二日目の29日(月)になりました。推敲を終えました。で、恒例のようにタイトル横に、△印をつけておきます。
副題1、『本章用の前書き』
副題2、『NHKには、要望をしたいところだが、大衆へマイクを向ける、低劣で安易なやり方で、世論操作するのはやめてほしい』
副題3、『物理では、よく作用、反作用の法則を言う』
副題4、『不思議な川柳、<付け火して、煙喜ぶ、田舎人>への私の解釈』
副題5、『左官職であったことを生かした、立派な家に、住んではいるが?』
副題6、『新株の増資とは、大和ハウスだったのだが、賃貸住宅専門の投資だと聞いて、応募をやめたのだった』
副題7、『他の重要な事件に見る、加害者と被害者の逆転現象・・・・・西鉄バスハイジャック事件・他』
副題8、『川崎では、優秀なタイル職人だったといわれている、保見容疑者・・・・・川崎にしがみついて居ればよかったのにと、私なら思いますが』
副題9、『真の芸術家になる(または、である)場合、学歴は本当は関係が無いのだが・・・・・世に出るためのルート作りに必要なのだ・・・・・保見容疑者は、ロマンローラン言うところのピラミッド内部の石だった』
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副題1、『本日用の前書き』
いや、この一週間はある意味で、震撼をしていました。宮崎県で、口蹄疫を起こした連中は、毒入り餃子事件も起こしているし、今回は山口県の周南市で、大規模殺人事件を起こしたのかと思って。
そういう誤解をしたのは、NHKが、佐々木彩記者と言う、これから大きく伸びそうな、しかも前の日まで、選挙速報を永田町近辺で担当していた美形の記者を投入したことと、常に政治的な動きをするご近所様の動向と、そして、永田町の動き、特に細野豪司氏をめぐる動きの解釈が、そう思わせたのでした。一回、引っ込めている、キャロライン・ケネディ、新駐日大使就任までの、この一週間の動きは、再度、チェックをして、自分が誤解をしていた部分を手直しをして、再アップをしないといけないかもしれません。
しかし、テーマが読者にどう受け入れらるかよりも、ただただ、神様が、今、私の手を通して、書かせてくださることを優先する私は、保見容疑者を、分析することへ今日は取り組みたいと思います。あの放火殺人事件は、実行段階では、政治は、無関係でした。ただし、これからの利用のされ方では、どうなるかは判らず、・・・・・まだ、まだ、なぞが多い事件ではありますが、
NHKのニュースの作り方に相当に批判のある私はそこから、切り口を、見つけ、書き始めたいと思い始めたのです。
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副題2、『NHKは、大衆へマイクを向ける、低劣で安易なやり方で、世論操作するのはやめてほしい』
NHKに限らず、各テレビ局は、街頭へ、マイクを出して、一般人にインタビューを良く行います。そして、採取した意見から、取捨選択して、世論操作に役立てています。
それは、本当にずるいやり方です。ただ、私がここで書いたことを、後付で否定して行く動きが多いので、言わない方が、流れがいいほうへ流れるかもしれませんが、それがあっても、この件は、繰り返し言っておきたいことです。今回は政治的な事件ではなかったわけですが、それでも、周南市の金峰近辺へ出かけて行って、一般人にマイクを向け意見を採取していました。
ところで、ここで、挿入ですが、私の実家のお隣に、世界的な大スターが、新婚直後に引っ越してきて、離婚をされてしまいました。そのときに、奥様も有名な女優だったので、テレビ取材班が、大挙して訪れて、母にもマイクを向けたそうですが、できるだけ玄関を開けないようにして、取材には応じなかったそうです。母は、そちらから、お子様たち用の七五三のあめをもらったりしていたし、良くご夫婦で、訪ねてきてもらったので、かわいそうに思って、テレビには何も答えなかったそうです。身内を褒めてはいけませんが、母は賢かったと思います。
今回、堂々とマイクに向かって応じたご近所様が居て、そういう人が居るから、ああいう事件が起きたと感じました。あんな凄惨な大事件が起きた時に、NHKのマイクに向かって、「つかまってよかった。これで、安心して、いられます」なんて、語る人は、あまりにもありきたりの人間であって、『人にはすべて個性がある』ということの判っていない人間でしょう。そして、そういう人間が、常日頃、圧迫感を与えていたから、ああいう大事件が起きたということだと私は感じますが、そういう過去の嫌味な行動の堆積に対する、反省が微塵も感じられず、『これは、嫌なムードだなあ』と思ったことでした。
