この、梅毒と、5%還元の二つのニュースとほぼ、同じコンセプトで、流されたニュースが、今回問題にする、野村不動産が、高級マンションをフィリピンで、建設するというプチニュースです。これが22日の午後のどこかで流され、かつ、夜8時45分のニュースで、やまゆり園の建て替えの、ニュースが、出ました。%%%%%%%罫線以下にコピペしてあるそちらは、もろ、対私への、言論弾圧用、嫌がらせニュースですが、上に置いた方は、一般の方にしてみると、「何故、このニュースが、あなたに対する嫌がらせに当たるのですか?」と、疑問をお持ちになる事でしょう。それは、私にもわかっております。それを、これから、説明をさせていただきます。
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副題2、『私は、慎重無比な人間である。文章を、書くにあたっては、慎重の上にも慎重を期するのだった。最近取り上げているテーマなど、35年間も、心の中で、温めていたものだ』
本当はスパッと本論または、結論に入りたいのですが、例の如く、初めて語る真実については、あれこれと、下世話な話を先にして置かないと語れないのです。で、助走期間を置かせてくださいませ。
と、言って、25日公開の、ブログとして、以下の一本(中注2)を書きました。それも、私としては、内容が濃いものであるとの自負があります。いま、それを、お読みいただく必要はないのです。しかし、その一文を書いた裏側に、息子に対して、はげしい弾圧が二方向から有ったからだという事は今、明らかにしたいです。でないと、総タイトルだけ、ご覧になって、『何だ、あいつって、有名人に対する嫉妬心があるみたいだなあ。これも、きっと、そういう文章の一つだろう。だから、読む必要がないと、誤解を受ける可能性があるからです。私は、そういう誤解についても、きちんと理解をしております。
中・注2、
角野栄子さんって、鎌倉市からノーベル賞並みの年金をもらうのでしょうかねえ・・・・・10万円、それとも? 2018-11-25 04:00:17 | 政治
この中注1と、中注2を、今お読みいただく必要はないのですが、私が、最近の息子への攻撃に、敏感になっていたのは、確かなのです。特にこの一か月間に、悪人たちは、親戚を二組も利用して、暗喩的に、攻撃をしてきていますし。
私はリアルな世界では、喧嘩をしない主義だから、親戚たちとの会話においても、落ち着いて、上品にかつ、楽しく社交的時間を過ごしますよ。しかし、裏側は、はっきりとわかって居ます。したがって、私の方では、ご近所の小野寺夫人、前田夫人、安野夫人について、および、ほとんど、同じ程度に、隠れて悪をなしている、柳沢昇、大原光孝、そして、彼等の手下とか、道具として利用をされて居る、冨澤夫妻、渡辺賢司・ミカ夫妻について、書く準備は、整っているのです。たとえて見れば、燃料タンク一杯で、あふれる状況になっているのです。
しかし、在野の哲学者を、ひそかに自認をしている私の脳味噌は、そう単純ではありません。かれらの様に「チャンスだ。前髪に飛びつけ」という態度は、とらないのです。だって、物事は常にフィフティ、フィフティの筈です。だから、自分の命を救うために、間接的な攻撃として行われているニュースを分析して、息子を救いたいといったって、息子を傷つける可能性もあるからです。しかし、ここで、神様からの突然の、救いがありました。
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副題3、『貴景勝は、私とは何の関係もない。しかし、そのお父さんが突然に、マスコミ露出をしたのは、天の私に対するお助けだった』
貴景勝の両親が美形で、上流階級だというニュースが、九州場所以降に、世間に、出回りました。その中で、貴景勝のお父さんは芦屋住まいで、保育園を経営しているというモノがありました。これは、一部、この人たちのプライヴァシーを守るための嘘が含まれていて、実際には、幼稚園である可能性が高いです。貴景勝のお母さんの祖父母に当たる人が、未だに園長かもしれませんが、貴景勝の両親も、理事待遇で、経営に参画している可能性があります。そのニュースから、サポートを受けて書いている、三本(18-11-26,27,28)こそ、「墓場に持って行くはずの秘密を、とうとう書けました」という類の、エポック・メーキングな文章でした。
