としての私も彼女と同じレベルで、頭がいい人なので、・・・・・・お互いに、気が付かないふりをして、過ごしている間柄である。キツネと、タヌキの間柄である』

 高橋俊明という人物が、同じ時間帯に来ていて、私と目が合ったのですね。その時、彼は、ちらっと、挨拶をしようかなあと、いう表情を目に浮かべたのです。

 しかし、その時の彼の服装とか、相貌が、むかし、ロールを我が家にとりに来た時とは、全く違って居たので、私の方が、気が付かなかったのです。しかも、彼が、画廊のドアを開けて、出て行くときは、私は、椅子に座って目をつぶっていたのです。だから、気が付きませんでした。後で、芳名帳を見て、「あ、そうだったのか!」と、小さな謀略の存在に気が付いたのです。⇒、

 これは、思い過ごしではありません。俊明さんよりも長時間、平田清彦という人物が、次の人として、増田きよ美さんと会話を続けるので、長時間待たされた私は、椅子に座って、目をつぶっていたのでした。少しでも無駄な消耗を避けようとしてです。平田清彦とは、作家でもないし、美術評論家でもないのです。だから、実は、増田きよ美さんとそれほどの、長時間話をする必要はない人間です。しかし、彼が、増田きよ美さんと、長時間、会話を続け、私が、きよ美さんと、会話をするチャンスを妨害をし続けたというのが、10月5日に用意されていた謀略なのです。

 そういう謀略の、基本的なアイデアは、野見山暁次さんの秘書、山口千里さんから、森さんへ、伝わっているのか?、それとも、伊藤玄二郎から、直に森さんに伝わっているのか? それとも酒井忠康氏、又は、秋山祐徳太子から、森さんに伝わっているのか?は、わかりませんが、原則を飲み込んだ、森さんが、それに合わせて、人を選び、脚本を考え、それを、相手に伝えて、小芝居を打たせているのです。

 私は長らく、美術9条の会が、私を弾圧するツールとして、機能をしていると、言ってきました。しかし、並行して、引退した画廊オーナーを使って、対・私弾圧用の小細工が弄されているのには、ずっと前から気が付いているのです。平野和子(元、ギャラリー舫のオーナー)、川島某女史(元、村松画廊のオーナー)、黒田悠子さん(元、21+葉のオーナー)、北側順一郎氏(元、モテキのオーナー)などが、同じ目的で、使役をされています。しかし、その中で、森さん(元、exibit Live and Morisのオーナー)は、銀座にオフィスまで、与えられていて、もっとも、頻度高く、対、私いじめ用謀略に使役をされている人物です。其れは、どうしてかというと、それだけ、複雑な、性格と、人格を備えているので、悪事を引き受ける、可能性が高いと、CIA側人物たちに、見込まれているからです。

 ⇒ ロールを取りに来た頃の高橋俊明さんは、奥さんをなくした直後だったかな? だから、やつれていたのです。ところが、その10年以上後の、今年の、10月5日には、まるで、若返っていて、おしゃれな紳士でした。たぶんですが、私がその顔を知っている女性と再婚をして、家庭が、うまく行って居るからでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『ここで、今話題の的らしい書物、上級国民と、下級国民を引用しよう。特にその中の、一夫多妻制度について』

 私はその話題の本を全部読んだわけではないのです。

 しかし、その本の中に書いてある、一夫多妻制の概念、

********************

・・・・・特に現在の日本におけるそれ、については、『おー。そういう風に解釈しますか? なるほど、それって、当たっているでしょうね』と、納得をしています。

 その書物、小学館新書内、で、著者が言って居ることは、上級国民としての男性は、実質的に一夫多妻を実現化していて、一方で、下級国民としての、男性は、未婚で、一生を終わるのだと、書いています。

 その実質的な、一夫多妻の説明の所が、大変に、ユニークなところなのですが、離婚をしても再婚ができるのは、裕福な、かつ、社会的地位の高い男性側であって、離婚をした女性側は、単身親で、終わるケースが多いと、いう点でした。裕福な男性側は、自分の世代よりも若い女性と結婚をするケースが多いので、そういう女性と縁組をするはずだった、若い男性が、あぶれると、いう形になっていて、裕福な男性には、多数の女性と、conjugationをし、子供を産ませるチャンスがあると、いう話に至ります。

 このアンダーラインを敷いた部分は、原著からのコピペではなくて、私の言葉で語る、読み替えです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『渡辺万由美さんの経営する、芸能、プロダクション・トップコート所属の俳優、アラタ、マッケンユウの父親は、再婚で、母親との年齢差が、28歳もあるそうだ。まさしく、典型的、一夫多妻制度下のおぼっちゃまであった』

 私は、初めて、渡辺万由美さんと言う女性を、NHKプロフェッショナルという番組内で、知りました。

 :::::::::ところで、今、私の文章は、鎌倉エージェントと、私のどちらが頭がいいのか? という事を分析すると、言う、二次的な、目的も、内包しているのです。で、ここで、挿入的に語れば、渡辺真由美さんの取材が、8月から始まったそうですから、この番組=プロフェッショナル、渡辺万由美篇も、対・私・狙いで、製作をされましたね』と、わかった。といっておきたいです。それについての説明は、今、ここでは、詳細には、致しません。2020年に入ってからいたします。が、そういう事です。:::::::::

 挿入から元へ戻ります。渡辺万由美さんは、対私狙いで、・・・・・特に京都アニメーション放火について、私が書いていることをつぶすために、・・・・・・登場しているわけですから、これでもか、これでもか、というほどに、高価なお洋服を着て現れたわけです。それは、今の私が、美術評論もやめ、本づくりをもやめ、画家としてのまたは、版画家としての、製作もやめているので、その余裕で、おしゃれを始めているという事を意識して、・・・・・そういう私に対して、圧倒的に勝つレベルの、高価なお洋服で、登場をしてください・・・・・・と、頼まれていたと、感じています。このおしゃれというワードで、政治的分析が可能にもなるのですが、それは、副題6以降で、語ります。

 彼女が最初の画面で、所属俳優の仕事先を訪ねたのは、アラタ、マッケンユウの、仕事場でした。この人は、漢字ばかり使った名前で、活動をして居る存在です。その漢字は、このブログの読者様には、読めないかもしれないと、感じるので、ここには、使いません。ともかく、アメリカで、生まれたので、発音の上では、世界的に、通用する名前を付けられたと、いうわけです。で、私は、民放が制作するドラマ類は、見ませんので、また、娯楽映画も見ませんので、この俳優については、一切を知りません。ただ、余りにも漢字だらけのお名前が、読みにくいので、その点には、関心がありました。

 すると、私の潜在意識をくすぐるかの様に、この俳優について、ネットに、記事が出たのです。私が、遭遇する様な場所に出てきたのです。

 其れは、こういう項目でした、・・・・・渡辺万由美と、中村倫也が、怪しいという件で、ねっとが大騒ぎになっている・・・・・と、言う項目でした。二人は、20歳以上の年の差があるので、それでは、何事にも動じない私も思わず、開いてみてしまいました。結論としては、yes でも、no でもないと、いう結論だったみたいですが、その時に出てきた別の、項目にひかれて、今度は、そちらを、開いてみたのです。其れは、・・・・・二世俳優の、売り出し方が最近、変わってきた・・・・・と、いう文章でした。 一時期は、親の名前を伏せる形で、売り出したのだけれど、最近では、「親は、誰のだれがしです」と、明らかにしながら、売り出していると、いう事でした。

 そこに実例として「アラタ マッケンユウが出ていたのです。お父さんは、千葉真一だそうです。千葉真一は、野際陽子と、離婚をした後で、28歳も若い人と再婚をして、美形の二人の息子を、得て、今、その二人が、俳優として、人気が、出ているところなのだそうです。

 私は、鎌倉芸術館の画廊部分の設計に不満があるので、設計者としての【なかにし礼】を、net surfinをすることがよくあるのですが、氏も、離婚再婚をしています。

 ミュージカル昭和三部作のことで調べた、浅利慶太氏も離婚と、再婚をしています。

 小学館新書の著者が、思い浮かべている、一夫多妻制度の、実行者は、こういう有名人ではなくて、一般人というくくりで語られる存在だが、お金に余裕があるので、最初の妻と離婚をして、次の女性を迎え入れる存在を指すと、思います。

 これから先、まだ、大量に、書かないといけないと、思って居るのですが、本日も疲労困憊なので、ここで、中断とさせてくださいませ。

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皇后雅子様は、お馬のアレルギーだそうで、・・・VS・・・極限の貧しさに在りながら、私達が、ひれ伏す他はない人達△

2019-11-22 01:52:19 | 政治

 私は、2019年11月22日のNHKニュースを見ていて、天皇が馬車に乗って、伊勢神宮・下宮に、参拝をなさる折、雅子皇后は、車で、向かわれた映像が出て、それに対して、NHKが、説明するところによると、・・・・・雅子様は、お馬のアレルギーだ・・・・・そうで、馬車ではなくて、車を使われたそうです。

 私は、このニュースを聞いた時に、ものすごく、たくさんのことを感じました。しかし、時間がないので、ただ、提示だけをして置きます。自分が、この報道に、大きく、感じ入ったものがあるとだけ。無論のこと、プラスの方向で、感じ入ったわけではないと、申し添えておきます。

*************************

 今は、23日の午後3時半ですが、下に加筆をし終わったので、完成とします。で、恒例の△印を、総タイトル横に付けておきます。 

・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・~+=*=+~・

  23日の、午前四時になって、やはり、それを書くべきだと、思い至りました。或る番組を見ることを皆様に勧めたいと、思うのです。9月の放映だったと、思うのですが、

 NHK 教育テレビ、【心の時代】 

午前5時00分午前6時00分

こころの時代~宗教・人生~「長崎の祈り―水がめを運ぶ人々に導かれて―」

【出演】カトリック長崎大司教区 司祭…古巣馨

 この方が、自分が、感じ入った、三人の人を取り上げます。その三人に関するエピソードは、どれも感動的なものなのですが、私が特に驚いたのは、ご自分のお母さんが、若い日の、司祭さんに、浜辺で、夜の九時ごろ、語りかけた言葉なのです。

 其れは、この世で、初めて聞いた類の言葉でした。ちょっと、忘れられない言葉なのですが、「宗教家になろうとしているんだね」と、銀座のある画廊のオーナーに言われたことのある私でも、「そこまでの、深い境地には、まだ到達していませんね」と、いうたぐいの言葉です。そのお言葉の種類ですが、労働に関するものです。

 もし、オンデマンドで、請求できるのなら、どうか、請求して、ご覧になってください。NHKの、キャッチコピーをよんだだけでは、とても、そのエピソードの素晴らしさが、伝わってきません。

 番組の前半で、つまらない話だと、思って、視聴をやめないでくださいね。確かに、前半は、大した話ではありません。昔は、過酷な弾圧下でも、生き延びてきた信仰が、自由な現在では、却って、衰えているそうです。「其れは、そうでしょうね」と、うなずくばかりです。その、信仰を生き伸びさせるために、演劇をやっているのだそうです。しかし、そこまでの話は、さして、大した話ではありません。よくある、やり方の一つです。

 しかし、番組の後半がすごいのです。

 すごい人が、三人も、登場するのですよ。一見すると、貧しいし、社会的地位とか身分としても、さげすまれる様な立場の、幼女一人と、50歳ぐらいの、男、女、ふたりについての、お話なのですが、・・・・・最後まで、聞くと、・・・・・その人達に対しては、私達は、ただ、ただ、ひれふすばかりですね。・・・・・という様な気持ちになるのです。そういう三人について、お話をなさるのです。

 ところで、私は最近、労働の話をよくします。小学校、一年生の時に、お高く留まっていて、お掃除をみんなと一緒にやらなかったので、通信簿の「労働を尊ぶ」という欄が、今でいう、2が付いたこと。当時の言葉で言うと、「やや劣る」が付いたこと。其れを、母が面白がって、後々まで、うちの中だけですが、笑い話にした話などのことです。

 ただ、母のいいところは、先生には、絶対に逆らわなかったこと。文句などいうはずもない人だった事。親戚に、校長先生とか、高校の先生ばかりという立場ででも、絶対に、担任の先生を大切にしたという事。其れは、子供にとって、とても、助かることでした。

 だから、私は教室内では、先生にも友達にもいじめられなかったです。外では、いじめられたことがあるけれど。でもね。六年生の時に、遊びに行ったら、その、昔は私をいじめた子でさえ、大歓迎をしてくれました。いい学校だったと思います。船橋市立塚田小学校と、言います。

 その同じ先生=石倉操先生=が、母に、後日(というのは三年生になったとき)、「これから、横浜日吉の小学校へ行くのだったら、今までの、通りではだめですよ。ちょっと、横着になっているところがあります。なんでもすらすらできるから、世の中をなめています。だけど、もう、それでは通りませんよ。何事も、丁寧に、一生懸命やる様に、お嬢様によく言ってくださいね」と、おっしゃった話と、ちょっと似てはいるのです。

 が、司祭さんの母君が、息子に語った言葉の方は、一万倍ぐらい、深い知恵が、こもった話です。そのお母さんが、もし、私の実母だったら、私はすでに、一万回は、叱られているはずです。

 でも、労働に関して、また、ほかのことに関しても、母から、子供時代には、叱られた覚えがあまりないのです。私は、たぶんですが、母や父に、生き方を、操作されていたのです。お成績がいい子になるようにと。だから、自分の家の中では、お掃除などを、やらされたことがないのです。

 でも、それでもね。あの人たちは、いい両親だったと、今では、思いますよ。特に夫婦として、助け合って、寄り添って、落としどころを見つけて行った形が、よかったです。それを見ているから、晩年の、夫婦の過ごし方についても、モデルがあるので、それを踏襲をしています。喧嘩もしていたけれど、真実の愛情をお互いに持ち合って居たと、思います。

 ただ、40過ぎてから、「日吉の、布団やで、1500円の、三つ折れに縫ってあるマットレスカバーがあった。あまり売っていないものなので、この日吉で見つかって、よかったわ」と、実家で話したら、「安物、買ったらだめよ」って、叱られた記憶があるけれど。は、は、は。母は高収入の人で、私は、低収入の人だから、その点では、価値観が全く違うのでした。

  • 字幕放送字幕放送

 その番組をご覧いただきたいのです。すごく深いエピソードが、三人分出てきます。終わりの方にですが・・・・・

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5720967です。

 2019年11月22日、深夜、雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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19-11-21日に、遂に、渡辺幸子さんの腰の異様な曲がり方について、書く・・・+・・・佐野ぬい、中島三枝子、野口いづみ

2019-11-21 12:07:42 | 政治

副題1、『26時間以上眠気が、訪れない。その原因を今考えている・・・・・・最終的には、36時間も、眠気は、訪れなかった。本章の、副題6に書いている問題を書き表すかどうかに、ついて、迷ったからだと、思う』

 昨日の私は、スーパー歌舞伎IIを見てきて、かつ、それが、昼の部だったので、終わった後で、画廊巡りをしています。前報で、言って居る通り、美術評論家としては、活動しないと決めているわけなので、見てもしょうがないとも言えるのですが、作品を見ることが好きなのです。一年間、もしくは、半年かけて、その人(=美術系作家)が一生懸命作った作品を見ていると、心が洗われてくるからです。

:::::: ここで、ちょっと、画廊様へ向けて、の、個人的お断りを書きます。私が案内状を欲しがるのは、それを美術評論家として、利用する為ではありません。将来、自宅を個人美術館(又は、画廊喫茶)にする夢があるからです。そこに、検索カードボックスを置いて、膨大な数の案内状を、あいうえお順に整理して、置く夢があるからです。部屋はすでに、二部屋(16畳と12畳)準備してあるのですが、それなりに、付帯設備がいるのです。ほとんどお客が来ないであろうに、家族用の台所とか家族用のトイレは、使ってはいけないと、法律(?)で、なっているからです。だから、今、そのリフォームをするお金がないので、開設できないのですね。でもね。食品を扱う資格も取ったし、着々と、準備は進めているのです。そういう私の夢を裏切るために、神奈川県立近代美術館は、葉山に引っ越してしまったわけでしょう。別館も閉鎖だそうです。きっと、これも、酒井忠康氏が、準備してね。我が家って旧本館の、至近距離、真西の水平・垂直・距離30メートルに、あるのです。

 デジタル全盛の時代ですが、紙の資料もいいもので、コーフィーカップ片手に、数多い案内状をお客様にめくっていただくのが夢です。もうかる筈もない仕事なので、人件費も私が出さないといけないので、宝くじが当たったら、其れをやろうと、毎回、宝くじを買って居ます。(苦笑)

・・・・・するとね、早速、石塚雅彦さんが、私をからかうために、宝くじが当たった人の【末路】という本を、日経BP社に作らせました。私って、ありとあらゆるチャンスをつぶされると、言う、いじめを受け続けている人なのです。まあ、深い怒りは持っていますが、泥棒でも、いじめでも、発見したその日に即座に其れを書くわけではありません。だって、考える人、そして、それを文章に落とさないと先へ進めない人としては、常に、明鏡止水の境地にいないといけないので、よほどのことがないと、リアルな形での、喧嘩にはもっていきません::::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。

 2005年ごろには既に、気が付いていた激しい弾圧は、この2019年10月13日まで、続いているのですが、その15年間に及ぶ、激しい弾圧下でも、きわめて、元気に生き抜いたのは、一つには、最先端の、美術系作品を見ることで、心身をリフレッシュさせられていたからだと、考えております。今は、毎週は行って居ないわけですが、あの頃、学び取った生きて行く技術的流れは、園芸をしていても、使っているし、お料理をしていても、使っていて、上手に、心身をリフレッシュしつつ、生きています。だから、このブログでは、暗い事ばかり書いているみたいですが、実は、結構明るくて、元気です。

 自分でも、77歳まで、生きるなんて、夢にも思いませんでしたよ。69歳ぐらいで死ぬだろうなあと、予測をしていたのですが、10年余計に寿命をもらったというわけです。しかもは母や叔母たちと同じく、90歳は、優に超すかもしれないし、100歳を超すかもしれないのです。弱そうに見えるのに、105歳まで、生きたという血縁のあるおばなどが、居ますので。

 ここで、このブログを書きつつある、21日の時点に戻りましょう。エネルギーが、充満し過ぎて、眠れないと、言うよりも、或る気がかかりな事があるので、眠られないと、考え始めました。気がかりな事とは、渡辺幸子さんについて、後、二つ、書きたいことがあるのですが、それを書くべきかどうかについて、大きくためらって居るからでしょう。それが、気がかりなことというわけです。でも、これから、書くことは、政治的分析としては、小さいテーマです。前報(直下に置く)の方が、ずっと内容が、大きくて、充実しているはずです。

渡辺幸子(青木繁大賞受賞者)、栗田玲子(ガレリアグラフィカオーナー)、長谷川智恵子(元日動かさま美術館館長)、宇都宮和代(元、佼成学園の先生)   2019-11-20 21:40:20 | 政治

 これから、書くことは、本当は、今の時点では、書きたくないことなのですが、それを書かないと、どうしても、眠りが訪れないみたいだから、書くだけです。

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副題2、『昔、私はある人から・・・・・あなたは、結局は、美術評論家ではなくて、宗教家になりたいんだね・・・・・と、言われたことがある。だから、美術評論をやっても、お金を儲けられなくても、平気なんだね・・・・・とも。私は、思わず「そうかもしれません」と答えた。別に教祖様にまで、なろうとは、思わないけれど、天の采配という事は、深く信じている。これから、書くことは、二重の意味で、天の采配を、感じ取ったエピソードなので、ここに、書いて行くのだ』

 私は、画廊巡りをやめてしまって居るのだけれど、歌舞伎座・昼の部に行った帰りは、画廊が閉まる、時間まで、三時間以上あるので、画廊に寄ることにしている。歌舞伎座の在る、三原橋交差点際から、新橋駅まで、歩く途中に、画廊が何軒か、あるが、もっとも最初に、目に入るのは、ガレリアグラフィカだ。ここ、四年ほどは、オーナーの栗田玲子さんについて、あれこれ書くので、その画廊には、寄らないことにしている。たいていの場合、室内は無人だから、それで、ただ、すっと前を通り過ぎる。、数人

 しかし、その日だけは、画廊内に数人のお客さんが居た。そして、道路側の壁のすべてが透明なガラスでできているので、絵を見ただけで、それが渡辺幸子さんの個展であることはmわかった。なお、夜は、頑丈なシャッターが下りて、盗難予防が、できる様になっているのだけれど、昼間は全開放と、言ってよいほどに道路から、よく見渡せる室内と、なっている。

 で、渡辺さんと、私との関係なのだけど、前報(上に置いてある)以降、覚えているだけで、三回ほど、ひどいことをされているので、絶対にあいたくない相手の一人だった。しかし、偶然の、一致だなあと、思った。

 しかし、ここですが、今、考え直すと、違う、様相も見えてくるのです。歌舞伎座の昼の部を見た帰りに、必ず、画廊に寄ることを、研究されつくしていて、渡辺幸子さんが、鎌倉から、呼び出されていた可能性も感じます。本日などは、そっちの方が、正しい事実だと、思いますよ。でもね。わざわざ、鎌倉から呼び出されたとしたら、気の毒な事です。あんな姿を私に見せることは、彼女自身の、望みではなかったと、思います。

 その日は、月曜日ではなかったので、彼女が来ていなくても、別に構わないと、言う慣習があるのです。普通の場合、ランクが高い画家だと、他者からみなされていれば、初日の月曜日だけ、詰めていれば、許されるものです。その日は、水曜日だったか、木曜日だったでしょう。

 だから、・・・・これは、私にわざわざ、会わせるために、彼女が、鎌倉から、呼び出されたのだな。これは、私に対する一種の罠だ・・・・・と、そういう風に考えて、画廊の前を、ただ、単純に通り過ぎてもよかったのです。

 しかし、その日は、別のかたちの解釈をしました。常に性善説で、考えるので、渡辺幸子さんが、わざわざ、鎌倉から呼び出されたとは、考えず、ここで、出会ったのは、天の采配でしょう。ここは、あって帰るべきでしょうねと、考えたのです。

 個展の主役である画家が、入って来たお客に失礼なことをするわけもないので、私は安心して中へ入りました。ここで、ほかの画廊で、とんでもない、失礼な目に出会った話へ入ります。舞台は、画廊るたんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『中島三枝子さんが、ひどいことをしたので、佐野ぬいさん(女子美の学長)が、数多くの謀略的・殺人事件を行った殺人集団の、一味となっていると、ここで、言わないといけなくなった。直近のものは、カリタス小襲撃事件であって、学生服を着て襲ったとされる、引きこもりの、51歳の男は、二人を刺殺していないはずだ。ほかに学生服を着てどさくさ紛れに外交官と、少女を殺し、犯人とされる男も殺した、人間が、数人いたと、思って居る。また、さらに、直近のものは、京都アニメーション放火だけれど、こちらは一人も死んでいないはずだ。

 この手の事件の端緒をなしたのは、周南事件であって、山口県、周南市、金峰という山間の、限界集落で、五人の老人が、殺されたのは、確かだ。しかし、これも保見はやって居ない。一審と、二審で、死刑になっているが、あれ程の、大騒ぎだった事件の判決を、東京のNHK ニュースウォッチでは、一切報道しなかった。そして、事件が起きた当時は、平成の八墓村事件として、大げさに、週刊誌等が、書きたてたのに、今では、その名前は、使われず、周南事件と呼ばれている。カリタス小、通学バス待ち行列襲撃事件も今では、川崎殺傷事件と呼ばれている。