保見容疑者とは、前報でも言いましたが、相当に芸術家的な部分があり、そういう人物であるとして、あのの人々が認めておれば、それで事件は防げたと思うからです。『NHKは、これから、強いもの、集団力のあるものの見方をして、個性的なものを圧迫するような方向へ世論操作をしていくつもりでしょうね』と、27日中の、あのインタビューを見て思ったことでした。
私は個性が大切だと思っている人間です。保見容疑者と同じく、世間的に言えば損をしている方ですが、それを逆手にとって、クヌギ林の七賢を気取っている人間です。これは、竹林の七賢をもじったものですが、東京へ一時間の距離ながら、自然に恵まれていて、東南方向の窓からは、樹木しか見えないこの家に住んでいる限り、心を澄ませ、物事を深く考えることができると、自覚をしていますので・・・・・
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副題3、『物理では、よく作用、反作用の法則を言う』
私は物理は得意では無いし、好きでもないのですが、それでも、物理とは、よく、力を、話題にしていて、研究する学問だと、感じています。たとえば、プロ野球の場合、同じ球を使っていても、『投手が、剛速球を投げ、150キロを速度として超えると、打者が追い込まれて、詰まったあたりを、打ち、ヒットが出にくいのだが、それは、その際には、かかっている力が大きいからだ』と、知っています。その際、よく出る言葉が作用、反作用の法則です。投手がゆるい球を投げれば、打球も、遠くへは飛びません。
この周南市の事件では、まず、ご近所の、保見容疑者を、排除し村八分にする行動があったわけですね。最初にそれが、あった。小さいものでも、毎日、12人(もしかすると、17人だったかな?)の相手から、押し込められ、与え続けられたら、大きな集積を生み、その反作用として、大殺人事件が起きたわけです。そして、これから、三回目の反作用として、保見容疑者は、無期懲役か、死刑になるのでしょう。そこで、物理的な反応は終わるのかな?
裁判が開かれて、五人の被害者の親類縁者が、法廷を出たところで、また記者会見を開いたり、街頭インタビューで、保見容疑者に対する恨みと批判を述べまくるのかしら?
それは、保見容疑者が、死ぬまで続く現象でしょうか?
でもね、そういう風にしたり顔で、テレビカメラの前で、感想や意見を述べる人に向かって、私が感じる事は、・・・・・・「あなたは、保見容疑者より、ご自分を上においているみたいだけれど、『神の前での人間の平等』と言う概念を知らないのですね」・・・・・・と言うことなのです。
「あのね。殺されるという事は大変な損害です。そして、被害者である事は認めます。だけど、殺されるほどの恨みを買ったという事は、やはり、ひとつの恥ずかしいことではありませんか?」と言いたいです。
日常的な些細なことでも、積み重なれば大きいということと、集団の力を、こめると、それは、一人の力より大きいということ。それを忘れてはいけません。
ここでいう神の前での平等と言う概念は、キリスト教的なものであり、欧米で、私が体感したものなのです。それを後で、述べていきますが、その前に、日本人として、この言葉に似たものをあげれば、生まれたときは、裸で生まれ、死ぬときもまた裸で、死んでいくという言葉が該当するでしょう。
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副題4、『不思議な川柳、<付け火して、煙喜ぶ、田舎人>への私の解釈』
彼が窓へ張っていた不思議な川柳、の解釈が、放火の予告だったという意見があるようですが、私は違う解釈をしています。
あれは、つき一回行われる、協同(または、共同)掃除当番に、参加していない彼が、お当番が終わった後で、みんなが、落ち葉に火をつけて焚き火をする際に、自分の悪口を言っているはずだと、思い込んで、それに対して、何らかの防衛をしたいと考えて、書いたものでしょう。それと、自分が行った放火は、無関係だと考えられます。
ああいう立体作品を多数作っていた彼は、繊細で、敏感な人間であり、こういう掃除や焚き火の作業を通じて、そこで、人間関係の上下関係や、性格のもろもろが、如実に出てしまい、自分が不利になることがわかっていて、それで、参加を拒否したものの、他の人が楽しそうにしていれば、気になるわけで、
