副題1、『本日の導入用文章・・・・・NHKの番組を推薦する』
副題2-1、『林大学頭、復斎 VS ペリー、前半』
副題3、『鎌倉で、座していてもわかる、フリーメイソンの真実』
副題2-2『林大学頭、復斎 VS ペリー,後半』
副題4、『ハリス、VS 岩瀬 肥後の守、忠震(ただなり)』
副題5、『悲劇の、純潔系統、一家、林家』
副題6、『渡辺美樹(ワタミ社長)と、比較してみようよ』
副題7、『林・喬・君を、再び、思い出す』
副題8、『本郷弓町、教会での、涙、涙の、お葬式』
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副題1、『本日の導入用文章・・・・・NHKの番組を推薦する』
今、柄谷行人氏の考察(=新左翼論、および、戦後の反体制運動の総括)の続きを書かないといけないと思いながら、ちょっと、そこに対するエネルギーの充満が、途切れていますので、短い物を、数個、あげて行きたいと感じます。
まず、ひとつは、江戸幕府の対外外交は、本当に弱腰外交であったかどうかを、NHKが、検証した番組を放映しましたが、『それが非常によかった』ということです。
これは、録画しておいたものなので、もし、ご覧になっていない方があり、そして、ご覧になりたければ、オンデマンド放送で、要求なさることとお勧めします。または、アーカイブスの将来放映作品として、要請リストに、入れて置いていただくか。
放映日は2011年9月23日、BSプレミアムで、21時から。
タイトルは、シリーズ、あなたの常識大逆転 !(2)
「幕末日本外交は弱腰にあらず、黒船に立ち向かった男たち」です。
出演者は、スタジオ内が、司会渡辺真里、パネラー、
1、榊原英資
2、加来耕三
3、磯田道史 氏であり、
録画映像として、論を述べるのが、町田明広、三谷博、岩下哲典、加藤祐三(順は、出演順としては、正確ではない)の4氏です。
番組は大変充実していて、今日、自分の独創的な文章を抑えて、こちらの宣伝をしても、それは、自分にとっても、読者にとっても、損失でないと判断しています。
それほど、充実した内容でした。私は録画で、本日(30日)に見ているので、遅ればせながらの、ご報告となります。
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副題2-1、『林大学頭、復斎 VS ペリー,前半』
番組をご覧いただくのが、ベストですが、見逃した上に、オンデマンドを申し込んでいないという方のために、非常に簡略に申せば、
幕府は、いざという時に、無責任にでも逃れられるように、ペリーとの交渉役に、林大学頭(ここでは、ダイガクのカミと呼ぶ)という学問の専門家に、外交交渉を任せます。つまり、江戸城に登城できる、藩主たちではないわけで、国家としては、官僚に任せたという雰囲気です。ただし、カミと言う名儀の、地位が与えられているので、能力として、用いられた藩主並みの地位とみなされます。 ただし、水戸の斉彬公や、松平春嶽公と比較するとはるかに小物と、みなされる禄高の人ではあります。
しかし、この幕府の官僚部分が非常に優秀であったということが実際だった模様です。
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副題3、『鎌倉で、座していてもわかる、フリーメイソンの真実』
現代、日本では、幕末の志士が、過剰に高く評価を受けていますが、
それは、わたくしの持論では、・・・(これは、2003年以来胸に秘めていたことなので
す)・・・が、伊藤博文内閣から始まって、フリーメイソン化されている、人材が、牛耳っているために、テレビでも、出版界でも、そちらが、過剰に英雄視されていて、
龍馬伝などが、放映されて大人気となったわけです。これは、この間、テレビ朝日かなにかのバライエティの中で、関なんとか氏というフリーメイソン研究家が、スコットランドを訪ねて、龍馬は、・・・(もともと、フリーメイソンであった)・・・、長崎の英国商人グラヴァー氏によって、救済され、・・・(暗殺は、影武者が、殺された)・・・スコットランドで、長生きをしたそうです。その説によっても、裏打ちされますが、明治以来連綿と、その時点で、イギリスにからめ捕られた勢力が、日本を支配しているというわけです。
そのフリーメイソンの、システムが世界の大富豪たちを、中に取り込んだが、ために、結局のところ、、アメリカも、イギリスも区別がなく、世界支配の大トップはユダヤ資本となり、それは、核燃料を売りつけている側ですから、この当該番組で、語られている、日米外交交渉も、不思議なかたちで、アメリカ一辺倒の、支配形式へと変換していて、それ故に、この時代のことが、語るのを許される、安全パイとなったのかもしれません。
このテレビ朝日の、特集番組も、バライエティながら、その一コーナーだけはなかなかのものでした。あとで、調べて、皆様にもご報告をしておかないといけませんが・・・・・なかなかの情報だったと感じます。
