銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

どうしても、今日中に書いておかないといけない事がある

2025-02-28 23:23:53 | 政治

 我が家のインターフォンは、しょっちゅう壊れるのです。私がブログで、正しいことを書くたびに壊れる。で、他の家だと、訪問者の顔が、部屋にいても見えるらしいのですが、同じ機種なのに、我が家では、訪問者の顔は、分かりません。

 それと増築の際に、廊下にインターフォンが設置されました。それはね。古い屋敷(中古の家を買って住み始めた)部分、18坪と、引っ越してきてから、建て増しをした15坪部分の間の廊下ですから、大工さんは、親切でそうしてくれたのでしょう。

 ところが、その増築後、42年がたち、私達夫婦は82歳になり(夫と妻は同年齢です)二人ともに、耳が遠くなりました。だから、廊下にインターフォンがあると、冬には、ほとんど、対応が出来ません。居間のドアをしっかりと閉めて、かつ、主人はテレビが好きで、ほとんど一日中テレビがついているからです。それと暖房機の音も静かにあるし。

 今、私がすごく恐ろしいブログを書いているので(いえ、ただ、只に真実ですと言うだけなのですが、現代日本には、NHKニュースでも、嘘ばっかり報道をされているので、私が、異様に注目をされる存在になっていて、そういうブログを下書きとして書いた直後など)、ひどい状況に陥ります。

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 今、そういうわけで、ひどく敵=CIAエージェント=ご近所様、及び、警察の特殊部門に警戒をされているところだから、我が家には訪問者は、ほとんどありません。朝日新聞の集金があるぐらいです。

 しかし、夫や妻の出入りはあります。ただ、普通の家と、違う事は、泥棒の被害が、大きいと言う事です。嫌がらせ用泥棒も入るし、補聴器などの、高いものも盗まれますので、、

 神経がズタズタにされるので夫婦のどちらかが家に残っていて、内側からチェーンをかけることにしています。

 これは、本当に大きな人権侵害です。しかも誰が盗んだかが、はっきりとわかるケースもあるので、2023年の6月まで、実名で、誰が何を盗んだかを書いています。

 ところがここで、相手方がCIAエージェントであることの大問題が起きています。それはですね。安野智紗夫人とか前田清子さんを助ける為に政府が動くと言うことです。でね。急に彼女たちが行う悪がが書けなくなりました。で、やりたい放題の、被害が与えられています。SNSで誹謗中傷をすると逮捕すると言う条例が出来たらしいからです。私が今依拠しているこのgooblog 『銀座のうぐいすから』は、SNSの一種ですね。それで、急に泥棒被害について書けなくなりました。

 お正月の孫たちとの宴会だって、外でやる際は、私が残っているし、父の33回忌+母の13回忌という大きな法事だって、私は一人鎌倉の家に残っています。➽のところに続きます。

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 よくニュースで、司法取引という語彙が出てきます。海外のケースですが、「私は、もうそれをやめますので、どうか、攻撃するのはやめてください」というものです。アメリカの元CIA要員がCIAの悪を批判して、ソ連に亡命したが、アメリカに残してきた家族に被害が及ぶので、「もう、CIA批判はやめます。アメリカに帰ります。どうか、これ以上私を逮捕したりは、しないでください」と、記者会見を開いて、声明を、出したりしています。だけど、それは、私に、うらやましがらせるために開示された・・がせねた・・の一種で、実際には、アメリカと言えども、政府や、CIAを批判したらアウトでしょう。だめだと思います。習近平の大陸中国も、香港もひどいらしいし、北朝鮮など、まあ、言葉もないと言うほどです。

 私は紺色の緞帳の前で、記者会見を行う外人記者クラブの理事長だった、石塚雅彦さんと、2歳違いで、小学校の先輩、大学の先輩、アート部の先輩と三重のつながりを持って居ます。で、外人記者クラブで、15人ぐらい一緒にお食事をしたことも、三回ぐらいありますよ。しかし、石塚さんが、私の為に外人記者クラブでの会見を用意してくれるとは、考えていません。

 それは、三つの理由からです。まず、2000年ごろは、ほぼ同格の画家だった、渡辺幸子さんを優遇する話(彼女は、お父様が破産をしたので、ICUは、中退です。でも、卒業生中の有名人として、渡辺真理さんのインタビューを受けていて、ICU同窓会の、ホーム頁に載っています。それから、彼女は青木繁大賞展、対象をとっていて、賞金100万円をもらい、ガレリアグラフィカで、第二回目の個展をして、その後、ずっとそこで、個展を続けています。彼女のご主人はICU同期で、アメリカ系ゴルフボールの会社の社長だったから、年金は、超お高いはずで、幸せな老後生活というわけです。でも、体が、右斜め前に曲がっているよ。治りましたか?

 その次に大前勇介、大前研一、三国屋善五郎社長をつかって、西原理恵子の法事のお茶を、部下が、慶事用の熨斗紙をつけて送ったと言う事で、息子が、責任を取らされて、失職をしたのです。息子が何も言わないので、お嫁さんの、かすかな知識(高知県のお客に怒られていて、明日から、謝罪に行きます。ホテル代も飛行機代も出ないのです)を頼りにずっと探していたのです。息子は何も愚痴を言いませんので。

 ところが、神様はちゃんといるのですよ。パソコンが壊れたので、秋葉原に直しに行って、待っている間の読み物として、ブックオフで、さいばら茸、第八巻を買って読んでいたら、息子の職を奪ったのが西原理恵子だと、分かりました。有名人であるお客が、ぎゃんぎゃん怒ったので、飛行機代も出ない形で、謝罪にいかないといけないお客とは、西原理恵子だったのです。

 尚、社長から、率先してとり組んでいる罠ですから、恐ろしいことです。社長の名前は上村たくみだったかな? 金沢大学の経済学部を出て、大前さんのセミナーに参加した過去がある模様です。でも、私がこれを書いたことによって、飛行機代と、ホテル代と、金一封は出たそうです。だけど、私、お嫁さん、そして孫も含めて、悲しい嫌な思いをしたでしょう。その時、山下飯店を利用して、再出発の祝賀会をしたら、さらなるいじめがあったので、この罠も原点は、伊藤玄二郎と、井上ひさしに在ったのだと、理解が出来ました。

 3っつ目は、北隣の、石井秀樹・あずさ邸の新築過程が、TV東京の二時間のスペシャル番組として、放映をされたことです。そして、その際に、元の持ち主、藤本悌子さんには、2000万円位国庫金から、補助が出て居て(三菱銀行を通じて)、石井夫妻は、あの土地(鎌倉駅まで、徒歩10分、公簿上は、60坪程度、実質面積40坪程度)を、一千万円で、手に入れたのでした。

 この三つが、石塚雅彦さんが対・私に行った害です。で、石塚雅彦さんを頼ることはできないです。

 でも、その後、西原理恵子は、子供たちのお父さんを、映画の題材として、三つも提供したり、アル中になった模様を、映像で晒したのですよ。お嬢さんは頭がいいらしくて、母親批判者ですが、卒親だとか、言って、子供を捨てています。そして、NHKの最後の講義を、東京女子大で、行い、結婚前に多数の男性と付き合ってみるべきだと、力説していました。

 そのころの東京女子大の学長は、湊晶子先生で、私は、1964年か65年に先生のご自宅で、晶子夫人手作りのケーキをごちそうになっていますが、晶子先生も、苗字は、湊を使っておられるけれど、実際は、新しい男性と、再婚なさっておられるそうです。ご主人、湊宏先生が47歳の若さで、亡くなっているから仕方がないと言えますが、西原理恵子の複数の男性を試しなさい」論に、一も二もなくあsン制しておられるのかしら? おっソロしい。私は、山口みつ子さんは、処女だったと思います。で、そこを野見山さんは、嫌ったのです。処女なんかと再婚するのは、重荷だよと、言うタイプでしょう。世の中には、まじめでね。一生処女で、暮らす女性も多いと思いますよ。決して、西原理恵子が、女性の生き方の主流ではない。というわけで、司法取引の記者会見をする場を提供してくれる唯一のマスメディア人である、石塚雅彦さんを頼れないので、司法取引は無いのです。

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 ➽上の矢印のところから、ここへ続きます。もし夫婦二人で一緒に外出したら、甚大な被害があります。それは、十分に防衛しますが、洋服まで防衛することはできません。それから、昔(トルコなどの外国で1980年ごろスケッチして来た絵が盗まれても、それには、直後は気が付きません。

 というわけで、夫婦の内、必ず一人は家に残っていて、チェーンをかけることにしています。本日は、そのチェーンが、主人に外してもらえなかったという話に入ります。

 今、私は、右ひざが外部攻撃で、攻撃をされていて、靱帯とか板(ばん)という部分=筋肉と骨をつなぐ部分に、鋭利な刃物風のレーザー光線を桜田門で、与えられていて、痛くて痛くて、普通に歩けないのです。

 それなのに、163段を下まで歩いて、鶴岡八幡宮様の、三の鳥居(正門)右横に在る、公衆電話まで、戻って、主人に、開けて頂戴。さっき、家に帰って、MIWA LOCKの方は開けて、あなたに、「お父さん、お父さん、開けて頂戴」と五分ぐらい叫んだのよ。だけど、あなたは出なかったと、文句を言いたいわけです。

 ところが、公衆電話は、自宅の固定電話に通じません。通話が、どういう仕組みかはわかりませんが、バンバン切られます。主人にどうしても通じません。スマホを持って出て居ません。それをもって出ると、GPS機能で、追跡されて、行く先々で、待ち伏せ的攻撃があるからです。で、公衆電話から、主人のスマホに電話を掛けるけれど、出ません。呼び出し音が鳴らないのだと思うし、私達夫婦は二人とも、スマホをほとんど使わない人だからです。

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 さて、本当に、本当に困りました。ただ、一つ救いがありました。それはSIMカードなしの古いスマホを持って居た事です。これは、カメラ機能を使いたいときがあるからです。ひどい攻撃が行われたら、その写真を撮っておこうという思いがあって、古いスマホを持って出て居ました。そこに子供の電話番号があったのです。で、娘の携帯に、公衆電話から、電話を掛けると、留守電機能になっていて、むすめが出ません。でも留守電に、「お父さんに一時間後、玄関を開けてくださいと伝えておいて」と入れました。そして、これで大丈夫、主人が電話に出るでしょうと、思ったのです。

 推察通り、直後、自宅の固定電話に、三の鳥居前の公衆電話から、かけている電話が、主人に通じました。それ以前、受話器を置き直して、テレフォンカードを入れなおして、四回ぐらいトライしたのに主人には、通じなかった、固定電話が急に通じる様になりました。

 これは、電話を、100%CIAの家来としての警察が支配していると言う事です。そして、私一人が噛んでいるケースだと、いいようにされてしまう。どれほどに見くびられているかがわかります。そこへたとえ娘でも、一人別の人間が入ると、それが、後々の証拠になります。まあ、えん罪逮捕されたときの法的証拠品の一つですが、ともかく、私の推察通りでした。

 さて、ここで、二つの挿入をしないといけません。

 皆様は、どうして、ご近所に頼まないの?と、お思いになるでしょう。確かに、山を下りて、三の鳥居前の公衆電話まで、行くのは、右ひざがだめな私には、苦難の技でした。一時間以上、かかりました。普通の人だったら、15分で済むところでしょう。そして、ご近所様に、主人に、一本、鍵(実際はチェーンだが)を開ける様にでんわをかけてくださいませんか?と、頼めば、楽です。

 しかし、私は、昨晩、ブログの下書きとして、&&&&罫線以下の様なことを書いています。したがって、この程度の苦難で、ご近所を煩わすわけにはいかないのです。

 もっとも理性的で、頭の良い花輪夫人が、今、歯向かってきている状態だから、他のもっと、精神の上等な、素朴な人は使いたくないのです。こんな苦難が有ったら、助けてくれる人はいる筈なのですが誰も使いたくいないのです。

 で、その下書きを今から晒します。

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 私がお値段の割に、良いおさかなが置いてあると信じている、お店ののおさかなが、古かった。いつも新しいのに、今日は右側のショーウィンドーの物(いわゆる切り身ではなくて頭からしっぽがある形のおさかな類が古かった。だけど、お店が悪かったわけではない。東北が大変だと言う事。あの山火事の為に、東北全体で、漁をしていられない状況が起きて、それが、原因だと思われる。いつも同じものを買うのだが、今日は特別に悪かった。東北は大変だ。特に大湊は、

 反町の一階の借家人が、家賃を入れていない。二か月前は、4日に入れた。今月は、27日にも入っていない。ただし、時そば状態である可能性があり、全体で、二回か、三回ぐらい家賃納入を抜かしていると思う。あの夫婦は厚生年金をもらっているのに、生活保護費ももらっている。これは、CIAエージェントたちが、私と少しでも関係がある人を、私の上に置いて、私にねたみ心を起こさせて、それで鬱にしていこうと言う作戦にのっとっていると言う事。

 今は、特に、安野家に、SMBCのカードと、現金7千円と、東急とユニオンの、ポイントカードと、株主優待券と、全線切符、東急京急、が、入っているので、7000円だって無ければ、お前、困るだろうと、敵さん達(誰が、そういうことを考えるのですか? 警察庁の方針は、安野夫妻が、原案を作っていますか?)に、推察されているから、伊藤美枝子が、家賃を入れないのだと思う。見くびられたものだ。だけど、生活保護費受給の条件である、家賃をきちんと支払っていますよという書類を神奈川区役所に、私は提出していない。。

 昨日(26日)朝日新聞が、主人のいない時間帯に、お金を取りに来た。それも、お金がないだろうと、見透かされた結果のような気がする。しかしお金はありますよ。その時点で、2万円近く持って居ました。馬鹿だねえ。相変わらず。山田さんがバカなのか? 安野夫妻が、バカなのか?

 昼間花輪夫人がスマホ(または、携帯)で通話をしながら、山の上から下へ向かう。犬は連れていない。

 24、または、25日も同じことをする。その時は、下から上へあがってくる形だった。ちゃんちゃらおかしい小細工だ。他の人は、もう、使えないとみて、花輪夫人を使ってくる。引っかかりませんよ。ばーか! 花輪夫人がバカなのではなくて、例のごとく、安野夫人へ、連絡を取ってくる人間があほなのだ。

 ところで、本日のお昼に大原閑子さんが亡くなったことを主人から聞く。96歳だったとのこと。お葬式はプロテスタント、雪の下教会で行われる可能性があるが、行かない。お知らせもない可能性もあるし。

 それは、閑子さんを、何か、忌避する理由があるわけではなくて、光孝さんへ、激しく怒っているからだ。

 お買い物のときは足が痛くないのに、帰宅すると、家では痛い。で、桜田門の攻撃は、非常に強く続いていると、言う事。

 大森ちゃんの話を、伊藤玄二郎達は、びっくりしている? なんでも判っていますよと、いつも言っているではないの? あれに関しては、宇都宮和代さんと佐久田さんについて触れないといけない。きっこさんと、片岡さんについても触れないといけない。ツウ子さんをどうしよう?

 全く、手に取る様に考えていることわかる。

 ところで、和代さんが、原発反対運動をしているですって。それで、ますます、都知事選に出馬した宇都宮弁護士と、結婚をした可能性を感じている。ところが、宇都宮弁護士には東大卒の兄は、おらず、しかも弁護士は、1946年生まれである。和代さんより四歳も年下だ。まあ、どこかで、出会った宇都宮弁護士の方が、強く求婚をしたのだったら、ありうる、結婚だ。和代さんは、超美形だったから。だけど、2010年の和代さんの、クラス会での「最近、どうも、うつっぽくて、元気が出ない。なぜだろう?と、考えたら、恋愛をしていないので、元気が出ないのだと思う」というスピーチをどう判断したらいいのだろうか? 結婚中の女性が、同窓会というおおやけの席で、恋愛(あいては夫ではないでしょうね)をしたいと発言をするとは?

 ところで、神様はやっぱりいらっしゃる。2014年、ひどい罠を仕掛けて来た和代さんの、美形度が、この6年間の間に、ひどく落ちたのだ。彼女は終始、サングラス(しかも、とても色の濃いもの)を手放さなかった。

 今は、眼をぱっちりと開くことができない状態なのだと思う。彼女自身、「何か、手術をした」と言っていたし、その結果痛いのだと思う。または、白眼が、赤くなっている? 明眸皓歯というが、彼女は、眼の張りを失った模様である。同期で、和代さんが一番美形だと、考えていたが、こうなると、ツウ子の方がきれいなほどだ。

 ツウ子とも長電話を交わしているがために、敵が自分がわに引き寄せて、彼女は、私に対して引き気味である。同窓会に置いて、一次会でも、二次会でも、私と仲良しだと言う雰囲気を出さない。佐久田さんや、和代さんからの、教唆であるか、片岡さんからの教唆であるか?

 ツウ子は赤いお洋服で、赤いオートバイに乗っていた、若い日の元住吉駅の踏切での、記憶が強烈過ぎて、白いお洋服を着ているとツウ子だとわからない。

 ところで、ツウ子とは、生きているうちに仲直りはできないと思う。義父をひどく嫌っていたことを思い出すと、今の私は、彼女にとって、義父の位置に在るのだろうから、生きているうちに仲直りは無理だ。だけど、ブログに詳細を書けば、佐久田さんは、教育大学卒なので、彼女は、栗田玲子さんからの連絡で、読むはずで、そこから、バレー部仲間の三人として、ツウ子と和代さんに委細が、入る可能性はある。委細が入ったら、反省してくれる? それが判らないところだ。まあ、さんにんともわからないが、ポコの悲しみをわかっていたツウ子とは、ふた度、仲良くなりたい。和代さんと、佐久田さんはあきらめよう。ツウ子には、、死んでから天国で再会しましょうと言っておこう。

25-2-25 ちょっと、何かがご近所であったはずだが、正確には、思い出せない。原皮膚科で、診察券を再発行してくれなかった。これは、鎌倉警察署が、診察券が、安野家に在るので、それを取りに行かせようとして、または、心が心配で、うつになるのを、喚起させようとして、再発行をしないように原皮膚科に命令をしていたのだと思う。

25-2-23、岩崎造園という会社が、軽トラ二台で、植木伐採に来ていた、一日で終わったらしい。桜の枝があるのを山の下で見つけた。後で、散歩して確かめたがやはり前田家だった。桜は前田家の前にあり、それをカットすると、日当たりが良くなる。処で、前田家の庭はきれいなのだけれど、道路っパタが、まるで刈り込まれて居なくて、植木屋が入ったとも思えない。でも、だからこそ、鎌倉市の公金で、作業が行われた可能性を感じている。見せつけたいが、見せつけてはまずいと言うアンビバレンツな気持ちが彼女に在るのだろう。

 岩崎造園に、『鎌倉市の仕事?』と聞くと、「いや、個人のお仕事です」と答えた。だけど、そういう風に嘘を言う様に命令をされいる可能性を感じる。関本家は、普通の庭仕事を、鎌倉市のおかねで全額補助されている。前田家と、条件は同じだから、半額、もしくは全額鎌倉市が、払っている可能性は高い。ペンキ塗りの時の再来である可能性が高くて、私がお金にきゅうきゅうしているところで、前田家が、富裕だと、見せつける為の、注文だと思う。「10万位、私は、楽に出せるのよ」と、見せつける必要もあったであろう。でも、その見せつけるお金が、やはり公金だったら、何をかいわんや。

 この日か、それとも、22日に、アーミッシュ西側の、コンクリート擁壁が、三分の一は、完成していることに気が付いた。無論、伊藤玄二郎側には、500人とNHK ニュースという見方が居るのだから私があの工事をそしできるわけはない。ただ、逐一書くだけだ。 

 夕方【鉄の井(これだけで、くろがねのいどと、読む、史跡)】のところで、花輪夫人とその友達と、前田清子さんがいた。今、花輪夫人は、もっとも、頻度高く利用をされているところで、私が話しかけても無視する作戦が取られている。そんなことで、私がショックを受けますか? 気にしませんよ。今週は、三度、彼女は使われた。三度、もし話しかけたら無視すると言う作戦だと思われた。

 その前、安野夫人が下から上がって来るのにすれ違った。私が、軽く話しかけるのを待って居ますか? そしたら無視すると言う作戦ですか? まさか、話しかけないですよ。

 ここで、一月28日、から、1月31日までの、4日間、安野夫妻が、お財布を持って居ると言う証拠めいた行動を見つけた。しかし、書いていないし、お財布を取りにも行かない。どうしてかというと、その詳細は、首根っこを押さえたというほどに、山田さん(警察庁のホワイトカラー)の考えが判る話だからだ。そして、それは、2024年8月2日、鎌倉駅CIAL一階の、身障者用トイレで、全財産入りのバッグが、盗まれた手法と、まったくおなじだからだ。瞬間的な、健忘症を利用される。

 ところで、3月1日の午前3時に突然に気が付いたのだが、お隣の白井夫人から、偶然の会話を種に、雀の本をかりているが、それが盗まれている。2月27日に、夜、園芸の仕事をした後の、私が、一時間半ほどチェーンをかけるのをわすれた。これは、チェーンをかける音が盗聴で、聞こえなかったと判断をしたら、盗みに入れ都、誰かが、命令をされているのだと思う。無論、盗聴が関係があるので、命令者は、警察である。

 その時にぬすまれたのだと思う。アマゾンとか、楽天で買うと中古本なので、失礼だから、新品を探したいが、「もし、もうないです」と言われたら、これは、警察がぬすませて、さらに、手に入らない様にいじめているという話になる。これは、8月2日に全財産が盗まれて、しかも、三菱銀行も、浜銀も、なかなか、さいはっこうをしてくれなかったのだが、みずほ銀行のいじめ方は、すさまじくて・・・・・その件で、むすめとなかたがいをしてしまった。ただ、娘とわかれた方が気楽ではある。息子との別れた方が気楽ではある。

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 ところで、なぜ、家に入れなかったかというと、インターフォンを、二つ、用意して、玄関に張り付けてあるのだが、後から、つけた家電店で、買った方が、とりはずしてあったからだ。

 これは、発信音が、居間のテーブルの上におけるボックスから出る形であって、主人が居間にいても、気が付くけい式になっている。

 ところで、出かける時に、そのいたずらには気が付いた。また、玄関横のがらくたごみおき場に置いてあった、マニキュアの瓶が、15mも下の、門のそばに置いてあった。我が家は、高い崖とか、高い樹木に囲まれているので、絶対に風の影響を受けないのだ。それに小さいとはいえ、マニキュアの瓶はガラスだ。とばない。

 この時は、まだ、雀の本の行方不明を知らないわけだが、山の下の、鶯吟亭の前で、すれ違ったのだが、彼女は、珍しく、15mも、向こうから真正面に、私を見据えてきた。そして、90度横に来た時に、にやりと笑ったのだ。また、安野夫人とすれ違った直後、やまやすの前で、白井夫人が追い抜いて行った。その雰囲気だが、25日に雀の本を貸してくれた時とは、雲泥の差で、剣呑だった。

 普通の人の足だったら、安野夫人と真正面からすれ違った場所と、白井夫人がおそろしい勢いで、しかも、強烈に拒否的な姿勢で、追い抜いて行った時間差は30秒だと、思われる。しかし、いまの私は足が悪いので、三分の差だと感じた。

 でも、立て続けに悪意を浴びて、まさかとは思うが、白井夫人はスズメの本がぬ済まれていることをすでに知っていたとするとあの二人の連携行為も郁子なるかなと、思われる。

 そのすれ違いの、10時間後に、雀の本が盗まれていることに気が付いて、そこらあたりを必死で探したら、おどろいたことに、8月二日にトイレで盗まれた三菱銀行のクレジットカードが置いてあった。御念がいっている。から買うにもほどがあると言う体たらくだ。

 私は、絶対にクレジットカードを裸で、床に置く様なことはしない。ただ、末尾のばんごうを見ると、床に返してあった方が、1695で再発行済みの方が、1794なので、そちらが古いもので、8月2日に盗まれたものだと、分かる.これは、自分で、失敗したなと、思い込ませる作用を狙ったいたずらだと思われる。唯雀の本を置いてあった場所にこのカードが置いてあったので、やはり警察が、8月2日の全財産盗難は、実行したものだと思われる。

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 さて、やっと、本日、この章を書き起こした、テーマ(または、現象)にはいる事が出来る時間になった。つまり、来客の、チャイムを廊下に置いた、40年前の良く壊れるインターフォンではなくて、食卓の上に置いたボックスから、はっしん音が出て来る、前のより、簡易なインターフォンに戻る。それが、大問題だからだ。つまり、前の物は、有線で、連絡を取るふるい形式だが、新しい方はWi-Fiで、でんぱを飛ばすので、居間に発信音、ボックスを置いて置ける。

 ところが、6時30分に帰ってくると、そのWi-Fiで、電波を飛ばすインターフォンがまたもや無いのだ。旧来のは、黒い箱で、新しいのは、細身の白い箱である。私は先程と同じ場所を探した。無い。で、あっち、こっち探した。だけど、目的が判っているから、あきらめた。特に安野夫妻がやっていると仮定すると、警察の、バックがあるので、絶対に、訴追されないし、責められないし、こっちが勝ちヨという自信があるのだ。その上、最近の毎日の攻撃を見るとお給料が、国家から出ているとも感じる。

 で、MIWA LOCKの方だけ、開錠して、チェーンがかかったままの玄関ドアの、7cmぐらいの隙間から、大声で叫んだ。お父さん、あけてくださいと、何度も。しかし、廊下だけのチャイムだと聞こえないらしい。

 私は、仕方がないので、トボトボとぼとぼと、坂を下りて行った。安野家の二階は、素通しのガラスなので、通る人が良く見える。

 彼女が、1時間半前に、そのにやりと笑った顔を、ふた度、ほころばせて、ざまーみやがれ、降りていきなさいよ。あひるみたいな、ちょこちょこ歩きでさあ。面白いわね』と、夫と話し合っている姿を後ろに感じながら、30分かけて降りて行った。

 つまり、ご近所人間に何も頼まなかったのは、誰か、助けてくれた人が後程、安野夫人一派に、いじめられる可能性が強いからだった。

 そして、普通の人だったら、五分で到着するはずの、三の鳥居前の、公衆電話に40分かけて、たどり着いた。しかし、通話ができない。主人は、スマホも見ない。絶対絶命だが、娘に電話を掛けると、それは、留守電だったが、主人との通話が可能になった。つまり、密室殺人と同じなのだ。誰も、見ていない、聞いていないと、思うと、彼ら(多分警察)は、やりたい放題の事をする。

 で、帰宅をしてから、山中の家の電話番号をスマホに、入れ込んだ。相手が出なくてもいいのだ。掛けたという事実だけで、密室殺人ではなくなる。

 で、その入力最中に、娘から電話があった。主人に対応してもらったが、娘の連れ合いは、三井物産勤務で、この山の中谷家の次男が三井物産なので、大変不自由な行動の夫婦となっている。だから、縁が切れてもいいのだが、

 私のスマホをハッキングしている人物はさすがに、頭が良くて、何を目的に、私が、この山の全員の電話番号をスマホに、保存をしたかを察知したらしくて、娘に対応をさせなかったのも、やがて書くだろうと、推察したらしくて、その作業を台所で、やっている最中に娘から電話があった。

 町内会の、連絡網は、冷蔵庫に貼ってあるからだった。

 私は、電話が鳴った途端に娘からだと、分かったが、主人に任せた。本当は以下の様な事を言いたかった。「あのね、あの人って、ものすごい意地悪なの。出掛ける時は、まだ、お父さんがそばにいるから大丈夫なのね。だけど、帰ってきたときは、私はひとりで、外にいるわけです。で、どうしようもないのね。で、肝心なことは、私が帰って来る様子が尾行によって、分かっているから、その直前に、Wi-Fiの方の、チャイムを外しておいたわけ。そしてお母さんが、三の鳥居前の公衆電話から、お父さんに電話をして、一時間以内に帰宅するから、必ず、下に、いてくださいね。二階で、テレビを見て居たらだめよと、電話で言って、帰ってみると、黒い古いインターフォンの隣に、白いWi-Fiチャイムが、ペタッと壁に引っ付いているわけです。

 ゴム型の、厚い両面接着テープでついているわけです。私が、『先程は、これは、無かったのよ』と言っても、お父さんは、彼らのずるいずるい、そして悪賢い行動は、理解できず、私が間違っていると言うのよ。本当にお母さん、今、大変なのよ」と。

 そういいたかったのですが、何も、言いませんでしたよ。ただ、神様だけを信じている私です。

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今の日本に、異様な災害が続いているのは、政府が原発を100%稼働させると宣言したからですよ

2025-02-28 01:18:09 | 政治

 私はよく、神様が、この世を支配なさっていると、言っています。オカルチックだと、バカにする人もいるでしょうが、瓜南直子さんが、亡くなった経緯を見ていると、確実に神様っていらっしゃるのですよ。石川和子さんが亡くなった経緯を、考えても同じです。

 私はね。非常に苦しい時期に来ているのです。でね。このブログも暗いものになっていると思います。しかし、良いことも同じ程度に在るのですが、良いことにかかわってくださった人の中に、山口みつ子さんとか、大久保忠春さんが、いて、悲痛なことに殺されました。それを理解した日以来、良いことをしてくださった人については、書かない主義です。ところが、お茶大付属高校同期の大森ちゃんについては、2010年4月6日か、7日に、個展に来てくれてその時に、「あなたって表現力が高いのね。それは、高校時代から評判だったけれど、この個展を見てやはりと思ったわ」と、言って頂いたことを、書いた(大森ちゃんという名前は出さなかったと思いますが‥・・・そして今でも、大森は、旧姓です。だから、半分隠しているわけですね‥・・・ともかく、せっかく褒めてくれたのに、その14年後、CIAエージェントからの命令教唆によって、手ひどい罠を仕掛けて来るのですから、本当に驚きました。2014年にも(それは、和代さんが主役だったが)同じ様な、罠をかけて来て、丁寧に、ブログに書いていて、和代さんは、恥をかいている筈なのに、また、おんなじことを今度は別の人間を使って、やってきたわけで、伊藤玄二郎とか警察庁の誰かさんとかは、あほちゃうの?と、思っています。

 その同じ一派が、鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬道の、鎌倉街道を隔てて、真向かいに在る、急峻な崖を、コンクリート擁壁で囲もうとしています。もう、三分の一できました。

でも、これは全く不要な工事で、100年もつとすれば、100年の禍根を残したと言うべきものです。ただ、伊藤玄二郎一派が、自分の権力を誇示したくて、神奈川県のお金を使って、行っている工事です。私が、気が付かなかった、タイミングで、既に三分の一が出来ていました。というのも、私が鎌倉駅へ向かう時には、反対側に曲がるので、気が付かなかったのです。

