銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

水沢勉(その2)と、横浜トリエンナーレ

2010-07-31 13:02:27 | Weblog
 本日は実質的に、三本の長いエッセイをアップする予定です。これが、三本目であり、無事に書き抜ければ、午後の18時ごろ完成の見込みです。明日、NHKの日曜美術館で、宮崎進氏の番組が放映されるので、ぜひその前に、皆様にお届けをしたいと考えております。この文章の目的は、水沢先生の名誉や尊厳を守るためのものであって、決して、有名人との交流を自慢しているものではないと、最初に宣言をさせてくださいませ。して、これもまた、タイミングから考えるときわめて政治的な文章となります。で、ツィッター方式で書かせていただきます。ご面倒でも、最後の署名があるかどうかをお確かめいただき、それが、最終的な文章であると、お考えをいただきたいと、思っております。

 美術館の庭にある、きささげがつる性の大木で、きわめて貴重なものであるにもかかわらず、伐採をされてしまったのは、それを、敵方が『お前と、水沢勉との交流が決定的に絶たれたのだよ』と明示するために行ったと今では考えています。内の主人は、呵呵大笑して「まさか」といっていますし、皆様も同じようにおっしゃるでしょうが、電話が大昔から盗聴をされていて、メールも最初期からハッキングをされているとすれば(いや、残念ながら、それは、真実でしょう)この伐採が十分な意義を持っているのです。

 水沢先生に美術館にまで、昼間電話を差し上げたことはほとんどないのですが、このキササゲの名前について問い合わせたことがあり、「メキシコきささげですよ」と教えてもらったことがあります。メールはお互いにパソコンを利用するもので、奥様からの情報で水沢先生がごく朝型の生活をなさっておられることは知っていて、メールで問い合わせてもらちがあかないことがわかっていたからでした。この文章群は、すでにAOLの数値では5000本近い数となるようですが、発想のままに描くことで、負担が少なく、それゆえに継続ができるからです。そのときは、昼間発想の沸いた文章だから問い合わせたのでした。15時間以上、待っていたら、発想そのものが消えてしまいます。
 今では、主人に買い物を頼む以外には、誰に対しても電話を使いません。が、4年以上前までには、自分がそれほどの、レベルで注目(?)をされているとは気がつかなかったのです。
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 さて、私は人生の途上において、10人ぐらいの重要な助け手に出会っていますが、水沢先生もその一人であり、いただいたメール内での、「わき見をしてはいけませんよ」とか、「沈潜することはよいことです」というお言葉は、美術家として如何に生きるべきかの覚悟を支えていただいたありがたいものです。

 それから、武蔵野美大の教授であった、保田春彦先生の奥様=シルヴィアさんの神奈川県立美術館・別館(鎌倉)における展覧会の情報を教えていただいたのもありがたいことでした。そこから、私は『シルヴァーのブラウスは、私を導く』という一種の小説を書いております。ただね。それは、未発表です。今の段階で、他人に長い物をお読みいただく、自信はないです。ブログとAOLのメルマガは、エッセイだから、短いので、読者に提供する自信があるのです。でも、そちらも、美術関係者には、『ふむ、ふむ。ある程度以上の価値はある』と言っていただいたのですよ。少数を相手にして、お見せしただけですが。

 さて、今、書いた長い文章が消えてしまいました。で、これからは、一行ずつ、お送りをさせてくださいませ。昨日も三時間かけて書いた文章が消えてしまいましたので、ご面倒をおかけしますがよろしくお願いをいたします。
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 ここで、大変化がおきたのです。水沢先生は、若くして大抜擢を受け、第三回横浜トリエンナーレの総合ディレクターに就任なさいました。(これは明日の日曜日に、その政治的な意味合いを述べます)で、「忙しくなったので、メルマガの配信をお断りをしたい」と言う旨の連絡をいただきました。それは、納得です。ご返事を誠実にいただいていたからこそ、負担になるというお気持ちは納得できます。

 しかし、私はその別れの後に、四冊の本を出し、それを、届けるたびに、相当以上につらい思いを味わうこととなります。私は、四冊目からは、ある町ごとにまとめて、自分で配達して歩くようになったのです。最初は、添え状を書くのが負担だったからです。切手代も節約できますし。

 しかし、六冊目に京都の人文書院という名望のある出版社の偉い方(多分社長である)渡辺睦久氏という方から、一度目はご親切な感想、そして、二度目として「出版をやめなさい。出版しても受け取る人がいませんよ」という驚くべき忠告を速達でもらっていました。
 もちろん、裏側を察せられます。その本は芸術についてとか、心理学について述べたもので、政治的には、一切危険がないのです。それなのに、こういう風にとんでもない方向から足を引っ張られるなんて、憤慨もいいところだと感じていて、それゆえに、がんばり続けます。(この速達の政治的背景についても明日の日曜日に再度触れますが)

 で、私の本は、すさまじい愛情の込められた本となっていきます。金銭的に言えば、一冊制作段階でも、5千円はかかっているかなという類のものですし(本というのは、最初の数百冊と、数千冊がほとんど、値段が等しいみたいなものなのです。オフセット印刷だとそうなります。今は違う方式もあるみたいですが)、その上、手塩にかけるといったら、これ以上のないほどの、愛情の込められたものとなります。

 で、虚心坦懐に読んでくださった方には、大きなインパクトを与えるものですから、それが実は、プロの出版人を驚かせてもいて、それも私が敵側に警戒される要素でありましょう。あらゆる文化人を通じて、十重、二十重に囲まれていると感じていますが、本を配る際に、ダメージを与えるのも有効だとみなされていて、非常に失礼な対応をうけることがあるのです。

 が、なんと、普通なら上品で親切な水沢夫人から驚くべき対応を、2008年に受けたのでした。

 これは、2009年に同じく葉山の住人である、時田史郎夫妻が、悲しいほど昔と変わって不親切であったことと相似します。時田夫妻とは、ご主人が私の中学時代の同期生であり、福音館社長でもある人で忙しいから私への対応は最近では奥様が一手に引き受けてくださっていますが、その奥様も変わってしまったのです。で、理由を考えると、ご主人が早稲田の出身であり、その大学は、私に敵対するマスメディア人を多数生んでいる大学ですから、仕方がないし、裏にエージェントとして働いている成岡庸司君

=早稲田の革○の委員長として大活躍をしたのちに、突然、行方不明になったとされている、ただしご親族が行方をさがしているとは聞いたことはない=

の動きさえ感じるほどです。成岡君は、一応死んだこととなっている模様ですが、彼が生きていて、地下潜行して発案をしていたら、こういう現象が起きるだろうなあということは、たくさんあります。

 本牧を訪ねた時の横山君(津の国屋材木社長)が玄関先にまで出てきてくれない態度とか、九州で、教授をしている大久保忠春さんから開封もしないで、15冊分の本が送り返されてきたときの衝撃とか。数々あって、『将来短編小説でも書かないと、これは回復できないよね』と思うほどの、気分への・へ・こ・み・やダメージをあたえられました。

 もちろんのこと裏側を含めての話です。彼、彼女らが悪人ではないことは十分に理解しています。でも、さらに二回ほど、大きな転回点がありました。それについても、ここで書かざるを得ません。その二つを書き終えない前に明日の宮崎進特集の日曜美術館を迎えるわけにはいかないのです。
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 私のブログの下には、エッチな広告がよくついています。バイアグラがなんとか、とか、浮気調査がどうのこうのとか。これも暗喩を使った攻撃だとおもいます。村木さんという判事が、東電OL殺人事件で、ゴビンダ被告を無罪にしました。その後買春事件で逮捕されています。これも、ぴんときました。あのOLは東電内ではエリート社員で、機密事項を握っていて、それを、上司等への反抗の道具として、使った可能性はあるのです。
 だから、セックス犯罪を装って暗殺をされた可能性はあるのです。
 それを、見抜こうとした村木判事は、女子中学生を使って罠にはめられた可能性だってあるのです。後日、厚生省の偉いかつ、美人の上級公務員が、小さな案件、しかも冤罪で、マスコミの集中砲火をあびました。苗字が同じなので、判事とご夫婦である可能性すら感じました。または兄弟であるとか。

 この敵はしつっこいのです。そして、重箱の隅をつつくようなことさえします。ですから、あらゆる可能性に対して防衛策を講じておかないとだめなのです。それが私が、常に「五億円の被害があります」と断言するほど、気を使って生きているゆえんでもあります。

 で、一本気にかかるメールがあります。それは「夜の六時半に太刀洗のバス停で、待っていますので、美術館がおわってからで結構ですから、車できてください」と呼び出しをかけているものです。もちろん、無視されているから、普通なら問題ないのですが、最近の私の身辺の実情を考えると、ありとあらゆる小さなポイントが攻撃用に使われていますので、用心にしくはなく、『どうか、ハッキングがあったということを、ご覚悟くださいませ」と告げたかったので、普通の場合で、推定されるような恋愛関係の呼び出しではないと、ここで、念のためですが、申し上げさせてください。このときの話の内容ですが、メールもだめなら、手紙もだめなわけです。で、幼児に向かって確認するのたぐいですが、恋愛関係の呼びかけではないのでした。

 そのときに話したかったことは、今ブログの世界で延々と展開しているような内容で
とても面倒くさい話であり、水沢先生が、信じるかどうかがわからないので、終わるのが、何時になるかが予想がつかず、泥棒を恐れる私は、主人が帰宅後しか外出が不可能なので、夜の呼び出しとなります。

 で、遠方におすまいのかたに説明をさせていただくと、太刀洗のバス停とは、鎌倉霊園の入り口であって午後五時半過ぎには誰もいなくなる場所です。しかも屋根つきのベンチがあり、そのベンチは、ロータリーの樹木で、さえぎられていて、朝比奈街道を往還する車からは見えない場所なのです。こういう秘密の会談をするには、最高の場所ですよ。ただし蚊や虫には襲われます。

 敵側のことをかんがえてみましょう。伊藤玄二郎氏と、栗田玲子女史は私について情報交換をするために、7時半から九時半まで銀座で会食をして、グリーン車の中でさらに一時間話しあいをしてもまだ時間が足りなくて、葉山在住の人妻でもある栗田女史が、夜の十時半に鎌倉で途中下車をして、さらに話し合いを続けたわけですから、みんな必死であるわけです。攻撃といったって、別に幽霊が行動をしているわけではないから、それぞれに、情報を与え合おうと必死なわけです。

 ただね、方向性が違います。伊藤玄二郎氏の方は人を攻撃するための話あいであり、私の場合は水沢先生を守るための話し合いです。

 この2008年には、鶴見厚子さんを相手に同じようなこともやっていて、二度も玄関払いをくらっていて、非常に切ない年でした。すさまじいぐらいに苦労が重なりました。彼女の家も盗聴をされていると感じましたので、外へ呼び出したいわけです。彼女のご自宅の近所には喫茶店もないのですが、せめて歩きながらでも、話し合いたくて、玄関で、『アイ アム ジョゼフィーヌ』とささやいたりしたのですよ。・・・・・特に鶴見さんのお宅にもどろぼうが入っていて、お医者さまの奥様だったおばあさまからもらったと彼女がいう貴重な指輪が七つも盗まれていて、彼女はそれを私と関係があると考えていますし、私もそう思っていますから、どうしても、二人だけで誰にも聞かれずに話し合いたいのでした。

 その当時の苦しさといったら、死んだあとで、幽霊にでもなって、この事案の関係者すべてのところを訪問したいぐらいです。今、上田秋成の再評価が進んでいるそうですが、菊花のちぎりの雨宮舜版を実践したいほどです。

 しかし2009年の夏にもう一回の精神的な回帰点が訪れます。私はその現象に出会うことによって、幽霊にはならないで済む安寧と悟りを得たのですが、そこでも水沢先生が重要な登場人物となってきます。ただ、ここでひとまず中断をさせてくださいませ。今日はこれを書くことで疲労困憊をしてしまいました。では、2010年7月31日   雨宮 舜
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水沢勉(その1)と、宮崎進

2010-07-31 03:09:32 | Weblog
 実はたった二時間ほど前にあげた、長いものが下にあります。その中で、どうして、美術界の大権威である、酒井忠康氏をばんばんけなしているのかの理由を書いてあります。しかし、どこからか、差し止めは入る可能性はあると考えていました。先週、NHKの日曜美術館の予告が、来週は宮崎進氏だと告げて、『あ、これがもしかしたら、差し止めではないかと』感じました。私は脅かしには強いのですが、一種の懐柔策には弱いのです。特に誠実で、親切な人は裏切ることができないというのは誰もがもっている道徳的規範ですし、私もそれを持っているつもりです。

 宮崎進氏ご自身にたいしては何も気兼ねはありません。一度不親切極まりない対応を受けています。多摩美の教授としては、信じがたい反応を示されたことがありました。秘書さんがご親切にも受け取って、お金まで払ってくださった私の本が、ひどい形で、つき返されてきたのです。これについての詳細な論考は今は省きますが、多分瀬島隆三氏からの示唆でしょう。シベリア抑留のご縁でね。

 でも、宮崎進先生の専属的画廊である、ユマニテ様からは親切な対応を受けているほうだと思いますので、ちょっと引っかかります。でも、普段の私に似合わず、それをつききってしまっているのは、下に書いたとおり、泥棒が失火の案さえ示唆していて、しかも公的工事がそれを、上回って、脅かしをさらに強めているような、場合には、こういう文章を書くのを、天はお許しくださると、思っているのです。攻撃用方針の中にその手の不統一さと安直さが、相手方にあるのは知っていて、だから、「おっちょこちょいだ」といつも言っているわけですが。

 ところで、ここで重要にして上品な人が、私の前に立ちはだかります。美術界で大きな実力を備えていながら、性格が優しいので、先生ではなくて、水沢さんと呼ばれている、水沢勉氏です。しかし私は氏を、必ず先生と呼びました。美術界で蔓延している先生という呼称を好きではないのですが、恩義を受けているという感覚を持っていたからです。

 それはメールエッセイに対して、相当数のご親切な感想をいただいていたからです。私は、自らの身辺に漂う怪しい雲行きに気がついてからは、「個人的なメールは受け取らない」と親しい間柄では宣言をしています。しかし、その宣言の前には大変大勢の人と個人的なやり取りがありました。が、その中でも質の高さと信頼関係の深さは、抜群のものだったのです。

 これは前提条件がありました。水沢先生と私は、直線距離にして、60メートルぐらいの近さで、ご近所同士として育ちあがったのです。60戸程度の小さな住宅地ですが、その中で、いわゆる名門校へ、子どもが進学する家として、お互いに認識があったでしょう。だから、『あの人は、知的に優秀だ』と認め合う雰囲気が、最初から、お互いの間にあったのです。

 でも、10才も年の差があるので、子ども時代からの付き合いではなくて、主に海外留学から帰ったときに、作品を見ていただくという形で、付き合いが始まり、美術作品に対しても高い評価をいただいています。他の美術評論家からも高い評価を受けましたが、それは、あとで別の日に書きます。
 実は美術評論家に何がしの文章をいただいたら御礼をするのが、この業界の慣わしです。でも、季節ごとにお菓子おりを送る程度で済ませていました。

 それは、お互い様だという認識があったのです。悪い言い方をすればゴッホにおけるガッシュ博士のような、一種の実験材料と私がなっているというわけですし、よい言い方をすれば、リルケ(詩人)とパウラ・モーダーゾーン・ベッカー(産褥が原因で、若くしてなくなった女流画家)の間に交わされた往復書簡のように、『結果としては、一種の芸術論ともなる』と考えていらっしゃると思いました。だから、将来は一冊の本となさるおつもりがあったと思います。

 たくさんの、短いが内容の深いメールの中で記憶に残っているのは、本を作る場合の編集者との関係について述べておられるものです。要旨ですが・・・・・

 「一冊の本を作る場合、著者と編集者の関係が、必ずしも万全のコミュニケーションが取れているとも限らないのです。しかし、この本のケースでは気持ちよく進行しました」と書いてあって、この場合の本とは、『この終わりのときにも』(思潮社)です。ウィーン世紀末美術について書かれた一種の美術評論ですが、読みやすくてしかもポエティックで、すばらしいご本だと感じました。

 このころの私は本作りの初心者で、苦闘のみぎりを尽くしていたころで、しかも専属編集者であるはずの本多隆彦さんと、決してスムーズではなかったので、暗闇に明かりがともったような感じがしました。

 でもね、さらに実態を述べますと、岩波で本が出るほどの水沢先生級の扱いは、どこの出版社でもしてもらえなかったはずですから、何も忠告をしてくれない、イコール何も編集者として責任を取ってくれない<<<社長としての忙しすぎる>>>本多さんでも、必死になってついていったほうが得だったでしょう。後で思えばそうです。私の方が世間知らずでした。あ、は、は。

 このご親切な水沢先生が、実は、酒井忠康氏の鎌倉の館長時代の部下です。しかも宮崎進氏の専属的美術評論家です。ですから勘の良すぎる私は、この番組を暗喩としての、文章の差し止め請求だとも感じます。

 それに対して、どうするつもりなのかは、この同じタイトルの後篇に書きましょう。一度午前零時から、三時までかかって結論まで入っているものを書いたのですが、ホワイトアウトで消えてしまいました。これは二度目として、書いたもので、叙情性もまるでなくて、即物的で、恥ずかしいものです。でも、体力の限界ですので、お許しくださいませ。

 また、個人的なやり取りを公開するのは、非礼のようでもありますが、すでにハッキングされきっていますので、この程度のものを公開した方が、却って、身を守るのです。いい加減な推察やら誤解を招かないで済みますので。別に礼節を忘れてこうしているわけでもありません。
 なお、下にたった五時間で更新してしまったものがありますので、良かったら、覗いてみてやってくださいませ。 2010年7月30日           雨宮 舜
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公に見える工事は、極私的、税金の濫費です。東電といっても

2010-07-30 19:50:00 | Weblog
1副題・・・・・『我が家の泥棒が、コンセントを壊していった。東電といえども、無駄な工事をやるべきではない。監査はどうなるのですか?』・・・・・

最初にお断りをいたします。以下の文章は、昨日インターネットエクスプローラーが聞かない時間帯がありまして、その間に書いたものですから、三つの部分に分かれて降ります。

 さて、午前11時から午後四時までお休みをしておりました。PCが動かなくて修復をしていたのです。で、今、直ったところですので、お話をさせてくださいませ。

 京都の祇園祭の山鉾の明かりが、昔は、ろうそくでしたでしょうが、今は電気が使われています。その配線は込み入っているし、いろいろな飾りの間を這って行くので、もし、接続不良であると漏電して、失火の恐れがあります。で、それを点検するためにある体育館の床にすべての山鉾の電気配線が集められ、消防署もしくは東電のしかるべき職員の立会いの下に点検が行われて、それが、関東地方限定の夕方のNHKニュースで放映をされました。

 で、この8月の3日と、4日に、我が家の直下の山と、沿っている鎌倉街道の一部で、似たような問題で、工事が行われるとの通達が、3日前の我が家の郵便ポストへ入っていまた。

さあ、これから、私は命がけで書きましょう。ブログは、二行ごとにアップしましょうと思いましたところ、ブログが、まったく、インターネットに通じません。

 で、真実を書くことを阻害されていますが、前からの連続性で、ここまで書き抜かないと、
ことの真実が正しく伝わらないので、書かせてください。

 六月の初め、ご近所が騒がしく、それゆえに、『また、なにか、伊藤玄二郎と、井上ひさしが仕掛けてきたなと思ったら、我が家では、泥棒がはいり、ストーヴを留守中につけて行ったのです。

 今は夏で暑いので、ストーヴは実質的には燃えていませんでした。石油ではなくて、ガスで、しかも温風暖房機の形をしているものです。

 おっちょこちょいな泥棒は、温度を高温にすることは忘れていった模様です。

 それで、ストーヴは静かだったので、私はそれが、ついていることさえ、気がつきませんでした。特に、その日は、トイレのドアーに、クロのサインペンで、大きな矢印のいたずら書きがされており、それに、気をとられていましたしね。

 我が家には二つトイレがあって、照明の暗いふるい方のトイレのドアーをいたずらされました。もちろん、いやな気持ちにはなりました。でも、こういう悪さは、繰り返されていますし、

 実行者は別でしょうが、アイデアが、井上ひさし、プラス伊藤玄二郎から出ていることは、昔から、判っていますので、冷静です。

2『トイレは詰まったから、からかいの対象になる』

 さて、前報大変短くですが、留守中にガスストーヴをつけて、泥棒が帰ったといいました。この泥棒はいきがっていて、脅迫の効果があがるように、さまざまないたずらも一緒にやって帰るのですが、今回はトイレのドアーに、横一線の矢印を書いて帰りました。

 これは、ごく最近ですが、我が家のこのいたずら描きをされたふるい方のトイレが詰まったのです。ずっと、空き家だったお隣に、すうねんぶりに新築の家ができて、上品な建築家である白井さんが引っ越して見えたので、主人が私に「夜は、ザーッと音を立てては流さないようにしなさいね」というものですから、遠慮しているうちに、紙がたまりすぎたらしいのです。

 で、主人が掃除をしてくれました。内の主人は天真爛漫なほうで、私がいくら、注意しても盗聴のことを気にしません。でね、何でも、家の中で自由に話します。

で、盗聴している相手方はすぐ、『それを、使えば、彼女は精神的に参るであろう』と思うのでしょう。ぬかみそのことを話題にすれば、ぬかみその床が、恐ろしく薬くさくなって、廃棄せざるを得なくなりますし、私が『カタリ』と言う歌が好きだといえば、ラジカセで、そのCDを聞こうとすると、飛んでしまって聞かれません。

 そして、プロの歌手である平早綾香さんが、それを、ポピュラーに書き直して、日本全国で発表もするが、山ノ下の八幡宮で発表会もやり、それが、有料である。ほとんど、有料であったことのない八幡宮様の催しが有料である。

 これは、本当に意味が深いです。すべての現象のキーパーソンは伊藤玄二郎です。だから、彼は、自分のコネのあるひとへ有料の切符を配ることで、その歌が大好きな私を阻害するのに、大いに意味を感じているわけです。

 少しでも苛め抜きたい。それによって、私の気がめいって、文章を書けなくなると、それは、国際的軍産共同体にもお褒めに預かることですから、びに入り、細に入り、研究しています。fだけど、一方では忙しいわけです。時には銀座の栗田玲子女史と、私をいじめるために打ち合わせをしないといけませんしね。酒井さんを動かして、世田谷美術館で、私の知人の個展をするために、いろいろ、話し合わないといけませんし。

 で、そのために、リクルートをされたのが、井上ひさしでしょう。彼は、遅筆堂と自分で名乗っていて、家にこもることも多いので、熟考することもできるし、私の文章が転送されてきて、それを、読みぬくのなど、一瞬でできますから、尻尾を振ってやっていることだと思います。

 これこそ、あめりかきささげ(3報前の写真と解説を良くご覧いただきたいのですが)、
がきられたときに確信をしたことでした。

 実は何度も同じ種類のことが繰り返され、私はインターネットだけでも、井上ひさしを研究したのです。すると、『やはり』とうなずけたことには、彼は、猫を焼き殺して食ったと、自ら短編小説に書いているそうです。

 私が何か、重要な、政治的な文章で、当たっているものを書けば描くほど、猫を話題にしたいやな事件がおきていて、新聞やテレビが報道して、インターネットでもそれが、現れていましたが、もし、井上ひさし以外の人間が原案者だったら、猫は、アイコンというか、道具としては使われなかったと感じます。

3『コンセントが壊されていて漏電の恐れがあり』

さて、六月の初め、大相撲壊滅作戦が起きたときに、ご近所様もおお騒ぎでした。
これも、国際的軍産共同体が悪さを始めるときの、重要なサインです。

で、心構えをしていたら、トイレのドアーに落書きをして、さらに、ストーヴを留守中につけてトンズらすると言う、現象を見ました。

『なるほど』『なるほど、彼らの考える類のことだわ』と思います。

この山に二十五年も住んでいるのです。例の石川和子(戸籍名柳沢和子)を始め、
子どもを利用して、携帯を使い、私の頭に水をぶっ掛けるなどということが、日常茶飯事として、くりかえされていたら、だれが、発案者か、だいたい、わかってきます。

しかもどうして、こういうことが起きるかの流れも、因果関係もすべて明らかになってきます。
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 でね、私は常に、パソコンないメモとして、かれらの発想がどれほど、幼稚で、つまらないものであり、したがって、彼ら自身もどれほど、低劣な人間であるかを書いてきているのですが、ちっとも反省しないのです。デ、もっと、もっとずっと以前で、立花隆氏に情報が入り、かれが、一冊の本をエーゲ海について刊行したころと、それを、メルマガで書いたころに、

