銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

日刊現代、白川総裁、稲盛和夫、キムヨナの、週刊現代の矛盾

2010-08-31 12:10:54 | Weblog
 署名を入れた後で、三井物産が狙われている話と、小沢一郎氏がトカゲのしっぱきりに出会う可能性の話を付け加えました。今まだそれを書いている途中ですので、やはり、午後六時ろ、これを再度開いていただくのをお願いいたします。
 昨日、30日の月曜日には、週刊現代を買いました。奇妙な大騒動であった小沢一郎氏の民主党代表戦、出馬発表から最初に出版された週刊誌なので。週刊朝日はどうしてか、目に付きませんでしたし。

 と、同時にその設定が古くなっている可能性もあるので、(というのは、週刊誌はどれほど、早い取材と記事構成であっても、5日ぐらい前に記事は締め切るから、実情の方が動く可能性は強く)、より、現況に近いと思われる、日刊現代と夕刊フジも買いました。
 ちょっと、挿入ですが、私の読者の中には、『なんで、そんなものをあなたは読んでいるのですか?』とお驚きになる方もあるでしょうし、昔h読者と交流を活発に行っていたときは、そういわれたこともあります。が、情報、特に、世論を誘導するとか、誘導する方向の前触れを探るためには、これらの媒体も重要だと思っています。

 これは、ちょっとした余談ですが、白川総裁の近辺について、重要な情報が夕刊フジに載っていました。それは、今回の為替大騒動に対して、なぜ、日銀が最初期に、動かなかったかという謎解きです。白川氏は、海外出張中だったそうです。なるほど、留守の間を狙われたというわけです。それに、使命感があれば、メールや電話で、指示を部下に与えられますが、それがなかったという意味でも、私が昔から言っている、「日銀総裁、特に白川さんは、日本人ではない・・・・・国籍は日本でしょうが、こころは国際的軍産共同体の方を大切にする人でしょう)という説が見事に当てはまります。

 ところで、本題に戻ると、日刊現代は見事に、その主張を、のっとられた形で今、展開しています。誰にのっとられたかというと、例の国際的軍産共同体です。その意思を体現しています。朝日新聞とはちょっと傾向が違いますが、流れと趣旨は同じです。今回も小さなコラムですが、北野武監督をべた褒めした記事がありました。
 勲章がレジオンドヌール勲章から、コマンドール勲章へと名前が変わっていたので、ふるい新聞記事をあたらないといけないと気がついただけですが、ともかく、私が否定したことを際否定する流れに貢献している紙面づくりです。

 これは皮肉なことです。講談社はフライデー事件と、もうひとつ、長らく、反原発者を出版してきた、その両方で、軍産共同体から、ひどくいじめられてきています。その頂点に当たる事件が、草薙厚子さんと、それに協力した精神科医の事件でした。精神科医が名前も映像も出るという形でさらし者になりましたが、あれで、もっとも傷ついたのは、講談社そのものであり、その編集者でしょう。

 そのことへ、ひそかに同情を寄せていた私は、いい面当ての対象となってしまったと思うほど、週刊現代と、日刊現代の誌・紙面づくりは、今、急速に小沢擁護、に傾いています。ちなみに、週刊現代は、正確な場所を知りませんが、日刊現代は音羽では、編集製作されていない模様で、一種の下請け編集プロダクションが担っている模様ですが。

 ただこの文章自体を、ヒステリックな魔女狩りとさせないためにも、今日ウエブ(Livedoor)上で、稲盛さんのJAL救済策を批判した記事が日刊現代から、転載されています。それは署名記事なので、日刊現代所属の記者の文章でもないかもしれませんが、「三越で、ドンキを売るようなもの」というタイトルの頁です。

 私はその新聞のほうは買っておりませんが、『おお、とうとう、稲盛批判が表舞台に、出てきたか』と感じています。私の方は、左側のカレンダーを探っていただけますと、3月28日から、4月の2日まで膨大な長さで稲森和夫論を展開しています。

 それをここで、簡単に結論をつけてしまうと・・・・・・

 * 稲盛和夫氏と、民主党の結びつきは氏が、ダイヤモンドシンジケートと関係があることと密接に結びついている。

 * 氏が、今回ナショナルフラッグであるJALの建て直し者として任命をされたのは、巷間言われている、前原氏と親しいもあるが、最大の理由は、氏の奥様が勧告系種苗家、う長春氏のお嬢さんであるからだ。

 国際的軍産共同体は、日本を韓国より下におくことを何尾よりも望んでおり、その一環として、この人事も行われた。

 * 特に真央・ヨナ採点疑惑で、日本の若者が沸騰をしてしまったので、それで、恐れおののいた、国際的軍産共同体は、あせりにあせって、締め付けを強化する方針を採っており、この人事もそのひとつであるが、・・・・・

 * 稲盛氏は、ダイヤモンドシンジケートの関係から過剰に誉めそやされていて(京都賞の創設や、著作があたっているという大宣伝)過剰に甘やかされている人材で、じつのところ、それほど、立派な経営手段があるわけでもないから、早晩批判にさらされるであろう。

 が、ともかく、JALがずたずたにされることは確かだから、これは日本にとって損失である。前原大臣は、あっちこっちに顔を出しすぎである。半小沢地鵜意味では評価するし、一度や二度ほど、週かなさ日で苛め抜かれているから、活躍してほしいとも思うが、やり方が、子どもっぽすぎる。これは、小沢氏、菅首相、すべてに共通するキャラクターである。
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 と、上のようにまとめられえますが、キムヨナ選手は、一年以内に早くも種々の矛盾が露呈しています。金メダルの器ではなかったということでしょう。
 しかし、公然と、真央ちゃんを会場にて支援した(真央ちゃんのほっぺにキスをしただけですが、それでも、かわいそうな真央ちゃんを支援する気持ちはあふれて見えました)プルシャンコ選手に対する国際スケート連盟の名前で出されるいじめもあって、なかなか、私も、こころが落ち着きませんが、・・・・・・

 しかし、あのオリンピック当時の二月に予言したことが次から次へとキムヨナ選手の身にはおきていますので、自分の文章が正しかったことに自身は持ちます。だが、ここでこういえば、再び、彼女へのオマージュが盛り上がるでしょう。でも、国民的注視の的であるからこそ、その人間性の善悪やら、未熟度(特にマネージメント会社などの回りを含んで言う)は隠しようがありません。韓国民からも『あれ、変だぞ』と思われる費はやがてやってくるはずです。何よりも本人が一番苦しんでいるはずです。かわいそうですが、利用された人はその様になります。利用をされないことが大切ですが、まあ、キムヨナ選手自身の発想やら、行動に起因している部分は、30%程度ですから、彼女もまた、被害者でありますけれど・・・・・

 このように、私が先走って予言をしておいて、その後、缶詰にするというか、放っておくと、自体は自然に私の予測どおりに推移します。ただ、このように、『それ見たことか』という風なニュアンスがこもってしまうと、相手が心理的に幼稚ですので、必ず否定する方向のニュースが作られるはずです。それで大衆操作をしていこういう発想でしょう。

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 さあ、余談が間にいろいろ入りましたが、30日付の日刊現代は、まだ、小沢一色です。仙石官房長官の長男支援に対する疑惑も鬼の首を取ったような書き方です。週刊現代の中釣りは、小沢首相の実現の可能盛大とあります。

 週刊誌のほうは、事実が変わってきそうだから、読む気もしないという感じです。が、ともかくのこととして、日刊現代は、急速に紙面に活気がなくなっていて、弱くなっています。いずれ、人気を失うでしょう。

 一年以上前までは、夕刊フジに比べると、こちらのほうが読み手があると感じていましたが、最近では、急速に内容が薄くなっていると感じます。夕刊フジと逆転しています。

 で、どんなに、うその数値がマスコミに流されようと、やがて、日刊現代は、部数を落としていくことでしょう。この形式のタブロイド版は、ニューヨークでは、無料でしかも厚さがずっと厚いのですが、日本では、130円も取りますので、偽の数字に読者があおられることもないはずです。

 ところで、グーぐるの検索ランに私のブログランキングなるそれこそ、偽の数字を羅列した頁が乗っています。これも、言論弾圧の明快な証拠です。ここにあげられたすうちではありません。が、文章の価値を低め、読者が読まないようにと願う軍産黄道帯の意図は見え見えです。でも、

 私自身は、天、または、神への貢物として、これを書いているので、そういう瑣末な妨害を気にしてはおりません。
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 ただ、ひとつ、またもや、新しい推理をここに展開しておきましょう。

 週刊現代の巻頭に、10頁にわたって、三菱グループの総特集がありました。これを問題にしたいです。反対だというわけではなくて、そこも国際的軍産共同体が関与していますねということです。

 私もうすうすそれに気がついていますが、国際的軍産共同体は、日本の財閥集団のうち、三井グループを押し下げ、三菱を押し上げる意図があるという点です。副島隆彦氏が、ジェイソンロックフェラーが、原発燃料の会社を経営していて、おじのデイヴィッドロックフェラーの経営する石油産業を追い落とす目的に沿って動いているといっていました。

 また、金を主体にして、資本主義社会を牛耳っていたロスチャイルド系軍産共同体を追い落とすつもりでもあるといっていました。ロスチャイルド財閥に近いのが三井物産だとも言っていました。

 副島孝彦氏は、小沢一郎を信奉していて、氏を日本の王だと言っているライターですので、話半分に聞いておきたいのですが、真実に触れているところも大いにあるのです。

 それは、小沢一郎氏が、日本の王であるというのも当たっていますし、ほかにもいろいろあります。小沢一郎氏は、現在のところ、肩書きがないわけですが、現代日本でもっとも権力を握っている国際的軍産共同体の寵児ですから、そういう意味では最高権力者でもあります。この国の主体は国民にはないのです。であるから、国会議事堂にも永田町にも首相官邸にもありません。もちろんのこと、皇居にだってないのです。

 朝日新聞社や、NHKを家来として従えている、小沢一郎氏が、トップ権力者ではあります。だけど、その構造があからさまになると、国民の反発が強まりますので(というのは小沢一郎という人は、とても、幼稚な発想の人間ですから、日本が外国に支配を受けているのが国民全体にあからさまになるでしょう)で、裏に引っ込んでおけと、朝日新聞を解して命令をしてきたのでしょう。

 または、昨日グーブログ(または、OCNのトップ頁で配信されたが、夜の11時には私のパソコンでは読めなくなっていた、『英国の新聞が小沢総理大臣に反対だ』という記事は、
小沢氏をけん制し、一方では、自分たちを守る最高のメッセージであったのです。いや、こういう費が来るであろうと葉尾yh速をしていました。トカゲの尻尾きりという言葉がありますがご近所で、伊藤玄二郎一派に奉仕をしている主婦軍団もやがてトカゲのしっぱきりにあうであろうと見ています。

 伊藤玄二郎、および、その二人羽織の一方である井上ひさしも、やがてトカゲの尻尾きりに会うでしょう。昨日の敵は、今日の見方、今日の見方は、明日の敵です。もちろん、フリーメーソンに入ってしまえば、相当に安泰となりますが、一方で目に見えて失敗が続けば、それらを、飼い続けることが大本の失墜につながりますので、やがて、尻尾切りの対象となっていくはずです。大衆操作の表舞台に登場しているものの、守るべき義務と任務を忘れた行動は自らの死を招くでしょう。ケネディ大統領がなぜ暗殺をされてしまったのかですが一方では、理想を追求したが故でもあり、一方ではマリリンモンローに思わずの、ねやの語りとして、いろいろ真実を話しすぎてしまったことも理由のひとつだったとも推理されます。

 小沢氏の行動はいってみれば、今のところ、自分の立場を過信しすぎていて、おっちょこちょいに過ぎています。それは、私のような一般国民の目にも明らかですから、一億二千万人のこころの底深く存在しているものです。その計量を誤れば、大本も危ういです。で、これほど、けん制を誇っていても、最終的にはトカゲの尻尾きりに出会う可能性はあるのです。まあ、そこまで今言明する必要はないのですが、20%ぐらいの確立でそれもあると申し上げておきましょう。

 で、そこから、この節の主内容に戻れば、問題は三井船舶所有のタンカーがホルムズ海峡を航行中に不審船から発砲されたなんらかの武器に撃たれて、船体が損傷した事件に戻ります。あれも、作られたニュースである可能性を感じます。

 もちろん、攻撃は受けたのですよ。だけど、攻撃した不審船の乗務員が問題なのです。通説で言われているとおり、現地の海賊か否かを考えていくと、さらにいろいろなことがわかってきます。

 海賊とは、シーシェパードと同じく、国際的軍産共同体が派遣した、攻撃用船舶であった可能性も高いのです。何もとらないで逃げたのがおかしいです。

 小沢一郎氏のところへ、よく銃弾が郵便で送り込まれているというニュースが配信をされます。暗殺の恐れを犯してまで、政治に集中している立派な政治家だという論理を導き出す道具というか、システムでしょうが、上手に機能をしているのでしょう。

 早急に不審船の招待を突き止める必要があって、アラビア語の熟練者を、外務省や、国家公務員の中から選び、調査員として仕立て上げる必要があります。ともかく、立派な政治家が出てきて、日本国単位で、その国民を守らないといけません。

 では、ここで、いったん完成として切り、署名を入れましょう。上記以外の部分は別タイトルの別立ての記事として書きたいと思います。2010-8-31  雨宮 舜
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小沢氏の、庶民支配のこわさの、実例を挙げましょう。

2010-08-28 22:21:23 | Weblog
さて午前三時にこれを書き上げ、署名なし(つまり、未完成)で、14時間が過ぎました。今朝から、家事やら、なにやら、して、今やっと落ち着いてパソコンの前に座ったところです。昨日書き残したところを、加えたいと感じています。それは、実はかえって本質的な部分です。それを、最初に置きますので、どうか、よろしく。
 ただし、その付加部分の完成は、午後21時ごろになる見込みです。で、午後九時ごろまた、あらためてのぞいてやってくださいますと、助かります。
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 小沢一郎氏の代表選、立候補は、さまざまな裏があるとにらんでいます。不思議な朝日新聞の変節(つまり、小沢立候補に不賛成)もあり、非常に複雑でまだ、全容が見えません。

 しかし、金権疑惑が、一番上に取りざたされていて、その説明責任があるから、立候補すべきではないという大方のご意見には疑問を呈したいです。

 あの金権疑惑は、たいしたことがないものなのです。それは、本人もそう思っているし、国際的軍産共同体もそう思っているし、私もそう思っています。

 ただし、どうして、それがたいしたことではないかという、その理由は三者三様に、ことなるでしょう。私が、それを、たいしたことがないと見る理由は、小沢氏の入金先のもっとも大きな場所は、日本国内にはないからです。氏には、海外から、相当な援助が舞い込んでいるでしょう。
 しかし、それがばれてしまっては、日本を高度に洗練された形で、植民地として扱い、そこから、収奪する場合、あたかも独立国であるかのごとく、表向きは扱うというフィクションが成り立たなくなります。

 で、日本国内、から、献金が行われたかのごとく偽装をする必要があります。秘書三人と、西松建設側は、因果を含められていて、「あとで、カバーをするから、ここは泥を飲んでくれ」といわれているはずです。

 以下、28日の深夜から、29日にかけて書いた部分にある不思議な情報群によりますと、小沢氏は、マスコミ人に対して、相当数のセミナー参加費等、(という名目の手なずけ料)を払っている模様です。それが、一回につき、たとえ、10万でも、一年に6回ぐらいあれば、やがて、矛先が鈍ってくるのは当たり前のことです。
 最近の彼は、マスコミからずいぶん守られているし、あまつさえ、援護してもらえるほどです。
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 で、金権疑惑がたいしたことがないとして、
 小沢氏が民主党代表になって、しかも次の段階として、総理大臣になったら、もっとも困るのは、その独裁的傾向と、朝礼暮改と言ってよいほどの目まぐるしさなのです。

 今、かれは、政治の専門家である、菅首相さえ面会拒否だといって、いじめて(?)います。別の言葉で言えば、つねに心理操作の手法を駆使することです。往年、武村正義氏が永田町で、重要な任務についていたときも小沢氏が何かでごねて、会ってくれなかったと、氏は、NHKの番組内で証言していました。その番組そのものは、大変問題が多い作り方で制作をされていましたが、放映は、2009年の11月に一チャンネルで、夜の九時か、10時からでした。
 非常に子供っぽく、しかもルールがない手法ですので、周りの人間は振り回されてしまって、論理や内容でよりも、その手法に参ってしまって、そちらがつぶれるという形で小沢氏のやりたいことが通ります。

 習金平服国家主席との、会談を慣例を無視して、強行して、自分の権力の及ぶ範囲を大衆に向けて周知させようとしたりもしていて、その子供っぽい手法は外交方面にさえ、及んでいますし、困りきったことです。が、

 以上までは、相手が、一応、政界のしかるべき人材です。一般庶民に対しては、はるかに恐ろしい手法をとります。恐怖支配政治そのものです。そのパーセンテージのいくばくかは、新人議員にも伝わっていて、若手議員の中で、しっかりした人格を持ち、意見をも持っている人材は批判に走っています。
 それでも、小沢氏がつぶれないのは、背後に日本のもっとも強くて、大きい権力者である、国際的軍産共同体が控えているからです。

 私は一種の炭鉱におけるカナリアとしての立場で、
苛め抜かれていますが、その命令者は、小沢一郎氏か、氏を陣営内に抱えている瀬島隆三氏であろうと、推察しています。

 そういう風にまで思い至った背景には、種々さまざまな経験が含まれていますが、下記においてあるのは、その一例です。その種の経験を踏まえて、はっきりとものを言うようになっています。
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 ここ以下は、28日、昨日書いた部分です。
 今、ツィッターで書いていますが、タイトルを変えたとたんに、パソコンがあやうくフリーズしそうになりました。フリーズすると、このグーブログの形式ではすべての文章が消えます。今日は、一昨日前とはことなり、新しいパソコンでこれを書いています。それは、前よりも強いOSのパソコンです。メモリーも4倍です。それなのに、フリーズして文章が消えそうになるのは、小沢一郎氏に触れるからです。その弱点とか、悪質さに言及する、パソコンが大混乱に陥りますので、もっとも、強い弾圧を、私が受けるということになります。

 だから小沢氏が、この国の総理大臣になると、私以外のヒトへも、それは波及すると推定します。敵陣は、===雨宮舜に対して成功したことは、ほかの人間でも成功する===と考えるでしょう。で、その弾圧と支配は、敷衍し波及するはずです。すべてのヒトの精神は支配を受け、不幸せになるでしょう。

 私は身をもって、この三年間、それを知覚させられ続けてきましたが、27日の夜、インターネットカフェで気がついたことが、その傍証になっていますので、それを下に丁寧に書かせてくださいませ。

 立候補宣言が26日の朝であったと聞いています。で27日は、私は朝日新聞の朝刊をもって東京へ行き、その行き返りの電車内で、ほとんど、数十年ぶりのこととして、丁寧に朝日新聞を読みました。

 驚きました。天声人語と、社説が、「立候補をしなかったほうがよかった」と言う趣旨で流れています。それから第一面左側の署名記事が同じ流れです。信じがたい感じです。一週間前の週刊朝日にさえ、「小沢復活を期する」という趣旨の見出しが躍っていたはずです。
ただ、ただ、首をひねるばかりですが、

 *1 朝日新聞でも首脳陣は方針転換をした。しかし、末端にはまだ、その変更が伝わっていない。
 *2 小沢氏は小沢氏なりの根回しを果たしてから行動をする人だが、今回だけは、それをしなかったので、報道方針と、実際行動の間に、統一が取れていなかった?

 *3 雨宮舜に、何が何でも書かせるのをやめさせるためには、彼女が嫌いな政治家を総理大臣にすればよい。だから、彼女が筆を折れば、そのあとで、なんらかの修正を行う。これは、緊急措置としての、小沢批判である。また、再び、オマージュはささげられる。

 *4 雨宮舜の論調は===朝日新聞は、小沢支援一色である===と、いつも繰り返しているので、ここで、「それは、違う」と見せ付ければ、彼女の文章を信じる人間はいなくなるであろう。それを狙おう。

 そういう諜略に基づいて、ここで、小沢氏には、内々「安心してください。すぐまた、論評は変わりますよ」といっておいて、瞬時、国民大多数が思っている方向で記事を制作する。

 *5、上の第四が正しい可能性もあって、それは、海外の紙面が、立候補を肯定していないことでも仄見える。つい、数ヶ月前までは海外メディアもまた、小沢一色というほど、ほめまくっていたのだ。手のひらを返すような措置をとるわけもないが、とったというのは、これが瞬間的な謀略である可能性を示唆する。

 *6、本日28日にこの件での報道が収まっていて、誰も騒いでいない。党利党略で、集票活動をしないとだめな時期であろうが、シーンとしている。ということは政党再編もないし、小沢党首実現もなく、小沢総理大臣実現もない。

 そこまでやると、旧態的政治家(つまり、日本を大切にしていきましょうと考える、いわゆる保守本流)の復活もあり得るし、それは結局のところ、国際的軍産共同体側にとってはマイナスであるから、現状維持がこのましい。国民に人気があるとされている、菅氏を、ひき続き総理大臣の座に据え置いておく。

 ともかく、雨宮舜は、28日いっぱい何も文章を書かなかったので、ブラフとしては、一応の成功を見たと考えよう。で、実際の代表戦までに、家の子、郎党や、メディアを動かせば、どうにでも軌道修正が可能である。

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 と、このなぞの多い、小沢ご本人とそのいつもは藩屏である、朝日新聞系統を中心とするメディアの論調を、じっと拝見する私でした。

 ところで、私は今、パソコンやら、プリンターが壊されに壊されているのですが、今度レーザープリンターを買うつもりで、その注文はすでにしてあります。それは、重さが40キロというもので、簡単に電気店には、運べないものですが、それだけに、エプソンから派遣をされるサポートシステムがついています。しかし、そのサポートシステムがお高いです。

 でも、専門家に家に来てもらえることですから、敵に破壊行為を受けたら、証人が出ることとなります。それはありがたいです。

 いくら、「この破壊工作が言論の弾圧の変形として行われていて、やっているのは、だれそれ(組織名)です」と言っても、ちっとも反省をしませんので、一つ一つ、証拠を積み上げていくしかないと考えているわけです。
 また、それにオーダーをかける専用のパソコンが必要だと考えています。それはインターネットに接続をしないで、プリントアウト専用にするつもりです。しかし、それ用に新規に購入した中古のNECデスクトップタイプも、壊されに壊されて、その手当てにこの一ヶ月、体力の消耗につぐ、消耗を重ねてきました。

 で、昨日は、プリンター専用パソコンもノート型にすることに決め、それをまた、買いに秋葉原へ、行っていたのです。そして帰宅前に外で、ウィルスセキュリティソフトやら、ワードソフトやら、図版処理ソフトやらを入れてしまおうと考えていました。

 よく、「五億円の損失があります」というのも、そういうことさえできない不自由さを含めていっています。比較して、特権を持って守られているヒトに対する怒りは深いです。

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 ところで、実際には、外付けCD読み取り装置を家に忘れてきてしまったのです。強大な無線ラン機能で支配されている我が家の特殊な環境を勘案すると、インターネットカフェで、やるしかないという結論になりました。

 で、1800円を払って、8時間滞留を予約しました。これは、三時間だけ使うのでは真夜中に外へ出ることとなり、家まで帰り着けないからでした。ニューヨークですと、24時間電車が運行していますが、東京圏では、くだりでも東京発12時ごろで、終わりです。

 で、朝まで使うつもりで、自分のパソコンに各種ソフトをインストールしながら、平行してネットカフェのパソコンでインターネットさーフィンをしたのです。7月の半ばに、高性能のメモリーが一ギガのものを壊され、一昨日まではメモリーが526の古いソニーを使っていて、それにどうしてか、さまざまなバグが入りやすいので、仕事がめったやたらに遅くなり、ブログひとつ書くのにも8時間かかる有様で、すっかりネットサーフィンをあきらめていたのですが、ネットカフェのパソコンはちゃっちゃっと動くので、ひさしぶりに行うインタネットサーフィンだったのです。

 この不思議な、突然の代表戦立候補のなぞを解くべく、三時間程度、あっちをあけてみる、こっちをあけてみると繰り返し、ボリュームとして、3メガ程度、文章を集めました。画像ですとすぐ、10メガとか、20メガになりますが、言葉だけですから、すごい量があつまりました。

 暇人じゃあないし、体力も衰えている68歳の女性が、寝ないでパソコンをいじくりぬくという、それくらいの無理を重ねてもよいと思うほど、小沢一郎氏の突然の立候補はなぞめいている行動でしたから。
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 そのとき、産経新聞のサイトに、気にかかるタイトルを見つけました。右側の柱内に、ちらっとですが見えたのですが、『犠牲ということを知らなかった小沢』と言うものだったでしょう。見つけたとたんにクリックしてしまえばよかったのですが、ちょっと油断をしている間にそれが消えてしまいました。

 その消え方が異常で気にかかり、さまざまな方法で、その文章を探していったのです。するとグーグルが面白いまとめ方をしている頁に入って行くこととなりました。

 犠牲、小沢一郎の二方向でまとめているブログ集ですが、犠牲という言葉が加味されているだけで、普段見かけるよりもずっと、ずっと、複雑な文章の集積になっているのです。

 面白かったです。ただ、丁寧に読んでいる時間はないので、あるひとつのブログを開いたら、『すべて選択』として、『コピー』として、その次に新しいワードの頁を開いて、『形式を選択して張り付ける』という作業を繰り返しました。

 小沢チルドレンの一人として有名な、福田衣里子嬢を批判するブログなどA4の紙に66頁を超えました。これは、コメントが多数寄せられているからです。ほかにもさまざま面白いブログがありましたので、フォルダーを三つ作って、分類をしました。ほぼ、中立な意見。親・小沢系統ブログ。反・小沢系統ブログ。

 その際、まず驚いたのは、親・小沢ブログが、ほとんど開けないのです。その理由を推察して見ます。つまり、私、または、他のライターもしくは論客がそれを読むといたしましょう。たちまちに矛盾点を見つけて、喝破してしまうから、それを恐れてのことだと感じます。

 でも、皆様にしては、どうして、私が、ネットカフェで、ねらわれると、思うかが不思議でしょう。で、「私は常に尾行をされている」と申し上げたいです。何が目的かというと、脅すためにそれをされています。脅して、ノイローゼにさせて、文章を書くことができなくなるのが敵の目的です。

 私はこの8月中にソフマップ8号館という店を、4,5回訪ねました。外神田・万世橋署の隣にそれはあります。が、店の中に一時間以上滞留して外へ出てくると、必ず、工事をしているのです。それは毎夜、鎌倉の小町通りを工事していて、それが脅かしに役立っていると考えている連中がいるので、それと同じ手法をとっているわけです。入店する前には、それらの車両は露ほども見えず、工事は気配すらないのに、出るときに必ず、工事車両が、五台ぐらい来ているので、そう推察します。

 その尾行には、ずいぶん前から気がついていて、映画『アフタースクール』にでていたように、携帯にはGPS昨日があるので、使わないように努めているのですが、最近気がついたのは、パソコンにもGPS機能がついているということです。で、常に、行動を監視され規制をされています。そのことはわかっていて、インターネットカフェにも入ります。

 そのインターネットカフェですが、事務室内に各パソコン画面を示すモニター装置があるのを、みなさんは、ご存知でしたか? で、私の使っているパソコンは、事務所ではどれであるかがわかっているわけです。ただネットカフェの人間には何も破壊工作はできず、ただ、意地悪な態度を見せる程度ではありますが。

 一方、顔写真は、印刷所のホーム頁に必要だとか、美術家連盟の身分証明書に必要だとかいわれて、提出していますので、各インターネットカフェは、『こういう人物が来たら警戒するように』と言われていると感じます。 