何を書いたかというと、私の長男が、1981年の二月ごろ、私立中学二校を受験して、不合格とされて居ます。これが、瀬島龍三が裏から手配した、いじめではないかという事が、重く、重く、私の胸にのしかかっていました。35年間も胸の底深く、漂っていた暗雲です。それは、今なら、調査可能だと、思いますが、当時は、不可能な分野でした。で、泣き寝入りをしているのですが、その後、20個ぐらい傍証づけに役立つ、事例が、生起して来て、従って、瀬島龍三が、私立中学二校に裏から手をまわして、わざと不合格にしたのは、確実だと、認識しています。
それを、書くにあたって、何が、踏切台になったかというと、1971(?)もしくは1972年から、1975年ごろまで付き合った、ママ友が電話内で、言ったこと葉でした。後にお子さん二人を医者にしたので、ごきんじょから、「大奥様」と、呼ばれているY夫人の存在です。その方は、私が横須賀に引っ越した後でも、交際が、続いた、ママ友ですが、後に、彼女自身が、ご主人の転任で、広島へ引っ越しました。そこでの、暮らしを電話で教えてくれる中で、「広島で、ペンクラブの会員になった」というのがあったのです。
それは、それを、聞いた30年前から違和感があった現象ですが、その後の雪ノ下での展開、及び、ICU(大学)、お茶大付属高校、横浜国立大学付属中学、日吉台小学校の同級生の、異様な動きから、ほぼ確信へと至っているのですが、同じ事が、主婦、または、母親として、機能しているソサイエティ及び、画家や版画家として、機能している、上野の都美館を中心とした公募団体展や、コンクールの世界、自分が個展を、4回行った銀座の画廊街などで、繰り返し、見られた何十例にも及ぶ現象なので、判るのですが、彼女が同人誌のお仲間の一人になったり、日本ペンクラブの会員になるとは、自然な現象としては、考えられないのです。
なお、ここから先は、二つの独立したブログ文へと続きます。一つは、現在書きかけ中のもので、そのリンク先は、ここに、中注3としておきます。中注3
私のママ友が、30年前に広島で日本ペンクラブ会員になった。その頃、雪ノ下では、リンチ事件が起きて居て、我が子が大怪我をした 2018-11-29 03:18:53 | 政治
これも、今、お読みいただく必要はありません。ただ、私の頭脳がどういう風に動いていったかを説明したいと思っておいているリンク先です。
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副題4、『CIAが私のライバルとして、持ち上げた安野夫人の次男は、通信簿に下駄をはかせてもらったと、推察している。反対に、我が子は、すべての教科で、通信簿の、数値が下がってしまった。こういう事も、瀬島隆三たち、CIAエージェントなら軽々と、できることであるらしい』
さて、私の息子は、私立中学二校に、不合格に、裏から手配をされた後でも、人生に、ありとあらゆるところで、裏から手を回されて、チャンスをつぶされています。そしていつも、私は事前に予測が付いているのに、助けてやることができません。でもね、パソコンを使って、文章を書き始め、特に、2014年以来は、安野家という実名を出して、・・・・・そこの次男が、通信簿に、1と、2しかないという事で、有名な坊ちゃんだったのに「国立大学の付属高校にご入学なさっておめでとう」と、石川和子さんが、わざわざ言いに行って、誇示したのは、不思議な事だった・・・・・と、何度も書いています。
そういうことをお聞きになると、私が人の子供の悪口を言って居るみたいにお考えになっていた方も多いでしょう。しかし、其れは、反語なのです。それを、一回語るごとに、本当は、こっちがどれほどの、苦悩を背負わされているかという事を言いたくて、其れを語っているのです。暗喩なのです。私立中学二校に不合格にされたこと、それ以外にもすさまじいレベルで、不利をこうむっていることを、言いたいが、言えないから、反対例を描いているだけなのです。
だって、息子が私立中学受験に失敗したなどと書いても、既に、その後35年がたっているわけですから、書類上は証明ができません。『お前の方が、嘘、言って居るんだろう』と、お思いになる読者も多いと、思います。そして、ある意味では、息子の恥になる可能性もあるのです。しかし、西原理恵子さんを、使って息子の職場追放を図ったり、其れを描いているからこそ、西原さんが東京女子大で「ソフト・やりまん・しましょう(=いろいろな男とセックスをなさいね。一人じゃあだめよ)」と、言う講演をさせたりして、それをNHKが、大番宣をして大勢の視聴者に届けようとしている、最近の、攻撃を受けて、
