犯罪とは心が引き起こすものです。一般的に見られる現象が、種々の原因が重なって突出した場合には犯罪となって帰結しますが、そのスケルトンと言うか、骨格は、普通の人にもありがちな心理的・機序でもあります。で、そういう心理状態に立ち至る前に、いろいろあって、その部分については社会のあり方が大きく反映を致します。
前報で申し上げた、ベランダでこどもを締め出すお母さんですが、一部の読者に<彼女が働いていたところがお肉屋さんだった>と、書いてしまい、一種の職業差別感に基づいて理解をされるのではないかと心配になって、弁明をしたのです。が、どうして、それが問題だったかと言うと、そのお肉屋さんは、ショーウインドーが、高いのです。それで、その残酷なお母さんは、上から見下ろす形で、お客の注文をとるので、それも、後から思えば、非常に意味があったわけなのでした。
ところで、そのお母さんの分析に入る前に、どうして、そのお肉屋さんのショーケースが特別に高かったかを述べましょう。
それは今で言うモール(商業集積場所)に存在していたのですが、その場所でお肉屋さんが借りられるスペースの間口が狭かったのです。二間ぐらいでした。それで、各種の商品を展開するために、縦長のショーケースを用いていたので、とても高くなっていたのでした。
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その商業施設ですが、今はつぶれています。シャッター商店街が、全国的規模で展開しており、小規模経営者のものは、すべて、経営が立ち行かなくなっているのですが、そのスーパーは当時はなかなか、繁盛していたのです。
とても広いスペースで、がっちりした体格の、元・お百姓さんといかにもわかる経営者が、乾物と野菜の大きなスーパーを経営して、そこに、必要な他の種類の食料品として、魚屋と、肉屋を招いて出店をさせるという形でした。これは気働きの活発な、意欲的な方の経営者です。
東京近郊の地主は、1960年代から1970年代にかけて、人々が住宅を求めたので、莫大な、土地売上金が入ったはずです。それを、どう使うかですが、その人の、予備知識、好みに応じて、さまざまな投資がなされたでしょう。戦前からの大地主で、品格を重んじる人は、テニスコートとか、ゴルフの練習場などを経営に乗り出したはずですし、もっと静かに楽に暮らしたいと思った人は、貸家を建てたでしょう。それは、今でも、マンションの経営とか、駐車場の経営とかで、連綿として引き続いているのです。
でね、それらの人々は、莫大な資産を形成しました。それゆえに、その子女が働かないでよくなっていて、それで、そういう子女が問題を起こしたケースもあるでしょう。そういう事件は神奈川県とか、埼玉県とか、千葉県でよく起こりました。
少年リンチ事件などは、親が貧乏でほうったらかしにしているから、道徳観が育たなかったというケースもあるでしょうが、リーダーになる子などは、相当わがままにお金持ちで育ちあがった人が多いと、私は想像しております。そして、親の方も急にお金持ちになったので、男がする典型的な遊び、たとえば女遊びとか、賭け事などに、のめりこんで、没落していくというケースもあるみたいです。
そして、今は一段落をして、東京近郊のお百姓さんが、土地を売らないで、ご自分で野菜を作り、それが、いわゆる有機農法による、お高いブランド野菜として人気を集めているケースもあるようです。つい、2、3日前もテレビで、鎌倉野菜と言う特集があって、そこに青山・六本木辺りのシェフが買いに来るという話が放映されました。
だから、社会が少し、落ち着いてきたのです。実はそのベランダ締め出し事件のお母さんが勤めていたスーパーも、働き者の、女主人(いかにも地味で、質素な感じの人だったし、だんなさんは女遊びをしていると有名だった)が、亡くなった後でつぶれたような感じです。
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ところで、今現代の日本で、お金を稼ぐ手段としては、大会社又は官庁に勤めて、ホワイトカラーとしてのサラリーマンになるのが、一番安全で確かな道です、し、でした。それなのに、生涯雇用制度とか、年功序列制度が、なくなり、そこが、不安定になっているわけですが、それでも、福利厚生の面から考えても、あらゆる意味で、そういう階層に所属するのが楽なのです。古いかもしれないが、実際はそうです。
でもね、一族の間に、誰かが商売をしていたり、起業をしていたりすると、そこはお金持ちなので、一種の個人的な保険(セーフティ・ネット)となっていたのです。アラブの発想では、分かち合う精神があるそうですが、日本でだって、裕福な親戚を頼る発想はあったのでした。