 で、これで、勝ったと思ったらしい、この山の、主流派主婦軍団が、また、きゃあ、きゃあ、動いています。いずれ、書きます。今は、日本全国民が、それを知っていると言うニュースについて書きたいです。

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 岩手県の大山火事は、日本政府が悪いからですよ。#####罫線以下のニュースを決定したからです。これは、グーグル検索から、抜き取ったもので、非常に軽いし、短いし、一般人が読むと、何が何やら、分かりません。私でさえ、何が書いてあるのか判然としません。

 だけど、私は、NHKニュースを聞きとがめています。政府が、原発稼働を、100%にアップして、原発が、生産する電力を、日本の主力にすると言ったのです。

 私は、そのニュースを聞いた時に、例のごとく、嫌なニュースだと、思いました。しかし、それが、今のタイミングで、発表をされるのは、私狙いですねと、判断をしていたので、飛びつきませんでした。

 しかし、NHKが、急に26日から詳細に語り始めたので。山火事が大きな被害を生んでいると言う事を知りました。お気の毒な岩手県民には、深く思いを寄せますが、これは、結局のところ、石破総理大臣を生かして置き、かつ、政府に####罫線以下の、原発優先電力計画を、発表をさせた、伊藤玄二郎 + いまだ生きている、井上ひさしたちの悪を天がお叱りになっていると、考えます。

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 と、同時に、伊藤玄二郎が、直接に、または、間にだれかを通して、支配している、500人以上の人・・・・の中に死者が、必ず出る筈だと言っています。なんと、この二月に、総人口、43人のこの山で、二月だけで、二人の死者が出ました。岸田淳平氏が、2月12日で、大原閑子さんが20日です。二人ともに、高齢です。82歳と、96歳。しかし、夫々、おつきの人が、私に対してひどいことをやってきています。大原静子さんの息子(養子)は、光孝氏で、最近特にチャンちゃか、ちゃんちゃか、対私弾圧用、わなを仕掛けることへ、動いている人です。で、逝去のタイミングが、コンクリート擁壁に、生コンが入れられた時期と同じなので、なる程なあ。自分の預言どおりだと思っている次第です。

  しかし、ここで、一つだけ救いがあるのは、以前には、CIAエージェント側かわい子ちゃんと見せた達増知事がお品が良いことです。達増知事はカメラ目線で、自分をアッピールする様子はなくて、それは、ほっとしました。大野埼玉県知事の、「次は、都知事でも狙うかなア。ここまで、大きく、かつ大量にテレビ露出をしたからには、可能性があるんではないの?」という見え見えの野望には、ほんとに、うんざりをさせられました。

2025-2-27これを書く   雨宮舜  本名 かわさきちえこ

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第7次エネルギー基本計画が閣議決定されました

2025年2月18日

令和3年10月に策定した第6次エネルギー基本計画以降の我が国を取り巻くエネルギー情勢の変化を踏まえ、総合資源エネルギー調査会において次期エネルギー基本計画について検討を進めてきました。パブリックコメント等を経て、本日、第7次エネルギー基本計画が閣議決定されました。

1.背景

エネルギー基本計画は、エネルギー政策の基本的な方向性を示すためにエネルギー政策基本法に基づき政府が策定するものです。昨年5月から、総合資源エネルギー調査会において第7次エネルギー基本計画の検討を開始し、昨年12月17日に原案を提示しました。その後、パブリックコメント等を踏まえて、本日、閣議決定されました。

2.概要

令和3年10月に第6次エネルギー基本計画を策定して以降、我が国を取り巻くエネルギー情勢は大きく変化しました。こうした状況の変化も踏まえつつ、政府が新たに策定した 2040年度温室効果ガス73%削減目標と整合的な形で、「エネルギー基本計画」を策定しています。
本日、同時に閣議決定された「GX2040ビジョン」、「地球温暖化対策計画」と一体的に、エネルギー安定供給、経済成長、脱炭素の同時実現に取り組んでいきます。

関連資料

関連リンク

担当

資源エネルギー庁 長官官房総務課 戦略企画室長 小高
担当者:疋田、二川、鈴木、髙田、前波
電話:03-3501-1511(内線 4423)
メール:bzl-s-enecho-senryakukikaku★meti.go.jp
※[★]を[@]に置き換えてください。

 
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25-2-26 朝日夕刊は、昌平黌を特集している。なんという合致。受験勉強をする男子は体格が小さい事が多いが林君はお顔も未だ少年だった

2025-02-26 23:19:09 | 政治

 これは、まったくもって、前報の続きです。

 うーん、ブログ以外の仕事をしなければいけないと思いながら、前報

親は子供に優秀であることを望むが、それは、時として、自分を不幸にする。子供が自殺をしてしまうので    2025-02-26 04:46:09 | 政治

 の続きとして、また、字数をかけてあれこれ書くつもりです。今、26日の夜11時半ですが、始めます。

副題1『林君に、「あなたは、自分がこの大学に合わない。東大へ行くべきだったと考えているのでしょう。でも、今は、この試験に集中をしなさい」と階段教室の、斜め15mぐらい後ろにいる林君を目だけで叱ったら、彼は、直後に自殺をしてしまい、私は、たった一人の同世代の人間として、教会での、お葬式に出席したのだけれど、その結果、林君が湯島の昌平黌で、学者一族として有名な、一族の末裔であることが分かった』

 というのが前報の、短いまとめです。

 でね。御三家として有名な武蔵出身の林君に、「あなた、自分は東大へ行けばよかったなあ」と思っているんでしょう。などと書くと、私が母校、国際基督教大学を軽んじている様に、誤解をされかねないです。

 母校愛が、足りない様に誤解をされかねないです。だから、どうして、林君に、15m離れた場所から、目だけですが、あなた、自分は東大へ行くべきだったと、考えているでしょうと、言ったかを語りたいです。

 今、大河どらま【べらぼう】で、寺田心が、褒められています。品があって毅然としていて、のちの松平定信をすでに髣髴とされると。ただ、往時の林君って、もっと、きれいでしたよ。

 157cmぐらいで、ちょっとマトリョーシカを思わせる、コックーン体形で、静かに、静かに音もなく歩く人だと、いう記憶があります。威張っているのではないのです。ただ、なぜか、近寄るのを避ける、そういう意識を相手に抱かせるのです。何か、はにかんでいる。控えめの極致。ガラスのケースに入っている男(または、雄)雛みたいな感じかなあ?

 ところが林君とは、まっ反対に、ICUの男子って、在学中に、ステディの恋人ができる人が多いのです。それは、当時のICUの女の子って、平均値をはるかに超えた美形が多かったし、実家はお金持ちで、家柄がよいという少女が多かったからです。

 で、服部靖・じ・さんという男子など、いつも女性と肩を組んで歩いていました。卒業後、TBSのドラマプロデューサーをしていて、ヒット作を生み出していたのに、大竹しのぶが、略奪をしたのす。その大竹しのぶとの関係を、後悔したのかなあ? 服部さんは、がんをり患します。そして、意外と早い時期に亡くなります。しかし、亡くなる前に、大竹しのぶは、明石家さんまとできちゃったのです。

 今、朝日新聞は大竹しのぶのエッセー連載をしていますが、あれ、私いじめでしょうね。でも、彼女は演技は上手です。ドラマを二つ見ただけだけど。でも性格は嫌ですね。特に母親や、妹さんを含めて嫌です。明石家さんまと、できちゃった後で、胃腸が悪いことにした、のを、ライブで見ているので、本当に嫌です。

 私は林君とは、生前に話したかったなあとは思わないのです。彼は、自分を客観視できていなかったし、長生きしても、そのままの様子で数十年を過ごした人だった可能性を感じます。だから、話をしましょうといっても、緘黙し続けていたでしょう。

 でも、もう一人の方、平井さん(お茶大付属高校を中退して、都立高校、‥‥日比谷? 戸山? 新宿のどれかに入って、その後東大へ入った女性・・・・・但し、自殺をしてしまったと、聞いた)には、話を聞きたいです。強烈に話し合いたいです。純粋な人とは、何を考えているのか? そして、私が解きほぐしてあげたかった。本当に、命・永らえてほしかった。彼女は別にお茶大付属のお勉強の仕方が生ぬるいと思って中退したのではないと、私は信じています。隠されてはいるが、実際にはある階級差別を、嫌って出て行ったのだと、信じています。牧師の子供でしょう。だから、弱者の見方をしないといけないと思っていたはずですし。

 私は、よくからかわれます。美形好きな川崎さんといってね。その川崎さんとしては、理知的で、上品極まりない彼女に、命・永らえてほしかった。です。そして、その内面を、開いて何を考えているのか聞かせてほしかった。

 ここで、本当は引きこもり問題へ入りたいところですが、本日はやめます。引きこもりとは、一種の自殺です。保育所で育てると、そうなる。今はやっている、おいしいスィーツを食べたいから、収入を上げたいのよ、だから、母親も働きにでる、と、言う現在日本の流れ、これは間違っています。未就学児期は、母親と施設=幼稚園など、六時間程度預ける。後の、8時間は母親が見る、そういう風に、半々で育てるべきです。保育所で、一日過ごすと、経験できないことが多くなり、それ故に、自信がなく、絶望しがちな青年ができるのです。あ、だけど、今の連続ドラマ【バニラな毎日】は、私は好きですよ。日本社会を根本的に変えないと、将来の日本がないです。日本は、つぶれます。

 つまり、子育てって、母と子の間の会話が大切なのです。

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親は子供に優秀であることを望むが、それは、時として、自分を不幸にする。子供が自殺をしてしまうので

2025-02-26 04:46:09 | 政治

 すみません。今、一時間以上かけて、渋谷教会を探していたのです。私はね。そこで、一時間近く瞑想をさせてもらったことがあるのです。ウィークディの、夜7時ごろで、「えっ、渋谷という大繁華街に、こんな大きな教会があるの?」と、驚いた記憶があるのです。が、今、どうしてもそれが、見当たりません。入口が、大きな石造りの階段(30段ぐらい)だった記憶があるのですが、教会さえも、土地の高騰で、引っ越すのかしら?

 1970年代に、ICU教会と同じぐらい広い聖堂を持つ、大きな教会でした。そこの、牧師をしている人のお嬢様が、これまた、きれいなこと、きれいな事、1958年に、半年ぐらい、別の教室ですが、私と同時期にお茶大付属高校の一年生をしていたと記憶をしているのですが、

 前報で、私が述べた様なポイントを嫌って、都立高校へ、転出してしまったのです。日比谷か、戸山か、新宿高校だっただろうか? 其の後東大へ進学したのだけれど、自殺してしまったの』と、2024年10月26日の同窓会で、誰かから、聞きました。

 私はね。傍にいる人で、自殺をしてしまった人に、後で、はなしをききたかったと、思うケースが、三人ほど、居るのです。

高校時代の友人が二人。ただ、この二人は、そばにいたわけではないのですが、心がわかる気がする。(二人ともに女性)

 もう一人、大学時代の、知人(これは、階段教室で、試験を受けていた時に、15mぐらい後ろから、じっと私を見ていたので、「あなた、私はね。あなたが、この大学ではなくて、東大へ行けばよかったと考えているのはわかるわ。でも、今は、この試験に集中をしなさい」と、目顔で、命令したのです。その直後自殺をしてしまったのです。でも、私はにっこりとしながら、叱ったのですよ。

 もしかすると、彼は、私の事を好きだったのかしら? こんなことを言うと、いろいろな方から、叱られそうですが、林君が私を見ていた顔って、主人が、四谷の橋の上で、20mぐらい向こうから、じっと私を見つめていて、その視線の強さにふと、気が付いて振り返って、主人の顔を見たその瞬間と、林君は同じ顔をしていたのです。林君の方は、1964年の話ですが、主人の方は、1962年の話です。ICU入学前の事でした。だから、ICUでは、何の恋愛事件も起こしていません。ただ、1997年に有名な手相観の日笠さんに、あなたは、芸術家でよかった。これが普通の主婦だったら、事件を起こす人になっていますよと、言われたほど、私は、所謂、お色気がある人間なのですって。両手に、金星帯という恋愛や、男女交際を、つかさどるラインが、4本もあるそうです。だから、もし、林君が、私を好きだったら、あの15m離れたところから、送った「早く目覚めなさい。今は、この試験に集中!、ほら、しっかりして」にショックを受けたのかしら?

 彼は、江戸時代の幕府の学問の、首長、、、林・大学の守・・の子孫だったでしょう。それは、本郷弓町教会でのお葬式でわかりました。牧師さんが、「普通は自殺をした人は、教会ではお葬式をしません。でも、彼は、本当に純粋な少年だったので、教会で、お送りしましょう」と、おっしゃったのです。出席者は、20人強で、ほとんどが、40代以上でした。すべて、美形で、細身の、上品な人たちで、東大を卒業したであろう人たちでした。着ているスーツ(=背広)の上等な事、お母さんも、細身の体にぴったりと合った、上等なウールのスーツ姿でした。生協のカタログに出て居る様な流行を追った、黒の、ポリエステルの(当時は、他の種類の化繊だったかな?)ワンピース姿ではない。

 私以外で、20代の人は一人もいませんでした。彼は、当時東大合格者御三家と、言われていた、武蔵の出身です。男子校なので、20代の男の子が、2,3人連れ立ってきていても、おかしくないのに、誰も、いませんでした。お母さまが知らせなかった? 武蔵出身で、東大へ行っていないのは、負け組だから、武蔵時代の、お友達がお葬式に来なかった? そうすると武蔵って、利益優先の子供を作るのですね。無駄な時間を過ごさないという冷たい、心理。

 私は、この人の事をメルマガで書いていますが、お母様と、母一人、子一人の生活だったのもいけなかったのだろうと、語っています。お母さまは、きれいなきれいな女性ですが、もちろん、仕事を持っていました。戦争未亡人だから、独り身だったら良いのですが、もしかして、戦後の、風潮にのっとって、離婚をなさったのだったら、林君にはマイナスでしたね。

 あほみたいに見える夫。怠け者に見える夫。靴下などが臭くて洗濯をするとき、嫌悪感を感じる男が夫。でもね、そういう雑多なものが、林家に在ったら、林君は、あれほど、純粋で、誰も友達がいないという人生ではなかったと思います。

 私たちは誰でも、子供のお成績が良くて、美形であることを望みます。だけど、分布曲線の、プラスの方向へ、あまりにも進み過ぎても、だめなのですね。

 私が東大卒、電通入社というエリート、高橋まつりさんが、上司のパワハラで、自殺をした時に、すぐ、お母さんが、離婚をしている筈で、それが、まつりさんの、心の余裕のなさを生んでいると書いたのも、林君のケースを考え抜いていたからです。

まつりさんは性格が悪い?。自殺は、母にも遠因があるのでは?・・・・・母って胸騒ぎがするものなのですよ△   2016-11-12 20:00:14 | 政治

 林君のお母さまは、すでに、100歳を超えていらっしゃって、亡くなっていると思います。再婚でもなさっていたら、まだ、救いがあるが、あの後、ずっと一人で、過ごされたと、考えると痛ましいです。

 以下は、google で、検索した、林家の始祖についての、書物です。

林羅山 (はやしらざん)
堀勇雄 著
林羅山は本名信勝、薙髪して道春と称した。江戸幕府文教の中枢ともいうべき林家の始祖として著名であり、日本史上稀有の博学者ながら、典型的な御用学者ともいわれる。「立身出世のために学者的良心を捨てて曲学阿世の道を選んだ」とされるその哀歓の生涯を、著者は豊富な史料によって詳説した。儒学の本質にも迫る好著。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 私が、今日、こんなことを書いたのは、
 2025年10月26日のクラス会で、あの中退した、美形の少女が、その後東大を卒業したのに自殺をしたと、聞いたからです。
 妬みから言うのではないです。
 良かれと思って、親はレールを敷くのだけれど、
 本当のところは、何がその子供にとって、良い子育てだったかは、わからないと言う事です。
~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 なお、この一文は前報のスピンオフです。お茶大付属高校における階級や育ちの門題による差別について語っている章の、派生文章です。
 
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ゼレンスキーが盛り返しトランプは消えさった。・・・・・是は、キャサリン妃癌罹患と皇后のお馬のアレルギーについて書いた私が正しかったから起きる話

2025-02-24 22:16:11 | 政治

副題1、『私は、以前から気が付いていたが、自分の指先が世界のニュースを作り出すのだった』

 実は最初の総タイトルを、【ゼレンスキーが盛大に持ち上げられています。なぜかというと、私が、大物だからです】としておりました。だが、読者の誤解を招くだろうなあと思い、今(2025-2-24 の夜10時半)、後半を取り替えました。 

 皆様は、この【私が大物ゆえに、ゼレンスキーが盛り返した】という総タイトルをお笑いになるでしょう。また、誇大妄想狂が、ほざいているさと、井上ひさし+伊藤玄二郎、+、警察庁の幹部は、笑っているでしょう。なお、井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、まだ生きていますよ。もしかしたら、ゼレンスキーを今、持ち上げている世界の潮流は、井上ひさしの命令によって、アメリカのCIA本部が動いているので、そうなっているのかもしれません。でも、私の言葉を信じない方も多いでしょう。で、そういう方は、今、笑っている。で、私の方は、どうぞ「お笑いくださいませ」と、言っておきます。ただ、そういう総タイトルをつけない方が、読者数が多くなるだろうとは思っております。が、本日は、ほかに忙しいことがあり、このブログの世界に、10時間以上をかけて居られないので、恐れ入りますが、こういう総タイトルにさせてください。ただ、そういいながらもやはり、引っ込めて、温和なものにしたわけですが、・・・・・

 ただ、どうして、そう考えるかは、理由があって、それを、最近二日のゼレンスキーに関するニュース分析と、

 去年のキャサリン妃をめぐる大騒動と、雅子様のマスクをつけてのクイーン・カミラとのパレードを、分析すると、自分はやはり大物だと、成ります・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ゼレンスキーは、一般大衆を集めて、記者会見を開いた。昨日2月23日のNHKニュースがそれを伝えた。その内容が、彼自身は、とても、格好がよかった。英雄的宣言をしたのだった。戦争が終結するのだったら、自分は大統領職を辞任すると。しかし、私は、そのニュースを見て、改めて、ゼレンスキーの計算高さを感じた。・・・・・ほ、ほー。やはり、芸人出身ですね。国民の意向がどう動くか、ツボを心得ています・・・・・と』

 記者会見の様子で、最も嫌なものは、小沢一郎のものだった。ホテルか何かを借りて行うのだった。だから、長机も、パイプの足ではなかったと記憶をしているし、記者たちが、座っている椅子も猫足みたいな、割と高いものだった。そして、カメラに向かって、国民をみ下す睥睨目線で語るのだった。そして、記者たちの方も、熱量がなかった。広い部屋に、パラパラと記者が散らばっているのが、寒気を催すという感じだった。

 私は、発言者を守るために、特に重要だと思うネット記事をコピペしておかない。また、コピペしたケースでも、ブログでは、使わない。しかし、私が考えた10年後、20年後、同じことを言いだす人がいる。最近、二週間以内に、MSNというサイトか、そこへ孫引きとして、ほかのメディアの記事が載ったのだが、

 イギリスの誰か、偉い人が、「小沢一郎を支援しようとしたが、ともかく、人間=性格や、人格=が悪すぎて、支援しても、浮上しなかった」と。その人は、CIAの意向がわかる人で、イギリスのおけるCIAエージェントなのかもしれない。私は、40年は前から、金丸信は、CIAが、信頼する政治家であり、その腰ぎんちゃくとして動き、田中角栄を裏切った、小沢一郎は、CIAがひいきをする政治家だと、思っていた。それが、イギリスから肯定をされたということ。

 最近、詳しく書いているので、ここではくりかえさないが、大野埼玉県知事と、猪口邦子参議院議員は、100%CIA側・かわい子ちゃんである。

 さて、ゼレンスキーに戻る。小沢一郎や、猪口議員よりは、大衆の意向を知っている。それは、芸人として、働いてきた過去があるからだ。猪口議員も、上智大学の学生という一般大衆との接触があったが、自分の方が教授という強者の立場なので、真実がまるで分っていない。

 この・・・・・「戦争が終結するのだったら、自分は辞任をしてもいい」・・・・・というのは、NHKニュースで、五番目に、繰り返し見られた人気記事だそうだ。いかにも口当たりがいい。それに本当に辞任をした方が、人気は、永続的になる。これほどに、世界的なりしゅつを果たしたら、そのあとは、上手に引退しないと、目の当てられないこととなる。人気者こそ、引け際が大切だ。

 ゼレンスキーが計算高くて、いやな人間だなあと思う根拠は、この記者会見を大衆の眼前で行ったことだ。普段の記者会見場である、大統領府内ではなかった。柱もないし、ドアもないし、装飾も一切ない、野外劇場のような場所で、あった。

 日本でいうと日比谷の野外音楽場に似ている。ただ、幅が、1.5倍程度、ゼレンスキーが使った劇場の方が、大きかった。そこに、一般大衆を集めて記者のカメラは、真横、また、大衆の後ろにおいて、撮影をさせて居た。昔、芸人時代に、出演した劇場であり、集まった、群衆は、フェイスブック(メタ)とか、ツィッター(X)、または、インスタグラムで、工法をしたので、集まったのだと思う。

 これもまた、私のブログを、十分に元手として使う、井上ひさしの脚本に基づいての行動かもしれない。彼は、世界の外交をも牛耳っているというわけだ。

 で、次の日に、ヨーロッパじゅうの政治家がキーウに集まって、ゼレンスキー支援を表明した。

 で、トランプの動きは、まったく忘れ去られた。そして、この二日間、トランプに関するニュースもNHKは、報道をしない。は、は、のんきだね。は、は、のんきだね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『わたくしがキャサリン妃について書いたことと、雅子様のお馬のアレルギーについて書いたことが、今、ほとんど、正しかったと、なっている。だから、私は預言者的、力を持っていると、思う。あまりに、早すぎる、真実開示があるので、人々が、大切にしてくれない。トロイアの王女、カッサンドラと同じである。ところで、ここで、キャサリン妃について、過去に書いてきたことを簡単にまとめよう』

 *1)2023年一月の大手術、これはね。キャサリン妃の絶望を示すものです。キャサリン妃は、ウィリアム王子に大切にされていないと、そのころ、思っていたのです。キャサリン妃は、母親が、クイーンになってほしいと願った女の子で、その通りに生きてきたのですが、いわゆる努力で、出来上がった女性なのです。もちろん、美しい方ですよ。それに、頭もよい方でしょう。しかし、蓼食う虫も好き好きと言って、そういう女性を好まない人たちのいるのです。昭和天皇のお后だった、良子(ながこ)さま(のちに孝淳皇太后と呼ばれる方)は、皇太子妃、美智子様が嫌いでした。特に美智子様のお母さま=正田夫人も嫌いだったでしょう。だから、美智子様は一時期大変だったのです。皇室の女性たちが、良子様になびくので、孤立化なさったのです。

 で、やっと、皇后の位置を得られて、皇室の人気を作り上げるべく、大いに、努力をなさったのですが、ちょうどそのころ、皇太子妃雅子様が公務を欠席なさる回数が、増えて、美智子様は、大いにイライラなさったと思います。

 キャサリン妃も大体、似た様なことなのですが、日本の場合は、なるひと様(現在の令和天皇様)が、雅子様を大好きなのです。で、美智子様が、雅子様をいじめたという話は、外へは出てきていません。

 しかし、英王室の場合は、ウィリアム王子が、キャサリン妃を嫌いになってしまったのです。エリザベス女王は田舎のあるお屋敷をウィリアム王子にあげたそうです。その別宅から車で、15分の所に、ある侯爵家があるのです。イギリスの田舎って、人が住んでいないところがあるのです。その侯爵夫人は、夫よりも、年齢が離れていて、・・・・・これから先は、口にチャックといたしますが、・・・・・

 この間の事情は私にはすごくよくわかるのです。私は付属中学に入学試験一番で入学したので、がり勉と思われていて、男の子には無論のこと、女の子にも敬遠されていたのです。でも、国語の先生が、私の作文をよくできているとして、100枚がりきりをして(コピー機がない時代で、謄写版というのを使うのです。現代のシルクスクリーンの小型版ですが)一学年全員に配ってくださったのです。それは、自分の所属するB組が、A組に、負けた(バレーボールの試合9人制の時代だったが)というだけのテーマなのです。が、後年「ストーリーテリングの才能がある」と、言われたり、どこかにユーモアのセンスがあると、言われたりする様になるわけで、それが、すでに14歳にして出ていたのですね。それ以降、休日にお友達のおうちに招かれる様になりました。保土ヶ谷の山路さん、もみじ坂の、恭子さん、間門のカメの家、横浜中のお父さんがエリートの、お宅に招かれて、70年前は、まだ、まだ、珍しかった、固まりの牛肉が、ゴロンごろんと入ったビールカレーなどをごちそうになったものです。

 これは、高校でも同じなのですが、この2024年10月26日、銀座のクラス会で、大森ちゃんという、軽井沢にも別荘がある、大金もちの学友が、井上ひさし達が考案した、策謀に、加担して、ごりちゃんは、さくたさんを使って、すごいいじめをやってきたのです。それはね。山口みつ子さんが殺された2010年の4月からの個展を見に来てくれて、その時「白ちゃん(私の高校時代のあだ名)って、表現力があるのよね。ほら、高校時代、夕鶴で、通を、朗読劇としてやったでしょう。その時の白ちゃんの表現力って、本当に大評判だったのよ」と、50年前のことをほめてくれたのです。絵を見ながらね。

 それをブログで書いたのです。名前は伏せてね。だって、結婚後の名前なんて、覚えられないし、大森ちゃんという旧姓を書いたとしても、そういう人は現実にはいないわけだから、ただ、ただ、うれしかったことを書いたのです。

 そうしたら、その14年後、大森ちゃんが敵として利用される、のでした。これは、丁寧に書かないと、皆様は、意味がお分かりにならないと思うのだけれど、みずほ銀行鎌倉支店での、すさまじいいじめと、表裏をなす問題なので、あとで、詳しく書きます。ああ、あの個展も栗田玲子さんと、森邦夫さんが組んだ、恐ろしい罠であり、

 4月5日から始まったのですが、それに、山本陽子をぶつけてきて、かつ、川崎千恵子の方には、行くなと、全、銀座の画廊のオーナーに命令したらしいのですよ。いち月17日に山口みつ子さんが殺されているので、本当に誰も来なくて、シロタさんだけが、前の週の金曜日に来て(わざとでしょうが、あ、まだですか?)と言って帰っていったのです。

 三岸節子の画廊の人が見に来てくれたら、exibit Live and Moris(そこで、私が現在個展をしているところでしたが)の、オーナー森さんが、追い返したのですよ。私の目の前で。

 そして、6日の火曜日に瀬木慎一さんが、「訴訟をする」というA4サイズのワープロで打ったとわかる、文書を送りつけてきたのです。彼は、中央大学法学部政治学科卒で、伊藤玄二郎と同窓、同科卒だから、頼まれたのでしょう。これは、銀座から瀬木さんに電話をかけて、「おとがい(あごのこと。瀬木さんは、顎が、小さい人だった)という語彙をわたくしが使っただけで、瀬木さんは、シュンとなって、訴訟云々は、立ち消えになりました。伊藤玄二郎は、私のことをよっぽど劣った人間だと瀬木さんに伝えていたのでしょう。私はばかであ張りませんよ。非常に高い能力の持ち主だ、仕事が抜群にできる人間だと、東大に勤務していた時に上司から言われていますので、私に失礼なことをしたら、あなたは、神様に見放されて死にますよ。私に対しては、絶対に失礼なことをしてはだめなのです。瀬木さんも、あの、訴訟云々の手紙が来た、2010年4月6日から、一年以内に亡くなっています。享年80歳ですって。私は、その二年余計に生きていますよ。ぐわっ、は、は。

 その時、私は伊藤玄二郎に対して怒ってね、8日の木曜日に、個展の案内状をもって、「どうか、見に来てください」といったのです。ほかにも、前年の、10月の主人のがん検診を5日に知らせてきて脅かしたり(むろん癌ではなかったのですが、額田病院を支配下に置いていると、誇示したかったのでしょう。伊藤玄二郎がね。すると、実際には、超・臆病者の彼は、すぐさま井上ひさしに、連絡を入れて、「川崎千恵子は、我々のたくらみをすべて知っているみたいだ」といったのです。すると、こちらも実際には、超・臆病者の、井上ひさしが、ビビりまくって、次の日に、自分を死んだと、NHKを占拠して、三女の、麻矢さんに、おおげさに、おおげさに、発表をさせたのです。嘘ばっかり、だって歩いて病院に言っていたのですって、佐助の坂は、コンクリートに丸い円が抜いてあるほど、急坂なのですよ。麻矢さんは、百合夫人や、子供の手前、ほとんど、招かれていないと、思います。だから、そんなウソを平気で言ったのです。だけど、代々木の共産党の病院に行くにしても、電車に乗る姿は見られている筈で、瀕死のやせっぷりを、目撃した人がいないとかデスマスクがないとか、ほかにも彼の死が嘘であることを示す証拠はいっぱいあります。」

 さて、お茶大付属高校のクラス会は、2014年と、2024年と二回も、CIAエージェントに、占拠されて罠が張られていました。懲りない鎌倉エージェントですが、坂本きっこさんに、直接、伊藤玄二郎が連絡して、そうしているのか、それとも、時枝ひろ子さん(旧姓西大寺さん)に井上ひさしが、直接連絡を取って(カソリックの偉い人同士としてね)教唆しているのかわかりませんけれど、・・・・・たった、10年以内に、同じことをやるなんって、命令する方も、実行する方(坂本きっこさんが、主たる人だと思うけれど、大森ちゃんは、よくわかっていないのです)も、あほじゃあない?

