副題2、<え、習志野署に、私の落し物がある?>
飛鳥新社という出版社から、植草一秀という方が、新しい本<日本の独立>を出されました。その惹句に『命を掛けて』とあるのは、本当だろうと思います。破廉恥罪で苦しめられておられましたから、「再起なさっておめでとう」といいたいです。ああいう件で逮捕に至る前には、相当な尾行とか、監視がついているはずで、それは、言論弾圧の一変形です。それから、もし、エスカレーターで少女たちのスカートの中を盗撮したのが事実としても、その現場で逮捕という事が、上のような尾行を、証明しているわけです。
また、それが、事実としても、そういう極端な遊びをしてでも、神経を休めたいと追い込まれた影に、私のように、パソコンの使いにくさが現れたり、テレビ局での人間関係ラインでのイジメがあって、それに、神経を痛めつけられていて、『休みたい』とか、『自己解放をしたい』という思いがあったのかもしれないのです。
私はそういう案件を見聞きして、自分なりに神経を休める手法をとっています。それは、猫です。猫と対話したり、遊んだり、ウエブ上でも猫関連の動画を開いたり・・・・・
もっと、高度な遊びもあります。それは、私の場合は美術です。しかし、そちらに没頭をするにしては、世の中(特に政治)に、首を突っ込みすぎちゃいました。今まで書いてきたことへの連続性を考えると、ここで、ぽんと止めるわけにも行かないし、成り行きに任せて、このまま、進むしかないと思います。体力がある、若い時期には、複数の行動を並立させ得ていて、それが誇りでありました。努力をする自分の源泉でした。その「自分は自分をコントロールしえているという<勝利感>こそ、多量な字数で、さっさ、さっさ、文藻をかくことのできるダイナモなのですが、今は、『あまり、がんばらない』という事にしています。10年前は違っていました。しかし、時の流れとともに、自分の対応も違ってきています。体力との相談の結果です。
残念だといえば残念ですが、一方で、この年まで、「入院もせず、手術もした事がないのは、ありがたいと思わなければならない」と、いつも主人に言われていて、「それは、当たっているかな」と、天には、感謝していますし。
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さて、そんな前書きを入れてしまうのも、私が実質的には政治評論をしていながら、いつも素人であることを自認している、その立場を明晰にしたいからでした。でも、前々報、『夜明け前と、篤姫・・・・・』と、前報『延坪島の攻撃は、それほど、拡大しませんよ』と言う文章の内容は『よくぞ、ここまで書いたなあ』という達成感を与えてくれたものでした。私は政治には素人です。そして、三重の弾圧下で、書き続けています。必死でしたよ。
そんな私が、
* 1、『国際的軍産共同体は、なぜ、日本と、日本人をおそれ、それを圧迫しようと願っているのか・・・・・それは、東京裁判に対する、原罪的・報復への恐れである』という件と、
* 2『その恐怖から逃れるために、国際関係上は、韓国(+北朝鮮とか、中国)を利用していて』、
* 3、『日本国内においては、在日出身の経済人、文化人、政治家を、総動員して、重んじている』、しかも
* 4、『そういう体制を作り上げるためには、朝日新聞やNHK、他メディアが、利用をされている』、そして、
* 5、『それらの、人物群の総帥は、小沢一郎氏であり、彼が、もっとも問題の人物である』と、
この五点まで、書き抜くことができたのは、私としては、主張したいことの、60%は披瀝したも同然です。後は、それを、裏付けていく証拠を書いていくだけです。
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最近起こった、猛烈に激しい現象はすべて、上のような記述をしていく、私のブログを抑えるためであると、申し上げれば、誇大妄想に過ぎましょうが、私は、「それらは、小沢復権の道を用意するためだ」と考えていました。そして、それは、この一週間ですべて、証明をされました。
その証拠群を、*1、*2、と上げていきましょう。
26日の金曜日にメディアで、報道をされたことは、『仙石官房長官の問責・可決』という件と、延坪島の惨状でした。
*1、仙石長官の問責・可決について、私がどう考えるかというと、『別に』です。
総体の流れとしては、菅内閣を追い落とし、小沢復権を願う一道程ですが、私は仙石官房長官にさしたる魅力と、センスのよさを感じているわけでもないのです。最近の私は、自分が本当にひいきする政治家については、ほとんど、何も述べない事にしています。『仙石氏が、したたかでよい政治家だ』と書いたのは、次善の現象として書いたことです。『あの程度の重みとしたたかさがある政治家が入っていないと、内閣ともいえないし、何もできないでしょうから』と感じるからです。
