今、2018年の、9月11日の、昼間ですが、下の文章に、アンダーライン部分の加筆を加えます。特に、
・・・・・・ただ、2010年一月に、山口みつ子さん(京橋の有名画廊のオーナー。読売新聞で自殺を示唆されていて、それを、読売を取っていない私に、対して、exibit Live and Morisのオーナーが、わざと見せたが、だからこそ他殺である)が、殺されてからは、・・・・・心の中では、すべてを、実名で書くこととなった。・・・・・
などの部分は、この文章で、書いている諸事を、さらに、鮮明に分かり易くさせる部分だと、思っております。そういう事は、過去に一回描いていますが、前後左右の、関係性をもって書くと、また、違って、見えますしね。で、その程度の、深さを、与えるべく、加筆、推敲をしております。なお、午後三時に、出来上がったので、恒例の三角印を総タイトル横に付けておきます。それで、完成したことを、皆様にお知らせします。昨日よりも、5千字増えていて、そして、グッと、わかりやすくなっていると、信じています。
副題1、『本日も、あっちこっちの、ニュースショーが大坂なおみ選手を追いかけている。私が注目している点は、以下の二つだ・・・・・まず、第一はアメリカでの最初の居住地だ?』
*1、母方の祖父が、柔道の選手だったとのこと。遺伝子内に、・・・・運動神経がよい・・・・・という項目が、まず、半分あったのだった。父親は、プロスポーツ選手ではなかった模様だが、アメリカンフットボールとバスケットボールをやってきたと、ある。アマチュアでも、ハイチでは、人気のあるスポーツだと、思われるので、やはり、運動神経が高いと思われる。二つの流れから入ってきた、抜群の、良い運動神経が、なおみ選手の中で、合体した。祝福すべき才能だ。人気者といってもメディアが作った人気者が多い中で、本当の実力者だから、心から祝福したい。
なお、祖父鉄夫氏のお宅は、植木の手入れが行き届いた庭が、300坪以上はあるだろう、お屋敷で、なおみ選手の母・環さんが、経済的には、豊かに育ったお嬢様である事がわかる。
なおみ選手の育ちの中で、テレビ映像では、、・・・・貧乏だったので、お父さんが、独学で、テニスを指導した・・・・ふすまを外して、それをネット代わりにして・・・・と、繰り返し語られているが、それは、核家族で、生きていこうとしているから貧乏だったわけで、日本社会の中で、特別にびんぼうな方だったというわけではない。ただ、東京あたりで、学校の部活ではなくて、それ以外で(特に名門テニスクラブで)、テニスを、やろうとしたら、お金がかかるので、普通だと、「プロテニスプレーヤー、に、子供をしていこう」というような家は、お金持ちではある。松岡修三家しかり。
ただ、これは、本当に余計なことだけれど、あの最上級に手入れの行き届いた植木(柘植・類がいっぱいある)の、持ち主である鉄夫氏は、環さんが、外人と結婚をすることを最初は、許さなかった可能性がある。レオナルドフランソワ氏との、環さんの結婚を反対した可能性はある。しかし、昔、昔の話だ。そして、そんな過去は、なおみ選手の活躍で、どこかに吹っ飛んでいる。
ともかく、なおみ選手は、中学か、高校を飛び級で進み、(という事はとても頭がよいという事だ)すでに、大学を卒業しているそうで、それは、本当によかったと、おもう。大騒ぎされる前に、普通の少女として、大学へ通ったことは、良かった。フロリダ大学だそうだ。6月が卒業式だから、今年だったか、去年だったかは知らないけれど、これほどの、大騒ぎになる前に、大学を卒業してしまったのは、本当にいいことだった。友達が、特別扱いをしないでくれるだろうから。
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副題2、『フォレストヒルズ・・・・・クイーンズ。そこに、あの、テニスコートはあるのだけれど、』