ある意味で、自分が参加しないと言い張ったことを、反省したり、間違っていたかなと思ったりはしていたと推察されます。だけど、再び入いろうとしても、修復が困難だったのでしょう。その彼が折れて出たときに、『あいつなんか、絶対に入れない方がいい』と強行路線を貫いた人々が、今回殺された人たちだったと思います。
その後、保見容疑者は、種々さまざまな方向で、どうしたらいいかを考えたとは思います。彼がもし、パソコンを使いこなせる人間であって、ツィッターとか、フェイスブックとか、それからブログとかで、発信をできる人間であって、ヴァーチュアルであっても、ひろい交流を、他に持っていたら、別にこういう差別や村八分を気にする必要は無いのです。ご近所様など、人生のある一部分ですから。
前報で、大学を出ていないことが、芸術家としてのルートを確立できなかった。それは、気の毒だったと書いた事は、各読者から、『また、あの人は、威張っている。変な人』と、反発を招いたかもしれませんね。其れは、充分に理解をしていましたが、私も老人度が増してきていて、昔母がよく言っていたように、忍耐力が落ちてきました。で、ここは、これを言わないで置居た方がブロガーとしては、有利だと判っていても、単純に書いてしまいます。
でも、あの川柳は、書体と言いし、言葉と言いし、相当にレベルが高いので、彼は、中卒と言う学歴にもかかわらず、教養は高い人間だったと感じられ、ブログやツイッター、そして、フェイスブックなど、始めれば、充分に、自分の心を楽しませることができたでしょう。
ところが、いかんせん、IT技術的に、周南市筋峰と言う環境では、それが無理だった模様です。携帯も通じない地域だったそうですから、ケーブルテレビは来ていないだろうし、フレッツ光も届いておらず、その種の文明の利器の応用範囲外だった模様です。
過疎の村の住人だった保見容疑者は、しかし、その地域固有の生活スタイルには合わない人間でした。そして、昔暮らした神奈川県での生活を恋しがっていた模様です。
それがあの川柳の、結語、田舎人(びと)と言うところに出ています。自分の方が負けている。弱い方だという認識はあったのでしょう。しかし、『本来なら』、と言うか、『本当の実力で言えば、あんたたちより、俺の方が上なんだ』という自覚が、ああいう、軽蔑のニュアンスを含んだ結語を生み出し、その軽蔑心が、また、周りに作用して、「何だ、あいつ。変わり者の癖に」と言う形で更なる、疎外を招いたのでしょう。
悪循環の始まりです。ここで、うちの母みたいなしっかり者が、メンターとして彼の後ろについていれば「燕雀、いずくんぞ、鴻鵠の志を知らずんやで、ほうっておけばいいのよ」といってくれるのですが、彼の周辺には、彼の心を満足させるような言葉を与えてくれる、指導者(メンター)は、居なかった模様です。
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副題5、『左官職であったことを生かした、立派な家に、住んではいるが?』
ところで、この事件の報道を、最近では、アルジェリアの日揮襲撃事件以上に追った私です。上に上げた一般人へのインタビューと言うのはテレビ朝日も多用している手法ですが、不思議なことに、保見容疑者を知る人物へのインタビューで、保見容疑者の悪口を言う人間が居ないのですよね。「神経質だった」とか、「気が細かいのよ(気が小さい)」と言う人は居ても、ずるい人間だったとか、嫌な感じの人間だったという、人物が居ないのです。
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ところで、ここで、挿入として後日の報道を取り上げますが、そういう事は起きるだろうと思っていた予測どおりに、保見容疑者が、どれほどの、悪人だったかと言う報道もウエブサイトでは出てきています。一瞬、私は迷いますが、『まあ、それも、これも、あれも、私の文章を否定したい連中が流しているニュースでしょうね。今まで、散々同じことをやられて来ているので、すぐ、その目的は読めますけれど』と、ここでは、言っておきましょう。で、挿入から元へ戻ります。
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それと、主人がよく言うのですが、「犯罪を起こす人間の家は、汚い」と。ところが、この事件では、保見容疑者の家は汚くないのです。左官職人だったというのが伺えるのが、道路に直角になっている黄色い壁です。こてで、造型した抽象的な模様がついていて、まるで、アルハンブラ宮殿みたいです。まあ、あそこまで繊細ではないですが、ご近所様も、「帰郷して、立派な家を建てて」といっていますので、相当に立派な家のはずです。道路に向いた方向で、車庫があって、二台車が停まっています。
