今は、19-7-1の午前三時です。この文章の推敲加筆が終わりました。この一文の総タイトルですが、三度変えました。ぼんやりしたものを最後に使いました。後はリンク先を整えるだけです。そう言う際は、▢印を総タイトル横につけることにしております。
この文章の主役は、じつは、お杏さんという女性です。公使を務めたこともあるご主人をもつ、外交官夫人です。または、その後ろに居る石塚雅彦さんという男性です。石塚さんは、日経新聞の論説委員をしたのちに、早稲田大学の教授になった紳士です。しかし、石塚さんは、私に対して、ひどい事を次から次へとやってくる人で、それを、常に、頭に入れているので、この一連のシリーズも書き始めているのですよ。女友達同士の、喧嘩だと、お思いになっておられますか? 違う。違う。
そうではないです。あくまでも、この一文は、政治の、現実を語る文章なのです。
副題1、『18日のニュースウォッチ・録画番組を、28日に点検をしていた。すると、千里山交番襲撃事件の、被害者・古瀬鈴之佑巡査に対して、エールを送る、ラグビー世界大会・日本代表チームが出てきた』
私は、千里山交番、襲撃事件に関しては、一家言を持っています。謀略事件だと、思って居ます。しかし、それを、此処で、展開をすると、また、又、横にそれすぎるので、此処では、被害者が、高校時代では、特に有名なラグビー選手だったと、言うだけにとどめます。その後東海大学に進学したとのこと。屈強な体格の若者だったことを暗示しています。どうしてあんなヒョロヒョロの、若者・加害者・飯森裕次郎に、くみしだかれて、心臓まで達する傷を負ったのかが不思議です。警棒を使ったら、包丁なんか、十分に防御できるだろうにと、思いますが、又、又、横にそれるので、口にチャックとしておきましょう。
しかし、千里山交番襲撃事件は、これまた、日本人、一億二千万人を洗脳していく劇場型犯罪へと、仕立て上げるために、ラグビー世界大会が、利用をされたなあと、思う私は、本日=19-6-29に初めて、ラグビーをグーグル検索をかけて、wikipedia を読みました。
すると、イギリスで、発展をしたラグビーは主に南部の上流階級(+少数の中流階級)の好むスポーツとして発展をした、ラグビーユニオンと、北部の労働者階級が好むスポーツとして発展をしたラグビーリーグがあることを知りました。
そして、日本では、慶応大学のラグビー部を始祖として発展をしていくのです。
::::::::ところで、これは、まあ、ちょっとした挿入ですが、今、2019年現在、上流階級に人気のあるスポーツはラクロスですよ。あ、は、は。ラグビーでもテニスでもない。横須賀線・東戸塚駅最寄りに、ラクロスの競技場、もしくは練習場があるのです。それで、肌身で、感じているのですが、慶応と早稲田の学生にであう事が多いのです。ラクロスのラケットを持っていたりするのでわかります。今のところ、競技人口が少ないので、体格の小さな人でも、選手になれる模様です。それでね。小さいときから、お勉強ばかりしてきた青白いお顔で、体格の小さな青年でも取り組めるスポーツとしてラクロスが、大人気になっているのです。で、結果として、東戸塚では、早稲田や慶応などの有名大学の学生によく出会うという事になります。その人達は、順調にいけば将来、この日本の支配層になっていくでしょうから、結果として、ラクロスが、現在では、上流階級のスポーツと、なっていると、言えるのでした。これは、例のごとく現場を観察することを得意とする、私が皆様に、提供する最先端の情報です。::::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。
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副題2、『1960年代のICUは、大学院生や、外人留学生を入れても、一学年三百人しかいなかった。で、スポーツのサークルはラグビーと、テニスしかなかった』
これは、自慢ではなくて、政治のミステリ―解明のために言うのですが、1960年代のICUって、富裕層の子弟が多かったのです。で、スポーツのクラブはラグビーとテニスしかありませんでした。美智子妃殿下のご成婚で、有名になった軽井沢の恋(テニスクラブで始まった)から、硬式テニスは、当時は、上流階級のスポーツでした。このブログに度々登場する、ひろおちゃん(非上場の大企業、竹本油脂のおぼっちゃま)は、美智子様と、同じテニスクラブに所属していると、聞いています。軽井沢のものか、田園調布のものかは、しりませんが。
最近のこのブログの主役を張っている、8050-1号ママもテニスクラブの所属でした。彼女が勝ち組だと、言うのはテニスクラブの部長さんと結婚をしたからです。学内で、結婚相手を見つけると、いう事は男にとっても女にとっても或る意味で、勝ち組になったという事を意味するのです。だけど、私は彼女に対しては、激怒しているのですね。「どうして、そんなに恰好ばかりつけていて、子供自身を見ないのよ」と、思って。特に45年前に、「一緒に電話で、ご近所トラブルについて、相談をしながら子育てをしましょう」と提案をしているのに、「私はね。ご近所づきあいは、しないから、あなたの愚痴なんか、聞きたくないわ」と拒否されていますからね。そんなことで、子育てができるはずがないと、思って居たら、案の定いろいろな問題が起きてきます。最終的には、引きこもりで、25歳の時に自殺未遂をしたとか?