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今、その関さんという人物を特定するために、グーグルで、フリーメイソンを検索しました。すると、その関さんという人物は、都市伝説という、ホーム頁を持っているハローバイバイ関というライター兼、ジャーナリストみたいな人でした。
私がフリーメイソンについて、グーグルで、検索をしたのは、初めてなのかな。オーム真理教が、警察に追われたのは、麻原彰晃が、フリーメイソン世界支配説を唱えていたからで、それによてサリン事件を引き起こしたと、初めて知りました。当時は毎日新聞をとっていましたが、麻原彰晃が、そういう説を唱えていたとは知りませんでした。
私がフリーメイソンを身近に感じたのは、小泉内閣の時に、マスコミも、司法もおかしいとひどく感じて、メルマガで、小泉擁護メールというのを発信していたころに、身近に近づいてくる人があって、その人がフリーメイソンだと感じたからです。
その人物は、Kさんと言って、鎌倉在住の情報通の紳士です。その人が、主人の治療院に来て、主人人に語る数々の、エピソードから、鎌倉の深淵に近い情報を得ることができました。が、もっとも、重要な伊藤玄二郎氏などには触れないのですね。それに、井上ひさしにも。うまいというか、上等というか。
この人は、いわゆる、ファンドマネージャーですが、早稲田卒で、元電通マンで、成田豊氏などとも、もちろん通々の人です。韓国政界要人とも相当に親しい。しかし、アメリカで、誰と親しいかは語らない。そこが大変重要なところですが、それは、語らない。
が、ご自分については語る。その中にご自分は、第一次、伊藤博文内閣の閣僚だった人の子孫だという部分があり、今、世界のどこで、オフィスを出して、仕事をしているかという部分があり、会社の社章が、フリーメイソンのしるしにそっくりだということがあり、その三つから勘案して、Kさんをフリー・メイソンだと考えています。で、Kさんの訪問の意図がどこにあるかと思えば、もちろん、私に文章を書かせないという目的のためでしょうね。一種の恫喝です。
で、私は、この時点あたりで、自分を攻撃している組織や人材が誰であるかをほとんど解明しています。それは、今、皆様にお話をしていることですが、7年間ぐらい公表を待ちました。いつも「35%ぐらいにとどめております」と、申し上げていることは、それをさします。
今は今で、同時進行中のことがあって、それの裏側もすべてわかっていますが、書けません。
2003年から2005年にかけて、私は構造をすべてわかっていましたし、本当は激怒していました。主人を巻き込むことの典型ですから。それに、主人の患者はほかの面でも、様々利用をされています。わざと五時前後に来て、長居する人もいます。私に対する嫌がらせです。
ここに、12時間程度、さらにいやな話を置いておきましたが、それは、一般の方に向けてというよりもそれをやっている人に向けて書いたことなので、12時間を経たのちに、削除をしておきます。
その方が文章全体が読みやすくなります。
で、耐え抜いて、恫喝に屈しないでいるうちに、Kさんは、主人の治療院へは、来なくなりました。そして、今はどんどん、違う人間が使われていて、柄谷行人さんが、まともにぶつけられてきている段階です。
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副題2-2『林大学頭、復斎 VS ペリー,後半』
で、NHKの方へ戻れば、
日米和親条約は、ほとんど、外交的に成功したと同じもので、薪(+炭)や、水は与えるが、通商は行わないというもので、決して不平等条約、ではなかったということのようです。
このころの外交こそ、日本の外交史において、一番立派なものであったという出席者たちの、言葉はあたっているでしょう。
で、このころの幕府というのは相当に、よい仕事をしたのですが、のちの明治政府に、すべて、闇に葬り去られることとなります。
で、これを言っては、語弊があるが、岩崎弥太郎とか、山形有朋、とか、そのほか、際限のない富を手中にする、やや、野蛮な、人材が、全日本を牛耳ることとなるのわけです。
富も、集中させるわけですから、名誉ももちろん自分たちに集中させるわけで、江戸幕府側が行った、あらゆる功績は、埋没していくわけです。
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副題4、『ハリス、VS 岩瀬 肥後の守、忠震(ただなり)』
さて、軍人として、アメリカ政府を代表する、ペリーが、通商条約を結ぶところまでできないで、帰国をした後で、
その役目を担ったのがタウンゼント・ハリスでした。彼は商人であり、グラヴァーがイギリスを、代表する政商なら、アメリカを代表する政商と言えるのでしょう。その30年後ごろには、日本を代表する政商が岩崎弥太郎となり、現代の政商が、稲盛和夫さんでしょうか?
