銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

私は以前から、黒澤監督が嫌いであった。特に、【七人の侍】以降の作品を嫌いである。理由は? + 渡辺幸子、栗田玲子、伊藤玄二郎△

2019-11-19 23:13:48 | 映画

 この一文ですが、20日に大量に加筆をしています。完成したのは、21日の午前一時です。で、恒例の三角印を、総タイトル横に付けておきます。加筆部分としては、自分がなぜ、今の様な文章を書くようになったかの、道程を吐露して行っています。山口みつ子さんの死の部分など、何度、書いても、その苦さが、忘れられない、苦しくて、苦い苦いお話です。

 20日の昼間は、新橋演舞場で、【スーパー歌舞伎II、オグリ、中村隼人版】を見てきました。その感想を書く方が、ずっと楽なのですが、頭の中に浮かんできたのが、下記の文章の、後半部分なので、仕方がない事です。エリカ様ではないけれど、私こそ、憑依系文筆家ですね。書くことに対して、何の無理も、苦しみもないのです。滞ることもないのです。其れを私は、・・・・神様が、描(又は、書)かせてくださっている・・・・と感じていて、かつ、それを外部へも、表明をしています。・・・・・・という添え書きを、21日の早朝、一時に、いれて、初稿に戻ります。

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 先ほど、皆様にご覧をいただきたいと、言って居た、アナザーストーリー(NHK BS3 火曜日の、9時から)を、私は、見ました。ナヴィゲーターは、松嶋菜々子でした。

 ところで、それを見終わった私の頭脳の中に浮かんだのは、・・・・・以前から思って居たのだけれど、私って、黒澤明監督が嫌いなんだなあ・・・・・と、いう事です。それを、また改めて、確認をしました。

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 黒沢明監督の映画を、全部見ているわけではないのですが、【羅生門】までは、素晴らしいと思います。しかし、【七人の侍】を含めて、それ以降は嫌いなのです。

 なぜかというと、【七人の侍】みたいなエピソードは、日本史の中には、無かったと、思うからです。あの映画は、進駐軍の中のインテリ層が、日本に定着させようとした、民主主義社会という理想に、迎合している映画だと、思って居ます。

 確かに弱い庶民の夢です。自分たちを救ってくれるヒーローが、どこかからやってきて、悪人をやっつけてくれて、自分達が救われるというのは、夢です。しかし、現実にはあり得ないです。だから、面白い事は、面白いけれど、うそ寒いです。途中で、なじめなくなります。

 甲賀・忍者という集団があったみたいです。高い技術を持っていたのですが、それを役立てたのは、大名などの、支配階級のためでした。まあ、信長には、敵対した時期があった模様ですが、庶民(特に、農民)をたすけるために、動いたとは、思えません。

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 皆様は、イラン映画の【ともだちの家はどこ】をご覧になったことがありますか? それから、別の韓国映画を思い出します。タイトルを今の私は、忘れていますが、韓国の、農村で、牛を飼う、老人夫婦と、その、都会へ出てしまった息子との考え方の違いを表現した、話・・・・・救いはないのです。ハッピー・エンドとは言えない。しかし、何とも、感動深い映画です。

 いや、びっくりです。今、グーグル検索で【韓国映画、牛】と入れただけで、映画が出てきました。タイトルは、【牛の鈴音】です。

 しかし、もしかしたら、皆様は、こうおっしゃるかしら? 「それらの映画って、後進国の貧しい人達を、テーマにしていますね。それって、結局はお涙頂戴だし、現代日本には、遠い話でしょう」って。

 では、文明国アメリカの映画を、一本取り上げましょう。テレビ放映で、偶然見たのですが、あっけにとられるほどに、リアルでした。2005年制作ですが、1986年を舞台としている映画です。そのころの、アメリカ中流家庭のリアルが、満杯です。

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 映画【イカとクジラ】は、グーグル検索で、項目がたくさん出てきます。好評と不評に分かれますが、1999年に、この映画に出てくる、ブルックリンの高級住宅街にある美大、Pratt Institute に、通って居て、次の、2000年用のアパートを探しに、ブルックリンの坂(ただし、映画に出てくるところではない。私の方は、並木道で、映画よりも高級な地域)を下った体験を持っている私には、すべての場面が、リアルなのでした。

 映画の方の道では、丘の下の方(南部)は、安普請の家ばかりあって、ドアも、フラッシュドアで、誰かが、蹴破ると、簡単に破壊をされてしまうとかね。フラッシュドアって、ご存知ですか? 枠だけが木で作ってあって、その上にはべニアが張ってあると、いうタイプです。我が家にもガラスがはまっている形で、何枚もあります。一方で、ムクのドアも、何枚もあるのですが。・・・・・2005年ごろは、既に、ブルックリン全体が、相当高級になっているのです。特に地下鉄の駅が、高級で、きれいになっていきます。それにしても、北部の、ハイツと呼ばれる地域よりは、南の方が、地価が安いでしょう。

 ブルックリンの、北の方は、高級住宅街です。特に学者とか、創作を仕事にしている人に好まれている一帯です。収入はさして高くないが、誇りはとても高い人達に、好まれている一帯です。私は散歩中に、クリントン大統領の別邸すら見つけています。ただ、その地域だけは、一種の高級分譲地で、あたり一面、すべて、同じ敷地の広さで、同じ規模の大邸宅が建っているのでした。アメリカの、ワシントンとか、ロスアンジェルスなどのニューヨーク以外に、本宅のある人が、住む、富裕層(=上流階級)の別邸だけ、集中している地域らしくて、人気(人の気配)が、全くないのです。が、クリントン邸の前だけは、警官詰め所があるので、なるほどと、思ったのですが・・・・・

 元に戻ります。映画の中では、両親は二人とも物書きです。お母さんの方が、仕事が、今、当たっています。それで、もともとの住居=ブルックリン北部の高級住宅(ただし、連棟型アパート、内部は、高級である)を取り、次男と同居します。お父さんの方は、今は、書くものが、ヒットしていないので、収入も低くて、その上、お母さんと喧嘩をしているので、追い出されて、南へ下っていき、安っぽい家に、長男と一緒に引っ越します。

