銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

冒涜にして、冒険だけど、あのドラマの、7週後=終盤を想像したい。

2024-05-14 23:02:26 | Weblog

突然にひらめきました。NHKドラマ【燕は、戻ってこない】の最終場面が。

私は、桐野夏生の原作を読んでいません。だからこそ、推理してみたい。7週間も先にばらしてしまうネタバレの一種です。

冒涜と、冒険のそしりを恐れず、言えば、きっとこうなるでしょう。

群像劇の中で、重要な役(=代理母)をする、石橋静河の、卵子を、生殖させて、生まれた子供は、彼女が育てることとなるのでしょう。でね。もう一人の重要な人物・内田有紀(夫と夫の母のタッグマッチにより、自分では、まだ、肯定できていないうちに代理母への依頼が、どんどん進んでしまう。産めない妻)は、ほっとするという展開になる。

蚊帳の外へ置かれるのは、黒木瞳と、稲垣吾郎、と、朴璐美です。いや、蚊帳の外というよりは、不成功とか、当てが外れたと、言う感覚で、終わる。

どうして、それが、ひらめいたかというと、一万円で、買った男を、森崎ウィンが演じているのです。

『男もすなる買春というものを、女もしてみるなり』という、展開になるらしく、そこで、登場する、その手の商品(=男)にしては、かれが、輝いていたからです。たった三秒ぐらいの登場でしたが、命の輝きを発していました。

まだ、予告編だけなのに、彼が圧倒的に輝いていたので、彼が重要なカギを握り、結局、それが、登場人物たち、ほとんど全部を救います。・・・・・という未来予測です。

 間違っていたら、この投稿を笑っておいてください。だけど、勘の、鋭さと予言の、ちからを誇る私の・・・・能力を発揮したくなったので、これを公開します。もし当たっていたら、そっと小さな拍手をパソコンのまえで、してください。「いいね」とか、「コメント」は、いりませんので。それは、危険ですから。私が、大物ゆえに危険です。苦笑。

 ところで、タイトルの、戻ってこない。が、どちら側の、視線を指すかですが、たぶん、稲垣吾郎一家(=2000万円で、代理母依頼の、話を進めていく、富豪にして、才能あふれる人たち。いわゆるセレブ)の方から、石橋静河と、生まれた子供を指すと、言う風に三回目にして、把握しましたが、間違っているだろうか? 今後の展開が楽しみです。読者、または、視聴者が、どういう風に納得をさせられるのか?

是を最終回まで、見ました。大いに裏切られました。だが、気持ちが良いですね。桐野夏生の力量の、大きさを、楽しめたから。

雅子様一人勝ちですが、皇室内で秘かな批判と逆風が起きるでしょう。処で燕は戻ってこないについて、flyingをしていましたね。    2024-07-02 23:25:25 | 政治

 

 2024ー5ー14   雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

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郷ひろみと武豊のswitch interviewでの謙虚さと丁寧さの心地よさ・・・一方隈研吾氏の仏頂面に嫌悪感を持つ私だが

2023-01-10 11:49:50 | Weblog

 総タイトルは気にかかっていたことだけを取り上げていますが、この一文には、わがお隣さん、西と、北二人の中堅実力派建築家(白井達雄氏と、石井秀樹氏)の、今を盛りの状態をも取り上げています。

 その二人は、私を劣位の人として、ぶちのめすために鎌倉エージェント(=CIAエージェント)に誘導されて、転入してきた人達ですが、今、50代後半で、まさに、花の盛りとして、大活躍中です。なお、12日に加筆する部分には、この冒頭の部分を含めて、紫色で、表現します。

 実は、前報を、完成させるべきです。ところが、あまりにも時間が足りず、かつエネルギーも足りません。あれを、考案した初日(4日前)には、全文ができていたのですが、本日(=11日)、それを入力する気力が無いのです。それで、より、簡単に書けることへ入ります。

 だいたい、毎週、録画して置く【スイッチインタビュー(NHK ETV)】が、今週は、郷ひろみ VS 武豊でした。事前には、あまり、期待をしていなかったのですよ。だって、私は二人のファンでもおしでもないからです。

 ところが、見終わったのちに、いいものを見たという感想を持ちました。特に、郷ひろみの、成熟した、人間性に、びっくりしました。スターとして甘やかされているだろうに、彼は、いまでは、ちゃんと成長した、gentlemanになっていたのです。それに、驚いて、一文を起こしたいと願います。

 有名なスターで、ヒットをたくさん出した人なので、もっと、傲慢だと、推察していましたが、非常に謙虚で、他人に対して、丁寧な認識と、理解の姿勢があるので、びっくりしました。

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 今の隈研吾さんなんて、正反対です。新国立競技場は案の定、莫大な赤字で、これから先、何十年間も、何十億円もの、どぶに捨てる様なお金を、都も国もお出さないといけないらしいのに、そういうポイントに対する考察が事前にも事後にも一切ない人で、テレビカメラに向かっても、傲慢極まりない面立ちを見せる人です。角野栄子さんの「カラフル魔女・群馬に行く」とか、その他の番組内でですが。

 まあ、隈氏は、最近では、国家主催の物でも、地方自治体主宰の物でも、民間主催の物でも、どんな催し物にも招かれるし、顔を出す人ですが、「驕る平家は久しからずが、この人にも、きっと、当てはまる筈だ」と、推察しています。ああいう傲慢不遜な顔をテレビ視聴者に向けるぐらいだったら、対話者の方だけを向いて、テレビカメラの方を向かない方が、いいですよ。私が秘書だったら、「先生、カメラには、斜めに映ってください」と注意するでしょうし、さらに、妻だったら、もっと、厳しく「あなた、表情を和らげてくださいね」言うでしょうが? 裸の王様化?しているのかなあ?

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 スイッチインタビュー 郷VS武に戻ります。場所は、東京府中の競馬場でした。まず、門から、場内のパドック他、あっちこっちをまず、武豊が案内をして、最後にスタンド最上階にあるらしいロビーラウンジで、対談が行われました。そのソファーに着席前に、歩きながら、解説された、競馬の初歩的知識については、「わからないことがあります。こういうぶぶんですよ」と、郷ひろみが質問をするので、丁寧に武豊が解説いたします。この対談は、主役は郷ひろみで、NHKは、郷が、話したい相手と交渉をしたらしいので、主役は、郷ひろみです。

 でね、郷が武豊を指名するのだから、競馬については、やったことが無くて、「何も知りません」と、彼が言うのが正しいにしても、事前に予習はするでしょう。絶対にすると思いますよ。そうすると、郷が、質問をしたことも、武豊が、それに対して、答えたことも、ほとんど、郷ひろみ自身は、判っている事ではないかしら。ただし、その対話が、私も、知っていることの繰り返しであるにしても、この番組を好んで、見ている人には、初めてのことが多かったでしょうね。これを見ている人は、知識人(と言っても、スノッブ的な意味で、それを名乗っている、じんぶつたちも込めての、分類ですが、)が多いと思うので、「競馬なんて、私は、知りません」という人が多いと思いますよ。それを、丁寧に引き出した、郷ひろみは、なかなかの紳士だと、私は見ました。

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 明るい日差しのあるパドックから、スタンド下の地下通路を通っていくときに、背中からカメラが二人を映したのですが、郷ひろみも、細身(スーツ姿)で、武豊も、その日は、スーツ姿で、細身で、非常にかっこよかったです。私は以前からのファンではないのですよ。歌は、小説もそうなのですが、近現代の物は、ほとんど知りません。クラシックの歌と、世界民謡とロジャーワーグナーの、合唱とか、ウィーン少年合唱団の合唱とか。そういうものしか知りません。

 だから、郷ひろみの歌は、社会現象として、知っているぐらいだし。武豊の方は、傲慢に見えていたので、今までは好きではなかったのです。宮本輝の小説【優駿】のモデルとなったと見える、栗毛流星のサラブレッド【ヤエノムテキ】を私は、皐月賞の時に初めて見て、ひとめぼれをして以来、大好きで、その時代に、競馬に相当入れ込んで、テレビを見たり、雑誌【優駿】を買ったりしていたので、知識は持って居ます。

 ヤエノムテキの厩舎に、「こうしてほしいです。皆さんが、こうしてくださったら、彼は、次のレースに勝てると思います」という便せん三枚ぐらいの、お手紙を送ったら、「よくわかっているのですね」と、ひどく驚かれました。私は、興味を持つと、すぐさま猛勉強をするからです。

 ヤエノムテキは、小さな個人牧場で生まれ、さして、名門でもない厩舎に所属し、スターでもなかった中年の騎手を乗せて、皐月賞に出たのですが、その日の彼(=お馬さんのこと)の、気分よさそうな様子に一目ぼれをしたのです。五月の晴れた日、五月晴れというのでしょうね。そういう空の下、府中の芝を、いかにも、嬉しそうに、そして、「どうだ。ぼくがかったんだぜ」と、勝気そうに言いながら、駆け抜けた、やエノムテキは、私は、人間の、若い男性が、その時だけ、お馬さんになった様に見えました。特にやんちゃで、生意気な青年を思わせました。ヤエノムテキは、オグリキャップと同世代で、カタキヤクの方でしたが、私は、常に、少数派擁護ですので、オグリよりはヤエノムテキ、第一の人だったのです。 オグリからは、彼の感情は、読み取れませんでしたし。

 下は、ヤエノムテキのお人形です。

 つまり、ムテキは、吉田善哉・一族の、近代的生産牧場とか、近代的育成牧場とか、海外から、輸入された、有名種牡馬とか、数十名で、共有する馬主クラブなどという、近代的、システムからは、外れていた、現代では非常に珍しいタイプの出世馬だったのです。ただし、もっと、大きなドラマ(地方競馬から、勝ち数が多いので、中央競馬へ、転厩した)を含んでいた、オグリキャップが、同世代にいたので、一番人気は得られませんでした。

 そういう私の目から見ると、武豊は、競馬界のサラブレッドで、どうしても態度が傲慢に見えるのですよね。オグリにも、人気が沸騰した、後の、時期からは、豊が乗りましたしね。

 この際のサラブレッドというのは、名門とか、名家という意味で、父が、美形の調教師(元騎手)弟が、これまた、美形の騎手(今は、すでに、調教師かな?)と、競馬界のエスタブリッシュメントなのです。競馬会の貴族です。で、まわりがちやほやするでしょう。だから、どうしても、インタビューをするアナウンサーに対して、そっけない対応になりがちなのです。テレビカメラに対してもそっけない、対応を示しがちでした。

 例えば、2022年度の有馬記念を勝った、ルメール騎手など、非常に丁寧です。それに比べると、私が、知っている限り、武豊は、そっけなくて、サービス精神が、薄いのでした。

 ところがね。この日は、NHK、取材陣も、心地よい取材ぶりで、二人に、カメラ目線を要求していないし、二人とも、テレビカメラなどを、意識するタイプでもなくて、一切テレビカメラを見ずに、ただ、話者としての、相手を見る構図で、終始したのです。とても、感じがよかったです。

 武豊が、これほど、長時間、丁寧に、話をするのは、初めて見ました。郷ひろみのやさしさと、丁寧さが、武豊の、本来は持って居たのに、今までは、隠されていた、同質のものを引きだしたのでしょう。ともかく、二人の対話は、聴いていて、心地が良いものでした。

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 しかし、非常に後味の悪いインタビューを見る時もあるのです。このスイッチインタビューでも、それから、同じNHKの、【こころの時間】でも、時々見られるのですが、インタビューワーの姿勢が、なっていないときがあるのです。

 はあ、はあ、はあ、と相槌は打っているのです。ところが、いざ、話者が、反対になって、聞き手側が、次の質問に移ると、前の話と、全然続いて居ない質問を出したり、するのですよね。相手を全然尊敬していないので、相手が話したことを理解していないと、言う事が判ります。見ていて、とても嫌な感じです。

 もちろんのこと、なにか、間投詞としての、質問が入ればいいのですよ「ところで、ちょっと話題は変わりますが」とか、「ええと、おっしゃることは、判るのですが、ここで、こういう風に考えるのはいかがでしょうか?」とかね。

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 しかし、もともと、露悪家を気取っている、または、セールスポイントにしているタレントだったら、ここは、許容されるかもしれません。小木博明なども、そういう風に発言をする人ですが、もっと、きついのが、ミッツマングローブで、ここで、彼を思い出したのです。しかし、後半でも、それを言うのですが、民放をほとんど見ないし、できるだけ、テレビ自身を見ない様にしている私は、実は、タレントの事をほとんど知らないのです。

 でも、NHKの何かの、番組で、露悪家であり、わざと、意地悪っぽくするミッツマングローブを見て、特に慶応大学をからかった、数秒を見て、びっくりして、ネットで、検索して出身大学を見たら、慶応だったので、なあんだ、そうなのかと、納得をしました。慶応出身者が、慶応に辛口を浴びせるのは、ありでしょう。身内ゆえの甘えというか、おおらかさというか。

 それからね。本日=2023年、1月10日、もう一回、彼をググったら、鴨居と言う地名が出てきたので、もう一度、びっくりしました。私は、170年から、1974年まで、その駅を最寄りとする、神奈川県の、分譲マンションに住んでいたのです。

 この駅が、横浜線、上級化の、起点になっているみたいです。田舎の素朴な駅だったのです。しかし、三井不動産の【ららぽーと】が出来て、また、有名な、例の傾きマンションができたので、この駅が、格段の、美しい駅へと、リフォームされたのでした。ミッツマングローブは、この町で育ったと、言っています。そして、テレビ番組にも使っているみたいです。たぶん、東本郷町という岡の上の、分譲地にある一戸建てではないかなあ?

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:::::::::ここで、私のブログ特有の問題である早稲田と、東大の比較に入ります。お隣に、超エリート建築家白井達雄さんが転入してきました。14年ぐらい前で、自然なことではなくて、政治的目的があったでしょう。上で言っている傾きマンションと、そっくりな外見のマンションが、例の北久里浜の、実質的詐欺(=地積変更届)で、旧水道山が、瀬島龍三一派にただで手渡ったのちに、ルネ北久里浜という美麗なマンションが建ちました。売り出し時、そらヒルズと言って、360度の眺望が利き、富士山も千葉県も見えるし、空気はきれいで、音は、静かです。傾きマンションと同じ人、たぶん、白井達雄さんが設計したと、見ていますが、

 都筑区の駅から、遠いマンションと、比べると、はるかにこちらの方が上です。駅から、少し歩くと、直通で、山の上に上がる美麗なエレベーターがありますし。だから、きっと徒歩五分という、説明で、売り出されたと、推察しています。傾きマンションは、徒歩20分です。まったく違います。

 しかし、横須賀のブランド力と、横浜西北部の、ブランド力を比較すると、横浜の方が上なんでしょう。中古価格は、横浜の方が、高いと思います。

 白井達雄さんは、今、横浜市、神奈川区、鶴屋町に、タワーマンションを建設中の設計マンです。完成すれば、横浜一高くなるビル、YOKOHAMA FRONT が、建設中ですが、その設計マンです(日本最古の、設計家集団である・松田平田設計事務所の重役にして、横浜支店長)

 この夫婦は、渡辺篤史の建物探訪に登場しました。それと、西隣だから、私としては、大変多数回接触があるのですが、ご主人の方は、人物が練れていて、まあ、許容できる部分が大きいのです。が、奥さんの方は、大変困る事が多い狷介なひとです。

 この違いが何によって起きるかをよく考えるのですが、一番大きな問題は、ご主人の方は、親が年取ってから生まれたお子さんであろうと言う事です。非常にかわいがられて育った人でしょう。奥さんの方は、親が、若かった家庭で、生まれて育ったゆえに、ご主人ほどの、おっとり感が無いです。母親が、いろいろなことで、かのじょを、せかして、育てたお嬢さんであろうなあと、思われるところがあって、せかせかしているし、落ち着きがない女性なのです。ただね。これは、最上級の、甘い表現です。もっと、きつい言葉で、評価したいところだけれど、今は、抑えます。

 ところで、この二人は北久里浜と関係があると見え、CIAの御大瀬島龍三にあれこれの、引導を渡されて、私を攻撃し弾圧するために、引っ越してきたのですが、奥様の方を長らく、小野寺夫人と書いて来たことを、これから、やめて、白井夫人と書くことといたします。

 奥様の説明によると、夫婦・別姓・結婚で、大学は同窓であり、自分が一期上なのだそうです。

 ある日、長話になったついでに、「早稲田出身ですか?」と、聞いたのです。というのも、二人には、やぼったさというものはないのですね。で、国立大学卒ではないと判断をして、私学の中で、建築学科が有名な大学として、早稲田を上げたのです。すると、否定をされました。その否定の仕方で、一気に、彼女を、嫌いになったのです。彼女はね。「早稲田も、いい大学ですけれどね」と言ったのですよ。すごく失礼だと思いました。なんという傲慢さよとも、思いました。その言葉を聞く前に、すでに、何回も嫌な目に、あわされていました。しかし、その日までは、・・・・・瀬島龍三に、教唆されているから、こういう態度なんだ・・・・・と、判断をして、CIAの特権政治は、嫌うが、彼女本人を嫌う気持ちは、無かったのですよ。ところが、その日以来、「東大卒だろうが、説明の仕方が、なんて、他者に対する思いやりがないのだろう」と、思って、深い嫌悪感を持っています。

 特に最近、連続して書いている様に、北久里浜の水道山をめぐる益山重夫・智恵子夫妻、瀬島隆三、杉本俊一・正子夫妻(横須賀市吏員、最後は、この件で、優遇されて副市長になった)+京急役員などによる、水道山をタダで、私有化した、いきさつを、知っているがゆえに、その、4年後、まだ、12歳だった、私の子供の私立中学二校を、不合格に、裏から手を回して、致しましたね。

 それは、思い過ごしではなくて、私の実家から、半径60m以内にある、小田歯科医院、水沢勉・現葉山の美術館館長、塩野義製薬勤務一家沢野家、カリタスに、お嬢さんを通わせた寺沢一家、故・増田忠氏(昭和天皇の御料車のデザイナー戦時中は、きっと中島飛行機勤務だった)などが絡んでいて、私は小田先生が、治療中に、あまりにも何回も、しかも足掛け二年間にわたって、慶応普通部ほか、参考全部に合格した孫自慢をしながら、暗に、私の息子の不合格をえぐってくるので、「それは、いつのことでしょうか?」と、質問をしたところ「昔のことです、孫はもう社会人です」と、先生が恥ずかしそうにおっしゃったのです。それ以来、不合格が裏からの操作だったと、確信をもって、語り始めたら、それを中断させるために、カリタス小通学バス襲撃事件が起きたのですよ。

 ここで、半径60m以内と、言うのが、重要で、それが、飯能時事件の主要な要素として、使われています。だから、カリタス小、通学バス襲撃事件も、飯能事件も、CIAが仕組んだ謀略です。しかし、明瞭な違いがあって、登戸事件と、今は、呼ばれている、カリタス小襲撃事件の方は、実際に三人が殺されていて、今回の飯能事件の方は、だれも、殺されていないと、考えています。昔の謀略事件の瑕疵の修正をしてきたのが、今回の事件です。

 登戸事件の方は、お子さんの通学に付き添ってきた、ミャンマー語に堪能な、若い外交官が、殺されました。でね、午前11時のニュースで、もう、アウンサンスー・チー氏の後方に、付き添っている、被害者の動画が出ました。如何に、準備されていた謀略かが、理解されます。私にはね。しかし、この謀略事件を、企画した人間は、日本国民、一億二千万人が、この事件が、51歳の引きこもり男性が、起こした、自然発生的な事件だと、信じる様にするために、盛り上げ材料としてアウンサン・スー・チー氏の来日時の動画を使ったのでした。そうです。こういう謀略は、すべて、鎌倉雪ノ下の安野智紗夫人の井戸端会議によって、我が家のがけとか、道路が盗まれてしまったことを起点として起こされていますので、

 ご近所人間に対して、よく言う様に、安野夫人と仲良くすると馬鹿化するの典型が、ここにもみられるのです。一国の元首級の人を、引き合いに出して、鎌倉雪ノ下の、ご近所様が、この38年間に、次から次へと行ってきた恐ろしいことを、すべて、帳消しにしていこうと、言うのが、伊藤玄二郎達、鎌倉えーじぇんとの面々の主たる意向です。

 アウンサン・スー・チー女史は、私が、鎌倉雪ノ下における新たな攻撃について、述べるたびに、景気が伸びて、雄平が、深まっています。それは、あの方が、テレビに出てくると、私が、また、このカリタス小襲撃事件について述べるので、脅かしのために、ミャンマー軍事政権が、世界の中心たる、CIAの言う通りに動くからです。

 まあ、習近平国家主席は、相当に立場が危うくなってきたみたいですが、ミャンマーの軍事政権は、無事みたいですね。両方共、また、北朝鮮も、プーチンも背後にいるのは、同じ組織の人間達です。その駒として動いているだけです。

 ここで、樹木、土地、コンクリート化、土地の泥棒、地境石の移動。など、非常に恐ろしいことを、たくさん、書かないといけなくなりました。非常に恐ろしいことを白井達雄、同夫人は、今まで、行ってきたのです。それを、書いた方がいいのですが、午前三時

 この時刻は、11日の深夜=11日の早朝のことでした。が、11日の深夜=12日の早朝も、すでに、午前四時半になったので、ここで、加筆を止めます。寝ます。では、

になったので、それは、ここでは、書かないで、先へ進みます。ビビっているから書かないのではなくて、体力が続かないので、書かないだけです。

 非常に嫌なことを数多く、その二人から、やられています。でも、奥様が、本当の名前が、小野寺なのか? それとも、白井なのか? そこに戻りたいと思います。

 表札にも、白井・小野寺と、併記されています。しかし、私はね。ご近所様の誰かカレカから、あまりにも多数回、そして、多数の相手から騙されたり、引っ掛けられたりしたので、疑い深くなっているのです。

 特に登記所で、土地の所有者を見たら、白井達雄と、白井某女と、連名になっていたのです。渡辺篤史の建物探訪では、奥様が、一時期の雅子様みたいに、威張りまくってね。ご主人の上に立つ模様だったのですが、その一つとして、・・・・・実家がいい家だ・・・・・と、言う、表現があったのです。床の間に飾ってある、名物(骨董、らしきもの。香炉だったかな?)が、いいものだったらしくてね。それは、奥様のものだと言う事で、奥様の実家が名家だと、紹介をされたのです。

 だけど、私が、この一文を書いた以降、突然に、渡辺篤史の建物探訪は冷遇をされることとなり、早朝四時か五時の放送となり、結局は消えていきました。まあ、何とも言いようがないけれど、この一事をとってみても、どれほどに、私が、注目をされて、実際にはメディアを動かしているかを語っています。

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ここで、ミッツマングローブから見ると、三段階目の、スピンオフとなり、郷ひろみから見ると、四段階目のスピンオフとなりますが、

 渡辺篤史の建物探訪が、消滅していくのと反対に、伸びているのが、アンガールズの田中(広島大学建築科出身だと、聞いている)と、遼河はるひが司会をする、BSテレ東の、【突撃隣の、すごい家】です。

 この番組が、先日、2022年度取材先のランキングを発表しました。小木博明が、お客としてやってきて、50なん軒かの家を、批評したのです。アワードと言って、トップに選ばれた家には、賞も、授与されました。

 なんと、2022年度の対象は、我が雪の下の家の、北隣の、石井秀樹さんが、受賞をしました。その家が、1月14日に、放映をされるそうです。再放送なのかなあ?

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 まあね、ここから、鎌倉市内の巷の噂ですが、三菱銀行が、政府ににらまれている(政府ではなくて、いわゆるCIAにでしょう。または、まだ、実際には、生きている井上ひさしにでしょう)という話を聞きました。本当かなあ? 嘘でしょう。

 石井秀樹さんとか、彼の、住居(二つあると思うが、こちら、雪の下の方)は、それこそ、私を、弾圧する、金持ちの有名人の、転入という、目的で、石塚雅彦さんあたりが、画策した話でしょうが、

 こちらは、奥さんが、素朴な(お嬢様育ちだと、判るのだけれど、素朴さも残している女性です)ので、巷間を持って居たのに、この人もまた、嘘をつくのです。学歴についてですが、「SFC(慶応・湘南キャンパス)でしょう?」と、聞くと「違います」ですって。あ、は、は。大笑いです。

 石井秀樹さんの居宅敷地が、1000万円で手に入った裏に、三菱銀行が仲立ちして、どこかから、差額2000万円を入手し、持ち主、藤本悌子さん側に渡したはずだと、言う文章を書いて居るから、三菱銀行がいじめられているんでしょうかねえ。

  すみません。私が、頭の中で、準備したことが、全部書けていません。が、ここで、寝入ります。午前3時を過ぎたので。

 

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アライグマ騒動・・・・・いじめとは、被害者を道具として使って、加害者側が、Sexの快楽を増進させる為の行為である

2018-10-18 21:20:36 | Weblog

  この章では、わたくしはあっちこっちに、寄り道をします。それで、皆様におかれましては、『う?』と、言う感想をお持ちになるでしょう。しかし、2万字を超える頃には、この文章の、本当の主題と、本当に書きたいことが現れると、思います。それ以前については、ただ、ただ、淡々と、おつきあいくださいませ。特に私が警察にいじめられているのが、私に悪い点があるなどとは、誤解をなさらないでくださいね。石川和子という女性と、その夫、柳沢昇が、警察を巻き込む大失敗をしたせいなのですよ。私には、警察に追われる様な原因も理由も一切ないのです。ただただ、石川和子が、伊藤玄二郎の元愛人だったことを笠に着て、威張りきったことが大失敗につながっているのですが、それを、彼女たち夫婦の謝罪という形ではなくて、伊藤玄二郎が動かす、国家とか、警察の力で、私の方を、弾圧し、ノイローゼにしようとしていますが、その一環として、すべてが発生をしています。角野栄子さんが、鎌倉市の、市民栄誉賞をもらうのも、その一環です。そして、本日発見をしたのですが、総額50万円程度の大事なものが、御園座行をきっかけにして、我が家から盗まれていたのです。母が作ってくれた特注の、ティアドロップ型のゴールドと、オパールを組み合わせたチョーカーとか。

 伊藤玄二郎を中心とする、連中の悪意の強さには、なれているつもりではありましたが、本日は、本当に怒っておりますよ。なお、この章の総タイトルは、2018年の10月20日の午後二時までは、【鎌倉では、アライグマは、減っているかな?・・・・・もしかしたら、例の連中は、ごみを使って、私へ罠を張りましたか?】と、していましたが、その時点で、上のものへと変えました。という前置きを入れて、本文に入ります。

  最初に置いた写真を説明をさせてください。

  これは、我が家の南の庭に現れたアライグマです。昼間です。とても痩せているので、間違えているかと思って、ハクビシンの画像やら、狸の画像を、ぐぐって、見比べましたが、間違いなく、アライグマでした。

副題1、『赤坂で、アライグマ騒動が、18-10-18日に、あったらしいが、鎌倉では、一時期よりアライグマは減っているらしい。夜中の鳴き声で、そう感じる』

 私は八幡宮のすぐ隣に住んでいます。それで、34年間の内には、相当な動物を見つけました。もっとも、珍しいものは、大雪の日に雪の上を歩いて行った、タヌキの親子の足跡です。それ以前にも、アライグマが、昼間ごみ箱のふたを開けようとしているのを見つけて、写真を撮ってあります。それが上のものです。とてもやせているので、追い詰められていたのだと、思います。うえていたのでしょう。その当時は、鳴き声を、数か月に一度は、我が家でも聞きました。大きくて奇妙な啼き声です。

 10年以上前の事ですが、浄智寺で、文化人の集まりがあって、そこに参加していたので、夜、自宅から浄智寺まで歩いて居たのです。その往復で、何度もアライグマのなき声(=ほぼ、叫び声にちかい)を聞きました。今は、その道を歩いていないのですが、昔ほどには、それを、聞かないだろうと、思います。それは、ゴミ捨て場を、主にカラス対策としてですが、囲うようになったのと、人々が、え付けをしないようになったからだと、思っています。害獣であるという事は、鎌倉の人には、しっかりと、行き渡っているでしょう。

 他の動物へ入ります。朝の五時前後に、コジュケイの・つがい・が歩いているのを見つけました。写真1、

 雉の一種で、山鳩よりちょっと大きいです。ところで、鳩ぐらいの大きさの、鳥が歩いている道ですが、鳥の大きさと、比較すると、道幅が、一メートルぐらいしかありませんね。ところが、下の写真をご覧ください。これは、道幅全部を写してはおりません。部分的です。それでも、道幅が、3メートルを超えることは、ご想像がいただけると思います。我が家の前だけなのです。我が家と、私の周辺には信じがたい悪が蔓延しているのです。これほどの幅の石段の道が、どうして、我が家のまえだけにあるかについては、本日は、説明しないで、先へ進みます。後で、リンク先でも見つかったら、後注として置いて、おきましょう。

写真2、

 ただね,次の写真3をも、説明させていただきたいです。

  これは、前田祝一という男性の後ろ姿です。この時、彼の右手に若い男がいて、前田祝一は、彼に対して、何かを説明をしているところでした。こういう写真が撮れたところに、私は、私に対する、天のおん見守りを感じるのですが、私に対して多大な、被害を与えるこの山の我が家の前だけの、石段改修工事を、彼は、私に対しては、何の説明をもしないままで、発注をしようとしているところだったのです。私宅の私有地なのにですよ。

 彼が立っている場所ですが、我が家の玄関から、見ると、7メートルもしたに、あります。その上、さらに,五メートルぐらい上の二階に、私は普段、います。その上、彼の位置と、私の位置の間には、台所が挟まっています。だから、かれの姿は、100%、見えないし、その声も聞こえないし、気配も届かないのです。というのは、私は南側を向いて、たいてい、パソコンを打つか、手仕事をするか、料理を作るか、テレビの録画ニュースを点検をしているかなので、北側の、しかも、12メートル下で、行われていることなどには、普段は、ほとんど気が付きません。しかし、この日は、気が付きました。どうしてか、わからないのですが、異様な気配を感じて出ていって、委細を知ったのです。それが、常に言う、私には、神様の、お助けがあると、いう点です。

 で、すぐさま、家にとって帰し、スマホを握って出て、前田祝一の後ろ姿だけは、撮りました。ブログを書くつもりで、証拠写真とするつもりでした。その時、右側に、工事を引き受ける側が、いたのですが、さすがに、それを撮影するのは、やめておきました。