 以前は、警察からそういわれるわけでしょうから、私のことを悪い人間だと考えて、私に対して不親切な態度を取る店員にも、出会いました。これは、喫茶店やホテルのロビーで仕事をしていても同じで、店員が、必死になって私の周辺を掃除しまくるのです。追い出そうというわけです。私はすべて、わかっていますが、どうして、そうなるかを考えると、自分が正しいことを言っているからそうなるわけだから、無視すればよいとなります。

 弁護士さんが『尾行されるわけがない。あなたは、ヒトのものを盗んだわけでもないし、殺人を犯したわけでも、ないでしょう』とおっしゃるのですが、それでも、尾行をされるのは、私が言っていることがすべて正してく、国際的軍産共同体は、困ってしまっているから、
 一種の暗殺行為の変形として、こういう尾行をするのです。それと、自宅内のパソコンや、インターネットカフェの使いにくさに、その敵の意思が現れています。

 昨日、2010年、8月27日に、どういう使いにくさが現れたかというと、まず、サイトが開けないということとがありましたし、その次には、CD保存ができないという現象が現れました。これは、私が自宅に持っているパソコンにもおきる現象ですが、ネットカフェのパソコンでもおきる現象です。

 私は自宅のパソコンが障害によっておかしくなるので、(これはウィルスではありません。毎日、毎日、違った部分に障害がおきるので、個別に支配をされています)外のネットカフェを使うわけですが、そのネットカフェで、結核が発生しているというニュースが、2007年中に、特にテレビ朝日の夕方の小宮悦子さんの番組で紹介されました。

 それを聞いて主人が心配して、ネットカフェを使わないようにといいます。それをまた、盗聴で把握されていて、「効果があったぞ」となって、結核予防キャンペーンが大々的に行われ、その主役はビートたけし、またの名を北野武監督です。

 私は、ブログ、メルマガ、パソコン内メモの形で、昔から、ビートたけし(またの名を北野武監督)を批判しています。氏の個人的な感情や才能は別として、国際的軍産共同体に利用されきっていて、それで、===政治の世界をおもちゃにすることに役に立っている===のが大問題なのです。それを批判しています。

 だから、ネットカフェの結核問題から引き起こされた、政府のキャンペーンに、ビートたけしが起用をされ、活躍をしているわけです。「敵も人材が少ないのよのー」といいたくなりますが、いったん気に入られると、あらゆる場面に使わることとなります。

 私が、2009年までに、作ってきた本は、芸術の分野に限定されてものです。しかし、これほど、弾圧をされると、だんだん予防、防衛のために、政治に踏み込まざるを得なくなり、さらに社会分析をかさねます。『敵もまずいよ』といいたいです。自然に任せて何もやらなければ、私も、ここまではっきりとは言わなかったでしょう。それから、月刊ギャラリーと言う小さな媒体でも、そこに頁を持つことを、わたくしから奪わなければ、こんなに政治に踏み込むこともなかったのです。少しでも誰かと連帯をしていて、それがビジネスとして彼らの儲けにつながっていれば、それを奪いたくはないので、一種の遠慮やら自己規制は生まれます。今、私は孤立化していますが、それが自由でもあり、大胆にもさせているのです。

 そこも「敵は、発想が幼稚だ」とか、「かれらは、おっちょこちょいだ」と、私が発言を繰り返すゆえんになっています。

 敵は、ネットカフェを使おうが、どこを使おうが、パソコンを使う場合の文章はすべて把握しておこうと思っていると思います。マイクロソフトの結果がCDへ保存できなくなったり、アドビのイラストレーターやアクロバットが使えなくなったり、AOLがおかしくなったりするのは、すべて、アメリカの会社のソフトで起こることですから、国際的軍産共同体がやっていると推定されます。

 しかし、早朝六時に国会図書館の前に行くと、機動隊のバス二台が、ぶんぶん、エンジンをふかしていたり、同じく早朝六時に集英社の前に行くと、(これは、2008年の4月1日でしたが)、パトカー二台が待っていたりするのを見ると、警察が脅しているわけですから、警察が国際的軍産共同体の手下だとなります。

 そして、文章が最も荒れるのが、小沢批判をしたときと、伊藤玄二郎批判をしたときと、井上ひさし批判をしたときですから、この三人は、昔の言葉で言うCIA、今の言葉で言う軍産共同体のエージェント化していると、いう、結論へ到着します。

 もちろん、衆目が一致して、CIAのエージェントとされている瀬島隆三も大いに絡んでいるでしょう。井上ひさしの死が、表向き、4月の10日でした。そのときに『これは偽装だ』とぴんと来たのですが、瀬島隆三の死の発表も、タイミング的に、『偽装の可能性があり、地下潜行した』と私はパソコン内メモとして落としました。
 
 ただ、後者については、外へは今までほとんど、出したことはありません。そちらは住まいが東京で、防犯協会の放送等で一種の傍証を得られる鎌倉市民ではないので、
 まだ生きている可能性には、このブログ内では、言及していないのです。

 それと、もし、地下潜行して、アイデアを提供したり、指導をしていたとしても、すでに高齢のはずですから、やがて、頭脳は衰え、フェードアウトしていくであろうと、私は見ていて、それゆえに、今まで、瀬島隆三の名前は、現在の社会現象と結びつけたことはありません。1980年代の詐欺事件を語るときには、はっきりとその名前を出しますが。
 
 ただし、他者に向けては何も言わなくても、心の隅では、1~10%の確立で、彼がまだ生きていて、

 伊藤玄二郎、井上ひさし、奥島孝康、小沢一郎、成田豊、国際交流基金理事長である某氏、などの、さらに上の位のフリーメーソン(?エージェントと、フリーメーソンは重なっているケースが多いと思われる)として、いまだに活躍をしている可能性も感じるのです。

 さて、上の個人名にさらに、私が大いなる可能性を感じながら、まだ、『彼はフリーメーソンですよとか、エージェントですよ』とその名前を明かしていない存在が数名程度あります。
 まだ、証拠がつかめていないのです。だから、個人名を挙げませんが、上の個人名の中で、精神の中におっちょこちょいというか、軽挙妄動の所作を含むのは、小沢一郎氏と、井上ひさしです。

 こういう手合いが、国民の上に立つと、国民は、本当に苦労をし始めます。私におきている例は個人的なものではなくて、植草一秀氏にもおきたし、ホリエモンにもおきたのです。


 若島津の身にも突然の雷鳴のごとく落ちてきたし、中川昭一、もと経産相の上にも落ちてきました。私は、これらの名前と比べると社会的には、影響力の少ない、まことに小さな存在です。だけど、真実を語るという意味で、これほど、先端に立っている人間もいないのだと感じています。

 まだ続きますが、午前三時になったので、いったんねます。
~~~~~~~~~~

 ここで冒頭へ戻ります。結論部分を新たに足して、後半部分もずいぶん削ってすっきりさせました。その後で、午後七時ごろ、朝刊を見て、びっくり。仙石官房長官の長安がなんとか、かんとかと、いう記事が出ていました。つまり、すべての携帯は把握をていますので、しかるべきときに、しかるべき情報を暴露されて、気もそぞろにさせられるというわけです。    では、今日はこれで、終わります。署名も入れましょう。

   2010年の8月28日の夜に書き始め、ほぼ、24時間後の29日、夜に終わる。
                        雨宮 舜
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奥島元総長の4、 +死刑執行の裏側 +草薙厚子の紬

2010-08-26 23:06:32 | Weblog
 最初に申し上げます。下の解析と同時進行的に死刑・刑場が公開されたとのニュースが午後一時に配信をされました。ああ、とうとう、私がニュースを作り出すひととなりました。

 では、今日二十七日の昼間全面的に改稿した、下を読んでやってくださいませ。
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 世間では、九月の民主党代表戦へ小沢一郎氏が立候補をした事に関してかまびすしい模様ですが、私はそれには、触れません。というのも新聞やウエブで氾濫している事に言及してもつまらないと思っていることが一方にあり、もう一方には、今書くべきことは別のことだと言う判断が控えているからです。

 私は独立委員会と言う、もしかしたら世間がすでに忘れてしまった組織に突然座長として登場した奥島孝康氏が、論考の宝庫である事にさらに、信念を深め、乏しいデータを駆使しながら、しかし、現代日本にとって、とても大切なことをお話したいと思います。

 現代の日本では、一部の人の意見がまかり通っていて、あたかもそれが正しいが如く喧伝をされ、ややもすると、その方向に流れていき、国が国力を失って、国民一人一人の総意が政治に反映をされないし、国民ひとりひとりもまもられていないのですが、

 それはじゅうたん爆撃的に、といってよいか、または、横一列に並んだ戦車部隊の進行よろしくといった具合のマスコミ支配があるから、そうなってしまうのです。

 その横一列戦車部隊を形成しているのが、ここでは文化人を指します。文化とはいろいろ分岐して居て、音楽部門もあれば、文学部門もあり、美術の分野もあります。演劇もありますね。そのそれぞれがさらに多岐に分裂発展をして居るわけですが、そのかく分野のトップが一種のエージェントとして機能をしてしまえば、文化というあらゆる部門が支配を受けやすくなり、それによって、日本人全体が支配を受けることとなります。
 
 大衆向けに教唆、訓導するトップレベルの文化人として、最近突出しているのが、北野武監督ですが、彼に権威を付与しているのが、フランスという国です。フランスは第二次大戦以前までは、確かに美術の面で世界の中心地でした。

 それ以前の一世紀は音楽の時代であり、その時代の中心都市は、ウィーンでしたが、ニューヨークの力が上がってくる前は、パリが文化の中心地だったのです。
~~~~~~~~~~

 ところで、そのパリで、私がもっとも意外だったのは、『この街は古いシステムで動いている』ということです。それは100%のレベルで悪いということを意味するわけではなく、健康を守るという意味では、日本よりずっと守りやすい都会でもあって、それは喜ばしいというか、お褒めいたしたい点ですが、

 一方で日本にとって、結果として困った事になる点が、<<<ひいきが利くというか、コネが効く>>>ということなのです。偉い人同士で決めたことが実現しやすい街でもあるのです。そしてヨーロッパというのは、いまでもしっかりとした階級社会が残っているところですから、そのコネの実効性を持つ人間の数は意外と少ないのです。

 いやあ、これには心底驚きました。フランス革命を起こした国ですから、日本よリずっとすすうんで居て、非常に明朗で、かつ、公平、公正にことが運ぶと想像していたのですが、日本のほうがまだ、東大や、その他のよい学校を卒業するとか、よい会社で、成績を上げるとかいう形で、チャンスが公平であると思ったほどです。これは日本が、第二次大戦の敗戦で、進駐軍の一種の理想郷実現の指針のおかげだったかもしれないのです。

 日本の旧華族や、大地主などは、没落して、それこそ斜陽族と言われるようになって、その後も相続税がばか高い(つまり、親の財産を、それが家であれ、分割しないと相続できない仕組みになっていて、小さい敷地の家だと分割できないので、売って、現金化することとなる・・・・・これを大勢の人は怒っている。不満を持っているが)ので、大金持ちが居なくなってしまったのです。階級差が、少ない国の典型です。ところがフランスは、戦勝国ですし、被・植民市でもないので、大変革をする機会もなかったし、必要も感じていなかった模様で、今では、日本の方が階級差も少なくて、チャンスが平等に与えらていると感じます。
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 そのフランスの少ない数のトップレベルと通々カー々でお話ができて、同じソサイェティに属することができる日本人は、これまた、非常に数が少ないと思われます。しかし、国際的軍産協同体に、『お前は、フリーパスだ』と言われているフランス通が日本にいたとして、その人間が、フランス側と懇談をして、あれこれ、企図されている絵図(デザイン)にのっとって、交渉をまとめれば、意外とすんなりと、話はまとまるものであると、想像をされるのです。
~~~~~~~~~~
 最近、顕著なことは、もう、ひとつあって、レオス・カラックス監督にオムニバス映画の『TOKYO』の第二作部分を任せたことです。

 これが暗喩に満ちていて、解釈が難しいと、されています。それで、それを理解できることがインテリの証明であるかのごとく思われていて、日本人の評論家が褒めちぎっていますが、素直にみれば恐ろしいレベルで反日映画となっているものです。

 私は今、七冊目の候補として、それについての論考も入れていますので、それを紙の本に直すことをやめさせるために、私に対する、それこそ、暗喩に満ちたすさまじい弾圧が起きているわけですが、公的にもその書物の内容を打ち消すために、いろいろな工作が行われています。

 その『消された映画』というタイトルのほんの中で、===ジュリア・ロバーツは、どうも日本が嫌いらしい。ナタリー・ポートマンと比較すると、その日本嫌いのレベルは際立っている===と、書いたら、ジュリア・ロバーツは2010年8月18日、に来日しました。
 私はだいたい、毎年、8月20日に自分の本を印刷して手に入れる事にしていましたので、普通の年だったら、すでに本が出来上がっていて、その部分が間違っているという事になったと思いますが、幸か、不幸か、今年は四月に急遽なる個展が入ったので、出版がおくれていてデータに来日したという部分を付け加えることができます。ここらあたりもアイデアは、例の二人組みから出ている可能性はあります。

 それをジュリア・リバーツまで伝えて、彼女を動かせるキーパーソンは、日本側、アメリカ側、それぞれ、複数が居ると思いますが、それこそ、奥島氏ではありません。別の人物ですが、それは今のところは言明できません。想像はしていますが、鎌倉の住人ではなさそうなので、証拠がなかなかつかめません。ので、候補は挙がっていますが、特定ができません。だから、名前は挙げられませんが、ジュリア・ロバーツの突然の来日は、後ろからの教唆と、要請があったことも事実でしょう。

 そして、レオス・カラックス監督の映画、TOKYOもその情報公開様式が二転、三転していますが、どういう風に転がっていっても対応できるように、文章を直しておきました。

 ただ、千葉景子法相の突然の死刑執行も、私のその『消された映画』という本と関係があるのですよ。その中で、ドゥニ・ラバンの演じる主人公メルド(フランス語でくそという名前)が、渋谷で、手榴弾を何発も発火させたので、
 日本でその罪を問われて、死刑になることとなります。その裁判の場面と、死刑執行の場面を私は激しく批判しています。裁判の場面はそれこそ、東京裁判をからかいぬく形式です。刑場の場面で、主人公がなかなか死ねない上に、死体が突然消えると言う、こちらもからかいの極地なのです。私が、その両場面をを批判するに当たって、こういう景色は、ありえないと書いたので、その後者の刑場の場面の方だけは、正しいとするために、千葉景子褒章は長年のご自分の信念を曲げて、ただ、死刑を執行するという捺印だけではなく、死刑執行に実際に立会い、かつ、「刑場を(メディアの記者連中に)公開する」とまで言いきりました。

 が、私の本のデータ作りが去年よリ遅れていたので、刑場公開の話は立ち消えになりました。しかし、もし、これから、刑場公開が、実際に行われたら、===私が書いているあらゆることは、真実だ===となります。つまり、===日本は、被、植民地国家であり、菅首相が、総理大臣をしようが、小沢一郎氏が首相をしようが、民主党である限り、ますます、国民の精神は踏みにじられ続けるのだ===となります。

 比較的に小沢氏のほうが精神面での、問題が多くありますから、より、困る総理大臣となるでしょう。金銭面の偽悪が問題でありません。小沢氏のこどもっぽすぎる、かつすぐ動く、精神のあり方が問題なのです。一国の政治を任せるに足る、泰斗さがまったくないから問題とするのです。

 ところで、千葉景子法相に、自説を曲げてまで、死刑執行をするように説得をした人物は誰でしょう。鳩山、小沢、菅首相の順で可能性は高いですが、このポイントには関心を引き続いて抱いていくつもりです。鳩山首相が、だれそれと会見したということが常にニュースとなりますが、この千葉法相を動かすけんなどの、真実、重要な会見は伏せられています。だけど、千葉法相も軽すぎるし、メディアがそれについて批判をしないことも、私がここに書いていることがすべて正しいことを証明しています。

 比較して思い出してください。鳩山邦夫法相の死刑執行のありかたは、ごく自然で、すなおなものでした。記者会見を開いたわけでもないし、『刑場を公開する』などという、刺激的な文言をおっしゃったこともないのです。しかし、そちらについては、蜂の巣をつついたような騒ぎでメディアが批判的に報道しました。

 変です。長年の持論を曲げてまで、しかもおしゃれの限りをつくして、(多分、10万円に近いお高いエルメスのスカーフを巻いておられた)ドラマちっくな演出にのっとって舞台にあがった千葉法相の方は批判が、短期間でおさまるのが、おかしいです。

 ところで、この主役女性が場違いなおしゃれをして舞台にあがるという点では、草薙厚子さんの奈良の放火少年に関する調書漏洩裁判事件と推移が酷似しています。

 千葉法相は、犯罪人とはいえ、この平和な日本で、機能、他人の命を二人も奪ってきたとは、まるで思えない厚化粧で登場しました。草薙厚子さんも講談社の関係者、および精神科医および、一番かわいそうな存在である少年自身、そして、現代日本で、必死になって言論の自由を守ろうとしているすべての存在に大迷惑をかけながら、そこに対する反省は微塵もなくて、和服で登場しました。『澤地久枝さん気取りですね』と内心で苦笑をしましたが反物の選び方もそっくりで、それも大笑いを誘います。
 
 澤地久枝さんは、一見すると地味に見えるが、本当はとてもお高い紬という反物を愛用していらっしゃいます。
現在の日本における仕事をもつ女性の中ではトップクラスの成功者であり、お金持ちです。だからこそ、お金の話が、上品にできる。たまたま日経新聞の夕刊(2010年8月26日第18面)に佐藤忠良氏から「あんたみたいな貧乏人」といわれ話が出てきますが、自信があるから書ける言葉です。

 その亜流を狙って居る草薙厚子さんは言論界における一種のくのいちであり、美人局の役割を果たしていると思いました。講談社内における、誠実な編集者つぶしには役にたったわけです。しかもwikipedea 内では彼女を批判をする記事と、擁護をする記事の両方がでていました。その擁護派の中で、大衆的知名度の高い有田芳生という名前をみつけました。この人はテレビ朝日のニュースショーに良く出ているひとで、思いがけない余得として、今日の主題をサポートをする新・事実をも把握できたわけです。

 つまり、この日本の政治の真の主体者は国民でもなく、永田町にでもなく、朝日新聞社とその系列を主役とする大メディア、大マスコミに握られているというわけです。

 さて、ここで、もう一回、千葉法相に戻ります。彼女を操った陰の人物については、今のところは特定できないものの、注目さえしていれば、
 やがて、私の手中に真実が入ってくるでしょう。
~~~~~~~~~~
 ここで、レオス・カラックス監督に「映画をつくりに来て下さい」と、誰が日本から頼んだのだとなります。
 日本人はまったく関与しておらず、ただ、米仏の軍産協同体の戦略家が企画したとも考えられます。しかし、奥島氏が使者となっていて、出張、もしくはメールとか手紙で、「かくかくしかじかの件を依頼する」と、フランス側のしかるべき人材を動かせば、私が「変だなあ」と思っていることがすべて、納得行くこととなります。

 それにプラスして、「北野武監督をカンヌ映画祭に招請してください」と交渉したり、「カルティエで個展ができるようにしてください」と頼んだり、「レジオンドヌール勲章を渡して欲しい」と頼んだりしたら、すべてがわかりやすくなります。また、奥島氏は文部科学省にも相当なレベルで顔が利くみたいですから、
 そちら側からも、さまざまなことが推察されて来ます。たとえば表向きは、正当な順序を踏んだとされている
 芸大・大学院・映像潜行学科の横浜における新設もないないでの手打ちが済んだあとでしかるべき部署の吏員を動かせば、スムーズにことは運びます。そして、その結果、講談社編集部襲撃事件という、暴力による実力行使で名を馳せたお笑い芸人ビートたけしのマネーロンダリングが済み、とうとうフランスから大勲章をもらうところまで上り詰めさせました。

 だけど、この一件から、っこころある日本人は深くフランスに失望をしたとおもわれます。このことからわかることは、日本ほど、ひどくはないが、真の国家利益よりも、国際的軍産協同体の利益が優先される国となってしまったということです。

 まあ、ここらあたりはすべて、想像で、例の見てきたような嘘を言いの類です。しかし、誰かが、日仏間の伝達者の役目を担っているという部分は本当でしょう。
~~~~~~~~~~

 どうして、それほど、奥島氏が力があるかという根拠ですが、ひとつの傍証として、高校野球連盟が、全く別の場面で、キーワードとして、浮上しているからです。

 私がパリで知り合った、女流画家の方が、工房で、いろいろ、私的なことをおっしゃったのです。それは、五十才を超えて、一人で生きていくことの不安とか、日本人なのに、パリでずっと生きて行くことへの不安とかでした。

 今思うと、あの工房もすでに盗聴をされていたと思います。それゆえに、私がそこで話したこともすべて、敵が知っていることとなるわけですが、その女流作家(美術の人)が話したこともすべて、敵が知っているとなります。

 でね、私には弾圧やら、脅迫が訪れるわけですが、私の知人とか、友人の方には必ず果報が訪れることとなります。

 この際は、彼女にはお見合いの話が舞い込み、無事に結婚にいたりました。相手の男性はもと、朝日新聞の記者だった人で、結婚当時、高校野球連盟の副会長でした。

 奥島孝康氏が、いつから高校野球連盟の会長であったかを知りません。ただ、偶然の一致にしては、あまりにも符号が合致します。
 その会話は、別に私が聞きだしたわけではなく、自然に話してもらったものです。でも、最近、そういうケースを連続して書いているように、私と親しければ親しいほど、知人の方によい仕事が舞い込み、その人は出世します。

 つまり、「お前だけは、取り残されているのだ。悲しいだろう」と言いたい手合いがいるのです。それで、こういうケースは頻発します。昔はメルマガの方が先で、それを転用してこのブログを書きました。今は反対で、こちらを転用して、メルマガにも配信しています。が、そちらの読者の方々は、ことごとく、出世を果たしているのです。グループ展のお話が入ったり、個展の企画が舞い込んだり・・・・・

 でも、私との関係を、そちらから切ってきた人には、この出世の案件はだんだん消えていきます。相手に当たる人のほうに、その利用価値がなくなったというわけです。ずっと穏やかに付き合ってきてくれたひとに、出世の話が舞い込むのです。水沢勉先生の仕事振りをみていると、まさしくこの考察が当たっています。しかし、今日ここに、この一行を加えたので、数か月の時差を経て、水沢先生の大活躍がはじまるかもしれません。敵はきちがいのようじなって、私の言葉を否定してきますから。「あなたにラッキーチャンスが舞い込むのは、私と関係があるからよ」といいたいけれど、それを言っちゃあ、お仕舞いだから決して言いませんけれど。
 ちょっと聞くに堪えない話だとお思いになりましたか?

 私も描くのがいやです。ただし、それでも、描くのは怒っているからです。個人的な狙い撃ちとしての攻撃が、種々さまざま行われるので、毎日、怒っては居ます。でもね、いっぽうでは、ますます、真実がわかってきて、使命感が深くなります。
 たとえばの実例ですが、今これを書いている、ソニーのハーフデスクが、ちかちかします。二千七年度中はしょっちゅう、敵から電源を落とされて、真っ暗になり、それゆえに文章がかけないとか、送れないということとなっていましたが、今でも、そこまで激しくはないが、ちかちかと、電圧を変えられるので、画面が、暗くなったり明るくなったりします。が、そういうところこそ、重要な話を、私がしているときであり、私が書いていることが、すべて、真実であるということを、あらわしているのです。

 つまり、私は、今現在では、ある種の気高さに達していて、自分を捨ててまで、この国を守ろうと思っているわけです。が、相手が幼稚すぎるので、何度、繰り返して、「誰がやっているかがわかっていますよ」といっても悪さをしかけてくるのです。パソコンない攻撃もそうですが、銀座やご近所、学友などを使役して、さまざまな心理的なしかけをかけてきます。ここらあたりの発想と、その繰り返されるしつこさは、日本人の発想ではありませんね。欧米肉食系の発想かな?

 ところで、今回の文章の主役である、奥島氏が、直接のオペレーターとして、その電圧の変更をするべく、私のパソコンに進入して居るわけではありません。それは言わずもがなですが、言っておきましょう。奥島氏は、年齢が高くて、かつ、昔から秘書がついている人でしょうから、パソコンの技術はそれほど、高くないはずです。別の人間がやっているわけです。
 が、より詳細に推察をすれば、この諜略のすべてを良く知る人物が、オペレーターを指導をしてるか、または、オペラーターそのものが、この案件の全貌を知っているということとなるでしょう。増幅器が、この山のどこかにある(または、空き家か、そのほかの家のなかにあるとして、)スイッチを作動する人は、自分の自宅、もしくはオフィスという、安楽な場所に居て、機械の操作をしているわけです。
~~~~~~~~~~

 ところで、もう少し、一般的な話に戻ります。私がいつも、国際的軍産協同体とか、闇の勢力といっていて、決して、アメリカという名前を出さなかったのは、ここに理由があります。ずいぶん昔から、気がついていました。アメリカだけが、日本を牛耳っているわけでもない。表向きはむしろ、身を隠しているといったほうがよいと思っているらしく、代わりに中国や韓国が、大きく利用をされます。時にはアメリカからはもっとも遠いはずの北朝鮮も利用をされています。テポドンの日本攻撃など、その際たるものです。あれは誰が総理大臣の年でしたでしょうか?

