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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

次郎物語と、真央ちゃん(3)

2010-02-28 13:54:18 | Weblog
 お若い方は、ご存知が無いかなあ? 『次郎物語(下村湖人作)』という少年少女向け小説が、私が子供のころは大人気だったのです。

 そこから、真央・ヨナ問題を紐解いていきたいと思います。ただし、真央ちゃんが次女であるということが問題なのではなくて、国際関係に敷衍して考えたいから、この物語を最初におきました。

 『次郎物語』は最終的には、教育者となっていった著者の自伝的教養小説です。主人公は、地方の旧家に生まれた次男坊で、どうしてか、実家で両親に養育されることが無くて、外の貧しい乳母一家に預けられます。これが、もし、めかけの子(今の言葉で言う婚外子)であったりしたら、この小説は生まれなかったでしょう。
 本当の子供なのに、長男や三男にくらべて、どうして、自分だけが差別をされるのか・・・・・という不条理に泣く(読者も一緒につられます)物語なのです。
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 多分、長男に十分に目を掛けるための措置だったと考えられますが、こどもの方にはいわれない差別なので、非常に苦しみ、そこから脱却するために、修行を重ねるという物語です。
 テーマとしてはフランスの『にんじん』に似ていますが、こちらは何冊にもなる長編です。
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 次男にしろ、次女にしろ、家庭では不遇で、だからこそ、根性のある人間として育ちあがるのですが、その例は、堀文子さんの自伝『ホルトの木の下』でも顕著です。そして、そこからも、うかがえるように、長女または、長男という恵まれた位置のきょうだいは、最終段階まで、次女、または次男の苦労を理解することはできない模様です。

 ここで、急に国際関係になぞらえますが、現在の地球で長男の役目をしているのは、アメリカでしょう。そして、次男の役目をしているのが日本です。

 韓国は三男というよりも、四男か、五男という立場で、アメリカにとっては、ただ、かわいいという立場です。特に韓国が主因となって、アメリカの立場が、脅かされることは絶対にないと、大きな安心感を持って、処遇をされている国です。

 しかも最近では韓国からの若い家庭層の移民が、ニューヨークなどの都市に大量に入っていて、彼らは、次世代に高い教育を受けさせるので、アメリカの都市内で、存在感を増しています。

 一方で、日本は都市には、駐在員というエリートがいますが、彼らは結局は日本人として、日本へ帰ることを夢見ていますので、在米韓国人に比べると、存在感が薄く、かつ、戦前にわたった、二世、や、その子孫たちとはカラーが違うので、交わったり協力をすることが少ないのです。

 で、アメリカ本国においても、日本人は、今では韓国に、存在感において、負けているかもしれません。
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 でも、一番の問題は、日本という本国にあります。日本は別に悪いことをしているわけではありません。タダ、実力があるとみなされていて(いえ、本当にあるでしょう)

 しかもお金の面で、アメリカと強烈な関係があります。これが実のところ、かわいさあまってにくさ百倍というかなんと言うか、言うに言われない複雑な関係になっています。

 ヨーロッパの諸国もアメリカと貿易をしていると思いますが、そこで、買っている物品の金額は、比較すれば、少量少額でしょう。だから、金額の面からすれば、次男ではなくて、三男とか、四男の地位にあり、それゆえに、その動向がアメリカからは、看過されやすクなります。

 日本は、ジェット機、自衛隊が使う各種の武器、石油、原発燃料、小麦、米、牛肉、シャンプーやコカコーラなどの、化学製品・・・・・そして、米軍基地の運営費。

 これらのお金ですが、フランスなど、まず、ジェット機を自国で生産しようとしているし、武器も自国生産でしょう。それ以外の物についてですが、パリに三ヶ月滞在した経験から考えると、すべての面で、質素というか、なんと言うか、大量消費システムではないのです。おっとりした古い体質がいきていて、
 日本のように、東京、地方を問わず、

 あらゆるところで、スクラップアンドビルドで、ビルが建設をされているという風でもなくて、静かで、ものをあまり買わない生活(ただし、文化の蓄積は大きいのですよ。つまり)落ち着いた生活をしているというわけです。

 宣伝にあおられてものを買うことが無いのです。
 だから、日本が買っている大量の、物品の金額を総計すると、
 日本は次男に当たるでしょう。そして、警戒をされています。

 その警戒心の悪影響が、なんと、小さな真央ちゃんの双肩に降りかかってしまいました。不条理極まりないが、採点不利の本当の原因はそこにあります。

 お金が儲かる先という意味では、アメリカは決して日本を馬鹿にできず、その関係は、世界で第二位というほど、重要です。しかし、かの国は日本(と、日本人)をなめきっていて、精神の自由を許しません。
 その件は靖国神社参拝ということにもっとも顕著に現れていて、
 それ以外にも、なにか、日本人が独自であり、かつ、活気が出ることには、神経を尖らせて妨害すると言う傾向が続いています。
 靖国問題で勝ったと思っているからこそ、ありと、あらゆるところに、その手法の繰り返しが行われています。つまり、メディアを利用することです。本当のニュースではなくて、『こうなって欲しい』という方向で、メディアの記事を作ることです。
 
 真央・ヨナ採点疑惑問題は、その象徴だったでしょう。そして、私は、また、パソコンに大きな変調が起きたので、『自分のいっていることは正しい』と確信をしました。私が文章を書けない、または、書きにくくされるということは、私が正しいことを言っているから、国際軍産共同体は困るからなのでしょう。

 自分に対しても三年間に渡り、パソコンの不調以外にも、相当なことが行われてきていますので、真央ちゃんに、同じようなことがおきるのは、類推として想像ができるのです。アメリカにとって、実力が拮抗していて、しかも根性のある(それは、相当疑問でもありますが)警戒すべき次男の国の人間だから、トヨタの社長も、真央ちゃんも、ここで、圧迫をしておこう。ということ。

 そして、インフラの面で、大都会になってきている名古屋圏の出身ですよね。真央ちゃんって、だから、トヨタをたたくわけです。それが、無ければ往年の堤義明さんみたいに、それから、一時期の小泉さんと奥田さんの仲良しぶりみたいに、いうにいわれない威力とか、威厳があって、(これは、小沢幹事長みたいにマスコミが作り出したものではないのです。その人固有の持ち味というものです)

 その勢いで、不当なことが行われるのを、阻止できたでしょう。靖国参拝でがんばるからこそ、不当なことを阻止できたのです。比較して、鳩山さんの政治意識は非常に低くて(、表面でマスコミにそれが、たたかれることは、少ないが、戦後特に目立つ、究極の親米派なので、トヨタの社長に、「しっかり、謝ってください」とメッセージを送る始末です。
 だけど、ここで、繰り返しますが、もし、小沢幹事長が首相になったら、あっという間に、日本はもっと恐ろしい国となり、一部の特権階級(それは、小沢さんの子分となる踏絵を踏んだ人のみ)以外は、すさまじい苦境に立たされるでしょう。鳩山さんの方がまだ、普通です。人間として普通だから、そこがよいんですガね。

 一方でヨナ選手には、コーチ、もしくは韓国スケート連盟
を通じて、「世界があなたの味方だから」とささやいておけば、それだけで、気持ちが落ち着くというものです。

 真央ちゃんに、日本の権威ある存在から、3日前ぐらいに電話かメールで、「大丈夫、あなたは勝てますよ」といった人間がいるかしら。いませんよね。オリンピックという話題で記者会見でこれに、振られた石原都知事が、真央ちゃんの名前さえ挙げず、『痛々しくて見ていられない。これが、日本の実力だよ』という言葉は同情心にあふれていますが、真央ちゃんが、勝つことに対して、役にはたたないでしょう。ほかの権威は誰も発言をしません。私ごとき、ありのような小さな存在が、必死になって語るのみですが、

 もし、小渕首相が存命で、いらっしゃったら、例の『ぶっちフォン(首相が秘書官を通じず、直接国民に電話を掛けた事を指す)を真央ちゃんに掛けてあげたかもしれません。
 
 しかも、今回は、誰が電話を掛けても、『勝てる要素を、示す』ことができなかったでしょうね。何も日本側には、勝算が無いわけですから。

 これを、どうするかですが、私がその方針を示したりすると、私がまた、パソコンのことなどで、傷を負うので、皆様、おひとり、おひとりに、お考えをいただきたいところです。

 ただ、真央ちゃんが日本中に残した印象は深いです。だから、金メダルでなくても、人々は彼女をかわいいと思い、その姿から大いなる、美しいものと優れたものをいただいたでしょう。日本人の一人として、深く、感謝申し上げておきます。

 なおこれは、エキジビションを見る前に書きました。真央ちゃんには、もう、キムヨナ選手と一緒にパンとサーカスの現場に立たせるのは忍びないほどですが・・・・・      

なお、前日(2010年2月27日から、28日に掛けてアップした文章の中)で申し上げた個展ですが、上に上げたような猫の写真も展示します。専門の抽象画とともに。どうか、よろしく。                  2010年2月28日   雨宮 舜 
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美空ひばりの、黒紋付の、入学式を、大切なものとして思い出す。

2010-02-27 17:01:04 | Weblog
 最近、美空ひばりの評価がとても高いと思います。

 それが、どうして、頭にふと浮かんだかという連想は省きます。

 しかし、私は長い間、彼女が嫌いでした。ちょっと、年上だと思いますが、横浜の人です。磯子というところの出身で、一時、磯子プリンスホテル(今は無くなっている?)のあった辺りの岡の上に大邸宅があるという話で、それを、なんとなく、違和感をもって、知人(または、友人)たちと、話し合っていたものです。

 ステージママにあおられている、なんだか、奇妙な存在だという認識でした。ところが彼女は、母君が亡くなってから、非常に変わります。すべての面で洗練をされてきて、かつ、考え悩む人であるという側面が、現れてきます。それ以前の、威張りかえっているスターというイメージから、どんどんと、変わってきたのです。

 十分すぎるぐらいに、人間的な人でもあり、かつ優等生でもある人へと、変化してきたのです。そのひとつが甥を、養子になさったことでしょう。

 今でも忘れられない写真があります。週刊誌に出ていたのですが、彼女が黒紋付の羽織を、色留袖、または、付け下げの上に着て、小学校の、入学式に出席している姿です。

 『あれっ』と思いました。同級生のママたちから比べれば、相当年上のお母さんです。そのことを坊や自身とか、ひばりさん自身が違和感を持たないのだろうか? とか、同級生のママたちが違和感を持たないのだろうか? と思って。
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 実際のところ、すべての人は違和感を持ったと思います。だけど、それを彼女は、押し通しました。それが、今、すばらしい結実を見せています。意地悪な表現で言えば、<坊やは、母の遺産で生きている>ともいえます。だけど、別の言葉で言えば、坊やが、成人して、母の著作権とか肖像権とかを守り、かつ、いわゆる露出という側面を管理していると、思われ、それが、幸いしています。適宜な時間的な間隔で、話題になるように、アレンジしているとも思われます。それが、彼女の芸術家としての命を永らえさせています。

 亡くなってしまった母ですが、それだからこそ、大切だという感覚が坊や(息子さん)の方にあるような気がします。実の親子だと、こういう作業は照れて、結構できないことかもしれませんが、偉人としての母を守るという姿勢が息子さんの方にあります。適宜な距離感があるから、できることのような気がします。

 となると、この養子縁組は、大成功したものでしょう。だけど、同時進行的に、芸能ニュースをちらちらと、傍見してきた人間から見ると、そんな遠い将来を見据えてしたことではなくて、ただ、この甥を守るために、美空ひばりが単純な今の目の前を大切にして決断をされたことのように思えます。
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 ここで、ちょっとしたお断りですが、私は最近では、有名人にも敬称をつけてきました。しかし、彼女はあまりに有名で、一種の記号化していて、さんをつけると違和感がそれこそ生まれるので、ここで、<美空ひばり>と敬称抜きで呼びますが、生きているときよりも死後に、その心ばえの美しさが、露呈してきている人です。
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 美空ひばりという人は、他人が類推すると、兄弟関係から見れば『一将、功なって、万骨枯る』の典型です。母君は彼女に付きっ切りで、全国を回っていたので、兄弟のことはほうったらかしだったでしょう。そのことを長女としての彼女は、きっと、(心の中で)、すまないと思っていたのです。

 単に自分の家、(今は横浜ではなくて、東京にあるはずですが、引き続き、豪邸だと思います)を安全に残すための、養子ではないでしょう。

 ぼうやを守るということを、純粋な目的として、彼女は、ご自分のスター生活のイメージに逆らってまで、黒紋付(羽織)を着ることを、辞さなかったと思われます。

 あの時は、『変だぞ。これ』と思ったことが、今では、とても、美しいことだったと、しみじみ思われます。

 ある人物に対して、社会からの評価が変わることは、このように、起こりえます。反対に評価が落ちて、忘れ去られる有名人もあるでしょう。ただ、歴史的な事実、(たとえば、サトウハチロウが、小学生時代の美空ひばりを見て、なんと言ったかとか、そういうもの)は、消し去るべきでもないでしょう。

 どんな、小さなことでも、事実とか、思い出が、一方向に集約するのは嫌いです。この場合は<美空ひばりは、ディーヴァとして、すべてが完璧だった>言う方向に集約され、それ以外の事実が、消し去られることが、いやなのです。最後はさびしい悲しさの中に、亡くなったと思われ、そういう真実をもきちんと、伝えられるべきでしょう。スターであることの厳しさの中に生きた人なのでもあります。<ちあきなおみ>が完璧に引退して、その後の一切を公開していないのも、ひとつには、美空ひばりの壮絶な生き様を、『自分には向いていない』と考えたからかもしれないのです。

 すべてが資料として残して、おかれるのを、私は好みます。坊やにとっておいてくださいとお願いするのではなくて、社会が一方向へ流れすぎるのを好まないのです。
   
 そのほうが本当の、生きやすい世の中を作ると信じているからです。
           では、2010年2月25日、午前、2時半   雨宮 舜
        送るのは27日に

ところで私は4月5日から銀座の

 exhibit Live & Moris gallery というところで個展をいたします。どうかよろしく。
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真央ちゃん、かわいそう!!!、猫も同情しています

2010-02-27 01:46:17 | Weblog
 私はきょうアップする予定の文章を既に作ってあります。

 そして、それを粛々と冷静にアップする予定でした。

 しかし、真央ちゃんがかわいそうで、やはり、ひとこと、伸べたいと思います。

 私は今日は外出していたのですが、出先で、大勢の人と、一緒にテレビを見ました。
 キム選手の演技が終わったときに、周りの人々は、「え、そんなに高い点だった?」と驚きの声を上げ、真央ちゃんの演技が終わったときに、言うにいわれぬ、複雑な感情が周りを支配しました。(#1)
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 私が真央ちゃんに言いたいことは、神様は見ていらっしゃるからね。あなたにはきっと別のところで、幸運を恵んでくださいますよということです。人生にはいろいろあります。女性だったら、よいパートナーとの出会いとか、よい子に恵まれるとか?