そして、貴景勝の、お父さんの露出を経て、やっと、広島で、ペンクラブの会員になったママ友にたどり着き、
・・・・・どれほどに、私を弾圧する為に、私の知人を持ち上げ、かつ、そういう風に持ち上げられて自信をつけた母親として、彼女は、お子さんを二人とも、医者にした・・・・・と、言うエピソードを書くことができたことによって、
やっと、やっと、私の方は、息子の中学受験を妨害され、就活も妨害をされ、あまつさえ、二度目の会社として、そこへ就職している三国屋善五郎を、西原理恵子を用いて、奪って行ったと、語ることができる様になったのです。私立中学受験の時期であった、12歳と、西原理恵子が、ひどいことをして来た、45歳の間には、ほかにも、いろいろ、語るべき、大きなエピソードもあるのですよ。しかし、ともかく、最初と最後を語ることができて、やっと、少しは、ほっとしているのです。
しかし、この間、安野家の、次男が、通信簿に1と、2しか無くて、それで、「おいちに、おいちに、のあひるさん」と、呼ばれていたと、言うエピソードを描いていることで、大勢のブログ読者に誤解を受けていたことも理解をしています。『なんだ、あいつって、自分の方が、根性悪いんじゃあーん。だから、不幸を招き入れるのだよ。反省しろよ」と、
そして、そういう策謀を逐一、編み出しては、喜んでいる、井上ひさしや、伊藤玄二郎も、こういう風にあざ笑って居たことでしょう。「ほら、あの、あほってさあ、安野家の次男の通信簿のことを、また書いてやがるぜ。どれほどに、読者が鼻をつまんで、嫌って居るか、わかっていない模様だぜ。あほの極みだなあ。単純だなあ。物事を一面からしか、考えていないくせに、俺たちのことをトカゲの、脳みそなんて、呼びやがって、徹底的につぶしてやるさ。待っていろ」と、言いあって居ることでしょう。それもわかっています。しかし、一つの章の中に、全部は、書き抜けません。だから、ただ、神様を信じて、書いていたのですよ。神様とは、一応ですが、すべてをご照覧あると、私は考えているからです。
ただね、私は常に神様を持ち出して、軽く逃げているみたいですが、実は、相当に冷静に計算をしているのですよ。私が被っている被害、と、相手側が、私に文章によって、こうむる可能性のある被害に、ついて、常に、計算をしています。その計算によると、私の方は、清算がまるでできていないのです。よくそろばんの先生が、「ごわ算で、願いましては」と、言う言葉で、数値を読み始めるでしょう。最初の数値がゼロであると、宣言をしているわけです。
しかし、私の毎日は、ごわ算では、始まりません。心理的にも金銭的にもマイナス条項が、莫大な量で、加算されて行って居ます。
例えば安野家の場合ですが、まず、お子さんを、高校から国費で、勉強させています。舞鶴にあるその学校は,寮に入っている生徒の、衣食住を国費で賄うはずですから、私が子供のために支払った、現在の貨幣価値に直すと、三千万円の内、二千万円は支出しないで済みました。これは、大原光孝さんのお嬢さんが、近美、鎌倉館に、採用された例にも、通じる話です。
その次に、生涯賃金、一憶五千万円が自動的に保証をされています。そして、どんな失敗をしても、国家公務員だから、やめさせられる心配がありません。ところが、うちの息子の方は、石塚雅彦さん、大前勇介さん、大前研一氏、マッキンゼーの、先輩後輩の関係、三国屋善五郎社長、西原理恵子を使って、女子店員が処理した失敗を店長として、責任を取らされて、降格をさせられ、通勤にあまりにも不便なところへ飛ばされたし、店長から降格をされて恥を掻いているので、自主的に、三国屋善五郎をやめざるを得なかった・・・・・・というエピソードが起こっています。
そして、親の方を問題にしましょう。警察の協力者ですという看板を安野家が門前に掲げて、10年は、過ぎました。あれですが、月に10万円を超える謝礼が出ていると思います。
ここですが、さらに、ものすごい話が続くのですよ。しかし、本日は筆を押さえます。私が、こういう文章を書くと、自滅しかねない体力の消耗をするからです。
ここで、金銭的な、不利という問題から、いったんは離れます。