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副題6、『一種の無理心中であった可能性はある。お金が底をついていた、可能性が有るので』
たぶん、集落でも立派な家のほうでしょう。だけど、ランニングコストと言うか、生活費は、少なかったかもしれません。特に最近は。この地域で、農業をするといっても畑や、田んぼは、少ないみたいですし、今山林は放棄されていて、収入を生みません。地主にとってもそうだし、小作と言うか、労働力を提供して山林を支えていた、人々にも作業が回ってこないそうです。
地域全体が貧しい中で、他の家族は、遠くに住んでいる子供からの仕送りなどあったかもしれません。そんな中で、彼は川崎市から、帰郷して、10年以上は過ぎているみたいなので、貯金が底をついている可能性もあり、その不安も、あって、イライラが募っていたとも考えられます。
生活費の不安から、生活保護を申請するかどうか瀬戸際に立っていたが、地域で孤立していたので、民生委員にも相談ができず、また、生活保護を申請すると、さらに、いじめられたり、村八分状態が強くなるので、しなかったが、貯金が底をついていて、大きな不安に駆られ、一種の絶望状態にもあった。大型犬である、ゴールデンレトリヴァーに与える餌についてもご飯を炊くお米を買うお金も無かった。無論のこと、鶏肉を買うお金も無かった。町へ行くための、ガソリン代にも事欠く有様だった。
と言うような裏があったとすれば、彼には、すでに、救済される道が見当たらず、深い絶望から、自殺をしたくなったとも考えられます。犬を放さなかったとか、つれて逃げなかったのが不思議だといわれていますが、そこまでの余裕が無いほど、絶望をしていたとも思われます。
で、人と言うものは自殺をしたくなったときには越し方行く末を考えるものだと思います。そのとき、『ああ、俺は、いじめられたなあ。ここで』と、思い出し、『そうだ。どうせ死ぬんだ。あいつらを道連れにして、死んでやろう』と、考えたと仮定をします。すると、動機は、何か決定的な変化があったと考えるよりも、ただ単に、彼の側の絶望の深さが主因であって、無理心中だったということにもなります。
ここで、読者の皆様は、『あれ、変だぞ。雨宮舜は、保見容疑者の理解者の課、それとも批判側なのか、文章に統一が取れていないぞ』と、お考えになるかもしれません。たしかに、本日は二日目として、この文章をいじっているので、初日ほど、統一が取れていないのも事実なのです。
ただ、無理心中の線が消えないのは、タイミングが良くわからないからです。
お金が残っていたかどうかは、貯金通帳を見ればわかることですが、そこに、たとえ、残高が、1000万円あったとしても、人によっては、「もう、お金がなくなった」と感じて、恐怖に曝されることは有るのです。
ただ、タイミングとしては、お盆が近いことも関係があるかもしれません。近々、盆踊りなどがある予定だとか、なると、にぎやかなときほど、孤立している人間にとって、つらい時期は無いからです。盆踊りは無いものの、『お盆はお祭りとして、地域では、盛大に催されるもので、その際に、父親の七回忌を行う予定だが、参列者が居るかどうかが不安である』とか、そんな動機が引き金になったかもしれません。
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副題7、『他の重要な事件に見る、加害者と被害者の逆転現象・・・・・西鉄バスハイジャック事件・他』
お金に関する不安がもしなかったとすれば、恨みが動機となった犯罪の加害者は、その直前までは、一種の被害者であったという法則が、保見容疑者にも当てはまるような気がしてくるのです。
昔、私立高校で、柔道のできる(ただし、選手になれなくて、部活を止めていた)大柄の男の子が、大阪の川の中で惨殺死体で、浮かんでいて、ご両親が、悲しんで、犯罪被害を訴えていた事件がありました。ところが、犯人が捕まってみると、同級生が二人でやったことでした。被害者が、柔道を理由に特待生として入学したにもかかわらず、正選手になれなかったストレスを、自分より体格が小さい同級生にぶつけて、相手をいじめていたのが主因でした。目玉が飛び出すほどの激しいリンチを加えて殺害をしたのは、同級生の、別に不良でもなんでもない少年二人だったのです。で、真相が出てくる前までは、犯人への憎しみを訴えていた被害者の両親の方が、目も当てられないこととなりました。