 オリンピックだけがあなたの人生ではない。それは、実はパンとサーカス〈ローマ帝国でカエサルが、「大衆にはパンとサーカスを与えよ」といったから、それを語源としている。大衆を知的に発達させないがための手段)の一種で、大勢の人の娯楽のためでもあるのです。それに対して、・・・あなたが渾身の力をかけて、・・・身をすり減らして・・・奉仕したことに対して、どこかで、神様は帳尻を合わせてくださるはずです。

 それについては予測をしないでおきましょうね。それは、天の采配に任せましょう。
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 ところで、外野席について、二言三言付け加えましょう。
 上に#1とあげましたのは普通の人の感想です。

 #2、==は、石原都知事の感想です。どこかのウエブニュースが記者会見の様子を再録していましたが、石原都知事は、見ていられないそうです。あえて真央ちゃんという名前は出ず、日本選手というくくりでおっしゃっていたが、痛々しくて見ていられないそうです。

 これも、普通の日本人の外野席の本音のひとつでしょう。

 #3、==2チャンネルで、キム選手の演技の放映と同時進行的に、「こけろ、こけろ」という大合唱がおこっていたそうです。まあ、はしたないといえば言えるが、これも、庶民の本音でありましょう。

 #4、==朝日新聞の朝刊の社会面で、キム・ヨナ選手へのオマージュ記事が大きく出ていて、真央ちゃんについては何も書いてありませんでした。日経では二人が対等に出ていましたが、それを知るのは、私にとっては夜でした。主人が、オフィスへ持っていってしまうので、朝日新聞しか手元にありません。だから、それを見た途端に、気分が悪くなりました。

 1998年から、2005年ぐらいまで、絵や版画のことで一生懸命でテレビも見ないし、新聞も読まなかった日々があって、あの時代を幸せなものだったと、懐かしく思ったほどです。

 『これは、既に、ヨナ選手が金を取ることを、朝日新聞側は知っていて、国民にそれを、納得させるために、作られている記事であろうかなあ?』と思いました。へえ、ここまで露骨なの? これが、日本人が作って、日本人向けに売っている新聞なの? 私はお金を出していないけれど』と、本当に驚きました。

 #5、==新聞を比較してみたくて、主人に電話で持って帰ってくださいと頼んでおいた、日経新聞を、夜の10時半過ぎに帰ってきて、点検しました。そちらは、国母選手の時は朝日と瓜二つのオマージュが並んでいましたが、今回は異なっていて、まあ、普通の書き方だったので、ちょっと、ほっとしたところです。

 #6、==大勢の人と一緒に見ていたテレビですが、真央ちゃんが、演技を終えた時に、突然にキムヨナ選手のインタビューが入りました。普通はこういう順序ではありません。4、5分後で、しかも重要な映像が無いとき、たとえば、6人ごとに氷を整える作業が行われますが、その際に、ピックアップされた、選手が、インタビューに応じるだけです。または、6人ごとに、短い時間だけアップ(準備運動)するときに、インタビューが行われます。

 エチケット違反の、番組構成ですが、キムヨナ選手が、ちょっとニヤニヤするような感じで、マイクに向かおうとしたら、後ろから、「もう、私が金メダルよって言う感じて威張っていて、いやあね」という声が聞こえました。確かにこのときはまだ、メダル確定をしていないタイミングですし、少し体が揺らいだ真央ちゃんが、青ざめた感じで、しかも、得点が低いのを知って、さらに、衝撃を受けている傍らで、堂々と、しかもニヤニヤした感じて、インタビューを受けているのは、惻隠の情というものとは、まったく無縁な態度です。

 まあ、韓国の国民性の中には、惻隠の情というのは無いのでしょう。日本人は、鎖国時代の平和が寄与しているので、おっとりしているところがありますので、弱いものをさらに叩くのは、非常に嫌がる姿勢です。

 #7、==で、事後のマスコミは、キム・ヨナ選手も泣いたと大騒ぎです。その方が同時進行的にライブで見ていなかった大衆を騙せるから。キム・ヨナ選手を嫌いに成らないで済むと考えられているのでしょう。毒々しい言い方ではありますが、いろいろな工作が行われているのが、見え見えなので、ここでは、はっきりといっておきましょう。

 goo news のトップ頁で、加藤裕子さんの『暇だね英語』(もと頁は、ニュースな英語というタイトル)という結構長い記事が毎週金曜日にアメリカから配信をされ、
 私はそれを大抵読むのですが、彼女もそれに触れていました。でも、アメリカに住んでいる、加藤さんでも、真央ちゃんの涙と、金選手の涙の質が全然違っていることは知っていて、指摘をしています。

 #8、==その加藤裕子さんの記事の中で、女子の成績は、男子と同じ傾向で審査が行われたといっています。プルシェンコ選手は抗議した模様ですが、・・・・・難易度の高い技で勝負をかけるよりも、難易度は低くても安定して、演技を終えた選手が好成績であったと言うこと・・・・・です。

 彼女も私も、別に審査員の資格を持っていないので、それを、どうの、こうのとはいえません。しかし、伊藤みどりちゃんのころは、彼女は背が低くて、そして、全体に子供っぽい雰囲気の少女でしたから、難易度だけで、好成績になっていたのです。

 今、真央ちゃんがバッシングに近い措置を受けているのは、スタイルがよすぎるからです。体が細くて、背も高くて、手足も長いです。だから、あらゆることに見栄えがします。すごく美しく見えます。だからこそ、素直に見れば、それほどの、差が出るようには思えないので、余計バッシングを受けるのです。キム選手が、勝てるように、一人の審査員につき、昨日は一点ずつぐらい、今日は、一点以上の差をつけた、採点が、最初から行われていたと感じます。
 そこに、真央ちゃんの体が、ちょっとですが、ゆらぐ、という現象が起こりました。だから、問答無用で、差が生きてきました。むしろ自然に見えるように結果としてなってきました。これはかわいそうだったが、真央ちゃんに対する天の助けだったかもしれません。

 真央ちゃんの演技には、加藤裕子さんも言っているように、どこか、人の心を打つ雰囲気があります。その全体の表現は点数で、それほど、キム選手との差があるとは、素直な、心からは見えません。会場の観客にも見えなかったのではないかなあ?

 真央ちゃんの点がついたときに、ちょっとですが、ブーイングに近い雰囲気も起きたのを感じました。ただ、ロシェっト選手が、直後、リンクに入ったので、そちらに対する大声援が起きて、真央ちゃんの点数に対する、ブーイングの雰囲気は一瞬にして消えました。

 真央ちゃんは、競技生活が長くて、会場のお客さんの反応にはよくなれているでしょうから、自分がちょっと失敗したのもわかっているが、観客の心を打つパフォーマンスをしたことも良くわかっているでしょう。

 もし、あの揺らぎが無くて、完璧な演技をして、そして、負けたのだったら、それは、悲しくて悲しくて、たまらないことだったと思います。あの小さな揺らぎがあってよかった。かわいそうだけど、そこに、天の恵みもありました。どうしても、いや、どんなによい演技をしても、勝てなかったのです。

 ね、朝から、朝日新聞がヨナ選手の大オマージュを社会面に登場させているのです。前々から勝てない仕組みになっていたのです。かわいそうに。だから、四年後のオリンピックを目指すよりも、プロに入ったほうがよいかなあ? 素人の私にはわからないし、ひとえに真央ちゃんに掛かっている決意ですが、こんな、状況で、さらに、試練に、さらさせるのはかわいそう過ぎます。
 
 #==9 お人形の久月が、毎年、話題の雛を作ります。その一バージョンとして、『親が、娘に、そうなって欲しい有名人』というのがあるそうで、アンケート結果の今年の一位は真央ちゃんではなかったそうですが、それでも、久月は、今年の、その部門の代表として、真央ちゃん顔のお雛様を作ったのですが、
 それのできばえがあまりにも優れているので、夕刊フジ、原・発信、かく、ウエブニューストップ頁を通じて、25、26日にかけて、配信をされました。

 すべて、天与、天賦の才のある、天才というのは、上品です。

 15歳の時の女性週刊誌〈光文社)上のいじめとは、親の職業に関したものです。それは、真央ちゃんご自身には、まったく関係ないことです。真央ちゃんは、天与の気品があります。それを、いじめで汚されてはなりません。もう、競技生活を終えたほうがよいくらいです。すべては、真央ちゃんに掛かっている決意ですが、ご両親や、コーチとかが、追い立てるのは止めて欲しいし、ましてや、JOCの役員などが、それを、薦めたり追い立てたりするのは止めて欲しいです。
 
 #==10 上の加藤裕子さんの記事ですが、よく海外メディアを読み込んでおられて、それを、伝えてくれます。海外メディアは、まったくキム選手オンリーという、もてはやし方のようです。ニューヨークタイムスは、「浅田選手は石のようだ」とか・・・・・

 これは朝日新聞と同じ傾向です。だから、朝日新聞は、グローバリズムの極地にあるわけです。国民の心や、浅田選手の心身を引きちぎっても、そこにお勤めのサラリーマンとしての皆様は、生活が安泰だというわけです。世界のトップ・ジャーナリズムと傾向が同じなのですから・・・・・

 私がこの件で沈んでいると、猫が寄り添ってくれます。猫だって、惻隠の情というものを知っています。日本の猫はね。・・・・・ただ、急に思い出したアメリカの猫がいます。

 私が、2000年の9月のある日、ニューヨークで、半・地下室が暑いので、ほとんど裸に近い格好で、メルマガを、作っていたら、猫が玄関ドアから覗いているのです。黒い子猫、

 『うわあー、まるで、宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの世界だわ』と、大喜びで、その猫を追って、玄関ドアを出た途端に、ドアを開放させている90度の角度が崩れて、自動ドアが閉まってしまったのです。

 真っ暗な中で、裸に近い格好です。ちゃんと、服を着ていたり、お財布を持って出ていたら、大丈夫なのですが、〈地下鉄が24時間動いているので、なんとかなるが)ライトも無ければ、パソコンも本も無い形で、外に居なくてはならず、本当に往生しました。

 その原因を作った猫は、ちっとも同情をしてくれなかったのですが、日本の猫は同情してくれます。私の表情を通じて、きっと真央ちゃんの悲しみも理解をしていることでしょう。
 では、今日はここで。
      2010年2月27日早朝                 雨宮舜
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サッカーワールドカップ、日韓共同開催へ動いた(?)成田豊氏(?)