私は折々に心配になって、注意をしています。ただ、ね。友達だから、重要な事でもいえない時があります。自由の森学園を受けると聞いて、「やめなさい」と、忠告したかったのですが、それは、「落ちるわよ」と、宣言することになるから、あまりにも失礼だから言えません。しかし、それが、引きこもりのきっかけになったことは確かなのです。その前は、中三の時期にPTA副会長を引き受けています。もし、頻繁に私と交流をしていたら、引き受ける前に、「それは駄目よ」と言って、どうしてだめなのかも、理由を教えてあげたでしょう。でも、引き受けちゃった後で、聞いたので、「即座に辞退をしなさい」と言って居ます。だけど、事態をしなかった。それで、想定通り、高校受験の時に、大いに困ることとなります。理油は、PTA副会長の子供などは、地域一位校に、行かないとそれだけで、噂の対象になってしまうからです。彼女は、PTA会長を引き受けてから、9か月後ぐらいにやっとそういう真実に、気が付いて、逃げの一手を打ちました。それが、自由の森学園を受験すると、いう事です。その学校は、その時、高校生を募集し始めて、まだ、二年目だったので、世間のほとんどの人に知られておらず、したがって、偏差値が高いか、低いかを、一般のご父兄に隠すことができるからでした。ただ、どうして、自由の森学園を受験するのがいけないかというと、坊ちゃんが無気力だからです。それなのに演劇を専攻ポイントとして、・・・・・イコール、売りにして・・・・・受験をするというから、絶対に落ちると、わかっていました。
どうして坊ちゃんが無気力なのか、その理由もはっきりとわかっていました。坊ちゃんは、母親からの愛情不足で育てられているからです。愛情とはエネルギーです。母親は、エネルギーを注いで、子育てをしないといけません。しかし、省力ママなのです。やりたくないことをやらないママなのです。ご自分を生かすこと、そういう事には熱心です。しかし、やるべき時期に、やるべきことをやっていないママなのです。因果関係は非常に簡単なのです。
昨日のニュースでも駐車場の車の中で、待たせていた、二歳のお嬢さんが座席に首を挟まれて発見をされて、重体だと、言って居ました。また、別の地域で、二歳の子が踏切に入ってしまって、貨物列車にひかれたとのこと。2歳ごろ母親は最も体力を消耗します。子供が、親のいう事を聞かず、勝手気ままに動き回る様になるからです。でも、若いから、エネルギーが充満しているので、後ろから追いかけていくことができます。そういう時期に、ご近所付き合いをしないで、部屋にお子さんを閉じ込めておいて、どうするのですか? 当然に、ほかの子とは、違ってきてしまいますよ。
しかも、人生において、もう一回激怒するチャンスがありました。
そのお子さんが劇団で、石の役をやらせられて自殺未遂を起こしたと、お杏(きょう)さんというグループ内の別の友達から、聞いた私は、心配のあまり、電話をかけました。私の自宅には、主人や、子供がいるし、そういう電話を交わすことを好まないので、こういう電話はかけられず、往復30分かけて、鎌倉駅前に行き、そこの公衆電話から、その夜は、サン千円を消費して、私の方が、気が付いている注意すべきポイントを伝えようとしました。しかし、彼女は、ただ、一点だけ、「それをあなたに言ったのは誰? 名前を言ってちょうだい」を、詰問をするのです。それだけで、三千円を消費して、次の日に、上野駅から、今度は五枚のテレフォンカードを消耗して、電話をかけていますが、同じ質問の繰り返しです。
私はね。そんな刑事みたいな質問に答えるために、八千円も消費したいと、思っているわけではないのですよ。だって、彼女がその話を教えたのはお杏さんに決まっているから、彼女自身、答えを知っているのです。「何が問題なのよ。その名前に、拘泥するなんて、馬鹿みたい」と思いますが、『初めて、友達が、自分に対して、見せている姿と、実像が違うのだと、知って、パニックに陥っているのだろう』という事は、私には、わかるから、我慢をして、ずっと耐えているのです。それと、そんなことよりも、次の段階にどうすべきか、伝えたいので、話題が変わることを待っているのです。
その時点では、早急に母親からは、引き離さないといけません。母親が、導く必要があるのは、二歳から五歳ぐらいまでです。その時点では、何の手助けもしないでいるのに、14歳以来、ずっと、指導しすぎなのです。
つまり、高校受験という人生の関所に差し掛かって、初めて、我が子が、ほかの人と、優劣の差が付いてしまうという現実が、見えてきました。その時以来、彼女は、お子さんに、心を集中しすぎなのです。つまり、他人との関係があったので、子供の存在に目覚めるという形です。これは、だめですよ。小さな時、赤ちゃんの時から、子供の様子を注目しておかないとだめですよ。何を欲しているか,そのころは、手助けをしてもいいというか手助けをしないといけないのです。なぜかというと、そのころ、莫大な数の経験をするからです。基本的な経験をする時期だからです。しかし、中三になどなってからは、指導をしたり、暗喩でも、導いたりしてはいけないのでした。親は、ただ、唯、松。そして、何か足りなかった点があったと、思ったら、それを、婉曲に、満たしていくのです。14歳以上の子供に必要な愛情を与え続ける、・・・・・それは、早く子供を一人前にしたいと、言う欲望を優先することではないのですよ。
