この章ですが、最初の総タイトルを、【飯島愛の両親は、愛にとっては毒親ですよ。死んでからきれい事ばかり言っていて反吐が出る・・・山下公園ホームレス狩り事件】としておりました。しかし、ホームレス襲撃事件(1983年)の部分まで書いて、すでに、6時間です。朝6時、寝ないといけません。だから、前半を、ぬかします。【山下公園ホームレス狩り事件を起こした中2は、少女コンクリート詰め事件の高校生達と同世代だった+熱海土石流の真因】としておりました。しかし、21日の、午後二時に上の、ものへと変更しました。
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副題1、『ある一人の突出した、ライターの調査によって、漠然として、世の中に漂っていた概念が、くっきりと立ち上がることがある』
私が子育てをしていた同時代に、起きた二つの衝撃的な、少年犯罪の、古い方は、佐江衆一氏の書物が(名著だと思う・・・・・新潮文庫にもなっているらしいし)出て、わたくしには、大変にわかりやすくなりました。
佐江衆一『横浜ストリートライフ』(社会思想社現代教養文庫 ISBN 4390115405 (1997/04)、新潮社新潮文庫 ISBN 4101466017 (1986/05)、新潮社 ISBN 4103090049 (1983/01))
この書物は労作であり、主人公が、それまでは、取り上げられることのなかった、やや、貧しい家庭の子供たちという意味で、非常に新しい書物でした。
:::::::::ここで、挿入に入ります。挿入1は、
貧しい家庭の子供を主人公にした名作童話としては、北畠八穂の【悪たれわらしポコ】があります。これは、1950年代発表だと思いますが、今でも、手に入る形(文庫など)で再版されています。しかし、犯罪が出てきません。主題は、親の愛と、詩(ポイエム)です。だから、今、対象例として挙げることは、ダメです。
挿入2は、今、大話題の【君たちは、どう生きるか】ですが、これも階級の問題が出てきます。ただし、上流階級から見た階級間差です。わたくしは、1956年には、もう読んでいる記憶があるが・・・・・・??????
ところで、数年前から【君たちは、どう生きるか】が、大ヒットですよね。もしかしたら、わたくしがメルマガ時代に、この本のお豆腐屋さんの部分について触れているので、この書物を、マガジンハウス(林真理子が、大いなる力をふるえる場所)が、漫画化し始めたのかもしれません。当時は、公的にも生きていた井上ひさしの差し金でね。
挿入3、また、宮崎俊氏が、これをアニメ化したのは、ナウシカ・歌舞伎化で、菊之助と知り合い、彼から、頼まれて、京アニの社長、八田英明氏に、これから、起きるはずの事件の概要を告げていた、可能性を感じています。菊之助の後ろには、むろんのこと、伊藤玄二郎+いまだ、本当には生きている、井上ひさしがいます。
【君たちは、どう生きるか】について、マガジンハウス社に、働きかけたのが林真理子だと、仮定している話が、もし、本当だとすると、その林真理子の裏には、伊藤玄二郎と、井上ひさしがいます。
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挿入から元へ戻ります。
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副題2、『ホームレス殺人事件と書いてググると、岐阜市で2020年に大学生が、起こした事件と、幡ヶ谷のバス停に、座っていた、女性を、一人の男性が、殺した、事件(2020年)が、出てくる。
だけど、新聞紙上での扱いにおいて、山下公園で、1983年に、ごみかごに、入れて、引っ張りまわされて、その衝撃で、二日後に、老人が亡くなった事件の方が、衝撃度が大きかった。扱いが圧倒的に大きかった』
今はね、公的なごみ箱というのが、無くなりました。受動喫煙防止条例というのが、わたくしのブログまたは、メルマガエッセイ【一本の煙草が落ちていて】(2004年ごろか2005年ごろ描いた)から始まっているのは確かなのですが、公的なごみ箱を、すべて撤去するというのは、わたくしの行動を尾行している人間が、わたくしをいじめるために、始めたことです。