私は、1999年アメリカへ行き、OCNニュースという、邦字新聞の案内で、タイムズスクエア、すぐそばの日本人宅でシェアルームを、保持した。ひと月、800ドル。邦貨にして、9万円ほど。しかし、問題は、ママが、幼いお子さんを放ったらかしにして、テレビゲームばかりやっている事だった。それなので、猫と赤ちゃんに、まとわりつかれることだった。ママとも、話をしたが、日本では、裕福な家の出身で、この家も買ってもらったそうだ。彼女自身は、ブロードウェイで、ダンサーとして活躍することを夢見てNYに来ていて、妊娠は想定外だった模様。夢破れた空虚さをゲームで埋めているらしい。
しかし、女性は、普通なら、子供を目の前にしたら、母性愛に目覚めるものだが、彼女には、それが、生まれなかったみたいだった。同居している日本人の夫(正式な入籍後で、しかも子供のパパ)という背の高くて美形の男性がいたが、その人物も、また、理想の、結婚相手ではないらしくて、妻である部分とか、母である部分は目覚めない模様だった。お料理の後始末もしないし、洗濯後の、衣類をたたむこともしない。
さらに、話を聞いていくと、彼女の実母が偏愛の人で、妹ばかりかわいがったそうである。それで、妹さんの方は、家事もできるし、育児もできるのだが、自分はできないという。日本の様に隣近所を気にして、右へ倣え主義も、私には息が詰まるが、タイムズスクエアーそばのオフィスビル、ワンフロアーを買ってもらって、誰とも、近所づきあいをしない生活も、困ったもんだった。ガラスの窓には、すべて、厚いカーテンを下ろしていて、昼間も暗い。
『このお母さんを、変革することは無理だ。ここにいては、taisetuna三か月を、子守だけで、終わってしまう』と、考えた私は、9月6日頃から、別のアパート特に、自分一人で、暮らせる空間を探した。こういう際の、いちいちに、びっくりすること、感動することがあって、それを、文章で書くのが、私のメルマガの始まりだった。
美大の大学院には、すでに、入学許可を取ってあったが、それは、ブルックリンハイツというところにあり、後日、【イカとクジラ】というアメリカの文芸・映画を見て納得をするのだけれど、高級住宅街であって、クリントン大統領の私邸(ほとんど、無人状態)を、ふくむ、お屋敷向け住宅街(300坪程度の敷地を、20軒ほどまとめている)もある一帯だった。で、『此処、ブルックリンハイツ周辺に間借りをするのは、無理でしょう』と思い、今般、テニスの全米オープンが開かれた会場である、ビリージーンキングナショナルスポーツセンターや、さらに東に行くと、メッツ球場もあるクィーンズ(マンハッタン島の東北部にあたる半島部分)が、良かろうと思って、そこを探索しに出かけた。
フォレストヒルズという駅で降りて、北へ向かって、4キロ近く、歩いて、ジャクソンブールヴァールという駅まで、たどり着いたのだが、その際に、東側に長く続いている築地塀の中で、その日の昼頃に、あの喧噪の全米オープン1999年度が行われていたのだった。その途中で、何組かの日本人や、アメリカ人夫妻と、知りあったりして、おいしいものをごちそうになったりした。ちなみにその時(=1999年)の優勝者は、セリーナ・ウィリアムズ(初優勝)だった。
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副題3、『大坂環夫人は、五嶋節さんの著書【雨の歌】を、読んだのではないかな? または、大阪というコミュニティ内で、五嶋節さんのうわさを聞いたのではないかな? 節さんとは、みどりさんと、龍さんという、有名ヴァイオリニストを育てた・母じゃびと・だけれど』
五嶋節さんの本【雨の歌】を読むと、日本から出て、ニューヨークで、最初に住んだ家は、フォレストヒルズの、知人の半地下を借りたと、あります。この半地下ですが、別に、みじめなアパートでもないのですよ。
パリは、道路から、ビルの入り口が、階段抜きで、まっすぐに入れます。しかし、伝統的に一階は、ゼロ階と数えます。二階が、一階と、数えます。たぶん、セーヌ川が氾濫した時期の影響でしょう。その伝統の反映か、どうかは知りませんが、アメリカの住居の一階は、道路から、階段、10段ぐらい上がったところが入り口になっていて、一方で、10段下がったところに、一階と、同じスペースで、同じ天井の高さの、居住部分があります。映画【グラントリノ】では、地方の一戸建て住宅でも、そうなっていましたね。中産階級でも、余裕のある人(あの映画ではクリントイーストウッドが演じている)は、そこを一種のアトリエとか、工房とか、作業室にしていて、工具が、いっぱい、保存をしてあります。ただ、50年ぐらい前にアメリカに移住をしてきた新移民は、そこを、アパートにして他人に貸し、賃貸料を稼ぐ人もいます。それで、家のローンを支払ったり、さらに格上の家へ、引っ越していく資金とするためです。クィーンズには、そういう人がいっぱいいて、貸しアパートはいっぱいあるのです。
