銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

鎌倉の森ホテルがヴァンクーヴァー五輪の時、私に対して、不親切だったわけは? 優子辞任は罠だー4

2014-10-28 23:03:28 | 政治

  北久里浜で、、珍しくワイファイが利用できますので、、新しい章を、ここに、起こします。タダシ、この文章の因果関係が完結するのも、29日か30日になると思います。それは、お許しくださいませ。なお、この一文は、最初のタイトルを、『小渕優子つぶしに動いた人々への哲学的考察をすれば、それは、ただ、笑うだけになる』としておりましたが、30分で『おしゃれが好きな事から、重要な情報を得る私だが・・・携帯に盗聴機能がある事もそこから判った』にし、そのまた、2時間後に『2019年までにローンは完済しておこう。2021年から、日本人は大きな不幸に見舞われる筈だ』と替えました。そして、28日の夜9時に、4つ目のもの『シロガネーゼと、鎌倉夫人とどっちが上だ・・・・・小渕優子は謀議をもってつぶされたー4』と変え、30日の、午後二時に、『大川小学校の先生方は、なぜ、怠慢だったのか?・・・・・小渕優子は謀議をもってつぶされたー4』と、して、その直後、3時に、上のものと変えております。

 副題1、『松島議員は、朝日新聞をなぜ辞めたのだろう。それを検討しないとだめだ』

 私達にとって、他人の頭の中を正確にのぞくことは不可能です。だけど、松島みどり元法相が、なぜ朝日新聞を辞めたのかは、重要な部分だと思います。好意的に考えると、内部にいるからこそ、判る矛盾に耐え切れなくて、お辞めになったと推察しています。

 と言うのも朝日新聞こそ、現代日本を真に支配をしている国際的軍産共同体の代弁者だからです。それを嫌うとは、松島議員には気骨はあり、個性もあるとなります。しかも安倍さんに、かわいがられていて、法相を任せられるのですから、いわゆる愛国的な議員なのでしょう。

 私は前々報

松島法相辞任、国会はおもちゃ箱か? + なぜ日産はトヨタに水をあけられたか? 

の中で2行ほど不確かな事を書いています。それを採録すると、

ただ、隠されている理由のひとつとして、在特会との関係があるらしいとか、ないとか? ちら、ちらっとブラウザのニュースで、それを見ますが、そこについての私の知識がまるでありません。

 云々と書いていますが、実は松島議員は、在特会とは、関係がないそうですね。山谷えり子拉致担当相が、関係があるそうです。そこだけは間違いましたが、しっかりと、今わかっていることは、松島議員は、先鋒として、小渕優子つぶしに立ったということです。

 一般の日本人は、小渕敬三氏が、暗殺未遂で、こん睡状態に陥り、以降植物人間になり、かつ、一年も持たないで、なくなったということを知らないので、小渕裕子がなぜつぶされないと、いけないのかの理由が不明だと思うのですが、そこをきちんとわかってしまうと、非常に、わかりやすくなってきます。

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副題2、『私は2000年にニューヨーク滞在中に、電車や駅で、積極的に人に話しかける様に成った』

 私は今弾圧によって、友達を全て奪い去られています。非常にいやな事であり、そんなことでもありますが、それだけ、真実を知り、またそれを書いているのだという誇りも持っております。デモ、よく、「5億円に喃々とする損害だ」と言っているほどの、損害が影にあるのに、これほど、元気に、かつコンスタントに、新しい文章を書くことのできる秘訣は、損害を上回る喜びもあるからです。

 それは、知り合いや友人との中を立たれているから、一期一会の人との会話を大切にしており、それを大切にするがために、携帯を持ち歩かない主義も持っている人なのです。携帯に外からの働きかけによる盗聴機能があることは、ほぼ確実だと思っていて、それを、この章でも、八幡宮様の持ち物、鴬吟邸の前で確信した話を語るつもりですが、その前に、パリやニューヨークでの経験を語らないといけません。

 1998年にパリへ行く前にフランス語は一通りは勉強したのです。ところが、パリ在住の版画関係者が全員英語が堪能だったので、『あ、英語で暮らせるのだ』と認識してしまい、語学の履修はすっかりやめてしまって、昼間は版画、夜は、日本語でエッセイを書く事に集中をしたのでした。

 ただ、考えることが大好きな私は、夏目漱石のロンドンでの故事が当てはまるタイプだとも思っていて、誰かと人間関係をコンスタントにもったほうがいいとは思っていて、版画工房の人たちとか、アパルトマンの住人とは機会があるたびに、積極的に英語で話すことに努めました』アパルトマンの住人は、ハイレベルのインテリばかりで、全員英語が話せました。

 しかし、その後、1999年になって、ニューヨークにわたると圧倒的に自由度が増しました。英語が自由自在だからです。特に海外へ渡ってしまうと、言葉が圧倒的に思い出されてきて、一ヵ月半もたつと、英語で、すらすら物を書けるほどに成ります。1999年から生まれて初めてパソコンを使い始めダイナブックの美麗な新品を持っていったのですが、当時所属していた版画工房が、プラットインスティチュートと言う美大の大学院だったので、23人ぐらいの同級生の前で、シャーッと、打鍵していると、みんなが目を丸くしたものです。

 パソコンの液晶画面に出てくるのが英語だからです。見かけ上はアジア人の、しかも、おばさんです。その私が、実はインテリだったというのは、ギャップがものすごいらしくて、あっちこっちで、みんなの肝を冷やしました。で、気分はいいですね。日本にいるときは抱くことのできなかった、人間としての自信もできました。

 これは50年以上も昔、IBMの電子タイプライターを使っていたので、タイピングと言うのが、ブラインドタッチで、しかも猛スピードでできるからです。しかし、いつも観光ビザで出かけるので、いったん所属が切れます。で、次の年、2000年には、プロの版画家が所属するプロ用の工房に所属したので、ここでは、表向きは、おしゃべりをしてはいけないところだから、人間関係が少なくなります。日本美術院の、茨城県五浦のアトリエの写真が、菱田春草展の案内とともに、NHKの画面によく映りますが、春草たちだって、数時間はおしゃべりをしないで描いていたと思いますよ。休憩時間は、おしゃべりもしたでしょうが。でね、漱石のロンドン滞在中みたいになったらだめだからと思って、地下鉄内とか、駅のベンチで、積極的に会話をする様に努力をして、いい会話を拾いました。

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副題3、『日本でも、それが可能だったことには驚いた』

 私はね、『それは、ニューヨークという国際的な人種混合地域だから、相手に敵意を持っていないということを示すことが必要で、したがって、オープンマインドだから、可能なのだ』と、思っておりました。が、それが日本でも可能でした。

 で、この数日来の事ですが、私は自分が小渕優子さんについて書いているので、そういう一期一会の人にも、どう、考えるかを聞いてみたら、皆さんが、「本当に気の毒に」と、言いました。罠に引っ掛けられて、つぶされているというのは、判っているみたいです。

 現在の普通の日本人の意見を取り上げるマスコミがいないので、常識をもつ、日本人の意見が表に出てきにくいのですが、私は、自分が大勢の日本人の良識派と合致していることにまた、改めて、自信を持ちました。

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副題4、『銀座で取材をしているテレビクルーたちは、脚色に基づいたやらせをしている』

 あれは、2003年より前の事でしょうか? 銀座で顔写真を見せて『これは、誰ですか?』と質問をしていたテレビクルーがいました。その人たちが何をやっているのかをいいましょう。

  当時は自民党内閣でした。で、内閣の中のひとりの大臣の顔写真を見せて、『この人は誰ですか?』と質問をするのです。すると、中年以上の人は性格に答えられます。ところが若い人が、『政治家です』と答えて、その先、個人名とか、担当大臣の部署を答えられなかった場合には、『こういう風に答えていただけませんか?』と、依頼をされるそうです。

・・・・・・・そのひとって、相撲べやの親方かしら?・・・・・と。

 だから、テレビってやらせばかりの世界なのです。そして、当時は小沢一郎氏が全盛期だったので、早く彼に政権を渡したくて、自民党を国民が軽蔑するような方向へ、方向へと、導いていたのでした。

  その小沢一郎を見限って、今はどうも、安倍さんがご愛顧先、第一番らしいのです。だから、消費税は、8%に成るし、また来年には、10%に成るのだそうです。年金支払いは、70歳まで先送りされるそうです。恐ろしい収奪の仕組みができていて、また、小粒内閣なので、内閣内に、安倍さんの首に鈴をつける人物がいません。

 オリンピックまでは税金をジャブジャブ使い、公共事業が発注されるので、何とか、ごまかし続けることができるでしょうが、その先はどうなるかと、考えると空恐ろしいです。

 お若い方で、ローンを組んでいる方は、ぜひ、2019年までに完済しておくこと。それから先の、日本はどうなっているか判りません。今のままで、安倍さんが、めちゃくちゃな事をやり続けていたら、経済の国家的規模の破綻に、追い込まれている可能性さえあります。

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副題5、『シロガネーゼは、イタリアへ旅行をして、洋服を買ってくる』

 ところで、ここから先、数千字、寄り道をいたします。私が、いろいろな未知の人と、有意義な会話を交わし、そこから小渕恵三氏の死の秘密に到達した話に入るのですが、その前に、いろいろな準備をしないといけません。

 で、連続してお読みいただいている方は、私が健康の保持のために、園芸を初めて凝り性なので、東京駅から以南のホームセンターを2013年で以内に、16個も見つけたのだと、申しております。その後も、島忠ホームズ東戸塚店、ケーヨーデーツー三田店、ユニディ川崎ラゾーナ店、カインズホーム久里浜店と、2014年度に入ってから4つも、新しいお店を見つけ、今は、ケーヨーでーつー三田店が、気に入っています。さすがに、山手線の内側ですので、土地が高いからでしょう。お店が小さくて、だからこそ、買いやすいのと、バス便が多いので、それが、便利です。

 JR田町駅(または、都営地下鉄線三田駅)から、バスで、たった5分もかからないで到着しますが、バスの中の人の洋服が素材がいい戸と。それは、感じます。ある日、あまりにもシックなお洋服を着ていた人がいたので、「それは、なんというブランドで、どこでお買いになったのですか? むろん、マネをして買おうというのではなくて、モノを考えるキーにしたいので、お問い合わせをするのですが」と質問をすると、

 「イタリアのものです。旅行をした時に買いました」と、にこにこしながら答えてくれました。港区なのでいわゆるシロガネーゼの一人かもしれません。ところが、この出会いを、私はブログには書いていません。どうしてかというと、3つ理由がありました。

1つ目、彼女が痩せすぎていたこと。苦労や、ストレスが原因かもしれないが、高価なサプリメントを使った、ダイエットである可能性があること。で、ダイエットが、体によくなくて、かつ、ばかばかしい精神の作業だと思うので、せっかくのおしゃれも、私には肯定できなくなるところがあります。

2つ目、素材がポリエステ利だったこと。ポリエステルとは、洗濯しても痛まない上に、絹風の仕上がりにもっていくことのできる夢の繊維だと言われています。 しかし、実際に来てみると、夏は暑いし、冬は寒いです。だから、私には、好みではない。

3つ目、彼女のまとっている色(黄色みがかかった灰色=グレージュという造語で呼ばれる)は、大変難しい色ですが、その衣装をまとった、素晴らしい女性に、数年前に、すでに、鎌倉で、出会ってしまっていた事。

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副題6、『鎌倉夫人にもいろいろあるが、雪ノ下二丁目、OORINDO(ケーキ屋兼喫茶店)の近所に、慶応卒の素敵な人がいる』

 で、今度は、鎌倉夫人の話に入ります。こんどの人は、大変重要な人なので、仮の名前をE野E子さんとして置きます。この人をかばってそうするのではなくて、私は、実際に、彼女の名前を知らないのです。でも、鎌倉夫人とか上等な奥様と言っても、私の文章には多数の人が、この女性以外にも、登場しますので、区別するために記号として、彼女にこの称号を与えます。

 おしゃれという意味では、上にあげた三田に住む夫人と同じ程度に、見事な女性でした。しかも、同じ色の洋服です。身にまとうのに最も難しいと私が考える色です。灰色だが、ほんの少しベージュが入っている。しかも、素材は、ウールだと思われます。だから、どこで、買ったお洋服かは、私の方では、知らないものの、こちらの女性を三田で出会った人よりも上において、『おしゃれ上手な人だ』と考えています。

 数年前だったし、別れ際が、<盗聴がなんとか、かんとか>、というところで、警戒のあまり、非常にせわしなかったので、彼女の着ていたスタイルが、ワンピースだったか、ロングコートだったかを覚えていないのですが、ともかく、全体として、素晴らしい姿でした。

 私は、この人を、ずっと大切にして、ブログには、書かないで置きました。が、2か月ほど前に、バスの中で、出会ったのです。私は彼女を覚えていました。だが、私は、別れ際に、二人の間の会話が、彼女の携帯で盗聴をされているということを、確信させられた相手だったので、むしろ、知らないふりをした方が、彼女のためになるだろうと、思い、知っている人としては、声をかけませんでした。ところが、座っている私を右斜め前ら、かのじょは、ちらっちらっと、見つめてきます。それは、彼女が明らかに私を覚えているということを明らかにしています。

 でもね、数年前、彼女と初めて出会ったとき、私は髪を染めていて、頭が、黒かったのです。この2014年に入って、4月7日に三原橋交差点そばで、交通事故に出会ってしまい、後頭部を、バンパーが、削り取った時以来、消毒のために、一度、坊主にしました。それ以来、髪を染めておりません。だから、違う人物みたいな、風情になっています。

 それなのに、E野 E子さんが、ちらほらと、私を見つめ続ける視線は、彼女が私を覚えていることを示唆しました。

 私にとって、E野 E子さんは、小渕恵三が、海に顔をつけられたことによる一種の暗殺で亡くなったのだと、教えてくれた重要な人間です。だけど、と、同時に、初回のデートでもすでに、彼女の背後で、酒井忠康氏が、暗躍しているのを感じ取っていたので、警戒すべき相手となっています。

 単純に、「アーラ、ごきげんよう。お久しぶりです。以前は、重要なことを教えてくださってありがとう」と、声をかけるわけにはいかないのでした。バスの中で、彼女が、私を気にする様子は、引き続き、酒井氏などが、彼女に接触を続けていることを示唆し、だからこそ、『今この瞬間も、これから先も、接触をしない方がいい』と、自分に言い聞かせました。

 繰り返しますが、それを、聞いたときは、本当に、衝撃的でした。日本で最高のおしゃれをしている女性、しかも、話の途中で、慶応大学卒だとも聞いている。そういう女性が、信じていることとして、肉声で、<小渕恵三氏は、アメリカ軍のヘリコプターに乗せられて太平洋の真ん中まで、連れていかれて、海に顔をつけられ、それゆえに、脳梗塞になった>と、聞いたのです。だから、どうしても、その事実へ対して、信頼感が生まれます。

 後で、よく思い返すと、彼女もそれを、又聞きか何かで、頭に入れたものであって、原初の情報は、ほかの人と同じく、中丸薫氏の著書の中の横田基地からヘリコプターが飛び立って、云々、かんぬんという情報から、得た知識を、ご自分が信じていることとして、対私へは、自分の言葉で話したのです。

 この部分が、この章の白眉としておきたいところです。だから、最初の総タイトルを、『おしゃれが好きな事から、重要な情報を得る私だが・・・携帯に盗聴機能がある事もそこから判った』としていたのです。

  私はライターとしての、自分のピュアネスを保つために、NHKニュースと、紙の新聞(日経と、時には朝日)、それから、そういうものをまとめて教えてくれるネットのブラウザニュース、主に、goo と Livedoor にしか接触しないのです。 

 そのきわめておしゃれな、(決して派手ではないのですよ。首の周りに、じゃらじゃらアクセサリーをつけているとか、華やかな飾りを付けたお帽子をかぶっているとか、そういうことは一切ないのです)慶応卒の、夫人と出会った頃、私は2チャンネルなど、ほとんど接しない人でした。2チャンネルに初めて接したのは、バンクーヴァー五輪の時に、採点があまりにも金妍児有利の方向で、偏波しているので、驚いて、日本の若者は、この現象をどう考えているだろうと、入ったのでした。だから、小渕恵三暗殺未遂説などにも、それ以前には、接したことさえなかったのです。

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副題7、『鎌倉の森ホテルがヴァンクーヴァー五輪の時、私に対して、不親切だったわけは?』

 私は時々、『自分の指先がニュースを作り出すのだ』と申し上げております。『傲慢だ』と、嫌がっておられる方もあることも知っていて、なお、その言葉を使い続けます。それは、どうしてかというと、2010年2月17日前後の私の行動と、3.11の前後の、東北沿岸の人々の行動、とくに大川小学校の先生方の行動は関係があるとみなすからです。他にもいろいろ、自分が大きな力を持っていることを、感じて居ることはあるのですが、事、2チャンネル関連で、もうしあげたいです。

 2チャンネル関連とは、何を指すかというと、<<<<<普通の人は、知らない情報がそこにある世界であって、若者が中心となって、接触する世界であって、現在日本の主流派をなす、60歳以上の老人(シルバー世代とか、プラチナ世代と呼ばれる人たち)は、知らない世界なのだということを指します。だから、私は小渕恵三暗殺説もむろん知らなかったのですが、人間[=上品極まりないおしゃれな女性で、慶応大学卒であり、国画会の会員と知りあいであり(その点が、影にいる酒井忠康氏を即座に思い浮かべたわけですが)、現代アートにも精通している人]が、言う言葉ですから、信じたのです。

 浅田真央ちゃんのショートプログラムの採点があまりにも偏波しているので、日本中の若者が、2ちゃんねるの中で怒っていました。次の日にフリーがあります。その日は、2チャンネルは、開かず、ただ、普通にブログの手当てやら、始末をしながら、テレビの試合時間を待ったのです。ただ、ちょっと早く、そのスイッチを入れました。

 すると、テレビが映りません。我が家は当時は、鎌倉ケーブルテレビ経由で、テレビを見ていましたが、ご近所、50m以内においてある特殊なルーターを通じて、ラジカセから、ファミコンから、洗濯機から、プリンターから、テレビから何から何まで、外部からスイッチオンオフがなされるので、この現象には、驚かず、すぐ外出しました。鎌倉市内で、わが家から最も近くて、かつ、テレビを見ることが可能なのは、森ホテル(シティホテル、小さいが駅、至近距離、例の森コンツェルンと関係があるかどうかについては、私は知らない)に駆け込みました。この間、15分間です。

 時間は、午後二時ごろ、ホテルは、チェックアウト、チェックインの間で、掃除中です。私は出てきた男性(掃除人とは思われないタイプ)に、「テレビだけ見せてください。3000円お礼をします」と、言いました。私はものすごく、会話の能力は高いのです。どんな、未知の人もたちまちとろけてしまうほどで、あって、一時期、私はミダス王になってしまったのではないかと思ったほどでした。ミダス王とは、触るものをすべて、金にしてしまう王様ですが、私が接触する人は、だれでも、素直に話をしてくれるのです。決して、そう誘導しているわけでもないし、質問をしているわけでもないのに、向こうから、深い、深い、心の中を打ち解けてくれるのでした。そうですよ。そんなことは質問をしてもいないのに、『私はね。離婚をしてから、あと、この画廊を始めました』と、打ち明けてくれた女性オーナーが、3人もいたのですから、すごいでしょう。もちろん、そういう話は、この世界では書きません。だから、ご安心ください。それを打ち明けてくれた方。

 ともかく、誰の心も、こちらに向かせてしまう私に対して、不親切な人が居たら、その人は、必ず、影で、私に対する悪い風評を入れ込められているのです。で、この時も森ホテルの、男性(支配人だと思われるタイプ)が、『だめですよ』と不親切に言ったときに、『あ、この人は、事前に断わる様に命令をされている。誰がそれをやった? 伊藤玄二郎、それとも鎌倉警察署の誰か? それとも鎌倉ケーブルテレビの誰か? たとえば里見の息子である、山川静夫さんが、これを、やっている?』と、考えたことでした。

 ここで、山川静夫と、名前を挙げている紳士は、元NHKアナウンサーで歌舞伎通の人と同姓同名ですが、別の男性を指します。小津安二郎の映画のプロデューサーをやっていたことでも知られていて、鎌倉では、伊藤玄二郎とは、非常に親しい間柄の人です。年齢は山川氏の方が上ですが、伊藤玄二郎は、言うなりに山川さんを動かせるでしょう。また、その人が頼むことなら、森ホテルの支配人が、言うことを聞いた可能性はあります。ともかく、こういうことは政治の問題として、非常に重要なことなので、書いています。別にホテルの評判云々を書きたくて書いているわけではありません。いわゆる、じゃらんの、口コミの一種として書いているわけではありません。その時に、支配人と思しき男性が、理不尽に不親切だったのが、のちに、大川小学校で、ほぼ、全校生徒が、亡くなって、父兄と学校を管轄する責任のある自治体との間に、訴訟が起こりました。そこまで、関連していくので、きちんと、ここで、申し述べておきます。

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副題8、『大船のヤマダ電機(現在名LABI)でも、テレビに対して、過剰な演出があり、それで、裏にいる井上ひさしを、肌で感じた』

 さて。鎌倉市内で、上がって「テレビを見せて」と頼むことのできる知り合いは無論のこといます。だが、これが、政治に関連している現象なので、私は遠慮をして誰も個人は頼らず、商業的に、テレビを見ることのできる場所を探しました。一番近いのは、電車で、五分乗った先の、大船駅そばにあるヤマダ電機です。現在は、そのビルは、LABIという名称になっていますが、2010年はヤマダ電機と言い、商品は、まだ、いっぱいおいてありました。その後、ヤマダ電機は勢いが落ちたそうですね。社長が交代するの、元に戻るのと騒ぎになっていますが、このヴァンクーヴァー五輪の時期は、まだ、まだ、隆盛を誇っている時期であって、テレビもフロアー全体においてある感じでした。

 特に性能のいいテレビは、制作会社が、発行した特別なディスクを繰り返し反復する形ですが、あとは、民法か、NHKを放映するという形でした。で、私は、スペースとしては、『悠々に見ることができる。ただし、立ってだけど』と思いながら、JR横須賀線の大船駅北口の改札口を出たのです。

 そこから、3分程度で、ヤマダ電機のテレビのおいてあるフロアーに入ることができます。ところが、驚いたことに、過剰なほどの、演出が、その日だけは、施されていました。それ故に、私は、ますます、政治の影がニュースに及ぼす悪い効果に気が付いてくるのです。とくに鎌倉エージェントが、どれほど、ニュースを、悪い意図のもとに、こしらえているかに気が付いてくるのです。

 それも、また、私が力があるが故ですが、私が、パソコンを開いていると、その画面を同時進行的に、見ることのできる人が、全世界で、10人は下らないだろうと言っています。その仕組みは、ご近所のAirbnb(エアービエンビーと、日本語では発音をする)に所属する『KAMAKURA COTTAGE 』というところに、特殊な機能を持つ、ルーターが備え付けられていて、そこから、私のパソコンと同じ画面が、電波に乗って、世界中に増幅発信をされ、で、それを、のぞき込むことのできる人物たちの一部が、パソコンを壊していくのだけれど・・・・・と、以前書いていますね。本日も、その破壊工作が何度も行われました。以前、画面が白閃化して、書いた部分が一瞬に消えてしまいます」と、申しあげたことがあります。それは、本日も、4,5回おこりました。

 だが、私の方が、種々の防衛策を講じられる様に、なって、被害を最小限度で、食い止められる様になっています。それは、豆に保存をするということで、このブログも未完成の段階で、さっさと、公開してしまい、皆様には、はなはだご迷惑をかけていますが、それは、書いた部分を、保存をする代わりなのです。消えてしないように防衛するためのアップなのです。

 言え、下書きとか、ドラフトという形で、保存をしておけばいいでしょう?』と、皆様はおっしゃるでしょう。だが、私の場合は、それが、駄目なのです。一応、全部、2万字を書いて、アップしたと仮定します。すると、最も重要なところが、目には見えない形になっていたりして、それを直すのが大変で、ほとんど直せないという形に持ち込まれます。 

@@@@@@@@@@@@@ここが、かきかけちゅうのさいせんたんです。

副題α、『ここで、3.11の時に大川小学校の先生方の対応がどうして間違ってしまったのかについて、総括をしておきたい』なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2553738です。

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松島みどり議員は、この騒動で、知名度アップ料五千万は得をしただろう。小渕優子失墜に役立った功で

2014-10-26 20:59:27 | 政治

今章は、一番最初の総タイトルを、『日本では、英雄は、生きることが許されない。 小渕恵三・優子、私論』としておりました。27日の早朝に、第二番目のものへと変更しました。 それは、『もしかすると、小渕優子失墜は、田中角栄の小型版でしたか? 答えは返って来ないだろうが、問うてみたい』でした。そして、28日の午後三時に、また上のものへと、変更をしました。さらに、また変える可能性も残しますが。で、中身ですが、久しぶりに目次を立てます。

副題1、『安倍さんは、某筋に言わせると、本当は、小渕優子を嫌いだとか』

副題2、『田中角栄をつぶすためには、月刊文春が動き、今回は週刊新潮が火付け役だった。スケールは違うが手法は似ている』

副題3、『ここで、松島みどり法務大臣を辞任に追い込んだ、蓮舫議員について、しばし考えてみよう』

副題4、『松嶋みどり、法務大臣が、うちわごときで辞任も、仕組まれた一環であったと考えると、<なるほどねえ>と、頷けてくる』

副題5、『北久里浜の家を補修することが、サバイバル訓練の一種なので、わたくしは、ニューヨーク時代を思い出してしまう。それゆえに北久里浜に行きたくなるのだった。サバイバル訓錬とは、一種の断食に当たり爽快なのですよ』

副題6、『その辞任会見を見ているうちに、<小渕優子は性根が座っている>と、初めて知った私だった』

副題7、『松島みどり元大臣の、辞任会見が、しれっとし過すぎているのが、最初の違和感をもたらした』

副題8、『二大臣の辞任後、その日のうちに、次の閣僚が決まったのも、小渕優子失墜が、仕組まれた謀議だったことをうかがわせる』 

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副題1、『安倍さんは、某筋に言わせると、本当は、小渕優子を嫌いだとか』

 私はね、小渕優子さんについて、関心がなかったのです。お父上の悲劇というのは、知っていて、麻生総理大臣が、優子さんを、35歳の若さにも拘わらず、新設大臣のいすにつけた時に、『ああ、慰労、慰藉の意味があるのだろうなあ』とは思いましたが、父君とお嬢さんというのは別人格であるから、父君が立派だとしても、お嬢さんが立派だとは限りません。そのうえ、苦労知らずで、立派な椅子に、つくことは、本人のためにはならないのです。

 というぐらいの関心しかなかったので、上の副題の1に、二重がっこ内に書いてある一行を、どこかの週刊誌か、またはネットかで、接し、「安倍さんは、実は小渕優子を嫌っている」という文言を見つけたときも、さっと、読み飛ばしてしまい、コピペで保存をしていないのです。

 だから、元ネタがどこのメディアであったかも覚えていないのですが、小渕優子元経済産業大臣が、辞職してしまった後では、急に意味を持ってきます。

 最初に私が考えたことは、「安倍さんって、子供みたいなところがあるのだなあ」ですが、小渕元大臣の辞任を受けた後では、『あれ、もしかすると安倍さんて、大悪人?』と、思ってしまうところがあります。事案の解釈の変化に連れて、前後の文章も動くのです。

 大悪人とするのは、ーーーーー小渕優子さんをつぶすために、最初からそれを狙って、無理な役職に就けたーーーーーという解釈が、あれば、嫌いだというのは、感情の問題ではなくて、政治の問題となり、重大なポイントとなってきます。だから、安倍さんの人物像に対する解釈がまるで異なってきます。今までは、『お坊ちゃま育ちであって、裏から教唆されて、ああいう風になっている』と考えていましたが、『違う。ご本人の意思だ』となると、大悪人と言わざるを得なくなります。

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副題2、『田中角栄をつぶすためには、月刊文春が動き、今回は週刊新潮が火付け役だった。スケールは違うが、手法は似ている』

 田中角栄という、「今、太閤」とまで呼ばれた大政治家が失墜した、きっかけは、立花隆の月刊文春における、金権体質の暴露でした。そして賄賂5億円を送ったロッキード社からの免責自白によって、5つのピーナッツが5億円を意味することも大衆に明らかになりました。

 わいろを贈った側が、裁判に堂々と登場するなんて、ありえないのですが、ありえたのは、この訴追が、アメリカ側が望んだことだったからです。アメリカ側と言ってもその頭脳部分であり、一般的な言葉でわかりやすく言えば、軍産共同体の幹部たちとなるでしょう。それを日本の会社でいうホワイトカラーとたとえると、その下にあって、ブルーカラーの人材として働くのが、CIAです。CIA要員はたとえ東部の名門大学、ハーヴァードやエールを出ていても、一種の駒として動くのだから、命令されて動く、ブルーカラーと言ってよいでしょう。

 今回の小渕優子辞任劇ですが、それは、そっくりそのまま、田中角栄のケースの焼き直しであり、仕組まれた陰謀だと、見えてきます。スケールは小さいですよ。だけど、非常に似ています。月刊文春とか、週刊新潮が、記事を組むのは売らんが、為であって、経済活動の一種です。だから、その裏に何かがあるとは、一般大衆は気が付きません。ただ、週刊誌を売っている売店で、今週号(小渕優子特集)は、バカ売れしたと、聞いているので、『国民洗脳の道具としては、見事な役割を果たしたのだなあ』と思っています。

 つまり、「姉君のブランド、AKIKO何とかに、300万円を支払い、下仁田ネギに60万円を支払った」と聞くと、庶民感覚では、『えーっ、無駄遣いのお嬢さんですねえ。駄目ですね。親が首相だったから、甘えているのだなあ』となって、小渕優子の政治家としての人気と評価はガタ落ちになるでしょう。

 それが目的として、脚本が寝られ、裏で週刊新潮の暴露記事、および、蓮舫議員の質問も含めて、すべてが、計画をされていて、そのうえで、小渕さんを経済産業大臣に登用したとなれば、安倍さんが、『大悪人か?』、それとも『各期の首相たちと、変わらずに、教唆され方のひどいパペットなんだ』となります。

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副題3、『ここで、松島みどり法務大臣を辞任に追い込んだ、蓮舫議員について、しばし考えてみよう』

 ところで、松島法務大臣の辞任は、実に奇妙でしたね。<うちわ>ごときが大問題となる。しかも、民主党からの質問者が蓮舫議員なので、いやがうえにも盛り上がります。

  その時は、まだ、小渕優子さんの方の問題は、顕在化しておらず、したがって、私は松島法務大臣への蓮舫議員の質問が、彼女にとってはありがちな、普通の事だと考えておりました。しかし、松島みどり法務大臣が、同時期に、辞任をすると成ると、『これは、例の諜略行為ですね』と成ります。蓮ぽう議員は、一回、スパコンの開発について、「二位ではだめですか?」と言う発言をして、科学界から猛反発を受けていて、

 議会内で、おこさんの学校からの通知類を読んでいたという写真までグラビアに公開されて人気が落ちていた人です。タダシ、お子さんは慶応の普通部か、中等部か、もしくはもっと小さかったら幼稚舎に所属程度の、御年であり、彼女は、実は、日本のインテリ階級(中流の上)が、普通に持っている感覚=永田町なんて小ばかに仕切っているの典型の人だったのですね。彼女の頭の中は、きっと、こういう風に動いていたのでしょう。『つまらないわねえ。例のとおり、決まりきった演説だから。うんざりしちゃう。ちょっと、こどものお知らせを、点検しておこう。私は国会議員だから、ママ友たちから、それで、浮き上がってしまったら、だめですもの。それに担任との関係も上手に構築しておかないと』と言う具合に。

 ここで、私が何を本当にいいたいかと言うと、<すべての諜略行為は、幽霊がやるのではない>ということです。人間がやるのです。もし、このうちわの件が、東京14区(荒川区と、墨田区)の住民から民主党に、持ち込まれたたれ込みだったと仮定します。:::::::::

 ここですが、高度に、私の文章が利用され研究をされているので、どこやらからか、共産党員が、偽装をした市民が、『自分が民主党に告発をしたのです』と名乗りを上げ、それが、また、出回るかもしれません。だが、そのタイミングは必ず、2014年10月27日の午後、1時、40分以降のはずです。:::::::::

 すると、それを党内で検討した海江田さん、岡田さん、枝野さん、野田さんたちが、「これは、すばらしい情報ですね。早速、鉄砲玉として、蓮舫を選んで、彼女に質問をさせましょう」とでも、いうのかしら? それがもし、本当だったら、「国会議員って、どいつも、こいつも、心の中は、12才レベルですね。戦後、進駐軍が、<「日本人精神年齢は、12歳である>といったのが、ここで、証明されてしまいますよ。だから、まともな日本人は、あなた方を軽蔑しきっていて、監視しないので、例のやりたい放題の、鎌倉エージェントたちの思う壺にはまっているではないですか? そして、その結果、

 いつの間にか、消費税は、8%になったうえに、近日中に10%に成るんですって。その上、年金は、70歳から支給ですって。驚いたなあ。これが、第二次大戦中、大変な被害にあった上で、日本人が、やっと手に入れた民主主義の2014年現在の姿(=現実)ですか? 嘆かわしい」と、慨嘆せざるを得ません。

 2003年ごろに政治に目覚めた私は、その時期以来、ずっと、自民党をひいきしてきたのに、急速に自民党に失望をしています。で、野党にしっかりしてもらいたいと思っているのに、こんな、くだらない質問で、自民党を追い込んだの、なんのと、凱旋ムードになっているのを見ると、こっちにも大いなる失望を感じてしまいます。

 私は現在、72歳です。安倍総理大臣の祖父の時代の安保反対闘争、そして、その後の大学紛争、を傍見してきました。安田講堂を、放水車が、取り囲んでいたころは、東大に勤務していました。が、あそこ以外は、どこ吹く風でしたね。極く普通の平静な生活が行われていたのです。

 で、その後の三里塚闘争とか、連合赤軍、浅間山荘事件とかは、新聞やテレビで見るだけですが、デモの力は、(または、武力闘争)は、日本や欧米の様に、先進国と呼ばれる区域では、力がないと見ています。

 で、一番効果的なのは、マスコミを握ることです。しかし、これこそ、明文化はされていないことですが、そこに、戦後、席を得た、特権階級は、既得権死守であって、東大や早稲田を出て、学閥の力を駆使するとしても、日本社会へ、影響力を持つ人間と、成れるわけでもありません。そこには、フリーメーソン等の、裏社会があって、そこでの、上位の人間に、認めてもらうことが、必定なのです。

 ただ、最も簡単に、権力を振るうことができるのは、地方都市の首長になることです。町長になる、市長になる、県知事に成る。それが、最大に有効な手段です。

 で、元に戻ると、蓮舫議員が今回駆使した情報は、フリーメーソンなどが、人的コネを利用して、彼女に吹き込んだと見ています。それは、彼女が生活圏としているであろう。港区、品川区、渋谷区などの地域社会固有のコネかもしれません。

 ブランド力の高い地域に住むことと、ブランド力の高い、学校に入ることは、階級を上げていく糸口でもあり、人的コネを豊かにする糸口でもあります。

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副題4、『<松嶋みどり、法務大臣が、うちわごときで辞任>も、仕組まれた一環であったと考えると、なるほどと、頷けてくる』

 さて、現代の最高の特権者が、マスメディアであるとすると、蓮舫議員は、テレビタレントです。松島みどり議員は、朝日新聞社の出身です。二人とも、最大の特権集団にいたのに、さらに、上(?)を目指して国会議員になったというわけですか?