和解を提案していますが、ぬけぬけと、自分たちが勝てると思っているのか、謝罪もなく、
悪いことを重ねきっていっています。

 伊藤玄二郎は、こういう裏のある、本当は人に嫌われるタイプなのに、関東学院大学の教授とすでに、なっていますし、ポルトガル国の勲章をもらっています。

 これって、北野武を偉くしていって、洗浄をしていく過程とそっくり同じです。芸大教授にして、その次にレジオンドヌール勲章を与える。

 伊藤玄二郎と言う、ややマイナーな、人間で成功したパターンをより大きく実践ををしていく。そして、大衆を操作していく。

 諸般の、国民いじめのキーパーソンは、伊藤玄二郎であり、彼が上奏するアイデアは、影に、井上ひさしのわたくしの、文章に対する分析力が、控えています。

 かれこそ、キーパーソンであり、NHKや、朝日新聞、週刊文春などを、を利用しまくる天才でもあります。デモね、おいおい、その詳細を述べるつもりであり、そのまえに、まだ、大相撲疑惑を、解説していくつもりでした。

 このストーヴを留守中につけて逃げるという現象はそれらの論の最後にもってくるはずだったのです。しかし、昨日この山の入り口に、大原光孝氏の政策による新しい縦看板が二本立ったので、すぐ、方針変換をしました。そのわけはつぎに書きます。

 では、ここで、いったん切らせていただきますが、
 ちょっとだけ、ストーヴの問題に戻りますと、28C度に設定をされているストーブは、夏には着火せず、音としては静かでした。で、帰宅した直後には気がつかず、寝るときに電気をすべて消してから気がついたのです。このごろの、電気製品は、スイッチのそばに、小さな窓があって、そこに小さな明かりがともり、赤いランプやら青いランプが点滅しているのです。

 それが天井に反映をしたのです。あれっと驚きました。それで、すぐ、立ち上がって、スイッチを切った後で、念のために、コンセントを抜こうとしたのです。

 びりびりっと、感電をしました。驚いて丁寧に、大きなライトをつけて、丁寧にそれを点検すると、コードとの接続部分が少し、ナイフ等で削ってあるのです。今まで何度もそのコンセントには触ったことはあります。掃除等でね。その際は、何もなかったのに、その数日間の間に悪さをされたのでしょう。
 パソコンイGPS昨日がついていますし、画廊のいり口やら、エレベーターに監視カメラが設置されている場合もありますので、私が鎌倉まで帰り着き、または、主人が家に入る前に、三十分程度時間を、稼げるケースは多いのです。 雨宮 舜



『工事は、一見すると公だが、極私的濫費である』

 やっと、今日の結論まで到達しそうです。
ガスストーヴが留守の間につけられていて、しかも二度と同じことが起きないようにとコンセントを抜こうとしたら、コンセントが破壊されていたと、前までに述べました。

やはり、ちょっとの間震えましたね。次から次へと新しいアイデアを持って、攻撃してきます。

でね、私はまず、主人に手紙を書きます。主人は割りとのんきで気にしないほうでですが、どういう風に受け取るかが判らないし、その主人のはんのうでさえ、利用をされてしまいます。

これって、めちゃくちゃなレベルでの人権蹂躙です。だから、私は書いておく。
将来の見本として書いておく。これを許すと、あなたにまで々被害が及びます。

普通の人、そして、特権のあるひとと分かれさせて、特権のあるセレブと呼ばれる少数は保護して、抜群の利益を与える。

その件に関して、山本容子、栗田玲子、酒井忠康の三人は好個の例となります。特に庶民からお金を取っているNHKは、今のようなことをしていては絶対にいけないことを、
書き記さなければなりません。

 ちゃんと、観察しぬいています。それを、逐一書き抜かなければなりません。

 数日前に、酒井忠康という項目で、すでに、ずいぶんと描いているのですが、字数制限に引っかかり、公開をしておりません。

 近々、それを、公開しようと思っています。特にその動機は、大原光孝氏の活躍(?????)です。彼の悪辣ぶりも吸う札の本に当たります。丁寧に書きぬかなければなりません。それは、庶民大衆にも迷惑を及ぼしています。彼本人は考えたことも気がついたこともないでしょうが、伊藤玄二郎のアイデアに参堂して、それに、協力をする限り、
徹底的な悪人と化してしまうのです。仕方がないです。すでに、彼は、やり過ぎていますから。

 実際の命令者は、神奈川県知事だったり、文部大臣だったり、しかも自民党の時代にやられたこともあるはずです。ただ、影にいる存在としての真の実力者(この場合は陰惨な攻撃の引き金を引く人間)は、小澤一郎氏でしょう。
 おいおい照明していきますが、今日もパソコンが一台壊れたのは、そのせいです。真実を描くと、発表できないように、とりはからわれます。

 『今日は再起動の必要があり、』という命令の中に悪い作動要素が含まれていました。
以前は『何々を、新しくインストールしてください」という命令の中に悪い茶道をするものが含まれていました。毎日、ひっしのた他界をしていますが、それでも、本当に元気なのは、目に余るあくを、しかも簡単におっちょこちょいにやりぬく手合いに、絶対のこちらが上であるという信念を与えられるからです。

 今回のおっちょこちょいの最たるものは、またまた、公工事を設定したことです。この8月3日の接続体焼損対策工事というものほど、彼らの裏側を明らかにするものはありません。

 自分たち(といっても、関電工の作業員がしたわけではありませんよ。それから、伊藤玄二郎とか、井上ひさしが、我が家へ入ったわけでもありません。常に、手下というか、家来を使っているわけですが、常に後ろが透けて見えます。

 今回の工事もいかにも公に見せるようにしつらえていますが、伊藤玄二郎が、私を自滅させたいがために、脅かすためにしつらえたものです。だって、道路中、150メートルぐらいに、三箇所もそういう切断以上があったらこの国は機能しないですよ。やる必要は無い。

しかも、これを、夜やる必要は無い。常に、脅しとして工事を利用するから夜行われます。
効果があると考えているのでしょう。しかし、それと同時に、自分たちの尻尾も見え見えにさらしています。

 そして、結果として、八幡宮様の罪も洗い出してしまいます。私が大銀杏倒れると、堂々たるタイトルをつけたのは、あのお馬鹿さん連中である、伊藤玄二郎を、中心とした政治家グループ(小澤グループとほぼ、同意語である)やら、芸術家グループ、そして、文化人グループが続々と、その真実の姿を現していますので、それは、国民に伝えるべきことだと信じています。

 特に、大相撲壊滅作戦のあざとさよ。その最中に、たぶんですが、生きているのに、自分の葬儀屋オマージュの記事を連発して企画した、井上ひさしの精神のあり方の汚さは、
大きく目に留まりました。

 このストーブをつけておき、コンセントも、破損をさせておき、かつ、NHKニュースで京都祇園祭の、山鉾に事寄せて、この件をあげつらい、脅してやろうとするのは、数年前からアジサイ畑欺もう、事件に関して、繰り返し行われてきた手法です。

 これこそ、彼らにとっては言い逃れのできない事件です。そして、誰が責任を取るかも絶対にわからない事件です。せい等なら、あの人という人物が何人もいるが、ずるいやり方で逃げまくっています。そして、逃げて責任を取らないからこそ、次から
次へと、新たな攻撃を繰り返しています。

やはり、世の中に真実が広まるのが怖いのでしょう。そlれが、我が家が将来失火をするかもしれなかったたくらみの裏側です。

 もし、我が家から家事がでたら、我が家の失火ではありません。こういう風に二重三重に策略を弄した彼らの、仕業です。ここで、防衛上断言しておきますが、その発信源は伊藤玄二郎です。キーパーソンは彼です。石川和子女史とその夫の大失敗が最初の原因ですが・・・・・

 鎌倉街道で、八幡宮様の西沿いに、8月3,4日の夜に行われる工事は、極私的なもので、繰り返されてきた、工費の濫費のひとつです。幼稚な頭脳が発案したことです。

    ここで、本日のルース大使の広島訪問で始まった記事は終わります。

明日は明日ですが、無事にかけるかどうか。もし書けなかったら、軍産協同体の真実の悪辣振りを真実、それが証明しています。

        2010年7月30日   雨宮 舜
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ルース大使の広島訪問、と、京都山鉾

2010-07-30 16:18:13 | Weblog
 本日もすこぶる政治的な文章となる見込みですので、書くのが大変で、完成は午後6時ごろになる見込みです。今、午前11時、更新に気がついた方も、午後の6時ごろ再度のぞいてやってくださいませ。ところで、今日の本文と関係がないがごとき写真が添付されています。これこそ、重要は樹木、アメリカキササゲの切り株です。縦が55センチ、横が65センチ幅の大木です。この切り株をはじめてご覧になる方は、『あら、横倒しになっている。それじゃあ、危ないじゃあないですか? それをおきりになるのは当然でしょう」とおっしゃるでしょう。ところがこれは、つる性植物なのです。のうぜんかづら科、ですから、最初期から横向きに生えて、大きくなりました。幹の直径が、5センチぐらいになるまでは、人々は雑木なので、手入れもせず、気がついてもらえなかった可能性はあります。
 特に第二次大戦前後は日本中どこでも大変で、八幡宮様にも参拝客も少なくて、予算がたくさんはなかったとすれば、放っておかれたと思いますが、その間に、つるがしっかりと横向きになって、しかも直径が20センチぐらいにすでになっていたとすれば、まっすぐになるように矯正するのはすでに不可能です。また、つる性ゆえに、まっすぐには、もともとたたない植物です。この木の存在は、神奈川県立美術館、現・鎌倉館を記念する本、『白い箱』の中にも記載がなされています。

 しかもこれほど、大きくなるのは、本当に珍しいことです。我流のごとき存在でした。ここに、この切り株の写真をおいたので、このアップロードの後で、この切り株も、掘り起こされてなくなってしまうかもしれませんが、そうなると、日本を植民地として支配をしている存在の悪がさらに明瞭になりますので、それも一興であると、待ち構えているところです。そして、八幡宮様がなぜ、これを倒しておしまいになり、その結果、天のお怒りを買って、大銀杏が、倒れたかの論もかえって説得力を増すでしょう。

 さて、私が六月の末から展開していることはほとんど真実であり、その中心にいる存在は雲隠れ中です。7月8日からテレビには一切登場しません。あとで、この場所に人名をきちんと入れます酢が、その人に触れると、パソコンの損傷が最もひどいので、彼が、日本支配の中心人物、特に、国民を異常なレベルで搾取することと、いじめぬくことに役立っている人物であると、考えています。最後まで完成できたら、その人物名を入れます。今日もちょっとでもキーうちをしないと14分間隔で、再起動要請がかかります。となると、ツィッター方式で書くほかありませんね。ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いをいたします。

 さて、私が書いていることが国民の間に広まってしまっては大変だという、恐れも持っていル戸思いますが、と、同時に、私がごく、平凡な日本人(特に専業主婦で、政治家とも政治評論化とも付き合っていない)ので、こういう人間が、この世の真実にここまで知覚を持っているということは、彼らにとっても、非常に恐ろしいことのようです。

 そうです。国民の皆さんは声高には、何も言っていないが、真実にはそうとうに気がついて来ています。私がちょっとした、偶然でお会いした未知の人も、まったく私と同じような考えに達しています。彼ら、日本国民の真の敵は、*1、中川経済産業大臣の酩酊記者会見を策労したり、*2、大相撲壊滅作戦を策動したりしていますが、こころある、日本人はその裏側にとっくに気がついているのです。ほとんどの人は眉をひそめ、顔をしかめています。ただし、えさに踊らされて、自分だけはセレブとして暮らせると信じている人間は、平気でしょう。でもね、彼ら敵方も、そろそろ、日本人全体に対しては、懐柔策をとる方がよいかもしれないと気がつき始めています。一般大衆に対して、大相撲壊滅作戦などのいじめ方向では、こちらに、火の粉がかかってくるかもしれないと、気がつき始めています。

 今までは、*3、映画『靖国』の公開、*4、小泉さんに対するインテリ集団と自称する人間たちの集団訴訟、*5、映画TOKYOの一部税金を使っての横浜の芸大内部での撮影と、フランスでの編集を経て、公開、*6、映画『コーヴ』の日本での隠し撮りと全世界での公開、*7、シーシェパードの問題、*8、黒マグロの禁猟の提案、*9、トヨタのリコール問題等々、日本いじめが狂乱の体を示していましたが、民主党、特に小沢一郎氏(彼一人ではない。朝日新聞と、私の周辺で暗躍する手下たち)の案にのっとって日本支配を続けていると、だめになるかもしれないと感じてき始めています。

 それで、ルース駐日大使が広島をご訪問をされるという案が出てきました。裏と表の両面作戦という形です。でもね、いらっしゃらないよりはいらっしゃったほうがよいです。ルース大使のご訪問がアメリカでどう報道されるかは疑問ですが、一般大衆は原爆投下と、その結果については一切を知らないといってよいのですから、少しでも広報の役に立てばよいのです。

 私は六月以来、自分の七冊目の、本を編集製作中ですが、その本の中で、映画『ミリキタニの猫』について触れています。この映画は見事に、この70年間の日米史を明らかにすることに役に立っていますが、その中に出てくる、アメリカ内部の砂漠に立てられた掘っ立て小屋の強制収容所に、日本人は財産等すべて没収された上で、入れられてしまったという過去があります。第二次大戦中です。

 それと、本編には入っていないのですが、付録として、主役の元、ホームレスだった、ミリキタニ氏が、広島を70年ぶりに訪れ巣映像があります。ご本人の思いの中では、一時は日米両国ともに国籍が、ないはずでした。だから、ホームレス暮らしにも陥っていたのです。そのミリキタニ氏が、広島を訪れ、原爆で死んだ母を重い、また、その日はじめて知った恩師の犠牲を知り、思わず、『仰げば尊し』を歌いだす場面などがあって、感動を誘います。
 原爆投下は、言い古された歴史ではあるが、アメリカの一般市民には、知っておいてもらいたい歴史です。ルース大使が、ご訪問をされるのは、マイケル・ムーア監督が訪問して、資料館で、四時間も過ごしてくれたことに続いて、ありがたいことでしょう。ルース大使にもぜひ、資料館にお寄りいただきたいものです。そして、できれば、第二次大戦中の二歩に信の強制収用のキャンプのことも、繰り返して語られてもらいたい、近代史のひとつです。
~~~~~~~~~~

 さて、午前11時から午後四時までお休みをしておりました。PCが動かなくて修復をしていたのです。で、今、直ったところですので、お話をさせてくださいませ。

 京都の祇園祭の山鉾の明かりが、昔は、ろうそくでしたでしょうが、今は電気が使われています。その配線は込み入っているし、いろいろな飾りの間を這って行くので、もし、接続不良であると漏電して、失火の恐れがあります。で、それを点検するためにある体育館の床にすべての山鉾の電気配線が集められ、消防署もしくは東電のしかるべき職員の立会いの下に点検が行われて、それが、関東地方限定の夕方のNHKニュースで放映をされました。

 で、この8月の3日と、4日に、我が家の直下の山と、沿っている鎌倉街道の一部で、似たような問題で、工事が行われるとの通達が、3日前の我が家の郵便ポストへ入っていまた。

 午前11時に、続きは午後六時ごろ完成の見込みですと、申し上げました。ところが、パソコンが壊れたり、インターネットエクスプローらーが使えないなどとの、散々な妨害を受けて、今まで続きがかけなかったのです。それで、ともかく、今復旧して署名を入れさせていただきます。しかし、論理としては、これだけでは、起承転結が完成していません。それは続きとしてすでに書きました。あとで、12時過ぎにアップをさせていただきます。

 最後になりました。写真が見られないようになっていた模様なので、別の写真と変えました。それも妨害ですね。あまりにも、みえみえの単純さです。

 どうか、よろしくお願いをいたします。2010年7月30日 雨宮 舜
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松田聖子(NHK)、中野寛(ソニーエンタメ)、酒井忠康(朝日新聞)

2010-07-28 01:34:39 | Weblog
 今から書くことの結論部分は三週間前に発想をしたことです。ただ、現象自体はずっと前からおきていたことです。そして文章の目的は例の問題、・・・・・日本人全体というか大勢の人が大切にされる社会を目指すために、・・・・・です。

 女性にとっての一般的な偶像は、50年前はキュリー夫人だったのですが、最近は安室奈美恵だといわれています。でも、時々ですが、松田聖子の名前も挙がります。若さを失わないし、結婚や恋愛も思い通り、芸能マスコミにたたかれてもたたかれても、気にしない。強いというかけろっとしているというか。今ではお嬢さんもしっかり成長したらしくて、あらゆることで、成功者として君臨しているわけです。

 そして、NHKで、ときどき特集が組まれます。今日の本筋は、NHKがどうして、松田聖子の特集を組むかと言う謎解きに挑みますが、結論は驚天動地のところへ到達するでしょう。というのも、それと、朝日新聞のメセナが中止となったことが、私の中では結びついているからです。そして、朝日新聞のメセナといえば、酒井忠康氏なのです。氏が長らく審査員を勤めておられました。で、これは、以前からの文章の続きとなるわけです。

 私は今ではお金と名誉は関係がありませんと、はっきりいっています。イソップ物語のすっぱい葡萄ではないが、もう年取ってきていて、いまさら、大衆社会への名声を獲得するという意味の、ブレイクもないだろうと思っています。しかも、現在の毎日に、感謝していますので、これ以上の欲得もないのです。それに欲張らないほうが与えられると言う秘蹟にも気がついてきています。

 『お金がないなあ』とあせったころもあったのです。お金がある方がいいのでしょう。そうしたら一年に三冊ぐらい本ができます。それに、自分ひとりで製作するよりもお金がかかるが、私費出版の会社で本を作れば、新しい読者層が開拓できるかもしれません。

 だけど、今はすべてにこだわらなくなったというか、『どんな道を歩んでもいいのだ』と考えていますので、お金だってなくなれば、なくなった場合で、生きて行かれるだろうと思っています。そういう姿勢の代わりに、犠牲にしたものもありますけれど。

 が、2007年ごろは上に書いたようなことは考えておらず、普通の道でブレイクできると思っていました。で、そのための準備を着々と進めていたのです。で、朝日新聞のメセナにも応募したいと思っていました。

 今では激しく朝日新聞を批判していますが、以前は普通にいきていくつもりでしたから、政治については、それほど発言をしていませんでした。でもね、まったく政治について発言をしなかったわけでもなくて、2003年の5月7日に、小泉内閣誕生記者会見で、「朝日新聞の記者です」と名乗る男性が、どの閣僚に向かっても、「靖国参拝をしますか」と機械のような質問を繰り返したことについては、メルマガで批判をしました。

 でも、そんなことはたいした傷には、なっていないであろうと考えていたのです。だって、その記者の質問の態度は目に余るばからしさであって、かつ、国民が聞きたいことでも知りたいことでもなかったからです。普通に考えたら、あの記者の方がおかしい人物だとなるでしょう。そういう風に思っていました。

 それに、この間名前の挙がった、飯田隆君(中学の同級生で、週刊朝日の編集長の後で、朝日ソノラマの社長をした)にクラス会か何かで「ええと、私って最近、こういうことを発言しているけれど、大丈夫かしら」と質問をしても、「ええ、意見を述べることは自由ですから」と、以前には言われていました。

 また、油絵や版画のことで、大学同窓会展でいっしょにやった大学の一期下の、野村彰男君(朝日の外信部にいて、そのあとで、国連大学等、いろいろな名誉ある役職についた)にも同じことを質問をしてみたのですが、「ええ、自由ですよ、何を考えるのも」と答えてもらっています。

 その上、美術のことでは海外では、評価が高くて、日本でも後で述べますが、相当に好評だったので、自信がありました。50万円でもいいから、いただければ、それで、自分が企画して、若手の有望な作家たちのグループ展をしたかったのです。

 私は結構なレベルで目が利きます。誰が有望かを見つけ出す才能はあります。そういう人を支援するのが、目的で、メセナの資金をもらえるのなら、それはうれしいと考えていました。

 それは、普通の個展の次のステップとしては、面白い事業です。その上、私は2006年度中は、月刊ギャラリーで連載を持たせてもらっていて、若い人のユニークで将来性のある作品を、紙に白黒で小さく載せてもらっていたので、その実物を画廊で、集中的に、展示をしたら、素敵だろうなあと考えていたのです。だから、自分個人の欲望を満たそうとしたわけでもありません。

 しかし、こういう試験というのは大体どこも同じで、ペーパーテストで決まるわけではありません。申請をすれば、後は、コネの世界でもあるらしいのです。だから、申請をした後で、コネも探すつもりでした。ただ、まずは、正当に、正面から申請書類を出すことに挑戦します。その申請の段階で必要なことは、推薦者です。

 これが美大を出ていると、相当に簡単であろうと思います。今は大学院まで進学するケースが多いので大学院で担当をしてもらった教授に頼むのが普通でしょう。学部だけの卒業だったら、4年時の担当教授にお願いをする。
 それから、美大を出ていなくても、有力な先生について、絵を修行したという人には、先生に頼むという道があります。また、要領よく、美術評論家と仲良くしていくてもありますが、それは、実際には、性格とお金も関係するので、私にはあまり向いていない路線です。

 私は利害関係のない相手からは、かわいい人だと思われています、しかし、文章の世界の人やら、絵の世界の人からは、どうも、警戒されているというか、嫉妬されているというか、とてもではないが、かわいがられているほうではないのです。肩書きに比して実力があるので、どう扱っていいかわからないというところもあるからでしょう。

 あのね、ごく普通に生きているつもりですが、お高くとまっていると誤解を受けることもありますし。特にお金をもらうことなどは、どなたもやりたいことですから、その援助を請うのは非常に難しいのです。

 で、今回はあっさりと、美術界以外の人に頼むことに決めました。その相手が松田聖子と関係があります。彼女を売り出して成功に導いた、プロデューサーです。

 実は母のいとこでもあるから親戚です。彼は結婚する前までは、よく我が家に遊びに来ていて、よく試聴盤をプレゼントしてくれました。そのころはソニー・エンターテインメントというソフトを扱う会社はまだ設立をされていなくて、(つまり、ハード=機械製品だけをソニーは扱っていた)彼はビクターに勤めていました。だから、ビクター専属のアメリカの歌手や、西欧の交響楽団の洋盤をもらっていたのです。

 私がすぐ、どこでも歌を歌ってしまうのは、結婚前の4,5年という短い間ですが、そのたくさんのLPレコードを聞いたことも、根源にあるかもしれません。
 名前を中野寛(ナカノカン)といってこういう業界では、それ相応の名前の通った人のようです。九州大学の法学部を出ていて、厳しい人間です。松田聖子本人とはムードがまるで違う人間ですが、顔は、今で言うイケメンのほうでしょう。山本耕一をもうちょっと普通の人にしたような顔です。

 私は別に親しくはないのです。もっと親しく話ができる、同じ年頃の親戚の男の子は別にたくさんいて、彼と親しいとは思ってはいません。でも、一家で、「ひろしちゃん」と呼んでいて、やはり、親戚としての、付き合いはあったわけです。向こうは私を「ちっちゃん」と呼びます。そして、芸術のことで推薦人になってもらうにしては、この人がぴったりだろうなあと考えました。

 で、我が家から電話をかけて委細を説明し、許可ももらっていて、携帯の番号まで教えてもらいました。しかし、私は携帯を使わない人間なので、彼の番号を自分の携帯に入れることはないのです。だから、すぐ忘れてしまいます。これが、後で大きく響いてきますので、読者の皆様も恐れ入りますが、私が彼の携帯番号まで教えてもらっていながら、それを、覚えていないことを、覚えていてくださいませ。

 その2007年ごろまでは、まさか、我が家の電話の盗聴がこれほど、規模が大きく、結果も大きいとは夢にも思っておりませんでした。ひろしチャンとの会話が、後で、敵方に利用をされるとは、夢にも思っていなかったのです。

 これは思い過ごしではなくて、2009年に、小林篤生さんの仕事上の売り物ソフトにバグが入ったときから、実際に盗聴されていることを確信して、一切電話を使わないようにしています。それでもかけるときは、相手方が、敵様にすでにリクルートをされているケースしかかけません。ところで、新しくこれをお読みになる方のために、小林さんのことを、もう一回軽く繰り返しますと、親戚で、かつ大学の下級生となり、「本を作ることで教えてほしい」といって、ばんばん電話を向こうからくれた人なのです。

 でね。もう一度朝日新聞のメセナに戻ります。ひろしチャンには、2006年ごろからこれのことを丁寧に説明をして、2007年の個展にも来てもらっていました。だから、2007年度までは普通の関係だったのです。

 でもね、すでに、恐ろしいことの萌芽が、2007年度中に、ほの見えていました。二人で打ち合わせを喫茶店でしていたときのことです。ひろしチャンの携帯にどこかから電話がかかってきて、彼は、打ち合わせを切り上げてそちらに向かいました。

 そのとき、直感的にそれは、悪い電話だと思いました。後でわかるのですが、きっとNHKからです。というのも直後に、松田聖子の特集番組が放映されましたので。

 それから、次の年度の、朝ドラ「だんだん」で、松田聖子の大ヒット曲『赤いスィートピー』が重要なアイコンとして使われる事となりました。でもね。普通だったら、親戚の男の子が昔、手がけた仕事が、リヴァイバルするのは、喜んであげなくてはならないでしょう。

 それなのに、どうして、ぞっとしたかですが、その後の悪い展開を予測をしたのだと思います。ひろしちゃんとちっちゃん(私)の関係は、2009年の秋には、語るも涙、聞くも涙の話となっていきますが、

 その物語を超がつくほど簡単にまとめますと、敵方は、おいしい仕事を与えて、その見返りとして、その当事者と私の仲を裂いていくのです。NHKで、子飼いのスターが特集をされる。それは、ひろしチャンにとってはうれしいことで、その見返りに、『お宅の親戚のだれそれさんは危ない人ですよ』などと、耳打ちをされたら、勘のよい彼だったら、すぐ、『ちっちゃん(雨宮)と付き合うと損だな』と感じるでしょう。

 でもね、それって、こちらに弁明をさせない、ひどい人権蹂躙です。そして、小林君のように結婚でつながった親戚だけではなくて、ひろしチャンのように血のつながった親戚まで利用する・・・・・この悪のレベルの深さに驚き以上のものを感じます。でも、子の話は一番恐れていた母の葬儀(これを書いたのち、10月16日の通夜と17日の葬儀に

ひろしちゃんが、出席してくださったことで、ひとまず、美しく修正をされました。天とひろしちゃんに感謝します。

 挙句の果ては私の一番身近な人である夫まで利用するのです。

 これから以下は読みにくい話となっていくでしょう。くだらないともつらい話ともいえます。それでも書いていくのは、こここそ、井上ひさしが生きていると信じるところですし、かれが、大相撲壊滅作戦の音頭をとったといえるところだからです。

 ご近所の主婦たちは、瀬島龍三、もしくは井上ひさし原案、連絡係、伊藤玄二郎、→石川和子女史、もしくは安野夫人として、私をいじめる役に徹しています。そうすれば、それこそ、ノイローゼになって文章を書けなくなると信じているのです。それが、25年間以上続いていますので、すべて、パターンが読めるのです。

 で、そのいじめ作戦のひとつが夫をそちら側に取り込んでいく作戦です。

 策略を重ねていって、徐々に徐々に夫まで、取り込んでいきます。その結果、石川和子女史(戸籍名は柳沢)の夫が私の猫にそむかれたなどと言う簡単な現象に逆上しきってしまって、警官を呼び、「川崎千恵子(雨宮の本名)を、あそこのご主人にしかってもらうように、言ってくれ」などという、驚天動地の命令を下すことになります。多分、その際、鎌倉春秋社社長の伊藤玄二郎の名前を使ったので、警官は、そちらが偉いと勘違いして、山のうえなのに、交通事故の調書までとって私を脅しました。

 これだけではないのですよ。三菱証券を使ったからくりさえ利用して、取り込むので、夫婦喧嘩にまでいたります。2008年の3月10日の真夜中とか、同じく2008年の夜の7時から9時までは、怒鳴りあいの喧嘩となりました。外へも聞こえますし、室内盗聴もされているので、彼ら(伊藤玄二郎と、井上ひさし)は、『成功したー』と舌なめずりせんばかりの大喜びをしているのです。

 この『成功したー』という言葉ですが、後に、安野夫妻、浅野夫人、および、浅野令嬢をの四人が協力して私の頭に、水ぶっ掛けようとした事件が起こり、そのときに、井上ひさしが、アイデアを提供しているのを確信したのですが、その際のキーワードとなって行きます。ちなみに水は私の頭にはかかりませんでしたよ。私は武士道の気迫みたいなものが自然に身についていて、あらゆる暗殺行為から逃げることができるのです。水をぶっ掛けるなどというのは、死にはいたりませんが、一種の暗殺行為ですから、さっと、感知してよけることができます。

 ところが携帯を利用してタイミングを計っていた浅野令嬢が、母親から、30メートルも離れているのに、『成功したー』と問いかけられたのです。こんな言葉をかけられたら、自分の娘が策略行為、特に一種の暗殺行為に加担した、特に重要なキーとして加担したのは、みえみえに、わかってしまうではないですか?

 浅野夫人とは武蔵野美大の出身だそうで、実家は田園調布だと聞いていますが、あきれかえるほどのおっちょこちょいです。この軍産共同体の手先になる人間の特徴はすべて、ここに集約します。だから、すべてがわかります。でね、成功してもいないのに、令嬢は母親に、「成功しなかった」とは正直にはいえなかった模様です。これも大きく心理学的な分析に役立ちました。つまり、娘さんは両親がこわいのです。だから、本当のことが言えません。で、これら番長主婦グループの根底に色濃くヒステリー性格が含まれていることがわかります。ヒステリー性格というのは、上下関係を重んじ、それを形成するためにスケープゴートを作りやすいのです。そうすることが集団がまとまりやすいからです。だから、集団でいじめる一人だけの対象を常に探しています。

 私が引っ越してくる前は藤本夫人がその矛先であり、その次の時代が私というわけです。浅野家の令嬢は、やむを得ず「成功した」といったみたいで、それは、すぐさま、前田清子夫人に伝わり、彼女がきゃ、きゃっと、喜んでいる様子が、私が玄関に入る前に聞こえてきました。常日頃から、抜群の声量の地声を誇っている(?)人間ですから。

 でもね、ちょっとご主人にしかられていました。それは、愉快でした。でも、それでも、ご主人を100%の善人とはいえないのです。彼は彼で、集団訴訟の問題が関与してきますから。大多数の日本人にとっては、大迷惑な存在です。それは、後ほどに。

 もうこういうばかげたことが、一万回以上繰り返されているこの山に住んでいると、国際的軍産共同体の行動については、ベテランになります。

 特にこの六月の初めに、これらの番長主婦グループがまたまた、騒いでいたので、すぐ大相撲疑惑の裏側が察せられました。そういうことかと理解をして確信を持って文章を書くことができます。
 それは、浅野令嬢の行動を見ていると、とくに、わかりやすいのです。このように敵が『自分たちの身に、危険が迫っている』と思うと、浅野令嬢をアメリカに送り込みます。彼女の姿を見ると、私が怒りを増幅させてバンバン、真実を書き起こすと、推定しているのです。
 それは、彼女の行動が特に、井上ひさし分析に役立つからです。かわいそうに、まだ、結婚もしたことのないお嬢さんが国際的軍産共同体の最末端の、しかし、重要な任務を担わされてしまっています。荷が重いでしょう。だけど、お母さんの判断ミスでもあり、仕方がないといわなければなりません。

 井上家などご主人が賢いから、ある時点からは、奥様が、ご近所の主婦とは会話を交わさないように、するために、必ず山の上り下りは二人でなさっておられましたよ。そうすると、井戸端会議に引き込まれません。

 特に豪華な判断材料とは、鎌倉防犯協会の放送です。それから、テレビニューース、朝日新聞の記事、これらの断片を総合すると社会のすべてが正しく判断できます。その詳細は別の日に書きます。私は自分の身におきる被害が、パソコンが壊れることをはじめとして、あまりにも大きいので、だんだん、非公開で事実を分析始めました。すると、普通の日本人だったら、自分の悪さが見破られていると言うことで、恥じ入って反省すると思うのですが、反省しません。ハッキングを上部がしているわけですから、上部が正しい情報を下部におろすのならそうなるはずです。しかし、そうならなくてずっと、被害が続きます。それで、こういう仕事は日本人がやっているのではないと気がついてきます。

 それで、これらの悪が伊藤玄二郎と井上ひさしという日本人という仮衣を着た、外国発の発想だとわかっていくのです。もし、彼らが『僕は日本人だ』と主張するなら、日本は国際的軍産共同体に、100%支配をされていて、エージェントとして、井上ひさしと、伊藤玄二郎は動いているということになります。その実態についても、別の日にまた、詳述します。