私はこの間、「断捨離はよくないですよ」といいました。日本には相続税の問題もあって、家の中に、しっかりと、道具とか、物品が、保存をされている家が少ないです。しかし、お若い方に勧めたいです。「子供のお受験にこだわるのなら、あえて、地の利の良い、マンションもいいでしょう。しかし、安い古家、特に、いまは、非常に安くなっている空き家でも、いいですから、一戸だてを買って、ご自分で、いろいろ、手を入れてごらんなさい。理想の生活ができますよ。というか、マスコミに踊らされない真の文化的生活ができますよ」と。
で、私はクィーンズ内、最北端にあるディトマス・アストリアという駅・もより・に、1999年は、半地下のアパートを借りて、住み始めます。特に付記すると、2000年には、同じクィーンズでももっと、南に住むのですが。そう言う私の勘では、大阪環さん、一家も、クィーンズで、住み、はじめ、なおみさんと、姉に、テニスプレーヤーとしての才能があることを見定めてから、フロリダへ、引っ越したのだと、推察しています。錦織君もそこに通った、養成センターがありますからね。
まりさんや、なおみさんに、テニスの才能があると、わかってからは、あの、北海道にいる、鉄夫さんも、経済的支援を行ったかもしれません。スポンサーが付くまでは。
なおみさんが、「性格がかわいい」と、言われるのは、両親がそろっていて、しかも、あねがいるせいだといると思いますよ。五嶋みどりさんも、すでに、13歳で、タングルウッド音楽祭でデビューして、弦が、三回も切れたのに、演奏をやめなかったという事で、スターダムに上がり、アメリカの、教科書にエピソードが載っているそうです。しかし、大人になった彼女を見ていると、とても痛々しいです。「ぜひ、本当のお父さんと、お会いなさい。そして、いろいろ、お話し合いをなさい。それで、きっと安心なさいますよ。そして、結婚もできるでしょう」と、勧めたいです。
一方で、なおみさんの方は、お茶目で、天然で、キュートだと、言われています。これは、ひとえに、両親が、そろっていて、ちゃんと、愛情をもって育てられているせいだと、思います。その上、お姉さんがいて、学校でもテニスの世界でも、一歩、先に、ルートを作ってくれていますので、ストレスが、すくなくなるので、ラッキーです。
ただ、繊細で、内気なところもあるといわれるのは、頭が、いいせいでしょうね。相手が、どう思うだろうと、自分で、先に考えてしまうところがあるからでしょう。飛び級の、エピソードを知って、そうかんがえます。私も、内気で、繊細だと、ずっと、他人に思われてきました。最近ですよ。強くなっているのは。
「一将、功なって、万骨枯る」という、ことばが、あります。今、私は、いったん書いて下書きにいれている西原理恵子さんについて書いている文章の中で、それを語っているのですが、西原さんの様に、自分のために夫が犠牲になる、そういうケースよりも、親が犠牲になって、子供を生かそうとするのは、どこか、許せることであり、ほほえましいこととなります。
なお、五嶋節さんと、電通のパワハラ問題で、女を挙げた(?)高橋まつりさんの母は、どこか、似たところがあるやもしれません。目的のためには、子供の父親の方は、捨てるという。そういう点で、似ている様な気がします。まつりさんの母は・・・・・sorega,報道をされていないけれど・・・・・、若い日に自分から夫と離婚をしている(=自分の方から夫を捨てた)女性だと、思います。で、かわいそうなまつりさんは、単身親・家庭というコンプレックスを追い払うために、頑張って、頑張って東大まで行ったけれど、並行して獲得をしておくべき、多様性への、適応能力を持っていなかったのでした。父親の靴下が臭いと、言う事を、許容する様な家庭で育ったら、上司のパワハラとかセクハラとかを、右や左へ、やり過ごす事が、できた可能性がありますが、できなかったのでしょうね。男性特に中年男性に対しては、無菌状態で、育ってきたから。・・・・・かわいそうに・・・・・。