 場所の雰囲気もリアルですが、登場する人間たちの言葉の、表現も、超リアルです。唯ね。私がこの映画を見たのが、60歳を過ぎていました。だから、笑ってみて居られるのですが、お若い方、特に日本の女性が見ると、『いやな映画だ』とお感じになるかもしれません。主婦=お母さん=があまりにもわがままだと、感じたりしてね。アメリカのインテリ女性は、権利の主張が、すごく強いですから。また、男の人も、嫌いかもしれません。主人公=お父さんの方の、欠点が、多いことに、我が身を振り返らされて、たじろいで、しまうかもしれません。

 また、小学生の次男が、両親の不和ぶりに傷ついて、学校で、自分の精液を、図書室の壁に、なすり付けてしまうのですが、その後始末など、日本の学校もぜひ、見習ってほしいです。先生の方に、余裕と愛情がある。

 それからね。学校の建物がとても古いもの(だから壁が、ムクのウォールナットなどでできていて、こげ茶色で、それが、またニスで、ピカピカな事、等は、日本も見習ってほしいと、思います。日本って、スクラップ アンド ビルドで、新建材多用でしょう。しかし、ニューヨークとかパリって、けっして、スクラップ アンド ビルドではないのです。パリでは、250年以上、ニューヨークでも、130年近いビルを丁寧に使って居ます。だから、焦げ茶色のムクの建材の上に塗ってあるピカピカのニス・・・・・その上に、引っ付いて乾いている精液に先生が気が付くのでしょうね。日本で、そういう事があっても、先生が気が付くかどうか? 新建材の白いビニール壁紙の上に、乾いた精液が、くっついていて、気が付くでしょうかねえ?

 ともかくセリフがいっぱいで、すべてに、リアリティがあるので、私などの様に、色々な、経験を積んできている人間には、ひどく面白いと、思われました。最後はハッピーエンドでもないのですよ。突き放したままで、結論なしで、終わるのですが、人生ってだいたいそうですよね。

 日本の家庭では、既に、崩壊していて、中がスカスカなのに、本心をぶつけて、討議すると、いう形がないでしょう。そういう点では、アメリカの、インテリたちが、debate 討論を、好む姿を、日本にも、導入するべきだと、思います。

  私は、このアメリカ映画【イカとクジラ】を見ている最中、一分ごとに、『次にどうなるのかしら?』 とワクワクしながら見入りました。何にもドラマチックな事は起きないのですよ。ああ、長男の、・・・・・文化祭で、歌った自作の歌の、歌詞が盗作だった・・・・・という、悲しくて、おかしい、事件があるのですが! しかし、家庭が、再構築されるかどうか? お父さんとお母さんは、離婚を解消し、同居を再開するのか? 夫婦の同居、再開を私は、期待しながら、登場人物たちのセリフを追って行ったのです。お母さんにもお父さんにもそれぞれ、愛人ができてね。大変です。

 しかし、反対に、後期の黒澤明監督の作品など、10分ごとに『早く終わらないかなあ』と、思いながら見ていました。単純すぎるのです。退屈なのです。

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 で、この・・・・・番組【アナザーストーリー、黒澤明監督、VS 勝新太郎】を見た感想は、・・・・・「若い日に、名誉を得てしまった黒澤明監督は、却って不自由だったのですね」という事です。・・・・・そして、自分のことを、こう考えました。・・・・・私には名誉も社会的地位もない。でも、自由がある。何のといえば、精神の。私は誰に対しても、金銭的に、責任を負う立場にない。という事は、換言すれば、誰も、私を束縛するものが無い。これは、結構、幸せな事だ。非常にうれしい事だ。それに気が付かされた・・・・・と。

 『私の一生とは、結構、ぜいたくな一生だったのかなあ』とも、気が付かされました。価値観の違いですが・・・・・まあ、創作の上では、自由が大切です。黒沢監督には黒沢組という家来陣(集団)が居た。それが、却って、重荷ではなかったのかなあ? そういうお取りまきがいるからこそ、自分が、【かつ新】に負ける状況は許されないと、お思いになったのではないかなあ。二人の衝突劇は、黒澤監督の方が狭量に見えますよ。

 こういう事は、よくありがちです。私が最近書いている、担任の教師(鬼面冠者というあだ名だった)が、本間君という・・・・・特に体が小さい、だけど、ヴァイオリンは、1955年当時、小学生だけのコンクールでは、全国五位、以内に入っていた・・・・・を、苛め抜いたのは、本間君のお母さんと、ご自分(男ですよ)との間の上下関係に関して、何らかの、人に言えない、怒りがあったからだと、思います。【かつ新】も、無邪気なだけだったのでしょうが、本間君のお母さんも、自分が、それほどに、深く先生の怒りを買って居るなどと、まるで、気が付かない人だったのです。それと、学校から、たった、五分程度の距離に住んでいたので、しょっちゅう、学校に来ていたから、いけなかったのですね。本間君が、小学校時代の担任は、それが通る相手だったが、中学の先生は、音楽が好きな人だけに、却ってまずかったのです。

 黒沢監督って、ある時期から、サングラスを常に着用していますね。其れは、何かを恐れていたからだと、思います。いろいろ、心に負担がある人だったのです。偉い人ほど、引退時期を、ご自分で、決定しないといけません。特に黒沢組などという家来集団を抱えていてはね。

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・・・・・・・この・・・・・ずっと以前から、自分としては、相手を下だと、思っていた人間が、ある種のポイントで、自分より上だと、発見した時に、相手の、あれこれが、すべて、癪の種になるというのは、2002年ごろの、渡辺幸子さん(ICU卒の画家で、青木繁大賞を取っている女性。鎌倉在住で、フェリス卒。私より年上)と、私との間で、見られたことです。あの時は、いじめられた私の方が、彼女の前から去りました。二人は、同じグループ展(同窓会展)に所属をしていたのですが、そこを、私の方が去ったのです。それで、彼女は、びっくりしてしまった模様ですよ。そういう決断を私がとるとは、思いもよらなかったみたいでね。

 その・・・場を去る・・・という形は、反抗とか、抗議の形としては、結構、強い事なのですね。それでね、鎌倉駅のトイレの中で、しかも、夜の、10時半に、偶然に出会った栗田玲子さんから、「川崎さんって、怖い人だっていう評判よ」といわれることとなります。栗田玲子さんって、銀座の、有名画廊、ガレリアグラフィカのオーナーです。山本容子をお手持ち作家としている画廊です。