でも、総体がどうであれ、国会がそう決議したのなら、それは、正当な道を経ているわけですから、国民のひとりとしては、「あ、そうですか」というしかないですね。それは、すでに表向きの出来事となり、一億人の目にさらされていることですから、私がどうのこうのいう必要はないです。
* 2、延坪島の惨状が写真や、映像で、知らされることですが、
それが、どんなに、激しい惨状として報告をされようとも、この砲撃自体が、私がその砲撃が起きた時点で、した稿として、書きつつあった『在日の政治家としての小沢一郎氏の問題』を書かせないための、恫喝の一種であったとの判断は変わりません。「だから、これは、戦争にまでは発展をしない」という見込みはすでに、証明をされています。
それから、48時間後に、「金ジョンイル、ジョンウン、親子が、延坪島の対岸まできて、視察をした。だから、これは、後継者に軍事的実績を挙げさせるためだった」とする情報がでましたが、それも、信じません。ためにする、報道だと感じています。
もし、それが、真実なら、23日の夜九時のNHKニュースや、10時のテレビ朝日報道ステーション内で、出演者が、その可能性をも説いたときに、どうして、その『親子が視察した』という事実が出されなかったのでしょう。北朝鮮のことなど、公的に、報道をされる事はなく、すべて、スパイが取得して放つ情報だと思いますが、さすれば、砲撃の前の視察など、とっくに把握をされている事実であり、それは、その23日にすでに、外へ出なければなりません。
それよりも、もっと大きく恫喝に役立つとみなされていた『これは、戦争に繋がる可能性のある砲撃だ』という方向を、強めたかったから、その親子視察の件が、出てこなかったのです。48時間後あたりから出てきたのは、私の主張を打ち消すためでしょう。
さて時系列的には、その前に、私が、注目をしたのは、
* 3、時事通信が行った世論調査で、菅内閣の支持率が急落という報道でした。『へえ、今、すぐにこれを行う意味は何でしょう』と思いました。で、世論調査そのものをも、数値としては、信じない私ですが、世論調査で、菅内閣を、貶める意義と、効果はどこにあるかを問題にしたいです。
私としては、内心では、「へ、へ、へ」と笑っちゃうぐらいです。民主党内閣が、格別に上等であると、報道した、NHKとか、朝日新聞は、嘘を報道したわけですね。それが、今、暴露され始めてきています。私は別に自民党を、担いでいるわけではありませんが、急速に日本社会が悪くなった(経済も含めて)状況もあり、それは、民主党が、シンプルすぎるからだと思っています。シンプルに、動揺しやすい内閣と政治家が多いです。したたかさとか、国益というものを、根底で顧慮しながら政治を行う人間が少ないです。
しかし、国全体で考えると、国の代表たる内閣を軽んじる悪しき流れであり、それこそ、明治政府だったら、深く抗議して、弾圧をするような記事だと考えました。つまり、よその国に与えるイメージを、国全体で考えるという発想が今の日本にはないです。それは、中国も意外とだめなポイントで、面白い現象だと感じていますが。ヨーロッパなどは実際問題としてどうなのだろう。
* 4、しかし、その世論調査が出た途端に、菅首相は、北朝鮮の砲撃に対応するために、野党との懇談を果たしたそうで、その映像が、NHKテレビに出ました。
ほ、ほーっと、意味深長さを感じましたね。つまり、最近批判をしている、桝添さん、福島瑞穂さん、共産党の、志位さんなど、と、他の小さな政党もすべてが、同じ場所に対等に集う光景・・・・・『この不公平感は、何でしょう?』と先ず思います。つまり、「国民の一票を重みを考えれば、そこからは、逸脱しきっている、こんな会合を、開いただけで、あたかも民主主義を実践しているかのごとく、見せ付けてはだめですよ、菅さん。まるでおままごとじゃん」といいたいです。
それに、その画面を見ていると、「尻がこそばゆくなる」というか、「平和だねえ」というか。でも、「やらないよりはいいか」というか、なんとも言うにいえない感じがします。
そして、NHKへいいたいです。
「谷口総裁(14時間ぐらい、ここが葬祭と誤変換をされていましたが、それこそ、私の今の敵が私に隠れてやったことでしょう。が)のコメントを出し始めたのはいいのですが、その語尾を失礼なまでに尻きれトンボにしたNHK様、あなたは、育ちのよい人の寛容さに依存しきっていますね。これが初めてではないでしょう」と。