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副題5、『ここで、もう一度、1979年時の安野家の門前に戻ろう。石川和子さんという伊藤玄二郎の愛人(だったと、彼女は言うが、精神的には、生涯にわたって、伊藤玄二郎とは、緊密な関係だったと、推察される女性が、菓子折りをもって、安野家に、・・・・・国立大学のご入学おめでとうございます・・・・・と、言いに来た日に戻る』
石川和子さんが、言う通り、本当に国立大学の付属高校だったら、其れは、すさまじいレベルでの、えこひいきです。強者の恣意の実行です。そのことは何度も書いていますが、もう一度、きちんと書き表したいと、思います。
東京の国立大学の付属高校は、大いに数を増やしています。東大の付属中学は、1960年代は、実験校であって、受験校ではないと、なっていたのに、いつの間にやら、付属高校ができて、後藤田正純氏の奥様、水野真紀(女優時代の、芸名)さんが、東大付属高校の出身だと、マスコミが、喧伝をしました。しかし、男児が、国立大学の付属高校に、入学するのは、もし、公立中学を卒業した場合には、ほとんど不可能です。
というのも、その当時の、1987年2月ごろ、男子が、通学できる国立大学の付属高校は、筑波大学にしろ、学芸大学ににしろ、編入生の募集人員が、正式にはないはずなのです。今は知りませんよ。しかし、その当時はないはずなのです。海外帰国子女枠がある程度でしょう。というのも付属中学から、進学してくる生徒が、ほとんど、外へ出ないからです。しいて出る子は、芸大付属高校へ進学するか、親の赴任に随行して海外の、学校へ行くか、または、少数が、慶応高校へ進学する程度だから、30人とはまとまった、募集人員が出ないからです。で、ごく少数の、募集に、気が付いて、応募して、合格すると、なると、安野家のおぼっちゃまは、ランクが、4ランク上がる形で、通信簿に、ゲタを履かせてもらったという事になります。つまり、1を、四に格上げし、2を五に格上げをしてもらったと、なります。反対にうちの子は横須賀から、夏休みに引っ越してきて、転入した、2学期目のすべての科目で、反対側に下駄をはかされました。つまり、5は4に下がり、4は3に下がり、どこにも5がない形にさせられました。
それが、中二の時です。当時の神奈川県の、高校入試には、暗黙のルールとして、輪切り制度というのがありました。子供の数が多いので、先生が受験する高校を決めて、割り振るという制度です。で、その決める時期ですが。中二の2月と定められていました。で、突然に、すべての教科が、下駄をはかせるの反対で、下ってしまった時期に、進学先を決めないといけなかったのです。だから、良いランクの高校には当然、内申点が足りません。横須賀に居たら、ランク一位校か、二位校に入学できた可能性があったのに、引っ越したばかりに、苦労をさせると、思って、とてもつらかったです。しかし、此処で、御成中学に行って、どうして、
、すべての教科で、ワンランク下がったのでしょうと、言ったりしてごらんなさい。それこそ、大変な、騒動になってしまいます。そんなことを子供が嫌うとか許さないのは、わかっていましたので、つらいつらい日々でしたが、我慢、我慢で過ごしました。しかも、こんなことは、裏から瀬島隆三が手配したのは見え見えだったので、其れも、また、私の苦悩を吹かkしたのです。ですから、反語的に、安野家のぼっちゃんは、おいちに、おいちにの、あひるさんと、呼ばれていたほどに、成績が悪かったと、書くわけです。自分の本当に言いたいことが書けないからです。この時点で、子供使った副諏の、二つ目に、出会っているわけですね。
ところで、こういう内申書の、苦労を裏に秘めている私が、その一年後、安野家の玄関の前で、「国立大学の付属高校ご入学おめでとう」と、言う石川和子さんのセリフを聞くわけです。
これは、ほとんど嘘に近い、文言でした。というのも、お茶大付属高校は、高校で新たに、女子を、40人程度、当時は、募集をしました。戦前は、女子だけの学校だった、お茶大付属中学が、新制度で、男子と共学にしないといけなくなったのですが、高校の方は伝統を守って、戦前と同じく女子高なので、男子はすべて、高校受験時に、外へ出るからです。それを、40人分、新たに募集します。しかし、ほかの高校では、募集しません。だから、男児である安野君が入れる、国立大学の付属高校はないはずなのです。