 これは、鎌倉エージェント(=伊藤玄二郎と、いまだ生きている、井上ひさし)が発案した謀略事件に共通する特徴の一つで、事件が起きた時は、大炎上をさせて行くくせに、私が真実を見破って、続報を何篇も書くと、ああ、嘘を貫き通せないのだと、なって、急に事件の呼称を変え、かつ、できるだけ、フェイドアウトするように、もって行って居る。それが、一大特徴なのだ。

 今現在、新潟で起きた、大桃たまきちゃん、死後轢断事件の裁判が進行中だそうだが、一審の初日、の、NHKニュースでは、大桃たまきちゃんという名前が、一切出なかった。これも、小林遥という青年は、やって居ない筈で、白い車に乗っていた殺人集団がやったとみている。ただし、小林遥は、何らかの、ご褒美を裏から、約束されて居る存在なので、死刑になっても控訴せず、服役するはずだ。そして、米軍機、もしくは、自衛隊機で、海外へ逃亡をさせられ、現地で、ひそかに殺されると、推察している、遺体は、絶対に発見をされないレベルで、始末をされるだろう。

 ともかく、佐野ぬいさんは、殺人集団と、連携する鎌倉エージェントの一味となってしまって居る。どうしてかというと、中島三枝子さんの態度で、それが、わかるのだ。

 その前に、何故、佐野ぬいさんが、中島三枝子さんに、私の悪口を告げたか、その裏側を、もう一回語っておかないといけないだろう。佐野ぬいさんはラグノー佐々木という弘前の、お菓子屋さんの、お嬢さんだ。実弟に、くめおちゃんという男の子がいて、その人物が、国際基督教大学、1962年入学組で、私とたった、23人しかいない、一年時の英語のクラス(といっても、一日、四時間は、一緒に英語を勉強する。ほかの教養課程履修時間もほとんどが、一緒のクラスで学ぶので、全部合わせると)一日、六時間以上、一緒にいた仲だったが・・・・・

 このくめおちゃんが、寮、ラグビー部、それから、クラスも一緒にしたのが、古村浩三君である。古村君は、私のパソコンにシステム異常を、50万回以上起こしており、私のパソコンが、25台以上、壊れた、原因者の一人なのだが、その後ろ(というか、上流)にいるのが、石塚雅彦さんだ。石塚雅彦さんとは、堤義明さんと従兄だとも思われる。義明さんの、実母は石塚姓だ。1967年、国際基督教大学卒で、日経新聞論説委員とか、早稲田大学法科大学院教授を務めている。この石塚さんが、直接、伊藤玄二郎と親しい。又は、川名昭宣(元、河出書房新社勤務の編集者)を、通して、伊藤玄二郎と、つながっている。で、伊藤玄二郎をたすけるために、あれこれ動いて、古村浩三君を通じて、又は、ラグビー部の先輩と、後輩の縁を利用して、佐野ぬいさんに、私を弾圧する、センテンスを与え、「あなたが、関係しているところに与えて、彼女を弾圧するのをたすけてください」と、言って居ると、思われる。

 しかし、ここで、言いたいのだが、ラグノー佐々木って、庶民に愛されないと、売り上げが伸びない職業=お菓子屋さんだ。しかし、私を弾圧する人たちは、もしその人間が、もともとの、形で、善人だと、天からおしかりを受ける。それを知っていて、その手の行動をとっているのだろうか?  ・・・・・・ここに、数多くの事例を私がすでに書いていますが、危ないですよ。実家の為に、そんなことをなさっては・・・・・と、私は思うのだけれど、佐野ぬいさんも、おとうとのくめおちゃんも、これを毎日は、読んでいないと思われるので、平気で、いじめ軍団の言う通りの行動をとる人なのだ。

 ところで、私の方だが、月刊ギャラリーの連載をたった、一年で、終了させられるという屈辱を味わわされなかったら、また、山口みつ子さんが、殺されて居なかったら、佐野ぬいさんの名前をここでは、出さなかったと、思う。だけど、美術界の仕事を、全部奪われるという弾圧を受けたので、美術界からは、去っている。で、そうなると、私と佐野ぬいさんの、社会的ランクに上下はなくなるのだ。

 佐野ぬいさんが、女子美の学長であろうが、そうでなかろうが、「ああ、そうですか。ところで、それが、どうしたんですか?」と、いう程度のことに、私にとっては、既に、なっているのだた。

  なお、ここで、やっとだが(というのは、事が起きてから、六年目だが)、中島三枝子さんが、行ったひどい事というのを書く段階に、到達した。彼女が、国画会の、当時、準会員だった、何とかさん(=野口いづみ)に、画廊るたんで、「さっき、あげた名刺を返して、もらいなさい」と、言ったのだった。私の目の前、一メートルも離れていない場所で、そう言ったのだった。あきれ返るほどに、私を軽蔑し、差別していると、言う事を表している。2013年の、一月13日だったと、はっきり覚えている。

 名刺をもらったのは、私が野口いずみさんの作品を見て、口から出した言葉(いわゆる美術評論)が、すべて素敵だったので、名刺を、向こうから、自発的に、くれたのだった。其れを「返してもらいなさい」と、三枝子さんは、言う。

 私は、文章を書くという形での、美術評論は、既に止めている。しかし、画廊内で、いい作品に出遭った時は、製作上の工夫を質問をするという形で、・・・・・その作品を高く評価しているのだ・・・・・と、言う暗喩を放っている。それが、作家には、うれしいはずだ。現代アートって、オリジナリティが大切で、作家は、すべて、自分の作品が、この地球上で、初めて生まれた、オリジナルな作品であることを信じて、かつ、それを、誇りにしている。其れを正鵠を得る形で、導き出してあげるのは、彼等にとっては、非常に、うれしい事の筈だった。

野口いづみの作品は、普通の絵でも、彫刻でもない。布と、接着剤(又は、プラスチック系、粘液)を使った特殊な作品である。

 が、おくから出てきた中島三枝子さんが、意味ありげな目くばせを、その作家に向けて、放ちながら、「この人に名刺を渡しては、だめなのよ」と、言った。

 私は、2010年の、一月17日にギャラリー山口のオーナーみつ子さんが、殺されて以来、美術評論をしないと、決めている。だから、野口いづみの名刺をもらっても役立たないので、「返して、ください」と、彼女に言われたら瞬時に返した。そして、画廊を去りながら、『三枝子さん、わかったわ。だけど、将来必ず、佐野ぬいさんが、殺人集団の一味であると、いう形で、文章を書きますからね』と、内心で決意をした。

 しかし、中島三枝子さんは、私の文章を読んだ事がないらしい。したがって、黙って去る私には、自分の方が勝ったと、感じたらしいのだ。で、手柄がおで、関係者に、「彼女(=私の事)って、すごすごと帰りましたわ。やっつけてやりました。お役に立ちましてよ」とでも、言ったらしい。

 私は、自分側の損失が、その日以来、急に大きくなったので、それはすぐわかったのだが、六年間も、何も語らずにいて、過ごしてきた。というのも私は計画的に文章を書く人ではないからだ。神様が、描かせてくださる作家だからだ。神様は、名刺の件については、本日まで、それを書けとは、おっしゃらなかった・・・・・と、思う。特に佐野ぬいさんと絡めて、書く様には、おっしゃっていなかったと、記憶している。

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 ここで、やっと、渡辺幸子さんが、個展をしていた、非・月曜日に戻ろう。

副題4、『渡辺幸子さんの姿を、数年ぶりに見た、私は、何かが変だと、感じた。彼女は、腰のところで、私側から見て、右斜め方向30度から、60度の角度、で、上半身を曲げていた。其れは、普通の老女には、ありえない角度だった。しかも、その上半身は、15~30度の角度で前がわ に、倒れてもいた。黒い洋服を着ているので、ナナフシ虫みたいな、ある種の昆虫を思わせた。とても、不思議な感じを受けて、どうしたの?と、質問をした。

 彼女のことを一歳上だと、ずっと、今まで、話してきたが、もしかしたら、間違って居て、五才上なのかもしれない。ともかく、首のところが、老人となると、しわしわになる。それで、それを隠す工夫をしたりする。また、猫背が、ひどくなったり、上半身が、前側に、90度曲がったりする。昔の老婆は、そういう形で、杖をついて居たらしい。其れを、童話とか、絵本で、発見することができる。

 しかし、渡辺幸子さんの、様子は、それらのどれとも違って居た。黒くて、おおきな昆虫が、画廊の中で、飛んでいるとか、黒い紙飛行機が、画廊の中に、置いてあるという印象を与えた。彼女は、最初期のスチュワーデスなので、女性としては、背が高い方だ。165cm以上だと、思う。足も長い。その体で、腰の所で、急にぽきんという形で、鋭角に斜め前と、斜め横に向けて、折れているのだった。

で、思わず、質問をした。どうしたの?と。

 すると彼女は、「腰を痛めたの」と、言った。よく腰痛を訴える人がいるが、そういう人とも、100%違って居た。この事を書くかどうかを、20日の段階で、又は、以前にも何度も、迷った。ただし、20日の段階では書かず、それゆえに、合計32時間も寝られなかったの。

 他の弱点も知っている。私は渡辺幸子さんが、ひそかに、秘めて、悩んでいることを、数個知っていた。仲がよかった時期は、私が、彼女の相談相手とか、メンターの役目を引き受けていたのだった。五歳年下でも、私の方が、彼女の相談に乗り、解決策を提示していた。これは、ほかにもあるケースで、私は、苦労をした結果、最強のカウンセラーと、も、すでに、なって居るのだった。しかし、そちらの方は、ここには明かさない。

 お医者さんや、弁護士の様に、他人の秘めた弱みは、相手から、裏切られたとしても、書きたくない。

 しかし、この腰の曲がり方は、『直らない(又は、治らない)のではないか』と、私には、思われた。彼女の家は、鎌倉駅から歩いて、50分は離れている丘の上に在る。で、彼女は、そこから、さっそうと車で降りてきて、実家まで、出てきて、そこに駐車し、実家から、駅まで、歩いてくるという形式で、長年活動をしていた。庭には、以前は、乗り回していたロールスロイスが、置いてあり、画題の一つとなっている。

でも、この曲がり方が、固定化されたものだったら、運転はできないと、思われた。助手席側に、上体が斜めに、倒れ込んでしまうからだ。また、前方向にも、15度ぐらいで、倒れ込んでいるので、ハンドルに体が、ぶつかってしまう。

無論のこと、ご主人が引退しているし、愛情深い人なので、運転手を買って出てくれると、思う。

 でも、『ああ、天の采配って、こういう形で、現れたのか』と思った。実は渡辺幸子さんが、私を苦しめた、現象はまだ、まだ、ほかにある。五個ぐらいある。すさまじいことをやられている。恐ろしいことほど、後回しにするので、まだ、まだ、書いていない。でも、書く気が萎えた。そして、「渡辺さんって、ある程度以上に善人だったのですね」と、思い至った。私に対して、ひどいことをして来た人の内、善人には、災禍が下りるのだった。悪人の方は、何をやっても災禍が下りず、ピンシャンしている。

 あの腰が治らなかったら、バスの出口さえ、通れるかしら?というぐらいだった。特に渡辺さんの住む山に向かうバスは、小型なので、入り口も、出口も狭いだろう。あのままでは、横幅が130㎝は、あるので、入れないだろう。まず、上半身だけ、横向きで入れて、そして、足を、前向きにそろえなおして、今度は、腰から下を入れる。そう言う二段階動作で、入ることができるかもしれないが、入り口から入って、出口まで、通るだけでも、混んでいる時間帯では、遠慮すべき、身体状況になっている。

 ただし、こういうハンデを負ってしまった人のことだから、それを書き表すのは、大いに、ためらわれた。

 それが、36時間も寝付けなかった原因だと、思う。

 しかし、それを、書かないとならないと、いう気持ちもあって、その逡巡とまよいが私を寝かせないと、思って居て、到頭、この件を書いた。 

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渡辺幸子(青木繁大賞受賞者)、栗田玲子(ガレリアグラフィカオーナー)、長谷川智恵子(元日動かさま美術館館長)、宇都宮和代(元、佼成学園の先生)

2019-11-20 21:40:20 | 政治

副題0、『この章を書くにあたってのお断り』

 前報ですが、書いた初日は、非常に気が楽でした。亡くなった方を書くのは、自由自在ですね。しかも有名人です。私は、黒澤明監督と、勝新太郎の、衝突は、黒澤明監督の方に、非があると、感じています。そこから、自分自身の、不遇を、こういう風に考えたらいいのだと、いう考えに達しています。そこを前報から、こっちへ移動をさせてくださいませ。~~~~~~~~~~~~ で、この・・・・・番組【アナザーストーリー、黒澤明監督、VS 勝新太郎】を見た感想は、・・・・・「若い日に、名誉を得てしまった黒澤明監督は、却って不自由だったのですね」という事です。・・・・・そして、自分のことを、こう考えました。・・・・・私には名誉も社会的地位もない。でも、自由がある。何のといえば、精神の。私は誰に対しても、金銭的に、責任を負う立場にない。という事は、換言すれば、誰も、私を束縛するものが無い。これは、結構、幸せな事だ。非常にうれしい事だ。それに気が付かされた・・・・・と。     『私の一生とは、結構、ぜいたくな一生だったのかなあ』とも、気が付かされました。価値観の違いですが・・・・・まあ、創作の上では、自由が大切です。黒沢監督には黒沢組という家来陣(集団)が居た。それが、却って、重荷ではなかったのかなあ? そういうお取りまきがいるからこそ、自分が、【かつ新】に負ける状況は許されないと、お思いになったのではないかなあ。二人の衝突劇は、黒澤監督の方が狭量に見えますよ。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『どっちが上なのかと、いう覇権争いと、いうか、マウンティングの問題で、周辺から尊敬をされている人物程、器を、大きくしなければいけないのだが、往々に、して、そうなっていない。学校の先生の器が小さいと、子供が大きな被害を受ける』      こういう事は、よくありがちです。私が最近書いている、担任の教師(鬼面冠者というあだ名だった)が、本間君という・・・・・特に体が小さい、だけど、ヴァイオリンは、1955年当時、小学生だけのコンクールでは、全国五位、以内に入っていた・・・・・を、苛め抜いたのは、本間君のお母さんと、ご自分(男ですよ)との間の上下関係に関して、何らかの、人に言えない、怒りがあったからだと、思います。【かつ新】も、無邪気なだけだったのでしょうが、本間君のお母さんも、自分が、それほどに、深く先生の怒りを買って居るなどと、まるで、気が付かない人だったのです。それと、学校から、たった、五分程度の距離に住んでいたので、しょっちゅう、学校に来ていたから、いけなかったのですね。本間君が、小学校時代の担任は、それが通る相手だったが、中学の先生は、音楽が好きな人だけに、却ってまずかったのです。本間君のお母さんは、戦前に音大を出ていたと仮定をすると、先生の方が声は、いいけれど、音大を出ていなくて、理科の教師であるという事で、何か、先生の、どこかを悪く刺激したのだと、思って居ます。本間君の、人生とか、生きる力を奪い取ったのですから、ひどいいじめでした。     黒沢監督って、ある時期から、サングラスを常に着用していますね。其れは、何かを恐れていたからだと、思います。いろいろ、心に負担がある人だったのです。偉い人ほど、引退時期を、ご自分で、決定しないといけません。特に黒沢組などという家来集団を抱えていてはね。    ~~~~~~~~~~~~~

副題2、『自分の方が、上だと、ずっと考えていたのに、突然にある日、年下の人間が、意外と能力が高くて、自分より、上だと、気が付いたりすると、たいていの人は、ドキッとしたり、ぞっとしたりするものだと、思う。しかし、その発見時より前の、人生経験が、どうであったかによって、その時の態度が、全く違ってくるものだろう』

・・・・・・・この・・・・・ずっと以前から、自分としては、相手を下だと、思っていた人間が、ある種のポイントで、自分より上だと、発見した時に、相手の、あれこれが、すべて、癪の種になるというのは、2002年ごろの、渡辺幸子さん(ICU卒の画家で、青木繁大賞を取っている女性。鎌倉在住で、フェリス卒。私より年上)と、私との間で、見られたことです。   其れは、詳しく書いた過去文章があるはずですが、見つかったら後注1として置いておきます。   あの時は、いじめられた私の方が、彼女の前から去りました。二人は、同じグループ展(同窓会展)に所属をしていたのですが、そこを、私の方が去ったのです。それで、彼女は、びっくりしてしまった模様ですよ。そういう決断を私がとるとは、思いもよらなかったみたいでね。   ~~~~~~~~~~~~~~

副題3『渡辺幸子さんは、そのトラブルの後で、ガレリアグラフィカで、個展をしている。特に青木繁大賞展は、賞金が、100万円であり、かつ、画廊で、企画展を催してもらえることになっている。その受賞展であっただろう。その前、シロタ画廊で、初個展をした時は、個展に向かうマナーや、システムについて、彼女は、私に助言を求めたほどだった。彼女は、結構、気の弱いところもある。それが、ご主人にとっては、かわいいところだと、思うが、・・・・・しかし、彼女が敵意を抱いて、攻撃してやろうと思った時に、すごい顔つきと、言葉遣いには、本当に驚くほどだ。そこに、JALのスチュワーデスだった過去がにじみ出ている。女の世界で、色々あったのだと、思う。初期のスチュワーデスは、女の職業としては、花形だったので、勝気で、優秀な女性が多く就業をしていて、したがって、その中での、競争心とか、マウンティングの、発露は、華々しかったのだと、思う。そういう世界で、展開する女性特有の行動様式と、私自身の生きる手法は全く違うのだけれど、彼女は、私が、どういう手法で生きていて、どういう考えを持っているかなど、全く理解をしていないと、思われる。     そのガレリアグラフィカでの個展を、彼女が、準備していたころだったと、思う。2005年ごろだったと思う。当時の私はニューヨークの美大の大学院で、美術理論も学んできていたし、メルマガ内で、英語で、美術評論も書いていたほどだから、多数の画廊を巡って、作品を見ていた。一つの画廊で、2つの展示室がある場合も、両方とも見ていた、そういう時期である。     で、ガレリアグラフィカの場合だけれど、1階と2階の2つの展示室があって、1階は、ある作家の個展をしていて、2階は、オーナー栗田玲子さんが、所有している有名な作家(特に外国の有名人)の作品が、アンソロジーというかポートフォリオというか、グループ展というか、という形で、展示してあり、そこもちゃんと見ていた時期だった。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ガレリアグラフィカの2階に行ってみると、酒井忠康氏と、栗田玲子さんが、テーブルをはさんで、すでに座っていて、そこに、私がドアを開けてはいるという形になった。私が入ると、ほとんど同時に、渡辺幸子さんが入ってきて、部屋の中央に置いてある、4つの椅子に、座る様に、栗田さんが、勧めた。私は、既に、知り合って居るつもりだったが、挨拶さえしてもらえず、無論、椅子も勧められず、ものの見事に、恥をかかされた。これは、色々なところで、繰り返される心理的手法を用いた、いじめなのだけれど、この日ほど、見事なタイミングで、かつ見事な設定で、準備をされていた事は、無い。     栗田玲子さんが、教育大学の西洋史学科の卒業生であって、私の高校の同級生の、宇都宮和代さんと言う女性が、お茶大の西洋史学科の卒業である。二人はイタリア留学済みという事で、仲良しだと、思う。イタリア大使館主催の、留学済み同窓会などがあるだろうし。というわけで、伊藤玄二郎発、栗田玲子さん主導で、私は、2014年東京タワー下、豆腐屋うかいで、行われた、同期会で、上のケースよりももっと激しい形で、恥をかかされた。お歌を道具として使った形だったが。もし見つかったら、後注2として、以前に書いた文章を、置いておく。    勿論のこと、こっちのケース=お茶大付属高校の同期会の方=は、別のライン(=学習院のルート)もあるので、確定的なことは言えないのだけれど、当夜の電話から考えると、宇都宮さんに、栗田玲子さんが、助言をしてあの下品で、恐ろしい罠が設定をされたと、見ている。当日、11時から、二時まで、クラス会があり、三時から、五時まで、同じ、れすとらん内喫茶室で、二次会をした。その間、私は、いつも通り、リアルな生活では、喧嘩をしない主義だから、平静を貫いた。その上で、帰宅してから、夜の九時に、宇都宮さんに、電話をかけて、「栗田玲子さんって、知っている?」と、問い合わせた。すると、宇都宮さんが、「知らない」って、どなったのだ。これは、お茶大付属高校の卒業生の間ではありえないマナーであって、私は直観として、やはり、後ろに、栗田玲子さんが居たのだと、理解をした。こういうケースだけれど、普通の場合だったら、宇都宮さんは、「あら、知らないわよ。あなた、どうしてそういう事を聞くの?」と答えるだろう。しかし、当日の午後から、夕刻にかけての私の態度を見て、別の友達が、「白ちゃんは、すべてをわかっているよ」と、行ったと、思われる。この別の友達って、宇都宮さんと、ヒマラヤトレッキングをするほどに親しい人だ。     で、宇都宮さんは、私からの電話に上手に返答をするつもりだったと、思うが、こっちもそういう宇都宮さんの心がわかるので、単刀直入に、「栗田玲子さんって知っていると?」と、質問をしたのだった。罠本体のことは、一切ぬかして、最も大切な事だけを聞いた。だから、宇都宮さんは、想定外の、事態に直面して、パニックに陥ったのだった。だって、ひどいことだもの。すさまじい下品さだった。そんな罠をお茶大付属高校卒業生同士でしかけるなんて、ありえないというほどの、恐ろしい罠だった。私がここで、言って居ることが正しいからこそ、2016年と、2018年の同期会に、宇都宮さんも、その親友で、当夜、彼女に「白ちゃん(高校時代の私のあだ名)は、すべてを、わかっているわよ」と注意したであろう、別の友達も来ていない。     しかも今、電話ほかの、当時のエピソードを書いている最中に二度ほど、書いた文章が消えた。だから、これ=====栗田さんが、お茶大付属高校、36年卒のクラス会をめちゃくちゃにしていった======は正しい。     ところで、どういう手法で、文章を消すかというと、私には見えない形で、彼等にとって、都合の悪い部分を【青い色に、なる形】で、選択する。その次に、エンターキーを押すと、同時にdelete キー機能が働くように設定をして置いて、それら、数種の機能が、一つのアイコンで、利くようにしておくのだ。それで、簡単に誰にでも、私の文章を消すことが可能になる。    栗田玲子さんが、やったことは、ほかにもたくさんあるのだけれど、ここは、この二つのエピソードだけで、まとめたい。

 上の方の、画廊内でのエピソードが、私狙いのいじめ用罠だった、というのは、その後、栗田さんが、壁の位置をずらして、応接セット部分が、外部から絵だけを見に来る人には、見えない形にした事で、正しい考察だと、わかって来る。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~     副題5、『さて、場面は変わって、鎌倉駅のトイレ(表駅側)に移る。しかも、そのトイレは、改修前で、壁が薄い状態であったころの話だ』