彼女が、やりたがっていることは、非常によくわかります。・・・・・早く普通の子にしていきたい。早く、普通の子に追いつきたい・・・・・そう思って居ます。だけど、坊や自身の独自性、または、現状に寄り添いながら、本当に、静かに丁寧に、待っていくことが必要なのです。本人が、自力で、立ち上がるまで。親が指導をしては駄目なのです。14歳以降はです。私は、西原理恵子さんは、引用したくないですよ。というのも、当時息子が務めていた会社の社長はマッキンゼイ出身です。で、CIAエージェント、特に石塚雅彦さんは、大前研一さんの、意図固化兄弟である大前勇介さんを使って、その社長を支配して、会社ぐるみで、西原理恵子さんに、息子の失敗を叱責する様に、頼んだのです。息子は何も言わないのですよ。だけど、当時三国屋善五郎というお茶やさんに、務めていました。そして、横浜ポルタ店の店長をして居ました。
それを、しては、いけない時に、引っ張りまわしすぎています。勿論、焦ってしまうのは、理解できます。しかし、自殺未遂をしてしまう様な状況では、ともかく、母親と引き離さないといけません。また、そのテクニックを彼女は知らないと、思うので、それを教えたくて、八千円も、お金を使っているのに、刑事まがいの質問だけを繰り返すのです。ともかく、私が言いたいことは、・・・・・アパートを借りるまでは、親が手助けをしなさい、その後、独立させたら、五百万円を渡して、一切、接触をしないこと・・・・・でした。おぼっちゃまには、自由がないのです。両親に対して萎縮し切って居ます。母親が、PTA副会長ですって。そんなに偉い人に、目の前に立たれて、道をふさがれたら、自由なんか無くなってしまいますよ。当たり前です。
そうなんです。彼女は、自分では、それには、全く気が付いていないが、抑圧的、親なのです。子供が親を信頼して、反抗したり、はっきりものを言ったりすることができないほどに、抑圧的親なのです。私が、もしですよ。彼女と同じ年の息子の方で、PTA役員に選ばれて、もし、PTA副会長なんかしたら、息子に大叱られするでしょう。「おかん、やめてくれ。俺が困る」って、言うはずです。だって、母親がそんなえらい立場だったら、鎌倉だったら、湘南高校か、慶応高校に受からないと、とんでもない陰口を利かれてしまうでしょう。
私の場合は、人生の途上に置いて、不思議なことに娘の方で、PTA役員に選ばれるのです。で、女の子というのは、タフです。赤ちゃんを産む性だからだと、思うのですが、男の子よりはるかにタフです。しかも10歳ごろから、母親をクールに見つめています。
ここで、西原理恵子さんに入らないといけません。ところが、今、3000時ぐらい書いたのに、消えています。だからこそ最も大切な事なのですが、西原理恵子さんに、息子は職を奪われました。恐ろしいことをやった女性です。でもね。彼女は、毎日かあさんの中で、娘が、小さいときから、自分に対して、厳しいことをちゃんと書いています。それは、正しい。
しかしね。彼女はずっと、吉祥寺に住んでいるそうです。そこからわざわざ横浜ポルタ内に在る、三国屋善五郎に、法事のお茶を買いに来ました。
ところで、これが謀略の最たるところなのですが、店長の息子がいない日か、いない時間帯に買いに来て、四国へ、法事用のお茶を送ってくれと、注文を出したそうです。それから、先が会社ぐるみというのですが、女子店員はわざと、包み紙を祝事用のものを張ったらしいのです。結婚式の引き出物の感じの模様のものを。
息子は、何も言わないのですよ。でも、お嫁さんが、「店長が謝りに来ないと、許さない、というお客が四国にいて、〇〇さん(=私の息子)は、ホテル代も飛行機代も出ないのに、謝罪に行くのです」というのでした。
これを書いたので、お嫁さんにあう事を息子から、禁止されています。それもひどく変なのですが、その前に、お嫁さんにあおうとすると、大船駅で、そちらに行く東海道線は、エスカレーターにまで、監視カメラが設置されていて、息子のマンションンは、刑事らしいものが出没します。どれほどに、CIAエージェントがひどいことをやっているか、皆様も、ご承知くださいませ。だから、私はすべてを実名で描くのですよ。そして、息子のマンションに行くバスが、回送になってしまって乗れません。こういう人権侵害に出会って居るのですよ。だから、銀座でも雪ノ下でも、北久里浜でも、ちょっとでも、私をいじめる人は、実名で、すぐさまその事情を書きます。どうして、こんなことをされないといけないのですか?
息子は委細を何も言わないのですよ。おカンを心配させると、思って居るのでしょう。
でもね、神様はいるのです。二年後ぐらいかな、秋葉原で、ブックオフに寄った時でした。西原理恵子のアンソロジーである、西原茸を買ったのです。すると、高卒・直後、上京して、それ以来四国に帰っていなかったが、法事で、帰った。と、書いてあったのです。
西原理恵子さんは、実質婚を標榜していて、その相手は、高須クリニックinchou
です。そちらがね。僕はフリーメーソンだと高称しています。フリーメーソンと、CIAエージェントとは、だいたいオーヴァーラップしているのですね。では、誰が、動いたのか?ですが、脚本は例のごとく、いまだ生きている井上ひさしかもしれません。西原理恵子に、法事の、お茶を注文をさせて、その包装紙を、女性スタッフに、わざと、間違えさせる。そして、西原理恵子にガンガン、クレームを出させさせる。で、彼女のクレームは、有名人だから、漫画に描かれたら大変だから、店長として、その責任を取らせて、店長から降格をさせる。しかも、通勤に非常に不便なところへ、一平社員として、転勤をさせる。しかも、其の謝罪旅行については、飛行機代もホテル代も出さないというプロットです。::::::ここですが、上書き保存になりました。これは、書きにくいです。また、フォントの大きさもおかしいです。フォント3にすると、小さくなるし、フォント4にすると、異様に大きくなります。仕方がないので、フォント4にして書きます。今はまだ、夜の11時だから、古村浩三君などが起きていて、こういう手配をしているのでしょう。::::::::