 私は『ああ、裏で、渡辺幸子さんがいるわけですね』と思うわけです。しかも、目の前、30メートルの所を、走って逃げる伊藤玄二郎を発見したので、『なるほど、二人は銀座で、私をいじめる相談をしていたのですね。で、グリーン車の中でも、話し合ったが、話が尽きなくて、逗子に降りなくてはいけない栗田さんは、伊藤玄二郎に誘われて、鎌倉駅に降りたのでしょう。葉山に住んでいるのにね。既に、夜の10時半なのにね。栗田さんは、結婚をしていると聞いているけれど、大丈夫なのかしら? それほどに、遅く帰って?』などと、思うのです。

 そして、トイレで、偶然出会った私を避けようとして、なかなか、個室から出てこなかったのでした。その思いは、むろん分かりましたよ。だけど、私の方は、ずっと、彼女が出てくるのを、待っていたのです。

 だって、こういう機会こそ、神様のお恵みなのです。証拠捕まえちゃったと、いうわけですからね。最高の喜びです。

 その間、伊藤玄二郎は、何事かを察して、男子トイレの方で、かたずをのみながら、待っていた模様です。そして、到頭、栗田玲子さんが、個室から出てきて、私と手を洗いながら、何事かを話しているのを壁越しに聞いて、栗田玲子さんが相手をしているのが、川崎千恵子だと、察して、私に出会うのを恐れて、走って逃げたのでした。怯懦の、人です。

 私は背中を見せて、逃げて行く伊藤玄二郎を見ているうちに、何とも、言えない怒りが浮かんできて、珍しく、喧嘩という形にもっていきました。、東口のトイレから、改札口までの、30メートルぐらいの間ですがね。以下の様に、しかも、語気鋭く、言い放ったのです。怖い人だといわれたセリフに返答としてですが、「だって、人生経験を積んでいるのですもの、強くなるのは当たり前でしょう」っと。栗田玲子さんが、過去に積み上げた人生経験と、私が過去に、積み上げた人生経験のどっちが深くて、どっちのエピソードが、学びにつながったのか、等は、比較はできませんよ。私は、このブログに全部を書いていませんもの。

 その上、美術系作家として、生きることもいじめられきっていて、道が狭まっているし、美術評論家として、生きる道も相当に、妨害をされているでしょう。大原光孝という人物が、創形美術学校の後輩、本田和博さんと、そっくりな画題で、しかし、できを比較をするとはるかに雑な絵を、アクリルで、しかも、ベニヤ板の上に描いて、中島千波さんなどの、ご支援を得て、春季院展に入選させたのも、私の美術評論家としての、立場を、からかってきた、仕組みでしょう? まだ、それは、軽い方で、無視できるのですが、

 山口みつ子さんが、美術評論家の秋山祐徳太子よりも、私の方を上に置いて、それが、ギャラリー山口のオフィスに盗聴がかかっていたために、CIA側に入ってしまって、結果として、殺されてしまったケースなど、本当につらい事でした。

 ここですが、最近、書いている手相観の第一人者、日傘雅水さんとも関係があるのです。彼女は、一種のお医者さんなのに、二回目とか三回目、ぐんぐん、意地悪っぽくなっていくのです。其れは、赤瀬川原平さんに、村松友視さんが、言いつけてね。そうなったと思います。村松友視さんは、尾辻克彦名義での、赤瀬川さんの、文章の方の支援者でした。村松さんの後ろというか、上流というかには、湯川有紀子さん(ICU卒で石塚雅彦夫人と親しい。中央公論新社で、婦人公論と、中央公論の編集長をした)が居て、讒言を、村松さんに、吹き込んだと、見ています。それを伝え聞いた、赤瀬川原平さんが、日傘さんに、私をいじめたり、からかったり【週刊女性紙上の記事の事】する様に、命令したのでしょう。赤瀬川さんは、雑誌太陽の特集号で、日傘さんに、苦境時代に救われたと、語っています。その赤瀬川さんと、【ライカの会】というのを作っていて、親しかった秋山祐徳太子は、もろ、CIA側人物で、しかも、対私用、攻撃者でした。それの証拠が、彼が晶文社から、自伝【ブリキ男】を出版していることでも証明をされます。この晶文社の件は、これまた、とても恐ろしい事へつながっていき、100万字ぐらい必要なので、今は、触れません。

 みつ子さんは、画廊を閉鎖する予定だった、2010年1月31日の二週間も前に、飛び降り自殺をしたという事になっています。しかし、違いますよ。画廊を閉鎖して、これから、時間がフリーになるみつ子さんと、私が仲良くなると、私の力が強化されるものだから、みつ子さんを殺したのです。

 彼女は、スタッフさんに、後始末を任せて、画廊閉鎖の予定日の、二週間も前に、自殺をする様な人ではないですよ。殺されたのです。薬を使ってです。部屋に数人で、待ち伏せしていてね。これは、私にとっては、たとえようもない衝撃でね。美術評論家としての、筆を折りました。

 どうしてこれほどにいじめられたかというと、美術評論家って、美術館のスタッフとか、大学教授などの、ほかの仕事を持っている人以外は、売文業なのです。だから、どうしても惰性に陥るわけです。難しい語彙は、使うが、面白くないし、感動も与えません。そこへ、中学生程度の、語彙を使うが、本当に感動した作品しか、取り上げない私が、面白くて、人を引き込む文章を書き、しかも英語でも書けるし、お金はとらないしですから、旧来の、売文業的、美術評論家は上がったりになるわけです。だから、憎まれたり、いじめられたのですよ。

 そこに戦後最大の、CIAエージェント、瀬島龍三一派は、乗っかかったのです。それが、井上ひさしが提唱している、9条の会の、美術部門である、美術9条の会の創設だったのです。そこを利用して、いじめられたのが、大きい弾圧用ラインでした。野見山暁次さんも、渡辺豊重さんも、そこの委員をしています。

 しかし、その二つの仕事を、奪われたからこそ、私は、ほかの人が書けない様な、真実を書く、人間になったのですよ。美術界から追い出されたからこそ、自由なのです。ありとあらゆるいじめを受けたからこそ、自由になり、美術界のお偉いさんと、対等になったのです。人間としては、すべての、日本人は、対等です。憲法に保障をされているでしょう。違いますか?

