この一文は、初期の総タイトルを、【白井達雄氏の勤務先を教えた男は、40年前法務局に現れたおしゃれ吏員(しかし、実際はCIA要員)と、同じ人間だったかな?】としておりましたが、17日の、午前二時に上のものへと変えました。郵便配達は二度あらわれると、いう映画のタイトルをもじってあります。
これは、100%前報(あと注1)の続きです。そこに加筆として入れたいぐらいですが、これは、これで、ある種の面白みがある文章となる予定なので、独立をさせました。実は政治というよりは哲学としたい文章なのです。が、登場人物のすべてが、・・・どうしてそういう動きをするか?・・・という方向で、考えると、その原因と理由はすべて、1978年時からの瀬島龍三と、1965年時からのベーカーさんと、2005年時からの石川和子さんの、動きに、在り、その三者のすべてにCIAの陰が引っ付いているので、政治の文章となります。今は、18日のごぜん10時ですが、さいごの推敲を始めます。
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副題1、『その男性と出会ったのが、いつだったかが問題だが、NHKニュースとなる様な事案でもないので、私は、日時を記録をしていない・・・・・しかし、そのタイミングが、とても重要なので、色々な、側面から推察していこう』
私は2008年までは、積極的に本の編集をして居ました。しかし、工業的印刷にかけ、工業的な製本をする、本用の、データを作ったのは、すべて東京だったと、記憶しています。自宅で、仕事ができない時期だったのです。この一週間もパソコンへ大量な攻撃を加られて、そのメインテナンスに、大きな時間を割かなければいけなくて、冷蔵庫移転後の、整理整頓ができておらず、その余波で、夫婦げんかしきりですが、これが、本のデータを作っていたころは、現在の比ではないほどの、破壊工作を受けていて、いつも外で、仕事をしていたのでした。場所はほとんど東京で、新宿、渋谷、池袋の三ターミナル駅でした。その三駅と大崎と、秋葉原を主に、店舗を移動しながら、ものすごい費用をかけて、データづくりをして居ました。
本日の舞台が、大船だという事は、さして、真剣度が高くない、時期なので、7冊目から、11冊目の準備中の事だったと、思います。これらは、編集とデータづくりだけは終わっているのですが、実際の出版までは、こぎつけておりません。ただ、見本用の本をキンコーズ(事務センター)で、一種類につき五冊程度、作っているだけです。いわゆる、パソコンプリントアウトを利用したオンデマンド方式で、作ってあるだけです。
その理由は、7冊目用に準備した【消された映画】に対して、激しい妨害を受けた・・・・・理由・1
3.11が起きて、第一次フェイスブックで、活発に投稿を開始したこと、・・・・・理由・2
しかし、それだけに激しい弾圧も始まり、その対応にも追われた事・・・・・・理由・3
母が、2012年の8月から、自分では、食べないと、言い始めた事・・・・・理由・4 の4つがあげられます。
その本の編集や、出版の仕事を中断したことが、敵になめられて、激しい攻撃を受けることとなりました。それは、わかっていましたが、『親が死にそうなときは、余裕を持っていないとだめなのだ』と、いう事が、1986年に父が死んだ後で、わかったことで、したがって、その25年目にあたる、母の、死にそうなときには、・・・本のデータづくりはやめた方がいい・・・と判断をしました。無理に無理を重ねる本のデータづくりは、心身の余裕を失わせるので、避けるべきでした。これは、現実世界での損を捨てて、将来の幸福を買うためには、絶対に必要な措置でした。
父の死と、遺産相続に関しては、我が家は遺言書・相続であって、一見すると平等ではありません。それは、不動産を、どれをだれにあげるかの差で、異なって来るのです。家裁で遺言書を開いたときに、調停委員さんが、私に向かって、「あなたは、本当のお子さんですか?」と、言ってきたほどに私は少なかったのです。嫌われていたというよりも、父は、長男優先主義だったし、残った母にしてみると、「あんたにはね。既に、北久里浜の、半分を買ってあげたし、鎌倉の家を、買うにあたっても援助をしたし」となり、で、妹と、弟より、少なかったのでした。ただ、その日の内に、弟が、きれいなレストランに、私を招いて、「僕がもらった分の中から、現金で、2000万円をお姉さんに差し上げますので、これで、了承をしてくださいね」と言ったので、その気前の良さに、びっくりして、「ああ、それならいいですよ」と、言ったのでした。で、争続とは、ならなかったのですが、あの、礼儀正しい雰囲気での弟の、提案た時期に、不動産は、税務署の評価額で、査定をしますので、低い値段で相続の対象になりますので、不動産をもらった人は、額面より実質的に、もっと、高額な遺産をもらったのだと、いう事になるという、裏・事情と言うか真実があります。それを調停委員さんはしっているので、みんなの前で、「あなたは、本当のお子さんですか?」とまでの、質問を投げかけてくれたのでした。