さて、そういうプロットはできました。後はどういう風に、実行にもっていくかです。で、以前から、大前研一氏は、私を敵として意識しています。どういうことかというと、3.11直後、建屋カバーを作ることを提案し、空の模様が描かれた、カバーが設置されました。未だ、放射線が強い時期にそういう無駄な作業をする事を、私は批判をしています。お金も無駄、労働者の、健康被害も増進し、国民に真実を隠す役目を果たすからです。で、大前研一さんは、敵方(CIAエージェント側)としては、使いやすい人物となりました。ただし、大前研一さんは、一応マスコミ有名人です。こういう隠微な計略に乗って来るかどうかがわかりません。ここに中間の連絡者として、大前勇介さんが登場します。この人がICUで、ラグビー部でした。冒頭が、ラグビーの話で始まっているでしょう。それは、こういう人間も私の頭に常に入っているからです。
でね。私は大前勇介さんと、個人的な会話を交わしたことはないのですよ。前歯に金冠をはめていたので、劣等した学生の方でしたからね。大人しいめで、かつ、地味目な人でしたから。しかし、横浜の出身だという事はしっかり覚えているのです。私自身が横浜ですから、大前勇介さんが、横浜出身の人だとは、しっかりと頭に入っているのです。
しかも当時のICUって、富裕層の子弟が多いのですが、と、同時に両親ともに学卒で、かつ、なかなかの大学卒という人が多いのです。これから別の章を立てて登場させる予定の、くめおちゃんでも、父親は、明治生まれて、慶応卒のはずです。そして姉は、女子美の学長です。そういう事。
で、大前研一と、大前勇介は、兄弟かいとこぐらいの間柄でしょう。そして、勇介さんは、横浜から電車通学するのではなくて、寮に入っていました。ラグビーをするためには、電車で通って居たら時間が足りない。で、同じく寮に入っていた石塚雅彦さんとか、古村浩三君とは親しいです。で、四谷のバーかどこかで、石塚さんとか、古村浩三君とともにであって、プロットを、説明されました。そして、OK動くよと、受合ったのでしょう。そして、その人的コネ力を利用して、大前研一さんの道徳観をマヒさせて、次の段階として、マッキンゼイ出身の、三国屋善五郎の社長に、委細を飲み込ませ実行をさせたのです。
息子は何にも言わないのですよ。だけど、母親って、わかるものなのです。神様に対して、常に、こういう現状をお救いくださいと、祈っておりますからね。だからね。電通のまつりさん自殺問題がおかしいと思って居るのです。其の発表の形式がです。まつりさんが苦しんだのはよくわかりますが、母親が英雄みたいな扱いを受けているのはおかしいです。母親って、常にわかるものなのですよ。子供の苦境って。まつりさんの母って、自分から申し出でて、離婚をしていると思います。それって、まつりさんにとっては、相当大きなマイナスでした。だから、愛を知らない親なのではないかなあ。男女の愛は知っている女性だけれど、子供への愛は、少ない女性ではないかなあ。「自殺をするぐらい追い詰められていたら、絶対に気が付いて、
私のところへ帰っておいで一年ぐらい休んでいいよ」というのが、本当の母親だと、思うけれど。私の方は本当に救いたかったのです。でも、
間に合わなかったですよ。もっと早く救えたら、三国屋善五郎で、店長を引き続き務めていたでしょうし、ポルタ店も、引き続き存在をしていたでしょう。
私はよく言って居ます。「何でもわかっています。ただ、書くか書かないかは別の問題です」と、そう、言って居るのに明日もその謀略の一つが、我が家に訪問に来ます。それは、相当に後で、書くはずです。この文章も、女の子は、男の子より、しぶといのだと、言うまとめで、西原理恵子さんと、三国屋善五郎のエピソードからは離れましょう。ただし、西原理恵子さんに対して、私は、これだけは、書いて置きたい。彼女は、卒母宣言とやらをしています。
それはね。お嬢さんに対する、なんていうかなあ。防衛措置でしょうね。お嬢さんは、当然のごとく、母親の姿勢を批判していると思います。内心でか、表に出してか知らないけれど。実質婚を公言などと、あれだけの、映画を作っておいて、よく言えるよねと、他人だって思いますけれど、お嬢さんにしたら、もっとつらいと思いますよ。だから、此処にも子供よりも自分を大切にする女がいます。お金があると、そういう風に考える様になるのでしょう。だけど、お嬢さんに対して不誠実な人間だから、人の子供の職や、収入を奪っても平気なのです。何度も繰り返しますが、息子は何も言いません。だけど、秋葉原のブックオフで、西原茸を買ったことで、真実がすべてわかったのです。それ以前は、誰だろう。誰だろうとは、思って居ましたが毎日かあさんと描いている彼女が、まさか、そんな恐ろしいたくらみに同調するなんて、夢にも、
の思いませんでした。これが、政治なのです。::::::::::長い挿入を入れましたが、元へ戻ります。
私の場合は、女の子で、PTA役員を引き受けることが多かったと、言うところに戻ります。女の子は、母親とは、相当に距離を取るので、お互いの影響が少ないのです。其れを知っているから、女の子の方では、PTA役員を引き受けました。鎌倉へ、引っ越してきてから、たった半年後に、女の子の方で、役員に選ばれて、しかもたちまちに、PTA三役、広報委員帳に選ばれました。それは、私の出身大学を知っている人がPTA会長だったからです。しかし、実際に仕事が始まると、あるお母さんが(名前は知らない。しかし、街頭で、前田夫人と仲良く話していたことがある)が、ことごとく、反抗するのです。一から十まで、反抗をするのです。でね。今考えると、その会の前に、前田夫人から、讒言を聞いていた可能性があります。だから、彼女には、本当はこのブログを読んでもらわないといけないのですが、まあ、名前を知らないので、無理でしょうね。だけど、これも、前田夫人がもたらした被害の一つです。で、私は、30分も経たないうちに、これでは、一年間は乗り越えられないと、判断をしました。で、30分程度で、懐疑を終わっておいて、次の週までに、記事にしたい現象を、ご自分で、探しておいて、ください」とだけ言って散会をしました。全員が非常に驚いて居ました。というのもPTA活動の中で、広報が最も大変で、長時間の会議が必要な部門だからです。30分で散会では、これから、どうなるのやらと、みんなびっくりしたことでしょう。