 元に戻ります。ぐるーぷICU展を出たころに戻ります。渡辺幸子さんの嫉妬のせいで、苛め抜かれたので、出た方がいいと、判断しました。ただ、そのグループの中に、石塚雅彦さんが、含まれていたので、そこを出たことで、CIAは、石塚雅彦  ⇒ 古村浩三ラインを使いやすくなったのだと、思います。そういう意味では、損でしたね。政治的な意味ではね。日動画廊、笠間美術館のオーナーだった、長谷川智恵子女史が、茨城県教育委員会で、「障害児は、妊娠中の検査で、わかるのだから、中絶を、勧めるべきだ。その方が茨城県は、予算削減ができる」という発言をしたのなど、まさしく、石塚さんが、かかわっていると、思うし、

 スタップ細胞疑惑もそうですよね。日大アメフト問題もそうですね。

 でもね、私は、既に、損得は計算しない人間になっていますから、『それは、それとして、却って、自由自在に、石塚さんについて描く(=書く)ことができるようになって、よかったわ』と、思って居るのです。

 でもね、この、・・・・・目下だと、思って居た存在が、実は、自分より頭がいい・・・・・と、発見した時の、いやな感じにおぼれているのが、各地で、発見される、親側の、子への虐待です。イギリス制作のドキュメンタリー番組、【地球ドラマチック、NHK 教育テレビ、土曜日放映】を、見ていると、人間って、赤ちゃんの時から賢いのですよ。すべて、わかっているのです。 ちいさいのに、「もう許してください」と書いて、殺された結愛ちゃんなんて、まさにその典型で、あの父親は、途中から、結愛ちゃんに追い詰められていたのだと、思います。

 まあ、そんなことを、思ったというわけです。ただし、私が、黒澤映画の、対象例として挙げた三本の映画の様に、真実味のある映画って、脚本家とか、監督の実体験が反映しているので、何本も同じレベルの作品を生み出すのは、難しいでしょう。 

 2019年11月19日に書き、20日に、推敲し、21日の早朝にやっと完成へ至る。なお、このブログの、2010年より、数え始めた、延べ訪問回数は、5717515です。   雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

コメント
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パリに見いだされたピアニスト・・これは、日本側(特に鎌倉エージェント)企画の政治映画です。▢

2019-10-26 22:21:19 | 映画

 この文章ですが、相当に長くなりそうです。それで、この章は、ここで、終止と、させてください。完成とは、言えないので、総タイトル横に、▢印を、つけておきます。これは、意外と、大きな話題なのです。で、さっそく復讐用ニュースがMSNに公開されました。それを、上に置いておきます。

 すみません。たくさんの文章がペンディングになっているのですが、今、頭の中は、今日(というのは、初稿を書いた26日の事)、見てきた映画のことで、いっぱいなので、それを、語らせてくださいませ。というお断りを入れて、26日映画の感想を書き始めました。で、ブログの分野は、映画に入れてあります。しかし、一晩寝たら、この映画が内包する問題点が、すっきりと、見えてきました。それで、分野を政治に、変更します。なお、二日目に、途中で、挿入する部分には、アンダ―ラインを敷きますが、特に重要な部分の挿入には、アンダーラインを敷かず、着色をして置きます。

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副題1、『私は、ビジネスマンたち=映画製作者と、日本側配給会社と、上映映画館の営業妨害をするつもりは、全くない。それは、自由主義経済制度化の日本では、十分に補償をされるべき権利だ。・・・・・しかし、この映画は、文芸映画でも、音楽映画でもない・・・・・という事は、明言して置きたい。初日の以下の文章でも、いささかの懸念を述べているのは、自分でも、『ああ、冴えていたなあ。疲れていたはずなのに、よくぞ、そこに気が付いた』と思うほどだ。

・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・~+=*=+~・

*1)、『これは、フランス映画としては、珍しいタイプではないかなあ?』と、思った。ともかく、わかりやすい。しかし、だからといって、「見に行かない方が、いいですよ」と言って居るのではない。筋は、事前の想定よりは、複雑ではあった。だから、『退屈するなあ』と、思ったりする瞬間は、一瞬も、無かった。

 しかし、これは、一種のシンデレラ・ストーリーなので、結局は、明るくて、幸せな気分で、終わることになるので、それが、フランス映画としては、非常に珍しいと、思った。

:::::::::ここですが、これは、日本側がアイデアを提供して、急遽、雑に、作った映画なので、一般的なフランス映画とは、カラーが違ったのです。たぶんですが、日本における書物としての、【蜜蜂と遠雷】の、ヒットが、この映画の、アイデアの源泉に在ったと、思います。:::::::::

・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・~+=*=+~・

*2)、

 プログラムを買った。二頁目の、イントロダクションに、書いてあったのだが、コンセルバトワールと、されている場所は、撮影地が、実際のコンセルバトワールではなくて、」

 セーヌ川の中州に、建設された新たなパリのシンボルである、大規模音楽複合施設、【ラ・セーヌ・ミュージカル】で行ったと、ある。「えっ、そうなると、これは、パリ宣伝の観光ガイド映画なのですか?」と、言いたくなる。

ともかく、伯爵夫人と呼ばれる女性教授と、主人公の青年が、最初の段階の、レッスンをする場所が、これは、コンセルバトワールに在るはずがないと、思うほど、広くて、美しい部屋だったので、プログラムを見て、納得をした。

 曲線を描く、透明ガラスで、囲まれた、ミニマリズム・デザインの広い部屋に、たった一台のグランドピアノが、置いてある。ものすごく、デザイン上、美しい部屋であって、パリ市民が、「どうだ。こんな美しい、レッスン室なんて、世界中他には、どこにもないでしょう」と、言って居る気配は、十分に悟ったのだった。

  ところで、ここまで書いてきて、「あれ、この映画って、簡単な分析では済まないぞ」と、思い始めた。もしかしたら、政治的裏メッセージがありますか?」と、思い始めたからだ。 