まず、京浜急行の、ある駅(北久里浜と、久里浜駅)の駅長に撤去する様に進言し、その次に、横須賀線、久里浜駅、逗子駅、鎌倉駅に、進言し、取り払いました。
それでも、わたくしがごみ箱を探しては、駅のごみ箱に、捨てるので、(例えば、武蔵小杉駅とか、新橋駅のケース)だんだん、京浜東北とか、山手線の駅からも、消えていきました。だが、ほとんど使わない、田町駅などでは、まだ、ごみ箱が、残っています。ほとんど使わないのだけれど、慶応大学の展覧会を見に行くために、久しぶりに使って、ごみ箱があるのに気が付いたのです。(苦笑)
私に尾行が付いているというのは、それは、徹底的に、CIAの悪辣さのせいですよ。そして、警察が、100%CIAの家来だから、そういうことになっているのです。ただし、一般の方は、そういう単語を見ると、ゲッとなって、このブログを読まなくなる可能性があるので、秘密にしていました。
ただし、これも、ウラニウムの輸入と関係があります。原発に反対しているので、こういうこととなります。で、駅のごみ箱撤去が、始まったころは、20XX年だったかは、主人の、銀行通帳を見ればわかるのですが、今の私は、反町の空きアパートにいるので、正確な、年月がわかりません。ともかく、北久里浜に持っている古い家を、30年間は、貸していたのです。
一番最後の住人は、東工大卒を自任する男性の一人暮らしで、高尾さんといいました。今は、野比に住んでいると、いう話です。この高尾さんが、最終段階で、家賃を払わなくなりました。東工大卒ですよ。プライド高いはずです。それなのに、何か月も家賃を払わないのです。で、主人が「出てください」と、いいました。
すると不動産や、ウスイホーム久里浜店を通じて、「引っ越し代180万円を払ってください」ですって。ここらあたりの歳月では、すべてを主人に任せていました。だからね。赤子の手をひねる様に、いいようにされていたのです。私の主人というのは、とても、人が良くて、しかも、思い込みが激しくて、妻のCIAと警察の奸計に関する説明を聞かない人なので、仕方がないと、思っています。しかし、引っ越しの日に来てほしいと言われていながら、実際には、その期日に現れたのは、主人だけで、業者も、高尾さんも、ウスイホーム久里浜店も現れなかったそうです。からかわれ切っています。
これらは、杉本夫人・正子さんと、夫の俊一氏の差し金で、当該の、人物たちが動いています。わたくしはね。夫が、彼ら悪人たちに、利用され切っています。この間、林真理子が、大記者会見を開きましたね。最近、彼女はやはり、お飾りだったという論調が、現代ビジネスという割と固い記事を書くサイトで、見つかりました。
違うんですよ。彼女は、日大では、お飾りかもしれないが、現代日本社会においては、大CIAエージェントたる、(いまだ、本当には、生きている井上ひさし直属の)核弾頭なので、大変な力を保持しているのです。しかし、彼らの、いうことを聞くと、瓜南直子さんとか、石川和子さんに起きた様に、必ず、悪いことが起きるのです。今、我が物顔で、メディアを、占領している林真理子にも、平家物語の、冒頭の、二行は、必ず当てはまると、思います。いつのことかはわからないけれど・・・・・
今、新しい借家人を募集中ですが、わたくしが、反町に泊まっていた、その日=テレビを見ることができない日に、林真理子が、大記者会見を開きました。
彼女が、記者会見をしているちょうどその時、北久里浜の家を貸す業者として募集を頼んでいた、旧名・日光建設が、募集を、断ってきたそうです。見事にCIAの動きを感じ取らせる出来事です。こちらも杉本俊一・正子夫妻が動いているでしょう。旧水道山1200坪をただで手に入れて、最も利益を得た益山智恵子さんの実弟=仲野通巳吉の、お婿さんも、不動産業者だそうですから、それが動いているかもしれません。多重的、多層的攻撃を受けて私の被害が、多大になっているというわけです。
わたくしは、四人目の孫が、障害があるので、その子の親がお金を欲しがっているので、あげたいのです。自分が贅沢をするつもりではなくてね。