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副題4、『今、日本では、引っ越しのトラックの助手席に、委託者側は、乗ってはいけないこととなっているそうだ。私は、もしかしたら、20年前に、マンハッタン島からクィーンズへの、引っ越しを、楽しいこととして、書いたからこそ、そうなったのではないかと、ひそかに、考える。1998年のパリ時代から、私は、明瞭に海外で、命を狙われ始めているのだから』
さて、ビル一階、ほぼ、100坪を占拠しているお宅の部屋からは、お馬がバカバカ、言う蹄の音さえも聞こえました。早朝、ニューヨークでは、騎馬警官がパトロールをするのです。8th Ave と、言う大通りからは,50mは引っ込んでいましたが、早朝は、車が通らないので、蹄の音が聞こえるのでした。その家のお子様は、私に、なついていて、別れるのもつらかったのですが、私は、ニューヨークへ版画を作りに来ているのです。そして、夜は、哲学者としての、思考を重ねるつもりでしたから、パリでの、1998年の三か月と比べると、全くプライバシーがない、その家では、どうしようもないのでした。
自室のドアは、無論のこと、閉めてありますよ。
でも、坊やが「あけてー」と、言う限り、それを無視する様な神経は、他人である私の方は持ち合わせていませんので。お母さんは、子供を頭っから、無視しているのですよ。きっと、ドラクエか、ファイナルファンタジーをやっていたのでしょうが。実母とは、かえって、こういう風に無神経になれるものだろうかと、も、考えましたよ。他人とか、継母だと、もっと、気を使うでしょうが。
猫の方も別れがたく、かわいそうでした。その家は、100平米はあるだろう広い家ですが、もともと、ビジネス用ビルですから、部屋を後から、作っているので、それ以外の余地は、広い廊下風スペースになっています。そこに、高さ一メートルぐらいの、衣類の山が、五個ぐらいできています。そのどこかで、おしっこや、うんちをしてしまうのでしょう。そして、時々、見つかって、ママから、大叱られをしてしまうのです。だから、ビビりまくっています。でも、実の子の面倒も見ないお母さんだから、猫トイレなど、用意しているはずもなくて、拷問に出会っているみたいな毎日で、かわいそうでした。
日本からは、日通で、荷物を送っていましたので、ニューヨーク市内の、引っ越しも、この時は、日通に頼みました。運転手だけは日本人ではなくて、ジャマイカ人という事でした。屈強な青年で、チップを100ドル(=一万円強)上げて、急に止まったエレベーターの代わりに階段を利用して、荷物を運んでもらいました。9階に、住んでいるのに、そして、引っ越しをしようというのに、急にエレベーターが止まったというのは、それこそ、この時点からすでに、CIAのいじめが始まっているわけです。しかし、それは、後で、語ることとして、この時の引っ越しの楽しさをまず、語りましょう。ジャマイカ人であるという事は、後発の移民だから、引っ越しをする運転手というブルーカラーの仕事をしているわけですが、日系企業に勤務しているのですから、まじめで、頭のよい青年だと、思います。そして、根っから陽気です。
普段使われていない階段は、ワインの瓶が割れていたりして、とても危険な場所だったのに、文句も言わず、二回か、三回ぐらい往復して、手で運んでくれました。私も二回ぐらい運びましたけれどね。その年、ニューヨークには大型の台風(ハリケーン)が来ていて、引っ越し先では、プラタナスが、根こそぎ、倒れるほど、ひどい風雨だったのに、引っ越しの当日は、快晴で、すこし、日本より気温の低いニューヨークは、この上なく快適でした。タイムズスクエアーの西側からマンハッタン島を横切って、東の半島、クィーンズへ向かうのです。ロックフェラーセンターを左に見て、セントパトリック大聖堂の前を北へ向かい、トランプタワーの、横で、東へ折れてクィーンズ・ボロ橋を渡る。橋は、二階建てで、上の階を通るので、さらに快適です。トラックの運転席はとても高くて、これは、第一級の味わいのあるドライブでした。