 ここで、渡辺幸子さんと、2002年で、大トラブルが発生した、時点に戻ります。      その・・・場(大学同窓会展というグループ)を去る・・・という形は、反抗とか、抗議の形としては、結構、強い事なのですね。それでね、鎌倉駅のトイレの中で、しかも、夜の、10時半に、偶然に出会った栗田玲子さんから、「川崎さんって、怖い人だっていう評判よ」といわれることとなります。栗田玲子さんって、銀座の、有名画廊、ガレリアグラフィカのオーナーです。山本容子をお手持ち作家としている画廊です。

 私は『ああ、裏で、渡辺幸子さんがいるわけですね』と思うわけです。しかも、目の前、30メートルの所を、走って逃げる伊藤玄二郎を発見したので、『なるほど、二人は銀座で、私をいじめる相談をしていたのですね。で、グリーン車の中でも、話し合ったが、話が尽きなくて、逗子に降りなくてはいけない栗田さんは、伊藤玄二郎に誘われて、鎌倉駅に降りたのでしょう。葉山に住んでいるのにね。既に、夜の10時半なのにね。栗田さんは、結婚をしていると聞いているけれど、大丈夫なのかしら? それほどに、遅く帰って?』などと、思うのです。

 そして、トイレで、偶然出会った私を避けようとして、なかなか、個室から出てこなかったのでした。その思いは、むろん分かりましたよ。だけど、私の方は、ずっと、彼女が出てくるのを、待っていたのです。

 だって、こういう機会こそ、神様のお恵みなのです。証拠捕まえちゃったと、いうわけですからね。最高の喜びです。

 その間、伊藤玄二郎は、何事かを察して、男子トイレの方で、かたずをのみながら、待っていた模様です。そして、到頭、栗田玲子さんが、個室から出てきて、私と手を洗いながら、何事かを話しているのを壁越しに聞いて、栗田玲子さんが相手をしているのが、川崎千恵子だと、察して、私に出会うのを恐れて、走って逃げたのでした。怯懦の、人です。

 私は背中を見せて、逃げて行く伊藤玄二郎を見ているうちに、何とも、言えない怒りが浮かんできて、珍しく、喧嘩という形にもっていきました。、東口のトイレから、改札口までの、30メートルぐらいの間ですがね。以下の様に、しかも、語気鋭く、言い放ったのです。怖い人だといわれたセリフに返答としてですが、「だって、人生経験を積んでいるのですもの、強くなるのは当たり前でしょう」っと。栗田玲子さんが、過去に積み上げた人生経験と、私が過去に、積み上げた人生経験のどっちが深くて、どっちのエピソードが、学びにつながったのか、等は、比較はできませんよ。私は、このブログに全部を書いていませんもの。

 その上、美術系作家として、生きることもいじめられきっていて、道が狭まっているし、美術評論家として、生きる道も相当に、妨害をされているでしょう。大原光孝という人物が、創形美術学校の後輩、本田和博さんと、そっくりな画題で、しかし、できを比較をするとはるかに雑な絵を、アクリルで、しかも、ベニヤ板の上に描いて、中島千波さんなどの、ご支援を得て、春季院展に入選させたのも、私の美術評論家としての、立場を、からかってきた、仕組みでしょう? まだ、それは、軽い方で、無視できるのですが、

 山口みつ子さんが、美術評論家の秋山祐徳太子よりも、私の方を上に置いて、それが、ギャラリー山口のオフィスに盗聴がかかっていたために、CIA側に入ってしまって、結果として、殺されてしまったケースなど、本当につらい事でした。

 ここですが、最近、書いている手相観の第一人者、日傘雅水さんとも関係があるのです。彼女は、一種のお医者さんなのに、二回目とか三回目、ぐんぐん、意地悪っぽくなっていくのです。其れは、赤瀬川原平さんに、村松友視さんが、言いつけてね。そうなったと思います。村松友視さんは、尾辻克彦名義での、赤瀬川さんの、文章の方の支援者でした。村松さんの後ろというか、上流というかには、湯川有紀子さん(ICU卒で石塚雅彦夫人と親しい。中央公論新社で、婦人公論と、中央公論の編集長をした)が居て、讒言を、村松さんに、吹き込んだと、見ています。それを伝え聞いた、赤瀬川原平さんが、日傘さんに、私をいじめたり、からかったり【週刊女性紙上の記事の事】する様に、命令したのでしょう。赤瀬川さんは、雑誌太陽の特集号で、日傘さんに、苦境時代に救われたと、語っています。その赤瀬川さんと、【ライカの会】というのを作っていて、親しかった秋山祐徳太子は、もろ、CIA側人物で、しかも、対私用、攻撃者でした。それの証拠が、彼が晶文社から、自伝【ブリキ男】を出版していることでも証明をされます。この晶文社の件は、これまた、とても恐ろしい事へつながっていき、100万字ぐらい必要なので、今は、触れません。

 みつ子さんは、画廊を閉鎖する予定だった、2010年1月31日の二週間も前に、飛び降り自殺をしたという事になっています。しかし、違いますよ。画廊を閉鎖して、これから、時間がフリーになるみつ子さんと、私が仲良くなると、私の力が強化されるものだから、みつ子さんを殺したのです。

 彼女は、スタッフさんに、後始末を任せて、画廊閉鎖の予定日の、二週間も前に、自殺をする様な人ではないですよ。殺されたのです。薬を使ってです。部屋に数人で、待ち伏せしていてね。これは、私にとっては、たとえようもない衝撃でね。美術評論家としての、筆を折りました。

 どうしてこれほどにいじめられたかというと、美術評論家って、美術館のスタッフとか、大学教授などの、ほかの仕事を持っている人以外は、売文業なのです。だから、どうしても惰性に陥るわけです。難しい語彙は、使うが、面白くないし、感動も与えません。そこへ、中学生程度の、語彙を使うが、本当に感動した作品しか、取り上げない私が、面白くて、人を引き込む文章を書き、しかも英語でも書けるし、お金はとらないしですから、旧来の、売文業的、美術評論家は上がったりになるわけです。だから、憎まれたり、いじめられたのですよ。

 そこに戦後最大の、CIAエージェント、瀬島龍三一派は、乗っかかったのです。それが、井上ひさしが提唱している、9条の会の、美術部門である、美術9条の会の創設だったのです。そこを利用して、いじめられたのが、大きい弾圧用ラインでした。野見山暁次さんも、渡辺豊重さんも、そこの委員をしています。

 しかし、その二つの仕事を、奪われたからこそ、私は、ほかの人が書けない様な、真実を書く、人間になったのですよ。美術界から追い出されたからこそ、自由なのです。ありとあらゆるいじめを受けたからこそ、自由になり、美術界のお偉いさんと、対等になったのです。人間としては、すべての、日本人は、対等です。憲法に保障をされているでしょう。違いますか?

 元に戻ります。ぐるーぷICU展を出たころに戻ります。渡辺幸子さんの嫉妬のせいで、苛め抜かれたので、出た方がいいと、判断しました。ただ、そのグループの中に、石塚雅彦さんが、含まれていたので、そこを出たことで、CIAは、石塚雅彦  ⇒ 古村浩三ラインを使いやすくなったのだと、思います。そういう意味では、損でしたね。政治的な意味ではね。日動画廊、笠間美術館のオーナーだった、長谷川智恵子女史が、茨城県教育委員会で、「障害児は、妊娠中の検査で、わかるのだから、中絶を、勧めるべきだ。その方が茨城県は、予算削減ができる」という発言をしたのなど、まさしく、石塚さんが、かかわっていると、思うし、

 スタップ細胞疑惑もそうですよね。日大アメフト問題もそうですね。

 でもね、私は、既に、損得は計算しない人間になっていますから、『それは、それとして、却って、自由自在に、石塚さんについて描く(=書く)ことができるようになって、よかったわ』と、思って居るのです。

 でもね、この、・・・・・目下だと、思って居た存在が、実は、自分より頭がいい・・・・・と、発見した時の、いやな感じにおぼれているのが、各地で、発見される、親側の、子への虐待です。イギリス制作のドキュメンタリー番組、【地球ドラマチック、NHK 教育テレビ、土曜日放映】を、見ていると、人間って、赤ちゃんの時から賢いのですよ。すべて、わかっているのです。 ちいさいのに、「もう許してください」と書いて、殺された結愛ちゃんなんて、まさにその典型で、あの父親は、途中から、結愛ちゃんに追い詰められていたのだと、思います。

 まあ、そんなことを、思ったというわけです。ただし、私が、黒澤映画の、対象例として挙げた三本の映画の様に、真実味のある映画って、脚本家とか、監督の実体験が反映しているので、何本も同じレベルの作品を生み出すのは、難しいでしょう。 

コメント
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私は以前から、黒澤監督が嫌いであった。特に、【七人の侍】以降の作品を嫌いである。理由は? + 渡辺幸子、栗田玲子、伊藤玄二郎△

2019-11-19 23:13:48 | 映画

 この一文ですが、20日に大量に加筆をしています。完成したのは、21日の午前一時です。で、恒例の三角印を、総タイトル横に付けておきます。加筆部分としては、自分がなぜ、今の様な文章を書くようになったかの、道程を吐露して行っています。山口みつ子さんの死の部分など、何度、書いても、その苦さが、忘れられない、苦しくて、苦い苦いお話です。

 20日の昼間は、新橋演舞場で、【スーパー歌舞伎II、オグリ、中村隼人版】を見てきました。その感想を書く方が、ずっと楽なのですが、頭の中に浮かんできたのが、下記の文章の、後半部分なので、仕方がない事です。エリカ様ではないけれど、私こそ、憑依系文筆家ですね。書くことに対して、何の無理も、苦しみもないのです。滞ることもないのです。其れを私は、・・・・神様が、描(又は、書)かせてくださっている・・・・と感じていて、かつ、それを外部へも、表明をしています。・・・・・・という添え書きを、21日の早朝、一時に、いれて、初稿に戻ります。

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 先ほど、皆様にご覧をいただきたいと、言って居た、アナザーストーリー(NHK BS3 火曜日の、9時から)を、私は、見ました。ナヴィゲーターは、松嶋菜々子でした。

 ところで、それを見終わった私の頭脳の中に浮かんだのは、・・・・・以前から思って居たのだけれど、私って、黒澤明監督が嫌いなんだなあ・・・・・と、いう事です。それを、また改めて、確認をしました。

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 黒沢明監督の映画を、全部見ているわけではないのですが、【羅生門】までは、素晴らしいと思います。しかし、【七人の侍】を含めて、それ以降は嫌いなのです。

 なぜかというと、【七人の侍】みたいなエピソードは、日本史の中には、無かったと、思うからです。あの映画は、進駐軍の中のインテリ層が、日本に定着させようとした、民主主義社会という理想に、迎合している映画だと、思って居ます。

 確かに弱い庶民の夢です。自分たちを救ってくれるヒーローが、どこかからやってきて、悪人をやっつけてくれて、自分達が救われるというのは、夢です。しかし、現実にはあり得ないです。だから、面白い事は、面白いけれど、うそ寒いです。途中で、なじめなくなります。

 甲賀・忍者という集団があったみたいです。高い技術を持っていたのですが、それを役立てたのは、大名などの、支配階級のためでした。まあ、信長には、敵対した時期があった模様ですが、庶民(特に、農民)をたすけるために、動いたとは、思えません。

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 皆様は、イラン映画の【ともだちの家はどこ】をご覧になったことがありますか? それから、別の韓国映画を思い出します。タイトルを今の私は、忘れていますが、韓国の、農村で、牛を飼う、老人夫婦と、その、都会へ出てしまった息子との考え方の違いを表現した、話・・・・・救いはないのです。ハッピー・エンドとは言えない。しかし、何とも、感動深い映画です。

 いや、びっくりです。今、グーグル検索で【韓国映画、牛】と入れただけで、映画が出てきました。タイトルは、【牛の鈴音】です。

 しかし、もしかしたら、皆様は、こうおっしゃるかしら? 「それらの映画って、後進国の貧しい人達を、テーマにしていますね。それって、結局はお涙頂戴だし、現代日本には、遠い話でしょう」って。

 では、文明国アメリカの映画を、一本取り上げましょう。テレビ放映で、偶然見たのですが、あっけにとられるほどに、リアルでした。2005年制作ですが、1986年を舞台としている映画です。そのころの、アメリカ中流家庭のリアルが、満杯です。

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 映画【イカとクジラ】は、グーグル検索で、項目がたくさん出てきます。好評と不評に分かれますが、1999年に、この映画に出てくる、ブルックリンの高級住宅街にある美大、Pratt Institute に、通って居て、次の、2000年用のアパートを探しに、ブルックリンの坂(ただし、映画に出てくるところではない。私の方は、並木道で、映画よりも高級な地域)を下った体験を持っている私には、すべての場面が、リアルなのでした。

 映画の方の道では、丘の下の方(南部)は、安普請の家ばかりあって、ドアも、フラッシュドアで、誰かが、蹴破ると、簡単に破壊をされてしまうとかね。フラッシュドアって、ご存知ですか? 枠だけが木で作ってあって、その上にはべニアが張ってあると、いうタイプです。我が家にもガラスがはまっている形で、何枚もあります。一方で、ムクのドアも、何枚もあるのですが。・・・・・2005年ごろは、既に、ブルックリン全体が、相当高級になっているのです。特に地下鉄の駅が、高級で、きれいになっていきます。それにしても、北部の、ハイツと呼ばれる地域よりは、南の方が、地価が安いでしょう。

 ブルックリンの、北の方は、高級住宅街です。特に学者とか、創作を仕事にしている人に好まれている一帯です。収入はさして高くないが、誇りはとても高い人達に、好まれている一帯です。私は散歩中に、クリントン大統領の別邸すら見つけています。ただ、その地域だけは、一種の高級分譲地で、あたり一面、すべて、同じ敷地の広さで、同じ規模の大邸宅が建っているのでした。アメリカの、ワシントンとか、ロスアンジェルスなどのニューヨーク以外に、本宅のある人が、住む、富裕層(=上流階級)の別邸だけ、集中している地域らしくて、人気(人の気配)が、全くないのです。が、クリントン邸の前だけは、警官詰め所があるので、なるほどと、思ったのですが・・・・・

 元に戻ります。映画の中では、両親は二人とも物書きです。お母さんの方が、仕事が、今、当たっています。それで、もともとの住居=ブルックリン北部の高級住宅(ただし、連棟型アパート、内部は、高級である)を取り、次男と同居します。お父さんの方は、今は、書くものが、ヒットしていないので、収入も低くて、その上、お母さんと喧嘩をしているので、追い出されて、南へ下っていき、安っぽい家に、長男と一緒に引っ越します。

 場所の雰囲気もリアルですが、登場する人間たちの言葉の、表現も、超リアルです。唯ね。私がこの映画を見たのが、60歳を過ぎていました。だから、笑ってみて居られるのですが、お若い方、特に日本の女性が見ると、『いやな映画だ』とお感じになるかもしれません。主婦=お母さん=があまりにもわがままだと、感じたりしてね。アメリカのインテリ女性は、権利の主張が、すごく強いですから。また、男の人も、嫌いかもしれません。主人公=お父さんの方の、欠点が、多いことに、我が身を振り返らされて、たじろいで、しまうかもしれません。

 また、小学生の次男が、両親の不和ぶりに傷ついて、学校で、自分の精液を、図書室の壁に、なすり付けてしまうのですが、その後始末など、日本の学校もぜひ、見習ってほしいです。先生の方に、余裕と愛情がある。

 それからね。学校の建物がとても古いもの(だから壁が、ムクのウォールナットなどでできていて、こげ茶色で、それが、またニスで、ピカピカな事、等は、日本も見習ってほしいと、思います。日本って、スクラップ アンド ビルドで、新建材多用でしょう。しかし、ニューヨークとかパリって、けっして、スクラップ アンド ビルドではないのです。パリでは、250年以上、ニューヨークでも、130年近いビルを丁寧に使って居ます。だから、焦げ茶色のムクの建材の上に塗ってあるピカピカのニス・・・・・その上に、引っ付いて乾いている精液に先生が気が付くのでしょうね。日本で、そういう事があっても、先生が気が付くかどうか? 新建材の白いビニール壁紙の上に、乾いた精液が、くっついていて、気が付くでしょうかねえ?

 ともかくセリフがいっぱいで、すべてに、リアリティがあるので、私などの様に、色々な、経験を積んできている人間には、ひどく面白いと、思われました。最後はハッピーエンドでもないのですよ。突き放したままで、結論なしで、終わるのですが、人生ってだいたいそうですよね。

 日本の家庭では、既に、崩壊していて、中がスカスカなのに、本心をぶつけて、討議すると、いう形がないでしょう。そういう点では、アメリカの、インテリたちが、debate 討論を、好む姿を、日本にも、導入するべきだと、思います。

  私は、このアメリカ映画【イカとクジラ】を見ている最中、一分ごとに、『次にどうなるのかしら?』 とワクワクしながら見入りました。何にもドラマチックな事は起きないのですよ。ああ、長男の、・・・・・文化祭で、歌った自作の歌の、歌詞が盗作だった・・・・・という、悲しくて、おかしい、事件があるのですが! しかし、家庭が、再構築されるかどうか? お父さんとお母さんは、離婚を解消し、同居を再開するのか? 夫婦の同居、再開を私は、期待しながら、登場人物たちのセリフを追って行ったのです。お母さんにもお父さんにもそれぞれ、愛人ができてね。大変です。