そういう希望を持っているのを、敵さんは、わかっているので、さらに、お金が減る様な攻撃を受けています。で、反町のアパートの方の借家人に出ていくように裏工作がなされました。彼ら夫妻は、喜んで住んでいたのです。だって、43平米で、インテリアは古いですが、三室南向きで、窓は、東西南北、すべての壁面にあって、合計9つもあるのですよ。環境的には静かで、東横線反町駅には徒歩7分です。住むには最高のアパートです。20年以上住んでいた人たちは、「ここが好きなんですが仕事の関係で」と、うそを言いながら、出ていきました。裏から誰かの差し金があり、もっと、条件の良い家を紹介されたのでしょう。
反対に、鎌倉雪の下二丁目のご近所様に戻りましょう。CIA及び警察が、彼女は、わたくしのライバルだと規定していた、石川和子さんは、伊藤玄二郎の、愛人(肉体的結合としては元ですが、精神的には現在もでしょう)だから、「彼には、よくしてもらっている」そうで、鎌倉市の老人施設とか、公民館で、陶芸教室を開かせてもらっています。で、そういうところで、先生をしていると、信用が付きますね。だから、彼女自身の言葉によると、200人の弟子がいるそうです。公民館で、習う人は、5000円の月謝だとしても、彼女の自宅=鎌倉春秋窯で、習う人は月謝一万円です。だから、最低でも、100万円の月収があるわけです。で、彼女は、現在の肉欲的旦那さんである、柳沢昇を誘って、夕食は、外へ食べに行っていました。お酒を飲めば、一人5000円でしょう。二人で一万円。毎日外食しても、三十万円です。夫にも月収が、30万以上あると思いますから、夕食に、三十万円かけるのは、まったく惜しくないわけです。
さて、芸術家としては、石川和子さんが私のライバル設定をされていたのですが、心理的なライバルとしては、安野智紗夫人が設定されてきました。彼女は、わたくしの花畑が、そのせいで、盗まれることとなってしまった井戸端会議を毎日午後開いていたのです。なぜかというと、お子さんが、自分の子供ではないので、普通の主婦だと、40過ぎて、子供が中学とか、高校に行っている段階だと、主婦としての、人生勉強を既にやってきているので、一本道のあい路で、そんなこと=井戸端会議をされたら、誰にとっても大迷惑だと、いうことがわからないのです。
で、たぶん、三人のお子さんの、実母より勝って、ここに引っ越してきたので、女に対する勝気さは、異様なほどです。女同士の戦いで、勝つことが、知っている会館の中で、最高な快感だったのでしょう。そのために、井戸端会議で、情報収集して、それなりに、相手に工夫的な対応して、自分を有利にしていくわけで、それに没頭をしているというわけです。
しかし、わたくしは、それらの目的が瞬時にわかるので、参加しません。特に引っ越してくる二年は前の1982年に、今の関本家の四代前の住民(某大学の教授だった方)が、売るつもりで、その理由を、「ここは、人間関係が難しくて、トラブルばかりで、妻がノイローゼになりました。ので、ここの自然環境が好きなので、残念ですが、別のところに住みます」と言われましたのでね。引っ越してくる前から、警戒心いっぱいで、誰とも付き合わないと、硬く決心をして引っ越してきて、住んでいるのです。で、引っ越してきてから、二週間で、元凶は、安野夫人の井戸端会議にあると、わかりました。だから、絶対に、それには加わりません。
でもね。彼女=安野夫人=の脳みそだと、『彼女(=私の事)は、弱気で、ビビっているので、参加できないのだわ。ここは、少し、策謀を用いましょう。でないと、ヒエラキーが完成しないのよ。全員参加してこその、上下関係の成立であり、わたくしがマウントをとれるという形ですから。これは、一つ、技を使って、彼女を井戸端会議に誘い込みましょう』と考えたらしいのです。その策略行為が、「うちの子にお友達が遊びに来ました。お紅茶を出したいので、お砂糖を貸してください」という申し出でだったのです。
で、わたくしの方は、子供がすでに、大きくなってから引っ越してきたわけで、子供のために、近所づきあいをする必要はもうない段階です。それに、鎌倉に引っ越してきた理由は、普段過ごす部屋の東の窓と、南の窓から、一切ほかの家が見えない家だったのです。これは、ラッキー至極です。精神が集中できる。だから、文章と絵の両方で、創作者になるつもりでした。創作をしたい人間にとって、・・・・お砂糖を貸してください。はい、貸してあげましょう・・・・なんて言う、べっちゃりとした主婦同士の、付き合い・・・・・は最悪のことなのです。絶対に開始してはいけない行動なのです。それは鴨居に住んでいた時も、北久里浜に住んでいた時にも、経験済みのことでした。