2010-02-25 21:09:08 | Weblog
 最近の私は、インターネット・サーフィンによって驚くべき事実に、連続して、接しています。この前、日本ペンクラブの講演会直前の調査によって、本当に驚いたのは、週刊朝日にコラムを持っている、佐○ 信という評論家が、在日で、しかも日本へ帰化した人であるという、情報です。ほかにも驚いたことは数々ありますが、この情報には心底驚きました。佐○信氏は、週刊朝日で、年間50本を超えるコラムを書いて、普通の善良なる日本人を、教え導いている存在ですから、彼が、在日で、帰化人であり、裏側で、ハン〈恨)の発想を抱いて、日本人を教え導いていたとしたら、それは、大変なこととなります。

 梁石日氏、姜尚中氏、呉善花氏などは、ご立派です。考え方が落ち着いていて、態度も、好戦的でも挑発的でもないです。日本という、戦後は、豊かで、安定していた、治安のよい国でその人の能力さえ高ければ、仕事上の自由が得られるということを実証した人たちで、ご立派です。尊敬しています。

 しかし、佐○信氏は、週刊朝日と、大勢の人がそれを見ている可能性のあるテレビ以外では、驚くべき低劣な発言を繰り返している人です。小沢幹事長を大切にする恐ろしい、鬼たちが、出てくるばかげたホーム頁に言葉を寄せたり、ご自分の顔を載せたり、

 日比谷野外音楽堂の何らかの会合で、「ひどいやり方で、天皇を、からかった」のでそれを聞いていた普通の庶民が、『驚いて、抗議をした』そうで、それは、新聞記事にさえなったほどです。ここで、本当は本名を言いたいが、その人が帰化人であるという情報は、現在一種のタブーなので、名前を、半分出して、後は読者に、本当は誰の事を指すのかを、ご想像をいただきたいのですが、

 そのとき、同時に下品な言動で大騒ぎをしたのが、
 永△輔、□山千夏など、の芸能人でした。芸能人は、どうせ、奇抜なことをして自分を売り込む人たちだから、仕方がないと思うところもあります。が、政治評論家の佐○信氏が、下品な暴言で天皇をからかってはいけません。帰化した日本人であっても、日本という国の恩恵を受けているのですから、・・・・・それは、私のようにお金を出して何回も週刊朝日を買った人間を・・・・・・大きくも、騙していること・・・・・・と成りますし・・・・・税金で運営をされている健康保険等も、ご利用になっていると思うので、そういう国家の象徴たる、天皇をからかってはいけません。

 週刊朝日は、この事件の後、彼の連載を止めさせなかった模様ですが、もとより、朝日新聞は、日本人を、被・植民地化しようとしている人たちに迎合をしているメディアですから、仕方がありませんが、今日・大・問題にしたいのは、普段は庶民にその姿が見えない・電通・現・顧問である、成田豊氏の驚くべき行為の数々のことです。それについては、後から開始します。

 ただ、驚きましたよ。本当に、驚きました。日本ペンクラブ、女性向け講演会の事前に調査したことからは、さまざまな事実が浮かび上がってきて、大変助かりました。
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 本年、2010年のお正月は、NHKの教育チャンネルは、長時間をかけて連日、日韓関係の150年を検証するという番組を流していました。私は、3日ぐらい、午前一時まで見ていました。そして、良い番組で、ここまで両国が冷静に研究できるようになったのは良いことだとは思いました。

 しかし、こういう番組をお正月特番として流す意味と言うか、その裏には何があるのだろうと、考え込んだのも確かです。

 今現在の日本の有力政治家の中で、在日、帰化系の人が多いことを、その番組を見る前から知っていました。芸能界とスポーツ界を席巻しているだけではなかったのです。

 そして、在日外国人の参政権を許すという法案が出ています。
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 いや、在日韓国人は、ガッツがあるはずです。だから、出世したというのが、定説です。しかし、佐○信氏のようなケースはすこぶる困ります。黒い髪で、黒い瞳です。私たちは彼を日本人と信じて疑いません。

 しかし、心の中でハン=恨(戦時中に創氏改名を迫られた屈辱を忘れない、人たちです)の発想を持って、日本の財が奪われ、財界がつぶれるように動き回ってもらうと困るのです。それは、結局のところ、壮年の男子の給料を引き下げ、日本人が住みにくく、さらになっていく傾向を強めます。

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 でも、今回、浅田真央選手の採点疑惑〈イコール、キム・ヨナ選手がよすぎたということ)に接して、初めて、電通顧問成田豊氏という、ビジネスマンが、大の韓国びいきだと知りました。

 FIFAワールドカップサッカー大会の開催は、1986年ごろから日本が候補として名乗りを上げていました。そして、正式な招致委員会は、1989年に創設されました。それなのに、1993年になって、韓国が突然に名乗りを上げ、割り込んできて、投票日前日の、1996年の五月、パーティの会場で、拍手のみで、突然に日韓共同開催を、決定し、それを、日本代表のホテルに、ファックスでのみ送りつけたという屈辱的な結果を、浴びました。これは例の江川選手の、空白の一日と同じ手法です。成田氏が、それをまねするように、FIFAのトップを説きつけたら、あり得る話でしょう。

 実は、韓国はこの1996年ごろから、2002年にかけて、経済的に破綻をして、ワールドカップ用の競技場の建設費が無かったので、日本が差し上げたのです。あくまでも、あくまでも、善良すぎる日本人です。だから、韓国人は、腹の中でせせり笑っているでしょう。『日本人という超がつくほどの、お人よしめ、どこまでも利用をしてやるぞ』と思って。その典型が、文鮮明・統一教会会長ですが、・・・・・・その人については、現在は飛ばして・・・・・・

 そして、実際の大会が、2002年に始まると、なんと開会式が韓国へ持っていかれたのです。そして、呼称も、KOREA・JAPANと、日本が後回しにされました。

 閉会式は日本で行われましたが、この手のイヴェントは開会式が花なのです。そこに各国の代表選手が集まり、各国のVIPも参加します。

 この大会は、お金だけ日本が出して、面子をつぶされきった大会でした。その裏に、成田豊氏の暗躍があったとのことです。私は、もちろんのこと、この経過の一切が、日本人を辱め、その心に冷水を浴びせかけ、メランコリーへさせていく流れだと考えておりました。だけど、こういう現象こそ、日本が被・植民地国であることの表れだから、本当にひどい話だ。いつか、ガンジーよ現れて救済して欲しい。などと、考えていましたが、上記の経過は、白人たちが、密室で行ったことだと想像をしていたのです。

 しかし、違いました。日本人、しかも、大企業のトップが、行っていたのです。芸能界スポーツ界、政界、そして、財界まで、日本は、元、在日で、現在は日本人として帰化している人によって、牛耳られていたのです。成田豊氏は、いわゆる帰化人ではありません。戦前から日本人として、朝鮮で暮らしていた人です。

 しかし、どうして、こういう動き(1は、浅田真央選手を、その15歳という年齢で、誹謗中傷をするとか、2は、FIFAワールドカップの主催形式で、あらゆる意味で、日本を韓国の下に置くという措置を強行するなど)をするのかが不思議で、たまりません。

 ある仮説によると、戦時中に創氏改名した人ではないかともあります。ともかく、東大卒の頭のよい人で、しかも電通マンですから、心理操作のベテランです。広告宣伝というのは大衆を、乗せ切って、買わせるのが、趣旨ですから、心理操作については習熟しきっているはずの人です。そういう人間が、日本人の心を暗くしてやろう、暗くしてやろうと、動いたら、何も知らない、普通の日本の庶民は、本当にたまりません。

 しかも、武器として視聴率とか、新聞広告とか、また、それと関連して知り合った、新聞記者やテレビプロデューサーの耳元でささやくなどという作戦をとられたら、日本人はいいように料理されてしまいます。

 今はまだ、なぞが解けませんが、いずれなぞが解ける日もやってくるでしょう。

 さて、私が言っていることのひとつの傍証があります。

 それは、グーグルの検索で現れる、WIKIPEDIA のうち、CIAが関与している項目は見事なほど、「現在は書き込みができません』と、成っていることです。つまり、彼らの正面史は公開してよいが、裏面史を公開されると困るからでしょう。
 
 FIFAワールドカップ開催国という項目では、今、2010-2-25の21:00には、何も制限が無くて無事に開きます。ところが、その一番下に入っていって、
 2002年日韓という項目をワン・クリックすると、あらたに、日韓共同開催の項目が現れますが、それは、書込み禁止になっています。だから、このワールドカップ開催は、CIA側が、はっきりと、自らの関与を認めている現象なのです。


 あのね、私がこんなことを述べても、在日を軽蔑して、この問題を、取り上げているのではありません。彼らが、心中にひそかにハン〈恨)の発想を抱いていて、この国を悪くするのを望んでいると言うことが、問題なのです。いかにも日本人であるかのごとく、装って、本当はエイリアンのごとく、内部から、この国を弱くして、その国民から、数千億円を吸い取る、それを、安全にかつ永久に、続けるためには、日本人はおとなしく、かつ、我慢強くあってくれればそれで良く、元気で誇り高いと、困るから、工夫の限りを尽くして、支配しようとしていますが、その場合に、帰化した日本人(しかも、ハンの思想を内包している韓国系)に支配させるのが、一番、騙しやすい方法だからです。

 手玉に取りやすい方法だからです。では、22010年2月25日、 雨宮 舜

 これは、日本を支配をしている、コングロマリット側にとっては、すばらしいアイデアだと思われていることでしょう。
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真央選手から、成田豊氏(電通顧問)に到る(視聴率は捏造?)

2010-02-24 15:40:44 | Weblog

 本日、私は珍しく昼間からテレビを見ていました。フィギュアーの女子を同時中継としてみていたのです。結果はNHKニュース他で、皆様もごらんいただけますが、採点に関して疑問がありました。フィギュアーのことだけではなくて、さまざまなほかの社会現象と、リンクして考えると、疑問が確定的に広がりました。

 そこで、これもまた、生涯初めてのことでしたが、浅田真央選手に関して、インターネットサーフィンをしたのです。すると早い、早い。みなさん、同じ考えらしくて、早くも、『おかしい、変だ』という意見が、ウエブ上で飛び交い始めました。

 しかし、私にとって、特に大切なことは、これをきっかけとして、もっともっと、驚くべき新知識に到達したことです。

 電通の社長を長らくしていらっしゃって、今は顧問の位置にある、成田豊氏の来歴を知ったことです。中学三年まで朝鮮で育ったということ。東大を受験して、浪人後、合格する前後にして、家が破産をして、父君と弟さんは、炭鉱で働いたとのこと。

 以上は日経新聞紙上の『私の履歴書』内で書いていらっしゃったことのようです。伝聞ですが。

 この成田豊氏が異常とも言われるほどの、KOREAN(これは、南北に分かれる前の朝鮮というか、全土にわたる朝鮮系という意味で、言葉を使います)びいきで、

 キム・ヨナ選手を勝たせるために、浅田真央選手に対する、バッシングを仕掛けた可能性があるとの情報・・・・・・これに、今日は本当に驚いたのです。ウエブサイト上では、どういういじめがあったかが詳細に出ていましたが、ちょっと、それにはここでは、触れません。
~~~~~~~~~~

 ただ、浅田選手が、非常にすばらしい演技を見せたのは、トリノ・オリンピックの直前であり、そのときに、急に16歳以上の新ルールができて、彼女が出場できなくなったのは記憶に新しいです。

 これも、問題ですが、騒ぐと彼女に不利になると考えて、私は何も騒がなかったのですが、フィギュアーの世界は、すぐ、新ルールができて、世界のコングロマリットの他国支配の、道具として、利用をされているのも知っていました。四年前から知っていたのです。

 が、今回は、タラソワコーチが見放した(実際には、いろいろ、真央ちゃんが迷うような指導をしたうえで、最終段階では、付き添いなしになった)上に、今回のショートプログラムの採点疑惑です。

 真央ちゃんがかわいそうですが、天使のような笑顔で、がんばって欲しいものです。天というか、神様はきちんとごらんになっておられますので、それを信じてフリーに取り組んでくださいませ。・・・・・
~~~~~~~~~~~

 ところで、いまわしいバッシングとは、光文社の女性雑誌、に出ていた記事が問題ですが、それを仕掛けた存在が、成田豊氏らしいという伝聞も、ウエブ上で知りました。

 『ほーっ』と驚いて、さらに詳しく、電通やら、成田豊氏について調べると、『なるほど。なるほど』ということばかりです。

 それを、全部述べると、長くなりすぎますので、ここでは、『視聴率が、怪しい』というポイントを、強調しておきたいと考えます。あれは、日本全国にサンプル家庭があるわけではなくて、サンプル数もはっきり公開をされているわけでもないという話です。

 昔からそうですが、・・・・・いわゆる、庶民が諸手を挙げて、賛成したり好評を与えるような番組が、低視聴率だ・・・・・と発表をされるときがあり、それが妖しい(または、怪しい)と思っておりましたが、成田氏が、この手の記事を仕掛けたのなら、それは、類推として、あたっていて、日本国民を、教え導くために、その数字が利用されているわけです。

 ここで、教え導くといっても、その方向性が問題ですが、日本が真の独立国として、気概を持ったり、生き生きとしたりしてはいけないという方向だといえば、ご理解がいただけるかもしれません。成田氏がどうして、そうなったかという点については、いろいろ、これから、長期にわたって観察しなければなりませんが、

 わが身辺に、元電通マンで、祖先が伊藤博文内閣の閣僚だった方が現れて、いろいろ、エピソードをお話になるのです。が、その内容は、考えようによっては、恫喝(?)→、→、→ 自由にものが書けなくするための、エピソード類なのです。(場所は主人の診療所で)→、→、→ 

 そんなことが起きる理由は、CIAもしくはフリーメーソンというのは、あらゆる位置に人を送り込んでいるのだなあ、多分、小泉首相援護メールというのが問題で、後ろに小沢一郎、現・民主党幹事長を、バックアップする存在があると、漠然と考えていましたが、その格子組みの中に、成田豊氏という人名が、確実に組み込まれました。