その事件は、子供の生活を、親が全部知っているわけではないということの典型だったし、加害者とは、直前までは被害者だったということの典型的事件として、私には、忘れられないものとなっています。
ただ、彼ら三人が在学中の高校が私立の学園だったし、他にもいろいろあるらしくて、ネットの検索にはすでに出てきませんが、この事件が起きたのがずっと以前で、『うちの子に限ってが、埼玉の少女コンクリート詰め殺人事件と同じく、現代では通用をしない事件のひとつとして、印象が深く、子供を育てるということがいかに大変かを肝に銘じた事件であり、特別に印象が濃いのです。
これは、少年事件をデータベース化したものがあって、それによると、日付からは、1979年に4月23日に起きたもののようです。ただ、相変わらず、詳細は載っておりません。
次に忘れられないのは、西鉄バスハイジャック事件です。まじめそうな高校生が、高速道路を走る長距離バスを、牛刀を使って、ハイジャックして、乗客の女性にも切りかかり、ある人は殺し、ある人は、顔に大怪我を負わせたという事件です。私が考えるのに、この人は、母親にいじめられています。母親はしつけと称して、一般的に言えば、意地悪なことを連続してしつこく、やっています。だから、子供のころから安心感やら,ずぶとさを養うことができなかった模様です。図太さって、時には必要なのです。
保見容疑者も、昔、今回彼が殺害をした人物の中の一人から刺されたという親戚の人間も居るし、これほどの大事件を起こしているのにもかかわらず、彼の悪口を言う人間が、テレビインタビュー内で、は、いなかったというのは、直前までは、彼の方が被害者であった可能性は強いのです。無論のこと、全部で、18人しか住んでいなかったという集落の残された人間は、保見容疑者の悪口をこれから、言うでしょう。それは、数の論理としては当然のことです。だが、そこに住んでいない私としては、保見容疑者が、日常的に、相当なストレスやら、プレッシャーを感じていたのは事実だと思います。
ところで、の人が、保見容疑者を変な人間だと規定する大きな理由が、玄関先においてある造形物を指しているらしいのですが、家が、綺麗なこともそうですが、あれらの造形物も銀座の画廊で、個展をして発表したら、おかしいという人間は、誰も居ないでしょう。特に格の高い画廊で、しかも誰か引きがあったら(画廊への紹介者とか、個展の案内状に推薦文を書いてくれる人などのこと)、確実に高い評価を得られるようなものです。
で、どうして、左官職なのに、色彩感覚が豊かなのだろうと思ったら、タイル職人として優秀だったという証言があったので、なるほどと思い至ったしだいです。タイルを使うのは主に浴室と、玄関ですが、高級な注文住宅の場合は、高級なタイルを使うはずで、それは、カラフルなものの筈なのです。
私はある大金持ちの家で、真っ赤なタイルを張ってある浴室を見たことがありますが、日本製かイタリア製か、フランス製かは判らないものの、タイルとは、色彩豊かなものなのです。職人とはデザイナーや設計か、または、施主の注文どおりに動くものですが、いい仕事を続けるうちには、感覚が磨かれるとは思います。しかし、周南市の山間のの中では、『その仕事は面白いねえ』と、彼にいってあげる人が居なかったのでした。周南市は、宮崎進氏を生み出した風土ですが、山間にまでは、その現代性は届いていなかったのです。
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副題6、『新株の増資とは、大和ハウスだったのだが、賃貸住宅専門の投資だと聞いて、応募をやめたのだった』
ここで、ちょっと、本日の主題からずれている話題に入ります。でも、最後には結びついてくるのですが、いったん離れて物を語らせてくださいませ。
母は株の投資が趣味でした。相当な資金量を動かしていたし、信用取引が女性にはほとんど許可されていなかった時期でも、信用取引が許可されていたほどです。それは、趣味ではあっても、それなりに、相当に深く勉強をしていたからであり、証券会社には、信用を得ていて、新株の増資など、何回も紹介があっ田らしいのです。
私が父の遺産として株をもらったときには「増資分ですよ」と、言って、数種類の銘柄の端株も入っていました。昔は増資は、10株程度をもらったのかな?