 さて、やっとキャサリン妃に戻ります。私は学校のお成績は良くても、がり勉タイプではないのです。面白い人なのです。中身は、情感にあふれて表現力も満載です。

 しかし、キャサリン妃は、私よりずっと不自由でしょう。私はニューヨークへ美術修行に行きます。それを許してくれないのだったら、逗子で、一人暮らしをします。と言って、三年も逗子で、一人暮らしをしました。捨てられたからの一人暮らしではなくて、自分のステップアップのための一人ぐらいですから、寂しいなんて、言う暇はないです。よく人間関係が大切だといいますね。それも真実でしょうが、人間が、勉強したいと願うときには、徹底的な集中が必要で、それにはテレビもない、ラジオもない、新聞もない、誰からも話しかけられない・・・・という生活が最上なのです。

 私は、宙をずっと眺めていて、何もしていない様に見えるので、考えることが嫌いな人にはおかしいと、みえる筈です。だけど、空気を吸うがごとく、考えることが好きなのです。やがて作文という道があることを知り、考えたことを文章に落とすと、脳内が、楽になるのも知りました。私は1984年、こちら雪ノ下二丁目の谷戸に引っ越してくる際に、「ああ、これから、書く生活に入れる」と、本当に喜んだのです。

 しかし、安野智紗夫人とか前田清子さんが、本当に嫌な刺激を与えてくるのです。しかし、それらが、個人的な好悪の感情ではなくて、ごく政治的なものだから、まあ、日本政治の真実を暴くという意味で、意義も感じています。

 ところで、このキャサリン妃とウィリアム王子の、懸隔と、それについてのキャサリン妃の、実存的絶望状態を、うまく利用して、

 自分が考え出した、・・・・・偽の病、雅子様のお馬のアレルギー・・・・を、英国王室を利用して、日本国民に納得をさせたのが、鎌倉エージェントの二人です。なんという悪辣さよ。

 ここで、お断りをして、パソコンから二時間ぐらい離れました。すると、驚くべき真実が、もう一つ見えてきたので、書き表したいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『階級とか育ちの良しあしの問題は、結婚と同時に炸裂してしまう。キャサリン妃が、侯爵夫人に負けてしまったのは、、最初から階級が高いところに生まれた侯爵夫人は、努力家ではない。だけど、それが、ウィリアム王子をリラックスさせるのだ。ウィリアム王子が、侯爵夫人を好きなのは、世間一般が思うほど、セックスの相性が良いということっではなくて、チャールズ当時の皇太子が、ダイアナ妃ではなくて、カミラ夫人を好きだったのは、年齢とか、育ちの問題で、話が合うという点だったのだろう。

 だけど、なるひと親王殿下のおきさき選びも難航したと聞いている。日本国内で、上流階級のお嬢様とみなされる方は、みんなその重責から逃げてしまったのだ。

 一方、英国王室だが、やはり同じことだと思う。カミラ夫人は、若いころから、チャールズ皇太子と、話が合う友達だったのだろう。だけど、自分の容貌、自分の実家の財力、自分の実家の称号などがすべて、将来のクイーンに適応しているとは思えず、チャールズ皇太子の奥様になるという、重責から逃げるためにある、男性と結婚をしてしまった。偽装結婚とまでは言わないけれど、それほどに燃え上がった恋愛でもなかったと思う。

 で、当時のチャールズ皇太子が、ダイアナ妃と、会話がかみ合わないと考え始めたころ、いわゆるやけぼっくいに火が付いたという形で、カミラ夫人と過ごす時間が多くなった。で、ダイアナ妃は、むろん、勘が鋭いので、怒りに燃えた。特に若くして、特に処女で結婚なさったと思うので、こっちはあなたに忠誠を誓ったのに、あなたの方は、誠実ではないという怒り。

 だが、エリザベス女王をはじめとする周辺の人にとってはあくまでも主役はチャールズ皇太子だった。だから、ダイアナ妃が、実質的には、第二夫人となっても、形の上では、一番なのだから、、あなたの方が我慢をしなさいということだったと思う。

 ところが、ウィリアム「王子と、キャサリン妃の場合、階級がしたなのに、なり上がったという負い目がキャサリン妃の方にあるので、その緊張感から、キャサリン妃は、どうしても努力一番の人であると、言う生き方から逃れられない。

 一方で、侯爵夫人は、そういう努力をする必要がない。生まれた時からの、自由さ、奔放さをキープしている。そこに魅力がある・・・・・と、ウィリアム王子は、考えただろうし、すでに、お世継ぎが三人も生まれているので、もう、キャサリン妃には、触れたくない・・・・・という様な感覚・・・・・・それを王室内、および、ヨーロッパの貴族社会は、みんな知っていたと思われる。

 キャサリン妃には、味方になってくれる人がいなかったのだ。

 ところで、この関係を、2024年10月26日銀座の高級中華料理店で、行われた、お茶代付属高校内での、大森ちゃんと、ごりちゃんと、佐久田さんと、私の四人の関係に当てはめてみよう。

 大森ちゃんは、侯爵夫人の立場だ。たぶん小学校から、お茶代付属小学校に入っており、文京区在住の階級の高い家の生まれであろう。一方で、私は、キャサリン妃の立場だ。別に,がり勉ではないと、自分では思っていても、銀のさじをくわえて生まれてきた人にとっては、あの人たちは、ダサいというか、階級が下で、育ちが悪いと思っているのだ。

 私にとって、大森ちゃんの記憶も、きっこさんの記憶もないので、私は下から上がってきた人とは付き合っていなかったと思う。大森ちゃんは、「私はね、高校のクラス会には、一度も出たことが無いのよ」と、言っていた。「卒業以来、60年間出席したことのない、クラス会に、始めた来たそうだ。で、大森ちゃんをサポートするために、小学校から、お茶大の付属だった、奥様方が数人来ていて、ボディラングエッジで、サインを交わしていた。そのサインのやり取りで、大森ちゃんが、2010年とは全く違っていることは私にはわかっていた。もう、謀略に基づいていじめようと構えてきているのがわかった。

 さて、テーブルは、長方形で、くじで、座席が決まる形だったが、相当な手配がされていて、大森ちゃんと同じ列に、2014年には、激しく言いじめてきた人が座っていたが、私がその時のいきさつを書いているので、今回は、その人は何も、やらなかった。だが、敵さんたちにとっては、彼女が、私の目の斜め前に座っていることは、十分に脅かしの役目を果たすと思っていたのだろう。

 ごりちゃんと、私ともう一人東大教授(特に原子力分野)のお嬢様だった、クマはドイツ語部に入っていた.クマは大変上品な人で、だからこそ、ICUを卒業後、ICUの教員になっていた時に上司にいじめられ切っていた。で、本来なら、ICUの教授になるところをICUをやめて、もっと偏差値の低い大学の教授として転出していった。マスコミにも名前を売っている、有名な女性で、クマのお顔、家柄すべてに嫉妬していたのだと思う。私ほどの損ではないが、クマも人生で、思いがけない形で、損をした人だ。で、この三人組の中で、ごりちゃんが、なんとなく、勝ち気で、威張っていると、私は感じた。それは、父親の職業で威張っていると感じたのだ。ごりちゃんが高校時代、父親は霞が関の官僚だった。課長ぐらいかなあ?

 一方で、私の父は、1940年代、配給制度時代には、最も華やかな部署だった、経済安定本部の係長だった(私が、小学校の時だから、ごりちゃんに高校時代に威張られる9年は前のことだった。)と気に上司(=課長)が家を建ててもらうは、ピアノは買ってもらうは、という形で、派手な収賄を起こしていたので、お金はもらっていないが、花柳街での、供応は、受けていたので、書類送検となって、官僚をやめないといけなくなった。だけど、高校入学時は、誰にも黙っていた。で、ごりちゃんは、私のことを商売人の娘という感じで、馬鹿にしていたのだと思う。だけど、それを覆す方法はなくて、高校時代、ずっと、馬鹿にされ続けて、終わった。ごりちゃんというあだ名は、ゴリラからきていると思うので、小柄で、お顔のかわいいお嬢さんなのだけれど、気が強いということは、皆様もご理解をいただきたい。

 ところで、こういう時代=1958~1961には、語れなかったことを、その40年後に電話でごりちゃんに語るのだった。逗子の一人暮らしで、最高だったのは、電話が自由にできることだった。主人と私は、生活費の、多寡で、相当に育ちが違い主人が電話は、用件だけというので、向こうからもらった電話でも、ちゃんと対応ができない状況だった。逗子の一人暮らしの時は、夜、本当に長電話をしたものだった。同じ人と、四時間も話したこともある。で、この時、50代だったが、ごりちゃんに、やっと、父の状況を話して、父が、東大ではないが、一応大卒であることなどを推察してもらったと思う。商売をやっていると聞くと自動的に、旧制中学程度の学歴でしょう? という様な世代だった。私たち、1942年生まれは。

 ごりちゃんは、気が強い人だけど、大学は東京女子大へ進学したと思うので、連れ合いは当然東大卒で、親子二代にわたるエリートなのだけれど、その電話以来、クラス会でも、ごりちゃんからのプレッシャーを感じなくなった。東京女子大は、ミッション系なので、井上さん=岸田淳平氏が関西学院大学卒で、非常に教養が高い様に、東京女子大での、教育を良い方向へ生かせば、成熟した優しい人間になれるはずだった。

 実は、この電話対話は、1999年だった。しかし、盗聴をされていた。1977年の北久里浜における、大、大、実質的詐欺事件=地積変更届の、真実をわたくしが知って以来、電話は、ずっと、盗聴され続けている。ということが、2024年10月26日に分かった。

 ごりちゃんが、40分以上遅刻をしてきたのだった。ごりちゃんは、謀略の意味も、委細も聞かされていたと思う。で、私をいじめる社役を頼まれていたのだが、本当は、いやだったのだと思う。で、いじめる時間ができるだけ短くなる様に、遅刻をしてきたのだった。

 ごりちゃんがやってくると、大森ちゃんがほめるわ、ほめるわ、ほめまくった。ふつうの場合だと、東京女子大ぐらい出ている人は、「あら、ああた、そんなこと言わないで。私が、照れるではないの」となるのだが、ごりちゃんは黙って聞いていた。

 大森ちゃんは、私をほめたことを訂正し、けなす代わりに、私には話しかけないで、徹底的にごりちゃんを持ち上げたのだった。ここで、佐久田さんが、大森さんの援軍を買って出た。

 五時になった。で、ここで、再びやめよう。

 大森ちゃんは、英国王室に倣っていえば、侯爵夫人にあたる。生まれもって、自分の人生に瑕疵や、疑問のない人だ。一方の私はキャサリン妃の立場となる。努力家ということ。そして、上流階級の人は、心底では、努力家を嫌う。

 ところで、大森ちゃんは、私をいじめる作戦の兵士として、やはり、高校からの転入組を使うのだった。ごりちゃんが入室してくる前に、さんざんボディラングエッジで、連絡を取っていた学友は、使わない。高校からの転入組に対する違和感があるのだと思う。「お勉強ばかりしてきたのでしょう。人間としてつまらない人になっているわね」と言いたいのだろう。

 でも、同じ大森ちゃんが、2010年の、4月5~10の間に、確かに、「白ちゃん、高校時代から、表現力があるって、みんなが言っていたけれど、やはり、あるわね」と言ってくれたからこそ、その14年後、ひたすら、私を無視して、左に座っているごりちゃんをほめまくったのだった。ああシンド、ああ疲れるね、」

 で、私は、キャサリン妃の、苦しい立場が、いやというほどいわかるのだった。

 ここで、五時15分になったので、本当にやめよう。まだ、まだ、家事の仕事が残っているので、

 

、これから先、二万字ぐらい新たに書くか、過去に書いているもののリンク先気を示さないといけませんが、本日の仕事(個人的なもの)が、大量に残っていて、また、五時に寝ることになるので、ここで、パソコンからは、離れます。

ここから先は、キャサリン妃に関するメモ書きです。

 *2)三月の癌にかかっているとの発表(これは、100%嘘です。そういう発表によって、キャサリン妃が幽閉され、いつの間にか、病没されているという形になるのを、私は、おそれています。

 誤変換を直し、推敲をしたら、署名を入れます。

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トランプがゼレンスキーを抜かした理由は? + 文中で異様な繰り返しが起きていたがその原因は前田夫妻と妹の他殺との関連にある

2025-02-22 21:55:03 | 政治

 私は、本日新しい文章を書きました。それは、下に在ります。➽

処で、次の日の午前二時(それは、一旦終了して後、四時間後だったが)急にここに挿入を入れます。というのは、途中で、大量に、繰り返されている同じ文章がありました。そんないたずらをされたのは、そのあとに来る文章を読者様に読ませたくなかったからでしょう。

 そこに書いてあることは、私の、鎌倉雪ノ下のご近所人間の前田夫妻が、共産党員の可能性が強く、したがって、同じく共産党員であったであろう千葉大卒の東京都江戸川区清新町の住人である柏木孝司(妹の連れ合い)と、組んで、妹を2017年7月10日に他殺した案件で、或る程度以上のかかわりがあったであろうと言う事です。それを読者様に読ませたくなかったせいで、大量の繰り返しが出来したのであろうと思っています。したがって、その部分が真実です。そして、重要です。ご近所様に2017年に既に、大きく妹の他殺という案件で、裏切られて、いる私。妹を殺されているのに、気が付かないでいるアホよ、と7年間も、前田夫妻及び、彼女の手下どもに、思われていた私、そして、それをなかなか、ブログには書けないでいる私、すごい悲劇だと、ご理解ください。で、挿入を終わります。二つの👉の間をつなげて読んでください。

 ➽その中の、重要な部分をこちらに抜き書きします。

 なぜ、トランプは、ゼレンスキーを抜きにして、プーチンと交渉を開始したか? について、NHKは、レアアースについて、ウクライナが、トランプ大統領の申し出でに応じなかったからだと、伝えています。それも真実でしょう。しかし、以下に私の考えを述べますが、こちらも真実だと思っています。

 しかし、一般の読者様に誤解を与えかねない、四か月前の文章・・・

  イコール、ゼレンスキーは悪人です・・・・で、私が言いたかったことは、プーチンとゼレンスキーの戦争は、地上戦用の武器を消耗させると言う意味もあって世界中の軍事産業に、活気を与える為の物だという側面もあるのだと言う事です。

 という事は、ロシアと、アメリカの戦いでもあるのです。でね。トランプは、不動産屋上がりです。軍事産業などの、重工業上がりではないです。そして、アメリカの軍事産業が、養っているCIAから、警戒をされている大統領です。

 だからね。トランプにしてみれば、もう、アメリカの軍事産業を儲けさせる必要はないと、言う感じでしょう。

 なぜ、ゼレンスキーを抜きにするかというと、ウクライナは、本国内に、大規模軍事産業を持って居ないと思います。となると、ゼレンスキーが使っている武器はヨーロッパ諸国からの援助物資です。

 ヨーロッパと言っても、この種の軍事産業は、すでに、国に所属しているわけではなくて、グローバル企業なので、ヨーロッパで儲かると、アメリカにいるその種の大富豪たちも儲かるわけです。

 これが、私が判っている事で、したがって、トランプはゼレンスキーを小童(こわっぱ)または、パシリと、考えていることが推察できます。だから、抜かして、プーチンと交渉を始めました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 トランプ大統領は、今、躁病期ではないかと、思うほどの、活発さであり、ちょっと危うい感じがします。唯ね。痩せましたね。なんか、三分の一になったと感じます。顔だけは、そうで、体もきっとそうでしょう。それが、唯一、彼が、躁病ではないと、言える根拠です。一応、激しいストレスを感じながら、今の、疾風のごとき、大統領令の頻発と、突飛過ぎる提案を出しているのだろうと、私は考えます。

 それに、ご本人は、ベルサイユ宮殿風の大豪邸を、フロリダに持って居るとか? 

 ニューヨークの、トランプタワーとは別にですよ。だから、実質てきには大富豪です。で、本当に貧しい側の味方なのか、どうかは歴史が証明する将来まで、はっきりとは、わかりません。

 しかし、見事な勘を持って居る人です。アメリカの分断を利用して、貧しい人を味方につけて、その票の力で、自分がアメリカのトップになりました。

 アメリカにおける大問題は、国家内、分断です。大富豪と、一般大衆(多分、90%がこの階層に属する)の、収入差が、大きくなりすぎて、貧しい人たち側の不満が爆発しそうなことに在ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここまで、私には分かっていて、そして、それを外部に広言する理由は、激しい攻撃を加えられているからです。

 それが、82歳になり、しかも、体への、桜田門からの、高度な、ルーターを利用した攻撃(右ひざが、痛い。たぶん、ケン とか バン と言われる部分(イコール、骨と、筋肉をつなげる部分)を、桜田門のあの大ビルの中にある、IT専門家が、チェックし、常にみている大画面に、サーモスタット形式の私の体が、映写されており、二階で、このパソコンを打っている時も、そちらの画面の中で、攻撃を与えられ、それが、旧石井羊一邸に置いてある警察側の高度なルーターを通じて、わが身に反映をされ、我が足が傷みます。夜なんか、体がほとんど動かないわけで、ものすごい攻撃を加えられます。

 三週間か、四週間前から、やられていて、歩くのが不自由になりました。ひどい攻撃を敵から受けています。それに、莫大な量と数の泥棒行為、四日前ぐらいから、集音器、一つと、 まな板二枚が盗まれています。

 病院の診察券4枚は、安野家に、1月31日までは、確実にありました。今は、どこに行っているかは、わかりませんが、・・・・それは、私が1月28日に落としたので、そうなりました。しかし、まな板、二枚は、外へ持ち出すはずもなく、この家へ、泥棒が侵入したという確実な証拠です。

 まな板は、今では、食卓で、椅子に座って使っていました。長方形の小型なものです。しかし、厚くて上等です。もう一つ円形のものがあって(くりはらさんが、使っているものと同じもの)、それは、新品でしたが、それも盗まれています。これが、どうして盗まれたのかが、分かりません。

 もしかしたら、安野家がキープしていた帝国ホテルで買った赤い牛革のお財布の中に、SMBC証券のカードも入っていたかもしれません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 右ひざの、ケン または、バンに攻撃を加えられることも、一般社会には、非公開である、最高難易度の技術を使っていると思いますが、盗撮行為にも、最高難易度の技術が使われていると思います。パソコンとスマホに、盗撮機能があるのは、知っています。で、それらの、カメラの目の部分は、必ずふさいでいるか、スマホは、伏せて置いてあります。ともかく、私は、テクニック的にも、心理的にも、CIAが、警察を利用してあらゆる実験を、行う、最高の見本です。

 ここまで推敲をしました。以下は、誤変換が残っていると思います。が、推敲は、お待ちいただきたく存じます。

 で、何時殺されるか、分からないと思っています。私以外の、

外部の人には、それが、医者であっても家族であっても分からない形で、私が、(最高のIT技術をつかって)、殺される日は来ると思っております。

もう、大げさではなくて、命を賭して、このブログを書いています。ただ、お金は、一銭も儲かっていませんよ。私は、82歳の未だに、親のお金で、生きている人間です。

 私もね。40年前は、富裕層の方に属していたと思うのです。親はね。1960年代に既に、上位6%伊寧の納税者だと、国際基督教大学の事務局から言われました。だから、入試成績優秀者に出す奨学金は出せませんと、言われました。

 だが、高等遊民として、このブログを書く事に、最近の、16年間を使っています。その前の8年間はメルマガでしたが・・・・・そして、紙の本を出版することへも。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、最近は、貧しい方へ組み入れられているのです。

 市瀬紀美子さんという小学校時代の、友人からの、2024年3月2日の電話など、まさしく、それを象徴するものでした。

 彼女は、横浜国大卒で、お母さんや、妹の支援(子育てや家事などで)、及び、未亡人であるお母さんが、日吉で下宿屋を経営していたので慶応の学生(塾の先生役)も使っていたでしょうが、大変人気の高い塾を経営していました。そこからの収入の貯金がある人です。でね。賃貸用不動産も持って居て、そこから、年収2000万円の賃貸料が入ると思います。

 その上、ご主人が、慶応大学出身で、しかも、就職しないで、いい立場だったでしょう。市瀬さん一家が、気に入って養子に入ってもらったからです。お父さんが早く亡くなっているし、男の兄弟がいないので、お母さんが、紀美子さんが好きな人で、優秀な学生さんに、養子になってもらったのです。

 で、好きな事・・・・ゲーム作りに熱中して、たぶんファイナルファンタジーを、作り出しました。たぶんです。市瀬さんは、いろいろ、におわせるのですが、ご主人の作ったゲームの固有名詞は、教えてくれません。また、ご主人が起業した会社の名前も教えてくれません。

 でも、菊之助が、ファイナルファンタジーを、IHI劇場(今は無い)で、上演した際、その準備段階で、歌舞伎座を利用して、市瀬さんに、威張られ切ったので、たぶんスクエアの創業者です。

 その会社が、エニックスと合併して、株式上場した時に、また、莫大な収入を得ました。

 お金持ちだと言う事でも、威張られて、まいっちゃうのですが、お子様が、優秀だと言う事でも、威張りかえられています。お子様は、30代のうちに、東工大の、教授になったそうですよ。あれ、40代だったかなあ? そしてお嫁さんも、同程度の仕事をしているらしい。で、お孫さんが超優秀です。

 そして、その2024年3月2日の電話で、「孫と一緒に歌舞伎座デビューを果たしてきました」と言われました。

 私は、北久里浜で、地積変更届を利用して、1200坪、只で、元水道山を取得した、元海軍参謀、益山重夫と、元陸軍参謀・瀬島龍三を、やっつけて、こちら、鎌倉雪ノ下に引っ越してきました。どうしてそこまでやったかというと、彼らは、自分の悪事を貫徹するために、我が家の土地を、青地で、囲んで、利用できない様にさせたので、びっくりして戦ったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私は勝つには勝ったのですが、その後、瀬島龍三は、CIAの大組織を利用して、ありとあらゆるふりを私に降りかかる様に手配をしてきたのです。

 特に長男が私立中学二校を受験して不合格だったのは、瀬島龍三の裏からの手配があったと思います。どうしてそう思うかというと、1970年ごろのお孫さんの、鎌倉学園合格、立教中学合格、慶応普通部合格を、・・・・あたかも、昨日のことのように、・・・・・

 日吉の小田歯科医院の院長、小田春夫先生が、2018年から、2019年の治療の時に、諄々とおっしゃるのです。

 その裏に、水沢勉先生の、軽口があって、

 そのために、飯能事件、塩野義のゾフルーザが、危険だと言うニュースの氾濫、 登戸のカリタス小通学バス襲撃事件、ミャンマーでのクーデターとロヒンギャ弾圧、アウンサンスー・チー氏の軟禁、

   今、23日夜の午前二時に、急に気が付いたのですが、この間に多数の繰り返しがあって、ご迷惑をおかけしました。私がやったことではなくて、敵さんがやったことです。それほど、ここから先に書いていることを、読者様に見せたくなかったのでしょう。すごい話が続きます。特に前田夫妻が、妹の他殺に絡んでいるらしいと言う話は初出です。

 そして、妹の他殺と、その手助けをした、妹の連れ合い柏木孝司氏と、この山のご近所人間、前田祝一・清子夫妻が、共産党員としての、キズナで結びついていて、

清子さんなど、『私達は、平気ですヨ。彼女=川崎千恵子は、近々、殺されるのよ。だから、このブログも閉鎖されるわ。だから、私達は大丈夫』と、考えているでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここいら辺は、傍証付けしながら、二万字ぐらい、すでに書いたことがあるのです。一週間ぐらい前の話です。しかし、消えて、消えて、どうしても公開が出来ませんでした。

 今、ものすごく単純化した形で、書いています。でもね、つらくて辛くて、他人から殺されるのではなくて、自分自身が循環器系の病気で、死にそうです。銀座で、画廊を開いていた奥様がね。あっという間に、1500万円が無くなって、息子さん達から、「お母さん、危ないですよ。どうしたの? その生活?」と問われて、急に心臓の筋肉が剥離をして、苦しみながら亡くなったそうです。息子さんから、聞きました。

 私もそうなりそうです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ただね、どうして、ここまでの、苦しみを書いてしまったかというと、こういう毎日を送っているからこそ、私には、神様のご支援もあるし、・・・・・・それから、世界中のニュースの裏側もわかる眼が涵養された・・・・・・ともいえるのです。

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この4日間、強い悪意===まるで私がトランプ支持者みたいに見える様にCIA側は、このブログの古い記事をgoogle に載せた

2025-02-21 00:32:46 | 政治

 私は、自分の人気については、もう、気にしていません。2005年ごろまでは、人気が高かったのです。メルマガだけをやっていたので、読者数は、すくないのですが、その世界の読者のあいだでは、ものすごい人気でした。しかも、少ない読者層が、各ジャンルにわたり、テレビには出ない人たちだが、そのジャンルでは高度な、人々ばかりだったので、私自身高い誇りを持って居ました。

 しかし、2011年に、福島第一が起きて、それに関する、ブログ文が、すべて正しかったので、更に人気が高くなりました。と、同時に、すさまじい弾圧にも出会い、私は自分を守るために、さらに、ツールを増やすことを考えて、ブログを三個、ツィッター二個のアカウントをとり、フェイスブックも開設しました。(これらは、実際には、livedoor blog の閉鎖や、yahoo blogの閉鎖、私自身が、ツィッターを手当てしている時間がないと言う形で、生かすことができていません。

 この第一次フェイスブックでは、相当に深い事を書きましたが、それゆえに、女性・刑事もしくは、婦人警官である、安藤てる子さんという女性が、私の文章のファンとして、近づいて来て、二度目に我が家に上がって、夕食を食べて、夜の9時半に帰っていきました。が、その時の、彼女及び、別の警察官の、二組の策謀として、

 第一次フェイスブックを追い出されることとなりました。2012年2月11日の真夜中、もしくは、12日の早朝の事でした。これは、『トカゲか、わにか?』のシリーズとして、20数回に分けて、書いています。

 そして、それ以降、散々な苦労をしていて、このブログの世界で、そのいじめの実態(かっこいい言葉でいえば、言論弾圧の実態)を、書く様になり、それにつれて、このブログの世界が暗いものとなり読者が減り続けました。

 で、どうするかは無論考えましたよ。だけど、自己防衛のつもりではなくて、自然の頭脳の働きによって、「本日は、クラシック音楽について、書きましょう」とか、「本日は歌舞伎について、論考しましょう」とか、「本日は、ニューヨークでの、思い出を語りましょう」と、なって、鎌倉雪の下二丁目で、経験している悪辣いじめの門題とか、雪の下一丁目に在る、鶴岡八幡宮が、醸成しているくらい話(思いに、武部聡志と、警察が発する異音による、攻撃)なの話題ら、離れると、即時に、ご近所からの攻撃が増すのでした。または、銀座の画廊巡りをしていた、2017年までですと、銀座での激しい言論弾圧が始まるのでした。どうも、逃げたな? じゃあ、そこが弱点なのだから、その前のブログで、書いている部分を、攻撃してやれっと、なる模様です。実態は違うのですよ。本当に自由自在に、題材を選んで書いているのです。しかし、安野智紗夫人をトップとして置き続ける、CIA軍団は、警察にしろ、鎌倉エージェントにしろ、アメリカ大使館内部の専門家にしろ、彼女お理解できる範囲、または、彼女の嫉妬心、または、彼女の、攻撃欲に応じて、弾圧策を、起案するので、そうなります。で、

 銀座での、攻撃の話ですが、その最も恐ろしいものは、保坂涼子と、秋山祐徳太子の悪辣さを隠すために、山口みつ子さんを殺したことで、かつ、自殺という喧伝をしたことです。しかも、ギャラリー山口での、常連個展作家であった、大久保忠春さん(私の中学同期生にして、毎日現代美術展での常連でもあり、かつ、九州産業大学の教授でもあり、かつ、野見山暁次さんが、山口千里さんを秘書に雇う前までは、九州で、主に秘書の役目を果たしていた、立派な作家)を暴走老女の運転という形で、殺したことです。彼ほどの、現代美術界では、有名人である人の、交通事故死です。NHKニュースは、当然取り上げてもいいでしょう。なのに、私は、全く知らずに過ごし、【羅針盤】という画廊に来ていた、お客様から、たまたまいきさつを聞きました。

 其の後、山口千里さん(聖心女子大卒)と、高田弘子さん(横浜国大付属中学、1958年卒で、一番出世した女性=日本刀剣美術協会の理事長をしていたと、聞いている。アメリカブラウン大学出身)に電話をかけて、大久保忠春君の、死について、問い合わせたところ、二人とも、とても冷酷で、哀悼の意など、一豪も示しませんでした。私は、これらの事を、自分のことをも含め、ほとんどを我慢をしてやり過ごしているのです。しかし、全部わかっています。このブログで、書くか、書かないかは別として、すべては、分かっています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、本日は、取り上げられるものが見つかったので、それを、この章で、取り上げます。それは、四か月前に書いたブログを、google 検索で、見つかる様に、敵さん達が、したことです。悪意満々の、仕掛けでした。私は、ブログで、公開しただけで、5000本以上のエッセーを書いていて、NHKが報道するニュースの内、『これは、CIAが絡んでいて、嘘を内包しています』というものについては、ほとんどすべて、論じ切っています。

 2005年ごろでは、それが、表に出て居たのです。ところが、警察が、CIAの手下として動いている。これも、あれも、そういう事である。・・・・・と、、書き始めてから、google は、検索項目に、私のブログ文は、載せなくなりました。

 ところがです。ここ四日ぐらい、私の或る過去ブログをわざと、意図的に、google 検索に引っかかる様に、仕込みました。丁度、トランプ大統領2.0が「ゼレンスキーは選挙無き独裁者だと、発言したころと、タイミングが符丁をしています。

ゼレンスキーは悪人です。高速増殖炉=チェルノブイリ=とは、日本でいう使用済み核燃料を更に使い続ける事で、貧乏国家の原発です

2024-10-14 20:33:32 | 政治

  が、表に出てきたのです。人々が、訪問をしたブログ記事という項目で、私にそれが判りました。でね、スマホで、私のブログを読む方は、大いに誤解をする可能性があるのです。今、世界中の人々が、頭がおかしいのではないかなあと、思っているのがトランプ大統領の、発令70連発です。

 ちょっと舞い上がり気味でしょう。それに、内部でも、抗争が起きる可能性がありますよね。イーロン‣マスクが、孫氏+二人の、IT企業家を、「トランプが期待するほどの、お金を持って居ないはずだ」と、からかいました。こういう状況では、近々、空中分解しそうですよね。

 そういう危ういトランプ大統領が、ゼレンスキー大統領の悪口を最近言いました。「ゼレンスキーは、選挙なき独裁者だ」と。そういうタイミングで、私のブログ、を、google が紹介すれば、私が尻馬に乗ったと、誤解されること必死です。

 しかし、その文章で、私が言いたかったことは違うのですよ。つまり、プーチンとゼレンスキーの戦争は、地上戦用の武器を消耗させると言う意味もあって世界中の軍事産業に、活気を与える為の物だという側面もあるのです。

 という事は、ロシアと、アメリカの戦いでもあるのです。でね。トランプは、不動産屋上がりです。軍事産業などの、重工業上がりではないです。そして、アメリカの軍事産業が、養っているCIAから、警戒をされている大統領です。

 だからね。トランプにしてみれば、もう、アメリカの軍事産業を儲けさせる必要はないと、言う感じでしょう。

 なぜ、ゼレンスキーを抜きにするかというと、ウクライナは、本国内に、大規模軍事産業を持って居ないと思います。となると、ゼレンスキーが使っている武器はヨーロッパ諸国からの援助物資です。

 ヨーロッパと言っても、この種の軍事産業は、すでに、国に所属しているわけではなくて、グローバル企業なので、ヨーロッパで儲かると、アメリカにいるその種の大富豪たちも儲かるわけです。

 これが、私が判っている事で、したがって、トランプはゼレンスキーを小童(こわっぱ)または、パシリと、考えていることが推察できます。だから、抜かして、プーチンと交渉を始めました。

 さて、私自身、気にかかるので、上にリンク先を上げたgoogle が、最近、表に出してきた、私の文章を読んでみました。すると、自民党総裁選当時だから、石破総裁に、ついて苦言を呈しています。愛人の重用と、奥様を無視する様子に怒っています。

 それから、NHKが盛んに、「デブリの取り出しに失敗した」というニュースを流していました。これはね。小泉進次郎と、小泉純一郎元首相の本当の姿を、新次郎君の実母、宮本佳代子さんが、なぜ、大モノ化をしたのかを、書こうとしていたのを阻止するために、

プーチンもゼレンスキーも金正恩も習近平もアメリカの軍産共同体のペットです。そちらが警戒するのは日本と日本人だけなのですよ。根拠は核燃料でぼろ儲をしていて後ろめたいからです     2024-10-11 02:29:17 | 政治

 上のリンク先で示したブログですが、その公開のタイミングが、重要です。被団協のノーベル平和賞受賞が発表をされる、14時間前から書き始めて、11時間前に書き終えています。

 そこに、デブリとは何か? ということと福島第一が、修繕されることはなくて、ただ、ただ、冷やし続けるしかなくて、さらに膨大な処理水を海に垂れ流し続けるのだと、言っています。そのうち黒潮に乗って、北海道に影響が出てくるのではないかなあ。

 ともかく、渾身の文章ですが、制を移動したくないので、この下に本文をコピペさせていただきます。うか読んでやってくださいませ。

%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%

 この章ですが、最初の総タイトルを【結局、石棺化しか、解決方法は無いのです。デブリをむき出しで地上に置くのですか? それは広島型大爆発を、何度も招き、日本は住めなくりますけれどね】でした。しかし、初稿を書いた日の午前4時に変更しました。

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副題1、「賢い人は真実(デブリの取り出しなんて、無理だ)を知っているけれど、政治家と、ジャーナリズムトップは、真実を国民には告げず、ただ、ただ、時間稼ぎをしているのです。「自分たちが死ぬまで、今のままで、行ったら大成功だ」と、考えてね。わたくしの孫世代には、この国は、人間住めない国になっているでしょう。本当に、無責任の極みです」(蛇足1へ続きます)

 あのね。「デブリ取り出しに失敗しました」というニュースが何度も出てきます。これは、最大の・・ウソ・・ニュースです。どこが嘘なのかというと、デブリの取り出しなんて、誰にもできないことだからです。

 東電だって、理工系の学部を出た、幹部は、「デブリの取り出しなんて、無理だ」って知っているでしょう。

 知っているけれど、やっているのです。NHKニュース内に登場する、識者(学者?)だって、わけのわからないことを言っています。

 どうしてかというと、石棺化という語彙が、チェルノブイリを推察されるので、

国民が核燃料の真実に目覚めてしまうから、それを恐れているのです。で、石棺化をさせないために、・・・・・別の方法で、収束させています。・・・・・と言う嘘を、何度も、国民に向けて発表をしているのです。

是を公開したのは、実際には、2月22日の夜です。しかし、後で、見つけやすくするために、一日に一つの文章を公開するとした方がいいので、2月21日に変更をさせてくださいませ。

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画家・岸田淳平氏逝去 + 八幡宮内喫茶店店長として80万円を取った傲慢女性とは誰なのか?