 成田氏は、わが主人の診療所に治療に来る、ファンドマネージャーK氏とは、確実に関係があるでしょう。K氏は、主人に<六千万円が、一単位となっている>ファンド投資を薦めます。もちろん、我が家には、それが、将来は、ゼロに成ってもよい、現金が、自由にあるわけも無いのです。しかも、六千万円掛ける数倍としてあるわけもなくて、こういう話は、私は一種の恫喝と見るわけですが・・・・・ただ、『フうーん、そういう形で人を分別して、大金持ちを自分たち側にリクルートをしていくわけですね。なるほど、稲盛和夫さんなどは、数十年前から、その手の大金持ちとして、リクルートをされていたわけだと、感じました。その稲盛さんが、いよいよ、京都から東京の表舞台に出てきましたが、それも、なるほど、なるほど、の、世界です。

 ただし、稲盛さんについては、別の日に、また、改めて書きなおします。

 もちろん、その投資話は、断っています。だけど、どうして、K氏が、治療を受けにいらっしゃったかのタイミングを考えると、まさしく、小泉内閣の誕生のことと関連があるでしょう。
 そして、小泉内閣誕生の五月7日の、最初の記者会見で、「私は朝日新聞のものですが」と、名乗る人間が、すべての閣僚に対して、「あなたは、靖国参拝をしますか?」いう、簡単すぎる質問を、したのです。簡単明瞭にそれだけを、です。すべての閣僚、に対してです。まるで、ロボットみたいに、機械的に、無感情に。

 その日以来、日本のマスコミは、本当に変だ。なぜ、靖国参拝がいけないのかさえ、自説を披露しないし、これは、本当に問答無用という感じである。『この内閣は悪い内閣である』というレッテルを何もわからない庶民向けに、貼るために、その質問は、事前に、用意されてきた。朝日新聞のその記者は、そのために、この会見場に居る・・・・・と感じ、・・・・・もとから、おかしいと感じていましたが、その確信をさらに深め、これは、容易ならざる事態であると、思い、

 メルマガ内で、政治にもコミットメントをし始めたのです。

 今回、そのころより、7年以上は経っていますが、あのロボットみたいな記者会見の裏に、成田氏等の動き(というか、働きかけ)が有ったと、わかってきました。それが、真央ちゃんの演技への、不思議な、採点で、急にわかったことです。
   では、2010年2月24日  午後16:20  雨宮 舜

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自民党は、なぜ、予算審議の拒否をする

2010-02-23 14:08:28 | Weblog
 長崎県知事選で、民主党が負けました。これは、鎌倉市長選挙で、異常なほどの、資金の投入をして、急に公認をした自主組織の奥様を、大宣伝(カーが、朝ひる夜の連呼だった)が鎌倉全市を支配したのに、敗北をしたのに継ぐ、庶民、および国民の真実の傾向です。

 それに、対して、鳩山さんと小沢幹事長が謝罪をしました。「お金のことが関連して敗北をしました。もうしわけない」と。私はそういうニュースをネットから拾って、コピーアンドペーストして、最後に私的なコメント(誰にも公開しない感想)として、『おや、おや、珍しいこともあるものだ』と書いておきました。

 珍しいこととは、小沢幹事長が、人間として、ごく、普通の、礼儀を示したことです。この五ヶ月間、もしくは、それ以前の準備段階(国民には知らされていなかったでしょうが、訪中、訪韓は、相手国もあることだから、準備段階は当然のごとくあったのでしょう)での、
 狂想曲(つまり、・・・・・一人だけ偉い野田という威張りかえり・・・・・)というのは、やっと収まったかなと思います。(後の回で触れたいと思っておりますが、上杉隆氏でさえ、それに言及していますよ)

 まあ、少しですが、それはよかった。
~~~~~~~~~~~

 ところが、その勝利に、チャンスを利用するどころか、自民党は完黙しています。予算審議拒否ですって。そういえば野党時代の、民主党がこういう手法をよくとっていて、『こどもっぽいなあ、いやなことだ』と思っていましたが、それと同じ手法を、今、現在、とることにどういう意味があるのであろう。

 『予算が決まらないと、日本全国民が困るから、民主党を困らせることとなる?』
 そういう筆法ですか?

 誰が、それを提案し、どういう経過でそれが、決まったのだろう。

 私は民主党、特に、小沢幹事長を批判しています。その独裁的な傾向は本当に危ない。人間の精神まで、支配する特徴は、禁煙ファッショといわれる小さなムーヴメントでさえ、決定的に明らかであり、そのほかでも、恐ろしいことが次々と準備をされており、スターリン時代、および、ヒットラー時代はすぐ、傍に近づいていると思うほどです。
~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、『返す刀で、自民党をひいきしています』とは、とてものこと、断言できません。自民党の方が比較的、実質的に、自らに内部において民主的であり、精神的なしめつけがゆるい、と感じているだけなのです。党員にしても、国民にしても、より個性を発揮しやすいし、日本国民や社会を守る程度も強かったと思っています。
 対外的に言っても、戦後67年間で、いまほど、日本バッシングが激しい時期はありませんでした。

 トヨタのリコール問題を想起してください。ニュースはいくらでも、誇張されます。主義主張の流れによって、誇張をされたり、無視されたり(報道をされなかったり〕します。

 こんな流れが以前に、ありましたか? 一年前を想起してください。

 日刊現代には、「小沢が、経団連をぶっつぶす」と言うタイトル記事があったそうで、それを、地下鉄、銀座駅のキオスクで、見つけました。もちろん買いません。ばかばかしいし、そういう流れはずっと前から感じていましたから。ただ、ウエブ上で、それが、再配信をされたときは、コピペしておきました。

 たとえば、吉兆を叩くのだって、日本にある慣例としての、経団連と、政治家との結びつき(多分、高級料亭で行われていたであろう)を、揶揄する目的だったと考えている次第です。
~~~~~~~~~~~~~~~

 ここまで、書くと皆様は、私が自民党ひいきの右翼だと、規定をなさるかしら?
いいえ、私が目指しているのは、百家争鳴。あらゆる人の意見が表に出てくることなのです。少数意見が抑圧されない社会です。

 となると、自民党が、ここで、完全に黙ってしまっているのは、損ですよ。ちゃんと、質疑応答で、攻防をしてください。

 もし、鳩山母君の召還の問題で、交渉の切り札として、審議拒否をしているのなら、それも、また、マスコミに連日、ニュースで公開をするべきです。国民は忘れやすいし、なんで、自民党は怠けているのだろうと、感じるだけでしょう。自分の意見を言う。マスコミにともかく取材をさせる。そういう姿勢の方を、私は好みます。

 だから、国会審議に応じたほうが、ぶら下がり取材等も受けますから、(昔は、非常にそれが多かったのに、民主党政権になったら、他党の意見を聞く場面が少ないですね。それは、変です)かえって、国民にアッピールができます。たまたま、舛添さんが、何か記者会見をしました。新党の動きかな?

 この審議拒否ですが、・・・・・どうして、こういうことが決まったのだろう、誰の発案であろうか?と思ったときに、結構森・元・総理大臣だったりして・・・・・と、思います。

 氏は政治家として、相当な大物であるからこそ、愛媛丸事件が起きたか(?)も知れないし、それが、起きたときに、ゴルフを止めなかったので、すばらしい形(?)で、大たたきされました。しかし、最近、氏の発想も、鈍っているように思えます。判断の結果がことごとく、自民党を衰退させる方向へ流れています。

 自民党の総裁に、真実の力ある人間ではなくて、森、元総理の好みに沿う人間をすえる(まあ、推薦するだけでしょうが)傾向があります。

 昔、金丸信という幹事長ポスト在任が長いことで有名な政治家が居て、この人が、アメリカ側にリクルートをされた(もちろん、秘密裡にです。公開はされていません。ただし、私は都留文科大学の創設に、そこらあたりの秘密が露呈をしていると考えます。都留文科大学には、カリフォルニア大学へ留学できる制度があります。カリフォルニアは、枢要な支障的・教育・機関のある土地みたいですよ)ことに、現在の小沢幹事長のポジションというか、政治姿勢と、その真実のうら側が生まれたと思います。が、金丸氏のような、口が堅い、重いタイプの政治家を、味方に取り込んで、利用しようとする、世界コングロマリット側の諜報活動はありえます。

 ともかく、その取り込みたい、または、取り込まれてしまっている対象が、森・元、総理大臣か、そうではないかはわかりませんが、ともかく、自民党の今の沈黙の姿勢は、私にはうなずけません。ただ、一点、日本を衰退させる方向で効果のある形ですから、自民党にもCIAの手は入っていると考えます。

 いわゆる、右翼活動家の内部にも、当然のごとく、手が入っているでしょう。日本は複雑にして、怪奇な状態になっていると思います。大変な国に住んでしまっていますね。
この上、外国人参政権など許したら、あらゆる意味で国は崩壊します。
          2010年2月23日   雨宮 舜
 
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ロマン・ローラン VS プルースト

2010-02-21 23:27:39 | Weblog
 『魅せられたる魂』は、発表当時はセンセーショナルな書だったと思いますが、現在では普通の話となっているでしょう。超・簡単にまとまれば、<男性に失望した女性が一人で、子育てをしながら働き、自立を果たしていく>という話です。

 私はこれを、まだ、恋愛ひとつちゃんとしたのはしたことも無かった大学時代に読んだので、『え、男性を批判する女性も居るのだ』と驚きました。それほど、45年前は男尊女卑だったのです。ロマンローランが発表したのは、1922~33年ですから、パリといえども、これは、新しい小説だったでしょう。

 私は、ロマンローランのものでは、『ジャン・クリストフ』の方がすきなのです。19歳から、21歳にかけて、非常に長い時間をかけて(岩波文庫でも10冊となる。・・・・・58年前~56年前にかけて読んだが、そうでしょう。フランス版・原作では、11巻のはず・・・・・ただし、この数は反対だったかもしれません)読みましたが、

 そちらが、『魅せられたる魂』よりも先だったので、後から読んだ『魅せられたる魂』を、軽いと言う印象を持ってしまったのです。よりわかりやすいから、軽いと感じたのでしょう。ところで、ロマン・ローランは、ジャン・クリストフの方を、1904年から12年の間に発表をしています。読むのも大変ですが、作者として創作するほうも並々ならぬ長時間をかけているわけです。

 それと、私には、実のところ、結構男性的な要素が大きかったのかもしれません。それに、後年文章を書いたりするわけでしょう。それで、批判をされますが、それを乗り越えてきましたから。
 抽象的な絵は、社会的に、批判をされません。しかし、文章を書く行為は、陰に回った形(つまり、PCが壊れたりする形)で批判や弾圧を受けます。だから、戦う人である、ジャンクリストフに、結局は似たところのある人生になって行ってしまったわけです。そういう人生を選ばないつもりで、結婚をしたのに、不思議なことに、人間って、落ち着く先に落ち着くものです。

 決して過激な人には、成らないつもりだったのに、結果として、結構過激な人となってしまっている。若い日に、どうしてか、ジャン・クリストフに、深く惹かれたのは、伊達や道楽でもなかった模様です。

 65歳を過ぎたあたりから、まさしく、<自分は、スイスにのがれなければならなかったころの、ロマンローランに似ている>とさえ思うほどです。ただ、海外暮らしは、若くは無い私の場合、お金が無いと危険なので、行かれないだけです。日本には向いていないと思うときも多いけれど、静かな日本人として、黙って生きているわけです。