 とても、頭のいい人たちなのでしょうから、一方で、『国会議員なんて』と言う一種の軽蔑のムードが、幸せに暮らしている、インテリ階級の中にあるのもご存知でしょうねえ。

 どうして、国会議員が軽蔑の対象になるかと言うと、メディアがそういう風に持っていっているからですが、そのメディアの影には、泣く子も黙る、国際的軍産共同体がいるわけです。

 で、蓮舫議員ですが、それほどの特権のある立場をどうして捨てたかですが、その理由は個人的なものであり、損得勘定に根ざしたものでありましょう。テレビ局とは、女性の場合、容貌が、特に、ものをいう世界です。日本の社会では、女性の容貌は、20代(つまり、若いこと)が大切ですから、やがてテレビタレントとしては、限界が来ると見て、転進をしたと見えます。

  ところが、松島議員の方の転職はだいぶ違うとみています。彼女にもタレント志向に近い派手なところはあるのですよ。でも、朝日新聞勤務となれば、お顔が問題なはずもないです。で、彼女の転職は、朝日新聞内部にある、例の傾向を嫌がったと、考えるとつじつまが合います。右翼的な傾向も強い人であって、だから阿部さんとも合うのだと、成ります。しかしね。皆様、ここで、これから展開する発想は、思いがけない複雑さで、松島さんと、朝日新聞社幹部との連携を創造していきます。特に今回の小渕優子つぶしにおける、松島女史の真実の役割についてです。

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副題5、『北久里浜の家を補修することが、サバイバル訓練の一種なので、わたくしは、ニューヨーク時代を思い出してしまう。それゆえに北久里浜に行きたくなるのだった。サバイバル訓錬とは、一種の断食に当たり爽快なのですよ』

 この章を書くのに、わたくしはひどくもたもたと、滞っております。それは、まだ、大衆的トレンドとはなっていない、新しい真実を描くことのストレスで、疲労困憊をしているのです。上の章で、松島さんが、右翼的だといいました。ところで、その右翼的な松島さんが、もし、小渕優子をつぶすために、一肌脱いだのだとしたら、ことは非常に複雑なのです。

 で、その小渕優子つぶしという謀略の本筋を知っていたのは、安倍総理、菅義偉観光長官、谷垣幹事長、松島みどり議員、蓮ホウ議員ぐらいの少人数では、なかったかと思います。

 ところで「社会の中で、まだ、大衆的トレンドになっていないことを書くのは、非常に疲れることだ」と上で言っていますが、と同時に、北久里浜の家の修繕に行っていて、その労働によって疲れているともいえるはずです。で、北久里浜にいて、作業をしながら、時々、ふと、『こんなことをやっていないで、ブログを書いた方が、いいんじゃあないかしら?』と思う時があるのです。

 しかしね。なぜかそれが楽しいのです。小さい時から机について、お勉強をしていればいいのよという主義の家庭に育って、小学校一年生でもらった、初通信簿の道徳欄の「<労働を尊ぶ>という項目が、2だった」と、大騒ぎして、母が笑い転げました。そんなことは、全然深刻には受け止めてはいなかったのです。それが、へいたー方式という版画をはじめてから、まったく変わったのです。それは、プロの摺師に頼むと、一枚の刷り代に一万円取られるほど、複雑であり、かつ重い金属芯のローラーを、一日当たり、数百回転がすという重労働を伴う、作業なのですが、色の使い方の微妙さが気に入って、それにのめりこんで以来、労働が好きになったのでした。ただ、その方式は、一日に、7~10時間は労働を続けないと、インク(=お金)が、大量に無駄になるので、日本ではなかなか、修業ができませんでした。一日当たり、それほどの、長時間、滞在することを許している工房がないのです。

 で、海外に行き始め、すでに、56歳になっていたので、時間もお金も惜しいので、学校等へ、所属したのは、1999年の一回だけで、それも、観光ビザで言ったのに偶然に入学することができて、3か月だけ滞在をしました。それ以外もすべて、3か月だけです。そうなると、ものが周辺に無いです。物の無い生活の中で、工夫をしながら生きるというすべを覚えました。それは、頭を使わないと、いけない分野なのです。文明人(?)に、とっては、ごく基本的な生活を守るのさえ、大量のものがいるのでした。

 その再現が今の北久里浜です。すでに、この2年間で、18回ぐらい行っていますが、手で運べるものには限界があり、かつ、売るか貸すか、それとも、別荘として使うか、基本的な構えが決まっていないので、引っ越し業者を頼むのなど、論外であって、工具とペンキと壁紙だけで、始まった生活です。お茶もお昼もコンビニで買って持っていく生活。

 しかし、それでは、あまりにも味気ないので、少しずつ、生活を豊かにするために、瞬間湯沸かし器などの、モノを運び込み、少しずつ周辺を豊かにして行っています。その少しずつという部分が絶妙にうれしいのです。毎日少しずつ、リフォームの結果が表れてきていて、家の中もきれいになっていき、かつ、毎日少しずつ、食生活も改善していっているのがうれしいのです。寝泊まりしても、4食連続、太巻きとか、おにぎりと、コンビニサラダだけの生活から、カップラーメンをプラスするところまで進歩したところです。お茶類も、紙フィルターで漉すコーフィーが飲めるところまで到達しました。そのうち、岩谷のガスコンロか、電気ヒーターを持ち込めば、袋入りのラーメンを食べられるでしょう。先に掛布団を持ち込まないといけないので、そこに至るのは、11月に入ってからでしょうが。電気ヒーターなんて、40年ぶりに使う感じですが、死贓品が役立つのを見るのは、うれしいですね。

 まるで、15少年漂流記を追体験しているみたいな生活で、喜びに満ちたものです。「私には、神様がついていて、お恵みを与えてくださる」と、いつも言っているのですが、それは、こういう部分も含めて言っています。北久里浜にはパソコンも持ち込んでいて、Wi-Fiも、持ち込んでいるのに、弾圧のためにでしょう。有効ではなくて、ブログがほとんど、書けないし、その手当もできませんが、その間、ごく素朴に小野田勇さんの生活をしのびながら、工夫をする生活をしています。とても、楽しいです。

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副題6、『その辞任会見を見ているうちに、<小渕優子は、性根が座っている>と、初めて知った私だった』

  小渕優子さんが、やっと辞任を承諾したらしいと伝わった途端に、白のスーツに身を固めた松島みどりさんが、官邸内に入り、安倍さんから引導を渡されたという報道とともに、辞職を表明しました。その同じ日の夕方のニュースでは、二人の大臣の記者会見を、同時に国民は見ることとなりました。

 その表情を見て、あなたは何をお感じになりましたか? 小渕優子さんを見直したのは、それを見たからでもあります。身内の裏切りという恐ろしい目にあっても、涙さえこぼさず、冷静に対処したのを見ている時に、『この人は、性根が座っているのだ』と初めて感じました。それ以前に、<<<<<小渕優子は将来の首相候補である>>>>>などという報道にも接していましたが、『ばかげた報道だ。父親が悲劇的な最期を遂げたとしても、その娘に能力が備わっているわけでもない』と、私は思っておりましたが、あの記者会見を見ているうちに、『この人は能力が高い。ひょっとすると、ああいう風評は根のないことでもないのかもしれない』と、思い始めました。

 むろん反対の方向でも、考えられます。<<<<<本当は、そんなに高い能力はないのだけれど、褒め殺しの一種として、持ち上げておいて、それで、経済産業大臣を、受容させるのだ。その上で失脚をさせる>>>>>という目論見があったのかもしれません。マスコミ辞令という言葉がありますが、マスコミが謀議に加担をする可能性もあって、それゆえに、小渕優子・首相候補説を流したのかもしれません。

 小渕優子は、性根が座っているという点でだけ、彼女が、謀議の上で、わざと失墜をさせられたとは、成りにくいです。ただ、英雄は日本では生きにくいというのは確かです。学部卒業までは、成城学園育ちで、お嬢様の典型でもあろう優子さんが、ここまで、性根が座ったのは、無論のこと、お父様の、失意の死が、影響しているでしょう。

 ここから先、私にはブワーッと、きわめて多数の字数を要する発想がわきました。しかし、』それを意図的に抑圧して、松島大臣に筆先を向けます。

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副題7、『松島みどり元大臣の、辞任会見が、しれっとし過すぎているのが、最初の違和感をもたらした』

 大勢の人、特に政治に関心を持っている人が、「松島大臣の辞任はおかしい」といっています。それが、そのとおりです。だが、私の様に、小渕優子大臣は、失脚をさせられるために登用をされたのだという説を唱えている人は、いないはずです。2014年10月の26日以前には、いないはずです。

 私がこの様な特異な、自説を掲げる様に成ったのは、さまざまな、違和感が重なってきてのことであって、それは、小保方ミステリーのケースと似ています。その違和感は、今数えるだけで、五つあるのですが、そのうちのひとつが、この松島法務大臣の記者会見の様子、特に<彼女の表情>が違和感をもたらした、内の一つです。さばさばしすぎています。悔しさも怒りも見ません。うちわごときで、辞任をさせられのに、対して絶対にあるだろう、マイナスの感情の表出が、見られないのです。

 その理由ですが、私が推察するに、この一件で、彼女にとっては、損失がまるで無くて、かえって得をしたということを彼女が自覚をしているからだと、私は見ています。

 現在の世の中では、知名度が高いということが、抜群のお金を稼いでくれる、道具となっています。松島みどりさんは、元朝日新聞の勤務者ですが、現在では、『大衆操作の』道具としては、新聞はテレビには劣るということは、知っているでしょう。

 で、テレビコマーシャル料に換算すると、少なく見積もっても、5000万円以上に換算できるほどの、テレビコマーシャル料を、彼女は、自分の懐を痛めることなく、稼ぎ出しました。お喜び申し上げたいです。センスが抜群です。だが、それは、無論のこと、の、皮肉であって、『うーん。この人は、それなりに、あくどい顔をしていますね』と、思い当たるのでした。うちわ生産費(多分3万枚作っても、50万円ぐらいであろう)という名目の資本投下で、その100倍の5000万円分のテレビコマーシャル換算費用をただで、もらったのですから。

 今回、二人の大臣が、就任一ヶ月足らずで、辞任をしたわけですが、明暗が見事に分かれていて、知名度アップで、うはうは、なのが、松島みどりさんであって、いい加減な人物だと烙印を押されてしまったのが小渕優子さんです。下仁田ネギに、60万円を支払い、AKIKO 某という姉気味のブランド用品を、300万円を使い、明治座に、毎年選挙民を連れて行ってサービスをしている女性だと、喧伝をされました。この最後のポイントですが、神奈川県では、明治座に行くのが楽なので、歌舞伎を含めて、代議士がサービス観光をしたという話はないはずです。大勢の庶民が、『へえーっ。そんな子供だましの手練手管で、票を買っていたのか? 田舎っぽい小娘だなあ』と考えるに、いたったでしょう。この決定的な差が、この辞任劇の大騒動の、裏側にある謀略に、私が気がつくきっかけとなりました。

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副題8、『二大臣の辞任後、その日のうちに、次の閣僚が決まったのも、小渕優子失墜が、仕組まれた謀議だったことをうかがわせる』 

 小渕優子さんは、辞任勧告に対して、相当に抵抗したと見えます。すでに、16日あたりから、新聞辞令とか、マスコミ辞令で辞任が確実であると報道をされていたのにもかかわらず、抵抗し続けたのはなぜかと思うと、彼女自身が、自分がわなにはめられたことに気がついて、『ここで、辞任をすると大損になる。もしかすると、再浮上をする目が無いかも知れない』と判断をしたからだと、思います。つまり、冷徹な安部晋三総理大臣が、自分にとっては、すでに敵になっていると気がついていて、敵から勧められている通りに動くと、さらに不利になるということは、孫子の兵法を学ばなくても、直感として、誰にとっても、理解可能なことですからね。

 私はね、小渕優子さんが、「経済産業相にいかがですか? お引き受けいただけますか?」と、安部さんから打診があったときに、すでに、内心では、『未来に暗雲が立ち込めている』と言うことは解ったのだと思います。そこが、私だったら、ジレンマに引き裂かれるほど、悩むと思います。小渕優子さんが悩んだかどうかはわからないのですが、就任の記念写真撮影時ににっこりともしていないですよね。

 今にして思えば、それが、彼女の懸念や心配を内包していた顔だったのかもしれません。右側にいる高市さんが、うはうはで、喜びを隠しきれない様子であるのとは、対照的でした。

 ところで、18日にやっと、その二人が同時に、辞任をしてくれた後で、すぐさま安部さんは、次の大臣を任命いたしました。一般的にいえば、改造組閣の最中に、候補を色々選定したのだろうから、すぐ、別の人材を選任できるのだと、なるでしょう。だが、私は違うと思って、見ていました。『準備が、周到にすぎるし、部下に対する愛情が、なさ過ぎるね』と、思ってみていました。日本人は人情を大切にする国民です。<<<<<2600万円か、な?、明治座の観劇会に、水増し請求したのは、本人ではなかっただろう>>>>>というのは、日本国民全体が、思っているところでしょう。

 でね、日本国民は、上司としての安部さんが、何とかして、小渕さんを救うのだろうと見ていました。大体の日本の組織とはそう動きます。論理的ではないのです。ところが、やっと、本人から辞任の弁が出たところで、すぐさま、次の閣僚、宮沢洋一氏が任命されました。

 これもまた、私が、小渕優子さんは、謀議の上で、つぶされたのだと、見るゆえんです。

 そして、松島大臣が辞任をしたのは、小渕優子だけが、狙いであったことを、隠蔽するためでしょう。連ホウ議員の、うちわ追求の時点で、すでに、謀議は、始まっていたのです。

 なお、この続きは、29日の夜に書く予定です。お待ちくださいませ。この様にまだ、大衆的トレンドとなっていないことを書く場合は、私自身がひどく疲れるので、いつもよりスピードが格段に落ちます。今朝など、前夜4時間だけ寝て(それは、前日にお料理を作る以外の労働をしていませんので、4時間で十分なのですが、午前6時半まで、2500字前後を、昨日分に書き足したところで、強烈な睡魔に教われましたので、いかに、この章を書く事が、難しい事であるかを、自覚をしております。しかし、どんなに難しい課題であろうが、それをパスしないのが、私のライター(特にこの際は、クリティークであるが)の』誠実さなのです。そして、それこそ、神のご愛顧を引き寄せる、大切なポイントだと、自認をしております。揺らがない人間が私です。スケルトンが、しっかりしている人間が、私です。

 人間が作り上げる世界だけでは、勝負は明らかです。蓮ホウ議員のツィッターには、フォロワーが、35万人もいるそうです。私のブログは述べ訪問者数は莫大です。だが、毎日、数十万人が読んでくださっているわけでもないです。だけど、力として、もしかしたら、私のほうが上ですよ。ある部分でですが:::::::

 上記のところまで新橋の貸しパソコンで書き上げました。どうしてか北久里浜でも、10時半過ぎには、ワイファイが利くみたいで、本日も、それなら、週刊誌など読んで次官を無駄遣いしなければよかったのにと思いますが、ともかく、過ぎてしまった時間は悔やまず、今夜でも書けるところまでは、進みましょう。

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副題9、」『ザイトク回と、勘系があるのは、山谷えり子拉致担当相だった模様』

 私は、前々報

松島法相辞任、国会はおもちゃ箱か? + なぜ日産はトヨタに水をあけられたか?

2014-10-24 08:42:58 | 政治

の中で、数日間

 

@@@@@ここが加筆中の最先端です。以下はメモです。

副題9、『町村信孝氏が、ニヤニヤしながら、派閥の陣笠議員連中に、<経理事務に対して、注意しなさい>と助言をする映像が、NHKに出てきたが?』

副題10、『折田謙一郎、中之条町、町長は、なぜ逮捕されないのだ?』

それなのに、その書類が生成された当時の秘書、中の条町の町長は、NHKカメラの前を何度も、往復するのに、その個人名は、NHKテレビ内では、明かされず、(ただし、各種の政治課題を扱ったブログにより、私は、その個人名が、折田健一郎というものであることを知りましたが)、しかも警察も検察も訴追行動を起こしません。これは、非常におかしいことであり、小渕優子さんが、辞任の記者会見で、「私自身が、この一件の裏側にあるものを調査したいと、思っています」というのも当然なことでしょう。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2546304です。

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『小渕恵三さんは、太平洋で海に浸けられ、脳が駄目になった』という噂は、真実か否か?

2014-10-25 08:49:38 | 政治

 昨日前報(後注1)を、加筆しますと、申しあげてあります。しかし、その加筆用主題のひとつを、こちらに独立をさせました。

副題1、『小渕優子大臣の就任と辞任について、一言、ここで、語りたい』 

 私は、安倍総理大臣が、しつこく、「女性を活用し」と、言い続けなさるのは、私のブログを否定する向きがあり、個人的な攻撃だと思っています。で、その原因と理由ですが、安倍総理大臣が、2012年の選挙公約とは、まるで、異なったイメージを持つ総理大臣に、今はなっておられるからだと、推察しています。

 つまり、圧勝をなさったのは、石破幹事長の地方での、働きがあった上に、選挙区制度の偏波(=一種の間違い)があり、都会の票より、地方の票の方が力を持つということがあって、自民党が大勝しました。

 唯ね。第二次安倍内閣の今回の改造は、国家、国民の為というよりも、ご自分の権力増強を目的とした向きがあるとみています。特に石破幹事長を、骨抜きにする策であると、見ています。とても、個人的な目的があるとみています。

 第一次安倍内閣の組閣後、『お友達内閣』と揶揄されたのを、皆様はすっかりお忘れですか? それも失礼な言い方だとは思いますが、今回は、その傾向が、さらに強まったと思います。経済産業大臣とは、昔でいえば、通産大臣でしょう。日本は経済だけは一流と言われ続けてきて、よき人材が、経済界へ、流れ込みました。その頂点に立つ、人物が、未だ子育て中の、若い女性であって、生産現場のことは、一切知らない人物だ(成城大学卒、早稲田の大学院卒で、TBSへの就業経験がある)というのも驚天動地の登用ですが、その人は、いわゆる経理という側面ででたらめだったのです。

 会社というのは納税義務もあり、経理については、厳密でないといけないでしょう。そういう全日本の経済界の中心に座る人物が経理のイロハも知らない人物だったというのは、安倍総理大臣ご自身が、『自分に、任命責任がある』とおっしゃっていますが、その通りで、組閣の基本が間違っているからこうなったと、私は考えています。つまり、国家の為ではなくて、安倍晋三個人のために、改造が行われたので、大失敗になったということです。

 もちろん大悪人は、小渕優子議員の秘書です。だが、優子さんご本人も、すでに、一回質問を受けているわけですから、やはり、目配りと気配りをなさらないといけないです。あまりにもずさんです。ところで、小さい子を子育て中の女性として、優子さんは、まともな生活を送ってきてはいたのでしょう。離婚の危機も報道をされていないから。

 小渕優子さんご自身が、ここは、打診があっても、お断りするべきだったでしょう。経理問題からではなくて、生活全般から考えてみても、いまだ、そんな重責を担う資格はないです。時間と頭脳の配分として無理です。官僚がすべてを用意して、はんこを押すだけならできるかもしれませんが、そんな人に、あの福島第一の後始末ができますか? できっこないではないですか? 小さい子への悪影響を恐れて、当然の事、福島第一近辺にも長逗留はしないだろうし、どこからどこをとっても適任ではないです。こんな人選を旧通産大臣に当てはめるとは、安倍さんはいけないです。私はよく信仰の話をします。何教というものではないが、この世には人間を超えた存在があると思っており、その支配というか、天の采配というものは、絶対にあると信じている人間で、目的が悪ければ、その事業は成功しないとみています。

 小渕優子という、小さい子を子育て中という、ご自分の立場への客観的考察もできていない人が、旧名通産大臣を担う。こういうことは、日本を衰運に向かわせます。そういう意味でも、安倍晋三総理大臣は、とんでもない総理大臣です。ご自分より、上(経験上、または、思想信条上)の人間を恐れ、嫌う発想があるのではないですか? だから、ご自分より、下だと見える人材しか登用をしない。それでは、日本は国家として衰運に向かいますよ。

 他にも女性登用を、数値目標するですって、日本の産業を壊すつもりですか? とんでもない政策です。

 ただ、小渕さんの記者会見を就任以来、NHKニュースの中だけでですが、見ていて、口節は、さわやかな人だとは思いました。<公的な立場に立った時の自分が、どうふるまうべきかについては、よくお分かりになっている人物だ>とは、思いました。

 ただ、ここで、忘れてはならないのは、小渕恵三暗殺説があるということです。で、小渕優子さん登用は、その慰労、慰藉の意味があると推察されることです。となると、安倍晋三総理大臣は、いい人だとなります。そこにはお坊ちゃま育ち特有のやさしさがあり、それは、根本のところで、結局は右翼的ということにもあたり、だからこそ、

 私は、この副題1の、中に書いたことを、ずっと考えてはいたものの、このブログの世界には、展開しませんでした。

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副題2、『小渕恵三暗殺未遂説は、中丸薫の本が原初らしいが、私は長い間、それを知らなかった』

 私は小渕恵三氏が、病気になった時に、その原因は小沢一郎氏にあると思いました。その頃は、小沢一郎氏は、飛ぶ鳥を落とす勢いであって、それこそ、この現在日本の、最高の権力者である、国際的軍産共同体から、目をかけられている存在でありました。

 私は、その愛顧の先が、そっくりそのまま、今では、安倍晋三総理大臣へ移行をしていると、見ています。ただ、ただ、驚いているのは、私が政治に興味を持ち始めた、2003年ごろには、小沢一郎氏にその愛顧の先が集中していたのに、それから10年たった今では、愛顧の先が移動をするというポイントです。そんなことはあり得ないと思っていたのですが、小沢一郎氏は、今では、神通力を失っていますね。たった10年の間に、これほどの、大変化が起きるとは?

 私が小渕恵三総理大臣の急病(脳梗塞だとか言われていたと覚えている)の報に接した時に、第一番に思い浮かべたのは、小沢一郎氏の存在でした。彼が、原因であると、直感をしました。彼は、永田町にとって、困ったちゃん以上の存在であって、疫病神という以上の存在であって、悪魔と呼ばれる一員なのだと、考えておりましたが、この小渕恵三首相の急病と、急逝も小沢一郎氏に責任があると思っておりました。

 今、ネットで検索をすると、この<小渕氏の、病気は自然発生的なものではない>という、件は、一切が、ネットの世界から、消えていた時期があるそうです。その時期ですが、私が以前、一回、これについて触れたことがあるのですが、その時期ではないかしら。この二年以内でしょう。ただ、総タイトルにそれをつけていないので、見つけにくいのですが、一回、ちらっと触れています。

 中丸薫さんの説によると、横田基地から飛び上がるヘリコプターから、ロープで、首相をつるし下げて、海に顔を何度もつけるのだそうです。それで、呼吸困難に陥って、脳が死滅するのだそうです。そこから生還して、自宅(または、首相官邸、または、首相公邸)に戻った後で、最高の医療を受けても、回復が不可能だったのが、小渕恵三総理大臣の急病と急逝の真相だと、言う話です。

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副題3、『小渕優子さんの初入閣は、父の急逝が原因だろうとは、私も、思っていた。父恵三氏に対する尊敬が、永田町に満ちているとは、感じていた』

 麻生内閣の時に、優子さんの、初めての入閣があったわけですが、35歳という若さでした。その時に、私が、すでに小渕首相の暗殺未遂事件のことを知っていたかどうか、今は、はっきりしていないのです。私の読者は、ネットなどバカにしている人が多いでしょう。フェイスブックのことは馬鹿にしてはいないでしょうが、それ以外の部分は、馬鹿にしている類の人が多いと思います。で、私は、そういう読者の、傾向も熟知しているので、この。。。。。小渕恵三首相は、海につけられて、それで、脳が駄目になって、そのまま死に至った。。。。。ということは、知っていても、書かなかったと思いますので、日付として文章が残っておりません。そのうえ、パソコンが壊されていくので、その頃、知っていたか、いなかったが、はっきりしないのです。が、一種の暗殺だとはその時期でも、、すでに、思っていて、それで、小渕優子さんが優遇されるのは、納得をしていました。

 その時の大臣のいすですが、それ以前には、なかった、椅子であって、それも、急にその若さで、大臣になるにふさわしかったのです。その時にも一回、<政治資金について、収支がおかしい>という追及があったのでしょうが、小渕恵三氏が、一種の暗殺未遂だったということを、永田町の住人全員が知っていたからこそ、追及を免れたと、推察しています。で、私はその頃は、優子さんに関心がなかったので、その追求事案そのものも知りませんでした。 

 だが、小渕恵三大臣については、いろいろ考えて、日本の政治家の大変さを思い至り、立派な方だったとみています。小渕さんは、その性格の良さで、限界を突破して、日本のためになる、日本にとって、よい仕事をなさった方でした。<ぶっちフォン>という愛称があるそうで、よく電話をかけまくったそうで、それによって、いろいろなすり合わせをして、政策を進行していった、眞に民主的な手法の使い手でした。

 私が自民党びいきになったのも、小渕恵三首相を尊敬しているからでもあります。目立たない地方議員の立場から出発して、最高の立場まで上り詰めたのは、ご自分の努力ゆえでした。そのうえ、被・植民地国家日本の首相として、その腰の低い姿勢は、まことに適切でした。日本政府と、日本の総理大臣が、自主的な行動をとると、ひどく、責め立てられ、攻めたてられて、滅亡へと追い込まれるのは、田中角栄総理大臣で、したたかに目撃をさせられています。

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副題4、『安倍総理大臣の、大臣の椅子、新設過多については、批判をしたい。安倍さんは、内閣と政府を私物視している』

 ところで、安倍総理大臣が改造内閣において、小渕さんを、経済産業大臣に任命したのは、麻生さんとは、まるで違った意図があったと思われます。派閥の論理と、次の権力体制にとって、どうしたら、一番、ご自分が有利になるかをお考えになって、任命をなさったとみています。小渕優子さんは、優遇されている様に見えて、経済産業大臣とは、今では、福島第一を抱えているので、決していい椅子ではありません。

 本人に、まだその準備もできていないと思われる段階で、任命するのは、足をすくうのを狙っていたと、邪推されても仕方がないほどです。何らかの組織のトップを担っていたことのある人には、それは、すぐお分かりだと思うのですが、会議の適切な参加人数は、8名まででしょうね。だから、閣僚が多すぎるのは、閣議が、ほとんど、討議なしで、シンコウをしていることを推察させます。

 無論のこと、安倍さんもほかの過去の総理大臣も、各大臣に対して、軽重をつけていて、秘密裡に少人数での、個別の会議を行う。または、それをメディア等にも公開して、公的に別の小さい会合を行っている可能性はあります。ただ、安倍さんの最近の海外渡航の多さを考えると、そういう会合も、開かれていないと推察します。

 そうすると、18日に閣議決定をされたという、女性の活躍推進法案と、それを数値目標化して、それを達成した企業に対して、優先的に国家事業(税金で、支払いが行われる部分の事業)を割り振るという閣議決定に対して、どれほどの、真剣な討議がなされたのかが不思議です。むしろ、まったくなされないまま、安倍さんの一存にほかの閣僚は従ったと、見るのがふさわしいでしょう。圧倒的なレベルで、それは、民主主義的なルールとは、違うやり方です。そこが、安倍さんが独断専行の人だと、私が言い続けるゆえんです。

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副題5、『実は、私の要求が、高すぎるのかもしれません』

 実は、私の要求が高すぎるのかもしれません。私が過去に過ごしてきた世界と言うのが、民主的に過ぎたのかもしれません。まず、実家ですが、両親はけんかもしましたが、だいたいにおいて、話し合いをたくさんしていました。いわゆる討議を重ねるということが家庭内で、すでにあったのです。

 私ね、自分達夫婦と比べても、両親の話し合いの方がスケールは大きかったと思います。主人にもいいところはありますよ。母がいつもほめていました。「○○さんのジョークって、本当に素敵で面白いわね。誰の事も傷つけないのに、大笑いをしてしまう」と。上等なジョークを作れるのは頭がいいんでしょう。

:::::::::::::

 ここですが、ちょっと挿入的に言わせていただくと、私は言葉による笑いは、創作できません。ただし、主人のジョークを理解することはできます。でもね。私が、ユーモア欠如の人間だとは思わないでください。小さい頃から友達や、先生に恵まれていて、そういうかたがたから、私の文章の中に、そこはかとは無い、ユーモアが含まれているといわれてきています。だけど、文学部へ行くとかは、父が許さなかったのです。戦争の経験があるので、理系を中心とした実学を学んでほしいと、言われていました。「戦争があるときは、理系を中心とした、実学を学んでいないと、食べていかれない」と、言い続けていました。

 でも、結局、女性の理系とは、いったん辞めると再就職が難しい世界であって、結局は食えない人間になってしまっています。あれ、れ、。。。。。。

 でもね。不思議な事に父が残してくれた遺産があって、結局のところ、私は、自分が、好きであり、しかも、向いていると思われる芸術の方向に進んでしまっています。人生って、想定外の方向に進むことがあるのです。が、72歳にも成ると、『これこそ、神様がご用意くださった、私の道なのだ』と、信じるところがあって、誰に対しても恥じないし、悔いもありません。

 そして、一番好きな事が考えることであって、考えることは文章に落とさないと、堂々巡りの苦しさに陥るので、文章を書くという結果に成ります。

 その文章ですが、子供の頃だけではなくて、今でも、虚心坦懐に読んでくださる方は、「無名の人なので、何も期待をしていなかったが、実際に、読んで見ると、非常に面白い」といっていただいています。「あなたって、見かけとは、中身が、まったく、違うのね」といわれた子供時代を思い出します。

::::::::::::と、ここまで、挿入として、自分の長所を述べました。どうして、そういうことをしたかと言うと、 

 主人がぜんぜん、認めてくれないのですよ。ほめてくれないんです。だからといって、他の人に逃げるということも無いのです。浮気に苦しむ友達から相談を受けていたけれど、私の場合、それだけは無いのです。そして、娘に言わせると、お母さんが家にいないとだめよ。お父さんがだめになっちゃう』と言う話ですから、私は、家庭内では、結構、重要人物らしいのです。が、それ相応の評価はもらえ無いのです。

 で、そんなに、素敵な主人で、ジョークのやり取りでは、満足をさせられるし、家庭的で、家事も手伝ってくれるし、智恵、特に、節操の高い智恵のある抜群の、男性なのですが、

 ちちが「ああチャンは、大切です。ああチャンが、この家では一番です」と、常にいっていたのと、比較をすると、ぜんぜん違うので、それは、結婚後、私が、一番、苦しんだポイントです。歴史が50年か100年さかのぼってしまった様な感じを受けました。

 と、成ると、外で、評価されることが、うれしいでは、ないですか?

 だから、私に限らず、家庭内で、評価が低いことに苦しむ主婦が、時には奥様ではなくて、『外様』と、呼ばれるほど、趣味のサークルや、お稽古事や、仕事や、ボランティア活動に打ち込む主婦が出てくるのも道理です。

 まあ、それも72才にもなると、『結婚していて、良かったな』としみじみ思いますので、年齢によって、夫への要求度が異なってくるのでしょう。

++++++++++++

 タダシ、ここで、読者の中には、「あれっ」と、お思いになる方も居られるのではないですか? 『あなたの論理は、ここで、屈折して、逆転の矛盾に入ってはいませんか。安倍総理大臣こそ、女性を大切になさっておられますよ。アッキーと呼ばれ、人気のある昭江夫人を、見て御覧なさい。ニューヨークでとてもいい演説をなさったと、どこかの週刊誌で、福岡伸行さんが、書いていたたわよ』と、おっしゃる方もあるでしょう。

 うーん、それに対する回答は、次の副題6で述べたいと思います。

~~~~~~~~~~~

副題6、『さは、さりながら。。。。。。。』

 上の二重がっこの中は、江戸時代の武士階級の言葉です。私は、この言葉を、天皇陛下(昭和天皇)のお車を設計された増田忠さんから、聞きました。

 五歳のお孫さんが、弟と、喧嘩したときに、パパから叱られたそうです。『お兄ちゃんだから、そこは、あなたの方が我慢をしなさい』とでも、言われたのでしょう。

 だけど、小さい子は、小さい子なりに、理屈があるわけです。五歳でもあるわけです。でも、中流の上の階級で、お上品に暮らしておられる一家では、取っ組み合いのけんかを兄弟でするわけでもないし、パパに反抗をするのも許されない雰囲気があったのでしょうね。で、五才の坊やが、下を向いて、小さな声で、「さは、さりながら」と、つぶやいたそうです。

 テレビは無論のこと、つけてはいないお宅で、小さな声であっても部屋全体にそれがいきわたり、聞いていた大人は仰天をしたそうです。使い方は間違っていません。だけど、どこでそれを覚えたのだろうと、いぶかしんで。

 安倍さんの女性を活躍させ、管理職にいっていのパーセンテージを、女性が、占める様にと言う立案がなぜいけないかと言うと、子育てができないことになるからです。そして、企業群も衰退します。無論、子ども自身が生まれなくなります。美しい日本どころではない衰退が起こります。お母さんが、忙しすぎると、ただ命令をするだけの人と成ってしまいます。子供にせっする時間が、夜の8時から9時までだけで、しかも、お母さんは、他の仕事、食事作り、後片付け、掃除、洗濯もやらないといけません。となると、お母さん自身がいらいらして、子供をせかせると言うことになります。

 中学や高校時代って、とても大切な時期で、自分でそれを喜んでやろうとする気持ちや、愛のあれこれを学ぶ時期です。そういうことを教えられるのは、お母さんの愛情だけなのです。一緒に数時間、いえにいることが大切です。子供は上の部屋にいて、母は一階にいるで、いいのですよ。でも、ふとトイレに降りてきたときに、子供が、「お母さん、ドラフトの結果どうなったの?」と、声をかけてきたと仮定します。そのときに、『安楽君は楽天みたいよ』とか、答えてあげることが必要なのです。何気ないやりとりです。だけど、その積み重ねが人間を作っていくのです。それがないとどうなるか? 内省政的な子供は、行きこもったり、拒食症に成ったりします。

 行動的な子供は、セックスに目覚め、それを経験し、さらに、援助交際などに走ったり、いえに帰らなくなったりします。あげくの果てに、リンチ事件の被害者に成ったり、加害者に成ったりします。

 こういう傾向は、1980年代ごろから母たちが外で働き始めたから、起きている現象ではないかしら。そして、1980年代から、原発が、稼動をし始めたのではないですか? ここから先は、私は言葉を出さず、皆様に、子供たちが荒れたり、不幸に成ったり、または、子供が生まれなくなっている現状と、原発との関連への、考察を、ご自由に、行っていただきたいと思います。

~~~~~~~~~~~~

副題7、『小渕優子さんに、忠告をしておきたいです。あなたは、総理大臣には成らないほうがいいと』

 この副題7の二重がっこ内の忠告について、その理由は述べません。ただ、そういう直感が頭に降りているというだけです。が、きっと正しいです。ここで、体力がつきました。この文章は、ここで終わりとさせていただきたいです。

  尚、このブログの2010年より数えはじめた延べ訪問回数は、2542153です。明日夜誤変換を直したら、その後署名と書いた日付を入れます。

 後注1、

松島法相辞任、国会はおもちゃ箱か? + なぜ日産はトヨタに水をあけられたか?

2014-10-24 08:42:58 | 政治
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松島法相辞任、国会はおもちゃ箱か? + なぜ日産はトヨタに水をあけられたか?