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副題2、『シテ島内にあるアパルトマンは、パリ市内で、もっとも、価格が高い住居だそうだ。これは、フランス人の居住者本人が日本に来た時に知り合って、ご本人から聞いた。大阪の中之島に似ているが、もっと面積が広くて、樹木などもうっそうと茂っている。建物も数多くある。公的な、誰にでも入れるものは、少なくて、招待されたら入れるという建物が多い。

 そこに、シテ・デザールという、美術系芸術家向きのマンションがある。アトリエ付きのマンションで、これも、入居者に、招待をされた人間しか入れない。この建物は、海外から、パリへ美術を学びに来た人に、貸し出されている。それは、築60年は過ぎていると、思われる、結構古い形式のマンションだが、800人が入居可能だと、聞いている。そして、端っこに、それ以降に建てられたと、思われる、総ガラス張りの、画廊棟と、版画制作棟が、ある。というのは、日本人入居者と知り合って、教えて貰ったことだ。1998年のことだから、21年は前のことである。

 ここの入居資格なのだけれど、コネが効くと、聞いた。それを、私はメルマガで書いている。そして、私のメルマガは、私自身は、知らないうちに、1999年、開始当時から、ハッキングを受けていて、例の鎌倉エージェントも、それをつぶさに読んでいたと、考えられる。で、そのコネが効くという部分を、こちらの映画にも応用をされていると、見るのだ。

 この映画、【パリに見いだされたピアニスト】には、ピアノコンクールが出てくるのだが、それが、コネもコネで、出場者が選ばれる。この点なのだけれど、これが、おとぎ話系、フィクションであるから、許されるといっても、どう考えてもあり得ない話だと、思う。パリのコンセルバトワールは、国立である。日本で言えば、上野の芸大にあたる。そのナンバーツーか、ナンバースリーかの男性が、突然に、駅の構内で、見出した、若い男性(しかも、窃盗歴二犯目)を、自らの大学の唯一の代表として、選任するなどという、自由を与えられているはずがない。

 これが、日本でいうフェリスとか、洗足学園級の小さな音大だったら、自大学の、学生ではない学生を、仙台のコンクールとか、横須賀のコンクールとか、浜松のコンクールに送り込むことがあるかもしれない。ただ、そういう小さな音大では、入学者が、女性が主なので、この映画の主人公みたいに下町育ちで、低い階級の青年で、人に誘われたといっても、窃盗歴のある様な青年をコンクールに自大学の唯一の学生として、送り込むはずもない。しかも、音楽好きな私は日本音楽コンクールに関するNHK政策のドキュメンタリーは、よく見ることにしているのだけれど、は、予選があるし、大学選抜ではなくて、自由応募だと、私は、推察している。芸大出身の人が、卒業年度は、違うものの、何人も応募してくることがあるし。ドラマチックにするといっても、余りにも嘘のレベルが、大きいので、私は、しらけ切った。

 そして、昨日の内に、映画館内で、すでに、うっすらと、ではあるが、『あれ、これって、例の井上ひさしの発想ではないかしら?』と、思った。井上ひさしは2010年の四月9日に、自分を死んだことにして、NHK,ジャックというほどに、それを大宣伝したのだが、その2,3日の内にも、大いなる嘘が、多数発見をされた。

 娘の麻矢さんに言わせると、最終期まで、自分で、歩いて、病院へ通ったそうだが、嘘ばっかりだ。彼の自宅から、急な坂を下りて、通える病院は、15分以内にはない。最終期の病人が歩いて出入りすることは不可能だ。タクシーを利用しなかったことを弁明していると、思われる。鎌倉市内他、どこの病院にも彼のカルテは、無いはずだ。肺がん(もしくは、ちゅうひしゅ)は、嘘であろう。彼には、実生活の体験がない。それに、クラック音楽についても、好きではないと、思われ、こういうとんでもない発想が、生まれると、思う。この映画をパリの文化人が見たら、しらけ切ると、思う。この映画は、主に、日本とか、その他、フランス語圏の、後進国で飲み、公開をされると、推察している。

 さて、本物のコンセルバトワールで、撮影しないで、別の場所で、撮影をしたというのは、余りにも筋が、その部分で、荒唐無稽なので、さすがに恥ずかしくて、頼めなったのだと、思われる。

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副題3、『主演者は、ピアノは、できないと、はっきり言って居る。だから、陰の演奏家が居るはずだが、その名前が、プログラムのどこにも記載をされていない。

 それは、この映画が、実に、粗雑に、かつ、急遽作られたかを示している。で、陰のピアニストは、私には、感動を与えない種類の、演奏をしている。ちっとも、美しくない。音楽として、美しくない。それが、この映画が、政治的目的を、クラシック音楽というお砂糖をまぶして隠した、嘘っぱち映画、であることを、証明している。

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副題4、『冒頭のパリ北駅の描写の部分から「変だなあ」と、私は、感じた』

 パリのコンセルバトワールの、実際のレッスン室を使わなかったと、言う点で、似ている問題ではあるのですが、この映画は、冒頭から、私には、激しい違和感を与えたのです。 

  パリ北駅構内に、置いてある、街中ピアノ、もしくはエキナカピアノが、重要な導入になるのですが、そのピアノが画面に映る前に、パリ北駅の、ホールとか、長いエスカレーターが、写ったのです。とても美しい駅です。私は、日本の駅としては、名古屋駅に、びっくりしました。豪華でね。近々、横浜駅西口の再開発が、完成して、長いエスカレーターと、ガラスの壁面が公開されます。

 それが、竹中工務店の、設計部門が設計したのか、西隣の白井達雄氏が、重役待遇、横浜支店長をしている、松田・平田設計事務所が、設計したのかは、知りませんが、広いガラスの壁面を持ち、長いエスカレーターが、走る姿は、このパリ北駅に似ています。ところで、こういうビルで、すぐ思い出すのは、大手町の日経本社ビルです。駅ではないけれど、似ています。