 まあ、これでも、自分では、クヌギの大木の下で静かに生きているつもりではあるが、それでも、社会の動きが心配でならないときがあって、ひたすら文章を書き続けているわけです。小さな声でもいいから、警鐘を鳴らしたくて。それには、相当のエネルギーが要ります。一種の戦いでもあります。だからこそ、戦う人であるジャン・クリストフは、とても身近な存在です。今でも、そうです。本を読み直すことは無いけれど、一場面、また、別の場面を思い出すのは、しょっちゅうあります。
~~~~~~~~~~~

 ところで、これは、昔からなんとなく、わかっていたことですが、ロマンローランは母国で、評価が高くないのです。それゆえに、今も、再評価の波が起こらないのかもしれません。これは、ジャン・クリストフの中で、パリ的な生活への批判を、行っているからでしょう。

 忘れられない表現としては、・・・・・クリストフの親友オリヴィエの妻が、不倫の挙句、離婚もして、しかも不倫相手から、捨てられる・・・・・という部分があり、そこらあたりにも、パリ的な生活への、批判が読み取られます。

 これが、・・・・・最近特に評価が高い、・・・・・プルーストとの比較において、フランスではロマン・ローランが受けない、大きな要素となっていると思います。
 プルーストはそんな、批判はしておりません。恋愛における微妙な心のやり取りを詳細に描いています。社会への批判が無いように、今のところ、私は感じています。まじめな、ことは野暮だと言う風なニュアンス。

 まるで、違う世代のように思っていましたが、(というのは、プルーストの方が古い時代だと?????)、実は作品が、発表されたのは、ほとんど、同時代だったのです。それには改めて驚きました。手軽に情報を得られるインターネット、グーグルの検索のおかげでもありますが・・・・・
 プルーストの『失われたときを求めて』も、1912年から27年という長い歳月をかけて発表をされたので、二人は同時代の人だったのです。

 プルーストみたいに、政治に関わらないほうが息が長い生命力を持つかな? 特におなじく、グーグルの検索ではじめて知りましたが、ロマン・ローランはソビエト・ロシアに相当肩入れをしていたみたいで、それも、再評価の機運を低くしているのでしょう。
 ソビエトロシアの裏側が、弾圧の連続だったことが、今では証明されてしまっているからです。ロマン・ローラン自身は、ソビエトに訪問して滞在したこともあった模様ですが、客人としてもてなされたわけでしょうから、真実は見えなかったと思われます。
 私はそれを知っても、自分の、ジャンクリストフを、好きな気持ちには、微塵も変更はありません。

 最近、ドストエフスキーのブームが起こりましたけれど、ロマン・ローラン・ブームは起きません。それが、『こんなところにも、原因があるかなあ』と感じ始めました。

 プルーストを読むのは、若いときに取り組んでいないので、作家や人物としても、ロマンローランと比較することができないのですが、でも、年取ってから読むほうが、プルーストの気持ちに添えるかもしれません。

 ところで、この文章ですが、ここで、もう一回中断をさせてくださいませ。 
        2010年2月21日早朝書く、送るのは後で、雨宮舜       
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『源氏物語』と『失われたときを求めて』が、大・人気とは?!?

2010-02-20 23:32:21 | Weblog
 今、現在の女性の愛読書は源氏物語らしいです。去年は源氏物語の特集を日経新聞がしたと思うし、瀬戸内寂聴さんが大もてです。そして、ヨーロッパものといえば、『失われたときを求めて』です。後者の新訳の編集には、知人が関わっておられたから、初めて、読み始めて、それを読んでいる間は、私の文章に、修飾語(または、部分)が増えるのですが、

 長いので、読んでいない日もあって、そういう日はまた、のどもと過ぎれば熱さ忘れるの類で、結論だけ早く言おうとする、簡単明瞭な、私の普段の文章に戻ってしまいます。
~~~~~~~~~~

 しかし、それらの名作に、日本女性が耽溺をしている現在は、やや、退廃的な時代だと思います。そして、そんな状況に浸りきっている間に、時代は、非常に変わってきて、読書会で、源氏を読みあっている、五十代、六十代の、主婦の、子供の世代が結婚をしないで、これからの老後を送ろうとしていたりします。この間、生涯未婚である人の老後の厳しさを語るNHKの番組があり、大反響だったということです。(私もそれを見ました)

 それを、私一人がひっくり返すわけにも行きません。が、なぜ、退廃的かという点だけは、ここで、一種の主張として、お話しをしておましょう。

 というのも、両方とも貴族階級というか、・・・・・現在の言葉で言えば、セレブ、そして、マイケル・ムーア監督の言葉で言えば、世界中の富の99%を所有している、1%の人たち・・・・・・の世界の話です。衣食住のことを気を使わず、美しい着物、または、洋服を着て、男女とも、手練手管を尽くして恋愛に励みます。

 あのね、こういっても、私自身、宇治十帖以外は、源氏物語を、原文(古文)または、谷崎源氏で読んでいます。明石あたりまでは、古文で読んだと思います。

 そして、光源氏ほどの人といえども、自分の犯した罪(父上の妻と結ばれた)と同じことを、子供世代に、やられてしまって、仏教的・無常の世界にたどり着くという・・・・・・文学史上の意義も、良くわかっているつもりです。
~~~~~~~~~~~

 だけど、普通の女性は、別に恋愛だけをしているわけではありません。『女性雑誌が恋愛の特集ばかりするので、若い人が不安になって、会社で、上司と不倫をしたりして、あたら、若いときを無駄遣いしたりして、それは、危ないなあ』と前から思っていました、
 ともかく、隠れて不倫をして居る人は別として、みなさん、会社で恋愛ばかりをしているわけでもなく、日常的な業務を、淡々とこなしているわけです。

 専業主婦の方は、子育てやご近所づきあいや、子育てから派生した、趣味の付き合いなどで、手一杯で、さらに力のある人は、パートに出たりして、非常に忙しくしています。だから、女性のすべてが、恋愛に耽溺しているわけでもないのです。

 憧れの世界として、読書から、楽しみを得るのも大切ですが、読書は、人生の指針を与えてくれたり、理想を教えてくれるものでもあります。もちろん、かぶれすぎてはいけません。だけど、私たち、が、青春時代を送った1960年代には、『キュリー夫人伝』、『第二の性』、『魅せられたる魂』などの、恋愛だけではない、恋愛のその後が重要な作品が、必読の書だったのです。

 で、『魅せられたる魂』が、現在どうなっているかを、インターネットサーフィンをしてみたら、相当数の検索がされており、ほっとしました。ロマンローランについては、私は別に研究家でもないけれど、次にちょっと、述べたいことがあります。今日は短いですが、これで、終わらせてくださいませ。2010年2月20日深夜    雨宮 舜
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びっくりしました。(ペンクラブ、女性向け講演会の、話者たち)

2010-02-20 02:26:00 | Weblog

 今、ほぼ、三十分前に日本ペンクラブが、メルマガで、発表した講演会のご案内を差し上げました。それについて、「ぜひ、ご出席くださいませ」というわけでもないのです。
~~~~~~~~~~

 というのも、そのお知らせが来たこと自体に疑問符があります。

 私はかねてより、井上ひさし氏に対して、公的にも私的にも、大疑問を持っている存在です。2009年の6月22日だったと思いますが、氏が、NHKクローズアップ現代に出演されたときに、確定的に、それを、感じました。理由は何千字も字数が必要なので、今は詳細を述べません。

 で、井上ひさし氏が長らく、日本ペンクラブの会長であったと思いますが、いつの間にか、阿刀田高氏に変更になっております。

 阿刀田さんが、学士会館で行われたOPC(働く女性たちの会、ただし、同窓会が関係しているので、世間一般には閉鎖されている)の講演会で、ギリシャ神話についてお話をなさったときに、「ギリシャ神話の中で、先生は誰を一番好きでいらっしゃいますか?」と質問をすると、

 「こんなところで、そんな質問が出るとはびっくりしました。あなたは頭のよい方ですね。ところで、僕はヘクトールが好きです」とおっしゃいました。その挿話を、私は閉鎖されているAOLのメルマガ内で書いたことがあります。

 その二年後か、三年後に、自分の本をお送りしようとして、ただぽんと贈っても読んでもらえないだろうと思って、電話をかけましたら、まだ、覚えていて下さったのです。
~~~~~~~~~~~~~

 まあ、それだけの間柄です。ただし、どうして、日本ペンクラブのメルマガが、私に、配信をされるようになったかは、不思議です。もちろん、「申し込みをしますか?」という案内は来ましたが、その最初の案内が、どうして私に来たかは不思議です。

 しいて言えば、「あんたはよく政治的な問題について述べているが、雨宮処凛さんに比べれば、小物だよ。十万分の一にもならないよ」と、自覚をさせるために、来たのかなあと、変にかんぐって、しまいました。それで、おいそれとは、転送もしたくなくて
 宣伝もしたくなくて、今日の当日まで待っていたのです。でも、表参道とは、有名な繁華街でもあり、どなたでも行きやすい場所(子供の城の近所)ですから、まあ、転送してみるかと、その当日になって、ご案内を出したわけですが・・・・・

 で、私自身は、『まあ、有名人でも、見に行くかいな』と思いながら、その出席者について、・・・・・テレビに出演される福島みずほさん以外は、その顔さえ、知らないので、・・・・・福島みずほさんを含めて、インターネットサーフィンをして見ました。そして、その結果、ドッキリとするほど驚きました。

 『おや、おや、うかつに情報を転送できないものだな?』と思ったりします。

 これは、井上ひさし氏について、インターネットサーフィンをしたときも同じことを強く感じましたが、それぞれ、人って正史とともに、裏面史もあるのですね。

 おっどろきました。本当に驚きました。

 世の中って、単純ではないです。私なんか、自分が苦労をしたつもりになっていましたが、有名人となると、その裏側が相当なものですね。驚きました。本当に驚きました。

 何に驚いたかは伏せます。・・・・・ともかく、上にあげた人物名のうち、阿刀田さん以外については、その人物像と背景について、ただ、ただ、驚きました。

 阿刀田さんについては、私は、何の問題も感じないので、何も裏側を、調べては居ません。その講演会で、「早稲田大学の出身だ」とおっしゃったし、「ギリシャ神話物語(これは、一種のリライト版ですね・・・・・一般の方が岩波文庫のイーリアスを読むのが大変であろうから、知らないより知っていた方がよいだろう、というご親切から書かれた本です)が、ロングセラーであって、家計を助けてくれた」・・・・・などという、リラックスしたお話ぶりでした。

 というのも、聞き手の方が(本当はインテリではあるものの)、見かけは単なるおばさんの集団ですからね。甘く見ておられたと思います。そこに、氏の、お仕事全体を総括する目的で、質問をしたので、私が、驚きをもって、迎えられたのです。
~~~~~~~~~~~

 イーリアス(ホメロス著)を読むと、ギリシャ側、トロイア側、それぞれ、十人を超える主役級の男女が出てきます。アキレスの<かかと>で有名なアキレウスが、ギリシャ方の美形の若き英雄なら、女たらし(ギリシャの王様のきさきを奪った)の弟を持ってしまって、苦労を背負い込むへクトール(トロイア側の総大将、父プリアモス王の、全権を受けて戦う)が、苦みばしった、中年の男性の魅力を振りまきます。もう一人、読者が感情移入をしやすい英雄として、年老いた知恵者オディッセウスがギリシャ側に居ます。

 その二人(+オディッセウスで三人)が、もっとも際立つ、主役中の主役ですが、阿刀田さんが、若い美形のアキレウスをお好みになるか、それとも、壮年で責任を負う苦しいへクトール(映画などでは、ヘクターと表記されるときもある)をお好みになるのか、それとも、インテリの常として、頭のよいオディッセウスをお好みになるかを、知りたかった私は、氏のお答えに大満足をしました。

 阿刀田さんは、大衆の好みと、ご自分の好みを合致させられる・・・・・、そして、頭のよい方です。もし、アキレウスとお答えになったら、私は氏を『大衆・迎合型で、軽い人だ』と、思ったでしょう。

 そうです。いぶし銀のごとき、魅力が、ヘクトールにはあります。それに、木馬の計で騙されて敗北をする、トロイア方の悲劇の王将でもありますので、誰もが、こころ、惹かれます。
~~~~~~~~~~~

 もちろん、近年の研究では、経済的な覇権争いが、現在のトルコで繁栄をしていた小アジア系統の王国と、ギリシャ半島を中心として繁栄していた王国との、対立構造を生み、それを、美しく詩的に、仕立て直したものですが、

 それでも、シュリーマンの夢を掻き立てた・・・・・長編・詩篇、(結果として小説となっている)・・・・・日本で言えば、平家物語みたいなもの・・・・・ですから、それは、本当にあったことのように、信じられる世界でもあります。
~~~~~~~~~~~~

 ともかく、そのインターネットサーフィンで、『この世には、美しいものと、醜いものが平行してあるのだ』と、知りました。『ある人間が、特別なガッツを持つということは、何かの、欠損が、影にあるのも、真実だ』と思います。それは、他者の秘密でもあるから、私がここで、あきあらわすことはいたしません。

 ただ、阿刀田さんも、ゆったりなさっていて、それほど、ご苦労がなかったみたいですが、私も苦労があったように見えて、やはり、まだ、恵まれている方だったかもしれないと思い至ったことです。まったくの偶然・・・・・それは、メールを転送した責任を負うための調査でしたが・・・・・で、知った新しい事実が、たくさんありました。

 いやあ、本当に驚きました。有名人について書く場合は、私・独自な印象とか観点を大切する必要があると思うので、インターネットサーフィンをしないことと、今までは、決めていましたが、『それでは、危ない』と、思い至った次第です。下にたった、一時間で更新をした、その日本ペンクラブ発のメルマガが、転送形式で、ブログとして載っています。では、今日はこれで。
              2010年2月20日 雨宮 舜 AtelierCK@aol.com

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表参道で女性向けの、講演会があります。(雨宮処凛さんもお出でですよ)

2010-02-19 23:59:11 | Weblog
以下のメールを、日本ペンクラブからいただきましたので(といっても、単なるメルマガにしか過ぎないのですが)お知らせをします。