2014-10-24 08:42:58 | 政治

 これは、最初の総タイトルを、『女性の活躍推進法案と、数値目標とを連動させるですって。この国の品性は、おちたものだ』としておりました。その方が私好みです。 

副題1、『松島元法務大臣の辞任が変だとは、私も、思っている。軽すぎる、辞任理由でしょう。それじゃあ、まるで、国会がおもちゃ箱に成ってしまう』

  ところで、最近、女性の大臣が二人、急に辞任をしました。世間では、『変だ? 特に松島法務大臣の辞任が変だ』と、思う人もいるみたいです。特に、政治意識の高い人の中にそういう人が多い模様です。

 で、私も、同じです。『急に二人もの、大臣を辞任させる必要は無い』と思っています。特にレンポウ議員が追求した内輪ごときで、辞任にいたるとは、軽すぎる理由です。

 ただ、隠されている理由のひとつとして、在特会との関係があるらしいとか、ないとか? ちら、ちらっとブラウザのニュースで、それを見ますが、そこについての私の知識がまるでありません。

 私には、『在特会(=在日の特権を許さない会ですか?)』 そのものに関する知識がまったくありません。ブラウザのニュースで、その名前が頻繁に出てくることは知っていますが、『橋下大阪市長が、在特会の会長と、懇談をしたが、10分で喧嘩別れした』と言うニュースが出てきたり、その場面の動画を見た外国人が『久しぶりに橋下さんが、素敵だった』といっているのを、見たりしますが、そのタイトルだけを、『ふーん』と思ってみるだけで、その記事本体を開けてみようとも思いません。

 そして、松島みどりさんについても、一切の知識がありません。今日(2014年10月24日)に初めて、彼女のwikipedia を開いて、大阪出身であり、今は、墨田区と荒川区を地盤とする東京14区の選出議員だそうです。

 東大出身だそうですが、庶民的な人でもある模様です。さすれば、『うちわ』ごときで、辞任はおかしいです。 

 以下は、18日に書いた初稿です。これ自体に問題があるわけではなくて、これを説明するための前半部分を丁寧に書く必要があって、それに時間がかかったために、これは、18日に数時間さらして、その後、ずっと、引っ込めている文章でした。

 だけど、『もしかしたら、このブログが原因だったのではないか?』と、例のごとく、誇大妄想の極致ですが、思っております。

 私の文章を、打ち消していこうとする流れは強いです。以下の文章を書いたときには、まだ、二人の大臣ともに、辞任の、影も無かったときでした。で、むしろ、「女性を、女性を」と、安倍さんが連呼していたころです。

 私は、2013年の、5月ごろまで、自民党を、ひいきしていたし、安倍さんについても、『気のどくだなあ』と思う気持ちが強かったのですが、この一文では、相当に気持ちが離れた書き方となっています。 その全文をさらします。尚、副題7から始まっているのが、原文でしたが、ここでは、副題を2から振ります。

***************

  この文章の前に、前報と、前々報が入ってきます。そこで、私は、18日に安倍さんが女性活躍推進法案を閣議決定したことを取り上げ、『これは、私狙いの鬼のいぬまの洗濯であって、』数値目標を達成した企業にだけ、優先的に、国税による注文事業を割り振るとは、なんと、品性の低いことだと、言っています。その次に以下の二章が続いてきます。

副題2、『お金でいうことを聞かせようとするなんて、なんて品性が低いことなのだ。安倍さんは、士族階級の出ではないということが、こういうところに出来する』 

 17日のニュースウォッチと、ニュース7を点検しているときには気が付かなかったのですが、

10月17日(金)昼のニュースをしているときに気が付きました。ある大変なことに気が付きました。

日本国がとんでもない程度で、品性が低くなったということにです。

女性の活躍推進法案の有効性を狙う、テクニック部分のことです。従業員が300人以上の企業は、女性の管理職の割合は、数値目標を設定せよ。

 国が、お金(税金で、何かの事業をする際)その種の目標を達成した企業を、優遇する。または、優先するですって。・・・・・あきれ返りました。

++++++++++++

 あのね、これって、3歳の子供を、しつける際のテクニックだし、しかも、母親としては、手抜きママのやることで、あまり上等なテクニックではありません。飴と鞭のうち、鞭の方であって、脅かしの一種です。むろん、しつけとは母親しかできないのだと、私が良く言っているのは、『飴と鞭の併用を、絶妙に行うからだ』という点があるのですが、

 国民は、先に飴をもらっているでしょうか? 前報で、ロンドンの極貧の青年が、ボブという賢い猫と友達になって、その猫が長靴をはいた猫というか、彼を長者にしていくサポート猫であって、猫と一緒に路上パフォーマンスをしていく彼は、人気が出て、一挙に収入が上がり、ホームレス(ただし、イギリス政府はホームレスに安アパートを提供する)から、普通の市民へと、再生していきます。しかし、この2014年10月12日に発刊をされた『猫びより』という隔月刊の雑誌に、続という読み物が載っており、そこでは、彼がエコノミー症候群(しかも劇症である)を患ったことが書いてあります。母に会いにオーストラリアまで、往復したことが原因だろうと医師は言ったそうです。だけど、間は、相当の日数(数か月)開けているのですよ。これは、相当に体が悪かったということを示しています。

 私はそれを『10代から、生活が、荒れていたからだ』と、推察していて、『栄養状態が、悪かったのだろう』と言っております。で、ひるがえって、日本の場合ですが、路上パフォーマンスなどで、生きているケースではなくて、普通の家庭で育ち、普通の企業に就職し、だけど、給料が低くて、しかも親元から離れて東京圏で、一人暮らしをしている若者、特に男性の食生活が、とても悪いのではないかと、心配しています。お給料が安くて、しかも労働時間が長いので、コンビニ弁当を買って帰って来て、それを食べる。あれはきれいに作ってあって、おいしいです。しかし、量が抜群に少ないです。それで、生活を続けるといずれ、体を壊します。そのうえ、今、企業は、成果主義で、一種のブラック企業化している会社がいっぱいあります。一部上場企業の中にもあるのですよ。

 2012年度年末の総選挙で誰もが野田元民主党総理大臣が再選され続投をするのだと、推察していました。安倍さんが勝っても、テレビ朝日は、シカトする手を取りました。期末ヴァライエティを、二番組編成して、報道ステーションを休みとしたのです。水曜日から金曜日まで、三日間も休みとして、第一次安倍内閣を無視しつづけました。だけど、安倍内閣が無事に出帆できたのは、国民が支持をしていたからですね。特に若い人たちが。

 秋葉原のUDX前の広場に、日の丸を林立させた若い人たちがいた模様です。そういう人たちを背景に安倍さんは、ご自分への自信をつけていったのでしょう。しかし、そういう人たちに今安倍さんは報いているだろうか?

 それとも、あの人たちはすべて、年収が一千万円を超える企業の勤め人で、結婚もしていて子供もいて、家も持っているのでしょうか? ありえないです。若い奥さんは、早く夫に帰って来てもらいたいから、そんな時間帯に秋葉原に夫が行くことなど、喜びません。だから、あれは、結婚に自信が持てないタイプの若い男性が、怒りと講義を込めて安倍さんに期待をした像だと思います。そういう人たちをまだ、満足させていらっしゃらないでしょう。

 海外出張ばかりなさっていると、それは、気分がよろしいでしょう。だけど、かえって来られた途端に、こんな軽っぽい法案を通して、日本を衰退する方向へ向かわせるのなど、あきれ返ってしまいます。

 稲森和夫さんに経済界の権力と、特権を一極集中させた民主党政権の経済政策も見え見えで悪かったと思いますが、安倍さんのこの頃を見ていると、経済だけは一流のこの国の、経済を壊していく方向に進んでいらっしゃるとしか思えませんね。

 つまり、国民に飴という善政を敷いていないのに、突然に、鞭を与えるというたぐいの政策です。

 すごく下品です。安倍さんの一族は田布施町の出身ですよね。それは、山口県でも、士族階級が住んでいない場所です。ただ、明治天皇が田布施から出た人間で、庶民なのに、どこかで天皇家の本当の後継者と入れ替わったという説があって、田布施町の出身者が、三人も首相になる事が続いています。戦後だけでです。戦前については、調べたことはないのですけれど。

 でも、安倍さんが首相として先導したこの閣議決定は、あまりにも子供だましで、日本国民をばかに仕切っています。しかも、ICU出身の、有村さんの横顔を、大写ししました。

 これは、第一次安倍内閣で、少子化担当大臣がエルメスのスカーフをして国会で、大活躍していたころの再現です。

 榊原経団連会長も、女性登用を、数値化目標とすることは反対だとおっしゃっているそうですね。ともかく、企業は内部崩壊していくでしょう。こういうことは個人に任せればいいのです。やりたい女性は、役職についていけばいいです。管理職になっていけばいいです。だけど、政府が決めることではないです。これはとんでもない悪性だったと後で、言われることとなるでしょう。

 安倍さんにはお子さんがいないです。だから、女性活用については、諸所で、ピント外れだと思います。子供のことは全く分かっていらっしゃらないです。だけど、私は、本当は、ここまでの責任は国政や国家に対して、負いたくないです。だから、批判的な、言辞を弄したくはないのですが、あまりにも見え見えで、鎌倉エージェントと、上にあげた二つの家族を救う方向でお動きになるので、ここまで言うのです。誰に教唆をされていらっしゃるのだろう。または、安倍さんが直々にこれを読んでいらっしゃる? 

 いえね。小泉内閣時代の官邸メルマガを管理なさっておられたのは、安倍さんだと聞いています。そして、私は自分のメルマガのうち、五本に一本は官邸メルマガに送っていました。

~~~~~~~~~~~~~

副題3、『なぜ、日産自動車は、トヨタ自動車に、かくも大きく引き離されたのか?』

 私は母に運転免許を取るのを反対されました。いつも、モノを考えている人間だから、運転は危ないと言われていました。それから、小さい時から、運動神経はなくて、腺病質だとも思い込まされてきています。つまりとろくて魅力のない人間の典型だと思い込まされてきたのです。だけど、お勉強だけはできる人だと、思い込まされてきたのです。

 でも、72歳にもなっても、お歌を歌うのが大好きです。で、お歌って、のどの筋肉や腹筋、または肺周辺の筋肉をびみゅうに連動させてうたわないとだめでしょう。だから、運動神経は結構あるのかもしれません。すると、運転免許を取らなかったことが残念でたまりません。特にニュージャージー州の、レンブラントという大規模な、美術品材料卸会社の倉庫(平屋で、六棟もあるすごい会社)に、特殊な銅板を買いに、一種のハイヤーをチャーターして行ったときは、牧場地帯の牧草地の中を走る道路に、対向車もいなければ、追い抜く車もいないので、『うわあ、免許を取っておけばよかったなあ。ここなら私だって、突っ走れるわ』と思い、残念至極でした。

 ところで、BS日テレに「おぎやはぎの愛車遍歴」という番組があります。これはインタビュ-番組として秀逸で、いろいろな人の本音とか本当の姿というのが出てきます。車というキーワードでくくるから、部分的な問題だと言って、みなさん安心をするのでしょう。ここで、最も期待外れだったのが、清原選手です。言葉がいちいちつまらなかったです。まだ離婚前だったのですが、結婚の選択も悪かったですね。もっと純朴な人と結婚をして大阪で、料理店でも開いていた方が、人生がまともに進行をしたと思います。原宿や表参道の生活には、彼は合わないのでしょう。

 反対にひどく面白かったのが柴田善臣騎手です。捧腹絶倒をしました。ダイヤモンドユカイという人も大いに笑わせてくれました。高野ゆりさんという人は、幼いころ、苦労をしたのだそうです。で、そのコンペンセーションとしての贅沢を追い求める気持ちがあって、数台のロールスロイス、しかも白の最高級タイプを乗り継いでいるのだそうです。しかし、これが、その後の社員たちの反発を招いたのでしょう。だから、敵があると思う人は、こういうところには、でない方がいいです。

 でね、あまたの有名人が登場するのですが、芸能人が選ぶ野は、ポルシェ、フェラーリ、ベンツなどです。だけど、彼らも家族ができて、子供も生まれると、安全で広くて、かつ高性能な車を求める様になります。で、二代目として国産の四輪駆動を買ったりするのですが、それが全部トヨタ車なのです。

 彼らも若いころはお金がないので、ポルシェの代わりに、フェアエディzを買ったとか、スカイラインの、中古を買ったというのですよ。だけど、20年以上昔の話なのです。30年以上前は、関東圏の人は、『トヨタもいいけれど、宣伝が大きいよね。やはり、信頼性が高いのは日産でしょう』と言っていたものです。ところが今では、すさまじい差がついています。どうしてか?

 それは、安倍さんが今提言をなさっている様なことを日産自動車が先取りをして来たからです。成果主義、ほかね。で、衰退しました。なお、これは、リンク先を探したいのですが、それも後でいたします。今、午前3時半を過ぎたので寝ないといけませんので。 唯ね、又もや感慨が深いです。単に一晩止まってきただけで、これほど政治が大きく動いてしまうのですから、相変わらず、自分の力は偉大だなあと思います。苦笑、だからと言って、ペンキ塗りをやめるというわけでもないのですよ。政治の行方は、天にお任せしたいです。天とはバランスをおとりになるものだから。

ペンキ塗りという作業をしながら、ゴーン社長が、9億を超す収入があることなど、ここに加筆すべきことを、思い出しました。明日、加筆します。と、言いながら、そのうちの一つは、次の章(後注2)で語っております。 

このブログの2010年より数えはじめた延べ訪問回数は、2539983です。書いた日付は、副題2以降は、18日で、そこへ、副題1として、』松島法務大臣の辞任を付け加えています。後で推敲します。推敲後、署名を入れます。

 後注2、

 

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新稿・・・ 若尾文子に似た悪女に奉仕した結果<目が悪いので不美人だ>と私に書かれてしまう若宮さん

2014-10-23 20:43:15 | 政治

 今は23日(木曜日)の夜7時ですが、一部を19日に書いたこの文章を、誤変換チェックをし、完成に向かわせます。なお、これは、以下の文章に続くものをして書いていきます。

22日に塩崎厚労相が、アスベスト訴訟原告団に、金を払うと言う。私のブログに見事に・悪・呼応して

で、副題が、11から始まります。また、19日の日付だったものを、23日に直して、最新記事としてさらします。

ところで、副題1~10までに書いたことは、わたくしは絶対に、人権侵害など受けるいわれはないのだ。ただ、ご近所に、土地を盗む人たちがいて、彼らが、自分のやったことを隠すために、あれこれと、工作をしているのだと、語っています。どうしてそんなことが可能かというと、土地の大規模な詐欺の件で、わたくしは、1980年にすでに、大エージェント「いわゆるCIAとか、スパイとか、インテリジェンスという類の人間」瀬島隆三とバッティングをしてしまっているので、彼の秘密を知るわたくしを殺そうと、彼は思っていて、ありと、あらゆる人物を動員していますが、ご近所の前田祝一氏という人物が、共産党員であり、「それは、町内会の行事を装って、次から次へと、自分たちの悪事を隠ぺいしていくそのやり方を見ているとよくわかるのです。

副題11、『ノーベル平和賞を、憲法9条にという朝日新聞を中心としたニュースは、共産党員が、関与していると、週刊新潮が言っているが、その通りです』

 週刊新潮は、先週バカ売れしたそうです。小淵優子さんの、秘書のでたらめぶりを、書き表したから。その中に小さく、憲法9条の会へ、ノーベル平和賞が授与されるというのは共産党が、関与していると、ありました。

 うーん、やっと、それが、出てきたか? 公にもと思っております。憲法9条の会は、共産党の、党勢拡大に役立つツールとして機能しているが、今までの方策が、失敗をしているので、これだけは、入党を、強制しないで、文化運動の趣を持たせていると、言う趣旨の、記事でした。

 わたくしの場合、その種の観念的なレベルを超えて、はっきりと、『それ以上の働きをしている。一種の戦闘部隊として、言論弾圧をしている』と、感じています。

~~~~~~~~~~~~~~

副題12、『美術9条の会とは、まさしく、その種のいじめ用軍団でした』

 わたくしのご近所に、石川和子さんという陶芸家がいました。この人がとんでもないわがまま女性であって、わたくしの猫のことで、自分が恥じ入らなければならない事態に入った時に、警官をよんで恥を注ぎ、復讐をしようとしたのですが、その警官が、またまた、輪をかけてバカなことをして、法的ににっちもさっちもいかない失敗をしたので、石川和子さんは、とんでもないへまをした人間として、癌を理由に始末をされたのではないかと、わたくしは見ています。つまり、その失敗から2年以内に、死亡ということ。

 この石川和子さんが、わがままの極みなのは、鎌倉の有力者である、鎌倉春秋社・社長、伊藤玄二郎の元愛人だからですが、この彼女の失敗が起きたのが、2005年であって、それ以降、伊藤玄二郎は、彼女との下半身の付き合いがあったことを隠すために、わたくしを殺そうと画策をし始めています。

 彼は、石川和子さんが、わたくしの近所に住んでいることで、それが、大出世の糸口になり、瀬島隆三から眼をかけられ、今では、彼本人も大エージェント化しています。NHKニュースも自由自在に動かせるほどの力を持っています。かれは、鎌倉ペンクラブの会長ですが、その縁からか、わたくしが鎌倉へ転入してきた直後に、鎌倉へ転入してきた井上ひさしと、ツウツウの仲となっています。そして、わたくしは彼ら二人を二人場織と、称しているのですが、日本を引っ掻き回す、ありとあらゆる偽ニュースを流します。

 いえ、偽ニュースというと正確では有りません。ニュースは正しく報道をされているでしょう。ただ、報道の前が、嘘なのです。平成の八墓村事件ですが、五人の老人は殺されています。たしかに、そのうちの一軒は、放火されています。だがね。逮捕された保見容疑者が、ご近所トラブルから、五人を惨殺したという部分が嘘なのです。彼はやっていないでしょう。

 これは、厚生事務次官殺しの、小泉毅被告と同じです。小泉被告は裁判の場で、嘘を突き通す能力を信頼されて、裁判が行われましたが、保見の方は、その能力がないとみなされていて、裁判さえ行われていませんね。

 井上ひさしが、死んだという話ですが、これも嘘です。彼は、まだ生きています。2009年ごろは、わたくしが大量の文章を書いていたころなので、それをチェックし、研究をして、わたくしを弾圧し、苛め抜いて殺してやろうとするアイデアを、生み出すことに時間と体力の限界を感じたので、死んだことにしたのでしょう。そして、地下選考をして、引き続いて次から次へと、悪いアイデアを練っているというわけです。

副題13、『三鷹ストーカー殺人事件が起きたがゆえに、美術9条の会の存在を知ったのだった』

 三鷹ストーカー事件が起きた時に、わたくしは、被害者が鈴木紗綾という名前で、報道をされていたので、その母が、一の瀬智恵乎さんであることは知りませんでした。しかし、ある偶然から、その事実が手に入って、それから、一の瀬智恵乎さんをグーグルで、調べ始めると、そこに、美術9条の会が出ていたのです。なろほどねえと、思います。

 わたくしはご近所の主婦、安野夫人、および前田夫人、そして、石川和子さんが生きていたころは、そちらも加えて、悪魔か、ヒステリーか、それとも、セックス依存症なのかと思うほど、ひどいことを、彼女たちから、やられ続けているのですが、美術9条の会とは、その三人の主婦を助けるために井上ひさしが、野見山さんに頼んだのでしょう。間に立ったのは、酒井忠康氏か、宮田学長か、一井「美術の窓、編集長か?)現場には、居合わせていないので、知りませんが、ともかく、そういう目的で作られた会なのです。

 一の瀬智恵乎さん、それを知っていましたか? ただ、ただ、踊らされていて、渡辺豊重さんと一緒になって、わたくしを電車の中で、いじめていましたね。お母さんなら、渡辺豊重さんのアクセサリーとし手で歩いてはいけないし、ましてや、お母さんなら、渡辺豊重さんが、わたくしをいじめるのを見て、にやにやしていたりsh手はいけません。神様のご愛顧から見放されます。

 だって、考えてもごらんなさい。悪魔の主婦たちを助けるために、ありとあらゆることは行われているのです。ということは、一の瀬さん、あなたも悪魔の一因になっているということですよ。しっかりしてください。川崎千恵子を無視して生きていてはだめなのですよ。

 2003年ごろから、豊重さんではなくて、わたくしと仲良くして、一緒にお茶のみでもしたら、「お子様、おいくつ?」、とわたくしの方が、質問をして、「7歳」と、答えを、聞いたら、「中学高校の時期には、母親が、出歩いてはだめですよ。ましてや、豊重さんのアクセサリーとして機能するのなどやめなさい」と教えてあげることができたでしょうに。

 ともかく、美術9条の会ほど、いじめ用に使われた組織はないというほどのメンバーでした。呼びかけ人も、フロアーの参加人も。

副題14、『さて、ここで、やっと機会が来た。なぜ、<ジ・アースのオーナー若宮さんは、不美人だ>と明言したのか。その理由を語る日が来たのだ。やっとね』

  尾行とか、それに類した問題で、画廊によったらその途端に、どこそこへ電話をかけて、私を脅かす手法に協力をするという現象があります。上にあげた新保ビルのエレベーターの件もその応用ですが、エレベーター内に乗っていた、4人の関係者が、私を、その時脅かしたり、いじめたりしたわけではありません。それは、一種の短編小説の様に、いろいろな心模様が詰まった寸劇であって、何も言葉を交わさず、目も見合わせないながら、中島さんと、私の間には、きわめて濃密なコミュニケーションが、その時に取り交わされていたのでした。

 中島さんというのは不美人ではありません。下町おきゃん娘という感じで、若いころはかわいいタイプだったろうと思います。だから、劣等感もないはずで、何をやるにしても健康的です。で、本来なら気にするほどのこともなかったのですが、国画会、準会員、野口みずきという秋田在住の作家(したがって田舎者で、あり、井の中の蛙、大海を知らずの典型である)が、驚くほどの無礼を、この1月17日に中島さんの画廊るたんで、しかも、私の目の前で、やってきたので、とうとう堪忍袋の緒が切れちゃったわけです。で、パンドラの箱がいったん開いちゃったら、国画会に関する驚くべきエピソードを続々語らないといけなくなりました。しかもそれは、横須賀市副市長、杉本夫妻と、国画会の実質的なトップ、島田章三さんにつながっていく話となるので、きわめてスケールの大きな話ともなっていきます。

 しかも世界的なスケールにもつながっていく話となります。たとえば、いま世界で最もホットな話題は、エボラ出血熱だと思うのですが、富士フィルムが、発明した新薬がもしかしたら効くかもしれないと、言う話題が、ありますね。そこからも風が吹けばおけ屋がもうかる式につながって、又もや島田章三さんの哲学がなっていないから、こんなとんでもない画家が出てくるのだという話につながっていきます。でも、まあ、この節は、ジ・アースの若宮さんが主役です。

 ジ・アースというのは、一地方画廊なのですが、よい作品を展示しているので、現代アートの世界では、名の通った画廊であり、若宮さんの名前やら、実像を知っている人は、現代アートの世界を中心に、1000以上3000人は、いるだろうというほどの、大物です。今回の画廊は5000万円を超す新築一戸建てを買って全館を画廊に仕立て上げたのですから、10年以上前に、6000万円を準備できた女傑なのです。まあ、旦那がパチンコ店などを経営しているとか、いうことになると、一億や二億は軽く出してもらえるから、大した金額ではないと言わば言えるのですが・・・・・もし、パチンコ店などとは関係がなかったり、旦那が居なかったりしたら、彼女は超がつく大物だということになります。自分の才覚ひとつで、これだけのお金を稼ぎだした人だから。または、アパホテルの経営者級の実業家を、ご主人に持っていたら、こんな画廊の経営は軽い、軽いことですが、それほどの、実力のある男性を捕まえることそのものが、エネルギーと才覚を必要としますので、そこから考えても大物です。

 パートナーがいるのか、それとも独り身なのか、そういうプライヴァシーは一切知らないのですが、それでも、そういう大物に成れた裏に、マイナス・ハンディをてこにして、ものすごく頑張った過去があるとは推察しています。ここでいうマイナス・ハンディとは、彼女の目が悪いことを指します。弱視だとは聞いていますが、そういう機能(または、度数)云々というより、見かけが悪いということがあります。

 そういう風に、そのマイナスハンディが、だれの目に明らかな彼女は、ある時期から画然として、私をいじめてきたのですが、そのやり方が底なし沼のごとく、隠微なものなのです。

 麻原彰晃という稀代の悪者がいました。彼の性格こそ、恐るべき残忍さの典型なのですが、それと似たものが、若宮さんの態度の中に含まれているのです。

 いや、だれがどう行動をしようと、私にそれを阻止する権利はありません。ただ、彼女がいじめてくるやり方を見ているうちに、どれほど、過去に嫌なことがあったかが想像できるし、その苦労を、私をいじめることで、一気に放散をしようとしているのが、目に見えるのです。つまり、過去にほかの人にやられた嫌なことを、私をいじめる行為の中で、復讐をし、補償作用の快楽を得ているというわけです。

 『ずいぶん小賢しい計算をする人なのだなあ。いや、まいりました』と、思ってみています。今回は中島さんと比較をしましたが、将来は、そのジ・アースのご近所画廊の一つ、g.b「併設されているカフェは、bee という)の奥様、十文字美信夫人などと比較をして、若宮さんを分析することもあるでしょう。全然と言っていいほど、人間が違います。見事な、比較対象例となっています。

~~~~~~~~~~~~

副題15、『彼女を動かしている人物は誰なのか?』

 彼女が、画然として態度を変えたのは、なぜなのか?と問えば、『それは、教唆があったからでしょう』となります。で、ここで、銀座の画廊ガレリア・グラフィカのオーナー栗田玲子さんが、夜の10時半に鎌倉駅のトイレにいたということが、非常に重要になってきます。私はよく神様が自分を見守ってくださっていると言っていますが、この日トイレで、栗田さんに出会ったのも決定的な、お助けの一つだったと感じています。その後、トイレは改修のために長らく閉鎖されていました。そして、男子トイレと女子トイレが入れ替わるという形で、改修が終わりました。こういう些細なことも、私の文章に現れる証拠を消していこうという流れの一つだと思いますが、

 若宮さん自身が、『私は栗田さんを尊敬しています』と言っていたので、彼女の画然とした、態度変更は、栗田さんからの悪い風評の注入と、教唆の結果である可能性があります。

 栗田さんが、鎌倉駅のトイレに、夜の10時半にいてはいけないと、私が言うその理由は、なぜかと言えば、彼女の自宅は葉山なので、この時刻には、逗子で、降りていなくてはならないのです。この時刻に鎌倉に降りるのは、玲子さんが、人妻であるので、異常といえます。

 だが、もし、伊藤玄二郎と、鎌倉で、さらに、引き続いて、懇談する必要があったのなら、この時間に、鎌倉に降りている可能性無きにしも非ずです。彼が、銀座に出向いてきて、画廊を終業した後での栗田さんと、7時半から、銀座のしかるべき名店で、3万円以上を掛けて飲み食いをしたと仮定をしましょう。話題は、むろん、私のことで、『これから、こういう風に銀座で、あなたが動いてください』と頼み込む必要があったのだと思われます。それが、銀座で、夜の7時半から始まって、9時半まで、二時間、費やしても終わらなかったのでしょう。

  若宮さんが、以前から、示して来た、常に、浅原彰晃を、思い起こさせる隠微ないじめについて、言及する機会が、なかなか、無かったのですが、しかし、この2014年の9月25日に行った嫌味な行動は、こちらからみれば、一連の暗殺未遂に直結していますので、堂々と、書きあらわす事が、可能な挿話だからです。

 その日、彼女は、栗田さん、もしくは、栗田さんに紹介をされた誰かに電話をかけて、一つのひっかけ行動が、成功する様に、計らいました。電話の相手は、それ以降に起きた異変との、タイミングとの関連を考えると、伊藤玄二郎(または、伊藤玄二郎に、事前に指定をされた場所)に、電話をかけて、何の罪もない、むしろ被害者でしかない私を脅かすことに協力したというのがあります。

 こういうことは、私が、書いている文章をすべてお読みになると、殺人未遂の一端を担ったということになるのですね。だから、彼女が隠微極まりない形で、私をいじめる事も、その一つの原因となって、鶴岡八幡宮に災禍が下り続けるのですよ。その次から次へと襲う災禍の原因として、若宮さんも、5%ぐらいは寄与しているでしょう。寄与と言っても、悪い意味でですが。

  2014年の9月25日に、鎌倉の裏路地にある、画廊・ジ・アースから、歩いて、50mぐらいのところで、私は前方に、異様なものを見つけました。それは、焼き鳥平野と、豊島屋経営の喫茶店、八十路の間の十字路を私と直角に渡っていく、五人の路上喫煙監視員の姿でした。路上喫煙監視員とは、警察が、飼っている組織なのだそうです。

 その、同じ警察が、この2014年の、6月2日(京橋)と6月12日(保土ヶ谷)で、まったく罪のない私を、秘密裏に殺そうとしたのです。その間の、六月9日に、小野寺夫人とご主人は、安野家へ会食にいっています。そして、安野家の門前には、以下の、写真が長期に、わたって、ずっと設置してあることには、意味がありますが。ひどいですよね。土地泥棒をしているほうを、警察は保護して、泥棒さてた方を、その)真実を語るから、殺してしまおうとしているのです。しかも、それを書かせないとして、たびたび、パソコンの)環境がだめにさせられています。

 しかし、私のパソコンを壊している連中については、私は、曽野証拠をつかむことはできません。と言うのも、彼らは、匿名性を持つ集団だからです。でも、反対に、ジ。アースと言う画廊は着実に損ざし、そのオーナーは若宮さんと言う女性です。これには、匿名性がありません。だから、こういう風に暗殺未遂が積み重なっているのですよ。彼女は他人を殺しても安とも思わないほど、冷酷な人間なのです。と、堂々と、書いて記録しておくのです。

 その際、彼女が以前から意地悪をしていなったら、こういう風な書きい方には成りません。

 ここで、やっと副題2の警官と結びつくことになります。私は、夜7時40分に家を出ました。家を出る可能性については、上の方で言っている様に、パソコンのハッキングで、敵が知る処ではありますが、路上喫煙監視員を、準備するのが不可能だったと推察されますし、また、そんな夜で、観光客が少ない場合に、路上監視員を動かして、私の携帯に写真でもとられてごらんなさい。アウトですよ。伊藤亥二郎さん、さすがにそこまではやらないでしょう。

 若宮さんが警察(?)に、協力をして私が、嫌がらせを受けて、脅かされたのは、2014年9月25日でした。その同じ日は、久里浜ぺルリ公園そばのカインズというホームセンターでも、いつも鎌倉駅のJRが雇ったガードマンとして待機している連中が、そこにいたので、<まあ、よく推察をしてくださること。家で、主人とカインズについて話し合ったので、『本日は、ここカインズで、彼女は、ペンキやら、木材を探すつもりだ』と、分かっていたわけでしょう>っと、内心で、笑ってしまいました。9月25日にいじめようの総攻撃が起きたのは、13日の町内会で、勝ったと思い込んでいる連中が、畳みかけた攻撃をしてやろうと考えたからでしょう。これは、何度も過去に起きた流れと同じです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題16、『どうして、2014年の9月25日と、10月18日に総攻撃を受けたのか?』

 そのほかに、18日は、二、三恒例の嫌がらせを見つけてありますが、それを書き抜いていくと、また、このブログも終わりを迎えられないことになりますので、それは、ここではタッチしません。

 『変だなあ。今書いているものは、猫ものであって、雪ノ下の連中の実名はどこにも出てこないのに、こんなにしつこく、まとわりつかれるのは』、と思いながら帰宅をして、ロンドンの、超賢い猫と、それに救われた極貧だった青年の話を、夜の10時に完成し、さて、ニュースでもチェックするかと、見始めて、

 『ああ、そうだったのか、これ女性活躍推進法案を、留守の間に閣議決定をするという事があったのだ。このニュースを全国にばらまくという作戦で、勝ったと思い込んでいる鎌倉エージェントが、動きに動いたのが、18日の鎌倉駅周辺の、いろいろな、嫌がらせだったのですね』と納得をした次第です。北久里浜にいると、すぐブログを、書けません。で、見逃します。すると閣議決定だから、大きな重みをもつことになります。これは、鬼の居ぬ間の洗濯であって、おお相撲の壊滅作戦(八百長疑惑等が大騒ぎになって、ワタミの社長が独立ガバナンスの何とか委員会の委員に選ばれて欣喜雀躍した)の時に、繰り返し用いられた手法です。

 女性の活躍推進法案が、私への嫌がらせだと言っても、『え、そんな誇大妄想を!』とおっしゃる方も多いでしょう。特に突然に、このブログの世界にお入りになってきた方は、「すべてが、ちんぷんかんぷんです」とおっしゃると思います。だが、これから先、副題7に書いたことは、相当数の方が賛成をなさると思っています。でも、ちょっと、上とは内容がかけ離れているし、

 下にも多大な加筆をする予定なので、そちらは独立させて、行くことにしました。いったん引き揚げて、推敲をして、加筆をして、また曝します。どうか、よろしく。

~~~~~~~~~~~~

 22日にここで、極く簡単に結論をまとめます。今も、北久里浜にいて、入力が困難のきわみだからです。主人が、i-padを、鎌倉から持ってきてくれたので、動かないスマホで、がんばった昨夜よりは、向上していますが、それでも、100%改善されましたというわけではないから。

 さて、総タイトルが何を意味するかと言うと、この山に住む、最も難儀な悪女、安野)夫人について、私が過去に、『安野夫人は、若尾文子に似ている』と書いたことがあり、そこから、若尾綾子が、大ブレイクしているという現状があります。朝ドラひまわりの、井上真央のその後は、決定的なミスキャストだったと思うけれど、シャをかぶせて、きれいきれいに撮影してあげていました。それから、NTTドコモのCMデモお母さん役で、出ています。NHK功労賞も、もらいました。

 まあ、それは、それとして、安野夫人と、若宮さんを、その』容貌で、比較して見ましょう。たで食う虫も好き好きとは、いうけれど、堂考えても、若宮さんが、劣等の地位に在ります。そして、現実にも若宮さんは、見事に、彼女を守るために奉仕をさせられています。銀座の画廊のオーナーの中にも似たような使命に奉仕をさせられている人物がいますが、鎌倉との距離があるので、ご本人が納得をしないだろうと、思って、書いていませんでした。だが、安野家ト、ジ。アースは、直線距離が、400mと近いので、心理的な、上下関係が、まるで、手に取る様に、はっきりと、見えるのでした。不美人な、若宮さんは、今まで、努力の限りをつくして人脈を、作り上げ、お金も、営々とためたのでしょうが、この一件で、これから先、難しくなりましたね。神様には、保護をされていない模様で、あるのが、今回、見事にわかってしまいましたから。

 善意のある人に見えたのは、ダブルフェイスの一面でしか、なかったのですから。

バルザックの描く世界とは、本当にあるのでした。カッコウの托卵ではないが、生んでも居ない子供を三人も略奪婚で手に入れて、努力もしていないし、労働もしていないのに、そういう風に働きぬいてきた女性を、自分のまたの間に膝づかせ、わが世の春を謳歌している女性もイルノデスから、感慨が深いですね。

副題17、『蛇足としての、情報ですが・・・・・

 なお、このブログの2010年夜数え始めた延べ訪問回数は、2538642です。

 

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塩崎厚労相が、アスベスト原告団に、金を払うと言った + 東大に子供を合格させる母は、毒親か否か?△

2014-10-22 06:26:26 | 政治

 この文章ですが、23日の午後二時に至って、やっと完成をしました。そのしるしに恒例の△印を、総タイトルの横につけておきます。ところで、前報(後注1)の中に、23日に入ってから、以下の挿入を入れています。 

 22日に塩崎厚労相が、「アスべスト訴訟の原告に対して、国税を使って、保障をする。一時期訴訟を取り下げ、この間の最高裁判決の際には、原告団に入っていなかった人物たちにも保障をする」と、発表をしました。それも、私が、いかに、ニュースを作り出す人 間であるかを証明しています。ところで、この支払いも結局のところ、鎌倉雪の下に住んでいる安野夫妻と、前田夫妻という個人を助けるために出費されています。で、消費税、10%の格上げも、こういうところに使われるというわけです。<個人的なことを、いかにも、公のことに見せるのが、政治の本質だそうですが、そういう伝で言えば、私の近辺で、目にすることは、ことごとく、政治問題であります>と、断言できるほどのことが起きています。   後注1、

若尾文子に似た悪女に奉仕した結果<目が悪いので不美人だ>と私に書かれてしまう若宮さん(ジ・アース)

  しかし、それは、推敲後のことで、読者の皆様には目立たない形となっていると推察します。 そのうえ、上の文章の誤変換直しに取り組んでいるうちに、上の文章が二万字をはるかに超えて、三万字に達してしまいました。なので、
 ある部分(普段は、午後五時に署に引き上げる警官が、なぜ、八時半に、駅周辺の有料駐輪場を点検していたのかについての、謎解きのところ)までは、こちらに独立させることといたしました。そちらだけでも、1.5倍になる加筆があって、2万字に達しています。で、一部は、公開、四日目にもかかわらず、読みで、が、相当に、あると心中で、自負しています。どうか宜しく。 

副題1、『再び、鬼の居ぬ間の、洗濯が起きましたね。もしかすると、三度目?』

 NHKニュースを点検していました。18日の夜の11時になって、やっと、17日の午後零時のニュースまで点検が到り、それを見て、<見事に鬼の居ぬ間の洗濯を、安倍内閣がなさった>のを発見して、「これは、驚いた」という感想を持ちました。で、仕方がなくて、ありとあらゆる書きかけ中の文章を放っておいて、新しくこの章を、書き始めたところです。

 私は16日(木)の夕方から北久里浜に行っていて、そこにはテレビがありません。で、パソコンは、スマホとWi-Fiをもっていっていますから、ネットのニュースは見ることができます。が、敵の微妙な嫌がらせは、テレビの画面を見ていないと、はっきりは分からないのです。17日は、夜の8時に帰ってきました。だから、安倍さんの女性の活躍推進法案を閣議決定、というのは、私が『子育てとは、どれほど、大変なことか。特に一般的には、すでに、大丈夫だと思われている中学生とか、高校生になってからが大変だ』と、常に言っていることへの敵対的反対であって、単なる嫌がらせに過ぎず、