~~~~~~~~~~~
 ともかくにして、これらの心理学を利用した、すさまじいばかりの悪をご理解いただけますか。だからこそ、天は八幡宮の大銀杏を倒されたのです。彼らの悪意と悪行は重なると、すさまじい量になるからです。加害行動を担わされている一人一人、たとえば、前田清子夫人など、『自分はちっとも悪くないのよ』と嘯いている可能性はあります。だから、彼女の大声の大騒ぎは、続きます。
 で、天は、彼女を推薦した(ほかにも判断ミスはありますが)八幡宮様をお叱りになったのです。
~~~~~~~~~~~

 ひろしちゃんが敵方にリクルートをされてしまっていて、二人の仲が疎遠になっていることを自覚させられた日が、携帯が、重要な小道具として、登場します。そのいきさつの詳細は、将来、この全体を小説と言う形で書き直すときには、入れたいと感じていますが、今日は伏せましょう。文章が、長くなりすぎますし、感情がこもりすぎます。

 全体をドキュメンタリーとしてまとめたいと考えていますし、一本の中に起承転結と、因果関係を明瞭に入れ込むためには、グーブログには字数制限がある模様ですので、最後まで一気に書き抜かないといけませんので。
 ただし、これから先はツィッター方式で書かせてくださいませ。最終的な完成は、午後の三時ごろとなる見込みです。よろしくお願いを申し上げます。

 実は上に挙げた話はその後、例の悪人連中が、私の、血のつながった親戚にまで魔手を伸ばすのだと言う話になって行き、それゆえに、彼らの悪辣さのひとつの証明となるから、あえて、自分にとっても、ひろしチャンにとっても、難儀な話を公開するわけです。

 私はその後、朝日新聞のメセナが終わったことを急に知ることとなります。

 これは酒井忠康氏の発案ではなくて、上層部の発案でしょう。朝日新聞は、新聞そのものの衰退現象により、広告収入が減ったので、メセナというものを他企業にならって縮小していくと言う形をとったと思います。で、酒井忠康氏は、私には、この件では、直接の関係がないと思っていらっしゃるはずで、何で、こういう場所で、自分の名前が出てくるのだとおっしゃると思いますが、氏が、栗田玲子さんの経営する画廊、枯れリアグラフィカにお客さんとしていらっしゃったことを知っていますし、その栗田女史は、伊藤玄二郎と、夜の十時半という遅い時間に鎌倉駅のトイレにいたわけで、いろいろのリンクが察せられるのです。そして、悪人どもが跳梁跋扈するのを、助けていて、それが、結局回りまわって、大相撲壊滅作戦などを招き寄せたと信じるので、ここで、書いていくのです。

 政治とはまったく関係の内容に見える、酒井忠康氏が彼らの悪を浄化していき、いかにも権威があり、まっとうなようにみせる大切な役割を果たしています。

 朝日新聞のメセナがおわったころ、同時に、毎日新聞が長らく続けてきた、現代美術のコンクールが終わりました。

 こちらも、氏が審査員です。表向きは、こちらも財政困難と言うこととなりましょう。だけど、酒井忠康氏だけは、なんとも、いやな、食い逃げの感じがあります。

 どういうことかというと、銀座の画廊を巡っていても、芳名帖の署名欄を見ると、酒井忠康氏は、それほど、丁寧に見回っている評論家ではないのです。だけど、著名であり、隠然たる力があるとみなされています。これでも、えらい人ととして認められているのは、これら、今ウールでの審査員としての身分が支えになっています。

 そこで、新人を見つけ、賞を与えれば、感謝されます。それで、そういう発見された人は、酒井氏を守る立場に立つでしょう。そうするといわゆる藩屏があるということになり、人は石垣、人は城で、周りを、固めてもらえるわけです。

 氏が美術界に大きな力を持っていることは、ここで、氏をこき下ろせば、私が大損をすることに直行します。だけど、わかっていてわざとその道に踏み込んでいくのは、別方向で、私の被害と損失があまりにも大きすぎて、ここで、新たな損失をこうむっても、もう、大勢に変わりはないと判断をしている事が大きいです。敵はことをやりすぎています。

 だから、自分一個の身をここで、どうのこうのと、守るよりも、一種の手負いの猪(しし)として、できるだけ、この軍産共同体の悪を、分析しぬき、日本と、日本国民の役に立つほうが、望むところなのです。

 ここでグーブログが一万字を超えたという警告を発しました。一万字を超えると、アップロードできないそうです。で、酒井忠康氏については説明不足となっています。
 「どうして、こんな主婦軍団と僕が同じ文中に記載をされないといけないのだ。僕は知識階級であり、名士であるのに」とおっしゃるとも思いますが、伊藤玄二郎という文脈ですべては修練していくのです。その件も後で、別の日に丁寧に書いていきましょう。

 その上、NHKがどうして、驚天動地の行動をとっているかの説明も足りていません。でも、字数が超えたそうですから、それも、また、別の機会に述べましょう。
  2010年7月28日              雨宮 舜(本名、川崎 千恵子)
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文部科学省(26日、虎の門)から、芸大(27日、横浜)へ

2010-07-27 12:09:02 | Weblog

 ご訪問者の皆様へ、罫線、=====以下の部分は、26日の深夜に書き、午前三時半に推敲を終えてアップしたものです。しかし、本日、27日に、新情報を耳にいたしました。特に芸大映像研究科の設立経緯について、私側に誤解があったかもしれませんので、それを正す意味でも、新情報を書き加える必要を感じています。で、、後半の罫線*****以下にそれを、付記させていただきたいと感じます。しかし、書く形態は、ツィッター方式をとらせていただきますので、最終的な完成は、午後一時を見込んでおります。どうか、よろしく。

================
 今日もツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。頭の中には、もっと、切実なものがありますし、この文章を今日の時点でさらけ出すのは損だなという思いもありますが、ともかく、午前三時ごろまでに完成できるものとすれば、単純な話題でなければならないのです。

 文化庁からと認識をしていたのですが、一月以上前から「活動報告書を送ってください」という郵便が来ました。これを、私は嘆かわしいことと受け取っていたのです。パリから帰国してすでに12年がたっていますが、こんな書類が郵送されてきたことは過去に一回もありません。しかも普段ですと、文化庁に提出する書類の字数は意外と少ないのです。A4の紙の四分の一程度です。しかし今回は数頁にわたって多数の書き込みが必要です。

 『これって怪しいぞ』と思いました。暗喩としての、脅かしで、『新しい本の制作と、出版を抑えろ』という命令ではないかと感じたほどです。
 実は七冊目用のデータの中に、文化庁が映画の助成金を出す際、どの程度審査しているのかという疑問を呈する部分があります。

 特に映画『TOKYO』が大問題です。映画『靖国』に関しては大勢の人が論議の的としており、十分に世間に知られていると思いますが、こちらのほうはあたらなかったこともあって、ほとんど論議の対象になっておりませんが、大問題がある映画です。

 三話形式ですが、第二話のL.カラックス監督の部分が大問題です。で、私が、本の試作品一冊目を大体完成させて終わり、試作品二冊目として、こちらの映画に関する本の編集を始めた6月初旬から、大相撲疑惑も起こり、身辺もいろいろおかしくなったので、一冊目より、こちらのデータの方が、国際的軍産共同体にとっては、危険だとみなされていると判断しました。

 内容は『消された映画』についてです。当初は大衆を心理操作する目的で作られた映画が、あまりにも悪辣だと、他者が気がついた際に、製作側本人が反省して引っ込めたケースもあるだろうし、軍産共同体が、圧力をかけて、存在を消し去った映画もあるのです。

 それらについて述べております。

 トライアル一冊目の方は、雅子様とか、稲盛和夫さんを中心にして、実態は、小沢政治批判でした。それも自分にとっては、十分に危険な本だと認識していましたが、映画の本の方がより大衆に訴える話題なので、より広範囲の読者に訴求力があるとみなされているのだと感じました。ですから、間接的に政治に踏み込む、こちらのトライアル二冊目の方が、小沢批判という直接的な政治本より、より高度に、警戒をされていたわけです。

 もちろん、それは十分にわかっていますから、自宅でやらないのですが、どうしてか、インターネットに接続しないでも、把握をされるのです。

 錦糸町の、スーパーの六階にある、自然食系のバイキングレストランで仕事をしていても、画面が白閃化(ホワイトアウト)して、一切が消えてしまったりして、『あ、ここでも追跡されているんだ』と感じました。これはマイクロソフトのワードに何らかのバグ・・・・・たとえば、仕事開始後、50分目に画面が白閃化することと、命令をされていると仮定する・・・・・が仕込まれていると、こうなるのでしょう。

 で、『文化庁を批判するのなら、在外研修生の資格を剥奪されても仕方がないなあ』とは思いながら、でも、『それって、よく考えると、片手落ちでもあるし、単純に、受け入れるべきでもないわね』という思いもあって、その書類を出すのを控えていたのです。だって、最近でも、映画コーヴの上映の際にはその『言論の自由』の論理が大手を振ってまかり通ったわけですし。

 しかし、こういう問題のある書類は、盗まれるケースが多いので、肌身に離さず、持ち歩いていました。一ヶ月間も。・・・・・私が家庭内では、ころころと呼ぶ、アテンダントバッグに入れて外出の際は、持ち歩いていたのです。が、それが重いのです。パソコンも入っているし、校正用、プリントアウト、256頁分も入っているし、CDやモバイルハードディスクも入っているし、<<<同じくすでに数冊は盗まれてしまった>>>住所録一冊分も入っているので、引っ張るだけで、腰が悪くなってしまいました。

 あのね。皆様は携帯に住所等を記録なさっておられると思いますが、私は携帯を持ち歩くと、そのGPS機能を利用されて、いく先々で脅かされるので、携帯を使いません。2008年の四月1日の朝の六時に車も人も誰もいない集英社前に、二台のパトカーが待っていたことはお話をしてあると思います。その上、いまでは、パソコンにもいつの間にやら、GPS機能が、入れ込まれていて、携帯を持ち歩かなくても追尾されていて、脅かされ続けています。電車の遅延も見事に繰り返されます。

 でも、すでに、気にしていませんけれど、不便は不便です。普通の人が駆使している携帯を使えないと、『使用料も延滞した貧乏人だろうね』と誤解も受けるみたいで、参るときもあります。それに、機動隊のバスやら、パトカーに早朝六時に出くわせばそりゃあ、ドキッとして、私には行動の自由は、まるでないのだなどと憤慨していましたし、今でも引き続いているので怒っています。が、今では、相当の部分で「はい、はい、そうですか。わかりました・ざんすよ」という程度で受け流せるようになりました。

 ただし、調査に出向くことはまだまだ、警戒をされていると感じます。これから、登記所にでかけたりすると、またまた、職員が白目で、迎えるということとなるでしょう。覚悟の上で生きていますし、『自分が語っているものが真実であるからこそ、これほどに、警戒をされるのだ』と、納得もしています。

 それで、元に戻って書類の盗難の予防のことに入ります。重い荷物を、半分に分けて、一方を主人にオフィスにまで持っていってもらう始末です。気を使うという意味で、超・大変なのですよ。私の日常って。だから、被害総額が五億円というわけです。

 後日実例を、もっともっと、詳述します。そうすれば、皆さんも「なるほど、五億円といえますね」と納得をなさると思いますけれど。まあ、それは後まわしにして、文化庁の件に戻ります。

 しかし、そんなに気を使って保護していたのに、やはりというか、想定どおりというか、その書類は盗まれました。しかも、このたった、2,3日のうちにです。
 土曜日にお墓参りに行って留守にした間か、日曜日に同じく二時間ぐらい留守にした間か、詳細はわかりませんが、どこかで、私が防衛を忘れたのでしょう。『今日は、東京までは行かないのよ。鎌倉近辺だから』という油断もあったと感じます。しかも、あまりにも暑いので、そういうミスがおきても無理もないと、感じます。

 さあてね。主体性をこちらが持っている場合は気強くいられますが、盗まれた結果出せないとなると、こちらに主体性がなくなり、こちらが弱くなります。『どうしようかな』と、一日熟考した挙句、ともかく、背水の陣を張りながら、文化庁へ出かけてみることといたしました。

 その際、マイケル・ムーア監督の手法ではないが、ビデオカメラを持っていこうかと思ったぐらいですが、15年以上前に買ったもので、重いし、どこにしまったか忘れたので、探すのが面倒ですので、手ぶらで出かけたのです。が、ビデオカメラを持っていた方がよかったというほどの、失礼な扱いを受けました。

 ただし、善意に考えると、それだけ、私の会話能力が高いとみなされている可能性はあります。私は実際の人物と出会って会話を交わせば、裏側に何が隠されていても、ほとんどの真実はわかってしまいます。だから吏員に、面談をさせないように、工夫をしたとも考えられます。

 まず、去年まではすいすいと自由に入れた建物自体に入れないのです。文化庁のビルの入り口に二人の中年のガードマンがいて、身分証を出しなさいといいます。それは、覚悟の上ですから逃げも隠れもしないので、出しました。すると、運転免許証でないとだめだといいます。それは、私は持っていません。母が「あなたは夢見る夢子さんだから、車の運転はやめなさいね」というから、教習所に通ったことがないのです。で、ボクネンとした顔をしていると、それは、国民保険証でもパスのようでしたが、次に言われたのは、「アポがないとだめですよ」という言葉と「団体の代表でないとだめです」という言葉です。あっけにとられましたが、ともかく、内容を丁寧に説明して、通してもらえました。

 が、2階へあがる階段が封鎖されていて、仕方がない形で、次に控えている高層ビルの、合同庁舎(実質的には文部省)の入り口に、向かうように仕向けられました。そこには、なんと、五人のガードマンが立っていて、さきほどより、さらに、厳しいので、これも憮然とします。文化庁は、その新高層ビルの前にある、古びた六階建てのビルの方に入っているはずなのに、そこにも入れてもらえず、文部省にも間単には入れない模様で、にっちもさっちもいかないという具合です。これは、おかしいですね。数年前とはえらい違いです。

 ともかく、そちらのガードマンたちは、先ほどのおじさんたちとは違って、制服も高価そうな、若い男女ですが、『こんなに多数のガードマンが必要かな? この財政緊迫のおりに、変だぞ』とは思いました。

 でも、ともかくですが、電話だけでも文化庁の担当者に通じました。で、再発行していただけますかと、問い合わせると、その書類は多分、『在研の会』から送られたものでしょうとの答えです。『在研の会』とは一種の同窓会で任意の団体のはずです。ただ、すでに、法人になっているのかもしれません。が、ともかく、一応はほっとしました。民間の団体には、言論の自由に対する規制力はないはずです。

 ただし、あの会に、それだけの財力があるかどうかは、不明ですが、時々厚手の同窓会名簿が作られますので、それようの資料集めが狙いだったのかもしれません。そうだったら、自分が早とちりをしたことになります。で、今から再請求をしても、「提出期限が過ぎています』といわれる可能性は出てきました。一時期私は、幹事長・島谷晃さんの秘書役みたいなことを頼まれて、やっていたのですが、あそこの会が、維持費で建物を借り、人を雇い、広報を出す上に、こういう名簿を作る資金力があるかどうかは、不明です。何も詳細は知りません。

 で文化庁の担当者に対しては「そうですか」と、その件では引き下がり、別の件を問い合わせをしました。

 ドマーニ展についてです。これは、一種の卒業発表会みたいなものですが、私は一度も招請をされたことがなくて、すでに11年も過ぎています。同期で行った方はすでに皆さん、それに招かれています。だから、招請されないのは、悪い意味での、差別だなと思っているし、どうして差別されるか、その理由を知りたいと思っています。もし、この軍産共同体の件で、裏から手を回されて、招請されないのなら、それも、瀬島龍三、伊藤玄二郎、小沢一郎元幹事長等(?????)の悪を証明することになるから、追求したいのです。

 ただ、自分からそれを言うのは、さもしいこととなるのは理解していますので、今まではそれを問い合わせたことはありません。が、今現在の私はこれから先に出す予定の本のデータを守るということについては必死ですから、その目的の一環として、問い合わせたわけです。

 でも、「担当者がいない」という形で、これは答えを、はぐらかされました。
~~~~~~~~~~~

 で、そちらへの質問が終わったので、今度は、文部省に対して、質問を開始しました。そのトライアル二冊目の本の中で白眉の部分としての、『L.カラックス監督の大問題のシーンは、横浜の、芸大映像研究科内でセットを組んで撮影をされた』といわれています。

 日本人としてみると暗澹たる気持ちになるくらい、暗い惨めな映像(現実にはありえない裁判の場面とか、絞首刑の場面)が、銀座や、渋谷でのロケも含めて、たった、二週間で撮影をされたそうですが、芸大の研究室が提供されたことも大問題だと私は考えています。
 特にパリにならあるであろうが、日本では実際にはありえない、黄土色をした地下下水道のなかに、戦車が保管されていて、その胴体に、旭日旗が、描かれている場面など、大問題すぎる大問題です。主人公メルド(くそというフランス語が当てられている)は、現在の銀座を疾走するのですから、これは、外国人には現在の日本であると誤解をされます。

 で、この問題を追及するためには、まず、北野武監督がどうして、この財政逼迫の折に、新しい学部を横浜に作ってもらえたかを追求する必要があると考えました。非常なる特別待遇なのです。上野の芸大キャンパスの一隅を使うわけでもないのです。変です。

 しかし、大学設置局というところは逃げ回ったという形で、大学支援局というところに電話が回り、上級公務員でも中級公務員でもないと言う女性が、対応してくれました。一応明日、27日にメールか電話で、詳細(?、それは、その事情を知る人物の、最寄先を教えてもらえるということらしいが)が知らされるという形で今日は終わりました。