なお、なおみ選手がハイヒールを履いて、白い、袖が、かわいいドレスで、ロックフェラーセンターを訪問をしたそうですが、大人気者を、認知済みエリートとして認めるのは、ロックフェラー家の、認知が、必要だったのでしょう。なるほど、なるほど。
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副題5、『私は、潜在意識の中では、この引っ越しの日に、自分が狙われている存在であることを、知った。エレベーターが止まったのは、自然なことではなかった。そして、今書いている様なことの全貌も、潜在意識の中では、わかっていたのだった。しかし、・・・・まさか、そんなことはあるまい・・・・と思って居たので、勇猛果敢に、諸事に挑戦をしていた。ただ、2010年一月に、山口みつ子さん(京橋の有名画廊のオーナー。読売新聞で自殺を示唆されていて、それを、読売を取っていない私に、対して、exibit Live and Morisのオーナーが、わざと見せたが、だからこそ他殺である)が、殺されてからは、・・・・・心の中では、すべてを、実名で書くこととなった。
そして、しんどいなあと、考えながらも、
・・・・・・外に向かっては、勇猛果敢に戦う人となったのである。そこらあたりから、実名ですべてを書き始めたと、思う。特に「私を攻撃する側に立つ限り、瞬時に実名で、一切を書きます」と、宣言をしておこう。
しかし、それなのに、前々報(あと注1)でも、副題αで、取り上げている、テリーの実名には、なかなか、触れて来なかった。テリーこと、岩槻輝子(てること読む)さんだけは、実名を挙げていない。今でも、苗字は、あげていない。岩槻は、旧姓である。だから、こういう名前の、ひとは、この日本には、実際には、生存をしていない。
テリー、テリーと、アメリカ人みたいな呼び方で、このブログ内でも、私が読んでいるし、また、ICU・1962年入学組内部でも、みんながそう呼んでいるが、彼女は、完ぺきな日本人である。ただ、AFSで、就学中にアメリカでは、テリーと呼ばれていたそうで、それを、日本でも、呼び名として使いたいと、言って居たので、周辺は、みんな、テリーと呼んでいる。
今まで、テリーというあいまいな名前で、この人を表記していたのは、いくつもの理由があるが、彼女は、失礼なことを一切しない人だからだ。礼儀正しい。しかも、人懐っこい。決して威張らない。ただ、あまりにも、下手に出すぎるのが、『不愉快だなあ。ちょっと不自然ですよ』と感じてはいた。無論、それを彼女に直接、言ったことはないが、そういう風に感じていた。
それとか、彼女と接していると、いつも『隔靴掻痒の感があるなあ』とも、感じていた。というような、部分が微妙にして、かつ、確かに、テリーが、国際キリスト教大学に在学中は、アメリカの、CIAのエージェントであったことを、私に、教唆するのだ。
テリーが私に対してとった、もっとも、ひどい仕打ちは、私をベイカーさんに引き合わせたことだった。だけど、それ以外には、無いので、テリー自身は、こういう事を、このブログ内で、書かれては、憤慨するはずだ。そして、1962年ICU入学組の中で、彼女は、まだ、市民権を保持していて、私の方は、古村浩三君の成りすまし疑惑問題を書いていて、すでに、市民権を失っているので、彼女のいう事の方に、大勢の、友人が耳を傾けると思う。
ので、もし、全員相手のメルマガを使って、・・・・・カクカくシカジカで、あの人はひどい・・・・・という、ものを流されたら、私はアウトである。しかも、それを古村君が文章を書いてテリー擁護の一文として流したら、さらに信ぴょう性が高まり、hitoびとは、私を避けるだろう。というか、もう、避けられているので、これからは、さらに、いじめられる事となるだろう。いじめるのに際して、免罪符とか、正当性を得たと、テリーを信頼し続ける人は、考えるだろうから。
それは、私にとって損失であろうか? 損失であろう。しかし、そういうことを考えて、行動規範を修正したり、計算したりする私は、すでに、10年前に、この世から消えている。いまの、私にあるのは、・・・・・この一瞬に、自分は生きているのだ・・・・・という意識だけである。その自分に対して、神様は、文案を下ろしてくださっている。だから、それを計算なしに、・・・・・ただ、順に入力をしていくだけである。