ところが、この行動が、彼女にとっては、そりゃあ、恥ずかしかったでしょうね。なんとはなしに馬鹿にされたとは気が付いたでしょう。で、わたくしの大悪口を、その井戸端会議で、いい始めました。
そんなことはわかっていたし、その井戸端会議にも、各家の室内にも、1984年以来、盗聴装置がかかっていたはずで、それは、わたくしが瀬島龍三の悪を、北久里浜で、しかと、見聞してしまったからですが・・・・・その盗聴行為によって、わたくしが、周辺住民から、孤立化していると、みなされ、一方で、主婦集団のボスである安野智紗夫人が、CIAエージェントたちにとって、極上の玉と見えたらしくて、二番目のライバルとして、安野智紗夫人が設定をされたのです。
でね。彼女の次男(ただし、自分の子宮で育てた子ではありませんよ。そして公立・御成・中学で、通信簿に、1と2しかないということで、有名な坊やだった)を、国立大学付属高校(ただし、わたくしなんかからすると、そういう範疇に入るのは、当時は、筑波大付属二校と、学芸大学付属一校行しか入らないので、その三校ではない高校だが、授業料がただであるという意味では、国立ではある)に入ったそうで、
それを、石川和子さんと、安野智紗夫人の、道路にまで、聞こえる大声で私に知らせるのです。丁度、わたくしが家を出たタイミングを狙ってね。「国立大学付属高校ご入学おめでとうございます」ですって。で、その坊やは、国家公務員となって生涯賃金、二億円か三億円を獲得するのでしょう。大学は卒業していなくても、CIAがひいきすると、そういう特権が得られるのです。
同じ流れで、前田清子さんの坊やも大特権を得ています。その坊やは、日大農獣医学部へ、入ったのです。だけど、それは、第一志望ではなかったらしくて、・・・・・結局、ペットクリニックを開くという道ではないものを選び、一時期は朝日新聞の専売所を経営していたのではないかしら・・・・・しかし、そこから、正式に、朝日新聞の社員へなったらしいですよ。特権、特権。
そして、最近のビッグニュースは、平成の八墓村事件の際に、前田夫妻や、安野夫妻の、導入によって、自分のお子様や、よその、お子様を混ぜた5,6人の子供を使って、安野家の、北側の開墾地を洗浄化してあげた平木伸明さん一家の話です。この花畑って悪の象徴なのです。我が家の花畑13坪ぐらいを盗んでしまったのに、反対に、15坪ぐらいを増やしたわけですから。
そこを洗浄化してあげたのです。子供のすることに文句をつければ、わたくしを悪人として規定しようという狙いを込めてです。平木さん一家は、ほかにも、大きな案件で、この二つの家庭に奉仕しています。したがって、本当の現役合格者の合格発表がある
前の年の10月(=2020年の事)には、東大へ、推薦入学で入れますよと、いうお知らせを坊や(ご長男)は受けていて、まあ、喜んだのでしょうね。ショパンの英雄が、ジャンじゃか、ジャンじゃか、聞こえてきたのです。
私は、それがショパンだとは、わかるのです。だけど、タイトルを同定できません。どうしてかというと、わたくしはね、音楽の専門家ではないけれど、耳がものすごく高度なのです。でね。ショパンは、情緒纏綿すぎるので
できるだけ聞かないことに決めているのです。受け手の、わたくしの方も繊細です。で、送り手と、受け手の両方が繊細だと、情緒が、二乗化されて、耳やハートに届くのです。すると、苦しいのです。
まあね。2021年の秋に、NHKは、20回以上、この英雄を視聴者に聞かせましたよ。反田恭平をはじめとして。それは、拷問みたいでしたね。ただ、2021年の、四月11日以来、次に語るエピソードを公開しているので、英雄が、秋に多数回、演奏されたというわけです。
私は園芸の仕事をしているときにそばを通った、当該の坊やに、「あなたが、今、弾いている曲ってなあに?」と、質問をしたのです。すると彼は、「ショパンの英雄です」と答えたのです。
そのあとで、彼が東大へ推薦入学が決まったので、人生の勝ち組になったと、感じて、喜びが爆発したのだと、わかっていくのですが、その経過は、ミステリーを解いて行く過程そのものでしたよ。それはd丁寧に描いているし、東大の入学式前後だったので、日付が、きちんとわかるので、リンク先を示します。後でですが、(あと註1へ、また、後註2とか、3へ)