私は、父から、登記簿上はともかく、実質的に使うという意味で、生前にもらって居た北久里浜の30坪から、当時家賃の半分、5万円程度の賃貸収入を得ていたのですが、この1986年の、相続以降、別に、賃貸料が増えるという事はなかったのです。しかし、妹と弟は、1986年以降、毎月、30万円以上の賃貸料が、増加分として入ったと、思います。だから、母からの相続に至るまでの、25年間の、三人の間の、差は大きいです。
しかし、そのことで、争いに持ち込んだことはありません。どうしてそうなのかというと、私は芸術の仕事、創作の道に邁進していたので、俗事には、我関せずだったのです。お金に関しては、禁治産者並みのバカだと、周辺から思われていました。
しかし、藤沢東美(画材店)の社員として働いていた、市川さんに、「川崎さんとの取引はもうやめたい」と言われた時は、本当に激怒しました。この時に、もし、税務申告を始めていたら、既に、600万円は、藤沢東美に、支払って居た事を証明できたでしょう。その証拠をこのブログで、写真として公開して、バシバシ、市川さんの商業道徳のなさを、書くはずです。とんでもないことを言った人です。
これもまた、大原光孝さんの差し金によるいじめです。どうしてそういえるかというと市川さんの同僚の中村さんは、大原さんと創形美術学校で同期だそうです。で、こういう事となりました。そして、大原光孝さんの後ろには、酒井忠康氏が、いるでしょう。酒井氏の後ろには、伊藤玄二郎がいるというわけです。で、これは、きわめて大きな政治的問題となります。酒井氏は、私を弾圧するのに、功績があったという形になるので、世田谷美術館の館長を長期にわたって務めることができるという形になります。
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副題2、『京都アニメーション放火事件は、大原光孝氏とも関係がある。彼のお嬢さんは、鎌倉高校を卒業しているが、京都アニメーション放火事件の当日、鎌倉高校PTAが、鎌倉高校のロゴ入りの、えんじ色のTシャツを着て、・・・・ネット被害から、子供を守りましょう・・・・運動を、裏駅でやっていた事、その運動の、企画が、4月に起きた事、私がその7月18日、鎌倉市役所を訪問をして、裏駅そばを、その時間に通ることなど、すべてが、彼等伊藤玄二郎(=CIA予定調和の中に在り、それを丁寧にチェックすると、又また、この放火事件が、やまゆり園事件などと、同じく、この雪ノ下の山の、安野・前田・夫妻、及び、大原光孝、及び、柳沢昇・石川和子夫妻が、過去に行った悪事の数々、及び、これらの人々に教唆され、新しく事を起こした別のご近所メンバーたちをたすける為に、起こされた、謀略であることが明々白々になって来るのだった。それが、重要な、傍証づけとなっている。
ただし、この問題は、本章の主要な部分ではなくて、此処で、終わっておきたい。この鎌倉高校PTAの一件は、将来、さらに、丁寧に、語りなおす日が来ると思う』
大原光孝さんという画家は、2018年12月10日以来、私の主要なテーマとなっている人物です。未だ、書き終えていませんが、画家Aという仮名で、分析をし続けてきたのは、彼の事です。彼から、昔、面と向かって、「みんながねえ。川崎さんって、離婚をするよって、噂してるよ。え、へ、へ」と、からかわれました。で、それがあるからここで、はっきりというのですが、彼の奥さんだって、長期にわたって家出をしていますよね。しかも、「奥様の家出は、無職の彼にとって、収入源が、減ったという事だから、養母さんが亡くなって、養父の遺族年金が入らなくなったら、どうするつもりでしょうね」と、言っておきたいです。 奥様は、親・兄弟が病院を経営している筈なので、理事待遇の月給という形で、収入が入る女性でしょう。それがない将来、酒井忠康氏が、内閣官房機密費で、彼を養いますか?