 しかし、反対に、後期の黒澤明監督の作品など、10分ごとに『早く終わらないかなあ』と、思いながら見ていました。単純すぎるのです。退屈なのです。

~~~~~~~~~~~~~

 で、この・・・・・番組【アナザーストーリー、黒澤明監督、VS 勝新太郎】を見た感想は、・・・・・「若い日に、名誉を得てしまった黒澤明監督は、却って不自由だったのですね」という事です。・・・・・そして、自分のことを、こう考えました。・・・・・私には名誉も社会的地位もない。でも、自由がある。何のといえば、精神の。私は誰に対しても、金銭的に、責任を負う立場にない。という事は、換言すれば、誰も、私を束縛するものが無い。これは、結構、幸せな事だ。非常にうれしい事だ。それに気が付かされた・・・・・と。

 『私の一生とは、結構、ぜいたくな一生だったのかなあ』とも、気が付かされました。価値観の違いですが・・・・・まあ、創作の上では、自由が大切です。黒沢監督には黒沢組という家来陣(集団)が居た。それが、却って、重荷ではなかったのかなあ? そういうお取りまきがいるからこそ、自分が、【かつ新】に負ける状況は許されないと、お思いになったのではないかなあ。二人の衝突劇は、黒澤監督の方が狭量に見えますよ。

 こういう事は、よくありがちです。私が最近書いている、担任の教師(鬼面冠者というあだ名だった)が、本間君という・・・・・特に体が小さい、だけど、ヴァイオリンは、1955年当時、小学生だけのコンクールでは、全国五位、以内に入っていた・・・・・を、苛め抜いたのは、本間君のお母さんと、ご自分(男ですよ)との間の上下関係に関して、何らかの、人に言えない、怒りがあったからだと、思います。【かつ新】も、無邪気なだけだったのでしょうが、本間君のお母さんも、自分が、それほどに、深く先生の怒りを買って居るなどと、まるで、気が付かない人だったのです。それと、学校から、たった、五分程度の距離に住んでいたので、しょっちゅう、学校に来ていたから、いけなかったのですね。本間君が、小学校時代の担任は、それが通る相手だったが、中学の先生は、音楽が好きな人だけに、却ってまずかったのです。

 黒沢監督って、ある時期から、サングラスを常に着用していますね。其れは、何かを恐れていたからだと、思います。いろいろ、心に負担がある人だったのです。偉い人ほど、引退時期を、ご自分で、決定しないといけません。特に黒沢組などという家来集団を抱えていてはね。

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・・・・・・・この・・・・・ずっと以前から、自分としては、相手を下だと、思っていた人間が、ある種のポイントで、自分より上だと、発見した時に、相手の、あれこれが、すべて、癪の種になるというのは、2002年ごろの、渡辺幸子さん(ICU卒の画家で、青木繁大賞を取っている女性。鎌倉在住で、フェリス卒。私より年上)と、私との間で、見られたことです。あの時は、いじめられた私の方が、彼女の前から去りました。二人は、同じグループ展(同窓会展)に所属をしていたのですが、そこを、私の方が去ったのです。それで、彼女は、びっくりしてしまった模様ですよ。そういう決断を私がとるとは、思いもよらなかったみたいでね。

 その・・・場を去る・・・という形は、反抗とか、抗議の形としては、結構、強い事なのですね。それでね、鎌倉駅のトイレの中で、しかも、夜の、10時半に、偶然に出会った栗田玲子さんから、「川崎さんって、怖い人だっていう評判よ」といわれることとなります。栗田玲子さんって、銀座の、有名画廊、ガレリアグラフィカのオーナーです。山本容子をお手持ち作家としている画廊です。

 私は『ああ、裏で、渡辺幸子さんがいるわけですね』と思うわけです。しかも、目の前、30メートルの所を、走って逃げる伊藤玄二郎を発見したので、『なるほど、二人は銀座で、私をいじめる相談をしていたのですね。で、グリーン車の中でも、話し合ったが、話が尽きなくて、逗子に降りなくてはいけない栗田さんは、伊藤玄二郎に誘われて、鎌倉駅に降りたのでしょう。葉山に住んでいるのにね。既に、夜の10時半なのにね。栗田さんは、結婚をしていると聞いているけれど、大丈夫なのかしら? それほどに、遅く帰って?』などと、思うのです。

 そして、トイレで、偶然出会った私を避けようとして、なかなか、個室から出てこなかったのでした。その思いは、むろん分かりましたよ。だけど、私の方は、ずっと、彼女が出てくるのを、待っていたのです。

 だって、こういう機会こそ、神様のお恵みなのです。証拠捕まえちゃったと、いうわけですからね。最高の喜びです。

 その間、伊藤玄二郎は、何事かを察して、男子トイレの方で、かたずをのみながら、待っていた模様です。そして、到頭、栗田玲子さんが、個室から出てきて、私と手を洗いながら、何事かを話しているのを壁越しに聞いて、栗田玲子さんが相手をしているのが、川崎千恵子だと、察して、私に出会うのを恐れて、走って逃げたのでした。怯懦の、人です。

 私は背中を見せて、逃げて行く伊藤玄二郎を見ているうちに、何とも、言えない怒りが浮かんできて、珍しく、喧嘩という形にもっていきました。、東口のトイレから、改札口までの、30メートルぐらいの間ですがね。以下の様に、しかも、語気鋭く、言い放ったのです。怖い人だといわれたセリフに返答としてですが、「だって、人生経験を積んでいるのですもの、強くなるのは当たり前でしょう」っと。栗田玲子さんが、過去に積み上げた人生経験と、私が過去に、積み上げた人生経験のどっちが深くて、どっちのエピソードが、学びにつながったのか、等は、比較はできませんよ。私は、このブログに全部を書いていませんもの。

 その上、美術系作家として、生きることもいじめられきっていて、道が狭まっているし、美術評論家として、生きる道も相当に、妨害をされているでしょう。大原光孝という人物が、創形美術学校の後輩、本田和博さんと、そっくりな画題で、しかし、できを比較をするとはるかに雑な絵を、アクリルで、しかも、ベニヤ板の上に描いて、中島千波さんなどの、ご支援を得て、春季院展に入選させたのも、私の美術評論家としての、立場を、からかってきた、仕組みでしょう? まだ、それは、軽い方で、無視できるのですが、

 山口みつ子さんが、美術評論家の秋山祐徳太子よりも、私の方を上に置いて、それが、ギャラリー山口のオフィスに盗聴がかかっていたために、CIA側に入ってしまって、結果として、殺されてしまったケースなど、本当につらい事でした。

 ここですが、最近、書いている手相観の第一人者、日傘雅水さんとも関係があるのです。彼女は、一種のお医者さんなのに、二回目とか三回目、ぐんぐん、意地悪っぽくなっていくのです。其れは、赤瀬川原平さんに、村松友視さんが、言いつけてね。そうなったと思います。村松友視さんは、尾辻克彦名義での、赤瀬川さんの、文章の方の支援者でした。村松さんの後ろというか、上流というかには、湯川有紀子さん(ICU卒で石塚雅彦夫人と親しい。中央公論新社で、婦人公論と、中央公論の編集長をした)が居て、讒言を、村松さんに、吹き込んだと、見ています。それを伝え聞いた、赤瀬川原平さんが、日傘さんに、私をいじめたり、からかったり【週刊女性紙上の記事の事】する様に、命令したのでしょう。赤瀬川さんは、雑誌太陽の特集号で、日傘さんに、苦境時代に救われたと、語っています。その赤瀬川さんと、【ライカの会】というのを作っていて、親しかった秋山祐徳太子は、もろ、CIA側人物で、しかも、対私用、攻撃者でした。それの証拠が、彼が晶文社から、自伝【ブリキ男】を出版していることでも証明をされます。この晶文社の件は、これまた、とても恐ろしい事へつながっていき、100万字ぐらい必要なので、今は、触れません。

 みつ子さんは、画廊を閉鎖する予定だった、2010年1月31日の二週間も前に、飛び降り自殺をしたという事になっています。しかし、違いますよ。画廊を閉鎖して、これから、時間がフリーになるみつ子さんと、私が仲良くなると、私の力が強化されるものだから、みつ子さんを殺したのです。

 彼女は、スタッフさんに、後始末を任せて、画廊閉鎖の予定日の、二週間も前に、自殺をする様な人ではないですよ。殺されたのです。薬を使ってです。部屋に数人で、待ち伏せしていてね。これは、私にとっては、たとえようもない衝撃でね。美術評論家としての、筆を折りました。

 どうしてこれほどにいじめられたかというと、美術評論家って、美術館のスタッフとか、大学教授などの、ほかの仕事を持っている人以外は、売文業なのです。だから、どうしても惰性に陥るわけです。難しい語彙は、使うが、面白くないし、感動も与えません。そこへ、中学生程度の、語彙を使うが、本当に感動した作品しか、取り上げない私が、面白くて、人を引き込む文章を書き、しかも英語でも書けるし、お金はとらないしですから、旧来の、売文業的、美術評論家は上がったりになるわけです。だから、憎まれたり、いじめられたのですよ。

 そこに戦後最大の、CIAエージェント、瀬島龍三一派は、乗っかかったのです。それが、井上ひさしが提唱している、9条の会の、美術部門である、美術9条の会の創設だったのです。そこを利用して、いじめられたのが、大きい弾圧用ラインでした。野見山暁次さんも、渡辺豊重さんも、そこの委員をしています。

 しかし、その二つの仕事を、奪われたからこそ、私は、ほかの人が書けない様な、真実を書く、人間になったのですよ。美術界から追い出されたからこそ、自由なのです。ありとあらゆるいじめを受けたからこそ、自由になり、美術界のお偉いさんと、対等になったのです。人間としては、すべての、日本人は、対等です。憲法に保障をされているでしょう。違いますか?

 元に戻ります。ぐるーぷICU展を出たころに戻ります。渡辺幸子さんの嫉妬のせいで、苛め抜かれたので、出た方がいいと、判断しました。ただ、そのグループの中に、石塚雅彦さんが、含まれていたので、そこを出たことで、CIAは、石塚雅彦  ⇒ 古村浩三ラインを使いやすくなったのだと、思います。そういう意味では、損でしたね。政治的な意味ではね。日動画廊、笠間美術館のオーナーだった、長谷川智恵子女史が、茨城県教育委員会で、「障害児は、妊娠中の検査で、わかるのだから、中絶を、勧めるべきだ。その方が茨城県は、予算削減ができる」という発言をしたのなど、まさしく、石塚さんが、かかわっていると、思うし、

 スタップ細胞疑惑もそうですよね。日大アメフト問題もそうですね。

 でもね、私は、既に、損得は計算しない人間になっていますから、『それは、それとして、却って、自由自在に、石塚さんについて描く(=書く)ことができるようになって、よかったわ』と、思って居るのです。

 でもね、この、・・・・・目下だと、思って居た存在が、実は、自分より頭がいい・・・・・と、発見した時の、いやな感じにおぼれているのが、各地で、発見される、親側の、子への虐待です。イギリス制作のドキュメンタリー番組、【地球ドラマチック、NHK 教育テレビ、土曜日放映】を、見ていると、人間って、赤ちゃんの時から賢いのですよ。すべて、わかっているのです。 ちいさいのに、「もう許してください」と書いて、殺された結愛ちゃんなんて、まさにその典型で、あの父親は、途中から、結愛ちゃんに追い詰められていたのだと、思います。

 まあ、そんなことを、思ったというわけです。ただし、私が、黒澤映画の、対象例として挙げた三本の映画の様に、真実味のある映画って、脚本家とか、監督の実体験が反映しているので、何本も同じレベルの作品を生み出すのは、難しいでしょう。 

 2019年11月19日に書き、20日に、推敲し、21日の早朝にやっと完成へ至る。なお、このブログの、2010年より、数え始めた、延べ訪問回数は、5717515です。   雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

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エリカ様逮捕の2・・・本日アナザーストーリー【勝新太郎VS黒澤明篇】があるので、ご覧頂きたいが・・中島三枝子、佐野ぬい、佐々木来目夫、大原光孝・恵美子

2019-11-18 21:35:49 | 政治

 この章は、最初は、【エリカ様ニュースに使われている、動画から判断して、私は、自説が正しいと確信した・・・・・中島三枝子、佐野ぬい、佐々木来目夫、大原光孝・恵美子】という総タイトルでした。だが、19日の午前中に、変更をしました。

副題1、『この章を書くにあたってのお断り』

 いろいろなテーマがペンディングになっています。しかし、二つのことで、疲労困憊しています。で、続きをなかなか、書けません。疲労の原因の一つは、北久里浜の屋根の補修問題です。台風15号で、壊れたものですが・・・・・

 それと、ニューヨークで、友達になった外人が来てくれたことです。前の日にお掃除に頑張ったこと・・・・・彼女たちは、専業主婦ではないし、意地悪なところはみじんもないのです。しかし、主役の美大教授である、NY時代の、友人が作る作品が極めて清潔で、美しい事を知っている私は、我が家を、清潔で、少しでも、ミニマムアート風に近づけようとしたので、急に大量の掃除をしたのでした。で、疲れ切ってしまいました。

 しかも、たっぷりと寝ようと思って、掃除の、一部を残して寝入ったのです。次の日に、機嫌よく迎えるのは、熟睡しないとだめですから。そのつもりだったのに、ひどい悪夢にうなされて、たった二時間で、目が覚めたのでした。その悪夢の話から、外人四人に対する、おもてなしから、帰宅したら、すぐ、【桜井万里子東大名誉教授と、古村浩三君(元日本ユニシス勤務)と、川名昭宣君(元河出書房新社勤務)の関係。】に入るつもりでした。しかし、悪夢を見た、原因は、二つあって、まず、その一つ目に取り掛かったのです。

 悪夢の舞台は、国際基督教大学の、1966年です。私は、数学の勉強が足りないので、単位を落としそうで、ものすごく蒼くなっています。「間に合わない。もっと前から、準備をして置くべきだった」と、言うのが、私の悪夢の根底にあるものだと、語りはじめています。「お宅のお嬢様には、横着なところがあります。なんでも、人より早く、かつ、軽々とできてしまうので、まだ、小さいのに、世の中を甘く見ているところがあります。それでは、横浜(日吉)の小学校へ行ったら、たちまち、成績が落ちますよ。いろいろな事を、丁寧に、まじめにやる様に、よくお伝えくださいね」と、母に、伝言をしてくださった、石倉操先生のお言葉が、忘れられないのです。一生。

 そして、前報で、登場した、日傘雅水さんから、「すべての線が、二重になっているので、弱そうに見えて、結構、強いですよ」と、言われているのも、ここに関係しています。私は、一般の人と比較すると、より早く、より大量の仕事ができます。其れは、何でも、二重線になっていることが、大きいかもしれません。生命線、運命線、頭脳線、感情線、すべて二重です。太陽線など、四本ぐらいあって、気が多いらしいです。最近は、やることを減らしているので、太陽線の数が、少なくなってきていますけれど。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ここで、女子美の学長、佐野ぬいさんが、登場する』

今、このグーブログのスパコン(=クラウド)に入っていると、記憶をしている石倉操先生のお顔を探そうと努めていたら、自分の方の写真で、この章には、こっちも使いたいと、言うのが出てきました。

 これは、高1の時で、しかも、大雪が珍しいので、庭で、南へ向けて、撮ってもらったのですが、皆様にお見せしたいのは、私ではありません。棕櫚の木の後ろをご覧いただきたいのです。私の建っている位置の、左側に、150メートルぐらい離れて、数軒の家の屋根が見えるでしょう。その右側、棕櫚で、隠れている場所に、慶応の、野球部とラグビー部が、共同で使って居る、東西に長い形の、合宿所があったのです。そこに、現在では、(又は、過去には)、女子美の学長である、(または、あった)佐野ぬいさんの、父君が、ラグビー部所属という形で。逗留していたのですよ。
 佐野ぬいさんの、弟君が、佐々木くめおちゃんといって、国際基督教大学の、私のたった、23人しかいない、一年時の同級生です。佐野ぬいさんは、弟さんから頼まれて、女子美を卒業している、大原恵美子さんに、「ご主人に、こう、いいなさいね。・・・・・光孝さん、川崎千恵子と、つきあってはいけませんよ・・・・・」と。その言葉以降、大原光孝さんは、ぐいぐいおかしい人に変化していくのです。おかしいを通り越して、恐ろしいことを平気でする、二重性格の人へと、変化していきます。
 
 後で、【植木鉢の罠】という現象のリンク先を後注3でくっつけておきますが、下の写真も見てください。
 
 お菓子をつまむ、フォークの先が、180度反対方向へ曲がっています。人工的になされたものです。しかも、6本ぞろいなのに、数が、減っているし、箱が無くなっています。これが、大原光孝さんに関係があると、思って居ます。無論、我が家に侵入する泥棒は、ほかに三種類あるわけですから断定はできないのですが、彼が、ほかにやっていることをも、数多く気が付いています。それに、たぶん、文章としての、この表現が正しいので、今、システム異常が多大に起きています。だから、きっと、正しい判断だと、見ています。
 恐ろしい事ですよね。こっちが、わからないとでも、思って居るのかしら? 傍証づけをしていくと、正しい説明ができますが、ここでは、写真を置くだけにしておきます。で、挿入から元へ戻ります。彼が、これ程の、変な人物へ変化していったのは佐野ぬいさんが、原因の、一部を担って居るとも思って居るからです。佐野ぬいさんの名誉のためにも、こんなことをやってはいけないでしょうに、これ以上の恐ろししいことを、色々、やって居るのが、彼です。しかも、シャーシャーとして、「自分は、善人です」という顔をしているのですよ、教会に通ったりしていてね。不思議です。だから、2018年の12月9日以来ずっと、彼が、このブログの世界の主人公ではありました。非常に複雑な性格と行動の人間なので、むしろ、ペンネームで書きますと、言って居た日もあります。画家Aとして、色々、書いていた日々もあります。
 
 この・・・・・佐野ぬいさんから、大原夫人恵美子さんへの、悪意深い助言・・・・・という、現象が起きたのは、20年近く前のことです。しかし、この2019年の、四月から、五月にかけて、再び、佐々木くめおちゃんが、動いたのです。それで、上記の様な事が、確信的事項として、わかり、書き表す決意が、できました。私の方が腹をくくったのです。
 
 佐野ぬいさんは、旧姓を佐々木というはずで、佐々木家は、弘前で、ラグノー佐々木と、いう会社組織の、お菓子屋さんを経営しています。北海道の六花亭と、どうかなと、いう格の大きなお菓子屋さんでしょう。先代が、慶応大学を出ているのですから、モダンなお菓子屋さんのはずです。つまり、【カンブリア宮殿・TV東京】に取材されても、おかしくない規模の会社だと、推察しています。
 最近、このブログの、どこかで、慶応のラグビー部の練習場が、私の自宅のそばにあって、合宿所が、南側、400メートルぐらいのところにあって’(正確には、300m以内でした。だって、上の写真では、後ろの方に、樹木がちょぼちょぼ見えるでしょう。それは、丘の稜線に、生えている樹木なのですが、その同じ丘の西側に合宿所はあったのです。棕櫚の木で、隠れている真後ろにあったのです。)毎日そこを眺めていたと、以前、書いたのは、上に書いた、政治的な真実へ、到達したい、前段階だったのです。

 佐野ぬいさんが、大原光孝さんの、心の在り方や、行動様式を変えるのに、一役買ったというのは、ずいぶん前から、わかっていたのですよ。だけどねエ。私も美術界に暮らしている人間だから、書き表さないで、居たのですが、この鎌倉雪ノ下では、【植木鉢の罠】と、いう悪辣極まりない現象が、2019年の四月に起きているし、その陰の主役は、大原光孝さんだと、推察しているし、・・・・・だから、佐々木来目夫、ぬい姉弟は、ごく簡単なことをやったつもりでしょうが、大原光孝さんが、その悪意を、増幅して、あれこれをやって居るので、佐々木兄弟の、悪意が、今では、送料として、すさまじい被害を私に、与えているのです。「いいのよ。私達って、強いのだから」とおっしゃいますか? そうとも言えないのですよ。もし、あなたが善人だと、私を苦しめると、天から、死をはじめとする、いろいろな、災難が、降ってきます。お買るティックだと、お思いでしょうが、既に、何冷夏を発見しているので、・・・・・だからこそ、さしで、ぬいさんと、話し合いたいのです。

 銀座では、画廊るたんの、中島三枝子さんに、さんざんいじめられると、いう現象が、ずいぶん前から起きているので、ここまで、書いています。だけど、本当の望みは、佐野ぬいさんと、二回に分けて、合計6時間ぐらい話し合う事です。佐々木くめおちゃんが、何を佐野ぬいさんに言って居るのか? 其れを知りたいし、こちらでは、ぬいさんに、ベイカーさんのことやら、北久里浜の地籍変更届のことを言わないといけないし、・・・・・・ともかく、ごたごたした問題の、回答を、お互いに出しておかないといけないと、感じています。死ぬ前までは、其れをやっておきたいと、思って居ます。佐野ぬいさんが、美しい絵を描く人だからこそ、其れをやっておきたい。

 死ぬまでに、これと、同じことをやるべき相手は、ほかに、五人いるのです。指しで、話し合っておきたい、人達。其れは、野見山暁次、秋山祐徳太子、渡辺豊重、酒井忠康、醍醐イサムの五人です。しかし、佐野ぬいさん以外は、頭が悪いというか、固いというか、ずるいというかで、何も、期待をしておりません。だから、連絡を取るつもりさえありません。 

 しかし、佐野ぬいさんだけは、ほかの五人と、比較をすると、まだ、人間としてまともではないか、とか、頭がいいのではないかと、思うところがあって、あれこれ、指しで、話し合ってみたい人でした。頭とともに、心もきれいではないかと、思うところがあるのです。其れは、作り出す作品の色が、いいからですね。大胆な配色だけれど、破綻を、感じない配色で。 まあ、・・・・電話をかけても、彼女はデートには、応じないだろう。だから、二人だけで、話すのは、無理だろう・・・・と、思うから、話し合いを抜きにして、ここで、あっさりと、結論まで書いてしまうわけですがね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『佐野ぬいさんを動かしたのは、弟の、佐々木くめおちゃんだけど、くめおちゃんの、後ろにいるのは、これまた、私と大学一年時の、たった、23人しかいない、同級生の一人である古村浩三君なのですね。

 くめおちゃんと、浩三君の、二人は、寮が同じか、ラグビー部が同じで、かつ、英会話を、20人以内で、訓練する、小さなお教室でも同じです。その上、男同士だし、私は、大学在学時、男の子とは、付き合って居ないから、私のことは虫けらみたいに思って居るのでしょう。でも、「まさよちゃんに、あれこれの、策謀を、受け渡すのはやめて頂戴」と、くめおちゃんの方には、言っておきましょう。本当にひどいですね。私が裏側を、わかっていないとでも、思って居るのですか? 全部わかっていますよ。

 お客さんを幸せにしないといけないラグノー佐々木の、御大が、こんな汚いことをやって居ると、何時かは書きます。大原恵美子さんに、何かを吹き込み(それは、24時間暮らしている、住まいの、ある地域での、私への大攻撃へつながって行く話なのだが)、まさよちゃんになにかを吹き込むという事は、日吉という、私の大切なゆりかごを、ごたごたにさせて行く話です。くめおちゃん!、貴方に、そんな権利はないですよ。

 私が弘前に乗り込んで、貴方の、小学生時代の、同級生に、「くめおちゃんの、お姉さんったら、CIAの手先になって、原発反対論者にこんな意地悪をしたのよ。佐野ぬいさんのせいで、私は、銀座でも、住まいの近所でも、子供時代を過ごした、実家近辺でも、おお損をしています。そんなひどい兄弟なのですよ」などと、言って歩きますか? 歩きませんよ。だから、安心して、あれこれ、策謀を重ねるのですか? ひどいですね。本当にひどい。悪魔の支配している世界の一味だと、思う。

 私の方ですが、弘前にだって、美術関係のお友達は、居ます。一時期は、数千人分の、住所、名前、顔を把握していました。出そうと、思って居て、時間があったら、個展の案内状を出せる相手が、5000人はいると、言って居ましたね。その上、私には、神様が、味方してくださっているので、佐野ぬい、くめお兄弟の、友人なんて、弘前まで行けば、簡単に、見つかるでしょう。だけど、私の方は、そういう汚いことはやりません。一方で、あんな汚いことをやって居て、「なにやっているのですか? くめおちゃん」と、もう一回言っておきたいです・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『間奏曲』

 少し、ここで、頭を冷やして、冷静になりましょう。この章では、たまたま、来目夫(=くめおとよむ)ちゃんという、人物にフォーカスを当てていますが、彼よりも、100万倍ぐらいの損失を、私に、おんお与えに、なっている(?・・・苦笑)のが、古村浩三君です。この人から直接、又は、彼が教えた人物から、既に、一千万回以上の、パソコン内、システム異常を起こされています。

 で、毎晩普通の人の3倍以上の時間と、労力をかけて、このブログを書いています。

 浩三君は、一種のサイボーグだと、考えています。まるで、心がありません。箸にも棒にも引っかかりません。まだ、佐々木くめお、佐野ぬい、姉弟の方が人間的に、柔らかいと、思いますよ。石ではなくて、血が通って居ると、感じます。古村君って、まさしく、コンクリートでできているらしいです。私から見ると、そうなります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『古村浩三君とは、過去にもいろいろ、パソコンを利用する嫌がらせをやってきている・・・・・片山ゆうすけ君を犠牲にした、なりすまし疑惑・・・・・と、日大アメフト騒動は、彼が過去に行ったことを消すために、私を脅かす方策として編み出された事件です。・・・・・人だけれど、昨日発見した、ケースも、彼か、彼の、Co-league が、やった可能性が高い』

ところで、ここからは、その手の、(IT的技術を駆使した)嫌がらせの一つに入ります。もっとも、LATEST=直近、に、発見をしたものです。

写真を説明をさせてくださいませ。

私が青い矢印を入れています。そこに、英語の斜字体で、Theatre と、書いてあります。これが、その番組の本当の名前です。ところが、急に、変更になりました。左側の白い文字で、突然に、Premium Stage と、変更になっています。シアターから、ステージへと、変更になっています。

 しかし、NHK オンラインの、番組表では、以前の通り、プレミアムシアターとなっています。

繰り返し言いますが、以前の通り、プレミアムシアターとなっています。そして、新聞のラテ欄も、以前の通り、プレミアム・シアターとなっています。其れは、下に置きます。

 皆様は、裏側を、ごぞんじですか? 

 どうしてこういう急変が起きるかという秘密を、皆様は、ごぞんじですか?  この、調査を開始したのは、18日月曜日の、午前一時です。しかし、それよりも、ほぼ、4時間前に、私はあるお友達に、この番組のお報せを、個人的なメールで送っています。その人が、「歌舞伎にもいくが、本当はバレーを好きです」と、書いてきたからです。その人はフルタイムではないものの、高校の教師をしているので、次の日の予定があるので、録画を勧めています。その個人的メールをハッキングしている人物が、急に、この変更を起こしたのだと、考えています。

 その同じ友達にですが、ある時、というのは、本日ではない昔の或る日なのですが、「次週の放映予定は、バレーです」と、伝えたところ、突然に、プレミアムシアターそのものが、次の週に消えてしまったりしました。

 これだけでも、自分は、どれ程に、大物なのかと、思いました。が、その時には、別の事を書きたいと、思って居たので、このブログの世界では、何も書かないで置きました。

 本日は、彼女に、・・・・・今、リモコンで、番組表を点検中に、急に気が付いたのですが、吉田都のラストダンスを放映をします。BSプレミアムシアターで、18日の午前零時からです。・・・・・と、送信したのでした。その後、自分は、実際に、その番組を見ながら、どこの劇場で、これをやって居るのだろう?と、舞台の場所を知りたくなって(初台の、新国立劇場でしたが)NHKのこの番組のホーム頁を開いたら、番組のタイトルが、プレミアムシアターではなくて、プレミアム・ステージと変更になっていました。

 私の様に、この番組を毎週録画する人間だったら、迷わないと、思いますが、今日より前には、一回も見たことのない人だったら、探すのに、迷うかもしれない措置です。そして、こういう変更は、例えば、古村浩三君みたいな人には簡単にできる事でしょう。そして、私でさえも、この原データを、持っている立場だったら、PDFfileから、adobe の何かを使って、jpeg へ直し、その次に、photoshopか、in designを、使って、いとも簡単に、修正できます。ただ、NHKのデーターを、アップする場所(スパコン=クラウド先)とか、手法(どういう、送信方法で、そこへ、データを送り込めるのか?)を握っていないと、変更ができませんけれど。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『逮捕、三日目なのだが、沢尻エリカの合成麻薬保持の、ニュースに使われる、動画、又は、写真が、美しいものばかりだ。』

 雅子様を化粧品のコマーシャルに使った。NHKオンラインらしい、偽記事が、私のパソコンに何度も入ってきたことがあるという一文も、すでに、書いています。直下に、置いてある、後注1、

国民の祭典で、君が代を歌った女性は誰?・・・そこに、対私用罠が仕掛けられていて・・・・下野新聞と古村浩三  2019-11-10 16:16:22 | 政治

 まあ、ともかく、色々なさってくださっているので、いつも、その存在を忘れたことがないのです。で、「次の章として、『桜井万里子東大名誉教授と、古村浩三君(元日本ユニシス勤務)と、川名昭宣君(元河出書房新社勤務)の関係。』を書く予定です」と、言って居ます。それが、連中(=普段、私が鎌倉エージェントと呼んでいる特権階級たち、鎌倉以外に住んでいる人も指す。古村君は、東京の西部に、住んでいるし)にとっては、大いに、困る事なので、

「何が何でもいいから、派手なニュースをぶち上げて、彼女(=私の事、雨宮舜、本名、川崎千恵子)が、そこに、飛びつくようにさせろ」と、いう事で、発生をさせられたのが、沢尻エリカの、合成麻薬保持でした。

 私は沢尻エリカの映画は、【パッチギ】をテレビ放映で、みただけです。ただ、美しい女性だなあと、思って居ます。それから、憑依型の女優だと、言われているのも、ああ、そうですか? 其れは、素晴らしいと、思うだけです。

 普通なら無視する類のニュースでしょう。しかし、前報に書いている通り、

 2019年11月12日放映の、【アナザーストーリー】で、沢尻エリカが、登場したので、いやな気分になり、散々、その番組のホーム頁を開けて、点検を繰り返しています。どうして、そういう事をしたかというと、その番組では、すでに、松嶋菜々子に、バトンタッチをされたはずの、司会者が、どうしてか、その日には、沢尻エリカに戻っていたのです。それで、とても、気にしていたところに、16日に、沢尻逮捕と、いうニュースが出たので、前報を、書きました。

深見東州=半田晴久が・・・なぜ、第二の笹川良一といってよい程の大物になっているのか?・・・其れは私が初因であり、沢尻エリカ逮捕も私に原因がある  20191ほう 

 沢尻逮捕は、私狙いであると、はっきり、主張しています。

 ここで、レジメとして、前報の、重要点をまとめて繰り返すと、20年ぐらい前に、或るママ友から電話がかかってきました。娘の友達に母親だから、書きにくい事おびただしいのですが、この女性が、例のCIA的弾圧手法の、典型を用いられている人物なのです。その典型的手法とは、私の友人の方を持ち上げて、私の方は、出世という意味で、置き去りにしていって、悲しませると、いう手法です。そういう役割を担った典型的人物なのです。この人物に関しては、将来別章を立てて、丁寧に語ります。早川重章さんが、一時期、意地悪をする役目に使われていた事など、すべて、ここに関係をしてきます。資生堂が、ニューヨーク大学で、個展をした、のも、この人物と関係があります。

 しかし、彼女とは、鎌倉へ引っ越し来てからすぐの、1985年にすでに、ママ友関係が始まっており、2000年ごろまでは、いい友人だったはずなのです。それで、1998年に私が版画の機械、プレスを置くために、逗子にアトリエを作るのですが、「そこを、見たい」と、彼女が言ったので、招じ入れています。 彼女は画家ですし、彼女の自宅にも、上がっている過去があるので、招じ入れました。

 私の、住んでいる場所とか、使って居る場所は、もし、整理整頓をされていたとしたら、ある種の美しさがあるのです。其れは、女性が使って居る部屋としての美しさではありません。

 表参道にあった、日傘雅水さんのオフィスですが、広い敷地を持っている大家さんが、別棟として、建てたアパート40平米ぐらいを昼間、二戸借りていると、言う形式であろうと、思います。別部屋に猫が待っていて、そちらで、おひるや夕食などの、台所仕事等をしていて、寝るのは、歩いて通える、ご自分のマンションという形式です。三か所キープしている女性でした。ですから、そのオフィスは、十分にフェミニンなのですが、置いてあるものが少なくて、ミニマムアートに近い形式の、美しい部屋でした。一方で、私の自宅ですが、相当に違いますが、それでも整理整頓をすると、美しいので、大勢の画家宅を訪問する、或る美術評論家が、「川崎さんは、豪邸に住んでいる」と、言ってくださったそうです。(苦笑)・・・・・ただ、豪華なものとか、胡蝶蘭などの、高価なものを置いてあるわけではなくて、やはり、どこかに、私が過去、積み上げてきた、精神性が、反映しているので、整理整頓をすると、きれいな、しかも、心地よい部屋になるのです。居間など、7.5畳しか無くて、しかも、午後は、日当たりは悪いのですが、それでも、雰囲気のいい部屋となるので、大切な友人はそこに招じ入れます。

 一方で、工房はまるで、違います。そこに、実際に、招じ入れたのは、藤沢東美などの、業者は、別として、たった、二人だけなのですが、二人とも、驚愕をして居ました。予想とは、まるっきり違う部屋だからです。そこは、古いマンションで、畳の部屋が、六畳二間と、ダイニングキッチンが、12畳ありました。お風呂は、薬品室(銅板を腐食させるための部屋)として、使って居ました。カーテンもなければ、テーブルクロスもないし、飾るための、小品の額もないのです。一切の装飾がない。まるで、工場ですね。ところが、ある種の、別の美しさがあるのです。

 特に整理整頓をすると、美しいのです。また、このママ友が、訪問をして来たときは、まだ、使い始めた初期だったので、ものが少なくて、きれいだったのです。

 この写真は、工房を設置した、頃の写真で、ものがまだ、全くありません。しかし、この」ママ友が、驚いてくれたのは、この二年後あたりで、しかも、方向が、反対方向なのです。そちらを向くと、人を驚かす、場所があるのです。そこには、高い位置に窓があるのですが、そのサッシを支える木の枠に、版画や、油絵を描く道具類で、紐やアナで、吊り下げることのできる道具類を、きれいに整理して、吊り下げてあるのです。その道具類の前に、家具屋で買った、食卓テーブルを作業台として、置いてあるのですが、その上に、真っ白な模造紙を張り付けてあり、それが、汚れると、取り換えると、言う形式で、使って居ました。それとは別の作業台(インクを展開するもの)もあって、個人のアトリエとしては、相当に充実したものだったのです。

 ここで、私は、六万字ぐらい書きたいことが頭に浮かんでしまい、困りました。また、終わらなくなるからです。それで、無理に、口にチャックとして、ここは、簡単に、そのママともが、アトリエを、「大変に働きやすそうね」と、言ってくれたとだけ、語って次に行きたいと、思います。

 で、ここで、そのmamaともが、私の娘を、別の日ですが、電話内で、ほめてくれた話に戻ります。「お宅のお嬢さんは、松嶋菜々子に似ていると、おなり中学の卒業生の間で、評判なのよ。」と、性格もよいから、うちの子と友達で、居てくれてありがたいわ」と、言ってくれて、それ以降、松嶋菜々子が、不遇になって、私が、それを、気にし始めた話へ戻ります。最近、【なつぞら】が終わったので、松嶋菜々子の消息は、BSプレミアムで、火曜日、夜九時から放映をされる、【アナザーストーリー】だけになったのです。しかし、その司会者(又は、ナヴィゲーターと、言われている)、人物が、2019年11月12日に、沢尻エリカだったので、『あれ、変だ』と、思って、パソコンの、NHKオンラインを、何度もチェックしました。

 私のパソコンは、四六時中監視されているので、そういう行動は、すべて、NHKや、警察を支配している、鎌倉エージェントに入り、それを、利用して、対・私弾圧策が、講じられます。で、急に沢尻エリカを使い、かつ、彼女を逮捕すれば、当然に、そちらに私がテーマを移すとみられて、ああいう、逮捕劇が、生成されました。

そして、二日過ぎた(これは、初稿を書いたのが、17日だったので、そう書いているわけですが)わけですが、自説は正しかったと、思って居ます。NHKは、大河ドラマ、濃姫役、降版を発表していません。それに、ニュースを流す際の動画、及び、写真を、エリカ様が、大変美しく見えるものを使って居ます。ピエール滝の時とは、えらい違いです。

 前報をぜひ、丁寧に、読んでください。アナザーストーリーが私にとって、何故、大問題なのかが、書いてあります。

【蛇足  本日、2019年12月19日の、アナザーストーリーの、ナヴィゲーターは、松嶋菜々子でした。其れは、いったんほっとしたのですが、