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副題2、『のちに、小野寺夫人が言うのには、この時の工事人は、断ってきたとの事。しかし、正確を期するつもりで、この章を書けば、この写真を撮った日に、前田祝一の隣にいた若くて、美形の青年は、二年後に、実際に工事をし始めた石春産業の、若手の、・・・・・一・・・・メンバーに似ているし、しかも、その青年は、ことさらに生意気だったので、実際問題として、若い刑事なのではないかと、思っている。それほどだ。ともかく、何社もの、工事人(工事会社)に断られたと、いう部分には、嘘があるかもしれない。最初から一貫して、石春産業に依頼し、かつ、交渉役だけは、刑事が、関与した可能性もある。というのも私の周辺には、しょっちゅう、刑事がうろつくのだけれど、何度も同じ刑事が、用を果たすので、その顔を覚えてしまっているのだ。また、私の前に、一回だけ現れた刑事でも、私には、瞬時にそれが、警察の人間であることは、把握できるのである。ホワイトカラーと、ブルーカラーがいるが、男女合わせて、50人ぐらいの顔を覚えてしまった。,kokodemo,

 なお、刑事に追いかけられていると、言っても、私に,悪いところが、あるわけではあないのですよ。悪いのは、この山では、石川和子を筆頭とする、おバカさんで、わがままな主婦たちの方なのです。それを、何度も説明をしていますが,kokodemo,簡単に繰り返しましょう。

 ・・・・・・この石段工事は、表向きは、この山の町内会の仕事となっているが、実際問題としては、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントと、警察庁が組んで、企画をした、石川和子と、柳沢昇の2005年の夏の、大失敗を隠ぺいし、糊塗する目的があるものなのだ。・・・・・・・

 石川和子という女性は、【かまくら春秋窯】を作った女性で、2008年ごろ死んでいます。彼女は、その陶芸教室の名称に、【かまくら春秋社】と、同じものを使って居ることでも、誰にでも、それが、推察されるのですが、伊藤玄二郎の愛人でした。彼女自身それを、レストランなどで、他人に、誇っているし、「相当な便宜を図ってもらって居る」と、あっさりと、言いふらしています。普通だと、自宅で、シロガネーゼをするにしても陶芸教室となると、工芸展とか、国展、などに、入選するという経歴などがないと、ご本人が恥ずかしかろうと、私など思うのですが、彼女は、単純で野太い性格なので、そういうポイントは、気にしない模様です。鎌倉市主催の、陶芸教室の先生に、市長を誑し込む、伊藤玄二郎のおかげで、押し込んでもらっているので、次から次へと新しい生徒が、くるわけなので、そういう側面からも我がままで、傲慢です。

 その彼女が、私の猫を好きになってしまいました。でね、普通の人としての、礼儀を守ってくれれば、猫をシェアするのもいいのですが、先程から言って居る通り,、人間として未熟でわがままですから、トラブルが絶えないこととなりました。我が家の私以外のメンバーは、「家の中だけで、飼おう。外には出さないことにしよう」と、言い始めます。

 でも、私は猫が大変好きですから、nekonojiyuuwo尊重したいわけです。ところで、我が家の写真を下に置きます。大木に囲まれていて、自然がいっぱいです。で、猫は、小鳥、モグラ、蛇などを取ってきて、私にプレゼントをしてくれました。猫のそういう野生を尊重したいので、行動を自由にさせていたのです。

 

 

 ところがある日、私はとんでもないことを発見してしまうのです。猫を呼びに行く私を無視して、長時間待たせるといういじめを行うのですが、それは、二人が、夜の生活の楽しみを増幅させるためだったのです。

 あのね、丁寧に描きましょう。ある冬の日にあまりに外でまたせるので、私はとうとう怒ってしまいました。今アライグマの写真を探すついでに、いろいろ、過去の写真を探していたら、自分の顔が、みつかったので、其れをここに置きます。一つ目は、外人記者クラブ内のもので、3メートルぐらい離れた位置に石塚雅彦さんがいるものです。17年ぐらい前です。

 

 二つ目は、8年ぐらい前で、平塚美術館前のものです。

 ともかく、他人に対しては、きつい顔とか愛想のない顔など、見せないのが、普段の私です。sokoga,kadonoei子さんが私に見せた、きつい表情が問題になるところなのだけれど、まあ、それは、また、後で、語るとして、此処では、石川和子さんに戻ります。

 その夜だけは、私はあまりに深く、怒ってしまったので、顔が引きつっていたと、思います。其れには、和子さんも気が付いたのだと、思います。でね。私は我が家に帰宅すると、すぐさま、一筆箋に、「もう、猫は外に出しません。私が迎えに来ることがわかっているのに、外で、五分以上またせるあなた方には、本当に怒っているので]to,kaite、彼女宅のポストにいれ、気が付かないと、いけないので、もう一度ドア環をたたきました。

 先ほどは、五分も待たせたのに、今度はすぐ、和子さんは出てきました。このドア環の音が、私が鳴らしたものであって、何かを言いに来たという事は推察がtuataらしいのです。私は他人に向かって、文句を直接いうような野暮な、田舎人(koreは,例のすすの件での、前田夫人一派に対する皮肉ですがね)とは違うので、さらっと、「お手紙を書いておきました。後で読んでください」といいました。

 すると、このたった、五分の間に、二人は話し合ったらしいのですね。どうしてかというと、この2005年の時期には、まだブログをやっていない時期なのですが、メルマガは、やっていました。そこでの、私の筆力はものすごいものだと、伊藤玄二郎も井上ひさしも、ハッキングによって知っていたらしいのです。で、・・・・・絶対に、川崎千恵子(=私)に文章を書かれる様な、種を与えてはいけないのだ・・・・・とは、教えられていたのでしょう。

 で、どうにかしなければいけないという事はわかったらしいのです…だから、二度目としてドア環が、なったときは、瞬時に出てきたので、私が「お手紙を読んでおいてくださいね」といったら、それは、彼女の想定外だったらしくて、とっさに「読まない」といったのです。どうして、そう、言ったかというと、たった、三分か五分で、お手紙が書けるという事自体が、彼女には、想定外だったらしいのです。で、セリフのやり取りで、物事を解決しようとしていたのに、お手紙となると、彼女がご返事を書かないといけないでしょう。それに関しては、絶対に負けるのだという事は、伊藤玄二郎や、ほかの人から、すでに、聞いているわけです。しかも、私があっという間に、そういう文章世界へと、物事をもっていってしまったので、どうしていいか、それ以降はの処理が、わからなくなって、ただ、「読まない」とだけ言ったのでしょう。そのうちに、家の中で、外の様子をうかがっていた柳沢昇が、「入ってもらえよ」といいました。

  すると、和子さんは助け船をdasitemorattatoいう形で、ほっとして、「ねえ、入って」といいました。今の私だったら、「いやよ.手紙を読んでおいて」といって、帰ってきたでしょう。しかし、まだ、あの頃は、ねんねでしたね。過保護の、お嬢ちゃんタイプが抜けていなかったので、相手を尊重する形をとってしまって、中へ入ったのです。

 すると驚いたことに居間に、「上がってください」と言わないのです。これは、おおまちがいです。謝罪をする場合に、相手を狭い土間に立たせておいて、自分達は上がり框の方にいるなんて、環境が全く整って居ません。

 ここは、まず、散らかっていてもいいから、居間にあげて、ちょっとした家なら、必ず、準備してあるだろう、ケーキか和菓子を、冷凍庫から出して、「お茶、其れとも、コーフィー?」ぐらい聞いてくるのが、筋道というものです。それで、私が、「お茶でいいわ」とでもいうでしょう。それを聞いて、柳沢昇の方が、「今日は、怒っちゃいました?」とでもいえば、「もちろーん、おお怒りです」と私が答えるでしょう。すると、和子さんが、「ごめん。ちょっと、聞こえなかったのよ」といえば、済むことなのです。後は、私の猫がほかの猫とどう違うのかなどを話題にすればいいのです。その猫は、村上春樹が言うところのあたりの猫で、頭がいいのです。そんなことを話題にすればいいのです.sousureば和気あいあいになっていくのです。

 ところがそれから先の展開は、あっけにとられる様なものでした。まず、上がり框に座った和子さんは、私の方は見ないのです。首を後ろに回して、うしろに立っている柳沢昇の方ばかり見ているのです。

 体重が60キロを超す大女が、まるで、幼稚園児の様に、甘えているのです。後ろに立っている柳沢昇の方も大男です。その大男も私の方は見ないのです.tada,tada, よだれをたらさんばかりににして、和子さんの方ばかり見ているのです。

 二人が話し合っている内容は、私には意味が分かりませんでした。ただ、唯、お互いに、いたわりあっていて、ほめあっていて、それによって、弁解が成立し、私が許すとでも思っているみたいでした。まさか。私はとても論理的な人間なのです。この際は、冬なのに、お待たせして申し訳ございませんでしたと、言わないといけません。

 私は、こっちを全然見ない。そしてお互いに、視線を絡み合わせている藤井他力本願を読んでおいてみたいでしたているうちに、何だ、この人たちは、今、セックスをしている最中ですねと、わかってきてしまったのです。膣と、陰茎を使うセックスではないけれど、まなざしと、心をつかって、セックスをしているのでした。それと声の調子ですね。甘え切った女の声、甘やかし切った男の声。他人から見ると、べっちょべっちょ状態なのです。

 私は頭の中で、時間を計算しました。私がドア間をたたいているのに待たされた時間が五分、其れから、猫を受けとって、j自宅にはいり一筆箋に簡単なお手紙を書いてもってきて、入れて、その上で、玄関ドアに引き入れられて、このべちょべちょ状態を見せつけられるまで、合計15分程度です。猫を受け取ってからは、ほぼ、10分程度です。他人が来ることがわかっているわけだから、洋服は来ているわけですね。

 だから、その時点では立位のセックス等は、やっていないわけでしょう。それなのにたった10分でこれほどにもりあがれる

 。という事は、・・・・・私が来る前から、心の中では、交合・状態に入っていたというわけだろう・・・・・と、わかってくるのでした。つまり、そこで、普遍的な真理を、発見してしまうのです。第三者をいじめるという事が、性欲の亢進につながるのです。

 足立区綾瀬で起きた、少女コンクリート詰め殺人事件を思い出してください。あの主犯格の少年のそばには愛人と呼ばれる少女が侍っていたのです。それが、タレントの、飯島愛だったと、言ううわさもあるのですが、ともかく、その二人は、目の前に置かれている、さらってきた少女に対して、その自由を奪ったうえで、陰惨無比な、いじめを行ったのでした。40日間にわたって、彼女がとうとう死んでしまうまで。

 規模とボリュームは違うけれど、全く同じことが目の前で、展開をしているのでした。相手は、50過ぎです。しかも、かまくら春秋窯という教室を経営していて、伊藤玄二郎とは、関係がある。どうして、こういう態度をとれるのか? ただ、唯、理解不可能でした。

 ええと、もう四時になります。この冬の寒い日の八か月後、二人の警官が彼ら夫婦に呼ばれて、この山にやってきて、車が絶対に入ってこないこの山の中で、交通事故の調書を取って私を、脅かしたのですが、それは、今夜は、書けないです。午前、4時になってしまったので、寝ないといけませんから。

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 さて、此処で、午前四時から、同じ日の、夜の10時に飛びます。

 で、続きを書きましょう。

 あのね、女性は、性的興奮を覚えると、股の間から、一種のリンパ液を出します。それは、女性が、自然に、持っている、(というか、飼って居る)細菌と結合して、いろいろな、においを出し始めます。元来のものには、においがないのですが、細菌の作用で、においが生まれるのです。それが、石川和子さんの股の間から立ち上ってきて、たった一メートルの位置に立っている、私の鼻に届きます。かの女は、しゃがんで、後ろを振り返るという無理な姿勢だから、股をおっぴろげているのです。そして、自分自身は、自分の体臭には、気が付きません。

 その家は、彼女たち夫婦は、古家として買って使っているので、前の住人が設計したものですが、一戸分の、敷地に二軒の家が、建ててあるので、ともかくのこと、玄関は狭いのです。正味一畳分です。そして、冬であり、寒いから、私は、自分の右手にある玄関ドアを、閉めています。狭い、狭い空間に立ち上る女・特有の臭気、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 上に描いた節の、8か月後の夏、石川和子・柳沢昇夫妻は、警官を呼んで、「あそこのご主人に、あそこの、奥さんを叱ってもらう様に頼んでください」と、言うバカげたお願いをするのです。どうして、そんなお願いをしたかというと、私の猫が、ぎりぎり最後の、段階では、彼らよりも、私を選んだからです。で、大恥をかいたわけです。ご近所様に、「あの猫が、自分の方になついているから、私は、川崎千恵子より、ずっと、人格もよくて、上等な人間なのよ」と、言いふらしていたのに、ものの見事に、そうではないと、証明をされてしまったからです。で、やるせなくてたまらなかったのでしょうね。だから、警官を使って、自分達のパニック症候群を収めようとしたわけです。

 で、その時のエピソードを書かないと、副題1と、副題2がどうして、この章の中に、入っているかが、皆様には、ご理解が不可能でしょう。しかし、私は今日(19日の深夜のこと)は、それを書きたくないのです。ビビっているわけではないのですよ。相当深く、すでに書いていて、今日書いても新しいことは、出てこないだろうと、思うからです。上の節(冬の章も同じ現象は何度も書いています。でも、本日は、石川和子さんの股の間から、発する女固有の臭気を言うものに初めて触れました。そこが初出です。で、時間があったら過去に描いたもののリンク先を見つけて、此処に置きます。 ええと、このごみの話は、まだ、まだ、続きます。ただ、私は、夜八時に帰ってきて、本日すべき火事が、全くできておりません。そして時計は、既に、午前二時を指しています。それで、この続きは、20日の夜書くという事にして、お許しくださいませ。

  ここで、ごみの話に入るのですが、その部分は次の章へ回します。 

 @@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下はメモです。

 

副題4、『各々の、飼いネコの、行動様式の違いから、私は、前田清子さんと、安野智さ夫人の違いを、感じ取っている』

 今ね、大切な猫

 

 

が死んでしまったので、ベランダで、山鳩のえ付けを、しています。コジュケイでもいいのですよ。ヤマガラでも何でもいいのです。しかし、あわや、ひえなどの、えさを見つけたら、山鳩がくる様になりました。それもですね。最初は・つがい・が、来ました。そのうちに三匹目として、独身の、鳩が来ました。前の鳩夫婦と喧嘩をします。そのうちに、よくわからない連中(しかし、山鳩で、あることには、変わりはない)も、くる様になりました。

 引っ越してくると、珍しいので、ついリスのえ付けをしてしまいますが、これが、大変な、粘着度のある、キャラメルみたいなおシッコをするので、できるだけ餌付けはしないで、置いていました。それで、

 

 

2016-5-22

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いやあ、さすがに、大阪なおみ選手・・・・・・ベーチェチョル、輪嶋東太郎

2018-09-10 01:10:31 | Weblog

 いやあ、東京五輪が来ても、普段のペースを崩さないはずの私ですが、大阪なおみ選手の快挙には、大いに、揺さぶられました。歌舞伎を見るためni,有料の衛星放送は、とっているのですが、テニスをやらない、私は、wowowに、申し込む気はなくて、したがって、NHKニュース内で、1分以内の映像を見るだけですが、

 雰囲気として、ちゃんと、丁寧に健やかに、育てられていて、いいお嬢様と、いい、ご家族です。お父さんが、運動をやっていたが、その種目がテニスでは、なかったのもよかったですね。お母さんもテニスの選手ではなかったらしい。したがって、ステージママとかステージパパにはならなかったみたいです。

 だから、親が壁になるなどという事がなかったので、彼女には、反抗時代もなかったのでしょう。だから、小学生みたいに、純真です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私は、20年ぐらい前に、特にNHKで、特集をされて放映をされた第二次大戦中の、マンザナールなど、のキャンプ収容を経験した、元、日本人(=二世)が、毅然としていて、いいお顔なのには、気が付いていました。そういう人は、現在の日本には、もういません。そして、映像に出てきた人たちも亡くなったでしょうから、もう世界中にいません。

 大阪なおみ選手は、日本国籍だけれど、アメリカで育っているから、被・植民地国家・固有の、わいしょう化、されたところがないので、さらに良かったですね。日本だったら、いじめに、であったりして、あそこまで、すなおな、ままで、20歳を迎えるのは難しかったかもしれない。

 心理面を言うと、繊細らしい彼女は、のびのびは、できなかったと、思います。そして、母親としての、経験上いえるのですが、何か、突出したお稽古事を、一生懸命にやることが、日本の、右へ倣え主義社会の中では、実行が難しかったと、思います。

 天才型人間として、日本で生きるのは難しいです。

 これから、結婚の問題とか、恋愛の問題とかも、起きると思うので、それなりに、紆余曲折はあると思うけれど、

 こういう風に素朴な、そして、愛情豊かで、センスのあるお子様、(繊細でもある、お子様)が、日本の、普通の家庭でも、育つような、そういう社会になってほしいと思います。私が前報で、問題としたのは、家庭が、家庭として機能をしていないケースが多い日本という事でした。

 アメリカへ行けば、何でもうまくいくというわけではないです。大谷翔平君みたいな、特別な立場ではない立場で、アメリカへ行く場合は、英語が、マスター出来ていることは、必要だと、思います。でも、行ってからマスターできるという向きもあるとは、思うけれど。安全で、しかも、無駄のない行動ができるかどうかは、やはり、言葉ですから。NHKのラジオ講座でいいから、ある程度以上の耳と、口を確保していった方がいいでしょう。

 大坂選手のお父さんと、お母さんは、英会話スクールで出会ったらしいです。先生と生徒というよりも、なおみさんのお母さんも、同じ学校の、講師だったのではないかなあ?

 それなら、一家でアメリカへわたっても、大丈夫ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~

 もう、一つ美しいもの。

 BSプレミアムで、2007年に放送をした、番組wo,sarani,再放送を、していました。

 韓国出身の、テノール歌手、【べーちぇちょる】さんの、病気と、回復過程の物語です。

 日本人の、音楽プロデューサー、輪嶋東太郎さんが、ずっと、支援してあげている道程なのですが・・・・・

 輪嶋さんの、支援が素晴らしくてね。。特に二人は、イタリア語で、会話するのです。留学した先がイタリアで、二人とも、イタリア語をマスターしている。それで、微妙なところの意思疎通ができます。

 ベーちぇちょるさんの、物語は、NHKへ再放送を願うという形で、触れてください。声を失う前までは、本当に、美声で、素晴らしいテノールです。

 わたくしが、超簡単にまとめると、甲状せんがんの手術をした際に、声帯を動かす神経と、右の、横隔膜を動かす神経の、二つを、切断をしてしまったらしいのです。ドイツでの手術だったらしいのですが・・・・・その結果、アジア最大級、100年に一人の、美声と言われた、りりコテノールの声が出なくなりました。

 それをどういう風に再生していくか。医学的、および、科学的な説明も行き届いていて、とても、丁寧で、わかりやすかったですし、

 非常に苦しいだろうに、感情を表に出さない、べーちぇちょるさんの、態度も、美しいですが、

 できるだけの支援を、知的に、頭を使って、そして、足を使って、適切な治療者を探して、連れて行ってあげている

輪嶋東太郎さんの姿も、美しいですよ。すこぶる、うつくしいです。

 2010年9月10日早朝に、これを書く。雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4892493です。

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カラスが、梅干を悪戯して、小梅一キロの、四分のいちを捨てるはめに、陥った

2018-05-30 21:12:45 | Weblog

  以下の文章は、29日の午後一時頃に、完成として公開していますが、いったんひっこめ、そして、夜、再び公開とさせていただきました。しかし、すぐさま次の文章をアップしています。

 それで、いいよねと、思っていたのですよ。ただ、どこやらからのお知らせを見ると、これが、人気があるらしいです。本当だろうか? まあ、人気があるにしては、あまりにも短い時間、トップに置いていたので、再び、トップに置くという作業を加えておきます。前報と、順序を入れ替えます。と言うのも、一日に一回だけパソコンを開けるというような生活スタイルの方はこれを、見逃してしまわれたかもしれないからです。では、どうかよろしく。

 いや、今は、こんなことを書いている場合ではないのですよ。茅ケ崎の90歳の暴走老女と言うのも、作られた犯人でしょう。顔も名前も出ないのに、監視カメラの動画が出てきています。真っ赤なアメ車みたいな派手な車でね。(これは、昨日、28日の夜に、下書きとして書いている事。だから、本日の午後零時、NHKは、ニュースの作り方を変えてきました。でも、変更してきたからこそ、これが、作り上げられた犯人だと、思います。確信をしています。

 ただね。それは、後回しで書きますよ。

 だって、これも、日大アメフト問題に関して、私が書いていることが正しいので、急きょ、テーマを変えさせようとして起こされた事件だからです。一般の方は、これが、謀略だとは、気が付かないでしょうが、「あいつ(=私の事)なら、この事件の真相には、気が付くだろう」として、また、新たに事件が起こされました。

 しかし、それについて書くという事は、見事にも、罠に引っかかった事となるので、

 引き続き、日大アメフト問題にこだわります。しかしですね。

 本日は、閑話休題としてカラスについて述べます。『カラスが、梅干を悪戯するので、天日干しができないなあ』と、成った顛末を語ります。

 おととい、鎌倉は、天気が良かったので、塩漬けして、6日目の、梅干を、天日干しに掛けました。

 すると、2,3個、干してある大皿から、転がって、下屋根(一階だけ、建物が立っていて、二階の窓から出入りできる屋根)に転がっているので、何がやったかと夫婦で話し合いました。主人に言わせると、そこに置いてあったレタスの苗を、この一週間以内に、悪戯をしている、【はしぼそ・カラス】を見たそうなので、はしぼそカラスが梅干しの方も、悪戯をしていると、考えました。

 それでも、昨日は、天気が悪かったうえに、私が外出する日なので、干さないで、居て、本日干したら、二度目の、本日は、たった一時間以内に、四つの干場(おおざらや、ざる4つに分けてある。こ梅と言うのは、一キロでも、200個以上になるので、四つに分けて、干しているわけですが)、の一つに敷いてあった、キッチンペーパーを咥えてどこかに飛んで行った模様です。それで、そのキッチンペーパーに乗っていた小梅がすべて、下屋根の上に転がって居ました。

 困りましたねえ。これから、南高梅も数キロ買って、漬けるつもりでした。難しそうに見えていた梅干しですが、74歳で、初めてトライして見て、『意外と、簡単で、上手にできるのだ』と、判ったからです。ラッキョウよりも、気は使いますが、丁寧に扱えば、完成は、可能です。しかもとてもおいしいです。しかも安心して食べられます。しかし、

 天日干しができないとなると、梅干ができません。大いに困っております。庭の方の、地上も駄目なのです。地べたに置いているものが、悪戯をされることは、イチゴ、キイチゴなどで、すでに、経験済みなので。しかし、梅干を買うのは嫌だなあ。なんでもそうですが、自家製とは、おいしいですよ。買ったものよりもおいしいです。そして、安心ですからね。困ったなあ。

 なお、今、29日になって、午後零時、左側で、NHKニュースが、放映をされているのを、横目で見ています。すると、三つ目か四つ目として、茅ケ崎の暴走事故のニュースを出してきました。昨夜、批判的に、このニュースを下書きとしてパソコン内に、書いているので、早速、修正してきたのです。加害者の氏名が、斎藤久美子と言い、顔も映写されました。しかし、息子さんが出てきたのですが、相変わらず、そちらは、顔を見せず、しかも、本当に反省しているとも見えず、という態度でしたから、私は、自分が間違っていたとは、思いません。息子さんの、声や言葉の出し方が、反省している人物のモノではないです。反省して居たら、テレビカメラには、映写されない筈ですよ。ニュースが本当なら、57歳の女性が死んでいます。

 しかし、私が下書きとして、これがおかしいと、昨夜書いているので急遽、息子さんに、何かを語らせていますが、これは、作り上げられた事故です。詳細は、将来語ります。大久保忠春さん殺し、上大岡の、小1男児殺しに続く、暴走を装った、殺人事件です。 

 そういう過去があるし、近々、あれほど、頻繁に起きて居た暴走老人の事故が最近ではないではないかと、書くつもりでした。それを、嘘だという為に、この事故を起こしたのです。従って、このニュースが作り上げられたもの(=命令されて、起こした事故)だと、私は考えております。

 上大岡の暴走老人88歳が、書類送検だけで、終わったそうですが、この90歳の老女も将来は、うやむやで、ニュースが終わるでしょう。

 2018年、5月29日、   雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

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吉田 沙保里選手は、その間、何をしていたのだろう。・・・・・栄コーチと田沢茂(渡辺幸子の師)の組織運営術は、よく似ている。

2018-04-07 21:30:10 | Weblog

 この文章は、できた部分に従って、総タイトルを変えていきます。また、文章が、妨害によって、消えない様にするために、未熟な段階で少しずつ、さらしますが、いつ完成するか、今のところ、目星もついて居ないので、どうか、日曜日の、午前九時ごろ、ここをまた、覗いてやってくださいませ。

副題1、『今、きちんと思い出しておきたい。吉田沙保里選手が、テレビに出まくっていたことを。その間、伊調選手には、練習場さえ与えられなかったと、言う事実を』

 私は、懸念を持つという傾向があります。ある現象に対して、それが、まったく自分には、関係がないものでも、懸念を持つことがあるのです。吉田沙保里選手がアルソックのコマーシャルに出て、その上、バライエティにまででて、NHKの年末年始の特番にも出るという状況が、2017年の正月にも2018年の正月にも展開をするのを見ていると、『これは、よくないんじゃあないかなあ』と、前から思っておりました。しかし、母が「人の頭のハエは、追わないように」と教えてくれていましたし、自分自身に関連する事だけを、書くだけでも、時間も体力も足りないわけですから・・・・・触れませんでした。

 今、みんなが疑問に思っていることは、伊調選手が、それほどに、いじめられていた時期に、吉田選手は何をやっていたのだろう?と、言う事です。・・・・・何も知らなかったのでしょうかねえ。それは、無いでしょう? ・・・・・・じゃあ、人がいじめられて居る傍らで、自分は、最高にちやほやされていて、それを、何とも思わずに、享受していたのでしょうかねえ。いやらしいねえ・・・・・と、成ってきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『勝気な人間と、ヒステリー性格を内包している人間は、上下関係にこだわるのだ。そしてライバルを設定するのも大好きである』

 伊調選手も吉田沙保里選手もアマチュアです。しかし、プロレスリングと言うのもありますよね。それから、アマチュアでも、男子だと、格闘技だと、見做されていると、思います。で、そういう世界に住んで居る人は、勝ち負けにこだわるし、目の前に居る存在に勝つと、気分がいいのでしょう。もちろん、五輪とか世界選手権とかいう大会で、勝つと、テレビ局が、中継してくれるし、知名度もアップして、気もちがいい事は、いいのですが、それよりも、日常的に目の前にいる存在に対して、自分が上であると感じるのは、非常に気分が良いでしょう。

 ここで、田沢茂先生(新制作協会の会員)と、アマゾネス軍団と、渡辺幸子さんとの関係を語らないといけません。鎌倉を、拠点とする、有名な画家で、お弟子さんがたくさん集まっているのは、小関利雄(芸大卒、元、横浜国大教授)先生と、美大を出て居ない、田沢茂先生でした。ほかに、小泉淳作とか、棟方志功と言う有名人が居ますが、弟子を取っているとは、聞いたことがありません。私のブログにしょっちゅう出て来る、瓜南直子さんも、「弟子を取って居て、絵画教室を開いている」とは、聞いたことがありません。ここに登場する大原光孝と言う人物も、また、その版画の上での、師であり、創形美術学校の先輩でもある、柄沢斉も、弟子を取っているとは、聞いたことがありません。

 小関先生は、女性にもてる方であって、そのために、奥様と、離婚になってしまって、元、教え子であった方の、お寺に引き取られておられました。で、お寺が経営する幼稚園で、レッスンをされるので、場所代もかからないので、従って、レッスン料も、取ることはない方でした。お礼は、先生を囲んで、宴会をして、その食事代を、みんなが分担するという形でした。これは、小関先生には、高額の年金が入るし、普段の生活費は、すべてお寺さんが、賄ってくださるので、お金を稼ぐ必要がなかったので、こう成りました。

~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『小関利雄先生を囲む弟子たちとしては、横浜国立大学の卒業生を中心として、すべて、偏差値の高い大学を出た女性だった。その中の一人が、サントリー学芸賞を後に受けて、かつ、学習院大学の教授となっている(みたいだった)。サントリー学芸賞だが酒井忠康氏も審査員になっている。

 で、その女性が、私のライバルとして、設定をされたらしくて、問題の画廊【るたん】で、二人が同時に、絵を見るというタイミングで、出会う様に、セッティングが行われた。それは、その数年前に、そして、画廊るたんの、オーナー、中島三枝子さんが、彼女の方をべたべたに持ち上げて、私の方をむしっけらみたいに、軽蔑するという謀略的設定が、立てられていたと、推察している。そういうのも、すぐわかるのだけれど、まあ、それは、それとして、25年ぶりぐらいに会う彼女の体系が、ひどく変わっている(=やせ過ぎになっている)のには、驚いたが、私の方は、中島三枝子さんのそういういじめ行為を横目で見ながらも、ごく普通に挨拶をした。すると、上智大学出身の、そのサントリー学芸賞受賞者が、

 昔とはまるで、異なった、愛情豊かな表情で、挨拶を返してくれた。昔は、高慢なお嬢様にすぎないと、思っていたが、立派なレディにご成長なさっていた。彼女は、良い方へ、大変身を遂げて居た。実は、私と彼女は、小関先生に、活発に質問を投げかける、その種の弟子としては、双璧の存在だったのだ。そして、彼女の方は、美術理論の専攻らしくて、実作を作ってくることはなかったが、私は毎月、数点の実作をもっていったので、先生の教室を、大いに活発化させたのだった。しかし、小関先生は癌で、入院なさったので、教室は、1990年代には、すでに、閉鎖されていた。だから、たしかに懐かしい出会いだった。

 これと、まったく同じ設定で、ガレリアグラフィカの二階で、私と渡辺幸子さんと、酒井忠康氏と、栗田玲子さんの四者が、出会う様に設定をされた。これも渡辺幸子さんが、私のライバルとして設定をされていて、青木繁大賞展の大賞を取っているのだから、幸子さんの方が上であるので、私がそれを、確認してダメージを受けるだろうという設定で、事前に、打ちあわせが行われた、企みだったと、思っている。