 さあ、これから、どうなるかなあ。映画コーヴが、日本人にとっては切なくて、いやな映画であっても、それが、言論の自由のひとつとして、日本で、上映されなくてはなりません。ところで、映画コーヴは十分以上に面白いので、大変に厄介です。特に主役のオバリー氏に『いるか漁は悪いことだ』という信念があるので、説得力が高くなります。

 私が敵にすさまじい勢いで弾圧をされるのも、そこが共通するポイントかもしれないのです。私は一見するとやさ女(やさおとこではない)です。が、本当の男性と見まがうように堅固なところも持っているのです。信念に裏打ちされた堅固さです。今対峙している敵側のおっちょこちょい振りを考えると、私の方がしっかりしているという面もあると感じています。

 ところで、コーヴに比較をすれば、映画『靖国』は、音声が悪くて、それに途中で悪意が見え見えなので、かえって、反面教師となっていて、靖国神社と小泉さんに同情することとなります。が、コ-ヴの方は有無を言わさずに、太地町の漁師たちが悪人と見えます。

 海外で上映されたら、完璧に日本人が野蛮で悪人と見えます。だけど、超がつくほど面白いので、大変なことになりました。でも、ちょっとどうしようもないのは、日本の資金を使っていないことです。文化庁(最近では、芸術文化振興会ということとなっている、外郭団体が映画への助成金を出すこととなっている)が、支援をしているわけでもないので、どうにも上映を阻止する手段がないのです。困ったものです。

 一方で、L.カラックス監督の映画『TOKYO』はそれほど、単純ではありません。暗喩に満ちていて難しいと思われています。それで、それをわかった振りをすることが、モダンで進んでいて、かつ賢いとみなされるのでしょう。おしゃれな、(と、自称をしているらしい)評論家たちが、ほめまくっていますが、大きな問題を含んでいます。

 ともかく、6月のはじめには、映画『TOKYO』に関しては、一切の情報がインターネットの世界からは、消えておりました。三話目を担当したボンジュノ監督のwikipediaにも、二作目に登場した俳優陣、石橋蓮司氏や、島田久作氏のホーム頁からも消えておりました。三話目に出演した香川照之氏のホーム頁からも情報は消えていました。

 しかし、私側のその試作本の編集やデザイン化が進むにつれ、Piecies of Tokyo というDVDが販売されていることと、インターネット上の情報が変化して来ました。こうなるから、自分を大人物だとみなしたくなってしまいます。だって、手に取るようにその変化の理由が、理解できるからです。
 しかし、そのDVDは値段が、1800円弱ですので、Piciesという題名どおりに、断片的に、一部分が提示されているのでしょう。となると、問題のシーンは隠してあるはずです。ずるいですね。しかも、外国では、全部が上映される可能性はあります。だから、日本人が今でも戦闘的で、野蛮であるという宣伝になってしまいます。大変困った映画です。

 しかも、その省略DVDは、私が注文しても注文用画面が最後までは進行しません。購買を妨害されているわけです。

 このようにして、映画も利用されて、四方八方から、その心が蹂躙され、傷つけられ、辱められているのが現在の日本と、日本人です。それに気がついてしまった私は個人的には、大弾圧を受けて、大損をしているわけです。・・・・・でも、使命感に燃えて元気ですよ。元気、元気です。相対的に誰かと比較して元気というわけではなくて、私自身の内部では、数年前に比べれば、元気になったと言うことです。すべの裏表が見えてしまったので、明快になってきていて、したがって、元気になりました。理由や因果関係が、わからなかった時期もあって、そういうときには、これらの被害に、参っていましたが、今はすっかり解消して、元気です。では、今日はこれで。
 午前二時半で、まだ、夕飯も食べていませんので。
                2010年7月27日午前、三時二十分  

********************

追記;1 前書き

 ありがたいことに、本日横浜の東京芸大・大学院、映像研究科から、お電話がありました。ということは、上の文章内で、文部科学省の警備体制に、大いに不満を感じたと述べていますが、最終的には情報が入ったということで、担当者、(国立)大学法人関係の第二支援課の方は職務を全うしてくださったわけです。それは、感謝申し上げます。

 本日の朝お電話を下さった方は、教務畑の方ではなくて、事務畑の方だそうです。ですから情報は整理されているもので、それを、逐一記録していく作業は罫線*****より上の文章とは、テーストが変わってきますが、それは、お許しくださいませ。ただし、内容は正しく伝えるつもりですが、電話の言葉をストレートに書き記すのではなくて、私なりの、文章に変換はしております。

追記2、本文

 芸大の内部に、『将来構想委員会』というものがあるそうです。そこで、芸術の新しい分野である映画、テレビ、アニメ等を学び研究する新学科の設立が検討をされ始めたそうです。その構想は平成14年ごろから相当に具体化し始めました。

 と、同時進行的に、横浜市が、映像文化都市構想、および、芸術文化都市構想というものを立ち上げて、そちら側から芸大に対して、働きかけがあったそうです。

 それで、東京芸大と、横浜市の連携協力に関する協定書というのが、交わされ、横浜市の持ち物である通称バンク(元は銀行の支店だった)を使うことが大体決まり、

 文部(科学)省へ平成16年に設置申請を出して、
 平成17年に大学院の一部門として、映像研究科が設立をされたそうです。

 北野武、教授の実現の前に、複数の候補があったが、最終的には、北野氏が選任をされました。芸能活動もあるので、集中講義をする特認教授という形だそうです。

 私がどうして、こういう質問をそちらに投げかけたかの動機は、ちゃんと説明をする必要があると感じました。電話で情報を教えてくださった方は、映画TOKYOは、ごらんになっていないそうで、私が何を問題としているのかについては、ご意見はない方でしたが、
 ここの映像研究科と、L.カラックス監督との付き合いの始まりは、教えてもらえました。誰かがここを使うように示唆したわけではなくて、映画撮影の前に、こちらをカラックス監督が訪れて、特別講義をなさったことがあって、そのとき、監督の方に、『ここを使いたいという構想が芽生えた』と考えられるそうです。

追記、3、私の真情、

 私はこの電話をいただいたことを相当以上に感謝しております。それで、今まで書いたことを訂正する必要もあると考えます。しかしです。今なお、一抹の懸念を捨て去ることができません。

 すべてはまっとうに整っているのですが、その裏に、国際交流基金の理事長の絵図があったりして。・・・・・・横浜市、芸大と、別々の働きかけが、統合をすると、結果として、北野武監督の、見事な洗浄化作戦へとつながるといえないこともないのです。だから、当時の中田市長へ働きかけがあったら、これらは、見事に整合性を持って、疑念がなく、進行することとなります。

 美術畑の人間にとって、それに触れるのはタブーかもしれませんが、横浜トリエンナーレの構想と、この芸大映像科設立の動きはすべて、軌をいつにしているからです。だから、国際協力基金の理事長の関与を疑わせます。

 この追記、3の部分を今日開示するかどうかについて、先ほど以来熟考を重ねていて、普段より、字数に比較すれば、書くことへの時間がかかっています。

 人と人との具体的な付き合いというものは書類で読み取るより重いです。以上の追記2の部分も誠実な対応として声だけですが、開示されたので、それを打ち消す、この追記3の部分を今日、27日の午前、11時四十六分に書くかどうかは、相当にためらいました。今午後5時近いですが、いまだにもたもたと整理している始末です。

 しかし、現在私が書き続けているテーマは大相撲壊滅作戦から発しています。ああいう流れがどうして起きるのかを身命を賭して書いているのです。大きな覚悟を持って書いています。その連続性を考えると、上の追記3は、書き加えないといけません。途中放棄した数々の話題も気にかかるし、私本来の美術の仕事もあるし、あらゆる、ジレンマの中で、『下品だ』と、批判されることも気にせずに書いている諸問題は、『大銀杏倒れる』から特に顕著に、・・・・・この現代日本の底流にあるもの、隠されているものを、追求する・・・・・という点に収斂していきます。

 一見、無関係にみえるものが、どこかで、一本に収斂する。そのかなめが、国際交流基金の理事長であったりする可能性は、大きいのです。

 もちろん、文部科学省の吏員さんも、芸大大学院の事務方さんも、日常の業務が忙しいでしょう。ですから、今ご自分が携わっている仕事の裏側などを探っている暇はないと思います。
 しかし、そここそ、私のディメリットでもあり、優位点でもあるのです。だから、先ほどから室内をたって、熊さんのように歩き回りながら、片手にお昼用に、メロンパンを薄くきったものをもってかじりながら、考え続けているのです。本当に重要なことを考える際は、いすに座っているよりも立って歩いたほうが、よりよく考えられます。

 で、結論として、この追記3を加えることと決めました。関係各位には、あしからずご了承をいただきたく、また、感謝至極であることも、お伝えしたいです。空々しく聞こえるかもしれませんが、一方では、本音でもあるのです。

 では、これで、本日の一本を終わらせていただきます。
   2010年7月27日              雨宮 舜(本名川崎千恵子)

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西原理恵子、に加えて、伊藤滋、村山弘義と税金のこと、

2010-07-25 09:27:58 | Weblog
 *記号でできた罫線以下は昨日深夜、アップして、9時間を経過しています。それに、前置きを(急にですが)、加えさせてくださいませ。

 理由は今朝の朝刊にあります。2010年7月25日に日経と朝日の朝刊を見ると、相撲疑惑関係の記事が一切ありません。これは、昨日、私がアップした、「若い父子の花火・・・・」という文章の後半に、警察(または、、国際的軍産共同体)が実行した恐るべき、悪が、しっかりと、実例を伴って書いてあるがために、急におびえたらしくて、悪辣な試み(今回は大相撲壊滅作戦)を引っ込めたのです。

 しかし、木曜日、金曜日と、土曜日には、その種の記事が復活していました。元若島津が何とか、かんとかで、大騒ぎになっていました。また土曜日には、伊藤座長まで再登場しました。これは、

 22日と23日に、私がしっかりしたもの(疑惑の裏側の汚さを分析する論)を書かなかったわけです。特に、その裏に、隠微な、脅迫行為がいろいろ重なっておりますので、彼らは、そちらが成功して、彼女は抑え始めたと、勘違いをした模様です。本当に手に取るように、彼らの心情はわかります。

 が、もちろんのこと、私はおびえたから書かなったのではなくて、自分の体調と相談をしながら、書いたり書かなかったりしているわけです。ああいうものでも、相当に体力を消耗しますので、今は暑いですし。

 昨日のものも、実は重要な証言が含まれています。しかし、最初は、小さな子供の花火から始まりますので、たいしたものではないと誤解を受けているでしょう。特に妨害を受けていて、書いている最中から誤変換に直されてしまいますので、読みにくいことおびただしいと、自分でも感じています。が、これも彼らの狙いですから、大変な時間をかけて、ほぼ、五分の四程度は、直しておきました。

 最初は、読みにくくていらっしゃったと思います。変装が、返送となっていたり、蒲田が、鎌田になっていたり、鎌倉が、釜楽になっていたりしましたので。

 だけど、そこには、またまた、驚くべき、警察の悪が書き表されているのです。小林篤生さんという《物理を、ICUで、学んだ人》が、別名で販売している中小企業向けのソフトを破壊しています。販売直後、バグが入ったとのことで、彼は、非常に消耗をしました。重要な手術後一年以内のことだったので、ひどい話です。そういう実例を巨乳がどうしたこうしたとの下世話な話題の後で、そっと静かに、挿入してあります。そこがいうにいわれぬ、私固有の文章作法なのです。どうか、そこを見破りながら、お読み進めいただきたいものです。長いものほど、読みにくくはあるが、重要な内容となっています。特に実例が書いてありますので、説得力があるはずです。

 私の文章って、奥に行くほど、深いのですよ。驚くべき真実は奥の奥、最後の方にそっと秘めてあります。

 でもね。今一番重要な急務は、伊藤滋座長にしろ、村山理事長代行にしろ、ご自分の名声や肩書きは税金によって涵養された人間であることにしっかりと注目すべきことなのです。かれらは、国民も税金によって、今の地位を確保しているのに、国民総体を裏切っている人間です。小さなコネとか、義理に動かされて大儀を見失っている、ある種のしば加算なのです。

 。国民大多数にとって、悲しむべきことである大相撲壊滅作戦に、彼らが重要な、しかも怪訝な形の旗振りとして、急に表に出てきていることを、究明すべきことなのです。大・マスコミは矛先が間違っていますよ。与えられたえさにだけ食いつくのは、ジャーナリストとして、きわめて怠慢です。

 二人とも東大を卒業しているのではないかと思われますが、中央大学法学部卒業で(司法試験には受からなかった、もしくは挑戦さえしなかった、しかし、法律を悪用して、もと、愛人の個人的な失敗を公費で補填しまくっている)伊藤玄二郎、および、井上ひさし(上智大学、卒業で、しかし、ほとんど授業には出ていなかったといわれる。その上、表面は有名人でありながら、裏では、国際的軍産共同体への、悪辣な案の企画者である)、の二人羽織の影響下で生まれた企画にのっとって、国民を裏切り続けているわけです。

 上の一節の人物説明部分は、下品だと自分でも思います。しかし、彼らの発案で、五億円近い損害をすでに受けている私には、それを断言してもよい資格があるでしょう。今までもそれを書いてきましたが、これからも、たくさんの実例でそれを証明していくつもりです。

 もし、かけなくなったり、したら、それこそ、彼らのあくの証明ですが、今でもすでに、パソコンの変調という形で、相当な妨害は受けております。毎日です。
 

 ところで、世間的にはえらい人であると目されている、伊藤滋氏や、村山弘義氏が、ワイフビーターで、あり、猫を焼き殺し、フランス座でストリップの脚本を書いていた、井上ひさし、に繰られているお人形であるとのこと、・・・・・それは恐ろしいことだが、こっけいなことでもあるのです。

 パソコンないメモとしてだけでも、村山弘義氏の代議万と大失敗に書いただけで、急に彼が引っ込んで、伊藤滋が再び引っ張り出されたことを見ても、この騒動がいかに、ちっぽけな頭脳から、搾り出された荒い案であるかがわかります。警察はメール電話、銀行の出頭記録等、すべてを、ハッキングしていますので、この日本に住むどんな人物の行動もすでに把握をしています。

 それを、どの時点で、どう暴き、国民を支配し、弾圧をすることに、利用するかの企画が、伊藤玄二郎と、井上ひさし、の二人羽織にまかされているのです。

 で、西原さんについて、書いた、文章の前書きとして、これら上の言葉を加えさせていただきます。

 テーマとしては、この二つは、関係がありませんが、タイミングとして、今朝の朝刊を見ると、これを、書かざるを得ませんので。この前言、部分のみ、25日の、9:30分に追加します。追加前の以下の文章は、午前、零時に書いたものです。一日に一回の更新と、決めましたので、こういう風にテーマが異なったものが、一本の中に含まれている形に、なります。どうか、よろしくお願いをいたします。

**************


 皆さんはご存知でしたか? 毎日かあさんという、毎日新聞で(たぶんですが、火曜日に)連載している漫画を、インターネットで無料で見ることができるのは。もちろん、全部が無料で読めるわけではなくて、二回に一回分です。それに、私が気がついて、すでに、6回ぐらい拝見していますが、どんどん、サービスが少なくなっていて、毎日新聞ウエブサイトでも、アイコンが見つからない状態になりました。が、検索ランなどを利用して、なんとか、入り込んで読んだのが、表題に出ているお買い物という一篇です。ごく最近のもの。まあ、ただで読んでは著者の西原さんと毎日新聞の両方に悪いと思いますが、面白いものなので楽しみにしてみています。

 今度小泉今日子と、永瀬正敏で、映画化されるそうです。ちょっと二人とも、実在の人物と、造形的イメージが違いますが、演技は上手な人たちだから、よい映画となるでしょう。期待します。

 我が家は、日経新聞に変更する前は毎日新聞を取っていましたので、紙の上でも、愛読している漫画でした。一週間に一回ですから、西原理恵子さんも力を入れています。スペースも大きくて、カラーですし。
 今、朝日新聞の週末付録に山科けいすけさんという漫画家が、やはり、ギャグ漫画を連載していて、それも、特にアイデアとかコンセプトが秀逸です。絵はいまだし(?????)
 ただ、4こま漫画ですから、扱いは、こちらの方はまだ小さいです。が、こちらも一週間に一回なので、アイデアが枯渇しないで、進行できるのでしょう。それはギャグ漫画家にとっては、幸せなことかもしれません。

 二人の違いは西原さんの方が、最近では子育て、または、ご自分の家族に特化して、話題を提供しているところです。そのことは、結構です。ご主人が亡くなっていますし、誰か大勢の人と一緒に協力して子育てをしたいと考えていらっしゃるのもわかりますし、・・・・・ウエブ上では、感想の書き込みができるみたいですし、読者を含んでの大家族というわけでしょう。

 西原さん自身は、大変な努力をなさっておられるでしょう。仕事量は膨大だと思うのに、ママともづきあいもやっておられるみたいだし。

 ところで、これから先に書くことは西原さんへの批判では、まったくないのです。ただ、気がついたという点であり、実は西原さんも、すでに気がついておられるはずです。だから批判ではないのです。

 で、ある程度改善をされたほうがよいとは思うものの、実際には、忙しくて改善できない話だと思いますが、あの賢い西原さんといえども偏愛の問題からは、自由ではないということなのです。その結果、下のお嬢さんが、とても、賢いお子さんになってしまっています。

 私自身が、その賢い子、というか、優等生で、親の手のかからない子供のほうだったので、ちょっと、お嬢様の小さな心の中にあるであろう、実存的な悲しみみたいなものに、気がついてしまいました。

 また、それを、おかあさん自身も気がついていて、それを漫画にできることもすごいことですが・・・・・一種の哲学的な問題を提示してあります。

 お父さんがなくなっているからこそ、女の子は愛情不足を感じがちでしょう。西原さんも女親だから、ご長男の方をかわいいと思っていらっしゃるのが、ごく、ごく、間接的にですが漫画を読んでいると、察せられます。それはおにいちゃんの方が主題になっているときは、普通のギャグ漫画となっていることが多くて、単純に笑えるからです。
~~~~~~~~~~

 NHKで、黒崎アナが司会をしている番組(月曜日、夜の10時から)に西原さんが登場されたことがあって、きれいなふくよかな方でした。ご主人とのいろいろも感銘を受けるお話でしたが、それには、本日は触れません。

 なくなったご主人、鴨志田穣さんがエッセイを書き、西原さんが挿絵を書いて、コンビを組んで、発刊された本は、図書館などには備えられている模様です。講談社だったかな?

 今日はごく簡単な書き方で恐れ入ります。前の日と、連続性がありませんが、長いものは一日おきに書くかなと、思ったりして、いて、・・・・・

 時には政治のことも忘れたいし・・・・・ただ、こういう控えめな文章を書いた途端に、大相撲がまたまた、あしざまにニュースとして、取り上げられるので、困ってしまいますが、それは、それで、また、ゆっくりと、かつ、神様が書かせて下さる日に、書きましょう。私の文章は努力してできているものではなくて、自然に天から降りてくるという形でできています。

 注文を受けて書いているわけでもないし、報酬をもらっているわけでもないから、ほんとに思いが充実した日に書くことを自分に命じています。そういう自由自在さは、大切だし許されるであろうと、自認をしています。そういうわけで、前日との、非連続性を、お許しくださいませ。

 ところで、まったく話は変わりますが、グーグルの飾りロゴ、ミュシャ生誕150年記念篇は美しかったですね。

   2010年7月25日                    雨宮 舜
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若いお父さんと、幼児の花火、・・・・・→前田建設へ、

2010-07-24 00:00:13 | Weblog
 今日の文章の結論を申し上げますと、公金の濫費の象徴でもあった、小町通の共同溝工事は、いよいよ、本格化して、無駄遣いではなくなる可能性が出てきたということです。私の文章の影響でしょうが、本日の時点でそれを、公開しておき、書き記しておかせてくださいませ。と、前置きをさせていただき、今日の本文に入りますが、導入は、昨日の東上線・常盤台駅近辺の公園から始まります。
~~~~~~~~~~

 都内の公園のそばを歩いていたときのことです。赤い花火がぱちぱちと燃えています。で、近づいてみると幼児と大人がかく一人ずつです。そのことについて、相当なレベルで感心しました。『えらいなあ』と思って。

 というのも一人で、公園で花火をするということはなかなか、大変なことなのです。かといって誰かと一緒に花火をするような体制というのも一朝一夕にできるものでもなくて、仕事をしているご両親の元で育つ、小さい子が、友達がいなくても、親子二人だけでも、公園で花火をするのは、楽しいことでしょうから、子供にとっては、素敵なことです。

 最初はお母さんと一緒にやっているのだと思っていました。それで私は若いお母さんを応援したくて、声をかけたのです。(このことについては後述*1へ続く)

 「わあ、楽しそうねえ」と大きな声で。それによって二人の緊張がほぐれて、会話が始まるといいなあと思ったからです。ところが反応がありません。で、2,3言葉を続けたあとで、「僕、本当にいいねえ。花火やってもらって。あ、ところで、僕って、女の子かな?」といったのです。するとおやごさんの方が、「男の子です」と答えたのです。その声にびっくり、お父さんだったからです。

 で、昨夜の私はそこから始まって、子育てとか、人生についての非常に叙情的な文章を展開するつもりでした。そして、西原理恵子さんに達する予定でした。それもまた一興ですが、今日はまったく新しい発想が浮かんでいます。

 で、まず、叙情的な部分を一まとめさせてくださいませ。

 私はまず、自分が人生をはるばると、旅してきたことを思いいたったのです。この若いお父さんが変わっているのではなくて、普通であり、こちらが、おばさん特有の庶民的な感覚を発揮しただけなのですが、それでも、私こそ、この若いおとうさん以上に緊張するタイプでした。知らない人と会話をすることなどまったくできなかったのです。

 新婚当時アパートにお風呂がなくて、銭湯へ行ったのですが、女性がみんなものすごいレベルで巨乳であり、かつさばさばしていて、打ち溶け合っているのに、圧倒をされたものです。銭湯に行くのが恐怖の的になっていました。大学の時の寮でも共同風呂へ入ったのですが、あれほどの、巨乳の軍団ではなかったのです。本当に圧倒をされました。