 「王様の耳は、ロバの耳」で、私はずっと前から、黒澤明監督は、晩年は駄目だと、思って居るのです。【生きる】、【羅生門】あたりは、名監督といってよいとおもいますが、

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逗子の工房のプレス。

2019-11-17 13:57:54 | 政治

副題1、

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深見東州=半田晴久が・・・なぜ、第二の笹川良一といってよい程の大物になっているのか?・・・其れは私が初因であり、沢尻エリカ逮捕も私に原因がある

2019-11-17 09:06:23 | 政治

副題1、『NHKニュース19-11-6 7時に或る疑問が、起こり、私は、高村正彦氏について、調べ始めた』

 さて、*****罫線以下は、偶然見つけた記事です。なぜ、どういう経路で見つけたかというと、高村正彦氏を調べたかったからです。

 深見東州という名前にひかれて、初めて、このブログへお入りいただいた方に申し上げますが、私が書くことは、原初のデータにわたるので、おおきな言論弾圧を受けております。パソコンのシステム上の、多大な被害を被っていて、書いた文章が、ぴゃ、ぴゃぴゃ、ぱっと、消えるのです。だから、途中でも、脳内に在ることをパソコンへ移した途端に、公開をせねばならないと、いう仕組みになっております。また、収入が入る仕組みも妨害を受けておりますので、人を雇うという事ができません。で、何でも自分でやらないといけないし、かつ、それで、いいと思って居るので、病後の主人の為に、一日、六時間程度、料理に割いたりしていて、かつ、77歳の今は、何をするにもスピードが落ちているので、完成までは、長時間がかかります。そういう事となります。ぜひ、お待ちいただきたく存じます。

副題1、『深見東州という名前で、一般庶民が感じるところを、まず書いてみよう』

 この人物は、JR東日本の車両の、各ドア傍に、透明フィルムに印刷した広告をよく載せている人物です。2019年11月14日(木)に発見したのは、【強運】という書物の広告で、168万部売れていると、言う惹句が添えてありました。時々は、受験塾、みすず学園の延長として、土偶時代、もしくは、ひみこ時代の、みずら髪を結った、衣装で、広告を打っています。ただ、サピックス、栄光ゼミナール、四谷大塚、日能研、駿台予備校、代々木ゼミナール等の、大型塾と比較をすると、小規模なものだと、思うのですが、以下のサイトでは、有名人が通塾させているらしいので、「えっ」と驚いたところです。

 しかし、彼は、別名(本名、半田晴久)でも活動をしており、そこに、政治家(=代議士)が、多数参集をしているとのことでした。それが、大問題なのです。

 なお、それが、わかった、下のサイトでの、主人公は、高村正彦氏ではありません。しかし、高村氏について、調査ちゅうに、このサイトに出会ったのです。私は他人が書いた文章はできるだけ、利用しないことにしているのです。こういっては、何ですが、私は、相当に大物らしくて、誰かを、引用したりすると、たちまちに、そのサイトが、影響を受けるからです。

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副題2、『沢尻エリカ逮捕も、無論、私に関係がある。ためにする逮捕であって、NHK大河ドラマは、降板をしない筈だ』

 私は、19年11月12日に、アナザーストーリーを録画して置いて、変だなと、思い、その日以来、何度も、そのNHKのそのホーム頁(=サイト)を開いています。その12日の【山口組VS一和会】の放映の前に、番組宣伝が、何度もあったのです。それで、毎週は録画をしていない、アナザーストーリーを久しぶりに録画をしました。で、後刻、開いてみて、びっくり仰天です。

 司会者が、沢尻エリカになっているのです。彼女は確かに、この番組のMCを、長らく務めてきています。だけど、最近では、松嶋菜々子に代わっているはずなのです。ホーム頁のトップには、松嶋菜々子が、大きな写真で、載っています。で、再放送というお断りが、事前にあったかなあ?と、思って、そういう方向でも調べてみました。

 それからね、松嶋菜々子と、沢尻エリカが、今なお、交代で、司会をしているのかもしれないと、思って、過去放送分を調べたりしました。すると、大組織NHKにしては、いけない措置だなあと、思う、遺漏があって、司会者の名前を過去放映分には、いれていないのです。困ったなあと、思いながら、一応過去放映分の、宣伝用の動画を開いてみると、最初の画面が、司会者の登場なので、調べた限りでは、松嶋菜々子分が、二回は、在りました。

 今、突然に、数行が見えない形にされたので、もう一回書き直します。それほどに、私の文章は、重要なのですから、消されても、いいのですよ。その傍証づけに役立ちますから。

 変だなと、思い続けながらも、もしかしたら、今なお、二人が、交代で、司会をしているのかもしれないと、思いいたって、過去放映分を調べたのです。すると、大々組織、NHKには、あるまじき、遺漏があって、司会者名が、各番組ごとには、記されていないのです。困ったなあと、思いながらも、そこに添付をされている、短い動画を開いてみたのです。すると、その番組では、司会者が、冒頭に登場する仕組みになっているので、そのテーマで、松嶋菜々子が司会をしたか、沢尻エリカが、司会をしたかの区別がわかる仕組みになっていました。で、過去一回分ぐらいは、松嶋奈々子が司会をしているのが、わかりました。

 しかし、驚いたことに、そのうちに、動画が見られなくなったのです。其れは、12日以降です。それを、私が、点検し始めた途端に、宣伝用の、短い動画が、配信されなくなったのです。

 また、表紙も変更になりました。12日の段階では、花模様のドレスを着た、松嶋菜々子の全身像を使ってあったのに、今、17日は、以下の様になっています。

 四日前の方が、ずっと、美しく見える写真です。早速取り換えられています。

 さて、どうして、こうなるかというと、私の娘が、「松嶋菜々子ににいていると、おなり中学時代の、同窓生の間で、評判になっているわよ」という電話が、ママ友から、在ったからです。私の電話は盗聴をされているので、その数年後から、ほぼ10年ぐらい松嶋菜々子は、沈静して、表に出られなかったのです。これは、ほかの人にも良く起きている現象なので、私はつらかったですよ。

 娘の結婚式の写真でも、ここで、展開したら、その・ママ友・の言葉に皆様はうなずいてくださると、思いますが、ともかく、大学生から、結婚式までの、ころは、男の子の方も、娘の方も、美形でした。ご近所の、今では、とんでもない仲になっている、あの貧乏な画家さんでも、昔、平和な時期には、「お宅のお子様方は、美形ですね」といってくれたほどなのです。

 子供の写真を使いたいのですが、危険で、使えないので、親の方を使います。

 この二人が親なんですが、子供は、二人には、似ていません。きっと、北方系又は縄文文化圏系(左の妻の方)と、南方系または、弥生文化圏系(右の夫の方)が、日本人の間でも、祖先に於いて、人種的に、遠く離れているので、一種の混血状態が起きて、美形になったのだと、考えています。栄養には、気を使ったので、背が高くて、細からず、太からずの体形を持っています。唯ね、ママ友からそう言って頂いてから、20年以上は、経ていますので、もう、美形でもないですけれどね。単なる、アラフォー後半の、おじさんと、おばさんと、言ってよいでしょう。

 で、沢尻エリカの逮捕劇が、何を意味するのかを、ここで、書いていきましょう。其れは、こういう流れになっています。

 松嶋菜々子が、やっと再浮上をしました。【家政婦のミタ】を私は、一回も見ていないのですが、高視聴率を稼いだそうで、2019年のお正月にも、NHKBSのエジプト探訪で、佐々木蔵之介と、一緒に使われていて、やっと、ほっとしたのです。

 それにも、拘わらず、私のブログが、真実を書くたびに、彼女の出演が、隠蔽されていくのです。朝ドラ【なつぞら】が、終わってしまったので、私が彼女を見るのは、NHKBSプレミアムの、【アナザーストーリー】だけなのですが、なんとなく、また、隠蔽され始めたなあと、感じているのが、この秋なのです。番宣がないうえに、夜、遅い時間帯に移動をして居たり、岡田准一司会の、プロファイラーという、似ている番組が出てきたりしていて、『おかしいなあ』と思って居たのです。

 久しぶりに、大番宣があったので、2019年11月12日に録画をして置いたら、何という事、沢尻エリカが、司会をしています。で、再放送かしら?と、思って居るのですが、何も、注意書きがありません。NHKは、オンデマンドで、以下の番組を配信しないと、言って居ます。

「兵馬俑は見ていた!~巨大遺跡に翻弄された人々~」

しかもその動画を宣伝する番組内では、司会 沢尻エリカ 語り 濱田岳 と書いてあるのです。しかし、今、特に本日に、・・・・・あれ、△印が付いている。また、動画が復活しているなあ・・・・・と、思って、動画を再生してみたら、最初の場面で、司会者が、松嶋菜々子に代わっていました。瞬時の小細工がなされたのです。私は、松嶋菜々子の方に、感情移入をしているのだから、こういう小細工がなされていても、別に構わないのですが、ここで、本当に、言いたいことは、

 「沢尻エリカの逮捕劇とは、対、私からかいの一種なのです」という事なのです。まあ、変な形ではありますが、「お前、アナザーストーリーを気にしているんだろう。其の12日放映分の、沢尻エリカを逮捕してやるぜ、だから、お前が言って居る通り、お前の指先が、世界のニュースを作り出すんだ。ざまあみろ、俺たちの力の、大きさを。お前、警察が、ご近所に合い鍵を渡しているなんて、書くなよ。それが、本当でも書くなよ。警察とは、怖いんだぞ」と、敵さんが、言って居るらしいと、いう事です。

 で、私は、例の逆張りの発想で、その事実を、自分が、どれ程、大物であるかの証明として使うのです。

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副題3、『私は、2001~2005年のどこかで、深見東州と、30分ぐらい、二人だけで、出会って居る。よみうりランドかなにか、遊園地のそばの駅の、そのまた、最寄にあった、彼の自宅で、占いをしてもらうために出会った。・・・・・その前に、日傘雅水さんと言う、より上等なタイプの、占い師との仲を、赤瀬川原塀によって、裂かれた件も語らないといけない』

 私は、1998年に、日傘雅水さんと言う、手相観に手相を見てもらって居ます。この人は、日大芸術学部卒であって、YMOのマネージャーもしたそうで、かつ赤瀬川原平さんを、見てあげて、彼の苦境時代に、「大丈夫だ」と、心理的にサポートをしてあげたそうです。雑誌【太陽】の赤瀬川原平特集号で、赤瀬川さんの方が、そう告白をしています。

 私が、手相占いが、当たっていると、思い始めたのは、文化庁の在外研修生制度で、パリに、行かれることがわかってからでした。

 子供のころから、ものすごく優秀だと、言われ続けてきています。それに関するエピソードは、五万とあるというほどです。しかし、東大で、サラリーマンとして、勤務していたころは、ともかくとして、どうしても収入が得られません。特に画家としてとか、文筆業としての、自営業、をやる人としては、収入が得られません。

 これは、今思うと、1965年にすでに、優秀な人間として、弾圧が始まっていたからでしょう。当時アメリカCIAのスパイ(当時の用語)ベイカーさんと言う学生に、ICU内で、ただ、眉をひそめただけで、頭がいいことが、見破られてしまったのです。それ以降、ずっと、ずっと、抑圧されてきているからです。

 その上、1978年に北久里浜で、日本人エージェントとして、特に戦後は最大の、人物である、瀬島龍三が関連している・大・土地詐欺事件に遭遇し、これまた、裏側を正確に見破っています。頭がいいことが、時には、危険を伴うのですが、そんなことは、夢にも知らずに、ただ、ただ、防衛用の、対処的行動をするだけで、おお損をしてきたわけでした。唯ね、現実のお金の面でも、親から、遺産をもらったりしていますので、「天は、よき采配を、くださってはいる」と、信じては、いますけれど・・・・・まあ、パソコンが壊れても、買いなおすだけのお金は、在るわけです。アフィリエイト収入が入らなくてもです。

 ただね。1998年に、文化庁の在外研修生として、パリに、三か月行かれることとなって、『やっと、浮上のチャンスが来た』と、感じました。でね、いろいろな準備を始めました。逗子にアトリエを作って、版画を制作する機械である、プレスというのを備えたのもその一つです。鎌倉の家には、それが、石段を、150段程度も、は、上がらないとのことでした。木口版画で、有名な、柄沢斉は、とても、小さな版画用プレスを持っています。木口版画というのは、出来上がりサイズが、小さいものだから、それで、いいのですが、1998年当時は、私は、国画会の、国展に、出品していた最中なので、そういう展覧会用のサイズの版画を摺ることが可能なサイズ、(=大学とか、印刷工房に置いてある、一般的なサイズで、70cmX150cmのもの)を買ったら、「絶対に鎌倉のお宅には、上げられません」と、製作会社が言うのです。のちに北隣の家が、テレビに取材をされていて、重いもの専門に扱う業者がいる事がわかって来るのですが、そういうものを紹介すると、お金が必要になるので、相手は、嫌がったのでした。で、逗子の古いマンションの、一階にアトリエを、準備するなどの、物理的な側面も、用意したのですが、と、同時に、心理的な側面の強化に役立てようとして、手相占いの結果も知りたかったのです。

 というのも、たまたま、その当時は、銀座の福家書店に良くよっていたのです。この書店は::::::

代表取締役は芸能事務所大手バーニングプロダクション社長の周防郁雄[1]2013年宮崎伊久雄が退任し、創業の宮崎家は完全撤退した。[要出典]

かつて存在した銀座店でのイベントは年200回、一回平均500人の参加者を集め(最多動員は2008年9月28日の小池徹平 (WaT) の握手会での10,556人[2])、“発売記念イベントの聖地”として知られた。:::::::という事で、有名な書店でしたが、サイズというか、規模が適切で、本を選びやすいのでした。其の一階の平台に、日傘雅水さんの、ムック(アンアンの別冊特集号)が、置いてあったのです。

  その本の中の記事と図形こそ、私が、探し求めていたものでした。ほかの手相の本にはない、記事と文章が載っていました。つまり、創作とか、発表の仕事に関係がある、太陽線というものの、解説が、丁寧に載っていたのです。これは、日傘さんが、インテリで、しかもメディアに強いので、お客さんが、有名人が多いので、そこが発達している人が多いからでしょう。しかし、紹介をされたお客だけを見てあげる人らしいので、どこにも電話等が、公開をされていませんでした。ただ、アンアンの編集部に電話をかけて、やっと、連絡が付いたのです。なかなか、待たされて、しかも、間接的な、形でしか連絡が取れないのですが、到頭あう事が出来ました。合計三回、会って居ます。結局は裏切られていくのです。間を取り持ったのは赤瀬川原平さんでしょう。だけど、初回には、目が覚める様なご託宣を受けました。

 私は、自分が思って居るよりも、強い人間であるらしいと、いう事でした。其れは、すべての線が、二重になっているので、一本、一本は細いが、二重ゆえに強いのだと、いう事でした。そのほか、手の形そのものがいいという事と、手の肌の色がピンクで、きれいだと、いう事も言って頂いて、本当にほっとしました。それから、彼女の本に書いてある幸運のしるしも当時は、いっぱい両手にあったのです。

 でも、彼女にも裏から手が回って、やがて裏切られる様になります。特に週刊女性に、彼女が、二重線の事を書いて、その最後に、「この線を持つ人は、腹黒い可能性がある」などと書いてあったから、確定的になりました。でもね。初回には、親切にしていただいて、ある種の啓示を受けたわけです。特に、金星帯というのが、二重にあるという事の意味など、それ以降、文章を書く際にも、大いに役立っています。前々報、

19-11-14に何度目かとして語る、笹井芳樹氏・他殺・説・・・+・・・先生が生徒を苛め抜く話ー2   2019-11-14 08:46:53 | 政治 

 の中の、副題4で、書いているエピソードなど、・・・・・横浜国立大学付属中学校で、1956年に、先生とある男子生徒の間で、交わされたサポーター如何の話が、結局のところ、中2少年の勃起が何とかという事を意味していたのだ・・・・・などという書き方は、その時の日傘さんの、言葉「あなたは、芸術家でよかった。もし、普通の主婦だったら、事件(フェロモン系=恋愛沙汰での、殺害事件などを指すと、思う)を起こす様な主婦になっていましたよ」という言葉に、依拠し、触発されて書くことができる様になっている文章です。私は、自分では、そのことに一切気が付きませんでしたが、いわゆる、水も滴るいい女の類の人だったのでした(大笑い)でもね、日傘さんには、裏切られているという思いもあって、村松友視さんが、伊藤玄二郎の雑誌【かまくら春秋】に連載を始めたりすると、

 もう、行かない方がいいのだと、判断をし始めます。そして、別の占い師を探し始めます。その別の占い師が、深見東州だったわけです。

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副題4、『深見東州は、そのころ(2000~2005年の間)、彼の自宅の廊下に、置いた机で、診断をしていた。彼の背中側に、幅三尺の本棚があって、実用書ばかり入って居た。それで、彼を、信じない感じに入って行った。その上、実際に彼が吐いた言葉も、全く尊敬できない言葉だけであって、一万円を払って、帰りながら、何か、いやな感じだなあと、思った記憶がある』

 その時にあった顔と、電車のドア傍に、はってある、透明な基盤に、印刷してある、広告上の顔とは、同じなので、私が、20年以上前に、実際に出会った男性が、彼本人であることに間違いはない。ところで、本日(2019年11月17日)初めて、彼の学歴を、チェックした。すると驚いたことに、同志社大学経済学部[1]
武蔵野音楽大学
パルナソスエミネンス(特修科)声楽専攻修了[2] の二つが書いてあった。彼は、どこかから、潤沢な資金が下りているらしい(CIAではないだろうか?)ので、武蔵野音大の、特集科(いわゆる聴講生みたいなものだろうと、思うが)を卒業しているらしい。という事は声がいいと、いう話に通じる。其れは、私とも似ているが、例の、こども(=本間君)をいじめた、1955~1956年に、横浜国立大学で、担任教師を務めていた、先生と、そっくりでもある。脂性であることも似ている。また、同志社大学を卒業していて、英語が、非常に得意であることも似ている。私は、国際基督教大学で、部活で、英語を使ったことはないが、学校そのものが、一年間、訓練をし続けるし、そこに入学する前に、横浜国立大学付属には、フルブライト、交換留学生としての、アメリカ人女性教師が居たので、いまだに、外人から、「きれいな英語を話しますね」といわれる。日本にいるときは、何もレッスンをしていないので、すっかり忘れているが、アメリカに行ってしまえば、2か月目ぐらいから、思い出す。

 ところで、深見東州は英語がよくできるそうだ。それが彼に、外国の勲章を与える由縁にもなっていると思う。その一つが、ニュージーランド・メリット勲章でそれは、(New Zealand Order of Merit )は、1996年5月30日ニュージーランド女王エリザベス2世により創設された。とある。私は勲章は、もらって居ないが、英語ができると、いう点と、音楽が好きで、声がよいという点で似ている。

 その上、亀井静香氏が、彼を、「(半田)先生は『私は現代のダ・ヴィンチだ』と言うんですが、それは褒めすぎじゃないかという人がいますが、私はそうだと思う。先生は我々日本国民にとってかけがえのない方」ですと、パーティで、言ったそうだが、其れは、私が、メルマガの中で、自分について描いた、文章とそっくりなのだ。メルマガは、AOLで書いているので、パソコンが壊れると、同時に消えてしまうのだけれど、たぶん、井上ひさしあたりが、採用すべきだと、言って、半田晴久が、使用し始めたか、亀井静香氏が、使用し始めた言葉だと、思って居る。

 まあ、これから、先の言葉は、言ってしまうと、自分が損をするので、言わないが、半田晴久=深見東州の、大物化は、私が、導き出したものだと、言いたい。其れは、沢尻エリカの、逮捕劇が、私が生み出したものだと、言うのとついに、なっている。

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副題5、『深見透修が、どうして、ここで、取り上げないといけないほど、重要かというと、これが、一つの道具となっていて、安倍総理大臣が、威張ることができる死、永田町がいかにも、本物の政治家集団みたいに見えるという事だ。私は谷垣禎一さんが、連絡係をしているので、安倍総理大臣は、鎌倉エージェントの言うなりになっていて、したがって、長期政権になっていると、言い続けている。それをサポートするのは、観桜会も、機能をしているし、谷垣さんも、寄与しているし、この、半田晴久の、会も、機能をしているのだった。其れは、今まで知らなかった。偶然に、五月23日に、*****罫線以下に、アップされたものを、本日、見たのは、ありがたい現象だったと、感じている・・・・・この文章は、山本太郎氏が、誤解をされているという擬分から、書き起こされているが、主役として、半田晴久が、登場しているので、私にはありがたい文章だった』

 

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日本母親連盟関係者が「ワールドメイトが山本太郎氏に2000万円寄附」とデマ。本当にワールドメイトと懇意な政治家は誰?

   5/23(木) 8:33配信    

HARBOR BUSINESS online                           

        今年2月26日、日本母親連盟主催の講演会で日本母親連盟の保守運動やニセ科学との関連性を指摘した山本太郎氏           

宗教団体から山本氏へ2000万円の寄附というデマ

ワールドメイトは、山本太郎に20,000,000円の寄付してるね」

 Twitterで、こんな投稿をしている人物がいる。山本太郎氏が宗教団体「ワールドメイト」(教祖=深見東州氏)からの献金を受けているというのだ。投稿の主は、政治団体「日本母親連盟」(代表=阪田浩子氏)の「三重県支部」を名乗る、後藤新太郎氏。以下がその全文だ。
⇒【画像】2019年3月の「深見東州・バースデー書画展」に飾られた国会議員たちからの祝花
”事実だけお伝えしますね。
安倍晋三首相とワールドメイト代表、深見東州(本名:半田晴久)
ワールドメイトは、山本太郎に20,000,000円の寄付してるね。
総務省HPより”(後藤新太郎氏のTwitterより)

 ワールドメイトと言えば、かつて高額な玉串料の返還を求める訴訟を元信者から起こされたり、批判的な記事を掲載したメディアやジャーナリストに対して訴訟を起こしたりしたことで知られている宗教団体である。この宗教団体をめぐっては、いまでも「ワールドメイト被害救済ネット」という被害者団体が活動している。

 一方、山本氏がワールドメイトから献金を受けていたと指摘している後藤氏が所属する「日本母親連盟」は、今年2月に山本氏を招いて講演会を開催。保守運動やニセ科学的な思想との関わりを指摘され、その場で山本氏から「(日本母親連盟と)選挙を一緒にやるというのは難しい」と袖にされた。後藤氏自身、当時Twitterで「#講演会テロ」などのハッシュタグをつけて山本氏を非難していた。山本氏とはいわば「因縁」の間柄だ。(参照:”山本太郎氏、日本母親連盟を支持者の面前でぶった斬り!”–HBOL)

 山本氏は「団体からの支援は受けない」と公言しており、日本母親連盟主催の講演会においても同様だった。それが、社会的に問題を指摘されている宗教団体から寄附を受けていたとなれば、政治家としての信頼性を大きく損ないかねない。

山本氏への寄付はなし。事務所も否定

 しかし、後藤氏の投稿はデマである。後藤氏が「総務省HPより」として掲載した画像は、ワールドメイトから2000万円の寄附があったことを示す政治資金収支報告書だ。しかしこれは「生活の党と山本太郎となかまたち」という政党への寄附であって、山本氏への寄附ではない。

 山本氏の事務所に確認したところ、以下のようなコメントだった。

「山本は企業・団体からの支援は受けておりません。個人からいただいている寄附については、個人情報にあたりますのでこちらからお答えできません。政治資金規正法に基づいて収支報告書を提出していますので、どなたでもそこでご確認いただけるかと思います」日本母親連盟関係者が「ワールドメイトが山本太郎氏に2000万円寄附」とデマ。本当にワールドメイトと懇意な政治家は誰?   

ワールドメイトと懇意なのは小沢一郎氏!?

 「生活の党と山本太郎となかまたち」は、山本氏と小沢一郎氏が共同代表を務めていた政党だ。後に「自由党」となり、さらに後に国民民主党と合流。山本氏は合流に加わらず新党「れいわ新選組」を立ち上げた。

 後藤氏が指摘したワールドメイトからの2000万円の寄附は、平成26年(2014年)分の「生活の党と山本太郎となかまたち」の収支報告書に記載されていたものだ。同党は「自由党」となった後の平成29年(2017年)にも、ワールドメイトから2000万円の寄附を受けている。

 いずれの時期も山本氏は小沢氏とともに共同代表を務めていたが、届け出上の代表者は小沢氏。そして、それぞれの議員に関連するほかの政治資金収支報告書とつきあわせて見ると、ワールドメイトとのつながりが見て取れるのは明らかに、山本氏ではなく小沢氏の方だ。

 ワールドメイトが「生活の党と山本太郎となかまたち」に2000万円を寄附した平成26年分から、公表されている最新分の平成29年分までの収支報告書をまとめると、こうなる。

 まず山本氏が関連する政治団体は、新党「れいわ新選組」を含めて4つ。れいわ新選組は今年結成されたもので政治資金収支報告書はまだ公表されていない。残り3つは、「新党ひとりひとり」「山本太郎となかまたち」「Taro’s NETWORK」だが、いずれも平成26~29年分の政治資金収支報告書に「ワールドメイト」の文字はない(新党ひとりひとりについては平成26年分が入手できず未確認)。教祖・深見東州氏の本名である「半田晴久」名義での寄附もない。

関連団体の顧問までしている小沢氏

 一方、小沢氏については、小沢一郎政経研究会が平成26年に300万円、27年に400万円、28年と29年にそれぞれ300万円、計1300万円を政治資金パーティー代としてワールドメイトから受け取っている。同研究会の年間収入は約2200~3300万円。おおまかに1割程度、年によってはそれ以上が「ワールドメイトの金」で成り立っている政治団体だ。

 これだけではない。小沢氏は、半田氏が「所長」を務めるコンサルタント会社「菱(びし)法律経済政治研究所」で顧問を務めている(同じく顧問に亀井静香氏もいる)。2012年には毎日新聞が、小沢氏が同社から受け取っている顧問料は毎月200万円と報じている。

 小沢氏は例年、半田氏の誕生祝いのイベントである「深見東州・バースデー書画展」に祝花を贈っているほか、たとえば半田氏が実行委員長を務めた2013年の「スポーツ平和サミット東京大会」にも花を贈っていることが確認されている。

 こうした関係は小沢氏に限ったことではない。ワールドメイトや半田氏は与野党問わず多くの政治家、政治団体と関わりを持ち、政治資金収支報告書で確認できるだけでもかなり広範囲に金をばらまいている。

 前出の「スポーツ平和サミット東京大会」にも複数の政治家の名前が登場する。当時の猪瀬直樹都知事や下村博文文科相が会場で挨拶に立った。鳩山邦夫・衆議院議員は挨拶で「(実行委員長の)半田先生は、国会議員の1万倍の実行力をお持ちの天才!です」と半田氏を持ち上げたことを、当時「ワールドメイトみんないらっしゃい支部エンゼル会」(東京・杉並区)がブログで報告していた。このとき安倍晋三首相は花と祝電を贈っている。

 山本氏がワールドメイトから献金を受けているかのように語る日本母親連盟関係者のTwitter投稿は明らかなデマだ。仮に、ワールドメイトから献金を受けた党で山本氏が共同代表だったことについて道義的責任を問うなら、まだ理屈は通る。しかしそれでもなお、ワールドメイトと直接の関わりが確認できない山本氏をあえてことさらに取り上げる意味はないし、フェアでもない。もっと親しい関係にある政治家たちが他に山ほどいるのだ。

    日本母親連盟関係者が「ワールドメイトが山本太郎氏に2000万円寄附」とデマ。本当にワールドメイトと懇意な政治家は誰?
   

5/23(木) 8:33配信       

HARBOR BUSINESS Online 

   
ワールドメイトと親しい政治家は与野党に

 ここはひとつ公平に、ワールドメイトや半田氏と接点がある政治家を一通り列挙しよう。「公益財団法人政治資金センター」のウェブサイトで、「ワールドメイト」や「半田晴久」と検索すると大量に出てくる。以下、カッコ内は代表者名(敬称略)。

自民党静岡県第7選挙区支部(城内実)
自民党東京都第17選挙区支部(平沢勝栄)
自由民主党大阪府第14選挙区支部(長尾敬)
自由民主党大阪府第19選挙区支部(谷川とむ)
自由民主党大阪府第1選挙区支部(大西宏幸)
自由民主党東京都参議院比例区第22支部(山田宏)
自由民主党福岡県第六区選挙区支部(鳩山邦夫)
民主党愛知県第8区総支部(伴野豊)
民主党静岡県第3区総支部(小山展弘)
民主党東京都第1区総支部(海江田万里)
民主党福岡県第10区総支部(城井崇)
民進党千葉県第8区総支部(太田和美)
民進党東京都第19総支部(末松義規)
自由党(生活の党)岩手県第4区総支部(小沢一郎
生活の党広島県参議院選挙区第1総支部(佐藤公治)
生活の党千葉県第3区総支部(岡島一正)
維新の党愛知県第4区総支部(牧義夫)
維新の党衆議院北海道第2選挙区支部(松木兼公)
維新の党千葉県第8選挙区支部(太田和美)
浅尾慶一郎を支える会(浅尾慶一郎)
小沢一郎政経研究会(小沢一郎)
新声会(鳩山邦夫)
けんこう冬日会(松木兼公)
ねんりんの会(山田美樹)
下地ミキオ後援会(下地幹郎)
海江田万里を支える会(海江田万里)
亀井静香後援会(亀井静香)
原口一博後援会(原口一博)

 また、前出の「深見東州・バースデー書画展」では例年、多くの政治家が挨拶に立ったり花を贈ったりしている。その全ては把握しきれていないが、出席者からの情報で名前が挙がった政治家たちは過去3年間でこれだけいる(敬称略)。

安倍首相も3年連続花を贈っていた

2017年
【スピーチ】亀井静香、松木謙公、山田宏、鳩山二郎、西村眞悟
【祝電】高村正彦
【祝花】安倍晋三、高村正彦、亀井静香、下村博文、小沢一郎、城内実、平沢勝栄、松木謙公、浅尾慶一郎、堂故茂、原口一博、樋高剛、小山展弘、松崎哲久、長尾たかし、末松義規、城井崇、米長晴信

2018年
【スピーチ】亀井静香、小沢一郎、原口一博、松木謙公、海江田万里、平沢勝栄
【来場予定ながら欠席】城内実、山田宏
【祝電】安倍晋三、高村正彦
【祝花】安倍晋三、高村正彦、小沢一郎、下村博文、平沢勝栄、原口一博、城内実、松木謙公、長尾敬、岡島一正、佐藤公治、城井崇、末松義規、北神圭朗、太田和美、鳩山二郎、舛添要一、西村眞悟、木内孝胤、米長はるのぶ、石川知裕、川島智太郎、野沢哲夫、樋高剛、日吉雄太、大西宏幸、宗清皇一、堂故茂、浅尾慶一郎、谷岡郁子

2019年
【スピーチ】亀井静香、高村正彦、下村博文、平沢勝栄、原口一博、前原誠司、鈴木宗男、海江田万里
【祝電】安倍晋三
【来場】山田宏、松木謙公
【祝花】安倍晋三、高村正彦、下村博文、西村康稔、原口一博、前原誠司、小沢一郎、城内実、舛添要一、松木謙公、浅尾慶一郎、日吉雄太、谷川とむ、大西宏幸、松崎哲久、鳩山二郎、宗清皇一、のざわ哲夫、牧義夫、常故茂、長尾たかし、米長晴信、樋高剛、石川知裕、川島智太郎、岡島一正、城井崇、末松義規、佐藤公治

 安倍首相もこの3年間、出席こそしていないが祝電や祝花で「皆勤賞」 

   
出席議員たちの驚愕スピーチ

 また、出席者によると、2017年の「深見東州・バースデー書画展」では政治家たちがこのようなスピーチをしたという。

亀井静香氏「(半田)先生は『私は現代のダ・ヴィンチだ』と言うんですが、それは褒めすぎじゃないかという人がいますが、私はそうだと思う。先生は我々日本国民にとってかけがえのない方」

松木謙公氏「今日、トゥールビヨンの時計(半田氏が経営する時計店が発売した88万円の時計)買って帰りますから(会場から感嘆と拍手)。娘は先生のみすず学苑にお世話になったんですよ。私が言ったわけじゃないですからね。娘が勝手に見つけてきたんですよ」

 トゥールビヨンの時計とは、半田氏が経営する時計店「HANDA WATCH WORLD」が数量限定で発売した、半田氏が書いた絵をあしらった腕時計「太平洋のご来光トゥールビヨン」(税別88万円)。この誕生会でも紹介されていた。みすず学苑は、時計店と同じ株式会社ミスズが運営する予備校だ。かつて、生徒が予備校スタッフに勧誘されワールドメイトに入信してしまったというケースもある。

山田宏氏「私、みすず学苑、深見先生の本拠があります杉並区の区長を11年間務めております。先生にご支援、またご指導いただいているという関係です。去年流行った言葉で、『神ってる』と。これ、東州先生のことですよ。神のようだということですね」

 山田氏はワールドメイト発祥の地・西荻窪がある杉並区の元区長で、2017年当時はすでに参議院議員。特定の宗教の教祖を「神のよう」と持ち上げたのが仮に事実だとしたら、寄附を受け取るよりはるかに問題がありそうだ。

政治家が特定宗教の教祖を「神のよう」という異常

鳩山二郎氏「父(鳩山邦夫)が生前、深見東州先生にお世話になっていて、政治家の先生の中で一番お世話になっていたのは、間違いなく私の父でございます。私は昨年の補欠選挙、あんまり失言はしないようにしているんですけども、いろいろ地元でありまして。大変いじめられた選挙だったわけですが、その中でも深見先生には真っ先に応援をしていただいて、先生のお力でいまバッジをつけているわけですから、これからも先生のために私も懸命に努力していかなければいけない」

 政治家たちが教祖を「ダ・ヴィンチ」「神のよう」と呼び、教祖の商品を買い、娘をみすず学苑に通わせ、「先生のために懸命に努力」するとまで宣言している。耳を疑いたくなる光景だ。

 なお2019年の「バースデー書画展」では、政治家と呼ぶべきか不明だが、今年4月の東京・中央区長選に立候補して落選した上杉隆氏からの花も飾られていた。

 上記を見て分かる通り、ワールドメイト教祖の誕生会においても山本太郎氏の名は登場しない。

<取材・文・写真/藤倉善郎(やや日刊カルト新聞総裁)・Twitter ID:@daily_cult3>
ふじくらよしろう●1974年、東京生まれ。北海道大学文学部中退。在学中から「北海道大学新聞会」で自己啓発セミナーを取材し、中退後、東京でフリーライターとしてカルト問題のほか、チベット問題やチェルノブイリ・福島第一両原発事故の現場を取材。ライター活動と並行して2009年からニュースサイト「やや日刊カルト新聞」(記者9名)を開設し、主筆として活動。著書に『「カルト宗教」取材したらこうだった』(宝島社新書)@

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先生が、受け持ち生徒をいじめる話ー3  幼保無償化ー1   桜を見る会大騒動と、Animal Farm(ジョージ・オーウェル)

2019-11-15 23:55:38 | 政治

*1)、 私が今書いていることは、主に、心理学と、子育ての分野の問題です。

 本日も外出の用事があったので、遅くなりました。が、夜の、零時ごろから、あの、64年前、1955~6年に、目撃した事を書きたいと、思って居ます。なお、前報(後注1)は、二か所の、誤変換を直したまま、文中には、加筆をせず、そのまま、完成と、しておきます。

 私は、本間君の演奏を聞いています。中一の時に、大きな(大学生用の)講堂で、300人の生徒と先生と一緒に聞きました。タイトルは忘れているが、無伴奏の曲だったと思います。バッハのパルティータか、ソナタか? 小学生の時に、既に、全国的なバイオリン・コンクールで、入賞をしているわけですから、音は、きれいでした。

 ただね、何度も言って居る通り、お人形さんみたいな印象を受けるのです。ロシアのマトリューシカ。それに、印象が似ている。そこもまた、先生が、その子をいじめる原因だったのかもしれません。先生は、男性だけど、声がきれいで、カンツォーネを歌って、NHKのど自慢で、鐘を三つ鳴らしていると、いう事が自慢でした。先生は大人だから、表現力があります。一方で、本間君の方は、音がきれいだけれど、表現力が豊かだとは言えません。でも、バッハって、クラシック曲の世界での、お米みたいなものだから、それでいいのですが、今、思えば、私でさえ、『本間君って、お母さんの、言う通りに動いているのではないかしら?』と、思うほどですから、先生も、それは、わかっていて、本間君を軽蔑していたのだと、思います。『なんだ、こいつ、単なる操り人形ではないか』と、思って。

 特にお母さんと先生との間に、確執があった(後注2の、副題〇)と、私は、想像するので、「坊主にくけりゃ、袈裟まで、憎い」の典型で、お母さんへの、憎しみが、子供に向かったと、見ているわけですが、それでも、何とも理不尽な事だと、思ってきました。64年間も忘れられない出来事として、理不尽だと、思い続けてきています。