2025-02-20 02:15:10 | 政治

 あらかわ画廊とか、画廊香月で、重要な作家として扱われていた、岸田淳平さんが亡くなりました。

 なお、google 検索で、岸田淳平と引くと、たくさんの画像が出てきます。

月刊ギャラリーでも、取材をされていました。胃を全摘されたと、ご本人から聞いているのです。とても痩せていらっしゃいました。

 ただ、教養が高くて、ご近所住民として、丁寧な、雰囲気の言葉を短くですが、交わしたのです。が、いつも、・・・・・人間が出来ている人だなあと、感じていました。・・・・・・

 私がスケープゴートとして苛めらる前は、藤本禎子さんが、ご近所中の総すかんを食っていたわけですが、藤本夫人によると、「井上さんだけは、挨拶をして下さるのよ」とのことです。

 岸田淳平(本名、井上さん・・下の名まえはあとで入れます。)の、住所は、郵便番号248-0005 雪ノ下2-4ー▽です。後で、三角のところを埋めます。

 2025年2月12日とのこと。

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しかし、これは、・・・・・簡単に、終わる事が、出来ない課題が、・・・・急に、うまれたと・・・・言う事でもあるのです。【山間の煙】と言うエッセイに、書いた事の最終章に、当たる部分を書かないといけなくなったからです。ここから、次の矢印へ続く。間は、実際に本日起きている被害なので、数入された悪事 ⇒⇒ ⇒⇒

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  この山の、主婦軍団を、支配している、前田、安野達の、驚くべき、傲慢に、四分五裂された、ご夫妻が、井上家であり、その真相を丁寧に、書いて置かないと、、私が、悪者に、されてしまいます。そのサインは、すでに、表れていて、我が家の門内に、侵入した泥棒が、さっそく、カンナの苗をいじめていました。移植中だったそれを、植木鉢から出して、道に置き、水分欠如にさせて、枯れさせてしまおうという悪意を示しました。

 まあ、鎌倉市の植木職、ボランティアを行っているし、我が家のアジサイ畑を、コンクリート打ちにして、40年間使えない様にさせた上に、北側に新たに、20坪を開墾した、安野家のやった事でしょう。そこを(マネー)ロンダリングするために、平成の八墓村事件を起こしてもらって、(あれは、警察の特殊部隊が・真・犯人ですよ。保美ではありません)安野夫妻が助けられたのですが、その安野夫妻が、2024の秋からほぼ、毎日というか、毎週やっている悪事です。そこから、25年の、本日まで、50回以上発見をしている、悪意の発露です。2,3年前から特に強めになっていてチューリップの球根など、大きいのが、10個以上掘り起こされて、ダメになっています。

 井上さん(ご主人の方)が、亡くなったことを利用する、間髪を入れぬ、泥棒行為ですね。つまり、私がこの件で、弱体化した筈だから、それに乗じて、さらに、弱体化させようとする案件です。これを発見したのが、午前11時ごろで、次に午後四時に、

 太陽がまだ、赤々と前田家を照らしている時間帯から、玄関灯を点けていました。これは、最高レベルの攻撃サインで、彼女が勝った、勝ったと思っている証拠です。

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 特に、石井秀樹 あづさ夫妻、関本夫妻、白井夫妻、などは、まだ転入してきて居ない頃のはなしですから。彼らは、前田清子さんの、言葉を信じて、私を悪者にしていく可能性が高いです。

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 しかし、2025年2月20日の今、、すぐこれに、かかる(=リンク先などを探して、詳細に、書く)のは、やめます。

 結局は例の軍団の悪意の、表象の一つとして、書く話なので、今書いている、吉田茂穂宮司様が、鶴岡八幡宮を私物化・・・・・(結局は、鎌倉エージェントと私が称する、伊藤玄二郎+、まだ、生きていて地下潜航をしている、井上ひさしの、私物化でもあるのですが)。。。なさっている話の続きを書く方が先です。それは、海老蔵(現在は、団十郎)を、松竹が奴隷化状態においていく話にもつながるし、

 吉田茂穂宮司様の、お勉強が足りなくて、フランス・ランスの大聖堂の中で、そばにいた、フランス在住の、日本人が赤面をするほど、ランス側聖職者に、こばかにされてしまったのに、そばに随行していた女性コーディネーターの、フランス語能力が低くて、正しいことを伝えない、彼女のために、吉田茂穂宮司様、一行は、ご自分たちが、嘲笑をされ、苦笑をされているのに、気が付かなかったと、言う話にもつながります。

 その女性が傲慢極まりないので、吉田茂穂宮司様と傍にいた権禰宜は、フランス側が苦笑をしているのを、まったく、理解せず、したがって、私たち夫婦の恥ずかしさは、頂点に達した・・・・と書いてありました。これは、最近読んだものではなくて、海老蔵の、源氏物語に、オペラが、挿入されていて、それが、鶴岡八幡宮様で、公演をされたオペラと、曲目も歌い手も同じはずで、(私の耳は正確ですよ)・・・・・しかし、歌舞伎座のプログラムには、何も、人物名が記されていないので、私は、必死で、調べました。ネットも利用して、その際に、見つけたブログです。私は、ニュースそースを守るために、自分の考察に役立つブログは、わざとコピペしません。脳内に、記憶をして、後程、利用をします。

 2017年に把握をした事実ですが、吉田茂穂宮司が、ランスの大聖堂を訪問されたのは、そのずっと前の話だったと、推察しています。

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 ここから先は、見てきた様な嘘を言いの類ですが、そのランスの、大聖堂に、吉田茂穂宮司一行と、同行をした日本人女性とは、誰かが問題となってきます。

 ここから先は、まったくもって、私の想像です。新聞でもテレビでも明らかになっていないところです。

 その女性が、ホテルのロビーで、吉田茂穂宮司と歓談をしている時に、吉田宮司から、「ところで、あなたが、NHK(一チャンネル)の午前中の主婦向け教養講座の、司会者をしていたころ、NHK側の謝礼は、いくらでしたか?」と質問をしたと仮定しましょう。するとその女性が、「週に一回の謝礼が、20万円で、月に四回出演するので、80万円でした」と答えたと仮定しましょう。すると、吉田茂穂宮司は、「ああ、そうですか? わたくしたち、八幡宮は、今度新しい喫茶店を、旧美術館傍、太鼓橋側入り口よりに開きます。それは、美術館本館とは、別の建物を新しく作ります。平屋ですが、有名なデザイナーに、諸事を頼んであって、とてもモダンなものを作ります。どうか、そこの店長を引き受けてくださいませんか?」と頼んだと、推察しましょう。すると、彼女は、「はい。OKです」と答えたと仮定します。

 この店長の高給が八幡宮内部でも、批判をされて、70万円に引き下げられたという記事も読んだのですが、そういう投稿の中には、・・・・・その女性は、吉田宮司の愛人だから、それほど、高額なお手当てが出ている・・・・と、書いているものもありました。しかし、私の推論では、吉田茂穂宮司様に愛人がいたら、絶対に表に出るでしょう。まだ出ていないです。だから、その店長とは愛人ではなくて、テレビの世界に生きている有名人なので、吉田茂穂宮司様が、彼女の普段の収入をおもんぱかって高給を保証したのだと、推論しています。

 さあて、誰でしょう。ここで、私は、一つの仮定として星野知子さんだったのではないか?と、思っています。まず、テレビに出ていた私は、有名人なのよ」という発想が根底になりますね。ところが、彼女をランスの大聖堂で、初めて見た、日本人夫妻は、日本にいる時から、テレビなど、見ないご家庭で育っていたので、星野知子を知らなかったと、仮定すると、テレビに出ている人間固有の、傲慢を感じ取った可能性が強いのです。

 もう一つあります。そのブログを書いたご夫妻の、ご主人の方も、中高一貫有名私学出身で、奥様も、白百合、双葉、聖心、フェリス、学習院などのお嬢様傾向の強い私立中高一貫校をでいると、仮定すると、

 都立、または、県立の男女共学校を出ていて、県内で、偏差値優秀校として、有名で、大学進学率が、高い高校を出ている人の、・・・・・自分では普通のつもりでも、他人を見下した、傲慢ぶりに、へきえきをするものなのです。

 卑近な例を挙げると、前田清子さんです。彼女は、静岡大学の法学部を出ているそうですが、私としては、ぞっとするほどの、傲慢ぶりです。静岡でも、中高一貫教育の私立女子高があるのですが、そういうところの卒業生だったら、静岡大学は選ばないと思います。

 この山のケースですと、西隣の白井夫人もその典型ですね。東大に入学する前までは、公立男女共学の偏差値優秀高校に学んでいたはずです。早世した井上夫人とか、現在生きていて、モンスター級の無礼を示す渡辺みかさんも、公立男女共学校(しかも、偏差値優秀)な学校を出ていると思います。

 一方で、小、中、高、大学のどこかで女子だけの学園に学んでいた人は、その種の傲慢さは示しません。この山では、富沢夫人、平木夫人、関本夫人、大原夫人、などです。私は政治的問題は別として、こういう女性と接すると、ほっとします。礼儀作法、特に他人との、正しい接し方を、男女共学、かつ、偏差値、優秀な公立高校では教えないと、見えます。星野知子さんは、新潟県立長岡高校卒ですって。なるほど、なるほど。そのうえ、大バック、NHKと、テレビ朝日に大切にしてもらっているという判断があれば、傲慢度が、三重になります。日本だとそれが、当たり前に通るけれど、ランスの大聖堂で、同席した日本人が、学者系統の人または、翻訳家系統の人で、日本のテレビなど、まったくみて居ない人だったら、星野さんの、「自分は威張っても当然だ」は通らないのですよね。

 ただ、ここまでは、徹底的に、私の推察にしかすぎません。で、ランスの大聖堂で、吉田茂穂様の随行員をした、女性が星野知子さんではなくて、単純ないばりんぼうであり、単純な出しゃばりであり、

 しかも、吉田茂穂宮司が、彼女の大口にころっと騙されて「今度開く新しい喫茶店の店長をしてください。報酬は、どれくらいで ご了承をいただけますか?」と、お話をすると、彼女の方が、「そうですね。80万円ぐらいで、どうでしょうか?」と答えたと、仮定すると、醜い醜い女性像が浮かびます。

 それにもう一つの可能性があります。ランスの大聖堂で、コーオーディネーターをしてもらったので、吉田茂穂宮司がぞっこんになった女性では無くて、ただ、ただ、日本国内で、知り合っただけの女性に、「毎月80万円の報酬を出しますので、店長をやってください」と頼んだとすると、愛人説も捨てられなくなります。困ったことです。

 そして、この話は、吉田茂穂宮司様の、音楽に対する、知識の欠如を明らかにする話でもあるし、それ故に、鶴岡八幡宮様を自分の格上げに、利用しきっている

 音楽プロデューサー武部聡志のずるいずるい生き方にもつながっていくし、・・・・・この資本主義社会(行き詰っていますがね)の、最悪の例としての、吉田茂穂宮司様の、八幡宮私物化の話に入っていくわけです。それの方が先に書きたい重要な事ですから。

 ので、前報の続きを、書いた方が良いのです。

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 しかし、井上夫妻が、両方亡くなったとすると、この【山間の煙】のエッセーに登場する、真実の悪人のことも書き表さないと、いけません。そのにんげんは、山の下、現在の、鶯吟亭の、直前の持ち主です。その前は、白井老婦人で、この方は、川口順子元外務大臣の母君です。、

  私が、法務局に、行くのは、その、大量の煙を出した人間と会いたいからでした。しかも大量の油煙(すす)を含むので、洗濯ものが汚れるから、私が出していると誤解をされて、叱られたわけです。井上夫人に叱られたわけだけれど、その裏に、むろん、前田清子さんをはじめとする、この山の主流派主婦軍団がいるわけです。

 下に、最近よく使っている、同じ写真を使いますが、その理由は、この【山間の煙】に書いたころの、我が家の写真がないからです。だから、その20年後の我が家近辺ですが、自然の地形は、変わっていないので、これを使います。

 赤い矢印が、我が家で、撮影場所は前田家の前の道路です。黄色い矢印の右側に笹が立ち上がっています。それは、撮影場所に、生えている笹です。ところで、この山間の煙事件が起きた時、この青い矢印で、示されたスレートでできた大屋根(石井秀樹邸、テレビに時間番組にも取り上げられた、360度ガラス張りの家、)も、まだ、建っていなかったし、黄色い矢印の家(横浜一高いタワマンフロントの、設計者、石井達雄・ひろこ夫妻)も、まだ、なかった時代です。それぞれの場所に、築50年以上の平屋が建っていました。屋根は、瓦製で、壁は、茶色の塗料を塗った木製です。それらの家は、この住宅団地が開発されたのちの50年間で、生い茂った樹木にすでに覆われ、前田家の前からは、ほとんど、見えませんでした。

 そこに当時では、いかにも上等な建築である左側15坪を、最高級の仕事をする工務店に増築してもらった我が家は、堂々と、目立っていたのです。その時期では、まだ、大原家も平屋で、茶色の板張りの家だったし、安野家も二階やではあるものの、茶色の塗料を塗った古い古い家だったのです。それで、我が家は、ねたまれていたかもしれません。

 一方、井上家では、ご主人の創作品の何かが当たったそうです。で、1970年代か1980年代に、7000万円の、もうけ(一時金らしい)を得たそうです。これはね、2025年の貨幣価値に直すと、一億円以上で、もしかすると、一億五千万円です。生涯にわたって、なんで、それほどの大金、しかも、一時金が手に入ったかを岸田淳平氏は、外へは明かしませんでした。

 どこかの画廊が、大量の岸田淳平の、油絵、または、版画作品を、独占して、その代金として一億数千万円を支払ったのか? ともかく、アトリエとしての別宅はあり(❓)、毎日きちんと外出する人でした。「アトリエがあるんでしょう?」と言うと、笑いながら否定していました。が、ただ、ノマド生活が好きで、喫茶店を利用するにしては、一日中外にいるのは、相当な、高い生活費が必要だし、疲労するものですよ。60を過ぎて、そういう生活を送っているのは、不思議でした。ともかくお金持ちで、お子様方も留学をさせましたしね。

 その7千万円の一時金の話を教えてくれたのは井上夫人ではなくて、今は、無理に引っ越しを迫られていえ、この山には居ない石井羊一氏の奥様でした。

 さて、問題は、上の写真の左側=東側から、樹木の間を、漂ってきた煙です。大量でした。そして、困ったことに、油煙を大量に含んでいたのです。それを、私が出していると、誤解したのが、前田夫人と、大原夫人でしょう。油煙が落ちて被害を被ったのは、布団を干すベランダがある石川和子さんもそうだっただろうし、旧森さん(現在の、平木さん)とか、生保会社の、偉い人(短期在住だったので、名前を憶えておりませんが、関本家の二代前の、住人)などです。それらの家を、糾合して、井上夫人が我が家に、恐るべき叱りの電話をかけてきたのです。

 受話器を取る早々、面罵に近い大声で、「川崎さん、焚火をするのはやめなさい」というのが耳に入りました。井上夫人からだというのは、彼女が最初に名乗ったので、わかったのだったかな?

 驚きました。私は焚火をしていません。非常に失礼な誤解でした。私の母は、良く、「七たび尋ねて、人を疑え」と言っていました。まず、「お宅の庭を見せてください」というのが一番最初に井上夫人のなすべきことで、その次の、だんかいとして、焚火をしていない庭で、私に対して、ものをいうべきです。

 母は、他人から、聡明な人だと、認識をされていました。実際に、86歳まで、パソコンで株価のチャートを見ていましたし。

 大昔、そうですね。60年ぐらい前に、渋谷駅で、ご近所紳士水谷さん(毎日新聞で、NHK音楽コンクールなどを創設した人物)に言われたのですが、「あんたはばかだけど、あんたの母親は聡明だよ」と、・・・・。

 母の実父は、養子だったのです。いわゆるとりこ、採り嫁という形。だが、義理の両親(私にとっては、母方の、そう祖父母)と彼の折り合いが悪くて、出奔をしてしまい。当時は、大卒(山口高等商業卒)が、少なかったので、すぐ、秋山家から、懇望をされ、そちらの、お婿さんとなり、両家で、合計9人の子をなした人です。が、私が、大人になってから、日吉の家にも訪問をしてきたほどで、若い日には、秋山家と、母を養育していた家(中野家)に隠れて、高等女学校の校長室に、母を訪ねてきていたほどだそうです。母を愛してくれていた人です。母の兄(私にとっての叔父)も、愛されていた模様です。

 で、次の世代へ移ります。結婚後、私の父が母をモダンガールにしたくて、お勤めに出したのだった。それで、横浜正金銀行(今は、馬車道の県立博物館になっている御影石づくりの堂々たる建築物)に、採用をされたのです。経歴書の、実父の欄が効いたのだと思います。ところが、母が私に思い出を語るところによると、「あーた、驚いたことに、銀行って、三時過ぎが忙しいのよ。一円でも合わないと、帰れないの。だから、主婦業とは、両立しないのよ」と。で、横浜正金銀行って、昭和初期の当時は、為替を扱う唯一の銀行で、勤務先として、格好がよく、母のモダンガール化を助けると思われたのですが、時間的に主婦業と両立が無理で、母は勤務先を日産自動車に変えたのでした。

 この写真も盗まれてしまったのですが、母は銘仙の羽織姿で、6,7人の、同僚女性と、写っています。この時、昭和11年(=1936年から)から、15(1940年)までの間だと思うので、昭和8年創業の、日産自動車の、ごく初期にお勤めをしたこととなります。父が生麦(❓)の早山石油(のちに丸善石油となっていく)に、大卒新卒時には勤めていて、新居は、生麦に構えていたと聞いています。だから、両親は横浜が好きであり、戦後一時期船橋に住んだものの、結局、日吉を買う事となります。母にとって、日産自動車勤務は、主婦として、正解だったのです。そして、たぶん当時は借家に住んでいました。が、日曜日は、ダブルインカムの、高収入を利用して、二人で、遊びまくっていたのです。だから、私は母の27歳の時の子供で、その時代では、高齢出産の方だったでしょう。

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 私が、リアルな世界では、喧嘩をしない主義なのは、この「七たび尋ねて、人を疑え」という母の教えを厳格に守っているせいもあります。人間の世の中の正邪とか、善悪など、立場が違うと、異なってくるものですから、面と向かって、論を張っても解決にはならないと思っているからです。

 私が、今、考えている複雑なことなど、この山の連中は理解が出来ないでしょう。唯一理解が、可能だった思われる、井上さん(岸田淳平)が、亡くなったのは、私にとっても、とても残念なことです。  

 ところで、井上夫人から怒鳴られた時に戻ります。私に取って井上夫人は、最もお金持ち風に見え、そして自信まんまんにも見えました。で、非常に緊張して直ぐ「違いますよ。庭に見に来て下さい」と言ったのです。いつもの様に、はい、はいと、軽く、受け流したわけでは、ないのです。

 「誤解ですから、わがや=川崎家=の庭に、見に来てください」と、頼んだのに、彼女は、来なかったのです。五分待ちました。北東と、南西という形で、十字路を挟んだ、隣同士です。玄関の直線距離は、30mいない。それでも、五分以内に来てくれない。これは、大問題でした。放っておけない大問題でした。それでね、手書きで

 (当時、ブラウン管型のパソコンは我が家にはありました。NECとか、アップルのね。だが、息子が、母親がインテリめいた風に暮らすのを嫌がっていたので、まだ使っていなかったのです)

 A4の紙に縦書きで、自分は、焚火をしていない。井上夫人は、誤解をしている。焚火は、下の、旧白井邸

・・・・・(現在鎌倉市の史跡にもなっている川合良一さんの両親の兄弟か、従兄弟の家です)・・・

 の、現在の、住民が出しているのです。その人は土建業者みたいで、最初は、木の葉とか、刈り取った草を焼いていたのですが、最近、プラスチック類を焼いているみたいです。家を新築すると、流しとかガスコンロとか透明で厚めのフィルムで、カバーをされていますね。また、段ボール箱に入っていて、黄色い頑丈な、プラスチックテープで、固定化しています。ああいうものを、燃やしているみたいなのです。それで、これほど、大量の煙が出るのです。ともかく、私は、焚火をしておらず、このすすを出していません・・・・・

 と書いて、すぐ下のコンビニに降りて行って、コピーを20枚以上取り、一番東の先端にある中谷邸から、いちいち、言葉で、状況を説明をしながら、配って歩きました。当該の井上夫人は訪ねませんでした。だけど、井上夫人に教唆命令をした、前田夫人とか、大原夫人とか、安野夫人は、石川和子さんは、彼女たちが、井上夫人と、同じ穴の狢だと、分かっていても、訪問をして、言葉で委細を説明をしました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私はこちらに引っ越してくる前に、戦前、戦時中は、もっとも賢い人間だと思われていた、元、海軍参謀・益山重夫と、元陸軍参謀瀬島龍三を、文章(内容証明)の形で、蹴散らしてきた人間ですよ。彼らは神戸の土師淳君殺しまで、やって、1200坪(実際には二千坪)を、地積変更届を利用して、ただで、手に入れた悪人です。その事案で、証券取引所(=野村証券ビル)の三階に事務所を構えていた、栗原一郎弁護士から、「あなたは、見かけでは、典型的被害者像=他人に騙されたり、足蹴にされたりしてしまう弱い人間の事=に見えるけれど、実態はまるで違いますね。ものすごく頭がいいうえに勇敢です」と、言われている人間です。

 なお、ここで、10時間以上パソコンにへばりついているので、途中ですが、切ります。恐れ入りますが、切ります。

 まあ、続いて書く予定の事を簡単にメモ書きします。

 私にとっては、上の様な行動は当たり前のことだが、この山の主婦連中にとっては、予想外の出来事だったらしくて、私が、その後、いじめられることとなった。非常に怒った私は、これを数年後、または、十年以上後で、ブログに書く事となる。

 しかし、この件をブログに書く前から、ミスター井上(岸田淳平氏)の方は私の頭の良さが分かったらしくて、奥様の外出時に、山の坂に入る時点で、必ず、迎えに出て、他の主婦軍団につかまらない様に、気を付けていた。しかし、あの強い語調の井上夫人は、すっかり消えていて、何とも、委縮した姿を見ることとなり、やがて癌によって、早世してしまう。

 その後、ミスター井上の方もがんを患い、この2月12日に亡くなったそうである。二人の死の間には、15年ぐらいの時差があり、その間、ミスター井上は、必死で、ひとり身生活を守ったのだった。

 ところで、ミスター井上が、岸田淳平として、月刊ギャラリーで、特集をされたときに、私は、はっきりと、ミスター井上が、CIA軍団側の人間だと確認したのだった。

 もちろん、その取材が、岸田淳平の作品をたくさん持って居る画廊で、行われたのだったら、取材者、本夛隆彦、月刊ギャラリー編集長が、たぶん井上邸を訪問をしたのに、我が家に、寄らなかった。我が家に以前、あがったことがあるのに寄らなかった。

 吉田秀和氏の葬儀の際に、たぶん、笠松敦子さんは、来ている。だが、私に、鎌倉でお茶をしない?とは言わなかった。こういうことは枚挙にいとまがない程ある。そして、私は、そのたびに覚悟を固める。

 ところで、この案件で、私はもっとも悪いのは、前田清子さんと安野夫人と大原夫人だと思っているが、これらの夫人を助ける為に、廃棄物処理法案というのが、2013年に改正(? 改悪?)され、焚火をしてはいけないこととなった。

 この法案の改正(? 改悪)で、私は白井夫人から、井上夫人の電話での、恐るべき脅かし行為に、勝るとも劣らない、攻撃を受けた。塀越しに、「川崎さん、警察を呼びますよ」という大声で、脅迫をされた。 

 だから、私は、白井達雄氏が、傾きマンションの、大騒動のときに、旭化成建材が、使った、繰り回しグラフを、世間(特にマスコミ)に渡したのだろうと、言っている。白井達雄氏はあの、改築前の、傾きマンション、ララ、横浜を設計した人だと思う。というのは、その外観が北久里浜の門題の土地、旧水道山に立って居る、ルネ北久里浜(=そらヒルズ)にそっくりだからだ。

 白井さんは、その時、瀬島龍三に、私の悪口を散々吹き込まれ、敵として、転入してきた人なのである。上の写真の、黄色い矢印の家が白井邸である。

 さて、こういう悪の総体を、指導したのは中谷共二氏と、その遺児二人であり、この山の住民山田某氏である。

 私が出来ることは、こつこつ、コツコツと、事案に応じて、説明をして行く事しかできない。正しいことはこうですよと、説明をして行くほかはない。

 ところで、きゅう中谷共二邸は、前田達之さんが、買ったことになっていて、一部屋、7満五千円のシャアハウスとなったが、とんでもない嘘だった。前田達之さんは、お金を払っていない。中谷共二家の二人の遺児には、官房機密費から、1970万円の、東急リヴァブルの売値分の金銭が渡されたと思う。

 ああすべてのキーは、前田祝一・清子邸が、建築基準法の違法建築であることに、存在している。しかし、CIA軍団は頭の良い人を日本で生かして置いてはいけないと考えているので、

 前田清子、+ 安野智紗、白井ひろ子、わたなべみかなどに、「活躍しなさい」「活発に活躍しなさい」「特に、今は、岸田淳平が、癌で死んだ好機だ。これが、川崎千恵子のブログが原因で、癌発症をしたから、彼女が殺したも、同然だと、山の住民を煽り立てればいいのだ。頑張れ、前田清子」と、井上ひさしが思っていて、彼女を励ましているだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、私は、旧中谷家の、東側の崖の大工事が、始まった時に、

 この悪辣さを、天はお怒りになって、伊藤玄二郎が、自らの支配下に置いている、500人ぐらいの、私に過去に、関係があった(特に私が、いじめられた梨、損失を与えられた人物)、500人のうちの誰かが死ぬだろうと、預言をしていた。

 それが、岸田淳平氏だった。とても、残念だ。岸田淳平夫妻は、正しい事と、正しくないことをやっているが力が強い、軍団連中とのはざまに陥って、そのストレスで、癌を発症した。

 つまり悪人は生き延びて、悪人に使役をされていた人間は死ぬ。何とも、不条理な、現世である。私が癌発症をしないのは、ただ、ただ、この苦労に対して、神様が、ひそかに助けて下さっているからだ。

 私は、すべてを語りたい。すべてを語ってから死にたい。で、120歳まで生きたい。だから、この章が中途半端に終わり、前田清子側が正しいと、判断をする人が、出現するとしても、ここで、就眠をしたい。では、本日21日は、これで、さようなら。誤変換を直し終えたら、署名を入れます。

 

@@@@@@@@

焚き火を大量に、行う人間で、最後の段階では、鉄製の、焼却炉さえ、山の中に設置していたのです。その焼却炉設置の前には、庭で、焚火をしていました。そして、石油製品らしい物を大量に、燃やしたので、この山に、もうもうたる油煙が、上がってきて、私が、その焚火をしている、事実上の、はんにんであると誤解され、井上夫人に、電話でどなりこまれたのでした。

 

 すぐ、「誤解ですから、わがや=川崎家=の庭に、見に来てください」と、頼んだのに、彼女は、来なかったのです。五分待ちました。北東と、南西という形で、十字路を挟んだ、隣同士です。玄関の直線距離は、30mいない。それでも、五分以内に来てくれない。

 これには、わたくしはものすごく怒りました。私の母は、NHK音楽コンクールや、現代アート展を毎日新聞社で、創造したご近所紳士水谷さんから、「あんたはばかだけど、あんたの母親は聡明だよ」と言われるほど、賢い人でした。母の父が、旧制柳井商業の校長を、40年も続けた秋山某氏なので、(祖父は、母の実家の養子だったのだが、二人の子供が生まれた後、私の、そう祖父母と、喧嘩して、養家を飛び出している人物)なので、苗字が違うのだが、母とその兄の二人の子供のことは気にかけていて、新、養子先の秋山家や、母を引き取っていた、中野家に隠れて、高等女学校の校長室へ、母を訪ねてきたそうです。

 で、ここから先、書いていることが何度も消える。がんばってみよう。母は結婚後横浜生麦に新居を構えました。父がモボの一種で母をモガにしたかったので、お勤めに出すことにしたのです。二人は結婚後横浜生麦に新居を構えました。

 

@@@@@@@@@@

彼女はガンで、10年後なくなるのですが、私と前田・安野主流派主婦軍団を、天秤にかけて、そっちを上に置いたのです。

 ここが、鶴岡八幡宮の上級神官、龍村さんが、私より、安野・平木主婦グループを上に置いたことを繰り返し語ることへつながっていきます。

 

@@@@@@ここが、第二の書きかけ中の最先端です。

  しかし、私は。東大に、勤務をしていた時に、将来、必ず東大教授

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八幡宮境内のNew Cafeの女性店長の資格や人格に、疑問や懸念が、持たれているらしいが? 