 そのころの自分自身の二十才台を考えると、はるかに旅をしてきた(精神的にという意味で)と感じます。
~~~~~~~~~~
 ところで、その和解お父さんに出会った、15分前の情景に戻らせてくださいませ。

 昨日、(2010年の7月の23日)は東上線の常盤台にある母の老人ホームを見舞ったのです。すると、川越街道のローソンの対岸で、例のごとく工事をしていました。《これが、二日前に、安藤警視総監に一種の公開質問状を出したことへの返事ですね》と判断した私は工事責任者に質問を連発したのです。「いつ、注文を受けたのですか?、それは、ファックスで来ましたか? それとも、メールですか?」とか。すると相手はしどろもどろです。で、私が推察するに、警察関係者が、変装をしていると思われるガードマンが、助け舟を出し始めました。

 で、「工事は、東京電力の、地下導線保守工事というものだ」そうですが、「どこからなんと言う名前の人が担当発注者として、注文書を出したのですか?」とさらに質問を続けると、「大塚支社だ」そうです。が、もう泡をくったというかんじですから、開放をしてあげてさらに進んでいきました。上を見上げると確かに、電柱がありません。

 その工事も最近の三年間以内行われたものですが、鎌倉の共同溝工事に比べると圧倒的な速さで完成していて、『やはり、鎌倉はおかしいなあ』と思いつつ、さらに進んでいくと、狭い道路で、夜なのに、パソコンをあけた三人の若手のビジネスマンが、仕事をしているのです。しかもお互いに黙りこくったまま。私は、《は、はーん。これも、安藤警視総監からの答えのひとつですね》と判断しました。(その判断基準については、後述*2)

 (*1に続く)しかし、その直後に、公園にいた若い父子に、声をかけるのですから、それが私のすごいところなのです。心をさっと、変換して毒素を、払い去り、神の恩寵に身をゆだねるところがすごいのです。自分で自慢をしても、どうしようもないのですが、それが、私の現在の実際です。そしてさまざまな判断を哲学的にかつ、心理学的に進めます。

 さて、若い父子にであって心をすっかり洗い去り、老人ホームに到達しました。呼び鈴を押します。だれも出てきません。これが、私が、NTTも国際的軍産共同体に支配をされているという論拠のひとつです。我が家の電話も主人のオフィスも、それから、私が連絡を取る必要のある、ありと、あらゆる電話は盗聴をされており、かつ、こんな些細なことでも、「困らせてやれ」というのがおっちょこちょいの彼らの発案なのです。母の見舞いへ行っても、老人ホームには入れない。で、「ざまあみろ、警視総監に公開質問状を出すなんていう生意気なやつは、懲らしめてやるんだ。へ、へ、へ。笑ってやれー」というのが彼らの発案です。

 もう同じことを何でも、繰り返されているので、かれらが、どう出てくるかは推定できます。たまたま、別の職員さんが通りかかってあけてもらえましたが、この母の見舞いはすこぶるつきで、悪利用をされていて、それゆえに、母の個室でも、応接間でも、ほとんど、気を許した会話ができません。

 「あ、おかあさんのおっぱいって、大きいんだね。さすが、自分のお乳で子育てをした人だ」とある日、いいますと、すぐさま《NHKがみんなの歌のDVD回収をした》というニュースが流れます。回収の理由は、サブリミナル効果として、おばあちゃんの若いころのおっぱいの映像がアニメで入っていることが、子供への教育的効果として問題だったそうです。

 しかし、目的は、私がその裏側の真の目的を、感じとることにあります。つまり、自分が盗聴に囲まれていて、行動に一切の自由がないことを、気がつくことが目的です。回りまわっていますが、真の目的はそこにあります。でね。そのいじめによって、気が弱くなり書くことをやめるのが目的です。

 だから、私は時々、被害総額が5千万円を越えるとか、五億円を超えると、パソコンないメモで書いています。そして、一番問題なのは、私に対して、トライアルとして行われた脅迫行為の数々は、成功するものとして、日本国民全体に対しても行われているということなのです。

 その嚆矢は、大相撲壊滅作戦でしたが、今、金賢妃・元・北朝鮮工作員が軽井沢に来ているのも、民主党政権への、てこ入れ=国民的人気回復作戦=でしょうし、小泉さんの北朝鮮電撃訪問を、真似している作戦です。すぐぴんと来ます。ただし、ブログでそれを問題にはしていませんね。忙しすぎるので、あれこれ、全部を論じることはできません。
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 元に戻れば、それら偽装が、どうして見破られるとかというと、何度も同じことが繰り返されているからです。その詳細をここに書きたいぐらいですが、そうすると、また、これが一本でも長大になるので、ひとつだけあげておくと、例の八幡宮様の、特別な駐車場、から、夜の12時過ぎに、若いめがねの男が携帯を使いながら出てきたときがあって、私が誰何したことがあるのです。

 かれは、「鶯吟亭の駐車場の管理をしていたのです」と答えましたが、もともと、「一般の人は入れません」という注意書きがある駐車場で、しかももともと、管理人のいない場所です。そんな場所で真夜中に管理していますですって、みえみえのうそです。
 かれが携帯を使っていたのは、八幡宮の正面、入り口、三の鳥居のところに、隠れて彼の直属の上司と思われる人物がいて、そちらも携帯をつかっていましたから、「彼女が今、ここをとったから、云々かんぬん」と言う命令的な連絡を受けていたのでしょう。

 さて、私は蒲田田在住の小林篤生という、大学(ICU)時代の後輩でもあり、姻戚関係で義弟にあたる人を訪ねた帰りだったのです。小林君は、当時、禅に関する論調のある本を作りたがっていました。いわゆる私費出版社に頼むと、一頁あたり、一万円が取られるので、「川崎(雨宮の本名)さん、安く作れる方法はない」と相談を受けていたのです。

 もちろん、電話は盗聴をされていますので、例の悪人どもが早速、悪さを仕掛けてきました。小林君が作っている売り物の商品を壊してきたのです。小林君は別名を使って、ソフトを作っています。中小企業向けに売るソフトです。だから、これは彼の生活圏を脅かす問題です。本当に笑い事ではない問題です。しかも、最初はおっちょこちょいが何やらを計画して、それが、ばれないと思っていたのに、ばれたから、追い詰められていて、次から次へと悪さを思いつくという循環になっています。それをきちんと解明しないといけません。

 しかも源泉は、ご近所の石川和子女史とその夫(戸籍上の名前は柳沢である)のへまから始まっていて、しかも、その関係者である伊藤玄二郎鎌倉春秋社・社長を擁護するために派生している問題ですから、怒りは頂点に達しています。

 その日は蒲田駅のエスカレーターとエレベーターが故障中であって、しかも京浜東北は、目の前で、故障しました。私は歩いて京浜急行に出て大回りをして鎌倉まで帰ったのです。夜の12時に達してしまいましたが、蒲田の道でも、ランナーを装ったり、タクシーの運転手どうしが、休憩をしているという偽装で、警察に追われていると感じました。しかも鎌倉に帰っても、自宅の直下である八幡宮様の駐車場にも警察関係者が隠れているという始末です。

 特に怒りが頂点に達したのは、物理を学んだ小林君の売り物商品を壊されたことなのです。一方で、前にあげた、酒井忠康、栗田玲子、山本容子、前田清子(+その夫祝一氏)、井上ひさし、伊藤玄二郎、等には、抜群の厚遇が用意されているということです。

 それなら、みなさんは、「あなただって、その優遇をされている側に立ったらよいのではないですか。それがうらやましいって言うことはないのですか}とおっしゃるでしょう。それについては、前にすでに述べていると思います。
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 で、ここでは次の段階へいきます。上にあげた悪人どもについて詳細を語る必要もありますが、それは100回を超える見込みなので、ここではおいておいて、昨夜の鎌倉へ入ります。鎌倉の小町通の工事は、例のごとく、延々と無駄なことをやっている見込みですが、
 昨日は一つだけ、違ったポイントがありました。

 受注業者がいつもの、大明建設ではなくて、斉藤建設だったことです。その看板を見た後で、さらに進んでいくと、作業服の男性が一人でこちらに向かってきたので、「現場監督は誰ですか?」と質問をすると、「私です」との答えです。

 それで、例のごとく、さまざまな質問を繰り出していきました。するとふとですが、彼が「私は前田建設に勤めていたのです」と答えます。すぐ事態がよめました。つまり、偽者として始まった、この共同溝工事が、いよいよ本格化したということです。

 つまり、大変な市民税もしくは県民税、もしくは国庫予算の無駄遣いの挙句、私が、伊藤玄二郎および、それに動かされておられる鶴岡八幡宮の裏側まで、書き始めたので、一番のがんとなってしまっているここを、改善しようとしている・・・・・その変化に(彼らも?)私も両者とも、気がついたというわけです。

 その男性は面立ちが紳士的であり、私が「前田建設って、一部上場ですよね」と質問をかけると「ええ、ゼネコンです」と答えたので、共同溝工事の経験者だと感じました。大卒の技術やさんというわけでしょう。斉藤建設と前田建設の大きさの違いは、たとえてみれば、巨象と、ねずみぐらいの差があります。使う機材と、材料は同じでも、経験がまるでなかった斉藤建設(鎌倉市内のビルやら個人住宅を作るのが主な仕事であった)にとうとう、しっかりした人材が投入されたというわけでしょう。

 ちょっとまだ、終わりませんが、お昼を食べますので、午後二時ごろまでお待ちくださいませ。疲れました。では、よろしく。さて、お昼を食べ終わりました。再開をいたします。今日の文章は叙情的なところで始まりましたが、またしても骨子は政治に突き当たりました。説明が不十分です。読社を納得をさせるためには、この一千倍の文章を書かなければなりませんが、要するに敵方の脅迫用・主要なアイテムでもあった、小町通の共同溝工事が、いよいよ本当のものに、変化をし始めたと、言うことです。

 それに、私が気がついていて、ここで明記をしておかないと、後で、「うそを言っていた」と攻められる可能性がありますので、きちんと申し上げておきます。

 なお、今日はじめて、その名前が登場した、小林篤生さんの本、『無門関の答え』=禅に関する書物=は、大宝輪閣というところから、無事に出版をされました。そして謝意も示されています。「別のところから出版したけれど、川崎さん(雨宮の本名う)に教えてもらったことは大きい、あれが、あったから、出版にこぎつけた」とも。謝礼も寸志ですがいただいている。ただし、途中で、義妹である小林夫人と、電話で、大喧嘩をする羽目になってしまいました。私は盗聴をされていることを知っていて、けんかをしたのです。あらゆることを理性的におこなってはいます。が、まあ、こういうことも敵側のいやみたっぷりな攻撃の結果として生来することですから、怒りは深いです。だから、被害は総計五億円に達します。 

 一応今日の文章はここで、終わらせていただきます。次の行動に移らないといけません。今日が終わってしまいますので。一寸の虫にも五部の魂とよく言います。私にだって、個人的な生活はあります。そして、憲法の下、石川女子負債と同じぐらいの行動の自由は、保障されているはずですよね。

 私は悪人ではないのですよ。圧倒的に被害者です。あらゆる側面で被害者です。大掛かりな設定をロウしていますが、発生源は、あるわがままな女性の驚天動地な生活から発していますので、怒りは深いです。しかし、怒りだけで人生が終わっては損ですよね。それぐらいは、わかっております。では。

             2010年7月24日  雨宮 舜
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昨日、コーヴをみて来ましたが、

2010-07-23 12:48:53 | Weblog
 おそれいります。こちとら、非常にいそがしくてしております。今作り始めている本に必要な映画のプログラム類が盗まれてしまっていますので、その件で忙しいのです。


 最近ずっと長いものを書いてまいりました。7月12日からは、選挙結果、を独自に分析しています。今週の週刊朝日など、二週間前に企画立案されたと思いますが、

 相変わらずの朝日新聞の主張、『小沢さま、大切です』であり、憤懣ものとして、きわまりなく、くそみたいにふるい情報に基づいた記事でしょう。座談会のけいしきのようですが・・・・・こんなに、彼の失敗が明らかになっても、まだ、小沢待望論の提示ですが、

 別のところに、公の会議に遅刻しているばかりである、原口  氏(ビート武の政治番組の常連だった)を総理にという提案も出ていました。

 小沢一派のかく乱でしょうが、「ふてくされるのも、いい加減にしなさい。政治をおもちゃにしていると、あなた方こそ、いっぺんに国民から捨てられますよ。もう、偽装も欺もうも聞きませんよ」とお尻ペンペンでしたいですが、それは、政治家に対してですが、頭をごつんとやってやりたい、編集者たちもいっぱいいます。

かれらは、『ペンは剣よりも強し』どころか、剣に、言うままに支配をされていて、ぐうたら記事を書いて、自分だけは、時間が楽で、収入の高い、評論家になって行きマスコミセレブになりたいと願っている育ちのわるい腰弱な連中です。
   原口総理大臣ですって。本当に、笑うもおこがましい企画です。

 週刊朝日は、偏頗しきっていて、社会に存在している事実とも、ちっとも合っておりません。が、週刊朝日は、影で、小沢氏本人に動かされています。小沢元民主党幹事長とは、この国の国民を精神的にも経済的にも苦しめていく、国際的コングロマリットの超が、つくほどの、愛息子であり かれが、うごめくときに、日本人は苦しむのです。そのことをこれから、さらに、具体的に、各方面の微細な現象を分析しながら、説明をしていきましょう。ご期待くださいませ。
 私がそれを、書き続けているから、小沢氏はテレビに登場しません。7月8日以来ですね。こうかくと、きっと出てきますよ。となると、上の文章はあたりとなります。正しいとなります。
 ちょっと、間隔があくかもしれませんが最低でも二日に一回は、なんらかの消息をお教えいたします。2010年7月23日     雨宮 舜


なお、7月16日からは、大銀杏倒れると、いって、合計原稿用紙換算、100枚程度のまとまりをアップしています。下にスクロールをしていただけますと、16日が1、で18日、20日、21日、と続いています。どうか、それらもよろしく。

 なお、特にこの一週間忙しいのは、データを隠されているからです。これも、重要な言論弾圧の手段ですから、また、きちんと書いていきます。

 ところで、安藤警視総監から、公開質問状への答えがありませんね。これから、こういう異常な現象は必ず、写真を撮っておきましょう。すると、どうなるか?な?
                      2010年7月23日   雨宮 舜
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そこは、猛煙の出る場所で、(鎌倉の裏話-4)

2010-07-21 10:31:53 | Weblog
 さて、最初に、結論をまとめてしまいます。鶯吟亭という瀟洒なお屋敷を八幡宮様がお買いになった裏側には、やはり、国際的軍産共同体の悪意が隠されていたということに気がついたという文章です。それを、知っていらっしゃって自覚的になさったのか、無自覚にただ、動かされてしまったかは知りませんが、国民大衆を裏切る方向で五段階ぐらい、行動を重ねておられます。『だから、大銀杏も倒れるわねえ』というのが結論です。
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 八幡宮さまが、あのお屋敷をお買いになったことは、私は最初は何も疑問を抱きませんでした。むしろ、現在の宮司である吉田さんがなさった、もっとも有意義な事かなあと思っていたぐらいです。というのも、そちらは、昔は、八幡宮の地所だった可能性があるからです。吉田宮司はもともとの財産を買いなおした中興の祖であると、いうこととなりますので。

 明治維新政府がやったことは、プラス、マイナス両方向があったと思いますが、廃仏棄釈こそ、悪政のひとつで大勢の人の生活を苦しめたことだったでしょう。八幡宮様はいまでこそ、100%の神社ですが、江戸時代までは、ほとんど、日光の神域と等しい形で、仏教関係の施設があったはずです。日光に対してはさすがに明治政府も、ほうっておいた可能性があり、神仏混合の気配が色濃く残っていますが、鶴岡八幡宮はすっかり整理されていて、神社系統の建物しか残っておらず、たぶんですが、神域も狭まった可能性はあるのです。でも、再獲得をなさるのなら、それは、立派な宮司ということになります。

 しかし、この7月19日に私は突然ですが、『あ、これも裏に、国際的軍産共同体の手が入っているかも』と気がつくことになりました。その論拠の説明は、非常に込み入っていますが、丁寧に少しずつ書き表させてくださいませ。
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1、所有権の移転が、非公開めいていた。

 まず、第一の論拠ですが、前の持ち主である土建業者X氏から八幡宮へ移転されたときに、その情報がほとんど非公開に近かったことです。そりゃあ、誰でも、お高い物件を買ったら、秘密にしたくなるのは通りですが、それにしても我が家は地境地主ですから、その確認程度には、ご訪問があるはずですが、なかったですね。それがまずおかしいのと、鶯吟亭が、ほとんど使われていないことも変でした。ここで、私がどんどん、ばりばり裏を書いちゃったので、それを否定するために、これからは、そこが使用される可能性はありますが、いままではほとんど、人の出入りがなくて、一種の宝の持ち腐れになっていたのです。
 私は好意的に、「エリザベス女王クラスの、セレブが来訪されたときに使うのであろう」と一回述べておりますが、ほとんどの日には門を閉じてあり、人の気配がありません。


2、前の持ち主、X氏は、ここを大変好んでいて、もとからあった日本庭園をさらに充実させていた。だから、彼が手放すということ自体が、おかしいのです。その庭園は、駐車場などに改変するには、もったいないほどきれいだし、30メートルを越す高さのクレーンを用いて、大きな庭石も運び込んでいたのに、執着を捨てたのが変です。

3、彼は自宅を別に持っている人で、ベンツで週末だけここにやってきていました。焚き火が大好きで、たまたま、彼が焚き火をやっている最中にそばを通ったことがありますが、エネルギッシュな感じの大男で、別荘ライフを楽しんでいることをうかがわせました。ちょっと、酒に酔ったスペイン人という風情です。てかてかに頬が光っていて、脂ぎった赤ら顔でした。
 夏は直径が三メートルの大山に盛り上げた夏草を燃します。水分が多いので、白い煙は30メートル以上の高さのある我が家まで達します。

 冬は、落ち葉を燃やします。固執しているなと感じるほど、焚き火が好きで、彼が忙しくて来られないウィークデイは、おじさんめいた社員を常駐させて、山の掃除をさせて、落ち葉を集めていたほどです。

4、さてのことですが、彼は破産をしたのでありましょうか? だから、お金に逼迫して売ったのでしょうか?

 私は以上のような観察から、この持ち主がまるで少年みたいな感覚で、この別荘ライフを楽しんでいたのに、突然に、その焚き火が終わったときに、『変だなあ』とはいったんは、思っていたのです。が、ほかの事に忙しくて、さして、追求をしなかったのです。そして、『土建業者とか、建築業者って、景気に左右されるのだなあ。破産に近い経営状態になって、売るといったときに、こういうよい条件の物件は、不動産会社にはまわらず、駅前の三菱銀行が手配をして、結局は、秘密裏に、八幡宮様がお買いになったのだ』と判断をしていました。
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 しかし、今ではまったく異なる判断に達しています。=====彼は別に売りたくなかった。しかし、別の物件を提示され、しかもこの鶯吟亭が高く売れる見込みが出たので、売ることを了承をした。=====と。

 これから先は、私固有の例の見てきたようなうそをいいの類ですが、X氏は1億3000万円から、2億五千万円の間で買って、それに3000万円から5000万円の利ざやを乗せて売ったのだと感じています。

 で、代替する物件として、鎌倉山に、敷地が1000坪以上、2000坪までの別の邸宅を提示され、『あ、そうか、おれは、車を使う人間だから、駅から近くなくてもよいなあ。別の場所に移動をするか』ということとなったのでしょう。鎌倉山とは一区画の敷地が大きい、優良な住宅地ですが、人気の衰えている一帯です。それは、車社会の到来とともに、バスの便が少なくなったので、高齢の人にとっては住みにくい場所となってしまったからです。80以上の人など、お金持ちであっても、自分で運転しない人は多いと思います。だから、売り物が多い場所です。元社長といわれる人ほど、自分で運転することに慣れていないでしょうし。

 翻って、鶯吟亭のもっとも大きな特徴は駅から近いことです。実質、10分で駅まで到達できます。しかも坪数が、200坪以上、これはすさまじくよい物件で普通の形で売りに出したら、大きなうわさになるはずですが、煙程度の、噂さえ立ちませんでした。

 で、一般的な売買ではなくて、内々での所有権・移転だったと感じます。ただ、私が攻めたいポイントは値段の高い低いの問題ではありません。八幡宮様というのは、国庫補助金が出ている法人ではないと感じていますので、どんなお金の使い方をなさろうとそれは、自由でしょう。そこをついているわけではありません。
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 そうではなくて、これもまた、瀬島龍三、井上ひさし、伊藤玄二郎の三悪人が絡んだ、諜略行為として行われたと考えると、ぴったり来るので、そこを問題としたいのです。

 私は2003年に『山間の煙』というエッセイを書いています。その煙こそ、大問題で、実は鶯吟亭の持ち主だったX氏が出しているものでした。そのエッセイの効果を失わせることが、この売買の主たる目的だったでしょう。

 アメリカキササゲを伐採したのは、私の『二人だけの音楽会』というエッセイの跡地を読者がたどることを想定して、それを、無にさせるためでしょうし、小町通りの延々と終わらない共同溝工事は、『敷石を磨く男(これだけは未発表ですが、相当に面白い話となっているはずで、すでにお読みいただいている少数の方には好評です』を打ち消すためですし、

 禁煙運動の大きな盛り上がりは、『一本のタバコが落ちていて』をきっかけとして始まっていますし、今東京圏で多発している電車の遅延は、私の『嵐のために、跨線橋が渡れない』(2007年7月)をきっかけとして始まっていますし、

 井上ひさし、関連の番組がNHKで多数放映をされたのは、私が、パソコンないメモとして、2009年6月第三週水曜日のクローズアップ現代を問題にしていることから、起きていますが、

 かれが、そこで、太宰治に事寄せて、まったく無関係である、秋葉原の連続殺傷犯の携帯メールで書いた文章を、けなしたときに、『あっ』とすべてが、わかったのです。その放送はひとえに、私の『秋葉原の車椅子』というエッセイを、気にしていて、それに対する一種の打消しというか、反論???? として、制作をされた番組だと思います。いえ、反論でもないですね。反論にもなっていないことを以下に証明いたします。

 私はそのエッセイの中で、決して警察をけなしているわけでは無いのです。むしろそんなことには直接には触れないで、『あの大事件の後でも、秋葉原の勤め人たちは優しかった』と述べているだけです。

 しかし、警察が私のことを強烈に意識する、別の問題があったのです。それは、ハッキングをしている、または、泥棒をしているのが、警察であることです。これって、犯罪者でもない人間を相手として、人権蹂躙もいいところです。が、それを私が気がつくまいと思って長らく、いえ、今でも続けています。そのことが大問題なのです。私がすでに、その真実を推察していることが、文章のどこかに秘められていて、それが公開されると大変なので、警察は必死になって、私を自滅させようとたくらんだわけです。

 または、私がまだ、気がついていないと思って、その気がつかないうちに、自滅をさせようと願ったのかな? どうも、見ていると、やることなすこと単純です。これから、おいおいに書いていきますが、非常に単純なやり方をしますので、すぐわかります。隠してるつもりでも、あらゆるところで、その目的や行為の裏側が、尻尾として見えてしまっています。
 ともかく、私はこの山の中だけでも相当な被害を与えられている人間ですから、ハッキングの対象になるなど論外です。誰か、ほかの人に実害を与えた過去はありません。相手が先に被害を与えてくるから、それを分析することはあります。だから、先に被害を与えてこなければよいのです。ともかく、ハッキングや盗聴は、人権蹂躙もいいところです。

 だけど、それを実際に、警察がやってしまったのは、猫の問題と、アジサイ畑欺もう事件という二回のケースで、警察は、とんでもない失敗を、この山を舞台にすでに、やってしまい、その失敗を謝罪ではない形で、糊塗したいからでした。

 一方的な、かつ無法な形で、伊藤玄二郎の元愛人だった、(と彼女が自分で明らかにした)石川和子女史の味方をしてしまった過去があって、しかも、それを謝罪ができないというアンビバランツ(矛盾)に入り込んでしまっているからです。

 どうして謝罪をできないかというと、伊藤玄二郎が1985年以来、国際的軍産共同体に取り立てられ始めていて、今では相当に高位のエージェント化しているからです。だから、彼がどんなに失敗をしても、そちらを、警察は擁護しなければなりません。

 こここそ、日本が植民地化しているということの証拠です。植民地化していなければ、悪いことをした人間の方が、しょっぴかられるはずですね。石川和子女史の夫は、警察に大迷惑をかけている張本人として、かつ、電車事故の多発で、大勢の日本人に迷惑をかけている張本人としてテレビの前で謝罪でもしてほしいものです。私がインタビューアーをさせてください。

 私は総額、五億円にも上るとも思われる被害をすでに、受けていますので、絶対に質問をする資格があります。

 が、そうはならず、反対となっていて、今現在でも、私は引き続き警察に脅かされています。たとえば、朝の六時に国会図書館の前に到達しても、広い道路の反対側に機動隊の装甲車が二台待っているという始末です。私はバス停で50分ぐらい仕事をした後で、交差点まで戻って対岸に渡り、彼らを誰何しました。のらりくらりと返事をはぐらかしたけれど、とおりには私以外の車も人も通っておらず、安全で清潔なこと限りがないのです。また、国会も会期中ではないので、私を脅かすことを目的として待機していたことは確かです。
 ところで、また、脇へそれてしまいました。猫のことに戻りましょう。返さないので、仕方がないから、毎日迎えにいくことになります。で、行って、ドアをたたいても、冬のさなかでも、5分も待たせるほど、鈍重で、礼儀知らずな人間でした。そういう手合いの味方をなさるのですか?  安藤警視総監様は? ぜひ、あの二台の機動隊・装甲車の待機の目的と理由をお知らせくださいませ。 
 
 ちょっと激した言葉遣いになりました。三年ほど、彼女に翻弄をされ酷使されたので、今でも、怒り心頭に発してしまいます。しかも後日ほかの方向からも、ずっと損失を与え続けられていますので、怒りが、すっと、舞い戻ってきてしまいます。でも、まあ、冷静ですよ。冷静でないと文章などかけません。

 元に戻りましょう。この国際的軍産共同体とその配下になっている、警察というのは、両方とも、理性的でも、論理的でもなく、単純にして乱暴ですから、・・・・・

 もし、私がブログを公開できなくなったり、メルマガを配信できなくなったり、本を出版できなくなったりしたときは、この日本には、100%のレベルで、言論の自由も人権の保障さえなくなっていることの、証明になっているとお考えください。
~~~~~~~~~~

 さて、元に戻ります。私がもっとも得意とする書き方は、下世話な事実をあげながら証明を果たしていくことです。どうして、鶯吟亭を、八幡宮様が買わないといけなかったかというと、前の持ち主X氏が煙を出さないようにしてもらいたいからでした。が、それを、命令することができないであろうと判断したから、高い利ざやがもうかるというえさで釣って、追い出したわけです。

 彼は最初は自然の草木を燃やしていました。ところが、異臭もするし、煤も降り注ぐように変化してきて、それが、この山の町内会で、大騒ぎを引き起こしたからです。X氏は、途中からプラスチック製品を燃やし始めたのです。

 私が推定するに、彼は、建築業者ですから現場からプラスチックごみが出るわけです。今では工場で生産をされる流しとか、ガス台でも、薄いビニール袋に入れられた上で、段ボール箱に入っていますし、その段ホール箱はさらに、太くて強いビニールテープで補強をされています。また、断熱材等もすべて、薄い袋で、覆われています。で、これらは大量にあれば、家庭ごみとしては出せないものでお金を出して産廃ごみとして処理しなければなりません。