~~~~~~~~~~~~~

*2)、幼保無償化は、私のブログから、生まれてきた政策の様な気がする。そんなことは、するべきではないのに。

 男の子が小さかった時に、カブ・スカウトに入れていました。ボーイスカウトの、小学生部隊です。で、そこでは、お母さんとか、お父さんが、指導者を担います。でね、ものすごく、訓練を課します。しかし、どことなく、自主性を損なうみたいに見えました。だから、熱心にやらせようとは、思いませんでした。それよりも自由自在に遊ばせる方がいいと、思って居ました。

 ただね。自由自在に遊ばせるためには、親が、地域社会に、入っておかないといけません。四年制の大学を卒業した女性なんて、おばさんたいぷの主婦は、苦手です。でね。地域社会で、子供を遊ばせるのは、避けたいと、思うお母さんが、多い模様ですね。最近は、特に多い模様です。で、自分は、仕事を続け、保育所に子供を預ける女性が多い模様ですが、危ないと、思って居ます。私は、それを、恐れずにやったわけですが、大いに苦労をしました。その苦労話を書いています。

 その中に、・・・・・お父さんが、銀行マンなのに、幼稚園の費用を惜しんで、下の子は、幼稚園に、行かせなかった、家があって、その女の子が、我が家で、注意しても、注意しても、お菓子を盗み食いしてしまうので、困りぬいた・・・・・と書いています。お母さんは、下の子、特に女の子の方は、かわいくないと、私は見ました。だから、幼稚園にもいかせないし、袋菓子を買ってあげていない。その上、よその家のお子さん、特に、こういう風に親にかわいがられていなくて、裏表のある子を預かって、二歳ぐらい下の我が子と遊ばせるのが、どれ程大変か、自分の方は、それを、やって居ないので・・・・・というのは、私の方に預けっぱなしで、自分の家の方には、おいでと、言わないのです・・・・・お礼さえ言わないことで、はっきりとそれがわかっていました。子供をよその家で、遊ばせることは、非常に大切です。具体的な、ものがある、たくさんの種類があるところで、自由自在に遊ばせる経験が大切なのです。しかし、それを行う人は、本当に大変です。だから、毎日ぐらい相手の家に、お礼に行かないと、いけませんよ。その時に、情報交換をするのも大切です。