 そのころ、私は、パソコン内メモ書きとして、『ヨーロッパの国はいいなあ。中立で』と書いたのです。『温和で、平和で』とも。すると、フランスが利用をされ始めました。まさか、ウラの仕組みには気がつくまいと思われてのことでしょう。

 最後になりました。上に上げたお見合いで、フランス在住の日本人、女流画家と結婚をされた高校野球連盟の副会長とは、苗字だけは、奥尾さんといいます。すでに癌で亡くなっていますので、もって瞑目をしておきます。

 上記のエピソードを書き記したのは、そちら様がすでになくなっているからです。しかし、結構なご高齢での結婚でしたから、前の奥様がいらっしゃった(そして、その奥様に先立たれていらっしゃった)可能性はあります。となると、お子様等もいらっしゃるでしょうし、何よりも奥島氏やら、今現在、65歳以上の朝日新聞関係者は、そのお名前をご存知でしょう。

 他にも小さいことではイタリアも利用をされています。私が、我が家が盗聴をされていると書いたら、イタリアで、盗聴騒ぎが起こりました。また、私がパリで、通った工房の所有者の愛称はボーといいます。私は二千九年度の本として、パリを描く予定でした。それは1998年にほとんどができていて、文体を変える(会話体から、小説の文体へ変える程度でよかったのですが、それに没頭をしていた、5月か、六月ころ、オバマ大統領のホワイトハウスでの飼い犬の名前が、ウエブサイト上で、ニュースとして発表をされました。それがボーというのです。実はパリの本の主役の愛称こそボーなのです。
 『これは、偶然の一致ではない』と感じました。

 で、去年はエッセイ集、「おばさん、お釣りを忘れているよ」に変更をしたのです。つまり、一種の脅しに屈服をしたのです。だからこそ、今は免疫ができてきているわけです。何事も経験です。でも、オバマ大統領でさえ、私をいじめる駒として使われるのでは、ちょっとひるんでしまいますよ。当然でしょう。だけど、一方では、またまた、誇りを高くするわけです。そして、この世の真実にさらにさらに目覚めて行きます。

 奥島孝康氏はフランスに強い人だったのですが、日本国内に向けても、まだまだ、重要なことをして居る人物です。それが判っただけでも、今回の大相撲壊滅作戦は無駄ではなかったです。すべての出来事にプラスもあれば、マイナスもあるわけです。そちらも書きたいところですが、今日はここで終わりましょう。
  では、2010年8月26日    ここでは、まだ、誤変換の直しが済んでいないので、署名なしとさせておいてくださいませ。明日直して署名を入れます。
   今、16時間後の次の日、27日の午後に達してしまいましたが、やっと改稿と、訂正が済んだので署名をいれさせていただきます。2010年8月27日13:40
                雨宮舜
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奥島元早大総長(その3)、と、白川日銀総裁の二人を分析する

2010-08-25 09:02:32 | Weblog
 今日は昨日の続きですが、奥島氏の名前がタイトルに出てくる文章の3回目となります。で、奥島氏への分析をするわけですが、その前に、白川日銀総裁についての、文言をここに加えます。

 今週の火曜日に円が急騰して、株価が急落しました。前報で、私が白川日銀総裁を分析しています。簡単にそれをまとめあげると、『ひどい人だ』となります。ところが夜のニュースで、白川総裁ではなくて、菅総理大臣が、非難をされていました。
 もちろん、それも40%程度では、いえることですが、流れとしては、まず、日銀総裁が動かなければなりません。順序を無視して、菅総理大臣が動くわけにも行かないのです。

 でね、そのニュースを見ているとわかることは、「やはり、白川総裁は、日本人にとっては、敵方の人間である」ということです。そして「そういう人材を、何故、一国の総理が更迭できないか」が大問題なのです。こういう事実から、この国の政府はお飾りだということが明瞭になります。だから、私がこの国は、被・植民地だと言うわけです。

 そして、それがショパンの時代やら、キュリー夫人の時代のポーランドだったら、国民の激しい反発を招き、国民は貧乏ながら、それぞれ、生き生きとしていて、活発に抵抗します。また、ガンジーが生きていたころのインドだったら、志の高いひとはすべて救国の運動に身をささげました。西太后や、ラストエンペラーが生きていた時代の中国にも周恩来や朱徳などの愛国の志士がでてきました。日本統治の下に入った韓国にはアンジュンコンという暗殺者が出ました。
~~~~~~~~~~

 それは、システムが明瞭に見えているので、『ああ、これでは困るなあ』と一般の人でもすぐ思い至るわけです。しかし、現在の日本、および、日本人は違います。諦めています。『これはおかしい』と思いながら、何もいえません。もちろん、実力を持って抵抗することもできません。リクルートの江副氏や、旧ライブドアーのホリエモン氏みたいな、元気で大金を稼ぐ人間が出てくると、国民の敬愛がそこへ集中することをおそれるがゆえに、一種の別件逮捕でつぶされてしまいます。で、KYといって、辺りをうかがい、へこへこして偉い(?と、みなされているだけですが)人に従い、でも、『なんだか、変だなあ』と思っている人が大勢居るのが、今の日本です。

 結局のところ、本質を国民の目から隠しているのは、現在の大マスコミで、特にひどいのが朝日新聞です。二千七年からは、NHKもそちら側に立つようになったので、本当に困ります。でも、抽象論を言っているだけでは、ちっとも、解決しません。

 具体的に動いている人、要所、要所、で、具体的な方向付けをする人物を分析していき、その行動の本質的な意味をさぐらないといけません。これは温和な方法であり、ガンジーの無抵抗主義の一変形ですが、そのくらいの行動をとらないと、この国に生きる国民は豚そのものの扱いを甘受しなければならないでしょう。

 禁煙運動の推進で、喫煙できる場所が少なくなっているのは、そういう惨めな国民の姿を先取りして現しているものです。ここで、少しでもいいから、抵抗の姿勢を見せておかないといけません。
~~~~~~~~~~~~
 で、今回の大相撲壊滅作戦で、最後に登場したのが、最も要の位置に居た人物です。もちろん、鶴田卓彦氏も重要ででしょうが、そちらにはいまのところ、瑕疵が見当たらないので置いておきます。

 で、もとにもどります。それは、正式名称を、「ガバナンスの整備に関する独立委員会」というのだったのですが、通称独立委員会と呼ばれている会の座長として、登場した奥島孝康氏です。

 Wikipdia を見ると、それをはじめとして、氏には、32から、33の役職があるそうです。その中には埼玉県公安委員というのもあります。そして重大なことは、朝日新聞顧問である(またはあった)ということです。

 今、ビジネス社会で大流行である、ポジティヴ・シンキングの典型で、出世したひとともいえるかもしれません。ご家族か、そのほか、ごく親しい人の間柄では、文句なく、尊敬の対象となる大成功者でしょう。しかし、創作の仕事をしている人間から見ると、これは異常です。脳を正常に働かせたら、これほどの重層的な活躍はできません。それでもできるとおっしゃるのだったら、まず、『性格的には、誠実でない』という可能性があることと、もうひとつは、『丁寧には考えない人だ』という可能性があります。または、現実派であり、書斎の人とか、『象牙の塔の人』というイメージからは遠い人材であることを推察させます。

 早大の総長にまでのぼりつめられたのですから、一種の太っ腹であることは確かであり、かつ、一種の実力者ともいえましょう。だけど、私のような生き方をしている人間からみると、全く魅力がないひととなります。

 今回のことも、一人間としてみると、大失敗のひとつです。歴史にきちんと記載をされてしまったら、晩節を汚した話のひとつとなるでしょう。

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 もちろん、それは、伊藤滋氏にも当てはまります。伊藤滋氏は、伊藤玄二郎、または、井上ひさし(現在マダ生きていると推定される。地下潜行したはず)の二人に担ぎ出された一種のおっちょこちょいですが、

 そのひとが、国民に対する影響力が軽くて、教唆の方向で、重石の役目を果たせないとみた、組織側の人間が、今度は、経歴の上でも体格の上でも、いかにも重厚に見える奥島孝康氏を引っ張り出したわけです。伊藤滋氏は、何がなんだかわからないまま、言われるままにこれが大切なことだと信じて最初の会の方の座長を引き受けたわけですが、その会そのものを国民がどう思っているかを、しった、伊藤玄二郎と、井上ひさしは、あわてて、伊藤滋氏を引っ込めて、新しい会を作り上げたわけです。

 国民が本音のところで、どう考えているかなどとは、どこにも報道をされていません。しかし、私は道端の立話、電車の中での会話、喫茶店の隣の人の会話等に、加わったり、そば耳を立てたりして、人々の考えを熟知しています。私が突出しているわけではありません。国民みんながわかっているのです。だから、鎌倉市長選など、ある方向で明瞭になっていて、それは、はっきり言って、反・小澤一郎一派です。

 この鎌倉という地の利を利して、瀬島龍三から特別な愛顧を受け、トップエージェントまで、引き上げられた伊藤玄二郎と、その二人羽織の井上ひさしは、おっちょこちょいなアイデアを次から次へと考え出し、上層部にいるストラテジストに提案するわけですが、心の中では、仲間内意識もあって、大先輩の文学者、伊藤整氏は、尊敬にあたいするのでしょう。
 その子息である伊藤滋氏は、万全に見えました。東大卒でハーヴァード留学済み、東大名誉教授を経て、現在早稲田大学教授です。すばらしい人材に見えたことでしょう。アイデアマンの二人にとってはね。

 だけど、哲学や政治学、社会学、そして、心理学に関しては疎い人です。建築が専門だそうですが、いわゆる偏差値秀才にしか過ぎず、物事の本質を理解していません。ですから、その落ち着きのなさと、権威のなさがもろに国民の目に映ってしまいます。この場合の権威とは、肩書きをさすわけではありません。その人間が、人生を賭して、積み重ねてきた重みが他者に伝わるかどうかをさします。伊藤滋氏は坊ちゃん育ちみたいで、内面が、軽いひとです。『なに、あなた、言っているの?』と大勢の人が内心で反発をしたでしょう。

 そこら当たりの微妙さを私が分析して書いたところ、『晩節を汚していらっしゃる』と言う記述部分に例の二人羽織が反応したのです。二人とも日本ペンクラブにかかわっているから、伊藤整氏は不可侵の領域にある大切な人のはずです。
 伊藤玄二郎は、鎌倉ペンクラブ会長を長らくやってきて、非常に評判が悪いのです。威圧的で、恣意的だといわれています。だから、事務所を、鎌倉春秋社内から、外へ出したはずですが、彼がまた、下手に出て、戻したかも知れません。井上ひさしは、日本ペンクラブの会長でしたが、知る人ぞしる評判の悪さもあったのです。

 でも、二人とも、瀬島龍三氏、朝日新聞社、文芸春秋社、警察、NTT等の支援を受けて、現代日本では、「俺たちほどの、実力者(厚遇を受ける特権階級)は居ない」と、肩で風を切って歩いていたわけですが、そういう上昇志向が強い人間固有の上級者を敬い、恐れる発想は持ってもいて、『あ、伊藤整氏を、傷つけることとなるのだ』という発想にまで至り、急に伊藤滋氏を引っ込めて、奥島孝康氏を、引っ張り出したわけでしょう。つまり、内輪の人間に対する礼儀とか、良心の後ろめたさはあったというわけです。私に対してなど、きちがいじみた攻撃を、次から次へと考え出す人物たちですが・・・・・
~~~~~~~~~~

 奥島孝康氏にとって、こんな役目を引き受けるのは、ほ、ほいの、ほいの楽勝と言える問題だったはずです。というのは、総計、三十いくつの肩がきを持っている人間として、まず、人の扱いや、会議そのものの扱いに慣れているということがあります。マスコミにも誉めそやされたこともあれば、たたかれたこともあります。伊藤滋座長が、合計、五、六回(ということは同じニュースが一日に何回も放映をされるので、実質、二十回ぐらい、登場してしまった姿に比べれば、まず、山本某というヒステリックな話し方をするもとNHKアナウンサーをしゃべらせたり、わたみ社長をおだて上げたりして、歩(兵卒)の使い方も上手です。

 ご自分は本当は顔をさらしたくなかったが、伊藤滋氏の場合と同じく、
この、「ガバナンスの整備に関する独立委員会」の欺瞞性を、特に和民社長に絞って取り上げたために、「歩では間に合わない。ここで将が出るか」となって、一回だけテレビ画面に登場なさったが、早々に主たる任務を村山弘義元高等検察庁長官に渡して、引っ込まれました。

 これは過去に苦い経験があるからのようです。テレビカメラに追い回されたか、どうかを寡聞にしてしりませんが、マイナスのイメージをもってマスコミに追われたことがあったからです。今回、はじめて過去の記録に入ってしりましたが、慶応における幼稚舎の向こうを張って、早稲田実業の付属小学校を作るに当たって、受験生の親に、実質350万円の寄付を要求したので、受験生の親から猛反発をうけ、朝日新聞社の顧問を辞任した過去があるからでした。
~~~~~~~~~~

 ここで余談に入ります。この付属小学校建設は大きな話題となりました。が、最近では続報がトンと出ません。ということは、奥島氏が例の軍産協同体にとって、非常に大切な存在であることを推察させます。氏の失敗を思い出させるような記事は制作できないことに、なっているのでしょう。とくに、朝日新聞の顧問であるというポイントが重要です。酒井忠康氏もそうでしょう。酒井氏の方は、鎌倉の人間であるからこそ、幸か不幸か、今回の事件にタッチすることもなく、(つまり、伊藤玄二郎がかばった)ので、wikipedia が単純であり、朝日新聞の顧問であるかどうかは出ておりませんが、実質同じだと思います。

 で、この顧問料として支払われるお金こそ非常に重要です。それが月に50万円でしかなくても、両者にメリットをもたらし、かつ、国民を裏切るお金であることが、明々白々だからです。制度上には何の問題点もありません。しかし、伊藤玄二郎、および、井上ひさしに連なる人々が、マスコミのパパラッチから、守られぬいているときに、若島津や、琴光喜などは、スケープゴートとして、いじめられぬいたのです。過剰に保護されている人間の好例は、りえちゃんであり、山本容子女史です。

 このかたよりの恐ろしさこそ、永遠に追求されねばならない無法地帯の存在証明に当たるのです。法科系大学院の教授である奥島氏が、こんなとんでもない役目をどうしてひきうけたかの経緯は、公開質問状として、お問いあわせをしたいです。

 奥島さんに個人的にもうしあげたいです。「あなた、日本の国民をなめちゃあ、いけませんよ。誰だって、遵法精神が何たるかはしっておりますよ。私は最初、あなたがそこら辺のごろつきのひとりであろうと推察をしていたから、
 見逃していたけれど、あなたが元早大総長であり、特に法律を教えるのが専門だったとしたら、これは由々しき事態です。

 この大相撲壊滅作戦の裏側に、上智大学在学中にほとんど講義にも出席せず、浅草のストリップ劇場に入り浸っていたくせになりゆきから、闇の社会での功績からとんとん拍子に出世して行った井上ひさしと、中央大学の法科を卒業しながら最終的には司法試験を受験しなかったか、受験して不合格だったかはわからないものの、中途半端聞きかじり型人間である伊藤玄二郎の発案から端を発していることをご存知でしたか?

 特に裏側に、自ら伊藤玄二郎の愛人であるとか、あったとか名乗る石川和子女史とその夫の警官を悪用した大失敗を糊塗したいという、非常に惨めな矮小な動機に大・早稲田大学の名誉を奉仕させてしまったのですよ。伊藤玄二郎と、井上ひさしの二人羽織はそれが、ばれないで済む最上の方法だと信じているのか、できるだけ、私から遠いところに火をつけます。

 今回もほんのいたずら程度の感覚で始めたことでしょうが、裏側の真実に気がついた私が丁寧な分析を始めたので、自分たちに最終的な火の粉がかからないように、できるだけ、私と遠い人間をつかって、ひとしばいをうったつもりになっている模様ですが、例のごとく、尻尾がみえみえです。仙台近辺の施設で育ったような人間が、この複雑な現代日本社会に生きている人間を教唆できると考えることこそ、おこがましいにもほどがある話です。
~~~~~~~~~~

 さて、余談から元へ戻ります。鎌倉・八幡宮そばの小さなやと住んでいて、鎌倉市ないから聞こえてくる騒音をもとに(それが発生するタイミングも重要ですが)確信を持って発言をする、個性的な(?)部分から、離れて新聞やテレビだけで、わかる部分へ戻しましょう。

 今回の件で、これからの世界の分析に役立てうるさらに重要を得ました。そのひとつは、奥島氏が、フランスに留学した過去があるという点です。
 この点については、さらに論考を進める必要があります。しかし、今日はここでいったん閉じます。署名もいれましょう。

 なお、本日は、朝の九時から書き始めて午後の四時までかかってしまっています。理由は激しい弾圧により、いったん書いたものが消えてしまったからです。初稿はもっと上品なかつおもしろい文章をかいていたのです。しかし、フリーズやらなにやらを利用して初稿を消されてしまったので、より直接的な表現ではっきりと書き直しました。
怒らせられたからです。
  品は悪くなってしまっているし、一部事実が消えてしまっていますが、落としてしまった部分は、いずれ書き直します。 2010年8月25日       雨宮 舜
 
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白川日銀総裁は何故、手をこまねいているのか? そして、奥島孝康・座長・の人生は?

2010-08-24 07:27:07 | Weblog
 昨日の『高校野球から駒が出る』は訪問者が少なかったのです。ブログとはタイトルが、集客数を左右するとは気がついています。本当は非常に大切なことを最後にほのめかしていたのですが、タイトルでパスされた方も多かったのでしょう。ただ、読者数という数で人気を煽るより、自らの体調と、天が与えてくださるヒントやら、メッセージに沿って、瞬間的に、話題を選ぶようにしています。それゆえに、ペンディングになっている話題も数々ありますが、今日は昨日の続き、奥島・大相撲独立委員会・座長、高校野球連盟会長、本年度大会・審判委員長、元早大総長の人生に対して、分析を重ねていきます。

 私自身は奥島氏から、直接には何も迷惑をこうむっているわけではありませんが、全体の状況を考えると、大きな被害があって、それは、現代社会固有のマイナス点と直結していると感じます。それは政治が国会議事堂の主体がなくて、朝日新聞社にあることと大いに関係があります。

 で、ここからはツィッター方式で書かせていただきます。
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 今週刊誌は、政治の話題として、9月の民主党代表選のことで、かまびすしいが、そのウラで為替差損で、またまた、日本のお金が海外へ流れようとしていて大変ですが、日銀の総裁は何も動こうとはいたしません。現在の白川総裁は、中川もと経済産業相の酔いどれ記者会見に同席し、右側に座っていながら、顔色一つ変えませんでした。

 不思議なことです。日本人でしょう? あの酔いどれ会見が、日本や、日本人にとって、恥ずかしいものであることは、横並びであっても、記者たちの嘲笑の気配等で、わかるはずです。それなら、当然のこととして、「中断してあとで、再開します」と提言しても良いはずです。または、右側を向いて、中川経済産業相を気づかう姿勢ぐらい見せても良いはずです。

 左側の経済産業省の吏員は、<事前に事情をしっていて、罠に嵌める事に加担をして、かつその功労で、出世した」と、公のマスコミから批判をされていますが、白川総裁には一切の責任を問う声が上がりません。

 で、結果として大切なことは、「白川総裁は、日本人の代表ではない」ということです。国際的軍産協同体に守られている人で、日本人一般のことなど、気にも留めていないと言うことです。しかもその程度が戦後、もっともひどい総裁かもしれません。

 どうしてそうなるかというと、日本という国の隅の隅まで、国際的軍産協同体の支配が行き届いていて、誰も本音で語ることができないからです。
 そして、その支配をつかさどっているのは、実は朝日新聞だということです。
~~~~~~~~~~

 こういうところに、今現在日本がおかれている、もっとも大きな問題点を感じる私です。単なる私個人の言論の自由が抑圧されているだけではなく、
 日本国、または、日本国民全体に投網が掛けられていて、本当のことを発言する機会も機運もありません。大いに困った状況ですが、

 そういう状況を作り出すに当たって、もっとも、功績があったのが、朝日新聞社です。この際の功績とは、皮肉で、言っている逆説です。数回前にはNHKも困ったものだと申しましたが、NHKがそういう方向へ転換したのは、ここ二、三年のことであって、朝日新聞社のほうがずっと以前から、手絵r日朝日を含めて、そういう方向へ走っていますが、最近の週刊朝日の目次(特に広告で)を見ると、なりふりかまわぬ恐ろしささえ感じます。

 私などからみると、とても、おかしい、ミステイクだと思われるニュースそのものの選択があり、かつ記事の書き方にも偏頗があります。

 しかし、誰も、朝日新聞という猫の首に鈴をつけられません。「朝日新聞さん、反省してください」とどんなに、しかも何度も繰り返して言っても、絶対に反省なさいません。どうしてそうかというと、まず、数の論理に対して、ご本人も他者も盲目になっているところがあります。

 一時期、公称800万部、日本一、たくさん売れている新聞だといわれました。と、同時にインテリが作って、やくざが売るとも言われました。1970年代から、80年代にかけて、ものすごいレベルで勧誘合戦があり、たしかにやくざっぽい人が何度も何度も勧誘に来て、断りきれなくて、一年ぐらい毎日新聞と平行してとったことがあります。

 政治面と社会面の記事は、圧倒的に毎日新聞のほうが面白かったです。しかし、萌芽として、朝日新聞の方が広告が多くて、したがって頁数が多いと感じました。その傾向がいまでは、ますます、ますます、強まっていて、大きな差がつきました。

 だから、朝日新聞は傲慢のきわみになっていて、何も反省しないわけです。
**********

 もうひとつあります。それは、文化人たちの支えがあって、そのシステムの信頼度が込められて居るというポイントです。朝日新聞に自分の情報が載る、または、自分の描いた文章そのものが採用されると言うことが大きな価値、と、付加価値を生むので、それを捨てたくない人、または、これから、そこへ登壇しようとする人々は、沈黙をします。で、そういう対象を莫大にたくさん抱えているのが、朝日新聞です。

 それらの文化人が専門とする分野は、政治に関係がなくてもよいのです。むしろ政治には全く関係がないほうが、より効果が高いとも言えます。

 だから、酒井忠康氏やら、奥島座長が、重要になってきます。
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 で、それらの分析を抽象的段階にとどめておくと、何の効果もない結果、政治はますます、悪い方向へ流れますので、本日は短くですが、奥島座長について、分析していきましょう。

 と、書いた後で、やっとの思いでgoogle の奥島検索が可能になりました。先週8月20日に開こうとしたときも開かず、今朝も五時間ぐらい前までそれが不可能でした。これは、私が、その人物が、どれほど、国際的軍産協同体にかわいがられているか、どうかを判断する目安になっています。で、奥島氏は、予想通り、すこぶるつきの程度で、国際的軍産協同体にかわいがられている、もしくは、重要な人物だと思われていると判断するわけです。

 そのグーグルが開けないのは、私が苦笑しつつ『また、お前には、見せない用・バ・グ・が入れられてしまった』というのですが、しょっちゅう起きる現象です。しかしそういうバグを解く手法さえ、今日では既に得てしまって居ます。パソコンを買いなおすときに、「あなたは、ここの店員ができますね。サポート用スタッフまで、任せられます」といわれるほど、いろいろわかって居るので、なんとか、パソコンを直して所定の場所に張り込むことができます。

 さあて、その結果ですが、想像をしていたことの80%が当たっていました。
 しかし、その分析の詳細は明日、語らせてくださいませ。今日はちょっと、別のことをやらないといけません。この最後に署名が着たら、それが、完成だとお考えをいただきたく、まことに勝手ながら、よろしくお願いをいたします。もちろん、朝には最後まで描くつもりでした。しかし、グーグル検索で長時間、てこずっちゃったので、外出しなければならない時間となりました。恐れ入りますが、これから先は、明日をおまちくださいませ。

 以下は、、メモです。
       なお、今、次の日に入っていますが、ここでこの文章には署名を入れて終わり、次の文章で続きを書かせてくださいませ。25日の朝、9時に。雨宮 舜
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高校野球から、駒が出る

2010-08-22 23:37:56 | Weblog
 土曜日、21日のことです。鎌倉の喫茶店、エクセルシオーネで、仕事をしていたら、上品な紳士二人と、上品なマダム二人がやってきて、四人で仲良くお茶をし始めました。

 ここで、余談ですが、街と喫茶店のカラーによって、お客さんが違います。また、時間帯によっても、ものすごく違います。そのことはまた、あとで話題にしたいと思いますが、本日はその四人が、高校野球について話し始めたのが、ちょっと耳に入って、思わず、そちらを注目したわけです。趣味のサークルの帰りです。土曜日ですので、特に皆さんリラックスしています。

 男性陣は、大会社に勤めていて、重役程度で退職して、今は悠々自適の身でしょう。奥様連中はご自分のだんなは、そばに居る紳士たちと、だいたい似たような境遇で、だから、他人同士だけど、非常に気があって、仲良しです。これが現在日本のもっとも幸せな人たちです。

 一方、マクドナルドは、単価が低いので、普通の時間帯は青少年ばかりです。私はマクドナルドは雰囲気が好きではないほうだったのですが、鎌倉で飲み屋以外で、夜遅く、または早朝に開いている喫茶店がないので、ずいぶん利用し始めて、思いがけない光景を目にし始めています。

 いつも朝の五時まで寝ているおばあちゃん、別にくさいというわけではないので、ホームレスではないと思いますが、私のように、つよい目的意識がある場合ですと、ある種の元気さを持っているわけです。で、ぱっとノート型パソコンを広げて、仕事を始めますが、彼女にはその種の元気さがないのです。で、なんともいえない気の毒さに打たれます。

 ただ、以前その哀れさを描写した二人の老婦人ほど、詩情を誘われなかったので、一本のエッセイを描くほど、心がその人に集中をしたわけでもありません。

 でも、さきほど、冒頭に上げた、老人四人組の幸せそうな様子と比べると、なんともいえない気持ちになります。私自身は本来なら、冒頭の四人組みたいな生活を送るはずでしたが、海外で勉強する事に大金を使ってしまったので、洋服等を買いませんし、その上、いつも私固有の仕事に忙しくしているので、コーラスや、そのほかの、サークルに所属するつもりもないのです。

 でも、喫茶店で一人で居るその孤独を、さびしいと思ったことはないのです。自らの個性とか、使命感に目覚めちゃったので、常にやることが一杯あるので、「自分が幸せであるかどうか」なんて、考えたこともないのです。昔はそういうことも考えたりしましたが、今では、眼前のやるべき事にこころを集中しています。

 だから、その結果として、夜遅くとか、早朝にマクドナルドにいても、朝七時から開く野菜市場で、すいかを買って帰れば、主人がきれいな彩りよいサラダと、ソーセージをいためたものを盛ったプレートを作って待っていてくれたりするので、『ああ、私は幸せな方かなあ。主人がよく、お前ほど恵まれているものはいない、と言っているけれど』と思ったりします。一方で、今日も一日、壊されたパソコンの手当てに追われていて、(敵にいじめられているから)、そういう意味では大いに不自由で不幸ですけれどね。

 しかし、もっともっと気の毒なひとたちがいるのです。鎌倉のマクドナルドの早朝はおとなばかりです。で、60台のひとが本を読んだりしているのは構わないのです。しかし、40代の人も来ています。

 その人たちは格好が良くて、鎌倉の高校やらで一緒だった人たちらしいのですが、派遣社員らしいのです。だから、結婚もしていなくて、朝食にマクドナルドのハンバーガーを食べるのです。もう少し前だったら、ほいちょいプロダクションの映画に出てきた織田ゆうじであり得たし、いとしのエリーを歌った桑田けいすけであり得たし、もっと前だったら、加山雄三であり得たし、それより前だったら、石原裕次郎であり得たような、格好のよい青年たちが、すでに中年の域に達していて、派遣の会社情報を交換して居るのです。マクドナルドの早朝は鎌倉の青年たちの、社交場なのでした。

 でも、気の毒であり、痛ましいです。時たまなら良いけれど、毎日一食が、マクドナルドのハンバーガーであっては、栄養が足りません。私は、結婚の意味が、最低の健康生活を保障するものであることを、若い人たちに教え、若い人たちを守る意識が、年上の人間たちの方に必要だと思います。若い青年が、40代になっても結婚ができないのは、それら50以上の人たちの方が制度的に守られている時代に会社に入り、安定した生活をしているために、比較して、劣っているように若い女性の目に映ることも原因のひとつでしょう。