が、私は気にしませんでした。内心で、やめるつもりでしたからね。で、これから、先が、この章と、関係があることなのです。辞職(PTA三役みたいな小さな立場でもです)は、とっても大変です。あの、反抗100%の主婦だって、私が、「辞職をします」と彼女の面前で言ったら、引き留めるでしょうね。そう言う方が、自分が、きれいな人間に見えるから。
でね、当時は主人は松阪のセントラル硝子に出向をしていて、単身赴任で行って居て、家には、いないです。私は大急ぎで、家に帰り、夕飯を作って、これを食べておいてね」と子供たちに頼んで、いくさに向かいました。つまり、辞職なんて、たたかい中のたたかいになるからです。同輩32人を訪問をしている体力も時間もないので、上の立場の人を、説得に行きました。PTA三役なんて、賢い人は引き受けないので、後任を探すのが大変だから、よっぽどの気迫を込めて、辞退をしたいと言わないとだめです。で、江ノ電とかバスを乗り継いで、関係者全員にお断りをして、帰宅をしたのが、夜の八時過ぎ九時になっていたかなあ。
ここで、重要な事は、これが、テクニックという事です。人をだますためのテクニックではないのですよ。母親は、子供を守るために、色々なテクニックを駆使しないといけないのです。はたから見ていると、8050-1号ママは、子供に対する愛情の示し方も知らないし、色々な知識もないです。子供の成績が悪いのに、PTA副会長なんか引き受けたら、子供を苦しめるだけだと、いう事さえ知りません。でね、ともかく、しかりつける様な調子で、「すぐやめなさい」といいました。理由は言いませんよ。で、お成績はどうなの?とだけ、聞きました。すると「悪い」ではなくて、「無気力なの」でした。でも、それで、だいたいが、わかります。で、私は、「私も広報委員長をやめたのよ。あなたもすぐやめなさい」と言いました。もし彼女が、そうねと言ったら、上にあげたテクニックを教えてあげるつもりでした。彼女の場合は、訪問をすべき相手は、校長、教頭、PTA会長の三人でしょう。それを、車を運転できる彼女だったら、八時まで、かからないで、訪問をできます。でも、本当にテクニックが必要で、先に、ママ友に相談したりしたら、だめです。引き留められてぐずぐずして、やめられなくなりますからね。それが、テクニックです。それを教えたくて、教えたくてたまらないのに、わかっていないのでした。ただ、理由については正直に話せばいいのですよ。私の場合は、「一から十まで逆らってくる人がいるので、広報を出せません。たぶん、引っ越してきたばかりなので、PTA役員としての過去の実績が、こちら、鎌倉市内にはないからです。で、尊敬を受けていないので、業務が、先へ進みません」と、言いました。その通りなのです。彼女の場合も、本当の事、「子供の高校受験に対して、迷惑だから、身を引きます。引き受けた時は、そのことには、まだ、気が付いていませんでした。申し訳ございません」でいいのです。それが、最も大切な事であって、自分自身の名誉とかを優先している場合ではない。
::::::::::ところで、此処で、もう一回挿入が入ります。前田夫人が、讒言をあの意地悪ママに第一回会合より、先に、告げていたと仮定します。時間は一週間ありましたので、十分でしょうね。そうなると、前田夫人は、私が広報委員長をやめたことを鬼の首でもとったみたいに思うでしょう。そして、例の安野夫人の井戸端会議で、私がいない日に、この山の住民主婦たち全員に、川崎千恵子は、へなへな人間で、信頼するには足りないのだと、言いふらすでしょうね。その前に、井戸端会議に、私を誘い込むための、策略の一つとして、「お砂糖を貸してください」といいに来て、私が、断ったことで、メンツをつぶされている、安野夫人もそれに乗っかって、大悪口をたたいたことでしょう。で、その結果として、渡辺賢司が、35年間、年下のくせに、一階も挨拶をしてこないとか、娘を妙本寺に嫁がせた、遠藤夫人が、毎日、10坪程度の庭を、掃いている庭ごみを60cm低い我が家に掃き落とすとか、井上夫人が、私が出してもいない煤を、出したとして、電話内で、「川崎さん、やめてください」と怒鳴り込んでくる・・・・・事などにつながるのでしょう。まあ、前田夫人から与えられた損害って、天文学的数値に達します。くめおちゃんが動いたのも、それと連動していますからね。私の方が彼女の違法な土地占拠の犠牲となって、我が家の私道部分を使えないこととなっているのに、それで、救われたのに、こういう風に出るのですよ。神様が、どうしてくださるだろう。彼女の悪の始末をと、思い続けてきました。すると、案の定大変なことが起こりましたね。
私ね、鶴岡八幡宮の大イチョウが倒壊した、原因の内、30%は前田夫人に在ると言い続けています。彼女の行動って、すべて、中学校の、女裏番長的な、いじめ行為ですが、ブログを書いていない時期から、こういう風に、PTAで、恥を掻かないといけない様な裏工作をしているのです。私なんか、絶対にそういうことはしませんよ。頭はひどくいいと、有名な方々に言われていますが、頭を他人をいじめたり足を引っ張ったりすることには使いませんので。ブログを書いていない時期から、激しくいじめて来ていて、もう、一千回、ブログを書けるほどにたまっています。
こういう人が、いるよの中だから、協力をしあひましょうと、言って居るのに、8050-1号ママは、拒否してきたのでした。これは、根、実存的というか、哲学的命題でもあるのですよ。だから、こういう文章を書き続けているのです。