小沢氏のコメントを、丁寧に時間を割いてやっていることとの比較の恐ろしさに、国民が気がついていないと思っておられるのなら、甘いですよ」ともつげたいです。
まあしいて言えば、・・・いつも自民党以下、総ての政党のコメントを放映していたあの、欺瞞性が、その日にはありませんでしたのが、唯一の救いでしたが・・・
その前の時点で気にかかった事は、
* 5、22日に報道をされた地方選挙の結果と、それに対する解釈です。民主党は総崩れ・・・・・その原因を、新聞記事(朝日)は菅内閣の姿勢に帰していましたが、それは、間違っていると思います。鳩山内閣の時期だったか、まだ、麻生内閣の時期だったか、その年月日は忘れましたが、鎌倉市長選にも、はっきりと民主党離れの現象は起きていて、千葉景子法相も、神奈川県の代表としては、落選しましたよね。
神奈川県の松沢知事は、ご自分を民主党とは、縁が無いがごとき発言を、最近では、されておられますが、どうして、どうして、それほど、県民は健忘症でもありません。あの禁煙運動のすさまじい高まりと(普通の生活をしている)市民への普通の権利への弾圧のはげしさは、深く嫌われているのです。それが、千葉県にも現れたということに過ぎないでしょう。
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ともかくの事として、『ビデオ流出問題も、柳田法相辞任の問題も、延坪島に対する、北朝鮮の砲撃のことも、発案者や実行者は誰であれ、諜略であり、自然な流れではない』と、する私の考察は、今週の週刊誌が出払ったところで、証明をされました。
* 1、週刊新潮が、『小沢一郎蠢動す』というタイトルを挙げた巻頭記事を作っています。
* 2、日刊ゲンダイが、25日の第一版(鎌倉とか、神奈川県で、午後3時ごろ、人々が買っている紙面)では、『小沢待望論起きる』と第一面に大見出しを立てていました。
* 3、日経新聞も、26日朝刊第二面に『小沢氏、動き急』と出ています。11月18日か19日ごろから、活発に会合を催しておられて、支配下にある議員を糾合をしていると出ています。『なるほどなあ』と私はぴんと来ます。
私は15日から、すさまじい勢いで、また、パソコンの手当てに没頭をしなければいけませんでした。それで、ブログを書かないでいたわけです。それは、どうしてかというと、NEC Versa Proという企業向けモバイルPCを同じ型で、三台持っているのですが、バッテリーを盗まれたと思ったら、今度は、ACアダプターも盗まれており、仕方が無くて、別のタイプのモバイルパソコンを買い、それに、ソフト類をインストールしているのですが、それが、自宅では、妨害をされるであろうと見込んで外で、やっていたのです。時間がかかってね。大変でしたが、外でもインストールができない、ソフトがあって、その際に、ご近所のブースで、カタカタと激しい遺勢いでキーボードを打つ人がいるのです。
は、ハーンと、ぴんと来ました。一見すると、サラリーマン(男性でも女性でもいいが)が、将来作家でもなって行こうとしていて、自宅では仕事ができない(赤ちゃんでも居たりする)ので、ここで、書いていると見えます。しかし、ウィークデイの真夜中、こんなに激しくキーボードを打っていては次の日に仕事ができませんね。で、最近、急にはっきりしたのは、これは、女性刑事等の変装であろうと言うことです。
私はだいたい、大手のネットカフェを仕事場として使いますが、そういう所に入ると、女性専用、ブースというのに案内されますから。で、かんがえはじめます。ご近所に刑事が張っているという事は何を意味するを。映画アフタースクールでわかった事は、今の警察って、大変発達をしていますから、その無線ランのサーバー程度のものを移動して、私が仕事をしている部分の内容を見るということです。敵様は本当に気にしています。何を私が書くかを。
で、警察が、動向を見張っているわけですから、『私がこの一週間は、インストールに専念していて、新聞記事も読まないし、ブログも書かない』ことを、小沢氏は知っているわけです。警察は徹底して小沢氏側です。見かけはどうあれ、そうですよ。
で安心して、氏は復活の動向へ走っている、というわけです。それに、20日は、私の方は納骨式で、ほぼ、一日中外へ出ていましたので、それもあって、ブログを書かないとみなされています。
こういう現象から、警察は、国際的軍産共同体の支配下にあると断言するわけです。
でもね。今回はもっと、込み入って、ドラマチックな演出がありました。それが、面白いので、一種の掌編ミステリー小説として書かせてくださいませ。文体を変え、主人公も百合子さんと仮名を設定させていただきます。では、始まり、始まり、