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副題4、『反対に基本的な給料がない、田沢先生にとっては、弟子たちから、もらうレッスン料が大切だったと、思われる。私は、鎌倉の画廊内で、田沢先生から弟子にならないかと、リクルートをされたので、びっくり仰天して、丁寧に断って置いたが、田沢先生のリクルート対象には、特徴がある。背が高くて顔が美形、または、服装が、高価なものを着ていておしゃれだと、言う点だ。で、湘南地方には、そういう女性は、多いので、たくさん、同じ特徴を持った女性が、集まって居て、その集団は、アマゾネス軍団と呼ばれていて、湘南地方では、一時期たいへん有名な存在だった。

 私が伊調選手の虐めが一応解決をしたので、よかったねと、言う文章の中に、何故、突然に、田沢一郎を、入れたかと言うと、ある集団の統制を取り、かつ、自分がトップで居るためには、スケープゴートを作るのが、一番最適だからだ。それを応用した点が、二人には、共通をしているからだ。

 栄コーチの「お前に、五輪で、金メダルを取らせてやる」に当たるものが田沢茂先生の方は、「新制作展に、あなたを入選させてあげる」という言葉であろう。そして、栄コーチの吉田沙保里と、伊調選手との関係は、櫻井陽子と、渡辺幸子の関係に当たる。

 それで、渡辺幸子さんは、私に大量の悩みを打ち明けて来ていたのだった。電話で。しかし、そんな渡辺幸子さんが、2002年の2月ごろ、急に激怒して、いじめてくる様になったのです。それは、私が大学祖gつ仰天と言う素人集団のグループ展に、100号Sという大差を出したので出し抜いたと、誤解をしたからでした。特に彼女は、電話で、「アンナの負担だから、鎌倉美術展に出したのを回すわ」と言っていたので、それを出し抜いたと、誤解をしたのだった。

 私の方は、そろそろ公募団体展を卒業しようとしていて、国典用に、性悪下作品の行き場所がなくなったので、大学同窓会展に出したと言うだけに過ぎなかった。大学同窓会展は、確かに渡辺幸子の言う通り。素人集団の集まりだけど、それでも、当時は、望月画廊で、やっていたので、銀座雀に案内状を出せば、見てもらえる可能性があったのだった。

 怒りに、燃え盛って居て、望月画廊のソファーから、私のバッグ類を落としたり、

 電話でグループ内の他の人に悪口を言いまくっているのを、如実に感じていると、もう、誤解を解くのも、できないと思うし、そんな、所に力を注がないでもいいと思うしで、もう、私はさっと、そのグループ展を去った。私はきれいなところに住みたいのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『2018年4月6日には、伊藤玄二郎らの提案に乗っ取って、石井秀樹邸の花畑の手入れをしている土工の姿を見た時に、私はリアルな喧嘩をした(後注1)しかし、次の日に、笑ってしまうのは、その男が問題のパーカーを、私が、庭に出た途端に、着用をした事だった。非常に単純な男みたいだった。そういう手合いなので、喧嘩をすべきではなかった。内心で、軽蔑をして置くだけにするべきだった』

 しかし、2018年4月6には、私にとっては、驚くべき行動をとった日だった(後注1) リアルな世界で、喧嘩をした日だったからだ。それも、土工を相手に。なんという、嫌な日だっただろう。