ところが、私は27年前にもらったそれを、全部、アーチストとしての海外修行に使ってしまったので、別に証券会社にアッピールするということなど無くて、大切にもされず、一回も新株の上場やら増資で、お誘いを受けたことが無いのです。
でも、2011年に二回目として、母の遺産を受けたときは、『ああ、仕事を持っていない私にとって、お金が入ってくるチャンスはこれしかないですね。これは、大事にしましょう』となって、株の勉強も始めました。で、それ以来、相当数の売り買いをこなしているのですが、ほとんど損をしたことがありません。(笑)
コツは、株に関する夜に出回っている情報を、参考にしないいということにあります。(笑)ただし、そういうやり方では、大もうけはできません。が、日経CNBCも見ますが、そこに出てくるニュースも参考にはしないし、日経新聞の記事も参考にはしません。
ただ、日本経済を良い方向へ持って行たいという志はあるので、ボーイング787については、バッテリー火災はそれこそ、作られた事故だと思っているので、それ関連会社の株は、数社合わせて計8000株は持っているし、ともかく、付和雷同はしないと決めているのが、コツといえばコツです。それと、自己責任の発想はしっかり持っているので、急落しても証券会社には駆け込まないし、文句も絶対に、つけません。で、担当スタッフに、選択が上手だと思われているみたい出し、面倒もかけない客だと思われているみたいなので、
ちょっと、新規上場について、問い合わせてみたのです。「サントリーが上場しましたけれど、あれは、どういう風にしたら買えるのですか?」と、上場騒ぎが、終わってから、質問をしたら、「じゃあ、今度は、新株のお話をかけてあげましょう」といってくれました。出、推察できた事は、サントリーの新規上場にお誘いを受けるほどの乗客ではないが、まったく無視するべきほどの、ごみ投資家でもないという立場でした。で、待っていたら、増資用の新株のお話が、一生で、はじめて入りました。会社は大和ハウスです。
その会社名は、聞いたうえで、申し込んだのですが、届いた書類の中身を丁寧に読んでみると、増資先は、賃貸マンションの建設に特化されているのでした。それで、『嫌だわ。これ』となって、「こちらから資格を取りたいと、お願いしたのに、こちらから降りるのは、申し訳ないけれど」とお詫びをして、降りました。お勉強になる機会を逃したのですが、直感に従う方が気持ちが良いですから。
この話ですが、私と言うのは株にロマンや思想をこめたい人で、単なる儲けで動く人ではないのです。損はしたくは無いですが、一寸の虫でも五分の魂であって、日本経済を少しでも下支えしたいと思っているわけで、それは、日本社会を良くしたいと思う気持ちに通じています。
その日本社会で、マンションは作りすぎだと思っているのが、私です。特にスクラップアンドビルドで、作っては、捨てて、作っては捨てる向きがあると思っております。パリやニューヨークでは古いビルを大切に使っているのに、日本では、戦後建設されたビルでも、作り直すケースが多いですね。それが、なんとなく嫌なんです。木造建築を、こつこつ作るような、クラシックな生活スタイルが好きであって、
「横須賀の米軍基地を見下ろす高台に、78坪で、660万円の土地を見つけて、子供が二軒の家を建てる
・・・・(その意味は、一回目は、未経験だから、失敗をする可能性が高いと、思うので、失敗をした家の方は、他人に貸して、二回目として、希望通りの、いい家を建てればいいと思うからでしたが)・・・・・のに好適だと思い、その土地を買いたかった」というお話を延々と過去にしていますよね。
それは結局は、買えなかったのですが、それでも、そういう風にロマンを追うのがすきなのです。自分の好きな傾向に沿っているのなら、後ろ向きでもいいが、先進的な方向でも、嫌いな方向は、選択しないのが私です。
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副題8、『川崎では、優秀なタイル職人だったといわれている、保見容疑者・・・・・『川崎にしがみついていれば、良かったのにと、私は思いますが、後の祭りですね』
ここで、やっと保見容疑者の話に戻ります。私がマンションやら、プレハブ住宅が嫌いなのは、それらは、伝統的な日本の木造住宅作りの文化を破壊していると思うからです。そして、保見容疑者が、川崎で、昔の仲間から、「仕事が無くなったから、故郷へ帰ったのでしょう」といわれるようになったのも、保見容疑者のような腕の立つ(?)左官職が、技術の振るい得る場所が、無くなっていったからなのです。
この間、紙類の整理整頓をしていたら、確かに父の筆跡だと思われるメモが出てきたのです。父は、北久里浜の家を建てるときに、私の希望に応じて、設計図やら、立面図を描いてくれて、建築家でもないのに横須賀市の確認申請を取ってくれました。今回発見された父のメモには、これから接触すべき職人たちの職種が書いてあって、そこには、左官と言う文字も確かにあったのです。