小学校の時に付属に通っていたが、その後、親の海外赴任に、伴って海外へ行き、帰国しましたという様な生徒が、編入できるくらいの数しか空きがないはずでした。
この1987年時から、石川和子さんと、安野智紗夫人が、学校制度の変革の事は、何も知らなかったと、いう事を証明します。というのは、日本の現代史については、何も知らなかったと、いう事を指し示します。または、悪意ある伊藤玄二郎達が、私を苦しめるために、安野君の進路先が輝かしいものだと、大宣伝をしたかったのだと、思いますね。ところで、安野君が実際に入学したのは舞鶴にある、海上保安学校でした。その国立大学の付属高校ご入学おめでとうございます」というセリフを聞いた時以来、私は、この山の人たちの教養の程度、及び、頭脳程度、又は、悪意の充満度には、とことんに、気が付いたわけで、その日以来深く軽蔑をしています。
というのも舞鶴の海上保安学校は、・・・・・ここから、次の章へ、飛びます。内申書に下駄をはかせる問題を、さらに詳細に語りたいというタイトルの文章です。
上書き保存にされていて、修正や推敲がうまくできないからです。しかし、そういう妨害があるからこそ、此処は真実だと、思いますよ。
たは、彼女たちの後ろに居て、「そうしろ」と命令をした伊藤玄二郎が馬鹿だったのか? ですからね。アジサイ畑欺罔事件hもさることながら、ありと、あらゆる点で、この山の人が、とんでもない思考、(または、頭脳)の持ち主であるという事は、私の方は、そのころから、悟っていて、ずっと、観察を続けてきているので、膨大な、エピソードをすでに蓄積しているのです。
当時は、瀬島隆三が、まだ生きていた時代だから、このアイデアは、瀬島隆三から出たのかもしれませんが、石川和子さんと安野智紗夫人は、国立大学の付属高校の出身ではないわけです。私は、石川和子さんは、本人は、「パーティコンパニオンとして伊藤玄二郎と知り合った」などといって居ますが、そんな簡単な関係の女(下半身のお付き合いから始まった女となります)に、大切な自分の会社名を与えますか。かまくら春秋社・社長が、かまくら春秋窯という名前を石川和子さんに与えているのですよ。私は、二人の間柄の、真実は、神奈川県立平沼高校陸上部で、伊藤玄二郎と、先輩と、後輩の間柄ではなかったかと、想像をしています。
私は彼女たちが主催する井戸端会議には出ていないので、彼女たちの過去の食歴や学歴を一切知りませんが、ともかく、1966年に四年制大学を卒業した女性としては、この山で私が一番偏差値的には高い大学の卒業生であり、高校も偏差値的には、一番高い高校だったと思います。だから、こそ、自分達が勝つつもりで、安野家の玄関先で、菓子折りでも、差出ながら、私をからかうべく、そういう挨拶をして、わざと、私に聞かせたのでした。だけど、これももろ刃の剣なのです。私はおなり中学の卒業式で、先生から渡された、進路先というプリントの中に、安野家の坊ちゃんの本当の進学先を見つけました。それは、むろんの事、一般的な意味で言う・・・・国立大学の付属高校というコンセプト・・・・に当てはまる高校ではありませんでした。しかし、税金で、面倒を見てもらえる学校だったのです。そして、その後自動的に国家公務員になっていき、生涯賃金、1億5千万円を保証をされます。そういう学校に入学するのに通信簿が、1と、2で可能なのでしょうか? 私は3と、4へ、格上げをしてもらったと、推察をしています。
この章の後半で、子供を一人育てるのにかかる費用について、述べます。というのも、私は息子から、「僕を育てるのに、いくらかかった?」と、問われたのです。それは、彼が25歳の頃でした。それで、『うーん、2000万円ぐらいかな』と、答えています。これは、22年は前のことですから、現在の貨幣価値に直すと、3000万円だと、いう事となるでしょう。それを安野家では支払わないで、済んだのです。
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副題6、『伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントは、嘘ばかり、組み立てていて、其れが、絶対にばれないと信じているみたいだが、1987年からばれていて、私は内心で、警戒心いっぱいで、彼女たちを見ているのだった。特に富沢家を舞台にして起きた高枝切り事案など、その初日から、・・・・・ああ、これは、税金を使った個人的ないじめですな。これは、相手方は勝ったと、大喜びをしているだろうが、私にとっても、これから先、大いに、活躍してくれる案件になる。