 しかし、私が、アップセット(英語で、よく使う俗語だが、きりきり舞いをしていて、落ち着かないという意味で使う)だったというわけでもない。土工の行動のどこを写真に撮ったら、面白い文章が書けるし、それに役立つかという事も、しっかりと、冷静に考えながら、写真を撮っているのだから。(苦笑) 私は常に全体像を俯瞰しながら、いろいろ考えて行動をしている。まあ、土工と言う言葉は、軽蔑後に当たると思うので、石春産業と、言いなおさないといけないのだろうが、彼が今行っている証拠隠滅工事は、私に、数十億円の被害を与え続けている鎌倉エージェントの最終的な勝利に結びつくのだから、私が、こういう風に書くのも致し方ないのである。』

~~~~~~~~~~~~~~~~

 副題6、『渡辺幸子さんは、しばらく会わないうちに腰が、横に、曲がって居た? 普通の老化ではなくて、病気によるものだそうだ。その姿は、・・・・・サリーホーキンスが映画の中で、演じたモードルイスの姿にそっくりだった』

  以下の文章は、本日=18-4-7の深夜、書いたものではなくて、3月29日にメモとして書いたものです。前半は、秋山裕徳太子のお個展にまつわる話であり、後半は、渡辺幸子の個展を見た話となっています。

 先週の、木曜日(2018-3-29)の事。月曜日に、時間が足りなくて、ギャラリーアーチストスペースはぬかした。エネルギーを単純な消費で済ませられるところを主に回った。ところで、木曜日に二度目として行って、ギャラリーアーチストスペースに行ったら、何と、誕生会をやって居た。秋山裕徳太子と言う人は【うお座】らしい。なるほど、なるほど。だから、芸能人ともなるし、泡まつ候補ともなるのだ。うお座は、他人の人気を極度に気にする。そして、人気もえやすい。フィギュアのザギトワが、うお座だ。だけど、一生を通じれば、それほどに高い位置に存在できるわけでもない。彼は、私が居るからこそ、これほどの、ちやほや扱いを受けているわけだろう。

 私は別にそれを目指して行ったわけではなくて、ただ、偶然に木曜日に行っただけど、秋山裕徳太子と目が合った。ところで、入り口に月刊ギャラリーが置いてあった。秋山裕徳太子特集とあった。これにダメージを受けるかと言うと、負け惜しみではなくて、受けて居ない。本多さんも生きるのに必死なのだろう。ところで、私と関係が深いと、お金が入ったと、思うが、・・・・・だから、会社が、他のビルに、移転をする・・・・・と、言っていた。しかし、関係がゼロになると、引っ剥がそうとするためのお金は、彼には入って行かないと思う。念のためにネットで調べたら、前のビルに会社は、引き続き存在をしていた。まあ、心配をしてあげても仕方がない。

 ところで、昨日、油井一人さんが、同時刻に銀座に居た。彼が、今、何をしているかが大問題だけれど・・・・・?????

 その日は、北久里浜に泊まって、8時間ゲームをやった。本日は、ちっとも面白くないのだけれど、その日は、バカに面白かったのだ。ウィンドーズ7だったからか? そのご、電車の中で、20分寝ただけで、気分がさわやかだったので、渡辺幸子さんの個展に行ってみた。

 彼女は、「あなたは、今、絵を描いているの?」と、言う。その前には、「元気そうじゃあない」と言うので、非常に参っているという噂を、すでに、というか、この個展の前に、栗田玲子さんから、聞いて、耳にしているみたいだった。私は、30時間も起き続けているので、顔(特に顎のあたり)にはしわが寄って居て、全然に元気ではない。しかし、実は、私が、「75歳なので」と言うと、みんなが驚く。実は、精神が、若いというか、神様に見守られているオーラがあるので、皆さんが、行為をもって接してくれる。みなさんとは、CIAの影が及ぼしていない人なので、銀座で出会う作家を指しては居ない。栗田玲子さんは、私のブログを読んでいて、非常に具合が悪くて、死にそうだと、思い込んでいるみたいだけれど、秋山裕徳太子よりもしわはないし、ふっくらしているし、文章の、技に、だまされていて、それをそっくりそのまま、幸子さんに伝えているらしい。だから、幸子さんは、徹夜明けの私を見ても、その輝き(!?!?!)に驚いて、居た。そう、みたいだった。それは、収穫だった。栗田玲子さんが、どういう風に判断をしているかが、判ったからだ。今度、二階に顔を出すか一階で、オープニングをしている際に顔を出して、自分を彼女に見せ付けよう。(笑い)

 幸子さんが、私より背が低くなっているので、驚いて、それを指摘した。老人固有の縮み現象だと、思って。そう、みんなが言う。「2cmから、5cmは、縮んだのよ」と。私も3cmは、縮んだ方だ。しかし、どうも、違うらしい。彼女は正直者でもあるので、はっきり言っていた。名前はおぼえて居ないが、何か骨の病気で、10cm縮んだそうだ。そのせいか、腰のところで、体が、曲がっている。それは、まさしくサリーホーキンスが、表現したモードルイスそのものだった、彼女に会った後で、東劇に行ったのだけれど、映画の最後に出てきた実物のモードは、非常に背が低くて、曲がっているという印象はない。しかし、サリーホーキンスは、コシノところで、曲がったという造形をしている。それは予告編等で、知っていたので、幸子さんと、サリーホーキンスの造形の、一致には驚いた。しかし、それで、刺激をされて、幸せの絵の具を、見に行ったというわけではない。丸の内ピカデリーで、何時に、上映をしているかがわからなかったので、やはり東劇で見た方が適切だと、判断をしたのだった。その通りで、丸の内ピカデリーでは、一日に一回だけで、しかも、5日までだけだった。よかった。東劇で見て置いて。

 幸子さんの絵なんだけど、褒めて置いた。「詩情がありますね」と、しかし、どうも、水増しをした感じがある大作だと、思われた。小さな絵を拡大したので、油絵なのに、力を感じない。受け取れるものが少ない。あんなに大きな絵にする必要がないモチーフである。新制作・出品用なのかな? となると、150号S にする必要があるのか? もしこの想像が当たっているとすると、新制作も公募団体展の弊害のさなかにあるという事となる。そうなると、新制作も寿命が尽きるという事だろう。

 中島三枝子さんと十束さんは、最近の私を見ているので、栗田玲子さんの様には、衰えているとの、判断をしていないと、思うが・・・・・

 渡辺さんに、「あなたは、絵を描いていないのね」、と、駄目押しされたときには、『終わった人なのね。私には、負けているわね』と、みくだされたと、言う感じを受けた。が、他人がどう思おうと、私は神様に見守られていると、信じている。というか、日夜それを感じている。ただ、いいことは、他言をしない主義なので、これから先は、誰も知らない話となる。私の心や脳内だけに保存をされている。私は、一種の幸せな状態にある。昨日も、ともかく自然に、寝入っているし、便通もあるし、それなりの体力で、いつも通りの生活ができているし。

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伊調選手救われる・・・私は、今夕20分だけだったが大運動をした。wrestling並み? しかし、私の方は救われない(大苦笑)

2018-04-06 22:35:50 | Weblog

副題1、『それは、久しぶりにすっきりとしたニュースだった』

 NHKニュースを見て居て、久しぶりに、『これは、まっとうな解決でしょう』と、思う事案に接しました。伊調選手には、「よかったですね。ひとまず」と、いいたいです。でも、五輪、五連覇は大変なので、五連覇ができなかった時に、栄氏、一派からの逆襲がない様に、いのります。一般の国民も、それを望まない様に、しましょうね。期待され過ぎた、選手が、心理的に追い込まれて、良い成績が出ないことが、多数あるので、過剰な取材がない様にも、祈っております。これ以降の伊調選手に関する記事は、以下のブログをお読みください。

伊調選手救われる。NHKオンラインより、  2018-04-04 02:29:28 | 歌舞伎

副題2、『私は、本日は、強いられて、肉体労働、しかも、重労働をせねばならなかった』

 本日は、超が付くほどに、短いブログ(?)で、終わらせていただきたいです(?)。理由を言うと、体調の悪い私が、肉体労働を大量にしたのですよ。コンクリートを割ったものが、入った麻袋を、10個程度運んだのです。(苦笑)・・・・・と、言いながら、証拠隠滅工事があまりにもあくどいので、それについて、書いて行かれる部分まで、書いて行きましょう。そして、又、実際には、超が付くほどに、長くなりそうです。

 上の写真(#1)ですが、左側に、立っている男は、石春産業の、専務です。または、常務か? 社長の弟だと、言っていました。彼は、今、鼻をかんでいるところです。彼の前に、緑色の布地が置いてありますね。それは、彼のバッグで、彼は、今、そこから、ティッシュを取り出して、鼻をかんだところです。彼の足元から、右へ、壱メートルぐらい離れたところに、10cm×15cmぐらいの、真っ白な長方形を置いています。それは、普通なら、矢印を置きたいところですが、CIAが、jpeg 処理用、アプリ【コーレル】を、破壊したので、矢印が書けません。それで、別のアプリで、白い長方形を入れたところです。その意味は後で、説明をいたします。     この写真の中の彼は、その時間帯に、恐ろしくもあくどい、証拠隠滅工事を行っているところですが、今夕は、特に心理的に悪辣な事を(伊藤玄二郎たちの発案によって)やって居たので、いろいろ、私の方が、まず、言葉で、抗議をしていたのですが、徹底的に、無視してきているところです。しかし無視しながらも、やっぱり心理的なストレスがある筈で、かれは、無視し続ける行動の中にも、なにか、中断は入れたかったみたいで、鼻をかむという行為をしているところです。本日は暑くて、とても風邪をひくほどの、鼻水は出て居なかった模様で、音で、それが、判りました。見ていておかしかったですよ。『おや、猫並みだわ、この人』と思って。本当に、この行為は、ネコの毛づくろいに当たるものです。猫は、心理的な負担を感じると、毛づくろいをして、時間稼ぎをするものなのです。猫も人間も、心理状態は、同じだという風に見ることができます。(この比喩を、【比喩B】と名付けておきます)      私は、彼に対して、ささやかな、抗議の言葉を出しましたが、無視され続けたので、仕方がなくて、実際の、抗議行動に出たのですが、それが、重労働と言う事です。それが、総タイトルの右側に、付記している、重労働と言う話です。何を運んだかと言うと、彼の足元に、積んである、麻袋と、彼の後ろに堆積しているコンクリートの破片です。     ~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『20分間程度だったが、最近の私としては、考えられないほどの、重労働をした』

 麻袋と言っても、現代風のもので、プラスチックでできているものです。その中には、長さが15cm、幅が10cmぐらいのコンクリートの割れたものが入って居ます。超が付くほどに、ひどい、そして、あくどい証拠隠滅工事が、今、大・進行しています。その詳細は、将来纏めて書くつもりですが、その工事で出た残渣です。     もっとも、被害の大きい、私に対して、石春産業が、わざと、心理的に、イライラする方向で、出てきたので、仕方がなくて、そういう重労働をしたのです。それに、話しかけにも一切応答をしなかったので、仕方がなくて、実際の生活の中で、リアルな形での抗議の一つとして、その重労働を、いたしました。      でね。その麻袋には、細いプラスチック製の編んだ紐がついて居ますので、それが手に食い込みます。で、彼が置いていたパーカーを纏めて軍手代わりの緩衝材として、手が、傷まない様に、使って居たら、今まで、を完璧に無視して、居て、会話が一切ない、石春産業が、そのパーカーだけは取りに来て、私の手からもぎ取りました。上の写真(#1)の中の、白い長方形は、パーカーを指そうとした矢印の代わりなのです。矢印がどうしても入らないので、白い長方形を置きました。その白い長方形の左側に、黒い塊が見えますか?       それが、彼のパーカーなのです。軽い生地でできているので、ふわっと、空気を含んでいて山なりに、膨らんでいます。売値が、2000円ぐらいのものではないかなあ? 買うのは、最近、カンブリア宮殿に登場した、作業衣や、軍手を扱う事で、延びている、会社かな?      ここらあたりは、犬っ子ろの喧嘩、または、子猫のじゃれ合いか、それ以下であって、人間とも思われませんし、自分でも、自分を、冷笑をしてしまうほどですが、それだけ、リアルな世界で、ひどい事が行われていて、私が追い詰められたという事です。(この部分の比喩を、Aと名付けておきましょう)そして彼らが低級な事をしてくる限り、こちらも低級に行動をしないといけないのです。仕方がないのですよ。      ~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私は、2018年、4月6日の夜11時過ぎに、実際には、まだ、生きて居る井上ひさしと、指呼の距離で、呼応をし合ったのだ。指呼の距離とは、実際には、600メートルぐらい東西方向に家は、離れているのだけれど、心理的な意味で、特に、私のパソコンの画面上では、指呼の距離と言ってよい距離で、対面し合ったのである』

 なお、ここで、大きなシステム障害が起きました。いつも、同時進行的に、同じ画面を見ている人間だと、その男を、私が感じている、井上ひさしは、文章の解読力としては、普通以上の能力があるでしょう。直木賞の審査員でしたからね。それで、私が今書いているモノの出来を、瞬時に判断をして、『読者は、ここを面白いと感じるはずだ』と、見做すと、すぐ、瞬間的に、システム異常を起こします。比喩Aが面白い表現だからです。尚、上の方に置いている、比喩Bは、時間的には、比喩Aよりも後で、加筆をした部分に入れているもので、そこでも、システム破壊が起きました。      彼のパソコンは、二画面程度に、使える形であろうし、本体で、私と同じ画面を見て居て、二画面目で、システム障害を、簡単におこすことができる様に、ショートカットを駆使した。アイコンを、10個ぐらいれてもらっていて、そのうちのどれかを、クリックすると、私のパソコンが、破壊をされるのです。その技術的な意味は、西側40mの家(=kamakura cottage)内に、設置された特殊なルーターを通じて、私のパソコンを破壊することが可能なシステムが構築されている、そういうパソコンを、CIA本部から与えられていると、推察しています。      彼が、文章として、面白いと感じた途端に、文章がぶっ飛んでしまう様な、システム異常を、いつもと同じ様に、今夜も、起こしました。こういうところは、井上ひさしと私が、お互いに指呼の勢いで、感じ合っている処であって、彼が、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、生きて居るという証拠です。比喩Aの何が面白かったかと言うと、今、私が直面していることは、ほどんど暗殺に近い事なのですよ。それを、鎌倉エージェントは、わかって居て、かつ、こういう面白い表現をする、私に驚いて、瞬間的に妨害を行ってきたと、推察しています。     今の猫と、犬のたとえは、小さな利点です。小さな長所です。ただ、優秀なライターだとは、井上ひさしは、私のことを認めているから、この種の妨害を行ってきます。テーマとして、大きい真実が出てきた時もシステム障害が起きますが、それは、別の人間がやっているかもしれません。が、文章として、面白いモノが、書けた途端に、攻撃をしてくるのは、井上ひさしです。彼は、その任務を果たす為に、自分を死んだことにしました。それほど、2010年ごろには、私は、大量に文章を書いていたからです。彼は、2010年4月9日に自分を死んだことにしました。死んでは、居ませんよ。地下潜行をしているだけです。     元の工事現場の様子に戻ります。でね。パーカーが、石春産業の常務に、もぎ取られて、取り返されてしまったので、私の方は、自宅から、軍手を持ってきて、大量のむき出しの、コンクリートの塊を、運びました。麻袋に入れられない大きさのコンクリートの塊が、長さ80cm×幅30cm厚さ8cmの物を最大として、他にもいっぱいあったのです。それらを、どう運んだらいいかですが、中学時代程度の物理の法則を駆使して、できるだけ、体力を使わない様に、手配をしました。それらのコンクリートとか麻袋は、上の#1の写真の右側の彼の荷物(緑色のバッグ)の周辺に散らばっています。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『石春産業に対して、私が何を話しかけ、それをどういう風に彼が無視をしたかを語らないといけない』

 さて、どうして、私が怒ったかですが、対面(北側の方)にある石井秀樹・あずさ邸の、はな畑を、非常にきれいに修復をしていたのです。それは、石井家の私有地であって、町内会の費用で、おこなうべき措置では、ありません。しかし、私は、本日は、時間設定が決まっている外出がありました。その帰宅時間が伊藤玄二郎には、わかって居るので、その帰宅時間を狙って、嫌がらせ行為を、石春にやらせていたのです。     なぜ、それが嫌がらせ行為に当たるかと言うと、私側の花畑は、この山で唯一、コンクリート詰めをされていて、30年間も使えない事となっております。ほかの家には、すべて、花畑があり、それを低入れして楽しんでいます。下は、本日大きな人物として話題の種にしないといけなくなった、大原光孝宅(左側)の、最近、睡眠をとらせないという形で、たびたび登場してくる渡辺賢司(右側)宅の間の道路です。両側から、ぼさぼさぼさっと植栽が、おおいかぶさっているのが見えるでしょう。それが、20戸の家のすべての状況(現況)です。我が家だけ異常なのです。それも、私に罪はありません。 我がやん対面に長らく住んで居た藤本夫人と前田夫人が大きく争って、藤本夫人が前田家を通させないがために、道路の真ん中にフェンスを作ると言ったので、私が犠牲になって、我が家の花畑を潰したのです。

渡辺家と大原家の間の道 (これを#2とする)     その藤本夫人と前田家の争いですが、藤本邸の、東隣の道路で、安野夫人が、毎日、井戸端会議を開きます。その出席者の中で、一番声の大きいのが、前田夫人で、彼女の声って、また、彼女が話す話の内容って、聞くに堪えないほど、はた迷惑な種類のものなのです。(後注1、)      一方下は、我が家の前の、道です。幅が3.5メートルはあります。左側が、旧藤本邸であり、右側が我が家です。     上(これを#3とする)は藤本夫人が、電動のこで、切った痕跡が、二本ある、わが家前の道路です。そして、藤本夫人が、自分のお金で、真ん中にフェンスを作りますと言って、電動のこぎりで、切った後が、草が生えるという形で残っています。真ん中よりもむろんもこと、右(我が家側に拠っています。その頃は、藤本夫人が集中的にいじめられている存在でした。前田夫人も安野夫人も、この小さな社会で、非エラー基を作って、自分が一番になりたいタイプで、その実効を上げるために、スケープゴートを作って苛め抜くのです。ただ、藤本夫人も、調子に乗りすぎて、奥の白い印の右側に在った我が家の山を崩せと、当時の中谷会長に、言いつけて、何と、中谷氏は、私に犠牲を強いて、それによって、前田家や、自分が、道路を使えることを確保したくせに、山を勝手に無許可で崩すという裏切り行為に出てきたのでした。      どうして、そういう裏切り行為に出て来たかと言うと、私が北久里浜で、CIAエージェントの瀬島龍三と、その親友の二人が、2000坪以上の土地を地籍変更届の仕組みを利用して、ただどりをしたという事を知っているので、わたくしをいびり殺したいのです。     ~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『この時の町内会の書類がどうなっているかと、この2018年4月2日(火)に私は小野寺夫人に聞いてみた。すると、町内会が開かれて、決まった事ではない模様である。もし、そういう事になって居たら、中谷氏か、前田氏の、公文書偽造に当たるが、町内会決議と言うのは無いそうである。

 それは、その通りであろう。私は、その山が、無断で切り崩された日に、全戸を回ってみて、この工事を許可したかどうかを確認した。すると誰も許可を与えて居なかった。安野家も前田家も、冨澤家も含めてそうであった。白井小野寺家は、当時は、住んで居ない。ほかにもこの当時の、事情を良くはわかって居ない家が7軒あり、実働16戸のこの山で、当時の、事を知っているのは半分となる。しかも、全戸がsらなかった決定だから、中谷氏の一存であり、藤本夫人と前田夫人の犠牲になっている私に対してさらなるひどい措置をして来た実態がある。当時主人は、松坂に単身赴任で、行っていて、私一人で対応をした。しかし、私は、当然の事、怒ったから、アジサイ畑をコンクリート打ちをする事を許可しないと言ってある。中谷氏にそういって在る。したがって、我が家の前が、コンクリート打ちをされているのは、盗みに当たるのだ。     

 ところで、これから先、大量に書かないといけないのだけれど、今、書いた一節が、消えた。それは、面白みはない部分で、重要な真実が語られている処だ。      再現して行こう。この雪ノ下の多数派は、そういう忌まわしい処理(盗聴、ハッキング、パソコンのシステム破壊、風評被害を流す。工事人を用いて脅かす等を用いて、脅かすなどの、処理)の結果、自分達が勝ったと、思い込んでいるみたいだが、それは、ずるさもずるさの極地で、勝ったという事だから、谷垣さんが、南直子さんが、死んだのも、鎌倉エージェントと、この雪ノ下の住民があまりにもあくどいので、天の処罰として、彼等に与する人のうちの、善人の方である、二人がなくなったという事。     しかし、今般、石春産業が、ドリルで古いコンクリートをはがしたのだから、それをきっかけにして、我が家の花畑を復活させればいい。それを、提案しているのにもかかわらず、小野寺夫人(上の写真・・・・・これを、#4とする)は、そういう事は出来ないの、一点張りだけれど、そう主張する根拠はどこにもないのだ。     しかし、私の花畑は、復活をしない。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『ここで、1955年に制定をされた道路位置指定について語らないといけないが、それは、別の日に行いたい。その道路位置指定に、従っても、我が家の花畑をコンクリート打ちして良いという法的根拠は何もない。』    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『石春が、本日やったことは、石井秀樹邸の花畑をきれいに丁寧に、整える事だった。それは、私の花畑を、復活させないといういじめをさらに、強調する措置だった。で、私が、石井さんは、引っ越して来たばかりであった道路補修費の積み立てが、それほどにないのに、どうして、そちら側ばかり手入れするのですか?と、問い合わせても知らん顔である。その花畑の一部であるところで、石井家の玄関に入る処は、コンクリート打ちをしてあげるのだと、見えた。ブロックの配置がそうなっている。恐るべき偏波である。しかし、今、前田夫人一派は藤本夫人の代わりに、私をスケープゴートにしているところだから、石春産業は強い方に、乗っていると、信じて居て、私の言う音に耳は課さない』

  上の写真を#5としたい。その右側に、在るのは、石井秀樹あずさ邸であって、【難工事、489日】と言う特番として、2016年7月18日にテレビ東京で、放映をされた家である。360度ガラス張りの家として、宣伝をされていて、その後も多数のテレビ露出のある家だ。上の小野寺夫人(#4としている)は、その番組に出た時のもので、問題の我が家の花畑の上で、さつえいをしている動画から、私が、jpeg ファイルと化したものである。      石春産業の常務は、その花畑をしたから上まで、丁寧に聖地をしている処である。そこから、生じた残渣を道路の上に乗せている。彼が、もっと、適切な位置にいた時間帯に、は、邪魔が入って、撮影をしていないが、上に挙げた、残渣の散らばっている場所をご記憶いただきたい。      さて、私が、花畑の、事を話したりしているのに、一切応答をしない上に、真ん中よりも石井邸側に置いてあった残渣を、いちいち移動をし始めて、我が家側に寄せてきた。嫌がらせの極致に達してきた。      非常に子供っぽいやり方だが、こういう単細胞に対しては、こちらも単細胞で、出るしかないと、思った。      で、上の方に置いた写真#1で、彼が自分の荷物(緑色のバッグ)を置いている土地は、我が家の私有地だし、あなたは、我が家に一千万円以上の損害を与えているのだから、そこには置かないでくださいと言った。     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『石井秀樹あずさ邸は、石塚雅彦さん等の支援があって、テレビ東京の特番化したのだが、特殊な設計の家だし、キッチンセットなども特注品なので、施行期間が、489日かかっている。その間に、工事人下非常に失礼だったことなどがあってしかも、この家の建築そのものが、証拠隠滅にも当たるので、工事人に、抗議をしたところ、当該の私の私有地にものを置くことはなくなった。ところが、石春は、目の前で、抗議をしているのにもかかわらず、一切言う事を聞かない。それで、私は、実力行使に出ることにした。

 それが、我が家の私有地に置いてある、麻袋類、10個以上を移動をさせるという手段なのだ。そここそ、小野寺夫人が、自分を撮影をさせた場所でもある。      私は学生時代の「芳香族炭化水素を重合させるための実験で、大量のトルエンを吸っているので、医者から、全身の血管にそなわっている弁の機能がすこぶる悪くて、疲労が重なると、気絶をする事があると言われている。実際にトルコのイスタンブールで、四時間も、意識不明に陥り、医者が来て蘇生術を施された。幸いにホテルがシェラトンだったので、客室も多くて、医者もすぐ、対応した模様だった。骨類も40代で、すでに、90代ですと、言われている。あれから、30年以上経っているので、120歳の骨なのかな?   そんなに体が弱い私がなれないものを運んでいるのに、石春は、一切、手伝わなかった。これは、三年前に、石井秀樹邸が、建設中だった頃よりも、さらに、鎌倉エージェントが悪辣化しているという事だった。すさまじいレベルで、悪辣化しているのだった。    ともかく、私は、コツコツ、運んだ。コンクリートの残渣を運んでいる内には音は出ない。しかし石春は、木材も置いていた。それは軽いので、私は、ボーンと投げた。すると、コンクリートの木枠として使っている木材なので、普通のモノよりは重いので、がターン、がターンと言う音が発生した。     すると、小野寺夫人が出てきた。実は、彼女と前田夫人は、伊藤玄二郎に呼ばれて会合をしていた模様だ。私はカルチュアーセンターで、レッスンを受ける予定が、3時から、4時半まであった。それで、本日は、3時半に集合をしてください。彼女は、三時前に出るはずなので、必ず、見つからない筈です」と、伊藤玄二郎から言われていると、推察している。(後注3) ところで、それは、3時半から始まって、6時半ごろ終わる予定であっただろう。しかし、予定を30分早めて帰って来たのだった。だから、この木材をボーンと投げて居る頃には、小野寺夫人は、在宅だったという事。彼女たちは、常に、小野寺夫人が先に、前田夫人が後から帰って来る。ただし、大原光孝、安野夫妻。柳沢昇は、本日も、最近もずっと、招かれてはいない模様。それは、確認をした。     その時絵店での、小野寺夫人の猫なで声の、恐ろしい事。彼女は火曜日と、水曜日の早朝、7時台に、木工をやって居るかのごとき、木づちの音を響かせておいて、人を寝かせない様にしておきながら、おためごかしに、「川崎さん、どうなさったのですか?」だって。今度は、私が緘黙して無視する番だった。安野夫人、前田夫人、小野寺夫人tさんびゅうしそろった、悪女が居るので、伊藤玄二郎たちにとっては、ここは、攻めやすい、一種の議事牢獄となっている。寝かせない。泥棒に入る。それから、NHKニュースで嫌がらせをしてくる。オスプレイ配備の大さわぎは、藤森官房長官の時代に、私が書いた文章の、否定というか、からかいである。    しかし、私が、道路に居る時間帯に、二人が連続して帰ってくるのは、ミステークだった。彼らの、懇談会の様子が手に取る様に判るからだった。  しかし、伊藤玄二郎は慌てたのである。彼は、石春のスマホか、大原光孝のスマホを盗聴器に仕立て上げて居て、私が大原光孝に向かって、「本日は前田さんと、小野寺夫人が伊藤玄二郎と遭っているでしょう」と言ったのに、驚愕をしたのだと、思う。   なんで、川崎千恵子にそれが判るんだと、思って驚愕をしたのだと、思う。普段は夜、それが、開かれている。しかし、それが、電気の具合で判るのだと、言う事にも気が付いて、昼間、開いたのに、それでもわかるという事に驚愕をしたのだと、思う。いや、私は別に盗聴もしていないし、何もしていない。しかし、何でもわかって居るのだ。伊藤玄二郎の考えていることなど、100%わかって居る。彼と二人羽織の如く、行動をする井上ひさしの、考え方だって、すべてがわかって居る。     ~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『ところで、小野寺夫人が、現れる前に、大原光孝が現れた。こちらの方が、複雑な事を書かないといけないので、後回しにしたのだった。大量の過去の文章を検討を、しないと書けないからだ。だからそちらは、別章に回したい。しかし、大原光孝が、6時ごろ目の前で現れた、挑発は、暴力について、深い考察が得られたケースだったから将来は丁寧に加工』
 以下はメモです。上の写真、#3について、さらに、述べています。
おくの方に、白い印が二つあって、右の白い印が、我が家の前の住人が引っ越した後で、藤本夫人が勝手に入れたと、される地境石です。驚くべき量で、我が家側に侵入しています。左側が、現在、石井秀樹あずさ邸が建っている処であって、 

@@@@@@ここが、第二の書きかけ中の最先端です。

上は、切り立った、藤本家の角 これは、今は、石井秀樹あずさ夫妻の家が建ち、彼ら夫妻が、化粧タイルを張っているので、見かけは変わっているが角度そのものは同じであり、このすぐそばで、大原光孝が、やって来た。私の目の前をわざと通った。背中側に、余裕が二メートルはあるのに、私と柱の間に、50cmしかないのに、通った。それが、大挑発と言う事だった。その大挑発を受けた。暴力とは何かについてかたらないといけないし、彼が、本日みたいなことをしてくると柄沢斉氏とかシロタ画廊について、あれこれを語らないといけなくなる。まあ、それは、後段に回すとして、この写真のうち、#2が特にここでは、必要になる。 

後注1、

鎌倉御成中学PTA総会での、慣例または儀礼無視から、判る事(アエラの記事から敷衍して)   2013-08-22 06:31:58 | 政治

後注2、

我が家の山を崩壊させた土を盛った場所  2014-01-08 09:07:51 | 政治

後注3、

旧里見弴邸に秘密が隠されている?・・・原節子の死と伊藤玄二郎+伊藤整△△△   2015-12-03 03:31:30 | 政治 

 

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野島今日子、ヴァンサン・ル・テクシエ・・・・・シューベルトの、【楽に寄す】と、岩永先生の思い出

2018-01-26 21:49:10 | Weblog

副題1、『赤とんぼ、から始まって、今日は、お歌を、結構長い時間、歌ってしまったのだなあ!』

 私は、朝起きた時は、本日も又、新しいもので、長いものを書こうと、思っておりました。しかし、午前11時までは、前報の、推敲やら、加筆をしていて、その後の、家事をしながらの、ウォーミングアップの時間帯に、録画しておいた、クラシック倶楽部を見てしまったのです。伴奏者は、野島今日子さんです。フェリスを卒業したと、あるので、「あれ、野島稔さんの一族ではないかなあ?」と思ったのですが、wikipediaが、立っていなくて、判りませんでした。でも、きれいで優しそうな、素敵な人です。お胸はふっくらとしていて。顔は、野島稔さんとは、似て居ないのですが、つつましやかで、しかも実力があるので、野島稔さんの、姉妹だろうと、思っています。

 フランス出身のバリトン歌手【ヴァンサン・ル・テクシエ】とのデュオだったのですが、アンコールに彼が【赤とんぼ】を歌ったのです。

 それには感動してしまいました。と言うのもピアノ伴奏部分を含めて楽譜が、9行程度だったと、推察されました。一頁にも満たないだろうという短い曲をアンコールに持って来た、二人の選択眼と、心映えの美しさと、力量にです。

 お歌を歌うことが好きな人だったら、それがお分かりだと、思うのですが、短い曲で、アンコールを閉めるなどと言う事は、凄い事なのです。自分一人で、勝手に歌っている時には、曲の長短は、あまり関係がないのですが、お客様が目の前にいる時に、単純にして短い歌で、最後を飾るなどと言う事は、大変な自信があるという事なのです。

 しかし、自信がある筈なのに、全体的に、謙虚で静かだったのです。演奏会本体の方は、知らない曲ばかりだったので、聞くのが苦痛なくらいだったのにアンコールで、一気に二人の音楽家を、敬愛する様になりました。

 そして、「ヴァンサン・ル・テクシエは、この歌のどこが気に入っているのだろう?」と思い、それを、知りたくなりました。で、今、彼がフェイスブックに投稿をしているかどうかを、調べましたが、投稿をしておりません。もし投稿をしていたとしてもフランス語でしょうが、それでも、知りたかったところです。『日本語の抑揚に沿って、作られたメロディですが、フランス人にも、美しいと感じ取ってもらっているのだろうか?』と、か、いろいろ知りたくなったところです。

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副題2、『年齢によって、私の愛唱歌は、異なって来るが、最近では、だいたいロンドン・デリー・エア程度だった。それなのに、二人に感動させられたので、短い曲ばかり選び取って、歌ってみた』

 40代はイタリアオペラからの、男性用アリアが、愛唱歌だったのですが、50代に、【ソルヴェーグの歌】(これが最後尾の蛇足へ繋がっていきます)とか、【オッフェンバックの舟歌】などの、短いお歌に変わって来て、最近では、さらに、短い歌になって居て、「我が子よー、愛しの汝(なれ)ーを」で、始まる、ロンドンデリーエーア等へ変化しているのですが、本日は意図的に、さらに、短いお歌を選んで歌ってみました。

 その際にできるだけ、大きな声で歌ってみました。それはですね。歌舞伎役者の声量と言う事に、関心が、移っているからです。特に吉右衛門の声量が落ちたことに関心がありますが・・・・・この件については、後ほど、語ります。しかし、大きな声で歌ったがために、疲れたらしいのですね。なんという体力の少なさよと、唖然としてしまうほどですが、午後に、別用で、外出したことも相まって、いつも並み「の深さのブログの新稿が書けないのでした。頭の中に種が下りてきていないので、「まあ、それもいいか」と、思っているところです。

 ナカダ・ルデナ・何とかの裁判が行われたことも、やまゆり園、18か月目で、入倉かおる園長とか、尾野一矢、剛志父子が現れたことも、 すべて、私が過去に書いたことを打ち消して、国民側を、洗脳するために、報道をされているニュースですが、「ああ、そうですか!」と、言っておいて、全くたじろいでもいないのですよ。そういうニュースが、今準備をされ、報道をされることこそ、最近、私が書いていることがどれほどに、正しい考察の連続であるかを語っているからです。

 特に常用のパソコンが突然、下記の写真のごとき、状態になったのも、最大限の攻撃であり、どれほどに、私が高いレベルの真実を語っているかを指し示しております。

 パソコンは、「更新プログラムをインストール中であり、何度も、再起動をします」と、言い始めていますが、これは常用のウィンドーズ10では、かつて、現れたことのない画面であって、グーブログ【銀座のうぐいすから】への書き込みを阻害しようとして現れた画面です。という挿入を、夜の11時に入れて元へ戻ります。

 【赤とんぼ】、【ふるさと】、【里の秋】、【みかんの花咲く丘】、【この道】まで歌ったところで、記憶の種が尽きたのです。一階に降りて楽譜を探せば、短い歌はもっとあるはずだと、思ったのですが、何せ、寒波襲来で、寒いです。で、『まあ、いいか、日本の歌はこれくらいで』と、思い、西洋の歌へ移る事としました。

 西洋のお歌で、短いものとして、真っ先に浮かぶのは、シューベルトの【楽に寄す】です。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『シューベルトの【樂によす】は、1958年、か、1959年の高校の音楽の時間の試験課題であったのだが、その際に、岩永先生が、示された深い慈愛に出会う。それは、中学時代も同じで雲居佐和子先生が示された深い慈愛にであった。どうしてそうなるかというと、子ども時代の私は、一人になると、緊張して、歌えない人間だった。しかし、大勢の中で、歌うと、いい声が出る人間であって、音楽の先生は、それに気づいてくださっていたのだった。・・・・・たった五分程度の、短い間だったが、純粋な恩愛というのを感じたものだった』

  私の父は、ロマンチストだったと思います。体格は大きいのに、いつも、夢見がちで、お歌をうたっている人でした。ところが、声がしゃがれていて高いし、調子も外れていました。だから、本人だけ悦に入っているが、周りの人は聞き苦しいものでした。

 で、母が、常に、「ほら、また、お父さんの<変タ調>が、始まったわ」と言って笑っていました。父にはそれが、聞こえていたと、思います。でも、自分の想像に浸っていたので、その想像の世界への伴奏音楽としての、歌を歌うということをやめませんでした。この<変タ調>ですが、母の発明した語彙ではありません。

 父の11歳年上の兄が発明した言葉です。父の兄は、明治32年生まれで、本業は旧制中学の数学の教師でした。でも、「音楽だって教えられるよ」と豪語するほどに、音楽に強い人でした。しかも、父の父が早く亡くなっているので、父親代わりなので、弟を、からかうのも平気だったのです。

 私は、その叔父が、父をからかっている場面は見たことがないのです。ただ、「変タ調ってなあに?」と、母に質問をした結果、そういういきさつを知ったのです。

 そのエピソードは、わかったのですが、父が、かわいそうにとは、思いました。それが、私が、人前であは、歌を歌えなくなった、大きな原因です。ただ、母のために、弁明をすれば、父が脳挫傷を患って、言葉を発せられなくなったり、寝たきりになった後では、非常に大切にしました。元気で正常で、自分よりおおきいと思っていたからからかったのです。

 この、父の歌と、母のからかいのエピソードに深く傷ついていた私は、人前では、歌えなくなっていたのでした。特に一人では歌えないのです。舞台に上がったとしても、コーラスなら、歌えるのに、一人では、歌えないのでした。

 で、中学時代は、結局歌えなくて、課題曲が何だったかも覚えていない程です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『岩永先生は、悲しみを知る人だった。わたくしも少女ながらに、悲しみを知る人だった。その二人が、音楽の試験の際の、特に前奏部分で、太い太い愛の絆を、かわしたのだった。その時の岩永先生の顔と態度は忘れられない』

  1950年代は、人々は、まだ、余裕がなかったので、クラシック音楽に強い人は、少数でした。東京でも少数だったのです。従って、東京の音楽の世界では、岩永先生は、その悲恋のエピソードで、とても、有名な方だったらしいのです。

 私のほうには、高一の時に、AFS の試験を、書類を渡してもらえないという形で、受験できなかったことが、深い悲しみとして、沈澱していました。担任は、東大出身の英語の先生でしたが、発音が悪い人だったので、内心で、私のほうが嫌っていました。「努力を、しない人だなあ」とも思っていました。それが、相手にわかっていたのだと、思います。

 私の眼って、とても小さいくせに、目は口ほどにものをいうの典型で、先生のほうでは、「あいつめ、僕の事を嫌っているな。それに、バカにも、しているな。生意気なやつめ、思いしれっ」という事だったらしいのです。でも、すでに、50代になっている男性が、たった、16才の女の子に復讐をするということが信じられませんでした。

  私が、シューベルトの、【樂によす】をなかなか、歌いだせないでいるのに、待って、待って、くださって、何度も前奏を弾いてくださった、岩永先生の愛に接したのが、もし、一年の二学期だったら、上のエピソードの直後だったので、ことさらに、身にしみてうれしく感じたのかもしれません。

 その試験での課題曲は三つあって、【ドリゴのセレナード】なども含まれていたと、記憶しています。で、いちばん短い曲を選んだのに、短いから、やさしいのだとは、ならないのでした。

 「シンプルな曲ほど、難しい」の典型でした。岩永先生は、下の名前を輝と書きます。でも、だれも、名字でしか、呼びませんでした。どこか、毅然とした方で、甘えられない雰囲気がありました。

 たった、3分程度でしたが、そういう毅然とした方が、こぼれるほどの愛をお示しくださったので、それは、忘れられない思い出となっています。

 歌舞伎役者の声量の問題については、またあとで、語ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

蛇足・・・・・・【黄色いさくらんぼ】・・・・・125頁より

 少し解説を加えますと、私はメルマガ時代のエッセイ集を紙の本へ直しています。6種類作りましたが、そのうちの第五冊目【黄色いさくらんぼ】が、最も評判が良くて、アマゾンで、古本が、10800円の値がついて居ました。600部程度、主に美術の分野の人々に、献呈して歩いたものですが、面白いと評判をとりました。

 これは、全編が、2000年のニューヨーク滞在に基づくお話です。その第28章であって、工房内で、材料費をぼんぼん使う私が、日本人女性達の嫉妬によるいじめに出会っている際の或る晩の話です。登場人物は、私自身の名前が百合子となって居て、他の人もすべてが、仮名で、語られています。

****************

ソルヴェーグの歌 

ある夜のこと、タカコとサユリの二人が例のごとく、大声の日本語で話し合っていた。ほかに在室している日本人がいないので、外人たちは、その雰囲気の悪さは感じるものの、内容がわからないので、タカコが悪い人間だとも思うわけでもなく、それを熟知しているタカコが、サユリを巻き込んでいると百合子は見る。しかし、百合子はこのニューヨークに観光ビザ限度いっぱいの三ヶ月しかいられないのだ。だから、挽回策として、サユリをこちら側につけるわけにも行かなかった。自分が帰国した後で、サユリが今度は標的になる可能性はある。タカコにはヒステリー性格が見られ、それは、必ず仮想敵を必要とするので、タカコには常に、軽蔑し、ののしる相手が必要なのだった。

版画工房というのは、人と接するのが不可欠な場所だ。酸化室に行けば誰かほかの人が、自分の銅版をチェックしているし、銅版を切るところに行けば、そこの傍で仕事をしている人がいるわけだ。大きなサイズの紙を小さく切る場所は中心にあるので、大勢の人が傍を通る。

そのときに、声を交わすかどうか、顔の表情がどうなのか、というポイントで、意外と大きなコミュニケーションを交わしている。そして、人間関係のダイナミズムも生まれる場所だ。表向きには、話をしていない。だけれども、態度で、意思と感情を表出する人間がいる。特に悪意を。最近の日本の言葉ではモラル・ハラスメントというもの。漱石はイギリス留学においてノイローゼになったそうだが、版画工房というのはそれよりも、もっと、間接的ではある。けれど、結構、長時間お互いが同じ場所にいるので問題なのだ。立って労働を重ねているので、ノイローゼになっている暇もないともいえるが、その暗黙のいじめに対しては、日々の戦いが必要な場所である。

どういう風に戦うかは人によって違うのだが、百合子の場合は、ただひたすらによい版画を作ることを目指す。綿密な作業ノートを作り、今日はシャルボネ(フランス製の版画インク)の何番と何番を何パーセントの割合で組み合わせなどと、詳細に記録する。

 内心では、サユリに対して深く同情をしていた。それは、ある日彼女が、日本からきた客について愚痴をこぼしていたときに、前々から感じていた、お嬢さんぶりを再び感じたからだ。『特に母親と確執があるのではないか、そして、それゆえに、彼女はどうしてか、自己主張ができないタイプなのだ』ということが、確認をされる感があった。

サユリはタカコにいう。「必ず、お金は払いますというから泊めたのよね。だけど、相手からいい出してくれないと、こちらから、何ドルくださいっていえないじゃあない。だから結局もらえないの」と。タカコは『ふん、ふん』とうなづく。しかし、内心では『あなた、はっきり断ればよかったじゃあないの』と思っているらしくて、「そりゃあ、大変だったわね」とは、同情をしない。「時間がね、問題なの。すごく遅く帰ってくるの。引っ掻き回されちゃう。疲れ切っちゃった」とサユリは続ける。「この前、キューバに行ったでしょう。その疲れが取れていないときだったから、本当に疲れた」と。

百合子は聞こえてしまう二人の会話を聞きながら、一人でしみじみといろいろなことを考える。特にパリでのランチのときの会話を。遠縁に当たる女性と、凱旋門そばのベトナム料理店で、お昼を一緒にしていた。彼女はいう。「あのね。その一人の日本人にとっては、パリが初めてだったりするの。だから、おおごとであるというか、知らないことはいっぱいね。それで、頼るのよ。パリにいる人間を。でも、こちらにすれば相手が一人ではないの。次から次へとくるわけでしょう。本当にたまらないのよ。でも、あなたって、意外とものがわかる人みたいね。面白いわ。三ヶ月いるの。もう一回ぐらい会いましょう」と。

そうだ。百合子は意外とものがわかる。彼女にそういわれても機嫌を悪くするわけでもなくて、『なるほど』と内心で思うだけだ。そして、パリに向かうときにも鳩居堂のレターセットは持っていった。ともかく、文房具を好きな人は多い。そして、海外にいればこそ、和風のものは生きるだろう。今は、『世界中どこにでも、日本のデパートの支店がある』といっても、サイズの特に小さなものなど珍しいはずだと、百合子は考える。そして、相手の時間を使ったことを感謝する。それを態度に出す。しかし、サユリのお客はそれを、態度に出さなかったのだ。がさつな人間だったのだろう。

いや、がさつというよりも、現代の若い日本人として、普通の態度なのかもしれない。特に大学を出たてだったりすると、学生気分が抜けなくて、年上のサユリに甘えきっているのだろう。また、同年代の、お客、特にアーチストだと、『自分が貧乏だ』という認識があるがために、かえって、堂々とずうずうしくなったりするのだ。『ホテルじゃあないところに泊まれれば、一日に一万円浮くわ。それで、ガイドブックに出ている評判のレストランに行ったり、ミュージカルを見てみよう』などとなって、その感想を得々と、サユリのアパートで次の朝語ったりしたら、そりゃあ、サユリはたまらない。