 『日本がどうして、こういう国になってしまったかというと、私が今、ブログで展開しているような発想は、絶対に大切だ』と、再度、使命感に燃えるのです。攻撃や弾圧や、損失をうんと浴びていますので、しんどいこと限りもないが、いつも内心は熱いです。
~~~~~~~~~~

 さて、余談から冒頭へ戻ります。その四人の紳士淑女の声を小耳に挟み『高校野球ですって? すっかり縁遠くなっているなあ』と思います。私が燃え上がったのは、柴田投手を擁した法政二校が強かった時代と、三浦投手を擁したY校が強かった時代だけです。それ以外の年は、『あ、特待生を優遇している学校が、活躍しているわ』という感じを受けて、心が盛り上がりません。

 特に桐蔭学園が受験にも野球にも強くなってしまったころから、面白くなくなったと感じています。『学校をあげて、文武両道を売り物にするなんて、つまらない。特にマンモス私立校の場合はつまらない』と感じます。
 他の県や、ほかの都市の場合はしりませんが、神奈川県の場合はそうです。

 でね、すっかり興味を失っていた高校野球に、突然でしたが、喫茶店エクセルシオーネないの会話を聞いただけで、もう一回、火がついたのでした。でね、本当に珍しいこととして、朝日新聞のスポーツ面を開いたのです。神奈川県の予選から含めて一回も今期は、その記事に接したことがないのに、昨日の紳士淑女たちの声高の会話が機縁で、初めて、注目して読もうとしたのです。

 すると、一番最初に目に入ってきたのは、奥島孝康という名前です。驚きました。ひょうたんから駒とはまさしく、当たっています。または、天はいつも私を見守ってくださっているという思いも強いです。

 海外にいらっしゃる方は、その名前をご存じないでしょうが、エクセルシオーネとは、コーフィーのチェーン店ですが、一応ラインとしては、高級志向であり、今、鎌倉の喫茶店の中で、一番人気の高いお店でしょう。そこでたまたま耳にした会話がなければ、私が絶対に朝日新聞のスポーツ面を読まなかったと思います。しかも20面という地味な位置にある奥島孝康氏の名前が最初に目に飛び込んできたのにも、僥倖を感じました。

 奥島氏は、高校野球連盟の会長であり、今大会の審判委員長ですって。その同じ人が、大相撲の独立なんとか、委員会の座長なのです。何にも調査をしなくても重要な情報が手中に入る、ということがここにも顕現しました。

 しかも隣に、大会会長、秋山耿太郎朝日新聞社長のあいさつという文言も見つけました。

 私のパソコンはハード的にもソフト的にもものすごく使いにくくなっていて、また、この国際的軍産協同体に関与しているひとの情報は特に、一般的にも隠され始めていて、wikipedia 等の情報も少なくなっているのです。
 それなのに、偶然にして、大切なことが手中に入ります。

 今の日本で一番問題なのは、被・植民地国であるということです。それゆえにこそ、国民は精神的にも経済的にもどんどん疲弊をしていっています。映画『靖国』やら『コーヴ』が制作をされたり公開されたりすることをはじめとして、為替差損のこと、トヨタのリコールのこと、真央ちゃんの銀メダルのこと、そのほかすさまじい・い・じ・め・を世界から受けているのに、抵抗しなければ、この国は大変な事になります。

 でも、非常に巧妙な仕組みで、正しい意見が抑えられています。その仕組みのうち、もっとも大きな効果を挙げているのが朝日新聞と、テレビ朝日と、NHKです。そして、そういう世界で、要所要所を締める人材として活躍しているのが、早稲田大学の出身者です。

 で、この『ひょうたんから、駒』を利用して、私は二つのことをいいたくなりました。まず、敵というか、国際的軍産協同体に対しては、『あ、やはり、革○の委員長だった成岡庸司君はまだ生きていて、地下に潜ってエージェントとして活躍しているのでしょう』という言葉です。
 
 もうひとつは一般の読者に向ける言葉です。それはこれらの巧妙な支配も、幽霊がやっているわけではないというわけです。表に出てきた名前は、最高の悪人ではないでしょう。最大の悪人は影に居るはずです。
 しかし、そうそう多くの人数で、この国を支配して居るわけでもないのです。マスコミセレブと言われる、または、電波芸者とも言われるテレビを牛耳っているひとたちが、すべて、重要な人物として、機能をしているわけでもありません。

 で、その少人数の少人数の中でも、重要な働きをする人間はいるのです。そういう人を注目する事により、この世界の真実が、だれにでも見えてくるということを、告げたいです。 
 まず、真実を把握すれば、その次には、どういう行動を個人としてとったらよいかは、おのずと見えてきます。奥島孝康氏も相当に重要な人物であることが、いまは、はっきりと、私には、わかってきました。

         では、2010年8月23日               雨宮 舜
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全文を伝えていないぞ。やはり朝日だ。過去ニュースの検証

2010-08-22 14:55:38 | Weblog
「自民、しばらく野党でいた方がいい」―小泉元首相(朝日新聞) - goo ニュース

さきほどから、過去ニュースを検証しています。そのために、私のパソコン内、メモを公開しています。

検証した結果、重要なニュース、ほど、消えていました。つまり、ここで、重要だというのは、ためにするニュースで、作られた現象を扱っているということをさします。このニュースはどうかな?

初出(ただし、私はブログへはアップロードをしていない)は、6月29日、これは、捏造されたニュースではないから消えていないかな?

いえ、やはり、消えていました。

まあ、シンプルなものであり、消えてもかまわないものですが、もっと重要なものが消えていて困ります。また、国際的軍産協同体にとって、非常に口当たりのよいもので、捏造された事実ではないものは、生きていましたが、よくよく、考察すると、根本の発想は、

英語でそれらを読む人、および、翻訳されたニュースとして、日本語でそれを読む日本人、の両方を教唆しようとする目的のあるニュースでした。また、ブログ性があり、著者名が記載をされている形式のものも、残りやすい事に気がつきました。

今日のタイトルとなっている記事ですが、タイトルと中身はやはり正反対だったとの記憶があります。これは、週刊誌などにも良く見られる現象です。広告だけを見ているひとを間違った方向へ、教唆していく手法です。「ばかにしなさんな」といいたいところです。

今日の私の文章の方のタイトルですが、どうして、こういう風な表現になっているかというと、朝日新聞の報道姿勢には、客観的ではなくて、『こっちの方へ、大衆を、引っ張っていこう』という、よく言えば、啓蒙的態度、悪く言えば、軍産共同体のエージェント的態度が、もっとも強く出ているからです。

そういう傾向のつよい紙面づくりを、二十年以上前から、見聞し、その固有の任務に、気がつかされていて、そのことを不快に感じているからです。

 なお、海外で、これをご覧になる方、および、夜だけ、パソコンをお開きになる習慣をもっていらっしゃる方には、下に、今日の本当の記事、「ワダエミさんの、私がこどもだったころ、+張本勲氏がおいてありますので、
 そちらもどうか、よろしく。    では、これは、短く終わります、
                2010年8月22日、       雨宮 舜
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ワダエミさんの、私がこどもだったころ+張本勲さん

2010-08-22 01:06:28 | Weblog
 21日朝、NHKハイビジョンで、ワダエミさんの私が子どもだったころが放映をされました。

 二、三、注目をしたいポイントがあります。今では大活躍で、人当たりも良く、交渉能力も高い模様である、ワダエミさんが、小学生のころは一種の上のはみだしで、孤独だったことをしりました。でも、それが詩心を養い、芸術の方向へ、向く自分を育てたのですから、結果往来で、良かった、よかったなのです。

 こういうお嬢さんはいじめにあいやすいのです。ただ、彼女は二千坪のお屋敷に住んでいたそうで、それが級友たちにわかっているから、悲惨な状況にはおちいらなかった模様です。曽祖父が薬品会社を創業していたそうです。創業者一族というのは大金持ちです。

 ただ、実業家の家系の三代目とか、四代目はやがて芸術家になっていくの典型ですね。三田誠さんの一族もそうです。

 でも、孤独であることは変わりはないのですが、それを救った友達がいます。相手はワダエミさんに比べれば、他者に溶け込みやすい性格でしたが、それでも、どちらかといえば、文学少女っぽい子でした。そして、お互いに文通を、ほかの級友には、秘密で始めます。そうですね。これが秘密だったことが成功をもたらしています。

 それらの手紙を、ワダエミさんの方ではなくて、相手の少女の方が、すべて保存をしてありました。それは今では、大変貴重な資料となると思いますが、・・・・・

 いまどきのように、鳩居堂、や、ハロッズの便箋が手軽に手に入る時代ではないので、手描きの、花などが添えられていて、精一杯の工夫があり、

 ワダさんがやがて、衣装のデザイナーとして、立つ、未来の萌芽がみえます。
~~~~~~~~~~

 ところで、私は今朝は、7時半ごろに置き、『ぴあのぴあ』というハイビジョンの番組が始まるころから、着席してテレビを見ていたのですが・・・・・
 この番組が始まった途端に、事前には何の知識もなかったのに、どうしてか、ワダエミさんらしいと言うことが判ったのでした。

 一種の再現ドラマの形を取っていて、小学生としては、やや背が高くなった上品なお嬢さんの横顔が、アップで写った途端に、私は、ワダエミさんのことを主人に向かって食卓の話題としていました。

 「今日のひとは、きっとデザイナーでしょう。そういえば、ワダエミさんが、毎年、鶴岡八幡宮の雪洞祭りに、よいものを出品なさっているわね。選ばれたことばが、すごくいい」と。

 そう言っている間に、二分か、三分かが過ぎて、ワダエミさんの会であることがわかり、久しぶりに自分の直観力の確かさを、確認し、われながら、たのもしくも感じました。

 13,4年ぐらい前は、ひたすらアートに専念をしていて、文章は書いておりませんでしたが、そのころ、もっとも直観力がさえていて、そういう人間が持っているサインというのが手にたくさん出ていました。指の、特に腹の方が、ピラミッド型にとんがっているとか。つめに常に白い星が出ているとか、手相のラインの中に星が一杯あるとか。
 慈悲の心がある紋だとか、大衆的人気がある線だとかもあって。

 文章を書いておらず、したがって、自分の内面は、自分ひとりで処理するだけで、したがって・た・め・が・利・い・て・い・た・と思います。ちょっと自慢げに聞こえると思いますが、一方で、今、敵がいて、したたかなほどの苦労に見舞われているわけですから、
 こんなささやかなことでも、自慢をするのをお許しくださいませ。
~~~~~~~~~~

 ところで、ワダエミさんは、そんなに大金持ちのおじょうさんなのに、どこか、引き気味の性格で、公立小学校時代をすごし、それによる、一種の悲哀をお友達に手紙で訴えているのですが、それはご両親と離れてすごしたこともおおきな原因となっているでしょう。ご両親は、エミさんの曾祖母(女中は居る)の下鴨のお宅に彼女を預けて、普段は大阪に暮らしておられたのです。
~~~~~~~~~~~

 一方、その一週間前に登場した張本勲さんは、相当に傾向が違う方です。貧乏だったとご自分でおっしゃるし、だから、ハングリー精神があって、こどものころからプロ野球選手になるという夢があったともおっしゃいます。

 だけど、それよりも大きな違いは、母のありかたです。お子さんは多かった模様ですが、それこそ、ちいさなおうちのなかで、手元において、密接な愛情の交流の中で育ちあがっています。それが張本さんの前向きな性格を作っています。アイとはエネルギーで、それをたくさん与えられて育った人は、他者にもそれを与え得るのです。

 在日ということですが、大変に明るくて、尊敬を招く人です。

 私自身についていえば、どちらかといえば、ワダエミさんに近いでしょう。でも、ちょっとばかり、成績がよかったばかりに、親に、実学の世界でも、一流の人間になれるだろうという夢を与えちゃって、それが自分を縛りました。

 高校までに、「自分には、芸術の方向が向いているのだ」と親に主張をできたらよかったと思います。でもね、私にもいいところもあるのですよ。いまでは、昔からの友人ではなくて、電車の中で、見知らぬ人と交流をするように努めていますが、そういう場合でも、非常に充実して相手が喜んでくれる会話がもてます。

 最初か、途中か、最後に「私が68だ」というと、
みなさんがびっくりなさるのよ。で、本来はワダエミさん風な、私も、電車の中という限定された空間では、張本勲さん風になるのです。

 スッごく明るくて、他人にエネルギーを与える人間となります。このブログの世界では、敵の話やら、軍産協同体の話ばかりしているから、非常に暗い人だと、誤解されているかもしれませんが、
      では、本日は、軽く、これでお別れいたしましょう。
                    2010年8月22日   雨宮 舜
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奥島孝康、元、早稲田総長と、アスベスト