私が、8050-1号ママに、もう一つ、私が激怒するのは、Fさんを優先したことなのです。彼女も、何らかの問題が生じているとは、気が付いていてね。或る人に相談は仕掛けているのです。しかし、相手にはお子さんが居ません。で、その相手Fさんは、すべてを諄々と聞いてくれた後で、ひとこと、「子供が居るからの悩みよね」と、言ってくれたそうです。「それで、突然、目覚めた。しゃんとしたわ」と、8050-1号ママは、私に言うのですね。それも、私の怒りをあおるのです。
『なんで、Fさんに相談するのよ。Fさんは確かに素敵よ。私だって、彼女の会社を訪ねたら、麻布の平屋建ての、素敵なレストランでお昼(フレンチ)をごちそうしてもらったから、わかっていますよ。(1960年代にすでにヨーロッパ留学を済ませていて、勤務先も外資系の出版社です)だけど、子供のことを彼女に相談をしてどうするのですか?・・・・・特に思春期を迎える時点で、失敗してしまったあなたが、それを解決するという、これ以上はない難しい、難しいことを、Fさんに相談して、何が役立つのですか』、と、思うのですね。しかし、それを音声で、言ったと仮定したら、「あら、いやだ。あなたって、Fさんに嫉妬しているの? ずいぶん違うわよ。あなたの方が劣位です」と、言われるでしょう。または、内心で、そう思われるでしょう。それが、わかっているから、言いません。だけど、私にとって問題なのは、女のマウンティングの問題ではなくて、お子さん自身なのです。その子が、50を過ぎていても、同世代の、親である人の子ども、だったら、私にとっては、其の男性も、こどもなのです。
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副題3、『ここまでの考察に至ったのちに、私は一生で初めて、自由の森学園の、wikipedia を開いた。それは、場所としてどこに在るかを知りたかったからだが、思いがけない情報を得て、8050-1号ママに対する、誤解があったことを、いくつかは、発見をした』
私は自分を見つめることが好きです。人間が大好きで、「人間に関心があるのですね」と、人様に言われるが、その前段階として、自分について考えることも好きです。でね。この件に関しては、一かい、『自由の森学園ですって。通信簿の成績とかペーターテストだけで見るわけではないですって。うらやましいなあ。そんな学園の情報を得て、さすがに、あの夫婦だなあ。私には、入ってこない情報だ。自分の子も受験させたいなあ』と、思ったのですよ。でも、北関東に在ると、聞いて、通学が無理だろうと、思ったので、35年前には、学校の存在地を、調べもしなかったのです。当時は、インターネットも発展をしていなかったと、思うので、それで、いいのですが、今回は、それがどこに在るのか、調べてみました。
そして、場所とともに、ものすごい情報を得てしまいました。それは、自由の森学園出身の有名人として第二期卒業者、吉岡秀隆君がいると、いう事を知ったからです。これで、色々な謎が、一気に解けました。それから、8050-1号ママに関するその結婚への誤解も解けました。
彼女は、格好つけるのが好きなスノッブだから、テニス部の部長と結婚したのでしょうと、考えていた部分が、誤解でした。当時は、上流階級のスポーツだった硬式テニス部の、部長と結婚したのは、その、上昇志向の一つでしょう・・・・・・と、誤解をしていたのです。その部分は、私の誤解でした。彼女の結婚は、意外と自然なものだったと、わかったからです。
それは、吉岡秀隆君が自由の森学園の出身だと、知り、驚いて、次に、彼のwikipedia に入ってみたからです。すると、吉岡君は、小さいころから、山田洋次監督の、【男はつらいよ】シリーズに出ているそうです。それを知ったから、生起した新しい事情でした。
山田洋二監督の映画に、吉岡秀隆君が出ているとすると、そこには、栗山富夫(これもICU卒である)監督も当然、助監督として、存在していたと、考えられるからです。すると、ちょうど秀隆君の、親世代にあたる、栗山監督は松竹大船撮影所の現場で、秀隆君を遊んであげていた可能性があります。秀隆君だけが、クルーの中で、子供だからです。すると、秀隆君を、8050-1号ママ、一家に連れて行ってあげた可能性が出て来るのです。
それは、まだ、一家が東京都内のマンションに住んでいた時期だと、思うのですが、高校受験時には、秀隆君と、8050-1号ママの、坊やは、既に、子供同士で、友達になっていた可能性もあるのでした。どうしてかというと、栗山監督夫妻と、8050-1号ママ夫妻は、家族ぐるみで、非常に親しいからです。『なんだ、そうだったのか!』と、一気に多くの謎が解けました。
まあ、それも大切な、新情報だったのですが、それよりも、此処では、テニス部にこだわります。テニス部の部長を結婚相手に選んだという事は、ママ側の背伸びであると、ずっと考えていたのです。しかし、違いました。背伸びの結果ではなくて、親戚づきあいの、ホームパーティの結果だったのでしょう。だから、作為性は、少なくなります。
どうしてそういえるかというと、栗山監督夫人は、M子さんというのですが、その妹に、A子さんが居て、この人が、8050-1号ママと、親友なのです。小学校か中学校か、高校で、同じ学校だったはずです。それを、すっかり忘れていました。どうして忘れていたかというと、8050-1号ママは、秘密主義なところがあるのですね。で、私と一緒である、寮仲間のグループと、栗山監督たちとの、交際側に、所属する人間は、すべて、ICU関係者なのに、ごっちゃにしないのです。混ぜないのです。だから、電話内で、その話題が出ることがなくて、すっかり忘れていました。