『サユリは何年前に、このニューヨークへきたのだろう。たった、十年で日本社会はすごく変わった。サユリは、十年、または十五年ぐらい前の日本人なのだ。節度があって、控えめな。もしかすると、永住権がまだ持てないのだろうか。アーチストは保障がない。会社という組織に属していたら、すでに取れたであろう、グリーンカードをまだ持っていないのだろうか。キューバにはその関係で出かけたのだろうか』と思っているうちに、サユリがキューバの思い出を語り始めた。それは明るい前向きなもので、百合子はほっとする。

『本当は、あなたは、日本に帰って、親戚の人に頼んで、お見合いででもよい相手を紹介してもらって、品のよい奥様業をしたら似合うのに。今の日本なら、結婚に対する年齢制限はないのに。四十過ぎていても、相手は見つかる。それは、自らの意識の持ち方にかかっている』などと、百合子は思う。しかし、二人がガード固く、『入れてあげない』ムードを作っているので、そんな提言もあらばこそだった。そして、もし昼間、タカコのいないときに、百合子が話しかけたとしても、サユリはガード固く、拒否するだろう。特にこの間、サザラッシュに百合子の方が大事にされていると、誤解をしてしまっているから、余計、受け入れを拒否するだろう。

百合子はなんともいえない切なさを感じる。人間とは憎み合うときもあるが、一方では、愛し合うものなのだ。そして、友愛という意味では、今現在、この瞬間には、『百合子の方がタカコよりもサユリを理解している。そして、本当の意味でサユリに役立つ忠告ができる』と思っても、それは、かなえられない望みだった。

そのとき、ラヂオからソルヴェーグの歌が聞こえてきた。百合子は思わずそれに連れて歌いだしてしまった。漂泊するペールギュント。そして、それを待ち、許すソルヴェーグ。百合子はそのとき、サユリの切なさも感じていたが、自らの切なさと、不安をも感じていたのだ。強気というか、一生懸命版画一筋で、今、この工房にいる。しかし、明日はどうなるだろう。それは自らにもわかっていなかった。『今の自分は、デラシネ(浮き草)そのものである』と思えばさびしさも募る。そして、目の前で、それに入れてもらいたい、日本人の輪から拒絶をされている。

数十秒間、百合子はメロディそのものに没入をしていた。そして、ラヂオが別の曲目へ移ったときに、ふと、われに返った。するとあたりの空気が一変をしていた。二人の大声のおしゃべりが止んでいた。二人は別々の場所に移動をして、黙々と版画の制作を再開した。

思いがけないことだった。それを目的に歌ったわけではない。二人を叱るために歌ったわけではない。ただ、ほとばしるように、出てしまった声だった。自然極まりない、内面からの声だった。しかし、その声は、あたりを払って、空気を清めてくれたのだ。ここはある人間をいじめるための場所ではなく、版画を制作するためにある場所だった。それを二人は気がついてくれたのだ。天が助けてくれたと思った。サザラッシュのコーチングが助けになってはいたが、彼を問題にしないタカコの強引さを防ぐ手立てはなかったのに、そのいじめに対して、防衛もできないが、復讐や反撃もしないという、よい心構えでいただけで、天は救ってくださった。

 ::::::::::この時に、この書物の代表的な登場人物であるエドアルドが、「まるで、マリアカラスみたい」と、言ってくれたのですが、それは、ここには、記載をしていません。::::::::エドゥアルドとは、露悪的な人物ですが、毎日サツマイモ入りの蒸しパンを持って来ていたほどの、貧乏な人でした。そして、私が、工房を、2000年の、11月の末に去った、一年弱の後に、孤独死します。多分、貧窮ゆえにです。ただ、私が居たころは、元気だったのですが、この章の登場人物であるタカコが、工房を、閉鎖に追い込むモニター制度を作ったために、工房の収入が激減して、閉鎖をせざるを得なくなったのです。それで、エドゥアルドは、摺り師の仕事をする事が不可能になったのでした。その上に、独身であった、かれにとっては、工房が、ほぼ、家庭に等しい場所だったのに、それが無くなって、毎日、そこへ行けば、人との交流があるという場所が無くなったからでした。

 この一巻は、エドゥアルドと、ロブと言う二人の対照的な、行動様式の版画家の死を主要なストーリーとしています。ロブは、ニューヨーク出身の、いわゆる黒人で、それなりに苦労があったために独身です。才能と、社会の偏見の間に乖離があったからです。でも、態度は、気さくで、かつ陽気で、かつ上品なので、大勢の人に慕われていますし、芸術家を優遇することで有名なホテルチェルシーで、それなりの厚遇を受けている人です。そして、家政婦とか、看護師も来ています。一方のエドゥアルドは、南米出身で、褐色の肌の人です。不法滞在なのか、非常に貧乏です。エドゥアルドは2001年の八月に、ロブは、2003年の、四月に、亡くなります。私は、ロブから、生きているうちに、「もう一回ニューヨークに、おいで」という電話をもらっています。しかも亡くなった時には、上述のサユリさんから、「お葬式に来てほしい」と、電話で、言われています。遺言書に、作品類を百合子に渡してほしいと書いてあったからでしょう。

 どうして、そういう願いをロブから、寄せられるかと言うと、或る夜に、すでに、すべてのお店が閉まっていたので、たった8粒の、自分用の、黄色いさくらんぼをお見舞いにもっていくのですね。しかし、その同じ日の朝、ロブが、結婚をしておらず、妻も子もいない事の悲哀をとことんわかってしまって、それを、顔に出したからでしょう。

 ロブには、ほぼ同世代の家政婦と、若い看護士が、介護をしにやってきています。単純に高齢だというよりもパーキンソン氏病を患っていて、一人では、歩けないので、サポートが必要なのでした。ロブとは、1999年にも、2000年にもホテルチェルシー内で、あっているのですが、どんどん、衰えが進んでいました。そして、ものがほとんど、整理されて無くなって居ました。他人のお世話になる老後というのはそういう事でした。

 しかし、最も哀しかったのは、ロブのパンツに穴が開いているのが見えてしまった事なのです。後から丁寧に考えると、古いパンツだったわけではないのです。ただ、介護上、その方が便利だったので、わざわざ、はさみで開けたアナだったのです。でもね、もし、傍に立っている女性(若い介護士、もしくは看護師)が、妻、もしくは、子供だったら、このパンツの上にバスタオルを置くでしょう。そのぐらいの配慮はすると、思います。『他人だから、気が付かないのだ』と、おもったら、涙が出てきそうで、そばには、もういられない感じでした。で、「夜もう一回きますね」と言って、夜、ホテルのスタッフさんと一緒に、黄色いさくらんぼをもって、再度、訪問をしたのです。今度はちゃんと、バスタオルを膝の上に置いていました。ロブは、私が午前中に、何を感じたか、そして、どういう風に思ったかを全部わかって居るのでした。

 サユリからの電話を、解釈すると、ロブは、私をベッドサイドに引き寄せて、そこで、椅子に座らせたうえで、自分はベッドに横たわって長時間を掛けて、人生で経験したことを、語りたかったのだと、思います。いつも、玄関わきで、二人とも硬い椅子に座って話す、短い会話で、終わっていますから。

 私は、ロブの要請を、拒否したというよりも、その時点では、逗子のアトリエで、寝る生活は終わって居て、鎌倉の自宅に帰っていたので、海外へ行く自由が無かったのでした。

 ロブとエドゥアルドの二人が亡くなって、はや、15年が過ぎました。同世代だった二人よりも、私の方が、15年も長生きをしたなんて、当時は、考えも、しなかった未来でした。本のタイトルを黄色いさくらんぼとしたのは、やむを得ず、持って行った、たった、8粒の、きいろい、さくらんぼを、一粒食べた上で、「キャシー(家政婦さん)にあげよう」と、ロブが言ったからです。

 歩くことが自由にできないロブは、決まりきったものしか食べて居ないので、とても、珍しいものだと、受け止めてくれたみたいです。日本にはない種類のサクランボで、大粒で甘いのです。しかし、時は、8月でした。早春に収穫されるサクランボは、最上級の措置を受けて保存をされて来たと言っても、すでに、しわしわでした。しかも、私がすでに半分食べてしまった残りでした。それをさらに半分分けにして家政婦さんにあげるというロブ。にこにこしながら、そういう単純な言葉しか吐かないロブ。でも、その陰に語られなかった膨大な言葉がある事を知って居る、私は、次の日に空港に向かわなければいけないのに、その夜は、一睡もできず、従って、パソコンをホテルに忘れて、日本へ、出発をするのでした。

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女と業・・・・・瀬戸内寂聴と、五嶋節、の、どちらが罪が重いのか?・・・・夫を嫌いぬいたという共通点がある二人だが、子供に関しては?

2018-01-24 19:01:33 | Weblog

 三日目の、26日にさらに加筆をしています。その結果、私の猫の写真が必要になったので、最初に置きます。雑種ですが、非常に頭がよかったので、我が家でも、かわいがっておりましたが、伊藤玄二郎の元愛人を名乗る、石川和子さんが、気に入ってしまい、2005年に、警察を巻き込む大きなトラブルが、発生してしまった猫です。2016年の6月にあの世へ行きました。左下にある灰色の丸まったものは私の膝です。真夜中には、いつも、こうして二人で遊んでいました。これから始まる楽しさを期待して、彼女の眼は、輝いております。ところで、警察を呼んだのは、盗まれている私の方ではないのですよ。盗んでいながら、猫から、彼女ではなくて、私の方を選択されたので、その屈辱にパニックに陥った、石川和子側なのです。もう、驚天動地の出来事です。でも、それによって、政治の真実が判るのでした。つまり、私が常に繰り返して言っている『日本の警察とは、鎌倉エージェントの私兵である』が、判ったのも、ここからなのです。物事には、+-両面があるのでした。

 

副題1、『この章を書き始めるにあたっての、お断り』 

 これは、前報(後注1)から派生して来た文章です。

 前報をみじかく纏めると、・・・・・NHKの番組を中心として、教養系番組も、政治に利用をされている・・・・・と、言う事でした。ここでいう政治とは、永田町の奥の奥、一般庶民には、隠されている部分を指します。この日本は、1945年以来、非常に高度な管理下に在る植民地だからです。アイキャンと言う団体が、ノーベル平和賞を受けたって、日本政府は、核兵器を根絶しようとする国連決議を批准しません。独立国ではないからです。沖縄の米軍ヘリの問題も同じです。今、本当の意味で、役立つ論客を、潰して行く目的に、教養系番組も使われるという事です。この国とか、この国の国民を大切にしている人間の言論を弾圧して行く政治です。

 ただ、そういう政治を企画をして実行をする人間たちは、テレビにも出ないし、選挙にも出ません。テレビ画面で、顔を見せて、行動をしている有名人は、第三位レベルぐらいで、使役をされ、利用をされている人間たちです。一般庶民は、第七位レベルで、その尊厳を、やっと、認められて生活をしています。第三位レベルでも、テレビに、顔が写り、行動が報道をされ、金銭的収入が高い人(たとえば、北野武監督とか、林真理子さん)は、勝ち組として、庶民から、もてはやされていますが、より上位の人間から見れば、彼等でさえ、道具でしかありません。

 前報で挙げた、五嶋龍さんも、また、利用されている道具でしかないのです。彼を利用しようと、考えたのは、塩見和子(日本財団の理事、弦楽器の数億円する名器・を、演奏家に貸し出す仕事をしている女性で、ICU10期卒)、石塚雅彦(ICU7期卒、元、日経新聞論説委員、現在早稲田大学大学院教授)伊藤玄二郎(かまくら春秋社社長で、鎌倉ペンクラブ会長・・・・・井上ひさしと、深い関係を持っている。中央大学法学部卒)の、三人だと、思います。・・・・・そのことを詳しく書いたのが前報ですが、この章では、そこから派生して、気が付いたことを語りたいです。だから、内容のスケールは小さいです。が、私が得意としている分野です。

そして、三日目の26日に入り、さらに加筆をして、結論を、とうとう言っています。節さんのみどりさんに対する養育方法は、17歳ごろまでは、一種の変形の虐待だったと、私は、おもっております。しかし、みどりさんに、拒食症の症状が現れたので、節さんは、反省して、自らを改善して、行ったのではないですか?

 で、みどりさんへの接触の手法を変えたので、みどりさんは、その後、・・・・・他人のこどもたち(特に経済的に恵まれない子供たち)へのクラシック音楽への導入の仕事 を し始める・・・・・立派な大人へと、変化して行くのです。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『この章を書くにあたって、私の前提条件は、次の二つの本だけである。しかし、万巻の書物を積み上げたって、かなわない程の、直感の持ち主である私は、自分が書くことが、それほどには、間違ってはいないと、思っている』

 瀬戸内寂聴さんについて、何かを判断する時に、参考にしているのは、雑誌別冊【太陽】の瀬戸内寂聴特集号だけです。そこに、地名を、各章のタイトルに挙げた、自伝的小説が載って居て、それは、真摯な部分が表明をされていると感じました。で、それ以外は、読んでいないし、瀬戸内晴美として活動をしていた時期の、テレビ司会者像も、見たことがありません。後、最近NHKがBSプレミアムで、放映をした、ドキュメンタリーは見ていますが、それに関しては、「そうですか」と言うだけでした。

 五嶋節さんに関しては、『雨の歌』ワニブックス、1987年 だけです。しかし、両方とも、どうしてか、我が家からはすでに、失われています。

 瀬戸内寂聴特集号で、印象に残ったのは、【駒込】という場所に瀬戸内寂聴さんが、一時期住んでいたという事です。駒込という場所は、私にとっては、区立図書館を利用するために、二、三度、降りて、そこまで歩いて行っただけの場所ですが、家出をして来た、すでに、若くない女性が、自分一人で、または、愛人と一緒に住む場所としては、見事な選択だと、思いました。都心と言ってもよい古い町で、ご近所づきあいをしないで、済み、かつ、派手ではない場所です。しかも、山手線の駅ですから、TV局や、出版社など、どこへ行くのにも、一時間以内で、行かれます。しかも交通費が安いです。表参道とか、原宿とか、六本木とか、新宿近辺とかを選ばなかったのが、適切で、賢いと思いました。

 その次に、これは、その自伝的小説の中に在った場面だったのか、それとも、別の頁に在ったのかは、忘れましたが、お嬢さんとの再会と、永遠の別れの場面です。母として、お嬢さんが、4歳の時に家出をしています。だから、お嬢さんの方から会いたいと、言ってきたのか、瀬戸内寂聴さんの方が、会いたかったのかが、今、その雑誌が失われているから、判然としませんが、親の方が娘に会いたかったのだと、思います。そして、それは、瀬戸内寂聴さんがすでに、有名人になっていて、テレビ司会などを行っていた時期ではないでしょうか?

 東京女子大、国文科卒と言うのは、幅広いコネを形成できるソサイエティだったみたいで、瀬戸内寂聴さんの方は、そのソースを秘匿していますが、誰かが、情報をつかんで、お嬢さんが、学者である夫と共にアメリカにわたるというのを、教えてくれたのだと、思います。それを、聞きつけて、横浜に駆けつけます。関西に在住している実父(元の夫)と、その現在の妻は、横浜までは来ないと、寂聴さんは考えたのでしょう。その推察は当たって居て、お嬢さんと、あうことができました。立派に育っていたので、後妻への感謝を述べています。そして、二度と遭わないと決意したのではないかしら。真実は、お嬢さんから、二度と会いたくないと、言われたのかもしれませんが、

 瀬戸内寂聴と、子供と言う意味では、彼女のその後は、賢いなあと、思いますよ。ともかくお嬢さんの父とは、別の男性との間に、は、子供は作らなかったのです。

 しかし、それ以外の部分では、『ずいぶん、わがままな、やりたい放題を尽くしてきたのですね。是では、どこか、別の場所で、ひずみを生むのではないかしら』と思ったのですが、実はその通りで、ひずみは生まれていたのです。二人の男性が、自殺をしたのでした。しかし、その詳細は、ここでは語りません。彼女が書いているものをお読みくださいませ。

 と、いって初稿では、終わったのですが、三日目に入って、時間をかけて探しました。平凡社からは、4冊ほど、出版をされていますが、三冊は京都案内なので、可能性としては、【終わりの旅(平凡社) 1974】という名前の小説である可能性が高いです。しかし、文庫化は、されていないので、買いにくいですね。でもね、たった、一篇だけ読んだにしては、瀬戸内寂聴を知るにして、最適な小説でした。人生のほとんどが網羅されているし、内省的な、筆致なので、とても、読みやすいのです。ギラギラした、セックス描写など、無い小説です。

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副題3、『五嶋節さんの本の中で、感銘を受けたのは、NHKの歌謡番組の伴奏をしていた際の経験が、表現力の向上に役立ったという部分だ。当時は、クラシックと、歌謡曲の分野は、厳密に区別をされていたので、それを乗り越える、音楽に対する柔軟な理解力は、グッドだと、思うし、そういう人物だから、アメリカに行くことが向いていたと、言うのが、よく、判る』

 彼女がアパートを半地下に借りたというフォレストヒルズのある、クイーンズで、三か月ずつだが、二回ほど、女一人で、似た様なアパートを借りて、版画修行を続けた私は、【雨の歌】を読むのは、非常に楽しかったのです。双六を、見ているみたいで、終点に向かって、出世して行く話です。前向きな、シンデレラストーリーです。自分も、女一人で安全に住む場所として、クィーンズを選択するなどと、或る部分で、似ているので、とても、楽しい書物でした。

 ところで、念のためにお断りをして置きますが。雨の歌を読んだのは、クイーンズに居を定めた後なので、私がクイーンズを選んだのは、五嶋節さんの影響を受けたから、ではありません。2週間ぐらい、マンハッタン島にすんだうえで、不動産屋で、捜し歩いて、そこを、見つけました。二回の滞在で、10軒ぐらいの不動産屋を訪問しましたよ。五嶋節さんの方は、お子さん連れなので、緊急性が高いので、その最初の住まいの家主と、すでに、知り合いだったので、そこを借りたみたいです。でも、知人と言っても、日本人ではなくて、シゲティ教授などのアメリカ人からの紹介だったのかもしれません。

 私は、自分がやっているヘイター方式の版画制作が、7~10時間は、連続して仕事をしないと完成しない方式なので、日本の町田(美術館付属の工房)とか、新横浜の貸し工房(OMと言う大規模な工房がある)では、一人が使える時間について、制約があるので、無理だから、海外へ修業に行ったのだけれど、やがて、逗子のアトリエに、プレスと言う機械を据え付けて、ニューヨーク修行も止めるつもりがありました。その上、それを開始した時期が、すでに、子供が25歳と、27歳になっていた57歳以降だから、世界的に通用する画家になりたいという希望はあったものの、生活の枠として、まったく新しい生活形態を開拓する時間は、なかったのです。また、ニューヨークに、死ぬまで、腰を据えて、生きていくと言うつもりも、無いのでした。しかし、観察の能力が高いので、いきずりの出会いでも、相手が、日本人独身女性であった場合には、「何を専門にしていて、どういう希望を持っているか?」などを、質問をして、いろいろ後学の為の、勉強をする人間ではありました。

 このブログを読んでいる人は、それを信じないかもしれませんが、私は、実は、とても優しい人間で、ありとあらゆる人が、打ち解けて、真実を語ってくれるタイプなのです。一期一会の関係でもそうなのですよ。

 そして、わざわざ、カフェで、お茶飲みをするまでもなくても、周辺には、単身で、ニューヨークへ渡ってきていて、アメリカでの成功を夢見ている若い日本人女性がたくさんいました。住まい周辺でも、であったし、料理屋や、バス停でも、駅のベンチでも出会いました。1999年に仕事をしたブルックリンの美大の大学院にも、喧嘩を吹っ掛けて来る日本人独身女性が居ましたし、2000年に修業をしたニューヨーク一古い工房でも、喧嘩を吹っ掛けて来る若い日本人女性アーチストが居ました。喧嘩を吹っ掛けてくるのは、私があまりにも、お金持ちで、グングン、材料を買うので、嫉妬されたのでした。特に滞在期間が短いので、あとくされがないと、思われて、いじめられたのです。で、仕事が進まないので、相手にその失礼さとか、嫌がらせの内容を、注意をしたら、その言葉だけで、圧倒的に勝ってしまったので、・・・・・過去には、喧嘩をした事がない人間が、今の私だが、いざ、喧嘩をすれば、勝てる人間なのだ・・・・・・という事を、ニューヨークで、57歳にして、初めて知ったのでした。二回で、400万円を掛けましたが、大変いい勉強ができました。(苦笑)

 彼女たちは、25歳になる前に、日本在住の、日本人男性に失望をしていたのでした。そして、ニューヨークで芸能界か、芸術の分野で、成功をする事を夢見ていました。オノヨーコとか、草間彌生に成る事を夢見てニューヨークへ渡航して来ていたのでした。

 詳しい状況を語れば、オノヨーコも、草間彌生も、経済的に言えば、中流階級の出身ではないのです。おおやけではない(たとえば、母親からこっそりと、送金してもらうなどの形で、あったかな?)にしても、実家からの支援があるか、貯金がある、というタイプの人間でした。だから、長期滞在ができたのです。しかも、二人は、日本人が少ない時期の渡航者でした。しかし、私が滞在していた1999年とか2000年ごろの、渡航は、猫も杓子もという時代で、中流階級の出身者が多く、彼女たちは、実家から、30歳を過ぎても支援を受けるほどの、裕福な家の出身ではないのです。で、実際の生活は、金銭的に大変なので、結婚することを、希望し始めます。

 日本在住の普通の日本人女性よりも、はるかに、熱心に、かつ切実に、結婚を希望し始めます。しかし、ニューヨーク在住の独身の、日本人男性の数は少ないのです。第一、親は、芸能界とか、芸術の分野への進出を危ない事として、反対しますよね。ましてや、本人でさえ、芸能界や、芸術界での、成功が、苦しいものだとは、又吉直樹の小説の成功だけででも、わかって居ますので、ニューヨークにまで、乗り込んでくる人間の数が少ないのです。

 女性の方は、親も本人も、将来像が、はっきりとは確定して居ないし、親側の期待度も低いので、ニューヨークへ逃げてくる確率が高いのでした。で、自由業を目指して、渡航をしてくる男性の数は、少ないし、駐在員として赴任をしてくる大手企業勤務の男性は、ほとんどがすでに、結婚をしていて妻子同伴ですから、日本人男性で、適切な結婚相手は、少ないのです。

で、日本人男性が相手か、アメリカ人男性が相手か? 望みは別れるし、しかも希望通りの高収入な男性に出会えるチャンスは、非常に限られて来ます。そんな中で、龍君の父親は、大手企業から派遣をされている、独身(?)のサラリーマンです。まあ、ソニーだから、「みどりさんのアルバムを作りましょう」とか、言う形で、仕事上のお付き合いから始まったとは思いますけれど、この結婚は、ニューヨーク在住の独身の女性にとっては、大成功の、部類に当たると、思いました。で、祝福したい気持ちにあふれました。ただ、龍君のパパ側が、節さんよりも相当に若い男性だったみたいなので、節さんが、『ある意味で、相当に頑張ったのだろうなあ』とは、思いましたけれどね。相思相愛の恋愛として、パパ側からのアタックだけではないでしょう。

 しかし、それは、15年以上は前の話です。10年ぐらい前から、私の節さんに対する考えは、まったく変わりました。

良好だったのは、大人になった龍君のポスターなどの、画像、および【題名のない音楽会】などの、映像、および前報に書いている様な、特別な番組に、龍君が現れる前の感想であって、

 最近の様に、日本での、龍君の露出が、多くなると、私の、五嶋節・感が、一変してきたのでした。

 ::::::::::ここから先は、初稿を書いてから、24時間後に加筆をする部分です。次の::::罫線まで、加筆です。

 龍君の過剰なほどの露出を受けて、節さんに対する考え方が、180度逆転をしてしまいました。敬愛の対象からは、脱落してしまいましたた。つまり、好きな人という範疇から、嫌悪感の対象へと変化してしまったのです。

 どうしてかと言うと、節さんは、母として、みどりさんに対して、愛情を持っていないと、思われてならないからです。みどりさんを生んだ時に、節さんは、母としては、若かった模様です。私は、28歳で、出産をしました。が、節さんは、23歳で、出産をしています。しかも、どこかの会社とか、学校での、勤務体験が無しで、です。アルバイトは、ありました。だが、NHKの歌謡番組のバックでの、バイオリンの演奏と言うのは、誇り高い仕事なので、他人に頭を下げる仕事ではないです。是では、子どものままの行動と性格を持って、大人になり、結果として、こどもが、子どもを育てるという状態であり、母としての成熟度が足りないと思うのです。

 その上、女親と言うのは、娘に対して、真実の愛情を抱きにくいものです。フロイトが、それを言っていますが、私も自分自身とか、世間一般の、母親を見て居て、つくづく、それは当たっていると、考えています。

 で、幼いころから、みどりさんは、節さんにとっては、単純にして純粋な愛の対象と言うよりは、自分の達成感の指標となる、一種の道具と言うか、アクセサリーとなっていた可能性があります。ところで、そういう傾向は、どういう母親にも、おおかれ、少なかれ、あるものです。しかし、子供とは、その成長を見守っているうちに、今、何がこの子にとって、いいことなのかが、自然に、母親の方に、判って来るものです。つまり、母親とは、尽くすことによって、更に母性が、増えてくる存在なのです。でも、自分が突っ走ってしまって、自分主導で、子供を支配すると、子供側が発してくるメッセージを読み取れなくなります。

 一方で、愛情を成長させるタイプの親は、子供自身の、希望やら、成長の方を大切にしてやりたいと、思う様になって行くので、一方向での、訓練に没頭させることを好まなくなるのです。これから先は、考え方や、価値観の違いですが、私は訓練を課すという事が、軍隊めいていると、思っていて、嫌いなタイプなので、無論のこと、楽器の修行などを、特に、男の子にやらせようとは、思っておりませんでした。これは、失敗だったかもしれません。ピアノぐらいは習わせて置いた方がよかったかも。

 私にとって、最初の子供は男の子でしたが、1歳半で、あるける様になったころから、ご近所のお子さんと遊ばせることを最大の必要事項と考えていました。それをサポートしたいとは、思っていましたが、環境を整えるだけで、口も出さないし、手も出さない主義です。でも、常時、耳は澄ませています。ケンカとか危険なことをやって居ないかについて、耳は澄ませています。2,3歳のころは最も活発に動き回り、耳を澄ませていないと、事故などが起こりやすいと思います。自分の子供がどこにいるかは、常に耳でとらえていないと、いけないと、思いますよ。

私は、子供が成長して行った後では、猫に対しても同じことをしていました。家の中に居ないとなったら、すぐ探しに行ったものです。特にご近所住まいの石川和子さん(伊藤玄二郎の元愛人であり、わがまま一杯の女性であり、私の猫が大好きだった)から返してもらえない様になってからは、猫が家の中に居ないとなったら、すぐ、気が付くほどに、耳は澄ませておりましたよ。トップに置いた写真へ入る。

最近、川下で、遺体となって発見をされた男の子がいましたが、そばにいたのがお父さんだったそうで、それは、子育てに於いて、次の位置に在る人と考えられているので、母親よりは、不注意だったと思うので、しかたがなかったのでしょうか?。母親は、そんな小さな年齢で、お父さん側に預けてはいけません。母親とは、手は出さないけれど、常に子供を見まもっている必要がありますし。そうすると、こどもにとって、次の段階で、何が必要なのかがだいたい、判って来るものです。いっぱいやる事がある事が見えて来るので、そうなると、何かの訓練に、イット(一途)に向かわせるなどと言う事は、かわいそうで、できないのです。節さんには、それが、できたので、ある意味では、天才を生んだのですが、ある意味では、みどりさんの、別の道を奪ったともいえるのです。友達と遊ぶ日々とか、時間を奪ったと、考えられるので、ある意味で、残酷な母親だったと、思っています。

三日目に、到頭、その事実を、ここに、入れますが、みどりさんが、一時期悩んでいたのを、皆様は、知っていますか? 拒食症だと、言われていました。『当然だろうねえ』と、私は思っていたのです。みどりさんは、一種の変形の虐待を、母親から受けていた、気の毒は少女でした。それは、普通の、女性なら、自然に分かる状況でした。

ここで、本を出版することとか、文章を書く事のプラス・マイナスを語りたいと、思います。私は、自分でもそれは、よくわかって居るのですが、物事には、常に、プラスとマイナスの両面があります。

 【雨の歌】の出版元は、読者層を、若い女性に想定して居て、『この本が、彼女たちを励ます』と、考えて出版をしたと、思います。しかし、57歳を過ぎて、(たぶん、ニューヨークの紀伊國屋書店か、旭屋書店で、見つけて)これを買った私は、読後、直後から、節さんへの批判を内包していたのでした。一種の虐待だと、思って居たし、その後、みどりさんが、拒食症を患ったと聞いて、さもありなんと、思っていたのです。だから、みどりさんについて、書いている文章は、15年以上にわたって、内心で、抱えているテーマなのです。モーツァルトの場合は、死後長期間が経ているので、父親の鍛錬が、ほぼ、虐待に近いものだったというのは、周知の事実となっています。節さんは、現在生きて居る人なので、批判をされていません。

 だけど、節さんの、一種の偏愛の対象であり、慈愛を受けて育ったと思われる龍君が、鎌倉エージェントたちに、政治的に利用をされたので、今般は、節さんに的を絞って、文章を書いています。事実を、よりくっきりとさせるために、お見合いで結婚をした相手を嫌いぬくという点では、相似形にある、瀬戸内寂聴さんを対照例として挙げています。

 でも、もし、私が節さんとカフェで、会話を交わす日が訪れたと仮定をしたら、節さんは、「あら、違うわよ。みどりは、自発的に、自分から進んで練習をしたのです。新しい曲をマスターするのが好きだったのです。音楽は一番好きな事であり、決して強制はしていません」と、言うでしょう。それを聞いた私がどうするかですが、内心では、反論を抱くが、表向きには、節さんには、口答えはしない筈です。しかし、『おや、おや、この人は、成功者ではあるが、最上のレベルで、物事を考えられる人間ではないなあ。龍さんを育てている過程では、絶対に、違う方法だった筈よ。少し緩やかに育てたでしょう。そして、自分の側、特に内面に、沸き起こるものが、みどりさんの時とは、全く違っていた筈ですよ。豊かな愛情と言うのが、沸き起こっていたでしょう。

 で、龍さんが大人になって、手が離れた後では、みどりさんに対して、一種の謝罪の気持ちを抱かないといけないと、思うけれど、まあ、ご本人次第ですから、私があれこれ、言う事ではないけれどね』と、思う筈です。

 そして、・・・・・自分(雨宮舜)は、天才も、優等生も育てられなかったけれど、それで、いいのだ・・・・・と、思っているのですが、そういう以前からの、判断は、節さんから、直接な説明を受けても、変わらないでしょう。特別な子供を育てた親と言うのは、その子が、上のはみ出しにしろ、下のはみ出しにしろ、何らかのポイントで、親の方に、欠落がある人なのか、または、性格的に、きついひとなのだ。・・・・・と、失礼ながら、思っています。節さんは、夫との融和の時間を犠牲にして、みどりさんの、訓練に没頭をしていただけの、女性です。それが、嫌っている夫からの、逃避手段として、役立ったのです。

 ただし、子供自身が、自分を育て続ける人間となる様に、育てるのは、素敵な事であり、それができた母親は、尊敬に値いします。みどりさんには、そういう傾向はあります。ただし、お父さん側からの遺伝かもしれませんので、確かなことは判りません。::::::::まあ、ここらあたりは徹底的な、価値感の、違いであり、世間では、節さんは、もてはやされてるらしいですし、私には攻撃の矢が降り注いでいる段階ですがね(苦笑)。::::::という挿入を入れて元へ戻りますが、 

 ともかくにして、龍君を見るたびに、私は、みどりさんに対する痛々しさを、深く感じて、しまいます。どういう風な理由で痛々しさを感じるかは、前報にもそのリンク先を置いていた、五嶋みどりへの小論と言うので、すでに書いていますので、それをここにも置いておきたい(後注2)と思います。特に、もくじ付きで置いておきたいです。

 ところで、普通だと、親が子どもに奉仕をして、子供は、親を踏み台にして育つと言われます。でも、節さんがニューヨークへ来ることができて、嫌いだった前のご主人と別れることができたのは、みどりさんが居たからですね。だから、節+みどり母子の関係には、矛盾が一杯だと、見るのが私です。

 特に前報で、言っている通り、龍君が、例の連中(鎌倉エージェント)に使役をされて、NHK ETVの、日曜美術館に登場した直後の現在では、その思いが非常に強いです。是では、瀬戸内寂聴さんの方が、品がよく見える程です。彼女は二人目とか、三人目の恋愛相手の男性との間に、子供を産まなかったですからね。二人目とか三人目の子供を、母親側の業(ここでは、恋愛とか、セックスへの希求を指す)の犠牲にすることは、無かったのです。

 得度する前は、常に、セックスをする機会には、恵まれていたと、思いますが、その結果として、自然に任せていては、生まれてしまう、子供、という物を、あえて、作らなかったのです。そして、4歳の時に分かれた最初の子供を、世間の目にさらしては、居ません。大衆のパンとサーカスの対象とはしていないのです。そのお嬢さんの、実父は、音楽系統の学者であり、お嬢さんも、優秀な学者と、結婚をしました。

 何の分野かはわからないし、名前も大衆は知りませんが、まだ、船で、渡航するしかなかった時代に、アメリカへ、留学する様な、優秀なお婿さんと結婚をしています。生まれた年度から考えると、すでに、そのお嬢さんの方も、70歳を超えて居て、そのご家庭には、寂聴さんの、ひ孫にあたる世代が育っていて、既に大学生ぐらいには、成っているでしょう。が、「実の曾祖母が、寂聴さんだ」とは、知らされて居ない筈です。で、寂聴さんは、50年以上、そちらとは、接触をしないで、生きて居るのです。ある意味で、潔いし、子供を守る事がどういうことかを、よく、わかって居る存在です。節さんとは、最初の夫を嫌いぬいたという共通点があるのに、事、子供に対する態度という意味で、寂聴さんの方は、相当に違うのでした。

  なお、このブログの、2010年より数え始めた、延べ、訪問回数は、4446620です。

      2018年、1月24日、これを書く、雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

後注1、

日曜美術館・ワイエス特集に五嶋龍が出演・・・・・林文子と入倉かおると言う、金も名誉もあり男もいる悪女と、薄幸な善女・五嶋みどりを、比較してしまう私だった  2018-01-23 21:47:22 | 政治

後注2、 

五嶋みどりについての小論、ファンと芸術家の間柄について、2012-10-28 08:35:34 | Weblog

副題1、『芸術家とファンとの関係、対等か、上に立つか』
副題2、『五嶋みどりの、最近の成長について』
副題3、『五嶋みどりは、お化粧をしない』
副題4、『五嶋みどりは、自分の荷物は、自分で持って歩く』
副題5、『五嶋みどりは、自分のお金を、日米の子供たちのために使っている』
副題6、『実父との交流を再開したほうがいいなあ。みどりさん』
副題7、『五嶋みどりにある、優しいところとまじめなところは、実父からの遺伝でしょう』

コメント
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臍帯血騒動から、謎が一つ解ける?・・・・・瀬戸内寂聴は、何故、NHKに重用され、小沢昭一・菅原文太は、何故、無視されるのか? 全ては、未だ生きて居る、井上ひさしの手中に在る

2017-08-27 18:53:25 | Weblog

  お約束をしていたことは、前報を、完成させることです。しかし、大量の過去ブログを点検しないといけないので、時間がかかります。それで、ちょっと、違う問題を語りましょう。このュースは、政治とは関係がなさそうだと、言うものが、25日に報道をされました。最近、いろいろ、このブログの、現在のテーマから、離れさせようとする、ニュースが多数報道をされて居ますが、これは、関係がないだろうと、思って、FBで、取り上げ、論考しました。それが、%%%%%罫線で挟んだ、文章です。 

 なお、この一文ですが、27日の夜10時までは、総タイトルを、『臍帯血を無許可で販売するのが、事件化したが、FBと、このブログでは、書き方を変化させる私・・・・・中絶の胎児は、どこへ葬られたのか?』としておりました。しかし、その時点で変更をしました。

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臍帯血を無許可で、販売ー1
このニュースですが、悪いのは、業者だけではないです。中年のお金持ちの女性も悪いです。それからね。美魔女をもてはやす世間の風潮もある面で、悪い影響を与えています。若い女性ではなくて、年取った女性に魅力があると、するのは、いいことですよ。だが、精神性で、それを、語るべきです。物理的に、きれいにしようとするのは、いやらしい事です。 

臍帯血を無許可で、販売-2
 それって、中世の欲張り女王様の発想と同じです。若い女性を殺して、その生き血をお風呂に入れて、入ったとかいう女王様と同じです。臍帯血と言うのは、後産(出産後母体から出て来る、不要になった胎盤と、そこから、赤ちゃんに、新しい血を送っていたへその緒)から、作った、化粧品的医薬品でしょうが、そんなものを使って、若返りをしようなどと言うのは、非常に汚らしい発想です。それを医者にすすめられて、使っている女性に対しては、何か、・・・・乗せられているバカ女・・・・というイメージを受けます。宣伝の魔力に踊らされている、60歳以上の、金持ち女性でしょうが、たまたま、年功序列制度で、守られて来た旦那さんと、一緒に暮らしているから、裕福なのでしょう。その人に言いたいのですが、「もっと、自然を大切にしましょう」と。同じ人が、「私は有機野菜が好きで」と、言いながら青山の高級で、高価な野菜専門レストランに、友達と連れだって行って居たりして。もし、この想像が当たって居たら、究極の苦笑の対象です。?!?!?!?

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 さて、FBは、友達が読むものです。ヴァーチュアルな、世界の友人だと、言っても、一応は、友達です。それで、どぎつい表現を避けています。

 でね。こちらは、相手が、特定できない方、向けです。ですから、こういう、政治には、直接関係がない現象でも、はっきりと、した表現に、直しましょう。

 つまり、こここそ、ブログだから表現できるポイントを、これから、書きます。

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その1、『臍帯血って、女性のメンスと、同じものですよ』

 私はすでに、75歳で、それが、終わっているので、わりと、気楽にそれを書くことができますが、女性には毎月一回メンスと言うものが訪れます。生理とも言います。見かけ上は茶色い液体です。スポーツ選手が、競技会で、それにぶつかると、(特にフィギュアーの選手など、薄い衣装から)、それが漏れたりしたら大変なので、日にちをずらすことがある模様です。

 その薬の主成分はホルモン製剤だと、思いますが、一種の妊娠をした状態にするのかな? ただしい、知識を持っていませんが、何しろ、生理とは、胎盤が、死んだ、形で、体外へ出てくることを指しますので、妊娠をしたことにすると、それが、死なないで、体に、へばりつき、つづけているので、茶色の汚い液体が、外へ漏れないわけです。それがスポーツ大会の、会場で、選手の股の間に、こびりついているのが、テレビ画面に映写されたら大変ですから、予防のために、薬を飲むのです。しかし、これの多用が、また、女子選手の後の生活(結婚後など)に悪影響が出るとか、言われています。大変です。

 胎盤とは、毎月、人間の女性が、妊娠可能な状況を、作るために自然に、子宮内で、準備をされる、血の塊みたいなものです。パンダの懐妊が、大騒ぎになっているのは、どうも、年に一回の発情期を待たないと、あり得ないらしいのに比較をすると、人間は、大変に妊娠の機会が、多いと言えるでしょう。

 が、単に血だけでは、胎盤と言う形が形成されないので、支持体を、含む塊です。私は医者ではないので、実物を見たことが無いのですが、肝臓に、似ていると、思います。鶏とか豚のレバーが、売って居ますでしょう。あれらは、血抜きしてあると、思いますので、薄い茶色ですが、それが、あの形のまま、真っ赤だったら、生きて居る胎盤と、同じ形状でしょう。

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その2、『生理の、後始末は、悪臭がするものであって・・・・・それは、死体が放つものと同種であろう』

 私の中学時代の、友人に、東大医学部へ進学した人がいるのです。その人が、クラス会で、説明をしていたのを、そば耳で、聞いたのですが、解剖実習って、ものすごく臭いのだそうです。【白菊会】と言うのが、東大の医学部で、使われる遺体を献体する会でしょう。他の大学の医学部も、今では、そこへ合同したのでしょうか。なんか、すごくいいことをしているみたいですが、その友人の話を聞いているうちに、・・・・・とてもではないが・・・・・献体をしない方が良い・・・・・と、思いました。医者の卵の人が、揺籃の地に帰って、安心して、気を許して語っているとは言え、臭い、臭い、というのです。表向きは、「感謝します」でしょう。でも、本音は、「臭い、臭い」と言われるわけです。そういう状態で、数か月間、わが身を、学生の目の前に、曝すのです。

 『ああ、絶対に嫌だ、普通に火葬をする方がいい』と、思いました。ところで、その女子学生ですが、毎日、お風呂に入り、髪の毛に付いた悪臭も洗い流して、パンツまで解剖時には、身につけてはいなかった新しいものを身につけて、外へ出るのだそうです。

 解剖実習用遺体から、離れて、一般の女性すべてに訪れる、生理の方へ戻ります。一般的に言って、女性はナプキンと言うもので、胎盤が、崩れて外へ出てくるものを、吸収します。で、今、計算をしてみたのです。生理が、6日間続き、一日に五回ほど、ナプキンを取り換えるとしてですね。30枚で、150グラムぐらいの、死んだ胎盤を、吸収して体外へ出す事になります。これが、平均でしょう。と、成ると、一枚のナプキンが、そこに含んだ、遺体と、同じ腐ったたんぱく質は、遺体の、一万分の一になります。遺体の一万分のいちだから、隣に座った男性は、会社でも、学校でも、気が付かないと、言う事となります。というのもそのナプキンが落ちない様に、しっかりと支える厚いパンツを、その期間は、用いますし、その上に、ペチコートか、シュミーズと言う下着で、カバーして、その上に、洋服を身に着けます。

 だから、外へ悪臭は漏れません。しかし、女性自身は、取り換える時に、その悪臭に、常に触れています。ぞんぶんに、それが、嫌なにおいのモノであるとは、判っているのです。

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その3、『・・・・・タンポンは使わない方が良い・・・・・と、女性には、勧めたい。だって、腐ったものを、体内に封じ込めておくことになるからだ。それは、一種の危険を伴う作業である。腐ったものは、早く外へ出した方が良いのだ。9cmぐらいの高さのハイヒールが女性の体にとって、悪いと、言うのと、同じこと』

 おさんの時には、生理の時よりも、胎盤は、ずっと、大きくなっています。そして、一気に剥がれ、外へ出てきます。それを後産と言います。しかし、生理の時は、一気にはがれるのではなくて、ちびちびと、剥がれ、部分的に外へ出てきます。

 ところで、ナプキンが、生理用品の主流派だと、思うのですが、タンポンと言うモノもあり、それは、私が学生時代に、一般社会にも流通する様に、成った、アメリカ発の商品だと、思います。ものすごく簡単に言うと、一種の栓です。棒状の栓です。それを、膣の中に突っ込んで、子宮の、出口をふさいでしまって、外へ、腐った血が流れ出ない様にするためのものです。

 アメリカにはパーティ文化というものがあり、人々は、気楽にダンスを楽しみます。その際には、薄手の生地できたしなやかな素材のドレスを着ます。上半身から、腰辺りまで、体にぴったりとフィットする様な、裁断で、仕立て上げて、股あたりから、下は、ドレープ(大きなひだ)が入っているという形が一般的です。それで、男性と体を密着させながら踊ります。そういう生活スタイルの中で、出っ張ったナプキンが、男性に、ぶつかったりすることもあるでしょう。『いやだわ。恥ずかしいわ』と、思う女性もいるでしょうね。だから、タンポンが発明をされ、発達をしたのだと、思います。

 しかし、私は、『良くないなあ』と、思います。ナプキンだと、トイレに行くときは、必ず、目視で、汚れ具合を確かめられます。排出に勢いのある時は、短い時間で取り替えます。しかし、最終的な、場面では、五時間ぐらい、同じものを装着することもあります。でも、体外に、それが、在るので、五時間使っていようが、健康には関係がありません。

 でも、タンポンだと、汚れ具合が見えないわけですし、一応装着用の道具が付随していると、言っても、雑菌が、紛れ込まないとも限らないわけですね。そうなると、子宮と言う、37度C 前後の場所で、雑菌をはびこらせているわけです。よくない。本当は、怖い商品だと、思います。『便利なものだけど、それを使うのは、良くないなあ』と、思って居る商品の代表的な例です。しかも、見かけ上小さいので、便器に流す人も初期には居たそうで、便器が詰まる原因に成ったりしました。今は、それを流す人はいないと、思いますけれど。

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その5、『後産と言うものは、一種の産業廃棄物だと、思うけれど、それが、どういう風に始末をされて居たかを、過去に蘇って、推定して行こう』

 病院も、一般の、ゴミ廃棄と同じ仕組みで、ごみを廃棄していた、時期はあると思うのです。しかし、ごみを投棄ではなくて、焼却処分をする様になると、病院から出るごみは、注射針等もあるわけだし、昔は、アンプル類もすべてガラス製だったわけですから、一般の、焼却場で、台所の、ゴミなどと、一緒に燃やすと、当然に、炉に故障が起きるわけです。

 で、割と早く、ごみの分別化が進み、かつ、業者さんが、回収するという、産業廃棄物化も、進んだと、思うのです。病院内耐性菌と言うのがあって、そういうモノとか、ノロウィルスとか、O-157等で、吐いたり、床を汚したりする患者さんの後始末で、吐しゃ物を拭いた、ガーゼや、紙ナプキンは、即座に焼却に回されるのだと、推察しています。患者さんが、待合室で、チョコレートを食べた後の、つつみ紙などとは別に処理されるのだと、思って居ます。

 さて、そういうゴミの中で、とても、重量があり、始末が厄介だったのが、この後産の問題だっただろうと、思います。

 それの処理が、どういう風に変遷をして行ったかを語ろうとして、この章を立てたのですが、ここで、スピンオフ的に、中絶と、その時の胎盤の始末について、ちょっと、語る事をお許しください。