2010-08-20 10:33:58 | Weblog
 金曜日朝6時のNHKニュース、それから、朝日新聞の朝刊、および、昨日(木)の深夜のウエブサイトニュースを見聞すると、些少(?)のことは言っておかなければならないと感じますので、今、体調的には相当に無理なところを、おして書いています。
~~~~~~~~~~

 まず、読者諸氏、諸嬢ではなくて、敵方に申し上げたいのは、『鬼の居ぬ間に洗濯をなさったわね』です。昨日は夫婦で出かける予定がありました。それは電話の盗聴、(これは我が家だけではなくて、主人のオフィスもやられているし、i-phone も、夫婦間でさえ、直接通話ができまない具合で、あらゆるインフラを利用して監視されていますが・・・・・と、同時に室内盗聴を掛けられているので、どういう予定を私がたてているかは、すぐ敵方にわかるわけです。

 しかも昨日、川崎のラゾーラという大モールの五階でノートパソコンを開いて仕事をしているときに、マイクロソフトワードに冠して、とんでもない、面白い破壊工作を発見しました。その詳細は後回しにするとして、どうして、昨日に大ニュース(と、いっても、私が発言したことを弱体化させるためのニュースです)が連発したかというと、私が7冊目の本のデータ作りに、その日をあてることが、敵方に予測がついていたからです。

 今の私は、それを大きな仕事上のテーマとしていて、===ブログを書くことと、それのどちらを優先するかについて、常に、判断を迷いながら、状況を見て、決断をしてのですが、それは、敵方には、すっかりと、お見通しのこととして判っていて、====数日、その編集のほうをおざなりにして、ブログにエネルギーを集中していたから、

 『彼女は、本日、19日(木)は、何もブログを書けないであろう。その隙に、彼女が書いたことを、否定してやろう』と思っているわけです。

 それは当たっていて、私は、18時間インターネットは開けなかったし、ブログももちろん書きませんでした。その代わり、自著の編集および制作の方は相当に進みましたので、自分としては、後悔は何もないのです。私は個人であり、しかもお金を稼ごうとしない人間だから、人を使うこともできません。ので、ちびちびと、進んで行くしかないのです。

 私が書く予定があることのうち、敵がもっとも恐れているのは、NHKの偏頗について、実例をあげていくことでしょう。それから、鎌倉を中心として、いかにおかしい動きがあるかを、実際例に基づいて、しかも登場人物の実名を挙げながら描くことをも、怖がっているのです。どうしてかというと、それらのすでにやられてしまった行為は、すべて、人倫にもとることだからです。

 ただ、ただ、ばれないであろうと思って、やってしまったわけですが、私がかれらの予想以上に頭がよくて、その悪を分析しぬくので、困り果てているともいえるでしょう

 パソコンのハッキングから始まり、ありとあらゆる悪さをすでにやって来ていますので、もう、引っ込みがつかないというか、どうしようもないところに敵方はおちいってしまっているわけです。

 私は「預言者は世に容れられず」と言われたこともあるように、未来予測ができるので、彼らを救う意味でも、和解を、五回ぐらい提案しています。だけど、この敵方は、超がつくほど、鈍感で決断が遅いです。というか、責任を取れる人間がいない模様で、自分たち自身困りぬいているくせに、正しい方向で、問題を解決する能力がありません。どんどん、どんどん、自縄自縛で悪い方向へ行っています。
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 でね。崔洋一監督の大失敗を論じた私の前の二篇は、NHKの偏頗を含め、相当なレヴェルで正しいポイントを含んでいるからこそ、それを敵方は否定したいわけで、数本のニュースが19日を中心として、ここ数日流されました。

 そのひとつが、『NHKが、名古屋場所を中継しなかったのは、正しいのだ』という世論(?)を醸成したいという方向で、ニュースを新たに作り出すことです。それが奥島元早大総長が顔をさらすニュースとして帰結しました。

 ただ、大相撲の関取たちが、それほどの大悪人であるはずもなく、それゆえに端緒であった琴光喜を脅迫した事件を、繰り返し、繰り返し取り上げ、その件での犯人、===38歳のまるで、女の人のごとく見える元関取(あんまり出世しなかったタイプの模様)===の映像を流します。

 私はいろいろな事に怒っているし、睡眠不足で忍耐力も足りないので、はっきりといいますが、「こんな小さな事件に二ヶ月もかかっていて、しかも新聞で大報道をしている場合ではないでしょう。安藤警察庁長官様」と言いたいです。
 国民の税金をつかって、国民を守る真実の警察なら、今、国民が関心のあることは、これではないことは、判っているはずですが、いかがでしょう。

 茨城県辺りで、さらわれて殺害をされた小さな女の子の加害・真犯人を突き止めることです。
 または、山陰地方でばらばらにされて、山中に捨てられていた、女子大生の加害・真犯人を見つけ出すことです。他にも上智大学の若い女性が留学寸前に殺害された事件とか、迷宮入りになっている事件は多いでしょう。そちらに対して、恥知らずにも頬ッカムリをしていて、ただ、ひたすら同じ犯人の映像をテレビにたれ流しをしているのは、怠慢というよりも、この相撲の件がすこぶる政治的なものであることを再度のこととして、証明しています。

 その琴光喜の映像ですが、藤原正也さんまで、週刊新潮紙上で「これはひどい」といったから、国民の真意がどこにあるかに、さすがに敵陣営も気がついたもようで、琴光喜の映像は出さなくなりました。が、いまどき、再燃をさせたのは、ひとえに、崔洋一監督を分析した私の16、17日発の文章を恐れてのことです。

 事件は、かくのごとくして、作られる傾向があり、それはおこがましくも言わせていただけば、常に私のブログに連動していると感じています。てきどもは今、崔洋一監督の大失敗を受けて、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている模様で、冷静さを欠いています。

 テレビ朝日は、信じがたいレベルで、多くの警察ドラマを放映していますが、(今度、その数値もパーセンテージで示さないといけません)一方でその母体である朝日新聞では、戦時中、特高警察に捕まって獄死した人たちの名誉復活の裁判を繰り返し報道していて、
 いかにも自分たちは民主主義を尊重しているかのごとく振舞っています。後者は、今現在のことではないから、幾ら報道しても安全だというわけです。(ふ、ふ、ふ)

・・・・・これから先は、一種の余談となりますが、・・・・・
 鎌倉警察署の場合を取り上げたいと思います。その玄関まえには江戸時代の高札めいたものが三本立っていて、そこに写真がはってあります。が、三人とも、オーム真理教の人間です。たしかにオーム真理教の人間たち、特に麻原ショウコウは悪辣な存在でした。しかし、色あせた写真を、ずっと、何年も飾っておくのは、自分たちの無能を、市民、国民に追及されないための、隠れ蓑でしょう? それ以外にありません。

 『国民がそういうものを見て、声高には、批判をしないから大丈夫で、役に立っているはずだ』というのは、全く間違っている発想です。あきれかえって、ばかにしているということに気がつかないのは、いかに、現実の日本社会から離れ、井上ひさしごときの国際的軍産協同体側のアイデア提供者に、捜査の方向性を依存をしているか、を証明しています。もちろん、井上ひさしは死んでいる事になっていますから、間に何人もの生きた人間を仲介者として、警察もNHKも奥島座長も、動いたわけです。

 しかし、上流に位置するアイデアマンから、下流で実社会へ向けて実行者の役目をする奥島さんまで、すべてに共通しているのは、これが偏頗しぬいた事件であり、たいしたことでもないのに、それがたいしたことであったことにして、それにしがみついて、自分たちを守ろうとしている、幼稚な発想の露呈であるという点です。

 だって、これらのオウム真理教信者の三人は、すっかり年をとっているでしょうし、身をやつし、隠れて生活をしているわけだから、こんな手配写真を貼っても、相貌がかわっていて、みつからないでしょう。それより、近々の無辜の少女たちの事件の方の情報を、掲示板にでも張り出したほうがいいでしょう。ただ、ただ、職務怠慢である事実から、国民の目をそらせるために、こういう高札を麗々しく建て続けているのだと感じています。結論としていえば、非常に頭が悪いことを平気で外部へ示してるわけです。

 もし、本当の国家的戦略部門があったなら、警察のこういう体たらくは、日本の国力が弱い事に通じ、それを全世界に開陳しているのと同じだから、とんでもない話だとなりますが、政府が設置した戦略局というのは、自分たちのばかさ加減をどうしたら、糊塗できるかを考えているだけなのです。残念ながら小澤幹事長の失敗をまもるためだけに機能をしているものでしょう。だから、世間にニュースとして戦略局とか戦略部門の設立を流したわけです。国民を守るための戦略局とか、省ではなくて、脅し苦しめるための設置だから、堂々たるニュースとして流されます。

 そのこと、ひとつとっても、「あほじゃあないか?」と思いますが、今の日本に、本当の戦略局など、生まれるべくもないです。アメリカというか、国際的軍産共同体は、それをすぐぶっ潰すでしょうから。

 で、ここで、余談から元に戻ります。
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 19日はゾンビのごとく、大相撲壊滅作戦が復活しました。本日の結論を言うと、奥島孝康もと、早稲田大学総長でさえ、ひとつの駒として利用をされていることの悲しさと、ご本人のあほぶりというか、悪人ぶりの分析です。新しい要素としては
 『敵は、数というものを信頼する人間だ』と言う結論へと入ります。

 早稲田大学は、年間五千人以上の学生を入学させるマンモス大学のひとつですから、戦後だけでも30万人以上の卒業生がいることとなります。戦前もあわせれば現在生きて活躍している卒業生が、50万人以上いるということです。法事や結婚式などで親戚とも付き合いがあると仮定をすると、現代日本で、早稲田の総長を尊敬している人間が、500万人はいることとなります。

 敵が考えていることの一つに、『数は力だ』というポイントと、『力こそ正しい』という二つのポイントがあります。で、独立委員会の主張はただしく、ヨチヨチ歩きで幼稚な相撲協会には外部からの助言者が必要だという奥島氏の提言に、権威を与える得ると、考えています。

 そして19日にそこからの提言があった途端、二十日にはすでに、副理事長として村山弘義元高等検察庁長官が就任しました。今朝二十一日の朝日朝刊(35面)にも報道をされていますが。

 ここにおいて、今回の大騒動の意図が、あまりにも明らかになってきて、以前から私が主張してきたことが正しいが上にも正しかったことが裏づけられてきました。つまり、ここまで手を出し口を出してきた国際的軍産協同体にとって、相撲協会が、本当に自立し真実の発展を遂げる方向へ行ってもらっては困るからの、奥島孝康元早大総長の突然の、登場でした。独立委員会は、いままでスピーカーとして、和民社長と、山本某、元NHKアナウンサーを用いて来ましたが、私がそのふたりの、えげつなさと、ばからしさを、あげつらったので、『あ、世間からは、そう見えるのだ。この二人を使うことは逆効果である』となって、奥島・御大みずからの出馬となった模様です。

 そもそも伊藤滋(元東大教授であり、現在早稲田大学教授)座長のなんとか委員会も、こちらの奥島孝康(元早大総長)の独立委員会もその設立の根拠はほとんどないに等しく、二つとも・・・・・アメリカ西部の無法地域に出現し横行、強者の恣意そのものが法律となる・・・・・しくみそのままの再現です。

 そして、これらの人々がよってたかってやりたいことは、朝青龍いじめを正当化することです。『強いものが強いままで、その個性を発揮することこそ、横綱の品格である』と説いた輪島大士氏や、舞の海関などの発言権を奪うことこそ、NHKが名古屋場所のライブ中継をやめた真実の目的だったのです。取り組みの合間、合間にこれらの正しい発想が、解説者の口を通じて出てくることを弾圧するために、同時中継をやめたのでした。

 そして、この大げさな事件はひとえに、ただ、個人的に身を守りたい伊藤玄二郎と、その影で『正体はばれていないはずだ』と信じている井上ひさし(表面上は今現在は死んだこととなっている)の画策から端を発していると思います。それゆえに、そう思う、私の怒りは深いです。この二人、特に前者の方は私が紙の本を出すことを、非常に恐れていて、どんな手段を用いても、阻止したいと思っていますが、今回は大相撲を使ったわけです。過去の六年間に、パソコン内で、データを破壊しまくり、印刷所にも手を回しましたが、私をやっつけることができなかったので、公のニュースを使ってきたのです。

 と、同時に平行して貴乃花親方を持ち上げ出世させることもやっていますね。彼の母を、ご近所の安野夫人とそっくりだと規定して批判をしているからこそ、私を攻撃することにそれが役に立つと思われています。この安野夫人が藤田憲子さんにそっくりだという文は、いままでは、パソコン内メモとして書いていて、外に出したことはありません。
本日から初めて出すわけです。彼女の性格が、私の被害を招いたことは確かなので、ここでこう描くことは正当防衛のひとつとして許されるはずです。すさまじい被害がすでに重なっていますので。憲法の人権の項目に照らし合わせても許されるはずです。

 しかし、ここで、対・私という隠された動機を離れて、全日本社会への影響という意味でまとめると、今回のこの事件の推移は、この国の青少年や若い人に、まっとうな方向で正しく生きていく夢を奪った、最大級に辣悪な仕組みであったと、ながく記憶をされるべきである・・・・となりましょう。

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 ところで、みなさまの方にしても、「伊藤玄二郎および、井上ひさしの名前は聞きあきました。それこそ、ゾンビの如く、あなたのブログに登場しますね」とおっしゃいますでしょう。でもね。それで、ここに以下のごとき、付属の文章を付け加えます。

 アスベストに関するニュースが繰り返し、繰り返しNHKや朝日新聞に流される理由が、なぜか、ということについてです。私をそのキーワードで脅迫することができると、敵がみなしているからです。私に敵がいるのは、もちろんのこと、日本や日本文化や、日本人の生活をまもるために、超がつくほどに、正しいことを言うからですが。

 アスベストが、そのひとつの重要なアイテムとして使われて来ていて、「どこで見つかった」だの「あそこで見つかった」のだのと報道をされ続けています。これは、塵肺で苦しんでいる人には、国の補償が降りるので、よかったことですね。ですむことですが、・・・・・

 アスベストは、我が家に行われているアジサイ畑欺もう事件を、隠し、風化するためのアイテムとして使われて来ました。2007年の春からです。月刊ギャラリーの連載が終わった(それについても将来真実を説明させていただきますが)ので、『あいつは弱くなった。この機を利用してぶっ潰してしまえ』と思った伊藤玄二郎の発案でしょう。

 そのケースのことは、これから、十分によい機会がきて、説明するチャンスが新たに来るとは思いますが、今ここでも、簡単に言ってしまえば、二十六年まえに、瀬島龍三が起案して、ご近所の男女を利用しておこなった、私をいじめるために行われた一種の犯罪のことです。
 それが犯罪でしかないことの証拠となる部分を、コンクリートを打ち直して、隠すために、『上水道管を入れなおします』という布告が県の水道局から、なされたことを始まりとしています。

 というのも、古い上水道管のまわりにはアスベストが巻いてあり、人体に危険だから、それを取り替えた方が良いとの論理です。その結果、大昔、隣家の藤本夫人が、きちがいのように、自宅前の道路を、自分の電動のこで切り裂いた跡が、消え去る事に役立ちました。

 それは、藤本夫人にとっても、ご自分の名誉を守るのに、役立ちますが、ご近所の番長主婦たちにとっても、自分たちの乱暴狼藉の跡を消し去ることへつながっていくので、うれしいことでした。

 特に藤本夫人は、彼女の称する道路の真ん中と、自宅側の二箇所に切れ目をいれたわけですが、その内の中央部分のほうは、重い生コンクリートのチューブを何度もそこに置いて、大量の生コンを山の上に上げた(井上家の改修工事、旧石井家の改修工事、おとなりの、白井家の新築工事などの、際でしたが・・・・・この三軒の名前は一般の読者には、わけのわからない固有名詞ととられるでしょうが、法律的には重要な証拠の類ですので、名前をここに記しておきます)時のチューブの重さで、すっかり、割れてしまい、藤本夫人が、狂気のさたで、機械のおとをビーンと立てていた結果の鋭角さが、消えそうになっています。

 で、彼女宅がわにあった切っ先鋭いラインが、証拠のひとつとして、残っていたのですが、それを消し去る目的で、県のお金をつかって、上水道管の取替えが行われたのです。で、その際の真実の目的の方を隠すために、別の目的が標榜をされたわけです。

 つまり、アスベスト被害から住民を守るというアイデアのことです。しかし、古いアスベスト管は撤去をされておりません。工事費が高くなるし、本当の目的が、健康を守るところとは別のところにあったから、撤去する必要性を、工事主体者は感じなかったということでしょう。

 しかし、ここでアスベストは危険であるという例の金科玉条として成功するという感覚を敵方は得ました。それが敷衍、拡大して作られているニュースが、東京の築地市場移転先の土壌汚染の問題だったり、神奈川県を中心とする異常なレベルでの、禁煙運動の盛り上がりです。

 前者は、やはり、正しい判断能力を、ときどきですが、ぽろっと漏らす石原都知事をいじめるための作戦であり、後者は、私の文章の力を弱める目的で発案されたものです。私はそれらの悪辣な仕組み(または、たくらみ)をだまって見逃しておきましたが、それはこちらが弱いから見逃しているわけではなくて、悪の実態研究に役立つから見逃して、やりたい放題にやらせているわけです。

 つまり、おっちょこちょいの彼らとは違って、復讐もしなければ喧嘩もふっかけないのです。常におとなしくしていてやられっぱなしですごしています。それで、そういう態度で生きてきたことのない敵方は、常に勝った勝ったとなって、くりかえし、これらの、ニュースが国民を苦しめ、おどかすために、作り上げられます。ところが、時間差で、私が、それらの悪の背景やら、仕組みを分析していくので、敵方は、困った、こまったとなって、私を暗殺しようとしたり、
 パソコンやプリンターを壊し続けて、実質的な暗殺を果たしている(?)わけです。
 今日だって、これ一本を書くために、ついに、15時間を越えています。すさまじい弾圧の程度です。

 敵どもは大変な勘違いの連中で、勝った、勝ったと大喜びらしくて、この手法が、さらに敷衍し、大げさになっていき、演出されたニュースが続々と、NHKでも放映をされ、それがつもり積もって、この大相撲壊滅作戦にまでいたったので、原点にまで返って説明をする必要を今日、感じたわけです。

 そして、その結果、ここには、詳しくはいいませんが、単に花を植えられなだけではない被害が、我が家の崖に起きています。その被害は民間からも補償をされず、公にも補償をされません。一方で、ウラから瀬島龍三に教唆をされてこの理不尽な、工事を強行した中谷家では、2009年、東側の高い崖を、県の土木工事で補償をされています。

 まったく、正当ではなくて、ただ、たんなる悪人たちの証拠隠しのために、市や県の公費が無駄にも理不尽にも使われています。その際に、言葉だけですが、一応公的に必要であるかのごとき、チラシやポスターは用意されています。中央大学の政治学科出身の伊藤玄二郎がアイデアを裏側から提供しているのも、これらから、判断ができます。最近利用をされているメイン・キーワードがアスベストです。彼は元愛人だった石川和子女史夫婦が、警官を私的につかってめちゃくちゃなことをやってしまったという大失敗を、糊塗したいがために、警察を巻き込んで味方につけており、そこへ県やら、市やらも使役をされているというわけです。

 つまり、古い水道管はアスベストに巻かれているので、危険だから、という文言でしたが、目的は、そこにはなくて、道路の形状を変更させて、自分たちが過去に行った悪の証拠を消すことにあったわけですから、アスベスト管は、掘り起こされてはおりません。

 アスベストの危険性がそれほど高いものなら、鳴り物入りで、宣伝が始まったこの山の工事は、掘り起こされていないが故に嘘の工事だった事になります。つまり、そこまでじっと忍耐して待った私の勝ちとなるわけです。石川和子女史が猫のことで起こしたごたごたよりも、こちらの悪の方が、悪の要素がひどくて、しかるべき、裁判が起きれば、原因者である、石川和子女史、安野夫人、前田清子夫人、故、中谷氏は、大原光孝氏は、激しい社会的、糾弾をうけなければなりません。

 それを、私は今のところ、何も行動を起こしてはおりません。で、勝ったと勘違いしているてきどもは、県とか、市、もしくは国家事業として起こす道路工事を、私が出没するあらゆる予定先で起こして、脅かしを成功させているつもりになっています。

 私の方は常に、冷静に、そのいきさつをきちんと分析できて、また、怒りを強くするわけですが、ここからは、札幌大通り公園のビアガーデンの早期(夜の九時かな、八時かな)閉鎖の件を分析したいのですが、あまりに長くなるので、今日はここで、締めましょう。あとで、誤変換を直して、署名を入れたいと存じます。

 ただ、私が、自信を持って、ニュースを分析するのは、自宅近辺で発見する不条理に助けられていることが多いので、大きな世界(今日は、奥島座長が、もと早大の総長であることの分析)、と、アスベストに関するニュースがなぜ、ゾンビのごとく、出現を続けるかを説明するために、またもや、信じがたいほどのわがまま女性、石川和子女史と、ご近所様主婦にご登場を頂きました。ご近所様の様子は音ほかで、二十六年間かける365日かける、・・・・・日によっては何回もの、悪い刺激を発してきますので、・・・・・3回かける、番長主婦たち、4、5人とすると、分析するチャンスは、11万三千回以上あったとなります。

 だから、自信満々で発言をするわけです。日本政治の分析は、まさしく、地元に根ざしています。最近はおとなしくするように命令をうけているようですが、その日暮しで、すぐ態度が変わりますので、それも分析の対象となります。では、
2010年8月20日の午前10時に書き始め、21日の午前11時半、二十四時間以上かかって起承転結だけを書き抜く。
まだ、完成ではありませんが、一応の署名をいれます。  雨宮舜
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石田アナ(NHK)の厚遇?・・・・・(崔洋一監督の、暴言の、2) 

2010-08-17 18:20:46 | Weblog
 最初に緊急におことわりをさせていただきます。文中に韓国人を日本人より上に置くという記述があるのですが、その上が、長時間にわたり下と言う字に誤変換をされていました。うまいところを狙っているとは思いますが、気がついてよかったと感じます。意味が全く通らなくなります。では、本文に入らせていただきます。

 崔洋一監督の、暴言に関する、非常に良くまとめられた意見が、本日18日、PJオピニオンというサイトに登場しました。罫線、*:*@*:*:*@*:*:*@*:*
以下にそれを、おきますので、よかったら、それを、読んであげてくださいませ。ご本人に転載の許可を取っていませんが、出典を明らかにしていますし、なによりも、オピニオンなので、大勢の人に広まることは喜んでくださるでしょう。私のメルマガの読者層は、インテリが多いのです。だから、小さいけれど、上品でよい世界でもありますし。

 そちらさまとは、相当違った形で、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりして、私は論を進めていきますが、最終的な地点では、大勢の方から、『そうだね』といっていただける場所に着地するはずです。

 まず、最初にお断りをしなければならないのは、私が激しく、崔洋一監督を嫌ったり批判をしたりするのが、在日というキーワードが論拠ではないと、いうことです。日本人のほとんどは、海を越えてやってきたのであって、もっとも近い半島である、朝鮮半島を経由してきた人間は多く、その到着時期の違いでしかないということです。数千年前に到着したのか、数十年前に入島したのかの違いでしかないということです。

 だから、どちらが優秀だとか、どちらが劣等であるかなどという論議は、全く論外だということです。私が崔洋一監督を嫌うのは、わざわざ横浜まで、乗り込んでいて、映画『コーヴ』の推進運動をしたことがもっとも大きな原因です。同じ催し物に、田原総一郎氏もいたわけですが、そちらをあまり激しく、糾弾せず、崔洋一監督の方を激しく糾弾したいと考えるのは、その職業が、問題だからです。

 田原総一郎氏は政治評論家です。しかもテレビ朝日を、舞台に、激しく、現代の巧妙なる植民地支配が進むように動いているひとです。だから、罪や責任は、こちらの方が、重いといえば重いのですが、ただ、視聴者や、一般人が、それをすでに飲み込んでいるということがあります。私は、中選挙区制度が、つぶされた改悪のとき、この人を激しく批判していて、今では、批判する気力もないという体たらくです。それに一般のひとが、この人の意見を、大切だと思うはずがないし、・・・・・と、感じているから、最近では、デジタル放送へ移ったという、田原総一郎司会の番組など見たこともありません。地上波(テレビ朝日の日曜日、午前10時から始まるそれ)も、見ないようにしていましたが、・・・・・

 女で、専業主婦である私が、こういう言い方をしては申し訳ないが、文章を面白くするためにはっきり言えば、『歯牙にも引っ掛けていないよ』となります。

 ところが、崔洋一監督の方はひどく気にかかりました。彼の職業は、映画監督です。そのシンポジュームのときは、私はまだ、彼が、日本映画監督協会の理事長だとはしりませんでした。が、どういう姿勢で、どういうことを言ったかは想像がつき、それが大問題だなあと思っていたのです。つまり、映画『コーヴ』に関して論じれば、彼の経歴は教唆する力が強くなります。本当にまっとうな、冷静な意見を言う人なら、心配をしないが、いままでテレビの世界でちらほらと見聞きした限りでは、まったく理性的ではないし、教養もないと言うことがわかっていたから、『こういう人間を持ってくるのだ。参りましたね』とは思っていたのです。

 しかし、論を起こすきっかけがありませんでした。地方版に出ていた小さな記事が、私をターゲットにして、いるなどと、いっても、皆様にわらわれるだけであり、説得力がありませんから。しかし、神様は常に存在します。崔洋一監督に問題があるということを、数十万人、もしくは数百万人が直視したというわけですが、こんなにすばらしい機会が、私に与えられるとは夢にも思っていませんでした。

 で、このすばらしいチャンスを利用して、大NHKの、どこに問題があるかという、もう少し広い範囲の論考に入らせてくださいませ。そのツールとして、石田典夫アナウンサーに注目をいたします。私は石田アナから、なにか、迷惑をこうむったこともないし、石田アナの発言に『あれ、間違っている』とか、『いやだな』と思ったこともないのです。ただ、『厚遇をされている人だな』とは、ずっと思ってきました。

 石田アナのもっとも、美しい発言や態度は、(新)『日曜美術館』で、最初の機会として田中一村を取り上げたときに、仄見えました。田中一村は師である川端龍子とぶつかって、奄美に逼塞をしたひとです。一般的な言葉でいえば、大変に不幸せな、しかしこの上なく純粋な人生を送った人ですが、それを伝えるとき、めずらしくも石田アナが心震わせているのを感じ取りました。その後、この龍子との軋轢を伏せて、立松和平氏が、奄美を訪ねながら田中一村を語るという新しいつくりの番組ができましたが、
 そちらでは、すでに石田アナは石膏像のごとき、対応でした。『そこが、出世ができる理由でもあろうか?』と、思うほど、石田アナはアナウンサーとしては、よい仕事に恵まれてきている人です。たとえば大衆的知名度の高い、松平定知アナウンサーと比べて見ましょう。西洋星占いでいう火の星座の人を、仮に松平アナにあてはめれば、石田アナは土の星座と言ってよいかな、地味でハナがありません。だから、もちろんのこと、のどじまんやら、歌謡ショーの司会はしません。紅白歌合戦の司会もしたことがないでしょう。

 だから、一般の方にとっては、私がいう、『石田アナの厚遇』が「どうして、そうなの?」といわれかねないと思いますが、こと、教養番組にしぼれば、圧倒的な厚遇であり、したがって、時には『ミスキャストだなあ』と思うときもあります。

 NHKは、茂木健一郎さん司会の『プロフェッショナル、仕事の流儀』というよい番組をもっていました。茂木さんは、忙しすぎて税金の申告を忘れたそうで、それに足をとられてしまいました。で、番組自体が、終わってしまいましたが、品のよい聞き手だったと思います。敗者復活を願います。

 もうひとり、テレビ東京で、無骨な聞き手を務めているのは、作家の村上龍氏です。彼はサブの小池栄子さんにずいぶんと気配のうえで、助けられているとは思います。でも、ものを聞き漏らすまいという熱い姿勢は感じます。だから、二人の司会する『カンブリア宮殿』は、電車の中で若い女性が話題にしているほど、人気があります。
 これは例の視聴率という操作をされた数値を超えた、実質的な人気度のことです。
もうひとつ姜尚ちゅう氏の日曜美術館があります。
 
 さて、それらにごして、鳴り物入りで、NHKで『100年インタヴュー』という番組が始まりました。その最初期の司会者が石田典夫アナウンサーです。私がこれをミスキャストだというのは、数節後の『日本と朝鮮半島2000年』および、崔洋一監督の暴力について、述べる伏線だと思って聞いてやってください。

 その、今回の章で、もっとも重要な部分に入る前に余談を、二、三置かせていただきたいのですが、石田アナには陰影が、足りなさ過ぎるのです。人間としての複雑さが不足しています。そのことの傍証のために、今はフジテレビのニュース番組で、安藤優子さんのかたわらで、解説をやっている木村太郎さんが、我が家の下の美術館を訪ねた時の様子を語らせてくださいませ。逗子か、鎌倉か、ともかくご近所らしくて、ご夫妻で車でいらっしていたのですが、美術館側が下へも置かぬもてなしぶりなのです。

 肩で風を切るとまでは言いませんが、その人が通れば、誰もが道をあけて通す人が、NHKのアナウンサーです。

 もちろん、いいんですよ。NHKに就職するのは入局試験が大変難しいでしょうから、エリート中のエリートなのです。特権階級というか、セレブといわれる種族に近い人たちです。そのうえ、木村太郎さんは司会をするひとから、論説委員側へ転向してしまいましたから、もう、『自分には、花があるかどうか』を気にしないでよいからです。だけど、どうしても人生が甘くなってしまうでしょう。

 石田アナは人徳はあるのでしょうが、世間からの厚遇とNHK内部での厚遇の二重の保護膜に包まれて、一生、ほとんどの時間を苦労知らずで、すごすことができたために、あの100年インタビューを盛り上がりの少ない、つまらないものとしてしまいました。

 だけど、今日の今日まで、そのことを口外したことはありません。そんなことは世間の体制とは関係がありませんしね。今日は、崔洋一監督の公開の席での恫喝を、分析するための道具として、石田アナにご登場をいただいている・・・・・それだけなのです。 

 で、時はかわり、2010年の正月が来ました。さらに、石田アナの優遇を目にすることとなりました。

 今、私がもっとも、大きな話題としている、『日本と朝鮮半島2000年』が始まりました。その司会者こそ、石田アナウンサーでした。また、たまたま日中合作ドラマ『蒼穹の昴』が始まるということで、イワエン(清朝の離宮です)を舞台に、満漢全席を再現する番組も同じ時期、再放映をされましたが、その司会者も石田アナでした。

 私はその両方とも、大変な制作費が掛けられていることをしり、石田アナウンサーには、どんな秘密があるのだろうと、WIKIPEDIA を調べましたが、さして特徴はありませんでした。たとえば『石田博英、元、日銀総裁のお坊ちゃまだったとしたら、あの厚遇もありうるわけでしょうね』と考えていましたが、係累についての記載はありませんでした。タダ、二つだけは意外でした。彼は横浜いち立南高等学校(私たち、横浜出身のものは通称なんこうと呼ぶ。ワイ校と並立している通称)を経て明治大学の出身でした。その硬い振る舞いから、国立大学出身だろうと思っていた予想が、はずれました。しかも、これも同じくその硬さから、地方の名門公立高校の出身者だろう想像していましたが、実際には、もっと柔弱で、かつ柔軟なはずの浜っ子だったわけです。

 しかし、それ以外の記述は何もないひとでした。エピソードが少ない人なのです。
挫折や失敗もなく、たんたんとしてエリートコースを歩んできた人なのです。

 しかし、この調査ののち、驚くべきことが起こりました。突然にその番組の司会者が、石田典夫アナウンサーから、三宅民夫アナに代わったのです。それが、今回の崔洋一監督の暴力的態度が、日本社会で、満天下にさらされる番組へとつながっていったのです。急にあれが企画をされたわけではなく、今年の一月を最後に終わっていた、教育テレビ内で学術的に制作をされていた傾向を、さらに大衆的レベル、特にわかものに周知、徹底をさせるために、終戦記念日・前夜に持ってこられた討論番組だったのです。
 しかし、あにはからんや、増長満のひと、崔洋一監督のあっけにとられる大活躍(?)によって、みごとにそのかくされていた真実の意図の方が粉砕をされたのです。まさしく神風(?)の吹いた夜でした。


 さあて、ここからお話をすることが、もっとも肝心なことです。
なぜ、NHKが問題なのか?、そのどこが、政治的に偏っていると思うかを、述べないといけません。いままでは、ほんの導入なのです。しかし、本日は、それについて述べる体力が残っておりません。今夜、一回寝て、明日か、あさって、続きを書き、(それは、新章を立ち上げるかもしれないし、ここに挿入という形で、続けるかもしれませんが)起承転結を完結させます。

     どうか、よろしく。
~~~~~~~~~
 さて、次の日になりました。朝五時に八幡宮の太鼓で目が覚めたのに、今までパソコンが動かず、二時間半も無駄にしましたが、そんな苦労にも、絶対に、いらいらしないことと決めております。つまり、『正しいことを書いているから、こうなるのだ』と、わかっておりますので、・・・・・
 で、石田アナが三宅アナに交代したことから、この番組の陰に国際的軍産協同体の大きな意志があることを知覚したのです。それは、2007年か8年に『誰でもピカソ』という番組で、同じくコピペして、同時に批判をそこに付け加えて、パソコン内メモとして落としたとたんに、その番組が終了したことでも裏付けられています。こちらについては、さらに詳述すると、番組が終わったことには驚きましたし、それが北野監督、ご本人の意志なら、『なかなか賢い人だな。私が批判した制作を一週間以内に終わらせてしかも競争をさせるのは、残酷だ、が琴線に触れたのだろうか。それで中止なら、素敵な人物だ』とも思ったのです。が、『ここでビートたけしに身を引かせたことが、損失だった』と考えた勢力があって、以降彼のフランスを舞台にした快進撃が続く事になります。

 ビートたけし(現在では、北野武監督と呼ばれることが多いが)と、比べれば石田アナはずっと地味な存在です。だけど、四月以降に定期異動の予定があるのなら、最初から三宅アナを起用するはずです。この交代人事という些細な現象は、意外と大きな意味を持つと、私は考えました。その同じころ、私の身辺にはパソコンが壊れることをはじめとして、よく「総額五億円の被害です」と、豪語する被害が平行して起きていたわけですが、けっしてつぶされなかったのは、『世界が、自分の考察に連動して動いている』という自信があったからです。

 昨日、18日も<<<急に鳩山さんが菅首相に接近して『戦略相』を担うのなんの>>>というニュースがウエブ上で配信をされましたが、これはひとえに、16日に私がアップした、『崔洋一監督の暴言のから、矛盾論(毛沢東)へ』、が図星であったことの傍証となります。大慌てで、防衛をしておこうというわけでしょう。日本で一番、そちら側に近い党が民主党だからです。だから、民主党には『もし、国民が予想外に賢かった場合には、これは隠さなければいけない』という秘密が一杯あるはずです。

 で、そのETV特集『日本と朝鮮半島2000年』がその学術的、香華にもかかわらず、国民を大きく洗脳していく意図を持っている事に気がついたのです。と、同時にそれは外国人参政権の法制化(立法化)と、密接に結びついていることにも気がつきました。

 つまり、日本人の頭上には、すっぽりと覆う投網(=NHK)が掛けられていて、NHKが率先をして、その総体へ向ける洗脳、操作をおこなっているわけです。

 つまり、何度も繰り返していっていますが、現代日本を支配する枠組みのひとつとして、韓国、または、韓国人を、日本、および日本人の上に置くという発想があって、それに寄与、貢献をしているのでした。NHKは受信料と言う名目で、ほぼ税金にひとしい金額を国民から吸い上げているわけですが、一方でしたたかと言ってよいレベルで国民を裏切り続けているわけです。つまり、大量の日本人の勤労後の収入が、電気代の徴収や為替差損で海外へ流れるシステムを、補強し支援することへ役立っているということになります。

 いったい誰が、しかもいつ、こういう方向への舵を切ったのでしょう。関心を持っていれば答えが自然に手中に落ちてくるでしょう。

 ところで、NHKがおかしいことになっているのには、私自身は2008年の2月17日の夜に、画然と気がつきました。それを読者のみなさまにお知らせをして、みなさまが身を守ることがおできになるように、きちんと説明したかったのですが、そこにいたるまでの前提として、酒井忠康氏の悪人ぶりを書き記す必要があったわけですが、ここで、とんでもない形で好事例が手に入ったというわけです。酒井忠康氏より大衆的な知名度がたかく、しかもその悪辣な暴力性はつねにテレビという世界で公開をされているので、よりわかりやすい存在である崔洋一監督という道具をつかって、天が真実を国民に悟らせるようにお計らいになったので、私が、以前よりはるかに楽に説明ができるようになったことを意味します。

 その当該の重要な討論番組の前宣伝では、日本人の80%が韓国を好きになっていると標榜をされていましたが、統計のとりかたそのものにからくりとか嘘が含まれていると思います。

 とくに、2009年の3月から、8月にかけて、37%以上の確率でETV特集内で韓国が取り上げられていたこと自体が大問題なのです。アメリカだって、安保問題を二回含めて4%にしか過ぎず、中国だって残留孤児の件だけで1%なのに、異常、異常な突出振りです。

 今日はここで終わらせていただきたいと思いますが、言うまでもなく、サイヨウイチ監督とは一個人であって、在日の人全般に対して、私の嫌悪感が向けられるわけではありません。彼が、「自分は、日本映画監督協会の理事長である」といって、威張ろうと威張るまいと、それは国際的軍産協同体の日本支配のシステムを、さらに明らかにするだけですから、日本人はそれをありがたいと思わないといけないのです。

 そのような思考様式を、毛沢東は矛盾論の中で、さししめているわけです。毛沢東というひとは、首から上と首から下が全く乖離した人物ですが、それについては彼本人は、地下(じげ)で「それが私の矛盾論である」と嘯いていることでしょう。

  では、2010年8月18日、+19日、         雨宮 舜
*:*@*:*:*@*:*:*@*:*

NHK番組での崔洋一監督発言の何が問題か
2010年08月17日09時14分 / 提供:PJオピニオン
【PJニュース 2010年8月17日】終戦の日前日の14日夜、「日本の、これから ともに語ろう 日韓の未来」」という日韓双方の若者によるNHKの討論番組が放送された。日韓間の問題に対する、日韓双方の意見の対立や意識のギャップを明らかにするというのが、番組の狙いであるが狙いそのものは正しい。問題は、日本の若者に噛みついた映画監督の崔洋一氏の発言である。

日本側のある出演者が「日韓併合が行われた当時は帝国主義が横行した時代であり、植民地支配は普通だった」という趣旨の発言をしたところ、崔監督は、「そのようなことを言う者に歴史を語る資格はない」と激怒する場面があった。この発言の問題点を整理してみる。

1.日韓関係における基本的な問題を無視
2.韓国側への批判を禁止
3.著名人が一個人を個人攻撃

まず1の問題について。そもそも、日韓併合条約が合法か違法かという問題は日韓国交正常化交渉当時から国家間でも、そして今なお、日韓の学者同士でも係争中の問題である。昭和40年に締結された日韓基本条約では「(日韓併合条約等は)もはや無効である」といった“玉虫色”文章が書かれているのは、このためである。こういった事実を踏まえておくのは日韓関係を論じるうえで基本中の基本である。崔監督の発言は基本的無知である。

崔監督及び韓国人の基本スタンスは「日韓併合条約は最初から違法」というものである。それなら、一体、誰が日本による朝鮮半島の植民地化を承認したのであろうか。

第二次世界大戦の戦勝国や国連はコリアを独立国として認めず、極東国際軍事裁判(東京裁判)やサンフランシスコ講和会議にも参加させなかった。それどころか、日本が降伏後は米ソ両軍が南北を分割占領した。

それもそのはずで、1910年の段階で植民地化を承認したのは後の戦勝国である。もし、「日韓併合条約が最初から無効」とすれば、必ずやコリアを独立国と認めなかった戦勝国や国連の責任問題に発展するし、世界の歴史を書き換えも必要になるなど、大問題に発展する。「日本がお詫びすればいい」といった単純な問題ではない。

次に2の問題について。日韓の対立点・問題点について明らかにすることが、この番組の趣旨である。そうであれば明らかな事実の誤りや差別発言でない限りは、いかなる批判も聞くべきである。

この手の問題で必ず聞くことであり、なおかつ番組中も韓国側から頻繁に聞いたのは「日本人は過去の歴史を知らない」というものである。それならば、歴史を学んだうえでの意見・反論であれば、キチンと受け付けるべきである。

崔監督の発言は結局のところ、日本側から韓国側への発言を禁止するものだが、このような言動は討論に於いてルール違反であり、番組の趣旨を否定するものである。

この発言直後、隣にいた小倉紀蔵氏が崔氏をたしなめる場面があったが、小倉氏はこの番組出演者中、唯一にして日本有数の韓国専門家である。韓国専門家の立場から見ると、崔氏の問題発言には唖然としたのではないか。

そして最大の問題は、著名人が一個人を名指しで攻撃するという行為である。崔氏は言うまでもなく著名な映画監督であり、日本映画監督協会会長まで務めている。つまり、一個人とは比較にならないほどの強い影響力と発言力を持つ人物であり、一種の権力を持っている。

そのような人が、公共の場に於いて一個人に対して特定の歴史観に立った発言を封じるというのは一般人から見れば言論統制に近い。

さらに聞き捨てならないのは、小倉氏との討論中、「正しい事実を教えてやるのが大人の仕事だ」と発言したことである。この番組は全ての出演者が対等な立場で討論するものである。

「教えてやる」という発言は、全く高圧的で相手を見下した考えであり、討論そのものを否定する発想である。そのような行動は自身が教師であったり指導者である場合に学生や弟子を相手にすればいい。

私に言わせれば、崔氏こそ公共メディアで日韓関係について発言する者として不適切である。その理由は、今まで述べたように日韓関係に関する基本的知識を欠いており、自分と異なった意見に耳を傾けないなど品性に問題があるためだが、次のような大問題もある。
これは日韓で歴史問題を議論する場合に、よく起こる問題だが、日本側が内部から足を引っ張られるため発言しにくいという問題がある。

この番組であったように、韓国人の日本批判発言に対して日本人が反論しようとする。すると、韓国側が気に食わない発言が出た場合は、「それは相手を傷つける発言だ」といって日本側から妨害が出る。

言ってみれば目の前の相手と戦っていたら後ろから叩かれるようなものである。しかもこの場合、相手は著名な文化人である。よほど腰が据わった人なら討論を続けることが出来るが、そうでないと委縮して発言が出来なくなる。実際、番組を見たところ、崔氏の発言以後は、日本側の参加者の中では発言しにくい雰囲気が漂っていた。

番組参加者中、小倉氏の他には、外交評論家の岡本行夫氏の発言が、最も誠意あるものであり理路整然としたものであった。それだけに、今回の番組は出演者の人選を誤ったとしか言いようがない。

今後も同様の番組を作る場合、日韓関係の専門家ばかりに偏っても困るが、もっと見識ある人選を望みたい。【了】

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パブリック・ジャーナリスト 長迫 厚樹
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崔洋一監督の、NHK特番内での暴言、から矛盾論(毛沢東)へ

2010-08-15 15:38:41 | Weblog
 以下のもの、妨害をされて、妨害をされて、普通なら一時間で、書き抜けるのに、10時間程度かかってしまいました。し、次の日(月曜日)の朝起きてみると、訂正が反映をされていませんでした。が、さいど、トライして、きれいに直してみます。出来上がったら、私、雨宮舜の署名のそばに、完成と言う文字を入れておきます。どうか、よろしくお願いをいたします。

 2010年8月14日に放映をされたNHK特番内で、傲慢極まりない、発言を、崔洋一監督が、発したそうで、それがウエブニュース上で配信をされました。その日の午後の三時半ごろ、偶然開いたLivedoorで、それを発見しましたが、私がコピペしようとすると、パソコンがフリーズして一時間ぐらい回復をしませんでした。そして回復後、もう一度
探せば、もう、見当たらないのです。Livedoorが引っ込めたというわけです。

