美術館の庭にある、きささげがつる性の大木で、きわめて貴重なものであるにもかかわらず、伐採をされてしまったのは、それを、敵方が『お前と、水沢勉との交流が決定的に絶たれたのだよ』と明示するために行ったと今では考えています。内の主人は、呵呵大笑して「まさか」といっていますし、皆様も同じようにおっしゃるでしょうが、電話が大昔から盗聴をされていて、メールも最初期からハッキングをされているとすれば(いや、残念ながら、それは、真実でしょう)この伐採が十分な意義を持っているのです。
水沢先生に美術館にまで、昼間電話を差し上げたことはほとんどないのですが、このキササゲの名前について問い合わせたことがあり、「メキシコきささげですよ」と教えてもらったことがあります。メールはお互いにパソコンを利用するもので、奥様からの情報で水沢先生がごく朝型の生活をなさっておられることは知っていて、メールで問い合わせてもらちがあかないことがわかっていたからでした。この文章群は、すでにAOLの数値では5000本近い数となるようですが、発想のままに描くことで、負担が少なく、それゆえに継続ができるからです。そのときは、昼間発想の沸いた文章だから問い合わせたのでした。15時間以上、待っていたら、発想そのものが消えてしまいます。
今では、主人に買い物を頼む以外には、誰に対しても電話を使いません。が、4年以上前までには、自分がそれほどの、レベルで注目(?)をされているとは気がつかなかったのです。
~~~~~~~~~~~
さて、私は人生の途上において、10人ぐらいの重要な助け手に出会っていますが、水沢先生もその一人であり、いただいたメール内での、「わき見をしてはいけませんよ」とか、「沈潜することはよいことです」というお言葉は、美術家として如何に生きるべきかの覚悟を支えていただいたありがたいものです。
それから、武蔵野美大の教授であった、保田春彦先生の奥様=シルヴィアさんの神奈川県立美術館・別館(鎌倉)における展覧会の情報を教えていただいたのもありがたいことでした。そこから、私は『シルヴァーのブラウスは、私を導く』という一種の小説を書いております。ただね。それは、未発表です。今の段階で、他人に長い物をお読みいただく、自信はないです。ブログとAOLのメルマガは、エッセイだから、短いので、読者に提供する自信があるのです。でも、そちらも、美術関係者には、『ふむ、ふむ。ある程度以上の価値はある』と言っていただいたのですよ。少数を相手にして、お見せしただけですが。
さて、今、書いた長い文章が消えてしまいました。で、これからは、一行ずつ、お送りをさせてくださいませ。昨日も三時間かけて書いた文章が消えてしまいましたので、ご面倒をおかけしますがよろしくお願いをいたします。
~~~~~~~~~~
ここで、大変化がおきたのです。水沢先生は、若くして大抜擢を受け、第三回横浜トリエンナーレの総合ディレクターに就任なさいました。(これは明日の日曜日に、その政治的な意味合いを述べます)で、「忙しくなったので、メルマガの配信をお断りをしたい」と言う旨の連絡をいただきました。それは、納得です。ご返事を誠実にいただいていたからこそ、負担になるというお気持ちは納得できます。
しかし、私はその別れの後に、四冊の本を出し、それを、届けるたびに、相当以上につらい思いを味わうこととなります。私は、四冊目からは、ある町ごとにまとめて、自分で配達して歩くようになったのです。最初は、添え状を書くのが負担だったからです。切手代も節約できますし。
しかし、六冊目に京都の人文書院という名望のある出版社の偉い方(多分社長である)渡辺睦久氏という方から、一度目はご親切な感想、そして、二度目として「出版をやめなさい。出版しても受け取る人がいませんよ」という驚くべき忠告を速達でもらっていました。
もちろん、裏側を察せられます。その本は芸術についてとか、心理学について述べたもので、政治的には、一切危険がないのです。それなのに、こういう風にとんでもない方向から足を引っ張られるなんて、憤慨もいいところだと感じていて、それゆえに、がんばり続けます。(この速達の政治的背景についても明日の日曜日に再度触れますが)
で、私の本は、すさまじい愛情の込められた本となっていきます。金銭的に言えば、一冊制作段階でも、5千円はかかっているかなという類のものですし(本というのは、最初の数百冊と、数千冊がほとんど、値段が等しいみたいなものなのです。オフセット印刷だとそうなります。今は違う方式もあるみたいですが)、その上、手塩にかけるといったら、これ以上のないほどの、愛情の込められたものとなります。
で、虚心坦懐に読んでくださった方には、大きなインパクトを与えるものですから、それが実は、プロの出版人を驚かせてもいて、それも私が敵側に警戒される要素でありましょう。あらゆる文化人を通じて、十重、二十重に囲まれていると感じていますが、本を配る際に、ダメージを与えるのも有効だとみなされていて、非常に失礼な対応をうけることがあるのです。
が、なんと、普通なら上品で親切な水沢夫人から驚くべき対応を、2008年に受けたのでした。
これは、2009年に同じく葉山の住人である、時田史郎夫妻が、悲しいほど昔と変わって不親切であったことと相似します。時田夫妻とは、ご主人が私の中学時代の同期生であり、福音館社長でもある人で忙しいから私への対応は最近では奥様が一手に引き受けてくださっていますが、その奥様も変わってしまったのです。で、理由を考えると、ご主人が早稲田の出身であり、その大学は、私に敵対するマスメディア人を多数生んでいる大学ですから、仕方がないし、裏にエージェントとして働いている成岡庸司君