~~~~~~~~~~~~~

その6、『フランス、特にパリでは、若い人の、60%が未婚だと1998年に、聞いた。しかし、地下鉄内で、赤ちゃんを見かけると、親族が、6人ぐらい傍にくっついていて、大切にしている。乗客も同じで、ベビーカーに対して、道を開けて通し、赤ちゃんをいとおしむ姿勢が見られる。結婚に、踏み切るのは、慎重で、なかなか、踏み込まない。しかし、未婚で、恋愛を繰り返していても、妊娠に対しては、慎重であり、かつ、堕胎は、少ないのだと、推察した。さすがに、カソリックの伝統が残っているのだ』

 上の二重ガッコ内に書いたことは、ニューヨークでも見られる現象だったと、思います。ただ、ニューヨークでは、極端に、環境が悪い中で、暮らしているアフリカンの世帯があるので、統計的に言うと、どうなるかはわかりませんが、ともかく、赤ちゃんが大切にされて居る度合いが、日本より大きいのです。ごく最近、日本で、畑の中にか?、穴を掘って、産んだ赤ちゃんを入れ、生きて居るのに土をかぶせたという母親が現れましたが、セックスをする場合に、産める環境に居ないのなら、絶対に避妊をする事を、男性の方に、求めたいと、思います。女性は受け身だから、男性を教育しないといけません。

 カソリックとか、キリスト教と言うのは、新教でも、こういう場合は、まだ、大きな力を発揮していると、見えました。日本にはそれがないし、生活上、自活すれすれの収入を得ている女性もいるので、つい、フリーセックスに走ってしまうとしても、落ち着いて育てられるという見込みが出ないうちは、絶対に、妊娠を避けるべきだと、思います。

 昔、メルマガで、書いたことがあると、思うのですが、鎌倉のあるお寺に行ったら、境内中に、白いセメントで、できた全く同じ形の大小、二種類のお地蔵さんがあって、二千体は、越えていると、思われたので、異様な感じがしたと、書いて居ます。その頃は、自分のメルマガを、ハッキングしている人などいないと、思って居たし、私のメルマガの読者に、そのお寺と直接の関係のある人もいなかったので、お寺の固有名詞を書いて居ます。その見物の、数年後、自分がネットサーフィンに、熟達して来た時期に、そのお寺及び、その他のお寺を、水子供養と言う形で、検索をしてみると、確かに、「それをやっています」とあって、ご供養料が、8万円からと、書いてありました。

 しかし、ネットサーフィンをかけても、今は、そのお寺は登場しないし、境内から、白いセメント製の、まったく同じ形状の、お地蔵さんも、消えていると、思います。裏の墓山にでも、移動をなさったのだと、思います。場所なんかどこでもいいし、哀悼の意を尽くせば、あの形のお地蔵さんである必要はないと思います。今の夫との間の子供ではないのなら、小さくて、上等な手のひらサイズの、ぬいぐるみでも買って、いつくしみつつ、なでなでしたり、猫を飼って、その猫を、亡くなった子供代わりに、いつくしむことで、代替行為になるでしょう。

 1980年代の日本では、相当数の中絶とか堕胎が、行われた可能性が高いです。宗教的ベースで、避ける風潮がない日本では、男も女も、収入に余裕があり、婦人公論などが、不倫の関係を推奨する様な記事を連載し続けたからです。

~~~~~~~~~~~~~~

その7、『この不倫の奨励と言う事で、私が批判をしているからこそ、瀬戸内寂聴さんは、めちゃくちゃに持ち上げられている。誰から、かと言うと、鎌倉エージェントからである。私は、瀬戸内寂聴さんのものは、池袋の、臨時で、設定されている古本屋で、買った雑誌太陽に、載っていた小説だけなのだが、それを、読んでも、自分の、考えを変えることはなかった。雑誌太陽に載っていた小説は、過去に住んでいた場所を、各章のタイトルに据えた、一種の自叙伝であって、子宮作家と、呼ばれて物議を醸していた時期のものに比較をすると、ずっと、静謐なものだと、推察するが、それでも、・・・・別に!・・・・・と、思うだけであった。

 ここで、激しいシステム異常が起きました。ただし、目新しいものではなくて、ポインターが、異様な動きをして、上から、小さなウィンドが数多くぶら下がり、したから、これまた、サイズの小さなウィンドーが数多く立ち上がり、ブログを書きにくくさせるものです。

 そういう異常がどうして起きるのかは、テクニカリーには何度も、すでに、説明をしていますが、我が家の西、40mのところにある、kamakura cottage という、ビーエンビーに所属する、民宿がありますが、そこは、持ち主が、強制的に引っ越しを迫られた後は、警察、もしくは、CIAが支配する場所になっており、そこに、連携用のルーターが置いてあるのだと、思います。

 そのルーターを通せば、世界中で、20人ぐらいが、この、いま開いている、私の液晶画面と、まったく同じものを見ることができ、まだ、アップしていないブログの文章を把握することができます。かつ、数々のシステム異常を、そちらの液晶画面で、命令を掛けることによって、私のパソコン内に異常を起こすことができるのだと、思います。

 先ほど、起きた、このポインターだけを、異様に動かすシステム異常は、起きたのが、瀬戸内寂聴さんに対する批判を書いて居る最中に起きていますので、鎌倉エージェントとして、私が規定をしている何人かの内、井上ひさしが行ったと、推理しています。井上ひさしの場合は、或るアイコンを、プロの、しかも、最先端の技術を持つ、システムエンジニアに、スタートメニューに入れてもらって、それを、クリックすることで、簡単に、起こすことができる様に、設定をされて居るでしょう。

 彼は、今の処、公的には、死んだことにしています。で、たとえ、警察庁の特殊部隊の人間であれ、自宅に他人を招いて、あれこれ、指導を受けると、どうしても秘密が漏れると、懸念をするのだったら、そういう特殊なシステムを装備した、パソコンを作ってもらったうえで、自宅に持ち込めばいいのです。技術的な指導は、ゆり夫人、または、息子のさすけ君、または、三女の麻矢さんが、外で、受けて来て、まだ、本当は、生きて居る、父親へ、伝達をしたと、私は推察しています。

 笑っちゃうぐらい、彼は、単純なところがあり、今、さすけ君の名前を出しただけで、また、異常を起こしました。この子だけは、・・・・・テレビに出ないのが、本当の、上流人なのだ・・・・・という私の説を、具現化させるために、テレビには出さないのです。 

 そういうシステムは、古村浩三君やら、そのチームが作った可能性は、高いですが、ポインターだけを、今、現在(と言うのは、2017年の8月の27日の夜10時の事だが)、動かしたのは、井上ひさしでしょう。一般の方は、やまゆり園事件で、19人が死んだというのも真実だと、思っておられることでしょうが、井上ひさしが、死んだというのも事実だと、思っておられることでしょうね。全然違います。

 今、彼が、企画をしているもっとも、嫌なことは、歌舞伎座に、中村梅枝が、出演しない様に、手配をしている事です。彼は、9月、10月、11月には、歌舞伎座はおろか、どこの劇場にも出ません。これは、私がひいきしているので、嫌がらせをしているのだと、思います。

 また、小林かつよさんが、死んだときには、追悼番組を作ってあげました。というか、NHKがそれを作りました。どうしてかと言うと、小林カツ代さんは、マガジン9条の会を主宰して居て、井上ひさしの子分みたいな存在だからです。赤旗にも連載を持っていたらしいし。

 一方で、その後、逝去が続いた菅原文太と、小沢昭一氏については、一切の、追悼番組をNHKにも、他の民放にも、作らせませんでした。どうしてかと言うと、菅原文太は、同じ仙台の出身であり、自分より恵まれた育ちであり、かつ美形だからです。そして、菅原文太の、主張は、ストレートで、国民の役に立つものです。しかし、井上ひさしの方は、ひねまがった、隠された悪意のあるものです。そこも、言うに言われない憎しみを抱いているポイントとなっているでしょう。

 すみませんが、これから先は明日書きます。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。

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雪洞祭り2017に於いて感じた事 その2・・・・・岡田武史、竹中直人、+五百住乙人、松浦安弘、小杉小二郎

2017-08-10 21:14:51 | Weblog

 これは、前報(後注1)の続きです。そちらの中で、この文章で、書いて居ることも一緒に書くつもりだったのですが、疲れて、書ききれなかったので、こちらに、回しました。前報は、ほぼ、画家だけで、統一して居て、しかも文体が、文章体でしたが、今回は、いつもの会話体へもどします。やや、のんびりとした姿勢で、書きます。

副題1、『岡田武史監督(=オーナー)のぼんぼりは、8年間で、書体が、格段に、進歩していた。真面目な岡田氏は、書道にも挑戦し、マスターなさった模様である』

 私が、「ぼんぼりを出したらいかがですか?」と、言っていただいたのは、2002年ごろです。その頃は、岡田監督は、ぼんぼり祭りには、出品されて居なかったと、感じています。私の記憶ではそうです。しかし、献灯を、始められてからは、たちまちにして、強い印象を与えられました。既に、とても有名な人物だったので、私は、wikipedia などは、チェックしなかったのですが、『おお、凄いインテリだなあ。それに、言葉から、オーラが立ち上っている・・・・・もしかしたら、このぼんぼり祭り全体で、最も力強いコンセプトを内包しているぼんぼりかもしれない』と、思ったものです。

 きょう、初めて、グーグル検索をしてみると、岡田武史・名言集という項目が多々あって、この方の発言が、人の心を打つものとして、すでに、有名なものであることを知りました。【神は、細部に宿る】という年もあったのですが、今年は、【大局観】でした。

 本日、感じ入ったことは、『おお、岡田監督は、書道をマスターなさったのだ』という事でした。8年間、みていなかった間に、書体が、見事なものへと、変化していたのです。このぼんぼり祭りは、書体の、美しい献灯者は、いっぱいいます。各お寺の、トップの方、歌詠み、俳人、などなど、・・・・・それらの方に比べて、書道の、練習程度は、短いというか、何と言うか、ですが、しかし、反対に、力強さがあるのです。名流の書体だと、言う方でも、慣れ過ぎておられる。一種の手抜きと感じるぼんぼりがある中で、強さと、風格のある書体で、【大局観】と、書いておられると、『ああ、大局観って、やはり、大切なものだったのですね』と、納得をさせられるのでした。以前は、へなへなした書体でした。本日、wikipedia を開いて見て、小学校時代は、野球、中学・高校時代は、サッカーに没頭をしておられたと、知り、そういう生徒なら、書道など、マスターすることもなかっただろうと、納得をしましたが、最近の、10年間は偉いです。ぼんぼり祭りに、献灯を依頼されて、一度ぐらい、見にいらしたのでしょう。それで、ご自分の言葉を生かすためには、書体が大切であり、書道をマスターすべきだと、お考えになったと、思いますよ。まさか、奥様の代筆であるはずもないでしょう。

 この点で、特に、注目をしたのが、15年以上、献灯をされている方で、『やや、流しておられるなあ。一時期より、気概がこもっておりませんね。お年のせいもあるだろうが』と、思う方も多くあったので、岡田監獄の真面目さが、際立つなあと、・・・・・・

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副題2、『竹中直人氏、今年は、大活躍ですが、ちょっとだけ、不思議なポイントがあって?!?!?』

 さて、岡田監督のすぐそばだったのですが、人だかりが、しているぼんぼりがあったのです。傍を通れないほどの大人気です。で、ぼんぼりは見ないで、後ろ側を通ったのですが、ふと見ると、お客さんが、ぼんぼりと一緒に自分の写真を撮っていて、そのそばに、竹中直人さんが立っているのですね。

 竹中直人さんは、ユーモア系の、演技と態度を売り物にしている、俳優ですから、サービス精神が、あります。それで、お客さんの要望に、応える態度があるので、今まで、見たどの有名人よりも数多く、周辺に、お客様が集まっていました。で、表側に回ったのですが、良く見えない程、お客さんが密集していました。それで、ちらっと見たのですが、力がこもっていて、色が多数使って有りましたね。普通、色を厚塗りすると、夜には、黒く見えるだけなのですが、竹中さんの、ぼんぼりのある場所は、集中的な、大きなライト(野球場にある様なものの、小型化されているもの)が当たっているので、オレンジ色のお洋服を着た人物は、美しく見えました。

 同じ様な立場の人として、榎木孝明さんが、います。

 私は、有名人である竹中直人さんの、wikipedia など、開いたことはないのです。ところが、先日、何かの、特番で、竹中さんが、多摩美周辺を、思い出の場所として歩く番組があって、竹中直人さんが多摩美出身であることを知りました。榎木孝明さんが、美大(こちらは、武蔵野)出身のかつ、俳優と言う意味で、双璧ですが、『今年の竹中さんは、ちょっとテンション高過すぎですね』と、思わせる処があり、それが、後で、『あれっ!?!?!』と思う処に繋がって行きます。

 さて、私は、あまりにも多い人だかりのせいで、竹中さんの絵をしっかりと、見ることができないまま、先へ進みます。

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副題3、『その後、私は、竹中さんのぼんぼりの在った、舞殿傍から、本殿まで、丁寧にぼんぼりを見て歩く。ここには、私が、ファンである、有名画家の絵が、多いからだ。そこで、いろいろ感じたことは、本当は前報で、語りたかったことだが、こちらで、語ろう』

 舞殿の西側は、文化人とか教養人が、展示をされて居ます。お正月には、コモ樽の壁ができるあたりです。

 見物客の邪魔にならないように、斜めの位置から、でも、三脚を使って、熱心にかつ、丁寧に、ぼんぼりを撮っている人が居て、「誰の作品を?」と、思うと、五百住乙人さんの作品でした。この方は、洋画家ですが、鎌倉宮とか、八幡宮から作品を依頼される際には、まるで、日本画みたいな、作品を描く人です。本年は、帽子をかぶった少女の立像で、いい作品です。話題にはなっていないみたいだが、玄人好みの、いい作品です。この方と中村嘉津雄さんは、レベルが高い絵を献灯する方ですが、今年の中村さんの方は、ちょっと、意味が、分かりにくかったです。何の山だったのだろう? 富士山だったのだろうか?

 松浦安弘さんは、非常に長い献灯者です。常に画題が、南欧の風景です。10年前はカラーでしたが、最近(?)は、無彩色らしいです。これは、透かす効果を考えての事でしょう。

 ここで、夜になって加筆をします。松浦さんは、新制作の会員だと、思います。では、なぜ、渡辺幸子さんが、出品していないか? また、何故、島田章三さんが、出品をなさっていないか? しかし、そこに踏み込むと、決定的に政治問題に入って行くので、ここでは、ひとまず、口にチャックとして、先へ進みます。

~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『なれと言う事と、このお祭り内で、見られる階級と言う事を、ここで、再び語ってしまおう』

 有名な画家と言うのは、小品を描いても、高い画料を取って、絵が売れるものです。それで、このお祭りに出品するぼんぼりなどは、ちゃかちゃか、ちゃかっと片づけてしまうという傾向もあるのです。

 それに関して、名前は上げずに語りますが、たいへん、有名な画家が、下の方の悪い位置に飾られていたことがありました。『不思議な設定だなあ?』と、思ったし、それを、お怒りになったのか、次の年から、出品がなされなかったのです。ただね、その後、「あの方の作品のうち、一部は、同じ美大出身の奥様が描いている」と、言ううわさを聞いて、『そういううわさが広まっているので、あのぼんぼりは、悪い位置に飾られていたのかなあ?』と、思いました。

 私は1995年ごろまでは、八幡宮様とは、とても親しかったのです。どうしてかと言うと、今は、鶯吟邸と呼ばれている、お屋敷を八幡宮様がお買いになる時期で、たくさんの、神官が、我が家に、地境を見にいらしたのですね。高枝切りと言うか枝払いも、15人ぐらいの専門家(とびしょくか?)が来て、三日ほど、やって帰りましたしね。

 我が家は、鶯吟邸の、一部と、参拝者用駐車場の、西側については、ほとんどのラインで、地境地主です。で、気軽に、八幡宮の方と語り合える状況に、その頃はありました。偉い方からもっと若い方(会社に例えると、重役から、課長さんぐらいまで)に話しかけられる立場だったのです。で、今もそうだったら、「あの方は、あそこに置いてはいけませんよ。ご存じないかもしれませんが、美術界に置いては、カクカクシカジカの、実績のある方だから」と、おせっかいを申し上げるところですが、伊藤玄二郎が間に入って、とんでもない、いきさつが、始まっているので、今では、とても、そんなことは言えませんね。

 だけど、酒井忠康氏は、どうして、その手のご忠告を、八幡宮様に対してなさらないのでしょうね。面倒な事には首を突っ込まない主義なのかしら? それが偉い人として、美術界に、君臨できる奥義なのかしら? そして、名声と、お金が常に、降りて来る? ごめんなさい。つい皮肉が出てしまいました。非常におおきく、いじめられていますので。(苦笑の極み)

 まあ、酒井さんは、40年近くのご出品なので、慣れきっておられて、きっと、見物には、もう、いらしていないので、私が抱いた様な疑問も、酒井さんは、抱いておられないのでしょう。

~~~~~~~~~~~~~

副題5、『小杉小二郎さんの、作品が、画然と変わって居て、このお祭りを、夜に、見に来た事がある筈だと、推察された。もしかして、私のブログが、影響を及ぼした? かな?』

 小杉小二郎さんですが、奥谷博さん以上に、専門家向けの画家です。しかし、マスコミ露出度(ただし、テレビではなくて、紙のメディアだが)は、大きい方で、従って、一般の人の間にも知名度が高い方です。

 でね、軽い気持ちで、簡単な抽象画を描いておられたのです。それを私は残念に思いました。と言うのも私は、抽象画を専門とする人間だから、小杉さんと同じく、抽象画を最初は出していたのです。しかも、油絵よりも評価が高かった、特殊な、手法の深彫りのカラーの版画を。

 それは、銅板の端がたいへんとんがっているので、八幡宮様から、頂ける和紙が、切れてしまうのではないかと、心配で、自分で摺らず、摺り師さんにお願いをしたら、一日の仕事で、11万円を取られて、かつ、片付けをしないで、帰られてしまったのでした。無論、一枚だけ摺ってもらったわけではないのですが、ヘイター方式と言う特殊な版画は、摺り代だけで、一枚、一万円以上取られるのですね。それに、片付けが、相当大変なので、あの一日の経験は、とても、嫌な経験でした。この際のかたづけと言うのは、一メートル正方の、大きくてあついガラスの板二枚にべっとりとついている、二種類の、違うインクを洗わないといけないうえに、二種類の30cm近い太いゴムのローラーについているインクも洗わないといけないからです。かたづけだけで、3時間は、掛かります。

 そんなに大変な思いをして、準備したのに、八幡宮境内で、それを見る、お客様は、「ふん、」でもないのです。色はきれいなのですよ。そこには自信があります。シャルボネと言う会社(フランス製)のカーマインと言う赤は、紫に近い色で、油絵具の、その色名とは、まったく違った発色であり、かつ、版画インクと言うのは、透明性が高いのです。だから、ろうそくをすかして、ほんのちょっと、紫がかかった赤と、少量のこげ茶と、黒が混ざった画面は、色だけは、素晴らしいと自画自讃しました。しかし、どんなに色がきれいでも、マスコミ有名人ではない、私のぼんぼりは、単に素通りされるだけの、存在なのでした。訴求力が無いのです。

 で、私は『だめだ。こりゃあ』と、自分で思い、四年目ぐらいから、傾向を変えることとしました。何人かの人が、時節(特に政治状況)をひねった、自嘲気味の、添え言を主体として、それに、絵を、添えられていて、それは、大衆的訴求力があるのです。で、それを真似しようと思いました。何らかの絵をイラスト的に描いて、そこに文言を添える形式に改めました。『画家として、選ばられている筈だけど、お客様に受けない限り、何にもならないでしょう』と、思ったからです。ただ、私は、その、人気を集めている、四、五人の皮肉やさんみたいな、自嘲気味の苦いユーモアなんて、思い浮かびませんから、ブログや、メルマガで、普段書いて居ることを最も短く凝縮した、二行ぐらいの文章に、まっとうな、絵を添えたのです。絵の方は、ひねらない挿絵を添えたのです。ただ、文章は、このブログを凝縮したものだから、絶対に訴求力はあったでしょう。

 すると、私のぼんぼりの前に、数人が滞留してくれる様になったのです。素通りから、見たり、読んだりしてもらえる作品になったのでした。或る時など、「あ、この人覚えている」と、30歳ぐらいの女性が言ってくれました。ありがたかったです。

 絵としては、すごく素直な絵なのです。それは、鎌倉のぼんぼり祭りの特徴に合わせた方針であって、画家として、銀座の画廊で、個展をする際などに、こういう作品を展示したら、アウトです。『どうしたの? あの人ったら、中学生か、小学生並みの絵を出して』と、言われちゃうでしょう。

 ここで、小杉小二郎さんに、入ります.抽象画の世界で、知名度の高い方です。しかし、8年前までは、このぼんぼり祭りには、実際には見に来られたことがないと、思われ、時間もお金もかけない抽象画を、サササッと描いて、提出しておられたのです。で、私の大金を掛けた版画と、同じ長さの時間で、シュッ-と、一般の方は、通り過ぎてしまうわけです。それを横目で見ながら、私は残念で仕方がないわけですね。

 『小杉小二郎なら、絵が好きな方なら、その知名度の高さを知っているだろう。柱に張ってある、名前を見て、から、上のぼんぼりに目を移動させたときに、今回の作品については、これは? と、残念に思うだろう。もっと、時間を掛けて、心を込めて、お描きに成ったらいいのになあ』と思ってね。で、その手の事を思って、このブログに書いたのですが、それは、時期としては、10年は前ですね。

 というのも、私は、2010年に、政治的な問題(鎌倉エージェントからのいじめが激しくなって、音による攻撃が、あり、それには、八幡宮様も多大に、関与された)から、ぼんぼりを出さなくなるのです。2010年には、紙をいただいたのですが「もう、献灯しませんので、紙をいただくのは、来年からは、辞退します」と、言うのです。

 だから、小杉小二郎さんに対して、不満を持ったりしても、それを文章化したのは、10年は前の事でした。10年前の、私とは、今の私とは、まったく違っていました。だから、不満を持っていても、小杉さんに対して、「もっと、時間を掛けて制作をしてください」などとは、言えるはずもないです。でね、単純に、「夜ご覧になりに来られたらいいのに」と、書いたと、思います。このぼんぼりは、夜、どう見えるかも、キチンを把握して、制作をした方が良いからです。そして、8年間のブランクを開けました。そして、小杉小二郎のぼんぼりを見てみると、以前とは、画然と違っていたのです。

 制作するのに、時間がかかっっていますねと、判る作品であり、かつ、夜どう見えるかの効果も、勘案した作品でした。

 うーむ、吉右衛門さんと、獅童さんについて、語らないといけないのに、また、眠くなってしまいました。続きは明日書きます。

 

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4165647です。

 

後注1、

八年ぶりに、訪れた、鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りについて、ちょいと語りたくなった。奥谷博、小杉小二郎、五百住乙人、松浦安弘、守屋多々志  2017-08-09 20:22:37 | Weblog

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八年ぶりに、訪れた、鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りについて、ちょいと語りたくなった。奥谷博、守屋多々志

2017-08-09 20:22:37 | Weblog

副題1、『一つの展覧会として、見る時の、ぼんぼり祭りで、私が見つける楽しみについて』

*1)、どうして、こういうブログを本日書くか、に、ついては、説明をしないが、ご想像をいただきたい。前報を推敲し、加筆をしないといけないのだが、その前に、ちょっとと言うつもりで、夕方の六時半から、見に行った、山ノ下のぼんぼり祭りについて、やはり、文章が生まれてしまうので、つい、発表をしたくなってしまう。それほど、重いものでもないのだが・・・・・、だから、私の文章としては、軽すぎることが、かえって、異色なのだが・・・・・

*2)、「ぼんぼりの飾り位置にも、階級があって?」と、昔、私が言ったら、音楽の先生(旧公爵のお孫様)が、お笑いになったが、今日もそれを感じることはあった。8年間もブランクがあったので、それが、見えるケースがあった。上がった人よりも、下がった人とか、『この位置では、不足でしょうね。もし、ご本人が見にいらしたら』と、思った方もあった。しかし、その実名を挙げることは、お気の毒なので、やりたくない。・・・・・

*3)、献呈をする作家が、実際に見に来ている姿は、2008年ごろ、の、昼間には、中島千波さんをお見かけしたことがある。有名人としては、そうだった。しかし、有名人ではない、献呈者が、見に来ているケースはあると思う。本日も一人で、見に来ている女性で、きりっとした浴衣姿で、髪を巻き上げ、かんざしなど挿して、おしゃれをしている、50代の女性を、数人を見かけたが、その人達は、きっと、献呈者だと、思う。誇りを感じているので、おしゃれをしているが、他人が自分のぼんぼりを、どう思って居るか、その評判も確かめたいので、一人で、来ていると、見た。静かに辺りのおしゃべりを聞きながら、自分の作品を見ているのだろうと、推察する。書道の大家、和歌や、俳句の先生などは、特に、40代、50代だと、マスメディア有名人ではないので、私もその顔を知らないケースが多いのだけれど、一般の見物人とは、どこか、違うものがあって、判るのだった。これは、自分が献呈をしていた頃の、裏事情からも推察できることだった。

*4)、私は神奈川県内では、1980年ごろから、上野の都美館では、1990年代から、公募団体展に、出品をしていた。で、洋画家の名前なら、群れをなさず、独立して居て、個展だけで、生きて居る人を含めて、ほとんど、すべての献呈者を知っているが、日本画家とか、イラストレーター、漫画家などについては、その名前を知らない人が多い。でも、お花を丁寧に、描写している日本画を見たりすると、心打たれることがある。それは、若宮に、向かう脇道に飾られてることが多い。マスコミ有名人ではないが、真剣に、取り組んで居るその人の心や姿を感じてしまい、心打たれる。『こんな仕事って、どっちでもいいのよ。ちょっと負担だけど、お付き合いだから』と、思いながら描いている有名人もいると思われるので、比較して、その真剣さに、心打たれるのだ。

*5)、さて、ぼんぼりとして、最高の、階級は、本殿前、左側だと、推察される。2009年ごろ、そこは、新藤兼人監督だったか? 小泉淳作氏だったか? はっきりとは、覚えていないが、それ以前の、片岡球子女史の時代が長かった。というか、面構えシリーズを小型化したものなので、印象が強烈な絵なので、人々が、今も覚えていて、語っている。

*6)、しかし、私の印象に、強く残っているのは、小倉游亀さんなのだった。きれいな器に入った果物等を、描いたけれん味のない小品であり、いいなあと、思って居た。余白をたくさん残してあり、『これは、もし、デパートの個展に出したら、すぐ高額で売れますね』と、感じる様な、立派な作品となっていた。これは、引っ越してくる前に頃の話だったのかもしれない。同じ傾向を持っている人として、好きなのは、守屋多々志さんだった。

*7)、守屋多々志さんは、2003年に、91歳で亡くなっている。で、私がぼんぼり祭り内で、守屋さんの作品に惹かれ始めたころには、すでに、大小ある、ぼんぼりのサイズの内、大きな作品はお描きにならなくなっていたのではないかな? で、小さいサイズのぼんぼりは、献呈をされて居て、それが、常に、小さいサイズのぼんぼりの中では、トップの位置に、飾られていた。そして、それこそ、けれんみのない小品だったのだ。本日は、他にも問題作と言うか、人々の耳目を驚かす様な作品を多数みたが、それでも、これら、没故作家の作品とか、40代で、鎌倉在住で、まだ、都心の画壇で、有名でない作家たちの、まじめな、花の作品などに、心惹かれ、ある意味でそれが、ぼんぼり祭りの展覧会としての良さであると、改めて思ったのだった。