 私のパソコンは徹頭徹尾、ハッキングをされていて、私が今、何を考え、何をこれから書こうとしているかについては、100%以上の確率で、追跡されていますので、こういう手はずが加えられるニュースこそ、大問題なはずです。

 経験上わかっております。ので、再発見をしたくて努力をいたしました。配信元(サーチナ=searchina)を覚えておりましたので、探し出して、コピーアンドペーストして、下の*:*@*:*:*@*:*:*@*:* という罫線以下に置きますので、良かったら、読んでやってくださいませ。

 また、私という個人を離れても、大ニュースなはずです。ところが朝日新聞には、何も載っていません。今日は、日曜日ですので、朝刊しかありませんが、一から四面まで(これは、政治や外交を問題とする硬いニュースの部分)にも、35~38面(社会面として、人々が関心を持つ、やわらかいニュースを載せる頁)にも載ってはおりません。『全くあてにならないなあ、ただ、宣伝したい方向へ国民を導くべく、機能をしている。こういう考えなしの姿勢って、大東亜戦争さなかのお宅の方針と同じではないですか』といいたくなりますが、・・・・・本日は、そこは軽く飛ばして、崔洋一監督を論考することに集中をしましょう。

 今、タイトルをアップした後で、二時間程度休んだのは、夕食の準備をしなければいけなかったことも原因ですが、他方で、自分でできる限りの調査をしていたのです。
~~~~~~~~~~~

 最近の私の文章の主題は、実は、NHKにも向かっているのです。NHKは信頼できると、思っていた私が、『2007年以来、急速に、裏切られていてる』と感じる出来事が頻出していて、その論考にいたるために、『大銀杏倒れる』とか、このブログやメルマガは、美術の世界の人が多いのに、『御大・酒井忠康氏のどこに問題点があるのか』、などという大風呂敷をひろげているわけですが、・・・・・

 肝心のその番組、=この8月14日の20時から、22時45分まで総合チャンネルで放映された日韓の若者を中心とする討論番組=を見ておりません。どうしてかというと、最近韓国に関する特集が多すぎて(後で、数量的に実証をします)、それもまた政治的な偏頗であると感じているから、そんな偏りのあるNHKが制作をした番組など、良質ではないであろう、と推察するからです。

 特に政治に関するものは、悪質になってきました。そんな中での論説委員の自殺報道に接すれば、さもありなんと、頷けます。だから、その番組を見なかったわけです。

 NHKは、総予算、6575億円で運営されているそうですが、そのうちの96%は受信料収入だそうです。で、一億二千万人の人が、年に6千円ずつお金を払っていることとなります。が、実際の聴取料はもっとお高いと、感じています。

 そのNHKは、国民大多数が、ほとんど、その罪を問題にしていない野球賭博疑惑で、大相撲の、名古屋場所中継をやめました。一方で、教養番組の20%以上を韓国(+朝鮮)特集に当てています。教育テレビ(東京では三チャンネル)で、日曜日の夜10時から放映されるETV特集のタイトルのうち、第255回から322回までの(というのは、2009年一月から現在までのすべての放映番組を含んでの話ですが、)のうち、13回、すなわち、20.9%が韓国特集なのです。

 しかも、2009年の3月8日から6月28日までに限れば、なんと、37.8%の確率で韓国特集が組まれているのです。

 一方でよく特集をされる戦争特集でさえ、8回です。戦争特集が8.37%であり、対米国特集が安保問題を含んで、4本です。すなわち4%です。中国特集が残留孤児を問題にした一本だけです。すなわち1%です。英国、フランス、イタリアに関する特集は一本もない中で、韓国特集が13本もあり、時には37%を超えるということは、異常です。

 この中で突出しているのが、シリーズ『日本と朝鮮半島2000年』10回です。その特集は、大変な調査費と制作費をかけています。私はそのほとんどを丁寧にみていて、意義のある番組だと思っていますが、今では、非常に大きな政治的意義があったと感じており、『警察、NTT、東電、JR東日本にひき続いてNHKまで、国際的、軍産協同体に支配をされているのか、それでは、この国に住むものとして、たまったものではないなあ』と、感じている次第です。

 が、その大構造も、誰か、生きている人間が行う行動の集合として生まれてくるわけですから、ひとつ、ひとつ、その異常さを検証していかないといけません。

 さて、その『日本と朝鮮半島2000年』ですが、2010年1月31日放映の第10回、福沢諭吉篇のところで、おわっており、その後が放映されておりません。その理由は、天皇、中国副主席との緊急予定外(一ヶ月の猶予をおくという慣例を小澤一郎、元民主党幹事長が破ったことで、彼の日本国、私物化があまりにも顕著になった事件)会見が挟み込まれ、それにたいして、私が激しい抗議の文章を書いたこともいくばくかの影響があるでしょう。

 その文章は、左がわのカレンダーでは、2009年12月16日から22日まで続いています。そのころには、すでに、11回目の番組の編集は終わっていたと思いますが、それが2月の末に放映をされなかったのは、ひとつには、オリンピックが間にはいって、さまざまな番組が圧迫をされたことも大きいでしょうが、別方向から考えれば、私がPC内で、メモとして、激しく、国際的軍産協同体の悪を分析し始めたことも関係があると、思われます。

 ほとんどを外へ出しておりませんが、銀座の画廊のオーナー山口みつ子さんの死亡前後のメディアの扱い方と、野見山暁司氏の不審な裏切りへ怒って、書いた『CIAがうちへ来る』(1月19日に始まり、1月22日まで)なども敵方には、相当程度にこたえたはずです。これまた、天皇緊急会見とおなじく、一日に何本もアップしましたので、敵方は、震撼したはずです。間に・・・・・福島瑞穂・社民党・党首がどうして、権勢を誇り続けられるのか、また、旧来なら、天敵であろう、自民党田中派だった小澤幹事長と、どうして仲良しなのか・・・・・を、暗示として書いています。

 その主因については、一切口外していませんし、用心して、パソコン内メモにも落としていないはずですが、私がそれを、書く前にどういう調査をしたかをパソコンハッキングで、追跡したら、100%の確立で、私の考えていることは、敵方にはわかるはずです。特に小澤一郎氏の悪について書くとパソコンが荒れます。

 ここで、第一回目の余談にはいらせていただきますが、昔、日経新聞に出ていた技術的な記事から類推すれば、近所にある五軒の空き家、もしくは山の中、もしくは協力者の家の中に、特殊な装置をおけば、このように、日々種類の異なる形での私の(複数台の)パソコンへの攻撃が可能になります。インターネットに接続していなくても、データ破壊が行われるので、この想像は当たっているでしょう。で、元に戻ります。

 私は、それらの調査を踏まえて、つぎのような一般論を、真央ヨナ採点疑惑の際に展開しました。それは、ちょっと政治に関心のあるひとなら、すべての人が、「OK、それは、正しい」と仰ることなのですが、

▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△『最近の日本は、韓国、および、韓国人に支配をさせよう。韓国(または、韓国人)より劣っているのだ』と、日本人に思い込ませるのが、最高の手法である。

 われわれ、白人が直接に支配をしていると見えると、誇り高い日本人は、より短い時間で、反発に転じるはずである。しかし、韓国人に支配させれば、戦時中の日本側の植民地支配に負い目のある日本人は、そういう構造に対しては、手も足も出ないはずだ。その方がトラディショナルな手法よりベターである▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△

 と、そこまで分析をした事によって、この『日本と朝鮮半島2000年』という
ETV特集は中断したのだ・・・・・と、推定しています。その番組が良質であろうが、あるまいが、そちら側でそれほど、奉仕をしていながら、一方で、何千万人の国民が、それはおかしいと思う、真央ちゃんのバンクーヴァー・オリンピックのエキジビションのライブ中継がなかったこと、名古屋場所の中継がなかったこと、そのほかの国民総体無視の番組編成は、批判をされるべきであり、これからも、似たような形で、強者の恣意やら、支配に屈している例は、起きれば、それを続々、書いていくつもりです。

**********
 さて、やっと一般論から、個別論へ入っていきましょう。・・・・・この本日(15日のこと)問題になっている崔洋一監督の傲慢さの分析です。これは、例の『マスコミセレブとして、選ばれた、特殊な社会の住人である』ことを、確信しているから、出てくる態度です。上は小澤一郎氏、下は、我が家のご近所の石川和子女史にいたるまで、共通している態度です。しかも大権力者である国際的軍産協同体に、日々奉仕を続けている実績に裏打ちされた自信です。

 映画『コーヴ』の上映推進運動(シンポジューム)が、横浜で行われたのにも意義があります。パネラーは田原総一郎、崔洋一監督ほかだそうで、朝日新聞の湘南版にその写真が出ていました。
~~~~~~~~~~
 ここで、第二回目の余談へと入りますが、表向きの開催理由としては、『右翼の反対がある』とのことですが、そこへ出ている右翼たちの写真を見て、『は、はーん。これって、筋金入りの共産党員が、言い含められて、偽装をしているのでしょうね』と、感じました。アイデアは、それこそ、実際には生きている井上ひさし辺りから出ているのでしょう。

 だって、服装や態度が、右翼とはまるで違いますもの。
 ところで、読者のかた、特にお若い方に、お節介ながらもお勧めいたしますが、どんなに感動しても、右翼活動には、入らない方がよいですよ。ノンポリがいちばんです。共産党に入るのも大損失となりますが、今、現在右翼組織に入るのも危ないです。
 右翼という組織内で、スパイがいるはずで、まじめな人間を狩り出すことをやっています。あなたがよい意味でまじめなら、そのまじめさをぶっ潰すために、さまざまな罠が用意されているはずです。

 ともかく、現代日本は、奇奇怪怪というほど複雑ですので、一個人としては、損をしないような選択をするべきです。で、元に戻ります。

 映画『コーヴ』は渋谷のユーロスペースでも公開されたので、その近辺、たとえば青山学院の小講堂、青山プラザの会議室、国連大学の会議室、それから、東京都がもっている青山ブックセンタービルの小講堂など、四箇所ぐらい適宜な会場があるにもかかわらず、横浜で、シンポジュームが開催されたのでした。

 それは、テアトル関内という映画館に私が足を運ぶであろうと見越して、おこなわれたものでありましょう。その劇場は、むかし『西の魔女が死んだ』を見に行ってメルマガに書いていますので、そのように類推をされたと感じます。

 ところで、読者の皆様の中には、「なにをしょっているのよ。国際的軍産協同体が、あなたごとき、小さいものを相手にするわけがないでしょう」とおわらい召さる方も多いでしょうね。
 でも、テアトル関内の上映時間情報が、私のパソコン内では、実際のものとは、まるで、違っていたことを、あとから考え合わせても、私が相当のレベルにおいて、注目をされているのは事実です。

 ところでやっと、崔洋一監督に対する論考に入ります。氏がでかい面をする表向きのよりどころは、日本映画監督協会の理事長だという肩書に在る模様です。しかし、国籍は韓国だそうですが、どうして、日本映画監督協会の理事長になれたのでしょう。日本人映画監督諸氏は、どうして、そんな人間にトップを任せているのですか? 映画というのは、すこぶるつきで、政治的なものです。そんな大切な分野を、どうして、外国籍の人間に預けっぱなしにしているのでありましょう。

 もし、この人事が選挙ではなくて、推薦と言う形で決着をしているのなら、ここにもきわめて忌まわしい側面が顕現をしていることとなります。また、映画監督協会という組織そのものが有名無実なのかもしれません。ただひとり、崔洋一が利得を得るために機能をしている、幽霊組織かもしれないのです。

 日本の文化面が、徹底的に私物化されていることを証明しています。それらの現象を踏まえて、私は酒井忠康氏を分析しているわけです。自分より世間的にはランクが高いとみなされている人物を俎上にあげるためには、用意周到な準備はいたしております。鎌倉や、銀座という限定された世界で見聞きすることと、日本社会全般を見渡して得た情報を、統合して考察を重ねています。で、二回目の余談から元へ戻ります。

 しかも、崔洋一監督ご本人が、それ相応のノブレス・オブリッジを示し(ということは、ある程度以上の品のよさが求められている)ていたり、名作を頻出しているのなら、理解ができますが、そうではありません。映画監督としては、さして、尊敬すべき対象でもないのです。なぜ選ばれたのかを考えると、これまた、どこかでエージェントとしてリクルートをされたきっかけがあったと推定されます。

 ひとつの仮説ですが、北朝鮮籍から韓国へ国籍を移動する際になにかの、密約、もしくは踏み絵をふむ儀式、もしくは、誓約を結ぶ・・・・・などの契機があって、それにより、北朝鮮からの攻撃から守られるという補償を与えられたのかもしれません。北朝鮮だって自らの勢力拡大、もしくは維持に、必死なのですから、有名人であればあるほど、自陣内に残して置きたいとなるはずで、となると、国籍の移動は、命がけとなりましょう。その危難へあうという、予測された恐怖から逃れるために、魂を売り渡したと、考えると、つじつまがあってきます。

 しかし、映画という大きな分野の、しかも監督という、もっとも偉い職種のギルドの、これまた、トップである理事長が外国籍であり、反日的な態度を示すひとでは、日本人の、言論の自由は、この方向からも封殺をされてしまいます。

DEBATEとはどういうものかの、基本の基本さえ知らない人間に、これほど、大きな顔をさせている日本のマスコミが、いかに下品で、信頼できないかを、図らずも証明しています。
 こんな暴言を許していたら、困りますが、一方で、日本の言論の自由が大圧迫をされていることの証明ともなり、それは有意義です。こんな大失敗をする人間を飼いならし続ける国際的軍産協同体は、その真実の低劣さを、日本国民に次から次へと、明示していますが、本日の『崔洋一監督の、NHK特番内での、暴言』も歴史の証言として、書き記しておかなければならないのです。ごろつきに支配されるわけにはいきませんから。

 これは、浅田真央、キム・ヨナ採点・疑惑に続く、国際的軍産協同体の悪辣さが顕現をした、ひとつの大きなメルクマールとなります。裏側で
 田原総一郎、佐高信などと、一緒になって日本や日本人を馬鹿にしまくっている日常が、ひょいと顔をだしてしまったおっちょこちょいのひとつでしょう。テレビはありがたいですね。その人間が内包している真実が、みごとに伝わりますから。
 国際的軍産協同体のエージェントとして選ばれた人間は、その特権を過信して、努力をすることや、自分を磨くことをやめてしまいます。そして、低劣で、無教養なまま、傲岸不遜になります。日本的な文化とは、程遠い人間となります。それは私のご近所さまの定番・番長主婦たち(石川和子女史他)の一生と、酷似しています。

 本当は、ここで、影山日出夫氏等と、比較をしたかったのですが、字数があまりにも長くなるので、ストップさせていただきます。

 と、14日の午後10時ごろに書き、そのあとで、10数行書き加えたのですが、それが一切反映をされず、14時間がいま過ぎています。で、今日、再トライをしてみます。私は自分個人へ加えられている危害、および、普通の日本人、一億、一千、九百九十九万人にたいしてあたえられている損害に対して怒り心頭に達しているのですが、それでも元気なのは自分の予想がことごとく当たることも原因のひとつであります。

 その予想のひとつとして、この現代日本を覆うっている支配システムが、そろそろ金属疲労に達していて、国民の目に、その秘密が次、次と露呈をしていることも、含まれていました。この崔洋一監督の暴言とは、そのひとつであるから、自信を深めているのです。

 私は、毛沢東を嫌っている人間ですが、その著作のひとつである矛盾論は、なかなか面白い本だと思っています。真実をうがっているとも感じています。この書物は支配者としては、日本、および日本軍を想定していますが、今、現在、被支配国となった日本には、大きな指針を与えてくれるところがあります。
 歴史って、とても面白いです。支配、被支配の当事国が、すっかり入れ替わっていることもあるのですから。

 簡単にまとめると、支配者というものは強欲である。しかし、それをストレートに出せば、被支配国の国民が反乱をするので、上品なシステムを構築するが、そこには大きな矛盾が内包をされており、その矛盾ゆえに、支配者側が最終的には、自滅をするという論理です。特に強欲に支配力を強めれば強めるほど、矛盾も大きくなって、自滅の時期が早まるというわけです。

 毛沢東の場合は、ラストエンペラーによる満州国建国をさしています。が、本日の私はマスコミセレブというものを構築し、それを利用することで日本を支配するシステムが、崔洋一監督によって、みごとに破綻を示したことを、矛盾のひとつの頂点であるとかんがえます。何十万人の目がある中での暴力ですからすさまじいかぎりで、講談社のフライデー編集部を襲撃した北野武氏より傲慢度は高いです。
 
 北野武監督と、暴力でカタをつけるところがそっくりな崔洋一監督を甘やかし放題にしたのが、この際の矛盾といえます。

 ただ、最後にお断りをしますが、崔洋一監督とは、きわめて特異な人間だということです。彼と同じような低劣さが、他の在日の人にも共通して現れるわけではありません。当たり前の話ですが、ここで、きちんと、おことわりをしておきます。
                       では、2010年8月15日、雨宮舜
    16日、12:07に、一応の完成とします。

*:*@*:*:*@*:*:*@*:*
NHK日韓討論番組、崔洋一監督の「歴史を語る資格はない!」が視聴者に波紋
Y! 【エンタメニュース】 【この記事に対するコメント】 2010/08/15(日) 11:42 by, searchina news

  NHKで14日、討論番組「日本の、これから ともに語ろう 日韓の未来」が放映された。番組中で、一般参加者の日本人ウェブデザイナーの男性が発言した内容に、映画監督の崔洋一氏が反発。この時の「歴史を語る資格はない」との発言が、ネット上を中心に波紋を広げた。

  同番組では「ともに語ろう 日韓の未来」をテーマに、スタジオに日本と韓国の若者や一般市民、有識者などを招き、韓国併合から100年の節目にあたる今年、新しい日韓関係はどうあるべきかについて討論を行った。

  歴史問題のテーマで、日本人ウェブデザイナーの男性、古屋さんは、当時の日本人は韓国人が憎くて併合したわけではない。当時、世界は帝国主義列強の時代であり、植民地支配はあたり前だった。日本が韓国を併合したことはやむを得なかったとの趣旨の発言を行った。

  スタジオ内の韓国人の参加者は、古屋さんの発言中、困惑の表情を浮かべていた。また、労働組合に所属する日本人の男性は「それは、アメリカが原爆を落としたことに対して仕方ないと言えるかという話。それは言えない」と反論。

  この古屋さんの発言に対し、崔監督は「当時の日本のイデオロギーは、そういう方向に流れていた。国そのものがそうなっていた。だけど、36年間にわたる植民地支配がそれによって肯定されるという考え方(を持つ人)は、基本的に歴史を語る資格がない」と強い口調で発言。

  この後、番組では一時緊迫した雰囲気に包まれた。このやり取りに、司会を務める三宅民夫キャスターも動揺したのか、「歴史を語る難しさ、おそらくテレビでここまで両国の多くの市民の方が話しあったことはないと思う」と語り、どう感じたかを有識者に感想を求めた。

  これに対し、京都大学准教授の小倉紀蔵氏は、「歴史というのは、どんな考え方もあり得る。どんな考え方を持ってもいい。それが間違った事実にもとづいて、自分の歴史観を構築したら、それは正していかなければならないけれども『歴史を語る資格はない』という言い方は、間違っていると思う」「歴史問題というのは、権力者があなたの考えは完全に間違い、と言詮封鎖してはいけない」と崔監督の発言を正す場面が見られた。

  放送中からインターネット上では、このやりとりに対して、視聴者から続々とコメントが寄せられ「当時世界は弱肉強食の帝国主義の時代で、植民地が正当化されていたことも客観的な事実」「討論番組で一般の参加者に『歴史を語る資格がない』はない」「古屋さんは、あの番組の雰囲気でよく言ってくれた」といった崔監督へ批判や、古屋さんの意見に同調する声が多い中、一方で「日本人は、崔監督の意見も受け入れる寛容さが必要」といった意見も見られた。

  現代の政治や経済にも影響を及ぼしている日韓の歴史観は、両国間でまだ大きな溝がありそうだ。(編集担当:李信恵・山口幸治)

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単純さと複雑さの交錯、生き物と、PC超絶技術

2010-08-13 17:03:31 | Weblog
 以下のものは、13日の深夜アップロードをしたものですが、寝ているうちに主題がはっきりしてきましたので、タイトルを変更させてくださいませ。鎌倉で見聞した生き物たちは、単純なルールで生きているように見えます。
 一方で、パソコンのメッカである秋葉原では、複雑きわまりない、脳みそが行きかっている世界です。パソコンのことを電脳とも言いますし、修理など頼もうとすれば、人間の脳みそのすごさに具体的に接する事ができます。

 しかし、今日の文章で、私が本当にお伝えしたいことは、単純さと複雑さの交錯ということです。では、下の文章へ入らせてくださいませ。誤変換も直しましたので、それこそ、単純な文章ですが、よかったら覗いてやってくださいませ。
~~~~~~~~~~
 そばのテレビが、東京の北部で大活躍中のの猿が、やっと捕まったといっています。

 それは大さわぎだったでしょう。が、私の方は、前回との連続性がありませんが、今日は蛇の話から始めさせてくださいませ。9日の月曜日、午後三時ごろ外出した時、家から15メートルぐらい下がったところで、青大将にであいました。それほど大きい蛇を見たのは、5歳ごろに萩で一度みていらい、ほぼ60年ぶりです。

 小さいのですと、六年ぐらい前に内の猫が取って来たものの、記憶があります。ただし、そのときは、事情が事情だったので、丁寧に観察したどころの騒ぎではありませんでした。うちの猫は人間に対しても心理的に活発で、超がつくほど人懐っこいのですが、猫としての狩の本能も旺盛で、こどものころ、しょっちゅう山から獲物をとってきました。一階にあけてある猫専用出入り口へ、蛇を加えて、地面から飛び上がりくぐったのですが、それを一階で、こっそりと遊ぶのはいやなのです。人間へのプレゼントにしたいし、それを見せたあとで、遊びたくもあるのですが、すぐ取り上げられるので、ジレンマに陥っています。

 で、そっと、誰にも言わずに、二階まで持ってきて、居間の食卓テーブルの下で、自分があそぶために、放したのです。

 猫というのは、人間の五歳ぐらいのいたずら心と、親を慕う気持ちを一生持ちつづけますから、蛇は食べることが目的ではなくて、それで、遊びたいわけです。私は一生で、五匹ぐらいの猫を飼ってきましたので、良くその性質をわかっていて、狩を許して、すずめなど、すずめがかわいそうですが、一人でいる時にとってくれば、そのままにしておきます。猫とは、人間に対して、とても優しいことは限りがないのですが、一方で、トラやライオンと同じ種族でもあって、食物連鎖上、下位の動物に、狩を仕掛ける動物でもあるのです。

 一方で、一生ではじめて、今の猫で、猫というものに接した主人は、ちいさくて弱い者を相手に遊ぶ猫の姿が残酷にみえていやだ、と思っているらしくて、必ず取り上げます。蛇に限らず、モグラでも、小鳥でも、なんでも。

 で、猫は誰にもわからないように、私の足元にそっと小さな蛇を放したのです。それが、私の足の裏、土踏まずのところへ入ってきて、ごにょごにょ、動いたのですから、ムカデかなと思って、いったんぞっとしてたちあがりました。ムカデも噛まれれば痛いのです。ところがムカデより大きい蛇だったので、たまらずきゃーっと叫びました。

 そばに息子がいて、蛇の頭をちょんとつかんで、山へむかって、二階から放り投げてくれました。ちいさいころ、友達と、横須賀吉井の田んぼで遊んでいるから、生き物を怖がらないタイプなのです。で、そのときの蛇については、私は丁寧には、見ていないのです。

 『あのとき逃がした蛇が、その後の6年ぐらいで、これほど大きくなったのではないかなあ』と、目の前を悠々と横切っていった蛇に対して思いいたりました。胴体が三センチ以上はありそうで、長さは3・5メートルぐらいでした。青大将って、実際のうろこの色はみどりいろです。昼間であったわけですし、素足のウラには、いない蛇なら、こわくもなくて、じっと観察をしましたが、4メートルの道幅一杯の長さがありました。
~~~~~~~~~~
 話が変わって、今度はせみのことです。昨日、台風の余波が、我が家を訪れました。そんな日は六種類の蝉の声を、同時に聞くことができたりします。普通の日のことですが、まず、明け方は、ひぐらしが、かなかなといい、次に午前中、陽光が差せば、みんみん蝉が、ミーンミーンといい、もっとあつくなれば、油蝉がジージーと大きななき声を出し、ときどきですが、温暖化の影響で鎌倉でさえ現れるクマゼミが、シャーンシャーンとなき、それらの影で、小さい声で、ちー、ちーと、ニイニイゼミが鳴きます。でも、嵐のために、ひるまなのに、黒雲がでて、すこし涼しくなると、夕方と間違えて、かなかなが油蝉と一緒に鳴いたりしますので・・・・・六種類、同時にきくとなります。

 ところで、12日の夜は思いがけない形で、蝉をつかんでしまいました。それは、台風であるから家を出るのを遅らせたせいでした。

 私は東上線の常盤台の老人ホームへ入っている母の見舞いに、大雨の日に出かけたことがあります。板橋と練馬に一瞬にして、豪雨が集中して車も冠水した日のことです。その日は、タクシーを使ったのに、全身ずぶぬれになってしまい、老人ホームで、ドライヤーをお借りして、服を乾かした経験があるので、台風が近接している12日には、主人の助言どおり、午後には出ず、夜出発したのです。

 そのとき、我が家の木戸を閉めようとして、手が蝉を握ってしまいました。蝉は蛭ほど気持ちがわるくはないのです。にゅるにゅるしているわけではないのですが、木材を触っていると思い込んでいる指先で、乾いてはいるものの、微妙な動きをする蝉を握ってしまうのは、『おや、おや、おや』と言う感じです。やはり、ドキッとはします。
~~~~~~~~~~

 さて、私は毎年、夏になると、一冊の本を出版することを、6年間続けてきたわけですが、4冊目以降、パソコンで仕事をすると、ソフトの機能が、おかしくなるので、必ず外で、仕事をするようになっています。三冊目と四冊目は図版が入るので、ADOBEをごたごたされると、つらくて夜徹夜で貸しパソコンをつかったものでした。が、最近では、早起き型に変更していて、朝早く、三時か、四時におきて、四時か、四時半に、家を出るようにしています。

 すると、鎌倉の朝市で、面白い種類の野菜を買うことができます。東京のレストランの経営者が買いにくるとか、聞いています。だから、昼間とか、夕方行くと、珍しいものはすでに残るっていないのです。が、早朝ですと、オレンジ色(完熟です)の大きなトマトとか、緑と白の縞模様のトマトとか、紫と白の縞模様のなすとか、さまざまな面白いものを買うことができます。一度など、一メートルぐらいの高さに伸び、箒草のように枝わかれしたコリアンダーの束をみたことがあります。

 そこで、スイカを買ってくるのは、朝仕事を、外で、やらなければならないことの、思いがけない余得です。ところで、今、鎌倉のお百姓さんの中で最も人気のある種類は、マダーボールと言うラグビーボール型で、甘さの濃いものです。皮と白い部分が薄い品種です。それを何回も買いましたが、今日は、皮が真っ黒な、『でんすけ』と言う種類を選びました。
~~~~~~~~~~

 こんなくだらないことを何故、言ったかと言うと、『本作りにもだいぶ慣れてきたなあ』とワレながらの感慨が深くてなのです。今年は、4月に急に個展が入ったので、いつものとしより、後ろに三ヶ月程度ずれると思いますが、その向上した技術を利用して、4,5冊分のデータを一気に今作っておこうと思っているので、相変わらずへとへとには、なっています。