 私は、パリ北駅の、美しい映像が、展開する冒頭画面を見ながら、陰に居る、鎌倉エージェント、特に、井上ひさしの悪意ある、声を、聞き取った。それは、無論、声なき声である。むしろ、こういう記述をすると、彼ら固有の、・・・・・お前は、幻聴を聞くから、被害妄想が、強い、精神病患者だ・・・・・と、言う罠に引っかかりかねないが、24時間、そして、ほぼ、18年間にわたり、私を取り巻く環境の中で、常に同様な手法で、いじめられてきているので、音声としては、音楽が聞こえているのだが、象徴的概念として、鎌倉エージェント、特に、公的には、自分を死んだ子のしているが、実際には、いまだ、生きていて、ありとあらゆる謀略のネタを作っている、井上ひさし固有の、声が、概念として、頭脳の中に入ってきたのである。彼は、ワンギリの電話をかけて来たり、このブログに、コメントをよこす、日本人の中では、ほとんど唯一の人間なのだけれど、大変汚い言葉づかいで、コメントをよこしてくる。署名も、ヘーガデール、ウンチョース、などという汚いものである。

 彼としては、自分は、ユーモアをセールスポイントにしているのだから、素晴らしいペンネームだろう?』と、得意になっていることは、わかるのだけれど、即座に、屁が出る。とか、うんちが出ると、言う日本語を、メタモルフォーズしたとわかる。そして、そのコメントの言葉遣いが、これ以上はないほどに、汚い。

 で、この冒頭画面で、裏にあった、井上ひさしの言葉を、ここに青字で、語ろう。『お前さあ、パリには、詳しそうだねエ。だけど、常用したのは、サンポール、バスティーユ、シュマン・ヴェールの三駅だろう。ほかの駅にも行って居るらしいが、北駅だけは、行って居ないじゃん。お前の知らないパリだってあるんだ。』と。それと、『フランスを舞台にして、特に、パリを舞台にして、登場人物を、有名人に演じさせれば、一般の日本人は、尊敬するさ。お前が何を言おうと、お前の負けさ』とも。

 そうですね。この主役は、某有名監督を祖父にもち、母親も有名女優で、父も有名監督です。これって、実家の情報を秘匿しているが、同じく、名門の出である、山本耕一にそっくりですね。彼について、文章(後注1)を書いていますから、その時点あたりから、この企画が浮かんだとも、推察されます。

@@@@@@@ここが、第一の書きかけ中の最先端です。

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 ・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・・~+=*=+~・・~+=*=+~・

*3)、

 コンクール用の課題曲が、ラフマニノフの、ピアノ協奏曲、第二番なのだけれど、この曲を、65年も前から、全分野の器楽曲の中から、最も好きな曲二つの内の一つだと、公言し始めている私が、その場面で、何にも感動をしなかった。なぜ、そうなのか?を、考えているうちに、この映画には、裏メッセージが、込られていることをも、感じ始めている。で、この章もここで、中断をしたい。とても、今夜中には、その秘密を明らかにすることはできないからだ。なお、もう一つの好きな曲とは、シューベルトの即興曲二つ、(全八曲、だいたい一時間)である。

 無論のこと映画館の音響装置のボリュームが大きすぎたこともあろう。それから、主役の少年(又は、青年)が、有名人のお子さんで、貧乏な階級の子であると、言う、映画上のイメージと、実情は、違う。それらの違和感が、積み重なって、ピークに達したのが、コンクールの場面だった。映画の中だから、細切れになるとはいっても、それでも、美しくなくてはならない。それが、美しいとは、感じられなかった。不思議なのだけれど、ピアノ演奏に関しては、最初から、うつくしいとは、感じさせてくれなかった。

 ただ、私は音楽についても、政治についても、大変過敏な方だから、そう感じるのかもしれないので、ほかのお客様に行くななどとは言えないし、言いたくない。面白い方の映画だとは、思うし、平均以上の出来だとも思うし。

 

 

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AOLの表紙が懐かしいNYの地下鉄だった(タクシードライバー)+これも懐かしかったmy bonnie(まっさん)△

2014-11-10 09:22:05 | 映画

*1)

 今日は、朝、9時半に、ここを開けてびっくり仰天です。『佳子様ICUへ』と、言ういったん書いて、ひっこめたものが、この頁のトップに出ていました。それにびっくり。前夜、疲労困憊していたので、公開と、非公開のスイッチを、クリック間違えをしたのでしょう。その文章には、瑕疵も誤解も、心配もないのです。私の方から、言えば、そうなります。ただし、未熟である。もっと、整理しないといけません。全然未熟な段階でした。で、いったん引っ込めます。それは、実は、片山祐輔君が、今どうしているかに直結する文章になるはずでした。だから、前報を書いている初期段階で、片山祐輔君の名前が出てきていたのです。

 お待ちください。明日それを書くかどうかは、分かりませんが、佳子様、ICUへと、言うニュースは、単に佳子様、一人の問題ではないのです。で、それを、11時間で引っ込めた代り、本日は、ひどく毛色の変わった、情報をお知らせしたいと思います。どうでもいい種類の情報ですが、自分には、ひどく訴えるものでした。

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*2)

 ところで、自分の基本的なメルアドは、大昔から使っているAOLです。AtelierCK@aol.comです。  

 常に書いている、私への弾圧を考察した結果、こちらから、個人的なやり取りを持ち掛けないので、個人的な、お手紙のやり取りがすっかり少なくなっている私ですが、それでも、基本のメルアドは、日本のネット社会では、住民票の役割を果たしていると思うので、常に点検をしています。つまらない情報ばかりですが、一つの義務としてやっています。

 その本日の表紙にはびっくりです。私の場合は、それが、英語で出ます。だが、どなたも、それをご覧には、なれますので、どうか、それを皆様にもご覧をいただきたいのです。と、お願いをしたかったのですが、写真がどんどん変わりますので、ここに、不鮮明ながら、それをコピペしたものを置きます。

 それは、ニューヨークシティオペラの、今シーズンの番組宣伝頁の模様です。名前は、プロデューサーのものしか出ていませんが、たぶんプリマ、または、プリンシパルというクラスのダンサーが、モダンな衣装で、素晴らしいスタイルを披露しています。

 ただ、私が言いたいのは、彼女が立っている場所の事なのです。その現場が問題なのです。AOLの表紙は、ニューヨークシティオペラの舞台の、背景(だから、写真を拡大してプリントアウトをしたものだ)と思うのですが、それが、私にとっては、ひどくひどく懐かしいものでした。