でもね、何という奇遇だろう、実はA子さんと私は、これまた、たった23人しかいない、一年時の同級生なのですよ。だから、英会話のレッスンなんて、たった18人で受けるのを始め、一日、8時間ほとんどを一緒に過ごしていたのでした。しかし、実は、卒業後は、全く交流がないからです。
どうしてかというと、お互いのおしゃべりのスピードが違うからでした。A子さんは、早合点の人だと、言いたいくらい、話すスピードが速いのです。それが、私には、合わなくて、だめだし、A子さんにとっては、私のことが鈍重に見えたのではないかしら。でも、A子さんって、とてもいい人ですよ。牧師の奥さんになって、東北で、暮らしているはずです。
だから、このM子さんとA子さんと言う姉妹と、栗山監督を含む、6人の家族は、中に、血のつながっている親戚が二組いる可能性があるのです。というのもA子さんのご主人と、8050-1号ママのご主人とは、苗字が同じですからね。
だから、もしかすると兄弟、または、いとこ、または、はとこ? 『なんだ、何だ。これは、知らなかった。というか、思い出しもしなかった』というほどに、濃密な関係があるグループ、というか、ソサイエティなのです。だって、6人のほぼ同年齢の、夫婦、三組の内、五人が同じ大学出身で、しかもその大学は早稲田や、明治とは全く違って、一学年、270人程度しか、学生がいない大学です。しかも、ただ、一人、ICU卒ではない、牧師さんは、どこかの、神学大学卒です。となると、6人全員が、キリスト教精神を、背後に持っていると、いう事になります。それじゃあね。一般の人であるご近所様なんて、「付き合うつもりはありません」となっても仕方がないかもしれない。8050-1号ママが、傲慢であると書いていたのも、間違って居たかもしれない。
だって、いつも言って居るでしょう。安野夫人の井戸端会議が、この山のギリシャの円形劇場の様な地形のせいで、全部、私に、聞こえるのだと。内容としては、非常にくだらない話であると。ただただ、安野夫人が一番になるために井戸端会議だから、お互いに信頼がない間柄だからとも。
こういう部分には、全く気が付かなかったのです。たまたま、です。本当にたまたま、自由の森学園の、グーグル検索をして、思い出した事でした。でも、思い出してしまえば、納得をすることは多いです。あの六人(ただし、東北にいる上に、日曜日がミサで、忙しいA子さん夫妻は、出席の、頻度が低かったと思うが)だったら、チョムスキーが何とかとか、ウンベルトエコーが何とか、記号論がなんとか、という話題で、終始したでしょうね。チョムスキーなんて、私達が在学中は、まだ、日本には、紹介されていなかった学者です。でもあの四人なら、そういう話題で、盛り上がったことでしょう。特に栗山富夫・夫人・M子さんは、何か、人文科学系の学問を研究しているはずですよ。きれいな女性だけど、芸能界とは無縁のひとでしょう。
でも、そういう風に考えると、両親がインテリの家の子供は大変だという一般論が、此処では、強烈に生きてきますね。あの事務次官の家も父親が東大卒というのは、子供にとって不幸だったし、母親も愛情の少ないタイプだったらしいし。あのね。一方で、我が家では、日本テレビで、日曜日に、ビートたけしがやっていた、スーパージョッキーを、男の子の方が見ていても、「やめなさい」などとは、言いませんでしたよ。私はいろいろな、お母さんを見ているので、当時だと、高校卒のお母さんが、一番子育ては上手だと、思って居ます。ごく普通でよいと、思って居ました。公立中学に通って居たら、ビートたけしの熱湯風呂も、話題になっているかもしれないし、友達に合わせることは、必要です。
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副題4、『北の国からで、純を演じた、吉岡秀隆君は、どうも、実年齢と同じ年齢の、設定をしてもらって居た模様だ。北の国からは、私たち一家は、北久里浜で、見ていたが、本当にあの二人の演技には、驚嘆した。
ただ、あの8050-1号ママは、栗山富夫夫妻と一緒に、リアルな吉岡秀隆君を自宅に、招いている可能性が、ある。もし、それが、無かったとしても、私達なんかより、ずっと、多く、吉岡秀隆君について、知識が深かった可能性がある。
実は、『吉岡秀隆君と、自分の息子が似ている」と、8050-1号ママが、考えた可能性は、高い。うちきである。地味目の顔である。静かである。こういう特徴が、確かに、似ている。
私は、ずっと、長らく、山本学、亘、圭さん兄弟と同窓だから、彼女が、演劇にこだわるのだと、考えてきた。それは、誤解で、吉岡秀隆君を見て、「自分の子が、彼に似ているので、自分の子も演劇ができるはずだ」と考えた、と、方向転換をしよう。しかし、決定的な違いがある。吉岡君は、児童劇団に入っていた、子役だったことだ。
ここで、丁寧に説明をさせていただきたいが、子役としての、経験があるかないかで、演劇に向いているか、向いていないかと、判断をしているわけではない。母親が、違うというポイントが、とても大切なのだ。母親の行動力が違うというところが大問題なのだ。8050-1号ママは、お子さんが、小さいときには、行動力がなかったと、思われる。たまたま、三人目のお子さんが、染色体異常という事で、亡くなったので、急に目覚めて、有機食品の、販売に取り組むことになったのだけれど、それ以前は、あまり、外へは出なかったタイプだと、思う。一方、吉岡秀隆君の母親は、相当なレベルで、子供にくっついて歩いていた母親だ。
私はある時、銀座線の中で、子役の女の子と、であった。お母さんが、偏愛の人で、膝にのせている下の子(三歳ぐらいの男の子)ばかり、かわいがるので、女の子の苦労が、目に余って、左側に座っている彼女に、向かって話しかけた。話しかける前から、児童劇団に所属しているという事は、予測が付いた。というのも小さいのに、お化粧品ボックスを持っていたからだ。子供らしい普通のバッグではなくて、かくかくした箱型の、お化粧品が入っている形のバッグである。