そのほか、平木家、安野家、前田家、、井上家(岸田淳平家)、富沢家などには、公金で、いろいろな援助が家事労働や業者に頼む労働に対して
下りています。関本家もそうですね。屋根の吹き替え、ペンキ塗り、高枝切り等。いえ、危険木ではなくても、公金でできる様になったのですって。それも、わたくしのブログが原因でしょう。
このほか、ものすごい悪が多重的に、雪の下二丁目と、北久里浜と、反町で、行われています。そして、警察官が、変装したり、各種せきゅりてい会社に代理で、脅かし行為をさせるのです。が、それが、実行されるに当たっても、ちゃんとした因果関係があるのですが、そういうことも、一章内では、書ききれません。
ただ、わたくしがものすごい被害を受けている人であり、それは、私には、瞬時にわかっているけれど、すぐには書くことができず、ずっと後に書くこととなると、いわせてくださいませ。
本日は、尾行という問題に触れました。それが、ゴミ婆が町から消える原因なのでず。詳しい説明を始めましょう。
というのも、わたくしは割と神経質でした。で、北久里浜では、燃えるごみを、必ず月木の朝にしか出してはいけないことになっていました。で、それ以外の日にそこに行って、お昼に食べたものの、空きパック(カップヌードル)とか空き箱(まい泉のヒレカツサンド)を、捨てたいわけです。それをちっちゃくまとめて駅のごみ箱に捨てていました。
今はね。ずいぶん図太くなって、月・金が燃えるごみを出す日である、反町など、一か月分ぐらい、そういう空きパックをためてしまっています。しかし、実際にためてしまってみると、全然腐敗臭がしないのです。それだけ、気を使って、ピシッと、まとめているからですが、一か月ぐらい、燃えるごみを出さないでも、腐敗臭が出ないと、いう経験は、して、今では、絶対に鎌倉まで、持って帰るか、反町に、月・金の朝、いる様に努力しています。
しかし、わたくしが捨てるものは、お昼の残🈂ばかりではなかったのです。実は紙ごみが多いのです。わたくしね、今から、40年以上前に、京急の、机のある車両を使って、事務の仕事をしていたら、四人掛けの前の席に座った、二人の青年から、「あなたは、名のあるライターか何かなのですか?」といわれました。わたくしは二人に向かって、「いえ、いえ、普通の人です。ところで、あなた方は、どこにお勤めなのですか?」と、聞きました。というのも、いかにも東大、早慶卒の理系男子だったからです。顔がね。
すると、やはり、思った通り、NECか、富士通か、どちらかでした。彼らはわたくしの弟もそうですが、シリコンバレーにはすでに、出張をしていて、アメリカでは、女の人がお化粧はしない。特に知的な仕事をしている人は、お化粧をしないということを、既に、知っていたのですね。この時は、わたくしはまだ、ニューヨーク研修を終わっていない時期でしたが、常に、すっぴんの人だったからです。
ごめんね、それを自分で言ってはおしまいですが、わたくしはある意味で、大変雰囲気の素敵な人なのです。小顔で、そして、かわいいのです。今は、81です。だけど、30代とか40代は、ある種の輝きを持っていたのです。しかもエネルギッシュだったから、紙のデータをたくさんバッグに入れて、東京への往復の車中で、それを整理していたのです。メモを取ったり、手紙を書いたりしていました。で、駅へ着くと、ある程度の紙ごみが出るのです。で、それを捨てます。で、最近JR横須賀線・武蔵小杉駅のごみ箱も撤去されました。おかしい。おかしい、健康保険証を、なんとか、書類で、まかないますですって。総理は、言って居ます。だけど、それって、国家的規模で新たな紙ごみを出す事に繋がるのですよ。なれない市役所は、大変です。
エキナカショップで、テナント料を大儲けしているのに、サービス精神を失っているのが、現在のJR東日本です。
さて、ここで、ごみ箱問題は、終わりましょう。特にわたくしから始まった、のですよ。ごみ箱撤去の動きは。日本国民(特に神奈川県+東京都で、動く人たちの、不便を招いたのは、わたくしの敵さんたちの意思ですよ」といって、次の段階に入ります。