なお、上の節で、言い忘れていますが、大原光孝、中村(藤沢東美スタッフ)、市川(同じく東美スタッフ)、高橋典夫の流れで、讒言が伝わり、私は大変いやな思いを、銀座の画廊街で、味わっています。高橋典夫とは、銀座の画廊(今は、京橋に移転?)T.boxのオーナーです。そこで、市川さんが版画家として個展をした際に、もろもろの讒言を告げてあるらしい。まあ、藤沢東美は、今では、消滅していますが、市川、中村の二人は何らかの収入が確保できているらしいですよ。CIAの協力者ですから。
ですからね。北久里浜の大詐欺事件のことを何時かは、高橋典夫に、告げないといけません。彼に、それをきちんと、かつ、ただしく、理解をしてもらわないと、私は死ぬに死ねません。ともかく、高橋典夫に、「申し訳ございませんでした。何も知らないのに、貴方の悪口を、言いふらしまして」と謝罪をしてもらわないと、死ぬに死ねません。
大原光孝の動きも中谷共二氏一派からの、影響もあるでしょうから、結局のところ、瀬島龍三(=CIA軍団)の、範疇に在る、人物ですからね。大原光孝・発・の悪事の、末端人間である、高橋典夫に、謝罪をしてもらわない限り、このブログも終わらないのです。
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副題3、『父からもらった遺産の内、600万円程度を使った、市川さんに、ひどい処遇を受けて、それだけは、忘れられない損失額となったが、それ以外の、二千万円程度の、美術修行に関する出費は、もったいないとは思わなかった。この雪ノ下の家を増築するとか、諸雑費に、使った分も入れれば、父からの相続時の、5千万はあっという間になくなっていて、ある時期大変苦しかったが、仕方がないとあきらめていた。
しかし、四人いる孫の一人に、軽い障害があるとわかってからは、お金には、大変シビアになった。シビアになり、知識も蓄えてきた目で、見直すと、1942年生まれで、今、77歳になる私の生涯には、此処で、収入があるはずだったと、いうポイントがいくつもあった。しかし、実際には収入には結びついていない。美術界においても、収入のあるなしには、大きな偏頗があり、その裏に政治的なものがある。草間彌生は、その典型だ。いつか、草間について、ちゃんとしたものを書くつもりはある。長生きしないといけないが(苦笑)
しかも、自分自身に、収入がないという事に加えて、親族のお金をも奪おうとする動きがある。自分のための話としては、寝屋川のアーケード街を真夜中さまよって居た、中一2児童を殺害した、山田浩二事件という事件があったがあれも謀略であって、山田浩二は、二人をころいていないはずだ。闇の勢力が殺している。あれで遺体が置いてあった、駐車場を、NHKは、「高槻市の!」と連呼したが、嘘であって、寝屋川市内に在る、センコーという企業のものである。その会社は、企業間で、物資を配達をする、会社なので、当時のトラックにはロゴが付いていない。今は、anzenというロゴをつけて走っているが、当時は、真っ白で、走っていた、その企業の駐車場だった。これは、センコーの株価を下げて、私の資産を減らそうという動きだ。
18日にさらに加筆をするが、マルハニチロの冷凍食品に、毒物が加えられていたというのも、謀略で、阿部俊樹という人物は、実際には何もやっていないはず。したがって裁判も報道をされていない。私がマルハニチロの株をもっているので、発案された偽もの、というか、謀略事件である。この件で大原光孝と、小野寺夫人が結託をしてあるいじめ作業を、私に対して、やった事も小野寺夫人が悪女だと、言う証拠の一つとなる。大原光孝の奥様は、小野寺夫人の夫である白井達雄さんが、転入してきたために、自分の夫のエリートぶりが、実は偽物であることに気が付いて、ある種の失望に至って、家出をしたと、私は見ているが、その奥さん逃亡の、原因になっている小野寺夫人の家来として、あれこれをやっている、大原光孝さんの、軽さと、馬鹿さ加減に私はあきれてものが言えないほどだ。
そちらが、ばれているので、今度は、主人の資産を減らそうというのが、起きて、それが、旭化成建材疑惑、いわゆる、傾きマンション事件だ。
ここから先に書きたい事件が数多くあります。JALの破産もそうです。NHKが、三日間以上にわたって報道するニュースは、すべて、この鎌倉雪ノ下の、前田夫妻、及び、安野夫妻、及び、小野寺夫人+白井達雄氏と関係があると、言ってよいのです。それは、どうしてかというと、それだけ、私が大物だからですが、そういったら、世間が笑うでしょうから、それを言わないで、先へ進みます。