 したがって、鎌倉市 雪ノ下二丁目の前田祝一・清子夫妻と、安野忠彦氏夫妻を、個人的にサポートすることでしかないのです。今、彼らのやってきた悪を、小説化雪ノ下問題と、して、書きつつあるところですが、下稿として書いては、それを文脈を整え、本格的な小説として整理していくつもりで、いったん、後ろ側へ引っ込めてある項目が、膨大にあります。それらが全部重い真実なので、敵としては、公開をされると困ることばかりです。それを、発表させないために、こういう=====国民を盾にとった、個人的な嫌がらせ======が行われます。平成の八墓村事件もその一つであり、尖閣諸島への中国艦船の出動もそうであり、オスプレイの配備もそうであり、それらの諜略行為は、繰り返し、行われてきました。

 『この、ふた家族のどこが偉いの?』と、読者が疑問をお持ちになることについては、いつも気が付いていますが、ごく簡単に言えば、この二つの家族が原因となって、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒壊したり、日本の道100選に選ばれている鶴岡八幡宮の表参道にあたる若宮大路の、そのまた、真ん中にある、段葛という桜並木が、2013年度に、急に衰退したことなどが、その諸悪の結果として、起きているほどの悪人なのです。ふた家族とそれに協力する人たちへの天の制裁として、ああいう自然現象は起きてきたと、私は見ています。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『生まれつきの障害を持つ、若宮さんを、なぜ、私は、不美人だと、公言をするのか?』

 この長い文章の最後の方に、登場する、若宮さんという女性を、私は、『目が悪いので、不美人である』と、言明し始めました。特に2014年9月25日以来、言及し始めています。

 彼女の<目が悪い>という現象は、<母の子宮内で、眼球だけが、不完全な育ちをした>ということで、彼女自身の過失で、起こった現象ではありません。普通なら、私自身のプライドをかけて、こういう話題には、取り組まないものですが、

 彼女が、その目が原因となって、過去に悲しい目に出会ったであろう、そのすべてをかけて、残忍にして陰険な、いじめを私に対して行ってくるので、それを、分析し、書く事は、政治問題として、大変重要であり、必要な事なのです。麻原彰晃という稀代の大悪人がいますが、若宮さんが、あたりに、私と彼女以外、誰もいない時に示したもの等、まさに、その種の・あく・といった類のものでした。若宮さんは、人が構築するシステム(金を生むそれや、地位を生むそれ)については、絶妙なセンスをもっているみたいですが、神とか、天と言うものを、知らない人と、見えます。

 彼女は、私の訪問等一過性のことであり、怖くもなんともないと、思っているでしょう。しかし、彼女が、私に「ガレリア.-グラフィカの栗田女史を、尊敬していると言ったので、『なるほど、そのポイントで、若宮さんの残酷な仕打ちも、伊藤玄二郎が、間に入っているのですね』と、分かって来ているので、それで、政治問題と化していくのです。 それで、彼女について書く事が、直接に、安倍総理の異様な行動の謎解きに通じるから、『不美人だ』とまで、はっきりと、書く必要があるのです。

 それを書けば、安倍総理を裏から動かしている、私の敵さんたち、特に鎌倉エージェントと、私が呼んでいる伊藤玄二郎(+まだ、生存中の井上ひさし、+元日経新聞編集委員にして現在は早稲田大学法学院教授の石塚雅彦氏・・・・この人は、小学校の先輩でもあり、大学の先輩でもあるし、美術展の仲間だった時期もあるので、どうしても敬称をつけたくなる・・・・および、酒井忠康世田谷美術館・館長たちの、本当の姿に到達する方法(または、道筋)の一つだからです。

 ところで、それらの悪人たちは、常に、恐れおののいているので、私が少しでも、ブログを書けないと見るや、瞬時にその隙を、狙ってきます。この女性活躍推進法案とは、まさにそういうものなのです。 特にテレビニュースで見た時に、有村さんの顔が画面に大写しになったので、その意味がさらに明瞭になりました。それは、森まさ子大臣が過剰にテレビ画面に登場した頃の再現でありました。今度の有村さんを、表に出す現象が、本当は、どういうことかというのは、次章で語ります。ここで、語りたかったのですが、字数が二万字を超えましたので。~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『鎌倉駅前で、普通の日なら夕方五時に、交番から帰ってしまう警官が、駐輪場の自転車に駐車・違反がないか、夜の八時半に、熱心に点検をしていたが、その理由は?・・・・・その1』

 これを見逃したが故にでしょう。この17日(土)の夜、鎌倉駅周辺に買い物に出た時に、5個ぐらいの嫌がらせを、駅周辺で受けました。それは、事前に、ネット検索をした事と、主人に、「出かけます。何を買って来てほしい」と言っているので、瞬時に、常に準備されているマニュアル通りの、いやがらせ行為を、敵さん連中が、実行したと思われます。で、それは、パソコンがハッキングを受けているという人権侵害と、また、室内が盗聴をされているという人権侵害の証拠となるので、上で、名前の上がった有名人と、それにプラスする無名人、ふた家族に対しては『そんな恐ろしい人権侵害が、あなた方が過去になさったことを隠すために行われているのですよ。ぜひ、恥を、知ってほしいですね』と思っています。特に早稲田大学の教授である石塚雅彦氏とか、前田祝一氏みたいに元駒澤大学の教授であったとか、前田清子さんの様に、元国学院大学の講師であったという人は、多額の月給をもらったことに、責任があるでしょう。または、伊藤玄二郎の様に現在も関東学院大学の教授であるとか、酒井忠康氏の様に、現在も世田谷美術館の館長である人たち等のように、名誉がある立場であるならこそ、自分たちが、やっている事を恥じ入ってほしいものです。あなた方が、過去、10年間、やってきた事を。また、一部の人間は、過去30年間、その嫌がらせを行い続けてきましたが、本当に恥じ入ってほしいです。自分たちが、まず悪事を行ってきて、それを書いている私をぶっ潰すために、こういう風に、恐るべき、しつこさで、人権侵害が行われていることを、肝に銘じて、恥じ入ってほしいです。「そのことは、自分が直接には、やってはいない。誰かがやっているのだ。だから、自分には、関係がない」と言って、頬っかむりするのは、汚すぎますよ。

 で、5つの嫌がらせ行為のうち、三つについての、詳細な説明に入ります。前々報(後注1)を書く為に、外出前に自宅で、雑誌『猫びより』の目次を、ネットで確かめていたのです。だが見つかりません。で、立ち読みで、その内容は覚えているものの、雑誌のナンバー(または、何月号だったか)が、必要になります。で、雑誌の実物を確認するために、外出したのです。我が家は、不動産業者に言わせると、駅から徒歩12分の位置にありますが、130段を超す、石段を上り下りしないといけないので、夜の外出は、おっくうでもあります。が、真面目な人である私は、勇を鼓して出かけたのです。で、私の、パソコンは終始ライヴで、ハッキングをされていますので、<これから、彼女(=私)が何をするつもりか?>を、敵さんは推察しているのです。そして先回りして妨害をして来ます。

 一つ目の、妨害は、東急というスーパーの上階が、予定より2分は早く閉店したとい事。立ち読みは、スーパー東急の上階で、やったのですが、そこのビルに入ったのは、5分前なのに、3階まで、エスカレーターで、上がったところで、エレベーターもエスカレーターも止まりました。単純に表紙を見て、何月号かを調べればよかったのですが、『それを、やらせないぞ』という意地悪をされたのです。で、仕方がなくて別の本屋で、実物を買いました。 さて、本を手に入れた後で、もう一度東急に戻りました。食料品を買う為です。

 で、二度目として東急ビルを出たのが、夜の八時25分です。その時、うす暗がりの有料駐輪場で、何かを確認している制服姿の男性がいます。『え、もう、夜の八時半だから、警官ではないでしょうね』っと思って、彼の左腰を確かめると、ピストルらしきものが見え、警官であることが解りました。『は、ハーン』と、笑っちゃうほど、明瞭に、彼ら、敵さんたちの脚本と意図はわかりました。~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『アスベストの健康被害を隠れ蓑にして、悪事の証拠隠滅が図られた2008年の、春・・・・・そこから工事と、工事作業人が、しつこく脅かし用道具として利用され始めた』

 警官がそこにいた理由は、本当は、工事用のガードマンで脅かしたかったのですが、それを準備している時間がなかったので、警官で代用したということでしょう。

 彼らが過去に行ってきた悪事のうち、最も代表的なものの一つが、私がアジサイ畑欺罔事件と呼んでいる我が家の土地を盗まれた件です。で、この証拠隠滅が、しつこく波状的に行われて来ていますが、そのもっとも代表的なものが、県が埋めた上水道管を、アスベストの健康被害を理由に取り換えるといった事案です。だがね。これが、嘘の理由であるのは、古い管は、掘り出してはいないのですよ。だから、健康被害に関しては工事前と、工事後、一切変わりはありません。ところが、脅かすために、何回もアスベスト裁判が行われ、そして、原告が勝ち、莫大な損害補償を得ていますね。それは、なぜかというと、前田祝一氏が、共産党員か?または、そのシンパなので、彼を助けるために、アスベスト被害を声高に言う必要があるからです。そして、共産党の組織を利用すれば、アスベスト被害原告団が出来上がるので、簡単に訴訟へ持ち込めるからです。

:::::ここで、23日の朝になってからの挿入を入れます。TBSの朝ちゃんで放映したのですが、塩崎厚労相が22日(それは、私がまだ、北久里浜にいて、ウィンドーズ版パソコンがうまく使えなくされていて、ブログを自由には、書けない状況下にあった字解体ですが、アスベスト訴訟の原告に対して、国税を使って、保証をする。原告団に入っていなかった人物たちにも保障をすると、発表をしました。それも、私が、いかに、ニュースを作り出す人間であるかを証明しています。:::::

 しかし、その上水管工事では、重要な被害が、私側にあります。そのアジサイ畑欺罔事件の重要な証拠を消す事が、その工事の目的であって、確かに一部は、消えています。そして、道路位置指定条例などという後付けの条例ができて来て、悪人側が勝つように仕組まれています。悪意あるなんて言う場合ではないほどの、悪意ある行為で、法律なんて、くそくらえの、非・順法精神なのです。全然、法律が機能していないのが、ここ雪ノ下の我が家の近辺であって、あまりにも複雑だし、分かりにくいので、『小説化しましょう』と、思っている次第です。

 その小説化している雪ノ下問題で、重要な人物として、登場するのが、梶本(仮名)夫人という鎌倉育ちの元令嬢です。彼女だけを仮名とするのは、当時、周囲から、『気違いだ。気違いだ』と言われていて、ある部分では、そうだと言えなくもないというほど、変わったことを実行する人だったからです。最も変わったことは、毎日、ビーンという轟音を立てながら道路を、電動鋸で切っているという行為でした。

 彼女は、育ちはいい人なのですよ。ただ、ご近所主婦たちのいじめに追い詰められていて、そういう風になってしまっていたのです。小児科病院の令嬢であった人でしたが、元有名映画会社の重役の弟と結婚をして、我が家の北隣に、新居を構えて、ずっと、暮らして来た人で、横浜国立大学付属小学校、および、中学校のPTA会長までやった淑女です。今現在も、親から相続した広い敷地を駐車場にしているので、大金持ちであります。

 彼女が道路を切っていたのは、そこに、自宅のフェンスを作るつもりだったからです。それで、みんなが困っていて、それゆえに梶本夫人がさらに孤立化していったのですが、その前段階の問題として、対前田夫妻に対する法的闘争がありました。とても頭がいいので、前田夫妻の家が、私道部分を提供していない違法建築であることを、つっついたものでした。前田夫婦は、中古の家を買って引っ越して来たのですから、意図的に、悪さをしたわけではないのです。ただし、前田夫人が、強烈なヒステリー女であって、いわゆる露骨にして動物的ないじめを行うので、梶本夫人は本当に嫌っていたと思います。私も前田夫人の、粗野さと、東京圏に住む人としては、やってはいけない諸種のルール違反には、ひどく怒っています。田舎者で、無反省で、ものを丁寧には、考えない人です。そのうえ、謝罪をすべき時に謝罪をすることができません。で、梶本夫人は、「雪の日に、わが家の目の前で、人が滑って転んだら、訴訟にまで発展をします。それを避けるために、私は、私宅前の道の真ん中に自分用のフェンスを、作ります」と、言い始めたのです。この山の道は、以下の通り、大体が幅1mだけが、コンクリート打ちで、あとは、花畑になっています。

 その真ん中にフェンスを作るというのですから、引っ越しやリフォームの際には、この道を通れなくなる人が前田夫妻以外にも、出てきます。その数は12軒にも上ってしまいます。それは山の住人の60%に当たるので、もともと数の倫理を押し通して無理無体を言うタイプの前田家が、だんだん有利になって来ています。だから、梶本夫人はさらに追い詰められていて、私が『それこそ、重要な物証です』と、いう、二本の線を道路に切り混んでいました。もうひとつ、気違いだと言われていた理由がありました。それは、住宅地の角をとんがらかせるという措置で、これは、私が引っ越してくる前にすでに、できていたので、梶本夫人が自分一人でやっていたか、それとも、業者にやらせたのかは、私は知りません。

 

 で、困り切っている会長さんを助けるために、下の写真の右側にあった花畑をコンクリート打ちをする事を私が承諾したのですが、そこの道路の幅の広さを見てごらんなさい。ほかのところと圧倒的に違うでしょう。それは、前田夫人と、安野夫人の、単なるお行儀が悪いという言葉などでは、表現しきれないほどの、梶本夫人に対するいじめ行為があったから、こういう風に我が家が損になっているのですよ。梶本夫人は、40過ぎの女性たちが今の言葉でいうマウンティング(女性同士で、どちらが上か同課を確かめ合う行為)の判定に役立てるために行う井戸端会議に、心底怒っていたと思います。

 私もむろん、怒っていました。『なんで、この山の主婦たちは、こんなにバカなのだろう。今、時、横須賀でさえ、こんなことをやっている主婦はいませんよ』と、思っていました。小学校や、幼稚園に入る前の子供を持つ主婦が、幼稚園バスを待っていたり、子供を遊ばせながら、お互いに情報交換をする事はあります。だけど、中学や高校になった子供を持つ主婦が、毎日定期的に井戸端会議を開いて、それを道具にして、あるターゲットを苛め抜く、なんて、東京圏の一戸建て住宅街では、ありえないです。『その井戸端会議の主宰者の、安野夫人と前田夫人が、どれほど、モノを丁寧に考えない、バカなのかが、一目瞭然に判りますね』という証拠の道路幅なのです。

 しかも最も恐ろしいことは、左側の奥に電柱があります。そのすぐ左に、藤本夫人が1m以上も出っ張らせたとんがりが見えますね。その右側にうっすらと落ち葉の積もった山が見えるでしょう。そのやまの上は、高さが10mもある自然の崖だったのです。そこを梶本夫人が「とんがり部分の先、4mは、道路が、確保されるべきだ」と言い始めて、会長さんが、私に無断で、削ったところであって、すさまじい量の土が取り去られた部分です。下のヘンテコに盛り上がっている土は、その時の土のほんの一部です。この部分に関しては、梶本夫人も本当によくないです。長年にわたっての闘争に勝利すると見えた時に、欲を張りすぎたのです。我が家が、長さ15m(土地にして、13坪も)を無償で提供して、梶本夫人の心を慰めますと、言っているのだから、それだけで満足をすべきでした。それ以上に主張するのを受け入れた当時の会長の中谷さんは、本当に、肝っ玉の小さい人でしたね。前田家や安野家もコントロールできないうえに、その対立者の梶本夫人もコントロールできないでたらめな人間でした。そして、引っ越してきたばかりの私に、120%の犠牲だけを強いたのです。

 その時の工事人は、わが家が、その直前に1985年に五万円のお金を支払って、高枝切りをしてもらった鳶職(斉起業)だったので、私に対して申し訳がないと思ったのでしょう。将来、法的訴訟になった時の証拠として、ここに、盛り土をして帰っていったのです。盛り土にコンクリートを覆ってさらに、盛り上げたのも彼らでしょうし、それを、町内会費用で払っているわけですから、その見積書などが、立派な悪事の、証拠品となります。だから、こんな違法なこと、しかも、当時は誰も事情を聴いておらず誰も賛成していないので、まさに町内会の決め事でも何でもない個人的な悪事なのに、証拠を隠匿し続けていて後から引っ越してくる人へ、まるで、私の方がトラブルメーカーであるがごとくに吹き込んでいるのが前田、安野両夫妻なのです。

 この崖崩しのせいで、わが家が地盤的に、弱体化しましたね。これだけでも、数千万円分の損害です。まったく、この山の人たちは、全員が気違いとなっていましたよ。1985年ごろは。そして、その違法性を表ざたにさせないがために、今の日本には、順法精神がまるでなくなってしまっているのです。 さらに上の写真の左側を見てください。コンクリートの色が白い部分がありますね。それが、梶本夫人が狂っていて、道路を電動の鋸で、削っていた二本の切り取り線のうちの一本なのです。もう一本は、道の右側で、草が、生えているラインがありますね。それは、まっすぐだったラインが、崩れた痕なのです。というのも、大型コンクリートミキサー車から、生コンをパイプで入れ込んで、お家を建てたりした家が、このアジサイ畑欺罔事件の後で、3軒か4軒あったので、切り目が、壊れたのです。生コンのパイプって、直径が、15㎝ぐらいあって、生コンが通るときには重いのですよ。 それらの個人的な悪の証拠隠滅が全部、県のお金でやられたのです。古い管は掘り起こしてはいないので、そうなります。~~~~~~~~~~~~~~~ 

副題5、『東大卒のお隣に、これも、隠々滅々たるいじめを受け続けているが、それは、若山さん(ジ・アースのオーナー)のそれよりは、上品ですよ』

 その三軒の新築のうち、もっとも大量のコンクリートを使ったのがお隣の小野寺夫人宅です。南側の基礎が、5mぐらいも高いうえに、全面が布基礎だったので、すさまじいレベルで、生コンが使われました。

 その建築工事の最終段階に近い時に、下の塀が作られました。角材は三寸のものであって、普通の塀よりは大きくて、存在感が唯ならないものです。しかも、わが家の敷地(左側)に入らないと、制作できない塀です。その日ご夫婦と友人または、工事人と、全員で、10人ぐらいが集合していて、にぎやかに談笑をしていました。で、その日に塀を作るそうですが、施主夫妻ご本人があいさつに来ないのです。無礼極まりない言動です。その夫君が、横浜銀行鎌倉支店を設計した人ですから、どれほど、上記を失した失礼差であるかが、皆様にもおわかりになるでしょう? その無礼には、どういう意味が隠されていたか? むろん、ケンカにもっていかせようとしている前田家とか、安野家に言い含められていたという事。しかもこの塀は一見すると、わが家側に出しゃばっています。実際には、ぎりぎり、2cmぐらいそちら側に入っていて、違法ではなかったのですが、ご主人か奥様があいさつに来ないというのは、ひっかけの最たるものでした。つまり、宮城県知事が、松本龍大臣をひっかけた手法と同じ手法です。最初から、怒りを喚起させるという手法です。

 私は、すぐ、そういうことは呑み込めますので、絶対に喧嘩には持ち込まない様に、気を付けています。もし、ここで、「失礼ですね。地境を越境していますよ」とでも言ってごらんなさい。前田、安野両家から、すぐ、「ほら、ごらんなさい。川崎さんって、私たちが言ったとおりでしょう。大変なトラブルメーカーなんですよ」と、言うに決まっています。そういう風に、散々、梶本夫人を苛め抜いて、家族間をバラバラにして来た過去を見て来ていますので、絶対に彼らの策略の餌食にはならないつもりですから、心から怒っていても、口には出しません。

 ただ、この10年は、私が彼らの新たな敵として大きな存在になってきました。そうしたら、今度は、梶本夫人を抱き込んで、心理的な面でも、味方にしています。それには、驚天動地です。あのふた家族は、誠実とか節操という言葉とは、無縁の連中です。だから、鶴岡八幡宮の大銀杏も倒壊します。ここではその詳細を語りませんが、安野家へも八幡宮様は木の伐採という側面で、ご支援をなさっておられますのでね。前田夫人に対しては、國學院大學の講師に推薦をするという形で、すでに、ご奉仕をなさっておられますし。 

 24時間お隣である人から、恐ろしくひねったいじめを受け続けるストレスを推察してください。(後注1)

 東大学建築学科を卒業したご夫婦で、ひねり切ったいじめをやってくるのです。恐ろしい。この山で行われた9月13日の町内会には、ご主人の白井さんの名前も利用をされていましたね。カラー・ラシャ紙を使ったらしいポスター化したお知らせであって、そういうことをするから、裏の脚本が見え見えとなるのです。

 うえに書いてきた様な悪事(=証拠隠滅)を、ここで、すべてを、完成していき、オセロゲームの様に、前田、安野両夫妻が、「こちらが白ですよ。川崎さんが黒でしょう」という事にするつもりだったでしょう。 安野、前田両家は、お隣をしゃぶりつくすという形で、自分たちを救おうとしていますね。ある意味で、白井氏などお気の毒ですが、巻き込まれている限り、私にこういう風に書かれるのは仕方がないです。特に、6月9日に、五時間も、安野家を、訪問してお寿司パーティをやっていますね。そういう敵対行為を、黙視できる形で、何度もしてきています。だから、こういう文章を書かれても、仕方がないでしょう。

 ただね。それでも、育ちも現在も恵まれているご家庭です。お子さんがないことだけは、マイナスだけれど、それ以外は恵まれています。特にご主人の方の性格はいいです。だから、これから先に語る、若山さんほどの、暗さと黒さは、ないです。が、残念なことに、奥様自身が語るところによれば、奥様の実母が、一種の独親だったらしい。で、奥さんの小野寺夫人は、なかなかの、困ったちゃんでもあります。~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『東大に、子供を合格をさせるのは、毒親と言えるのか、どうか?・・・について。企業エリートの家庭の実像とは?』

 お隣のご夫婦は、両方ともに、東大卒のご夫婦らしくて、夫婦別姓です。奥様の方が、小野寺というせいです。彼女が、2013年の5月27日に前田祝一氏に協力して、前田氏が、私に向かって最大級の恫喝(=あんたを、刑事訴訟にかける、と言い放ったことを指す)をして来た日に、前田氏の試みを成功させるべく、長時間の立ち話をしかけて来たことがあります。

 その日だったか、別の日だったか、忘れましたが、彼女が母親について、批判的に語るのを聞いたことがあります。はっきりとは、分からないのですが、もし、彼女が一人っ子だったとしたら、ただでさえ、母との関係は重圧となりますが、その上に、母君は、プレッシャーをかけるタイプだったらしい。いや、正確に言うと、道を敷いて、子供がその上を素直に歩む様に望んだ人だったらしいのです。

 これは、結構、よく見られる母親像です。実は、私の母もそういう一人だったと思われるし、私もそういう母親像の一人だったかもしれません。ただ、私の母も、私も子供を東大に入れることには、失敗をしています。でもね、私の方は、それを、納得し手居る失敗なのです。私は男の子は、(女の子の方もですが)対人関係がうまく行くことが、大切だと思っていて、ごく普通の地域社会の生活の中で、しかも、横須賀で、遊ばせることに専念をして育てていたので、私立中学受験が無理でした。そのうえ、中二で、横須賀から鎌倉へ、引っ越したら、全教科、一ランクほど、成績が下げられてしまって、5と、4で、構成をされていた通信簿が、4と、3だけになってしまい、かわいそうなことをしました。神奈川県の制度では、二年の終わりに、内申書が、書かれる時期だったので、高校もいいところには入れませんでしたから。

 ただね、私の学友たちは、子供を東大に入れるのは、必然だと思っている人たちが多かったですよ。中にはスムーズに成功をした人もいます。彼女たちから、受験テクニックとして、世田谷あたりで、勢力を伸ばしているタップという塾がいいとか、聞いたことがありますが、横須賀・北久里浜からでは、そこには通えません。

 もう一人別のお友達で、お子さんを医学部に進学させた人が、「うーん、三代続けて東大は無理みたい」と言っていました。彼女自身もご主人も父君も東大出身者なのです。私ね、今の主人(と言っても結婚は一回だけだが)とは、披露宴前まで、セックスの関係はありません。無論の事、ほかの男性ともなかったのですが、親がね、「絶対に、25歳までに、結婚をしろ」と言ってきかないので、23~24歳ごろは、翻弄をされきっていて、疲労困憊していました。

 で、お見合いもしました。二回ほど、東大出身者の超、エリート様とです。その頃、主人の方には、結婚する気構えとか、経済的準備が整っていなかったこともあります。でも、その二人の超がつくエリート青年から、わざと断られる様に心の手配をしたのは、一つには、縛られることが嫌だったのです。東京圏に住む主婦にとって、いろいろな、不文律があるとは、何度もかたってきています。それと、似ている問題ですが、東大卒の夫を持つ妻にも不文律があるのですよ。~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『認知症の妻は、どうしたら、できてしまうのか?』

 私ね、ある時、電車の中で、お隣に、いわゆる人品骨柄、卑しからずという典型の人と隣り合わせたことがあるので、その元の職業を聞きました。実は、20日にも似た様なことをやっています。これは、男女を問わず、やることであって、人間の顔が後天的には、どういう風に出来上がるのかに興味があるからです。で、その人は国家公務員のエリートであって、天下りも、3回ぐらいしたそうです。大衆的には顔は知られていない人ですが、いい顔をした人でした。で、テレビ番組の日曜美術館をご覧になっているそうで、それについて話をしたりしていました。

 ところが、突然にそちら様から、「妻が、認知症になって困っている」という話が出ました。「私は、いわゆる先憂後楽の、反対です」という言葉も出ました。つまり、70過ぎるまでは、何の苦労もなく過ごしてきたが、老境になって、突然に、大変な思いをしているとのことでした。

 私が、ここで、この話を出したのは、他人の噂話をするためではなくて、自分の人生を語るためです。人生における選択の妙について語るためです。私の主人との結婚は、ひどく大変なものだったのです。で、親に何度も説得をされました。「お見合いの相手は、結婚の準備が整っている人たちだ。そういう人と結婚をした方が安全である。親の方も安心だ」ということでした。だが、主人に惹かれているから、断ったというよりも、東大卒の男性の妻となる生活が嫌だったのです。

 そこには、厳密な不文律があって、自由は相当に抑圧されるはずです。私が電車の中の紳士と話をした時に、その人は、肌につやがなく、心底困っているみたいでした。奥様は暴れるタイプの認知症だそうです。だから、四六時中、目が離せないのです。そのうえ、自分も、噛まれたりして、身体的に痛い思いをしなければならないのでした。お金は十分にあるのでしょうが、そういう妻を、他人に預けることができない優しい人なのだと思います。私は、その時に、そのご主人が悪い人で、浮気をしたとか、そういう部分に原因があるわけではなくて、奥様の方に、実存的な、悩みが長らく、潜在していて、それを、表面に浮かばせることなく過ごしてきたことに、最大の原因があると、感じました。ここで、言う実存的な悩みとは、東大出身者というエリートの家庭が持つ、不文律に自分を添わせてきたということです。ご主人が、時々、主宰する夫婦同伴のパーティなどで知り合う人とも齟齬があってはいけないし、子供たちも一流大学へ入学させないといけません。気を許す暇がないのです。破綻を見せてはいけないのだから。しかも、それを愚痴ることなんて、問題外だし、離婚などもあり得ない生活です。

 一方で、高校時代や、女子大時代の友人たちには、成功者として、羨望の眼で、見つめられながら、一方で、顕在化しない、不満を積もりに積もらせていたとしたらどうでしょう。ある時にそれが、爆発するのもあり得ますね。その話を電車の中で聞いた時に、『自分の選択は、正しかった。自分がもし、親の勧めに従って、あの二人の東大出身のエリート青年の、どちらかと結婚をしていたら、現在でも、認知症になっていた可能性がある』と思いました。むろん相手の紳士には何も解説をせず、単純にお別れをしましたけれど。~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『毒親の元に生まれて、そこから、脱出しなくてもいい。ただ、分析をしておけば』

 私は、自分のあれこれを、相談を仕掛けましたし、相談を仕掛けられることもあります。それに対して、加齢とともに考えも変わってきました。結構、冷酷になっています。で、忠告も、「神に依存をして、神の愛を信じる以外はない」とか、「毒親だったら、離れたらいいのです」と言ったりしています。他人を変革させることはできないのです。だから、自分だけが助かったらいいのです。親を大切にという不文律も、親があまりにもひどい人なら、子供側は親を捨ててもいいのです。だけど、親側は子供を捨ててはいけません。子供側の義務と親側の義務は違う。

 お隣の小野寺夫人に、『困った人だ』と、思いながら、それを書く頻度が、安野夫人やら、前田夫人と比較をすると圧倒的に少ないのは、彼女から、彼女自身の母親との関係を聞いていて、『それは、自然な形でしょうね』と思うので、その一点だけでも、信頼ができるからです。時々は母親の元へ、帰ってあげているらしいのですが、『100%の意味では、いい母ではなかった』と感じている模様です。いい母親ではなかったというのは、「東大へ、進学したのは、自分の意志ではなくて、母の意志だった」いうのを、聞いたことがあるから、推察できることです。そのうえで、『ああ、そこまで自覚的に分析ができたうえで、きちんと母親との距離が、確立をしていますね』と思うからです。

 特にその母君は、上の方にあげた、東大出身のエリートと結婚したタイプの女性だと思うので、『ある意味で、不自由な不文律の中で生きてきた、不定愁訴気味の主婦でしょうね』と、想像するので、いかにもあり得る、主婦像だと思うからです。母と娘との関係って結構大変なのです。私も自分のメルマガや、ブログで、時々、自分の母親との関係を書いていますが、母が、93にあと一週間の時点まで生きてくれて、そして、私よりは、心理学的な面では、子供っぽかった母の方が、私に、寄り添ってくれたので、いい終わり方をしたと思っています。

 だけど、前田夫人や、安野夫人を見ていると、母親の陰というのが、みじんも見えないのです。無論、彼女たちの主催する井戸端会議に出席をしていないから、個人的な事情を、私の方が、一切知らないということもありますが、私を弾圧するための小道具として、自分の子供や孫を利用しています。それだけでも、驚天動地なのに、それ以外に、自分たちの遺伝子とはまるで、関係のない他人の子供たちをも、利用をしています。その不道徳性には、本当に驚きます。『静岡大学の法学部で、何を学んできたのだろう』とか、『都立大学(現在の名前、首都大学)の大学院で、何を学んできたのだろう』と思うことは多いのですが、それ以前の家庭教育においても、問題があり、また、その問題を自覚していないらしい姿にも、さらに、大きな問題を感じています。 ~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『共同溝、工事から始まった、制服を使った脅かし。そして、それが、なぜ、急に2013年に完成をしたのか?』

 というわけで、県税を使った、単なる証拠隠滅の上水道管取り換え工事が、うしろめたいものであるがために、私の本心を探る(その本筋をメルマガで書くかどうかを探る)活動も盛んに行われました。2008年の2月8日に静岡美術館に、ガンダーラ美術(仏教系)を夫婦で見に行った日の帰り、夜8時ごろに、小町通りに、東電、NTT ガス会社等の、4つの業者が入り込んで、延々と600m以上の長さにわたって、赤白のとんがりコーンが、立っていたのも、その探り行為の一つでした。私が当時何をしたかですが、何もしませんでした。きわめて、おっとり(笑い)しているのですよ。だから、なめられきっていて、やりたい放題を敵さんは、やって来ます。ただね、力がないから、何もやらないわけではなくて、哲学の問題があり、文章は、頭にその時に降りている草案を書き続けると決めているわけです。闘争の道具とするのは、やりたくないことです。その時から、6年と、8か月たった今、それを書くチャンスが来たわけですね。で、天がそれを許し、勧めてくださっているからこそ、心も動揺をしておらず、冷静の極みで、この種の恐ろしい事をすらすら書く事ができます。

 さて、その小町通りの共同溝工事とは、一種の探りの工事だったのですが、そのうち、夜遅く帰ってくる、私を脅かしいじめることに役立つと考えられ、延々と延長され、とろとろと、進行したのです。ある日など、砂(または、どろ)の中に入っている石を探すだけの工事をしていると、現場監督(斎藤建設のめがねをかけた若手)が、言っていました。小町通の入り口から見ると、工事をやっていない様に見せて、500mぐらい進むと、大きなランタンが突然ついて、轟音を機械が立て始めるという形式でした。子供だましですが、延々とそれが行われ続けたのです。

 この共同溝工事が2013年に入ると、急に進展をして、どどどっと完成したのは、瓜南直子さんの急死が影響をしているとみています。私が、フェイスブックに入っていた時代に、「全日本あすはが連」というのを作って、文章による嫌がらせを続けて来た、瓜南直子さんが、2012年の6月初旬に、急死したからでしょう。それだけは、伊藤玄二郎にも、酒井忠康氏にも予想外だったろうし、芸大学長、宮田さんにも予想外だったと思います。そして、瓜南さんの急死について、私が、2012年の10月に書いた文章(後注3)は、徹底的に、真実だったと感じます。で、瓜南さんを、私をいじめるための道具として、使ったことへの自戒の念を込めて、また、その文章を何度も使わせないがために、急に、工事を進展させたのだと思います。 

 『全日本、あすはが連』というのは、小町通りの共同溝工事を笑いのめすたぐいの文章とキーワードであり、それは、結局のところ、まじめな私を笑い飛ばすたぐいの悪意ある文章でした。特に私が昔書いた、『敷石を磨く男』という文章が、出来が良かったので、小町通の敷石(御影石でできている)を、取っ払ってしまいたいと、彼らエージェントたちは願ったということもあるでしょう。結局路面は、敷石が復活する事はなくて、アスファルトで、舗装をされました。

 そんなところに巻き込まれて、私を苛め抜いたから、瓜南さんは、早世したというのが本当のところでしょう。無論、肝臓が悪かったという科学的な側面はあると思います。でも、ここで、私が言っていることも、しいと思います。瓜南さんと私は直接の接点は何もないのに、彼女が芸大卒で、美人だから利用をされたのです。悪意を持って、使役をされたのです。で、今まで、文章化したものは、瓜南さんに関する限りすべて、真実ですが、それを将来も、書き続けられると、大変だとなって、急に工事が、進捗したのでした。

 この種の具体的な人名を表記しながら文章を書くと、彼らもやっと少しは反省して、まともな人間らしい反応を見せるのです。が、小説化、雪ノ下物語では、全く反省をせず、安倍内閣に女性活躍推進法案を、作らせる事に至るのです。それも、私が鎌倉の自宅にいない夜を狙って。

 そういえば、井上蒲鉾の前で、8時30分ごろから急に工事が始まろうとしていたが、『2014年の10月17日の夜、急にこれ程、彼らは、攻撃的なのは、なぜだ?』と、私はいぶかしく思いましたが、この時はまだ、NHKニュースを点検をしていなかったので、その謎を解くことはできなかったのです。この工事は、むろん、私を脅かすためのもので、東京都の土木工事会社と、神奈川県の土木工事会社の組合には、緊急工事車両を特に用意する様な、命令が、警察から(?)出ている模様です。

 まあ、こういうアイデアを、一番最初にだれが出したのかですが、『2008年以来、何百回、何千回使ってきていて、何度も、それについていきさつを、このブログで、書いているのにも関わらず、今(17日の金曜日の夜)でも、それを使うのは、連中は、よほど、頭が悪いのだ』と私は思っております。これが三つ目の嫌がらせでしたが、副題2に戻れば、警官が、自転車の駐輪場をチェックしていたのは、二つ目の嫌がらせでした。そこに戻らないといけません。~~~~~~~~~~~~~~~

副題10、『私は、二回前の、外出の時、スーパー東急の前の駐輪場で、違和感を感じた』

 二回前に外出をした時は、東京へ行く必要がなくて、私は意外とリラックスして、鎌倉市内で、雑用を果たしていました。その時に、東急前の駐輪場で、いささかの違和感を感じて、私はそこに注目をしました。駐輪場は、最新式のものらしく、時間貸し駐車場で有名な、TIMES式に、ITで管理されている形式でした。コインを入れれば、開錠するまで、同じ値段だという形式ではなくて、時間に、応じて、使用料が増えていくと、言う感じです。が、なんと、機械と機械の間の本のわずかな隙間に、自転車を無理に突っ込んで、お金を払わないで、済む様に、取り計らっている人がいたのです。