その子は、五歳ぐらいなのだが、何もかもわかっているみたいな子だった。しかし、こまっしゃくれているのとも違って、とても、可憐で、かわいいところはある。美形というのではなくて、十分すぎるぐらい、感情が表に出る、その表情が素敵だった。
で、私は、【美の巨人】というTV東京の美術番組の、その当時の主題歌、【私のお父さん】(ジャンニ・スキッキから)を、小さな声で歌ってあげて、その後、「あのね。人を愛するという事が一番大切なの。あなたが、周りの人を大切に思って居れば、必ず、人に好かれるわよ」と、言った。五才の女の子に、「人を愛する事が大切だ」なんて、とんでもない忠告だけれど、彼女がわかっているという確信があった。舞台とかドラマなどの、現場では、大人の俳優に向けての、演出家、または、監督などの、助言が飛び交うだろう。だから、愛と、言う言葉の意味も、正しく、わかっていると、言う確信が私の方にあった。
溜池山王から、新橋までの、ほんの、2分程度の間の事だった。お母さんは、苦笑をしていた。私が彼女の偏愛ぶりを糾していると言う事は、理解ができただろうから。ところで、地下鉄は、満員だった。夜の九時半ごろ。
だけど、誰も、私を見ず、かつ、注意をしてくる人はいなかった。これは、京急内で、トスカから、アリア【歌に生き、恋に生き】を小声で、歌った時も同じ。誰も、こちらを注意せず、誰も振り向かなかった。
こういう時に私は、自分の体内に、神様が、降りてきておられると、感じる。だから、何も怖くない。働いて来て疲れているだろう小さな女の子よりもフロイトが言う通りで、下の子の男の子だけを偏愛をするママのことも怖くない。私は、その二分間、全身全霊を込めて、その小さな女の子に、自分が与えられる、最大限の愛を、注いだ。
そう、インプットがあるからこそ、アウトプットができる。
児童劇団に、子供を入れて、午後4時ごろから、夜の10時ごろまで、子供を酷使するのは、いい事か悪い事かは、わからない。ともかく、私はしない。それから、インテリである、栗山富夫夫妻もやらないだろうし、8050-1号ママもやらないだろう。
だけど、子供を児童劇団に入れているママは、労働奉仕を、して居ることは確かだ。そして、その五時間の間中、子供に、目を注ぎ、体力を、傾けて、サポートをしている。愛とはエネルギーだ。それを注がれているからこそ、アウトプットができる。
で、吉岡秀隆君は、演技ができる。他人を感動させ得る。しかし、8050-1号ママは、そういう小さいときに、子供にエネルギーを注いでいない。そこが違う。決定的に違う。
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副題6、『うちの子って、パニック症候群だって、と、彼女がいっていると、これも誰かから聞いた。たぶん、お杏さんだ。だけど、この時は、電話はかけなかった。いわゆる女子と小人養い難しの典型だと、思ったからだ。
パニック症候群とは、その人物が外部に接触するとき、どういう事態が起きるかの、予測を立てるのだけれど、予測のほかの出来事が起きた時に対処不能に陥ることを指すと、思う。では、なぜ対処不能に陥るかを考えてみよう。それは、経験が不足しているからだ。
これも、小さいときに自由自在に遊ばせることがあって、種々様々な経験を味わわせて、その間、注意をしたり、ほめたり、励ましたりして、初めて、少しずつ身につくことだと、思う。パニック症候群とは、母親の昔の手抜きが表れているという事にしか過ぎない。それを他人に、免罪符のごとく告げるなんて、何をやっているのだと、私は思う。だけど、友人同士で、それを教えてあげて、真実に到達させることは、できないだろう。彼女は、私を軽蔑しているから、特に、無理だ。彼女にとって、栗山監督夫人M子さんが、もし、同じことを言ったら、いう事を聞いたかもしれないが、仲が、良ければかえって、何も言えないものだ。
このパニック症候群だって、言って居ると、私に言ったのもお杏さんだったと、記憶している。で、この文章の起承転結が完結する。お杏さんで始まり、お杏さんで終わる。お杏さんは、若い日には賢かったと、思う。だけど、私との間にライバル設定をされて、彼女の方だけが、抜群に出世し、名誉や富を得た。したがって、人間が甘くなってしまったと、私は思って居る。だから、駄々洩れというほどに、8050-1号ママが、私には隠しておきたかったことを、彼女から、聞いてしまって居る。だけど、8050-1号ママは、きっと私より、彼女の方を信頼している。は、は、のんきだね。
私はたまたま、電話が通じた時にも、彼女が、わたくしの言葉を理解してくれることを願って、じっと待っている。何も発言をしないで、じっと待っている瞬間がある。それを彼女は、「あなたは、私を操作しようとするから嫌いよ」という。
今、世の中に、100万人の引きこもりがいると、言われている。その両親に質問をしたい。保育所で育てませんでしたか?と。お子さんは、経験不足で、世の中に出ていくことを怖がっているのですよ。メディアのトレンドに乗っては駄目ですよ。
お子さん自身を見てごらんなさい。お子さんが望んでいることがわかるはずです。お金が欲しいとか、チャンスを失いたくないと、思って居たら、祖母世代に、子育ての援助を、お願いをなさい。核家族で、保育所で、育つと、お子さんには、経験不足という弊害が、起きるのです...
リンク先を後で示します。なお、本文の推敲と加筆はやっと済みました。それで、書いた日付と署名を入れて置きます。
2019年6月29日から、7月1日まで、三日間かけて書く。 雨宮舜(本名、川崎千恵子)
尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5446016です。