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*3)

 昨日のニュースとして、宮崎駿監督に、アカデミー名誉賞が授与されたというものを、NHKが放映していました。これが、また、政治的なニュースだと思うのですが、その7時分の、ニュースのバックに、過去の受賞者、4人の大判プロフィール写真を上げていたのですが、そのうちの一人が、ロバートデニーロでした。

 彼の代表作は、タクシードライバーです。その舞台、とくにカーチェースの舞台となったのが、上の部分で、多分Nラインのクイーンズという地域の中の部分です。地下鉄なのですが、建設費を削って作っていて、地上に出ています。ただ、ニューヨークとは、新開発をされた一帯ですから、まっすぐな道が多くて、そのまっすぐな道の一本を犠牲にして、そこの上に、高架で、地下鉄ができているのです。日本だと工事が終わると、下の道もきちんと使える様に、直すのですが、ここでは、道は、既に、道としては使われておらず、駐車場として使われています。それも、人々が勝手に使っているという感じで、『月極め駐車料をとります』という様な看板は出ておりません。こういうところが大人の対応であって、何もかも、きっちりと決めてあり、お金を取る仕組みが横行している日本には、がっかりするところでもあります。

 ただ、映画撮影中は、そのすべての自動車を、どかしたのでしょう。誰が、人々を納得をさせたのでしょうか? そこら辺りは不思議ですが、映画撮影時は、この高架が、できたばかりであって、だれも、まだ、駐車場として利用をしていなかったのかもしれませんね。相当長いまっすぐな高架なので、ニューヨーク、およびアメリカ全土の人々にとっては、驚くべき情景の一つだと思われます。日本だと新幹線用の高架とか、中央線の、ダブル路線などが、高架ですから、珍しいという感じは、ほとんどありませんが、アメリカは電車がすくない国なので、この場所は、非常に珍しい場所となっているのでしょう。

 私は、1999年当時は、クイーンズに向かう、一本だけの、路線Nラインの終点、Ditmas Asutoria に住んでいました。ギリシャを中心とする後発(ただし、アフリカンや、ヒスパニックは別です。ヨーロッパ系ではという意味で、です)の移民の住む地域で、最下層ではないが、中流の下という一帯です。で、有名人としてはマリアカラスを生んだ地域で、美容院の主人でさえ、オペラを好きな場所でした。

 中流の下というわけで、路線も、最古というわけではないが、最新のものでもありません。終点の、Ditmas Astoriaは、しっかりした構造物ですが、マンハッタン島を出てしまい、こちらクイーンズに入ると各駅とも貧弱なものなのですよ。比較すると、ブルックリンは、今では、一部が高級住宅街になっているので、駅も電車も立派なものを数多く使っています。クイーンズでも、メッツスタジアムに向かう路線とか、JFケネディ空港に向かう路線もあって、そちらは、結構、重要視されていますが、このNラインは、放っておかれている古い路線なのです。

 別に愛国心など、発揮するつもりはないですが、日本の東京メトロの各駅とか、都営地下鉄線の各駅の構造のしっかりしていることと比べたら、ほとんど、遊園地のおもちゃの鉄道の駅みたいな構造の駅が、上の写真の高架に沿って、ぼちぼちと、設定をされているのでした。アメリカは、富裕層2%ぐらいが90%程度の富を独占しているそうです。彼らは、リムジンほかの高級車で移動をするので、地下鉄などには、投資が下りて行かないのです。庶民とか、中流階級は、ニューヨークでこそ、存在しているが、他の都市では、大貧乏な、人々が、密集している国なのでしょう。

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*4)、

 ところで、1999年には、ブルックリンハイツという高級住宅街にある美大に、Ditomas Astoria から、Nラインを利用して通っていたのですが、やがて慣れてくると、ショートカットを利用しようと思い始めます。それが、この高架下で、Nラインから、Gラインへ乗り換えるという案でした。そうするとマンハッタン島を経由しないで済むので、30分は時間が短縮できるのです。

 二つの駅は、別に連絡をしてはいないのです。だから、地上を、3~5分は歩きます。日本の武蔵小杉駅のトンネル型通路とか、大手町周辺の様な地下道はないのです。

 ニューヨークにもいろいろな風情の場所がありますが、この高架のある辺りは、いわゆる中小企業の工場街です。で、道路には、人がほとんどいません。だけど、ほこりっぽいわけでもないし、騒音が激しいわけでもありません。で、詳しく言うと、Nラインを、36st という駅で私は降りて、Gラインの36stに乗り換えるのです。全く普通の町で、観光向けでないところで、人もいない処を、曇りの日も晴れた日も移動するのです。ただ、雨に日は、そのままNラインでマンハッタン島へのりこみましたが。Nラインは華奢で貧相な設定ですが、Gラインは、ブルックリンまで行く長いもので、しかも、時期的に言えば、ずっと後で、設定された線なので、駅舎は、同じ名前でも、はるかに立派です。でも、両方とも人が少ない駅なので、いつも歌を歌って、歩いて移動をして、そのまま、電車が来るまでホームでも歌を歌っていたのでした。オペラアリアの類を朗々と。Gラインの方の、地下鉄の駅構内って、人の居ない長い長いトンネルなわけですから、ものすごくも立派な音響効果があるのです。(笑い)

 このNとか、Gというのが、日本では、銀座線とか、丸の内線とかいう名前にあたります。ざっと数えただけで、23本ぐらいあります。そして、ほとんどが、終夜営業だったと思うので、夜型の私には、ひどく便利に感じました。

 ブルックリンハイツで、利用をしていた駅の名前は、Clinton-Washington Avs という駅です。散歩中に、きれいな教会に出会ったり、実際に駅名と同じクリントン邸に出くわしました。たぶん、大統領時代のクリントン夫妻のニューヨークにおける別邸です。

 人気(ひとけ)がないが、ポリスボックスが設置されていました。前庭のある600坪ぐらいの長方形の敷地に、総建坪150坪程度のお屋敷が建っていました。クリントン邸だと、確信をしています。でも、ニューヨーク滞在中もホテルを利用されていたのかもしれません。