 私は、驚いて、大きな興味を抱き、それを見つめながら、しばらくあれこれを考え込んでいました。この人は女なのだろうか? 男なのだろうか? 高校生ぐらいなのだろうか? それとも主婦なのだろうか? と、種々様々な疑問がわきました。通学や通勤に自転車を、使う人のためには、裏駅側に、月極めの駐輪場があるので、そこを契約しているでしょう。で、あると、主婦? または、定年退職をした元サラリーマン? ともかく、鎌倉の住民で、しかも、昼間の10時過ぎだったら、この東急ビルの中に入ろうとする人が、いっぱいいるだろうに、人目を気にしないで、隙間に強引に、自転車を突っ込んだ人は、いったいどういう人なんだと思い至ってね。鎌倉の住民で、100円から500円の間の小銭を節約しようとする人がいるのかしら?とか。

 私は無論のこと、番号をメモして、管理者に電話を掛けるなどというおせっかいはしません。ただただ、疑問を持ったので、ずっと考えながら、ほかに、似たようなことをやっている人がいるかどうかを確認しながら、そこを点検し続けたのでした。

 ところで、最近のわたくしは尾行が常についていると感じています。それがどうしたという程度で、びくついてもいないのですが、それでもついています。前々報(後注4)で、画廊るたんのオーナー中島さんが、ぴったりとタイミングを合わせて、エレベーターの中に現れましたね。それは、三原橋より北の画廊も協力をした筈だし、同じ新保ビルの中の三階にある画廊も協力をしたはずだと、言っています。かように、人間を使って、私の足跡を正確に追跡するということもむろん、行われています。

 で、10月の第一週に、この駐輪場を子細に点検しながらものを考えた私の姿も、むろんの事、尾行者は、気が付いていて、それを将来利用しようと考えていたのでしょう。それが、若い警官が、普段は交番には、絶対にいない時間帯である、夜の八時半に、交番のすぐそばの駐輪場を子細に点検をしているという姿に凝縮をしていたと思います。

 ここに至って、やっと、この章の副題2へ戻ります。有料駐輪場で、普段は、五時で帰っている交番の警官が、なぜ、その日の夜点検をしていたかの謎が完結しました。答えが出たのです。なお、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、2536672です。

  些少の誤変換は残っているとは思いますが、ここで、完成として日付と署名を入れます。これ以降の部分は、まだ未完成として置きます。一部を、19日に書き、全体は、23日に完成させる。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

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無理なので、失礼をしております。何がというと本文の入力が

2014-10-19 00:00:51 | 政治

一文字入力するのにじゅふんかかるという感じで、時には、入力そのものが、できないのでした。
おまちいたたきたく。
若尾文子という女優さんは、十年前ごろは、逼塞して居た筈ですが、私が、ご近所に住む、まことに難儀な主婦、安野さんと、似ていると言った時から、さいどの活躍が、始まった人です。これは、北久里浜にいるせいなのです。

 

今、やっと回復し、この上に置いた文章の推敲をすることが可能になりました。

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ロンドンの、超賢い猫の話から、愛が欠ける子供の悲劇と、充分に愛し直されて復活する奇跡を考える▢

2014-10-17 18:50:35 | 子育てモノ

  今、土曜日の夜11時ですが、昨日まで、5680字だった初稿を三倍の14108文字にして一応初稿が完成といたしました。で、初稿が完成したしるしとして、恒例の▢印を入れておきます。

 写真は私の猫です。この章の主役の、ボブではないのですが、私がご多聞に漏れない猫好きなので、お許しくださいませ。彼女は「今から、お母さんライオンごっこをしよう」と誘っているところです。だから鋭い目をしていますが、「爪は立てないと約束するからね」というサインで、前足を半分に折っています。

 ところで、金曜日は一日中、ブログの手当てができませんで。また重労働をしに北久里浜へ、行っていました。若くもないので、進捗状況は遅いです。でも、ちょっとずつですが、家が、新築みたいに、きれいになっていくのは、気持ちの良いことですです。それに、思いがけない副産物がありました。この家を補修して居るうちに、掃除好きに、なりました。私ね。小さいころから掃除なんてしたことがなくて、だから、そちらは、いつも後回しの方でした。が、圧倒的に、上手になりましたよ。これは72歳にしては、驚くべきことです。自分の欠損部分を埋めて、なお、進歩しているのですから。

 さて、ずっと、あれこれ、大工仕事とペンキ屋さんの仕事ばかり考えていたので、鎌倉の家での、ブログ体制に戻るのが大変です。で、突然ですが、書評をさせてください。というか、感想文です。すみませんが、ネタバレというものになってしまうかもしれませんが、これは、私が大好きな猫と、それから、いつも考えている子育ての両面に、かかっているテーマなので、勇んで取り組みたいと存じます。

副題1、『タイトルは、<ボブという名の ストリート・キャット>です』

 出版社は、辰巳出版です。この本は、協力が『猫びより』とあるので、もしかしたら、雑誌『猫びより』に連載をされていたものかもしれません。今月号に後日の話というのが出ています。それも後で、語ります。若者の栄養不足という点で。

 ネットの世界で、たいへん評判になっているらしいです。それは、著者、そのモノの、サイトがあるのかな? 私は知りませんが、今は、活字(紙の本)に依拠して語ります。あ、今、本の271頁に案内があるのに、気が付きました。

 出版社(ロンドン)のサイトがあるみたいです。英語だろうと思うけれど、ここに記しておきます。

  http://www.hodder.co.uk

 ボブ(猫です)のツィッターのアカウントは、  @StreetCatBob   ですって。

 著者は、ジェームズ・ボーエン。ただし、彼一人で、パソコンを打ったり、タイプライターを打ったりして、全文を作り上げたわけではありません。協力者がいます。

 本の企画を立てて、青年に、『出版しましょう』と、励まし続けた、メアリー・パクノスと、文章を、全部ではないでしょうが、代理で、書いた部分もある、ギャリー・ジェンキンスの二人が、大きく助けています。<しかし、ギャリー・ジェンキンスを、日本語でいうイメージが汚れきっている言葉、ゴーストライターというのに、当てはめるのは、よくない>と、この本を読んだすべての人が、納得をするでしょう。

 著者本人は、異常なほどに貧しくて、まず、メアリー・パクノスが、接触をしてくる以前には、パソコンを持っていなかったと推察されるからです。パソコンを持っていないと、ウィンドーズ版を開いたとしても保存とか、コピーアンドペーストなどの、テクニックを覚えるだけでも、数年かかるから、代理で、文章を書いてくれる人は、絶対に必要でした。

~~~~~~~~~~~~

副題2、『ジェームスのママは、きっと・りえママ・に似ているタイプだろう』

 ジェームスのママは、イギリスで、結婚をして彼を生みました。が、三歳の時には、すでに、著者の父にあたる人と別居をし、オーストラリアに渡ってしまいました。一緒に渡航をしたのですが、まだ、小学校の時に、学校になじめないまま(もしかすると、いじめられたのかな? 母親しかいなくて、しかも、お母さんは、働いていて忙しいのです。母親は天性の企業家で、お金持ちだった時期の方が多かったそうです。

 だが、別の男性と同棲をしていたので、その男性と、著者は、合わなくて、家庭に居場所がない様になります。ともかく、母親にも義父にも、十分には、面倒を見てもらえません。そうなると、お洋服などが汚れていたりしますね。ほかにも、イギリスなまりと、オーストラリアなまりの違いとか、あって、友達が一人もできなかったそうです。そのうえ、この2,3年で引っ越しています。ただし、猫を飼っていました。これが、あとで、大きな救いになっていきます。

 その上に、6年後に母は、また、イギリスへ戻りました。9歳からイギリスに住むのですが、トルエンやドラッグに手を出し体も心もボロボロになります。

 18歳のころ、ロンドンに出て、血の繋がっていない姉(父と、父の前の奥さんとの間のこども)の家で暮らす計画を立てます。ロンドンで、ミュージシャンとして、修業をして、ある程度有名になったら、オーストラリアに、渡航をするはずでした。

 だが、姉夫婦は、無職で、収入のない居候を、嫌がり、出ていかなくてはならなくて、それ以来、ホームレスになるのです。しかも、オーストラリア行のチケットは持っていたのに、パスポートをなくして、機会を失います。ホームレスだったら、寝ているうちに悪い人間に、そういう者は盗まれたかもしれません。だが、家族からは、自分から遊離してしまったので、家族に相談をすることもできず、その時点で、母はオーストラリアに渡っているので、助けを求めることもできませんでした。

 彼は、この本の謝辞で、母にも父にも感謝しています。でも、両親のいわゆる離婚(または、別居)は、子供を痛めつけますね。まあ、いろいろな考え方はあるでしょうが、子供ができたら、離婚とか、別居はしない方がいいです。せめて、就職するまで待った方がいい。

 だから、これは、日本に限らず、世界中で、子供って何なのだということや、子供を産むことって、どういうことなのだということを、教えた方がいいですね。中二と高二で、毎週二時間を、一年間。小説「にんじん」とか、日本だったら「次郎物語」とかを、教材として、教えるのです。何を教えるのかというと、愛するということが絶対に必要で、かつ、愛するということがどれほど、エネルギーや力がいるのかということを、です。海外では、日曜学校というのがあるでしょう。日本でも、お寺さんが、力があった時代は、お寺さんが子供に、いろいろな、修養項目を教えたらしいのです。

 昔の親って、子供を愛しましたよね。ごちそうさんの、めい子(杏が演じた)ではないが、子供をいつくしみ育てました。その基本の上に、日曜学校(お寺)があったのです。都会では、キリスト教系の日曜学校へ行く人もあったでしょうが。

~~~~~~~~~~~~

副題3、『本文については、ネタバレは致しません』

 この本は買って損はないと思います。で、買って読んでいただきたいから、本文に関しては、ネタバレというものは致しません。

 私は自分が猫が好きだから、種々様々な本を読みました。図書館で借りたり、自分で買ったりして。

 ローレンツ博士の挿絵入りのドイツ語の本など。でも、むろん挿絵を眺めているだけでしたが、線だけで、描かれた猫のしなやかな動きには、『うーん』とうなったりしました。カメラではない、目で、とらえて、それを図に書いておられました。

 猫に関する童話や、小説もありますね。いや、大人向けの小説となると、猫が主人公でなくて、重要な、小道具になって居る。

 そして、エッセイも多数あります。

 最後に猫が登場するノンフィクション。この本日のメインテーマの本は、この最後の分野に所属する本ですが、私が、今まで読んだ数多くの本の中で、ダントツの一番で、読みでがありました。この三冊前が図書館猫デューイで、あちらも猫も人間もすごい存在でしたが、こちらも猫も人間もすごい存在です。

 非常に苦しい場面もありますが、ともかく、青年が救われていく可能性が、読者である私には、事前に得たネットからの情報で、分かっていますので、読み進むことができて、そして最後には、ほっといたします。

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副題4、『映画ミリキタニの猫と、この本を比較してみよう。似ている点が多いが、』

このボブという名のストリートキャットは、最後の領域に属すると思いますけれど、ふと、映画『ミリキタニの猫』を思い出しました。意外と共通点があります。

 そして、両方とも重い内容を含んでいますが、最後に、救いが来るので、ほっとします。ミリキタニ(三力谷)は、老人であって、ニューヨークにいます。絵を描いて、それを売っていますが、ホームレスなので、冬が寒いニューヨークでの生活は大変です。

 近所に住む若い女性が、彼を見ながら、いつも気の毒だなと思っていました。3.11が起きて、彼女が住む場所と、ミリキタニが、絵を描いて打っていた場所は、WTCに近いので、あたりは、有毒ガスが立ち込め、食料品も売っていないという事態になり、女性は独身であって、アパートが狭いのにもかかわらず、ミリキタニを自宅へ引き取ります。

  彼女はたまたま、映画の製作を勉強していたので、ミリキタニを、撮影することとなります。彼がどうして、路上生活者になったのか、なぜという慰問があるから、ムーヴィーとしてとり始めます。(ただし、ヴィデオカメラでかもしれません)

 その時に、彼女自身の恋人が日本人だったことは幸いしました。その日本人男性がカメラマンとして、撮影をしています。これが、白人の恋人だったら、悶着が起きるところです。部屋が狭いので、独立した部屋は、彼女の寝室だけであって、あとは全部共有スペースで、しかもミリキタニが絵を描くので、テーブルを独占しています。食事も、おちおち、できないという感じです。 

 でも、幸いにだんだん謎が解けてきます。ミリキタニは、戦時中、強制収容所(砂漠の中のキャンプ)に入れられていて、無一文になった人でした。家族(妻子)がいなかったため情報がどこからも入らず、日本国籍も、米国の国籍も取ることができないと、自分で思い込み、違法滞在だからと、肩身を狭くしていて、それゆえに、福祉の恩恵を受けることが一切できなかったのです。

 最後には、その若い女性の奔走で、きちんとしたアパートに入居することができました。レンタルヴィデオには、メイキングとして、後日、広島出身の、ミリキタニが、故郷広島に帰る映像がも付属しています。

 日米の、対立のはざまで、苦しんで、ほぼ、50年の歳月を、無駄に送ってしまった一人の男性の、最終局面に救いが訪れたというお話です。実話です。

 その若い女性が与えたのは愛です。いわゆる無償の愛というたぐいの愛です。それこそ、妙薬として、人間を生き生きとさせます。セックスを伴わない愛なのですよ。それを、日本人は、知らないところがある。特に今の、日本人は知らないと見えます。危ない。危ない。

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副題5、『ここで、母親からの丁寧な愛情を注がれなかった例として、鹿川君を思い出す』

 一方、こちらの方は、ロンドンです。救われるべき人間の方は、ひどく若いです。そして、こちらでは戦争の被害という側面はありません。ただただ、親たち世代の欲望の、放埓さの結果、子供が苦しむという典型です。両親とも貧乏ではないのでしょうが、子供に安定した愛情のある生活の場所を提供できません。それから、小さいころからのお世話がないので、不思議と、心が充実していないので、それがまた学校でいじめられる原因となります。

 愛されて、お世話を、十分に受けてきた子は、会話等のやり取りに慣れています。ところが、親からの愛情が与えられていない子は、会話などの、やり取り一つでも何らかのタイミングのずれとか、ボディラングエッジが違うとかあって、そこが他者に違和感をもたらすのでしょう。

 一番かわいそうだったのは鹿川君でした。中学生でも長髪でした。あれは、おしゃれではないです。散髪代をもらっていなかったと思われます。だけど、お金はないけれど愛情を注いでやるというのでもなかったみたいです。母親か父親がバリカンで、刈ってやるというのでもないみたいです。また、いじめられた原因ですが、お弁当が粗末だったり(給食?)お洋服が汚かったりしたのでしょう。『くさかったりしたのではないかなあ?』自殺をしてしまったから、そういう方向では、メディアは、何も言いませんでしたね。しかも、盛岡駅のトイレで、自殺をして、その陰に、学級全体、担任まで巻き込んで、『お葬式ごっこというのがあった』となって、急にお母さんが、悲劇の人となって、マスコミの前に姿を現しました。何回もテレビで見ましたよ。上品なアンサンブルのセーターを着て、紙をボブカットにしておしゃれでした。

 アンサンブルのセーターとは、前開きで、ボタンのあるカーディガンと、丸首セーターが、同じ素材と同じ色と同じ編み方でできて居る、ごく基本的なお洋服で、流行に左右されない定番のスタイルです。主婦としては、結構ですが、普通ね。中学生ぐらいの母となると、体のラインが崩れて来るので、体にぴったりと沿うから、ボディラインが目立つアンサンブルのセーターなど着ないものなのです。特にそれが、細いウールの糸で案であったり、アンゴラとかアルパカとか特殊な毛糸の棍紡のセーターだと、これがセーターですかというほど、お高いものです。

 鹿川君は、学校で、担任まで含む葬式ごっこといういじめに出会い、絶望をしたのですが、その時、愛情豊かなお母さんが家にいて、待っていたら、すぐ、状況を察して、慰められたと思います。彼は、上履きのまま盛岡まで行ったのではなかったのかなあ? 駅までついて、降りる切符がなかったのでしょう。お金はたくさんは、持っていなかったのです。もしかすると阿佐ヶ谷駅あたりでも無賃乗車だったのかもしれませんね。そして、盛岡駅で、おばあちゃんの家へ、公衆電話から電話をかけて迎えに来てもらうという方策も取れなかったのです。学校からとっさに、逐電して電車に乗ったのだから、電話番号は、覚えていなかっただろうし、その間ご飯も食べられなかったのでしょう。想像するだにかわいそうですね。私はテレビのニュースを見るだけで、そこまで推察できるのに、あのお母さんは、まるで、自分がスターになったみたいな気取り様で、学校を非難していました。ともかく、あの家では、愛情というものが漂っていなかったのです。

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副題6、『いじめられる子って、頭がいいのだ。周りを凌駕するところがあるので、いじめられる』

 私ね、電車の中で、数々のいじめを目撃して、注意したことがあります。神奈川県で、星光と言ったら、たいへん有名な学園なのですが、横浜駅の人目につかないところで、雨傘を利用したいじめを行っていました。ただ、一人がターゲットにして、その子の開かせた眼球に向かって、猛スピードで雨傘を突き刺すのです。目の玉直前5cmぐらいで、切っ先を止めるのですが、恐怖心を試すということなのでしょう。で、いじめられている子は、忍耐強い子です。中一か、中二だと思うのですが、あまりのことにびっくりして注意しました。

 電車に乗ると、今度はその子が主役となって話題が天文のことなどで盛り上がり、先ほど、いじめ役の総大将を担っていた子は、薄らぼんやりと、仲間外れになっていました。で、偏差値的には、こちらはお勉強ができるのでしょうが、根っこが浅いのでしょう。だから、反対側にたつ、天文の知識が旺盛な子に、嫉妬心とか、恐怖心を持っているのです。彼らはみんな東戸塚(急に新駅ができたので、東京に近い場所だが、一種の新興住宅地となる。今の武蔵小杉の、30年前・版)で降りていきましたから、現在のエリートサラリーマンの子でしょう。親は有名大学を出て、有名な会社に就職をし、無事に結婚をして、子供も生まれて、家も買い、しかもお受験で、神奈川県で、一、二を争う名門校へ、合格して、何もかも得たエリートでしょうに、自分の子が、こんなにひどいいじめをやる子になっているとか、いじめられる方になっているということは一切知らないのでしょうね。

 まあ、その後、私の方は、小学生から、高校生までの、私学生徒の、各部位の、肉体に対するいじめの現場で、注意し続けるおばさんになります。

 反対に、いい学校に通っている、いい生徒に出会ったこともあります。母の見舞いに通っていたったころ、初めて城北高校の生徒に出会い、東上線の普通電車の中で、非常に上品にピアノ曲の話題を交わしているのをみつけ、びっくり仰天をしたのですが、本日(2014年10月18日)に、ネットのニュースで、東京の私学で、子供の面倒見がいい学校の10以内に入っていると聞いて、さもありなんと思いました。塾の先生が選んだ学校ということですが、偏差値優秀校としては、珍しいほどの上位です。敷地面積は、小さな学校なのだけれど、先生方は、頑張っているのでしょうね。麻布・海星・武蔵・駒場東邦、桜蔭、豊島が岡は入っていないです。筑波大付属も入っていませんでした。お茶大付属は、あまりにも少人数なので、統計から落っこちていると思いますが。

副題7、『頭が良くて繊細で、自分自身もいじめを受けた事のある親は、子供をどう守ったらいいのか』

 私が以前、大津のいじめ問題に関して文章を書いた時、その一年後かな、中学時代に子供がいじめのよって自殺をしたという両親がテレビカメラの前に出てきました。たぶん、NHKのニュースウォッチか、朝や夕方のエッセイ風ニュースを流す時間帯で出たのです。その時に、『私の大津事件に関する文章が、これまた、よすぎたために、それを否定していくために、この夫婦が、NHKの取材を受ける様にはかられて、断り切れない形で、出てきたな』と、直感をしました。ともかく、NHKニュースも妖精が作っているわけでもないので、登場人物たちは、すべて、具体的に生きている人間関係を通じて、利用され出演してきています。

 だから、このご夫婦に対して文句を言うつもりはないのですが、公立の小学校での場合クラスで、二、三人いる、お勉強のよくできる男の子はいじめのターゲットになりやすいです。いじめる方のトップは、町の有力者で、金持ちの家の子供だったりするケースが多くて、いじめられる方の子供の親は、サラリーマンという形です。

 こういう場合なのですが、どういう風に防衛をするかですが、男の子は、『できるだけ外遊びをさせることだ』と思います。特殊な幼稚園とか、特殊な小学校に入れるために、三歳ごろから私塾に通うなどもってのほかです。東横線に乗っていると、きれいなお洋服を着た若いお母さんが、これもまた、お人形のようにかわいいウールのワンピースを着た小さなお嬢さんを連れて、私塾に行っているのに出くわします。女の子なら、仕方がないけれど、男の子に、特殊な小学校へ進学させるのは、よくないと思いますよ。日本社会も流動的だから、数十年にわたって上流階級を維持できるかどうかはわからないです。相続税も高いし。子供自身にタフネスを植え付けておかないといけないので、せめて小学校は公立に行かせた方がいいです。

 でもね、それでも、学校社会でいじめに出会っている様だったら、母親は、母親業に専念すべきです。仕事はやめた方がいい。特に芸術方面との両立は難しいです。今ね、40万人も引きこもりがいると言われるのは、日本人って、静かでしょう。で、外へ出ていかないので、問題がうちにこもってしまうのですが、何らかの愛情不足だった可能性が強いです。母親たちの外向きな志向がこういう傾向を生んでいます。結果として、そうなっています。

 で、江角マキコさんの問題も、そういう点から考えると、子供を持った母が、芸能人と両立がしがたい面があって、挫折をしましたという結果になるのではないかな? 子供を持った時に、林真理子さんではないが、すべてを手に入れたつもりになってしまい、PTAでも瀬一曲的な発言を繰り返したと、報道をされています。私は舞台を玉川学園だと想像をしていましたが、実際には青山学院だったらしいです。江角さんは、大学を出ていないけれど、それは、父が早世をしたからだと、自認をしていて、自分はほかのママ友に負けるはずがないとは、思っていたのでしょうが、東京圏に生きる不文律を破ってしまったのです。

 よく京都の人と付き合うのは難しいと言われます。『ぶぶ漬けでも、どうどすか?』と言われたら、『もう、かえって下さい』と言われていると思わないといけないのだ。などというのが、ぽっと出の田舎者にはわからないことだと言われています。青山学院って、渋谷に近い都心中の都心にあります。だから、どんどん格が上がっていて、ママたちは、自分たちの親、または、祖父母の段階から、東京びととしての、いわゆる、不文律の中に生きてきたから、江角さんの「これでいいのだ」が、まったく通じなかったと推察されます。

 江角さんの挫折は、ほかの多くの母親が、出くわした一種の挫折の一環です。東電の重役の妻だったのに、妹の方だけを偏愛したために、東電OL殺人事件の主人公になってしまった渡辺某夫人など、子供が、30代に達してから、挫折を目の前に突き付けられたのです。豪邸も売り払ったらしいです。長女が死んだことは悲しくなかったでしょうが、次女がいい結婚をできなかったこと(?)は、想定外だったでしょう。子供って、見かけ上は6歳ごろから自立をします。だけど、しつけを厳しくしていますと言って、必要な愛情を注がないでいると、西鉄バスハイジャック事件の主犯少年や、秋葉原連続殺傷事件の加藤被告となったり、中学校で、自殺をしたりします。愛情を注ぐことはだれも褒めてくれないし、夫以外は、お金さえくれません。

 ともかく、挫折は恥ではないです。江角さんは、インターナショナルスクールに入れたからこそ、これから大人になってどういう進路を歩むのか、難しくなりました。がんばってくださいね。公立に転校をさせたのだったら、世間からは、大いなる同情を浴びたと思いますが、勝ち気な処もある人なんでしょう。

副題8、『官僚主義と、いじめの横行。中国からの観光客がどうして、日本で感動をするのか?』

 私の場合はアフィリエイトという仕組みが、気が付いて申し込んだときに『もう、終わりました』と言われたので、このブログに関して一切の収入はありません。それはきっと嘘で、単なる弾圧の一つだと思うのですが、ともかく、収入はありません。反対に江角さんなど、ブログだけで、高収入なんだそうです。ふーむとうなるのみですが、

 このアフィリエイトの仕組みを利用して、稼いでいる人たちがいて、それは、まとめサイトというのを運営している人たちを指すそうです。お友達のお嬢様が、有名大学の数学科を出て、自宅勤務だと聞きました。で、そのお嬢様に私は、時々電話をかけて、大昔のドラクエの解き方を教えてもらいました。自分の子供に聞くと、お母さんは昼間とんでもないことをして遊んでいるということになるので質問ができなくて。それは、お互いの年齢が中学生の時だったのですが、長じて、やはり、直接の電話で、お仕事の内容はどういうものなの?と、質問をしたことがあって、『ネットサーフィンをしています』という答えだったのです。

 それがどういう分野で、だれに上層をしているのか、それとも彼女自身がサイトを運営しているのかまでは、質問をしていません。というのも、その頃、私はパソコンには一切タッチしていなかったからです。

 ホリエモンの事件が起きたころ、livedoorに関する知識は、一切持っていなかったのですが、最近になって、こういうネットサーフィンを利用した寄せ集めの情報が豊富に載っているサイトだと、分かって来始めました。で、Livedoor からの情報として、BLOGOS、らばq、カラパイア、おたほう、などといういわゆるまとめサイトというのに出くわしました。

 暇なときにのぞいていますが、今では、猫に関する情報と、中国ほかの外人が、日本に驚いたという投稿に絞って眺めています。特に中国人の場合は、小さい時から、日本人を悪逆非道な民族だと、教え込まれているからこそ、現実の日本に接して、ひどく驚くらしいのです。幾つもの驚きがあるのですが、その中で、お店の店員のサービスの良さに驚くというのがあります。

 それがどうしてかというと中国って、共産党の一党独裁で、日本でいえば、『会社でしょう? それって』という様な分野でも、国営なのですね。だから、社長も総経理と言って、日本でいうと、神奈川県庁の局長とか部長というクラスで、時には、本庁の部長とか,局長というのに、当たるらしいのです。日本は第二次大戦後、国が敗けたたので、国家というものがひどく、低く抑えられています。国民は国家なんて、『へっ』とも思っていないでしょう。だから、国家公務員も、腰が低いです。ところが、中国では、超高圧的なのでしょう。で、お店で物を買うにあたっても、丁寧な、応対には、接しられないのです。日本も30年前は、民間企業でも、威張っている従業員はいました。しかし、官庁もそのトロさが、激しく、批判をされたし、民間企業は、不況の影響で、競争が、激しくなり、したがって自動的にサービスが良くなったのです。

 で、中国はそういうわけで、官僚主義の弊害が、蔓延しているところなのですが、上記の、ボブという名のストリートキャットを読むと、ロンドンにもそれがあることが解ります。組織に属している人間が、属していない人間に対して威張るという構図。主人公はもともと最低の生活をしている人間です。だから、いじめていいということですが、女性でもいじめる人がいるのです。どういう形でいじめるというと、場所を使わせないという形でです。

 主人公の職業というか唯一のお金を得る手段がストリートミュージシャンとして、ギターを弾きながら歌を歌い、それで、投げ銭をもらうということです。ところが、駅近辺を、駅員が使わせないというのです。私はロンドンには行ったことはないのですが、パリでもニューヨークでも、ミュージシャンが歌を歌って、お金をもらえる駅ともらえない駅があります。だから、その場所を確保するのは、容易ではないのに、いじめで追われるのです。

 そことか、同じ様な仕事をしている仲間からのいじめやだましなど、この本が、一番、読みでがあると思ったのは、主人公の過酷な人生を追体験するのが、ずいぶんと大変だからです。だが、読みやめようとは思いません。というのも、それほど、過酷な条件下で生きながらも、どんな頁にも、賢い猫ボブとの愛情の交流が、描かれているからです。眞の猫好きなら、猫がどれほど、愛情を返してくれるかを知っているでしょう。でも、猫が愛してくれる相手とは、やはり、人間が美しい場合に限られると思います。人間が美しいというのは、心が美しいという意味でです。猫は、こびることがないので、もし、飼い主を嫌ったら、よそへ行ってしまうでしょう。だから、なつかれ、愛されるというのは、飼い主が、きれいで、優しい心の持ち主だからです。それが、読む人には事前にわかっているから、安心して読み進められるのです。

 私はね。最近のマンションブームに疑問を呈してきました。都会では、マンションばかりできています。でも、一年ぐらい前から、『これは、おかしい。絶対に反対の方向へ流れるだろう』と思って、北久里浜の家を丁寧に直しているのです。そうしたら最近になって、新築マンションは、売れにくくなっているとの報道にも接しました。やはりとは思っています。カッコウの良さだけに、ひかれないで、中古でもいいから、広いスペースを確保できる家に住んだ方がいいのになあと思っています。

 というのもペットの問題があるからです。マンションでも中古のマンションでは、最近、急にペットを飼ってよいことになりました。パリなんて、マンションだらけみたいですが、犬を散歩させている人は多いです。犬の糞は道路に放りっぱなしですが、朝早く真っ暗なうちに、高圧で、道路を洗う車がやってきます。ただ、猫がいるのかどうか? 猫を飼っている人のお宅には入ったことがないので、分かりません。ただ、ニューヨークでは自宅で猫を飼っている人は多いみたいです。マンハッタン島なんて、一戸建ての家などありませんので、マンハッタン島の中では、猫も犬も日本でいうマンション犬と、マンション猫となります。

 でも、純粋な愛情というのがどういうものかを、小さいころからわかっているのはいいことです。とても、いいことだと思います。日本人は、建設会社とか大不動産会社とかの宣伝に乗せられすぎています。アメリカでも、教育レベルの低い層の、庶民が、簡単なローン設定で、だまし討ちみたいに、家を交わさせられ、かつ破産へもっていかれている、映像を見ましたが、日本人は、全体に、教育程度が高いのですから、もっと、個別的に、自分の選択で選んでほしいです。ただ、テレビ番組などで、時々、非常に個性的な生き方をしている若い人が出て来ます。田舎で、廃屋を借りるか、買うかして、自給自足をしているという映像などです。で、それを見て『ああ、利口な人もいるんだなあ』とも思いますが、職業との兼ね合いが、難しそうですね。だから誰にでもできるわけではない。

 ともかく、猫一匹でも、子供のころに愛し愛された記憶があれば、人間は美しく再生し、素晴らしい人生を生き直すことができます。この本は、大きな読みでのある複雑な内容の本です。しかも童話の様に、心洗われる本です。

 今、三時間ほど、続きを書くのを開けていました。実は、このノンフィクションの続きが猫びより11月号に出ています。この前ちらっと立ち読みをしたのですが、それを本日は、夕方、鎌倉駅前まで、買いに行っていました。文章を書くつもりなら立ち読みだけで書いては、失礼に当たりますので。そして、ボブ以外の頁も、今、全体読みぬいたところです。猫の雑誌だから、私にはことさら早く読めますので。

副題9、『著者は重いエコノミー症候群にかかるが、それは、普段からの栄養不足が、たたってもいると思う』

 私は単行本化された、本文のネタバレには、気を付けると上の方で言って居ます。が、続、と称してある、雑誌の中の文章については触れたいと、存じます。

 単行本の最終段階か、その直後ごろ、ジェームスは大きな病気にかかります。体がだるくて、かつ、あっちこっちがものすごく痛いのだそうです。で、とうとう診察を受けに行きます。すると、エコノミー症候群なのだそうです。医師の診断では、ロンドンから母のいるオーストラリアに行って帰ったことが、原因なのだそうです。血液が凝固してしまったらしいのです。

 で、その診断が下る前に、体が痛たくてならないまま、我慢をしていたころに、悩むのです。自分はボブを飼い続けることができないのではないかと。それに『ボブは、ほかの人にもなついているし』とかも考えて。これは、ノンフィクションでありながら、一種の心理学や哲学さえ、私たちに説いてくれている本なのです。で、因果関係は一章の中で、完結し、<やはり、賢い猫ボブとの絆は切れてはいなかった>となって、『安心、安心。めでたし、めでたし』というところに落ち着くのですが、

 最初の診断後服用された薬を飲んでいたら、今度は血液がサラサラになりすぎて、ある朝、ドバっと出血をするのです。なんで、また、どういう風に出血をしたのかというところが、最高に予想外なので、ネタバレとなるので、そこは伏せます。

 ただ、私は、この子は、10代のころから、荒れた生活を送ってきていて、栄養状態などが、めちゃくちゃだったから、同じ時間(13~15時間)に、飛行機に乗っていても、エコノミー症候群にはかからない人間と比べて、より早くかかるし、重症化しやすいのだと、思いました。

 この件について、日本の若者の栄養状態を非常に心配しています。特に親元を離れて、一人暮らしをしていて結婚もしていない男性の食生活を心配しています。本当に心配をしています。だが、それを語りだしたら、文章が終わらなくなるので、この一文はここで終わりとさせていただきましょう。明日18日に推敲をいたします。そのあとで、署名を入れ、書いた日付も入れます。

  なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2525317です。

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野見山暁治・シリウス・ノーベル平和賞? + 銀座の画廊るたん・寸劇 + 山手線・信号機トラブル

2014-10-15 23:48:13 | 政治

 本日も、書きぬけた順番に総タイトルを変更していく可能性はあります。

 実は前報の続きを書かないといけません。ところが、あれが、非常に疲れるものであって、「死ぬぜ!」というほどのものなので、ちょっと閑話休題で、脇に逃げたいと思います。で、小説体ではなくて、いつもの会話体で、実名主義で書いていきます。ところで、この文章全体の流れは、2014年10月13日(月)に銀座で見聞きしたエピソードから発想した政治論文として、構築をしていくつもりです。政治の現況を語るものであって、舞台と登場人物はすべて美術関係者ですが、美術評論ではありません。その一点で、実は、これは、逃避の文章ではなくて、真っ向からCIA様(=鎌倉エージェントと私が呼ぶ人物たちと警察)に、勝負を挑む直球のひとつでもあります。 

副題1、『隣人が、いじめによって、家庭崩壊をさせられて行くのを見て、ラブレターをすべて、焼却する私』

 今、72歳の私は、健康を維持し、長生きをするために、いろいろな工夫をしております。特に夫婦関係を損なわない様に工夫をしております。前報で書いた梶本(仮名=私の北隣の住人・・・・・ここは、現在書きかけ中の小説の登場人物なので、とくに仮名とする)家が、ばらばらになっていった過程を30年間にわたって、傍見してきたので、それは、生きていくための必需品でもありました。梶本家は、あれほど、家庭崩壊をさせられながら、奥様に、いじめられきっていたご主人が亡くなった後の、最終段階では、奥様が、遠野(仮名)夫妻に籠絡をされ、私にとっての一種の敵と化していきます。

 で、そこから連鎖して、佐土原夫人(仮名・西隣の住民)や、冴木家(仮名・たった20軒しかない近隣住民の中で、夫婦が両方とも最も若い家)が離反をしていく重要な理由となっています。ので、それを他山の石として、夫婦の間を裂かれることは、用心をして避けないといけない条項でした。佐土原夫人と、冴木一家は後から引っ越してきたので、私の居住地に横たわっている黒いわなの本質とか詳細を知りません。でも、その二つの家庭が、この山に住むCIAの手先たちに、籠絡されていることは、2009年5月の梶本家の境界線測量の日に確認をされました。以前から各種の現象でそれは、分かっていましたが、その日に確定をされたのです。

 その測量は、私が問題としている<土地が盗まれた件>の証拠を隠滅していくのに役立つ作業でした。が、主人にだけその知らせをして、「絶対に奥様には知らせないでください」と、敵たちは言った模様です。ても、天はすべてを、みそなわして、私をお守りくださるので、私は偶然ですが、山の下で、梶本母娘に出会い、その日測量が行われることを知り、その現場に居合わせて、詳細な過程を見ることとなりました。で、私にとっては超が付くほど不利なことなので、珍しく抗議していますので、けんかの雰囲気は出てきました。だから、梶本家と、私の間には、争う雰囲気は無論のことありましたよ。

 でも、この日、佐土原+増井夫妻、およびミスター冴木以外の人間は、外に出てきませんでした。なお、遠野家は別格です。悪人側の主役なので、様子を見に出てきました。他の家が沈黙をしていたのは、こんなことに加味してしまったら、自分の身に火の粉が降りかかって、大変なことになるのを、知っているからです。ところが、両家は、何を思ったか、のこのこ出てきたのです。ミスター冴木は、ただ、心配そうに見ているだけでしたが、佐土原夫人とその別姓の夫・増井氏は、梶本親子が、私道部分の、植木を抜くのを手伝ってあげていました。その植木を抜くということも、証拠隠滅の一つなのですが、それを知っていて、なお、手伝ってあげていると言う雰囲気も感じましたね。