=早稲田の革○の委員長として大活躍をしたのちに、突然、行方不明になったとされている、ただしご親族が行方をさがしているとは聞いたことはない=
の動きさえ感じるほどです。成岡君は、一応死んだこととなっている模様ですが、彼が生きていて、地下潜行して発案をしていたら、こういう現象が起きるだろうなあということは、たくさんあります。
本牧を訪ねた時の横山君(津の国屋材木社長)が玄関先にまで出てきてくれない態度とか、九州で、教授をしている大久保忠春さんから開封もしないで、15冊分の本が送り返されてきたときの衝撃とか。数々あって、『将来短編小説でも書かないと、これは回復できないよね』と思うほどの、気分への・へ・こ・み・やダメージをあたえられました。
もちろんのこと裏側を含めての話です。彼、彼女らが悪人ではないことは十分に理解しています。でも、さらに二回ほど、大きな転回点がありました。それについても、ここで書かざるを得ません。その二つを書き終えない前に明日の宮崎進特集の日曜美術館を迎えるわけにはいかないのです。
~~~~~~~~~~
私のブログの下には、エッチな広告がよくついています。バイアグラがなんとか、とか、浮気調査がどうのこうのとか。これも暗喩を使った攻撃だとおもいます。村木さんという判事が、東電OL殺人事件で、ゴビンダ被告を無罪にしました。その後買春事件で逮捕されています。これも、ぴんときました。あのOLは東電内ではエリート社員で、機密事項を握っていて、それを、上司等への反抗の道具として、使った可能性はあるのです。
だから、セックス犯罪を装って暗殺をされた可能性はあるのです。
それを、見抜こうとした村木判事は、女子中学生を使って罠にはめられた可能性だってあるのです。後日、厚生省の偉いかつ、美人の上級公務員が、小さな案件、しかも冤罪で、マスコミの集中砲火をあびました。苗字が同じなので、判事とご夫婦である可能性すら感じました。または兄弟であるとか。
この敵はしつっこいのです。そして、重箱の隅をつつくようなことさえします。ですから、あらゆる可能性に対して防衛策を講じておかないとだめなのです。それが私が、常に「五億円の被害があります」と断言するほど、気を使って生きているゆえんでもあります。
で、一本気にかかるメールがあります。それは「夜の六時半に太刀洗のバス停で、待っていますので、美術館がおわってからで結構ですから、車できてください」と呼び出しをかけているものです。もちろん、無視されているから、普通なら問題ないのですが、最近の私の身辺の実情を考えると、ありとあらゆる小さなポイントが攻撃用に使われていますので、用心にしくはなく、『どうか、ハッキングがあったということを、ご覚悟くださいませ」と告げたかったので、普通の場合で、推定されるような恋愛関係の呼び出しではないと、ここで、念のためですが、申し上げさせてください。このときの話の内容ですが、メールもだめなら、手紙もだめなわけです。で、幼児に向かって確認するのたぐいですが、恋愛関係の呼びかけではないのでした。
そのときに話したかったことは、今ブログの世界で延々と展開しているような内容で
とても面倒くさい話であり、水沢先生が、信じるかどうかがわからないので、終わるのが、何時になるかが予想がつかず、泥棒を恐れる私は、主人が帰宅後しか外出が不可能なので、夜の呼び出しとなります。
で、遠方におすまいのかたに説明をさせていただくと、太刀洗のバス停とは、鎌倉霊園の入り口であって午後五時半過ぎには誰もいなくなる場所です。しかも屋根つきのベンチがあり、そのベンチは、ロータリーの樹木で、さえぎられていて、朝比奈街道を往還する車からは見えない場所なのです。こういう秘密の会談をするには、最高の場所ですよ。ただし蚊や虫には襲われます。
敵側のことをかんがえてみましょう。伊藤玄二郎氏と、栗田玲子女史は私について情報交換をするために、7時半から九時半まで銀座で会食をして、グリーン車の中でさらに一時間話しあいをしてもまだ時間が足りなくて、葉山在住の人妻でもある栗田女史が、夜の十時半に鎌倉で途中下車をして、さらに話し合いを続けたわけですから、みんな必死であるわけです。攻撃といったって、別に幽霊が行動をしているわけではないから、それぞれに、情報を与え合おうと必死なわけです。
ただね、方向性が違います。伊藤玄二郎氏の方は人を攻撃するための話あいであり、私の場合は水沢先生を守るための話し合いです。
この2008年には、鶴見厚子さんを相手に同じようなこともやっていて、二度も玄関払いをくらっていて、非常に切ない年でした。すさまじいぐらいに苦労が重なりました。彼女の家も盗聴をされていると感じましたので、外へ呼び出したいわけです。彼女のご自宅の近所には喫茶店もないのですが、せめて歩きながらでも、話し合いたくて、玄関で、『アイ アム ジョゼフィーヌ』とささやいたりしたのですよ。・・・・・特に鶴見さんのお宅にもどろぼうが入っていて、お医者さまの奥様だったおばあさまからもらったと彼女がいう貴重な指輪が七つも盗まれていて、彼女はそれを私と関係があると考えていますし、私もそう思っていますから、どうしても、二人だけで誰にも聞かれずに話し合いたいのでした。
その当時の苦しさといったら、死んだあとで、幽霊にでもなって、この事案の関係者すべてのところを訪問したいぐらいです。今、上田秋成の再評価が進んでいるそうですが、菊花のちぎりの雨宮舜版を実践したいほどです。
しかし2009年の夏にもう一回の精神的な回帰点が訪れます。私はその現象に出会うことによって、幽霊にはならないで済む安寧と悟りを得たのですが、そこでも水沢先生が重要な登場人物となってきます。ただ、ここでひとまず中断をさせてくださいませ。今日はこれを書くことで疲労困憊をしてしまいました。では、2010年7月31日 雨宮 舜