ただし、左官職と言うのは、本当に少なくなりました。今回550万円をかけた、この鎌倉雪の下の家のリフォームにしてもすべて、ベニヤ下地で、クロース張りなので、左官職は、関係がありませんでした。大工さんも仕事が無くなっているが、左官職はそれ以上に仕事が無くなっている分野なのです。
保見容疑者が、被害妄想気味だった事は、私も認めます。だが、彼はご近所様から、疎外をされるとともに、社会からも取り残され、捨てられた人間なのです。彼がそれを、具現化して認識していたかどうかは別として、彼の悲劇は、川崎を捨てたころから始まっていたといえば言えるのでした。
川崎にしがみついていて、工務店の社長として、自分の会社を発展をさせていって、部下を雇い、注文住宅を引き受けていくという方向にしがみつくこともできたでしょうが、神経質だといわれる性格やら、独身で未婚みたいなので、それもあって、その種の拡大策へは、執着心が無かったと思われます。
しかし、川崎は、都会です。特に西北部で、彼が働いていたと仮定をすると、彼が施工した家の、施主さんたちは、日本社会のエリート・・・・・(大卒で、大会社に所属しているサラリーマンたちであろう)・・・・・のはずで、彼は、そういう施主さんからも薫陶を受けて、教養を高めて行った可能性があります。あの川柳の行書と言うか草書と言うかの筆跡は、相当に教養が高いことを示しています。だけど、そういう彼の生活感覚と、ご近所様、特にお隣の、未亡人らしい老夫人との感覚は、あわなかったと推察されますね。
そこが、田舎びとと言う、相手から見れば、「何を馬鹿にしていやがるんだ」と怒りを買うような表現に行き着いたと思われます。だから、あの川柳は、「これから放火をします」という予告では無いと思われます。放火殺人事件は、何らかの引き金があった、衝動的な事件だと思われます、
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副題9、『真の芸術家になる(または、である)場合、学歴は本当は関係が無いのだが・・・・・世に出るためのルート作りに必要なのだ』
保見容疑者が、自宅でこつこつ作っていた立体を、ご近所様は、『変なものを作っている。頭がおかしいんじゃあないの』と思っていた模様です。だが、30年間銀座で、現代アートを見続けてきた私は『あれは、事実上瀬戸内海で、ベネッセが主宰して行っている現代アートの催しと同じレベルに達している。後は誰かがサポートをして自信をつけ、材料費等を出してあげれば相当なものを生み出せる』と思っています。
しかし、周南市の山間では、作者は軽蔑こそされ、尊敬をされていません。一方で、瀬戸内海の小島では、地元の人が喜んで協力をして、「大作家様、大歓迎」といって、創作を手伝う労働力も無償で、提供します。二つの作品間の差はどこからくるかと言うと、マスコミ利用があるか無いかなのです。
瀬戸内海の方は、自分では作品を作らないが美術の愛好者であるベネッセの社長が、企画をして、金銭的に海外から作家を招聘する費用や、日本国内作家でも、そこ(=瀬戸内海に浮かぶ小島群)に滞在する費用や、作品の材料費などの、基本部分を出します。それだけでも権威付けられますが、NHKをはじめとするマスメディアや、美術専門誌が取材をします。それで、現地の住民は、その催しに権威があることを知り、協力を進んでするようになります。
一方の保見容疑者の方には誰も取材に来ません。だから、その作品がいいかどうかは、よほどの目利きでないとわかりません。ところで、ここで、挿入として言いますと、・・・・・申し訳ないけれど、私ははっきり言って・・・・・、美術作品に関しては目利きです。
で、保見容疑者は、充分に才能があると思います。だけど、私がここで、何かを言っても、現実世界では彼の助けにはなりません。そこは、悔しいながら、大NHKと、大朝日新聞社系列を中心とする、現実社会での、勝組マスメディアには、負けるわけです。
でも、美術系作家全部が、横尾忠則になれるわけでも、草間弥生になれるわけでもありません。だから、マスコミ利用は、僥倖と言うべきであって、その前に、自分が信頼するに足る権威ある人間に、作家であると認められ、励まされ、それなりの自信を与えてもらわないといけないのです。ここで、権威の意味づけですが、マスコミ有名人(特に美術評論家といわれる人物が、立派な美術評論ができるわけでもないのですよ。(苦笑)
お金が絡んでしまいますのでね。彼らが、頼まれても居ない個展を見るわけでもないからです。その上彼らはほかのことでも、忙しい。だから、そういう意味では、私など、・・・・・・ここで、それを言うのは逆効果ですが、・・・・・・実に純粋に、良いものは良いといえる人間です。私に励まされ、尊重をされた作家は、とてもうれしそうにいたします。言葉が、うわっすべりで無いからです。よく製作意図を見抜いて、寸言であっても、見事にポイントをついた褒め言葉を出すことができます。