 私は、佐土原夫人については、しばしば、悪女だと言って、言上げをします。が、ご主人の増井氏については、その頻度が低いので、あまり言及をしません。専業主婦の佐土原夫人の方が動きが大きく、しかも何十回も使役をされて来ているので、彼女を悪女と規定をして、今では、すべてを、語っています。

 私の夫を敵方が、自分たちの味方につけて、妻を裏切らせる手法こそ、1983~5年ごろ、敵さんたちが、梶本家に対して、盛んに使った手口です。CIAが絡んでいるのでマニュアル通りに行動しています。それが、わが家に対しても梶本家に使われたタイミングの、何十年かのちに、同じ様に、使われているのでした。

 電話だけではなくて、室内が盗聴をされていることが解っているので、主に手紙で、連絡を取っていますが、私が主人あてに書いた手紙をもし、保存しておいたら、すでに、大き目の段ボ-ル、ふた箱には達しているでしょう。貴重な資料となるとは、感じていますが、すべては、焼却しています。もしそれが、敵に把握されると、私への、攻撃の種になりかねないという意味で、リスキーな内容なので、焼却をしています。

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副題2、『みなとみらいの高層階レストランに、野見山暁治の壁画があるが!』

 で、一時期は、バイキングを食べ歩くというのを、夫婦の共通の趣味としていました。横浜のみなとみらいに、ランドマークタワーというのがあります。その大部分にはロイヤルパークホテルが入っていて、70階には、昼の時間帯にバイキングを行っているレストラン・シリウスがあります。そこには、野見山暁治さんの壁画が飾ってあります。

 以前それについて短い文章を書いています。<レストランの、ウエイターに聞いたところ、作者の名前を知らなかったので驚いた。レストランの店長の教育がなっていないなあ>と、言う趣旨で。

 パソコンが何台も壊されているので、これをもし、AOLのメルマガで書いたとしたら、すでに、失われている文章ですが、自分では覚えております。ところで、その文章は例の、「XX%、開示の文章です」方式で、本音をさらせば、15%程度の、脳味噌開示の文章であって、頭の中では、もっと別のことを考えておりました。

 二つのことを考えておりました。

 一つは、ギャラリー山口のオーナー、みつ子さんのことです。

 で、そういう内心を秘めながら、食事を重ねつつ、壁画を詳細に検討すると、金箔などが使ってあって、現代アートとしては、破格のお値段をとって、制作をされたと推察しました。しかし、『大コンツェルン・三菱系列が、自分の顔として、設計するホテルに、この作家を使うのなど、コンセプトが間違っていますね』と、感じたものの、二つ目のポイントとして、そのお高い画料を支出するべく手配をしたのが、私の・・いとこ・・だろうなあと、考え到って、『うーむ、やりましたね。敵さんたち、そういうポイントでも、高笑いをしているのでしょう』と、思考がいたりました。

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副題3、『童話の世界でいう、<大様の耳はロバの耳>が、野見山さんと、その作品には、当てはまる』

 野見山さんは、炭鉱を経営していた人の息子です。で、時代がそういう時代だったので、親に大金がありました。で、長期間フランス留学をしています。また、東京のアトリエも、九州のアトリエも豪華です。そして芸大出身です。だから、もてはやされています。エッセイ椅子とでもあるし。

 が、画風と、表現された結果を見ると、炭鉱内部とか、何かの遺伝子を感じさせるものであって、洗練をされたホテルという空間、とくに横浜みなとみらいという場所に、ふさわしい作家(作品)とは思えません。

 ここが、日本人のダメなところですね。本当の美意識ではなくて、宣伝に乗って誇大化された評判に、左右をされてしまう。その典型が、このシリウスの壁画です。

 ところでね。世の中の大抵の人は、こういう表現に仰天をして、私の方が悪者だというでしょう。だけど、野見山さんって、あまりにも過剰に祭り上げられていて、美術界の王様と化しています。そして、その権力を駆使して、私に対するいじめの先鋒に立っています。その活動拠点というか規範が美術9条で、野見山さんはその発起人になっています。今般、憲法9条がノーベル賞の平和賞部門の受賞対象となっていると、朝日新聞が報道して、から騒ぎが起きました。どうして、平和賞が、憲法9条に下されるかというと、野見山さんが、やってきたことを、褒章する目的があるのです。一つにはそれであって、私が書いている文章を否定する役目を果たします。

 私は、実力から言うと、すでに、中堅の人文系出版社からは、軒並みエッセイが出版される斎藤孝さんとか、斎藤茂太さん、とか、澤地久恵さん級の扱いを受けていて、いいと思っております。ところが、大学四年生の時から、ベーカーさんという金髪碧眼のCIAに<この人間は、頭が抜群によいのだ>と、見つけられてしまっていて、つぶそう、つぶそうと、ありとあらゆる場合に、足を引っ張られ続けてきたので、いまだに大衆的なブレイクは果たせていなくて、知名度がありません。だから、特権がないのです。無論の事、収入もありません。

 一般的なブロガーだと、アフィリエイトという仕組みで、これほど、訪問回数が多いと、広告収入料が入るらしいのです。訪問回数一回につき一円だとしても、既に、250万円以上は確実に入って居ていいはずです。だけど、私がアフィリエイトの仕組みに気が付いて、申し込もうとしたら、『そのサービスは終了しました』と液晶画面から言われました。パソコンの世界って、どんなバグでも入れられるので、この通達は嘘である可能性が大きいのですが、そのバグを突破できないので、時間は膨大に取られているものの、そこからの収入は、一切ないのです。電話番号等が記載されていればいいのですが、今、電話番号を使っては申し込みができないシステムが世の中に蔓延しています。

 これによって、享受し得るべき利益を享受できないでいる人は、大勢いるでしょう。で、そういう部分の金銭は、システムのことを理解している新しい形の人間(しかも、とても小賢しいタイプ)に奪われていっています。

 また、普段からパソコンをしょっちゅう壊されているし、電話は盗聴をされているので、文明の機器には、一切頼らない生活を送っております。大切なことは、リアルに訪問をして、用事を果たします。しかも、東と南の窓からは、葉っぱ(大木)しか見えません。以下の写真は、東南の方向を、自分が座ってパソコンを打っているところから見た景色ですが、『樹木しか見えない』というのが本当だ、と皆様にも、ご理解をいただけるでしょう。手前の大き目の葉っぱは買ってきて植えたアケビ(ちょうど花が咲いている時期に撮影している)ですが、その後ろが、鎌倉時代から続く自然の樹木(たぶしい)です。

 
 こうなると、自分自身が、いわゆるアナログの世界に住むしかないのです。一般的な表現でいうアナログの世界という部分を飛び越えて、童話の世界とか、神話の世界にまで(笑い)すでに、入っていっています。非常に不思議な生活をしている人間なのです。で、直感はますます冴えわたり、予言の能力は高まり、まるで、卑弥呼みたいに、世の中を支配している人と、化しているのですよ。別に、今のわたくしは、松島みどり法務大臣というわけではないから、まあ言ってみれば、裏・卑弥呼ですけれど。いまでは、そこまで達していると、自分では感じています。だから、野見山暁次という人が、本当はどういう人であるかについて、の、私の見方も、また、一理があるのです。

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副題4、『私の敵たちは、トカゲの脳味噌の持ち主か、それとも、そうでもないのか?』

 私のいとこは、一時期ロイヤルパークホテルの重役をしていました。もともとのホテルマンではなくて、金融が専門です。で、元の会社が三菱系なのだと感じます。で、横滑りとして、ロイヤルパークホテルに入社しました。が、元来が、金融畑なので、お金を扱うから、当然のこと、このシリウスの画料にもタッチしたと考えています。

 こういう話は、私が現在72歳で、いとこが、80歳を超えているので、一種の遺言書として語る話であって、普通なら語らない話の一つです。

 でもね、私は勝負を挑んではいませんが、向こう側が常に勝負を挑んできていて、勝てば官軍だと、じゅうたん爆撃的に攻撃をしてきますので、これを、語っておいた方がいいと、今は、思うのです。いとこが金を払う相手だから、野見山さんが、選任されたのです。デザイン的にふさわしいということで、選任されたわけでもないでしょう。野見山さんは、いろいろな方面で、私を弾圧し、攻撃する役目を担っています。卵が先か、鶏が先かは、分からないものの、このシリウスの壁画とは、そういう作業に対する一種のご褒美だったと、推察されます。

 ただし、野見山さん側は、これをステップアップの原動力として、ぐんぐん出世をしていき、2013年度などホテルニューオータニで個展をしていますね。これも、作品と会場の雰囲気は、絶対に合わないと思いますが、そこで行われました。それも、私の文章が、関与しているはずです。2012年度のNTTの株主総会が三社合同で、そこで開かれました。それを文章に書いています。そのうえ、創業者一族のお嫁さん(大谷順子さん)が、私の友人で、何回も個人的な、電話を交わしています。彼女の方は今はすでに、亡くなっています。それは、15年前でしたけれど、無論の事、敵さんは、この友人関係を、把握をしているでしょう。

 幸いに、いとこは紳士ですから、お隣の佐土原夫人みたいに、ひねった形での、攻撃的な言動を弄するわけでもありません。だけど、シリウスの壁画を見た日から、私の方が、いとこへの接触を抑える様になりました。私が、『五億円の被害があります』と常々言っているのは、こういう部分も含みます。

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副題5、『ギャラリー山口のオーナーが自殺だったか、他殺だったかについて、14-10-16に語る話』

 彼女は、読売新聞まで使って、自殺だと喧伝をされていますが、決して自殺ではなくて他殺だったと私はみています。その読売新聞の記事ですが、積極的な、筋の回し役として、旧村松画廊のオーナー川島女史が、登場しています。ここから先は、本日初めて語る真実(?)ですが、川島女史は、ひそかに、在日の出自を隠していたのではないかと、推察しています。抜群の厚遇を与えられていました。今、この章で語る、増田きよみさんへのサポートとか、ギャルリー志門のオーナーへのサポートと似た類で、『あの人は、絶対に徒手空拳で画廊を運営しているわけでもないでしょうね』と思っていました。

 ただ、普通サポートというと、恋愛関係にある男性が、してくれる、ということになるとは思いますが、この三人のケースはちょっと異なっているでしょう。増田さんは、野見山さんからの権威付与という形でのサポートであって、誰か男ができたから、ランクアップしていったとは思えません。ギャルリー志門のオーナーは、『父、または、親戚が、大金持ちなのかもしれない』と思っております。ただ、彼女の場合は、『金があります』というだけでもない、品格を感じるので、大物の美術関係者(美術館の館長とか、美術評論家、または、大学教授、または、美術を好きな大実業家?)等が、サポートをしている可能性を感じます。で、川島女史ですが、在日の出自を隠していたと推察できるるところがあって、在日社会からの支援を受けていたと、みなすことができます。

 今、名簿を作ってはいけないこととなっています。お茶大の付属高校もそれが、できなくて、同窓会関係者は、いささか困っているそうです。これは、日本全国から聞こえてくる声です。で、この話ですが、対、私狙いだと思っています。私は個展をするたびに同窓会名簿を利用しましたし、それをブログの世界で、公言をしています。お茶大付属高校も駄目なのだそうですが、横浜国立大学付属中学も駄目だそうなのです。また、ICUもむろんだめだそうです。で、やはり、と確信することがあります。

 それは、『私の付属中学時代の同級生、成岡庸司君が、現在の日本のトップエージェントであり、しかも、彼には、在日の出自があるだろう』というポイントです。サイ洋一監督が、日本映画監督協会の会長を務めていることができるのも、トップエージェントが、在日の出自を持つ人だったら、納得ができます。ほかにもいろいろな傍証づけができています。山手線の内回りが15日の早朝、信号トラブルで、動かなくなり、2万人が迷惑をこうむったというのも、成岡君が、日比谷高校ののち、早稲田の政経へ進み、革丸の委員長を経て、三里塚闘争を指揮し、その余波で、千葉動労を支配し、さらには、JR東日本をも、その手中に収めているからだと思ってます。

 あの、信号機トラブルですが、私なんかしょっちゅう車内放送で、それを言われていて、2010年の4月3日は、2時間北鎌倉で閉じ込められたし、アリと、あらゆる外出で、遅延現象を起こされています。すべて、私狙いだと思いますが、それを『お前だけが狙われているわけではない』という風にブログの文章を否定していくために、起こされたと思います。早朝五時だから、絶対に、私狙いではないわけです。(笑い)

 ところで、彼は、一般国民には、不便を強いていると思いますが、自分たち在日の人間は、リスト(名簿)を紙の形でも、ネット上のメーリングリストの形でも、両方で、相当緻密に作り上げ、ファイル別に、統括し、自分たちの、活動に役立てていると思います。保見容疑者とか、阿部俊樹等は、こういうリストの力を利用して、見つけられていった可能性が高いです。その二人が在日というわけではなくて、在日の人たちの情報収集能力を駆使したから、見つかった人材だと思っています。

 特に保見容疑者は、読売新聞から以前に、取材を受けたことがありました。その取材記事を、マスコミウォッチャー化、読売内部のこれらリスト内人物から提供を受ければ、見つけることができます。

 これは、創価学会とか、共産党とも同じです。重厚なメーリングリストを持っていて、しかも用途別にすぐ使える様に、ファイル化してあると思いますよ。ベネッセの個人情報が漏れたなんて言うニュースは、どっちでもいいほど小さいことなのです。もれるか漏れないかは別として、この世の中には、だまされて、同窓会の名簿さえ作ることのできない上品な中産階級と、情報を駆使して抜け目なく出世していく、成り上がり者とで、成り立っていて、後者が、破壊的に出世して、金銭と名誉を独占しているという現状があります。北野武監督が在日かどうかは知りませんが、2011年度で、13億円の収入だそうです。破壊的な出世というのにあたります。

 で、元に戻ります。川島女史が、メディアの世界でも、リアルな世界でも、『山口さんは、自殺です』と、触れ回ったことが、私の大いなる傍証の一つとなって、山口さんは、他殺であったと確信をしています。川島女史は、この件に関しては、まさしくマタハリ、または、川島良子級のインテリジェンスでした。

 その他殺の原因となった人物たちが何人もいますが、秋山裕徳太子氏の行動と、野見山暁次氏の行動は、確実に原因の一つとなっていると思います。野見山氏が、60%ぐらいの原因者で、秋山氏が15%ぐらいの原因者で、山口みつ子さんが、殺されたと、私は考えております。

 このシリウスの壁画が注文されたころは、山口千里さんが、まだ秘書にはなっていなかったと思われるので、一種の連絡先とか、何とかとして、山口みつ子さんが、かかわった可能性はあるのです。しかし、山口さんに、お金が何パーセントか渡っただろうか?と、考えると、ノーなのだろうと、思い至ります。野見山さんがここまで、大きくなったのは、定期的に、使用料を取らないで、個展を開いてあげた山口さんの貢献は大きいです。それなのに、山口さんは、金銭的には野見山さんから、正しい見返りをもらっていません。山口さんが、自殺だと喧伝をされていて、その理由はお金に困っていたからだとも喧伝をされていますが、それが、仮に正しいとしても、かえって野見山さんの責任は深くなります。

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副題6、『電話を使った脅かしについて』

 今、そこまでを語るのは、もう一つ理由があって、この2014年二月に、妹からかかってきた電話が、どうしても、腑に落ちず、あれはやはり、私をひっかけ、苦しめていく為の罠ではなかったのか?と、言うことを、14日から、書き始めています。だから、前報がなかなか、完成をしないのですが、『妹まで、道具として使われたかな?』『妹は納得をして演技をしていたのかな?』と、まで、気づくのは、その前の段階として、かれらが、いとこにまで、手を伸ばしている野に、気が付いているからでした。そして、別の親戚(=はとこ)までにも手を伸ばしています。見事にそれがわかっていますが、まだ、ブログには書いていません。

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副題7、『電話を利用した攻撃をしてくる人物の、新候補が、出てきた』

 書かないでいると、彼らは、『その攻撃には、彼女は、まだ気が付いていない模様なので、だまし討ちが大成功をした』と、考えるらしいのです。それで、私が『敵さん方は、トカゲの脳味噌の持ち主で』と書くと、『ふん、何を言ってやがるんだ。反対だろう! お前こそバカではないか』と高飛車に出て、さらに単純な攻撃をしてきます。昨日はワンギリの電話をかけてきました。久しぶりでしたが、本体のブログで、ワン切りについて触れたので、掛けてきたのです。それは、昔は井上ひさしだろうと推察していましたが、この10月11日にノエミという猫の名前に触れた途端に、真昼間でしたが、無言電話がかかって来て、それを、そのタイミングで、やれるのは角田祝二・雅子(仮名である。今書いている小説では、最大級の悪人として、表現をされる。彼らがやることがあまりにも汚いので、全体を実名で書けなくなったもの)夫妻しかいないので、『2007年ごろから始まっている、この、ワンギリ攻撃は、あの夫婦がやっていたのかなあ』と、考える様にもなっています。

 またね。その日(11日の深夜で、実際には12日の早朝になる)、彼らの一階に電気が、珍しく真夜中ついていました。朝の4時に、主人が起きてきたので、『一応、ここで、やめないといけないな』と私は考えて、パソコンをシャットダウンもせずに、放ったらかしにして、ともかく、外へ出たのです。徹夜明けなので、パソコンが使えない限り、すぐに、寝ないといけませんが、数百ある鉢植えの様子は、点検をして置かないと、寝られないからです。乾燥している日は、前日から、30時間経過しただけでも、鉢植えの植物が駄目になるので。

 で、偶然にも朝の4時に角田家に、珍しく電気がついているのに、気が付きました。12日の朝の時点では、まだ小説家はしておらず、すべて実名で表記していましたので、どういう風に文章が流れるかが心配で、監視していたものだと推察されます。

 語るに落ちるというたぐいのものでした。今、それを、いったん引っ込めてありますが、ビビッてそうしているわけではなくて、丁寧に整えたいからでした。内容が汚い時ほど、文章だけは、きれいにしておかないと、いけません。それは、一種のサービス精神ですが、日本人ならだれでも持っている、思いやりの類のものです。

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副題8、『K’s ギャラリーのオーナー増田きよみさんは、野見山さんに心酔をしている模様だ』

 私は今は、巡る画廊の数を、半分にしていますが、元気なころは、新橋から、時には日本橋まで、めぐりました。で、渋谷や新宿を除けば、ほとんどすべての画廊を、まわっているので、画廊のオーナーの人格やら性格は熟知しているつもりです。画廊とは女性向きの仕事だとみなされていて、女性のオーナーが多いのですが、その中で、「とくに、美的センスに優れているから、画廊をやっています」と、言う女性は、そうは、多くありません。K's ギャラリーのオーナー増田清美さんは、その手の美的センスの優れている画廊主であって、とくに色の感覚に優れています。

 フェイスブックをやっていた時期に、ちらっと彼女の頁に入ったことがあるのですが、都立高校の出身です。美大とか、美術専門学校は出ていません。だが、画家の才能を見抜く目はある人です。で、自分のところで、個展を開かせる画家を、選別していって、今では、色づかいの面では、優等生の作家を集めるという形で、大体、統一をとることができる様になっています。

 彼女は後発の画廊の方ですが、私はひどく気に入って、毎週行くし、作家にも声をかけたり、オーナーにも声をかけて、通る画廊となりました。それは、西欧風に言えばアガペーの交流のある世界でした。ところが、2007年ごろから私の身辺に異常なことが起こり始め、私は、誰かが使者として立ち、銀座の画廊街で、私に対する悪口を流していると、感じました。以前から、赤津侃さんが、それをやっているとは、いろいろな人から聞いていましたが、彼は、欠点も持っている人なので、彼の言葉を全部信じる人もいるはずもなく、急にこれ程、体制が悪くなるはずもなく、もっと別の人が悪い風評を流していると、気が付きました。

 今では、それは、野見山暁次さん、油井一人さん、平野和子さん・他であると、大体わかってきています。だけど、その頃は、まだ、分かっておらず、増田さんに教えてもらいたいと思いました。で、夕食に誘いました。増田さんは教えてはくれませんでしたよ。だけど、誠実にも一緒に夕食は付き合ってくれました。

 それが、増田さんが、画然と、出世して行く機縁だったと思っています。ずいぶんはっきりと、自分のことを偉そうに、言う様ですが、これは、だれも真実を告白してくれなくても、正しいでしょう。どういうことかというと、尾行がついていたか、増田さんの画廊に盗聴装置が仕掛けられていて、私と彼女が一緒に居酒屋へ行ったのが、敵さん方に、把握をされていたのです。

 住居の近辺でもそうですが、私の敵たちは、私に友達ができるのを、異常に恐れています。それは、自分たちが数の力を信じているから、たった二人でも、それが、大きな力になると信じているのです。で、すぐ、増田さんを、私から引っぺがす作戦が開始させられて、その目的にかなうもっとも、大きな使い手として、野見山さんが、乗り出して来ました。野見山さんは無論、その後ろから、誰かに頼まれたわけですが、それが誰であるかは、まだ私には見えていません。

 でも、野見山さんが、増田きよみさんに急接近をしたのは、確かでしょう。方法はどういう形かというと、野見山さんをお祝いする大きなパーティの、二次会等へ、増田さんを招いて、出席させるのです。そこは少人数のはずで、しかも、打ち解けた会なので、野見山さんの言動は出席者全員に伝わりやすいです。そこで、野見山さんが、増田さんをほめ言葉とともに、有力者に紹介します。そういう紹介があった後では、お金もついてくるでしょうし、名誉もついてくるし、実力もついてきます。美術雑誌が野見山さんの後ろ盾で、増田さんの画廊を取り上げてくれたり・・・・・ここで、重要なことは、無償でということです・・・・・増田さんが推している画家について、記事を書いてくれたりします。これも重要なことは無償でということです。

 こういう流れは一見すると、策略とも政治的な問題とも思えません。で、彼女が、十分に野見山さんに心酔した時期に、野見山さんが、「雨宮舜(=本名、川崎千恵子)は、だれそれと、けんかをしている、大変迷惑な存在であって、うんぬん、かんぬん」と、彼女に吹き込めば、彼女も、すぐさまそれを信じるでしょう。特に鶴岡八幡宮様と、井上ひさしの名前を出せば、詳細を知らない人間は、いちころでしょう。

 こういう仕組みで、私は、コツコツ、作り上げた友達を失っていきます。そして、反対に敵方に取り込まれた元・友達の方は、社会的名誉とお金を得ていきます。そういう流れと同じ手法が、昔からの、学友にまで及んでいます。そういう流れの根本の根本のところに、瀬島隆三から始まる土地をめぐる泥棒㋾、私が目撃しており、それをわたくしが文章で、説明できる力を持っているということがあります。で、私を暗殺する仕組みと仕掛けが、次から次へと行われ、それが、積もりに積もって、大変な重さに、なっている事が、原因なのです。彼らは無論の事、自分たち側が不利になる部分は説明をしませんので、彼らの言説がすうすう通ってしまうのです。それが、私が良く言っている、『私には、五億円の被害がある』という実態です。

 でもね。これでは、私があまりにもかわいそうだとお思いになるのか、ときどき、神様が私を、お助けをくださるのですよ。ただ、それらのエピソードについては、今は語りません。で、先へ進みましょう。

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副題9、『ギャルリー志門も、相当に、いい作品が置いてある画廊だ』

 色のセンスが、よいという意味では、K'sギャラリーは、断然トップだと、いまだに思っています。ただ、展示されている作品に統一感があると思う画廊は、ほかにもあります。今の、増田さんの画廊は京橋に移転をしたので、私が巡る順路でいうと、北の方にあたります。

 で、私の順路の南側にあたる6丁目に、ギャルリー志門という画廊があります。ここは、やはり、後発の画廊です。別に私が二人をライバルとして設定できるわけでもないが、ちょうど、オーナーの年齢等が、同じくらいで、しかも開廊も同じころではないかとみています。

 こちらは、色において統一感があるというわけではないが、すでに売れる段階の作家を扱っていて、やはり、誰か有力者のサポートがあるのではないかと推察をさせます。または、オーナー自身が、昔、有名美術館に勤めていたのではないかな?と、推察させるところがあります。私は噂話を全くしない人間なので、彼女の個人的な背景は知らないものの、推察していることは間違っていないでしょう。ともかく、彼女が徒手空拳で、自分の力だけで、運営をしているとは、思えません。

 増田さんと違うのは、『こちらは、女子高育ちではないかな?』と、思わせるところがあって、そのあとで、エスカレーター式に上位の大学へ進学したのか、または、別の大学へ進学したのだろうと思われます。だから、都立高校出身で、やや野暮ったいが、誠実で、信頼感のおける増田さんとは、異なっていて、いろいろなポイントで、おしゃれです。また、プライドも高いでしょう。で、抜け目もなくて、その点では、怖いかな?

 この画廊では、私は、今、失礼な対応を受けていると言ってもいいのですが、それは、赤津さんあたりからの情報を、この人が鵜呑みにしているからだと、推察していて、それは、それで、仕方がないと思っています。現実の世の中は、天国ではありません。それでも、客観的に言うと、私は好きなことをやる人生を送ってきたのだから、ラッキーな人でもあると言え、ある面では、幸運な人でもあります。有名出版社から自分の本がまだ、出版されていない人だから、これほどの、真実を、かつ、自由自在に、語ることができるのですよ。だから、これで、いいのです。何もかも得ようとしてはいけません。神様の愛顧を失います。

 さて、10月13日からの、この画廊での、展示作品はとてもいいものでした。無彩色ですが、色目を感じる、作品で、作家にいろいろ質問をすると、なんと、墨と和紙で、制作した作品だそうです。現代アート系の作品としては、使ってある材料が極めて珍しい作品です。青墨を使い、漂白をしていない越前和紙の上で、制作してあるのだそうです。温かみを感じるのですが、青墨を使ってあるということに、驚きました。版画の世界では、パリに本店があるシャルボネの版画インクというのがとても有名ですが、それにも青系のくろと、赤系のくろがあります。どちらを使うかで、出来上がった作品が、鑑賞者にもたらすニュアンスが異なってきます。

 で、満足して去ろうとしたときに、いつもと違う点が二つあるのに気が付きました。潜在意識の中でです。ただ、たった一分後には、それが、大変役に立つのですから、センスが、いつも、ピンと立っているということは、時には、身を守ります。

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副題10、『銀座六丁目、新保ビルでは、過去にもいろいろあったなあ。感慨が深いよ』

 一つは、オーナーが、うろうろと動いていたことです。この人は普段は、こんなにうろうろと動き回りません。それに違和感を持ったこと。二つ目は、ピンクのシャツを着た四十代後半と思われる男性が、私の次の客として入って来て、入り口まで到着をしているのに、画廊の中には入らず、エレベーターに乗ろうとしている私の、傍らに立ったことです。『いい作品なのに、どうして見ないで帰ってしまうのだろう?』と不思議に思いました。

 さて、エレベーターボタンを押したのですが、なかなか、降りて来ません。すると傍にいたピンクのシャツさんが、「ずいぶん、遅いですね」と、言いました。「ええ、そうですね」と、私はうなずきました。で、待ったなあという感じを受けた後で、ドアが開きました。驚いたことに中が満杯でした。大人が四人乗っていて、その最前列に画廊るたんのオーナー、中島さんがいました。すぐ、『ああ、これが、本日の仕掛けですね』と思い至りました。

 と、同時に、このビルが舞台と、なった過去のいろいろな事案を思い出しました。このビルの一階で、外人に呼び止められ、「あなたのうちへ行きたい」と言われたこと。画商風を装っていたが、アサッシン(暗殺者)でした。「絶対に、一人で家にいてくださいね」と念を押し、主人のいない火曜日にデートの約束をして、鎌倉までやってきました。だけど、彼から、そういう申し出でを、新保ビルで受けた瞬間に、私は彼の目的がわかったので、主人には、当日家に、いてもらいました。おとなしそうな男性で、殺人鬼とも思われませんでしたが、絶対にコートを脱がなかったです。懐に、ピストルでも隠していたのでしょう。でも、その場に夫婦二人ともがいると、それを二人とも、殺してしまうと、子供や主人の患者が、騒ぐでしょう。そうなると、しっかりとした犯罪になるので、計画を中断したのだと思います。もし、私一人だったら射撃した後で、遺体を待ち構えていた別の人間たちと一緒に、即座に始末して、単なる行方不明とさせる計画だったと推察しています。真実を語るものは、本当に大変なのですよ。

 そして、その外人は、最後まで、名前もメルアドも言いませんでした。ケイタイを取り出せば、すぐ、自分がどういう人間かは、示すことができますが、示しませんでした。私はお願いして、わざと一緒にペア写真を撮っていますが、さすがにそれを公開する気分にはなりません。

 こんなことを、ちらっと思い出しながら、『このビルって、いろいろな面で、CIA様に支配をされているんですね。二階に画廊がある、るたんのオーナーが、五階から降りて来るなんて! 今日の罠というか、しかけというか、寸劇は、凝っている事』と、思いました。

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副題11、『しかし、連中様の思惑とは違って、私は、内心で、にっこりする』

 さて、急に画廊るたんのオーナーに、出くわすことになっても、私は、まったく動揺をしませんでした。これは、6月2日に、五時間ものデートを重ねた安藤てる子さん(=私のブログの熱烈なファンを名乗り2011年に近づいてきた人。だが、本当は、女性刑事が変装していると思われる。100%のスパイ)に、私が、

 「嫌なことがあるときは、知らんぷりをして事態を乗り切る」と言っているのを、利用した一種の復讐行為だと思います。

 何に対する復讐行為かというと、私が今、自宅近辺の悪辣な現象を、仮名で小説形式で書いていますね。その中で、『こういう風に仮名で書くと、必ず、<そうか、そこまでわかっているのなら、真実を書かないうちに殺してやろう>と、なって、復讐をされて、大損をするので、できるだけ実名で書きたいのです』と書いています。そこを狙った復讐です。何が復讐にあたるかというと、私は中島さんが、どれほどのいじわるをして来たかということを、過去に書いています。そしてそこから国画会内部の忌まわしい現象の数々を書き進めようとしています。後でリンク先を探しておきます。

 だが、嫌がるはずだと、思っているだろう、彼らの思惑とは違って、中島さんと出くわしても、動揺したりビビったりすることはなく、内心で、ニヤッとするぐらいでした。つまり、中島さんと、一緒にいる三人のお客さんと、中島さんが、今、私のために、動いているわけですね。

 そして、こんなにタイミングよく、彼女が目の前に現れるためには、相当前、例えば一時間は前から、このお客さん三人と一緒に打ち合わせ小しないといけないので、私が鎌倉を出た途端に、準備が始まったのでしょう。『今、七時ですから、中島さんは、この三人の動員したお客と一緒に、<手伝ってくれてご苦労様>と、言いながら、慰労会を開くのでしょうね。どこかなあ』なんて考えながら、と、同時に、内心でだけ、ニヤリとしてしまいました。だって、この三人のお客を動員するほど、私は、中島さんに、意識をされているわけです。それは、かまってもらっているというのと同義語です。

 私ね。最近では、誰からも、かまってもらっていません。(笑い) だからこれは、本当に珍しい体験です。銀座の有力画廊を経営している人にして、とても、気が強い人でもある中島さんから、この私が、今、この瞬間は、かまってもらっているのです。別にお茶を出してもらったわけでもありません。それから、「お菓子をどうぞ」と言われたわけでもありません。でも、こういう寸劇を準備されるだけでも、結果としては、もてなしてもらっているのと同じことなのです。

 私は思わずほほが緩み、心から、楽しくなってしまいました。でね、人間とは言葉で語らないでも、体が出すオーラで物を語ることができます。

 でね、私が心からリラックスをしていて、中島さんを怖がっても、いないことが、中島さんにも、わかったらしいのです。で、「一階を、押しましょうね」と、親切にも、彼女が言ったので、「あ、ありがとうございます」と、私は言いました。別に、「あら、中島さん、お久しぶり」とは、私は言わなかったし、彼女もそういうたぐいの言葉は、出しませんでした。でも、ほかの人から見たら、「あの、人達は知り合いだな」ということは、わかるでしょう。知り合いなんですけれど、けんかもしないし、親しくもしない。一種の平坦な感じ。空気が流れているだけの感じ。ピリピリはしていない感じ。

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 副題12、『二階から一階までの、間で起きたこと』

 さて、二階で、ぞろぞろと、一行は降りていきました。私は一瞬だけど『画廊るたんに寄ろうかな』と考えました。目的の方が不明でしたけれど、ともかく、大きな芝居を打ってもらいました。<かまってちゃん>という言葉がありますが、かまってもらったのです。そのお礼に、「久しぶりに、寄ってみようかな」と、言いながら、中島さんに、ついて行ってもよかったかもしれませんね。三十代のわたくしだったらそうするかもしれません。今よりずっと繊細で、人の気持ちに寄り添うことを、善としていますから。

 でも、今は、すっかりふてぶてしくなりました。『ああ、そうですか。それは、ありがとうございます』というだけで、それ以上の動きはせず、単純に見送りました。先ほど、小さな違和感を抱いたピンクのシャツさんは、私と一緒に残りました。その後の、たった、数秒の間に、思いがけなくも面白い会話が成立しました。「変ですね。あの人たちが、あんな上から降りて来るなんて」と彼は言いました。私も「ええ、そうですね」と答えました。その人は壁の上の方についている、このビルの案内板を見つめました。

 このビルは、古くもないが、新しくもなくて、ビルの資材としては、高価なものが使われています。エレベーターも容量が大きくて、壁には真鍮にふちがついた、立派な案内板がかかっていました。それを見ながら、「あ、珍しい。銃砲店がある」と、彼は、いいました。私も思わず振り返って、「あっ」と言いました。日本社会の中で、銃砲店がある場所なんて、早々はありませんよね。

 その時、銃砲店というキーワードを通じて、二人の間に、親密な空気が流れました。で、エレベーターが一階について、廊下に入った時に、私はつい、その流れのままに、「あなたは、さっかですか?」と問いかけました。作家というのはこの際は、画家とか版画家とか、彫刻家を指すのですが、プロが使う言葉として銀座では通用するものです。一般の人は、作家という言葉では、小説家とか、エッセイストを思い浮かべると思いますが、銀座では、美術の関係者の中で、特に、作る側の人を指します。

 しかし、驚いたことに、そのピンクのシャツを着た男性は、何も答えませんでした。新保ビルは、エレベーターを降りたところが細長いホールになっています。1.5 X 5 間ぐらいの。その間、ずっと答えませんでした。ホールの突当りにガラスのドアがあります。 

 そこを出たところで、私は右側の新橋方面に向かい、その人は、左側三原橋交差点の方へ向かいました。それで、すべてが終わるはずでした。で、そのあとで、私はいろいろと、文章を書いたはずです。

 ところが、私が質問をしてから、ほぼ30秒はたっていて、ほとんど返事がないはずだと、思い始めた時に、かれは、『コレクターです』と答えました。後ろを向いたまま。

 私は彼とは、ますます、遠ざかっていく右側に向かいながら、又もや、『う、ふ、ふ』と笑いだしていました。本当に心から笑いました。楽しかったです。

 何が楽しかったかですが、それは、『人間んて、いいものだなあ』と、感じることができたからでした。私は考えることが大好きです。そして、考える対象として、『人間とは何なのだ?』ということを考えるのが、好きです。

 今、完成させようと努力をしている、小説化、雪ノ下問題も、その一つです。それは、簡便に、「桜が、こどもの、身代わりになって死んで呉れて」としてあります。あまり、しっかりとしたタイトルでもありませんね。ただ、ストレートなだけのタイトルです。どうして投げやりなのかというと、その中身が、人間賛歌にはなっていないからなのです。『人間って恐ろしいなあ』とか、『人間って、汚いなあ』とか、『人間って馬鹿だなあ』と、言う内容で終始します。だけど、あるテーマでまとめると、どうしても、そうなります。ある側面を切り取るとそうなります。

 で、書くのに、疲れ切っています。きれいなこと、楽しいことを書くのは、楽ですね。でも、汚いこと、恐ろしいことを書くのは、大量のエネルギーを、必要とします。そして、達成感も少ない。でも、それも人間のある一面です。

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副題12、『この寸劇には、総計、7~8人の人が動員されていましたね。最後の人間が、面白く賢かったです。で、終わり良ければ総て良しとなる』

  この寸劇に動員された人は、総計7~9人に及ぶと思います。主役は私と画廊るたんのオーナー中島さんです。で、ギャルリー志門のオーナーも協力者であり、エレベーターに乗って上から、中島さんと一緒に降りてきた数人のおとなも協力者ですが、硬い表情と硬い態度なので、『あら、あら、奴隷として使役をされている人たちって、駄目ねえ』と思いました。この様にタイミングよく行動をするためには、三原橋交差点より北側の画廊も、動員をされて協力をしたと推察をしています。でないと、中島さんは、他人を5階のエレベーターホールで、数十分待たせておかないといけません。それは、重すぎる任務なので、頼めないと思います。で、その様に、タイミングよく行動するために時計役を果たした人間を入れると、協力した演技者は、総計7,8人となります。

