本日(書いたのは昨日29日で、送るのは、本日、30日ですが)
2010年4月29日、覚園寺さまに、樋口恵子さんの講演を聴きに行って来ました。連休初日、「今年のゴールデン・ウィークはこれで、結構です。ほかになにもしないでよい」と思うほど、美しい建物と環境に接してきました。講演の内容については後日とさせていただいて、今日は覚園寺さまが持っておられる、講堂(またはナオライ殿=接待所)を描写させてくださいませ。
事前には、境内にある、神奈川県内から移築をされた旧・庄屋宅で、講演が行われると予測をしていました。で、その家には土間があり、その次に板の間があり、その次に、畳の部屋がある構造だったと思います。だから、お座布団が供されて、正座してお話を聞くのだと予想をしていたのです。
しかし、実際には初めて見る新しい講堂で、椅子着席形式で行われたのです。それが、建造されたのは、いつかは知りませんが、ともかく、何度も訪れている覚園寺さまで、今日初めてそこに入りました。
鎌倉のたいそうな建築としては、我が家の東側に、鶯吟亭と言うのがあります。これは、八幡宮様がもっておられる接待所ですが、私は駅に向かう日には必ず前を通るのに、ほとんど、人気が無いので、エリザベス女王とか、天皇・皇后がいらっしゃったときにだけ使われる邸宅だと感じています。地境を接しているので、元の持ち主の白井さん(川口元外相のご親戚)が我が家を訪れられた事があるのですが、瀟洒な数奇屋風、平屋建てです。
また、もうひとつ、すごい建築は旧華頂の宮邸です。あと、個人の建物で豪華なものはあるとは思いますが、本日拝見した建物も、
ロココ調の豪華さはないが、日本の木造建築のよさを十分以上に伝えるものでした。
覚園寺さまは、講演後のレセプションパーティのことでお忙しいみたいだったので、その建物が富山から移築をされたとだけ聞いて、後は、グーグルで検索をしようと思って帰ってきたのです。しかし、WIKIPEDIAでも、一切記述がないのです。と言う事は、そこを一般公開されるおつもりがないということで、今日の経験は僥倖であって、私にとっては、二度とないことですので、本日それの描写をさせていただきたいと思います。
と言うのも、講演会の主催者は、鎌倉ロータリークラブで、私はその会員ではないので、二度と、この講堂を拝見する事ができないからです。鎌倉の通が、案内するとしたら、「今現在の第一の名所は、覚園寺だ」とみなさんが言っていますが、その講堂(または接待所)を、鎌倉ロータリークラブがつかうとは、覚園寺さまの立場や人気を十分に現していると感じました。でも、WIKIPEDIA等を丁寧にご覧になると出ていますが、覚園寺様には明治以降大変な時期があった(足利尊氏の支援を受けた過去をとがめられた)のです。それを思えば、感慨ひとしおです。
明治政府が、急に建立したであろう、大塔の宮(鎌倉宮)を20年ぶりぐらいに、帰途、きちんと拝殿まで入る形で訪れましたが、衰退しているのには、びっくりしました。官製のお宮でサラリーマンが守っているところと、家族が守っている場所との違いが明瞭です。信念を持って生きることの大切さを覚園寺さまの故事は教えてくれます。
鎌倉ロータリークラブが使う場所としては、ほかにもスペースが大きい場所はいくらでもあるはずです。でも、希少価値があり、きれいだと言う点で、ここが選ばれたのでしょう。
建物は三階建てです。昔は農家(豪農)だったのではないかしら。白川郷の合掌造りみたいに、最上階が蚕室だったと想像をされます。古いものを、換骨堕胎(いえ、骨組みだけ残して、新しい上等な素材で、補強)してありますが、黒光りする梁と、腰より下にある窓が、その想像を裏付けます。でも、100以上のしっかりした椅子を置き、かつグランドピアノがあり、演台があり、金屏風(年代ものの美しいもの。ホテルによくあるキンキラキンのものではない)が備え付けられていて、さらに余裕があるので、相当に広い部屋です。このお屋敷はここに移築をされて幸せでした。元の持ち主の子孫さんは、持ちこたえられなかったと想像されます。
皆さんは松本城にいらっしゃった事がありますか? あそこは五層(五階建て)だったと思います。こちらは三階建てですが、窓が下向きなので、庭がちょうど見下ろせる形です。松本城からは、観光客が歩いている広場が見えるわけですが、こちらでは、新緑だけが見えます。今年の寒さゆえに、今日あたり、新芽が芽吹く美しさにあふれています。人間の姿はまったく見えません。それが、桃源郷に遊ぶと言う感覚を与えてくれました。