2025-02-17 23:49:24 | 政治

 この文章ですが、19日(水)に、大幅に加筆していきます。途中にも加筆をいたします。加筆部分は色を付けた文字で表します。

 

 と、同時に、「神社庁から、分離独立する」と、吉田茂穂宮司が、宣言をなさったニュースにも、依拠して、この文章が出来上がっています。

 

 このブログは最近、写真を置くことにしています。最初に置いた写真(これを写真1とする)の説明をさせてくださいませ。これは、我が家の東側のがけ下です。どの切株も、直径60cmの大木ですが、安野夫人+平木夫人のお願いで、伐採をされたものです。一山がなくなりました。旧大江広元の持ち物=1945年までは、毛利家=の持ち物だった山ですが、安野+平木夫人のお願いに応じで、一山消えました。

 この工事の一応の名義上トップは、鶴岡八幡宮様の、宮司、吉田茂穂氏です。実際の命令者は、井上ひさし(まだ、実際には生きていますよ)に、代表される、CIAエージェントで、鎌倉警察署所長からの依頼で、鶴岡八幡宮様が、そうなさったのか? 裏側の詳細はわかりませんが、先程来、言っている通り、名義代表者は、吉田茂穂宮司様です。

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その大工事の、5年後、今度は、その100m北側で、中谷共二氏旧宅、東側の崖の、大工事が、始まり、またまた、樹木が大量に伐採されました。

これを写真2とします。

これを写真3とします。

副題1、『最近の鶴岡八幡宮様には、ご近所様(山ノ下の平野部分の住民たちで、私とは知遇のない人たち)からも、変だなあア、おかしい。音についても、うるさすぎるし・・・・・という声が出ているのを吉田茂穂・宮司様はご存じであろうか?』

この章は、最初の総タイトルを【2025-2-15に林真理子【奇跡】の大広告が? 常に常に、心理戦を戦っている私だが攻撃は一方的に言相手側からだ】としておりました。しかし、また、また、そこまで、到達できなかったので、総タイトルを変えます。

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常に常に、心理戦を戦っている私だが攻撃は一方的に言相手側からだ日曜日の夜、血を噴出し、肉をずたずたにし、骨を複雑骨折する様な文章を書いていました。しかし、消えました。2万字ぐらい。これは、むろん、心理学的象徴として言っているわけですが、自分を粉骨・骨裁する様な苦しい、苦しい文章でした。ところがそれが、二階から一階へバケツをとるに向かっていた、たった10分ぐらいの間に、消え去っていたのです。

 今の私は、頭が中が大混乱をしています。四分五裂しているといってよいほどです

一つは、昨日書いたのに消えてしまった文章を復活させるべきか、どうかという判断に迷っているということがあります。私のパソコンは、敵方の、世界中に散らばっている、日本語が理解できる、CIAエージェント20人ぐらいに同期されていて、下書きの段階から、読み取られています。で、書いてしまった限り敵方に利用されます。攻撃の材料として利用をされ、ひどい攻撃をされます。

 2012年ごろだったら、昨日のうちに徹夜をして復活をさせたでしょう。しかし、それが、できないというかやらない方がいいだろうと、言う判断が、今の私にはあります。2012年までは、まだ、60代だったのです。82歳の今は、そのころとは圧倒的に体力が違います。

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今の私は、陰山武人(元NHKアナ ➡、富山支局長 定年)さんからもらった優しい注意を思い出しています。彼は、国際キリスト教大学、1962年入学者として同期生です。

 優しい注意とは、「川崎さん、言霊というものがあるでしょう。悪いことを書かない方がいいですよ。悪いことを、さらに、招き寄せてしまいます」というものです。

学生時代は、一切付き合いがない人でした。週に四時間ぐらい、全同期生が、取るクラスがあって、そこで、同じ部屋にいたのでしょうが、会話など、一切ない間柄です。しかし二つのことで、2001年から2005年ごろまでは、私を高く評価をしてくれていたのです。

一つは、メルマガを送っていて、読んでくれていた可能性が高いという事。このメルマガですが、水沢勉氏に送っていたとは、語っていますが、安倍晋三(当時は、幹事長)元首相にも送っていたのですよ。だから、安倍さんはネットの発信力というものが強いものだと、知っていたのです。‥…

 ところで、このメルマガですが、ブログを始めた途端に、AOLが、「あなたのメールが、送信できません」となったので、安倍晋三元総理大臣とも、2008年から、暗殺の日まで、縁が切れていたのでした。

 あのパソコン画面上の警告文が嘘だった可能性は、高いのです。その種の警告文は、2008年から数えて、数千回は、見つけていますが、必ず、私の発信力をそぐ方向で出てくる注意なので、敵方が送っているのは確かでした。でね。システム上はあり得ない警告の場合、警告を無視して、五回ぐらい同じ仕事を命令するのです。そうするとバグ(悪い働きをするソフト)が解けて、ちゃんと仕事が進むようになるのでした。

 それは、敵にとってさえ、安全無害な、芸術系エッセーをまとめた本の、出版用データづくりを、理不尽にも邪魔されていた時期のことです。あまりの邪魔されように、自宅で、仕事ができなくて、東京じゅうの公立図書館、東京じゅうの二時間程度使える、バイキングレストラン、ネットカフェなどを使いまくりました。大金をかけていて、かつ、自宅でできないと、言うストレスを与えられているのに、外でもできないとなると、やはり、怒りが沸騰をして、考えに考えて、バグを、封殺する方法を見つけていったというわけです。

:::::::::::挿入1, 私は、自分の不始末ではなくて、ノートパソコンを65台以上壊されています。1999年から、2025年1月までにです。今、考えると、銀座で大けがをした晩に書いたエッセーに対する水沢先生からの、温かいコメント、「転んでも、ただでは起きないとは、まさにこのことですね。さすがです」をもらった時にも壊れたかもしれないし、保坂涼子さんが秋山祐徳太子にそそのかされて、彼女について、高級な美術評論を書き、それを月刊ギャラリーに転載した、私に対する、36行を超える罵りメールを、送ってきた直後にも壊れたかもしれないです。

 しかし、普通なら、「ありがとうございます」と言ってもらえるはずなのに、反対でしたから、直後ではなくてだいぶたってから、保坂涼子さんが、初個展をしたギャラリー山口のオーナーにそっと、保坂さんのメールのことを言ったら、「あら、いやだ。それって、きちがいですね」と言って、続けて、・・・・秋山祐徳太子と、保坂涼子さんが、ギャラリー山口内で、オーナーの、みつ子さんに、聞かせるためにらしい大声で、「雨宮舜(その本名は、川崎千恵子)なんて、全然大したことはない。軽蔑していていいのだ」と言っていたのよ・・・・・と教えてくれたせいで、山口みつ子さんが、殺されたのでした。みつ子さんの描写力は素晴らしくて、秋山祐徳太子が、「雨宮舜、何するものぞ」と足を踏ん張っていたわよと、教えてくれました。だが、秋山祐徳大使が、すでにCIAエージェントとして機能していたがゆえに、CIAエージェント+警察は、山口みつ子さんを、殺したのです。2010年1月17日のことでした。みつ子さんは、私のメルマガを読んでくれていたし、個展にも来てくれて、美術系作品を見てくれていたので、私のことを秋山祐徳太子より、ずっと、上の人間だと評価していてくれたのでした。そして、秋山祐徳大使を守るために殺されました。自殺なんかではありませんよ。

 この事実こそが、この章で、新たな問題となっている大イチョウ倒壊の、真の原因です。まったく風も吹いていないし、雨も降っていない午前3時ごろ、突然にドドドっと、私(直線距離にして、400mぐらいのところに住んでいる)が、目を覚ますことになるほどの大恩顧湯を建てて、倒壊したのでした。

 そういうわけで、あの倒壊は、CIAエージェントに対する神のお怒りの象徴ですから、境内・内・喫茶店に飾るなど、言語道断の、ミステイクなのですよ。吉田茂穂宮司様は、まったく、間違っていらっしゃる。

そのことは、開発チエさんが、これまた、気違いじみた、内容のメールを七回連続で、送ってきて・・・・・あまりにもひどい内容なので、ハッキングをしている全世界中に、20人は居るであろう、日本語を理解するCIAエージェントのうちの誰かが、文字化けをさせたほどです。だから、7通のうち、最初の二通しか読めませんでした。この時は、本当に、間髪を入れず、開発チエさんの、罵りメールを読んだパソコンが壊されたので、「なあーるほど。彼らは、心理的にいじめてきたうえに、その証拠を利用されることを恐れて、パソコンも壊してくるのだ。この一台で、五万円は損失した。そして、データを入れた時間数を、一時間1000円で計算しても機械としての、このパソコン一台に、50万円以上の、金銭的集積がある。それを、一瞬にして壊してくるのだから、ひどい連中だ」と思って、私は、怒り心頭でした。

 一方、安野家など、門前に警察の協力者ですという看板を打ち付けているほどで、そのかいあってか、1984年7月まで、公立御成中学での通信簿で、1と、2しかないという点で、特に有名だった坊ちゃん(次男殿)が、1986年の、2月には、・・・・・国立大学付属高校にご入学あそばされて・・・・・これは、安野家の、前の道路を歩いていた私が、石川和子さんの、安野夫人に向けての「祝意を聞かされる」という形で、知ったことでした。CIAエージェントは、学校のお成績の改ざんまで、平気でできるのです。だって、国立大学付属高校というと、かまくらから通えるのは、学芸大学付属世田谷か、筑波大付属駒場か、筑波大付属(茗荷谷最寄り)しかないでしょう。どれも、オール・・5・・でないと、高校からの転入は難しいはずです。・・・・・、そこをご卒業なさったのちは、海上保安庁にご入庁なさって、生涯賃金、3億円以上を、稼ぐ男になることができました。あら、のんきだね‥‥と、苦笑するしかないです。

 そして、その強欲な安野家が、我が家の花畑を、コンクリート打ちにしてしまって、使えない様にした癖に(それは、彼女が、毎日主催している井戸端会議の主要協力者、前田清子さんの、いじめに怒った、藤本悌子さんが、我が家との間の、道(1984年当時は、幅1mしかなかった)の真中に、自分宅用の、フェンスを作りますと、言い始めたからでした。(これは雪の下黒物語に、詳しく書いている。)

 それを防ぐために、当時の町内会長、中谷共二氏は、我が家の花畑をつぶして、我が家側に手すりを付けることで、藤本夫人の異形な行動を収めたのですが、その時、中谷さんは、だまし討ちの形で、我が家の東北の山を、削ったのです。

 中谷共二さんは、羽田空港の燃料販売を一手に引き受けていると、言っていました。カリフォルニア大学卒業者だし、一種のCIAエージェントであり、したがって、北久里浜で、瀬島龍三が、行った悪事を知っている私を殺すことを陰から、命令をされていたのでした。

 それ以来、我が家に多大な損失を与えているのに、その原初の原因となった安野夫妻の、強欲なことに、南側に、すでに、花畑があるのにもかかわらず、北側の崖地に花畑を開墾して、合計、20坪以上を新たに、畑や花畑としたのです。

 ここで、平木さん一家が、登場します。2013年、平木夫人は、自分の子供(当時は、まだ小学生だった)と、その小学校同級生を、利用して、安野家の北側の畑を洗浄化してあげたのです。特に平成の八墓村事件が起きた、のちの四日間それを行いました。

 その結果、その後、そのお子様は、東大へ、推薦入学で、入学できました。というわけで、生涯賃金、7億円が平木家に入る可能性が出てきました。ここらあたりは、日付がきちんとしているので、リンク先が見つけやすいです。後で、リンク先を置いておきます。

 安野家に戻ります。いや、強欲というのは、帝国ホテルで、買った赤い牛皮(バラの彫り物が彫ってある小さめのサイズの二つ折れ財布が、この2025年1月28日から31日まで、あそこの家にあったことは確かなのに、川崎さん、うちにありますよという連絡はないのです。1月31日以降そのお財布をあの夫婦は、どういう風にしたでしょうか。大原光孝さんと同じく、側溝に捨てて、カビだらけになっているところでしょうか? 東急、京急、相鉄の株主優待券である全線切符とかには、別に「川崎千恵子」と記名しているわけではないが、診察券が入っているのですよ。でね。診察券には、きちんと本名も記載されているのに、まだ、返ってこないのです。

 このケースは、この山の主流派主婦軍団の、悪業、行為の、得難い証拠であって、私の方が、前田夫妻、渡辺夫妻、白井夫人、大原光孝氏、平木さん一家などの首根っこを抑えたという話になりますが、まだ、詳細は、書きたくありません。

 まあ、すごく恐ろしくて、いやなことを数多くやってくる夫婦なのですが、しな、しな、しな、しなとしたそのお芝居に、鶴岡八幡宮の上級・神官・龍村さんもすっかり、魅せられているらしくて、彼女が過去に行った悪を書く私が、何件もの殺人事件を起こされて脅かされ切っていて、書きにくくなっているという形で、警察+CIAエージェントたちに、ほう助されている・・・・・そういう恐ろしい人物であるのにもかかわらず、彼女を私の上に置いたのでした。

 そして、鶴岡八幡宮の名義で、2020年4月15日から、27日の間に、山一つの、樹木を伐採してしまわれました。

 私は龍村さんの、その発言を聞いた途端に、あ、これから先、八幡宮には、恐ろしいことが起きるに違いないと、思って、さっと、踵を返して帰宅しました。

 龍村さんと、藤間さん(八幡宮内工務所所長)が、そういう発言をされたときに、瞬時に帰宅しました。が、負けたから、早く逃げようと思っているわけではないのですよ。まったく正反対です。その時も、ああこれで、安野家の首根っこを押さえることが出来たわねと、おもっただけです。

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副題2、『吉田茂穂宮司様が、八幡宮を私物化している、と、みなすことが出来るのだが、その一例としての、新しいカフェの店長が女性で、しかも、高給(=80万円)をもらっていると、言う話は、象徴的だ』

 最近ですが、鶴岡八幡宮様が、超・おかしいのです。それは、ひそかに主人を通じて入ってくる噂だけではなくてね。「神社庁を出る」とか、新聞のニュースで、見て、なんという言い草であろうと、思っているわけです。非公開ながら、吉田茂穂宮司は、八幡宮を私物化していると、言うブログ文を書いているほどです。

 私は、どんなにひどいことをされても、それ文章に記録するだけですね。リアルな世界では、喧嘩をしない主義です。でも、新聞記事を読むと、吉田茂穂宮司様は、神社庁に喧嘩を売っていらっしゃる。でね、神官数人が辞めたそうです。社内(会社ではないが、宗教法人で、社という語尾で、終わる、組織だから、こう呼びます)でも、みんなが、わかっているのだと思いますよ。で、転職が可能な人は逃げて行ったのです。転職がかなわない人は、残っているのでしょう。

 吉田宮司様が音頭をとって、境内内にある、もと、神奈川県立近代美術館を追い出してしまわれましたね。これはね。鶴岡八幡宮様にとってこそ、大損だったと思います。が、本日は、それには触れず、その舞殿側入り口そばにできた新しい喫茶店に関する、噂話に入ります。

 そのうわさ話に入る前に、私が直接目で見た「これは、いけないでしょう」という問題に入ります。まず、コーフィーいっぱいが、800円だったと思います。昔の、美術館内・喫茶店では、いっぱい370円程度だったと思います。神さまの宿るお社だと、信じて、この社に参拝に来た、遠方のお客が休憩するのに、こんな高いお金をとったらだめでしょう。だって、土地への買収費用なんて、いらないわけでしょう。建物だって、八幡宮がお建てになったものではないですか? しかも、「注文は機械で、承ります」ですって。驚くほどの無味乾燥ぶりです。しかも、800円支払ったお客にも、館内トイレは使わせないそうです。無理、無理、頼むとカギを開けてくれますけれど・・・トイレ掃除を、スタッフにはやらせない・・・・・という感じで、スタッフへの高給を補している喫茶店という事になるのでしょうか。

 一番、問題なのは、倒壊した大イチョウの切り株を高さ3mぐらいに切って、透明アクリル(水族館などで、使うものらしい)で、囲った、4畳半程度の展示スペースに飾ってあることです。これが、どうしていけないのかは、ここでは、詳細は、繰り返しません。だけど、これは、神様のお怒りの証拠なのですよ。吉田茂穂宮司様だけではなくて、伊藤玄二郎、酒井忠康氏、武部聡志などへのお叱りをも含みますけれど。そんなものを、境内の・・・・一般人が、・・・・800円以上のお金を出せば、見ることのできる場所・・・において・・・・・おいてはいけません。天の神様のお怒りが、ずっと、ずっと、これからも、八幡宮を縛っていくことになるからです。

 さて、ネットで、見たのです。なんで、そんなものを目にしたかというと、八幡宮さまが神社庁を脱退したというニュースに関連して、あれこれ、ネット検索をしている最中に、それを見たのですが、この喫茶店の店長の月給が、80万円なんだそうです。しかも、女性だそうです。

 ・・・・・えっ、鶴岡八幡宮の・女性・社員に、月給80万円をもらうほどの、優れた人がいるのかしら?・・・・とびっくりしました。どう考えても、30代とか、40代の男性が働いているあの喫茶店の店長が、お正月に、テントを建てて、縁起物を売っている若い巫女さんに、務まるとは思いません。そして彼女たちは、大体、職場の花としての自分を自覚しているでしょうから、結婚までの、職場だと、考えているでしょう。アラサーを過ぎたらやめていくと思います。

 ともかく、80万円の月給は、土地、建物が、お仕着せで、使える喫茶店の店長としては、高すぎます。でね。*社*内からも批判が起きて、70万円に減給されたそうです。

 8年ぐらい前に、お話が始まって、その時、身がフリーだった女性です。しかも経験がないと、お店など、経営できませんよね。だけど、注文が、機械でできることをはじめとして、投下資本が莫大ですよね。で、どうもデザイナーがいる様な気がするのです。

 と、なると、この店長さんの、お仕事って、簡単至極ですよね。

 まあだ、洋菓子屋「葡萄の家」の一支店らしい、和菓子屋【鎌倉五郎】の、店長さんの方が存在感が、強いです。すごく若くて、かわいい人です。でも、開店当初は、和服を着て帯を締めて、そして、必死で、お客を呼び止めて、宣伝をしていました。その人と比較しても、存在感がない女性です。

 ネットでは、吉田茂穂宮司様と、とても親しいので、80万円の月給をもらっていたと、ありました。だけど、毎日は、お店に出てこない女性店長。なんて言う、そんな感じです。だって、私がお茶をした時にパソコンの仕事もしたので、一時間半いました。だけど、男性スタッフの一人は、偉そうでしたが、女性スタッフは、みんな下っ端という感じでした。アルバイト=派遣社員という感じでした。で、店長は毎日7時間勤務しているという感じでもなさそう。労働をしていないという感じがする。そんな姿勢では、70万円だって高いよね。それも、批判されているゆえんでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、ネットの世界では、この女性の資格や人格について、ある種の憶測がなされていました。ただ、私がここで、取り上げると、もう消えているかもしれません。

 私は、それ(その女性は、吉田茂穂様の愛人ではないか?)には乗りません。そこまでは、同調したくないです。で、私独自の憶測はこうです。

 鎌倉在住の日本女性で、それほどに、厚顔無恥な人はいないと思います。ただ、すでに有名な女性で、「独身であり、身軽です。働けます」という女性の一人として、宮崎みどりさんがいます。でも宮崎みどりさんが、引き受けたのだったら、新聞や雑誌がすでに、取材をしていて、ネットの投稿でも、宮崎みどりさんが「80万円から、70万円に減給をされた」と、出てくると思います。

 でも、どう、頭をひねっても、「背が高くて、堂々たる体格の宮崎さんが、トレーに乗せたコーフィーを客席まで、はこんでいる図」など、想像もできません。でも、ほかの普通の鎌倉在住の女性で、主婦であれ、独身であれ、「80万円出してくださるのだったら、引き受けますわ」という様な、でかい・つら・の人はいないと思いますよ。で、この店長は、この役目をを引き受けてからは、鎌倉在住かもしれないが、それ以前は、かまくらには、住んでいなかったと、推察します。

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 今は、19日の、午前三時です。上からの続きを書きます。ここから先の初稿ですが、ひどい誤変換に満ちていて、自分でも驚きます。それは、吉田茂穂・鶴岡八幡宮宮司様が、CIAエージェントにとって、大野埼玉県知事よりも、大きな弾だからでしょう。それについてマイナスのことを書くのだったら、誤変換だらけにしてやるぞ、という、敵さん方の決意を知覚します。だが、直しつつ、先へ進みましょう。

 ずいぶん、不遜なことを書いているとお考えの読者様もいらっしゃるでしょう。だけど、これは、ご近所の無礼な人間 (40年間にわたって、無礼を続けてきた)渡辺賢司を叱る文章なのです。40年間にわたって理由もないのに、無礼を続ける彼、およびその妻を叱る、ための文章だからです。

 あの無礼は誰かからの許可というか命令に基づいているでしょう。その命令者が、間に誰を挟んでいるとしても、池田権禰宜様を押しのけて、宮司の地位に、吉田茂穂様を就けた人物であり、CIAエージェントであり、共通するからです。渡辺夫妻が、無礼を働く限り、私は、八幡宮様に、ぐんぐん突っ込んで行く事でしょう。私はね、バカでもないし弱くもないです。渡部夫妻の無礼を怒っていますが、リアルな世界では喧嘩を致しません。だが、絶対に見逃すわけにはいかないです。40年間にわたる無礼ですよ。もうそろそろ堤防が、決壊しています。臨界状態です。ダムの水は溢れています。

 さて、上のところで、すごいことを言っています。実は、吉田茂穂宮司は、一種の簒奪として、身分をCIAエージェントからもらったと。これは、ずいぶん前から、気が付いていたのですが、本当は、白井宮司の跡を継ぐはずだった、池田(1990年代、の、権禰宜,または、権宮司=白井宮司を補佐するナンバーII)様へ、ご迷惑が掛かることを恐れて言わなかったのです。白井宮司様より10歳若くて、かつ、吉田茂穂宮司様より、10歳ぐらい年長で、その役職名からも、白井宮司が、後継者と、考えていた方です。ずっと、どこへお去りになったのだろうかと、心配していました。だが、偶然に、もみじ坂への、バス便を探していて、伊勢山皇大神宮のネット記事を読み、でも最近、池田様が、亡くなったとネットで知って、それで、この件を書き始めるのです。80万円をもらっていた女性は、吉田茂穂宮司の愛人ではないかという方は、この、位階の簒奪云々に比べると、小さい話です。

 で、そちら、80万円だった高給取り店長に戻ります。

 これから先は、私の独断に基づいた話で、どこにも、正確な傍証付けはありません。ただ、その女性とは、フランス・ランス大聖堂で、吉田茂穂宮司の補佐をした人ではないかと、考えるのです。ランスとはフランスにある、大聖堂で有名な都市です。吉田宮司様と権禰宜はそこをご訪問にいらっしゃいました。ここから先は20日に書きます。

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今ね。NHKが番組差し替えをしたことを契機に、水沢勉氏の事を書き始めたら・・・・・

2025-02-17 01:57:24 | 政治

難しすぎて、自分が死にそうなので、中断します。何を中断するかというと、直前の前報(今は隠している)を中断したのです。

そして、こちらの方を、延々と加筆をして、二万字ぐらい書いていたのです。2万字ぐらい。妹の死に関するすごくつらいことを。そうしたら、一階にバケツをとりに行っている間に、全部消えました。ああ、本当につらいことを書いていたのです。パソコンは二階で使っています。

この文章が消えると言う事は、本当に、久しぶりです。

2007年ごろまでは、しょっちゅうやられていたことで、まさか、あれから、17年も経ている、今も、やられる、などとは信じられないですが、やられました。しかも、どういうことか、こういう抽象的なこと以外に、ものも奪われています。補聴器を一つと、SMBC証券のカードもないです。労働も現金もそれから、心さえ奪われそうです。