 そこら辺りは、クイーンズ地区の、36st駅などの付近とは違って、きれいなところで、アメリカ映画(文芸映画で、思いがけず面白かったもの)「いかと、くじら」のなかで、母が取る方の高価な家が、ある場所です。ただ、映画の主人公たちの様な、ライターとか、大学教授というクラスですと、三階建ての連棟住宅に住んでいて、クリントン邸などとは、比較することもできないほど、小さいものです。でも、木部が本当のマホガニーなどを使ってあるので、重厚感はありますが。

 ところで、離婚をした後で、父側は丘を下っていき、下の方の安価な家に移動をするのです。それは、ドアが、べニアでできているとされて、ムクの木のドアを使っている丘の上との違いが、示されます。お兄ちゃんの方が、父と一緒に移動をして、なんと、学校の音楽コンクールで一等賞をとるのですが、それが、安易な盗作だったことが、ばれていき、笑いものになるというシヴィアーな設定の映画です。

 下の子の方は両親のごたごたで、おかしくなっていて、学校の図書室で、オナニーをして、自分の精液を壁に塗り付けるということをいたします。それを先生が発見して両親を呼び出すということをも起こります。アメリカ人の家庭とか、学校とかは、一部は病んでいる(たとえば、銃を乱射した生徒が、出て来るコロンバイン高校)みたいですが、一部はいまだに、とても、まじめなのですね。それは、下宿先のご家庭との付き合いで、分かっています。

 1999年と、2000年の、二回とも、高校生が、いる様な、お宅が大家だったので、その純朴な、真面目さがよく分かっています。アメリカの中流家庭って、子供の面倒見が意外といいのですよ。

 その映画をご覧いただくと、場所としてのブルックリンハイツ周辺の、雰囲気がよくわかります。その映画は、アメリカ映画としては、深い内容のものでした。TSUTAYA 等にあると思うので、よかったらご覧をいただきたく。

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*5)、

 元に戻ります。Ditmas Astoria から出発したNラインは、マンハッタン島へ入る前までは、地上を走るわけですが、そこから、冬ですと、各種の煙突から、白い煙がもくもくと出ているのが見えます。セントラルヒーティングのボイラーが機動しているのです。

 エコの問題とか、炭酸ガス規制の問題を、NHKニュースとしてみていると、日本が相当な悪者みたいに、報道をしていますが、全然そうではありません。ニューヨークなんて、日本の23区内に比較すると、圧倒的に、暖房システムが古いです。ただし、どのビルも全館暖房なので、暖かさにおいては、ニューヨークが勝ります。その点では豪華に感じますが。

 ニューヨークでは、その何十パーセントとかは、電力で、クリーン(?)に暖房を機能させているわけではなくて、まだ、石炭や、石油を使っているのです。

 炭酸ガスを規制しないと、地球温暖化に、歯止めがかからないので、なんとか、かんとか、というのは、ひとえに日本に、核燃料を売りつけ、日本人が働いて蓄積した富(=金銭)を奪っていくシステムの、まやかしの洗脳装置にしか過ぎないことが、その白い煙を見ていると、よくわかるのでした。あれは、高架が高いということもありますが、Nラインが走っているところも丘の上で、低地帯に、人家や、店や、工場が密集しているので、起きた現象だと思われます。

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*6)、

 ところで、今推敲中に、突然に、しかも偶然に、まっさんを見ました。今、私はまっさんを、見ないようにしています。実は、余市という場所に問題があるので、見ていません。余市は、酒井忠康氏が高校までを過ごしたところなので、そのうち、酒井氏の祖父、または、父が、出てくるのではないかと思っていて見ない様にしているのです。ところが、本日だけ、録画番組の間で偶然に見れてしまいました。おー、驚いたことに。

 すると、主人公エリーが、ABCの歌を歌いました。ピアノ伴奏をつけて、いい声で。その次に、

My Bonnie lies over the ocean
My Bonnie lies over the sea
My Bonnie lies over the ocean
Oh, bring back my Bonnie to me
  と、言う歌を歌い始めました。すごく懐かしい唄でした。横浜国立大学の付属中学に在学中に、アメリカ好きな友達がいて、教えてくれた歌です。マイ バーニー ライズ オーヴァー ディ オーシャンと、歌うのですが、それもまた、ひどく懐かしいものでした。特に、オー ブリング バック トゥー ミーのところが、今bonny なのか、bonnie かが、分からなくて、正確な歌詞を、見つけるために、wikipediaを開いたら、飯田久彦さんなども、歌っていたのですね。それは、知らなかった。

 ところで、ここまでの初稿を書いて、また、ほかの仕事をしながら、3時間ほどを過ごしているうちに、『まさかとは思うが、まっさんの主人公、エリーに、この歌を歌わせたのは、成岡庸司君ではないでしょうね』と、思い至るのです。

 この歌を教えてくれた女の子は、その後、フェリス(高校部)へ進学し、AFSでアメリカ留学をして、その時、向こうのユダヤ人家族に気に入られて、その援助でアメリカのブラウン大学を卒業しました。NHKクローズアップ現代の司会者、国谷裕子さんが、卒業したアメリカの名門女子大です。

 NHKの朝ドラは、対、私という意味で、散々に利用をされてきています。それをいちいち書いていても、みなさんが、ご理解されないと思うので、書いていませんが、成岡君は、無論の事、その時(昭和30年ごろ)、一緒にこの歌を聴いて覚えたかもしれませんね。だって、全校生徒が、100人しかいないのです。そして、女の子は、36人しかいません。だから、この歌を使ってくれと、NHKに要望をしているのかもしれません。ただ、毎日は見ていないまっさんを、本日だけ、偶然に見たのも、またまた、神様のお導きだったかもしれないので、この推察は当たっているかもしれません。

 では、

いつもの様なものをお望みの方は、下をご覧いただきたく。非常に複雑なものを、7日の日付で、アップしていて、9日にも加筆をしてあります。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2576669です。

    2014年11月10日にこれを書く、雨宮舜(本名 川崎千恵子)

実は、この文章は、以下のもの、2日にのちに書いた文章へ、反応が引き続いて行っています。

 

朝日新聞一面に、温室効果ガスの記事があるが、

 

2014-11-12 18:43:12 | 政治

 

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