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副題3、『私は、丸子橋(多摩川にかかる橋)近辺で、あの、山下公園で、ホームレスを殺した、ごみ箱と同じものを見たことがある。事件から、25年は過ぎていた。が、公的な公園では、同じものがつかわれていたのだろう。だけど、今は、山下公園にも、この手のごみ箱は、置いていないはず』
子のごみ箱とは、直径が丸いものです。80cmぐらいの直径で、高さが、一メートル。全部が丈夫な針金でできていて、(だから、持ち運びに、便利だったと思われる)網状になっていました。網の目は、一辺が10cmぐらいでした。
この中にホームレスを入れるといっても、立ったままの形では、不安定になるので、中に、しゃがむという形で、押し込めたのでしょう。そして、山下公園中を、ロープをつけて、全力疾走をして、ひきずりまわしたのです。今、グーグル検索を読むと、これ以外にも当時、四人ぐらいが、殺されているそうです。それは、知りませんでした。
私はね。ここでは、最初の死者の、事件にこだわって、はなしをしたいとおもいます。
上の書物の欄ですが、最後の項目、新潮、(1983/01) とあるのは、間違いではないでしょうか。出版月です。事件は、同年2月に起きています。それなのに、1月に出版とは無理です。新潮文庫化が、1986年で、教養文庫化が、1997年です。
この本の、宣伝文句というか、コピーというか、惹句に、横浜のドヤ街に、住み込んで、取材したとあります。その本を主人は、読んでいないはずですが、中華街の帰りに、石川町駅で、「線路の左側=東側に住んでいる人はお金持ち、だけど、西側に住んでいる人の方が、ずっと、人間が、きれいなはずだよ」といいました。
それは、1990年代に入ってからの話です。だけど、わたくしは、この本では、そちら側には、さして、強烈な印象がないのです。というのも、そういうホームレスになる人の性格とか、人格については、推察通りだったからでしょう。しかし、加害者側の分析には、大きな衝撃を受けました。
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副題4,『いや、それを言うと、敵がまた、多くなるはずだけれど、佐江衆一は、この加害少年(中学生が主であった)たちが住んでいた町について、分析しています。そこがすごいのです。
それ以前にもぼんやりと感じていたことを、その時はっきりと、自覚をさせられました。わたくしは、北久里浜に一戸建ての家を建てる前に、横浜の、1973年当時は南区、(現在は、港南区のはず)の丘の上に、建築中の家を見に行きました。もうやめておられるから、固有名詞を言いますが、遠藤さんという棟梁の、作っている家が、もっともしっかりしていて、かつモダンでした。で、当時は、藤沢にあった、棟梁の家を訪ねると「私はね。主に日立の課長級の家を作っているのだ。口コミで、次から次へと、注文が入るので、あなたみたいな飛込の人は引き受けたくないなあ」と、いわれました。でも、わたくしは、その人の建築結果が本当に素晴らしいので、戦時中は鮎川義介という人が財閥を作っていて、日立も、日産日産自動車もその配下だったのですよ。だから、会社としては、兄弟みたいなものです」といって、強引に引き受けてもらいました。旧日光建設が、賃貸募集をやめるというのは、いじめです。水回りは、確かに古いですが、駐車場付き、土地は、丸まる、使える長方形で、60坪。家は27坪半。結構立派です。ただ、水回りは古いです。だけど、80を超えているので、リフォームのお金を何百万もは出したくないのです。
同じ、工務店に、鎌倉の家の、増築も頼んでいます。
ところで、どうして、こういう話をしているかというと、関東平野って、丘と、田んぼの二つでできているのです。船橋市の塚田というところに住んでいた時も(今は、こども園=幼稚園+保育所)になっている場所で、田んぼからは、15~20m高かったと思います。
日吉の実家は、今はマンション群が建っている田んぼからは、30m高いと思います。それからね。北久里浜なんて、吉井の田んぼ(今はないはず)から、40mは高かったと思います。鎌倉には田んぼはないです。しかし、鶴岡八幡宮の境内にある平家池からは、我が家は、20mは、上がっていると思います。