特に上の方で、鎌倉高校のPTAが、京都アニメーション放火の当日、動いたので、それで、さらにあれが謀略であったとわかったと、17日に書いたわけですね。詳しいことはまだですが、それが、正しいがゆえに、18日(日曜日)の早朝から、NHKは、再び、京都アニメーション放火について大量のニュースを垂れ流し始めています。世界中から、22億義援金が集まったそうです。おや、おや、これから、先八田英明氏と、宮崎駿氏には、呪われた人生が神様から与えられるでしょうに。すぐではありませんよ。80歳過ぎてから、現れるでしょう。だって、世界中の人々、数十億人をだましたわけですからね。神様は絶対にお怒りになるでしょう。
母が死にそうな時点に戻ります。
つまり、母が、ものを食べるのを拒否して、事実上の安楽死を願う、姿勢に入った年に戻ります。それは、8月でした。昔、東北で、よくお坊さんが、それをなさっていたのと、同じ形式で、意識がはっきりしているのに、母は、新しいエネルギーとしての食糧の、体内への、流入を拒否したのです。チューブも拒否、無論、胃婁も拒否です。その八月で、すでに、やせ細っていたのに、さらに、事切れるまでは、三か月、かかりました。でね、ソクラテス顔貌と言って、ほぼ、骸骨に近い顔に、薄い皮膚がはり付いていると、いう段階にまで達して、亡くなりました。
だから、普通の場合、人間は、自分の細胞を消費し尽くすまでに、やせていても、三か月はかかるという事です。この年より、四年ぐらい前に、石川和子さんは、癌で死亡したことになっていたのですが、12月末に、60キロぐらい体重があって、しかも、普通に歩くことができたのに、どうして、三か月以内に死にます? ありえない死でした。
ともかく、彼等CIAにいくら自分達に、協力した人物に対しても、死を与えるのですよ。彼等から、『足手まといだ』と、判断をされると、殺されるのですよ。
つまり、利用される過程で、持ち上げられます。収入も多大に与えられます。すると、おバカさんな女は増長をします。自分の猫ではない、私の猫に離反をされたら、頭にきてしまって、警官を呼んで、警官に、「あそこのご主人に、奥様を叱る様に、頼んでください」ですって。
自分のものでもない猫の事で、警官を私物化したのです。私の方が、もし、彼女が想定していた通りのおバカさんで、警官を相手にビビりまくったら、彼女は「勝利した!」という事となるでしょう。だけど、私はだれを相手にしても、法的な理非曲直を正す方だから、警官たちは青くなって逃げかえりましたよ。
それが、東京圏のブランド住宅街の、本質です。隣にどういう人が住んでいるかわからないから、常に礼儀作法を守らないといけない・・・・・それが、東京圏の、高級住宅街の本質です。だけど、石川和子さんは、安野智紗夫人と最初期の仲良しさんだから、もっとも、馬鹿化が激しかったと言えるでしょう。こういうところに住む資格がなかったのです。お気の毒ですが、自分の方が、レベルが低いのに、よりレベルが高い人間に、突っかかっていって、自滅をしたと、言う形です。
石川和子さんなど、私に対して、「パーティコンパニオンをしているときに、伊藤玄二郎と知り合って、よくしてもらって居る」と、言明しました。ほかの場所では、「元愛人だから、よくしてもらって居る」と、言って居ます。 私はパーティコンパニオン・うんぬん・は嘘だと、思います。平沼高校の先輩と後輩の間柄だと、思って居ます。平沼高校って、横浜市内の旧制第一高女だから、馬鹿では、入学できないはずです。岸恵子さん他、そうそうたる有名人が卒業をしています。死刑場公開の、法務大臣も、その卒業生ですよ。だが、この雪ノ下に住んで、安野智紗夫妻と仲良くすると、あれ程に、馬鹿化するのです。
というわけで、CIAエージェントとしては、超大物である玄二郎の、元愛人であることを誇った、石川和子さんでも、ご本人が失敗すれば、殺されるのでした。前田、安野夫妻と仲良くしている、ご近所様に申し上げておきたいです。「あなた方って、超・危ないことをなさっておられますよ。ご自分の命って大切ではないですか?」と。
ともかく、私は、死というものを、自分の両親と、19歳で死んだ猫=家庭をもってから、最初に飼った前の猫のちびちゃんと、次の猫であって、17歳で死んださびちゃんに教えて貰いました。猫だって大小便垂れ流しの期間があります。普通の場合は、人間って死ぬのさえ、容易ではないですよ。テレビドラマ内の様に、簡単ではないです。猫だって、おんなじです。死までの、道は長いです。母はね、食べないし、水分も制限したのだから、おむつの汚れる回数も少なくて、老人ホームの担当者に、ご迷惑をかける回数も少なかったと、思います。見事な死でした。死因としては、大往生と書いていただきました。後一週間で、93歳になるという時点でした。
いろいろな形で、彼等は、策を弄してきますが、それに、のっても、幸運は来ないと、いう事です。勿論、超利口なやり方で、のったら、大丈夫かもしれませんがね。
ともかく、母が死にそうな年、2011年から、2012年に戻ります。このころから、外での、ノマド生活で、徹夜で、仕事をすることをやめ、早めに切り上げ、帰宅して、鎌倉の自宅で、寝る様になります。つまり、心身の消耗をできるだけ少なくする方向へ、舵を切ります。