 しかし、X氏は、それが見かけ上はきれいなものなので、お金を出すごみとして処理するのを、嫌がったのでしょう。それで、鶯吟亭の庭で燃やし始めたのです。たちまちにして、煤が含まれるようになりました。で、我が家より後ろに在る家々の布団やら、洗濯物を汚し始めました。

 私自身は最初は何も騒ぎませんでした。地形の関係から煙は我が家を素通りするのです。東側は90度に近い崖ですし、葉っぱが密集しているスダジイの大木が何本もあるので、我が家の洗濯物は汚れません。その上に、私はすぐ因果関係を考える人間だから、『ううん、下のX氏に燃やすのをやめなさい』というのは、私にはやるのが面倒くさいことですね。だから、ほうっておきましょう』となります。あとで、とんでもない濡れ衣を着てから後は、消防署に電話をして、この煙を出さないように、また、火事になりますし、そちらから注意してください」といいました。で、X氏は、焼却炉を買って、完全燃焼ができるように手配した模様です。

 しかし、あろうことか、私が犯人に仕立て上げられてしまったのです。ある日電話が鳴って、取り上げると井上夫人という女性が、高飛車なんていうレベルではない怖さで、「川崎(雨宮の本名)さん、焚き火するのはやめてください。みんな迷惑しています」と、がなりたてるのです。ここで、井上夫人なんていっても、皆さんが、「それ誰、一般的な名前でしょう」とおっしゃるといけないので、ご主人のペンネームを言いましょう。岸田惇平というペンネームで活躍している画家です。

 水墨を画材として、一筆描きに近い形でヌードなどを表現している人物です。善人とは言えるかどうかは断言できませんが、教養は高い人です。私が引っ越してきたときに、総員からのいじめを受けていた藤本夫人が「井上さんだけは、ちゃんと挨拶をしてくれるのよ」と私に打ち明けてくれたことがあります。確かに、町内会費を取りにいっても玄関においてあるかさたての、釉薬の色など、たびたび、その名前がここで登場する鎌倉春秋釜主催者の石川和子女史の作品などとは、雲泥の差があり、まったくセンスのほどが違います。センスというのは、天から賦与されたものですから。そして、井上家の開口部は北に向いています。

 特に推察されることは、井上家では口外はしないものの、石川和子一派を嫌っていたことです。普通は日差しを求めて居間や食堂の大きな窓は南向きのはずですが、北を向いています。その理由は南側に、石川和子女史の家があるからでしょう。意わず語らずのうちに、「改築するのなら、彼女の家が見えないほうが平和だ」と言う結論に達したと思われます。

 井上夫人がそれほど、無礼な言い方をした影には、例の、けたたましく、大音声を上げてこの山を闊歩する前田夫人や、彼女より実質的には強くて、悪意も深い安野夫人、そして、石川和子等の、毎日にわたる井戸端会議があるのです。その悪辣さは、ここにもきわまれりというわけですが、「違いますよ。庭に見に来てください。我が家では焚き火はしていません」と言った後でも、井上夫人が謝罪をしなかったのは、そちらからの応援を信じていたというか、そちらが「川崎さんを責めなさいとあおった殻のようでした。たまたま、町内会の班長だから、それを、私に告げなくてはならなかった模様ですが、それでも、人を疑って責めたわけですから、井上夫人はすぐ謝罪に来なければなりません。二つの家の門扉は20メートルも離れていないのですから、五分以内に飛んでこなければなりません。

 でも、2003年にそれがおきて以来、いまだに謝罪はありません。だから、山間の煙という、文章を書いたのです。それは、仕方がないことでしょう。失敗をしてもすぐ謝罪があれば、許さないほうが悪人となります。だから、井上夫人からは謝罪をしてもらいたかったですね。今はがんで亡くなっています。

 ところで、やっと八幡宮様へ戻ります。どうして、これを、買わなければならなかったかというと、ほら前にも言ったとおり、前田夫人を國學院大學へ推薦したりしてる過去のいきさつもあるし、鎌倉春秋社社長とか、神奈川県立美術館官庁とか、いえばえらそうに見えるでしょう。だから、そっちのいうことをお聞きになるわけです。特に、自分たちの見方だと思う女性たちの裏側が汚いなどと公表されると大変だから、一応、ここで、文章の証明力をなくしてやろうというわけです。煙が出なくなっていれば、その文章はうそだと言うこともできるからでしょう。
 それが鶯吟亭の所有権移転の裏側だと感じます。

 でも、その結果として、八幡宮様は天の成敗をお受けになったのです。だって、大相撲を壊滅させるようなやからと組んで、国民の味方である、私を傷つける方向へ、方向へお動きになったからです。五つ以上ありますが、特に、アメリカきささげの伐採は、大きかったと思います。珍しい種類の木であり、しかも大木でした。あれを切ることは本当にマイナスだったと思います。神域を、国際的軍産共同体の悪意で汚したことにつながりますから・・・・・・

いや、皆様としては、ことはそれほど、単純ではないでしょうとおっしゃるかな。だけど、次から次へと分析していきます。これから、過去のニュースでも、あらゆることを、この鎌倉の下世話な現象を踏まえながら分析していきますが、そうすると、現代社会って、とても、少数の人間で動かされていることがわかってきます。特に作られたニュースで動きがちです。今回の大相撲の八百長疑惑事件など、その際たるものです。実際にそれが、行われていようがどうしようが、どこで、いつそれが、表に出てきて、大問題になるかは、敵側の都合にかかっています。

 今回の大相撲壊滅作戦が、企画をされ、蠢動し始めたころ、それは、六月の第二週ごろでしたか、第三週ごろでしたかしら? この山の安野夫妻が、非常にえらそうにして、あれこれ、小さな工作をやり始めました。すぐ、ぴんと来ます。その後で、起きてきた、大騒動。なるほどね。伊藤玄二郎一派(それには、まだ、生きているであろう井上ひさしも主要なアイデアマンとして加わっていますが)が、『勝った、勝ったと、大喜びをしているから、あの夫妻が、連動して大喜びをするのです。この山に住んでいるといやなこともいっぱいありますが、すばらしい道場ともなっていて、瞬時に社会学的、政治学的な分析ができるので、それもうれしいことです。

 それから、ロングスパンでものを考えると心理学的な分析も、哲学的、考察も、証明までできますので、非常にありがたいです。総計、20戸程度、そして、実際の住人は、16人ぐらいの小さな世界です。そして、私が気がついただけでも、すでに、19回の転居移動があります。が、マイナスもあれば、プラスもあるのは、世間のほかのケースとも同じです。

 今日は、まだまだ、語りたいことがいっぱいありますが、一応ここで、止めといたします。
                2010年7月21日              雨宮 舜
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大銀杏倒れるー3・・・・・鶯吟亭の駐車場、とその工事

2010-07-20 02:00:16 | Weblog
 今日もまた、ツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。本文の完成は大体朝の五時になる見込みです。夜更かしをなさっておられ、この更新にお気づきになった方も、明日は、また、再度のぞいていただきたいと感じます。先ほど、一度、五行書きましたが、パソコンが白閃化して、全部消えてしまいましたので、こうなります。またまた、真実を書いているからこその、妨害を受けていると感じますので、ご面倒でも、よろしくお願いをいたします。
~~~~~~~~~~

 私は別に八幡宮様を恨んでいるわけでもないのです。抜群の妨害を受けても、本は五冊目にしろ、六冊目にしろ、実際には完成したわけですし。だけど、蒸し返してここで語るのは、記録としてとどめたいのです。でないと、この悪政化した日本はいつまでも救われません。私が鎌倉の三悪人といったん規定したような、メディア貴族は別です。が、一般庶民は、苦しみぬく将来像を、推定されるので、ここでそれを食い止めないといけないという使命感を持って、あれこれを、書き抜くのです。

 私がどうして弾圧を受けるかというと、本を一人だけで、作ってしまい得るということが大きな力であるから、恐れられています。

 たとえば、===元週刊朝日の編集長である飯田隆君が、ホテルニューグランドでのクラス会に遅れてやってきて、私に対して極度に緊張をしながら、「あなたはノイローゼですよ」と言っただけで、お料理も食べないで、二次会にも出ないで、帰った===とか、『酒井忠康氏は、実は美術界の天下りの典型であり、伊藤玄二郎という悪者の、洗浄に役立っているのである』などという文章を、もし、提示しても、どんな出版社も二の足を踏んで、引き受けないでしょう。

 私だって、そんなことはわかっているから、六冊目までは、用心に用心を重ねて、芸術一本やりでやってきたのです。しかも、将来どんな形でもよいからブレイクしたいのなら、さらに用心を重ねて、無難な芸術のことしか公開をしなかったでしょう。何年か先には消えてしまうであろうブログでももちろんのこと、永久保存ができる紙の本に直す場合でも同じです。同じでした。

 しかし、悪辣なる大相撲の壊滅作戦が、成功してしまって、NHKがライブ(同時進行ということ)で、放映をしないと知ったころから一気に、変身してしまいました。あらゆる我欲というのを捨て去る決意をしたのです。雪洞祭りに献灯をやめたのもその手始めですし、そのほか、あらゆることで、自己を捨て去っていて、ただただ使命感に生きることとしたのです。だから、これからは、小説と銘打たない章である限り、記録(ドキュメンタリー)とお考えいただきたいです。
~~~~~~~~~~~

 我が家の東隣の地主さんは、一角が八幡宮の駐車場であり、一角が、白井さんという地主の瀟洒な数奇屋作りの邸宅でした。白井さんは川口順子元外相のご親族で、庭を含めて、全体の敷地が250坪程度あったと私は推定しています。で、最長老のおばあ様が亡くなった時にそこを手放されました。

 間に、土建業者といわれる持ち主を挟んで、最近八幡宮様が取得され、鶯吟亭と名づけられています。これは私の住んでいる山には、実際に鶯がいて、美しく鳴き、町内会も、『うぐいすむら』という名前ですから、適宜な命名と言えるでしょう。

 その鶯吟亭の敷地を削って、西側に新しい有料駐車場ができたり、北側の以前は無料だった駐車場を一部、コンクリートうちをやり直して新しい料金徴収スタンドつき出口を作り、有料化されたのですが、その二つの工事が、重機が出す騒音で、私の仕事の妨害をしようとする案だということはすぐわかりました。でないと、あまりにもあざといビジネス感覚だと見えてしまいます。「ここまでして、八幡宮様はお金をもうけたいのですか?」といいたくなるほど、すさまじいけちぶりだと見えてしまいます。七五三の参拝の家族やご近所様は、以前なら、無料でここを使えました。

 『これでは、吉田宮司が、非常に下品に見えてしまう』と思うほどの、変化をもたらす工事でした。

 新聞によると、鎌倉駅前の三菱銀行は全国一預金残高が多い支店だそうですが、それは、ひとえに観光化した神社仏閣があるからだと聞いています。八幡宮様は中でもトップクラスのお賽銭の集まる神社でしょう。それが、一番便利なところにある無料の駐車場をなくしてしまう。それって本当に下品です。だから、天はお怒りを示して、大銀杏は倒れたともいえます。

 でも、私はすべての知人から「優しい人だ」といわれている存在ですから、以下のように解釈をして、吉田宮司を許していたのです。つまり、これは教唆を受けてなさっておられる工事よ。アメリカきささげを伐採されたのと同じ伝でしょうと。

 そのことはじっと心に秘めいて、誰にも言わず、ただ、ひたすら、仕事をがんばったわけです。でも、今年の三月に大銀杏が倒壊したときに、『あ、そうか。天はやはり、正しいもののお味方をしてくださるのだ。悪人は征伐をされるのだ』と直感しました。でも、それも口外しませんでしたね。11日に2010年度の名古屋場所が始まるまえまでは。
~~~~~~~~~~~
 ところで、なぜ、騒音が妨害になると敵は考えるのでしょうか。それは、ハッキングによって覗き込む私のパソコン内が、本を作り始めると普段にもまして、ざわざわし始め、それを馴致させる私は、死ぬ苦しみを味わうので、ちょっとの刺激でも参るはずだと、推定されているからです。つまり、敵が常に狙うのは、私の自滅です。他殺ではなくて、自殺したり、病気になったりして、文章もかけなくなり、本も作れなくなることを狙っています。
 
 一冊の本が読者に渡る前に、最低でも、10人ぐらいの人が分担して担当します。それを一人でやるから、苦しむのです。それが私固有の、最大の長所でもあり、最大の弱点でもあります。

 普通ですと、まず、企画会議というのが開かれ、ベテランが新人をサポートしながら、テーマや著者、ヴォリューム、装丁家、担当編集者などが決まると思います。

1、著者は、原稿用紙換算、300枚とか、テキスト形式100枚で、といわれて、そこから先は、専門分野の知識と、国語力が必要となります。

 だいたい字数オーヴァーという形で、粗稿が出来上がるでしょう。それは、コピーをとって、編集者や装丁家、挿絵画家等に回されます。

2、編集者は、国語力と、専門分野の知識が必要です。読者と著者の間に立ちながら目的にかなった最終稿を作り上げていくはずです。

3、表紙や挿絵も、同時進行的に作られます。最近はIT的段階までデータが、この部門のデザイナーで、制作をされると感じますが・・・・・出版社によっては、印刷所内のデザイン部門にお任せするのかもしれません。

4、最終決定稿は、印刷所の営業担当者に渡されます。営業担当者は、紙を選び、印刷内担当者を選び、製本所なども選びます。この二つの会社はカラーが違うせいか、分離しているケースが多いのです。それこそ、音の問題かもしれません。製本所って超がつくほどうるさいです。

5、印刷所ないでは、担当デザイナーがデータをIT化します。これはごく基本的にまとめると、《インクがにじんだりすれたりしないようにデータを直していく》ということをさします。数学的頭も必要です。

6、機械の担当者が、インクや紙の状態をためし刷りをしながら、最終的な大判の紙を作り上げます。そのころ、折本という試作品も出来上がり、出版社に戻されたりします。

7、印刷の終わった大判の紙は、製本所に回ります。製本所は詳しく言うと折屋、糊付けや、製本所と三段階に分かれていて、それぞれ、べつの会社であるケースもあります。

8、流通会社へ回ります。

9、本屋で、売られます。

10、宣伝や、書評というフォローもなされます。

 私は、上の工程のうち、1,2,3,5、9を一人で担当します。だから、孤独でもなければいけないし、同時に社交的でもなければいけないし、国語力も必要だし、同時に算数力も必要です。いったん本の制作が始まると、七転八倒の苦しみを味わいます。

 それは、敵にしたら、ちょっかいを出してやりたい、大きな舞台です。ハッキングを受けているので、毎日違った形式で妨害を受けます。アドビイラストレーターで、右側に90度回転したつもりが左側に90度回転したりします。すると、「今日はそういう命令となっているのだ」とすばやくはあくして、次から、右に270度と命令を、しなければなりません。毎日しにもの狂いの働きで、疲労困憊をします。で、数年のうちにこれはできないということとなるでしょう。

 でも、弱気になったり、不安になったりしてはいないのです。苦労をすればするほど、天の恩寵も感じるからです。天はすべてにわたってバランスを取ってくださっておられます。いつかは、死を賜ります。人生は確実に終わるのです。仕事も望みも中断します。でも、それだからこそ、今現在をがんばればよいのです。できる範囲で、できることを必死に、105%の力を出して、達成をしていく。それでよいのです。天は必ず、そういう人間を見守ってくださり、励ましをおあたえくださるからです。

 では、今日はこれで終わります。誤変換をまだ直しておりませんが、家族が「うるさいから、寝てほしい」といいますので。2010年7月20日 午前2時に。    雨宮舜
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大イチョウ倒れるー2、   音で脅迫をする八幡宮(?)さま

2010-07-19 12:14:02 | Weblog
『その太鼓の大音量には、ご近所様も音を上げて、注意が八幡宮へも達するほどだが、
                  その影にCIAがいることが大問題なのだ』

  特に大音響の和太鼓公演がひと夏に、連続して二回もあったり、異常な長時間の太鼓打ちが、一日に、何回もあることの、忌まわしさについて・・・・・』

 『このブログに昨日、はじめて、お入りになった方は、びっくりなさったであろう』とも私自身感じています。私ごとき、個人が、八幡宮という、鎌倉のもっとも主要なアイコンをけなしている。しかも、吉田茂穂宮司というトップの実名をあげてまで、批判をしている・・・・・それも、アメリカきささげという(のうぜんかづら科)の大木が伐採されたことが主因だって。「被害妄想じゃあないの?」とおっしゃる方もおありでしょう。

 しかし、私が八幡宮様がなさってしまった悪について確信をしていることがもうひとつあって、こういう文章を書くことに大きな信念を持っているのです。もちろん源泉は、CIAのエージェントたる伊藤玄二郎ですよ。

 昨日までに言ったことを要約しますと、・・・・・伊藤玄二郎の昔の女のそのまた夫の大失敗を、隠し続けた結果のひとつとして、八幡宮様が動かされきっているということが、あります。その結果の天罰として、それが、大銀杏の倒潰と言う象徴に現れたと、・・・・・となります。

 今日は別のポイント、つまり、音についてです。これが、八幡宮様が、CIAの支配を受けていらっしゃるという明快な証拠となります。そのことを、いけないことだと私は考えているわけです。だって、CIAとか、国際的軍産共同体の暗躍など、たかだか、1945年以来、公になってきたことです。八幡宮様の方は昔から続いている文化的な遺産であって、ここに来て、そんな悪巧みに利用されるのは、絶対にいけないことであり、文化的に尊敬を受けていること自体も、ごく、日本的な神聖にあるのですから、今やっていらっしゃることがいけないのです。と主張をしたいです。
 
 が。もちろんのこと、白人が直接、電話をかけるわけではありません。彼らは日本にエージェントとしての人材をたくさん養っていて、その上位の人として、鎌倉在住の文化人が数々あります。その一人としての、二階堂在住の、酒井忠康氏からかかってくることもあるでしょうし、伊藤玄二郎氏からかかってくることもあるでしょう。

 鎌倉では、ほとんどの人が、その悪人ぶりをすでに知っている(しかし、彼に、ちやほやされている側から見れば有能な人材)である、鎌倉春秋社社長、伊藤玄二郎から、頼まれれることもあり、その場合は、ちやほやされきっておられるほうである吉田宮司は、何でもお聞きになるという可能性はあるのです。
~~~~~~~~~~~
 以下に書く、現象は、その伊藤玄二郎氏が源泉であると確信をしている現象ですが・・・・・

 特に変だったのは、2009年でした。夏に行われる音曲の催しが、三回も連続して実行をされ、一部では入場料が必要だったりして、普通の年とはまるで異なっていたのです。また、朝方の音量試験の段階から、異常なる大音量だったのです。「マイクを試します」とかね。ご近所様からの文句は昼間に関しては、八幡宮様に達しなかった模様ですが、明け方の太鼓の音量を小さくしてくださいというのは、この昼間からの大音量にもみんな参っていたのが真因だと思います。

 夏は、朝の五時から、冬は朝の六時から大音量の太鼓が響くのは、かんぐれば、よく、午前、一時とか二時に就眠する私を、一時間か、二時間で起こす効果もあったでしょう。そうすると昼間働きにならないので、よい文章がかけないというわけです。

 いや、そこまで言っては、この文章の逆効果も最たるものとなりますが、以前に言ったように、真夜中に、外壁に石がぶつけられたりしていると、そう思いたくもなります。また、これから、書くはずですが、同じく真夜中の午前一時過ぎに、『お前が風呂に、今、入っているのを、こっちは知っているのだぞ』と安野氏(ご近所の人間で、伊藤玄二郎または、鎌倉警察署の勅任(?)の手下を自慢している存在)に脅かされたりした経験もある私は、この朝の大音量も、短時間で私が起こされてしまうことが、目的だったと信じています。

 が、ほかの近隣住民も、みんな早起きをさせられてしまうから、大迷惑なのです。「そちらの方だけでも、やめてください」という、お願いが入ったみたいで、最近は、やっと適切な音量へと変化してきました。そのお願いをかけたのはもちろんのこと、私ではありませんが、これは、前日に書いた電車の事故多発現象でもおきる現象で、彼らは日本人のことなど、へとも思っていないので、ある一点の攻撃対象、(=これらの現象では真実を語り続ける私のこと)を攻めるためには、一般庶民の迷惑など、一切顧慮していないことがわかります。

 ところで、今、また、急にハッキングをされている音が入ってきたので、それで、かえってのチャンスと感じて、挿入的に書いてしまいますが、これらの悪を総元締めしているのが、小沢元民主党幹事長です。だからこそ、7月8日から、18日まで、彼は一切の姿を現さず、雲隠れをしています。つまり、自分に火の粉がかかってくるのを避けるためでしょう。私が8日からはじめた瀬島龍三論議やら、この八幡宮の諸般に事寄せて、自分を分析し始めるのを避けているのです。あの顔を見たら、すぐ連想が始まりますし。

 彼は卑怯極まりないかつ、弱い存在です。責任はまったく取れません。今回の選挙の惨敗でも、一切の責任は、彼が幹事長に就任して以来の横暴を、日本人が嫌っているからおきたことは明白なのに、逐電をしています。それを、消費税増税問題へとすりかえるのは、彼一流のやり方ですし、・・・・・それに踊らされている大マスコミも、なんとも信頼ができません。

 で、きちんと、責任を取ることのできそうな吉田宮司に、ここで、その執政を問うているわけです。

 で、ここで、再び、八幡宮様の夏の三回も連続して行われた公演に移ります。夜の九時ごろまで、一日12時間以上の大音量が続くのです。例の民主党に支援をされて、落選をした鎌倉市長選のときの、12時間続く選挙カーの連呼と同じ発想です。2009年には、和太鼓の集団が二回も来て、さらに平原綾香が『カタリ』を新しく編曲したものを披露したりしました。ヴァイオリンの葉加瀬太郎を伴奏者にして。

 通常の年には、春夏の例大祭のときに、自衛隊のブラスバンドが来て、演奏します。夏は舞殿で、鎌倉在住のお琴の奏者(社中として参加)とか、日舞の演奏としての三味線ほかの公演が行われます。これらは聞くに心地よいものです。そして、普通の音量でした。

 しかし、夏に大音量が上がるのは、私の本の制作を邪魔しようとする意図があったでしょう。これも原案は井上ひさしだと思いますが、私の文章を読み込むと、私が大変繊細な人間であり、特に音楽も好きであり、微細なフレーズにもすぐ好きなものなら、反応をするというポイントを攻撃に使おうとしているわけです。

 その彼らの意図が、明々白々に表れたのは、2007年の早朝、7時の渋谷郵便局の二階の待合室のことでしたが、そちらのエピソードの詳細については、また別の日にあげるとして、八幡宮様が意図的に流していた大騒音に戻りましょう。

 太鼓もおかしかったのです。普通の場合は、朝の太鼓と、信者が昇殿して祝詞をあげてもらった際に終わりのしるしとして、五回ぐらい7秒間隔で撥が当てられ、最後に、連続打ちでしめられますが、全体で一分を超えないものです。

 最近は不景気で昇殿までして、祝詞をあげてもらう人が少ないのかな。それは、まあ、最低でも一万円は包まないといけませんので、そうなりますが、・・・・・

 しかし、問題なのは、一見するとそれと同じように見えるが、まったく違う、10分以上に続く、異様な演奏が、2009年度の夏に頻発したことなのです。誰から教唆をされてこういうことをおやりになっているかといえば、鎌倉警察署長、もしくは、神社庁、もしくは伊藤玄二郎直か? 誰からかは、わかりませんが、異常な音出しは続いたのです。

 すぐ、これが、私目当ての一種のやわらかい拷問であることに気がつきました。だから、すぐこちらも気構えを変えて、文句を言うこともないし、(そうですね。八幡宮へ苦言を呈したといわれるご近所様とは、私以外の人物です)、それによって仕事を邪魔されることもないです。でも、悪い風、悪い雰囲気がそこに満ち満ちてしまったのには、気がつきました。それでも、知らん顔をして、雪洞に献灯をしたのは、一応ですが、紙が来たし、今のところ、反抗をしてもこちらが小さすぎて弱すぎるだけだし、ふ、ふ、ふ。私だって自分をよく知っております。

 その当時は、本の制作も雪洞も普段どおり、やりこなしていくことが勝利だと感じてもいましたから、ちゃんと書いて献灯をしました。すでに、10年近く献灯をしているので、それなりにファンもいます。「この人知っている」と、大声を上げるお客さんもいます。私は、特に、本名川崎千恵子では、銀座以外では知っている人はいないはずなので、これは、前年の作品を覚えていただいているということでしょう。そして、毎年、その前に人だかりができます。人気があるというか、なんというか、たぶんですが、そこに書いてあるメッセージが人の心を打つからでしょう。