伊藤玄二郎や、その陰に居て、今だ生きていて、あれこれのあくどいアイデアを、提供している、井上ひさしたちの悪を、世間に説明するのに、これ程に、適切な例はないだろうと、思い立ったわけです。
井上ひさしなど、勤務したこともないうえに、国家公務員になったこともないわけです。伊藤玄二郎の方は、中央大学の法学部政治学科卒業だから、行政の仕組みには通じている模様ですが、それでも、国家公務員にはなったことはないわけです。
私の父は戦後短期間ですが、経済企画庁の前身の経済安定本部の、吏員だったし、叔父は、財務局勤務だったし、いとこは、国税庁勤務だったわけです。みんな大卒で、入庁、又は、入省ですよ。しかも、私自身も、末端も末端ですが、東大の教務職員だったわけです。当時の階級で言うと、助手の下です。だから、最末端ですが、一応何号捧、何等級と、言う、冠言葉のついたお給料をいただける立場です。だから、こういう嘘をつかれると、相手は、私をからかったり、いじめたりするつもりだろうが、かえって、おいしい、題材をいただきましたね。これは、未来永劫使えますねと、なるわけです。
そういう事がみじんも推察ができないらしい、安野夫人の頭脳レベルというのは、本当に驚きます。ところで、彼女の毒素は、とても、強くて、彼女と付き合う人は、みんな馬鹿になっていき、単純無比な嘘をつく人間になっていきます。
2014年の6月9日に、白井・小野寺夫妻は、安野家に上がってお寿司を取って、六時間も一緒に過ごしています。その後、小野寺夫人が、どれほどの、単純なウソをついたか、あまりの劣化にただただ驚きいるばかりです。というのも、こちらの夫婦は両方とも東大卒で、鎌倉移住には、まず、横浜銀行鎌倉支店の設計などが、機縁になっていると、思われるからです。
国立大学の付属高校と、言うというのは、その卒業生の、8割が、四年制の大学へ進むと思います。特に1979年は、右肩上がりの経済成長の時代であって、鎌倉のブランド住宅街の住人なら、絶対に、こどもを大学へ進学させるでしょう。だけど、1と2しか、通信簿にない男の子が、どうして、筑波大学付属高校とか学芸大学付属高校に、高校一年時に編入できます? ここに、すさまじい嘘が隠されているのです。
私はね、安野夫人から言葉による嘘をつかれたのは、この1987年の2月という一回だけです。しかし、態度による嘘には、何度も、目撃をさせられています。まず、1984年の段階で、「子供に友達が来たのです。お砂糖がないので、貸してください」と、玄関ノックで言われたときに、そのおぞましさには、ぞっとしました。
それ以前から、この人は、本当に母親ではないと、わかっていたのです。しかし、全く付き合おうとしていない、私の玄関を、ノックして、「お砂糖を貸してください」ですって。それは、井戸端会議に誘ってあげましょうという親切心なのでしょうね。だけど、彼女の井戸端会議というのは、大迷惑をご近所住人に与えているもので会って、私は信念をもって、参加していないのですから、一応、表むきに、どうして、お砂糖が必要なのかをまともに考えて分析したいと思います。
す
ると、その当該のお子さんのお兄ちゃんが、すでに高校三年生です。もし、本当のお子さんなら、妊娠から、既に、19年間経っているわけです。
なお、こういう問題を、私はできるだけ、公的な出来事=NHKニュースで発表をされる事案などが当たる=====と、結び付けて書きたいと、最初は、思っていたのですが、そこまでは、到達できなかったので、総タイトルを変更しました。悪しからず、ご了承をいただきたく存じます。
でも、二時間後に一言添えます。うちの主人は、一般的な考え方では無いのです。「うちの子は健全で、しかも、いい性格で、幸せに育っているし幸せに暮らしている、だから、心配する事は無い」と、言うのです。私もそういういい方には、ほっとします。
冨澤君は、高校を中退してしまったし。そんな、状況下で、どうして、私を攻撃する方へ、味方をするのだろう?。うちの子は本当に優しくて、我が家の門前で、たまたま、奥様と私と、三人で出会った時も、冨澤君については、いい思い出だけしか話さない人間なのに、どうして、今頃、高枝切りなどに賛同したのかしら?