あ、ああ、もう、午前四時半です。バケツは、お茶碗を洗うために、まず、水で、ふやかそうと思ったのですが、もちろん、洗い桶もあるのですよ。ステンレス製の、しかし、それには、ハイターの薄い液体が入っているのです。消毒の為に。で、ただ、ふやかす為のバケツを取りに行っていたら、6時間分の作業が消えました。

~~~~~~~~~~~~

ところで、以下は、本文で、この後に二万字加筆していたのですが、夢中で書いていたので、時々(というのは、10行ぐらい書いたら)公開へもっていくべきだと言う事を忘れていたのでした。

日曜美術館16日の夜は葉山の美術館の、栗林陸のインスタレーションを放映する予定でしたが、私が、ブログ、ここから先は、本日はかけないとさせてくださいませ。

 

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京急・池田分譲地が、内包する謎・・・・それもまた、私に理不尽な苦難を背負わせている源泉ですが

2025-02-15 16:52:10 | 政治

私は、今、書きたいテーマと言うか、書く事が、非常にたくさんあるのです。

*1)、

でも、先ほど、前報の、中の蛇足2と言う部分を書き始めたら、60年前の事なのに、割と、きちんと整理できそうで、取り組むことにしました。

 こういう行動に駆り立てているのは、この雪の下二丁目、真北に、住む、渡辺賢司・みか夫妻です。誰かかからの教唆命令でしょうが、12日の夜、対私攻撃を一手に引き受けて、夜の11:08分まで、シャルリーエブド事件以来始まったオレンジ色の(門灯、)玄関灯、(台所灯)を、つける攻撃を、やっていたので、いよいよ、・・・・・この山の連中の首根っこを押さえることができる話・・・・・に入ろうかなあ?と、思っているのですが、本日の私は、そのケースのさらに60年前、1960年の、京急生田駅近辺(今の北久里浜近辺)で、起きた、恐るべき、頭脳力、駆使・詐欺事件について、語りたいと思っているわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 と言うのも、私が何の、真実を書いても、連中は反省しません。そして、その闘争を、勝負事ととして、とらえるのだったら、私は連戦連敗です。でね、この世界で、書く事が暗い事が多くなり、多くの善良な読者様を失ったと思います。しかし、或る時、心構えを変えたのです。・・・・・勝負事としては、とらえない。ただ、只記録をするに徹する・・・・と。

 すると徹底的な逆転現象が起きたのです。意外な事でしたが、企ざる逆転現象が起きたのです。驚きました。神様っていらっしゃるのですよ。

 埼玉県の陥没事故は、以前からちゃらちゃらと、伊藤玄二郎 +(いまだ生きている井上ひさし)発の (数多い)謀略事件に協力をしていた、大野知事へのお叱りでした。今、あの事故が起きてから20日目ですが、昨日20日(金曜日)の、NHKニュースで、やっと大野知事が、現場作業者(その監督れんちゅう)を集めて、慰労をしたと言うニュースが出てきました。

でもね、事故は1月28日に起きていて、私は、2月2日から、大野知事を叱るブログを書き始めています。

鎌倉の異様な擁護壁の建設で、CIA陣営内の誰かが死ぬ筈だと予言した相手は、大野埼玉県知事の怠慢で亡くなったトラック運転手であった    2025-02-02 23:14:03 | 政治

気の毒な運転手の肉体が今どうなっているかを想像しよう。それによって、大野知事の欺瞞性もはっきり見えてくるのだから   2025-02-05 23:48:20 | 政治

江戸川乱歩の猟奇小説みたいな終わり方をした陥没現場。四角いコンクリート管は共同溝工事に使う為で鎌倉で、十年以上私を脅し続けたものだった2025-02-08 23:04:54 | 政治

*2)と*3)では、叱っています。それは、2月8日でした。NHKテレビが・・・・会議室に集めた現場差作業員たちを大野知事が、ねぎらった・・・・と言うニュースを流したのです。でも、それは、私のブログの一週間後です。まあ、それも含めて、この一件は、伊藤玄二郎達を、叱ると言う意味では、突出した事件でした。

 これだけは、自然なことで、別にいまだ生きている井上ひさしが、企画した事でもないので私は、ほっとして、パソコン6台のメインテナンスを、2月4日から始めたのです。ところがバグを入れられて妨害を受けて、いまだに終わりません。でも、それを始めたと言う事は、どれほど、余裕を感じたかです。で、本日も余裕の発露として、60年前の北久里浜周辺に戻ります。

 これを書く事は、日本有数のCIAエージェント達と、私とどっちが頭がいいか?と、言う比較なのです。だから、すさまじいレベルの、深い深い政治的文章でありながら、書く方の私としては、ゲームをしている感覚で、書いて行きます。ただし、お断りをしないといけないのは、或るところまでしか、書けないと言う事です。非常に複雑な話です。ゲームを解く、または、ミステリー小説を解く感覚で、お読みください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前報の蛇足2より、これをこの章の、*2)とする。

*2)、

 私は、1984年にここ、鎌倉市雪ノ下に引っ越してきたのですが、驚くべきことに、ひとが住んでいるのにもかかわらず、東北の山を無断で崩されてしまったのでした。業者は、斎起業と言うとび職二人組で、南側の崖の上(敷地は我が家の物です)に生えている直径50cm以上のミズナラと、山桜を切ってもらったのです。私が電話帳で、探して、電話をかけて、大木の伐採を実行してもらったのです。ミズナラと言う樹木は、今、日本産のウィスキーの樽などに使用されている樹木です。

 1984年には、自宅の木を切るのに、制限とかルールはありませんでした。で、その作業が、すごいことだったわけです。我が家は、日産自動車の、研究所の、同僚が、11人も手伝ってくれて、大変派手な引っ越しでした。

 ただ、私は、ここに引っ越してきた目的は、創作に専念しようと言う事だったので、ご近所付き合いをいたしません。で、自分たちは、北久里浜の家を売らないで、ここに引っ越してきたので、中古の日当たりの悪い家(しかも、公簿上は、88坪あるものの、崖や、私道部分に、とられるので、40坪しかりようできない)で、建築素材も悪い家に、どうして、引っ越してきたのだろう?と、日産自動車の研究所の同僚は、みんな不思議に思ったのでしょう。

 実は、是こそ、罠だったのですよ。横須賀市内では、相当の、大モノだった、元海軍参謀、益山重夫が、が、ここらあたりの、地形を熟知していて、山の一部を自分の私有地にしようと、考えたのです。そういう風に考えたのは、無論理由がありました。正妻(先妻と言うべきか)が、米軍横須賀基地内の、PX(スーパー)か、将校倶楽部に、勤務している時期に、アメリカ軍将校と、恋に陥り、米国へ逃げてしまったのです。それはね。夫が米軍によって、パージを受け(それは、排除という意味でいいところに就職できないと言う意味です)、収入が無くなったので、仕方がないことだったのですが、お嬢さんが生まれていたので、ショックはショックだったでしょう。お嬢さんは、五歳ぐらいだったのではないかなあ?

 今は15日の午後三時ですが、ここを少し加筆します。小説みたいなところがあるので、書くのが楽しいですしね。

 さて私は子供を幼稚園に入れます。そこで、ママ友の一人として、杉本正子さんと知り合います。この人の夫が、当時横須賀市土木課長でした。しかし、新しい事実として、この人の実父滋氏が、なかなか重要だと、最近では考え始めています。横須賀で、大正生まれの老人としては、上品な面立ちの人でした。で、この人が、益山重夫氏の、戦時中は部下であり、戦後ひたすらに益山氏を助けたと、考えると、いろいろ、符丁があってきます。

 益山氏は、京急横須賀中央の近所で、まず、不動産屋を始めました。これは、益山氏にとっては、つまらない、恥ずかしい業務です。しかし、どういうコネであったのか、部下に智恵子さんを雇い入れました。智恵子さんは、ある面で純真で、しかも、原節子似の、モダンな感じの美女で、しかもご本人から私が直接聞いたのですが、戦時中男子払底の時代(戦死、徴兵等で)都立大学の土木工学科を出て居るのです。で、土地開発の設計ができる女性でした。そして、日産グロリアハードトップ(2ドア)白を察そうと、乗廻し、後部座席は、窓を開けてシェパードが、風に吹かれており、お買い物は、必ず元街ユニオンの紙袋を入れて帰ってきている人でした。

 元街ユニオンは、京浜急行に、吸収されたので、各地に支店が、できています。ところが昔は、明治屋、紀ノ伊国屋と並ぶ、輸入品も扱う高級店だったのです。

 この女性が今の言葉でいうスペックが高いうえに、30歳以上年下で、しかも、自分に尽くしてくれます。母親に捨てられたお嬢さんもフェリスを卒業させ(多分大学も卒業させ)結婚をさせ、独立をさせて、その後、自分に尽くしてくれています。で、ご近所の、老人=10歳ぐらい年若い男性(横須賀市の地の人で、悪気はないのでしょうが、今、芸人が素人を、TV画面内で、お母さんとか、お父さんと呼ぶ、あれと同じ感覚で)が、「おじいさん、お爺さん」と、呼びかけたら、「どうか、その呼び方はやめてください。家内が、若いので、その呼び方で、他人から、呼ばれるのは、困ります」と、抗議していたのを、私は実際に聞いていました。

 その会話を聞く前から、彼ら夫妻の日常生活を見ていて、絶対に、ご近所人間とは付き合わない事、や、或る台風の日、珍しく、平作川が氾濫して、京急(当時は、この今の本線は久里浜線と呼ばれていて浦賀へ向かう方が本線だったのです)周辺が、細長い湖になっていた時に、この益山氏と、私は、並んで、高いところから下を眺めていました。顔は、和風で、寝間着は浴衣ですから、上流階級かどうかは、分からなかったのです。が、実は、1945年8月15日までは、横須賀一偉い人だった模様です。

 杉本滋氏が、1946年から、部下として、勤務し、智恵子夫人を入れて三人で、不動産屋をやっていた時期があると、仮定すると、息子の俊一氏が、当時、住んでいた敷地50坪、建坪、28坪ぐらいの住宅は、益山夫妻の、ただでプレゼントだったと、考えます。登記をされていない幽霊屋敷ですから。外には絶対に出してはいなかったけれど、杉本滋氏を、通じて、もともとは、国家の土地だった(途中で、横須賀市の水道山となり、その後、そらヒルズ=ルネ北久里浜と言う美麗マンションが建設される)を、京急に大開発させて、インフラ整備をさせて自分がお金儲けをする、土地をもっとも駅に近いところに生み出したわけですが・・・・・・

 この池田分譲地は、立派なwikipedia が、立って居て、京急の土地開発の中でも、突出して価値が高く、駅前ロータリーも整備されているので、東急における二子玉川程度の重みを持って居ると思います。

 駅名も、【生田】と言うどうってこともない名前だったのを、北久里浜駅と改名し、池田分譲地には、新たに参入する、新住民がいて、駐車場には、外車が並んでいると、言う状況です。

 上皇后、美智子様のご成婚がかなったころ、美智子様の、おじにあたる、水島三一郎博士の為に、八幡製鉄は、日吉の、わが実家から、徒歩20分程度西北にあたる、麦畑を買収して、研究所を作りました。しかし、水島博士が、亡くなると、そこは、廃棄され、別のところに、新たな、研究所が開発され、その跡地はセキスイハイムが開発する、結構有名な住宅団地となりました。

::::::ウィキペディアから、池田分譲地も、アイザック日吉も消えてしまいましたが、これは、私が、ブログに登場させているからです。しかし、そのブログを完成させると、大・実質的・・・犯罪へ結びついてしまうので、アイザック日吉も、京急池田分譲地に関する立派で、長文だったwikipedia が、消えてしまいました。今、かろうじて、アイザック日吉の方だけ、見つけました。ここにコピペします。

さくらが丘は、新日本製鉄(新日鐵)の先端技術研究所の巨大な跡地(約7万平方メートル=アピタなど一連の跡地5万6000平方メートルよりさらに広い)を活用した345戸の分譲地で、2003年から分譲を始め、2009年に全面完成しています。::::::::::

 京急池田分譲地も、まあ、似た様な規模です。でもね。実質的に言うと、京急池田分譲地の方が、暮らしやすいです。駅から徒歩圏内に、すべての家があり、平坦な丘の上で、車は来ないし、日当たり良好で、京急は、交通費は、かかるけれど、時間と言う意味では、アイザック日吉から、東京丸の内へ向かうのと、京急池田分譲地から、丸の内へ向かうのは、同じくらいでしょう。

 特に下に写真を置いているこの美麗なマンションに、地上から五階分を一気に上がるエレベーターが出来ていて、マンションの住民以外も、パス代を支払うと、使えるのです。時間の短縮には役立ちませんが、体力を使わないと言う意味では、80を過ぎても、住める一帯となっているのでした。

 そして、このマンションからは、西は伊豆半島やら富士山、東は、房総半島まで、北は、横浜ランドマークタワーまで、見張らせるのでした。しかしブランド力と言う差があります。別に京急は、東急をライバル視ししていないでしょうが、しかし、地価が、数倍程度アイザック日吉の方が高いでしょう。?????

~~~~~~~~~~~~~~~~~

*3)、「青地問題」

 1960年ごろまで、ここは、一種の里山でした。山の地主と、畑の地主の間に、日当たりの、面で、争いが起きない様に、江戸時代、両者の間には、幅一間程度の、緩衝地帯が、設けられていて、畑として利用しても、いけないし、樹木を植えて、山林として利用してもいけないと、言う決まりがあったそうです。いやあ、今の雪の下二丁目のご近所様の、無法ぶりを考えると、江戸時代、幕府直轄領地であったであろう、この三浦半島は、意外なほどの文明の地だったのですよ。

 ところで、私は、父が見つけて来た、この北久里浜の丘の上の土地を生協から買ったのです。主人名義で、30坪。しかし、父が、「30坪では、いい家が出来ないね。隣の30坪は、母に買ってもらえ。そうしたら、60坪の長方形になるので、自由自在に設計できる」と、言って、母に西隣の30坪を買わせました。

 この土地の半分が母の名義だったと言う事が、大・実質的詐欺事件の謎を解くカギになるのです。本当に、この世は不思議と言うか? 神様は、いらっしゃるのでした。処で、益山重夫・智恵子夫妻は、この近辺、2000坪を、いつの間にか自分のものにして行ったのです。私自身が住んでいた土地もこれまた、戦時中は、国家の戦後は、横須賀市の土地だったのでしょう。

 しかし、1960年代は、まだ、峻嶮な、崖の上で、東北の登山口、京急、新大津側、現在三菱地所が、四季の街と言うマンション8棟を作っている一帯【ただし、そのマンションは、当時は、まだできていなかった】からしか上がれない山ですから、秘密は如何様にも、作り上げることが出来たのでした。

 ああ、ここで、突然に飛んでしまいますが、この山の西南の山すそで育った方が、故・野島稔、東京音大学長です。今、一時間以上をかけて、野島稔さんの両親がどういう職業であるかを知りたいと思いました。大変上品な方達でした。で、所謂先生、特に大学教授ではないかと思いますが、どうして、ああいう隠れ家みたいなところにご両親がお住まいだったかを知りたいのですが、今は、ネットではわかりませんでした。」

 元へ戻ります。

 全くの山だった、この丘を、益山重夫さんは、536平米買ったのです。その後、90平米の建売住宅を、13戸。それから、進入路を、莫大に取るのですよ。計算が合わないです。

 こういう所、すべて、登記所で、登記簿謄本や、公図をとっているので、それが、残っていれば、証明できるのです。

 大詐欺事件が、1978年に私に発覚する前に、すでに、益山夫妻は1500平米も、売り払っていたのです。そして、総仕上げとして、当時は横須賀市の水道山として、変化していた山へ、開墾に入り、

 その山の全面積、4200坪が、実は、私の土地だったのです。しかし、法務局では、127平米しか残っておりません。法務局の方が間違っています。訂正してください」と、申し出でたのです。

 ああ、胸がドキドキするほどの、大・実質的、詐欺事件なのです。

 これが、どうして、可能だったのか、私には詳細にわかっています。しかし、書くのがあまりにも複雑なので、今日は詳細を書きません。

 ただね。これほどの、大・実質的悪事を、なぜ、益山重夫氏が、実行したかですが、お金が欲しかったのです。

 何のためのお金、・・・・・と、問えば、愛する妻、智恵子さんの為に、高額の遺産を残しておきたかったからでしょう。30歳以上若い。しかし、特に、苦境にある自分を助けてくれたのです。

 ウーム、この悪事って、すさまじいものなのですよ。土師淳君が殺された酒鬼薔薇聖斗=少年Aの、自伝(?)『絶歌』も、ここに関係して来るし、私は、1977年(もしくは1978年)10月11日、智恵子さんに、例の白い大型車で、轢き殺されそうになるのです。

 それをまず、公園の公衆電話で、青山敦子弁護士に知らせ、その次に、自宅の電話で、同じ事を伝えました。

 と言うのも自宅の電話は、盗聴されていることが確実なので、きっと悪いことが起きると思ったのです。

 しかし、この時点では、悪いことは、私の方には起きず、益山夫妻に起きたのです。その夜、益山氏は、急死したのでした。

 これは、私を殺すことが、ミスター益山の、案であり、それが、失敗したから絶望して、青酸カリ(偉い人は、必ず、持って居たと思います。自殺用にですね)で、自決したか? または、ショックのあまり、循環器系に、血管破裂とかが起きたか?

 それとも、車で、轢き殺そうとしたのは、単純に智恵子さんのアイデアであり、そこまで、愛する妻を追い詰めた・・・・・と言う事に絶望をして青酸カリを使った・・・・・または、晋三か、脳に急な大出血が起きた・・・・・

 のどちらかは、分かりません。

 だが、この三回分で、私は、優しさをもって、文章を終わらせたいのです。

 だから、元、帝国海軍参謀にして、戦後CIAの大エージェント瀬島龍三と大親友だと、自分でいい、その後、

60年にわたって、警察を部下としていて、ありとあらゆる、私の知己を、私から、引っ剥がし、種々様々な苦しみを与えているのです。

 でもね。今週、12日、チェックしたのは、夜の11時8ッ分でしたが、その時点でも、脅かし行為を続けて来た渡辺賢司・みか夫人に言いたい。私に苦しみを与える人間は、その量が、限界を超えると、必ず、死、、心理的失敗、または、経済的失敗に陥るのですよ。

 まあ、私のブログを読んでいないみたいなので、平気みたいですが・・・・・神様は、必ず、すべてを、御覧になっていると、感じています。

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生協や税務に関するものも盗まれている。私の頭と心を混乱させる事が目的だが、時には入れ込む事もあり、今週TVに出る可能性のある水沢勉氏からの2000年の手紙が最近玄関に置いてあった

2025-02-13 01:17:25 | 政治

 この一文は、最初の総タイトルを、【帝国ホテルで買った赤い牛革のお財布が、1月28日から31日までは、確かに安野家に在ったのだろうが、今どこにありますか? まだ、返ってこない】としておりました。しかし、文章を分けようと思います。

*1) あのね。前報が、完成していません。あれはね。ちゃんと書かないといけないし、完成させないと、何が何やらお判りいただけないとは、おもっております。

 しかし、最初の部分が同じなので、途中で、加筆してあることにお気づきにならないお方もあるでしょう。特にスマホで、お読みになるケースでは、まったく、同じだと、判断をされても仕方がないと、考えてはおります。

 それとね、残念なことですが、やはり、ブログというものが低くみなされている現状があると思います。ツィッター(Xと改題か?)とか、フェイスブック(メタと改題か?)に引き続いて、YU TUBEに、人々の嗜好が移っているのですね。また、ゲームですね。

 まあ、仕方がないです。それでね。急に全く違う事を書きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

*2)、 私が同じテーマで、書き続けていのには、理由が二つあります。

一つは、絵画を盗まれる話でしたが、合いかぎを持っていて、自由に我が家に侵入している家が、たった15軒しか実動人口がないこの山で、二軒もあるという事。そして、その連中に、最近では、お給料まで出ていて、ちょっとでも、油断をすると、いろいろなものが盗まれるという事があり、その絶対の証拠として、西隣の家との間の側溝に入っていた絵は、大原光孝さんにしか、意味が分からない絵なので、ともかく、大原光孝さんは、合いかぎを持っているという事がわかったわけです

 そんなことが法治国家であり、かつ、民主主義国家であるはずの現代日本にあるという事。それを、はっきりと、記録しておかないといけません。

 それから、彼の家は、奥様のご実家がお金持ちで、奥様のお金で、家も建て替えたし、(だから名義は、今は家出をしていて、家にいない、奥様の名義だし)奥様が家出をしてしまったので、一家全体の、収入が激減したはずなのに、今、大原光孝さんの、着ているお洋服が、特に上等なものへと変化したので、お給料、(または、生活保護費)が、彼に与えられていると思うのです。仕事は、私をいじめて、精神面からダメージを与えて、殺していくこと。

二つ目は、安野家も合いかぎを持っているという事です。

 これは、PALシステムという同じブランドの生協を、とっていたのですが、生協に関係するものが、数種、盗まれているのです。それ以外にも安野家が、合いかぎで、侵入している形跡は明瞭にあったので、あ、安野家がいやがらせのために、盗んだなと考えました。ほかにも盗まれているものは膨大にあるのですが、それは、四種類の泥棒がいるので、全部を安野家が盗んだとは言えません。もしそれを言ったら、それこそ、逮捕されかねないですからね。でね。非常に気を付けているので、

 水まき事件ぐらいしかまだ語っていないのです。

A野家(この案件で、引っ越していきました。まあ、賢い方の家)のお嬢さんをスパイとして使って、通りがかった私に20リットルの水を引っ掛けようとした(これは、本当に面白い話です。それこそ、リンク先を、示したいことですが、最近は、ここから引っ越していったA野家の賢さをめでて、あまりリンク先を示していません。ただ、この事件には、各種の、明瞭な証拠があるので・・・・・例えば、早稲田ゆきさん(立憲民主党の国会議員)が、我が家にこの件で、訪ねてきたり、本当に面白い案件なのですが、そのお嬢さんを守るために、最近では、リンク先を示さないで、居る案件です。そういうことについては書くのですよ。しかし、泥棒行為については、ほとんど書きません。

 で、この生協の申込書が盗まれたことは、金額としては、大したことではないでしょう。その週、注文しなかったことにすればよいのですから。ところがね。主人が、非常に他人を気にする人なのです。しかも、豪胆ではないです。慎重というか、丁寧というか、何事も、ルール通りが好きなのです。

 で、彼にしてみれば、生協の注文票が無くなったのは、大変なこととなるわけで、当然に、私がどこかの部屋に置き忘れているのだろうと、なって、ふうふげんかになります。

 だけど、生協の申込書が、盗まれたときは私の方は『なるほどね』と思いほとんど動揺をしませんでした。これはね。夫婦喧嘩を狙った謀略行為としての泥棒だと、瞬間的にわかっていたからです。この生協での買い物ですが、最初は、私だけが、消費カタログを見ていて、申込書(パソコンで処理するらしいもの)に、注文品を書くのでした。しかし、主人も、PALシステムで、配達される商品が、特に食料品は、まあ、良品だと感じて来て、しかも、私が忙しすぎて、商品カタログを読めない週が多かったので、彼が乗り出してくる様になりました。そういうときに、注文書が盗まれたのです。

 今は、配達する人が代って二人目です。その人は、上から、命令をされていると見えて、「僕が代わって注文書に記入してあげます。メモさえ渡してもらえれば」とは言わないのです。前の人は、白いコピー用紙に、ひらがなで書いた、注文品の原初のメモを受け取って帰って、「僕が正式な注文書に、記入しておいてあげますよ」といってくれたりしたのですが、我が家の玄関でさえ、盗聴機能が利いているらしくて、ありとあらゆることが四角四面で融通が利かなくなりました。

 で、主人がそのころは繊細で、几帳面だったので、大幅な夫婦げんかに至りました。室内が、盗聴されているので、それもあって、自らの奥様が、十年以上家出を続けているのにもかかわらず、自分のことは棚に上げて、「川崎さん、この山の人は、みんな川崎さんが、離婚をするよと、うわさをしているよ」へーら、へーらと、大原光孝さんが、すれ違い様に語った様に、この山の人間は、離婚という事を、極端に下っ端のすることで、劣っている事と、考えている模様です。で、それに向かわせようと、私たち夫婦に喧嘩を、起こさせて、それを時には録音をして、ご近所で聞きあって、私を馬鹿にするために、‥安野家が生協の特にPALシステム、生協の・・・・注文票を盗んだのです。

 これは、起きた、その時点では、ブログには書きませんでした。ところがね。この様に、我が家に起きる異様な案件を、いろいろ、積み重ねていくと、より、深い真実が書ける様になるのです。そう、いつも言っていますよね。で、この件も、実名を挙げて、安野家が盗んだと、書ける様になりました。実際に起きてから、ずいぶん後でですが。ただ、どこで、書いたかは、今は、もうわかりません。NHKがニュースで、報道する様な、大きな殺人事件とは、関係がないので、見つけにくいのです。が、書いたと思います。

 するとですね。安野家と我が家と平木家の三軒が、利用していた生協、特に、PALシステムを、安野家がやめたのです。PALシステムは、月曜日の午前中に届けに来ます。ところが、ほかの曜日の夕方五時ごろ、別のブランドの生協が、安野家へ、配達に来たのでした。

 (この五時というのが大問題なのです。これは、あまりにも盗難が多くて、税務申告の帳簿さえ盗まれるので、盗まれる可能性のあるものは、できる限り銀行の貸し金庫へしまうので・・・・そういえば、最近まで、銀行の金庫は四つ持っていました。みずほでごたごたが起きて、一つ失われたのですが・・・・、週に三回は、銀行へ行くために四時半ごろをめどに、お出かけをするのです。そういう習慣は、敵さん連中はわかっていて、利用をされます。特に午後五時前後が、悪い仕事に利用をされます。

 特に西隣の白井夫人がそれを利用するのです。マルハニチロの、群馬県工場で、農薬入りの冷凍食品を販売した☛☛☛

 ・・・・・これも嘘ですけれどね。JT の研究所に、妹の主人柏木孝司氏が副所長として勤務していたので、JTが、冷凍食品に、毒を入れたというニュースが出回りました。

 これは、妹の方が、妹自身も、その連れ合いも我が家よりも出世しているという事を、私に自覚させるための事件でした。「ほうら、うらやましいだろう。うらやましがれよ」と、当時は、100%生きていた井上ひさしが言いたかったのでしょう。その事件が嘘だと、書いていた最中に、嘘ではないぞ、と、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)が言いたくて、起こされた謀略が、マルハニチロの農薬入り冷凍食品事件です。

 JTの冷凍食品は、中国東北部(旧満州)で、起こされました。

 だけどそれも嘘ではないぞ、お前の言葉の方が間違っているはずだ。現に日本のマルハニチロでも、同じことが起きているではないか、という謀略行為で、これまた、平成の八墓村事件と同じく、警官400人が犯人捜しをしたそうです。ね、いつも同じなのです。こういう謀略行為=嘘=を作る、連中の頭がどれほど、幼稚だかわかります。そして、私にはばれてしまっているのに、ほかの一億の日本人は騙せると考えて、手下としての警察を利用して、炎上気味に盛り上げるのでした。

 なお、寝屋川の中一生徒、ふたりが、殺されたときに使われた、駐車場は、当時私が株を持っていたセンコーの駐車場で、このマルハニチロの農薬入り冷凍食品問題も、マルハニチロの株を持っていたから起案されました・・・・・、きっと、こういう謀略事件の発案者である、井上ひさしは、株なんか、子供のころは、見たこともなかったでしょうから(昔は、預かり証という、ほぼ、おさつみたいな複雑な印刷物をもらっていた)ので、証券会社のスパコンに入って、私がどの銘柄の下部を持っているかを検討して、それらの銘柄の会社に、次から次へと、事件を起こす様に仕掛けていたのでした。井上ひさしは、子供のころ、お父さんが消えてしまったので、貧乏になった母親が、捨て子をしたのでした。どこへ捨てたかというと、カソリック系の孤児院にです。我が家では週に三日は、証券会社の人が訪問をしてきて、預かり証の交換をして、ついでに、上等な生菓子を、提供するお茶タイムが始まるのでした。時には、子供・特に私も入ったのですが、母と証券会社の人以外に、経理の仕事を頼んでいたご近所主婦、とか、お手伝いさんも一緒だったので、小さなサロンと化していたのです。(ここから蛇足1へ向かう)お酒は出ないが、おしゃべりタイムではありました。

 で、彼がうらやましいので、手下の警察に頼んで、証券会社のスパコンに入り、私が、どういう銘柄の株を持っているかを探り、謀略事件に利用できる会社を選んでは、次から次へと、事件を起こしていったのでした。

☛☛☛頃、白井夫人が山の下で、大原光孝さんと組んで、待機していて、例のごとく、五時前後に山を下りる私を無視してやろうと、待ち構えていたのですが、そんなやり口は、30メートル手前から、わかっているから、こちらもあいさつ無しで、通り過ぎました。

 ところでね。大原夫人って、白井夫婦が引っ越して来たとたんに、覚醒してしまったのですよ。自分の夫が、彼が自分で言うほどのエリートではないと、気が付いてしまったのです。東大卒の建築家、白井達雄氏は美術系の才能もあるのだけれど、理数系の頭も持っている人です。収入もすごく高いし、

・・・・比較して大原光孝さんの方は…‥といいたいのですが、大原さんの方の実情は、省きます。それを書いてしまうと、自分で、後味が悪いですから。ただ、ありとあらゆる側面で、大原光孝さんの方が三段階ぐらい低いです。それ以前には、彼の弁舌がさわやか(声は、非常に悪いが、説明は、饒舌なのでしょう。きっと)で、しかも、自分たち夫婦は、この山で、一番のエリートだと、いう彼の言説を信じていたのでしょうが、白井さん夫妻の、転入で、化けの皮がはがれたのです。

 2025年2月14日20時30分です。これ以降の、推敲加筆を、これから行います。

 ところが、その白井夫人と光孝さんは、結託して、わたくし攻撃の種々様々を行うのです。特に【植木鉢の怪】というのは、捨ててはいけない筈の間違った日に大量の植木鉢が捨てられていたという問題で、大原光孝さんと白井夫人が結託をした、いじめ行為です。白井夫人って、わざわざそれを山の上にもって上がって「誰が捨てたのか?」町内会総会を開いて、検討したそうです。何で、40年も前から町内会費を支払っている私を抜かして、町内会総会など開くのですか? ここの町内会総会は、必ず、回覧板が回ってから、開くものですよ。白井夫人って、まだ、十六年間しか、ここに住んでいない新参者ですよ。特にこの山は、毛利様の持ち物だった時期があり、我が家は、鎌倉時代から、大江広元の家来だったし、毛利様が、戦後、華族制度の廃止で、困窮なさった折には、

 東宝の重役だった藤本真澄氏が、ここを買ってあげたのだけれど、その藤本真澄氏と、わが父は、旧制山口中学時代には、大親友だったのですよ

 私は、中学生でもわかるであろう法律の知識がない、白井夫人のお馬鹿さん加減にあきれ果てて、(特に東大卒だからこそあきれ果てるのです)黙って何も言わずに帰りました。で、ことが解決したと思っていますか? 白井夫人は? 

 いいえ、まったく解決していませんよ。わたくしは内心で、ものすごく怒っているから、十分に時間を空けて、と言うのは、一年以上の後に、一軒一軒訪ねて歩きました。「白井夫人が、植木鉢をだれが捨てたかについて、町内会総会を開いたそうですが、あなたは、ご出席になりました?」と聞いて歩いたのです。前田清子さん、安野忠彦氏(夫人は隠れている)、大原光孝さん、渡辺夫妻(ドアさえ開けなかった)、富沢夫人、Mr柳沢、の6人を訪問をして、質問をしたところ、全員出席をしていないと答えました。この時、訪問をしなかった人たちは、嘘をつかせるのが、気の毒だと思ったからです。ところで、「出席をしていません」といった、5人は、嘘をついている可能性が高いです。

 渡辺家が、玄関をあけなかった事でもわかります。その夫婦は完璧に前田清子さん側です。しかし、前田清子さんを訪問をした時点で、すぐ、電話等で、私が何を目的として、訪問をしているかについて、連絡があったので、どうして、そういう質問をするか=白井さんとそれ以外のご近所様のどちらが嘘を言っているかを把握するのが、本当の目的です=====を悟ってですね。嘘をつくのが嫌だから、玄関をあけなかったのですね。まあ、外語大卒ぐらいだと思うから、子供じみた嘘をつくのは嫌だという、程度の矜持は、あったのでしょう。この山に住んでいると、人間観察が、120パーセント以上の確率でできるのです。人間て、面白いですね。60を過ぎても、70を過ぎても、成熟という事からは、遠いのです。恥ずかしい。ところで、この件ですが、白井夫人が嘘をついているのか、それとも、植木鉢を種にした、町内会総会に出席したのに、出席していないと、いう六軒の方が嘘をついているのか?