 ちなみに、もし、出すとしたら、今年のメッセージは下記のごとくにするつもりでした。
~~~~~~~~~~

              切ない豚として、
           2009年から10年にかけての、日本に
                      私は生きる。

             天よ、見守れかし、
                私と、この国の民を。

               心が蹂躙をされているこの国で
               希望とか、明るさを取り戻せるように、

             天よ、お力をたまわれかし

                と和紙に書くつもりでしたが、

 前日の長い文章の中でも述べたように出品を取りやめますので、これのメッセージは表には出ません。

 さて、その長い太鼓の連打は、大体、10分から12分程度続き、一日に五、六回、もしくは10回程度続きました。今年は、それが起きないのは、当局、もしくは国際群際共同体自身とか、伊藤玄二郎等が、その拷問は私には効果がないと、気がついたのでしょう。実際に六冊目を作り上げてしまいましたから。

 ただね。ものすごい妨害を別方向から受けました。京都の人文書院の偉い渡辺睦久氏が、事前に「そちらさまで出版してくださいませんかと」送った原稿に、ほめてくださったのです。印刷所の担当者が珍しくも車で駅まで送ってくれたので(それも、警察から命令されていたと思いますが、盗聴装置が仕掛けられていたのでしょう)私がその際、
 「関西からお褒めの言葉をいただいたのよ」とつい口を滑らしちゃったのです。車って密室ですし、いつもは、30分以上暑い中を歩かされるわけですから、その日の特別な温情に感謝してしまったわけです。郵便が監視されているわけですから、すぐ、その手紙を書いたのが、誰かは察知されてしまって、

 そこへ、伊藤玄二郎、もしくは、酒井忠康、または、今回大相撲壊滅作戦にパペットとして、使われた伊藤滋氏、もしくは、酒井氏と常にコンビを組む、詩人の高橋睦郎氏、または、当時は表向きも生存中だった井上ひさし氏からの関係を伝って、文芸春秋社の誰かか、新庁舎の誰かが動かされたのかもしれませんが、

なんと、速達で、二度目の手紙が届いて、『出版をやめなさい』といってきたのです。

 ですから、私に対する包囲網というのは、あに、八幡宮にとどまらないし、私が決して被害妄想というわけでもないのです。

 今、パソコンが、ひどいハッキングを受けていることを証明する音を上げ始めましたので、これから、先はツィッター方式で、書かせてくださいませ。

 こういう風にばんばん、ばんばん、実名を挙げると、それこそ、「あなたが、損をしますよ。敵を作りすぎるから」ということになるのでしょう。それはもちろん、理解をしています。しかし、こうでもしないと、切り抜けられないほど、敵のあくどさはひどいです。

 皆様だって、『ええ、八幡宮の吉田様という現在の宮司は、そんな悪巧みの協力をしていらっしゃるの?』と身をのけぞるようにして、びっくりなさると思いますが、敵の狙いこそ、そこにあるのです。「まさか、そんな有名な、方が、そんなことはおやりにならないでしょう」と言う人材を使って、言論弾圧を狙ってくるのです。

 しかも私の怒りが大きいのは、その源泉には、石川和子(または柳沢夫妻とも名乗る)という独活の大木のごとき、無教養な夫婦がいて、彼らが自分たちが悪いくせに、ただ、感情を猫に傷つけられたのに、逆上をして、警官を呼び、その警官が、また、場かなことに、絶対に車の入ってこない、山の中なのに、交通事故の調書をとったということに発生をしているのですよ。だから、これらの壮大なたくらみは、たった一人の下品な女性を助けるために行われているのです。特にその愛人だったと彼女の方から公開している、伊藤玄二郎を助けるためなのです。

 「はい、酒井先生、あなたは人の終わった恋愛の尻拭いをさせられているわけですよ」としに直接いいたいですし、また、吉田茂穂宮司にも「そういうことだったのを自覚して、あの年の大音量を上げていらっしゃいましたか?」とお問い合わせをしたいです。

 それが、まあ、無理でしょうね。相手は、敵に先回りをされていて、インタビューに応じないでしょうから。この手のことは一回宮崎伸先生を相手として起きていますので、冊子が着いていますから、トライもしておりません。だけど、去年まで、私は本を八幡宮様に検定していますし、ブログの案内状も差し上げていますから、ちょっとでも、つまり、若手の新刊に命令する形ででも、その内容を把握なさっていたら、ある程度の事情が把握ができて、結局のところ、アメリカキササゲを伐採することにはいたらず、したがって、天の怒りをうけて、大銀杏が倒れるという事態も避けられたと感じます。


(後注1)(そのはんぺらは、ファックスで、神谷町の青山敦子弁護士に送ってありますが、我が家内では、その書類自体は、泥棒に盗まれてしまっています。が、だから、それが、警察が泥棒をしていると考える根拠につながっています)

   では、2010年7月19日      雨宮 舜
 では、2010年、
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八幡宮のイチョウが倒れたことの分析の1、鎌倉の黒い霧

2010-07-18 07:30:53 | Weblog
 今年の春に鎌倉では大ニュースがありました。イチョウが倒れたのです。しかし、これこそ、私が、天が存在すると確信した出来事でした。

 これは、鎌倉の例の三悪人、井上ひさし、伊藤玄二郎、酒井忠康が鎌倉の空気を大変悪くしていることに天がお怒りになったのです。

 そして、4月9日か、10日に、井上ひさしがご自分を死んだと仮装(または偽装)して発表したのは、その事実の裏側を、私が分析するのを、特に恐れたからでしょう。生きてるとしたら、取材が殺到するかもしれないと予想をしたのでしょう。自分の責任を問われることを恐れたのです。

 三人が直接手を下しているわけではないのでしょうが、最近の日本人の心への蹂躙の数々、は、この三人の悪行、特に井上ひさし原案、連絡係、伊藤玄二郎ほか、国際的軍産共同体のしかるべき、エージェントたち、(NHKにも朝日新聞にもいるわけですが)に伝わって実行をされるわけですが、酒井忠康氏のように政治にはまるで関係がないと見られている人間の存在がすこぶる重要です。

 われわれは『上流人士ですよ』と言うサークルを作っていて、彼らが言うことや、やることに信用を付与していて、井上ひさしの原案が通りやすくすることに役立っています。

 その見返りのご褒美として、酒井忠康氏は定年をすぎたはずですが、いまだに、半公立であろう世田谷美術館(その建物等の礎は、ほとんど区民税で設立をされたもの)の館長をしています。これって美術界における典型的な天下りです。建物と立地条件は、神奈川県立美術館より立派なぐらいですが、一応現代美術という分野では、神奈川県立美術館の方が上なので、天下りができるというわけです。

 八幡宮様というのは、年間二千万人の善男善女が参拝する日本の文化財です。そして、精神的にも清冽でなくてはならないところです。しかし、最近の工事の数々の着手や、突然に、國學院大學の教授と松沢茂文知事が講演会をするなどという、企画は、すべて、伊藤玄二郎、および、井上ひさしの、二人羽織でできていることでしょう。

 もちろん、ずるいふたりは、フリーメーソン固有の支援を受けていますから、すぐ、東京農大の教授を使うとか、自分たちが動いてはいないような手を打ちますが、このイチョウが倒れたのは、アメリカきささげ(または、メキシコきささげとも呼ぶ。電話で美術館の学芸員さんに問い合わせたので、これをきることが意義があると二人の悪人派、考え付いたのであろう)を、十分に生きがよいのに、伐採をなさったことへの天の怒りの表明でしょう。

 このアメリカきささげの伐採直後の写真がありますが、まっ黄色でみずみずしいです。まあ、それもいずれ、ハッキングで盗まれるのではないかな。まあともかく、どうして、それを伐採する必要があったかというと、私が文章で、それについて好ましいと、述べているからです。文章で書いたことは必ず、証拠を消そうというのが、きちがいめいた彼らのやり口です。

 そのアイデアをひねり出すのが井上ひさしです。今、小町通りで、延々と終わらない共同溝工事、やっていますが、それも、私の『敷石を磨く男』(後注)という文章を否定するために行われています。でないと、2007年の二月に始まった工事がまだ終わらないなどという怠慢はありえないし、電柱一本だって消えていません。敷石を復活させたくないから、延々とやっているわけです。小町通りの周辺の人はいい迷惑ですが、これも、井上ひさし、伊藤玄二郎二人の発案で、特徴的なことです。今、電車の事故が多発していますが、これも井上ひさし原案でしょう。
 私は、電車に乗るたびに特に個展のときなど、遅れさせられました。おっちょこちょいでかつサラリーマンをやったことがないから、単に面白がっていますから、私が絶対に乗り換えられない着た鎌倉とか、保土ヶ谷で止められます。鎌田へ行ったときなど、あそこは数本に一本が終点ですから、夜の11時で人がホームにあふれんばかりでしたが、とめられました。私はそのとき、ほんの作り方を教えてと頼まれていましたが、その人のパソコンがおかしくなって、しかも商売用の、ソフトまでバグが入ったと聞いて、本当に怒り心頭でしたが、じっと我慢をして、今日まで、具他的なことは言わないできましたが、これが、なぜ発案されたかもいずれ、お話をする機会も来ることでしょう。理由は完璧にあるのです。

 まあ、三年以上続いている無駄な小町通りの工事のことですが、そこを通るたびに、怒りやら、嫌悪感を感じる私の、例のごとく、神経をずたずたにしてやろうと言う算段です。電車の法も同じですが、大勢無辜の市民を巻き込んでいます。それで、こちらは往々にして、小沢一郎発案の可能性もあります。

 それと、1942年生まれ、早稲田の革○の委員長だった成岡庸司さん(この人だけ、敬称をつけるのは、たった100人しかいない学校の同級生だったことがあるから、で、おゆるしください)がいて、彼が鉄道の事故を演出している可能性はあります。

 彼からは、個人的に、『早稲田に入ったことが不満である』という手紙ももらっている。それを盗み返したいから、家に頻繁に泥棒が入るのかな? まさかね。手紙をやり取りした他の派、47年も前のことです。

 ただし、同じ時期の同級生だった、飯田隆くん(週刊朝日の編集長だったこともある)が、2009年三月のクラス会に遅れてきて、私に、「あなたはノイローゼですよ」と言っただけで、ご馳走も食べなければ二次会にも出ないで帰ったことがある。これも、非常におかしいことでした。特に同じことが、銀座で流布していて、『え、長年の友人としてのつき阿賀あるひとがどうして、そんなことを言うのかしら。彼は、やはり、朝日新聞の人間だから、国際敵、ぐん三共同体の命令には、抵抗できないのかな?と思いましたが、事前に誰かと会って、打ち合わせをしていたら、ありえる話です。事前に会う人としては、成岡君が中学と大学の同窓生だから、可能性は高い。

 後、時田史郎君(もと福音館社長)の変節も、これと、関係があるでしょう。成岡君と早稲田人脈の政治的な利用のされ方については後でもう一回触れて、述べます。
いつのことになるかわからないけれど。
 それに、大昔だけれど、飯田君が私に「成岡って、きっと死んでいると思うんですよ」といったことも意味深だ。私は自分の通っている大学の同級生(上だったが、留年したのでそうなった)秋山豊寛さん(これも、同級生だったわけなので、敬称つきとなる。ほかの登場者との差別については、おゆるしいただきたい)に、彼があまり威張りかえるので、むくれて、当時学生の間で、圧倒的な人気を誇った、成岡君から、心模様を書いた手紙をもらっているわよ」と告げたことがある。
 それで、秋山豊寛氏から情報が入って、成岡君は、軍産共同体のストラテジストにリクルートをされた可能性はある。

 左翼というのは、新左翼でも、共産党でも、トップは密接に国際的軍産共同体に結びついている。秋山豊寛氏は、今では、農民となっていて、静かな生活を送っている模様だけど、学生時代はうるさい人間だった。私は彼を相当に疑っている。表面と裏は違う人間だと思っている。ともかく、成岡君に戻れば、かれは、地下潜行者となって、その方向で日本を支配するのを目指すのなら、道理は通る。今、小沢一郎が、「官僚をぶっつぶす」とよく言っているが、それは実はストらテジストの成岡君の考えではないかな。日比谷高校卒のかれは、
もし、東大に入学していたら、おとなしくも、官僚でおさまっていたはずだ。


 ところで、そういう影にいる存在ではなくて、表に出ている存在について、再び述べます。
そのほうが、実例としてよく見えることですから。

 朝日新聞のメセナ(金銭や名誉を与えるか与えないか)等で、美術界ににらみを利かせている酒井忠康氏の源泉→ガレリアグラフカのオーナー栗田女史、中継→各銀座、および、鎌倉の画廊からの、冷たい目・・・・・さあ、月曜日、各画廊がどういう態度をとるか、楽しみですが・・・・・・あらゆる、演技はすぐ見抜けますから、そこから、さらに真実がわかってくるでしょう。

 私は、友達の家に、泥棒が入ったり、(モダンアートの重鎮、鶴見厚子さんは、彼女自身、「あなたと関係がある」といいましたし、私自身すさまじいレベルで、データが盗まれいますから、そうだと感じますが、この手の心労をはじめとして、すさまじい経済的損失も加わっているのです。

 一方、これらの諜略活動は、27年前に、こちらに引っ越してきた直後から、上の三人よりも、瀬島隆三によって、練り上げられたと感じています。

 伊藤玄二郎など、そのころは、間口、二間程度の木造のお店の二階だけのオフィスだった、小商人です。鎌倉の文化人に取り入って、取り入って大きくなったわけでしょうが、特に、我が家宅の近所に、昔、彼の愛人だったと自分で名乗る石川和子女史がいて、無教養で粗野のきわまりだから、私を精神敵に追い詰めるのに役に立つということで、石川女史のおかげで、伊藤玄二郎も格をあげてもらってきたのです。この石川女史が生きていたころはこのご近所様がすさまじい状態で、それに頭に来た、我が家の対面の住人藤本夫人が、我が家と彼女宅の間の道を、誰もが通れないようにするために、道路の真ん中に藤本邸所属のフェンスを作ると主張したのです。私が引っ越してくる前の出来事ですよ。ここは、蜂の巣をつついたような騒ぎの渦中だったのです。別の登場人物ですが、大学教授夫人がノイローゼになったとご主人がおっしゃっていました。だから、引っ越したいから売りますって。ここに引越してきてみてから、「なるほど、すごい場所だ」と思いました。今では、横須賀の方が上品でしょうと思うくらい、民度が低かったです。

 特に、うるさくて中学校の番町波なのは、いつも言っている、石川女史とともに、前田清子女史です。この人がたぶんですが、八幡宮の紹介で、国学院の講師になっていることも、イチョウが倒れたひとつの原因です。ほかに後の回に、詳述するだろう、安野夫人、井上夫人等が、藤本夫人に「うるさくして申し訳ございませんでした」と謝罪すればすむことなのに、性格も人格も彼らは未熟ですから、謝罪をしないで、なんと、引っ越してきたばかりの我が家の、花畑をコンクリート詰めにして、さらに、我が家固有の山まで削って、違法な石を入れるという形で、当時、一種の錯乱状態にあった、藤本夫人を鎮めたのです。

 この錯乱状態という言葉はもっと、異議田ない表現で、当時の会長中谷氏から、私に告げられ、困っているからきょうりょくしてほしいというのデ、花畑を提供するのはかまわないが、違法な石は認めませんよ」といっているのに、我が家の山まで削って、裏切り行為をしたのです。恐るべきえせ紳士ぶりです。お子様の出世と引き換えに、瀬島隆三等から働きかけがあったのでしょう。

 そちらもいずれ詳しく書きますが、今日はそれを飛ばして、前田清子女史を詳述いたしましょう。以前から、『めんどり時を告げて、国滅びるの典型である」と私は彼女をパソコンないメモとして書き落としていたわけですが、国はともかく、八幡宮様をぶっ潰したわけです。『やっぱりねえ。さすがに神様はお見逃しになりませんね』と思いましたが、何がどう悪いのかを、ここで、少し述べましょう。彼女の傲慢さのレベルほど、けたたましいものはありません。

 道路です。けたたましい声を上げるのは。私はドアを閉じ、窓を閉めていても聞こえます。こういう調子です。「のぶこがさあー。湘南高校の男の子と付き合っているのよ。それが結構イケメンだから、さっさと決めなさい・・・・よっていうんだけど、きめないのよー。なかなか」・・・・・

 これが、何を意味するか、お分かりになりますか? つまり、うちの娘は持ててもてて、困るし、相手は頭はいいし、顔はいいし、すばらしい男だけど、うちの娘の方がふっているんです」と言う自慢なのです。それを、山(谷戸といって、北と南が迫っているすり鉢上の地形内で、大声で言うのですよ。藤本夫人でなくても、この山から追い出したくなります。
ところで、彼女の門には、例の警察から配られる、青いエナメルの看板が下がっています、
それは、余談ですが・・・・・
 もう一度彼女に戻れば、礼儀も何にもわきまえない人で、その上、たぶんですが共産党シンパです。やることを見ていたら、わかる。それが、国学院の講師として、もし、八幡宮様の推薦で勤めていたとしたら、八幡宮へ対して、天の神様がお怒りになって、『お尻ぺんぺんと、言うサインとして、イチョウを倒しましょう』とお思いになるのもむべなるかなです。

 白井宮司さんという方が長くお勤めになっていました。その次は池田さんと言うカタカナと思っていたのに、より年若い吉田茂穂という方が、お継ぎになったのですが、信じられないぐらい、ビジネス意欲が高くて、びっくりです。

 しかも、見え見えなぐらいに、例の三悪人、の原案による悪事に加担をしていらっしゃいます。2008年の夏は特にひどかった。それは、また、別の機会に書きます。

 一番いけないと思うのは、その三悪人が、国際的軍産共同体の手先であることが見え見えナことなのに、つき、従っておられることなのです。日本固有のものなのに、海外へお金が流れ、国民が『映画』こーヴとか、、今、私が問題にしている、映画TOKYOなどのように、日本人の心や伝統を、徹底的にを踏みにじり、蹂躙する側に立っておられることなのです。吉田茂穂宮司は個人といっても個人ではなくて、日本の一種の代表なのです。それが海外のエージェントの支配下にあるということが、大問題なのです。

 それが、おっちょこちょいのきわみの例の三悪人と、同じレベルのおっちょこちょい振りを示しておられるので、嘆息のみぎりです。酒井忠康氏がどれほど、おっちょこちょいなのかはまた、別便で書きましょう。

 私はもちろん、今年から雪洞は献灯しません。上の文を書いたから恥じ入って出さないのではなくて、イチョウが倒れたときから、『もう、遠慮はしないでよい。あそこは神域ではない』と思っていますので、尊敬の気持ちがうせたのです。『まあ、宮司さんが変われば雰囲気も変わるかもしれません』が、わかりません。もし、私が仮に宮司だったら、現在の地位を、辞退すると思いますけれど。

 ただ、『お金の問題で個人的に汚い』とか、『女色におぼれている』ということはありえない八幡宮です。それは、清潔です。ただ、『日本の精神を蹂躙して、日本人を裏切っている、手合いの言うなりになっておられるというのが、いやなことだなあ』と思うだけです。
 ま、印には行きますよ。特に伊藤玄二郎の作品を見るのが楽しみです。数年前に見たものは乱暴で雑然としていること極まりなくて、『あ、石川和子女史の、風体とそっくりだわ』と思ったものです。

 ところで、前方で、ぬかだ病院の河野医師と、書いていますね。近々に、河野先生は、額田をおやめになるのではないですか。私が文章に書いたことは必ず、事実があとで消されていきますので。そうなるでしょう。ここで、予言をしておきます。

  では、今日はこれで。2010年、7月18日  雨宮舜
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酒井忠康、栗田玲子、山本容子

2010-07-16 16:34:05 | Weblog
 本日は17日の土曜日です。会社勤務の方はほとんどが、祝日であり、更新をしたら、読んでいただける好機です。だが、昨日は*****ライン以下にA4の紙に直して、8枚、(=原稿用紙換算、30枚を超えるもの)を一気に書いていますので、それを、今日は引き続き、ご提供をさせていただくということで、お許しくださいませ。誤変換は昨・深夜中に全部直しておきました。

 小さなことですが、一万字を超えていますが、四日前には、それで、書き抜くことを妨害されたのに、昨日は別の種類の妨害(マウス機能が悪い)を受けル問い羽化たちで書くことを妨害されました。48時間体制で、監視され、書くことを邪魔されていますが、それだけ、私の書くことが正しいからなのだと、相変わらず確信をいだいております。
~~~~~~~~~~~~
 ところで、表題だけを今日はあたらしくしています。ブログの場合は、表題がはっきりしていないと読む人が少ないことには気がついています。井上ひさし、という名前は、『あれ、いつもと同じジャン』とお考えいただいた方も多いでしょう。で、今日は以下の文中に含まれている別の人物をタイトルへと挙げました。

 多分タイトルとしては、初めてあがった人は、酒井忠康氏です。
 酒井忠康氏は、元神奈川県立美術館館長で、現在世田谷美術館館長です。この人が鎌倉で、やはり、伊藤玄二郎と親しいらしくて、そちらの方面からの教唆の実行として、私はすでに、多大な迷惑をこうむっているのです(*)が、それを、パソコン内メモに落とし始めた時期から、氏は外へ公表する住所を逗子の仮寓に移しておられます。国際的軍産共同体もしくは警察が、ハッキング結果を伊藤玄二郎氏へ教え、そこから酒井忠康氏へ「危ないです。結構ばれてしまっています」と話が入れば、そうなる可能性はありますね。二階堂の自宅が、悪評でご近所の軽蔑の的となると以下ネイからかな? 人の心は読めませんが。

 ずいぶんはっきりと書いているようですが、法治国家なら、自分を守る正当防衛はやってよいはずです。ここ、三年間にひどいことを、酒井忠康氏からやられ続けているので、こんな短い文章は、正当防衛としては、100分の一にも当たりませんが。

 それに、すこぶる重要なことは、これが、単に私と氏との、間の、個人的な問題を超えて、普遍性を持っていることです。こういう人物が要となっていて、日本のメディアが動いていることが、現在の日本が、容易に、被・植民地化をしたことへつながるのですから。
そして、日本はぐんぐん沈み行き、コーヴ見たいなひどい映画が、製作され全世界で、公開されるということなります。

 田原総一郎、高野孟、久米宏、そして、彼らの頭目たる小沢一郎氏の悪人ぶりは、国民の目にもすでに明らかでわかりやすいですが、この酒井忠康氏のような人物こそ、最も損傷大河国民の目に見えにくい、一種の色悪(?)です。いや、はっきりと、その罪の数々について、きちんと書く日も来るでしょう。その前に、ブログを発表できなくなったり、私が暗殺されたりしたら、命令者は、自分を守りたい、鎌倉在住三大悪人たる、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康たちが自分を守りたくて、やったと、お考えください。
 その酒井氏の活動・内容の詳細については、また、天が書かせてくださる日に、改めてかつ生き生きと元気に取り組みたいです。

 一見するとお上品です。高踏的な著書が羅列してあって、どこにも落ち度も瑕疵もないように見えます。しかし、こういう人の役目は、洗浄に役立つので、仮面(国際的軍産共同体のエージェントとして、重要ポジションを占めているのです。汚いアイデアを、基本的な悪人が構想を立てますでしょう。それの、中保者として、別の人へ伝達をすることにあります。