そういう私が、銀座の画廊街で、いじめられているのは、悲劇中の悲劇ですが、
私はそれを、宗教心と言うか信仰で乗り切っています。自分は神様に愛されている。自分は見守られているという信念があるので、乗り越えられているので、別に復讐をする必要はありません。ただ、あまりにも妨害がひどいときは実名で、委細を書きます。それもだいぶ時を隔ててです。すぐに、喧嘩をするわけではありません。特に、日本では。それをやりません。その理由は、この周南市、金峰で起きたように、集団の力を利用されて、迫ってこられるので、勝てるものも勝てないからです。理論や正義だけでは、日本では生きていかれません。数の力が大切です。
だけど、数を利用するのが嫌だったら、黙って負けて置くしかないのです。自分がその仕組みの中に埋没をして、今度は自分の組織を作るために、新たに、衆を頼むのは、人生全般の軌道修正に当たるので、超がつくほど、面倒くさいからです。
それは保見容疑者も同じでしょう。だけど、彼の悲劇は、あれだけの才能を世に出して、それなりに友人を作り、それなりの評価を得るシステムに組み込まれなかったということなのです。その点で、彼の両親が、彼の才能を信じて、無理をしてでも大学へ入れてやればよかったですね。せめて高校に行かせてあげていれば、その後は自力でアルバイトをしながらでも大学へいかれたかもしれません。
創作一筋を言えば、学歴は関係がありません。だが、世の中に出て行くためのルート作りに必要なのです。1995年ごろだったのです。国画会内部での処遇がつらくてね。これは、学閥の無いわが身の苦境だったのですが、ふと立派な人の前で、愚痴を漏らしたのです。すると相手の人が、『だって、あなたはもう世に出ていらっしゃるのに』とおっしゃったので、びっくりしたことがあります。
その方は、テレビ局のプロデューサー(女性)でしたが、そちらの方が私にとっては圧倒的に上だと思われるのに、彼女から見れば、美術作品を、創作をして、個展をして、上野の美術館での公募団体展やコンクールの展覧会で、作品を展示しているという事はすでに、それなりに世に出ているという話しだったらしいのです。
美術界内部に住んでいると、ぜんぜん、未だ未だであるのですが、外の世界の人にはそう見えるものらしい。で、そのレベルにさえ、もし、保見容疑者が到達していれば、彼はこんな事件を起こす必要を感じなかったでしょう。しかし、そこなのですが、私は一種の二代目です。だから、どういう風にしていったら美術界で、世に出ることができるかを知っています。でも、彼は知らなかった模様です。
彼はそういう意味では、ロマンローランが言うところの、ピラミッドの内部に閉じ込められた石のひとつであって、そういう意味からも悲劇の人だったのです。常に悲哀と、不全感に悩まされていたと推察されます。
ロマンローランは、・・・・・人間社会は、ピラミッドを形成している。下の階層でもいいのだ。外壁に使われた石は幸いである。だが、内部に積まれた石は、悲劇である。光が当たらないから・・・・・と言っています。
前報で、引き合いに出した神田日勝を考えて見ましょう。彼は、32歳と言う若さで、亡くなりましたが、神田日勝記念美術館と言うものが、建設されています。それは、それなりの活動期間が、北海道であったからです。それと結婚をしていて、奥さんが、彼の業績を守ってきたからでした。
彼の遺品の中に、喫茶店で、北海道の作家(美術系)と、談笑をしているのがあります。六人みんながいいお顔をしています。創作に打ち込んでいる人特有の気品のある、いい顔です。東京銀座で、画廊めぐりの後で、一緒にお茶をしている仲間より、綺麗な顔かもしれません。東京には東京固有の・ちり・あくた・があるからです。パイが小さいのに、名声を得ようとか、その名声によってお金を得たいとする思惑などが絡むので、厄介です。神田日勝の北海道の喫茶店における画家仲間とのスナップには、その手の猥雑なものが、見えないのでした。
私はその写真を見て、かつ、後日(=昨日)、wikipedia で、日勝本人は、中卒なのだけれど、兄が芸大へ進学をしたと知り、その喫茶店での仲間内でも、「君はお兄さんが、芸大卒だから、やはり、違うね。(君の才能は本物だよ)」と言うような尊敬を受けていたと、推察ができるのです。
ところで、保見容疑者の分析はまだまだ続きますが、この章は上のように、比較対照例として、夭折した悲劇の人ながら、芸術家として生きながらえている、神田日勝を上げて、皆様のご気分を健やかにしたところで終わっておきたいと思います。
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これは、28日に書き始め、29日に推敲を終える。雨宮舜(本名 川崎千恵子)