その、超おしゃれで、もじゃもじゃ頭の、人物に出会ったのは、大船のミスタードーナッツでした。そこからは、鎌倉の自宅方面に向かう江ノ電バスのバス停が見えるので、最終便を見逃さないための、措置でした。
隣に、髪が白髪なのに、くちゃくちゃ、で、天然パーマらしい男性が座りました。彼は、60代と見えました。そのトイメンに、三十代の若い男性が座りました。二人は、熱心に、建築のことを話し始めました。詳細は、覚えていないけれど、とても面白い内容だったと、思います。それで、理想の建築について、しょっちゅう間取り図を描いている私は、つい、身を乗り出して、しまったのです。
私ってね。もし宝くじが当たったら、商業的な雑居ビルを、追浜に一棟と、もう一軒の新しい家を、日吉の、実家の敷地内に建てたいと、思って居る人間なのですよ。あ、は、は。だから、常に、それ用の、設計図を描いている人間です。
本日というのは、17日(日)の事だが、追浜にDENAの第二球場と、その付属施設が、全部完成したことをお祝いする式典が、行われたと、NHKで、報道をされていました。横須賀市は、全市を上げて、それを祝福しています。元に戻ります。ともかく、私は、建築家ではないのに、家を建てる事に、熱心です。二回取り組んだが、その結果を踏まえて、さらに理想的な家を作りたいという夢を持っています。お金が入ったらですが(苦笑い)で、お隣の天然パーマの男性の会話に、首を突っ込むわけです。
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副題4、『その日、ミスタードーナッツの店内で、隣の男性は、白井さんの勤務先と役職をアバウトな形ではあるが、教えてくれた。彼の正式な言葉は、・・・・・白井達雄さんは、日本三大設計会社の重役で、横浜支店長ですよ。浜銀、鎌倉支店を設計したのは彼ですよ・・・・・だった。
私は内心で、欣喜雀躍をした。これは、将来、絶対に使える。今でも、散々に、困らされている夫婦だけど、将来、その悪い行為を、やめさせるために、これが使える・・・・・と、感じたからだ。
しかし、と、同時に・・・・・これは、罠かもしれない。うかつに使うと、大変なことになりかねない。すぐには使わないこと・・・・・・と、固く決意した。
どうして、そういう風に考えたかというと、その男性の顔に見覚えがあった。特にその天然パーマに見覚えがあった。それで、思い出したのが、1978年の、10月の、関東法務局、横須賀・出張所(または、支所)内の、広い部屋だった。
今は、どういう風に変化しているかを、私は知らない。しかし、当時は、まず、待合室に入る。そこは縦長の、9畳程度のスペースで、その向こう側に閲覧室があった。閲覧室には、呼び出しを受けたのちに入る。そちらと、ロビーの、間に、間仕切り(段差だったかな?)があり、その一角に、印紙を売るボックスがあり、そこの担当者であるおばさんに、私は散々にいじめられた。いやな顔で、書類を渡されたり、書類を渡す順番をわざと後回しにされたりした。その、おばさんに、さんざんにいじめられたという事は、この日の訪問が、最初の日ではなくて、これまでにも、数回、此処へ通って居たという形である。
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副題5、『閲覧室に入って、必要な書類を閲覧していると、頭上で、マイクがこういった。・・・・・中島測量事務所の方、前の方に進んで、支所長の前に来てください・・・・・と。私は即座に、それが、私へ対する威圧用の、構内放送であることがわかり、前の方に進んでいく、中島某測量士を凝視した』
この時の放送で、言われた名前が中島さんだったと、記憶をしているのですが、関係書類の類が、全部盗まれているので、もしかしたら、間違って居るかもしれません。しかし、例の大事件である、地籍変更届用の、測量図を作った人間が、測量士・中島・某氏だったのです。それが、支所長の前に呼び出されると、いう事は、私に、その姿を眺めさせるのが目的でした。
今も繰り返しそれが、使われている手法ですが、関係している人間を、私の目の前に表せば、私がビビるだろうと、考えるのが、CIA連中の心理的攻撃手法の、一つらしいです。しかし、私は、一切、恐れず、中島某、測量士をしっかりと見つめました。
当時は土地家屋調査士という資格はなかったはずです。この件は大事件中の大事件ですが、測量を担当したのは、意外と若く見える、測量士、中島某だったのです。
彼が作り、私が1978年、7月末日のある夜に、こっそりと訪れてきた、益山智恵子さんから渡された書類には、大部な測量図が、引っ付いていました。