ところが、その裕福な親戚と言うのがほとんど、現代日本では、いなくなってしまったのです。あのサンダース・ホームの経営者は、ご自分の元のお屋敷を、当時の400万円と言う莫大な金額を投じて買い戻さなければなりませんでした。
華族や財閥もなくなり、小金もちはいるが、大金持ちがいなくなったといわれています。そこに、セレブと言う名の、新しい大金持ちが出来ているらしいのですが、私は身近にその手の存在がいないので、よくは知りません。
そして、日本では表面上は、大金持ちはいないことになっているし、カーストも無いことになっています。しかし、何らかの形での競争意識は、残っていて、それが、暗黙のうちの戦いを生んでいるところがあるのです。それが、日本社会の意外と厄介なところです。
他の国では、明文化はされてはいないものの、実際にはカーストが残っているのですよね。それは、ロシアや、中国などの旧、共産圏でも存在するわけです。しかし、日本では一応すべての人は平等だという観念がある。しかも、人々は、あわよくば、実質的には存在するカーストの、上位に行こうとして、深い競争意識にさらされている。これが、今の日本で、相当な心理的な緊張感を生み、また、犯罪へ繋がったりしていると、私は感じています。
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さて、その私が見た、ベランダ締め出しをするお母さんについて戻れば、バスの中でも、恐ろしい勢いでこどもを叱っていました。愛と言うものが家族には一切向いていなかったのです。ちいさいこどもがいるのに、和服の洗い張りをするくらいのお洒落さんでしたし、こどもを虐待するお母さんに共通する労働をしたくないという怠け者ではない人です。
働き者と言ってよいでしょう。それに、頭もよい人。ただ、彼女が近所のお肉屋さんに勤めるのは、あのぶんぶんした蜂の巣みたいな時代の、競争意識の強い団地の中では、ご主人には迷惑なことだったでしょう。
みんな、・中流の・上・意識が強かったのです。間取りが広いマンションを、買ってきた人たちだから、特に、そういう意識が強かったのです。まあ、今、草食系男子、とか、肉食系女子とか言う言葉が出来ました。彼女は肌がきれいで、つやつやしていました。が、どうしてか、その奥が緑色がかっているように見えました。だから、爬虫類系女子といえるかな。全体の印象も冷たいのです。
ただ、彼女が何で家を出たのかの理由は、ここでは、口にチャックとして、言いません。
2009年4月30日 雨宮 舜
前報で申し上げた、ベランダでこどもを締め出すお母さんですが、一部の読者に<彼女が働いていたところがお肉屋さんだった>と、書いてしまい、一種の職業差別感に基づいて理解をされるのではないかと心配になって、弁明をしたのです。が、どうして、それが問題だったかと言うと、そのお肉屋さんは、ショーウインドーが、高いのです。それで、その残酷なお母さんは、上から見下ろす形で、お客の注文をとるので、それも、後から思えば、非常に意味があったわけなのでした。
ところで、そのお母さんの分析に入る前に、どうして、そのお肉屋さんのショーケースが特別に高かったかを述べましょう。
それは今で言うモール(商業集積場所)に存在していたのですが、その場所でお肉屋さんが借りられるスペースの間口が狭かったのです。二間ぐらいでした。それで、各種の商品を展開するために、縦長のショーケースを用いていたので、とても高くなっていたのでした。
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その商業施設ですが、今はつぶれています。シャッター商店街が、全国的規模で展開しており、小規模経営者のものは、すべて、経営が立ち行かなくなっているのですが、そのスーパーは当時はなかなか、繁盛していたのです。
とても広いスペースで、がっちりした体格の、元・お百姓さんといかにもわかる経営者が、乾物と野菜の大きなスーパーを経営して、そこに、必要な他の種類の食料品として、魚屋と、肉屋を招いて出店をさせるという形でした。これは気働きの活発な、意欲的な方の経営者です。
東京近郊の地主は、1960年代から1970年代にかけて、人々が住宅を求めたので、莫大な、土地売上金が入ったはずです。それを、どう使うかですが、その人の、予備知識、好みに応じて、さまざまな投資がなされたでしょう。戦前からの大地主で、品格を重んじる人は、テニスコートとか、ゴルフの練習場などを経営に乗り出したはずですし、もっと静かに楽に暮らしたいと思った人は、貸家を建てたでしょう。それは、今でも、マンションの経営とか、駐車場の経営とかで、連綿として引き続いているのです。