 ただ、以前なら、ほんの制作に入ると、メルマガ(ブログ)を休載したのに、今年はそれを、しないで毎日を進めることができていますから、それだけは進歩ですけれども、その一篇、一篇が、ブルグともいえない、長いものですから、相当に力を取られます。

 この3日間、80時間ほど、間を空けたのは、デスクトップ型パソコンを修理するという大事業(ふ、ふ、ふ)を間に挟んだので、疲労困憊してしまったからでした。買って3日目には調子が悪くなったので、『これも、例の敵方の工作で、もう直らないかなあ』と思ったのですが、『えっこらしょ、やっこらしょ』と、大荷物を持って、お店まで出かけたら、一日で直りました。今回修理する人は、ウルトラC級とも言える、秘策を使いました。

 といっても、プリンターをお使いの方は、良くご存知の、一種のリセットを使うという件です。つまり、内臓ハードディスクをいったんはずして、もう一回はめなおすという手法です。「素人はおやりにならないで、くださいね」とは言われましたが、そばで見ていても、手品をし掛けられた感じであって、びっく仰天しました。

 まあ、『デスクトップって、強いはずなのに、最初からこんなに弱くては頼りにならないから、返品できないかしら』と思って、コードやらリカヴァリーCDやら、30キログラムにはなりそうな重いものを持っていったのを、天はかわいそうの思ってくださったのでしょう。丁寧に質疑応答をすると、デスクトップとはいえ、ノート型と比べて、格段にサガあって丈夫だとはいえないそうです。

 私は図版という重いファイルを大量に移動をさせたので、パソコンが悲鳴を上げた模様です。
 私はこういう際のために、日米の会社の復活用ソフトというのを、何種類も買っていて、BIOS復活ということも自分で試すほうですが、『内臓ハードディスクを、いったんはずしてみる、そして、付け直してみる』と言うテクニックは、一切知りませんでした。こんな知識こそ、経験を積んだ人のみが知る知識でょう。
 ありがたいことに一日で直ったのですが、最悪の場合、取り替えるか返品をお願いしようと思ったので、大荷物を秋葉原に運んだのでした。電車を降りるときは、大丈夫なのですが、乗るときは数センチだけ、ホームより電車の方が高くて、どうにもあがらず、いろいろな人に助けてもらいました。

 我が家近辺では、夫にも手伝ってもらいました。「業者にまかせろ、業者にまかせろ」と怒鳴られながら・・・・・そういえば、私って、だいたい、Do it yourself
で、工夫のひとです。それが乏しい資金の中で、六冊も自分の本を自分で出版できた大きな秘密です。

 いろいろな人に助けてもらったとので、これを、今夏のお盆用旅行みなしたいと感じています。

 また、これは災難の一種ですが、ムカデに刺されたので(これは、一生に何回も経験していることですが)二階へ寝室を移すことにしました。それとともに、各部屋の大改造に取り組んでいて、それもまた、大変なことであり、それゆえに連続、80時間もブログの更新を休みました。このことは、読者みなさまより、敵方に特に強調して伝えておきたいことです。

 特に、80時間以上前の回の『天皇が、どうして、お気の毒であるか』を、証明しきっておりません。しかも、また、あらたな集団訴訟の動きが出て、これも、井上ひさしか、国際的軍産協同体の発案でありましょうし、私が『安kに参拝が話題にならなくなった、終戦記念日周辺と書いたので、こういう措置がうまれたと感じます。鬼の居ぬ間の洗濯ではないが、小澤氏が、一ヶ月ぶりに顔をさらした模様ですしね。

 80時間も休むと、影響が大ですが、私は天が書かせてくださる文章を、書かせてくださるときに描くつもりであり、また、一個人として、家庭内のあれやら、これやらを平行して、こなしながら進んでいくつもりです。

 ただ、いやな話ですが、敵は「勝った、勝った」の大合唱をいま、していると思います。その安心感に乗って、小澤一郎氏が、一ヶ月ぶりに、公開の席、(記者団の前)に顔を見せるようになったというわけでしょう。

 では、本日は、超簡単な、現状(というか、日常の)報告だけで、終わりまが、どうかよろしくお願いをいたします。2010年8月14日、     雨宮 舜
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天皇、白鵬、藤原正也、池田警視総監、安藤警察庁長官

2010-08-10 13:49:57 | Weblog
 本日もツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。昨日長いものを上げさせていただきました。あれは、36時間連続して起きている形で書いていたので、『あ、ここで、ともかく、まとまったわ。これで、私の今日の義務からは、ひとまず解放させていただこう』と思って切ったのですが、よく考えてみると大切なことを忘れていました。

 タイトルに『天皇でさえ、自由がないこの国』とかいてありますが、海外にいらっしゃる方には、『どうして?』といわれてしまうと思います。天皇陛下とは、最も尊敬されて、その身分やら財産が保証をされている立場だと一般的にはみなされていると思いますから。

 ところが、実際にはそうでもないのです。負担と義務が非常に多い方なのに、自由がない方でもあるのです。たとえば、今回の大相撲壊滅作戦で、どどどどっという形で、あれよ、あれよと、その方向が進んで天皇賜杯まで、下げわたさないということが決まったのですが、それは天皇陛下のご意向を聞いて、とられた措置ではないのです。そのことをだいたいは推察していましたが、白鵬側から、「天皇陛下からお手紙をいただいて、心が慰みました」と発表があり、なおいっそう明らかになりました。

 白鵬は、朝青龍ほど、人気がない横綱でしたが、『やはり横綱だな。心の持ちようがまっすぐだ。そして、大切なことを大切だと発言できる人間だ』と喜ばしく思いました。

 ここで余談ですが、相撲は国技として大切に扱われ、親善の道具として、パリやロンドン、北京などで、公演を行っていたのでした。ここで、公演と書きますが、長い伝統の中で、ショーアップしたところがあって、それゆえに、タニマチとか、男芸者という言葉もあるわけで、純粋なスポーツというわけでもないのです。

 だから、やくざと付き合いがあるかもしれないし、それを含んでの大相撲です。そういうものであることは、日本人全体は知っていたはずです。そして、日本人は普通の場合なら寛容であるはずです。そのことを今秋発売の週刊新潮のグラビア頁のエッセイで、藤原正也さんがおっしゃっています。今回の報道が下品だと。その通りです。本当にリンチだと思います。そして、そのことが発展していくスピード感、こそ、ファッショそのものです。

 ファッショとは、右翼に対して向けられる言葉だと思っていらっしゃいますか? とんでもないです。伊藤滋座長とか、村山弘義理事長代行、そして、独立何とか、委員会に集った人々の行動こそ、ファッショそのものです。禁煙運動の高まりもそのひとつで、同巧異曲です。大相撲の力士に対して成功したと思われた手法は、明日は、一般人に対して向けられるでしょう。絶対に抵抗をして阻止しなければなりません。

 そして、私がこの二週間に展開したように、その発想はごく少数の手に握られていて、明朗なものでもなく、遵法精神に基づくものでもないのです。その大切な文化がずたずたにされたことの大本はといえば、石川和子女史という、どうしようもないほど、わがままな女性が、我が家の猫に関して、自分が恥ずかしさのみぎりだったので、復讐をしたくて、「私は伊藤玄二郎という鎌倉の有力者と親しいから」と、言って、とんでもない形で、警官を呼び、「あそこのだんなに、奥さんを叱ってもらって欲しい」と頼んだことにはじまるのです。のこのこやってきた警官が、さらに失敗を重ねました。石段が、100段以上あるこの山で、ありえない交通事故の調書を取るという形で、私を脅かしたのです。その二重の大失敗の不始末、隠し===のために、この大相撲壊滅作戦が、行われていると、ここで申せば、皆様も驚天動地のこととおっしゃるでしょう。

 もちろん、小泉人気つぶしとか、国民が心をひとつに集合する可能性のあるアイテムはなんでも、つぶしておきたいという、この国を真に支配している国際的軍産協同体の意向は大きいですが、事象の発案者は、ごく、少数なのです。

 この事についての説明は、今日は省きます。初めて私のブログへお入りになった方は、過去記事をカレンダーで探っていただくか、この文章の下へスクロールして行ってくださいませ。
~~~~~~~~~~
 で、今日の新しい事に入ります。その北京公演の録画をNHKが放映したことがあります。一種の巡業ですが、日本国内に比べれば、誇りのあることで、力士もいつもより、朗らかでリラックスしています。それを狙って、NHK側が北京市内を散歩中の力士を捕まえてコメントを取っていました。そのときにびっくりしたのですが、人気力士って頭がいいんですよ。ユーモアを解して、非常にしゃれたコメントを発する人たちなのです。普段、私たちは勝負がついたあとの、力士の取材しか知りませんね。はあ、はあ、ぜいぜい、息を切らしていて、ごくぶっきらぼうに、はい、そうです、なんていう言葉しか、発しない姿を見慣れていますので、単純な頭の人たちかなあと思うでしょう。ぜんぜん、そうではないのです。

 だから、今日のタイトルにその名前をいれた藤原正也さんのような『好人物にしかみえないけれど・・・・・』がまさしくも正しいのですよ。特に目の釣りあがったNHKの元アナウンサー山本某氏など本当にいやな顔でした。それから、和民社長は、歌舞伎でいう青い隈取の色悪といったとことです。ぬめっとした蛙のような皮膚で、『おばかさんだなあ』というしかない発言を繰り返したのです。『何だ。成功者だというから、一流の人間かと思ったけれど、三流だなあ』と、その本質がはっきりしました。大衆を相手の居酒屋チェーン店を経営しているのに、大衆の本当の希求をさとれないなど、一種のおばかさんです。

 伊藤滋氏に関しては、『ああ、なんと言おうか、このお坊ちゃまは? 父親の築いた知名度という財産を台無しにして、偏差値秀才の限界、ここにきわまれりですね。おかあさんが小さくまとまっているスノッブだったのかなあ?』「それにしても、本業で、その天才的仕事というのを聞きませんね。だから、こんな世界で威張りたいのかなあ』とそこまで、テレビ桟敷だけで判ってしまいます。お気の毒に、誰に引っ張り出されたかはわからないものの、いっぺんにその浅さが世間に知れ渡ってしまいました。

 その点で、鶴田卓彦氏は百戦練磨の知能犯です。今回テレビに映る場面では、大衆が喜ぶ発言をして、いいとこ取りをしました。

 村山弘義氏に関して言えば、長年サラリーマンとして勤務をしてきたひとの落ち着きはあります。それに、検事というのは、司法関係ではもっとも人気がない立場だから、こういう大衆的な場面でご自分が露出をするこいとは、家族にとってはメリットとなったでしょう。一義的にはです。でも、ロングスパンで考えると、天皇賜杯の返上を決めたのは、村山弘義氏でしょうから、本当は損です。ただ、他の登場者と決定的に違うところは、警察と相当に近いということです。だから、大構造を納得をした上での諸活動でしょうから、ご本人には後悔も悩みもないでしょう。

 というのも、この大相撲壊滅作戦の発信源はいうまでもなく、国際的軍産協同体であるからです。そして、彼らは、警察を圧倒的に支配下においていますので、その世界と、40年以上にわたる付き合いのある氏にとっては、明瞭なる職務のひとつのはずです。趣味の世界で相撲すきだから、理事長代行を引き受けたなど、方便のひとつにしか過ぎないと想像しますが、きっと当たっています。
~~~~~~~~~

 さて、私がひとつ、ひそかに誇りとしていることがあって、それは新聞に安藤警察庁長官と、池田警視総監が二人一緒に、大衆向け記事となったことがあって、それは私が内々にメモとして書いている文章に連動をしていると、感じたことがありました。そのころは私は自分がわかっていることの30%ぐらいしか、外ヘ出していなかったので、却って狙われていたと感じます。つまり、ハッキングやら、泥棒やら、盗聴は警察がやっていたわけですが、それがばれているかどうかが、大問題で、そちら側は、それを知りたがっていたと感じます。
 しかもパソコンがごたごたする現象から考えると、二十四時間体勢で見張られていると感じました。私は何も悪いことをした覚えがないので、これは理不尽、極まりないことで、怒り心頭に発していました。一方で秋葉原事件など、朝の五時から、犯人は携帯で自分の気持ちを発信していたのです。それを把握できず、事件を予防できませんでした。

 警察と思われる存在が、神経過敏なほど、私を追跡したのは、そのことを大衆社会に向けて発信をされることを怖がっていたからだと感じます。一時期など、パソコンが壊されるので、さまざまな買い替え目的とか、外付け保存装置の買い替えで、良く訪れましたが、すさまじい人数の警官が待っていたこともありました。あ、は、は。です。

 それで、安藤警察庁長官と、池田警視総監の名前は覚えたのですが、この間、=====国会図書館のまえで、機動隊のバスが二台、朝の六時に停車していたのは、どういう事象が原因で待っていたのでしょう。安藤警視総監に公開質問状を出します======と書いたのは間違っていましたね。名前が、です。二人を取り違えていました。
 公開質問状なら、池田警視総監に当てて出さないと、いけないのでした。
機動隊のバスの人間は、警視庁の所属ですと言っていましたから。

 私は文章をよどみなく書きたいがために、書いている途中ではしらべ物をしないのです。それに大本は美術の人間で、文章は生きるためのリフレッシュメント、かつ、思索が大好きだから始めた事なので、書庫もなければ(ただし、びじゅつの材料と作品は、総畳数が二十四畳の逗子のアトリエに膨大な量をもっていましたが・・・・・)新聞の縮刷版も買っていない人間で、うろ覚えで書くことは多いのです。澤地久枝さんでもなく、山崎豊子さんでもないわけなので。ただし、体験したことの多さと、複雑さには自信があります。だから、それなりに生き生きした文章が書けるとの自信もあります。

 で、元に戻れば、秋葉原について、警視庁または、警察庁を、私が責めるだろうと思われているからこそ、私は、すっとはずしたのです。ばかではないです。何度もいうように、おっちょこちょいなのは嫌いです。それと、喧嘩もできるだけやらない主義で、復讐もしない主義です。で、『秋葉原の車椅子』というエッセイは書きましたが、それは=====自力で改札口を抜けていった、車椅子の青年の毅然とした態度に感動をした=====という形で終わっています。

 自分の方は、その時点でもすでに、数億に喃喃とする被害に出会っていましたが、他者を責めていないのです。だいたいの程度でハッキングと泥棒は警察だとわかっていましたけれどね。

 ところが驚くべき事に、2009年の6月22(もしくは23日、水曜日だったと思うが)のNHKクローズアップ現代を見て、仰天をしました。井上ひさしが出てきて、みごとなおちで、警察を擁護したのです。凝ったつくりで、桜桃忌にことよせて、太宰治のオマージュを提言している番組でしたが、もっとも大切な目的は、最後の二分だったでしょう。
あっけにとられるほどのみごとさで、問題をすりかえました。『秋葉原、連続殺傷事件では、警察には、落ち度がないのだ』と言うメッセージを視聴者に送り込むのが目的だったのです。偶然でも、みてよかったです。井上ひさしの本質がいっきにわかりました。確信を持ちました。

 私が、良く、天がお味方してくださると言うのは、・・・・・普段はテレビがきらいなのです。クローズアップ現代といえども、いまでは、見なくなった方です。それなのに、・・・・・その日にそれを見たということが天のおたすけです。

 もうひとつ、小さなことですが、掃除をしていてふと、大切な物が見つかったりするからです。池田警視総監と安藤警察庁長官の名前だけを、取り違えておりましたね。顔はおぼえていました。より階級の下の池田警視総監の方が、ふくよかです。それが間違いであったということは、掃除をしているうちにその記事の切抜きが見つかって、あ、間違えたときがついたからです。その掃除だって、ムカデが出て、刺されたから始めたことで、その部屋を倉庫に改造しようと考えたから、徹底的にメモやら、書類を片付けたので、見つかったことでした。
 そして、待ちに待って、秋葉原の歩行者天国が再開されたのを見て、上のエピソードをさらしたのです。警察は、ハッキング、盗聴、泥棒、パトカーなどを配置することで、私を脅かすという失態というか、偏頗を、私に書かれてしまうかどうかを、恐れおののいていたからこそ、自治会長の提案だとか、なんとかいう別の理由をつけて、歩行者天国を、長らくじっこうをしなかったのです。ところで、ここで明言をしておきますが、私って何の罪も犯していないのですよ。

 ただ、ただ、警察が、伊藤玄二郎と井上ひさしの二人羽織に丸め込まれているだけなのです。私だって、最初は信じられませんでした。なんでこんなに下品な、しかも無教養な日銭かせぎおばさんに過ぎない石川和子という女性を、警察はかばうのだろうと、不思議でならなかったのです。まあ、伊藤玄二郎の愛人だったと言っているからであろうなあとは、推察できましたが、現場の末端の警察官が失敗をしたのはものの弾みd章と理解ができますが、池田警視総監が朝の六時に国会図書館の前に機動隊のバスを二台待たせていたのと、と前任者が、2008年4月1日の同じく、総長六時に、二台のパトカーを京橋の集英社前に待たせていたのは伊藤、井上の二人が、普通の紳士だったら、ありえない現象です。

 で、考察を始めて、伊藤玄二郎と、井上ひさしが相当にレベルの高いエージェとであることがわかってきたのでした。一億二千万人の日本人が、いつの間にやら、年金さえ信じられないほど、国が弱体化したのは、こういう類の自己保身術だけに長けた、驚くべき怪物たちのおかねげなのです。

 と、同時に、別のルートからの働きかけかも、しれませんが、警察が、国際敵軍産共同体の支配下にあることもわかってきたのです。その際、小澤一郎氏の存在は大きいでしょうね。週刊朝日は性懲りもなく、オマージュ記事を今週も載せています。

 『アメリカの大物が、潜水艦にのって、小澤に会いに来たそうです』ですって。この記事ですが、事実かもしれません。小澤一郎氏は、瀬島龍三に仮名で触れた7月9日以来、テレビの画面では、姿を見せませんが、潜行しつつ、やりたい放題を、あい変わらずやっているというわけです。

 供応は、本当は望月浩一郎弁護士というあらたな登場人物について触れるために始めた文章でしたが、そこに入る前の前提段階で、つかれきってしまいました。で、署名はせずに、ここで一応切らせてくださいませ。午前、3時半なので、一応切って寝ます。
 文章を続ける可能性は大きいです。
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天皇でさえ自由がない、この国の主権はどこに在る?(白鵬の涙)

2010-08-09 23:02:59 | Weblog
 本日もツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。完成は署名が最後に入るまで、で、多分、火曜日の午前十時過ぎになる見込みです。間で睡眠をとるやも知れませんので。

 9日の長崎原爆慰霊祭から、終戦記念日にかけて、終戦(実は敗戦)記念特集がテレビでは、盛んです。新聞は最近、勢いが薄れていますがゆえに、この件については、あんまり特集を組みません。読者の意向は大切だと見えます。特に話題が二つありますが、大きな柱の一つであった、靖国参拝の件では、民主党の首相が、それをするはずがなくて、そこが削除されましたので、原爆関係が一途、充実です。

 民主党の政治家が靖国参拝をしないのは、彼らは若くて、学友が戦死をしたなどという体験から遠いこともあるでしょうし、都市型の選挙で勝ち抜いてきた代議士が多いので、インテリは靖国参拝などしないのだというムードで、正当性をもてると考えているかでしょう。
また、小泉さん以外の自民党の政治家は、遺族会を母体として、集票をしていることがあって、それが、民主党にはないということもあって、いわゆる義理を欠く事に良心のやましさがないという点も重要です。

 民主党は傲慢の限りを尽くして(と、いっても、参議院戦後は、少し、引いていますが、小澤幹事長が在任のころは、その言葉どおりだったのです)日経連や、経団連に対しても「ぶっ潰す」だの、はたまた、「仲直りする」などと言っていますが、・・・・・
 遺族会にだけはいまだ手を出していないようです。

 どうしてそうなるかを、精査すれば、また、また、民主党(特に小澤一派)こそ、アメリカが最も好む政治グループであるということが、証明をされると思います。が、それは今日はおいておいて、ごく簡単にしかも下世話に、言ってしまいますが、『遺族会は高齢化して、実質的に力を失っているから、そこに手を出す必要は無い』と、戦略的(?)に考えているのだと思います。

 で、この時期の話題のひとつであった靖国は消え去り、原爆と、戦争の悲惨さの大音声での訴えが、かまびすしく、その大音響によって、日本では主義主張が自由にはっきできるかのごとき、幻想が国民に与えられます。しかし、私に言わせれば、戦後すでに65年が過ぎました。上記の二つの問題は、安全パイと化したテーマであり、本当に国民にとって大切なことは、検討をされていないと感じます。

 この戦後、65年間に起きた政治的課題のうちで、再検討を要するものが、7つぐらいあると私は思っています。

 第一は、下山事件、白鳥事件、松川事件、帝銀事件(順不同)などの、共産党弾圧事件、です。今では、共産党は、日本に自由があるがごとく、見せる装置の一つとなっていると酷評している私ですが、1940年代の共産党は、日本に限らず、世界中で活発だったのでしょう。しかし、ソ連の崩壊とスターリンの実像の開示、・・・・・それから、文化大革命(紅衛兵騒動)の中国と、毛沢東の真実の開示、・・・・・北朝鮮の大韓民国航空機・撃墜問題や、日本人他の拉致問題と、金正日、王朝の実態の開示と、国民の飢えの報道などによって、その、国民内部における不平等さと、抑圧状況が世界中の人の目に入ってしまい、その主義は、理想からは、程遠いことを露呈しました。
 その中で、日本共産党は、独自路線を歩むということでしたが、内実は、二重スパイに近い複雑さで、日本という国、特に教育をだめにしていると感じます。

 先生という職業と地方公務員のなかに根を張っているはずです。

 第二には、安保闘争、大学紛争、成田闘争の三つが延々と続いた時代です。

 あれも、ものすごく複雑です。一種の踏み絵の作用をしたと私は感じています。で、生きていれば、現在、73歳ぐらいから、63歳ぐらいまでの人の中から、もっとも誠実な人が選ばれて、つぶされていきました。