私は大体にして、西欧的なもの、しかもデザインがモダンなものが好きなのに、和風の美に、今日は打たれました。
さて、講演を聴いたら、すぐ帰るつもりでしたが、ロータリークラブの会員らしい美しい奥様に引き止められたので、15分程度、お茶をいただいて帰りました。皆さんは、これから懇談後、その美しいお庭を、拝見して帰られるそうです。
私は、その後、二階堂のこれも、静かな喫茶店で、休憩を取り、山すそを縫って、こ一時間ほどかけて我が家に帰りました。我が家の近辺は、鎌倉街道に接しているので、駅には近いものの、二階堂の静けさと空気のきれいさには、負けます。木々も排気ガスで、傷んでいるような感じです。今日の、鎌倉・二階堂は、本当に美しかったです。そして、得がたい眼福もえました。あの講堂は、すばらしい建物です。江戸時代の文化的・かつ経済的蓄積を伝えるものです。
鎌倉にはほかにも、講堂(または、接待所)のすばらしいお寺がいっぱいあります。が、たいていは、ふすまを払うと四つの部屋が大広間に変化する形式の、畳敷きのお部屋ですので、今日の建物は、ひときわ異色でした。そして、庭と合体した独特の美に満ちていました。
ところで、これは、自分でもびっくりですが、私は鎌倉ロータリークラブの人たちに、まったく劣等感を抱かずに、淡々と、接して帰ってきました。それも、年の功と言うものでしょう。このごろでは、不思議なくらい、落ち着きを得てきています。
ただ、樋口恵子さんの講演が、高齢化社会の話で、平均寿命が、女性は、86歳と聞くと、『そこまで後、20年も、さらに長く生きなければ、ならないのか。億劫だし、大変だなあ。大活躍ができなくても、ただ淡々とでも、生きて行かなければならないと言う事は、本当に大変だ』と思いました。火事場の馬鹿力ではないが、人間は短期的に、かつ高い目標を掲げると、生きがいとなり、生き生きとします。だけど、何かをするのには軍資金が必要ですので、あれこれ、自由に行動するわけにも行きません。
・・・・・講演の内容については、また、別の日に詳しくお話をさせてくださいませ。では。
2010年4月30日 雨宮 舜
2010年4月29日、覚園寺さまに、樋口恵子さんの講演を聴きに行って来ました。連休初日、「今年のゴールデン・ウィークはこれで、結構です。ほかになにもしないでよい」と思うほど、美しい建物と環境に接してきました。講演の内容については後日とさせていただいて、今日は覚園寺さまが持っておられる、講堂(またはナオライ殿=接待所)を描写させてくださいませ。
事前には、境内にある、神奈川県内から移築をされた旧・庄屋宅で、講演が行われると予測をしていました。で、その家には土間があり、その次に板の間があり、その次に、畳の部屋がある構造だったと思います。だから、お座布団が供されて、正座してお話を聞くのだと予想をしていたのです。
しかし、実際には初めて見る新しい講堂で、椅子着席形式で行われたのです。それが、建造されたのは、いつかは知りませんが、ともかく、何度も訪れている覚園寺さまで、今日初めてそこに入りました。
鎌倉のたいそうな建築としては、我が家の東側に、鶯吟亭と言うのがあります。これは、八幡宮様がもっておられる接待所ですが、私は駅に向かう日には必ず前を通るのに、ほとんど、人気が無いので、エリザベス女王とか、天皇・皇后がいらっしゃったときにだけ使われる邸宅だと感じています。地境を接しているので、元の持ち主の白井さん(川口元外相のご親戚)が我が家を訪れられた事があるのですが、瀟洒な数奇屋風、平屋建てです。
また、もうひとつ、すごい建築は旧華頂の宮邸です。あと、個人の建物で豪華なものはあるとは思いますが、本日拝見した建物も、
ロココ調の豪華さはないが、日本の木造建築のよさを十分以上に伝えるものでした。
覚園寺さまは、講演後のレセプションパーティのことでお忙しいみたいだったので、その建物が富山から移築をされたとだけ聞いて、後は、グーグルで検索をしようと思って帰ってきたのです。しかし、WIKIPEDIAでも、一切記述がないのです。と言う事は、そこを一般公開されるおつもりがないということで、今日の経験は僥倖であって、私にとっては、二度とないことですので、本日それの描写をさせていただきたいと思います。