でね、それらの人々は、莫大な資産を形成しました。それゆえに、その子女が働かないでよくなっていて、それで、そういう子女が問題を起こしたケースもあるでしょう。そういう事件は神奈川県とか、埼玉県とか、千葉県でよく起こりました。
少年リンチ事件などは、親が貧乏でほうったらかしにしているから、道徳観が育たなかったというケースもあるでしょうが、リーダーになる子などは、相当わがままにお金持ちで育ちあがった人が多いと、私は想像しております。そして、親の方も急にお金持ちになったので、男がする典型的な遊び、たとえば女遊びとか、賭け事などに、のめりこんで、没落していくというケースもあるみたいです。
そして、今は一段落をして、東京近郊のお百姓さんが、土地を売らないで、ご自分で野菜を作り、それが、いわゆる有機農法による、お高いブランド野菜として人気を集めているケースもあるようです。つい、2、3日前もテレビで、鎌倉野菜と言う特集があって、そこに青山・六本木辺りのシェフが買いに来るという話が放映されました。
だから、社会が少し、落ち着いてきたのです。実はそのベランダ締め出し事件のお母さんが勤めていたスーパーも、働き者の、女主人(いかにも地味で、質素な感じの人だったし、だんなさんは女遊びをしていると有名だった)が、亡くなった後でつぶれたような感じです。
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ところで、今現代の日本で、お金を稼ぐ手段としては、大会社又は官庁に勤めて、ホワイトカラーとしてのサラリーマンになるのが、一番安全で確かな道です、し、でした。それなのに、生涯雇用制度とか、年功序列制度が、なくなり、そこが、不安定になっているわけですが、それでも、福利厚生の面から考えても、あらゆる意味で、そういう階層に所属するのが楽なのです。古いかもしれないが、実際はそうです。
でもね、一族の間に、誰かが商売をしていたり、起業をしていたりすると、そこはお金持ちなので、一種の個人的な保険(セーフティ・ネット)となっていたのです。アラブの発想では、分かち合う精神があるそうですが、日本でだって、裕福な親戚を頼る発想はあったのでした。
ところが、その裕福な親戚と言うのがほとんど、現代日本では、いなくなってしまったのです。あのサンダース・ホームの経営者は、ご自分の元のお屋敷を、当時の400万円と言う莫大な金額を投じて買い戻さなければなりませんでした。
華族や財閥もなくなり、小金もちはいるが、大金持ちがいなくなったといわれています。そこに、セレブと言う名の、新しい大金持ちが出来ているらしいのですが、私は身近にその手の存在がいないので、よくは知りません。
そして、日本では表面上は、大金持ちはいないことになっているし、カーストも無いことになっています。しかし、何らかの形での競争意識は、残っていて、それが、暗黙のうちの戦いを生んでいるところがあるのです。それが、日本社会の意外と厄介なところです。
他の国では、明文化はされてはいないものの、実際にはカーストが残っているのですよね。それは、ロシアや、中国などの旧、共産圏でも存在するわけです。しかし、日本では一応すべての人は平等だという観念がある。しかも、人々は、あわよくば、実質的には存在するカーストの、上位に行こうとして、深い競争意識にさらされている。これが、今の日本で、相当な心理的な緊張感を生み、また、犯罪へ繋がったりしていると、私は感じています。
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さて、その私が見た、ベランダ締め出しをするお母さんについて戻れば、バスの中でも、恐ろしい勢いでこどもを叱っていました。愛と言うものが家族には一切向いていなかったのです。ちいさいこどもがいるのに、和服の洗い張りをするくらいのお洒落さんでしたし、こどもを虐待するお母さんに共通する労働をしたくないという怠け者ではない人です。
働き者と言ってよいでしょう。それに、頭もよい人。ただ、彼女が近所のお肉屋さんに勤めるのは、あのぶんぶんした蜂の巣みたいな時代の、競争意識の強い団地の中では、ご主人には迷惑なことだったでしょう。
みんな、・中流の・上・意識が強かったのです。間取りが広いマンションを、買ってきた人たちだから、特に、そういう意識が強かったのです。まあ、今、草食系男子、とか、肉食系女子とか言う言葉が出来ました。彼女は肌がきれいで、つやつやしていました。が、どうしてか、その奥が緑色がかっているように見えました。だから、爬虫類系女子といえるかな。全体の印象も冷たいのです。
ただ、彼女が何で家を出たのかの理由は、ここでは、口にチャックとして、言いません。
2009年4月30日 雨宮 舜