まあ、それに対峙するに選ばれたのが、岩瀬忠震(ただなり)という秀才でした。
この人の尊称は、肥後の守となっていますが、それは平安時代から続く、名誉の称号というたぐいのもので、実際の藩主ではなくて、江戸生まれの江戸住まいの幕臣中の秀才アであり、現代の言葉でいえば、官僚中の官僚というわけです。
また、この人が、林大学頭の甥だったということです。
この二人が、親戚だったと言うことが、今日の私の文章の主眼点となって行くのです。ですから、この文章は、単純な番組紹介ではないのですよ。そういうことをきっかけとして、わたくし固有の話を展開していくのが、わたくしの常なのです。
この人の業績の大きさを、この番組が、取り上げています。添えは、素晴らしいものなのですが、伝えるには、オンデマンドでその番組の実物を見ていただくに、しくはないのですが、それでも、ここで、簡単に、まとめれば、
この人には、見識と決断があったそうです。
咸臨丸派遣、(それは、その時点では頓挫した、日米修好通商条約の批准のために向かった)ほか、横浜の礎石を開いたとか、結局のところ、日本が、植民地化するのを防いだとか、、数々あるのですが、
大変、気の毒なことに、井伊大老の、安政の大獄の発端の人材として、処分されるのです。左遷をされ、幽閉されます。そして、二年後に病没。
悲劇の人という形であります。
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副題5、『悲劇の、純潔系統、一家、林家』
この岩瀬忠震氏が、左遷後たった、二年ののちに、客観的に見れば、大変な悲惨さと、苦痛の中で、生を終えられたわけですが、主観的には、十分に満足をして、死へ臨んだであろうというのが、出席者の共通認識でした。
実は林家については、忘れられない思い出が、あります。
今、それを書くかどうかにあたって、一応、グーグルで林家の検索に入ってみました。林家の墓所は、新宿区が管理する、遺跡となっている模様です。墓地の管理とはお金がとられるものなのです。10坪もあるので、ご子孫がいらしても、管理が難しいがゆえに、新宿区が管理しているのかもしれません。
が、と、同時に、ある名家が途絶えている可能性も感じます。
特に、林大学頭の甥として、岩瀬忠震とともに、鳥居曜蔵の名前も見えますので、幕末期に非常に不幸が重なった一家だといえます。
もちろん幕府方であったということだけで、不幸であったともいえるのですが。
私自身、失礼ながら、痛く共感するところがあるのです。それは、ある一族が、興隆していって、やがて、没落するということが、どうしてもあるみたいで、その研究を怠らないというか、関心が深いのです。
林家の場合、一応中興の祖としては、儒学者・林羅山があるわけです。それ以前の先祖ももちろん遺伝子をつないできたわけです。でも、社会にその名を知られ、名家として、登場してから、林大学頭まで、11代が名を連ねています。
これは、幕府の要職が、家代々同じ家に伝えられるという経済的な保証があるから、可能な制度でもあり、その家を守るために、親族間で、養子縁組を行うということがあるから、可能でもあります。
しかし、戦後、それらの制度は壊されました。財閥解体、農地解放、相続税の厳密な取り立て、これらによって、名家は、破壊されつくそうとしています。
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ここで、非常に古臭い、迷信めいた、規範である因果応報というのを取り出して検証してみましょう。
林羅山から11代にわたって、学者の家であるということは、別に戦場で人を殺したというわけではありません。また、豪商というわけでもないので、他人の収入をかすめ取ったとか搾取をしたというわけでもありません。
しいて言えば、湯島の昌平黌塾頭として、江戸時代の学者の筆頭であり続けたことに罪があったかと? 例えば、それは、現代に例えると、東大の総長を、一人の人がだいたい、20年前後、にない、かつ、11代にわたって、一つの名字の一家が独占したことに当たります。空前絶後の独占だといえましょう。また、アカデミズムの本流として、現代でいえば、学士院とかを独占していて、原子力村のような保守本流の機能を果たしていて、江戸期の優秀な学者を、圧迫をしていた、という可能性はあります。
だけど、それは、本人の意図的な感情とか、意図的なたくらみとして行われたことではなく、その時代風潮の中では、当たり前のことでありました。
で、江戸時代は、その弊害も言われてもいるが、一方で、きわめて高い文化を維持してもいたのです。ペリー本人をはじめ、このころから、1899年までの間に、
日本を訪れた外国人が、その道徳律の高さと、教育水準の高さと、幸せそうな様子(子供をいつくしむ様子)などに、みんな驚嘆しています。