 今その世代で残っている、人たちは、日本社会で会社の重役やら、社長をしているわけです。一方、国家、地方を問わず、公務員も多いだろうし、医者や弁護士、大学教授などの一種の自営業についている人も多いだろうが、ともかくにして当時はノンポリと呼ばれた種族であって、防衛意識が強くて、かげきではない人たちです。そういう大人しめで、冒険を好まないタイプが、この日本の現在の主流派を形成したから、KYだとか、プライヴァシーの保護だとか言って、まじめなことを話し合う風土を、できるだけ薄め、かつ、なくす形で、醸成されることへ側面からの援助を果たしました。
~~~~~~~~~~

 ここで、ちょっとした、挿入的お断りを申し上げます。このブログの読者層は、まさしく当時のノンポリ種族であるはずです。このブログは、あしかけ13年続いたAOLのメルマガを母体にしておりますが、そちらの読者層は、卒業大学や、その社会的、貢献度を考えれば、日本の上から30%以内に含まれるであろう、中流の上のひとたちです。そして、収入もそこそこで安定した暮らしを送っている人たちです。

 で、あなた方を個人的に攻撃しているのではないと申し上げたいです。私がここで話したいことはもちろんのこと一般論です。実は私自身も、親からも夫からも、子どもからさえも、「おまえほど贅沢な人間は、いやあしない」といわれている存在で、そのノンポリさゆえの、平和を享受していて、その中でできるだけ、自由に、理想とする人生を送りたいと願っているだけなのです。

 だけど、ブログの世界だけでも、非常に過激なことを書いているらしくて、この一週間、パソコンがあれに荒れていて、その修復に追われていて、生活のペースをすっかり狂わされました。その過激さとは、お金を稼いでいるプロの評論家が絶対に触れないであろう、真実を書き続けることが、直、そうみなされることへつながっているわけですが、67歳にして、かくも勇敢に論陣を張ることができるのは、ノンポリ中のノンポリとしての専業主婦時代が長くて、ずっと雌伏の時を過ごしてきたからこそ、遅れてきた元気さというものがあるのかもしれません

 でもね、詳しいことを言えば、学生時代から数えれば、すでに四回ほど、『あれは、暗殺だったなあ』と感じる目に出会っているのですが、不思議な事に、常にぎりぎりのところで救われてしまうのです。

 でも、一種のつぶされた方のタイプでもあると感じています。でもその後防衛して、静かに平凡に生きてきましたから、若くして死んだチェ・ゲバラにもなれず、ジャンヌ・ダルクにもなれません。あ、は、は。平凡、平凡で、平穏な人生を送っているはずでした。が、最近、普通の生活の中で、自由が奪われ始めていると感じていて、『ならば、却ってはっきり、ものを言おうぜ』となっているわけです。

 私は敵に育てられた人間なのです。大学院へいって、政治学を学んだわけでもなく、立派な編集者がついていて、育てられた人間でもありません。有名な評論家の助手(または、書生、または、アシスタント)をして、自分を磨いたわけでもありません。

 敵がしつこく、しつこく、追い掛け回してくるから、『どうして、こうなるのだ?』と考え抜いているうちに、ミクロからマクロへ達してしまいました。自らが住んでいる、住人が、15軒足らずの『うぐいすむら』という小さな町内会で起きる現象を、丁寧に分析すれば、世界が見えてきてしまいます。
 この山に住んでいて、ご近所様の動きを見ているだけで、世界のトップクラスのジェイソン・ロックフェラー氏と、そのおとりまきが、何を今考えているのかが、判ってしまいます。それはこの山の人たちが、みごとなほど、伊藤玄二郎に支配をされていて、彼のおっちょこちょいなアイデアに従うからですが・・・・・その右往左往ぶりと不自然な行動を見ると大相撲壊滅作戦の裏側やら何やらが、直に察せられ、理解ができるからです。

 で、挿入から元へ戻りますと、学生運動旺盛な時代に活動を活発にしながら、かつ、今どきにまだ有名である評論家は、私にとっては、本心の見えない恐ろしい人材だとなります。一例を挙げれば、高橋源一郎氏や秋山ゆう徳太子氏等ですが。・・・・・本当に誠実な人は、二十代でつぶされているから、いまだに無事であること自体が、不思議なことなのです。秋山豊寛氏は、一応田舎に引っ込んだひとなので、誠実だとみなせますが、高野孟氏など、相当にいけずでしょう。あ、は、は。失礼ないいかたですが、簡単に言うとそうなります。

 でもね、上の一節に名前をあげた四人は、ある意味でまだまだ、誠実だといえるのです。一週間に一回程度、テレビで、顔をさらすことがあった人たちですから。または、人生で、合計すれば、100回程度、テレビで顔をさらしたことがあるひとたちだから、視聴者側が、実像を察知することができます。

 脚本のない形で、何かを発言をしなければならないから、その人間性がもろにみえます。で、一般のひとで、かつ優秀なしごとをしているひとほど、テレビなど見ないし、そこに登場するひとなど、歯牙にもひっかけないという形で生きてきていて、『自分たちの方が上だ』という認識で生きてきたのでした。そして、1990年代の前半までは、政治もややまともであり、社会の風潮も今ほど、陰々滅々たるものでもなかったのです。
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 ここで、敵が、こちらが何を書こうとしてるかを察して、パソコンを荒らし始めました。ので、もし、最後に署名と日時が入っていない形で終わりましたら、私がさらに大きな弾圧を受けているとお考えいただき、私の昔からの文章内にどれほど、真実が多く含まれていたかを、信じていただきたいとと存じます。という二回目の挿入を臨時としてはさんで、先へ進みましょう。
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 しかし、1993年に思いがけない大変換点が訪れました。それは中選挙区制から、小選挙区制への移行という問題です。ここで、状況が一変し、まともな人が、虚業の世界の人に、支配をされるいやな時代が始まったのです。つまり、控えめで寛容で、まじめな普通の日本人が、総理大臣をあざ笑い、こけにして、馬鹿にする風潮を受け入れざるえなくなって、したがって、秩序の感覚やら、希望を持つ明るい方向性を失って行ったのです。決して尊敬ができないひとが、メディアであがめたてられまつったら、基本的な道徳カンが狂ってしまいます。立脚点を失った弱い人となってしまいます。

 つまり、極言すれば、電波芸者と呼ばれた、大学卒業までに、なんらかの瑕疵や欠損があったからこそ、隙間産業に入っていった、マスコミ人と呼ばれる人たちの下手に立たなくてはならなくなったときでした。

 ところで、この大改悪を進行したのが久米宏という人材でした。毎日夜10時に放映をされるエンターテインメントの要素を含んだ、ニュースの司会をして世論を誘導して行ったのです。心ある人は、それに気がついていて、危ないとか、いやな人間だと、いっていましたが、大朝日新聞(+テレビ朝日)をばっくに、日本と日本人にとって、最悪のことを、最良であるかのごとく、口先たくみに、だましとおしたのでした。

 日本を真実支配をしている国際的軍産協同体にとっては、大変重宝な人間でありましたが、すっかり人気を失っているでしょう。視聴率はあがらないはずです。しかし、この視聴率というのも非常に怪しくて、大人気を博していたNHKの朝ドラ『つばさ』が視聴率が低いと出たりしますので、これも、国民の士気を落とし、国民全体に罠をかけ、陰々滅々たる気分にさせるのに、貢献しています。

 特に競争相手がいない形で運営されている一社だけであり、しかもサンプルが1000軒(件)程度とのことです。しかもなおのこと、困るのは、それが電通の管理下におかれているらしいことと、その電通の影の大物が、成田豊氏であって、この人が極端に韓国びいきだそうです。日本一国で、開催する予定だったサッカーワールドカップを、急に日韓共同開催へともっていったりしました。特に華やかな開会式を韓国に持っていってしまったのは、悪質でした。また、浅田真央ちゃんがたった15歳のときに、すでに、その足を引っ張るような悪辣な記事を、女性週刊誌に書かせたそうです。それが今年のオリンピックの真央・ヨナ採点疑惑へとなだれこんでいて、真央ちゃんが金メダルを取れないことへつながりました。

 真央ちゃんが、帰国した日に、テレビ朝日の報道ステーションは、新聞には真央の独占会見とうたっていながら、実際には、トヨタの社長を登場させ、50分間も話をさせて、真央ちゃんの露出時間を極端に削ったのでした。

 しかし、あのケースでは、国民大多数より敵方の方が、勝利してしまいました。それは、どうしてかというと、2チャンネルという場所で、大勢の若者が疑問を呈したので、敵は必死になって押さえ込もうとして、ありとあらゆるメディアを総動員して、真央ちゃんより、ヨナ選手の方が優れているという論理を形成したからです。大勢が一点で、まとまることを敵はなにより恐れていますので、死にものぐるいになって、世界中を支配して行ったのです。

 このときもNHKは、日本の代表である真央ちゃんの味方をせず、ヨナ選手の味方をしたのですよ。エキジビションは、同時中継がされず、しかも、六時間以上前に起きた小さな地震による津波注意報が、必要だと言う理由で、画面の右下に、日本地図を無粋にも入れ込めて、放映したのでした。

 このときの経験が、そっくり、そのまま、再現をされたのが、今回の名古屋場所のライブ放映をやめるという話です。

 今回もめちゃくちゃな論理で、ことが進みそうでしたが、NHKが反省をしたのは、ともかくの、こととして、私がその裏側を解明し、まだいきているはずの井上ひさしの名を確定的にあげたからでした。と、同時にそのウラ側で、さらにあくどく立ち回る伊藤玄二郎の実態も数々の証拠を挙げながら、書き進めているからです。

 しかも伊藤玄二郎のこれらの行動を呼び寄せる影の動機の汚さは、覆うべくもなく、明らかにしていく予定だったからです。鎌倉市内および、文化人ソサイエティのすべての登場人物の具体的な行動を分析しながら、ものごとの解析を進めていきます。

 それによって、怖がる人たちは、私の発言がうそであって欲しいので、そういう方向で、ニュースを作っていきますので、ますます、事実関係の傍証が進みます。私を、封殺するために、それ相応のニュースを作って、否定するように動いてくるから、却って明瞭になるのです。

 今回、白鵬は優勝した後で、涙を流したそうです。「せめて、天皇賜杯は、いただきたかった」といって。NHKが同時中継をやめると言った後で、優勝旗の授与もないし、天皇賜杯の授与もないとは、あっという間に、怒涛のごとき勢いですすめられました。決定をしたのは、伊藤滋座長の会か、次に結成をされたワタミの社長(もしくは会長)の入っている会かはわかりませんが、そこまで突入してしまった、悪質であり、かつ作られたニュースの端緒を開いたのは、井上ひさしと、伊籐玄二郎の二人羽織であり、彼らが、日本国の象徴たる天皇より・・・上の・・・存在として、この日本を支配をしているかを、書いていったからです。

 特に、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れた裏側とか、美術界の大立者である酒井忠康氏まで引き合いにだして論じたときに、初めてその毒牙を、ひっこめたのでした。

 このようにして、日本を支配している諜略とは、具体的な人間の、私利私欲が根源的な動機となって、引き起こされているのです。そして、それらの人間は別に能力が高いわけでもなくて、偉くもないんですよ。タダ、装置に乗っかって、お互いを褒めまくっているだけなのです。それを、また、徐々に解明していきましょう。

 午前四時半を過ぎました。家族が迷惑だといいますのし、今日書きたいことは大筋終わりましたので、ここで署名を入れます。  2010年8月10日        雨宮 舜
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宮沢りえ、VS 力士たち(その特権を分析する)

2010-08-07 21:02:02 | Weblog
 NHKが巡業で、謹慎力士を大きく取り上げていたのは、結構でしたが、その二ヶ月前は、ひどい有様だったのです。
 親も子も兄弟もいるだろうに、ひどい程度で不名誉をこうむっていました。私は、これは、日本人の発想ではなく、ウエスタン映画によく出てくるリンチと同じことだと言いました。日本人は憐憫の情があり、やや寛容です。これほどの、レベルで集中する集団いじめをを好みません。下品なことだと思っています。

 そして、このブログの世界は小さいものですが、すぐ反応があって、途中の大騒ぎが突然に終焉し、最初の、脅迫をしあった映像が再び大きく取り上げられ、顔を見せない告発人が現れて、「自分も脅迫をされた」と言いました。つまり、そこへ戻ったのです。しかし、その顔を見せない発言者ですが体が小さくて細くて、とてもではないが、元力士とも思えませんでした。証言するからには、きちんと顔をさらすことをこれからは求めます。

 つまり、若島津が、物件(大阪場所の際の練習場所)を借りた相手がいけないとか、野球賭博がいけないという付随した問題から、最初の脅迫へ戻ったわけです。その脅迫事件は犯罪なのでしょう。だけど、一部の間での事柄でした。それ以降の大騒ぎは、私が言うとおり、大相撲そのものを壊滅するための作戦だったのです。それが、最初の、本当に警察が関与してもよい事件へと、やっとのことで戻ったのでした。で、途中で火あぶりの刑よろしく、テレビにその顔を映されまくった相撲取りたちは大損をしました。

 本人だけは、見破られないと思っている、アイデアマンがいて、その脚本どおり、恐ろしい勢いで、力士や親方たちは、攻め立てられ、責め立てられ、ヒーローの位置から、一気に、地に落ちた偶像となってしまったのです。その作戦は、脚色された流れに沿って、無法の限りで行われたのでした。日本が、法治国家ではなくなっていることを明らかにしながら。一見すると整えられています。これは、法学部出身でありながら司法試験には受からなかったであろう、伊藤玄二郎が常に用いる手でもあります。発想や言葉が常にこういう風に流れます。一流の法律家だったら、絶対にやらない手法をとるのです。ばれなければ大丈夫ですが、すでに見え見えでばれていますので、結局最後には、国民から総すかんを食うでしょう。近々に、すべてはばれていくと思います。

 そして、昨日言ったとおり、数人のおっちょこちょいのインテリたちが、さも、自分たちには、権威があるかのごとく、威張りぬいて、比較すると、純真に体を使って、そして無邪気に生きる相撲取りたちを、苛め抜いたわけでした。

 往年、よく言われたホワイト・カラーとブルー・カラーの対立を、ここで、如実に再現して、インテリたちが偉いと見せ付け、ブルーカラーとしての力士を完膚なきまでに叩きのめしたのです。

 これを起案したのが、私はいまだ死んでいない井上ひさしだと、感じていますが、彼と、二人羽織である伊藤玄二郎はこのようにうそぶいていることでしょう。例の見てきたようなうそを言いの類ですが、たぶんですがあたっています。昨日の偽暴走族の件で、またまた、パソコンが壊れましたので、あたっているでしょう。私が真実を書くからこそ、パソコンが壊されます。かけないようにしてやろうというのです。

 となると、彼らのせりふはこうなります。・・・・・「てめーら、庶民ども、ざまーみろ。おまえらはさ、上司にたてつくわけにはいかねえんだよ。労働条件が悪かろうが、どうしようが、改善の見込みは、ありゃあしねえんだよ。
 特に俺たちみたいに、大衆に人気のあるインテリには、絶対に、おまえらは、かないっこないのさ。ざまーみやがれ、お前たちの象徴として、力士どもをたたいてやったぜ。これで、俺たちは、国際的軍産共同体のトップたる小沢一郎氏と、朝日新聞のだれそれと、日経新聞の鶴田卓彦氏と、電通顧問の成田豊氏と、○○○○ホテルのスイートルームで会食を来週するのさ。あ、は、は。庶民どもめ。どげざしろ」・・・・・

 非常に社風の悪い、会社なら、こういう上が下をいじめることが起きてもよいが、日本の会社の社風は相当によいはずです。特にこの経済不況下、生き残るためには、よい経営をしないとだめであり、大小を問わず、よい会社ほど、上が下を大切にしているでしょう。

 そういう日本社会の現実とまるで違った、総力を尽くしたいじめを目の前で展開をされてしまって、この日本社会が、いかにいやなものとなっているかを、味わわされてしまったのが、この二か月間の相撲界いじめでした。

 もう一度申しましょう。伊藤滋氏、村山弘達氏、鶴田卓彦氏等は、いかにも麗々しい委員会を作ったことで、ただで、相撲を見ることができ、お茶の接待を受け、自分がセレブであるかのごとき印象を世間一般に与え、著名人の仲間入りができたのです。普通なら会場を借りること、および、さまざまな準備が必要で、あのような会が3つもすっとできて、メンバーが集められるのも不思議なことですが、「やっちゃれー、やっちゃれー」というムードで、ばあーっと突っ走ったのが、アイデアマンたちです。

 昨日偽暴走族のことを述べました。あれと同じく、児戯に等しく、きちんと考えればまるで、論理の整合性のないことを思いつくのが、伊藤玄二郎と、井上ひさしです。私は普段上のような言葉遣いはまるでいたしませんが、彼らが鎌倉でやっていることを見ると、彼らの性質と本心はよくわかります。
 上のような言葉遣いで、お互いに笑いあいながら、突っ走っていることは確かです。別の日に佐高信とか、永六輔等のタレントたちが日比谷野外音楽堂に集まって、ひどい言葉で、小泉首相をやっつけて、聞いていた一般市民が怒ったそうですが、大体、軍産共同体にかわいがられている存在とは、非常に下品で、お行儀が悪いものです。

「地方からの陳情は、自分に一手には上げよ」などという小沢氏の、徳川時代よりも古い発想の、自分オンリー偉い人作戦===につながっていくというか代表をされる、古い古い発想に、一般、庶民はまたもや、からめとられることとなります。
 そして、一般の日本人の生活レベルが低くなっていってしまいます。

 日本政府も金遣いが荒いのでしょうが、国際的軍産共同体に搾取されているお金も莫大なものとなるでしょう。
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 さて、井上ひさしが、この大相撲壊滅、または、いじめ作戦のアイデアを提供したと、ここで私は言明していますが、それは、以前からの数々の例証が重なっていて、その結果、このような考えにいたるわけです。

 さて、今日は宮沢りえの出産前後の話に戻らせてくださいませ。そこにマスコミセレブだけが守られていて、それ以外の人間が虫けらのごとく扱われている現代日本のすさまじい汚さを見るからです。

 その極端な差別が、日本人を不道徳にしています。子供たちがいじめをする。若い両親たちが、自分の子供、または、パートナーの子供を虐待するなどの弊害が、続々起きていますが、これは、偉い人がよい見本とならないからです。

 偉い人たちがずるい行動を見せ付けるので、みんながわれ先に悪いことをやってしまいます。戦前は華族制度があり、士農工商という、身分制度も残っていました。それは、残念でいやだなあと思った人も多いでしょうが、今のように、遺産、相続税制度のすさまじさ等があると、誰も家を保持できなくなって、誰も、将来に希望が持てません。それもまずいことなのです。

 かろうじて、八十坪程度あった、親の家が、親が死ぬと同時に、分割されて、40坪程度の敷地の三階建てが建ったりします。だから、30年後の東京圏は、緑の少ない、すさまじくも、きたない都会になってしまうでしょう。
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 でもね。これはいけないと、正しいことを主張ができないのは、この社会で、マスコミセレブがえらいこととなっていて、「あんたは、そうじゃあないから、発言力がないよ」とされているからです。つまらない発想の人間でも、コネがあれば浮上ができます。マスコミセレブになれるかどうか、は、そこが重要ですが、それとともに、あまりにも能力が高くて、魅力的な性格を持っていてもだめなのです。特に志が高いとだめです。

 モーゼのように民をひきいて、苦しむ日本国民に出口を見つけ出すと、大変だからです。今の日本は、一億、二千万人の人口があるそうですが、赤ちゃんや高齢の人は除いて、5千万人ぐらいが、年間ひとり二百万円は稼いでいると思います。つまり、200兆円は生み出しているはずです。その膨大な数字のうち、為替差損、および、プルトニュームを買うなどで、どれだけのものが、海外へ、ながれているでしょうか?

 ところで、ここで、モーゼを例証にひくのは残念でもありますね。というのは、モーゼとは、ユダヤ教の、大切な人で、現在の日本を苦しめているのは、相当のレベルで、フリーメーソンとか、ユダヤ主義者が関係があるからです。
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 左のカレンダーの中のどこかで見つかりますが、(あとで、日付を確認しますが)私は「広尾から、青山霊園へ」と言う文章を書いています。そこには一切の政治的なメッセージは含まれておりません。むしろ、ささやかな気づきと心情がカップリングしたものでした。 
 その文章は、2009年に書いていますが、実際に広尾を訪問したのは、もっと前で、一番問題なのは、その際の訪問先が、日本・ユダヤ協会だったということです。そのときに、直感として、「おまえ、もう、文章を書くなよ。ユダヤ協会、=CIAがお前を狙っているのをわからないのか?」といわれているような気もしました。

 が、表向きは、美術展へのお誘いであり、重要な知り合いが二人含まれていたので、行かざるを得ませんでした。もし、モバイルパソコンに、GPS機能が含まれているとすれば、そこから青山の永井画廊へ向かおうとして、私が思いがけず、苦心惨憺したことは、敵には手に取るようにわかったはずです。直線距離は近いはずですが、間に高速道路が挟まれているので、遠回りをせざるを得なかったりするのでした。

 そして、地上げ後、マンション建設を保留をされているのか、幽霊のような屋敷群に出会います。その地域の気配のユニークさを捉えているだけですが、この時の様にテーマが小さくて訴求力が弱いときほど、私は推敲を重ねます。自然で本能的な工夫ですが、主題が地味だと思うときほど言い回し等に気を配り、時間をかけます。何度も推敲します。

 するとおもがけない効果がでて、面白い文章となります。それは、誰に言われなくても自分がわかります。『あ、いいものができた』という感じを受けます。ところで、ここで、余談ですが、本日のものなど、そういう気配は寸毫もありません。主題が、きついものなのですし、妨害を受けながら書いていますので、取り急ぎ最後まで到達するのが精一杯ですから、余韻も何もあったものではないという形で製作していきます。

 傑作が生まれるときというのは、自分でもわかるのです。そして、もののみごとに、そういう文章が狙われるのです。狙う目的は、ともかく、いじめて気鬱にさせて、文章を書く力をそいでやろうという主旨です。で、鎌倉防犯協会(これは警察と連動している)とか、八幡宮様が出す音と、私が非公開、もしくは最近のように、ツィッター方式で書いている最中の内容とが、見事に連動をしているので、攻撃者側のアイデアまんが、井上ひさしであることが、私側には、納得済みであるのです。

 が、この広尾訪問のときも直後に大騒ぎが起こったので、今日の文章が起案できました。
 つまり、篠山紀信氏のアトリエ家宅捜索という、件です。青山霊園で、ヌード撮影をしたからとがめられると言う件でした。これがどういうことを示しているかというと、私がニューヨーク滞在中に書いた文章中に、草間弥生が日本では、ヌードが受け入れられなくて、長らく異端の人としていじめられてきたことも書いていますので、それらを全部ひっくるめてのアイデアでしょう。で、私が何をどう参るかというと、ああ、そうか、やはり思ったとおりだ。警察は、私が、ホテルビーナスはよい映画だと、感想の文章を書いたから、くさなぎ君を逮捕したのだと、私に感じさせることが狙いです。

 たしかにホテルビーナスは、警察の横暴に逆らう場面が出てきているので、それで、くさなぎ君自身も目をつけられたとは思いますが、芸術作品には、表現の自由があるので、裸で逮捕、家宅捜索とは、一種の冤罪ではありました。それこそ、映画コーヴではないが、表現の自由を保障するなら、ホテルビーナスを問題にしてはいけません。それは舞台が、無国境・無国籍(実際は極東ロシアで撮影をされている)ですし、主題は子供をかばうために、警察と乱闘がおきるという設定であり、政治的な問題はどこにも含まれていないのですよ。だけど、それでも、逮捕、および家宅捜索が行われてしまうのが現在の日本の恐ろしさなのです。

 私の家に、泥棒が入るのも、警察としては一種の家宅捜索のつもりかもしれないが、とんでもないことです。過去に縷々述べてきたように、警察は大失敗をしていて、それを、ほうっかむりをしたいがために、私のパソコンに侵入してそちら側からも数々の脅迫を繰り返していますが、それを書き抜かれると困るから、さらに、いじめを加えてきているというわけで、それに協力しているのが、例の二人羽織です。特に井上ひさしの方が妄執的といってよいほど追いかけてきますので、彼は私の書く力に嫉妬しているのではないかと信じるほどです。それを、いっちゃあ、おしまいでしょうとみな様に言われるのを承知で言いますが、多分、嫉妬されています。私は大変なスピードで発想がわく人間です。書くことをとても楽しんでいる人間です。弾むように発想がわきます。遅筆などという呼び名とは無縁な存在です。それが嫉妬を招いているとも思えます。

 もうひとつありました。それは、その文章内に、貧乏というアイテムが出てくることです。それもまた、すさまじい勢いで狙われているポイントです。私は自分の美術評論チックな文章で、一年間で二千万円稼いでいてもおかしくないといわれたことがありますが、どうしても他人からお金を取ることができません。それは、経済的に恵まれて育っているので、自分からそれを言い出す勇気がないのです。それに世間の人とは、大体において会社ほかの装置(または組織)の中で、集金を可能にしていますので、過去に大学教授等の肩書きがないのも、その要求を控えめにさせます。

 でね、お金はキャッシュフローという形では、稼いではいません。海外で勉強したのもすべて、父の遺産です。それはごまかしのない形で相続税千三百万円を払った後に、四千万円が残っていました。家族のために使った残り、二千万円余を20年分の活動費に当ててきたわけです。

 十分にお金をかけて勉強してきました。そして、本を六冊も作るのも、原資が必要で、しかもお金を取って売りませんので、常に消費の繰り返しです。昭和初期の高等遊民といったらよいかな? 働かないで文化的な生活が送れる人です。

 だけど、それだけに、切り詰めるところは相当に切り詰めています。でも、お出かけを頻繁にしたり、外食をしたり、そして、妨害を恐れてネットカフェを使ったりしますので、お金が無駄に消えていき、洋服を買ったりすることができません。そして、それを正直に文中に書きますが、それが狙われます。その広尾の文章でもタクシーを使えば楽だが使わなかったと書いております。

 そこを笑ってやろうぜという悪意を感じ続けます。あるときには、三菱東京UFJのカードが、液晶画面でこういいました。『このカードは第三位レベルの低いカードです』と。そういったまま、先に進みませんので、インターフォンで、行員を呼ぶと、中に引っ込んだまま、五分以上待たされて、「作り直しました」といいます。どれほど、ひどいバグがそこへ入れこめられていたか、想像にかたくありません。今まで書いていませんが、ひどい話でしょう。

 からかってやれと思う気持ちはわかります。たぶん、三菱東京UFJを動かせるのは誰かなあといえば、小沢一郎氏でしょうね。まあ、ただ、勝手にテクニカリーにその筋がやったとしても、ほかにも湘南信用金庫は、三度ぐらい重要な話として、からかいの道具として使われています。それはまた、別項で述べます。広尾と青山霊園の話に戻らなければなりませんから。

 このお金の件は、あとで、ゴルフの会員権が云々という面白いエピソードもありますし、別項で述べなおすこととなるでしょう。

 で、相手方としては、この文章を種に、私を引っ込ませ得ると確信したので、打って出てきました。篠山紀信氏の家宅捜索がそれです。いろいろなクリエーターが心配して、抗議活動を起こそうなどと言いましたが、肝心の紀信氏が、一切顔を現しません。

 私は自分のメモとしては、その時点ですぐに実情分析を書きましたが、非公開でした。ここまではっきりと、実名を書きながら、実情分析を公開し始めたのは、鶴岡八幡宮のおおイチョウが倒れて後のことです。ともかく、12月のはじめに刊行をされた、朝日新聞社のカメラ雑誌に篠山紀信氏の特集が組まれていましたので、家宅捜索がなんら悪影響を及ぼしていないのも、知りましたし、氏が、内情を十分に事前に知らされていて、「なんら実害はないのです。ひとまず、大切な目的があるので、協力をしてください」といわれていたことも確信をしました。

 ですから、この家宅捜索は、くさなぎ君のそれとも、意味合いがまったく異なります。で
も、お若い人がこんな事実を知ったら、どんなに怒るでしょうね。草なぎ君の方がずっとよい仕事をしていますので、伊藤玄二郎と、井上ひさしに対して、天は鉄槌を浴びせるという意味で鶴岡八幡宮の大銀杏をお倒しになったのです。

 一週間前から、縷々書いていますが、美術館内庭にある、アメリカきささげを、これも私の文章を打ち消すために、伐採をしたので、天がイチョウのほうへ罰を与えたというのが私の分析です。ところで、昨日見に行ったら、私の雪洞は、飾ってありましたが、この文書が伝聞として伝わった後に、削除をしてくださって、結構です。

 さあて、今日新しく問題にしたいことは、誰が、使者として、紀信氏に事前連絡をしたかです。『安心していてください。これは、方便なのです』といいにいったかです。可能性として、*1、カメラアサヒの人間。*2、伊藤玄二郎→、十文字美信氏、→、篠山紀信氏、*3、井上ひさし、→、宮沢りえ(またはりえママ)→、篠山紀信氏という、三つのラインが推定されます。
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 私は今、被害が重なりすぎていますので、はっきりといいますが、第三の路線が一番、可能性が大きいでしょう。

 そして、宮沢りえが、井上ひさしと近いことがまた、大問題なのです。パパラッチから守られすぎています。それと比較をすると、大相撲の力士や親方はあまりにも守られませんでした。

 ここで、海外でお読みいただいているからに、ちょっと、付け加えないといけないポイントがあります。りえママとは、海外を放浪した肝っ玉かあさんですが、母としては、相当に疑問がある女性です。外人であった夫とは離婚に至って、りえちゃんは母一人子一人で育ちましたが、ご近所様の証言によると、実質的には育児放棄に近い形だった模様です。人々の協力によって無事に大きくなりましたが、母の愛が少ないことは彼女を優等生に仕立て上げました。

 なんと、13さいの時に、篠山紀信氏の撮影によって、サンタフェというヌード写真集まででました。それは、表現力に難があるとのことでしたが、それは当たり前で、篠山氏が、わざと、色気のない形で表現したのだと私は推定しています。幼児から少女期へ移行する際の、ある種の雰囲気を切り取ったもので、ほかのヌード集とは違うものに仕上がったはずです。

 今、児童ポルノの問題で動きが活発な警察ですが、その当時は一切動かなかったのに、青山霊園で、大人の女性のヌード撮影をしただけで家宅捜索とは、チャンチャラおかしいです。ことの軽重の判断が狂っています。ともかく、井上ひさしは彼らにとっては、大先生の様ですから、彼の提言、もしくは、伊藤玄二郎から伝達の言葉は、すぐに聞いて手足を動かす警察です。
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 さて、ここで、やっとタイトルへたどり着きました。宮沢りえちゃんにうらみはないが、この日本社会の分析に一肌脱いでいただくとして、ここで問題にしたいのは、そのお子様のことです。そして、もっとも大切な事は、それへの取材が、超がつくほど遠慮をされていることです。ハワイのサーファーがお父さんとのことですが、熱愛報道もなければ、そのお父さんとの一緒のシーンも一切パパラッチをされません。

 りえちゃんが最初の恋愛に陥ったころは、大報道の的でした。微にいり細にいり報道をされました。りえママが、相手の貴乃花の母、藤田憲子さんと、気が合わないのでつぶれたとも報道をされました。気が合わないのではなくて、実際はお金の問題だとも報道をされました。だけど、今回は相手のことが一切報道をされません。

 これが大変不思議なことですが、例の篠山紀信氏の家宅捜索の際に、協力したということで、特別に守られていると考えています。

 となると、ここでも大きな力を振るっているのは、井上ひさしです。ともかく、あのりえママがすんなり許可したのですから、男性は相当な大もののはずで、りえちゃんの収入を一切あてにしない人物だとなります。ハワイには日本のテレビ局のコーオーディネーターをするような人物はいっぱいいるので、そういう筋から何かがもれてきてもいいのに、一切が外部に漏れてきません。
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 ここで、もうひとつ事情が似ていることを思い出します。それは、以前言った、『天国の本屋』という本のヒットの不思議さです。本当にヒットしたなら、著者は、絶対に顔を出すはずです。二人いますので、収入の分配でもめることもあるでしょう。だけど、いまだに名乗り手が現れません。これの裏側は、簡単で、本当の著者二人が、伊藤玄二郎と、井上ひさしだからです。すでにいっぱしの名声があり、その一冊は一種の方便として出版したものだから、次の仕事がほしいわけでもないからです。本当の覆面作家だったらすでに名乗りを上げて、別の著作を発表しているはずです。

 と、こういうと、第二作が出るかもしれません。私の発言を否定する方向で必ず動くのが彼らですから。でも、その同じ著者で、二作目が実際に出版をされれば、私がインタビューを願い出て見ましょう。そして、その事実もまた、井上ひさしが実際には生きているという証明に当たるわけです。

 天国の本屋出版の動機は、一般社会へ向けて、伊藤玄二郎の知名度を上げていくことにあったと思われ、それは、成功しました。それがあるから、伊藤玄二郎は、栗田玲子女史を、夜の十時半に鎌倉駅におろすことができたわけです。人妻であり、葉山に住んでいる栗田女史が、普通なら拒否するケースでも、そうしなかたっのはなぜだとなりますし、それほど、信用したのもなぜだとなって行きます。そして栗田さんの配下の版画家、山本容子さんにどうしてあれほどの特権が与えられるのかも問題にしないとだめです。

 ただし、それは、長くなるので、ここで、今日の文章はいったんきります。
        2010年8月8日         雨宮 舜
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