副題2、『村西監督は、反動勢力に、利用されているかどうか?』
副題3、『山本太郎と、高岡蒼甫の扱いの違いに、差を見つけよう』
副題4、『引き続いて、被害が大きい、私だが、今は沈黙している。その理由は?』
副題5、『なぜ、被害を受けるかというと、私の意見が正真正銘の本物だからだが、
・・・・・最近、私が、原発事故について触れないのはなぜなのか?』
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副題1、『村西監督は、原発について、あながち悪くないという』
ポストセブンというサイトがあります。小学館系の週刊誌から選んだ記事をウエブサイトに載せているもの。それの記事のひとつにとして、村西監督の談話、・・・・・特に福島原発について・・・・・が、載っています。
村西監督の意見を簡単にまとめると、・・・・・
*1、私はいわき市の出身である。だから
*2、福島第一原発のあたりのことをよく知っている。
*3、そこは、農村としても、漁村としてもお金を生まない土地であった。
*4、で、男性は都会に出稼ぎに出るのが普通であった。
*5、そこに原発ができて雇用が生まれ、男性は地元で就職するようになり、地域が潤った。
貧乏から脱出できたということは、その地域の人たちにとっては、重要なことである。
貧しさから、首をつって死んだ人もいる。
*6、山本太郎氏が、原発は人が死ぬからいけないというが、遅効性だ。
一年におもちで死ぬ人が、200人いるし。
*7、だから、私としては、「一方的に、原発が悪い」とは、言えないのだ。
・・・・・と、なります。
で、これが、紹介をされていた時に、直感として、よい意見だと思いました。
が、ちょっと弁明をしないといけません。
というのも、長らく継続をして、このブログを読んでくださった方にしてみたら、『あれ、矛盾をしていませんか?』とお感じになるでしょうから。『あなたは、原発には反対なのでしょう?」っと。
そうですね。ほぼ、70万字以上、単行本に直すと、7冊以上分も、こちらから、あちらからと、分析し、問いただし、原発がこの日本にあるとどうしていけないかを主張してきたはずです。それと、真っ向から対立する意見ですよね。それをどうして好むかと、問われば・・・・・・その答えは、
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副題2、『村西監督は、反動勢力に、利用されているかどうか』
・・・・・・この『原発はあながち、悪いものでもない』という意見が、誰かに教唆されて生まれた意見か、そうでないかを考える・・・・・・と出てきます。今のところだけですが、『村西監督は、利用をされていない』と判断します。これが重要なのは、2011年6月ごろから激しい反動が出てきて、
*1、国会、特に内閣が総入れ替えとなり、
*2、情報の開示が突然に止んでしまい、
*3、文化人たちが、騒ぎ始めて、・・・裏の本当のところはわからないものの、・・・表向きは、総原発反対となった。
そういう中で、この手の意見を吐くことは、自らの、ビジネスライフにおいても、死命を制することだからです。
特に第一に、大衆的な、にんきが、必要な立場です。上記のような意見を述べることは、世の人々の反発を招く恐れがあります。が、どうどうと、発表している。それに気圧された・・・・・というわけでもなく、
判定ポイントが、山本太郎をどう見るかという、点にあり、山本太郎という存在を、肯定していないところに、大いなる信頼を与えたのでした。山本太郎をほめる、または、支援する文化人は、実は、親・原発なのだ・・・・・と、私は見ています。
それについては、以前から、詳述してきていますが、今、どこにあるかを探している暇がないので、
これも、簡単に、まとめますと、
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副題3、『山本太郎と、高岡蒼甫の扱いの違いに、差を見つけよう』
さて、3月11日以来、百家争鳴といっていいほど、意見が出てきたわけですが、その中で、とびぬけて話題になったのが、この山本太郎君と、その後、韓国ドラマが放映されすぎだといって、舌禍を招いた、高岡蒼甫君です。
両方とも、プロダクションから、放追されたということです。
だが、起こしたことの軽重を問えば、山本君の原発反対行動の方が、大衆の目に留まる具合も大きく、その後の活動、と展開も派手です。
一方で、高岡蒼甫君のしでかしたことは、携帯を利用したツィッターで、「フジテレビは韓流ドラマの放映が多すぎる」といったことだとか。より小さいことです。
が、その後の批判の集中と生活の大変革を見ると、
高岡蒼甫君の方が、損失が大きいのです。これは、素直に考えるとおかしいことです。が、まかり通っている。どうしてか?。
それは、山本太郎君の方は、許容された原発反対者として、庶民の不満の、ガス抜きのために利用をされているという向きがあるからです。だから彼の経済活動と役者としての活動は将来ともに保証をされています。
私はどこかで、彼は北野監督に拾われるはずだと、述べていますが、それを書いた途端に、発表が止んでいますが、終局的には、北野氏の配下に入るタレントとなるでしょう。
そして、田原総一郎氏とも対談などを行っています。ウエブサイト上では、田原氏に喝を入れられる、山本太郎などという文字が躍っていますが、中身を丁寧に読むと、田原氏が、支援し肯定をしていることがわかります。
ところで、今日は大みそか。主婦である私は大働きをしないといけないのに、昨夜から、連続26時間、起き続けています。それで、申し訳ありませんが、徹底的に乱暴にまとめると、
この北野武監督、田原総一郎氏、および小沢一郎氏は、対庶民向け、エージェントとして別格の大きな役割を担っている人材なのです。ここに、死亡したと、発表をされている井上ひさし氏を加えましょう。