ですから、林家の人々が、学者の世界の名誉を一手に握っていても、それは、彼らの個人的な罪ではない。でも、衰退をしていったのです。その実存的な不思議さこと、本日、この一文を書かせている動機なのですが。
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副題6、『渡辺美樹(ワタミ社長)と、比較してみようよ』
日本では、ほとんどの名家は、ある意味で衰退していっています。
そして、なんと、今では、中流も破壊をされ、それとは、別に、新興・富裕層というのが、この日本でも、台頭しています。だけど、その富裕層というのは、どうも、ビジネスオンリーで、駆逐されているみたいです。かつ、それは、はやっている業種に限られているみたいです。ゲームを開発する。
富裕層に向けて、フレンチや、イタリアン、または、中華の高級レストランを開く。とうとう、思い浮かべれられる業種はありますが、一方で、現在貧乏である人、および、これから貧乏になりそうな人を蹴落として、顧みない風潮は、強い模様です。
例として挙げてはいけないかもしれないが、渡辺美樹さんが、大相撲の独立ガバナンス委員会の委員として挙げられていて、得意満面になっていたころに、
私は、『なんと、この日本は薄っぺらな文化の国になってしまったことか』と嘆きましたよ。
この様に生存競争ばかり、
協調をされる世の中で、学問とか、文化は育つのでしょうか。それでも、有名大学を出ていて、大学教授等になっていると、生涯を通じて、人生が救われると、言うことは、みなさんが経験上知っているわけですね。
それで、非常に小さいころから、子供を追い立てることとなっていて、それで、子供を育てるという意味で、環境がよくないのです。
ちゃんと大人になりますよ。だけど、人間として粒が小さい。残念ながら、真実賢くて、志が高いといえないかもしれない。そういう人が、今、この国に蔓延しています。
上記の番組でも、「江戸時代には、資源も産業もなかったが、人間がいたのです」と言っていましたが、現代は全く反対で、お金も産業もあるが、人間がいない。
江戸時代の、良さが、こうして見直されつつあるのですが・・・・・ここで、現代と江戸時代を突然に結び付けます。
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副題7、『林・喬・君を、再び、思い出す』
私はメルマガ、および、ブログを通じて、林喬君という同期生のことを何度も書いています。私は、今、三年の歴史を持つこのブログの前には、12年以上メルマガという形で、書いているのですが、そこでも、林喬君のことは何度も書いています。長文で。
実名を出すかどうかを、ひどく迷ったのですが、彼は、20歳ぐらいの時に、自殺をしています。それが、実名を出すかどうかを迷った、ポイントですが、もう一つ、今まで、絶対にどこでも、公開していない、件、つまり、林君は、ここで言及している、林大学頭の一族であろうということを、本日さらしますが、そこも引っかかったからです。
林喬君の死後、47年がたっています。それで、時効として許していただきたく。
林君の自殺が、どんなに切ないものであったかというと、
彼は誰とも、付き合っておらず、誰にも身秦の内側をさらけ出していない男子学生でしたが、なんと、死の直前には、私と、淡いが、確実な、心の交流があったのです。
生物の試験を、階段教室で受けていた時のことです。
私はその試験を、階段教室の、黒板に向かって右側、前から三列目ぐらいに座り、林君は、向かって左側、前から10列目ぐらいに座っていました。学生は全部で、30人前後ですから、パラ、パラと、散らばっているという感じです。
始まって、30分ぐらいは、わたくしは夢中で、答案に記入していました。アメリカ人が担当している科目なので、設問も英語、答えも英語で書きます。ほとんど、文章として記入します。こういうのは、私は大好きで、ほとんど、るんるんという気分で、記入し続けていました。しかし、どうしてか、背中に視線を感じるのです。
私はものすごく勘が鋭くて、こういう風に誰かから、<気>を送られると、すぐ気が付きます。これに関しては、ものすごくたくさんのエピソードがあるのですが、ここではわきに入らず、林君のエピソードに集中すれば、
振り返ると、林君が、こちらを見ていたのです。
一種の白昼夢に浸っていて、答案とはまるで、違うことを考えていることはわかりました。
で、わたくしは目顔で、叱ったのですよ。
「林君、あなたの考えていることはわかるわ。僕はこの学校に入ったのは間違いだったのではないか、とか何とか、そういうことを考えているのでしょう。でも、今はこの答案に集中するしかないのよ」と。林君ははっと目覚めたような顔をして、ちょっと恥ずかしそうな眼をしました。