 あんまり困らせられて、現場をお母さんを呼んで見せました。押し入れの下の段に隠れて、食べていて、客布団の、白いシーツを、キャラメルコーンで、べとべとにしている状態を見せました。これが、恥をかかせたという事で、恨みを買って、後日、大変な思いを私が味わわさせられます。このお父さんは、1970年代は、常盤相互銀行と、いう名前だった銀行に勤めていました。その銀行は、のちに、東日本銀行と改名して、そして、横浜銀行と合併しました。そして、横浜銀行は名前を変えて、コンコルディアとなりました。それも、私が、ブログで、書いていることが、嘘となるべく、改名したと思います。し、合併も私のブログつぶし用の政策だったでしょう。

 そこから考えると、幼保無償化も、私が、そのエピソードを書いている最中に、そっと、企画をされたと、思います。其れは、数年おきに何度も書いています。というのも北久里浜で、起きた大規模な、実質的詐欺事件の、主犯たちが、その、恨んでいる、両親(ときわ相互銀行勤務だったお父さんの居る家)を、利用しまくって、地籍変更届を、遂行したからです。で、政治的問題となるので、ほかの政治的謀略問題が起きると、何度もその案件を出すこととなります。周南事件が起きても、やまゆり園事件が起きても、横浜都筑区の傾きマンション問題が起きても、この両親の話を出すこととなります。

 で、そこから、幼保無償化が起きたと、思います。今、パソコンの、システム障害が、多数回起きているので、ここに今書いていることは正しいでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*3)、『安倍総理大臣の、桜を見る会を、野党は大問題としている。だが、幼保無償化の方が、よほど、この国の財政をおびやかすし、子供、ひいては、若者、ひいては、この国に住む、人間たちをだめにする。』

 子供って、とても手がかかるものです。孤立化している、核家族の、お母さんが、悩み深いのもわかります。しかし、手をかけ、心をかけ、お金をかけてこそ、さらに、親は、親になっていくのです。そして、子供も、大人になっていくのです。親である人と、子育てをしてこなかった人とは、画然とした差があります。人間の深みが違うでしょう。でも、これからの、日本では、子育てをした人も、子育てを経験していない人とまるで、同じとなってしまいます。つまり、苦労をした事のない人だけの集団になってしまいます。

 非常に荒れた、つまらない国となっていくでしょう。

 私は、永田町は、おもちゃの政治をやって居ると、常に、言って居ます。そして、共産党もまた、CIAエージェント達に支配をされているので、一見すると、共産党はでかしたと、言いたい様な、今回の安倍総理大臣の、税金の私物化を問題にする質問ですが、重箱の隅をつつくような案件です。其れを大騒ぎをしているのは、しかも、よくテレビに出てくるタレント議員が、大騒ぎをしているのは、

 『ああ、そうか。間歇的に、永田町に、えさを投げ与えようと考えている手合いがいるのですね。そういう連中がスパコンを、丁寧に、調べて、安倍総理大臣の、でした。サポーターが、桜を見る会にお招きをいただき、「こうでした。ああでした」と、SNSで投稿をして、居るのを見つけて、早速に餌として、利用をしたわけですね。・・・・・ああ、ほんとうにジョージオーウェルのAnimal Farmの世界が、実現をしています』と、考えるのでした。

  桜を見る会が、安倍総理大臣自身の動画付き、発言として、「来年は、中止します」と、NHKは、見せたのに、次の日に、急転直下、来年もやりますと、なりました。なぜだか、皆さん、ご存知ですか? 私が、あら、安倍さん、久しぶりに、いい子とするじゃあないの」と我が家で、主人を相手に、言ったからでしょう。誇大妄想狂だと、お思いになりますか? 違います。我が家の室内が、盗聴をされているので、鎌倉エージェントの、特に井上ひさしが、大変だ。彼女は、これから、ほら見たことか❔」と、言いだすぞ、松尾崇鎌倉市長が、市税を、こういう風に私物化している、ああいう風に私物化していると、書き始めるからね。早急に安倍総理に、訂正させなさい」と、伊藤玄二郎を通じて、谷垣禎一氏に、言わせたのだと、思って居ます。

 私は安倍総理大臣のシンパでも、ファンでもないです。激しく批判をしています。でもね。消費増税を何故許したのか? それから、除染にいくら使ったのか? そのほか法律の改悪とか、もっと、大きなポイントで、批判をしています。困った野党です。

 なお、この、*3)の、リンク先は、将来、時間があったときに、見つけますと、させておいてくださいませ。

 この一文は、続きを17日の夜に書きます。いじめる鬼面冠者と、ほかの、先生との間の、先生同士の喧嘩とか? 他にもいろいろあります。其れを、加筆していくでしょう。お待ちいただきたく存じます。

19-11-14に何度目かとして語る、笹井芳樹氏・他殺・説・・・+・・・先生が生徒を苛め抜く話ー2   2019-11-14 08:46:53 | 政治

後注2、

1955年・中一の受け持ち男子を苛め抜いた男性教師 VS 1951年受け持ちの小三=私に、生涯忘れられない忠告をくれた担任(女性)   2019-11-12 22:35:40 | 政治 

 

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19-11-14に何度目かとして語る、笹井芳樹氏・他殺・説・・・+・・・先生が生徒を苛め抜く話ー2

2019-11-14 08:46:53 | 政治

  今は、16日の午前零時です。下の文中、二か所に誤変換があったので、直しました。それで、これは、感性としておきたいと、思います。で、好例の△印を総タイトル横に付けておきます。

副題0、『この章を書き始めるにあたっての、お断り』

 私は前報を、三日目にして、やっと完成しております。其れは、最初の総タイトルを、【11日は悪夢で目覚めたのだが、二つ原因があり、その一つは、小学校時代の、先生の言葉だった】としておりましたが、今は、下の様に変えております。

1955年・中一の受け持ち男子を苛め抜いた男性教師 VS 1951年受け持ちの小三=私に、生涯忘れられない忠告をくれた担任(女性)  2019-11-12 22:35:40 | 政治

  しかも、加筆をしてあります。その部分は、アンダーラインを敷いておきます。で、その最後で、次の予定として、【桜井万里子東大名誉教授と、古村浩三君(元日本ユニシス勤務)と、川名昭宣君(元河出書房新社勤務)の関係。】

としておりました。しかし、ここで、私は違う事を書きたいと、思い始めました。其れは、逃げではないのですよ。しかし、少し、スケールの大きなことへ飛びたいと、思ったのです。しかし、その前に、前報の、続きを副題1として、語りたいです。

 前報は、学校の担任の先生が、良い方も、居れば、よくない人もいると、いう事を書いています。そういうくくりもあるのですが、いじめが起きるのは、先生が、弱い人物だと、いじめが起きるケースもあると、いう事です。昔、というのは、40年ぐらい前に、星占いを研究していたのです。西洋星占いも、東洋系星占いも研究しました。そして、そのいじめる先生も、星占いが好きでした。其れは、1955年より前のことです。非常に昔から、研究をされていたのでした。なぜ、星占いを、研究されていたかというと、学校の先生は、ただ、単純に、学問を教えるだけでは済まないからだと、思って居ます。同僚の先生同士、父兄との付き合い。そして、中学生ともなると、既に、大人でもある生徒との付き合いも、先生にとっては、ストレスを与えるものだからです。

 私が星占いを真剣に学び始めたのも、幼稚園のPTA会長をやらされて、色々なタイプの女性・しかも大勢と、付き合わなければ、ならなく、なったからです。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『その担任と私の、星座は、同じだった。で、西洋星占いが教えてくれる、人間が、強いか、弱いかとか、相性の、問題は、見事に当たっていると、私は考えている。ところで、安倍総理大臣は、首相の器であるかどうか?』

 西洋星占いでは、生まれつき持っている得意分野というのがあって、そこから勘案をすると、

小泉元首相とか、小渕元首相、菅直人元首相は、首相職に、向いている人達でした。だからこそ、大弾圧を受けておりました。・・・・・あんまり立派で、力のある人間が、日本の、総理大臣になると困る・・・・・・と、考えている外国勢力があるからです。安倍晋三総理大臣は、長期政権だそうです。しかし、私が見るところ、首相職には、向いていない方です。でも、個人的には、弾圧を受けないで、済んでいます。どうしてかというと、

 2013年ごろに、裏でCIAエージェント側との、手打ち式があったと、見ています。報道ステーションで、それが、わかりました。それ以前は、坊ちゃん育ちで、右翼的な人物であり、ある種の、主張を通す方だったのですが、すさまじい弾圧を受けて居る方でも、ありました。だが、日揮襲撃事件が、安倍総理大臣狙いだと、私が、書いたとたんに、井上ひさしあたりが、・・・・・・私の文章が正鵠を得ているからこそ、・・・・・そうか、安倍総理大臣を、こっち側に入れこんでしまえばいいんだ・・・・・・と、考えたと、見ています。なんでも、私が書いたことへ、反対に動けば、私をノイローゼにできると、考えているからです。

 ここで、挿入になりますが、新潟における大桃たまきちゃん死後轢断事件の裁判が始まりました。これも、小林遥と、いう青年は、やって居ないでしょう。しかし、最近、私が、書いていることがすべて、正しくて、彼ら、鎌倉エージェント(=CIAの、日本人側軍団)が、あいつが過去に書いたことを打ち消しておこう。それで、あのブログが、嘘を言って居ることになるからだ・・・・・と考えて、今、裁判が始まったと、見ています。ただ、この事件に関しては、後日、長文で、書きましょう。本日は、ただただ、暗闇の軍団が、あのお嬢ちゃんを殺していて、小林遥という青年は、リクルートをされて、犯人像を引き受けているにすぎないとみています。

 安倍晋三総理大臣と手打ち式でもやって、取り込んだ後は、谷垣禎一氏を使いました。それ以前に、既に08年ごろから、彼等は、谷垣禎一氏に手を伸ばしていたのです。これも、私が、谷垣禎一さんの、不遇状態を見て、「この人は、政治家は、やめた方がいい。女子大の教授職などが、向いている」と、書いたからこそ、手の内に入れたのでした。

 さて、中国人は、誕生日を明かさないと、言います。其れは、星占いを信じているからです。四柱推命(東洋星占い)を信じているので、敵に弱点を握られて、そこを、突かれると大変だからです。

 ただね。谷垣禎一さんと安倍晋三総理大臣が仲が良いと、言うのは、西洋星占いでも、ぴったりとあてはまります。二人は、ちょうど、六か月ほどの、差で、生まれておられて、それは、西洋星占いで言うと、正反対の、星座となります。そして、性格も、正反対だと、なります。だからこそ、惹きあうのだと、いう事になっています。有名人だし、wikiedia を、見ると、誕生日がわかるので、見事な、例証となっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ここで、占いの話から、私は小保方さんに入って行った。数時間、家事をしながら、小保方さんに関する過去ブログを探していた』

 上の章で、星占いについて、書いています。ところで、占いというと、思い出すのが小保方さんです。2014年1月の末(29日だったと覚えている)、突然の大ニュースという形で、スタップ細胞報道が始まりました。しかし、私は・・・・・変な話だなあ。眉唾物だぞ、何が、目的だろう・・・・・と、考えてブログでは、取り上げませんでした。

 なぜかというと、化学屋としては、あんなウールのワンピースを着て、実験など、するはずがないと、確信をしているからです。小保方さんは、割烹着を愛用しているそうですが、割烹着は、薄くて、水分を通します。シャーレ等を洗う必要がない立場? 変ですね。ともかく、変だと、思いました。ところでね。何が目的で、このニュースが、出てきたかですが、私を右翼としてからかっている連中が居るはずで、その連中が、私が引っ掛かるのを狙って居たと、思いますよ。

 私が、「さすが、日本は素晴らしい!」と、言いだすのを待っていて、その後、引っかかったら「あっかんベー、あれは、うそでした」というつもりだったでしょう。そして、イギリスで、活躍しているCIAエージェントであり、かつ、日本化学会の、会員資格を持っている(はず?)の、三輪喜久代さんが、NATUREに、押し込んだのです。三輪喜久代さんは、1966年に春秋社に、入社しています。化学屋なのになぜ、文科系の出版社に、勤務するのですか?と不思議だったのですが、その会社の社長と、緊密な関係を持っていた、伊藤玄二郎と、仲良くさせようとする、本物のアメリカのCIAが、考え出した、一種の策略だったのです。

 しかし、小保方さんに関する大騒ぎが、一週間続くと、さすがの私も無視できなくなって、ブログで、取り上げることとしました。しかし、学問を正面から取り上げる自信は、私にはないです。嘘だと、思っているけれど、自分が実験をした事もない分野です。分子生物学なんて、1960年代には、日本では、誰も取り組んでいなかったと、思いますよ。で、到頭、一週間目に腰を上げて、小保方さんを占いというポイントで、取り上げることにしました。

 小保方さんは、高校時代の同級生には、評判が悪いそうです。イタ子と、呼ばれていたとか? 思い込みが強すぎて、付き合うと、やけどをするというか、損をする相手だと、言われていたと、NHKニュースが言って居ました。これは、すごく不思議な事でした。その不評が出てきたのは、たった一週間以内ですからね。普通は、アゲアゲの、お言葉しか、他人がはかない段階でしたから。

  しかし、小保方さんは、手相を信じていると、言う報道も、でて、・・・・・おや、まあ。彼女は、彼女なりに、心理学上のテクニックを用いているのですね。それで、安定感を得て、あれ程に、目立つ立場に置かれても、、平気なのですか。・・・・・と納得をしました。で、そこについて、一文を書いています。後注2、

 占いの中で、手相は、結構、実状を反映しています。そして、左手が、自分が考えている現在の自分であり、右手が、他人がそう見ている現在の自分である、と、言うのもぴったりと当たっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~ 

 副題3、『そして、その次に、探すリンク先として、笹井芳樹さんに入って行った。笹井芳樹さんの、グーグル検索で、最後の頁まで、開けてみた。しかし、私が書いた当時の文章は見つからなかった。私は、笹井芳樹さんは他殺だと、主張をしている。それが、全部消えていた。しかし、だからこそ、最上級の真実だと、思って居る』

 小保方さんと言うと、わたくしの心につきささるのは、彼女本人ではなくて、笹井芳樹さんの方です。笹井さんは、自殺をしたと、報道をされています。ビルとビルとの間の、連絡通路で、ガラス張りの所で、首を吊ったとか?

 しかし、違うと思います。特に、私が、違う、他殺だと、何本かブログをかいたら、microsoft が、提供しているニュースサイト、MSN紙上で・・・・「笹井さんは、無残にも脱糞までしていた」と、言うニュースが出ました。edge 他、ブラウザを開いたとたんに、それが、目に入りました。こういう時こそ、私は、自分が書いたことが真実だと、確信をするのです。

 他殺が、真実だからこそ、・・・・・脱糞までした、自殺だ・・・・・と、強調したいでしょう。だけど、ほかの他殺の例もそうですが、何らかの薬を使って、本人の意識を失わせます。その上で、縊死と見せかけたいのだったら、その通りにできるし、飛び降りなら飛び降りで、その通りに演出していきます。そういう形だと、体は、生きているから脱糞もするでしょう。しかし、自殺ではありません。

 どうして笹井さんを殺す必要があったのかというと、笹井さんは、既に、疲れ切っていて、真相を、話したいと、奥様とか、野依さんに、相談をしていたと、思います。笹井さん程の、注目人物だと政治的な人物ではなくても、携帯とか、固定電話は、すべて盗聴をされ、メール等もすべて、ハッキングを受けているでしょう。それで、『このまま、放置しておくと、危険だ』と、判断をされたと、推察しています。それで、真実を、告白をされてしまう前に、闇の勢力が、殺したのでしょう。遺書があったそうですが、遺書なんて、パソコンで書いて、それをプリントアウトすれば、誰にだって、偽造できます。小保方さんに、温かい言葉を残したなんて、死の間際にはありえない、発想です。殺戮者と、裏にいる人物たちの、氷のごとき、心を発見します。

~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『しかし、私が、ここに書きたかったことは、例の、いじめを行った先生のことである。脂性が強くて、芸大卒の奥様に、靴下を洗ってもらえなかった、先生のことである』

 あの学校には、面白い数え歌がありました。一(イチ-)は、石井のがんもどき、二(ニー)は、西川馬っつら、三(サン)は佐藤の禿げ頭、四(シー)は白井の白井権八、五つ(イツツ)、△、鬼面冠者、(又は、間者)・・・・・六、以下は、忘れていますが、最後は、九(キュー)は、雲居の天平美人というので、終わるのでした。とても、面白い歌で、先輩から降りてきたのですが、級友はすべてが知っていました。本間君をいじめる先生は、どうしてか、いつも真っ赤な皮膚だったのです。だから、鬼面冠者です。

 友達をいじめるなどと、いう事は、あまり目立たない時代で、先生をからかう数え歌をひそかに作って、楽しんでいるのです。丘を一つ隔てた、港へ、近い丘に、フェリスがありました。フェリスのお嬢さん方は、元街の、商店街で、いたずらをしたそうです。10人ぐらいでカフェに入って、サンドイッチ一皿だけを頼むとか。みんな、元気で自由自在な時代でした。

 ところで、ある日のことです。二年生になっていたと、思います。例のおもっ苦しい、離れ屋敷のコンクリート製の教室ではなくて、急遽建設された、木造、校舎の二階でのことでした。新制中学用の教室は、旧制女子師範学校には、ついていなかったのです。その二階は、理科室で、もしかしたら、蛙の解剖の後だったかもしれません。私は前の年は、△先生の、受け持ちだったわけですが、その時は、既に、離れていました。前報で、言って居る通り、それには、いじめの場面を見ないで、済むので、ほっとしていました。或る意味で、損だが、ある意味で、得をしたと考えていました。

 が、先生の方では、今なお、私を気にしておられる様でした。自分を批判する、または、批判した生徒としてです。私の顔は、それほどに、表情が豊かなのでした。自分では、言葉に出しているわけではないから、先生を批判はしていないと、思いこんでいるのに、先生の方は、意識しておられるのでした。

 それで、突然に、私ではなくて、ある男の子を呼び止めて、「XYZー、お前、サポーターしているのか-?」と、大声で、問い合わせになりました。呼び止められた少年は、付属中学には珍しいタイプで、「僕の希望は、将来プロの、スポーツ選手になる事だ」と、宣言している子でした。背はあまり高くはないが、がっしりとした体で、友達の中でも、目立つ子で、輪の中心になる子でした。だから、先生からは、いじめられないタイプだったのです。私がなぜ、このエピソードをここで、語るかというと、本間君という子は、非常に子供っぽくて、体格も小さく、心の在り方も、未発達だったと、いう事を語りたいのです。でも、それは、彼の罪ではなくて、お母さんが、一種の美空ひばりの母タイプだったという事です。美空ひばりは、上手に、プロの歌手になりました。しかし、本間君は、立派なクラシック系・バイオリニストになる前に、世の中から、消えてしまったと、いう形です。いじめた方の先生は、ご自分は音楽好きな方なのに、ある少年の将来を、つぶしてしまったのです。

 よく登校拒否にならなかったと、思うほどのいじめでしたが、本間君は、登校拒否を、することもできないほど、子供だったのでしょう。

 さて、先生は、スポーツ好きな男の子の方を向きながら、と、同時に、私の方を見て、にやりと、笑われました。ほんの少しですが、私は、感じるところがありました。私は口では、何も表現をしないものの、先生がサポーターと、いう単語をお出しになったのは、その少年が「すでに、男なのか? お前、あそこ、大きいのか?」と、いうお問い合わせであることは、わかったのです。1950年代です。サポーターというものは、売って居るところさえなくて、伊勢佐木町だけだったでしょう。そこにも置いてあるかどうか? でも、私には、わかったのです。そのやりとりの、本当の意味が、まだ、14歳ですが、わかったのです。【蛇足1】へ。

 で、さらっとしていて、できるだけ、わからないふりをしました。あたりを見回すと、女の子で、残っているのは、私一人だけでした。私は絵をかくのが好きだし、蛙の内臓には、きれいで、きれいで、びっくりしたので、丁寧に、丁寧に絵をかいていて、ただ、一人、誰も、居なくなった時点でも、残っていたのでした。赤い肺、黄いろい脂肪、緑色の胆のう、などなど、こんな原色が、蛙の体の中に在るなんてと、ただ、ただ、びっくりし続けていたのです。男の子も、おんなの子も、含めて、ただ一人、残っていたのでした。

 私は、そういう会話(=先生と、先生のお気に入りの生徒との)を、人間の工夫というか、やり取りを理解できるのですよ。しかし、『自分は、本間君の方に近いなあ。不器用な、わからん人だと、思われているだろう。でも、それでいいのだ』と、思いました。普通に近いとか、できるだけ他人と同じになろうとは、思いませんでした。私は、今、鎌倉雪ノ下でも、ほかの人が何を考えて、どういう攻撃をしてきているか、すべて、わかっていますが、できるだけ、わからないふりをしているのです。

 それは、あの、14歳の時の、理科の先生と、スポーツ好きの少年の会話で、まるで、鉄仮面のごとく、知らんぷりをした日と同じです。

 でもね。自分の子供に対しては、特に男の子に対しては、家にピアノがあるのに、習わせられなかったのですよ。どうしてもあの、本間君に対するいじめを思い出すので、クラシック音楽を習わせるよりも、近所のお子さんと遊んで、それで、養われる男の子らしさを、優先したのでした。ピアノを男の子の方に、習わせなかったのは、残念だったと、思います。

【蛇足1】 私が、なんとなくわかったことを後で、考えてみると、「お前、教室内で、勃起することがあるのか?」と、先生が、スポーツ選手に将来なりたいと言って居る男の子に、しつもんをなさっていたと、感じます。その子は、そのご両親が割と、放任しているだろうなあと、言う感じのお子さんだったので、先生としては、その種の質問を、してもいいと感じるタイプだったのだと思います。一方で、本間君という男の子は、色白で小柄で、目がぱっちりとしていてお人形さんみたいでした。マトリューシュカというロシアのお人形さんがあるでしょう。あれみたい。反対に、サポーターをつけているという男の子の方は午後になると、もう、ひげがうっすらと生えてくるというほどに、腺からの分泌物が、多そうな男の子でした。

 ところで、後日、・・・・・この場面に、もし男の子が居たら、男の子は勃起するのではないか?・・・・と思う様なケースがありました。其れは真鶴半島へ遠足へ行った時のことです。対抗方向から来た人間の中に、ものを考えないおバカさんが居て、刃の部分をむき出しのまま、しかも、水平に持って歩いていたのです。それが、お友達の足に突き刺さってしまったのです。柄がね。持ち主が手を放しても、水平に立っているほどだから、2~4cmの深さだったのではないかしら。血が出ませんでした。それほど、モリの刃って太いのです。

 その道は、一列で歩かないと、いけないほど、細かったので、周りには男の子はいませんでした。でも、もし、男の子があの場面にいたら、色々なことを想像して勃起するのではないかしら?