 どちらか?と、しいて推察すれば、六軒の方が、嘘をついていたのでしょう。白井夫人のことは、その日に心理的には、捨てました。まあ、お隣だから、会話が必要なときはあって、会話をしますけれど、常に敵だと、自覚をしながら接しています。(ところで、これは、38年前の大事件に結び付いていく問題で、もし大原光孝さんが、一人で考え出したと仮定すると、彼は、信じがたい悪人となりますが、たぶん、伊藤玄二郎とか、中谷家の二人の遺児も絡んでいます。これはアジサイ畑欺罔事件と言う原初の悪に繋がっていきますので・・・・・蛇足2のところで、さらに詳述をいたします)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、生協の注文票が盗まれた時点に戻ります。数年後、十分に、下積みを経たうえで、今なら、書いてもいいなあと、思って、安野家が盗んだのでしょうと、書いたら、安野家が、誇示的にPALシステムをやめて、違うブランド(違う日の、違う時間帯に配達されるブランド)へ、変更しました。それが、わざと、私にわかる様に、誇示しました。例のごとく重要な時間である五時30分前を使って、見せつけてきたのです。そして、平木さんです。PALシステムを利用していたはずなのに、いつの間にかやめています。この平木家が、どれほど、安野家にこびているか? その結果ご長男が東大へ、推薦入学が決まったのですが、それをひた隠しに隠している事実などは、別の章で丁寧に書いていますね。

 で、このころは主人が、私を疑っていて、ご近所人間が泥棒するなど、ありえないと考えていました。ところが、この1月31日(金曜日)に動かぬ証拠が手に入り、主人も、私を疑わなくなりました。

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*3)、我が家に泥棒が入っているという動かぬ証拠とは、水沢勉氏からの、日付として、2000年の手紙が、この2025年1月31日に、玄関の上がり框に置いてあったことだ。

 動かぬ証拠とは、水沢勉氏からの手紙です。1月31日に、私は、それを手に入れて、次の日の夜、主人に見せました。ついでに、自分のお手紙です。泥棒がどういう風に入っていて、何を目的としているかを丁寧に書きました。主人への手紙は、すべて、手書きなので、このブログでは、利用ができません。ところで、水沢先生からのお手紙ですが、今、それを読む気にもならず、どこに置いているかも、わからないのですが、ちらっと見た日付だけは、2000年でした。なぜ、水沢先生と別れてしまったかは、先生の上司が酒井忠康氏で、そちらから、「川崎千恵子を切りなさい」と、言われていらっしゃるから仕方がないのです。

 ただね。2011年フクシマ第一の事故が起きる前までは、私の方は、悲しみを、引きずっていました。あれが、起きると、水を得た魚の様になって、ブログをしっかりと書くようになり、読者も増えたので、結局は美術よりも政治の世界、特に文章を政治をテーマで書くことへ、仕事(ただし、お金は、一銭ももらえませんけれど)が、移っていくわけです。わたくしは大変筆力が高いと言われていて、高名な文筆家ほど、「すごい」といってくださっているのですが、

 2008年にブログを始めた途端に、メルマガが、「送れません」となったのです。今、思うと、あれ嘘です。だから、気にせずに以前と同じ様に、送っていたらよかったのです。私のパソコンには、ものすごく多数回、嘘の警告が出るのです。NHKニュースも嘘をつくし、ご近所様も嘘をつくし、パソコンも嘘をつくのでした。ともかく、水沢先生にも送っていたし、山口みつ子さんにも送っていたし、非常に高度な読者の多い、たいへん良質な世界だったのです。

 だが、酒井忠康氏の、支配によって、水沢先生との縁が切れたのが、2004年か、2005年の筈で、その後、水沢先生は、どんどん敵方の、意向を代弁する様になって、すごいいじめを日吉で、やってくる様になるのです。

 日吉には、私の実家があり、そこから、直線距離にすると、60mの範囲内に、重要な人たちが住んでいます。水沢家もその一つで、そこに勉先生の姉、悦ちゃんが住んでいます。日吉で、起きたことは、やがて、カリタス小襲撃事件につながっていきます。その事件が起きる前までは、水沢勉先生と、私の間には、圧倒的な上下関係がありました。

 しかし、カリタス小襲撃事件が起きて、日本側では、カリタス小六年生の女児、ミャンマー語に堪能な外交官、それから、襲撃者のやくめを負った、51歳 の引きこもりといわれる男性の三人が死にました。

 そして、ミャンマーでは、政変が起きて、ロヒンギャと呼ばれる人たちを中心とする虐殺が、繰り返されています。

 ここらあたりの説明は、超・字数が必要で、今日はもう午前五時になっているので止めます。しかし、2017年から、2020年ごろまで、小田春夫先生(歯科医)を通じて、水沢勉先生が、日吉で何をなさったかは、私には、100%わかっているのです。しかし、まあ、まだ、書くまいと思っておりました。先に白井さん夫妻とか、前田清子さんとか、安野夫妻とか、平木さん一家について、書こうと思っておりました。

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*4)、まだ、触れるつもりがなかった、水沢勉氏と、私との間の本当のところは、日曜美術館。、9日午前と、16日夜八時からの中で、水沢先生が登場する予定があったので、伊藤玄二郎とか、井上ひさしが、こういいたかったから、お手紙が玄関に置いてあったのでしょう。これは、推察ですが、全く同じことが奈良県西大寺での、安倍晋三元首相殺しで、行われていますので、こちらは、その踏襲です。・・・・・お前毎週、日曜美術館を見るだろう。で、思い出せ、思い出せよ・・・・・水沢氏に、捨てられた悲しみを・・・・・と、いう意味で、安倍晋三元首相が、西大寺で殺された事件と同じ流れです。

 お前さあ、井の頭線、渋谷駅、改札口まで、時枝ひろ子さんを追いかけていったのに、とうとう、捨てられ切ったよな。その時、悶々としていたではないか? そうだよ。大切なメンターに捨てられた悲しみを。・・・・・今度も同じだぜ、お前さあ、水沢さんと付き合っていて、葉山の美術館に自分の作品を収蔵してもらいたかったのだろう。で、そういう意味では、時枝ひろ子より、重要な人物だったよなあ、その人に今は、すっかり、捨てられているのだ。ざまあ、見やがれ、ブログなんかかいているからだよ・・・・・・と、(CIAエージェント)が、いいたいがために、水沢勉先生のお手紙が、玄関の上がり框に置いてあったのです。➽

 しかも、2025年1月31日に。・・・・・これは、彼らが、今、自分たちが勝っていると考えさらに、重層的にいじめてやれと、思ったから、起きた・・・・・と考えています。どうして、その日に?と、考えると、理由はすぐわかります。フジテレビの、言論リンチ事件があり、そこでは、彼らは、自分たちの方が、私に勝ったと思っているのです

 ➽という事は、時枝ひろ子さん(旧姓西大寺さん)に捨てられたのと、同じことがMr水沢勉を相手にしても起きた」という事だ。で、安倍晋三元首相が、殺されたのも、ほんとは、私が、主役だったのです。安倍派いじめは後付けの、カモフラージュです。

 というわけで、私は生きた人間からは捨てられているのですが、神さまが、代わりに戦ってくださって、悪人をやっつけてくださっているのです。大野埼玉県知事など、その典型です。

 ただねえ。毎週、生協が来て大量の食料品を置いていく以外は、チェーンをかけているはずの玄関内上がり框に、どうして25年前のお手紙が置いてあるのか、? この謎は、解いていかないといけません。後刻致します。

 だって、一年に50週は生協が来るのですよ。その前、何も置いていない状態にしたのに、どうして、25年後に、水沢勉先生のお手紙が、しかも、変形で、三つおれになっていて(と言う事は、私なら、絶対にしない、粗末にしたと、同義語の形をとって、置いてあったのです。

 ここでね。別れてしまったからこそ、仲が良かったころ何があったかを語ります。実は、その2000年の日付が付いているお手紙は、2025年の今は、まだ読んでいないのですが、たぶん展覧会の招待状です。今は栗田陸と言うドイツ在住のアーチストの境界を特に意識するインスタレーションと言うのをやっています。ご招待状を頂くと、オープニングパーティにたいてい出かけます。と言うのも、そこで、美術界のセレブが集まっているので、その陣営内に、いる人々にとっては、カッコウの社交の場なのです。渡辺豊重さんは、その日は一ノ瀬智恵子さんを、お供にしていたわけですが、

 日陰茶屋、(マレ・ド・茶屋)のお味の良いカナッペを頂きワインも飲んで、帰宅するときに豪華なカタログを頂けます。

 で、お手紙は、レターヘッドが、ブルーで、近美のロゴが印刷されているもので、極く公式のお手紙です。仲良かったと言っても、12歳も水沢勉氏の方が年下です。

 しかし、一つだけ、これは、うれしかったという思い出があります。それは、2004年1月6日、早朝五時ごろの話です。パソコンが65台も壊されているので、コピペして皆様にお見せすることができないのですが、私のメルマガに対して、コメントを頂いたのです。

  その前日、1月5日の、夜6時50分、ユマニテに急いで、行こうとしていて、鍛治橋交差点そばで、転んで、顔にメガネが突き刺さり、ぽたぽた、ぽたぽたと目の前を血が流れ落ちていくのに、両手と背中に、出版したばかりの自著を持って居て、その重さで、立ち上がれないのです。不況の時代で、京橋全体が暗いのに、たまたま、通りかかったグループの人が助けてくれて、救急車で、慈恵医大に運ばれたのでした。そして、整形外科の先生に言わせると「僕が過去に出会った顔の怪我の中で、上から三番目ぐらいです」だそうです。ただ、縫合は、脳外科の先生がしてくださって4㎝ぐらいの怪我を、40針もかけて、丁寧に、縫ってくださったのです。そういうことを生き生きと書くのが私です。しかも、こんな経験は初めてですから、張り切って書きます。そして、転んだのは、自分が悪いのですから、他人は責めていない。だから、読後感がいい文章だったでしょう。

 私のメルマガは、文章が長いので、送り先の数を、限定しないといけないと、管理者から言われているので、何回にも分けて送るので、送信に、大変時間がかかるのでした。それで、その作業に30分以上をかけている最中に、パッと、コメントが入りました。

 水沢先生からでした。「転んでもただでは起きないと言うのは、まさに是ですね。さすがです」と。

 こんな、もう、過去中の過去となってしまったエピソードを晒すのは、ひそかな自負と、予想があるからです。しかし、それを言うと、また、妨害を受けて、それが、実現をしませんので、言いませんが、この一文が、遠い将来は、水沢一族に、取って・・・・迷惑の反対、つまり、宝物になる事を知っているからです。

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(蛇足1)

 私が、1984年、この鎌倉雪の下に引っ越してきて、驚愕をしたのは、40を過ぎていて、高校三年の息子さえいる安野夫人が、毎日午後、門前の道路で、網を張っていて(蜘蛛みたいですが、まさにその通りで)引っかかった主婦を、誘い込んで、井戸端会議を始めることでした。私、幼少期から数えると12回住まいが変わっています。そのうち、生まれて三年住んだ満鉄の社宅とか、寄留させてもらった親戚の家とか、下宿とか寮とか、新婚時の、6畳と三畳のアパートとか、いわゆる仮住まいを除くと、長期に暮らしたのは、三か所です。その三か所で、どこでも、40歳以上の、中年主婦が、井戸端会議を開いている図など、見たことがないです。皆さん、お付き合いは、したい模様で主婦でもカフェに集まるのが、常のようです。

 お金を倹約したいのだったら、新幹線の待合室(品川駅等)で、500円のこーふぃーを頼んで3時間近くしゃべっている人を見つけたことがあるけれど、ともかく、一回、千円程度をかけて、集う、しかも週に一回ぐらいと、言うのが、主婦の定番様式です。

 しかし、駅近辺まで、遠いとか、近所にカフェがないという場合は、お家へ招いて、お茶をします。ちゃんとした茶菓を準備しておくのが、賢い主婦の定番ですよ。たとえば虎屋の羊かん(プチサイズのもの)とかです。鎌倉だと、数日間もつおかしが、特にいっぱいあります。豊島屋の和菓子は、上生以外は、大体三日は持ちます。最近紅谷の、、クルミっこというのが大人気ですが、あれは、一週間は持ちます。また、ニュージャーマン、レザンジュ、京急ユニオンや、紀ノ国屋のケーキ類、などを冷凍しておいてもいいでしょう。

 あまりに驚いて、二週間ぐらいで、安野夫人は、ここに引っ越してくる前には、主婦(特に専業主婦)体験がないのだとか、。母親ぶりを誇っているみたいだが、実際は、母親ではないと、いう事など、みんな、彼女自身の行動を読み取れば、理解できることなのです。白井夫人は、私のことを誹謗中傷の人だというけれど、白井夫人自身が、人生体験があまりにも少ないので、せっかく東大卒などという立派な肩書を持っているのに、判断力が低いですよね。どうして、私が、二週間で見抜いたことが見抜けないのだろうと、常に不思議に思っていますよ。

 私は略奪婚の人だろうと、書いていて(それは、自分の被害があまりにも大きいからですが)、特に前の奥様は、1984年時点(=私が、引っ越してきた時点)で、すでに亡くなっているだろうと、書いています。それが白井夫人のいう誹謗中傷に当たるのだろうと思いますが、ご長男を呼んで、インタビューをしてごらんなさい。きっと私が正しいと、理解できるはずだし、前夫人の、兄弟とか、姪とか甥が居たら、そちらにインタビューなさってもいいし、安野忠彦氏が、前の奥様と、新婚家庭を営んでいてご長男とご長女が幼稚園に通っていたころの、地域のママ友も、訪ねてごらんなさい。絶対に私が正しいと、把握できるはずです。白井夫人は、東大卒らしいけれど、受験用問題集の答えを出すのは、得意でも、実生活上の知恵という意味では、頭が悪いとしか言いようがない・・・・・・そういう場面が多いです。安野夫人は自ら

が、自らに関する、それらの真実を外へばらまいている人なのです。それを読み解けない前田夫人とか、白井夫人は、地頭が悪いとしか言いようがないですよ。そのほかの女性は、あの石川和子さんだって、安野夫人の本質を分かっていて、しかも、上手に、自らの本心を隠して、付き合っていたと推察しています。

  ところで、この山は、敗戦時まで、毛利様の持ち物だったでしょう。その後、戦後の、華族制度廃止で、毛利様が、お困りになった時期に、当時東宝の重役をしていた、藤本真澄氏が、買ってあげたのだと、思います。うちの父は、兄が、旧制萩中学の校長だった(10歳は年齢が上だった)ので、

 兄自身がお金を出してくれて、(というのは、兄弟で、同じ学校の、校長と生徒だという関係を、叔父の方が、面映ゆく思ったのだと、思います。)山口市へ、寄留をさせてもらって、旧制山口中学に学んだので、藤本真澄さんとは大親友になっていたのです。父が慶応卒のシティボーイである藤本真澄さんに

なぞらえて、伊勢佐木町の写真スタジオで写したのが、昭和8年(22歳だったかな)の、上の写真です。靴もスーツも借りたもの?

 父は官学、旧制秋田鉱専の、石油科第一回、卒業生ですが、もし祖父がまだ、生きていたら、ナンバースクールに行くことができたでしょう。そして、旧制帝大にでも、行くことは可能だったと思います。が、その祖父は、理財に明るく、明治維新以降、東萩に山一つ買って、堀之内から移住して、だいだい栽培も副業として行っていたから、父の長兄は、それほど、貧乏人でもなかったのです。父の姉は、女子・師範学校に行っていますし。長兄のお嫁さんも師範学校卒業生です。こちらは津和野藩ご家老様萱野家の出身です。

 「そうで、ござりまする・が・のうー」と、言っていたこの叔母の丁寧な、言葉遣いは、四歳以来、記憶しきったものです。

 父と母は、山口県内の。校長先生同士の、連絡網を通じたお見合い結婚だったと、思います。母の父は、養家先としての母の実家を飛び出して、別の家の養子にすでに入っていたのですが、母やその兄のことは、気にかけていて、女学校にまで、訪ねて来ていたそうです。

 これは、結婚後に、母が正金銀行に勤務することができたことにも反映をされています。普通、新卒ではない女性、しかも遠い山口県の、高女専科(今でいう短大)卒だったら、入行できないと思います。父は、自分がモボになりたいし、結婚相手の母にもモガになってほしかったのでしょう。で、洗練を身に着けるためには、横浜正金銀行にお勤めさせることなどが、プラスになると、考えていたのです。

 今、みなとみらい線を馬車道で降りると、すぐそばに、県立博物館という立派なビルがあります。横浜には、ジャック、クイーン、キングという三つの塔で、有名な古いビルがありますが、横浜正金銀行は、レンガを使っていないので、その三つの中に含まれていないのですが、立派なビルです。

 母が、私に言うのには「あーたね。銀行って、三時過ぎが大変なのよ。一円でも合わないと帰れないの。それは、入るまでは、知らなかったのよ。でも、あまりにも遅くなる時があって、主婦業との両立が無理だから、日産自動車に代わったの」と。

 日産自動車時代の、母が同僚と写した写真があって、みんな束髪で銘仙の、着物(羽織つき)を着ています。ワンフロアーのOLが、6,7人で、それがもしかすると、日産自動車全体の、すべてのOLだったかもしれないのです。古き良き時代です。なんと、今、ウィキペディアで調べたら、日産自動車って、昭和9年創業です。で、母が、20歳で、結婚をして(それは、大体の想像ですが)、21歳ごろから、正金銀行に勤務し、すぐやめて日産自動車に、勤務したと、それは、昭和11年にあたり、昭和14年ごろまで、勤務し、満鉄社員となった父に伴って、専業主婦となり、27歳で、私を産むのですが、

日産自動車の、wikipedia によると、

女性活躍推進に優れている企業を選定・発表している経済産業省東京証券取引所との共同企画である「なでしこ銘柄」に第一回(2012年度)から連続して選定されている(2017年度まで)[20][21]

とありますが、そういう・・・・女性が活躍できる・・・・日産自動車の、草創期のOLの一人だったのです。あの写真が盗まれてしまっているのは、本当に残念です。

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(蛇足2)

 私は、1984年にここに引っ越してきたのですが、驚くべきことに、東北の山を無断で崩されてしまったのでした。業者は、斎起業と言うとび職二人組で、南側の崖の上(敷地は我が家の物です)に生えている直径50cm以上のミズナラと、山桜を切ってもらったのです。

 1984年には、自宅の木を切るのに、制限とかルールはありませんでした。で、その作業が、すごいことだったわけです。我が家は、日産自動車の、研究所の、同僚が、11人も手伝ってくれて、大変派手な引っ越しでした。

 ただ、私は、ここに引っ越してきた目的は、創作に専念しようと言う事だったので、ご近所付き合いをいたしません。で、自分たちは、北久里浜の家を売らないで、ここに引っ越してきたので、中古の日当たりの悪い家(しかも、公簿上は、88坪あるものの、崖や、私道部分に、とられるので、40坪しかりようできない)で、建築素材も悪い家に、どうして、引っ越してきたのだろう?と、日産自動車の研究所の同僚は、みんな不思議に思ったのでしょう。

 実は、是こそ、罠だったのですよ。横須賀市内では、相当の、大モノだった、元海軍参謀、益山重夫が、が、ここらあたりの、地形を熟知していて、山の一部を自分の私有地にしようと、考えたのです。そういう風に考えたのは、無論理由がありました。正妻(先妻と言うべきか)が、米軍横須賀基地内の、PX(スーパー)か、将校倶楽部に、勤務している時期に、アメリカ軍将校と、恋に陥り、米国へ逃げてしまったのです。それはね。夫が米軍によって、パージを受け(それは、排除という意味でいいところに就職できないと言う意味です)、収入が無くなったので、仕方がないことだったのですが、お嬢さんが生まれていたので、ショックはショックだったでしょう。お嬢さんは、五歳ぐらいだったのではないかなあ?

 今は15日の午後三時ですが、ここを少し加筆します。小説みたいなところがあるので、書くのが楽しいですしね。

 さて私は子供を幼稚園に入れます。そこで、ママ友の一人として、杉本正子さんと知り合います。この人の夫が、当時横須賀市土木課長でした。しかし、新しい事実として、この人の実父滋氏が、なかなか重要だと、最近では考え始めています。横須賀で、大正生まれの老人としては、上品な面立ちの人でした。で、この人が、益山重夫氏の、戦時中は部下であり、戦後ひたすらに益山氏を助けたと、考えると、いろいろ、符丁があってきます。

 益山氏は、京急横須賀中央の近所で、まず、不動産屋を始めました。これは、益山氏にとっては、つまらない、恥ずかしい業務です。しかし、どういうコネであったのか、部下に智恵子さんを雇い入れました。智恵子さんは、ある面で純真で、しかも、原節子似の、モダンな感じの美女で、しかもご本人から私が直接聞いたのですが、戦時中男子払底の時代(戦死、徴兵等で)都立大学の土木工学科を出て居るのです。で、土地開発の設計ができる女性でした。そして、日産グロリアハードトップ(2ドア)白を察そうと、乗廻し、後部座席は、窓を開けてシェパードが、風に吹かれており、お買い物は、必ず元街ユニオンの紙袋を入れて帰ってきている人でした。

 元街ユニオンは、京浜急行に、吸収されたので、各地に支店が、できています。ところが昔は、明治屋、紀ノ伊国屋と並ぶ、輸入品も扱う高級店だったのです。

 この女性が今の言葉でいうスペックが高いうえに、30歳以上年下で、しかも、自分に尽くしてくれます。母親に捨てられたお嬢さんもフェリスを卒業させ(多分大学も卒業させ)結婚をさせ、独立をさせて、その後、自分に尽くしてくれています。で、ご近所の、老人=10歳ぐらい年若い男性(横須賀市の地の人で、悪気はないのでしょうが、今、芸人が素人を、TV画面内で、お母さんとか、お父さんと呼ぶ、あれと同じ感覚で)が、「おじいさん、お爺さん」と、呼びかけたら、「どうか、その呼び方はやめてください。家内が、若いので、その呼び方で、他人から、呼ばれるのは、困ります」と、抗議していたのを、私は実際に聞いていました。

 その会話を聞く前から、彼ら夫妻の日常生活を見ていて、絶対に、ご近所人間とは付き合わない事、や、或る台風の日、珍しく、平作川が氾濫して、京急(当時は、この今の本線は久里浜線と呼ばれていて浦賀へ向かう方が本線だったのです)周辺が、細長い湖になっていた時に、この益山氏と、私は、並んで、高いところから下を眺めていました。顔は、和風で、寝間着は浴衣ですから、上流階級かどうかは、分からなかったのです。が、実は、1945年8月15日までは、横須賀一偉い人だった模様です。

 杉本滋氏が、1946年から、部下として、勤務し、智恵子夫人を入れて三人で、不動産屋をやっていた時期があると、仮定すると、息子の俊一氏が、当時、住んでいた敷地50坪、建坪、28坪ぐらいの住宅は、益山夫妻の、ただでプレゼントだったと、考えます。登記をされていない幽霊屋敷ですから。外には絶対に出してはいなかったけれど、杉本滋氏を、通じて、もともとは、国家の土地だった(途中で、横須賀市の水道山となり、その後、そらヒルズ=ルネ北久里浜と言う美麗マンションが建設される)を、京急に大開発させて、インフラ整備をさせて自分がお金儲けをする、土地をもっとも駅に近いところに生み出したわけですが・・・・・・

 この池田分譲地は、立派なwikipedia が、立って居て、京急の土地開発の中でも、突出して価値が高く、駅前ロータリーも整備されているので、東急における二子玉川程度の重みを持って居ると思います。

 駅名も、【生田】と言うどうってこともない名前だったのを、北久里浜駅と改名し、池田分譲地には、新たに参入する、新住民がいて、駐車場には、外車が並んでいると、言う状況です。

 上皇后、美智子様のご成婚がかなったころ、美智子様の、おじにあたる、水島三一郎博士の為に、八幡製鉄は、日吉の、わが実家から、徒歩20分程度西北にあたる、麦畑を買収して、研究所を作りました。しかし、水島博士が、亡くなると、そこは、廃棄され、別のところに、新たな、研究所が開発され、その跡地はセキスイハイムが開発する、結構有名な住宅団地となりました。

::::::ウィキペディアから、池田分譲地も、アイザック日吉も消えてしまいましたが、これは、私が、ブログに登場させているからです。しかし、そのブログを完成させると、大・実質的・・・犯罪へ結びついてしまうので、アイザック日吉も、京急池田分譲地に関する立派で、長文だったwikipedia が、消えてしまいました。今、かろうじて、アイザック日吉の方だけ、見つけました。ここにコピペします。

さくらが丘は、新日本製鉄(新日鐵)の先端技術研究所の巨大な跡地(約7万平方メートル=アピタなど一連の跡地5万6000平方メートルよりさらに広い)を活用した345戸の分譲地で、2003年から分譲を始め、2009年に全面完成しています。::::::::::

 京急池田分譲地も、まあ、似た様な規模です。でもね。実質的に言うと、京急池田分譲地の方が、暮らしやすいです。駅から徒歩圏内に、すべての家があり、平坦な丘の上で、車は来ないし、日当たり良好で、京急は、交通費は、かかるけれど、時間と言う意味では、アイザック日吉から、東京丸の内へ向かうのと、京急池田分譲地から、丸の内へ向かうのは、同じくらいでしょう。

 しかしブランド力と言う差があります。別に京急は、東急をライバル視ししていないでしょうが、しかし、地価が、数倍程度アイザック日吉の方が高いでしょう。?????

コメント
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ヤマザキマリはイタリア出身の上品な指揮者に、NHKホールを埋め尽くすお客にトイレを使えない様にと、命令をしたのですよ。それと同じ事は長年画廊ユマニテが、実行してきた弾圧ですが

2025-02-10 00:27:29 | 政治

 今は2025年の2月12日の零時20分ですが、今から、下の文の加筆・推敲を始めます。加筆部分は、緑色で書きます。が、特に強調したいところは、別色で、書きます。それから、すみませんが、総タイトルを三回目のものへと変えます。気分としては、最初恩総タイトルが、この一文の全体を覆う主意です。それが、目的で、書き始めたのですが、また、また、そこまで、到達できていませんので、到達できたところまでの総タイトルへと、変更します。

 24時間【ボックスカルバートを、私自身の自分史に当てはめて解説しようとすると47年間分のCIAの悪を語らないとならないので】としておりました。が、今は次の物【上にある】へと変更します。

副題1、『これは、埼玉県の、道路陥没事故によって、神さまの存在が証明されたと、言うブログ文(あと註1)の、続きです。前報の中に、込めたほうがいいのですが、そこでは、共同溝の話に入ってしまい、それについては、46年間分のCIAエージェントの悪を書かないと、いけないのです。瀬島龍三を頂点とする悪を書かないといけなくなるので、ちょっと、しんどいなあと思って休んでいたのです。でもね。今回の件で、NHKニュースを見るだけでも、神様って、本当にいらっしゃるのだと思いましたよ』

 新・県庁舎を建設する会議で、頭がいっぱいである、大野県知事の、欺瞞性と傲慢ぶりを前報の最後に書いていますが、CIAエージェントに属する人間の傲慢なこと、また、非人間的なこと、が、大野県知事に集約的に表れていて、

 かつ、自治体の首長として、議会に諮らず、巨大な、金額を左右できる、その特権に、委縮する、県庁職員の、まあ、悪しき官僚主義を見せつけられたのでした。

 今回の陥没事故で、行方不明(?)になっているご遺体を発見するために、40億円を急遽、きょしゅつすることになったそうです。

 そのニュースを聞きながら、3つのことを考えていました。

*1)、現場責任者たちは、この解決のために、多大な予算を使うと、叱られると、思って、最初は、ビビッていて、人員投与も、少なめにしていて、重機の投与も少なめにしていたのだと・・・・・そういうことがわかるのでした。私がこの世界で、大野知事の人格の低劣さへの確信を書いたら、その結果を受けて、2025年2月9日など朝から100人近く投与していたそうです。が、崩落の恐れがあるので、一時間で引き揚げたそうです。12日目に100人投与ですって。最初の日(=2025-1-28)に、どうして、100人投与をしなかったのですか?

 まあ、兵庫県知事の斎藤某氏よりは、より普通度が高いでしょう。しかし、感情によって左右されるところ・・・・・特に自分と親しい人間を大切にしていき、親しくない人間については相手を、ハエの一匹ぐらいに扱うというのは、コロナ禍・の・時期に、私のブログを否定してきた際に、解ってしまったことなのです。

 例えば、彼の父は、慶応大学卒で、川口市長の息子であり、国際ライオンズクラブの役員をしていたそうです。国際ライオンズクラブというのは、拠点が、むろん、東京都内にあるでしょう。ライオンズクラブというのは、アメリカナイズされているはずですから、感謝祭パーティ、クリスマスパーティなど、数か月に一度、もしくは、一か月に一度、会議の二次会としての、私的なパーティがあるはずで、夫婦同伴のはずです。お子様が居れば、大学生以上は出席が可能だと思います。

 そういう時に見つけた、きれいなお嬢様を、何らかの会議の役員にして、出席させるという事などはあると思いますよ。

 それはね。神奈川県立近代美術館の館長だった時代の、酒井忠康氏が、私のご近所人間、大原光孝さんの、お嬢さんを美術館の職員として雇ってあげたことなど、類例がたくさんあるので、推察ができるのです。

 大原家の令嬢はフェリス出身で、いわゆる神奈川県内有名大学同士の合コンによって、割と早く婚約が成立していました。しかし、婚約者の実家が固い職業(国家資格が、必要な、いわゆるサムライ資格を、持っている家だと、推察しています。で)の人で、これからお嫁さんとして、自分の家に入ってくるお嬢さんの父親が、ふーら、ふーら・・・・・(これは、光孝さんが、自転車で、鎌倉市内へお出かけするときの様子をある人間が形様した姿勢ですが、まさしくその通りだなあ.いい得て妙だと、私は、思っていて、ここにも採用をさせていただくのですが)・・・・・

 していて、一回も宮仕えをしたことがないので、心配したのだと思います。ただし、奥様が、病院の経営者の娘なので、彼女には、役員報酬などの形で、流れるお金としての給料が入っていると、思いますので、家族全員としては、貧乏ではないのですが、画家である光孝さんの方が、そのころは、収入が不安定で、かつ少ない(洋画家ですが、有名人ではない)のをいぶかしんだので、

 お嬢様が固い職業である、近代美術館の職員として、採用をされることは、大原家全体に対する救済に当たるのです。

 ただし、フェリスには、美学を教える専攻はないのです。だから、これは、当時館長だった酒井忠康氏の、個人的なエコひいきの最たるものでしょう。で、そこから、もっと権力の大きい、大野知事のえこひいきも、あれこれあるんだろうなあと、推察しているわけです。

 ところで、この酒井氏のごひいきぶりを語ってくれたのが、奥様の方なのです。大きな違和感を感じて、その後、あれ、奥様って、酒井先生と深い関係に陥っていますか?と、推察する様になります。

 というのも、私と、大原夫人って、それ以前には、立ち話を交わしたことがないのです。それは、大原光孝さんが、「自分たちは、この山で、一番のエリートだから、君は、お姫様の位置にあるのだよ」という様な、印象を妻君に与えていたので、大原夫人は、この山の中では、だれを相手にしても、立ち話をするために、立ち止まるという事は無かったのです。安野夫人が主催する井戸端会議を、軽蔑していたからでしょう。それは、私も同じです。前田清子さんの声が、特に大きくて、家の中にいても、意味がはっきりと聞き取れるので、何を話題にしているのかが、ほとんどわかっていますが、くだらない事、はなはだしいです。例を挙げても、いいくらいですが、今日は、男性陣が主役なので、前田清子さんについては、字数を割きません。

 で、この山の主流派・主婦・集団を軽蔑している筈で、ほとんど立ち止まって、ご近所主婦と話すことにない大原夫人が、

 どうして、小町通りという繁華な場所で、その日だけ長話をしたのでしょうか? 私が、その日直感として感じたのは、ともかく、彼女は自慢をしたいのだろうと、言う事です。何を自慢したいかと言うと、「自分は、酒井忠康氏と、特別に親しいのよ。でも、あなたは違うわよね」と言う点でしょう。

 彼女は女子美卒です。しかし、美術系作家としては活動をしておらず、フランス語を教える、シロガネーゼとして、活動をしている人です。フランス語を習いたいと、言う人は、ヨーロッパへ行きたいと願っている人が多く、したがって、経済的に余裕のある人が多いと思います。つまり、中流の更に上の人たち‥・・・でね。そういう人間に対して先生格なので、さらに、上をいくわけですから、大変高い自信を持って居る人です。でもね、育ちがいいですから、この山の主流派軍団主婦みたいに、無礼なこと=挨拶をしなかったりは、ありません。あくまでも上品です。

 ところで、酒井忠康氏とは、どういうひとであるかをここで語らないといけません。げんだいあーとにくわしい人は、「私は知っていますけれど」と、おっしゃるでしょうが、分野が違う場所で、生きている人は知らない可能性もあるので、ここで、少し解説をします。

 慶応の哲学科を卒業して、神奈川県立近代美術館に勤務し、館長を長らく務め、60代で、退官して、その後世田谷美術館館長となり、82歳まで、勤務した美術界の大立者です。

 この件を後半で、私は批判をします。特例もいいところで、酒井氏に多額の月給を、20年分余分に与えるために、公立だった、世田谷美術館を独立法人化したのです。そして、その真の目的を、カモフラージュして隠すために、全国の公立美術館を独立法人化したでしょう。するとね。予算が足りなくなって、火が消えた様になった公立美術館は、多いはずです。また、美術館だけ突出させてもいけないということで、国立大学付属中学とか、高校も独立法人化されたそうで、予算が足りなくなって大変だそうです。