それは、横須賀市の水道山全域(斜めに、広がっている、丘、全域)を道路が囲んでいる図、でした。当時の私の記憶では、その道路は、まだ、実際には、できていなかったと、記憶しています。
しかも、その道路は、実際には、山ノ下を通るのでした。そして、その道路を益山重夫一派は、横須賀市に寄付してしまうのです。いいえ、そこに大きな嘘があり、その道路を寄付することによって、彼等は、1200坪の公共用地・旧・水道山を、ただで、私有化できたのですよ。
これは、本当に、頭を使った詐欺事件であって、ほかの人、特に普通の人がまねしようとしても、できるものでもありません。首謀者は、元海軍参謀であって、戦時中は頭のいい事で、有名な職種の人です。
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副題6、『性善説の私は、7月の末当時は、全くそれに気が付かなかったが、益山重夫氏は元海軍参謀という諜報の専門家であって、我が家にもそれから、周辺の家にも、数年間にわたって、既に、盗聴を仕掛けていた可能性がある。で、主人が子供を連れて桔梗をして、私がたった一人で、自宅にいる夜を狙って、訪問をしてきた可能性がある。
また、私は、その年の9月から三鷹のICUへ、学士入学をする計画を立てていた。したがって、9月以降、昼間はほとんど家にいないと、いう形になるが、その事も知っていて、この大事件を、この時点で、開始したと、推察している。今ではの事だけれど。
彼女(=益山重夫氏夫人、智恵子さん、その実弟が、仲野通巳吉で、今当該の、場所に住んでいる)は、「これは、貴方の家を囲んでいる私の所有する私道を、
横須賀市に寄付する書類です。私達はそれを知らなかったのですが、お宅の土地って、半分はあなたのお母様の所有なのですね。で、お母様の実印をここに押してほしいのです」といった。すべては、そこから始まり、私は彼らの悪事の全貌を知ることとなる。
ここで、私は、彼等の悪について、詳細を、語りたくなってしまう。しかし、それをすると、この章もまた、終わらなくなるので、それを別の機会に譲り、ここでは、
彼らの悪には、測量図が、必要であり、それを、作ったのが、中島某測量士であって、その中島測量士に、会わせるために、私が、来訪しそうな日を狙って、わざと、中島某測量士が、関東法務局、横須賀支所に、呼ばれていた可能性がある。測量士は、これ程、の大事件を任されているのだから、横須賀の、オフィス街に事務所を構えている筈で、しかも、車社会の人間だから、私が、支所に到着して、ロビーで、待たされている間に連絡を取っても、十分に、間に合う立場であったと、思う。
さて、中島測量士は、支所長風の男の前に進み出て、何事か、おしかりを受けていて、謝罪をしている風情があった。それは、私を満足させる、こ、芝居であって、例のCIAエージェントは、いつも、こういう風に脚本に基づいて、行動をする。
それは、私を、それで、だまして、満足をさせ、いい気分にさえて、次に、その支所長風の男が、私に対して、提案をしてくる策にのせようとする、こ芝居だった。
だけど、そのころから、彼らが思っている以上に、太っ腹であり、かつ、位相が違うレベルで、ものを考えている私には、それが、わかったけれど、乗るつもりはなかった。ただ、唯、中島測量士が、意外と若いのには驚いた。未だ、40代だと、見えた。これ程の、大事件を引き受け、かつ、悪事に、のりかかるにしては、まだ、若造に見えた。だから、この時、私の目の前に現れた、男性は、中島測量士事務所の、一スタッフ、または、息子などにあたる人物なのかもしれない。
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副題7、『さて、次に私が呼ばれた。その時に、支所長風に見えた男が、本物の支所長だったか、それとも、CIA要員だったかが、問題だ。今では、100%、偽支所長であったと思って居る。彼は、弁舌さわやかで、おしゃれであり、CIAとしてもトップレベルの要員であろうと、今の私は考えている。
私は、日本のCIAとは、まる、まる、警察の特殊な部門が肩代わりをしていると、見ているが、この時に目の前に現れた、おしゃれな男が、警察庁で、生きていかれるとは、思えない。彼は、しいて、似ている俳優を挙げてみると、山本学風の渋い顔をした、知的男性で、おしゃれであるところに、大きな特徴があった。色付きの細かい格子縞のシャツを着ていて、蝶ネクタイをしていた可能性がある。
私は銀座四丁目の、角近くに在るモトキで、季節の初めに夫のシャツを選ぶ習慣があった。今は、画廊巡りをやめているので、それを、やっていないが、ずっと、そうしていたので、あのおしゃれな、天然パーマの男のシャツの、値段等は、わかるのだった。あのシャツは、モトキで、売っているものよりも高額な、タイプである可能性もあった。ニューヨークで買う? または、ポロラルフローレン、(横浜高島屋内に在るが)で、買った?