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2010年11月23日に百合子は、柳田法相の辞任という報道に接して、ひたすらな勢いで、文章を書いていた。それは、前夜からアップし始め、今推敲の最中である。しかし、政治の深い奥に触れる文章を書くときは、パソコンの動きが遅い。一行変換するのに、一分以上掛かる。これも言論弾圧の一変形だと思うが、それに、怒ってしまえば、よい文章は書けない。したがって、敵の思う壺にはまるという事になる。だから、怒りを静めるために、間に家事を入れる事にしている。お茶碗を五枚洗ってはパソコンに戻り、先へ二行進めて、また洗い桶のそばに戻り、今度は皿や箸を洗うという具合だ。一節書いている間に、茶碗が洗い終えれば、今度はお米を研いで置く。二節目を書いているころには、台所の仕事が終わっているので、一階まで降りては、風呂を洗うことへ入る。
で、一階に居たために、電話が取れなかった。『ふうん、珍しくも、5通話ぐらいで切れているわ。短いから、もしかすると本当の用事?』と内心で思う。百合子は最近、あまりにも盗聴の証拠をつかみすぎたために、ほとんど電話を使わないので、したがって、外からも掛かってこなくなり、電話といえば、警察に裏から主導されたであろう、セールスの電話ばかり。で、ほとんど、出ても出なくてもいいようなものだが、百合子が外出するかどうかを、確認する目的が、電話を盗聴している側にあることをも分かっているので、わざと、出るときもある。出れば、まだ家にいることを相手は知る。そして、百合子の外出を目指して、さまざまな脅かし作戦に出てくる。で、そういう目的があるときは、電話がしつこくて、14、5回は、リーンとなる。
今、その電話が、また掛かってきた。受話器を取る。最近、母が死んで、弟とは何かと連絡を取る必要があるので、まず弟かなと思うが、弟ではなくて、若い男性の声で「村岡百合子さんでしょうか?」という。「ええ」と応えると、「こちらは、習志野警察署ですが」という。
ちょっとぎょっとする。警察という言葉は、ブログ内で相当に批判をしているだけに、嫌な言葉であり、耳障りだ。しかし、相手は礼儀正しく、しかも明るい声で、「落し物が届いています」という。百合子の方も『落し物なんだ』とひとまず安心して、急に明るい声になりながらも、内心では『どうして、習志野から』と考える。しかし、相手は間髪をいれず、「封筒です」という。さらに、続けて「開封をされていましたので、中を見ました。
差出人は国際キリスト教大学です。中は、プリントアウトされた紙で、食堂のオープニング・パーティへのお誘いとか・・・・・」とも。
百合子はその時点で、相手をさえぎった。「あ、それ、もう要りません」と。中身を熟知しているもので、情報としては全くもって大切ではない。すると相手は、さらに礼儀正しく「三ヶ月間は、保管をしておきますから、よかったら、取りに来てください」という。「はい、はい」と答えながら、頭は激しく回転をし始めた。この電話が本当に意味することについて。
百合子は落し物は、よくするけれど、習志野へは最近では、まったく行っていないから、そこで落し物とは、場所的に変だ。『従兄弟が住んでいるからかな?』と思ったりする。その従兄弟は百合子の親戚の中では、出世した方で、習志野では環境のよい場所の一戸建てに住んでいて、しかも母の葬式に出てくれた。『そこに向けてまた、何かやってくるつもりかな。敵は』と、思ったりする。
そうなら、『これは、警察の恫喝?』と考え始める。つまり、『この家に、警察が、泥棒に入っていることを、こちらに知らせる事が真の目的かな? それで、びびらせて行動力を押さえる。誰かに会ったり、本を作ったりすることを抑制する目的で、泥棒行為にわざと気がつかせるためかな?』と、考え始める。
その封筒は、二通同じものがあって、『一通は、確かにゴミ箱へ捨てた。もう一通は、どうしたっけ』と記憶を探り始める。駅のゴミ箱に捨てた事はない。持ち出してどこかに、忘れた? その可能性もない。
そして、電車の路線のことも変だ。この一週間は、湘南新宿ラインを利用して、新宿へ行き、その後で小田急を利用して狛江に行った。それを、月曜日と、木曜日二回繰り返した。狛江の帰り道は、小田急で藤沢へ出る。藤沢からは東海道線で大船へ出て、大船から横須賀線で、鎌倉へ帰る。その二回の外出は、結構しんどい用事だったので、落し物をした可能性はある。
が、そのどの駅でも、習志野へ結びつく、路線には接触をしていない。『ゼロの焦点』を書いたときの松本清張張りに、鉄道・路線を検討しても、習志野へは結びつかない。 『変だぞ。変だぞ』、と、頭をひねる。