私はもちろん、彼の気持ちはわかりました。十分に恥ずかしかったと思います。それで、授業が終わった後でも、話しかけなかったし、それ以降も一切話しかけませんでした。それ以前も話しかけたことはないのです。が、その直後、彼は、自殺しました。
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副題8、『本郷弓町、教会での、涙、涙の、お葬式』
でも、自殺なのに、本郷弓町教会で、お葬式が開かれるとのことで、夕方に行われたその式に、私は参列をしました。
私は生涯で、いくつものお葬式を経験していますが、あの林君の、お葬式ほど、スピーチの言葉が、美しかったものは、ほかに、経験したことはありません。それは、むろん、林君そのものが、心身ともに美しい人だったから、そうなったわけですが、
最後の段階で、教会を去る時に、『無念だわ。やはり、林君は、どうあっても、自殺するべきではなかった。教会中の参列者すべてから、
純粋な人だったと、ほめられても、やはり、生きていた方が、よかったわ。あなたはまだ、何にもやってないじゃあない? あなたの能力が、人並み外れて、優れているところを誰にも見せていないじゃあない。あまりにも早すぎる。惜しい。惜しい』と、嘆きこそあれ、決して、満足の心も、平安の心も、なかったのです。
それは、2010年に、母が、あと一週間待てば、93ですよという時に、亡くなったというのとはまるで、異なった感覚だったのです。
お付き合いを誰ともしていなかった、林君の葬儀には
大学時代の友達も誰も参列をしておらず、出身高校である武蔵時代の友人も誰もおらず、
式には、右側に母上を中心とした、母方の親戚が多い模様で、左側には、父かたの親戚と、教会のメンバーが、10人程度、全部で、50人に満たないお式でしたが、
ともかく驚いたことは、参列のメンバーが、最上級の美形ぞろいだということです。それを見た瞬間に、「やはり、林喬君は、林大学頭の一族なんだわ」と確信をしました。
それ以前にも、私は、そのように考えていました。彼本人が、話しかけないくい雰囲気の子で、私も別におきゃんでもないので、一切会話を交わしたことはないのですが、ずっと以前から、そうであろうと思っていたのです。
で、彼の自殺の一因は、『それほどの、名門の一族なのに、東大にも、入学できず、自分は、どうなるのだろう。今は、この大学の講義も面白くは感じないし、ともかく、将来の見通しが持てないんだ』ということにあったでしょう。生きる意義に関する実存的な悩みです。
名門に生まれることは、それほどに、つらいことなのです。特に林家は、学問の世界で優秀でなくてはならないわけです。そのためには、東大へは、入学しないといけなかったのでしょう。
でも、彼がなぜ、東大へ、入学できなかったかもわかるような気がするのです。それは頭がよすぎたから、受験勉強をするのが嫌だった。ということ。
それから、お母様が働いています。と見えます。母一人、子一人だったから。戦後どんな名門の人だって、資産を食いつぶして生きていくのは無理でしたので。
で、一人っ子だから、かぎっ子として、母の帰りを、待っているわけです。もちろんのこと、この程度のお宅だとテレビはあったとしても、見ないでしょう。純粋な、書斎タイプの子供・・・・・読書か、夢見ること(=思考を重ねること)で、時間を過ごすタイプです。そこが私と結構似ています。だけど、わたくしの方は年が離れた兄弟ができたり、
父が会社を始めたので、女中さんがいたり(母が、一種のキャリアーウーマンとなったので)いろいろ、他人が出入りする家となったので、他人との交流がたくさんできて、林喬くんほど、純粋な、夢想家とはならなかったわけです。
かれは、外見も、お公家さんタイプというのかな。肌が、青白く透明で、目は大きいのですが、肩幅が狭くて、背もあまり高くはなくて、筋肉質でもなくて・・・・・
だから、現代風の恋愛の相手として、女の子たちから選ばれにくいと思います。そういうことに、悩んでいたのかもしれません。
ただ、今までは、一切触れていなかった、名門・林大学頭に連なる、子供であったがゆえに、早めに、自裁してしまった可能性について、今日は触れて行きます。
つまり、上の、はみだしの典型として、優秀すぎるがゆえに、現代社会には、適合しにくいということ。その不思議さについて、今考えているのです。
ところで、
ご親戚の同年代の、いとこさんなどには、お嬢さんがおおかったので、みなさん、結婚後の名前が変わっているとみなして、ここに、これだけのことを書いています。
この林喬君を含めて、私には、黙ったまま、そして、十分な仕事もできないまま、世を去ったお友達が何人もいます。それが、あるので、頑張るということ頃もあります。今は、文章だけを書いていますが、5年ぐらい前は、獅子奮迅の働きでしたよ。