 私が最も驚いたのは、彼女が声を一切上げなかったことです。きゃーっという様な発声もないし、痛ーいという様な声も上げないのです。彼女は小柄でした。華族出身だと、言われている女優・久我美子系の、美女でした。そして、その全身で、「毅然」という言葉を表現していました。私はね。『この子の祖先には、江戸幕府末期の悲劇の、人、小栗上野ノ介・忠順が、居たのではないかしら?』と、思ったほどです。忘れられない光景ですが、その日の、その後、先生がたがどう動いたか?とか、救急車が呼ばれたとか、どういう処理が行われたかとか、等については、何も覚えておりません。彼女の怪我が数週間後に治ったことは、確実に、覚えているのですが!!!!!!

 

後注2、

小保方晴子さんの、苦労、・・・・・その自己救済術のひとつであろう手相占いについて   2014-02-03 08:11:17 | Weblog 

後注3、

ご静粛にと言う理研のお願い(8日出た)を聞くと、笹井さんは他殺だと、更に思われて来る   2014-08-08 23:46:27 | Weblog

何故、12日に笹井さんの家族の思いが公に? そのtimingからも、他殺だと私は信じる

2014-08-13 10:26:04 | Weblog 

ユーリーカ・・・笹井さんは、奥様に真実を告げたから、殺されたのだろう・・・お気の毒に

2014-08-14 00:16:59 | Weblog 

野依さんが本当に立派な人だったら、私は悲劇の老トロイア王に、氏を擬したであろうに、残念ながら違う

2014-08-16 06:46:59 | 政治 

Kamakura Cottage(竹内啓キ経営…airbnb 版ホテル)からも、推察傍証される、笹井芳樹他殺説

2014-08-19 02:49:59 | Weblog 

鎌倉小屋と言う外人用宿に、特殊なサーバーが置かれていたら、西東京市からでも、私のPCを破壊できる

2014-08-22 10:11:18 | Weblog 

Nスペを批判した大宅健一郎は、大宅壮一氏の孫かな?・・・・・それからも、笹井氏は他殺だと確信できる

2014-08-24 14:37:08 | Weblog 

奥島孝康氏が、革●を自分が殲滅と、産経に語ったが、それも、今となると、笹井謀殺説の傍証となる

2014-08-27 09:55:46 | Weblog 

理研・丹羽氏会見する。49日後まで、待つべきだったと、私は思うが+不眠症が敵さん達のお陰で治った話

2014-08-28 09:29:27 | Weblog


 

 

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1955年・中一の受け持ち男子を苛め抜いた男性教師 VS 1951年受け持ちの小三=私に、生涯忘れられない忠告をくれた担任(女性)

2019-11-12 22:35:40 | 政治

   今は、14日の午前1時です。ずいぶん時間を空けてしまっていますが、下の文章の推敲を始めます。この一文は長らく、【11日は悪夢で目覚めたのだが、二つ原因があり、その一つは、小学校時代の、先生の言葉だった。】としておりました。が、今日、総タイトルを変更しました。

  この文章の舞台は、2019年11月11日の午前、五時半から始まります。初稿を書き始めたのは、11日の、夜でした。しかし、疲れ切っていたので、いったん引き揚げて、今(12日の深夜)、改めて、書き始めているところです。そして、総タイトルですが、書けた部分に応じて変更する可能性もあります。其れは、お許しくださいませ。

~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『悪夢を見て、二時間で目が覚めた。外国からのお客が来るので、普段全く使って居ない、英語を使わないといけないのに、睡眠二時間しかとっていない・・・・・・というのは、非常に、残念だったが、しかし、夜7時半まで、ちゃんと接待できて、お客様も、自分も大いに楽しんだ』

 今朝は、三時半に寝入ったのです。お友達を迎えるので、きれいにしようと思ってね。それに、時間がかかったのです。それにお料理も、ニュージーランド産ビーフ4百グラムを三時間以上煮て、ビーフシチューにしていましたしね。もしかしたら、4時間煮ましたよ。帝国ホテルなどは、そこへ、新しい上等な、しかも、柔らかいお肉を入れるそうですが、私の方はボイルだけで済ませて、最後に、高い方の、ルーを二袋入れました。野菜は、玉ねぎだけはバターでしっかりと炒めてから、いれますが、ニンジンとじゃがいもは、炒めないで、いれます。

 昔、文学博士である先輩(そちら様はお父様も、理学博士であって、しかも文化勲章受章者なのですがl)から、「川崎さん、ずるいわ、裏技を見せて」といわれたことがあるのです。どういう事を指すかというと、文章を大量に書いている(だから、収入は別として、実質的には、キャリアウーマンなのに、その)うえに、家事もきちんとできると、いう事が、裏技というわけでした。まあ、やろうと思えば、何でもできるのですが、最近では、スローになっていて、結局は眠りを、少なくすることになるのです。それでも、主人に「8時半まで寝かせてください」というメモを書いていて寝入ったのに、二時間だけで、5時半に目が覚めてしまいました。悪夢のせいでした。

 私の悪夢というのは、たいてい「間に合わない」という種類で現れます。今、現在、見る悪夢でも、夢の中の自分が小学生だったら、遠足へ行くのに、リュックにまだお菓子が詰めていないとか? そういう種類の悪夢です。人に殺されるとか、泥棒に追いかけられるという種類の悪夢ではありません。昨日の悪夢は、「大学を卒業できないらしい」という悪夢でした。「数学が、勉強して居なくて、単位が取れないらしい。今から、勉強したって間に合わない」と、言う悪夢です。

 痴漢に襲われるとか、いう種類の、外部からの攻撃を悪夢としてみることはなくて、たいていは、・・・・・間に合わない。自分が悪いのだ・・・・・と、言う悪夢となります。

 起きてみて、『ああ、自分はすでに、77歳で、確かに大学は卒業しているよ』と、思い至りホッとしました。しかし、寝不足なのは、大いに心配でした。が、鎌倉の観光スポット・新旧・三か所、そして、歌舞伎座まで、案内して、【連獅子】を、みんなで見ることができて、合間に自宅で、お昼。三原橋交差点傍の【俺のベーカリー】で、夕食を取れたのですから、上々でした。よくできたものだと、思い、ほっとしてます。そして、彼女からもらった美しい書物、二冊を眺め読みしている最中です。日本語ではないので、時間がかかる。これが、泥棒に出あうと、大変ですが・・・・・あとで、写真を撮っておきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~

今書いた、二千字ぐらいが消えている。したがって、書き直そう。お待ちいただきたい

########ここからが、消えた文章を再現しているところです。

副題2、『私は、横浜へ引っ越す前は、船橋の塚田と、いうところに住んでいた。そこは、今は、マンション群、林立らしいが、1940年代は、となりのトトロみたいな環境だった』

 私は、萩の叔父の家で、3歳から、4歳まで、寄遇をさせてもらって居ます。その家のいとこたちは、年が、10歳以上上だったので、遊ぶという形ではありませんでした。父と叔父も、10歳は、年が離れていたので、そういう形です。その後、父は、千葉県船橋市、塚田駅・三分のところに、戦時中、都会の人が、作った、疎開用の家(ただし、土地だけだった。上物は、前の持ち主が、解体して東京へ持って帰ったという形)を、三百坪買って、小さな家を建てたのです。その町(もしかしたら、村といってよいかもしれない)には、幼稚園はないし、隣近所もないのです。だから、私は、小学校へ上がる前には、同い年の子供とは遊んだことがないのです。喧嘩も、した事がないのです

  それは、相当に特殊な育ち方といってよいでしょう。だから、大学へ入ったのちに、三輪喜久代さんとか、テリーに、手玉に取られてしまうと、いう形になるのですけれど・・・・・

 ところで、その地域には、大学卒の親を持っているお子さんなど、ほかにいなかったのです。それに父は、ものすごくプライドの高い人でした。これは、萩に残された、士族階級、特に、上級士族特有の怨念ですね。世が世なら、こういう立場ではないのに、と、いう思いが強いわけです。

 だってね、「しゅんすけ(のちの伊藤博文公)は、使い走りをしていたけれど、まあ、かしこい方だったね」というような話が、日常会話として交わされる家なのですが、お金持ちではないし、社会的身分としても、学校の校長先生という形ですから、公爵などという形とは、違うわけです。

 まあ、内々の会話ですけれど、私は、子供の時から、プライドを高く持つように言われ続けてきました。で、学校へ行っても、お高く留まっているわけです。お掃除なども、家の中で、やらされたことのない子でした。だから、お掃除の時間も、ただ、ぼんやりと突っ立っているだけでしたね。これが、後々に忘れられない、先生のお言葉へつながっていくのですが、その前に、ブラタモリの話をさせてください。

 この間(=2019年11月9日)のブラタモリは、秋田へ行きました。そこで、瀝青というのが、大きく取り上げられました。伊豆に在る池田二十世紀美術館の創設者は、瀝青で、儲けた人だそうです。ところで、ブラタモリは、瀝青に大きな時間を割きましたが、秋田で、生産される石油系製品としては、重油の方が圧倒的に多かったのですよ。それで、石油は、当時は最先端の華やかな産業だったので、父は、旧制・山口中学から、秋田鉱山専門学校の石油学科に進み、其の第一回卒業生です。

 ここで、念のために語らせてくださいませね。慶応も、早稲田も、明治も、多摩美も、今大学と呼ばれている大学のほとんどは、戦前は、専門学校と呼ばれていたのです。大学という冠のつくのは、一高、二高、三高などというナンバースクールを卒業したのちに、進学する旧制帝国大学だけだったのですよ。この間、調べたら、秋田大学に、もう、鉱山学科も、石油学科もないみたいですが、昭和初期の理工系学部としては、人気の高い方の、学科だったのです。で、私は、ICUの同期生で、石油会社に、勤務している人から、実際に、それを、聞きましたが、日本の石油会社の重役というのは、1990年代までは、ほとんど、秋田鉱専、石油学科卒の人だそうです。つまり、父の後輩にあたる人達ですね。

 で、イージスアショア設定予定場所というのは、萩と秋田ですから、ほぼ、100%、私狙いのいじめなのです。しかし、私のブログの読者が、100万人もいるわけではないので、真相を知らない人がいっぱいでしょうが、佐竹・秋田県・知事には、ぜひ、知らせてほしいなあと、思いますよ。神様がね。

 ともかく、ブラタモリから、元へ戻れば、お高く留まっている私は、お掃除などしないわけです。家でも、やらされた事がないので、ぼんやりとしているだけなのです。それで、一年の一学期の通信簿の、道徳の欄の、「労働を尊ぶ」という欄が、「やや劣る」になっちゃったのです。其れは、五段階評価では、2です。母はものすごく驚いて、後々までの笑い話としていました。

 唯ね、母は、『そういう事だったら、この子をしつけないといけない』とは、考えないわけです。お掃除のやり方とか、その時間にどういう風にふるまわないといけないのだという事は、私には、教えないのです。『自分で、気が付くだろう』と思ってくれているみたいです。

 でもね、母には、非常に優れていた点もあって、それは、自分のこどもの担任の先生には、絶対に、逆らわないという点です。我が家内では、其の【=やや、劣る=2】と、いう評価を大笑いしていますが、それを学校へ文句を言いに、行ったりは、しないという人間です。・・・・・後半に出てくる本間君のお母さんは、その点が、間違って居たのではないかと、思いますが・・・・・それは、後で、詳しく語ります。私の母の方は、内々では、怒っていたかもしれません。というのも、母の父は、旧制柳井商業の校長だったし、親戚にも、戦後なら、高校の先生だらけという形です。でも、小学校の先生に対して、威張ったらしい形は、絶対に取らなかったのです。そこが、いい点でしたね。

 ここで、学校で子供がいじめられる場合、親が原因であることが多いと、いう事を語りたいと思います。とても難しいことですが、それは、親たるものは、わきまえておかないといけない点です。・・・・・と、強く言っておきたいです。

 私自身は、それをわきまえていたつもりです。しかし、横須賀の北久里浜に住んでいるときは、国際基督教大学を出ているというだけで、先生の方が、警戒、兼、嫉妬をしてきて、とんがってしまって、三歳とか(娘のケース・幼稚園で)、7歳の子供(息子のケース小学校で、別の先生が)をいじめるのですよ。もう、本当につらかったです。我慢しかないのですけれどね。あれほどに、我慢をした、時期は、一生で、ほかにないというほどの、季節でした。というのも、私は、中学校時代、目の前で、担任の先生が、ホームルームを全部、まるまる一時間を使って、ある一人の男の子をいじめるのを、見てきているからです。それは、ねちねちと、言葉でいじめるのですが、それを見ているから、絶対に先生に逆らってはいけないと、思って居るのです。其れは、その子が、原因ではなくて、その子のお母さんが原因だったからなのですけれど。

【蛇足、・・・・・ここで、語りたいのが、天の采配です。私の息子、及び、別の男の子で、お母さんが津田塾出身のお子さんを、私の、息子よりも、より強く、いじめた方の先生は、その後どうなったか、住居が、ご近所ではないので、知りません。しかし、娘をいじめた方の先生は、同じ丘の上に家があったので、噂を聞くことになります。そちらには、その後、いくつもの不幸が重なって起きています。一つだけ、語れば、夫が、家出中だと、聞きました。サモアラン、と、思います。ああいう意地悪を平気でする人は、ほかの人間(たとえ、お金を稼いできてくれる大切な男性でも、)に対しても、きっと、意地悪だったからです。それ以上の、詳しい事は語りませんが、ご近所があれこれ、噂を流すほどの、大きな、不幸が重なっています。だから、天の采配ってあるのだなあと、思いました。其れは、既に、1970年代の内に、発見をしていた真実です

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『前から、書こうと、思っていたけれど、エリート校(中高一貫の私立とか、国立大学付属中高)に入れても、子供が幸せになれるという保証はない。そういう学校へ、子供を入れると、子供が上流階級にのし上がっていく確率は高い。其れは、絶対に在る。しかし、そういう学校で、いじめがないというわけではない。』

*1)、この間、農林水産省、事務次官(東大卒)が、息子を殺しました。あれは、母親が、悪かったのだろうと思って居ます。唯ね。ネットの情報では、あの子は、駒場東邦に、進学して、そこで、いじめに出会ったので、性格が曲がってしまったと、書いてあるのが、ありました。駒場東邦って、一流の名門です。そこに入ったら、両親は、大喜びだろうに、結果は無残でした。ただ、学校で、同級生に虐められる子供は、まず、親に愛されていないと、言う真実もあって、だから、あの家では、お母さんが、絶対に悪いお母さんだったのです。其れは、確かでしょう。

*2)、私は、20年前は、非常に元気でした。ニューヨークで頑張ってきたので、日本でも、元気いっぱいでした。それで、東京への往復に、必ず、週刊誌を買って電車内で、読むことにしていました。そのころ、桐野夏生が、【グロテスク】を連載中でした。フィクションですが、東電OL殺人事件を思わせる登場人物があり、舞台は、慶応女子高みたいに見えて、私は、『ほおーっ。慶応女子高に入っても、安全ではないのね』と思いました。

*3)、さて、三番目は、私が実際に目撃したケースで、被害者の男の子が、亡くなっていると、聞いているので、書いていきたい話です。いじめた方の先生雄、無論なくなっていると、推察しています。私は、1955年に、当時は、本牧に在った、横浜国立大学の付属中学に入学しました。当時のその学校は、横浜切っての名門校でした。上にもちらっと書いていますが、

 その一年に在学していた時に、担任の先生が、最前列に座っていた、背の小さい男の子、(但し、ヴァイオリンは、上手で、小学校で、既に、何らかのコンクールに入賞していた)を、ちびり、ちびりと、いじめるのです。それも、ホームルームの、一時間の間中、苛め抜くのでした。

 これは、ある特殊な条件が、加味して起きたことでした。その教室は、大きくて、古風な、コンクリート製ビルの一階に在って、ほかの教室からは、100メートルぐらい離れていて、孤立していました。そのビルは、今は取り壊されていて、存在して、いないのですが、旧制女子師範の、校舎だったのです。1950年代は、横浜国立大学学芸学部の、校舎となっていました。その西側の翼の、一階の最も奥まった一部屋を、付属中学の、一年、△組が使って居たのです。だから、そこの中で、起きていることは、ほかの誰も知らないことだったのです。ほかの先生も知らないし、ほかの生徒も、誰も知らない、密室の出来事でした。いじめを目撃している子は、全体で、50人はいたと思いますが、誰も、その教室内で、起きていることを、親とか、ほかの友人や、先輩に話すことはなかった模様です。

 先生のいじめ方は、こうです。・・・・・この前さあ、【とんま】の母ちゃんがやって来てさあ・・・・・で、始まります。【とんま】君とは、本名は、本間君といいます。しかし、先生は、いつも、とんまという、バカの、一種類を指す、言葉を使って、彼の、お母さんの、悪くちを言い始めるのでした。

 私は、子供ながらに、何でもわかる人ですから、そのいじめが、どうして起きるのかを(たぶんですが)正しく把握をして居ました。其れを、語らせていただきたいです。先生は理科を教える男の先生であって、温室を管理されていました。授業ではなくて、放課後遊びという形で、四、五人の女の子が温室に入って行ったのです。珍しい植物を見せてもらえるという事で。その中に先生の靴下が、あらって干してありました。グループの中に、お家で、かわいがられているらしいので、何の屈託もない、女の子がいて、先生に「先生、どうして、靴下が干してあるの?」と、質問をしました。すると、先生が、「奥さんが、洗ってくれないのよ」といいました。その先生は、アブラ症でした。で、それで、無くても、男性の靴下は、臭いのですが、先生の場合、特別に臭かったと、推察しています。ただ、それを聞いた、

 その瞬間に、先生が、何故、本間君をいじめるのかが、はっきりと、わかりました。先生は、見かけは強い人でしたが、女の人をどう扱ってよいかが、正しい形ではわかっていない人でした。そして、夫婦喧嘩ができない人でした。たぶんですが、女の人(=奥さん)へのうっぷんが、大量にたまっていたのです。

 その陰に、音楽というものが、非常に悪い作用をしていたのです。普通なら、音楽とは、美しい心を生むものですが、このケースでは、先生と、奥様、先生と、本間君のお母さん、また、本間君とお母さんの、人間関係のすべてに音楽が介在していて、しかも、それが、非常に悪い形で、作用をしていたのです。

 先生は、声がよくて、歌が上手で、NHKのど自慢で、鐘を、三つ以上、鳴らしました。それが、魅力となって、同僚の音楽の先生と、結婚をされました。奥様は、芸大卒だと、聞いています。付属中学の音楽の先生は、代々芸大卒の方が、赴任します。先生は、この靴下の件を、私達が、温室で、聞いてしまう時点より、ずっとく前に、既に、奥様の悪口を生徒に聞かせることがありました。「(退職をして)専業主婦として、子育て中の奥様が、化粧品を買うのだが、それが、高くて困る」と、既に、おっしゃっていました。それも、ホームルームだったかもしれません。

 私は、その二つのエピソードとも、聞くのが嫌でした。何か、権威がないと、言う感じがしました。学校の先生とは、そういうものではないと、いう思いがありました。

 そして、そういう風に夫を仕立て上げてしまう、奥様というのが、未熟で、わがままな女性であろうとも、推察しました。先生が、生徒(特に小柄で、子供っぽい男の子)を、いじめる初因は、奥様に在るのだ、とも思いました。芸大に、入学するのは、小学校時代から、まず、ピアノは、習わないと、いけません。戦時中です。食料もない様な時代に、ピアノを習う事が出来た女性です。上流階級の出か、富裕層の、生まれでしょう。先生の方は、そうではないのです。だから、負けていると、いう感覚があって、しかも、それを改善できないで、居る夫婦関係なのだと、思いました。

 後に、この鎌倉の雪ノ下の、ご近所の画家、大原光孝さんから、あれこれの攻撃を受けた時に、防衛のための文章を書くのですが、「あの夫婦は、夫婦間の感情の交流がない。全くスケスケの家庭だ」と分析していきます。そして、「その結果、100%の他人である私に対して、甘えてくる」と、書いています。彼が、あれこれ、攻撃をしてくるのは、今は、どうなのか、わかりませんが、最初期は甘えの変形でした。

  こちらの理科の先生も同じです。先生は、家庭という内側の世界で、甘えることができません。普通の男性なら、家庭で、ストレスを発散してきて、職場では、ちゃんとした、表むきの姿勢を保つはずです。だけど、それが、できていない先生でした。で、教室という職場で、生徒という他者50人に対して、甘えて来ておられるのです。私は、その時、13歳でした。だけど、『参っちゃうなあ』と、思って居ました。で、私は、すぐ顔に出るのです。で、先生から、追放をされて、唯一人だったかな? 二年の時に、別のクラスに、組み替えになりました。其れは、損でもありました。ただでさえ、した(付属小学校)からエスカレーター形式で、上がってくる子たちで、出来上がっているグループ内に入っていくのが大変なのに、また、一からやり直しですからね。でも、そういう損があっても、こっちの方がよかったと、思いました。そして、本当に、ほっとしました。あのホームルームを体験するのは、一種の地獄できたから。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『もちろん、本間君のお母さんの、方も悪い点があった』

 もちろん、本間君のお母さんも悪いのですよ。小柄で、年取った人でした。でもね。武蔵野音楽大学、または、国立音大、または、フェリスぐらい出ているのかもしれません。でないと、インターネットもない時代(1950年代)に、どういうコンクールがあって、そのどれに応募すれば、本間君が優勝、もしくは入賞できるか? などという事は、うちの母なんかは、知らない情報ですから。

 で、先生がのど自慢で、鐘を鳴らしたなどという事も、全然評価できなくて、「あら、いやだ。それって、クラシックの世界では、マイナスになると思いますよ。だから、あんまり、外に向かっては、お話にならない方が、いいんではないですか」ぐらいのことを、言って居るのではないかしら。先生としては、自分は、音楽が好きですが、専攻は、音楽ではありません。国立大学の学芸学部と、私立の音大では学費が違います。だから、本間君のお母さんは、上に出たと思いますよ。『私の方が、実家は、上ですよ。婚家先も上ですよ』と、いう態度で、ものを言ったと思います。それが、先生には、カチンと来て居たのでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『私が、船橋から、横浜市立日吉台小学校へ、転校をするときに、塚田小学校で、一年から、三年まで、担任をしてくださった、石倉操先生が、母に、お別れのご注意をくださった。「お宅のお嬢さんは、何でも軽々とできるので、タカをくくって、居ます。そして、ちょっと、横着に構えているところがあります。それでは、横浜では、通用しません。もっと、努力をする様にお伝えください。毎日丁寧に、お勉強をしてね・・・・とも」と。・・・・・

 母からそれを聞いた私は、その時から、68年を過ぎた今でも、それを忘れられない。そして、必死になって努力はするものの、いつも、まだ足りないと、感じている。で、悪夢にうなされる事があるのだ。最近では、夢はほとんど見ないのだけど、もし見るとしたら、・・・・・準備が足りない・・・・・と、言う悪夢である』

 この章は、これで、終わります。しかし、この章は、導入であって、次の章への橋渡しです。

 次の章の総タイトルは、既に、決まっています。

【桜井万里子東大名誉教授と、古村浩三君(元日本ユニシス勤務)と、川名昭宣君(元河出書房新社勤務)の関係】お待ちいただきたく存じます。

  2019年11月11日の深夜(=実際には、12日の早朝)に初稿を書き、14日の早朝に、推敲を終える。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

 なお、このブログの、2010年から、数え始めた、延べ訪問回数は、5703185です。 

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