 一方で、高校の学費を無償化する案もあるそうです。これは、本当におかしいです。この山なんて、今、三分の一の家は、子供を産まなかったご夫婦が住んでいます。子供って、普通の場合、育てるのが楽しいものです。それに、老後など、

 そういう大モノを批判するのです。これからね。だから、非常にあざとい文章となるわけですが、矜持を高く持って居る私がなぜ、そこまでの文章を書くかと言うと、

 この章の主役の大原光孝と言う人物が、我が家に侵入をして(合いかぎをすでに、手に入れていて)ひどいいたずら(大切な絵を盗んだり、本を盗んだりしているから)ここまで、書くのです。大原光孝さんの、お嬢さんの連れ合いは、国家資格(さむらい資格)を持って居る偉い人です。そういう人の義理の父が、合いかぎを持って居て、我が家に侵入をしているのです。

 一つ証拠があります。私はね。1990年、小町通で、素晴らしく感じの良い、お嬢様と出会って、「どうか、絵のモデルになってください」とお願いをしました。住所や、電話番号を渡して置いて、待っていると、△日(△曜日)△時に伺います。と言う電話をもらいました。それで、せっかくのチャンスだから、その時、すでに、道端の立ち話で、大原光孝さんが画家だって知っていましたのでね。

 彼に一緒に描きません?」と言ったのです。すると、「その人色が白いですか?」と、彼が言ったのです。ちょっと言葉に詰まりました。その人はたまたまサーフィンか何かスポーツが趣味だったらしくて、肌が日焼けしきっていました。でね、「いいえ、白くはないです」と答えると、「僕はね。色の白い人が好きなのです」と言って断ってきました。

:::::::ここで、又余談に入ります。私はね、日吉台小学校に、小三で転校してきたのですが、その転校して来たばかりのころ、上級生から、「嫌だ。あの子おしろいつけて、学校に来ている」と言われた程、色が白いのです。

 それを証明する写真が、全くないのですが、今は、老人化してしまって色素沈着気味ですが、大原さんが、『僕は色の白い人が好きなんですよ』と、私をまっすぐ見つめながら、語ったころは、25年も前ですから、私はまだ、まだ、色が白かったのです。

 その日の事を、ちょっと、脚色をつけて語ります。私は、その瞬間、「この人って、私の裸でも描きたいのかしら?」って思ったのです。彼はね。私に対して、特別絡んでくるのです。その絡むと言う形の第一が泥棒です。この時の絵が盗まれているのです。でも、我が家に女性を描いた絵は、二枚しかなくて、一つは、ママ友の肖像だから、若い女性を描いた絵は、一枚しかありません。

 それが盗まれているのです。でね。盗まれた事すら、気が付いて居ませんでした。だって、33坪ある我が家で、私にとって、大切なものって、何万点もあるのです。毎日、この女性のドゥローイングを持ち出して、眺めるわけでもないですから。

 で、盗まれたことに気が付いたのは、この絵が返してあったからです。どこに返してあったとお思いになりますか? なんと我が家と、西隣の白井さんの間に在る側溝の中に、捨ててあったのです。

 上の写真では、黄色い矢印で、示した家が、白井さん宅です。赤い矢印で、示した家が我が家です。その間の低くくぼんだ所に、側溝があるのです。東西に、幅30cm、南北に、長さ1200cm。その上に、大型キャンバス(100号)を、崩した木枠を、30㎝長さに切って30本程度並べていました。山に近い側は、500㎝位暗渠になっているので、道路(写真では手前)に近い方、600㎝ぐらいに、幅6cmのカンナがかかった、美しい杉材で、できているものを長さ30cmの桟にして、暗渠以外の部分に並べていたのです。ここは、上の写真で、御覧になることができる様に、樹木が多数あって、それが、風を遮るし、その桟は一本一本が、結構重量がありますから。風で吹き飛ぶわけでもないのです。それに、この側溝のそばは、意外と日が当たるので、花が咲く前のを鉢を置いていたので、私は当時、しょっちゅう、そこに入っていたのですよ。

 彼が、その側溝内に、その美しい女性の絵を、我が家の二階から盗み出して、そして、数年間彼の家の外に置いて、めちゃくちゃにした上で、そこに捨てたのです。

 ここ、まだ、まだ、未完成です・。だけど、午前四時になったので、もうやめます。まだ、お台所片づけなどが残っていますので。続きを書くのは、お待ちいただきたいと存じます。

 

この時の美しい女性は、なんと、恋人と一緒に来たのです。その男性は、私と一緒に、別の男性が待っていて、密室内で、その男性から、セックスを迫られて、それによって、彼女がセックス産業にでも売り飛ばされたら大変だと、思ってついて来たらしいのです。で、私は疑われたわけで、委縮してしまって、絵が上手に描けていません。残念ですが・・・・もしかして、大原さん、これを酒井先生に見せて、酒井先生が下手だねとおっしゃったので、捨てていいと思ったのですか?

 でね、大原光孝さんの方だったら、酒井先生と縁があるというのもわかるのです。中島千波・芸大教授もかかわっている話ですが・・・・・

 これは、「ワインが割れて」というエッセイーに詳しく書いているのですが、私は、2017年まで30年にわたって、銀座で、画廊巡りをしているのですが、新橋駅から、帰ろうとする場合、高速道路の下に、ハナマサという銀座のバー向けのスーパー(何もかも、一袋の量が多くて安い)があって、ワインが、たくさん置いてあるので、とっかえ、引っかえして、二本ずつ買ってきていた時があるのです。👉👉

尚、挿入となりますが、その22年後の今では、お酒類は、ほとんど飲みません。コーフィーでも、だめになったぐらいなので、体をいたわって、アルコール類は、ほとんど飲まないのです。でも、それゆえに、日本酒のおいしさが、際立って感じられる様になり、夕食のおかずが、特に美味しくできた時は、日本酒を半合呑みますが、ワインは、飲まなくなりました。ビールは、お客が来た時以外は、飲みません。我が家は夫(主人)がアルコールがだめな人なのです。ALCOHLを分解しない人がいるらしくて、そういう体質なので、妻の私も、ほとんど飲まない人ですが、夕食のおかずが、飛び切りおいしい時は、飲みます。

 👉👉 当時、鎌倉砂岩を用いた石段は、荒れ果てていて、石段を、80段ぐらい上ったところで、ワインが割れたのです。左手のレジ袋に2本のワインを入れて、駅からずっと歩いて来ていたので(年齢は、60になったばかりで、今から、20年は前ですが、それでも、1965年のトルエン類を大量に使った化学実験のせいで、体が弱くなっているものですから)、ちょっと休もうとして、石段に置いたのでした。一段の表面が鎌倉砂岩であるがゆえに、ボロボロであって、ワインの瓶は、レジ袋から転げ落ちて、コロコロ、コロコロ、ガッシャーンと音を立てて割れたのです。あたり一面に赤ワインのにおいが立ち込めて、『困ったなあ。割れたガラスを拾い集めるのは、当然だが、このにおいを消すためには、どうしたらいい? じょうろに水を入れて、持ってきて洗うとして、何回上下しないと、このにおいが消えないだろう?』と、考えていたのです。するとね、

 夜の九時過ぎなのに、(というのは、そういう時間帯に、外にいることはめったにない)大原光孝さんが、これもまた、めったにない、スーツ姿(サマーウールで、薄いグレーだった)で、追い抜いて行ったのですが、その時、「川崎さん、ワインが割れて、惜しかったねえ」と、言い放ちながら、去って行ったのです。その時、音声では、出していなかった、「へーら、へーら」というセリフさえ、聞こえる様でした。

:::::::::ここで、挿入に入りますが、このセリフの10年後ぐらいに、今度は、すれ違いざま、「川崎さん、この山の人は、みんな川崎さんが、離婚をするよ・・・といっているよ」と、言い放ったのです。私は、すべて、言い返しません。リアルな世界では、けんかをしない主義ですから。だけど、文章としては書きます。この時も、音声では、聞こえなかった「へーら、へーら」が、まるで、聞こえて来ている様な、調子でした。この離婚云々のことは、あとで、もう一回丁寧に書きましょう。酒井先生と、大原夫人との関係も、彼のへーらへーらに、怒っているので、なぜ、これほど、他人を馬鹿にするのですか?と、考察しぬいた、結果わかったことですからね。::::::::で、元に戻ります。

 これは、22年ぐらい前の話です。場所は、近代美術館内の、応接室などで、懇談会が、開かれて、主役として、大原光孝さんが、盛り上げられたので、『自分が、とても偉いのだ』と、錯覚をした部分が多いと思います。なぜ、彼が、持ち上げられたかというと、

 美術評論家として、非常に人気が高くなっていた、私を追い落とす道具として、彼が、リクルートをされたからです。私は、自分が美術評論を書いているという意識は毛頭ありませんでした。常に、頭の中に浮かんだことを書くというのが、パソコンで、文章を書き始めてからの大方針であって、銀座や京橋で、作品を見たら、感動して文章を書くという形です。

 大きく、大きく感動したら英語でも書き、90日間、× 2回という形で、滞在していた、ニューヨーク・ミートマーケット(ウエストチェルシー)辺りの、有名画廊にも、そのメルアドを利用して、送っていました。もしかすると、私が取り上げた作家さんたちに対して、ニューヨークから、「今度、こういうコンクールをするから、まず、JPEGで作品を送ってみてください」というお誘いなど、来ていたかもしれません。そうしたら、私の文章が、具体的なメリットを、その作家さんたちに与えたと言う事になりますね。それは、評判が上がるでしょう。

 しかし、やめてしまったのは、京橋三丁目で、画廊を開いていた、山口みつ子さんが、殺されたからです。自殺と喧伝されていますが、違いますよ。山口みつ子さんは、私が政治的に弾圧を受けているのを知っていながら、それでも、美術系作家として個展も見てくれて、上等だと知ってくれていた人でした。彼女は、野見山さんから、「川崎千恵子とは付き合うな」と、命令をされていたのに、野見山さん自身は、みつ子さんの思慕を知りながら、山口千里さんを秘書に採用してしまったので、CIA陣内にいる人=野見山さんがどれほどに不誠実かを知っていたのです。

 そうですよ。野見山さんは、病気になったから戦場から早く返されたと、言っていますが、真相は、お金の力で、船上から、解放されたのでしょう。だから、罪の意識を持っていたのです。

:::::::::ここで、第二の挿入に入ります。角野栄子文学館に行ったら、動画のキャプションとして、お嬢さんの個人名が出てきたのです。窪島何とかさんですって。角野から、窪島さんと、苗字が変わっているのです。譜とお見合いで、結婚が成立したと仮定して、相手の、苗字から、窪島誠一郎さんの、息子ではないかと思ったりしました。こうして有名人同氏は、お互いを助け合い、上流社会を形成していくわけです。私は窪島誠一郎さんのものは最初期のものを読んだだけですが、納得ができません。エーリッヒ・ケストナーの方が、心が深いです。靴修理人という下層社会の、人間である父親を、母親と、一緒になって、阻害していた、自分が、申し訳なかったと【私が子供だった頃】の中で、いっています。窪島さんは、明大前、徒歩10分以内という一等地を、相続していて、しかも、小さい時に育ててもらったのにもかかわらず、養父母を、大切にせず、自分を捨てた水上勉の子供だったことに欣喜雀躍をしています。

 有名人だとえらいのでしょうか? 軽いねえ。ところで、角野栄子さんのお嬢さんが、窪島誠一郎の息子さんと、結婚をしているのだったら、窪島誠一郎は、自らの上流階級化の達成を、見ることができて、満足していることでしょう。その窪島誠一郎の無言館に、ぴったりと寄り添って、NHK特番を作ってもらっている野見山さんです。だからこそ、戦争から、お金の力で逃げたのだと、思いますよ。野見山さんについては、まだ、まだ、書くことはありますが、今日はここまでにして::::::::元へ戻ります。」

 私は、みつ子さんと同性の女ですから、彼女に性的な快楽を与えられないし、今のところ、文章も絵も、お金を稼げるものではないから、経済的扶助は与えられません。だけど、彼女の恋心は、すべて理解し、じっと見守っていたのです。お互いにそれを目顔だけで語り合っていました。生涯で、一番の友となるはずでした。それがわかっている敵さんたちは、2010年1月31日が、閉鎖日となっている画廊閉鎖を待たないで、1月17日に、殺したのでした。私は、それから、7年間、うちに、大きな悲しみと罪の意識に苦しめられながら、生きてきたのですが、2017年五月に、とうとう、真相をぶちまけた、ブログ文を書いたのです。

 それはですね。ギャルリーユマニテのオーナー、Mr 十束が、むっつりすけべーの政治版の、典型的人であって、一月ごろから公開していた引っ越しの予定を私には、教えてくれなかったからでした。

 しかし、真相を書くという事は、・・・・・私が、政治的な大物ゆえに、山口みつ子さんが、殺されたのだ・・・・・と、いう事を世間に開示したという事です。その時以来、私は、味方として現れた人に関しても、文章を書かないし、感動した作品を作った、美術系作家についても書かないと、決めたのです。

 最も優れた部分で、翼をもぎ取られたわけですが、命を失った、山口みつ子さんに比べれば、自分を、罰するのも、仕方がないことでしょう。で、非常に、不自由になりました。だが、敵として攻撃して来る人が後を絶たないので、それについて書いて行くと、汲めども尽きぬ、泉となるのでした。

 大野埼玉県知事など、その典型的、逸材(?????)です。彼は、数年前に敵として、行動をしているのですが、今般、神様に叱られていますよね。全国的に道路陥没は起きているのですが、

 74歳のトラック運転手の遺体が、濃硫酸で、溶けてしまったというのは、1952年に読んだ(多分、江戸川乱歩作の、)王水を使った、ミステリーを思い出させるほどに、一方で、悲しい話であり、一方で、30日に開かれることがあらかじめ、決まっていた新県庁舎建設、検討委員会を、優先した、大野県知事の醜悪さを際立たせる話であります。これ以上、今、書くべき格好の話題は、ありません。

 これは、2025年の話ですが、23年前に戻ります。ワインが割れた日に戻ります。その日大原光孝さんは、神奈川県立近代美術館(当時は、本館と呼ばれていたかな?)の応接室で、

 中島千波さん(桜の絵で、有名な日本画家、横浜出身 鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りの縁で、酒井忠康氏とは、親しいはず・・・・・特に問題なのは、当時すでに、芸大教授だった可能性が高いこと。芸大の教授が、他人の、主題を剽窃した、大原光孝さんの、しかも、

 日本画とは、とても言えない作品を、入選させたこと。・・・・つまり、日本にウランを売りつけて、日本から、大金をせしめている、アメリカの大富豪の手先として動く、鎌倉エージェントの、そのまた手先として動いたこと。恥ずかしいでしょう。

 まあ、一専業主婦にしか過ぎない私が、芸大教授に対して、そこまで書くのは、大野埼玉県知事と、どちらが偉い人かを比べる為です。大原光孝さんが、「春季院展に入選しました」と私に知らせてきた作品は、

 創形美術学校の後輩の主題です。VIVANTいう有名画廊が、ビルの建て替えで、奥野ビル一階に、小さな部屋を借りて、営業していたころに、見つけた作家ですが、マチエールがすごいのです。三号程度の小品なのに、マチエールが、すごいので,すでに、画料が高い作家となっていました。

 そして、テーマは、都会の、コンクリートが、はられた校庭で、遊ぶ子供たちを、屋上から俯瞰をするというテーマです。三号程度の、小さな画面に、20人ぐらいの子供を入れ込むのですから、慎重な筆さばきを必要する絵でした。しかし、大原さんの絵の方は、30~50号だったので、遊ぶ子供たちも、割と、大きなサイズですので、書くのが楽なのですよ。

 しかも三越の、春季院展って、コレクター向けに、日本画を売るという傾向もあるわけでしょう。そこにべニア板にアクリル絵の具で、描いた(または、油絵の具で描いた)、サイズの大きな子供たちの遊ぶ姿です。緊張を要しないで、描くことのできる絵です。その時、審査員をした、ほかのメンバーは、油絵を、みていないのでしょうね。だから、ひょうせつだと知らなかった。国画会の審査会場でも、二度問題が起きています。芸大卒でどこかの美大の教授をしていた・W・という画家がイタリアの、具象絵画作家の絵を、20年間にわたっても法をしていたケースです。

 なお、これは、途中ですが、午前6時になったので、寝ます。お許しください。82歳なのでね。

 

@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

(大原光孝さんですが、今、10年以上奥様が家出をしていますが、無事に生活ができているので、多分給料をもらっていますよ。内閣官房機密費から出ているか、生活保護費をもらっているという事です。

何の仕事でといえば、私を苦しめる作業でです。2007年ごろから、彼が、合いかぎを持っていて、私たち夫婦がともに外へ出ている時間帯に、わが家の額を斜めにしたり、ギリシャ、神託の都市、デルフォイの、神殿を写生した、水彩画を、切り裂いて帰ったり、

 

2025-02-11 01:55:32 | 政治
父、昭和八年
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江戸川乱歩の猟奇小説みたいな終わり方をした陥没現場。四角いコンクリート管は共同溝工事に使う為で鎌倉で、十年以上私を脅し続けたものだった

2025-02-08 23:04:54 | 政治

 この文章は、前報、

王水って知っていますか?    2025-02-08 06:37:39 | 政治

*1)、『私は常に、天とか、神とか、いうものの、お考えを、推察して生きている』

 上に書いている様に、私は、59年間のずっと、損をし続けてきたのです。それでも、元気に82歳まで生きてきたのは、対・人間と、勝負をするという事を捨てて、常に神様のお考えは、どこにあるのか?と、探ってきていて、その神様おお求めになる方向に沿って生きようと努力をしてきたからです。

 私は、今回の埼玉県八潮市の、道路陥没事故は、天が、大野埼玉県知事を叱ったという現象とみています。大野知事は、慶応閥を使った、私への言論弾圧の先兵として、角野栄子、隈研吾、ヤマザキマリが、使われるより、前に、使われていた人物なのです。

 まあ、彼本人よりも、鎌倉エージェントと私が呼び続けている、伊藤玄二郎と、井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には生きていて、ありとあらゆるぼうりゃくをつくりだしつづけています)の二人を叱ったというべきですが、その二人の映像(特に動画)が、最近のNHKニューすには出てきていません。その代りに、何度も何度も、大野知事が出てくるので、天が、罰せられた人物として、皆様が、その顔や、諸・動作を頭に、浮かべて、お考えになるのが、容易であろうと、考えて、彼について述べ続けるのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*2)、『驚いたことに、陥没事故の初日には、大野知事は、一回も現場には、行っていないのだった。・・・・その後ちゃらちゃらと、NHKテレビに何度もニュースの渦中の人として登場するのだが、初日には現場に行っていない。パトカー先導で、駆け付ければ30分で到着できるだろう。だけど、実情を言えば、フジテレビの、詰問・・リンチ・・記者会見の、動静を見ることに、集中していて、テレビに張り付いていましたか?

 ここで大野知事が、日本テレビの、コメンテーターとして、活躍していた時期があるという経歴が、悪い意味で、ものを言う。大野知事は、テレビカメラに、自分が写ることは大好きですね。次のステップとして、都知事ぐらい狙っているでしょうから、心中深くは、『面倒くさいことが起きてしまったなあ。だけど、物は考えようだ。これほど、長期にわたって取材を受けるとは、自分の顔と名前が、全国区になったという事だ。責任感の強い行政マンとして、名前と顔を売ったのだから、総理大臣をもう一回狙うつもりで、国会へ出てもいい。参議院選が、7月だ。埼玉県知事の辞め時が、重要だな』と、考えていたでしょう。これは、もし、大野知事の耳に入ったら、否定してくると思いますけれど、実際には、当たらずとも言えず、遠からずでしょうね。

 私は、ご近所人間でも、何か、悪意を持っていたり、普通ではない場合は、すぐその意味が分かります。すれ違った際の、30秒で、彼らが、上から何を命令されていて、何を目的に、そういう行動をとるかが、瞬時にわかります。2月6日の木曜日には、花輪夫人と、腸詰屋とが、意味ありげに動きました。その前に、

 中谷家、東側の大規模コンクリート擁壁を作っている工事人が、7人ぐらい動きました。その意味も瞬時にわかりました。それはね。わたくしの、ブログを否定するニュースが、NHKで、発表をされたからです。青葉真司の死刑確定(私は、京アニの、36人死亡節には、反対です。誰も死んでおらず、東京あたりに全員移動をして、宮崎駿氏の仕事を手伝っているはずだという説をとっています。それに反対するニュースが出ました。また、私は赤木俊夫という人物は架空の人物で、赤木雅子さんも同じだという説をとっています。北久里浜における、横須賀市の水道山をめぐる、大、・実質的、・詐欺事件について書いている私のブログを否定し人々が、なんだそれって小さいねと、思う様に諮られたのが、森籠問題であり、それに関連する自殺事件なので、作られた、事案です。

 しかし、私が最近では、一つのことを深く掘り下げて書いているので、一つの案件で、二週間は使います。で、大野知事についてこだわっている間に、私を否定する方向で、一億に千万人を洗脳したというわけです。そして、自分たちが勝ったとみると、重層的に、さらに、私をいじめてくるので、花輪夫人(頭がいいので、あまりへまをしない人なので、最近二年ぐらい、ブログのは、登場していない女性)と、腸詰やを使ったというわけです。腸詰やは、2005年から、激しく攻撃をしてくる人間です。20年にわたる攻撃者=敵さんです。

 さて、この花輪夫人とか、腸詰やを入れると、過去に、伊藤玄二郎や、酒井忠康氏からの讒言を聞いて、私をいじめてきた人間は、500人は下らないです。

 私は、二か月ぐらい前に、預言をしています。「この500人のうち、だれか死者が出るでしょう」と。神様が、私の敵を叱るためです。

 そうしたら見事に出ました。慶応閥(酒井忠康、水沢勉、横山和生=三田会横浜支部長にして、私の中学同期生、スクエアエニックスの、ファイナルファンタジー担当の重役、もしくは社長、本名は、市瀬だが、違う名前で、活躍して言るはずの、慶応大学理事)などが、過去にわたくしに対してやってきたことを払しょくするための騎手の、代表格として、大野知事は、ことごとく、私のブログへ、反対してきたのです。

 その大野知事を神様は選んだのです。むろん、今のところ、彼は死んではいません。でも、近々化けの皮がはがれるでしょう。そして、社会人としては、抹殺の憂き目に出会うでしょう。八潮市で、インターネットができなくなったとか、お洗濯ができなくなったとか、お風呂を沸かせなくなったとかいう市民は、今のところ、74歳の運転手の、ために黙っています。

 お気の毒なその人のために黙っています。でも、究極の、ケースとして、遺体は解けて消え去ったのだ。そして、その原因は、硫酸化していた、下水にあると、知ったらですね。絶対に、大野知事を軽蔑し始めるはずです。そして、大地震が起きたわけでもないし、大嵐が来たわけでもないのに、こんな不自由を強いられるなんて、行政が怠慢すぎると思い始めるはずです。

 税金をちゃんと払っているのに、なんで、こんな不自由を味わわないといけないの?と、思い始めるはずです。

 しかも、道路陥没は全国で起きているのに、死者が出るのは、今回が初めてですよね。しかも、国道ではなくて、県道らしいですよね。それだけ、神様は、大野知事を選んだのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*3)、『大野知事は、自らを大卒(実際は大学院卒)で、豪壮な、埼玉県庁の、しかも、県知事室で、座っている普段は、ネクタイを締めて、活動している人間だ。トラック運転手などとは、階級が違うのだ。自分は朝、10時か11時出勤で、退庁は午後四時半ごろである。トラック運転手って、労働時間が、9時間から、時には、16時間にも及ぶと聞いたことがある。

 きっと、世代から考えると、もしかすると、中卒だぞ。おやも、金持ちではなかったのだ。自分は違う。

曾祖父が、すでに、川口市議会議員だった。祖父は川口市長だった。父親は、政治には打って出ないが、ライオンズクラブで、えらくなった。自分と同じく慶応卒だ。埼玉県では、我が家は、押しも押されぬ名門なのである。自分は、この事故が起きたから作業衣を着ているが、本来は、ネクタイを締めて、スーツを着ている、ホワイトカラーなのだ。しかも、子供の時から、日本橋で、いいものをあつらえてもらっているので、洋服を含めた容姿について、ほかの人間に引け目を取ったことはない。

 だから、現場で、クレーン車を操縦している人間、および、クレーン車の先から、ロープでぶら下がっている作業員などと、話をしても、気分が乗るはずもない。担当局長を通じて、間接的に、指導をして置けばいいだろう。

 特に、1月30日は、県庁建て替えについて第二回目の重要な会議がある。そろそろ、予算を決めて、かつ、どういう企業に、建築を依頼するか? 僕は竹中にしたいのだが、ほかの委員は、反対するかな?

 竹中だと、自社内に、建築家を擁しているはずだが、そのほかの会社を選ぶと、建築家は、こちらが選ぶことになるかもしれない。どういう建築家に、設計を依頼するか? 県庁、市役所、区役所などの、新築物件の写真を担当者に銘じて、集めさせているが、JCB賞など、各賞を受賞した、建築家の作品をも、検討する必要がある。ああ、わくわくするなあ。これは、末代まで、子孫に誇れる手柄になる。参議院選に出るとなると、あと二回、会議を開いて、大綱を五月までに、決定した方がいいな』などと、考えていたでしょう。

 この県庁舎の建てかえが、進行中とは、私は知りませんでした。で、転身を考えていたはずだと、いう、考えは、数年先に、時期を変更しておかないといけません。

 74歳のトラック運転手が、落ちたんだって。だけど、労働者階級だろう? 頑健なはずだ。登山者が、一週間ぐらい、物を食べないでも平気だと聞いたことがある。この男も、絶対に大丈夫なはずだ。ともかく、1月30日の会議は、重要だ。それが終わったら、道路陥没の件に対応しよう…‥と、そんな感じだったと推察しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*4)、『ボックスカルバートが、やっと撤去できましたとNHKは工事に進展があったかの如く、報道をする。私は感無量だ。それは、2008年2月8日、小町通を全占拠して始まった、共同溝工事につかったものであろう。それは、私にとっては曰く因縁のあるものだ』

 私は、雪の下黒物語というのを書き続けています。4年に一回か、5年に一回、重要な過去を振り返るのです。その中で、最も重要なことは、

 中谷共二氏という人物が、無断で、我が家の東北の崖を崩したことでした。この人の息子が、東大卒と、京王卒なので、東大閥も、私を弾圧するために讒言(悪口)を回しまわして、いじめてきています。最も顕著に表れている場所が筑摩書房で、現在85歳ぐらいであろう、編集者、Mr笠松某が、あれこれ、裏に回って、工作をしています。誰からの命令かというと瀬島龍三直か、春秋社社長経由か、解りませんが、その妻である笠松敦子さん(独立系編集者、新卒時は、筑摩書房であったが、ご長男様が、とくべつに手がかかる存在だったので、そのお子様を、10時から4時まで、しせつに通わせて、その留守の間だけ、独立系編集者として活動をしていた人のご主人だから、私は、東大元から、裏切られていたという状況だった。解っていたけれど、解らないふりをして、10年は、我慢をした。妹が他殺なのに、自殺と喧伝をされて、その時点から、この笠松夫妻をはじめ、王勢の人と、自分との関係を、キツネと谷期の馬鹿試合状態から、正直なだましあわれていることをわかっていると、表現して付き合っている。だけど、それによって、重要な情報源(国際基督教大学の友人たちの生死などお)を失った。

 中谷氏の暴挙は事前の説明が、中途半端でっ官人のところが隠されているので犯罪の証明がムスカしいが、ちゃんと中谷氏の悪を証明するものは残っている。

 高さ12mでm幅5m部分暑さ4から4mで、土を掘り返しm、敷地をせまkjしてやろうとする甲子友で、完璧なる犯罪だった。中谷知二氏は、みにみかるふぉリニアだいがくそつで、当時羽田空港の航空んんりょうを、一手に支配していたがそりスタンドの経営者というので、ただ門尾ではない。すでに、CIAエージェントかしていて、北久里浜事件で、益山重夫、智恵子夫妻が私に古典パーにやっつけれらのを恨んで、引っ越してきたから、たった二年目にこういう恐ろしいことをした、。

これは、私は原因者でも何でもない、わが北隣お住民、藤本悌子夫人、前田清子さんを通させないという訴訟を考えだし、幅1mしかない道路の真ん中にフェンスを作ると言い出したのだった。

 前田夫人というのは、後程、共産党員だと、解ってくるのだが、鎌倉とは、共産党員がひどく多くて、楽々と住める上にちや保谷されているので、小学生か中学生かというほどに未熟である。一番下のあい路で、間日井戸端会議を開く安野夫人は、まあ女の扱いが上手(?)で、制裁を負かして勝って、転入してきたので、ここでも勝ちたいのだ。めにみえる範囲でかちたいのだ。で、毎日井戸ばあ片居木尾拓。その隣が藤本宅で、うるさく絵tたまらない」

これが、大変複雑な事ですが、ボックスカルバート、が始まった話なので、次ぐくおないといけsン。間地区jだs大間瀬

 実は、アスベスト問題を利用して県が、急に水道管を取り換えると言ってきた。。これは、非常に、複雑な問題なので

今日は、匂わせだけでわ終わります。

だけどこのはこがでてきた事によって鎌倉と埼玉かがまぁと庭つながりました。道路陥没は、2008年から、小町通りで始まった赤の象徴ですからね

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王水って知っていますか?

2025-02-08 06:37:39 | 政治

埼玉 八潮 道路陥没事故 県は男性の捜索方法の検討急ぐ

男性1人が安否不明になった埼玉県八潮市の大規模な道路陥没で、5日に現場下流部の下水道管の中で転落したトラックの運転席部分とみられるものが見つかりましたが、男性は確認できていません。管の中は硫化水素があるなど、捜索は容易ではない状況で、県は、関係機関と今後の捜索の具体的な方法について検討を急ぎたいとしています。

1月28日に八潮市で発生した大規模な道路陥没では、深さが15メートルほどの穴ができていて、中には、コンクリート製のがれきなどが積み重なり、汚水とみられる水もあふれ出しています。

トラックに乗っていた74歳の男性の安否は依然としてわかっていません。

県が5日に下水道管の内部にドローンを入れて調査したところ、陥没現場のおよそ100メートルから200メートル下流部の管の中でトラックの運転席部分とみられるものが見つかりました。

白っぽい金属製のかたまりで、一部が水につかった状態だということです。

しかし、男性は確認できていません。

管の中は、汚水の流れが速く、硫化水素も発生しているなど捜索は容易ではない状況だということです。

埼玉県は、消防や自衛隊などから、より専門的な人を派遣してもらっていて、今後の捜索について具体的な方法の検討を急ぎたいとしています。

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