 私は毎週銀座の画廊巡りをしていて、多数の美術作品を見るのだけれど、そこでは、この種の作品はない。でも、美しいものを見て、それを、自分の手で、再現して自分のものにして飾りたいというのは、画家の最も基本的動機だから、それの発露を見るのは、気持ちの良いものだった。

~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『奥谷博と言う方は、相当に複雑な心情を持っている人だと、思うが、それでも、ぼんぼり祭りのトップを担う重責については、よくわかっている方だと、思った。ぼんぼり祭りの性質に合わせて、大衆に判りやすい画題(=虎=)を選んでおられるが、手は抜いていない』

*1)、 さて、副題1で、語っていることは、ぼんぼり祭りには、その展示場所に置いて、階級があるという事だ。その階級として、トップの位置には、たいていは日本画家が、座っていた。しかし、8年ぶりに、訪問をしてみて、その位置に、奥谷博氏の作品が飾ってあるのを、発見してそには、ひどく驚いた。

 私は、独立美術家協会については、女流展関係の作家を通じて知っているだけだけど、奥谷氏が、マスメディア的には、地味な方でありながら、結構な実力者であり、画壇でも、着実に名誉欲を発揮なさっておられるという事は、知っている。今日初めて、wikipedia を見て、芸術院会員であり、文化功労者であると、知ったのだが、それを知らない時から、『奥谷さんは、なかなか、努力をなさっておられますね。画壇で、大きな地位を占めるために』とは、考えていた。

 ここで、こういうことを言うと、「お前に、そんな発言をする資格があるのか? ねえんじゃあねえか?」と、鎌倉エージェントに言われてしまうだろう。今、実際に、例の常に、このパソコンを、ハッキングをしている連中が、そう思ったらしくて、パソコンのシステム異常が三回から、五回ほど、起きたので、それは、確かな事だと、考えている。しかし、私の普段のブログを読んでいる方にしてみたら、私が、非常に硬質な事を書いて居るライターだとは、ご存じだと、思う。

 私のもっともよい部分としての才能は美術系統の創作にあると、自分では信じている。しかし、音や光、また、NHKニュースや、パソコンの異常という事を、通じて、常にCIAの日本人エージェントから、絡まれており、落ち着いて、油絵を描いたり、版画を制作している暇がない。で、パソコンを使う仕事だと、細切れでも、うまくいくので、美術評論を、書き始める。それは、非常にユニークな形であり、かつ、心情もこもっていて、面白かったので、2006年、四月から始まった月刊ギャラリーの、連載は、好評であった。しかし、それが、2007年の三月をもって、編集長から何のお断りもないままに、中止とされてしまう。あまつさえ、当時から、心の友となって居た、ギャラリー山口のオーナー、みつ子さんが、ころされてしまう。

 そして、その裏側を分析し始めた私に対して、2007年以来、11人の知人が、似たような、謀略で、殺されて行っているのだった。表向きは、癌が原因ですとか、交通事故でしたと、言われているが、真相は違うだろう。そしてこれら、身近な人への攻撃と並行をして、遠くで異様な形での殺人事件を起こされる。周南事件、山田浩二が、二人の中一児童を殺したとされる、寝屋川事件、ナカダ・ルデナ何とかと言うペルー人が六人を殺したとされる熊谷事件、そして、実際には、19人は、殺されてはいない、やまゆり園事件・・・・・で、その手の恐ろしいいじめとか嫌がらせを受け続けた私が、精神の、平穏を保つためにどうするかというポイントだが、

 覚悟が決まるという事だ。で、私はナイフのような切れ味をもって、ありとあらゆることに真実を語るという人間となっているのだ。

 で、私は、奥谷さんご自身と、短い時間ながら、二人だけで、会話をしたこともあり、謙虚な方だとも知っている。だが、同時に独立美術協会所属の他の作家(主に女流画家)とも、個人的に話したことがあり、そこから、奥谷さんの、真実と言うものもわかるのだった。私は、単に顔の表情一つ、または、片言双句からでも、真実を導き出す人間だから。

 その種の、別の作家との会話で、悪口を聞いたわけではない。ただ、これから、「奥谷さんの受賞・記念パーティに出ます」とか、「お祝いの会に出ます」と言う事を聞いただけだ。それで、奥谷さんが幅広い、人脈を築こうとなさっていることは判り、それは、芸術院会員になるためであろうなどと、推察をしていたのだった。

 しかし、本日、奥谷さんの、グーグル検索を掛けてみて、wikipedia が立っていることを知った。で、このwikipediaなのだけれど、私は、旬の音楽家について、興味を抱いて、誕生日等を知りたくて、グーグル検索を掛けるのだけれど、ほとんど、wikipedia が、立っていないのだ。今回のぼんぼり祭りについても、五百住乙人、小杉小二郎、松浦安弘の四人の私に言わせると、プロの立派な洋画家である人々について、グーグル検索をかけたのだけれど、wikipedia が立っていたのは、奥谷博氏だけだったのである。それだけ、奥谷さんは、ご自分の存在感が、広く、かつ大きくなる様に、努力をなさっておられるのだ。

 しかし、池田潔著の、『自由と規律』ではないが、名誉には、義務も伴う。ぼんぼり祭りのトップの位置に、ご自分の作品が、置かれているという事は、全日本画か、全洋画家の中で、トップと言える作品を提出しないといけないという事だ。そして、2017年度のぼんぼり祭りにおいて、奥谷博氏の、虎の無彩色の絵は、切れ味の鋭さ、と、大衆的な、判りやすさという両面で、トップだったと、私は思う。

 ただ、感服して立っている私の横で、「この人誰?、どうして球子さんではないの?」と言う奥様が居た。70代だと思う。これは、洋画家の宿命だ。日本画家よりも、どうしても知名度が劣る。それは、仕方がない。でも、繰り返すが、82歳か、83歳にして、あの迫力のある絵を描けるのだから、芸大出身者と言うのは、基本ができていて、かつ優秀だという事だろう。改めて脱帽だ。

~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『奥谷博氏は、36歳か、37歳の時に、愛知芸大助教授の地位を捨てている。これは、本日初めて知った。その頃は、純粋で、かつ、攻撃的というほどに前向きだったと言う事だろう。しかし、・・・・・氏は、その後、その件を若気の至りだったと、して、後悔を、なさった・・・・・と、私は推察した。愛知県に住むという事は、東京を離れるという事で、子供の教育等を考えると、損には、なるだろう。だけど、大学教授の地位を捨てたのは、失敗だったと、お考えになったと、推察している。

 奥谷さんには、その時(=1970年)、すでに、ブランド的・冠は、幾つも持っていらした。芸大卒。文化庁在外研修生、第一期卒。そして、すでに、独立の会員だった可能性も高い。そして、有名な賞も受賞済みだ。しかし、大衆的知名度が、日本画家より、洋画家が、劣るという現実と、同じ様に、日本では、芸術家は、実力があるだけでは、尊敬を受けない。まず、金持ちである必要がある。

 その上、組織に属さない画家よりも大学教授の方が圧倒的な、大衆的知名度と、信用を受け取れる。年齢が近い有名画家に、大学教授と、画家の、二束の草鞋を履いている、絹谷幸二、大沼映夫、島田章三がいる。

 現在の私は、そういう枠組みから、一切遠のいていて、悟りの境地に達して居るのだけれど、40代では、悔しい思いをしたことがある。横須賀市の北久里浜と言うところで、英語塾を開いたのだけれど、当時のそこでは、国際基督教大学の知名度が無くて、お母様方の信用や、信頼が得られなくて、往生をした。一方で、知人の佐久間操さんは、明治大学の出身だ。六大学の一つだ。したがって、知名度は、抜群に高い。で、お母様方の、信頼度が厚くて、英語塾が成功した。一緒に郵便局について来てと、言われて、ついて、いったことがあるが、彼女は、塾の謝礼金を、分厚い札束にして、貯金をしていた。今、現在の貨幣価値に直すと、30万円以上だと、思われる。

 元に戻ろう。この大学教授職を捨てたという事が、奥谷氏に、後悔の念を呼び覚まさせていたと、仮定をすると、最近、20年間の奥谷氏が、名誉欲を追及されている姿勢なのも、ありだと、思い直されて来る。

 人間の心理的機序と言うのは、複雑だ。本日は、奥谷さんの、wikipedia を見て、大きく学ばさせていただいた。

 なお、マスコミ有名人のぼんぼりについて、触れるつもりでしたが、9日のブログとしては、すでに、書くのに疲れたので、後回しとさせてくださいませ。

 なお、このブログの、延べ訪問回数は、4163971です。誤変換を直し、推敲をしたら、署名と、書いた日付を入れます。

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比企が谷・妙本寺を、ご覧あそばせ。歴史の妙味をしみじみ感じさせられます+華頂の宮邸公開(only1&2・・Oct.)

2016-09-28 19:55:36 | Weblog

いまは29日の夜9時半ですが、下のブログがやっと完成したので、総タイトル横に、恒例の、△印を付けておきます。

 最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。これは、j-peg原データでは無くて、いったん、自分のエッセイに取り込んで、使ったものです。パソコンが、15台も壊されたので、j-pegの原データが、このいま使っているパソコンには、入っていないのです。本はすぐ取り出せるので、引っ張り出してきました。上は、妙本寺 の山門を、製図ペンで、スケッチしたものです。手前に4本の柱が見えます。その中の二本が、門を形成していて、間が空いているのですが、その間から見える、本堂まで、私が描き込んでいるので、空間が明瞭ではなくなっています。これは、絵としてよりも記録として描いているから、こう成ってしまっています。ただ、自分の気持ちとしては、『いい山門だなあ!』と、思ったのですね。それで、記録を始めているわけです。京都に有るそれらよりも、小規模で、色も褪せていて(しかし、後日塗りなおされてしまったのですが)風雨にさらされているのが、素晴らしいと思ったのです。特に足でまたぐところのすり減り具合などが、パリのアパルトマンの白木の大木でできた階段の、数百年かけて、作られた、すり減り具合を思い出させて、何とも言えず、懐かしく感じたのですよ。こちらも数百年かけてすり減っているわけですから。・・・・・ただし、このエッセイを発表した後では、その部分は、取り換えられているかもしれません。

*1、『パソコンが大荒れに荒れているが、それは、例の高枝切で、勝ったと、思っている連中が、攻撃をしてきていると、推察している』

 私の予定ですが、週末に、法事があります。いろいろ、準備があります。特に、手紙を書かないといけません。参加する人が、プラチナ世代が多いし、礼儀上、電話よりも手紙の方がいいのです。もう、出欠は決まっていますが、せっかく来ていただくのなら、鎌倉について、穴場的観光地をご案内したいと、思うからです。それを、手書きの手紙で、書きます。

 その上、普段使いの、パソコンが、今、使えません。新しい攻撃方法です。「更新中です」と言ったまま、何度も、同じことを繰り返します。昨夜からずっと、同じ現象が続いて、起動をしません。今、13%更新しましたと言う画面を何度見た事か!

   結局、何回、おなじ事を、繰り返しても、先へ、進みません。「やられたなー」と、思います。何にやられたかと言うと、最近、私が書いていることが、すべて、真実なので、激しい、激しい攻撃が、リアルな世界でも、デジタルの世界でも、両方で、行われているというわけです。

   ただ、アップル(私の場合は、i-pad)の入力にも、相当に、慣れて来て居ますので、苦にならないのが、助かります。

 で、今、やっとウィンドーズ版に戻ってきました。i-pad で、四苦八苦しながらでも、入力が可能だと、敵さんに判ってしまうと、こっちのウィンドーズ版も復活するのです。

 機械が壊れているわけでは無くて、いじめようと言う、敵さん方の精神が、壊しているものだから、そこを突破すれば、『ああ、いじめても駄目なんだ』となって、復旧するのです。

 で、それを書いた後で、墓についてちょっと。

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*2、 『どうして、それほど、熱心に準備をするかと言うと、お隣のお墓にドラマを感じるからです』

 ところで、墓守と言う事について語りたいです。鎌倉霊園にある私の、実家の墓の、北側のお墓なのですが、常に草ぼうぼうなのです。それで、墓誌を見ると、一番最初に亡くなった方が、46歳で、亡くなっています。もしかすると、47歳だっただろうか? で、想像するに、未亡人は、再婚をなさったのだと、思います。で、その後、祖父と、祖母(と言うか、最初に亡くなった方のご両親だと、思われる)に当たる方のお名前が、墓誌上に増えています。

 しかし、ほとんどのシーズン、それも30年間以上にわたって、草ぼうぼうです。ちょっと、ドラマを感じてしまいます。前の年の草が、一度も抜かれることなく、1mぐらい伸びて、秋になると枯れて、また、その上に新しい草が生える。どういう、ご事情なのだろうかと、思って。お金は支払い続けてあるのです。

 子孫が、遠くに住んでおられるのだろうと、推察しますが、ともかく、ほとんど、御参りが無いお墓です。それを見ると、『あれでは、亡くなった方々がお気の毒だなあ。こっちは、ちゃんとしたい』と、思い、つい、きれいにきれいに、草取りをすると言う事となります。

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*3、『比企が谷(やつ)妙本寺を、第一にお勧めしますが・・・・・』

 ところで、鎌倉においでになる方に、見ものとして、第一にお勧めしたいところが、比企が谷(やつ)妙本寺です。このお寺の、バックグラウンドとか、評判とかは、ネットで、ご検索くださいませ。特に法事などの別の用事で来て、ちょっと立ち寄ると言うときなどは、最高です。

 私は、私独自の、視点で、おすすめポイントを書いてみたいです。まず、駅に近いです。駅から徒歩10分以内です。そして、規模が大きいです。そして、一番お勧めしたいポイントは、あまり、宣伝をしておられないと言う事です。

 どうして、宣伝をしておられないのかと言うと、大金持ちだから、観光客から、お金を集める必要を感じておられないのです。どうして大金持ちかと言うと駅に近い事がメリットになって居て、土地を貸しておられる相手が、豪邸の持ち主だからです。駅から東へ向かって徒歩五分以内の豪邸は、ほとんどが、妙本寺の寺領に建っていると、思われます。

 例えば、小篠と言うお宅があります。これは、きっと、【神楽坂女声合唱団】のトップであるコシノさんのお宅です。ただし、このお宅が妙本寺の借地かどうかは知りませんよ。道路を隔てたこちら側(=西側)にある、そこは、大巧寺の寺領かもしれないので。その上、大巧寺さまは、土地を貸さないで、お売りになって居るもしれません。だが、コシノさんみたいに、この現代日本で、肩で風を切って生きている様な方々の邸宅がある一帯が、妙本寺と、大巧寺と、本覚寺と言う三つのお寺の寺領であるのです。それが、ほとんどのパーセントで確かなのです。ただし、その三つのお寺のうちで、私が見る事をお勧めするのは、妙本寺だけです。

 でね、妙本寺ですが、参道が、素晴らしいです。落ち着いていて。その次に見える山門も素晴らしかったのですが、最近、塗りなおされて、それは、がっかりです。風情が失われたと、考えております。

 そして、境内に入りますと、左側に新しい日蓮の銅像ができています。これもびっくりだったし、がっかりでした。鎌倉には、日蓮宗のお寺が多いのです。10年近く、散歩に行かなかったうちに、そんな立派な銅像が、できていたのでした。びっくり、びっくりがっかりでした。最近、やっと、赤銅色も薄れてきました。ので、落ち着きを取り戻しつつありますが・・・・・

~~~~~~~~~~~~~

*4、『本堂では、写経もやっておられるみたいですが、私がお勧めするのは、左側の奥に有る、墓場です。それが、鎌倉固有の形式だから、一度は、ご覧になることをお勧めします』

 本堂の左側に、小さな池があります。これが、何かいわれの有る、有名な池です。いらっしゃるのなら、ネットで、お調べください。

 ただ、私が、一番、「ご覧になったらいいですよ」と、お勧めしたいのは、墓がある場所です。墓は、この寺領内に、何か所もありますが、左奥の、山の中にあるのが一番の見どころです。

 池の左側に、小さな段々があります。幅が、一mぐらいです。そこを、20mぐらい上がって行くと、突然に、視界が開けて、広い墓地が現れます。普通の霊園と、違うのは、丸い形であることと、ほぼ、五分の四を、高い崖で、囲まれていると言う事です。

 この高い崖ですが、わが家の東側にもあるもので、覚園寺さんにもあるもので、寿福寺さんにもあるものです。しかし、覚園寺さんでは、見る時間が、自由ではありません。少ない人数だけ、お入れに成るのは、いいのですが、ある一定のところで、とどまることを許されておりません。

 崖そのものを、見物できる場所としては、寿福寺さんなども、自由度は、同じなのですが、どうも、寿福寺で、立ち止まって、崖を見るのは、落ち着かないのですね。お勧めできません。すぐ傍に道路があるから、立ち止まって崖を見て居たら、変な人だなあと、誤解をされるぐらいが落ちです。。

 長谷の、光則寺さんの場合も、似た墓場があるのですが、そちらでは、崖の高さが、それほど、高くないみたいに、見る方が、感じてしまいます。樹木が生えている具合の違いなのでしょう。だから、妙本寺の崖が、最も適切なのです。光明寺にもありますが、建物のすぐ裏手なので、良くは見えません。

 地理的な、観察の上でも、素晴らしい場所ですが、詩的、境地を味わうと言う意味でも、適切です。モダンなデザインで、しかも、使ってある石も様々な、広い区画の墓が並んでいますが、その縁石に、腰かけて、じっと、15分ぐらい静かに座っていると、心が洗われます。今は、アルミサッシの窓が全盛の時代なので、松風の、音(松籟)など、聞いたことが無い生活ですが、ここにいると、それが味わえます。時によると、とんびが、4,5羽、ピーひょろひょろと鳴きながら、円を描いているのを見る事ができます。トンビは、50mぐらい上を舞っています。我が家の庭にも飛んできたことが有り、傍で見ると、右から左まで、1mを超える大きな鳥です。

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副題5、『ああ、大切な事を書き忘れていた。で、戻って来た』

 妙本寺を好きな理由が、もう一つありました。それは、そこにいると、しみじみと、歴史の妙味を感じさせられるからです。鎌倉時代、源義朝が亡くなると、北條氏と、他の、御家人たちの間に、跡目をめぐって争いが起きます。比企一族は負けた方なのです。

 今、日本中の処々方々で、・・・・・御寺が経済的理由で、立ち行かなくなっている・・・・・と、聞いています。檀家が、断絶したり、引っ越したりして、お布施を上げる人がいなくなったと聞いております。

 それなのに、妙本寺は、お寺としては、今、隆々たる勢いをたもち、それを、誇っているわけです。年間2千万人が訪れるというブランド都市、鎌倉に存在しているゆえのメリットです。特に、その駅に近い寺領をお持ちだと言うわけで、そこに家を持ちたい、大金持ちが、借地料を支払い続けているので、妙本寺さんは、お澄ましして、じっとしておられるのです。
 隔世の思いとは、まさにこのことかと、思います。それも、700年を隔てた、復活ですから、思いを、深く、させられます。ただ、現在の住職が、比企一族の子孫であるのか、違うのかは、私は、知りません。噂話好きの人ではないので。

 ただ、幼稚園から、小中学校の時期を、我が家のお隣で過ごしたお嬢様が、若い住職のお嫁さんになって居るとは聞いています。つまり、現在の白井・小野寺邸の、前のたてもので、子供時代を過ごしたお嬢様がです。

 今、私の方は、勝つか、負けるかと言うすさまじい戦いに放り込まれてしまいました。高枝切と言う現象によってです。または、演劇界と言う雑誌によってです。または、鎌倉エージェントたちによってです。

 私は、そんなことは願っておらず、ただ、目に見える被害を防ぐために、真実を分析しつつあるだけですが、さらに激しい戦いの渦に、放り込まれています。思考の人であるはずなのに、現実の戦いの中に、放り込まれてしまっています。

 そういう自分と比企一族とか、妙本寺の隆盛を比較すると、感慨が、ことさらに、深いのです。

 もう一度妙本寺へ戻りますが、とても素敵なお寺ですと、言っても、境内に、人が多いというわけでは無いのですよ。もし、人が多かったら、行くのを、勧めません。ほとんど、人がいないから、素晴らしいのです。

 でも、隆盛のほどは、最近完成した建物群の、素材の良さと、デザインのすばらしさで、判るのです。伝統的な寺院形式なのだけれど、上等な素材で、上品な形で、作られています。デザインが、新奇過ぎもしていないし、古すぎもしていないし、中庸なのです。

~~~~~~~~~~~~~

副題6、『華頂の宮邸の、内部、公開日は、10月の1日と、2日だけでしたぞ。昔と違っていたので、驚いている』

 私は、1984年に、鎌倉に引っ越してきてから、その五年後ぐらいから、俳句会に所属しました。その吟行に行く目的地として、妙本寺も、光則寺も、知ったのですが、其れとは別に、家族とか、一人で、鎌倉市内も処々方々を散策しました。

 その時に、大きな興味をひかれた建物があります。それが、ずっと、閉鎖されていて、人影も見えないので、私は、ひそかに、【アッシャー家】と呼んでいました。それほど、荒れ果てている様に見えたからです。

 しかし、ある時点で、その建物は、遺産相続者が、放棄したらしくて、鎌倉市か、または、国有地として、寄付をされました。それを鎌倉市、およびボランティアが、年に二回、春と秋に内部を公開しています。素晴らしいお宅です。実は、外見とは、事なって、内部は傷んでいないです。

 修復がきちんとなされ続けて来たか、それとも、あまり、使っていなかったのかの、どちらかですが、後者の推察の方が正しいでしょう。

 ところで、今、鎌倉市のホーム頁に入ってびっくりしています。なんというチャネリングでしょう。来る1日と2日の二日間だけ公開です。しかも、午前10時から三時までだけです。

◆ 旧華頂宮邸

華頂博信侯爵邸として建てられた、近代の貴重な洋風建築物です。市の景観重要建築物に指定されています。施設公開時には普段は入れない、建物の中までご覧になれます。(通常は庭園のみ公開)

公開日:平成28年10月1日(土)、2日(日)10時~15時
所在地:鎌倉市浄明寺2-6-37
問合せ:鎌倉市都市景観課 ℡:0467-61-3477

  このブログに気が付いた方は、非常にラッキーだと、言えましょう。後、4日後から始まるたった二日間だけ、内部が公開されるのです。
 アクセスを簡単に書くと、JR鎌倉駅から、京急バス【大刀洗】行き、もしくは、【金沢八景駅】行きに乗って浄妙寺でおります。竹の寺【報国寺】側に道を進んでいくと、バス停より、徒歩4分程度の、処に在ります。

  私の記憶では、4月にも公開をされており、しかも、春と秋の二週間の週末が、公開日でしたが、変化しているみたいです。また、庭園は、公開と書いてありますが、それは、週末だけではなかっただろうか? ぜひ、お電話でお問い合わせの上で、ご訪問をくださいませ。

 ところで、この邸宅は、鎌倉文学館と、よく似ています。洋館である事、敷地の規模とか。しかし、決定的に違うところがあって、それは、主たるお部屋から、見える景色の違いです。

 向こうは海が見えます。しかし、こちら側は、山しか見えません。樹木しか見えません。で、非常に単純な世界です。しかし、私は、どちらかと言うと、こちらに、ぜひご訪問をくださいませと、勧めたいですね。

 と言うのも・・・・・別世界に来た・・・・・と言う感覚を味わう事ができるからです。東京駅から電車とバスを使って、1時間半で、『ここも、鎌倉市内なのですか?』と言ってしまう程、民家が見えなくて、緑ばかり見えるからです。前方に、植わっている松の幹の間から、四、五軒の家が見えますが、それ以外には、民家が見えません。そここそ、私が、ご訪問をお勧めする第一のポイントです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題7、 『このお屋敷に、びっくりしてもらうための、裏技を、皆様に、教えてしまおう』

 これから先に私が述べる事を、実行していただく前に、少しばかり持ち主についての知識を詰め込んで置いて、みてください。華頂の宮と言う方は、明治天皇様の、何かに当たる方です。しかし、大切なことは、ここを、所有なさっていた期間は、たった、4年だったと言う事です。高速道路がまだなかったし、舗装技術も、幼稚だった、100年前に、ここと東京を往復するのが、どれほどに、大変だったか、それは、その当時は、まだ生まれていなかった私にだって、推察ができます。だから、手放してしまわれました。

 その後、何代か、持ち主は、変わっていますが、一般人であると言う事と、結局は相続税の代わりに、寄付なさったと言う事で、名前は、記載をされていません。ですから、華頂の宮が、実際にここで、お食事をとられたりしたのは、100年以上前の、短い間だったと言う事となります。

 でね。持ち主の名前が、判らないからこそ、プライヴァシーを顧慮する必要がないと、思うのですね。その上で、驚いていただきたいのが、バスルームなのです。ものすごく美しい赤いバスタブが置いてあります。バスルームの大きさですが、縦長の9畳だと推察しています。でも、禁入室の張り紙があるので、私は遠くからバスタブを、一瞥しただけですが、

 長さが、2m以上はある赤いバスタブで、ピカピカに光っているので、多分、陶製だと思います。2mX80cmX60cmぐらいの陶器の焼き物ができる窯って、どういうモノでしょう。ともかく、王侯貴族か、ブルジョワとしても、欧米他、全世界に、数千人程度しかいない、階級の為に製作をされたバスタブだと、思います。そんな、高級なものが、こんな、ど田舎(?)に、在ると言う事が、不思議です。不思議極まりないです。アクセス的に言うと、とても、不便なところに、それが、鎮座ましましているというのが、驚き入る事なのです。

 このバスタブですが、モノに、神が宿ると言う、日本精神から言えば、バスタブ大明神と言ってよいほどの美麗なものですから、尊敬して置いて、不足はないものです。そして、こういう作品を作り出したクラフトマンへも敬意を、払うべきだと、思います。

 バスタブが置いてあるのは、二階の東北の部屋で、禁入室の張り紙が有ったら、そこです。ただし、私が、こう書くと、その部屋は、本当に、施錠をされてしまい、ドアを開けて、遠くから見る事さえ、できなくなる可能性があります。

 私のこのブログを、閉鎖させてやろうと、する動きは、あまりにも活発で、そのドアを施錠してしまう事さえ、このブログを否定することに役立つのだと、誰かが思えば、その部屋は、施錠をされて姉妹、皆様に、この裏技を実行していただくのが、無理となります。その際は、悪しからず、ご了承をいただきたいと、思います。

 さて、この一文は、表の世界だけを書いております。お隣のお嬢さんも、イニシャルさえ、記載をしていません。しかし、冒頭と末尾には、普段味わっている苦労の、一端がにじみ出てしまっています。

 しかし、同じ現象でも、裏から見ると、また、すさまじ苦も、恐ろしい真実に突き当た利、例のごとく、鎌倉エージェントが登場し、ここでもまた、死者が出ているのですが、本日は、表舞台だだけに、終始することをお許しくださいませ。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3693322です。2016年9月28日から、29日にかけてこれを書く。雨宮舜(川崎 千恵子)

2016年9月28日から、29日にかけてこれを書く。

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平成の八墓村事件について、私が書いたもの・・リンク先・総覧ーA

2015-01-02 18:31:39 | Weblog

 以下の文章の、特にリンク先の部分は、ワードで数えると3000字以下です。ところが不思議な事に、グーブログの計算では、既に、19000字を超えています。こう言うところが弾圧なのですが、ともかく、ここに、平成の八墓村事件について、私が書いたもののリンク先を順次、時系列的に、あげて行きます。

どうしてそうするかという理由は、前報、横須賀に自衛隊艦船が15集まる。その裏にあるものは? 小保方さんで思い出す江川卓と、空白の一日   2014-04-20 1:49:28 | Weblog

 の、副題7に書いてあります。小保方ミステリーを、正しく解くためにも、平成の八墓村事件を丁寧に、再考察しないといけないからです。でも、そのリンク先を、皆様にお読みいただきたいと、お願いをするものでもありません。得に全部をお読みいただきたいと願っているものでもありません。

 それに、最初のうちは小保方ミステリーと同じく、事件の本質に触れていいのかどうか、迷っていて、筆が、遠慮気味なので、本質に迫っておりません。だから、全部をお読みいただきたいなどとは、決して申しません。

 ただ、心覚えとして、ここにおきます。この山口県徳山市の山間の谷戸で起きたこの事件と比較すると、小保方ミステリーは、見掛けは、明るくて、そこは、助かります。だけど、日本と、日本人が失った信用は計り知れず、そう言う意味では、まじめな人間にとってほど、苦しくも忌まわしいのは、小保方事案の方でしょう。スケールが大きくて、日本と、日本人全体が、スタップ細胞の悪の投網にすっかり絡めとられてしまいましたからね。

 でも、誰も殺されていないから、明るいともいえ、それで、たった3ヶ月以内に、ほとんど、最終的な真実に達しました。

 比較すると、平成の八墓村事件は、くらいです。ただ、600人もの機動隊が動員された映像が出ました師。ものすごい大騒ぎで、報道されたのに、今、トンと静かになっています。それは、どうしてかというと、例の大権力者たち(=エージェントたち)が、NHKや、朝日新聞、日経新聞、読売新聞などに対して、「報道を抑えなさい」と内々に言っているからでしょう。自社の記者に対しては、部長とか局長という役職の人が、仕事の割り振りの段階でおさえるか、週刊誌等の雑誌では、編集段階で、編集長が抑えるか、をして、記事が表に出ない様に取り計らっているのだと、推察されます。

 そして、私が何かブログで、本質に迫る事を書くたびに、少しは、普通の事件の様子を見せてきます。そう言う軌道修正がないと、嘘の部分が結局露呈をするからです。

 2013年の、12月に、保見は精神鑑定の結果、裁判に耐えられるとの、報告が出たはずです。

*************

 だがそれ以来、4ヶ月もたつのに、裁判は行われません。これは例のエージェントたちが考えた脚本どおりには、事態が、進行していないことを示しています。この鎌倉市雪ノ下の我が家のご近所の人間たちが、あまりにもおっちょこちょいにも、事件後、48時間もたっていないのに、勝った勝ったと、大騒ぎをしたので、私があっさりと、事件の本質と目的をこのブログで、書いてしまったので、保見を見つけて逮捕せざるを得なくなったからです。