若者の労働状況の厳しさについて著書のある、雨宮処凛さんや、福島瑞穂さんがお話をなさるらしい。

私自身は、今のところ、出向くかどうかは決めておりませんが、みなさま、表参道と言う便利な場所なので、どうぞ。


なお、私自身の文章は本日はお休みとさせてくださいませ。
   今、Adobe Photoshop の勉強をせねば成らない事情ができて、明日は忙しくしています。 では、 2010年2月20日             雨宮 舜

~~~~~~~~~~
 日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」 2010年2月10日
 日本ペンクラブ・シンポジウム「女性と政治」開催のお知らせ
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日本ペンクラブ女性作家委員会では今年も下記のとおりシンポジウムを
開催します。皆様お誘いあわせの上、ぜひご参加くださいませ。

◆女性作家委員会シンポジウム
「女性と政治 ~女性表現者が政治に参加するということ~」

◇企画趣旨
 長く続いた自民党政治が終わりを告げ、政権交代が行われたいま、日
本にどのような変化が訪れるのか期待と不安の両方を抱いている人は決
して少なくありません。

 そこで私たちは政治家であり、弁護士であり、数多くの著作を持つ作
家であり、日本ペンクラブの会員でもある福島みずほさんと、若者たち
の抱える「生き辛さ」の原因である諸問題に真正面から取り組んでいる
雨宮処凛さんのお話を聞く場を設けることにしました。

 女性であるために不自由を感じたこと、男女共同参画社会への取り組
み、ドメスティック・バイオレンス、性表現、貧困、夫婦別姓など、
様々な問題についてじっくり語っていただく予定です。是非お誘い合わ
せてご参加ください。

◇主催:社団法人 日本ペンクラブ

◇日時:2010年2月20日(土)
 午後6時開場、午後6時30分開演、午後8時30分終了(予定)

◇会場:東京ウイメンズプラザ(東京都渋谷区神宮前5-53-67)

◇定員:150名(申し込み不要、先着順) 

◇参加費:100円 

◇プログラム
1.開会挨拶  下重暁子(日本ペンクラブ副会長)

2.対談
  福島みずほ(社民党党首、参議院議員・消費者・食品安全・少子化・男女共同参画担当大臣)

  雨宮処凛 (作家、エッセイスト、週刊金曜日編集委員、反貧困ネットワーク副代表)

3.質疑応答

4.閉会挨拶  小谷真理(日本ペンクラブ女性作家委員長)

◇会場へのアクセス
 JR山手線・東急東横線・京王井の頭線:渋谷駅下車徒歩12分
 地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線:表参道駅下車徒歩7分
 都バス(渋88系統):渋谷駅からバス4分青山学院前バス停下車徒歩2分

◇問い合わせ
日本ペンクラブ事務局
〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町20-3 
電話03-5614-5391
◎日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」
のバックナンバー・配信停止はこちら
⇒ http://archive.mag2.com/0000118428/index.html
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さくらんぼは、高かったと思うけれど、(キュリー夫人の2)

2010-02-18 22:45:25 | Weblog
 私が昔語りをすると、皆さんがお笑いになるかもしれませんが、1950年代、および1960年代の女性の必読書は三つ、ありました。

 『キュリー夫人伝』(次女エイヴに拠るもの)、『第二の性』、『魅せられたる魂』の三つです。そのうち、私は第二の性は、あまり好みませんでした。まず、サルトルを好まなかったからです。でね、今、念のために、グーグルの検索数を比較したところ、キュリー夫人伝(本そのもの)は、少ないかもしれないのですが、キュリー夫人という項目では、数十万件があって、『ああ、まだ、人気のある方なのだ』とは思いました。

 私ですが、もちろん、正伝にあたるものと思われる、エイヴのものを読みましたが、キュリー夫人の晩年の体調不良の件が印象に残っているのみで、文章としては、小さいころ読んだ、リライト版(誰が著者だったかは、今では不明)から、得た印象の方がはるかに強いものです。

 今、インターネットでは、『キュリー夫人の椅子』という項目があって、いったい何のことだろうとあけてみたら、漫画の中で、キュリー夫人が寒さに耐えるために、布団の上に椅子を乗せて、暖をとったというエピソードを知った、現代の若者が、「嘘だろう。僕は実験をしてみたが、暖かくなかった」と発言をしていたのでした。

 それで、思い出しましたが、たしかに、キュリー夫人はパリでの、学生時代苦労をなさって、それを、お嬢様方に昔語りとして語ったのでしょうが、そのうちのひとつのエピソードだったと思います。でね、私はこれについては、特に、にやっとしました。若い人は、羽根布団とか、化繊の掛け布団になれているので、掛け布団は軽いほうがよいと思っているのだな?
 しかし、私ぐらいの年齢だと木綿綿の布団になれているので、掛け布団もある程度の重さがあったほうが好きで、中に軽い掛け布団や毛布を入れて、その上に、木綿綿の布団をかけるのが好きです。重さは暖かさに通じるので、キュリー夫人もまず、ご自分のコートとか、セーターとかを布団の上において、それらが、落ちないようにするために、簡単なスツールで抑えたのだと思います。

 しかし、「貧乏だから、さくらんぼうだけを、食べて過ごした日もある」という記述だけは、『変だな。さくらんぼうって、高いでしょう?』って、55年以上前の私は思いました。確かに今の日本でも、普通の食事をしないで、さくらんぼうだけを食べることが、節約になるという発想は無いと思います。

 ただ、研究や修行のために、一人暮らしをしたことのある、今現在の私が考え直してみると、いろいろ、納得が行くところがあります。一人暮らし、特に研究熱心な生活では、時間が惜しくて、お料理をするのが、面倒くさいわけです。今はなかじき(漢字は中食と書く)といって、簡単なおかずで、途中までできた形のものを買ってきて、自分で最終的に、火を入れるという形で食料品が手に入ります。例としては鍋物類のスープが良く売っていますね。ま、我が家では、最初からの自家製で、作りますが・・・・・

 が、当時はスーパーも(もちろん、パリによくある、コンビに風な小さな何でもや)も、無かったでしょうし、お惣菜や(バットを16~20ほど並べて、中華風のおかずを入れて売っていたりする)も無かったでしょうから、大変だったとは思います。

 つまり、社会全体のムードとして、レストランに行くか、きちんと、手料理を作るかの二つしかなかったわけでしょう。、外食をする習慣が少なかったと思いますので、値段は高かったと考えられます。最低でも夕食三千円以上の感じでしょう)に行くことができなかっただけだと感じます。
~~~~~~~~~~

 いずれにしろ、時の検証を経て、いまだに、キュリー夫人が人気者なのはよかったです。ただし、往年のあの熱気ほどではない。今は英雄にあこがれる気風が日本全体から消えているからです。

 ところで、その際のインターネットサーフィンで、キュリー夫人の晩年には、隠された恋愛があったと知り、驚きましたが、それについては、今は何もいうことはありません。こども向けにリライト版で、知ったキュリー夫人像だけで、十分な感じです。

 ところで、今日のブログパーツはそれこそ、なかじき(中食)のケーキです。今は、スーパーに丸いスポンジの台だけを売っています。それに、買ってきたイチゴと、生クリーム(泡立てるだけは自分の家で、やる)を飾り付けただけですが、市販のものの、2分の1程度のお値段でできます。だって、直径が20センチのものは十分できますから。しかも生クリームは半箱しか使っておらず、あとは、ババロアに使うのですから。上は4分の一切ったところですが、それで、市販のケーキふた切れほどになります。だから、腹いっぱいショート・ケーキを食べることができます。生クリームは持たないので、ほぼ、一日で、半分のケーキを食べるので、本当に腹いっぱいという感じになります。

 お休みの日に、お試しあれ・・・・・と、いいたいが、本当のことを言えば、

 私自身クッキーは昔からよく作っていましたが、ショートケーキまで挑戦するようになったのは、この一年であり、それは、一種のあきらめ(大芸術家になるをあきらめた)の結果の、生活から生まれた習慣です。そして、何回も挑戦しているので、搾り出し袋などは使わず、(それは、生クリームが無駄になるので)ナイフで、生クリームをぺたぺたと塗りつけ、大型のいちご、も、三枚程度にスライスして、間に挟んだり、飾ったりします。その方が食べやすいし、味もおいしいです。
 で、私が、本当にすすめたいのは、忙しい女性と、専業主婦の間の、中間の生活です。キュリー夫人みたいな生活ではなくて、でも、プチ上流夫人として、贅沢三昧するのでもなくて、自分が手を加えて、おいしいものを、お安い値段で、味わう生活です。者を作っていると、本当に気が休まりますよ。世間でいやなことを検分していても、何かを創作すると、すばらしく気が晴れます。そして、創作とは「現代アートの、最新作を作るぞ!!!」と、構えないでも、あらゆるところにタネが見つかります。こんなおせっかいなことを言うのは、今自殺が多くて、それを阻止したいからです。あらゆるところで楽しみを見つけるのは良いことです。こんな雑なケーキでも、ご近所様とか、職場の友達に上げて御覧なさい。話題ができて、楽しみを味わうことができます。

 こんなおせっかいなお薦めをここでするのは、最近、親しい方の自殺に直面をしてしまって衝撃を受けたからです。人間は楽しみを見つけないといけません。少しのお金で、楽しめることはたくさん知っておくべきだからです。そして、実際に台所に立って、物を作るのは楽しいことです。男性にもお薦めいたします。

     2010年2月18日書く、送るのは、19日        雨宮 舜
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ポーランド時代の、キュリー夫人

2010-02-17 22:21:30 | Weblog
 私がこどものころは、短縮した物語としての伝記が、小学校の図書室とか、中学校の図書室に、たくさん置いてあったものです。

 今、思うと、物語としては、やや、単純に書いてあったでしょう。やはり、大本の本を読むほうがよいのは確かです。だから、子供なら、子供向けに書かれた、たとえば、リンドグレーンとか、ケストナー、そして、最近では、学年別に向きも、付記されている本物の童話が数多く出ています。それらを読むほうが、子ども自身も楽しいのだと思います。

 でも、この間、55年ぶりぐらいに小学校時代の読書感想文ノートが出てきて、それをめくっていたら、『リア王』か、何かのリライト版の著者が、水上勉氏であったのを知りました。それについて、いろいろものを考えさせられました。『そうか、こういう形でライターとしてお金を稼いでいらっしゃった時代もあったのだ』と、感慨深かったのです。

 芸術とか、創作に携わっている人が、プロとしてお金を稼げるまでになるまでは、いろいろあるのです。それのひとつの表れだから・・・・・

 それともうひとつ、日本が貧しくて、そして、海外との交流が、ジェット機のある今ほどは自由ではなくて、版権とか、原作の入手が大変だったと、推察します。

 でね、そういう本物の童話が、たくさん出版されると、同時に全集形式だった、リライト版は、消えていったと思います。伝記類も消えて行ったでしょう。
~~~~~~~~~~~~

 だけど、あの伝記類を読むことって、こどもにとって、非常に重要なことのような気がします。どなたか、名前を覚えていないけれど、同じことを発言をなさっておられました。

 忘れられない、偉人としては、二宮金次郎、野口英世、キュリー夫人などがあります。

 二宮金次郎は、誠実という観念を教えてくれた人です。野口英世は、母の愛にこたえることが業績につながるということと、日本で駄目なら世界へ出て行けばよいということを教えてくれた人です。

 そして、キュリー夫人は、国というものが自分を支えたり、守ってくれるということを教えてくれた人です。
~~~~~~~~~~~

 韓国のひとへ、日本の苗字をつけるように強制したり、日本語を使うように強制したのは、本当に申し訳ないことでした。ただ、ここで、こうお話しても、すぐ、それを持ち出して、日本を、責め立ていじめるような方向へ、向かわれるのは困ります。

 特に「靖国参拝を反対すること」と、「従軍慰安婦の補償をせよ」とのキャンペーンを張られるのは、既に戦後66年たつのだから、「もう、ごめんこうむりたい」と、思いますが、心の中では、本当に申し訳ないことだと考えています。

 そして、ここで、また、挿入になりますが、その戦争中の悪の責任は、国民すべてが負うべきで、朝日新聞社の主張のように、A級戦犯にだけ、かぶせるわけにはいかないでしょう。

 で、韓国の人々に申し上げたいことは、・・・・・いまは、お国は、真実の独立国として、ほとんど、自由にいろいろなことがおできになり、いわゆる、戦略としても国民を守る方法を首脳陣は、考え出すことができるのですから、本当に幸せな有様です。だから、他国にいろいろ、いちゃもんをつけるのは止めていただきたいということです。