昨日は文案が浮かばなかった。懸案はたくさんあって、修正や、推敲をすれば、すぐアップできるものはたくさんある。しかし、パソコンをあけて入力をしたくなかった。こういう時は無理をしない。単純なパソコンゲーム、free cellをして、眠気が訪れてくるのを待つ。特に前々報(あと注1)のようなものを書くと、その後、パソコンの、キーボードさえ見たくない。
それに、前々報だけでも、推敲と加筆をすれば、読者に対して、親切なこととなり、それは、自分にとっても得だと、わかっていてもやりたくない。そういうときは自然な、気持ちのままに、自分をゆだねておく。
一気にその日のうちに書ければ良かったが、最近では体力が持たない。アイデアは、あって、頭の中では、最後まで、完結をしているのだけれど、入力を最後まで行う体力がなくなっている。
なぜ、こんな愚痴を言うかというと、ベイカーさんについて、書きたくないからだ。今まで、5回は、書いて居る。もっと書いているかな? しかし、リンク先を見つけるのが大変だ。ベイカーさんは、新聞に載る様なへまはしないので、私の方が、自分が、其れを描いた時期を特定できないからだ。
で、いやいやながら、もう一回書く。ベイカーさんが、行った悪事とは、1965年に、ICUキャンパス内で、後ろから、首を絞めて私を殺そうとしたことが発端だ。その殺そうとした理由が、彼の、ある発言だった。で、その発言で、彼が、CIA、スパイで、あることが、私にわかってしまったからだ。私は、ただ、目を見張っただけだったが、彼の方が、自分が失敗したことを悟って、その失敗の挽回のために、私を殺そうとしたのだった。
わたくしを、びっくりさせた彼の発言とは「あ、それね。ぼく、三鷹警察署の署長と親しいから、許可を取っておいてあげますよ」といったものなのだが、『どうして、アメリカ人留学生が、三鷹警察署の署長としたしいのかしら?』と、疑問に思った。その彼の発言だが、別の学生が、「僕、ICUの学生を、覚醒させるのは無理だと、思うんですよ。だから、労働者階級を覚醒させたい。三鷹駅前で、ビラを撒くことを考えているのです」といったのだが、それに間髪を入れぬ、対応として,上の言葉が出てきたのだった。
それ以来、53年以上にわたって、私は命を狙われ続けている。特にICUキャンパス内で、後ろから首を絞められて、殺されそうになったのに、偶然が重なって、私は逃げおおせた。そして其れ以来、ずっと、命を狙われている。
お隣が、騒音を利用して、私を寝かせないために、自分が、頼んだのでもないし、お金を支払うわけでもないのに、高枝切り事案を、「今日、工事をしますので、ご迷惑をおかけしますが、よろしく」と、朝の七時に、私の主人に電話をかけてくるのも、間接的に言えば、その暗殺へ向けての第一歩なのだ。
だから、超・大変です。特にベイカーさんが、自分の落ち度(彼は、おっちょこちょいである。東部アイヴィーリーグの名門大学を出ていたとしても、おっちょこちょいであることは、変わりはない)を棚に上げて、私が悪人だと、ロックフェラー四世に告げ口をしていると仮定をすると、石塚雅彦さんやら、古村浩三君が恐ろしい、いじめを行ってくるのも、つじつまがあってくるのだ。
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さて、上の青の太字で書いた部分は、本当に書きたくないことです。でも、無理に無理を押して書いたので、もう、疲れ切ってしまいます。それを今やっと、突破したので、本日描く予定だったことへ取り組みましょう。それは、引っ越しの前に、契約したシェアルームでの出来事です。それが、意外と、実りある会話だったと、言う話なのです。
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副題6、『キャベツが腐っただけで、猛烈な悪臭がする。もし、人間が孤独死をしたら、どうなるかを、考えると、戦慄すべき悪臭が、周辺に、漂うだろうと、想像が及ぶ』