先ず、百合子がそれを、「本当に落とした」と仮定をしてみよう。でも、一見すればダイレクトメールだ。もともと、はさみで切ってあって、その中身を拾った人が読んでみたとしても金銭的には価値無いそれを、わざわざ交番に届けてくれるような奇特な人が、現代の日本にいるかどうか。それを考えると、「ほとんど居ないはずだ」と結論がでる。
鎌倉の自宅・ゴミ箱には、4つに折り曲げたそれを捨てた。もし、習志野署へ出かけて、それを返してもらって見たときに、折り目が入っていれば、我が家のゴミ箱から泥棒が取り出して、わざと習志野署へ届け出た事となる。または、警察内部で、アイデアをだし、それを、そちらに転送した人間がいることとなる。電話をくれた若い警察官自身は何も裏を知らないであろう。純真な子みたいだった。
二十八年ほど前に、陸軍やら、海軍の元参謀たちが仕組んだ詐欺事件に、巻き込まれたときは、自分は、そこまで丁寧にやった。そして、見事な証拠固めをして、敵対する悪人どもを蹴散らかした。
しかし、今はそこまでのことをする気がない。体力がないということもあるが、あらゆる事に慣れてしまって、どんな諜略活動を仕掛けられても、それほど、大騒ぎをしない事となっている。
ただ、この件が意味するところについては、泥棒以外にも、あると感じる。先ず、その封筒が9月ごろ来たタイミングが問題だ。しかも2通も来ている。同じものとしてではなくて、以前のものに、間違いがありましたので、となっていたが、さしたる間違いなど見つけられなかった。となると、「絶対に、その催しに来て欲しい」という意思を感じる。「なぜ」、と思う。寮や食堂が改築や新築をされたことへの同窓会主催の、お祝い(お祭り)であり、音楽会やら、特別・講義があるが、百合子一人がいったって行かなくたって、大勢には変わりはない。
事前の申し込みが必要だが、百合子は「行かない」と決意した。というのもペンクラブもそうだったが、向こうからお誘いのある催しは、このごろでは、たいてい、罠が仕掛けられている。それで、覚悟をしていても、引っかかれば、心を揺り動かされて、数日または、数時間はその処理にエネルギーをとられる。
でも、『習志野・警察署という名前まで使って、「どうしても来い」というのはどんな大仕掛けな罠が仕組まれているのかな』と興味もわく。
百合子は結論を得た。簡単に言えば、罠とは、そこに出席をすると、それ以降、物が自由に書きにくくなるということだ。多分、スピーチをする人の選び方に、『百合子の神経を逆なでするであろう』と、敵たちが確信をしている人物たちが、選ばれるのであろう。『その結果、彼女は確実に嫉妬して、落ち込むはずだ。したがって、物を書くのを止めるだろう』とみなされているのだ。
『相変わらず、敵様たちは単純だなあ』とおもう。『そんな流れはすぐに読めるからこそ、反対の方向へこちらは動くのに』と思うが一方で、
『気がついていない振りをして、わざと罠にかかり、その結果を考察し、文章に書き抜くと言う手もある。母の形見の中に、この68歳という年齢の女が着るにふさわしい柄で、しかも極上な訪問着が、二枚も含まれていた。それをしゃきっと着付けて、威風堂々と、三鷹へ乗り込んでみるか』とも思うが、そんな風に気張る気力も、この年ではうせた。
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短編小説は、上の罫線部分で終わらせて頂きます。
というわけで、私、雨宮舜、は、その当日の2010年11月27日(土)の朝になって、やっと、上のエピソードを文章化しました。そして、今、28日に推敲をさらに重ねました。土曜日に、植草一秀教授の、『日本の独立』という本の広告を見て、氏が、一種の別件逮捕で、苦しめられたことを思い出したからです。
真実を言う人は、イエス・キリストの時代から必ず弾圧をされるので、覚悟が必要です。すでにマスメディア世界で有名人となっている植草教授と比較対照すれば、より温和で小さな形では、ありますが、私もいつも、罠に引っ掛けられて苦しめられる人間ではあります。
でもこのように、かまってもらうことは、あながちな不幸とも言えないのです。そのわずらわしさこそ、私の思考や思想を育てたものであります。そして、私が書くことの「権利がある」と確信するゆえんです。もし、取るに足らない人間だったら、これほどの弾圧には会わないでしょうから。
なお、私の文章を始めて入って絵下さった方は下へスクロールしていただき、前の二報ををごらんいただけますと、幸甚です。2010年11月27日、雨宮舜