 で、「あ、銃砲店がある」といったピンクのシャツを着た男性も、むろんグルでしょう。だって、彼は、「変ですね。うえから降りて来るなんて」と言いましたから、画廊るたんが、二階にあるということと、この一行が、画廊るたんのグループであることも知っていたのです。でも、中島さんと、あいさつを交しませんでした。ですから、この寸劇を企画した側の人間でしょう。

 そして、最後の最後に、質問に長い時間答えなかったのは『え、どうして、僕に作家という言葉を投げつけるんだろう?』と一瞬、不思議に、思ったからでしょう。ということは、彼は、美術の世界のプロではない可能性があります。でも、30秒ぐらい考えたうえで、『ああ、そうか、画家の世界では、作る人を、そう呼ぶのか』と理解して、『じゃあ、どう答えたらいいかな?』とさらに前に進んで考えて『コレクター』と答えた可能性はあります。

 とても頭がいいです。でも、こういう考察は、彼が本当にコレクターだったら間違っていますね。でも、単なるコレクターであっても、この日は頼まれてグルのメンバーをやっていたのです。彼の任務は、私の様子を観察し、こういうアイデアを企画した上司に、私が、中島さんの姿に接して動揺をしたか、どうかを報告をすることだった筈です。

 ここで、2万字を使い切ってしまったので、この続きは別章で語ります。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2521317す。

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むべ(アケビの一種)の写真

2014-10-14 11:04:43 | 政治

これは、次の文章(後注1)に使う写真を処理するためだけの章なので文章をつけません。

後注1、

野見山暁治・シリウスの壁画・ノーベル平和賞のから騒ぎ + 銀座の画廊るたん・不思議な寸劇

2014-10-15 23:48:13 | 政治
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隣人にも、友人にも裏切られる。それが政治問題ウォッチャーの宿命なのだ(小説化雪ノ下問題ー2)

2014-10-13 22:52:47 | 政治

  この文章は、一回、総タイトルを変更しました。最初は、『桜が、こどもの、身代りに、死んで呉れて・・・・・その2、登場人物たちを整理して置こう、そのA』でしたが、今は上の物へ変更。

 これは、前報(後注1)なので、いつもの会話体を捨てて、小説として書きます。だが、小説として、文章を書く事を、嫌う本心が、体の中に、あります。小説として書くと、自分が今、負っている被害が、さらに拡大する傾向が、過去に何度もあったからです。で、12日は、それへの懸念が、妨害となって、仕事が進行しにくい状態が続きました。

 しかし、今回だけは、登場人物のやっている事が、おぞましすぎて、実名で書くことに懸念があり、小説化した方が、よいかなと、思っています。だがね、小説を書いて、それが、読者に受け入れられるかどうか? そちらについても懸念がありました。私は、小説家として、キャリアが、あるわけではありません。『ここに書いてあることが事実です』ということが、自分のセールスポイントでした。それが、自らに迫力を付与し、したがって、このブログが、『天への貢物です』と公言して、読者サービスをないがしろにしているのにもかかわらず、一定以上の読者を確保していたのです。その数は、グーグルなどでは、虚偽の報告をされていますが、結構、膨大なものであり、このブログはすでに、知る人ぞ知る有名なものになっていると感じます。

 で、12日から、13日にかけては、引き裂かれる様な、アンビバレントな状況にありました。で、珍しく、書くという仕事のスピードが、落ちていたのです。

 しかし、登場人物が、読者には、知られていない人々だという事に気が付いた時から、元気を回復しました。同じ人物が、私の文章の中で、何度も登場していますので、このブログを連続して、お読みいただいている方には、『ああ、あれは、あの人だね』という同定もできるとは、思います。だが、それらは、有名人ではありません。最近名誉都民となった、長嶋茂雄氏というわけでもないので、

 本格的な小説として書くためには、登場人物の、キャラを立てるべく、さらに詳細に、説明しないといけません。が、それは、また、膨大な時間を要求し、紙で書くのではないブログという世界で、それが、通用するのかどうかに、ついて、私側に疑問があります。

 でも、両者の間の、欠片を埋めるべく、登場人物が、過去に行ったことの概略を、・・・・・罫線で挟んで、挿入し始めると、やや、生き返る心地がしました。それは、自分にとって、書くのが、面白い課題だったからです。というのも、それが、意外な効果を上げることにも気が付いたからです。

 それは、自分だけには、分かっているこの小説もどきの全体構造を、明らかにするのでした。

 名声がすでに、確立した小説家だったら、そんな過剰なサービスは致しません。構成については、自らの内部の秘密条項として、とっておき、読者には、その一日で、読者が読むことが可能な分量を提示するという方法をとるでしょう。新聞小説、または、週刊誌の連載小説然り。だが、繰り返し言いますが、私は美術畑の人間で、小説家としてのキャリアが、ないのです。

 で、謙虚にも謙虚にも、あらすじが、わかってしまってもいいから、登場人物についての解説をしていきたいと思います。で、これが、意外にも、重量感たっぷりの文章へと昇華していくのですよ。いつも、書き手としての私を神様が見守ってくださっていると感じていますが、今回のこれも、書き始めてから、30時間後には、この文章が、意義深い、教養エッセイになって行っているのを、感じ取っています。今は、14日の、夜10時ですが、推敲を開始します。その最先端は、@@@@7罫線で示します。

====小説としての、鎌倉雪ノ下問題(=桜が、子供の身代わりになって、死んで呉れた)の登場人物たち解説====

+1)、村岡百合子;;;;;

 1942年生まれ、現在、72歳のクリエーター。本来は、美術畑の人間だが、自らの周辺にあまりにも異常なことが起きるので、その謎を解こうと決意して、思索を続けている。大学で、哲学をする手法を学んでいるので、思索とは、文章に書き落とさないと、堂々巡りをすることは、知っており、思索の結果を文章に落とし、メルマガ、もしくは、ブログで、世界へ向けて発信をしている。

 その哲学する道具である、パソコンに、2007年から異常が頻発し、無言電話もかけられ、真夜中にワン切りも、頻発し、メールなどで、デートの約束をした日には泥棒が入り、ご近所や、銀座などで、いじめられることが頻発する・・・・などの現象が起こり続け、やがて、これは、自然なことでも、個人的なことでもないと、気づき始める。

+2)、桜井友二;;;;;

 主人公百合子が、1985年、鎌倉へ、転入してきたときの町内会長。アメリカ・カリフォルニアで、生まれた二世であり、それゆえにか、羽田空港で、航空機燃料を扱う会社を経営している。社長であるのと、扱う商品の単価が高いので、富豪である。高い丘の上にある、邸宅は、30年前には、鎌倉駅のホームから遠望できた。今は、樹木が成長したので、見えないが。その東側の境界地主は、鶴岡八幡宮であり、自然に満ち溢れた、鎌倉でも、上質な方の住まいの一つである。

 妻は双葉出身の淑女で、子供たちは、東大と慶応卒業である。自他共に許す、町内一の、立派で幸せな人なのだが、どうしてか、相当に臆病でもあり、信念も足りないので、町内に跳梁跋扈しているわがまま主婦たちをコントロールできない。で、たった20戸しか家がないのにもかかわらず、この町内は、トラブル噴出で、もめごとが絶えない地域となっていた。

 ここで、百合子は・・・・・どうしてか・臆病で・・・・・と、まるで答えが出ないみたいに書いているが、実は出ている。帰米二世として、二つの祖国の間で、揺れ動いた青春時代を送ったために、ああいう・・・・・ぬえ・・・・・みたいな、人物になったと。CIAなどとも、深い交流があったと推察している。

+3)、世島龍三;;;;;;

 戦後日本最大のエージェント、元海軍参謀、益田重夫氏と親友、益田氏が仕掛けた一種の詐欺を、百合子が、横須賀市北久里浜で、見破ってしまったことから、しつこく百合子を追いかけている。特に「ライターとして、大きくなることは許すまじ」と、考えている、一応死んだこととなっているが、手下、および、パペットは、莫大な数がいるはずで、桜井友二氏とも直接に、懇談をしていた可能性もある。

 次に出てくる佐藤端二郎は、むろん、直接の子飼いエージェントである。また、その次に出てくる、山上たかしも、むろんの事、子飼いエージェントである。

+4)、佐藤端二郎;;;;;

 日本一発刊部数の多いタウン誌と、私費出版をメイン業務としている鎌倉の出版社社長。人たらしの天才で、鎌倉の名刹のトップたちとは親しいし、市役所・県庁人脈とも通じている。NHKをも自由自在に動かす。+6)の花沢昇・大川範子夫妻は、とくに、親しい。またその縁で、この山の大勢の住人と一緒に会食などして、すでに、手なづけて、いる可能性は大きい。

 また、中央大学法学部出身なので、その人脈を生かして、法曹界を動かし、裁判の判決を利用して、百合子を脅かしたり、苦しめたり、悲しめたりしている。銀座の画廊にもむろん手を出している。埼玉景子法務大臣の死刑場公開もむろん彼からの要請で行われた。

+5)、遠野夫妻、その1;;;;;

 銀行に勤めていたと、推察される如才ない夫婦。三人の子供がいる。だが、妻は、実母ではない。略奪婚の勝利者だと思われるその妻は、若尾文子似の美形で、しなしなと、動作だけは優雅だが、怜悧な本質を持ち、計算高く、どうしたら、自分が、周辺を支配し、一番になれるかを考え続け、工夫し続けている。

 百合子の土地が盗まれてしまった事の一番の主因者である。が、そんな事情への反省などみじんもなくて、百合子が、海外へ版画修行を続けた頃に、鬼の居ぬ間の洗濯の一つとして、北側の崖地を開墾をして、20坪ぐらいの新たな、土地を取得している。そこが、折に触れて、自分たちサイドを強化するために、使われる。これは後出の、+12)へ続く。

+6)、花沢昇・大川範子夫妻;;;;;

 二人そろって、背が高く、体重も重い。妻・大川範子は、陶芸教室の主宰者である。そこに出入りしていた、有機野菜の販売人花沢昇と、結婚をしたが、収入が多額なので、夜は、よく鎌倉市内へ操り出し、そこで、「自分は、鎌倉の有力者、佐藤端二郎の元愛人だったから、いろいろ便宜を図ってもらっていて、弟子が、200人いる」と、豪語している。

 200人もの人に悪口でも言われたらかなわないので、ご近所みんな+12が道を開けて通すので、さらにわがままになっている。2001年から百合子宅では、二匹目の猫を飼い始めた。それが大川範子宅に、遊びに行った事をきっかけに、帰してくれない様になり、2004年ごろから、百合子宅と、大きな争いになる。2005年の8月末に、百合子の猫が、百合子の方を好きな事を初めて知り、パニックに陥って、警官を呼び、自分側の名誉を確保しようとしたために、さらに大きなトラブルを招く。

 その日の1年半後に、癌で逝去。ただし、3か月前まで、普通の状態で、小町通りを歩いていた大川範子を見かけている百合子は、『彼女は、あまりにも大きなへまをしたので、トカゲのしっぽきりよろしく、殺害をされたのではないか』と、ひそかに疑っている。彼女自身は、パーティコンパニオンをしていた時に、佐藤端二郎と知り合ったと言っているが、百合子は違うと思っている。たぶん、二人は高校時代から、知り合っていたのだろう。

+7)、堀切家;;;;;

  この山は、トラブルが頻発していると、百合子は、ここを売りたがっている人から聞いた。「家内が、ノイローゼになったので、引っ越していきたい」と、その上流紳士は言っていた。その時は、百合子は、その売り家を買わなかったが、2回も3回も同じ場所に売り家がでて、そのチラシが、横須賀の家に入り続けるので、1985年にはとうとう購買を決意する。その時の売り手が、堀切氏で、百合子に「私は、元は、映画館を経営していました」という。「ここは、東西南北、だれにも接しないで済む家で、自然環境も素晴らしいので、売りたくないのですが」と、苦渋の表情を浮かべる。

 百合子は内心で、『それだけのトラブルに、あなたも巻き込まれているのですね』と感じたが、『自分は、すでに、幼稚園で、PTA会長を経験しているほどのベテラン主婦なので、乗り切れるだろう』と、思い、引っ越してくる。家は貧しい資材で、作り上げられていて、町内で、一番小さかった。そのうえ小さい子のいたずら書きがいっぱいであり、堀切氏一家が、庶民的であり、かつ、だらしがない人だったのもわかった。だが、百合子は『この家は、庭が広いので、後で増築すればいい』と考えていたし、前の家を売り払ってはいないので、自分は、金持ちのつもりだった。が、『家の小ささによって、近所の傲慢主婦たちの、軽蔑の意識を呼び覚ましていたらしい』と、あとで、気が付く。

+8)、梶本夫人;;;;;

 百合子の道一つ隔てた北隣の隣人。鎌倉駅近くの有名な小児科医院の令嬢。横浜国立大学の付属小学校やら、中学校のPTA会長の経験のある、インテリ夫人。だが、女中がいる家で、乳母日傘で育った人特有の、さばけないタイプの人であり、硬くて、庶民的な、他の主婦たちとは、合わなかった。

 そのうえ、遠野夫人、大川範子、角田夫人などが、主催する井戸端会議とは、最も近い家なので、騒音による怒りもあろう。また、角田夫人の田舎のエリート特有の粗野な威張り方をも、嫌いだろう。したがって、二人は、心理的に最も大きな確執を抱えていたと思われる。角田夫人は、共産党員らしいと後で、分かってくるのだが、それ特有の組織的な動きで、梶本夫人を追い込み、集団でいじめていくので、梶本夫人は、単なる繊細なインテリから、ノイローゼ傾向の強い、とんがった人へと変化していく。

 で、過剰な防衛反応を起こし、自分の宅地の角をとんがらかせる。騒音による侵害が、土地そのものの強奪への恐れへ発展をしたと思われる。下の写真は、角田夫人が、親の家を相続し、そこへ、新築の家を建てて引っ越していった後で、撮影したもので、後ろが更地になっているが、そこに、梶本家が、2005年までは、建っていた。

 

  1985年に、百合子が転入してきた時は、上の土留めは、すでに、構築されていたのだが、梶本夫人はさらに、奇想天外なことをやっていた。それは、中型の電動のこぎり(丸い刃がついているもの)を買って、道路に2本の切込みを入れているという行動である。

 梶本夫人はのちに、誠実な百合子が丁寧に、接遇する様にしたので、だんだん落ち着いてきて、毎日、昼間は庭で彫刻をなす様になり、個展も行う。だが、あとから考えると、Do it yourself の実行者だから、上のとんがり切った土留めも、彼女が一人で、制作したのかもしれない。

 こういう行動は、他の、数の力を頼む人間たちが、最も軽蔑をするものである。で、百合子が引っ越してきた当時は、いじめられきっていた。それは、百合子のケースと似ている。百合子の方は、大川範子のわがままによって、猫を外へ出せないこととなり、仕方がないので、自分で猫に寄り添って、散歩をさせていた時期があったが、その時期も角田夫人たち一向に、たいへんに軽蔑されいじめられるという経験をした。

 そこから敷衍して、類推すると、百合子がここへ引っ越してきた当時の、梶本夫人の被害意識は、ただならぬ段階に達していたと、推察される。が周辺から感じ取っていたであろう、『いじめられている』という感覚は、ただならぬ強いものであっただろう。で、心理学やら哲学を深く志向する百合子は、集団的いじめをやすやすとおこなう、角田夫人をひどく憎むのだった。そして、一般の人から見れば、気違いだと言われている、梶本夫人の方は、深いレベルで、気の毒だと、思った。

 ここで、一般の人というのは、町内会長桜井氏も含まれる。桜井友二氏は、百合子に向かって、繰り返し、繰り返し、「梶本夫人は気違いです。彼女は気違いです。だから、困っています。村岡さん助けてください」と言っていた。この梶本夫人も1980年代に限って語る。その後については別の機会に語ろう。

+9)、梶本家長女;;;;;

 小学校の先生をしているのに、母親にくみしだかれきっていて、自由に動けないみたいである。50を過ぎても、自宅(個室があるが、そこで)でメールをチェックできないみたいで、自宅へ上がる石段の途中で、長時間かけて、メールをチェックしている女性。

 母親は、彼女が、未婚なのに、堀切家の娘が結婚をして、孫ができて、騒ぐので、それが、原因で堀切家と、けんかになったと桜井氏は、百合子に説明をした。母は、夫がご近所側に味方をしたことをひどく怒って、夫を北側の一室に閉じ込め、お料理も作ってあげていない模様であった。その夫(長女にとっては父)が、パーキンソン氏病で、足が自由に動かないのに、娘さんは、その生ごみをもって下へ降りて、行くことはしない。普通、娘は父と仲良くなって、いろいろ、成長するのに、父親との関係は断絶している。全般的にかわいそうな印象の濃い女性。

+10)、梶本家長男;;;;;

 鎌倉を離れて東京で、妻と暮らしている。孫は生まれていない。本人は、美形であり、両親の愛情を一心に受けている感じがある。お嫁さんは超絶的な美人、のちに、2011年になって、このお嫁さんが、軽音楽系ピアニストとして、有名人であることを知る。この長男一家と接触したことで、百合子は初めて、この一家が、東邦映画の重役梶本正澄氏の義弟一家だと気が付いた。

 百合子の父は、旧制山口中学時代に、梶本氏と大親友であった。で、梶本夫人にこういうことを言ってみたいとは思いながら、近所の人間関係があまりにもとんがっていて、複雑なので、手を出さないでいた。そのうち、梶本夫人や両親から相続して土地へ新居を立てて引っ越していき、しかも、老人ホームへ入居。

 長男は、一種の高等遊民なのだが、その祖父から母へ相続された所で、駐車場を経営しているので、生活は安泰の模様。

+11)、ミスター梶本;;;;;

 後日いろいろがわかってくるのだが、上品な男性で、鎌倉では、有名な合唱団にも属していたそうだ。だが、百合子が、新聞を取りに行った際、また、回覧板を回しに行った際に気が付くのは、南側の居間には、ミスター梶本の居場所はない事だった。ウィークデイの昼間はもとより、お嬢さんが在宅している土日にも、ほかの休日にも、ご主人の姿は居間にはなかった。実は、北側の一室に閉じ込められていて、しかも、パーキンソン氏病を患っており、ほとんど、閉じこもり(または、引きこもり)状態だったのだ。ある時など、ぼつぼつという以上の遅さで、小さな生ごみの包みを持ちながら、石段を歩き降りているのに出くわして、気の毒なことだと、思った。が、毎日石段を下りて、小学校へ勤めに行く、お嬢さんでさえ、「お父さん、何か、用事がある?」と話しかけることができないのだから、百合子が何かを、話しかけても、永続的な改良が出来するわけでもなく、気の毒なご家庭だことと思いながら、ただ、放っておくほかはなかった。

+12)、遠野夫妻、その2;;;;;

 梶本夫妻が、これほどのごたごたした形になってしまったのも、百合子に言わせれば、遠野夫人が主催する井戸端会議に最も大きな原因があった。それは、2014年の今でいえば、マウンティング(つまり、女性同士の優劣を図る)用の場所で、あって、結局のところは、そういうことに一番熱心で、興味を持っている安野夫人の一人勝ちになるのだが、そこから、逃げるのは、同世代主婦には、非常に難しいことだった。

 

 

角田夫人;;;;;

 この事件の全体を長期間にわたって、見渡すと、『角田夫人は、非常に弱い人間ではないか』と、思い到っている。百合子の、72年にわたる人生経験をかけていうと、弱い人間ほど、困ったちゃんはいないのだ。強い人間は、考える力を持っている。しかし、弱い人間は、考えるという面倒くさいことをやっている時間が持てない。または、待てない。したがって、モノを丁寧に考えない。誰か、別の人間で、彼女が、『あの人は、自分より目上だ』と考えている人のいうことを聞く。だが、本質に基づいて丁寧に考えるということはやらない。こういう人は力というものに頼りたがる。そして、洗脳をされやすい。そしてその結果、組織というものを信奉し、左翼運動に入れ込みやすい。

 左翼運動にもいろいろあるが、花沢昇も所属をしていたはずで、したがって大学は中退となり、野菜の販売人などをやっていた。しかし、彼の所属をしていたのは新左翼系だ。角田夫人は、共産党系だと思われる。新左翼系は内ゲバを繰り返したりして、乱暴そのものだというイメージがある。それにメディア対策も上手だ。柄谷行人氏が、2011年の9月11日に反原発デモに参加しようと呼びかけたのなど、その最たるものだ。だが、組織に所属している人間の数が少ない。で、実働部隊が少ない。

 ところが共産党員は違う。組織に属している人間が膨大な数いる。で、鎌倉駅周辺で、繰り返しデモ隊が表れて嫌がらせをする。一回、それを書いたら、それが、効果があると、みなされたらしくて、メールや電話で外出の予定が決まっているときは、鎌倉駅周辺で、デモ行為がある。

 そして、共産党という全組織を上げて、深くて、恐ろしいわなを仕掛けてくる。最高裁がアスベスト被害に、国の責任があると判決を出したのも、その一つだが。(なお、どうして、アスベストが問題かは、別の時に語ります)

 だが、もう一つ、百合子の実妹夫婦を使った罠が仕掛けられていた可能性も感じ始めた。それが角田夫妻の案だったら、恐るべき悪人となる。

++++++++++

百合子の実妹;;;;;;

 百合子の実妹は、7歳も年下である。で、百合子の方では、一切、嫉妬心も競争心もないのだが、妹の方は、常に姉を意識しているみたいだ。ある時、「お姉さんは、バラの様な人だから。(つまり、派手で主役である)でも、私は違うから」といった。これは、野村監督の有名な発言「長嶋さんは、ひまわりで、僕は月見草です」に似ている言葉だ。確かに百合子は、小さい時から学級委員とか、入学式総代とか、卒業式総代とかをやるので、両親の自慢の娘だった。普段は虫も殺さぬ様におとなしいのだが、どうしてか本番に強いタイプであって、舞台の上では、まったく上がらない。落ち着いて堂々としている。

 だから成果を上げ続けた。だけど、結婚してから百合子は突然に、しぼんでしまった。百合子の夫は、百合子のエッセイを読む人からべた褒めである。「立派なご主人で、奥様が悪妻で、ご主人がお気の毒ですね」と、夫に直接言う人が多い。それから、夫が、日産自動車の研究所をやめて、鍼灸医に、なってから患者として接触した人たちも、べた褒めである。

 百合子自身も誠実だと認めているし、いつも明るい人だと認めている。だが、夫婦となると、同い年だというのは、とても難しいところがあるのだ。特に百合子の父が、25歳までに結婚をしないのなら、別の人とお見合いで結婚をしなさいと言っていたので、彼に結婚をせかした。これが、大問題で、夫の方に、夫としての心構えがなかった。

 広い家で、個室をもって生きてきた人間が、突然、6畳一間で、24時間、顔を突き合わせて夫と向き合う。その相手は、ありとあらゆる意味で自分とは違う人なのだ。お茶の入れ方。おちゃわんの洗い方ひとつ違う。そして、働いている妻が、今までは料理から洗濯まですべて実母にやってもらっていたのに、急に二人分をこなさなければならず、負担が急激に増えたということにも、思いが及ばない。世の中に離婚が蔓延しているが、その理由もよくわかる。きっとこういう時のすれ違いに、どちらかが耐えられないのだ。

 これが、神田川の世界で、セックスから先に始まった関係だと、また違うのかもしれないが、1960年代の、きちんとした家庭の娘や息子は、お見合いではなくても披露宴前にセックスなどしなかった。

 だが、世の中の大勢の若い人に言っておきたい。「すったもんだが、どれほど、あっても、離婚をしない方がいいよ」と。「最後の段階では、結婚をしていたことのありがたさを感じることもあるからね」と。百合子は、将来の予測ができる人なので、無論離婚はしなかった。だが、喧嘩をしないタイプだから、不満をすべて自分の内部に抱え込むし、家事もすべて自分で、こなそうとするので、やがてパンクして病気になった。したがって、勤務先の東大も辞めることとなる。

 突然に人生が暗転をした。エリート階層からまっしぐらに降下する。元理系エリートが陥った専業主婦なんて、非常につぶしのきかない存在で、周辺との、ずれは、はなはだしいのだった。だから、百合子は、梶本夫人の不器用さを理解し愛した。彼女が周辺とずれていることも、単に、哀切なことであって、憎む対象でもなく、軽蔑する対象でもなかった。

 しかし、ここで、問題なのは、妹との関係だ。特に1960年代ころの関係だ。7つ年下だ。で、百合子が25歳で、結婚をしたころ、彼女は、まだ、高三だった。現在、神奈川県で、一番人気が高いと言われる翠嵐高校在学中だった。その後、千葉大の薬学部へ入学した。そして、きちんと、滞りなく、医師(家)向けの薬品会社へ就職した。つまり留年はしなかったということだ。結婚もむろん、大学在学中に知り合った男性で、同じ企業に就職した。秘密を守る必要があって、そうするべきなのだそうだ。

 お正月に、実家でパーティをする。そこで出会った妹は、百合子にこういった。「私、お姉さんを反面教師にするわ。だから、日本橋から、15分で帰宅できるマンションを買うのよ」と。それに続けて、「教授に、こう言われているのよ。あなた方は国家の税金で、勉強しました。だから軽々しく仕事をやめてはいけません」と。それは、百合子の挫折をあざ笑う趣があった。百合子は無論傷ついたのだが、お正月パーティの分に気を壊してはいけない。だから、妹に、同じ様な言葉をぶつけられてもいつも我慢をした。

 そして、妹は、子供を産み、保育所に預けて育てた。二重保育も、むろん頼んだ。夫婦そろって高給取りだから、長期の冬休みには、一家で、スイスへスキーをやりに行っていた。

:::::::ところで、百合子が良く「保育所で、子供を育ててはだめですよ」と、言うのは別に妹を思い出して言っているのではない。妹の子供は立派に育ちあがり、大金持ちの一族と結婚をして、二人の子供を産んでいて、しかも、自分の仕事も持っている。その夫も会社を経営しているが、そこで一緒に働いているのではなくて、自分はきちんとした別の大組織に勤務をしている。夫側の両親と2所帯住宅を建てて、ほぼ同居している。「保育所で子供を育ててはだめですよ」というのは、百合子側の、昔の生活圏(横須賀)で見聞きした専業主婦たちの、状況から、考え出したことだ。妹は常に、遠くの、東京に住んでいた。例の日本橋から15分のところだ。:::::::

 百合子は、常に妹を避けてきた。あまりにも威張りかえられるからだ。そして、百合子の母は、成果主義の人だから、夫婦で、1500万程度の収入がある、妹一家を誇りにしていた。百合子なんか、母から見れば、失敗作だ。特に2000年を中心として、現代アートの修行に励み切っていて、お金はバンバン使うし、海外修行をするために鎌倉の家を出て逗子で一人暮らしをしていたから、離婚になるかもしれないので、母を悩ませていた失敗作だった。

 しかし、それから、10年後、老人ホームで最晩年を迎えていた母は、百合子に向ってこう言った。「結局、あんたのところが、一番華やかに、なったわね」と。なんか、涙が出るほどありがたかった。ずっと成果主義であって、妹を百合子の上においていた母が、最期に百合子を認めてくれた瞬間だった。百合子が大事にしているもの、心とか、愛という物の価値を認めてくれた瞬間だった。百合子の家族は、今平凡である。可もなく不可もない。エリートでもないが、落ちこぼれでもない。で、家族間で争いがない。穏やかだ。

 それは、妹と比較をすると相変わらず、負けてはいる。しかし、母は、金銭的には豊かで、社会的な名誉もサラリーマンとしては、高位についている妹夫婦と比べて、わが家の方が、どことなく、潤沢な感じがすると言ってくれたのだ。本当に、心の問題と、雰囲気の問題として、わが家の方が豊かだと言ってくれたのだ。

 私が、ときどき「どうもエリートサラリーマン家庭の、平均資産額は、三億らしいわよ」という金融資産を、持っている家庭の一つが妹の家だと思う。不動産も、二年前は、4つも持っていたのだ。だが、老後に向かうので売るという形で、整理をしたらしいが、ともかく百合子より資産家なのである。

 だが、その妹が、この10年間どうも変なのだ。別の意味で、何か、秘密を隠していると、見えるところがある。たとえば、元の勤務先をやめて広告会社へ、転職した。妹のいうのには、『今はね、新薬のパンフレットも、いちいち、個別の会社では作らないのよ。広告会社が、すべての制約会社の新薬のパンフレットを作るの』という。で、もともと高給取りだったがさらに高給をもらえる様になった。喜ばしい。でも、秘密を守る必要があるという製薬業界の、新薬競争はどうなったのだろう? 広告会社というのは、実は電通を始め、CIAと、ツウツウの組織なのだ。何かが、変だった。

 妹の説明を聞いても、百合子は『あれっ』と思う思いを捨てられない。『これも、例の敵たちの企画したことではないかしら』と。百合子の周辺では、知人や友人が莫大なレベルで出世していっている。そして、そのたびに、百合子から離れていく。百合子だけが一人取り残されている。その手法が妹にも及んだのかしらと、かすかな疑問がわく。だけど、それを妹に確かめるすべもない。

 そうやって、もやもやとした歳月を過ごしていた。ほぼ、10年間以上も。ところがこの2014年の二月に、驚天動地の電話が妹から、かかってきた。まず、電話が、彼女の方からかかってくるのが、変だ。百合子が実家を出てから、47年間、妹から電話がかかってきたことは、一度もない。妹との会話は、すべて、親族、親戚パーティの中で交わされたものだった。

 しかも電話の内容が、驚くべきものだった。彼女は「お金が、ない」とまず言う。ありえない言葉だった。給料が高かったのだから、厚生年金が夫婦で、月に50万円になるはずだった。まだ、65歳だからもらえないとしても、貯金があるだろう。父からの遺産が、5千万円、母からも5千万円をもらっている。それに、自宅以外の3つの不動産から家賃収入があるはずだった。それを売ったとは聞いていたが、その収入を夫がすべて管理をしている? でも、それに不満があるのだったら、弟に愚痴を言えばいい。弟は、遺産分割にしても、妹とは、何度も会話を重ねている。だから、お金のことを相談しやすい。もし、本当にすべての預金通帳を夫が管理しているのだったら、「すみませんが、妹名義のものは、妹に管理させてください」と弟が言えばいい。

 百合子は頭が混乱をした。退職金などをまともに管理していたら、彼女自身の資産が、既に、2億に達しているはずだった。妹は大金持ちにもかかわらず、ウールのものでも、コインランドリーへ行って、自分で洗うのだと言っていた。非常に倹約家だとも聞いていた。それなら、年に500万円使っても、後、30年間大丈夫なほどの貯金がある。再び、『夫から、精神的な虐待を受けているのではないか?』とも、ひそかに、思った。

 その後、洋服の話に移った。着るものがないという。で、「ぜひ、私のうちにいらっしゃい。それで、好きなものを選んだらいい」と言った。百合子は捨てるのが嫌いなので、茶箱やプラスチックケースだけでも、8箱ぐらいのブラウスやセーター類を持っている。そのほかに和服。さらに続けて「昔ね。あなたに洋服をもらったでしょう? 今度は反対にしたらいいわ」とも。「だけど、あなたにもらったものは、超高級品だったから、私のものじゃあ、気に入らないかもね」といった。高給取りの妹は、医学会にも、よく出席をする。日本全国のホテルでのパーティに出席する。だから、すべての洋服が、数十万円単位の価格のものだった。百合子が、最近買っている五千円から、二万五千円までの洋服では気に入らないだろう。だけど、人間、本当に困ったらそれなりに工夫をする。百合子は海外で暮らすことや、本を作ることにお金がかかるから、洋服はすべてランクを下げた。

 三〇代のころに使っていた洋服類からすべて、ゼロを一ケタ落とした。そういう工夫がどうして、妹にできないのだろう。変だ。

 ただ、その瞬間にも、百合子はこう感じていた。『これは、大変なことになった。困ったことだ。我が家の電話はすべて盗聴をされている。そして、同時に録音をされているだろう。この電話が録音をされて、私や妹のことをよく知らない人間に聞かせれたら、自分にとって、大損になる。そして、敵たちは確実に、それをやるだろう』と、感じたからだ。百合子がパソコン関連のサポートを頼みたくて電話をする場合にも機械音が、「これは、録音をします」と、必ずいうし。

 この6月2日と、12日の大騒動(=拉致誘拐未遂事件)の前に、<金銭を話題にして同情を引くと、百合子が完璧に引っかかる>と、敵は気が付いていたのだった。で、妹を利用して、同じ種類の罠をかけてきた? こういう疑問を、百合子は潜在意識の中で、この8か月、ずっと抱えて生きて来たのだった。今、百合子は60%の確率で、あの電話は罠だったと思っている。

 何を目的とする罠かというと、録音が目的だった。妹が非常におかしな声で、ひいひいと叫んでいる。そのすさまじい恐ろしさと、悲しみの深さを聞けば、妹が理性を失って、病気の段階に入っているとは、だれもが考えるだろう。『この妹の姉だったら、当然、姉もおかしいわよね』とだれもが思うだろう。そういうたぐいの罠だったのだ。

 兄弟から、わなを仕掛けられてしまうなんて、恥ずかしい話だけれど、妹にそれを頼んだ人間が、彼女が逆らえない相手だったと考えると納得ができる。そして、その電話を、聞かせられた人が、佐土原夫人や、ミスター冴木とかミセス冴木だったら、彼、彼女らの離反や、裏切りも納得できる所業となる。

 

妹の夫;;;;;;

 百合子は常に、隔靴掻痒の念を、妹の旦那に対して抱いていた。それは、40年に及ぶ。が、やはり、残念なことであり、改善を試みた。そのためには、原因を探らないといけない。幾つもの原因があった。たとえば、西洋星占いでいうと、性格が合わないと出ていた。(笑い) しかし、工夫をしてもしても、40年間を超えて、和解ができたことはない。というか、本当にスムーズに気持ちが通い合ったことがない。それが、この2014年の2月に妹から来た異常な電話を受けた時に、潜在意識の中で沸騰をした。で、2億円を超える金融資産を持っている妹が、こんなにひーひーいうのは、旦那がすべての預金通帳を管理していて、妹が、自由にお金をおろす事ができないのではないかと、一瞬疑ったのだ。

 百合子と妹夫婦の関係が、最悪だったのは、父の死の前後だった。それが、また、1985年なのだから、雪ノ下で、土地を盗まれた同じ時期といってよい。人生で魔の時というのは、何度もあるのだが、あの頃もそれにあたる。

 父に関しては、医療も葬式もすべてを妹夫婦が牛耳った。辛うじて遺産相続だけは、母と父が考え抜いた遺言書があったので、妹と、私は書類の字面上の数字は対等だった。

 明治生まれであって、長男優先主義の父は、長男に、当時は価格が高かった不動産を数件残した。妹には一軒のマンションと、弟と共有の土地をあげた。二人がもらったものは、賃貸収入を生んでいくものなので、数字上の遺産額より、高い価値を持っている。あの時の相続では、実際の金額を考え合わせると、弟が65%、妹が25%、百合子が、10%程度の配分だった。こうなったのは、両親にすれば、「次の、母の時の相続で、ある物件(一戸建ての小さな木造アパート)を百合子に渡す予定があるので、どうしてもこの際は、これで、我慢をしてくれ」ということだった。不動産とは、所有者の名義の問題がある。それと、妹と百合子が、仲が良くないとみているので、二人で、一つの物件を、共有をさせることができないとみていたからだった。

 百合子はお金には無頓着の方だったけれど、調停委員に、「あなたは、本当のお子さんですか?」と言われた。遺言書相続とは、家庭裁判所で、調停委員の前でそれを開く必要があるのだった。で、調停委員に、そこまで言われるほど、自分が不利だと知って、さすがに顔色が青ざめた。でも、裁判を起こさなかったのは、弟の百合子に対する慰藉、慰労の動きが、大きい。

 当時の横浜の家庭裁判所は、京浜東北線の、石川町と関内の間にあった。家裁を出た途端に、弟が「お姉さんに、お話があります」という。彼は、当時のその近辺を事前によく調査していたと見え、もっとも落ち着けるレストランとして、教育センターの二階にあった、すえひろを選んだ。すえひろは、美術関係者が、よくパーティをするところで、百合子も慣れている場所なので、落ち着いた話し合いができた。弟は、『僕の貰った金融資産の中から、動産(株式など)を、2000万円分お姉さんにあげます。それで、どうか、この遺言書に書いてある分配を、了承するという印を押してくださいませんか」という。