私は、1999年の秋に三か月、2000年の秋に三か月、ニューヨークへ版画修行に行くわけです。それは、私が取り組んでいた工法が、特殊で、いったん始めたら、7時間か、10時間続けないといけない手法であり、そういう風に長時間使わせてくれる、工房が日本にはないからでした。もちろん、逗子のアトリエに、プレスというものを買って備え付けたのですが、まだ、一人で、制作をしているのでは足りないと思ったのです。世界を見てみたい。世界の中での、自分の立ち位置を確かめたいと、思っていたのでした。
あの時、もう少し、お金の使い方が上手だったら、2400万円も持っていたわけだし、その7年後に母から、また、動産を、3600万円をもらうのですから、一生アーチストとして、ニューヨークと日本を掛け持ちで、生きていかれたかもしれないのですよ。でもね、お金の使い方については、全くの赤ちゃんでした。苦労知らずだったのです。その上、凝り性で、激しい集中をする人間だから、体も壊してしまって、それを、主人に治癒してもらったので、世界的なアーチストになるのをあきらめてしまったのです。私は妻とか母という立場と、アーチストを両立できる、タイプではないからです。
特に逗子のアトリエ内で、重い肺炎にかかって、お台所仕事をしない、日数が、三日ぐらいあったのです。そのたった三日間で、密閉性の高い、マンションですから、24畳に、温風暖房の、風がすべて行き渡り、買ってきたまま、冷蔵庫に入れておかなかった、キャベツが腐ったのでした。アトリエは、ものがいっぱいで、レジ袋に入っていたキャベツは外の皮が、黒くなっていたのですが、レジ袋の中なので、見つけにくかったのです。最終的に、わかったときには、衝撃でした。それ以前には、母が心配して、「どうするの? 離婚しちゃあだめよ」と電話でいって来ているのにも、「うん、だいじょうぶ、覚悟はできている。私は森茉莉さんになるから」と、答えていたのですよ。
森茉莉さんは、父親の森鴎外に、慈しみ抜かれて育ったお嬢様なので、女中に、夫も子供も家庭も奪われてしまったのです。tada、森茉莉さんは、亡くなったときには、既に、高齢だったので、からだが、ミイラ化していたと仮定して、かつ、冬で、暖房が入ったいなかったと、仮定すると、それほど、悪臭は出なかったかもしれません。特に最終段階は、体の自由が利かず、買い物にも出ず、お台所仕事もしなかったと、考えると、東北地方の高僧の様に、餓死状態であり、かつ、ミイラ化した、遺体だったかもしれないのです。だから、悪臭が出なかったかも知れません。
しかし、私の方は、葉っぱが、二三枚黒くなっただけで、これほどの、悪臭を放つキャベツを目の前にして、唯、唯、震撼してしまったのです。一人暮らし用のキャベツなので、小さいです。重さは、400グラム程度。それと、私の体重を比較すると、ほぼ、100倍のボリュームを私は持っています。sikamo,キャベツって、植物ですから、炭素、水素、酸素の、三元素以外は、含まれていません。一方、人間には、脂肪や、たんぱく質や、骨があって、カルシウムCa、リンP、サルファS(硫黄)などが含まれています。そうなると、どれほどに、いやなにおいになるだろうと、思い至って、戦慄をしたのです。
その時すでに、樹門幸宰の姓名判断の本を読んでいたと、思います。彼が規定する幸福とは、晩年まで、経済的に不安なく生きて来ていて、子や孫があることだそうです。「平凡な、考え方かもしれないけれど、占いをするにあたって、幸福とは、そういうものだと、考えます」と彼は言って居ます。
私は目の前の黒いキャベツを見ながら、『自分は、そういうものをすべて持っている。これ以上望むのは、欲張りかもしれない』と思ったのでした。しかし、この時点ではまだ、あきらめておりません。本当にあきらめたのは、背なかが猛烈にいたくなって、どうしようもない状況に陥ったのを主人が、三か月かけて治してくれたからでした。その時点で、大アーチストになる夢はあきらめたのです。