彼が座っているデスクは、中央のひな壇より、低い、閲覧室の、床と、同じ高さのところに置いてあった。
が、超・上等なものであるので、それが、異様に目立った。チークかウォールナットで、できた両袖机であって、横浜ベイ・シェラトンホテルのロビー中央に置いてある様な種類のものだった。ほかの吏員はすべて、灰色のスチール製のデスクを使って居る中、異様に目立つ雰囲気を漂わせている。
そして、黒くて豊かな毛髪は、ちりちりにちぢれていた。アフロヘアにしているのか?、それとも天然パーマか?と、疑問に思ったが、のちに、大船の、ミスタードーナッツに現れた、建築専門家を装った男性が、同じ人物だと、仮定をすると、天然パーマだと、思われる。25年後の、その時点では、白髪と、変化していて、髪の毛の量も少なくなっていたが、
見間違えるはずはないのだ。で、警察とは別部門のCIA組織があり、その、別部門の、さらに下部組織である部門の、地的部門の働き手の、トップクラスである男性だと、私は、推察をしている。普段は、虎の門のアメリカ大使館内部に、住んでいるか、または、伊藤忠内部に、オフィスを構えている人物だと、思われた。瀬島龍三の直属の部下だと、推察している。
25年前の横須賀支所内で、彼が、どういう事を語ったかは、別の章で、語りなおしたいが、
大船のミスタードーナッツ内で、彼が、語ったことは、此処で、さらしたい。
西隣に住む、・・・・・夫婦別姓であり、かつ夫婦ともに東大卒の家庭の、夫の方である、・・・・・白井達雄さんの、勤務先についてであった。勤務先の、固有名詞こそ言わなかったが、のちに私が、そこを正確に突き止めるに至った、・・・・・松田平田設計事務所=を、簡単な別の言葉で、説明をした。
日本三大設計会社の一つの、・・・・・重役であり、横浜支社長である・・・・・と、説明をした。
それが、その数年後の、2019年8月現在、私を救うのに役立っている。私は東大勤務時代に、上司から、「もし、やめなければ、将来必ず、東大教授になれる。東大卒ではないが、なれる」と言われている。
グーグル検索をどういう風に利用すれば、白井達雄さんの会社の名前をあぶりだせるかなど、お茶の子さいさいの、テクニックの一つだ。
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副題8、『ところで、此処から先が哲学の問題となる。このブログの世界は、下世話なエピソードが続いていて、下級のものだと、みなしている人間が多いだろう。しかし、これ程に、複雑な構成を持っていて、
かつ、二重、三重に伏線を張り、将来に備えている文章もないはずなのだ。
私は、この情報を得た時に、欣喜雀躍をした。しかし、5年以上使わなかった。ただ、唯、天は、存在すると書いたりしているが、西隣の白井達雄さんが、松田平田設計事務所の、横浜支店長であって、横浜ベイシェラトンホテルを、設計したなどとは、書いていない。間違った書き方=日建設計勤務だろうなどと、書いている過去があるが、それは、まだ、余裕があって、この事実を、前田清子、安野智紗、それから、渡辺賢司を断罪する・斧・として、使う気持ちがなかったからである。
しかし、あの三人があまりにも、ばかげた、攻撃をしてくるので、とうとう、正確な会社名と、正確な実績建造物を知り、それを、この雪ノ下のおバカさん連中をぶった切るための、・斧・として、使いたいと、決意し始めたのだった。それは、私をたすけるプラスの方向である。
しかし、と、同時にあの、天然パーマの男が、白井達雄・小野寺夫妻と結託をしており、私を威圧するために、大企業勤務であると知らせるために現れたとも、考えられる。それは、私にとっては、軽蔑をされるマイナスの方向である。
白井さんの会社は、一部上場ではないみたいだが、知的な意味では、大企業である、スタッフが、ほぼ、全員が有名大(主に東大)卒で、かつ、一人一人が、あげる収益が高い、・・・・・