で、ここで、佐江衆一の本で、衝撃を受けたところに戻ります。事件は、40年前に起きています。でね、佐江衆一は加害少年(主に、中2の子供たち)の、住んでいる家を訪ねます。すると、ものの見事に南区の低地だそうです。当時港北区とか、緑区とか、都筑区には、田んぼがたくさん残っていました。しかし、南区には、すでに田んぼがなくて、家が、密集していたみたいです。
それは、横須賀市の低地にたくさんの、工場群があり、そこに、勤務している人。また、横浜伊勢佐木町裏通りの、あれこれの、飲食店に、勤務している人が住んでいる地域なのです。
佐江衆一は、非常に気を使っていて、朝鮮からの徴用工という言葉は使っていません。しかし、わたくしは、日吉の慶応高校の下に掘られた、武蔵小杉辺たりまで、続く、軍事遺構を、作ったのは、どうも、徴用工だっただろうと判断をしています。
私の日吉台小学校時代の同級生、花村君は、お父さんは、朝鮮人で、本当のお母さんは、わからないのですが、本妻が、花村君を「自分が育てます」と、宣言をして、後妻に、妻の座を奪われることを拒否したので、よく学校に、PTA役員として来ていた彼女に、愛情のない育てられ方をして、子供時代から乱暴で、かわいい顔の男の級友は、困り切って、転校したりしていました。「結局やくざに入って、死んだか、殺されたかだったらしいよ」と、聞いています。差別するわけではないが、花村君の家も、敷地は広かったけれど、低地にありました。
私はね。2013年に主人が北久里浜を売ろうと言い出したのです。それで、もしそこが売れたら、半分はわたくしのお金だから、1000万円から、1300万円で、買える土地を買おうと思ったのですね。それは、自閉スペクトラムという障害を持って生まれた一番下の孫に、ニッチなスポーツとして馬術を習わせたくて、御殿場近辺に、別荘を建てたかったからです。
ところが、熱海市下曽我の丘の上、110坪が、660万円で買えるという話持ち主は、立教大学卒で、不動産やは、現代アートのコレクションを励む紳士(ただし、二人とも酒井忠康氏のお友達である可能性を今では感じている)で、いい人らしかったのですが、鎌倉エージェント伊藤玄二郎から、松尾崇鎌倉市長→斎藤栄熱海市長というラインで、まったく不必要な、セットバック用杭を打ち込まれて、公募上は、110坪もあるのに、一階は6坪、そう二階にしても、12坪の家しか建てられないのでした。それは、夜胸騒ぎがして、タクシーを何千円も払って、熱海駅から見に行って、異様な杭を発見したから、断ることが出きました。だって、立教卒業という持ち主は世田谷区在住といっていました。がそれは、うそだったのです。新百合ヶ丘でした。神奈川県ですよ。でも世田谷区といったのは、酒井忠康氏と、親しいからそういったのではないかしら。
この一件で、上品な美青年で、東工大卒の、熱海市長は、土石流被害を招くことになりました。人が何人も死にましたね。鎌倉市長の勧めで、動いたつもりでしょうが、裏があるので、熱海市民に苦難を与えました。
私のブログを読んでいないとだめですよ。全国の首長さん。山中竹春横浜市長も同じです。
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副題5、『私は、横須賀市根岸小学校PTA コーラス指導者、北村充子さんに、したたかにいじめられた。1985年のことだった。これは、横須賀市副市長婦人杉本正子さんの、教唆命令で、動いたと思われ、したがって、100%政治的案件となる。ところで、北村さん自身は、自分が大いに噂の対象になっているということを知らないのだろうが、在日の出自を持つということで、有名だった。とても、したたかな手法で、中学時代の担任の先生のお嫁さんになったので、出世したのよと言われていた。
後註4,
北村充子さんは、自分がやったことを、38年後に、政治問題として、ここに取り上げられるとは、夢にも思っていなかったと思う。
だけど、静岡で、土地を買うことをあきらめた私は、横須賀にも、1000万円で、買える土地があることに気が付いた。それは、馬術を練習するのには適切ではないが、家を建てる練習にはなる。で、京急沿線は、だいたい丘が多いのだが、もし駅に近い土地で、1000万円で、売っているとすると、それは、だいたい在日の一世が住んでいる土地だった。ある時、【逸見】か、【安針塚】という、小さな駅の、もよりで、大規模開発住宅地ではない、土地が、駅から五分という形で、売りに出されていた。そのときに、すでに、横須賀で、10件以上、見て歩いた後だったので、比較すると、よい土地に思えた。