講談社から上下、二巻の『一万歩の男』という小説が、この10月に出ました。死後、これほど、大々的に書籍が出版をされる作家は、いなかったと思います。これこそ、井上氏が、大エージェントとして、表向きは死を装い、地下潜行して、種々様々な、庶民を洗脳するための、アイデアを練っており、それに対する論功行賞として、与えられている名誉だと感じています。
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副題4、『引き続いて、被害が大きい、私だが、今は沈黙している。その理由は?』
さて、このように、一方(=山本太郎)は持ち上げられ、一方(高岡蒼甫)の方は蹴落とされ、消えようとしているわけですが、その差は、ひとえに、現代の最大の権力者である、国際的軍産共同体のエージェントたちにかわいがられているか、そうでないかの差にすぎないのです。
で、私自身について言えば、無論のこと、後者です。
で、2007年から、非常に顕著になった莫大な被害を、こうむり続けている人物の一人です。
さて、その被害について、私は、この2011年の、10月までは、語り続けてきています。が、突然に、引いて、それを語らなくなりました。11月の初めから。それは、なぜか。
そのころから、大変に親しい、三人の人が敵方として、また、新たに立ちはだかってきたので、それを、どう対処するかを考えて、じっと、様子を見ながら、待っているところなのです。
何を待っているかというと、1月21日に開催されるクラス会をです。クラス会が、罠となって大きないじめを受けることは、2009年の一月から明瞭にわかり始めました。すさまじいいじめなのです。それも今のところ、大学と中学がことに、顕著です。高校は、皆さんが、品が良いので、クラス会当日には被害が顕在化しません。が、ほかの日にはいろいろあります。で、1月21日は大学のクラス会です。そこで、どういう罠が待っているかを、じっと、待っているところなのです。
で、11月中と、12月中に加えられたネット上の被害、および実生活上の被害については一切黙っている私です。じっと耐え忍んで、何が起きるかを待っている私です。
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副題5、『なぜ、被害を受けるかというと、私の意見が正真正銘の本物だからだが、
・・・・・最近、私が、原発事故について触れないのはなぜかなのか?』
これも、虚々実々の目くらまし作戦です。敵もさる者ひっかくものですが、こちらも、対抗上、頭がよくなくては乗り切れません。で、種々様々な路線変更を伴いながら、生きているわけです。
で、最近、真正面からは、原発事故を取り上げません。
で、敵様連中がどういう風に考えているかというと、『これは、弾圧策が、成功した。この手で彼女を黙らせてやろうと』いうわけで、ひどい程度で、弾圧策は引き続き行われています。
が、柔よく剛を制する私のことです。負けっぱなしで終わる人間ではありません。いつかは挽回しようと秘策を練りに練っているわけですが、それでも、今のところ、実際問題としては、負けっぱなしという形をとっているのは、
一つには、上にあげた、1月21日を待っているということがありますし、
一つには、『庶民は元気だ』と感じることがあるからです。消費は、引き続き低調でしょう。が、繁華街における人出が多いです。また、中堅インテリも元気です。この場合における中堅インテリとは、まだ、大メディアに拾われてはいないが、活発に意見を述べることのできる人材という意味です。フェイスブックに入ってわかったことは、そういう人材が活発に意見を開示しているということです。で、やや安心をしたのです。孤独を旨として、必死で戦ってきたが、その時節は終わったと感じています。
私はメルトダウンのことを、次の大爆発と、呼んでいて、『それが来る可能性があるから、皆さん逃げなさい』と必死で、3月から5月にかけて訴え続けてきたわけです。
でも、何のことはない、すでに、メルトダウンは起きていたのです。だから、福島県一帯の人は、本当は逃げた方がいいのです。だけど、それは、ご自分たちが気が付き始めています。
最初のころですが、コメントとして、『川崎さんのサイトだけ、信じられる。でも、これを福島の人に送っても、信じないのよ。政府や、東電などの言うことしか信じないの』と読者からご報告をいただいていますが、今では、福島県民そのものが、知事を先頭にして、東電を疑い、政府を疑っているでしょう。
やっとですが、この核燃料ビジネスの果てしない嘘と洗脳政策に、普通の人、一般の人が、気が付き始めているのです。
ですから、私は、もう、孤軍奮闘をしなくて良いのです。大勢の人が真実に目覚め始めていますから。皆さんが、自分の身に降りかかる必死のこととして、核物質による被害を、考え始めているからです。それは、目に見えないものである。だから、だれも、その被害を真剣に受け止めていなかったのが、福島県下在住民の最初の反応でした。
飯館村に、官房副長官が行って、公聴会を開いたときに、フロアーの農民たち、特に牧畜業者、から怒号を浴びました。それを見ていて、『あなた方は税金を使って、今救済されようとしているのですよ。それを怒号を持って、はねつけるとは何事ですか?』と、この頁で、叱りつけていますが、あれも、今は昔のこととなっているでしょう。その人物は、今は、恥を感じているはずです。
本当は村西監督と、その生き様について、もっと何かを語りたいのですが、例のごとくの寝不足と大みそかであるという特殊な条件が重なっていますので、それを、オミットします。だが、『天邪鬼気質は、非常に高く買います。私も似たような気質を持って、ものを書いていますから』とだけ、ここで、言っておきましょう。
2011年12月31日 雨宮舜(=本名、川崎 千恵子)