と言うのも、講演会の主催者は、鎌倉ロータリークラブで、私はその会員ではないので、二度と、この講堂を拝見する事ができないからです。鎌倉の通が、案内するとしたら、「今現在の第一の名所は、覚園寺だ」とみなさんが言っていますが、その講堂(または接待所)を、鎌倉ロータリークラブがつかうとは、覚園寺さまの立場や人気を十分に現していると感じました。でも、WIKIPEDIA等を丁寧にご覧になると出ていますが、覚園寺様には明治以降大変な時期があった(足利尊氏の支援を受けた過去をとがめられた)のです。それを思えば、感慨ひとしおです。
明治政府が、急に建立したであろう、大塔の宮(鎌倉宮)を20年ぶりぐらいに、帰途、きちんと拝殿まで入る形で訪れましたが、衰退しているのには、びっくりしました。官製のお宮でサラリーマンが守っているところと、家族が守っている場所との違いが明瞭です。信念を持って生きることの大切さを覚園寺さまの故事は教えてくれます。
鎌倉ロータリークラブが使う場所としては、ほかにもスペースが大きい場所はいくらでもあるはずです。でも、希少価値があり、きれいだと言う点で、ここが選ばれたのでしょう。
建物は三階建てです。昔は農家(豪農)だったのではないかしら。白川郷の合掌造りみたいに、最上階が蚕室だったと想像をされます。古いものを、換骨堕胎(いえ、骨組みだけ残して、新しい上等な素材で、補強)してありますが、黒光りする梁と、腰より下にある窓が、その想像を裏付けます。でも、100以上のしっかりした椅子を置き、かつグランドピアノがあり、演台があり、金屏風(年代ものの美しいもの。ホテルによくあるキンキラキンのものではない)が備え付けられていて、さらに余裕があるので、相当に広い部屋です。このお屋敷はここに移築をされて幸せでした。元の持ち主の子孫さんは、持ちこたえられなかったと想像されます。
皆さんは松本城にいらっしゃった事がありますか? あそこは五層(五階建て)だったと思います。こちらは三階建てですが、窓が下向きなので、庭がちょうど見下ろせる形です。松本城からは、観光客が歩いている広場が見えるわけですが、こちらでは、新緑だけが見えます。今年の寒さゆえに、今日あたり、新芽が芽吹く美しさにあふれています。人間の姿はまったく見えません。それが、桃源郷に遊ぶと言う感覚を与えてくれました。
私は大体にして、西欧的なもの、しかもデザインがモダンなものが好きなのに、和風の美に、今日は打たれました。
さて、講演を聴いたら、すぐ帰るつもりでしたが、ロータリークラブの会員らしい美しい奥様に引き止められたので、15分程度、お茶をいただいて帰りました。皆さんは、これから懇談後、その美しいお庭を、拝見して帰られるそうです。
私は、その後、二階堂のこれも、静かな喫茶店で、休憩を取り、山すそを縫って、こ一時間ほどかけて我が家に帰りました。我が家の近辺は、鎌倉街道に接しているので、駅には近いものの、二階堂の静けさと空気のきれいさには、負けます。木々も排気ガスで、傷んでいるような感じです。今日の、鎌倉・二階堂は、本当に美しかったです。そして、得がたい眼福もえました。あの講堂は、すばらしい建物です。江戸時代の文化的・かつ経済的蓄積を伝えるものです。
鎌倉にはほかにも、講堂(または、接待所)のすばらしいお寺がいっぱいあります。が、たいていは、ふすまを払うと四つの部屋が大広間に変化する形式の、畳敷きのお部屋ですので、今日の建物は、ひときわ異色でした。そして、庭と合体した独特の美に満ちていました。
ところで、これは、自分でもびっくりですが、私は鎌倉ロータリークラブの人たちに、まったく劣等感を抱かずに、淡々と、接して帰ってきました。それも、年の功と言うものでしょう。このごろでは、不思議なくらい、落ち着きを得てきています。
ただ、樋口恵子さんの講演が、高齢化社会の話で、平均寿命が、女性は、86歳と聞くと、『そこまで後、20年も、さらに長く生きなければ、ならないのか。億劫だし、大変だなあ。大活躍ができなくても、ただ淡々とでも、生きて行かなければならないと言う事は、本当に大変だ』と思いました。火事場の馬鹿力ではないが、人間は短期的に、かつ高い目標を掲げると、生きがいとなり、生き生きとします。だけど、何かをするのには軍資金が必要ですので、あれこれ、自由に行動するわけにも行きません。
・・・・・講演の内容については、また、別の日に詳しくお話をさせてくださいませ。では。
2010年4月30日 雨宮 舜