そこに歩いてきた女性がいたので、「線路の対岸の、あの土地を買いたいのですが、ここらあたりって、人々の暮らしぶりは、どうなのでしょう?」と、聞いてみた。つまり、買いたい土地のご近所様には、絶対に声が届かないところで、質問をしたのだった。すると、その人は「あそこですか。駄目ですよ。隣が在日の人で、地境がごたごたしたので、前の人が、嫌気がさして、引っ越していった土地ですから」と答えた。更地にしてあったので、前に人が住んでいたとは、きがつかなかった。でも、聞いてよかった。
この日の前に、【汐入】で、在日一世の持ち物と思われる土地を既に、見ていて、在日一世と思われる人が、強欲で、地境など、無視しまくっているのには、気が付いていたのだった。もちろん、在日の、出自があっても、二世、三世となってくると、これほど、無法ではないと思われるが、一世は、恐ろしいところがあるのだった。
汐入りの不動産やで、線路の西側、丘に登る途中の土地が、駅から、徒歩4分で、40坪一千万円ですと、いわれた。で、「石段で、上がる土地だったので、安いのですね」と思って、探したのだけれど、どこにもそれらしき空き地がなかった。わたくしも、それなりに探索の経験を重ねているので、目視で、土地の広さはわかる。「ないねえ。40坪」と思いながら、枠が木製で、ガラスがはめられている玄関ドアを何度もノックしたが、人が出てこない。で、勝手口なら、奥さんがいるはずよと、思って、そちらに回ると、表側は、いたでできた壁だったが、こちらは、波板ブリキ板で、壁ができていて、その壁が垂直ではないという感じだった。斜めになっている。しかも入り口のドアがなかった。だけど雨の心配がいらないのは、建物が密集していて、雨などが、振り込まない、形になっている。
中に電気がついいているのに、人が出てこない。一番目の部屋は、床が土間だったので、靴のまま入って、幅三尺程度のそこを抜けると、今度は、幅4尺五寸ぐらいの次の部屋に到達した。そこも土間だったので、靴で入って、「こんにちは、こんにちは」と、声をかけ続けると、やっと女の人が出てきた。背が高くて、黒づくめの洋服だったが、わたくしを、見下ろしても、一言も発しなかった。
こうなると、わたくしも異常を感じて、ダメなんだと、思い、彼女の前を去った。道まで、戻ると、対岸(南側)に、ごく、普通の家があった。外壁は真っ白で、そう二階。築15年ぐらいだと思われた。ベルを押すと、主人らしき紳士が現れたので、お隣の奥さんが、一言もしゃべらないのですというと、ああ、あそこの家って、いろいろな人が転入してくるからね。僕たちだって、名前を知らないのですよ」と答えた。その時、その人もわたくしも気を使って、在日という言葉は一切使わなかった。だけど、2000年、クイーンズというところに住んでいた際に、毎日、夜は、シンガポール系ビーフン5ドルをアルミのお皿に入れて、テイクアウトしていた。だから、中国人夫妻が、言葉ができなくても愛想がいいのは知って居た。
だから、在日の一世一族だと思う。だから、安針塚で、50坪程度を、更地として、売っていた、前の人は、まだ、草が生えた更地の部分があるのだから、堂々と、売っているのだと思う。だけど、買ったら大変だ。こっちが逃げ出さないとならないことになる。
私は、その二つの土地に関して、二度目のこととして、不動産やに、文句を言いに行くのはやめにした。ちゃんと、現地を見てよかった。・・・・・そして、その後、NHKニュースで、従軍慰安婦問題が出てくるたびに、ああ、なんて、強欲なのだ。そして、しつこいと、思い至った。最初(=1950年代の高校生時代)は、植民地支配をしたことを謝罪しようと思っていた。だけど、横須賀で、土地を、1000万円以内で、買おうとして、おもがけないフィールドワークをしてしまった。在日一世が、日本で、どういう暮らしをしえ入鹿を知ったことは、本当の驚きをもって、身に染みている。日本人とは、違いますねと、汐入の不思議な・増殖・間取りの、黒い、そして、古い家を思い出すのだった。
はい、いつ引っ越したかは知りませんが、前の持ち主さん、一銭も手に入りませんよ。あれじゃあ。・・・・・と、言っておこう。もうその人は、死んでしまったと思うけれど。