 保見に罪を擦り付けて、しかも、『保見は、ようとして見つからないという形においておきたかった』ことでしょう。

 でも、同じ流れは、繰り返されているのです。マルハニチロの事件も、2013年12月27日のご近所様の異常な動きで、すぐ、『これも諜略事件ですね』と、ブログで発表をしたので、迷走しました。後で、丁寧に検証しますが、安倍俊樹容疑者の、裁判も行われていませんね。あれほどのおお騒ぎを起こし、会社に大損害を与えたのですから、裁判は、起こされ、カレの詳細な動機やら、心構えが法廷で明らかにされないといけません。

*1、63歳の男(周南市)の遺体は見つからない筈。もし出てきたらそれは、偽モノのだろう。   2013-07-24 21:12:38 | 政治

*2、保見被告(替え玉?)が、精神鑑定でおかしいという事になったら、永遠に真実が封印されるだろう   2013-07-25 21:11:41 | 政治

*3、周南市の、重要参考人が、身柄を確保・・・・・・ドラマ激流(NHK)と、日本の天才の悲劇   2013-07-26 09:49:17 | 政治

*4、保見容疑者と、神田日勝との違い・・・・・(メンターの有る無し)△   2013-07-27 12:08:03 | 政治

*5、保見容疑者ー2・・・・・彼は、ロマンローラン言うところの、ピラミッド内部の石だった△   2013-07-28 19:35:58 | 政治

*6、保見容疑者の3・・・・・カラヴァッジョだって、殺人を犯していたのだったが?   2013-07-29 10:51:44 | 政治

*7毒入り餃子事件の裁判がなぜ、今(=発生・五年後)に、行われたか?   2013-07-30 19:59:19 | 政治

*8、保見容疑者の8・・・・・天皇の飯館村の工場をご視察(NHK放映)も、周南事件と関係がある。   2013-08-01 15:48:27 | 政治

*9保見容疑者ー9、 ・・・・・シリアで、銃撃された山本美香さんと、同じ傾向がある周南事件△   2013-08-04 02:16:57 | 政治

*10、O・ストーン監督、原爆資料館を見る・・・保見はなぜ、裸足で逮捕された?保見-10   2013-08-05 08:19:36 | 政治

*11、なぜ、安部総理は、10日間の休みを取ると言ったのに、すぐ取り消した?・・・保見の11  2013-08-11 18:36:07 | 政治

*12、佐々木彩アナの盛大な露出と、オスプレイ沖縄配備は、なぜ起きるのか・・保見ー12   2013-08-12 22:29:10 | 政治

 秋田書店の付録に不正があると、内部告発がでる。

*13、秋田書店の内部告発者、片山容疑者、保見容疑者、篠山紀信氏には、共通項が見える   2013-08-24 18:15:12 | 政治

イプシロンの打ち上げ失敗がここに来る

また、シリアで、サリンが使われたという事になり、シリアに対する化学兵器の正妻問題が起きる。

ここで、ロシアまで出てきて、シリアが、化学兵器を持っていることとなりロシアの仲介で、シリアは、査察団を受け入れることとなる。

*14保見容疑者、記憶の欠落があり、精神鑑定へ? 保見の13  2013-09-08 13:42:01 | 政治

*15、神田日勝・・・ゴッホ・・・藤田千彩・・・石塚雅彦・・・宮崎明子・・・立花隆・・・保見の15、前篇   2013-09-08 20:32:49 | 政治

*16、宮崎明子・・・石塚雅彦・・・小池玲子・・・ゴッホー中篇△△保見ー16、後編   2013-09-09 23:53:17 | 政治

 ここから、私は、三鷹ストーカー殺人事件に付いて主に書き始める。社会的には、大島町長が、大暴風雨の最中に留守をしていて、避難勧告を出さなかったために、39名が死亡する事が起きて、NHKがしつこく川島理史大島町長にインタビューを繰り返す。それは、井上ひさし、および、私のご近所の前田祝一氏が、共産党びいきだから、川島理史氏が共産党だから、そうなっている。

 この後でも、何度も書いているはずです。また、後日、それを見つけておきます。

 尚、このブログの、2010年より数え始めた伸べ訪問回数は、

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言語から見る日米文化の違い、錦織君のメンタリティ、笹井氏謀殺説、除染・中間貯蔵施設、セロトニン

2014-09-09 23:08:05 | Weblog
 今は、2014年の9月11日の夜8時ですが、下の文章の推敲加筆を終わりました。これは、二日目に、改題をしました。

副題1、『CONDUCTORと言う英語』

 数日前に、一本新幹線に関する文章をあげております。『新幹線の乗務員って、英語が完璧なんです。安心ですね。観光立国日本も、△△△』です。その中で、大変親切な男女の二人組にエレベーターの中で出会って、その男性の方が、新幹線の車掌だったと言う文章です。『私の御礼の言葉に対して男性の方が、何の反応も言葉では見せなかったのに、私を極めて強く凝視をしてきたので、私はてっきりその男性を中国人だと誤解してしまった』という話です。

 で、あの時、NEW TOKAIDO LINE が、新幹線の英訳だと言う事も、最初は、ピンとこなかったのですが、CONDUCTOR と言う役職が、車掌と日本語で、訳されている言葉に当たると言うことにも、気がつきませんでした。
 ただね。最初は、中国人だろうと誤解をした男性に対して、私が、「旅行客ですか?」とか、「滞在しているのですか」と、簡易な英語で、質問をしたときに、英語で、きっぱりと、見事な返事をくれた時、

 彼が日本の会社で、CONDUCTORと言う役職についているだけ事はわかりました。

 その時点で、完璧に中国人ではないのだと、はっきりしたのです。だって、中国の会社って、役職名が共産党風で、社長とは、言わないのですよね。トップがそうなら、下っ端も、課長とは言わないでしょう。

 でも、JR東海に勤めている男性だとは、最初には気がつかず、CONDUCTORが車掌を意味するとも気がつきませんでした。私は、その言葉を日本の課長にあてはめて考えていたのです。

 どうして、そういう風に考えたかと言うと、英語で、コンダクターと言う音を聞いたときに、私の脳裏に真っ先に浮かぶ日本語は、指揮者だからです。その男性をテレビで、見た事は過去にはなかったので指揮者ではないとは、分りました。

 大学院で、博士号をとっても、就職先がない、ポスドク問題が、日本にはありますが、そう言う立場にある男性が、英語で、堂々と、「私はドクターです」と、知らない人に向けて、名乗るでしょうか? いいえ、名乗らないでしょう。しかし、その時、その男性は、見事に堂々と、私はコンダクターですと名乗ったのですから、私は内心で、『ああ、彼は、課長さんなのでしょうね。どこかの部署を統括している』と、考えたのでした。

 しかし、ずっと20mぐらい一緒に歩いてきて、最後の、別れ際に、「僕は、新幹線の車掌です」と、その人がはっきり言ったので、『そうか、コンダクターは、車掌とも訳されているのだ』と、分った次第です。

 指揮者とは、オーケストラのメンバーを、統括して、ある曲の表現を一定方向へ導きます。
 車掌とは、乗客の状況と、運転の状況の両方を把握して、お客をある一定の目標駅まで、届けます。安全に。

 両方に共通するのは、対象をコントロールすると言う事です。だけど、日本語に翻訳されると、まるで、違った領域の違った職種を表す二つの言葉に分かれます。と言う事は『日本語の語彙は豊富だ』と言う事を、示しています。
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副題2、『英語の論文を読むのは、一見すると易しい』

 小保方ミステリーが突然終焉しています。とここで書くと、また復活するかもしれませんが、ここまで、ピタッと静かになると、笹井芳樹さんの自殺が、改めて『嘘だった』と感じますね。あれは、謀殺です。

 が、要するに、ここで言いたい事は、庶民が振り回されたあの事案では、NATUREという雑誌が庶民をだますために、利用されたと言う事です。つまり、小保方晴子さんの嘘の発見に、それを計画した裏の人間たちが、その嘘に、権威を与えるために、一部の、インテリ(理系)日本人たちが良く知っている雑誌として、それが、利用をされました。

 だが、本当の最先端の学術論文と言うのは、ああいうところには発表をされないのです。あれは、日本で言えば、ニュートンといった類であって、別の言葉で言えば、理系向けのAERAと言う類であって、学術論文の中で、人類にとって、重要だと考えられるものを、再録しているものであって、理系だが、その記事のテーマに関しては、専門分野の人ではなくて、素人だと言うたぐいの人に向けた雑誌なのです。

 でも、『そこに、論文が載りました』と大宣伝をされたわけですが、その秘密は、英語の論文は、実は語彙がやさしくて、その分野の専門家ではなくても、理解ができるという点にもあるでしょう。だから、そこに、小保方さんの論文が載っても、NATUREは、部数がたくさん出版できて、ビジネスが成立します。

 だが、外人の学者が英語で、新発見を発表する場合でも、最初は、NATUREではないはずです。必ずもっと地味な専門のる学術雑誌のはずです。ただし、学術雑誌はビジネスが成り立たないので、会員という形で、資金を出しているはずですが。だから、そういう雑誌は素人の目には触れません。となると、小保方さんの嘘発見の効果が上がりません。だから、NATUREが選ばれたのです。

 実はNATUREは、はっきりと嘘だと知っていて、別の目的があるのでよろしくと言われていたのかもしれません。だからこそ、笹井さん自殺の報道を受けて、きわめて気の毒だと思ったわけでしょう。裏がある黒い蜘蛛の巣に、からめ捕られて、自殺したと、考えて気の毒がってくれて哀悼の意を極めての瞬時対応として、表明しましたね。

 で、小保方問題から、英語で、論文を書くと、くろうと(=学者)と、素人(他分野を専門としているたとえばサラリーマンとか、学校の先生)との理解力の差が少ないのです。

 しかし、この二つの間の塀が、日本語だと、ひどく高いのです。と言うのも同じ意味の言葉でも、学術用語となると、日本語の場合は、ものすごく希少な言葉を使うからです。だが、英語だと普通の言葉w療養するので、過去の知識の蓄積量とは関係なく、誰でも、理解できるのです。
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副題3、『日本語の学術論文の難しさが、最も悪用をされた結果が、3.11です。それ以前もそれ以降も』

 3.11以降の、国の、処置に対しては、怒り心頭である私ですが、実は、被災者自身にも、責任があります。本当に正しい知識を持っていないのです。で、「除染をすれば自宅へ帰れるはずだ」なんて言う甘い、言葉に、希望を託したりしています。放射線と言うのは、目に見えません。で、自宅の周辺、直径50mぐらいを除染してもらって、その結果、「玄関前で測ったら線量が落ちていた」と、言われても、自宅玄関から、200m離れた田んぼとか、森林には、まだ、同じ量の死の灰(この言葉を使っていない事も、非常に怪しい、まやかしです)が残っていて、そのそばで働いたりすれば、被ばくするのです。だから、福島第一の周辺には、すまない方がいいのですよ。それは、仕方がない事なのです。「ふるさとが懐かしい」とか、「やはり、自宅で死にたい」という気持ちは、認めますが、それを、原発再開に利用をされている事を、忘れてはなりません。

 「錦織君の快挙の嬉しいニュースにひっつけて、ずいぶん暗い事を語るね」と、おっしゃる向きもあるでしょうが、これが、日本の現実です。川内原発を再開ですって。ありと、あらゆることに嘘と隠ぺいが続いているのに、まだ、目覚めない日本政府と、日本国民かと、残念に思いますが、そういう私も、別に、防御策を講じているわけではないのです。

 資産三億円以上を持っている人(それが意外に多いらしい)なら、タイとかニューヨークとかハワイとかに、マンションをすでに、買っている可能性はありますね。3600万円ぐらいで買えるそうですから。

 でもね、核燃料が発熱する仕組みとか、それが外へ出てしまったら、どうなるかとか、半減期の事とか、わかりやすい言葉を使って説明することは可能なのです。誰でも、分る話し方で、語る事は出来るのです。しかし、できるだけ、分りにくくしておいて、しかもお金漬けで、被災者を、国や、電力会社に、依存をさせて行って、核燃料の本質的な怖さを知らせない様にして、引き続き、核燃料を日本に売り付けようとしているわけです。
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副題4、『中間貯蔵施設って、除染で出た土を保管する場所なんですって。意外や意外でした』

 NHKニュースを録画して点検しているのですが、『肝心なことを伝えてくれていないなあ』と、思った事がたびたびあります。しかし、思いがけない別ルートから、真実を邸に入れる事が出来ます。
 その一つの例ですが、私が録画している時間帯ではなかったと思うのですが、いわゆる被災地の人々を主役にした、エッセイ風の映像の中に出てきた驚くべき映像でした。

 これから、中間貯蔵施設に保管する予定のゴミが映像として、初めて私の目に触れたのです。それは、短辺50mX長辺100mぐらいの長方形型の土地に集積されたごみ袋の山です。真新しい黒のビニール製のごみ袋の山です。

 中身は、除染で出た土だそうです。ずらっと、黒いビニール袋が並んでいる光景は、確かに、異常で、それを見ている男性が、「これが片付かない限り、復興も来ないから、私の地所が、中間貯蔵施設となるのを、我慢をする」という映像でした。

 それを見ていて、あっけにとられました。私が中間貯蔵施設に保管するものとして考えていたものとはまるで、ちがっていたからです。いえ、これを言うと福島県の浜通りの人に、ひどく、嫌われるとは思いますが、それでも、はっきりと言いましょう。私が中間貯蔵施設に、保管するものとして、想定していたものは、

 千葉県や、茨城県、そして、当時から、あまり報道をされていないが、東京都や、神奈川県の、焼却灰(それは、多量の死の灰=放射線を継続して発し続けるもの)を貯蔵するものと考えていたのです。埼玉県、群馬県、栃木県からのものも含みます。そして、実は静岡県や、山梨県でも、また反対方向で言えば、宮城県でも、それは、たまっているはずだし、岩手県や山形県でもたまっているかもしれません。

 こういう部分の情報については、菅直人元首相の時代には、とてもよく表に出て来ました。しかし、野田総理に代わってから、突然に、秘匿をされ始め、安倍総理大臣に代わってからも、引き続き、出てきません。だけど、たまっている筈なのです。各焼却場で。こういう事を考えるのはとても面倒くさい事です。うんざりする事です。
 でも、考えないといけません。ほとぼりが冷めたから、いつもの捨て場に捨てちゃったのでしょうか? こっそりと。そして、その焼却灰を運ぶトラックの運転手は、事情を知らされておらず、何も危険性を感じないで、運ぶし、運んだ先は、山の中だったり、海のう見立て予定地だったりして、近隣に人家がないので、誰も文句を言わないで、ひっそりと処理されたのでしょうか?

 日本のジャーナリズムはどうして、こういう事の後追い調査をしないのだろう。

 錦織君の快挙を考えている方がずっと、楽しいです。だが、英語と日本語の違いと、言うポイントから、言葉を操るマジックによって、もっとも、損を被っているのが、この日本国民だから、それは、ここで記録をしておきたいです。

 たとえば第5福竜丸事件の時に、使われた死の灰とか、ストロンチウムと言う言葉が今回一切使われませんでした。全く同じものなのです。
 ただね、経済界には、原発を稼働させないと、グローバリズム経済に乗り遅れ、日本が負け、弱体化するという意見が強い模様です。でもね。総理大臣が出席する広島と長崎の原爆投下記念日がある日本です。

 唯一の被爆国として、世界へ発信をして行くのなら、原発を世界中でやめましょうと、提案するべきです。ただし、これは、理想論です。国連でも、67年間、常任理事国に成れない日本ですね。非植民地国歌として、権利がない日本です。貶めらレ辱められている日本です。その日本が世界を主導して、トレンドを作って行くなどと言う事は、夢のまた夢ですね。
 蟷螂の斧の典型ですが、しかし、それが理想であり、最終地点であって、ここで、きちんと、発言をしておきたいです。

 ともかくそういう風にしておかないと、日本は、100年後には立ち行かない国になっているでしょう。今、54基原発があるわけですが津波ではなくても、50年後ぐらいから次々と故障が起きるはずで、今の様に被災者へのお金の手当てなどできなくなっているからです。
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副題5、『除染で出たごみを、中間貯蔵施設に捨てるとは、福島県民に、ダブって、何千億円も使うっていう事でしょう。安倍さんのお財布感覚は、あまりにもずさんでしょう。それって、国が、破産へ向かって急降下していると言うことと、同じではないですか?』

 私は除染で出たごみなど、ゴミだとも思っておりませんでした。何度も言っていますが、ある一家の周辺、直径50mぐらいを除染しても、100mのところから以遠に、核物質がある限り、そこが、健康上安全な場所とはとても言えないのです。

 もちろん、ある家の玄関で、線量を図れば低くなっているのが、目に見えるのかもしれません。だが、簡易な線量計です。すると、それで、はかれる物質が、たとえば、核の分子量が小さいもので、あって、遠くから届く放射線を計測できない者なのかもしれないのです。そうすると、「線量が低くなりましたよ」と言う結果を示されることを含めて、単なる子供だましとしての、かつ、一時しのぎとしての、除染でしかないです。

 ただし、それによって、土木関係の税金投下があって、仙台市ではベンツがバカ売れだそうです。

 私は石原慎太郎と言う人が、青嵐会とかを、作った過去があっても、内実は、勇気のない人だとみています。だから、息子の石原伸晃氏をも、ひいきしているわけではありません。

 ただ、石原伸晃氏が、前の環境相だったころ、この中間貯蔵施設について、浜通りの人々が、拒否をし続ける日々に、つい、いらいらしたのか、「最後は金目でしょう?」と、発言をしたことに対して、総たたき状態(炎上と今はいうのか?)が起きた時に、石原伸晃大臣よりも、取材して、記事を書く記者連中に対して、激しい怒りを感じました。当時はそれを書きませんでしたが、『なんて予定調和の方向へ向かって、馬鹿なニュースを作り上げているのだろう』と思って。

 脇から第三者として見ていると、石原大臣の言う事は当たっています。事前に投下された多額のお金で、ばかげた箱モノを作っている大熊町は、行政の失敗をきちんと、自ら認めないといけません。さらに今ここで、国家から莫大な補償金をもらうことになった自分たちは、いわば、実験動物として、飼い殺しになっていると言う自覚をお持ちにならないといけないのです。
 何を目的に?と言うと、核燃料は危険ではないと言う虚偽の方向での、宣伝のためにです。

 私が、こういう事をちらっと言い始めたら、急に反抗が収まって、次の日に、首相官邸に、佐藤知事と、二つの町の現町長がお訪れて、「中間貯蔵施設を受け入れます」と言いました。それほど、私のブログは強い力を持っています。

 ところで、私は被災民をいじめたくて、こういう事を言っているのではなくて、言葉のまやかしとマジックによって、さらに被災民たちが、その根源的なエネルギーを奪われ、お金漬けになっている事を問題にしているのです。
 福島県民に、真に向かうべき方向への人間としての覚せいを促したくて、こう、言っているのです。そして安倍内閣の胡乱なまやかしについても、日本国民が気が付き、批判の心を持ってほしいと思って語っているのです。
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副題6、『英語だと、庶民をだましにくいと思うが、そして、国民相互の平等性を、より高めているが、日本語の複雑さにもいいところがあるやもしれない』

 副題6の二重かっこ内に一文として書いた通りなのです。私は、日本の学界の、気取り主義、そして、『庶民と我々は違うのだ』と言う、スノビズムを嫌います。そして、それは、美術界にさえあるのです。そんな様子を見ていると、『最近の日本人って、なんて幼稚になってしまったのだろう』と思い至り、悲しんでいます。

 だけど、たかだか、歴史が300年ほどのアメリカと比較をすると、1500年程度は、文字に記録された歴史がわかっているこの国は、複雑な言語を紡いでいるのも道理です。

 その上、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットと、通常四種類の文字を入れ込んで、文章を書くので、呉善花さんが、ほめてくれた様に、複雑な事を表現しやすく、また、それを読み取り易いのかもしれません。

 これは、ひどく複雑な問題で、軽い判定はできないのですが、錦織君のメンタリティにおける、一種の単純さ、について言及するための、助走だったのですよ。
 日本語と、英語の違いと、言葉のまやかしにどっぷりつかっている福島県人、特に、大熊町と双葉町と、それ以外の、浜通りにある市町村に住む人に向かって、『大切なのは、お金ではなくて、精神の方なのですよ』と、改めて申し上げたいです。平常でもそうなのですが、ましてや大災害に、遭遇しているのです。精神を鍛えなくてなんとしよう。しかし、政府からのお金が、邪魔をしていると、見えてきますよ。
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副題7、『福井烈氏が、対ジョコヴィチ戦の前に、錦織君のメンタリティについて、言及していたが、それは、当たっていると思った』

 私は、錦織君のゲームがすべて、wowowの独占放映であって、一般の人が見られなかったのは、良い事だったと思います。スポーツの大試合の前に、大選手に密着する取材を行うと、必ず、当該選手がだめになるという結果を数多く見てきました。マラソンの野口みずき選手しかり、高梨さら選手しかり、本田選手しかりです。ともかく、メディアが注目をすると選手は、勝てないというケースを一杯みてきました。その点、今回は、そういう種類の密着取材もなかったし、試合の放映権も、WOWOW以外は、どこも取っていませんでした。だから、ラオニッチ選手戦までは、日本人のほとんどは、全米オープンが開催されている事さえ知らなかったでしょう。
 でも、それが良かったと思います。ただし、ジョコヴィッチ選手を破った後では、急に大騒ぎになりました。大変な集中ぶりで、『いやなことだなあ。これは、結果がまずいぞ』と思っていたら案の定、決勝戦で、今まで、5対2で勝っていたチリッチ選手に、3-0で、負けてしまいました。それまで、二試合も、フルセットまで持ち込み、4時間を超えていた錦織選手の、それまでの、面影はどこにも見られませんでした。

 これですが、錦織選手自身が、「決勝戦は、それまでとはまるで、ちがっていて、前夜もよく寝られなかったし、組み立てもうまくいかなかった」と、語っています。その種の変化を招いてしまったのは、日本からの言うに言われぬ、あおりの悪い意味での波及効果があったと、私は考えるのです。別に超常現象の信者ではないのですが、『これは、いやな現象だなあ。こういう事を重ねると、必ず、結果あ悪いぞ』と、思った事は、予想どおりになるのです。10月29日から有明コロシアムで、ジャパンオープンがあるので、その時、日本のマスコミ陣が今回と同じ様な対応をとると、また、錦織選手の結果が悪いと言うことになる可能性があります。

 これもまた、日本人が全体に幼稚になってしまった結果であり、マスコミ陣が、非常に低劣化している事の余波だと、言っていいでしょう。本当に大切な事を果実として得るためには、我慢するべきだと、もし、私が言っても、誰も聞かないだろうし、森喜郎元総理大臣が言っても、だれも聞かないでしょう。したがって、大切な錦織君の成績が、これから、今年一年間は、それほど、弾まないと言う可能性さえ出てきました。で、今年度中には、ランク8位が実現しないかもしれないのです。

 しかし、そう言う悪い予想を、ふっ飛ばす、明るい部分が、ひとつだけあります。それは、錦織君のメンタリティが日本人離れしているという部分です。
 それを、どこかのテレビ局で、福井烈さんが、お話をされていました。
 福井さんに言わせれば、

 「錦織君は、普通の日本人が持っている、自己を疑うと言う方向でのマイナス思考がないので、そこが救いなのです。そこがいいのです。普通の日本人は、大切な所で、ふと、という感じで、もしかすると、負けるのではないか?という感覚が、思い浮かんでしまうのです」となります。
 ここで、負け犬根性という言葉を、福井さんが使ったかどうかは、私は忘れましたが、その通りで、日本語が複雑な様に、日本人は、どうしてもあれこれ、考え過ぎてしまうのです。私なんか、それが、得意中の得意で、自分の事であれ、社会の事であれ、八方向ぐらいから、いろいろと、考えるのが好きなのです。だけど、こんな私はスポーツの試合に勝てるタイプではありません。
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副題8、『元モデルだと言うアフリカ系アメリカ人女性の、思考形式に驚かされた2000年のニューヨーク』

 私が2000年にニューヨークで使っていた工房は、非常に有名なものでしたが、斜陽でつぶれそうでした。広さは100坪を超えるワンフロアーで、古いビルではありますが、チェルシー(23rd st.)という、美術や、映画や放送界の人が集まる街で、しかもマンハッタンの中心部にありました。ウエスト9番地というのは、中心が一番地で、東と西に向かって、540番地ぐらいが、振ってありますから、本当に中心です。ビルは古いもので、家賃が、1100ドルという事でした。当時のレートで、13万円から14万円の間です。100坪近いワンフロアーを全部借りていて、14万円は安いと思います。それでも、それが、支払えないと言う事で、ボランティアで勤めている秘書さんが、苦労をしていました。

 私は臨時で入った人間ですが、土日も無く、毎日10時間そこに滞在しているので、いろいろな事がわかりました。版画工房というのは、家賃も支払い、版画を制作するのに使う備品も備え、それから、本当は機械類の買い替えをしないといけません。だから、ニュ-ヨークの中心でまともに運営をしようと思ったら運転資金が、最低でも、100万円は必要なはずです。機械類の事を考えないで、じり貧で終わって行くとしても、毎月、30万円は必要です。

 事務員などの人件費が、全部ボランティアで賄われているとしても、毎月、30万円は、必要です。
 備品は鉄のガロン缶に入っているものを、ペンキ屋で買うので、ひとつ20キロぐらいはあります。で、それを、彼女と私の細い細いコンビの女性二人で、買いに行くのです。そしてタクシーで持って帰ります。そういう道すがら、軽い会話を交わすのですが、困窮の極みにある、版画工房でも、悩みを一切語らないのです。私を警戒して、そういう風に構えていると言うよりも、問題に対して、取り組まないつもりではないかと思うほど、悩みや愚痴は、外に出さないのです。

 彼女は有名なモデルのナオミ・キャンベルとほとんど同じ体型で、しかも顔はもっと美しいのです。お子さんが中学生だと言う事で、お子さんを生む人生を選んだのだから、ナオミより穏やかな顔をしているわけでしょう。こんなつぶれそうな版画工房に、時間を注ぐ立場でもないでしょうが、その版画工房のトップがアフリカン系の文化人として、とても有名なロバートブラックバーン氏だから、彼が築いた、文化的拠点の灯を消したくなくて頑張っていると私は、思います。
 そう言う悩みの周辺にまでたどり着いているのです。家賃が、14万円なら、あれをこうして、これをこう改善したら、運営は成り立つと、私は提案したいのですが、彼女が相談をしかけてくれないので、それを提案するわけにもいかず、で、話す事がないので、「あなたはきれいね」と言いました。

 すると、彼女は、「ええ、親には感謝しているわ」と答えたのです。仰天をしました。場合が場合です。実は、私が去った9ヶ月後に、そこは、閉鎖されます。私が彼女をサポートしていた時期は、断末魔中の断末魔の時期だったのです。

 それなのに、あっけらかんと、『私は確かに、きれいよ。美人ですよ。それは、親の遺伝子が良かったのでしょうね』というわけですから、私は、本当に仰天しました。私の顔の表情の変化は、非常に鮮やからしくて、アメリカ人でも、それを敏感に感じ取って、反応を返してくる人には、すでに、何人にも出会っています。

 しかし、その秘書さんは、シャーシャーとして、「私は美人ですよ」といった後で、何のフォローの言葉も発しなかったのでした。その時にアメリカ人の典型としての、メンタリティを知りました。悩まない人としてのアメリカ人がそこにいたのです。

 日本人には、それが当り前である、他人に対しては、気を使って、出しゃばらないとか、上であると誇示しないとか、言う態度ではないのです。
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副題8、『中野信子さんが、セロトニンについて語っていたが』

 昨日、10日の夜の事です。7日の日曜日に録画しておいた日曜美術館を見ていました。それが、終わると自動的に同じチャンネル(この場合は、ETV)に、画面が移り変わります。それで、偶然のこととして、漱石の『こころ』について特集をしている番組を、ちら、ちらっと、見ることとなりました。

 夏目漱石の『こころ』が、総累計発行部数か、発売部数として、太宰治の『人間失格』と一位、二位を争っていて、今現在は、『こころ』の方が優位に立っているそうです。教養番組なのに、硬く見えない様に工夫をしていて、レストランで、会話すると言う形で、収録をしていました。高橋源一郎が出ていたので、彼を種々の理由から嫌う私は、その番組を、みるつもりはありませんでした。が、日曜美術館の録画を見ているので、自動的に、それを、見ることとなります。ちらっと、ですが、瞬間的に、五回ほど、それを見ました。その4回目ぐらいに、大変役に立つ情報が出てきました。

 最近、NHKのBSプレミアムで、放映している磯田道史氏の司会する『英雄たちの選択』の常連である中野信子さんが発言した事ですが、・・・・・日本人にはセロトニンが、アメリカ人の20倍ほど、脳内にある・・・・・・そうです。

 人間の行動のうち、積極的に出る方をつかさどるのが、ドーパミンらしいのですが、そちらは、アメリカ人に、多くて、日本人には少ないそうです。セロトニンは、控えめに行動する方向へつかさどる物質であって、それが、日本人の脳内には、アメリカ人の20倍はあるそうです。
 これは、初耳の情報でした。

 こういう情報が偶然に手に入る事を、私は『天の御助けがあった』と、思っているのです。その番組は、見ようと思って見ていたわけではありません。録画番組を消化中に得た情報でした。しかもその番組は、全体に、日本人の自己懐疑的な、一種の後ろ向き志向を、討論の対象としているのです。それを、制作時には、錦織君の大活躍はまだ起きておらず、出席者は、彼のメンタリティに対して、考察をしているわけではありません。でも、彼のポジティヴ思考が、日本人の遺伝子を持っていながらも、周りの文化に合わせて、もしかしたら、生理的にさえセロトニンの少ない脳になっているかもしれないのです。
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副題9、『だが、一番、問題なのは、政治である。日本が、被・植民地国家だから、日本人は委縮している』

 上にあげた脳科学者・中野信子さんの情報は大切です。だが、それが、15~20%の要因だとしても、やはり、現代日本を覆う政治状況は重要です。

 日本人の体を持った、堤未果さんが、アメリカの貧困について、岩波新書で語っています。アメリカにすみながらです。勇敢な事です。こういう風に変化するのです。アメリカに移住をすると。それは、アメリカが素敵というよりも、日本に住むと、いかに縛りが強いかという事を、表わしているのでしょう。

なお、このブログの2010年から数え始めた延べ訪問回数は、2443914です。
   2014年9月9日~11日にかけて書く。雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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