 お国は中国ほど大きくは無く、民族も単一ですから、誰かの不満をそらすために、仮想敵国を作る必要も無いからです。
~~~~~~~~~~

 そういう国から見ると、今の日本は、つらい国です。国民は、本当は眠らされているが、なんとなく、不安を持ち、不幸だと感じています。

 そういう私から見ると、ポーランドで少女期を過ごしたキュリー夫人の、学校時代の話はまぶしいほどのものです。その当時の実質的な宗主国であるロシアやドイツから、ポーランド語を使うのを禁止されていたので、隠れて、先生も生徒も一緒になって学習していたのです。

 大変緊迫した状況が、リライト版みたいな小さな本からもうかがわれました。

 今の日本は豊かです。誰も緊張感に満ちては居ない。特別に追い詰められた若い人たち、たとえば、コンビニの店長として、深夜まで働かされて、お弁当(総量は、少ないです)を買ってきて一人で、電球のしたで食べて、何の楽しみも味わないで、さっと寝るような生活をしている人は、緊張をしているでしょう。が、先生と一緒になって、「こういう方向で戦いましょう」というような、明日への希望を見出せないで居るでしょう。

 さあ、今日は、これだけを書いて、ぽんと、終わりましょう。何かの結論は、あえて、出さないで。それを、お許しくださいませ。 2010年2月17日に書く、送るのは、18日に。
                                  雨宮 舜
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『褒めて育てる』も、裏があると、大変だ(和歌山毒入りカレー事件)

2010-02-16 13:11:14 | Weblog
 褒めて育てる・・・・・これはいいことです。叱りすぎると萎縮する。朝青龍を私は大好きで、引退を彼に強制したのは、大疑問ですが、(というのは、相撲は衰退していくだろうと思うので、それこそ、グローバリズムの超・間接的な陰謀ではないかと思うほどですが)、若松親方は甘やかしたと責められていますね。でも、若松親方の元でなかったら、あの横綱は生まれなかったであろうといわれても居ます。そしてそれは正しいであろうと思います。

 国母選手の両親は、きっと、それを実行したのです。ただ、褒めて育てるの行きすぎが、橋本聖子団長の温情を、理解できない態度につながりました。そして、石狩平野という土地代が安い場所では、一軒一軒の間隔もひろく、子供が集団で遊ぶことが、近隣迷惑につながらないので、ここまで誰にも矯正される事無く、育ちあがったのでしょう。

 ここで、私が『近隣迷惑』というのは、ブロック塀を壊したりすることを指します。子供用の自動車を、坂を急スピードで下りていくと、よその家のブロック塀にぶつかり、それを、壊したりするのです。こどもの方だって、いつかはおもちゃのほうが壊れるでしょうから、怪我をする可能性はあります。だけど、ひとりターちゃんが大音響を発しながらそれをやると、他の子も、面白そうだから、まねをします。だから、私は、空が晴れていると、一日中、子供集団の傍に、ついていなければなりません。

 10時間も連続して外には居られないので、ニ、三時間、子供たち全部を家に入れると、時計は壊すは、何はするで、これまた、目が放せません。こういうしつけは、小さいときから、家の中で自由にさせて、何かを触るたびに、それを、「さわってはいけないのよ」と親が教えておかないと、他人である私が注意しても、止める気がターちゃんの方に起きないのです。親は、「注意してください」というのですが、注意されるということの意味が、実践的な場で、まったくわかっていないからです。だから、『これは面白いことだ』とターちゃんが思う限り、我が家がどんなに迷惑を受けても、それを、止めさせることはできません。

 だから、ルソーの『エーミール』の実践を、日本の新興住宅地で行われては、言葉の意味以上に、はた迷惑なのです。
~~~~~~~~~~~~

 私は『しろウサギとか、羊みたい』とよく言われます。・・・・・『ともかく、生活感が無い』とも言われます。一見すると、怖くない。ターちゃんにもなめられきっていますが、その両親にもなめられきっています。

 でも、考える人ではあるのです。だから、結果としては怖い人かもしれません。人生の途上で出会った現象をずっと、心の中で蓄えて、分析を続けるからです。

 でね、この問題だって、『ターちゃんには、何の罪も無い』ということは良くわかっています。橋本聖子団長が、『国母選手には、罪は無い』と判断したのと同じ判断はもっています。

 でも、親に対する批判は、持っていて、今日はターちゃんのお父さんの方に触れましょう。

 これも、ある種のかわいそうさをもってはいるが、やりすぎを、いさめるためです。そして、彼ら夫婦のような親は、この現在の日本に多数居ると思います。そして、その悪影響を学校・現場の先生方が、身に背負って、ノイローゼが多発しているといわれます。
~~~~~~~~~~~~
 だから、そのご夫婦を分析する意義があると感じます。

 そして、それは、社会学的な方向へも向かいます。今現在都会で、特にマンションで子育てをしているお母さん方は、仕事をして保育所に預けてしまうか、公園デビューとか幼児教室に通わせるという形で、幼児の時間つぶしをやっているでしょう。

 その際、「ママ間カーストというのがあって、それを処理するのが大変だ」と、AERAに出ていたことがあって、『うわ、アエラも本音を語りますね。編集者の中に、若い母親が居るのだろうか?』と驚きました。いまだにコピーを保存していますが、

 1960年代、および、1970年代に開発された郊外型、新興住宅地では、まさに、それが原因で、近隣トラブルが多発したのです。和歌山毒入りカレー事件もそういう、類の近隣闘争の、一バリエーションでしょう。
~~~~~~~~~~~

 その事件では、ご夫婦ともに体格が大きそうで、かつ、顔を見れば美形です。ご主人は独立して、アリ殺虫業務をやっていた模様。日銭は稼げるので、生活は派手だったでしょう。サラリーマン家庭よりは豪奢な雰囲気で、威張っていたと思われます。それが、普通の主婦の反発を招いていて、浮き上がっていたと、考えられます。

 それが、悔しいので、『ちょっと、周りを困らせてやろう』というぐらいの軽い認識で、カレーに砒素を混ぜたのでしょう。が、カレーは粘度が高いので、満遍なく交じり合うことが無くて、濃い部分を食べた人が、死んでしまいました。普段の小さな不満のやりとりの積み重ねが、大事件に発展をしました。
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 その影に、現代の社会にある、ある種の身分差別が、反映しています。これは、在日への差別とか、への差別とは違うもので、人々はわかっているが、表面にそれを出して論じることがありません。

 が、問題をはっきりさせるために、言えば、職業に貴賎はあったのです。大会社のサラリーマンであることが、一番安全な、かつ名誉ある仕事というかポジションでした。

 新興住宅地というのは、お互いの過去を知らない人同士が、急に近隣関係を作り上げるところです。山手線の内側にある、古い街などとは違います。で、その機会を利用して、人生をリセットして、『優越したエリートとして、ここの生活をスタートさせたい』と願う人が必ず居て、他者をしきり、上下関係を構築します。よく、町内会の役員を何十年間も勤める人が居ますが、それは、その種の人間の典型例です。
~~~~~~~~~~~

 さて、ターちゃんのお父さんは、大会社の勤め人ではありませんでした。独立して運送業を営む人。日銭はたくさん持っているから、生活は派手です。ピザを取ったり(?)外食には、一家で、良く出かけていたみたい? だけど、社会的な信用が低いので、当時の制度では、住宅ローンが組めない模様です。上に立ちたいという志向が、夫婦ともにあるのに、持ち家ではありません。借家暮らしです。私自身が借家を、軽蔑しているわけではないが、
 ポイント・カードひとつでも、「申し込んで下さい」といわれて用紙に記入するときに、必ず、持ち家かどうかを聞かれる欄があります。

 だから、彼ら夫婦には、言うに言われぬ不満とか劣等感があったと、私は、想像をするのです。そこを挽回する手段としての、こどもであり、ターちゃんは、はっきり言えば親の欲の犠牲者なのです。顔はかわいい。どこといって障害も無い。多分、育て方によっては優秀なお子さんとなったでしょう。

 下のお子さんは、反省をなさったのか、正反対の育て方(小さいとき、お母さんが、十分に家の中で遊んであげて、面倒を見る形式)をとられたので学業も優秀だったという話です。

 でね、ターちゃんを、他のお子さんから、優越させるための、あの放任だったと、私は今では分析しぬいています。

 こどもの優劣には、基準がたくさんあります。ひとつの価値で判断してはいけないのですが、体格が大きくて、顔も美形な両親は、手っ取り早い形での優秀さを好んだから、『外で、一人で遊べる子は、勇敢な男の子だ』という図式にこだわったのでしょう。その基準を満たすために、二歳ごろから、一日中外で遊ぶことを、ターちゃんに強いたのです。

 でもね、こどもって、荒野で、一人で育ちあがるものではないです。誰かが面倒を見ているから育つのです。それを両親は知って置かないと駄目ですね。

 それに、子供に夢を託して、自己実現を図るため(簡単な言葉で還元すれば、他人に威張るため)に、子供を叱らないで、物怖じしない子にしつけるのも、行き過ぎると、結局はマイナスとなって、親に帰ってきます。

 ターちゃんの親は知らなかったと思いますが、ターちゃんは担任の先生が代わるまで、ほとんど、外で一人で遊んでいたのですよ。線路際でねこじゃらしを、ふりながら。・・・・・かわいそうに、本当にかわいそうに。・・・・・もちろん親の意向はわかっているから家へ帰りもしません。一年生ぐらいだと電車に乗って映画を見るなどもできないし、同じく電車に乗って、図書館に行く知恵も無いでしょう。見ていて本当に痛々しかったです。

 私は、四年間かな。相当な時間面倒を見ましたが、ターちゃん自身は、ひどくかわいいと思っています。お母さんからも一回まじめな顔で、「川崎さん(雨宮の本名)に預けておけば安心だから」といわれています。

 そして、ターちゃんのお世話を親に代わって、できたことを、今では感謝しています。今ね。孫の世話もしていない駄目おばあちゃんですが、子育ての労働という意味では、本当に長時間やってきています。保育所とか幼稚園の先生として報酬をもらったわけではないが、それ以上のことをしたと自負しています。

 それも、・・・・・私の、天というか、神様に預けた・・・・・貯金の一つです。私が、事実上は、他者の意図的な攻撃としての苦労が、とても多いのに、どこか守られていて、ここまで自殺もしないでいきていられるのは、そういう貯金のおかげでしょう。そう信じています。
                         2010年2月16日  雨宮 舜
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ルソーの『エーミール」(元、美容指導員という、威張りやさん)

2010-02-16 11:58:55 | Weblog
 さて、私が今回の国母選手の件、特に第一回目の記者会見で「ち、(うる)せーな」と言ったことにものすごいこだわりを持ったのは、背後にある両親の育て方が透けて見えてきて、その点で、自分が昔、おおきな苦労をしたことを思い出したからです。そして、そのポイントで、単に個人的なものだけではなくて、現在、学校の現場で、先生方がどんなに、苦労をされているかを思い至るからです。

 親の中では、自己実現をこどもの出世で満たそうとする、人間はいるのです。子供をタレントにして、それで、高収入を夢見る。松坂慶子さんは、お父さんが亡くなったので、ずいぶん自由になったと思いますが、シャラポワ選手も、そういう何かが、影にあるらしい。で、この二人は大出世(高収入を稼げる立場を獲得)したので、葛藤は親子間でおわります。単にご自分の家庭内での、収入の配分の問題に帰するから、他人は高みの見物で終わります。

 そして賢くて、子供を真に愛する親は、問題を起こしません。子供の才能を信じて、正しく導くのなら、それは、尊敬の対象となります。石川遼くんも三浦皇成騎手も、菊池雄星投手の両親もばかげた問題を起こしませんし、ナンバーなどの雑誌でその子育てが特集されるほどです。
~~~~~~~~~~

 でもね、子供が2,3歳ごろに、すぐご近所に、この手の親が居ると、平凡な考え方をしている方が、こき使われることとなります。そして、結局は当のお子さんだってかわいそうなのです。結論を先に言ってしまえば、子ども自身も不幸になります。

 この件を説明するために、仮に、主役の名前をターちゃんとしておきましょう。

 ターちゃんは、小学校一年生のときから、不登校で、学校をサボっていました。
 不登校の原因は学校で担任にしかられるからだと思います。ターちゃんは、家では、二歳ごろから、丁寧には育ててもらっておらず、いすに座って落ち着いて何かをするということができません。折り紙ひとつでも落ち着いてやるような生活を親は嫌っていたのです。男の子だから外で遊ぶべきだという、考え方がありました。

 ターちゃんには、障害はまったく無いのです。自閉症でもないし、多動症でもない。頭脳は優秀だと思います。

 担任の先生は意地悪でした。最近、NHKプロフェッショナルで、定時制高校で、生徒を一生懸命指導をされている先生が出ましたが、正反対のタイプです。だから、父兄会で親を持ち上げるが、親に本当の問題を伝えたりはしないで、単に子供が面倒を起こせば、叱って「廊下に立っていなさい」というだけらしいのです。あれから、30年以上たっているから本当のことをはっきりいえますが、小さなこどもの面倒を見るのが、嫌いなタイプです。

 ターちゃんにとって、数十分間落ち着いて座っている、または立っているということ、それが、難しいのです。経験したことが無いからです。だから学校から、逃げ出してしまう。そして、家にも帰れない。

 お母さんは、元○○堂の美容部員だったそうで、高橋恵子と万田久子を足して二で割ったような美人です。知能程度が低いわけでも、残酷な性格でもないのです。

 しかし、美容部員というのは、・・・・・今はわかりませんが、・・・・当時は、人を美醜で判断して、自分より汚い顔のひとを、小ばかにしてしまう傾向を、職業上、作り上げるらしくて、『自分はとても偉いんだ』というか、『ここらあたりの普通の主婦よりも、一頭地を抜いて上なんだ』という意識があリました。それを、生活のファッションで証明したいがためか、ロックンロールのレコードを大音響でかけながら、編み物ばかりしているのです。

 そして、できた結果の作品を子供に着せている。だから、子供は、顔はかわいいし、お洋服はきれいです。一見すると<掃き溜めに鶴>というほど、目立ちます。

 だけど、自分で面倒を見ていないから、自分の子供でさえ、本当のことを何も知りません。ターちゃんが線路際で、猫じゃじゃらしなどを取って、一人で(というのも同年齢の子は学校へ行き払っていますから、周りには子供が居ないのです。それに年下の子と遊ぶのも親に見つかったら、叱られてしまうし、自分のプライドも許さないでしょう)、それを揺らしながら遊んでいても、何も気がつかないのです。