 すると(マネーロンダリングをするのと同じことが起こり、悪意と不道徳から生まれた案がまるで、正しいことのようにみえてくるのです。

 では、昨日の文がいかにあります。

~~~~~~~~~~~
 珍しく、水曜日の午後から48時間程度更新をしておりません。実は昨日は大奮闘をいたしました。朝の六時に国会図書館のフェンス前に陣取っていたのです。ふ、ふ、ふ。いえ、あ、は、はというべきかな?

 自分でも九時からしか、開かないのは知っております。だけど、気合なのです。どうしてそれほど、てんぱらなくては、ならなかったかは後で、理由を申し上げるとして、

 専業主婦というのは、普通に生活していると、これほど、がんばれないものなのです。お勤めをされている方にはしかられてしまうと思いますが、普通に生活をしていると、日常の仕事がいろいろ始まってしまい、朝の九時に国会図書館にいるなんていうことは不可能なのです。

 その上、私は芸術家(ふ、ふ、ふ)で夜型の最たるものです。連続三十時間ぐらい起きているのは日常茶飯事で、朝の五時から六時に寝るのも当たり前の日常です。だから、朝の九時開館時間に国会図書館にいるのは無理です。

 でね、前日の夜から行動を起こしました。で、主人に断って、横浜駅周辺で徹夜をして、朝の五時12分発の京浜東北に乗って、有楽町まで行ったのです。どこかの喫茶店で時間を過ごすべきだとは思ったのですよ。国会図書館近辺には喫茶店はありません。国会議事堂も議員会館も首相官邸もそれぞれ、敷地が広くて、民間の喫茶店が建てられる余地はないのです。もちろん、内部には館内食堂がありますが、九時から五時ごろまでの入店でないとだめですから、じっとバス停のベンチに座って待ちました。

 実は横浜駅周辺の徹夜は、飲食店二つをはしごして、時間をつぶしたので、おなかはたぷたぷで、コーフィーいっぱいだって飲みたくなかったのです。

 さあて、これからは、ツィッター方式でお送りをさせてくださいませ。というのも、こんな簡単な行動の裏に、すこぶる政治的な問題が隠されていて、それを記述すると、パソコンがごたごたして、送信できなくなる可能性もあるので、ツィッター方式をとらせていただくのです。

 実は私は、今、自分の七冊目の本を編集制作中ですが、さまざまな可能性を考えて、データだけは4,5冊分を作っておこうと努力をしています。従来は芸術を中心とした、すこぶる個人的な思いを、まとめた本を作ってきました。それを、面白いといっていただいてきたわけです。

 しかし、そんなものでも激しい妨害を受けていて、『一冊作るたびに、これは、一気に三歳ぐらい年をとったなあ』と思うくらい、苦労をしております。それほど、苦労をするのなら、今まで発表を我慢をして遠慮をしていた、政治に関する文章をまとめてみようかなと思い始めました。

 だいたい、去年、6冊目を完成したときから、すぐ、はじめていて、一本目のデータとしては、井上ひさし氏と伊藤玄二郎氏を中心にしています。これは鎌倉市としては、私のご近所様ですが、クリントン国務長官が来日した2月17日にNHKの夜の九時のニュースの近辺に世界遺産を紹介する五分の番組が挿入され、そこに、山本容子さんと、阿刀田高さんが登場したときに、さまざまなことが一気にわかり、一冊の本へと纏め上げることに、信念を抱いたのです。つまり、小さな地域の話題のようですが、グローバリズムの中での、国際的軍産共同体の悪の仕組みに直結している普遍性があるのです。ただ、このデータの詳細な内容については、今はあまりにもこの文が長くなりすぎるので、伏せさせてくださいませ。

 ところで、すばらしい情報も手に入っています。天はいつも見守ってくださっていると確信をするのは、ガレリア・グラフィカのオーナー栗田女史と、鎌倉駅のトイレで、夜の10時半に出会うというような幸運が私に訪れるからです。ガレリア・グラフィカというのは銀座の大きな画廊で、教育大の西欧史学科の卒業生である、栗田女史は、朝日新聞で短いエッセイを(夕刊に)連載していたり、世田谷美術館の館長をしている酒井忠康氏と、実懇の間柄の人です。

 栗田女史の自宅は、葉山で、したがって現役の奥様でもある彼女が、鎌倉駅のトイレに、夜の10時半にいることは非常におかしい話です。私はすぐ、ピンと来て、彼女は銀座で伊藤玄二郎氏と夕食をともにした。話題は私に関してである。私が銀座で仕事がしにくくなるように、伊藤玄二郎氏が頼んでいるなと思って、トイレの鏡の前で、彼女が出てくるのを待っていました。

 数分間待たされたので、ますます確信をしました。つまり、===画廊が終わった、夜の七時半からどこかで夕食をともにして話し合い、9時ごろそれを切り上げてグリーン車に乗って、新橋から鎌倉まで追加の話をしたが、まだ終わらないので、伊藤玄二郎氏が持っている、BOWLS というカフェか、または、伊藤玄二郎氏のオフィスで、さらに話を続けて、その後、『葉山まで車でお送りをします』===ということでしょうと、推察したわけです。

 私が鏡の前で待っていたので、栗田女史はドアを開けたとたんにドキッとしたようでしたが、百戦錬磨の女性なのでたちまちに、自分を取り戻し、鏡で、化粧を直しながら、私が繰り出すさまざまな質問をはぐらかしたのです。ここで、彼女を百戦錬磨というのは、一度外人と結婚をして離婚をされています。しかもその後で、さらに再婚をされていますが、そちらの相手も相当に現世で偉い方らしいですよ。ふ、ふ、ふ。この経緯も相当に個性的(?)ですが、一方でビジネスウーマンとして、酒井忠康氏と密接であり、かつ、朝日新聞と密接であるのは、なかなか、うまいやり方というか生き方です。いやものすごく抜け目のないやり方です。

 小太りで、モダンな面立ちの女性であり、銀座、および全国の画廊を睥睨している女性だと思いますが、私は一切評価をしていないのです。大変ないじめを間接的に受けていて(それは、個人的な問題ではなくて、すこぶる政治的な態度といえますし)、迷惑をしているということもありますが、それ以上に山本容子さんの売り出し過程を見ていて、人間として尊敬もできないし、受容もできないという判断があります。

 この山本容子さんが、NHKに頻繁に出演した過程にも、相当な疑問がありますが、今日はそれには触れません。番組の構成を丁寧に観察・検索すると非常におかしいポイントがあります。が、今日は触れません。ただ、『NHKは視聴者から、金銭を取っているので、これはいけない』と判断したポイントがあります。いずれ機会がきたら、述べましょう。

 魔弾の射手というオペラがありますが、山本容子さんを有名にしていく過程はまさに、その筋の現代における再現です。容子さんは京都市立芸大の出身者で、関西に住んでいました。同じく京都芸大卒の夫がいて、一般的な手法=個展を重ねながら名前を売っていく=で、自分を売り出そうと努力をしていた人です。そこへ栗田女史が入ってきて、東京へ出てきなさい。売り出してあげますと保障をしましたが、夫は引き受けないといわれたので、そこで離婚となりました。山本容子さんはその後、思い切った恋愛を重ねて、さらに男性力(私の造語です。下半身の結合で自分の味方をしてもらうことを指します)を利用して大きくなっていきました。この生き様を見ていると、彼女と徒党を組んでいるとエッセイに書いている林真理子さんのほうがまだ上品で節操があると感じますけれど。

 ここでどうして、栗田女史やら酒井氏が重要かというと、彼らは、すべて結託をして、私をライターとしては立てない人にするための罠をかけてきたからです。私が言っていることがすべて、真実であるからこそ、国際的軍産共同体は、こういう姑息な手段をとってきます。正面きって書くなとは命令できませんものね。

 二年前ぐらいに、その手の命令が身近な人から下ったこともありますが、すぐ、その裏を察して、断っていますので、電話の盗聴をしていれば、私が結構堅固な人間であることは推察ができるからです。簡単な手法では、私を沈黙させられませんからありとあらゆる工夫がなされます。その罠の最たるものは四月の私の個展でした。

 私はそれを、『今回だけは、これはわなだろうなあ』と、一方で感じながら、せっかく申し出でがあったわけだし、今、銀座の画廊は不景気だから、長年の付き合いのある森さんが、たとえ、20万円(貸し賃が、15万円、+はがきの郵送料が、4万円、ほとんど毎夕パーティみたいなものが開かれている画廊なので、お酒等を差し入れしましたのでそれも加えれば、優に二十万円を超す)でも、収入があれば、よろしかろうと引き受けたのですが、突然期日が変更になったりして、さらに、わなであろうなあと、いう思いを強めたのです。 がさらに、初日ぐらいに、月刊ギャラリーの情報で、同じ時期に山本容子さんの個展がぶつけられていることを知り、確定的に、これがわなであることを知ったのです。

 目的はもうひとつあって、私に無駄な散財をさせて本が出版できないようにする事も狙われていたでしょう。個展とは、画廊の借り賃だけではすまないのです。はがきも印刷代が私の場合は、二種しかも凝った物を作るので四万円を越しますし、封筒で案内を差し上げるので郵送料もかかるし、作品の運び賃も高いのです。油絵は大きい作品が多いし、版画の額って、小さくてもベニヤで裏打ちがしてあって表にはアクリルが張ってあるので、とても重くて、運賃が高いのです。で、一回個展をすれば、ほぼ、本一冊分の出版費用が飛んでしまいます。

 だけど、森さんもひどいですね。私がやった廊下の展示などを、悪いほうへ改変したり、ご近所の画廊のスタッフが来たら、「見ないでいい」と返したそうですよ。こういうことがどうしておきるかというと、森さんの画廊が盗聴をされているのだと思います。場所というか、地理的に、私が訪問する最後の画廊となっています。それで、私もつい、ほかの画廊より長居します。ほかの画廊で、三分を過ごす日にも、森さんの画廊では、五分を過ごします。だから、彼はリクルートをされてしまった。そういうわけです。だけど、彼が裏側をどの程度まで自覚をしていたかは、今のところ、証拠は何もありませんが、ともかく、今回の個展では異常に来訪者が少なかったのです。

 森さんがリクルートをされてしまったわけは奥さんをなくした後では、ほぼ、毎日画廊で夕食をかねた飲み会をやっていますので、私が酒の肴を差し入れたりしていました。で、とても親しいのではないかとみなされていたと思います。で、親しい人間は普通なら罠をかけませんよね。道徳的に当たり前のことです。だから、見破られないで私が乗ってくると、敵は思ったのでしょう。私は見破っていたのですが、だまされた振りをして話に乗っていました。

 これは栗田女史と伊藤玄二郎氏のデートが、友情とも恋愛ともまったく関係がないのと同様で、酒の肴を差し入れても、私は一切油断はしていませんでした。上等なる、狐と狸の化かしあいといった体たらくに、最近では、変化して行ったのです。昔は違いましたけれどね。誠実な交際だったと思いますけれど。特に今回の個展の開催中はひどかったです。森さんも最終段階では、私がすべてを見通していたことがわかっていたのではないかな。馬鹿じゃあなかったら、それぐらいわかるはずですよ。だけど、最後まで、私も平静に全うしました。

 ところで、仕事上は、山本容子さんをぶつけられたわけですが、その意味するところは、『彼女に比べたら、お前なんか人気がない小物なんだよ』と、示しつけられて、感情的にへこんでいくことを願った、伊藤玄二郎氏と、例の井上ひさし氏の二人羽織による発案だったと感じています。

 その確証は、病院からの電話です。鎌倉の東部に額田(ぬかだと読む)病院という総合病院があります。この病院へ我が家では、時々、検診に行きます。鎌倉市の提供する、検診サービスの病院としては、我が家から一番近い総合病院だからです。そこで2009年の秋に、主人が検診を受けて河野医師という方に、『がんの疑いはありませんか?』と質問をしています。河野先生は、即座に否定しました。別に心配はありませんと。

 その後、半年経て、突然に一応河野医師からではなくてですが、事務員から、「ご主人に伝えてください、検診に来てほしいのですが。がんの可能性もありますから」と電話があったのです。それがまさしくも個展の初日でした。2010年の4月5日の午後、一時ごろです。

 私はすぐぴんと来ました。は、ハーン。これも例のおっちょこちょいの、伊藤玄二郎、および、井上ひさしの発案であろうと。

 個展そのものは、酒井忠康氏とか、瀬木慎一氏の発案だった可能性はあります。『個展で、客の来訪が少なくて、お前は小さい存在だと自覚をさせて、打ちのめしてやろう』という目論見だったと感じます。で、平行して、精神的にもずたずたにしてやろうというのが、この「がんの検診に来てください」という電話です。どうして、二人羽織の二人が、おっちょこちょいかというと、後は野となれ、山となれで、見通しがきちんとついていない発案が次から次へと繰り出されるので、もう、すっかり二人の性格がわかっているからです。

 特におっちょこちょいだと感じるポイントは、主人が銀座へ出かけているタイミングを狙って、この検診要請の電話がかかってきたからです。これは前にも似たようなことがあったので、すぐぴんと来たのです。携帯にはGPS機能がついています。私は、最終日まではけんかをするつもりはなくて、一応の礼儀として、主人に森さんへたいして、「家内がお世話になっています」といってもらいたくて、「初日に画廊へ出かけてください」と頼んでありました。

 で、向こう側の狙いとしては、主人の留守にこの電話を浴びれば、私がずたずたになるはずだと考えていたのでしょう。もし、私が彼らが推定するくらいの馬鹿であって、何も気がつかないで罠にはまっていたとすれば、この電話が、私の神経をずたずたにするはずなのです。だってね。妻の個展とは一種の遊びといえばいえます。経済活動の主体は夫にあるのですから。

 妻が遊びほうけている間に、夫ががんになっていたというのは、悲劇ですよね。それに、世間からのいい、物笑いの種にもなります。子供や親戚にも責められてしまいます。それを狙っているわけです。私はすべてを最初から見通していますので、ちょうど、「天国ビルの前にいるのだけれど、画廊の位置がわからなくなったよ」という電話をくれた主人に「額田(ぬかだ)病院からかくかくしかじかの電話があったわよ」と簡単に告げて、その後で、詳細な手紙を書き、主人に残して、すれ違いで、銀座に出かけました。

 いや、その手紙は次の日の朝、渡したのかな? 泥棒に盗まれたり、のぞき見されたりするといけませんのでね。しょっちゅう泥棒が入りますので。国立国会図書館に朝の六時から出かけていたのも大切なデータを泥棒に盗られたからでしたし。

 この電話に関して、もちろん私は激怒しました。が、外部としては、どこに対しても表面上は一応静かにしていました。森さんの画廊を盗聴していたとしても、私はごく平成に見えたと思います。逆に、こちらが、それを逆手にとって、伊藤玄二郎氏のオフィス(彼は鎌倉春秋社の社長です)をたずね、「個展を今銀座で、やっていますから来訪をしてください」と頼んでみたのです。虚々実々の駆け引きです。

 それが、4月9日のことです。井上ひさし、氏が逝去されたのは、まさしく、そのころだったのです。公式には四月十日といわれていますが。

 私はその死亡情報が、一種の偽装であると感じました。彼は脚本家であり、相当に込み入った脚本を日本の現実社会に対して錬っている人間です。小泉元首相の靖国参拝に対する集団訴訟も彼が、発案した可能性もありますし、さまざまに発案を重ねています。私の西隣の人が、あたかも真夜中に我が家の壁に石をぶつけているかのごとき、偽装も、彼の発案でしょう。脚本を書くのがすきなのです。あ、は、は。

 その自分が死んだと見せる、究極の芝居の目的がなんだったかというと、『死者に鞭打つのは、ひどく不道徳なことである』という日本人固有の性向を利用して、自分の悪事がばれないことを願ったわけです。短絡的ですが、国際的軍産共同体に守られている身ですから、何とでも後で、いいように処理できると言う発想もあったでしょう。実際に二度にわたってオマージュの嵐が起きています。

 彼本人がそれを、企画したと私は考えています。世間を煙に巻いて、自分で自分をほめまくる・・・・・そのくらいのあざとさは、十分にある人間です。猫を焼き殺して食ったと昔から言っていますが、私が国際的軍産共同体の悪を分析すると、必ず猫に関する悪いニュースが世間に出回ります。ごく最近では八王子の、連棟型、住宅に住んでいる加藤一二三(棋士)さんがご近所から、野良猫のえさやりの件で、訴えられるというニュースが新聞で報道をされました。これも彼の発案でしょう。

 しかも、ばれないと思い込んでいるので、今回の大相撲壊滅作戦の諜略も錬ったでしょう。

 死亡診断書等ですが、何とでも製作できるでしょう。フリーメーソン組織を利用すれば適材適所で、医師もいるはずです。ただ、私の直感として、ぬかだ病院の存在は大きいかな?

 まあ、三女の弁か、奥さんの弁によると、歩いて病院へ通ったそうですから、清川病院か、佐藤病院でないと無理は無理なのです。しかし、おっちょこちょいの典型である井上ひさし、氏は、論理的な裏づけなどまったくなくても、次から次へとアイデアをひねり出す人ですから、今回の脚本の中に歩いて病院へ通うというアイデアが、突如として、出てきたわけです。普通なら瀕死の病人が自宅のある佐助が谷から、15分以上は歩けるはずはないのですが、そういう突飛にして、非論理的な、アイデアが通ると思っているおっちょこちょいなのです。

 で、二人羽織のもう片袖である、伊藤玄二郎氏は、鎌倉の医師会に大きな顔が利く存在です。長年、医師会報を、手がけてきています。それに、一種のかわいげぶったところもある人材なのでしょう。栗田女史が、夜の十時半に鎌倉駅のトイレにいて、堂々と先に逃げていった伊藤玄二郎氏の後を追って市内へ消えて行ったことでもわかります。信じているのでしょうね。立派な紳士だと。

 伊藤玄二郎氏は、一冊の本がもたらす功績で、ポルトガル国の勲章も得ていますが、これも、北野武監督のレジオンドヌール勲章の受賞過程とそっくりです。なるほどね。と、私は笑っているだけですが・・・・・

 こと、井上ひさし氏に関しては、氏の悪行を急追していました。世間に公開したものとしては、篠山紀信氏への青山霊場のヌード撮影を理由とする家宅捜索の件だけですが、パソコンないメモとして、数数の社会現象をすでに2008年から分析していて、それを、次から次へと繰り出す予定ではありました。だから、わなとしての個展をやらせて、疲労をさせ、その上で、夫ががんだと言うことになって、私が精神的にぶっつぶれれば、最も得をする存在は井上ひさしだったというわけです。

 私も、さすがに死亡の発表後、二ヶ月は沈黙をしました。やはり、世間の流れと日本人の性向は無視できないです。しかし、大相撲の壊滅作戦が、見事に、この二人羽織の発案どおりに、成功したのを見て、なんというおぞましいことであろうという観点は捨てきれないので、今日、一部分だけでも書いたわけです。
 なお、ここで、いったん中断します。酒井忠康氏とか、栗田女史とかを、引き続いて分析しなければいけませんが、私も忙しいし、この文章自体が長くなりすぎていると思いますので。では。

                          2010年7月16日    雨宮舜
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さもしさを、嫌う日本人・・・・(選挙結果分析の4)

2010-07-14 13:39:42 | Weblog
小さなお断り、・・・・・最初、タイトルを、『新党群の惨敗の原因と、みんなの党躍進の原因は』、としていましたが、中身途中も推敲をして、言葉群も足し算引き算をし、誤変換を直した後に、上のタイトルへと、変更をいたしました。どうか、よろしく。・・・・・

 今日は水曜日です。昨日の火曜日は西から来た、大雨が降りましたが、幸いなことに近辺では何も被害はなかった模様で、風は残っているものの、日も差してきました。日常生活が回復していて、『選挙など、いつ、どこであったのだっけ』と、いう雰囲気です。

 これはひとつには、例の現在日本の事実上の主権者である国際的軍産共同体が望まない方向に結果が流れたことが原因でしょう。で、その国際的軍産共同体をこれからは、上の主体者と私は、呼びます。下の主体者は、この国を作っている、普通の国民です。あなたであり、私であります。集合すると一億となります。その一人から年間、5000円を集めてもすぐ、5000億円になります。大きな力であり、大きな収入源でもあります。だから、収奪の対象になっているわけです。それを、少しでも、少なくしたいのが、私であり、それを、少しでも多くしたいのが、上の主体者です。

 今まで、長らく政治的に利害が対立する双方は、右や左といわれてきました。一見すると両者の力関係が等しいようでカッコウのよい言葉ですが、この定義が、最近では、ごっちゃごちゃに変化していて、今では、共産党がアメリカへ行く時代であり、しかも彼らは、集団訴訟という形で靖国参拝をする総理大臣の、足を引っ張ることのできる時代です。

 右と左という言葉はもう使えません。この際に、右に国際的軍産共同体を置き、左に私の考える、普通の市民を置くと、定義や、観念が間違ってしまうところも出てきます。

これからは、ツィッター方式で書かせてくださいませ。だいたい17時ごろに完成となるでしょう。
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 新党群、が、ぼろ負けをしました。この原因ですが、『さもしい』ということを嫌う日本人の国民性が出たのだと思います。『沈没しつつある泥舟は、捨てよう』というのは個人が、収入源が確保できない可能性ができたときに、そういう行動をとっても、誰も、違和感を持ちません。会社がつぶれそうだから、本格的につぶれてしまう前に、転職をしようというのは、よくあるケースです。

 しかし、政治家は違うのです。国民の票という付託を受けて表舞台に出てきた人たちですから、その任期中に離党をしてはいけません。どうしても、党の方針と、自分の筋が合わないのなら、国会議員を離職すべきです。収入を確保し、発言する場を確保していて、かつ、自分が元いた党を自分が上のものとして捨て去てさるなど、見苦しいこと限りがないです。
 
 代表として名前を挙げれば、桝添さんと、与謝野さんです。桝添さんについては、『もともと、ビートたけしの番組ほかの、タレント活動で表に出てきたわけだから、軽いのも仕方がありませんね。学者といっても。まあこの地域選出で、千葉景子さんの応援をしている長島一由よりは重いけれど』という軽蔑の対象になるだけですが、与謝野さんについては、『名門の出身なで、ノブレス・オブリッジの観点はある人でしょうに、どうトチ狂っちゃったのでしょう』と感じます。

 二人とも、自民党という基盤で、大臣にまでなれたわけですから、これは、一人間としても、下劣さを表面に出し切ってしまったわけです。国民は浅はかではありません。きちんと見つめていたのです。私が事前に何も言わなかったのは、それについて、言及をすると、すぐマスコミが新しいニュースを作って二人を擁護すると、言う流れになることを推察していましたので、何も言及をしませんでした。

 さて、どうして、このような浅慮を二人が示したかですが、『新党結成の動きが影にある』という報道やら、を信じたのでしょう。また、国民の目には見えないところで、実際に『新党結成はある』かもしれません。桝添えさんも与謝野さんもそちらにリクルートをされていて、そちらに参加するつもりだが、先の流れを予測すると、===自民党が大敗した後では、国民感情がまずいであろう。それこそ、沈み行く船を見捨てるということで、自分たちを悪党とみなすはずだ。それを、避けるために少し、先に、旗幟を鮮明にしておこう===ということだったと思います。が、二人が所属している党は、ほとんど、全滅に近いほど、の、小さい勢力となりました。

 与謝野さんの党の方に所属をしていた中畑清候補は、落選しました。これは、与謝野さんが、加わっていて、テレビに出たりしたので、国民が、『は、はーん。中畑清はあそこの党所属なのか。それじゃあ、何もできないし、何も信頼できませんね』と思ったのでしょう。
一回ほど、この党のテレビ演説を聴きましたが、別に感銘を与えられませんでした。

 石原慎太郎知事も応戦していましたが、与謝野さんが画面に登場していたのは、決定的な、ミスでした。戦略がないですね。というか、国民をなめている。良識のあるインテリが多いでしょうし、与謝野さんも個人としては、立派な人ですが、政治センスがない。中に片山虎之助という人だけが当選だった模様ですが、この人は、年齢制限に合って、自民党の推薦を得られず、したがって、友人である平沼さんや、与謝野さんを頼った模様なので、例外として脇にのけておきます。
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 さて、桝添さんの新党と、亀井さんの新党(ちょっと古いが、自民党から出て行ったという意味では同じ種族です)については、与謝野さんと同じポイントで、国民はあっさりと見放しています。それだけの話です。

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 さて、どうして、みんなの党が躍進をしたかですが、渡辺喜美代表はそのみっちーという愛称で呼ばれた父の時代から、政治家として不遇であるとの印象がありました。
 つまり、みっちーと呼ばれた渡辺美智雄氏は、首相になって当然の力があると、国民はみなしていました。しかし、田中派との競争で負けたと、表向きには見られています。真相はわかりません。
 で、次の代になったわけですが、渡辺喜美氏は、いわゆる二代目としては、気概のあるほうで弁も立つほうです。しかし、自民党内で優遇されているとも思えませんでした。

 ともかくにして、『これでは、どうにもならない』と二代目のほうが思ったことは確かであろうし、それが、国民に推察をされるから、こちらの新党は嫌われず、それから先は、各候補者のいわゆる、実力のほどが反映したと感じられます。

 選挙運動の手法は、好ましいものでした。主に、首都圏の主要駅の駅頭で感じた限りですが、応援する人も候補も、すこぶる、元気で、気持ちがよいなあと傍で眺めていて感じました。
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 さあて、今日は水曜日です。いつもと発刊日を変えて、週刊新潮と週刊文春が出ています。それに週刊朝日も。・・・・・それらの記事のタイトルですが、週刊朝日が、『菅を追い詰める小沢の次の一手』などとなっています。

 しかし、当の小沢氏は、8日以来テレビに顔を出していません。

 その真の理由は、私が鹿島泰三という仮名ながら、とうとう、瀬島隆三氏について、触れ始めたからでしょう。これから先のことは今はまだ、口にチャックとさせてくださいませ。ただ、どんなに週刊朝日とテレビ朝日があせっても、国民の本当の賢さを覆すことはできないでしょう。私なんて、一回の主婦であり、ごく普通の国民です。だけど、政治の裏側はほとんど見えておりますよ。で、

 このブログの読者以外の人と、ちょっと、軽くお話しするだけで、みなさん、ほとんど同じ考えですよ。大マスコミと警察と、NHKは、こと、相撲の事だけに関しても、国民の精神からまったく遊離しています。これは、なお書く分析する可能性はありますが、

 ともかく、現代日本では、マスコミが一切当てにならないということを国民は身にしてみて感じています。それだけは確かです。

 最後になりました。私は別に自民党をひいきにしているわけでもないのです。しかし、民主党が内包している恐ろしい部分に気がついていますので、国民として自分の身を守るために、バランスをとる必要があるので、自民党には復権してもらいたいと思っていますが、さあ、自民党こそ、これから、どう流れていくのかな? また、ばかばかしいことを繰り返すのかな? 国民はきちんと見つめていますよ。これからこそ、大変です。
                        2010年7月16日  雨宮 舜
コメント
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