しかし、未練たらしく、言いますと、樹門幸宰の論にてらし合わせて、検証すると、雨宮舜というペンネームは、物書きとしては、いい様ですよ。で、それを信じて、唯、唯、流れる様に、何の工夫もせず、文章を書いているのです。ライターとしては、天才的なペンネームの持ち主なので、『大丈夫、すべては、上出来なはずですよ』と、信じて、神様が指先を動かしてくださるままに入力をしているのです。それだけですね。(苦笑) 「念のために付け加えますが,樹門幸宰の本に出合う前に、自分一人で、つけていたのですよ。発音的に、これが、いいと信じて。しかし、彼が、姓名判断的に言うと、ライターとしては、天才的な、名前であると、いう事になるらしいのです。それを、後で、知って、喜びました。
まあ、この節で、私が言いたいことは、私は一発逆転を狙って、ニューヨークへいったわけではないという点です。
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副題7、『私は、1999年と、2000年のニューヨーク版画修行で、印象的な、6人の日本女性にであう。それもまた、日本社会の分析に役立つので、きちんと記録をしておこう』
さて、疲れてきました。それで、メモ書きをします。1999年の赤ちゃんにまとわりつかれた家で、別の部屋に暮らしていた女性は、日本の、一部上場企業の社長さんのお嬢さんでした。彼女は、ニューヨークに一発逆転を狙ってきているわけではないのです。日本では、上流階級びとですから。しかし、日本の若い男性に、失望をしているのは確かみたいでした。
ここで、二日目に加筆をします。彼女は、スレンダーで、上品で、感じの良い人で、どこにも欠点がないのでした。そして、この家の特殊な状況にも目をつぶることができるし、お子さんにも、まとわりつかれないし、猫にもなつかれないで、生きていかれる女性でした。ただ、お風呂場が汚いことには、我慢がならないそうで、ご自分で、掃除をするのだそうです。髪の毛一本落ちていても、気になるタイプで、したがって、この家では、お風呂場は、六畳ぐらいの広さであって、しかも清潔なのでした。お台所は彼女が外食主義なので、お皿類が汚れた水の中に使ったままであって、悪臭ふんぷんであり、したがって、強力な換気扇が24時間回っているのでしたが、気にしないそうです。
1980年代から、1990年代にかけて、日本では男性は、慎重主義に陥っていて、留学さえ、しないという風潮が強かったのに、女性の方は、ずっと、自由で元気だったのです。
で、彼女は、そうでもないと、私は思いますが、一方で、日本では、いい結婚が、できなかった女性が、一発逆転を狙って、ニューヨークにきているケースは、多くて、2000年には、そういう女性に数多く出会います。
ここで、本日は書くのをやめますが、ニューヨークに住んでいるから、結婚によって、一発逆転が可能か? というと、そうでもないのです。一方、大坂環夫人は、日本で結婚をしていますね。それは、とてもよかったと、思います。縁があっての選択だから。
というか、日本で、・・・・・普通の日本人女性には、負けたから、外人と結婚した・・・・・というわけでもないでしょう。非常に若いときに、ご主人と、出会って、それから、好きになって、結婚をしたと、考えられますからね。怨念による、・・・・・復讐としての外人選択・・・・・ではないからです。
外人と結婚をすると、丈夫な子供ができる。また、外人だと、女性を大切にしてくれる。体格もよくて、日本の男性みたいに、草食系でもないし、という様な理想が、1980年代から、1990年代の、日本の女性には、あったでしょう。しかし、それだけを最初において、ニューヨークに来ても、その裏に、自分の方の、性格がよいこととか、英語ができることとかいう基盤がないと、うまくいかないのですよね。それは、結婚が計算だけで、できるものでもないからです。ニューヨークへ行く前のある程度の、準備は、必要ですよ。ニューヨークでアラフォーになって、独身で、アーチストをしている日本人女性を見ると、心配で、たまらなくなります。『もっと、平凡な進路を選べばよかったのに』と、思って。大坂環夫人は、100人に一人、または、千人に一人の成功者です。
では、2018年9月10から11日にかけてこれを描く。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、4896099です。
後注1、