 で、真実の意味で改善をする方向で歩まないから、ターちゃんは結局、1970年代(日本が経済的に大発展をしていた時代)に中学卒で、学校は終わったみたいです。
~~~~~~~~~~~~

 ここまで言うと、単なる悪口を言っているみたいでしょう。だけど、ターちゃんが2歳から6歳になるまでの四年間、ほとんど、隣の私が育てたようなものだから、発言する権利はあると思うのです。

 朝、8時15分にフジテレビの子供番組が終わると、すぐ我が家に来ます。こどもの集団ができると、親はついていなくては成らないので、そんなに朝早く、外へ私が出られませんから、家へ入れます。今、都会に住んでいるお若いお母さんなら、これが、どれほど、エチケット違反かは、わかっていただけるでしょう。しかも、ターちゃんは、午後6時まで家に帰らないのです。お昼は15分程度で済ませて、すぐ、うちへ来ます。そして、お互い様ということが一切無くて、年がら年中、私の方だけが子守り役です。

 だけど、ターちゃんが一人混じってしまうだけで、子供の集団が全体に、大変手が掛かるようになってしまうのです。それは、ターちゃんが一切のしつけというのを受けておらず、やってよいことと、悪いことの判断ができていなくて、私がいちいち、監視して、注意しなければならないのです。それだけでも大変なのに、一切、その注意が理解できないのです。馬鹿じゃあないのですよ。だけど、学ぶという基本的な態度とか、は、しつけという形で、親から最初に受けていないと、他人はだれも、教えることができないのです。

 でね、あまりに不思議で、あるとき、「どうして、こういう育て方をなさっているの?」と質問をしたら、高校時代、社会科の先生が、ルソーの『エーミール』を教えてくださったのだそうです。それに、感動しているから、それを生かしながら、子育てをしているとのことでした。
~~~~~~~~~~~~~

 『参ったなあ』です。二歳ごろから外へだして、野生児として育てることが強さを生み、優れた子を育てるという信念に基づいた、私の心身の酷使だったのです。反省するとか、私の苦労を思いやるという姿勢は微塵もありませんでした。

 だけど、彼女がしっぺ返しを食らう日も、結構早めに、来ました。2,3の幼稚園すべてで、入園拒否をされたみたいです。私もそれを聞いて、『ふーん、さすがに、幼稚園の先生って、プロだわ。ターちゃんが入園したら、園全体を引っ掻き回して、秩序なんかめちゃくちゃになってしまう。それを、たった、3分程度観察するだけで、見抜くのはすごい』と、感嘆したものです。」

 だけど、それを聞きながら、『そんなに、大変な子を、ほぼ、三年間、起きている間のすべての、面倒を見続けている私に、あなたは、何をお返しにくれているの?』と、私は心の中で大憤慨をしました。ターちゃんの養育で、こちら側は消耗しきってしまい、歯を三、四本失いました。30年以上前の、当時のお金で、一本につき、三、四十万円をかけて、最先端のインプラントをやりました。金銭的には、私の親に援助も受けました。超がつくほど、高級な歯医者さんで、治療をしなければならなかったのは、小さい子二人をを母に預けて、治療を受けなければならず、実家のある日吉駅周辺では、歯医者さんの治療代は、その当時は、高かったのです。今は赤ひげ風の治療をしてくださるところに通っていますが、

 私は内心では、毎日彼女に対して怒っています。が、普段の日に、特に子供たちの前で、それを、顔に出す人間ではなくて、毎日の生活は、諄々とやるべきことをやるだけだから、自分ちの子どもたちと遊びたがるターちゃんとその妹は、いつも、私が面倒を見ていることとなりました。

 この項は、もちろん、続きます。三年間以上の毎日を総括するためには、簡単な文章では終わりません。                 2010年2月16日   雨宮 舜

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田舎のねずみと、都会のねずみ、(国母選手の5)

2010-02-16 00:59:19 | Weblog
 今回国母選手という得がたいキャラクターが現れて、いろいろ、ものを考えさせてもらってありがたいです。他の選手を分析してもここまでものを考えさせられたことはありません。

 私は、田舎で少年(女)期を過ごした人の良さをつくづく感じています。西原理恵子さんが、その筆頭ですが、元気です。角を矯めて牛を殺すという言葉があるが、都会、特に東京圏で育ちあがると、さまざまな抑圧の元に育ちあがりますので、人間として、大きなことができにくいタイプとなりがちです。勝間和代さんは、東京育ちなのに、突出して元気ですが、四人兄弟の末っ子だということです。で、のびのび育ちあがられたであろうから、例外とさせていただきたいです。

 都会で育ったひ弱さの典型としては、徳川慶喜公があります。しかし、いまどきの都会育ちは数が多すぎて典型としてあげる人がありません。一方で田舎育ちのスターといえば、菊池雄星投手です。
 かれこそ、田舎育ちで、物怖じしないで育ってきた人間のよさを、びんびんと、感じさせてくれる存在です。ただ、家庭のしつけもよかったらしい。親の監督(口は出さないものの、愛情はたっぷり注がれたみたいです)も、適宜だったと思われます。これから、西武の首脳陣と同輩は、気を使うことでしょう。どう育てるかについて。

 ところで、童話で『田舎のねずみと都会のねずみ』というのがありましたけれど、都会の生活の、良くないところも述べたいと思います。

 まず、マンションでは、床下に物音が響くので、二、三歳ごろから、子供にさまざまな規制をかけないといけません。それから、中学受験が広まっているので、その成功不成功もどことは無い比較の対象となります。それが、行動規制を生みます。

 大人になってからもそういう件で差別を受けたことがあります。電話で、「川崎(雨宮の本名)さん、○○さんの息子さんは東大教授ですよ」と言われて、憤慨したことがあります。我が家では私も主人も、こどもたちも、東大出ではないです。でも、かつがつのところですが、幸せに暮らしています。こんなに毎日、きちんきちんと、文章が書けるのも、安定した暮らしが裏にあるからです。だから、東大を引き合いに出して、足を引っ張るというか、軽蔑をされたから怒ったのです。

 後から思えば、そういう発言で人をいじめた人自身も、東大出ではないので、笑っちゃう話です。それに、ご自分のお子様が女の子だけだったから気楽にそんなことがいえたが、これから、男のお孫さんができたので、そういう方面が身近になって、うかつに発言ができないことは骨身にしみてお感じになるでしょう。他人のことは、知らん振りが都会のマナーです。

 が、私が憤慨したのは、その人が、もう一点余計に、間違っている点があるからです。都会では、人間の優劣が、学歴(というか偏差値)の上下だけが尺度ではないということを忘れていることです。本当の都会人は骨身にしみて、それを知っています。だから、絶対に安易に人の上に立とうとしないし、人と比較をしません。複雑に絡まった、いろいろな基準があるからです。だから、みんな平均的に横並びで、突出しないように工夫をしています。静かな暮らしというのを目指しているわけです。
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 その尺度の違いという意味での、挿入ですが、この前、鎌倉で、一億七千万円の不動産の売りものが出て、敷地が二百坪以上、部屋数も女中部屋やアトリエを含めて、10以上というので、興味を抱きました。どなたのものかと思ったら、横山泰三さんのおうち・・・・らしかったです。

 横山隆一さん、泰三さん兄弟は、それこそ、四国から出てきて、筆一本で、大金を稼いでいった人たちです。東大卒ではないと思います。

 ところで、漫画の世界といえば、梅図かずおさんの家が、建設途中でご近所様から文句が出たということが過去にありました。あれも、突出したことを嫌う都会気質が表れた件でしょう。それと、サラリーマン社会の規範からずれている漫画家が大金を稼ぐことへのご近所様の潜在意識的な嫉妬もあったかもしれません。嫉妬のことは大変な問題です。
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 以上の文章は、実質的には土曜日13日に考察したことです。国母選手という面白いキャラクターが出てきて、いろいろものを考えたからです。いじめるわけではないが、田舎の出身だから、容易にスターになれるから、ちょっと、甘やかされすぎていましたね。

 その結婚話が、特にマイナスの印象を与えました。結婚とはセックスだけを目的にするものではないです。妻は、日本の場合は、一種の母であり、秘書です。だから、妻は夫を育てます。夫も妻を育てるのですが、国母選手の奥様は、いったい何をしていたんでしょうか。『オレ様流の腰パン王子』と、マスコミはもてはやしているけれど、若い人は、彼には、は魅力を感じていないと思います。もし、彼に魅力を感じている存在が居るとしたら、よっぽど、ものを考えていない存在でしょう。

 ここで、さらに、はっきり言ってしまいましょう。彼が、「オレはさー、セックス、毎晩しないと、意欲が出ないんだー。練習する気もおきねーよ」などと、周辺に言っていたと仮定します。マスコミを相手にしていても「はんせいしてまーす」と語尾を延ばしたり、「ち、(うる)せーな」と言ったりするぐらいですから、この程度の発言は、数年前からあったと、私は推定します。で、甘やかし放題の周辺が、あっちこっちで、女性トラブルを起こされたら困るから、ひとまずステディな子と式を挙げて、入籍させてしまおうと考えて、お膳立てをした、そんな結婚のような気がするのです。

 だって、すべての青春小説には、その・・・・・セックスへの渇望と、自分の将来達成すべき目標との、葛藤・・・・・が現れています。で、一般的な尺度で言えば、オリンピック代表選手を目指すのなら、そのセックス関連の欲望を、他者に見せないのが、礼儀であり普通です。彼が極端に、甘やかされてきたことを、その結婚が証明してしまっています。だから、素敵な人間とは、見えないのです。ファッションの問題ですが、ファッションイコール生き様であり、それが、批判をされたのです。彼は、もちろん、何を言われても物ともしないのでしょう。それで、いいんですよ。いまさら、離婚もできないし。

 ただし、五輪選手となったことを好機として、大衆受けを狙いたいと思っていたのなら、それは、ピントが、ずれていました。将来コマーシャルの世界にでも打って出ようと思っていたのなら、やり方がまずかったのです。考え違いをしていました。東京の水を浴びていないから、感覚が狂っていた。
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 特に東海大学については、松前重義さんの印象が濃いから余計に、違和感を感じます。

 松前重義さんは、講道館の館長でもあったと思います。戦前の華族様で、白髪のはかま姿が。ピシッとしていらっしゃいました。そのイメージとは、あまりにもかけ離れた国母選手の雰囲気に、大勢の人が、戸惑ってしまったのも、無理ないと思います。東海大学も箱根・駅伝や、原巨人軍(およびWBC)監督の存在などで、営々と築き上げてきた・・・・スポーツでも、優良な学園・・・・というイメージを、大いに損なったと思います。

 だって、これから、真剣な勝負事に向かう青年が、21歳で、既に結婚をしていること自体、(いや、報道によると、DVDも出しているそうですから、お金もご本人が稼げるのかもしれません<*1>。だったら、金銭的には、結婚していてもかまわないとは、思います。が、オリンピックは、アマチュアーのものだと思うから)違和感が突出してきます。

 日本の古くからのしきたりでは、武道とか勝負に励むものは、水垢離などして、精進潔斎に励むものでしたからね。ここで、彼が、本当に・・・<ヒロイズムを発揮したい>・・・のなら、オバマ大統領みたいに、スキンヘッドにして、きりりとした面構えをみせて、ひげもそったら、真実、格好が良くなって、見事に、日本国民に受けるというか、受けなおすでしょう。
 日本の男子とは、古来、そういう形で、反省の意を示したものです。
 ま、彼にしてみれば、『自分は、いわゆる体育会系、とは違うんだよー。もっとおしゃれなんだよー』という認識がありそうですから、『坊主頭になるなど、滅相も無いよー。とんでもねーやー』と思っていることでしょう。

 <*1>、でも、いくらDVDが売れると言ったって、生活費+遠征費+道具代+HP使用料など・・・・が、その収入で、まかなえるはずが無くて、やはり、金銭的には、親掛かりの青年だと思います。甘すぎる普段の生活が裏にあって、それが表にまで露呈をしてしまったので、大いなる批判を受けた・・・・ということでしょう。

 北海道の石狩平野だけでは通用した、物怖じのしないという、よさ(?)が、東京圏などで、自分を抑えながら普通の生活をしている人たちに、批判をされたわけです。結婚だって、今の若い人は簡単には、できないのですよ。収入や将来のことを考えると、簡単には踏み切れないのです。だから、少子化の問題も起きているのですよね。

 それなのに、好きなことをやるだけではなくて、結婚もしていて、ファッションや礼儀でも、やりたい放題をしているという姿は、嫉妬だけが元に、批判をされたわけではないと思います。いじめだけでもないでしょう。だって、そういう普通の人のお金で、カナダへ派遣をされているわけですから、みんなが怒ったのです。

 人間とはお互いに利用をし合っているものです。だけど、利用をするにしても、礼儀とかルールがあって、人のお金を利用するのなら、自分ひとりの突出(宣伝行為)が、嫌われても仕方がないです。
                   では、2010年2月14日   雨宮舜 
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