天然パーマの男とは、横須賀でも敵であったが、こちら、大船でも、そういうところに白井さんが、勤務していることを教えたという点で、敵であった可能性は、あり、そのことは、常に、心の底で、保持していたのだった。
だから、あの二人が・・・・・特に奥さんの、小野寺夫人の方が、・・・・・私が何を書いても、シャーシャーとして、蛙の面に水であり、隠微な攻撃をやめないことを、許容をしていたのである。
小野寺夫人が、何か、悪辣な行為を、はたしてくる際には、いつもあの、天然パーマの男の顔を思い浮かべていたのである。しかし、白井小野寺夫妻の方では、そういう風には、考えていなかったであろう
・・・・・という事が哲学的不思議さを、私に何度目かの事として、感じ取らせるのだった。
なお、あの天然パーマの男が、アメリカ生まれで、かつ、戦後最大のCIAエージェントであった、瀬島龍三子飼いの、人物であったと仮定をしよう。すると、なるほどと、頷ける点が出てくる。
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副題9、『ここで、ルネ北久里浜そらひるずの別方向から写した、写真を置きたくなる』
以下のマンションは、ルネ北久里浜そらひるずを、いつも使って居る写真とは、別の方向から、スマホで、撮ったものだが、これが、建っている敷地は、元、横須賀市の水道山を益山重夫氏が、地籍変更届の仕組みを利用して、ただで、手中にしたものだ。しかし、1978年の内に、
私が全貌の、裏側(一種の詐欺である)を知ってしまったために、より元海軍参謀で、今は、一階の土建業である、自分(=益山重夫)より、より大きな、権力行使ができる、瀬島隆三側に所有権を渡した模様である。
この大詐欺事件が、完了した、1978年ののち、20年は、過ぎた時点で、電話をかけてきた、男性がいる。東工大卒の測量士であると名乗った。しかし、私は、美術の仕事に邁進をしていた時期だから、メモも取っていない。しかし、時期的には、マンション建設の直前だったらしくて、私に出方を探るために、或る程度の、情報を私に与えた。
この地所が、四つに分筆をされており、すべて、頭に、伊藤忠を冠した会社の所有であると、言ったのだ。つまり益山夫妻(後継者は、仲野通巳吉)のものではなくて、瀬島龍三のものであると示唆したのだた。その上で、私がどう出て来るかを探っていた。
私は、彼等の、心中は正確に分かった。しかし、もし、その時点で、
そこに、このマンションを建てさせないための、行動に出ていたら、私は手ひどい弾圧を受けて、死亡に至るだろう。そのくらいの予測はつく。それに、そういう経済行為について、口をはさむものでもないとは、最初にお世話になった弁護士から教えて貰って居ることだった。
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副題10、『私は、自分を守る必要があり、それは、権利上、行使していいものだと、思って居る』
私が、やってもかまわないことは自分を守ることだけである。ところで、私は現在では、貴て久里浜ではなくて、鎌倉市雪ノ下二丁目に住んでいるのだが、そのご近所様の一人である、
安野智紗が、泥棒に入り、お化粧品を盗み、白い新品のパンツに青黒いシミをつけている・・・・・という現状がある。それは、防衛をしないといけない。普通の生活さえできない。その安野家に、2014年6月9日に上がってお寿司を取り、六時間も一緒に過ごしたのが白井達雄・小野寺夫人なのだ。
となると、どうしてそうなるのかの、分析が必要となる。ほかにも白井達雄・小野寺夫妻は、一時期までのものをまとめただけでも、すさまじくもひどいことをやってきている。これが、東大卒のエリート夫婦がやることですか?と、言うほどにひどいことをやってきている。
したがって、私には防衛上、それらを書いて、行く権利がある。そうなると、当然のごとく、上のマンション、または、横浜鴨居駅を最寄とする、傾きマンションにも触れないといけなくなる。