安野君は、どう感じているかは判らないけれど、長兄=4つ年上=さんは、1989年以来、一回もその顔を見たことがありません。深く、お父さんを恨んでいると、思いますよ。実母を追い出したからです。そして、略奪婚で、家に入って来た今のお母さんのことは、顔も見たくないのだと、思います。と書くと、長男さんは、自宅へ帰える様に、職場の上司等に命令されるのではないかしら。似た様なことは、お嬢さんのケースで起きたからです。
お嬢さんが、離婚したのちに自宅へ身を寄せていたことがあるのです。その時に道を歩いていても、それが、判る程、お母さんは、お嬢さんをいじめて居ました。で、安野家からあまりにひどい処置を受けるので、このエピソードを書いたら、その後、お嬢さんが久しぶりに、家に現れ明日。二度目の結婚をして海外へ居るお嬢さんが、海外から、呼び戻されました。
私のブログを否定する為に、自分達が、支配できる、道具として、生きている人間を使うというのは、ここでも、見られた現象です。しかし、それにはさらに先があります。その、海外から帰って来たお嬢さんが、真夜中に、二人の幼子を連れて、山ノ下へ降りて行くのです。私は本を編集しているので、その頃は、徹夜徹夜の連続でした。そして、修正すべき原稿を、プリンターがしょっちゅう壊れるので、一回プリントアウトすると、コンビニでコピーを取っていた時期です。で、本一冊分の、コピー元を、手に持ち、下へ降りて行こうとすると、目の前を安野家のお嬢さんが、本当に悲しそうな様子で、降りて行くのです。無理におこしたであろう、二人の幼子を一人は抱いて、一人は手を引いて。そして、物音を立ててはいけないから、バギーなども、持ち出さない形でね。アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、時差があるので、真夜中に、夫と連絡を取るのでしょう。家の中では、何も話せないのでしょうね・・・・・と、推察した次第です。
なお、そのお孫さんの、一人も大きくなって、最近、また、呼び戻されていました。しかし、長兄は、まさしく、飛び去って帰らない状態です。
それから、これは、とても大切な事。親の愛を信じていることもは、親に喧嘩を持ち掛けます。反抗の強い形です。だが、やがてそれも終わります。しかし、親の愛を信じて居ない子供は、自らを傷つけるか、他人に当たります。それが、リストカットとか、引きこもりとか、拒食症に成るかであり、一方、外へ、攻撃が向かう場合は、いじめっ子の誕生です。
小野寺夫人は、そういう自分の特性をわきまえて、もう少し、下手に出てくれば、まだ、救いようはあるのですが、何という威張り様だろうと、いつも驚いています。今日は怒りが亢進して、もっともっと、深い真実を書いてしまいましたが、20分程度で、ひっこめました。本当に何をやっているのだろう。この二人はと、思いますよ。
なお、こういう現象の裏に、北久里浜における、2400坪の土地を益山重夫氏が、ただ
で、私有化した複雑な、仕組みがあって、それは、公には、隠されていますが、その裏側を私が知っているから、こういうひどい目に合うのですよ。まあ、今のところ悪が勝っていますが、世界というのは、フィフティ、フィフティだから、私は、120歳まで生きて、この流れを追いかけるつもりです。
それから、もう一つ午前、五時に書き足します。それは、こんなにひどい暗い事、しかも、つらい事を書いていても、私にはなお、天の恩寵と言うか、神の御恵みが垂れ下がっているのを。しかし、それが何であるかは、語りません。すぐ、奪われたり、ニュースで、否定されたりしますのでね。ただ、何事もフィフティ、フィフティであり、自分が神様の恩寵を受けるべき生活を送っている限り、神様は、私をおん見守りくださるので、精神は、安定しているのです。これだけの長い文章を、76歳の身にして、しかもパソコンで書けるという事だって、凄い事だと、おもいますよ。自画自賛ですが、それは、言えると思います。
常に安定した精神を持っているので、どんな悪い謀略もすぐさま見破る事が出来ますしね。いま、すぐ、それを、書くか書かないかは別にして、すべては、判っているといわせてくださいませ。