 2014年のいま、2000万円と聞いても、『フーン。それがどうした?』という金額だが、1985年当時はまるで違った。横須賀ならピカピカの新築の一戸建て(ただし、地所は、30坪程度だが)が、買えた。この時の弟の態度を信頼したので、次の相続の時も世間一般でよくいう、争続には、ならなかった。

 しかし、父の遺産の相続が確定したのちに、新しい問題が生起した。それが、妹の旦那の提案した家族会議だった。今の言葉でいう相続税対策である。確かに、父の遺産相続の際に、百合子は、1300万円の相続税を支払った。それは、その年度の鎌倉市内での、高額納税者の18位だった。そして、何回も奈良の春日神社から寄付を募るお手紙が来たほどだった。

 百合子にとっては、父の遺産そのものが望外の収入だし、それがすべて、金融資産として手に入ったのだから、1300万円を支払うのは、懐が痛むという感じはなかった。ところが、妹と弟にとっては、遺産の中で、不動産の占める割合が大きいので、金融資産として、わたる金額は百合子に比べると少なかったと思われる。その中から、妹が、1300万円、弟が、2000万円以上(実際の額は不明)支払うのは、痛手だったのだろうと、想像する事はできる。

 で、百合子以外の家族にとっては、節税対策というのが、重要だったのは、今では理解ができる。実家へは、百合子は夫を伴わず、一人で出かけた。そういう風に要請をされていたか、どうかを、今では忘れているが、百合子の家族は、子供たちを含めて、すべて、お金には執着をしないタイプである。一応の生活ができればいいと思うタイプで、無関心なのだ。意外と美形に生まれて、「お宅のお嬢様って、松嶋菜々子に似ていると、評判なのよ」と、ママ友が言ってくれたりするので、二人の子供に「タレントになったらどうなの?」と、粉を振り替えてみたりするが、「フーン」と言って、笑うだけだ。そんな世界に、関心など皆無だ。『有名になろう』とも、『お金を稼ぐ必要がある』とも思っていない。

 で、実家について、椅子に座った。目の前に、A4サイズ、プリントアウト6頁のパンフレットが置かれた。びっくりした。一つの家の内輪の事なのに、まるで会社の企画会議だ。今の百合子なら、あれほど、びっくりしない。同じ様なものを、ウィンドーズ版のパソコンで作ることができる。だが30年前の当時、パソコン特に、マッキントッシュはいじったことがないし、ただ、ただ、圧倒をされて、引っ込むしかないのだった。概要はこうだ。「母と、弟が半々で今、持っている横浜の土地に、7億円を銀行から借りて、7階建てのビルを建てる。用途は、学校。教室なら、設備投資が、少ないので、ビル建設費が、安上がりで済む。出来上がったら隣の、大規模・専門学校へ貸す。テナント料で、借金を返していく。

 ローンの期限は、30年~40年とする。その時、68歳の母が、あと20年生きても、その後10~20年のローンが残っている。それは、2.5~3.5億円ぐらいになっているはずだ。2.5~3.5億円だったら、その時点で、母が持っている資産と、相殺するはずで、したがって、相続税を払わないで済む」ということだった。すごくいい話の様だった。だが、百合子は乗り気ではない。そういう計算そのものよりも、義弟とは言っても血のつながらない男性が、ここまで、わが家の内部に食い込んできて、引っ掻き回すのが嫌だった。だがむろん、それを言葉で発言をするわけでもない。弟も何も言わない。で、3分ぐらい静かな時間が流れた。突然に母がしじまを破った。明るい声で、「私ねえ。70を超えて、7億も借金をするの、いやだわ」と。

 その時、母は、実際には、まだ70代ではなくて、60代だから、ひどく若く見えて、こういう死後どうしよう、こうしようという、実際には不吉な話を出しても不遜な感じがしてはいなかった。その時までは。だけど、70を超えて、7億という、語呂合わせを利用して、母がその借金の重さを語った時に、一気に、その話の胡散臭さが表面化した。

 借金を7億すると、返済は、20億を超える。重い、重い足かせだ。百合子も弟も、母のその明るい一言に救われた思いがした。その時、1985年だった。銀行の審査を経て、設計にかかり、工務店を選んで建設を開始する。結果、ビルが開業するのは、早くても1987年、遅かったら1989年になる。それは、バブル絶頂期だが、たった、1年しかもたないで、バブルは崩壊をするのだった。借金を、7億円まるまる抱え込んで、テナント料が入らなかったらどうなっただろう。鎌倉でも投資の失敗で、家や店を手放す人が出た。

 百合子はそういうわけで、計算高い義弟が嫌いであり、2月の時点で妹が慌てふためいて、「お金がない」という電話をかけてきたときに、彼女の夫を一度は疑った。しかし、その家庭の様子をよく知っている弟に言わせると、「まさか、それ、はないでしょう」ということ。で、それで、安心をすればいいのに、百合子には、まったく新しい疑念がわいてきた。

 「これは、やはり芝居でしょうね。演技です。でも、そういう風な演技をせよと、妹に命令したのはだれ?」と。第一義的に浮かぶのは、妹が転職した先が電通とか、マッキャンエリクソン博報堂などの、会社、もしくはその系列会社であって、その上司という可能性。次に夫である義弟だ。まさかと思うが、当時、自分が書いていた文章やら、そのテーマを考え合わせると、あながち、『それは、違う』とも言えないところがあるのだった。

  その時、百合子がブログの世界で何を書いていたかが問題だ。書いていたのはマルハニチロの農薬混入事件が嘘の事件であると書いていた。マルハニチロの農薬混入事件は、嘘の事件であると主張をしていた。これは、私のブログで、昔から書いている、毒入り餃子事件が嘘だという文章を否定するために、新たにおこされた諜略行為であって、阿部俊樹はやっていないと主張をしていた。また、銀座の画廊、レタンを中心に、鵠画会の真実という項目も書き始めていた。

 両方とも、百合子が鎌倉えーえじぇんとと、その協力者と呼ぶ連中にとっては痛手となる文章だった。それを、阻止して書かせないために、この妹の嘆き哀願する電話の声を、関係者に利かせるという措置を取るべく、こういう企画が立てられたと仮定をすると、ピタッとタイミングが合う。

 ここにきて、今まで誰にも語っていないことが問題となってきた。それは、毒入り餃子事件が起きた当時、義弟は、大阪にいて、JTの研究所に出向・勤務をしていたという事実だ。無論の事、義弟があの事件を計画をしたのではないことは確かだ。だが、JTの製品に、毒が入っていた。で、百合子は直観として、これは、自分を狙っている嘘だと感じたのだ。その後の展開を見ても決定的なうそだと思われる。百合子の義弟に手を出してきた脅かしだと感じた。

 タイミングから考えると、今回の妹の電話もなんか、関係があるがごとくに思われる。

後注1、

桜が、こどもの、身代りに、死んで呉れて・・・・・その1△△

2014-10-11 21:27:57 | 政治
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桜が、こどもの、身代りに、死んで呉れて・・・・・その1△△

2014-10-11 21:27:57 | 政治

  以下の文章は、前報(後注一)の続きなのです。で、そちらで、私が、今住んでいるところが奥まった山なので、子猫を捨てる人がいるらしくて、三匹の黒猫を飼っている人がいるが、うんぬんと、語りました。そちらは、単なる猫エッセイでしたが、こちらでは、政治の問題を語ります。ごく、私的なことを、まるで、公のことであるかのごとく語るのが、政治だそうですが、これは、まさしく政治の話です。しかし、書きにくい項目も数多く出てきたので、2日目から、小説形式に直し始めました。で、すべての登場人物は、仮名となり私も村岡百合子となります。これは、村岡花子の朝ドラが、生まれる前、1995年ごろから使っている主人公用の名前です。

 しかし、途中で、1万9千字までに達してしまい、どう頑張っても二万字で、完成させることは無理となったので、前、後編に分けることといたしました。今月曜日の、夜10時ですが、前後ろ編とするのをやめて、その1と名付けております。副題の番号付けを整理しましたので、恒例の、△印を2つ、つけておきます。リンク先を全部見つけて、誤変換も全部直したら、△印を三つにしますが、その前に、新しい文章を書き始めたいと思います。

副題1、『4匹目の黒い、捨て猫』

 さて、この山に出没した黒い猫、三匹は、風采から考えると、雄猫だったと思う。連続して黒い猫を捨てる人は、もう一匹雌猫を捨てた。それは、この山の住人のうち、フランス語が得意なお嬢さんに拾われた。で、ノエミという名前が付いた。ところが、その家には先住の柴犬がいて、南側のスペースが、一切合切全部が、柴犬用に設定されていたので、猫は北側の、トイレとか、洗面所だけで、飼われていた。

 その理由は、奥さんが、犬好きだったから。で、幼いころに大切にされていなかったので、がりがりにやせていた。さて、このノエミがいい娘(こ)なのだが、人間の都合で、やがて、百合子にとっての、大問題を引き起こす猫になる。

 その問題とは、常に、角田家・・・・・主人公が住んでいる20戸だけの、住宅地の町内会長。百合子が土地を盗まれる原因となったのは、この人の夫人雅子が、百合子の北隣の隣人、梶本夫人と大喧嘩をしたことが原因である・・・・・とかんけいがある。

 今回も、ノエミに触れ始めた途端に、電話の液晶画面が明るくなり、見に行くと、ヒツウチとあった。この2週間以内に他に、一回ほどあって、その時は、31秒間、無言電話が続いた。が、本日は28秒だ。誰か、

百合子・・・・・主人公、30年前に理不尽な理由で土地を盗まれたり崖を削られたりしている。それを、我慢し続けていたが、鎌倉の有力者、出版社社長・佐藤端二郎の元愛人・大川範子と、百合子の猫のことで、大トラブルになり、それを、ブログで書き始めると、警察に命を狙われ始める・・・・・

 のパソコン画面を同時に覗きこめるアプリを持っている人間がいて、これから先を書かせたくないと思って、そういう嫌がらせの電話をかけてくるのだろう。だが、この山に住んでいる人間以外の、誰が、ノエミという名前とか、フランス語が得意だという文章だけで、『この文章は危険だ』と考えるだろうか? それが、だれを指すかは、遠くに住んでいる人間には、分かるはずがない。ので、『これは、角田祝二氏か、雅子夫人か、その親友の、→

 遠野夫妻・・・・・略奪婚で成立した夫婦。妻は極めて勝気なタイプで、この山を支配したいと願っていて、その道具として、毎日井戸端会議を開いていた。それは、中年主婦たちがやるべきことではないものなので、種々のトラブルを引き起こすが、後ろに戦後最大のエージェントたる、梶間耕三がついているので、メディアのニュースを使って、救われ続けている・・・・・か、または、

 花沢昇・・・・・大川範子の現在の夫、陶芸教室を経営している。大川範子は、すでに、急死(?)している・・・・・か、

 または、上記の佐藤端二郎か、

 または、山上たかし・・・・・カソリックと共産党への共鳴で有名な作家。賞の審査員などを歴任して、隠然たる力を文学界に持っている。現在は表向きは死んだことにして、地下潜行をしており、種々のニュースの原案を練っている。最近、彼が発案したニュースは、ノーベル平和賞が、憲法九条に下るというもの・・・・・

  →だろう』と考えざるを得なくった。

 もし、佐藤端二郎か、山上たかしだとすれば、よほど、百合子の文章を覚えているということとなる。微に入り細に入り覚えているということとなる。

 だってそこを書いてから、電話の液晶画面が明るくなるまでは、30秒もたっていなかったから。

 しかも、ノエミという名前は、ここ、2~3年ぐらいブログの世界では、出していない。だから、ここで、瞬時に反応をしたということは、この山に住んでいる人間であり、ノエミを実際に見たことのある、人間だ。

 だけど、もし、遠野夫妻だったら、もっと前の時間帯、・・・・・つまり、・・・・・現在の遠野家の猫が、百合子宅を横切って困る。時には玄関の猫用出入り口(最近では、猫がだいぶ、状況を覚えて、遠出をしなくなったので、小さな出入口を作ってある)から入って来て、百合子宅の猫を家じゅう追い回しますが、・・・・・という部分を、書き始めた瞬間に、反応するはずだ。それは、土曜日の午前中でだった。それから、花沢昇だが、彼もこの文章を書いている最中の、もっと早い時間帯で、反応するはずだ。そのうえ土曜日の午後という今の時間帯は、陶芸教室が開いている時間帯なので、ヒツウチで、電話などかけていたら、通っている生徒さんが、変に思うだろう。まあ、二階へ上って子機か、携帯から掛けたら可能だが、その前に、パソコンの前にへばりついていないと、問題がある個所を発見できない。お客さんが来ている最中は、かれらに、対応しているから、パソコンの画面を、熟視しては、いない筈。それに、彼は、図体は大きいけれど、夫婦ともに、ある程度以上に、純朴なところはあった。ときどき、おかしくなるのだが、全体としては、素朴な人間だろう。

 ともかく、桜田門の警察庁内で、百合子のこの<<<<<公開前の、テキスト段階のブログの画面>>>>を熟視している人間、または、虎の門のアメリカ大使館内で、それをやっている人間、または、アメリカ本土内で、それをやっている人間がいたと仮定をしてみても、ノエミという猫の名前に、瞬時に反応をする人間が、その中に、いるとは思えない。アメリカなんかから電話をかけようと思ったら、結構、時間は必要だろう。テレビのNHKニュースを見ていても、海外特派員と大越キャスターの反応との間には、数秒のずれがあるし。それは、NHKの電波なのだ。個人の回線など、もっと時間がかかるはずだった。それに、アメリカもヨーロッパも今は真夜中だ。だから、この無言電話は、鎌倉から掛けているとは思う。

 脅かしめいた無言電話がかかってきたがゆえに、どこの家の猫だったかが、語りやすくなった。角田祝二・雅子夫妻宅の猫だ。痩せ細っていたが、特別に人懐っこかった。で、花沢昇の家に行きっぱなしで、暮らしていた。百合子は、花沢昇と、その妻・大川範子(結婚前の姓を仕事上使っていた)に自分の猫を気に入られて、夜遅くまで返してもらえないで、困り果てていたが、その夫婦が、特別にルーズだったのは、ノエミを夜も昼も帰す必要がなかったことも関係があるかもしれない。

 しかし、ここで、問題にすべきは、自分の猫を預けっぱなしにした角田祝二・雅子夫妻の無責任さだろう。そちらに初期の原因がある。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『猫の体重を話題にした、集団いじめの先頭に立つ、角田雅子』

 ノエミは、本当ならというか、角田雅子夫人が注意深く、かつ優しい人だったら、柴犬と一緒に、南側のスペースで、飼ってもらえただろう。YU TUBEなどに、猫と犬が仲良くしている動画がたくさん載っている。この組み合わせは、たしかに、最初は大変だ。ケンカする。だが、猫が上という形で、定常状態に、落ち着く。猫って、体が小さいのだが、犬よりずっと頭が良くて、やがて犬を支配して行く。そこで落ち着くので、そこまで角田夫妻は待たないといけなかったのだ。

 で、私などから見れば、一種の虐待にあたる飼い方で、飼っていたわけで、誰かが訪ねて来たら、ひょいとそとへ出てしまうし、奥さんが洗濯物を干しているすきに、外へ出てしまうこともあっただろう。北側の洗面所スペースに閉じ込められていたら、当然そうなる。

 百合子は、ノエミが、がりがりにやせているのには、十分に、気が付いていたが、それをご近所様に『マイナスの要素として吹聴する』などということはやらない。 ところが、後日、正反対の現象が起きた。角田夫人が先頭に立って、百合子の猫のが、体重が多いので、病気だという噂を流したのだ。彼らは、アジサイ畑欺罔事件という悪さをすでに、行っているので、常に、百合子が、煙ったいのだった。で、引っ越していってほしいし、死んでほしいと思っている。

 自分たちが悪をなしているのに、被害者の方に死んでほしいというのだから、この鎌倉の山にあるのは、徹底的な、無法状態だった。驚くべきレベルでの、無法状態で、それを書くたびに、この日本全体も、また、無法状態が進行する。どうしてかというと、角田氏が共産党員らしいということと、遠野家の裏側に、CIAか、警察が付いているということから、そうなるらしい。

 三日前かな、アスベスト訴訟に、国側に責任があると、最高裁で、判決が出たのもそうだし、有明海開門調査の遅れもそうだし、佐賀空港にオスプレイ配備をしていくのも、その一貫である。角田夫妻と、遠野夫妻が、最初期の原因となっている悪は、すさまじい。だが、ここでは、猫の、体重の問題だけに限る。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『桜井友二・未亡人が、この猫、病気なんですってねと、蓮っ葉な調子で言ったので、仰天をしたが』

 前の町内会長、桜井氏は、百合子に対してひどいことをした後で、ずっと、自分のやったことと、百合子のことを恐れおののいていた。百合子はいつも、きちんと挨拶を返していたが、その時の、氏の目の怯えていたこと、怯えていたこと、それには何度も気が付いた。で、軽々しく悪に手を染めると、本人が、駄目になるということを確認した。桜井氏が亡くなった時に、百合子にはお知らせが来なかった、で、その正式な日付を知らないが、決して、安心して死ねた最後では、なかっただろう。

 そして、角田氏が、この山の会長であり続けるのは、その桜井氏のなした悪を隠ぺいするためであって、何ら正当性がないのだった。今思い出しても腹立たしいが、その時の工事人など、百合子が桜井氏に紹介してあげた人物なのだから。当時の会社名を、<斎>企業という二人組の、とび職だった。百合子は、南側が高い崖になっていて、大木(一本はミズナラ)が、2本もそびえているので、今でいう高枝切りをしてもらいたくて、電話帳で、鳶職を探したのだった。そして、まず、自分の家で、木を2本切ってもらったのだ。今では、それを<そらし>と呼ぶそうだが、下の崖まで入れれば、優に高さ30mを超すてっぺんの枝から丁寧に、何か所にも分けて、のこぎりを入れ、最後の段階では、直径、80cmぐらいな幹を、1.5mぐらいの長さに切って、崖の上から、百合子の家の庭へ向かって落とした。途中に小さな木があるので、ゆっくりと滑り落ちてきた。立派な技術だった。それで、<30年前のその一九八六年には、五万円だった>ので、誠実な工事人だと思って、桜井さんに紹介をしてあげたのだった。

 だから、工事人も「崖を崩すのを許可していない」と百合子から聞いて、本当にびっくりした様子だった。

 でも、すぐ、二人のとび職は、納得をした。『そこを崩すと、百合子宅の存在そのものが、危なくなるので、非常に悪意ある行為で、百合子が許可するはずがない』というのには、すぐ納得をした。当たり前のことだった。その晩、百合子は全戸を回って確認をとった。想像通り、角田氏と、遠野氏を含めて、だれも、それを許可していなかった。だから、桜井の私的な、一存なのが、ますます、あきらかになった。公的なところはみじんも無い。

 で、町内会が、アジサイ畑欺罔事件の際に、その二人の職人に払った工事代金等の出納の証拠とか、そのほかのものを、百合子に見せないがために、ずっと、会長と副会長の職を、角田家と遠野家が、独占している。その二家族が、その盗みの主因者だから、絶対に隠ぺいを続けた猪田。桜井氏は、「困り切っているから、お宅のアジサイだけ抜かせてください」と言ったのに、この事案を、公の事に見せかけるために、山の下の方からずっと、鉄パイプを手すり状につけているし、いろいろ、画策を重ねている。だけど、すべてのたくらみは、裏も表も、百合子には、わかっていた。が、百合子は、哲学があって、訴訟も何も起こしてはいなかった。ただ、穏やかに暮らしたいがために、30年間も黙ってきていた。が、最近の角田祝二(+遠軽家)悪辣ぶりは、看過できないレベルに達している。

 遠野家など、そもそもの原因である井戸端会議を開いたのが妻なのだから、反省すべきだと百合子は思うが、角田家より、さらにひどくて、30年以上も副会長の地位に座り続け、自分たちの方が、大悪人にもかかわらず、後から引っ越して来た、4家族に、まるで、自分たちの方が正しい様に、吹聴している。6月9日の遠野家での、増井・佐土原夫妻・・・・・夫婦ともに、東大建築科卒のエリート。夫婦別姓である。その家は、渡辺篤史のタテモノ探訪の訪問先ともなった。それを、建築中からひどいだまし打ちなどを、百合子に仕掛けてくる、難物である・・・・・とのお寿司パーティ(5時間に及ぶものだった)など、いったい何なのだと、百合子を呻かせるのに十分だった。そのうえ、彼らを支援しているのが、CIAなので、ノーベル賞さえ、憲法9条にくだるとか?

 だからこそ、あまりにも多い嘘が、白日の下にさらされないうちに、百合子を殺したいのだろう。

 前々報で、ラフに語っている、キャッチボールの問題で、ミスター冴木・・・・・健康的で明るい若夫婦。お人形の様にかわいい二人の子供がいて、幸せの絶頂に見える一家・・・・・は、『自分は、ただ子供と一緒に、キャッチボールをしただけだ』と思っているらしいが、殺人事件の一部に、自分の子どもを提供しているのと同義語だった。

 百合子から見ていると、百合子をいじめた人間は、通常より早い死を、天から賜っているが、冴木家は、大丈夫だろうか? 恐ろしい。本当に恐ろしいことだった。冴木家が、利用されたのは、一回だけではない。百合子が気が付いただけでも四回あって、中には、平成の八墓村事件を連動しているものもあった。

 連中が、『この事件により、あのブログを閉鎖できるだろう』と大喜びした直後の23日に、遠野家の裏にわ・・・・・百合子の私道部分を盗んだ主因者なのに、百合子がアメリカなどに、版画修行に出かけているうちに、北側の指導部分を、三〇坪程度も開墾をして、野菜畑にしている強欲で、自分勝手な夫婦。その土地を、確定的に、大丈夫なものにするために、冴木家の、かわいい子供たちを道具として使って、そこで、遊ばせる・・・・・で遊んだ、などというのも含まれています。徳山の山の中で、殺された五人の老人は、CIAの企画によって、プロのアサッシンが殺したものであって、保見ではない。だから、まだ、裁判も行われていない。人々の記憶から、それが忘れ去られるのを、企画者たちは、ひたすらに、待っているのだろう。

 桜井友二氏の早死にを加えると、激しいいじめを百合子に加えたために、天寿より早く死んでしまった人は、4人になる。ミスター冴木はまだ若い。そして、子どもたちは、小学生だ。だから、死は遠い。でも、身代わりになってくれたものがある。それが、鶴岡八幡宮の桜だ。段葛の桜が、2014年に入って、急に勢いを失った。徳山の事件が、2013年の7月21日だったから、その影響だと思われる。百合子が思うに、冴木家は、ただ、使役をされただけだから、その命を奪うのはあまりにも忍びあいとなって、そちらを、身代わりにされたのだった。で、突然に、その桜並木は衰えた。

 だけど、本当に質問をしたいですよ。「誰に、何を言われたから、あんな不自然な、キャッチボールをしたのですか?」と。とても変なやり方でした。不自然なキャッチボールでした。でも、安野家とか、前田家からの教唆で、それをなさったのなら、桜が急激に衰弱したのも道理です。あの2家族は、私が、「大銀杏が倒壊したのは、前田夫人を推薦なさったからですよ」と、このブログで、言っているのにもかかわらず、2010年3月以降も、ひたすらに、あくどいことをやり続けているのですから。

 段葛の桜が急激に衰えたのは、佐土原夫人の行動も、冴木家に勝るとも劣らない力で、原因となっていると思われる。こちらも角田、遠野家と親しい。そのふた家族に教唆をされた結果、百合子に対して示す嫌み行動の数々を、羅列すれば、それが、桜並木衰弱の、原因になったことが明らかになるだろう。ただ、百合子の敵たちが、勝利の雄たけびを上げた結果、八幡宮に災禍が降り注ぐのだから、二千万人の国民の知るところとなる。それは、結果としてだけであって、原因はまだ知られていないだろう。が、八幡宮様の災禍は誰の目にも、見える。一方で、百合子が理不尽にもいじめられているのは、ほとんどの人には見えない。

 でも、ここでは、そういう恐ろしい現実から離れて、また、猫に戻りたい。桜井未亡人が、山の細い道を通りながら、百合子と一緒に歩いている百合子の猫を見て、「この猫、病気なんですってね」と、蓮っ葉な調子で言った時があった。百合子はその頃、大野範子とのトラブルに、振り回され続け、猫を家から出さないいこととしたのだ。百合子の家族は、以前から「そうしなさい」と言っていたが、猫とは、普通は自由なものだからと思い、ずっと、外へ出し続けていたのだが。

 で、急に不自由になった猫がかわいそうで、猫と一緒に散歩し始めた。紐は、つけないで。穏やかにいっしょに歩いているだけ。ただし、猫と一緒に歩いているだけで、それが、大川範子とのトラブルの結果だから、この山の人間は、総じて嘲笑い、百合子をさらに、いじめたのだった。ただし、桜井夫人まで、それに加担をするとは、本当に仰天をした。

 桜井家では、後日、息子が、東大宇宙工学研究所の所長になっていく。桜井未亡人に、猫のことで、いじめられた当時は、まだ、単なる東大教授だったが、それでも、名誉ある地位だ。その母としてプライドがある筈なのに、あまりにも、蓮っ葉な口の利き方をしたのには、何とも言えない、悪の電線ぶりを感じた。彼女は、旧制・双葉高女の出身で、しとやかで、礼儀正しく、1986年には、「あなた(と、ご主人に向かって)、村岡さん(百合子のこと)の、おっしゃる通りですよ。この工事はおやめなさい」と、夫をいさめていた、その同じ人が、その20年後には、一から、十まで、角田・遠野側に立っていたのだ。この山に住むと、朱に交われば赤くなるが、蔓延する。

  百合子は、「いいえ、病気ではありません」といったが、それで、桜井未亡人が納得をしたとも思われなかった。彼女は、犬派(シェットランドシープドッグを飼っていた)だし、『ここは仕方がない』とあきらめた。だけど、そんな謙虚な姿勢に追い打ちをかけるがごとく、大川範子にも、それを言われ、kamakura cottageの前の持ち主にも、それを言われた。鎌倉コッテージとは、外人に宿を貸す、家なのだが、その前の持ち主は、誠実な人なので、彼女が、百合子の見方をすると大変だから、引っ越しをさせられたのだった。それは、北久里浜でも同じことが起きたので、CIA固有のシステムだと思われる。一つの原因は、百合子が彼女にだけは、メモで、自分の猫が太りすぎでも病気でもないと告げたことにもあっただろう。この山の13人の主婦の中で、別に生易しいとも思わないが、誠実な人間ではあると、高い評価を与えている人物だった。

 でも、彼女を、この山より、駅からは遠い場所(浄妙寺)に引っ越しをさせたので、連中たちは、申し訳ないとも思っているはずで、百合子をいじめ殺して、その一家に早く、帰って来てもらうことが、望みなのだ。で、その目的にかなう道具として、冴木家の子どもたちを使っているし、佐土原夫人も、使役しまくっているわけだ。角田、遠野両家の、力だけでは、百合子をだましたりひっかけたりする事が、すでに、できないからだったし、それを、その両家側も、後ろについて支援している連中も、熟知しているのだった。

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副題4、『スポック博士の育児書は、赤ちゃんが、病気かどうかを図るポイントでは、正しいと思っている』

 最近、スポック博士の育児書を、百合子は批判している。それで、現状はどうかと思ってググると、項目として、批判とか、間違いというのがあったので、それで、十分であると思い、百合子が、それに言及をすることはやめる。特に、すでに捨てているので、詳細を検討するのも無理だから。 

 しかし、ある一点は、『スポック博士に言っている通りだ』と思っていて、いまだにそれを信じている。それは、子供の健康について、母親はどういうサインを頼ればいいかというところ。『子供が機嫌がよいか、どうかを、よく見てごらんなさい。機嫌が良ければ、健康です。機嫌が悪ければ、どこか具合が悪いのです』というところだ。

 百合子の子供は小学校時代まではほとんどの、時間、機嫌がよかった。そのあとは、思春期の問題が始まるので、難しくなったが、病気については、それ以降は、具合が悪ければ、自分で言い出すので、もう、心配ない。ともかく、赤ちゃんの時、つまり、言葉で、子供自身が自分の状態を説明できない時に、どうするかを、判断する際には、スポック博士の言葉を大切に考えてきた。

 猫は、人間の言葉をしゃべれない。猫語で、いろいろ表現はできるが、体が痛いとか、苦しいとは言えない。でも、常に元気で、積極的に行動をする限り、健康だと思う。百合子の猫は、体重が4キロ以上は優にあり、ノエミなどと比較をすると、8倍ぐらいあった。猫の写真や動画で有名な、岩合光昭さんが『僕は、ずっしりと重い猫の方が好きです』と言っている模様だが、百合子もずっしりと重い猫が好きだった。ともかく、猫の体重ごとき話題でも、集団いじめを率先して仕掛けてくる角田夫人の、心と行動には、嫌悪感がいっぱいだった。『あれで、二人のお子さんの実母なのかねえ。まあ、保育所で、育てたのでしょう。子供たちを、お迎えに行ったのもお父さんだろうし、帰宅後に、寝るまで、一緒に遊んであげたのも、お父さんでしょうね』と推察して、うっぷん晴らしをした。

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副題5、『角田夫人を、一度だけ、たしなめたことがあるが、何の効果もなかった』

 百合子は引っ越してきてから三か月後には、『遠野夫人は略奪婚の人で、子供は、単なるアクセサリーとして考えていて、本当の愛情などみじんもない。角田夫人は、強烈なヒステリーで、常にターゲットを見出していじめまくっている。大川範子女史は、先生と呼ばれてはいるが、凡庸な人だ。それなのに、佐藤端二郎の元愛人だということで、鎌倉市内でありとあらゆる便宜を図ってもらっているので、威張りかえっている。この三人が結びついているから、ここにおける集団いじめは終わらないのだ』と判断をして、できるだけ、接触をしない様に努力をした。

 しかし、ペンキ塗りお当番というものもあったし、次に山間の煙というエッセイで書いた、無実の罪を背負ってしまった集団いじめもあった。山間の煙とは、山の下で、大量のごみを燃やす、人間が出てきたので、始まってしまったいじめだ。その人物は、旧白井邸(現在の鶯吟邸、昔の持ち主は、川口順子元外務大臣のご両親で、今の持ち主は鶴岡八幡宮様)というお屋敷を買った人物で、一時期、別荘として使っていた。週末にベンツで、来訪するのだが、その際、建材を結んでいたプラスチックの紐類(きれいなもので、ベンツに積んでもおかしくないもの)を持ってきて、落ち葉と一緒に燃やすらしくて、石油製品を燃やした際に出る特有のにおいと、すすが大量にこの山まで登って来た。それは、山ノ下と直結をしている我が家の木々の間を縫って、この山中に拡散をして行った。しかし、わが家が燃やしているのではない。そんなことは煙の様子を丁寧に見たらわかるし、また、いったん間違えたら、すぐ謝罪に来ないといけない。しかし、この山の主役連中は、まるで、違う。 もちろん、これも音頭をとったのは角田夫人だろう。

 会長夫人の権限(上で書いた通り、不当なものだが)を利用して、その期(月当番)の班長さんに『たき火をやめなさい』と、言わせてきたのだった。これにも非常に怒って文章を書いたが、例の百合子の文章に出てきた人、モノは、消していくという証拠隠滅の発動があり、なんと、その別荘の持ち主の、土木業者を追い出して、鶴岡八幡宮がそこを買った。土木業者は、高さ40mのクレーンまで持ってきて石を運び入れたのに、強引に転売をさせられて、悔しかっただろう。百合子はその転売と、自分の文章は関係があると感じ、それを傍証として、戦後最大のCIAエージェント・加島隆三が、百合子の崖を崩し、土地を奪ったとみている。

 で、その盗みの主因者である、遠野夫妻と、角田夫妻と、大川範子は、『功労があった』ということで、過剰にひいきされ、国家権力で保護されている。『なるほど、なるほど』と、現実は正しく認識する。だけど、それは法治国家ではあるまじき、行為だから、百合子は徒手空拳であっても、戦い続け、戦い抜く。

 ところで、法をいじらないと、彼らの罪が消えないので、法務省は徹底的におかしな判断をするし、最高裁まで、今ではおかしくなっている。百合子は非力中の非力な人間だが、丁寧に、一つ一つの事項に応じて、ここが、がおかしい。あそこがおかしいと記録をして行っている。そのくらいのことはしないと、気持ちの上で、立つ瀬がない。 だって、6月の2日と、12日に命まで狙われたのだ。京橋と、保土ヶ谷で。で、その詳細を思い出すと、どう考えてみても、それを、警察が行っているらしいので、絶対に闘わないといない。ご近所の角田夫妻とか、遠野夫妻という、こんなばかげた人たちのために、命を狙われるわけにはいかないからだ。

 ところで、パソコンが壊されているので、正確な日付を覚えてはいないが、この山間の煙事件と前後して、ペンキ塗りお当番事件というのがあった。それは、今回の9月13日の町内会と同工異曲のもので、角田夫妻と遠野夫妻に、正当性があるかのごとくに見せつける芝居だが、その手口こそが、角田夫妻が、共産党であろうと、推察した所以だった。旗幟を鮮明にしていない中間の人を、自分たちの側に引き付けて、自分たちが正しいと見せつけるその手法は、共産党が、庶民を籠絡していく際に、常に使う典型的な手口なのだ。で、あの夫婦は、共産党だろうと大体の見当をつけた時点で、ある質問をしてみた。

 この共産党らしいというのは後日、集団訴訟の、原告に角田氏がなっているのを、ネットで、知って、ますます、傍証化された推察事実だけど。

 その質問をする前に、他の筋から、角田夫人は都立大学(現在は名称変更後の首都大学となっている)の大学院卒業であって、この山で一番学歴が高い人で、また、鶴岡八幡宮の支援というか推薦で、國學院大學の講師をしているらしいとも、聞いていた。大学院での専攻は、仏文科。でも、その前の大学が重要なのだ。その『前の大学も、フランス文学専攻であったら、まっとうに学問が好きだったのでしょうね』となるが、ほかの専攻科だと、『就職できなかったので、大学院へ逃げ込んだ』という可能性が強くなる。この山のご近所様のうち、同世代ではない人や、大学を卒業をしていない人たちを、『私は、大学院の卒業です』と威張って、煙に巻くことはできても、同世代の百合子は、だまされない。というのもあまりに行儀が悪い。そのお行儀の悪さが、梶本夫人に嫌われて、紛争が起きて、その結果、私の土地が盗まれたので、絶対に聞いてみないといけなかった。また、彼女は、他の人間を大切にしない。そこからも、どう考えても東京の人とは、思えなかった。つまり、東京圏の一戸建ての住宅街で、育った人ではないと、以前から思っていた。

 で、なんかの拍子に、「あなたはどちらの大学の出身なの?」と聞いた。すると、「静岡大学の出身です」とのこと。で、「何の学部ですか」と質問を続けると、「法学部です」とのこと。見事に推察通りだった。ありとあらゆるポイントで、事前の推察通りだった。

 つまり、『非常に軽薄で、考えなしな人だ』ということだ。それと、スノビズムもある。国家の税金で法学を学んだのなら、司法試験を目指さないといけない。それは義務だ。 フランス文学へ転向だと。それは、税金泥棒。また、『就職をするなんてダサい』と思って、おしゃれなお嬢様人生を目指したかったからの、大学院進学なら、馬越陽子みたいに芸大へ進学しないといけない。または、ヨーロッパか、アメリカの大学院を目指さないといけない。

 県立高校を卒業した(と、推察される)時点では、一番難しいはずだから、法学部を選び、女性が法科を出ても、進路が限られていると、あとで、気が付いて、いかにもフェミニンな、フランス文学へ転向する? 軽薄だ。

 そのうえ、やはり、田舎の出身だったのだ。だから、東京圏の住宅街にある不文律を知らない人だった。そこは、予想通りだった。

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副題6、『東京圏の住宅街に存在する不文律を知らない田舎者が、大きな顔をすると、周辺が大迷惑をこうむる』 

 瞬間的に、「あなたって、まともな就職ができなかったから、大学院へ、逃げ込んだのではないですか? もちろん、いいのですよ。そういう人生もありだから。でもそれなら、そんなに、偉そうにしないで、もう少し静かに暮らしてください。あなたのせいで、私は自分の土地を盗まれてしまいました。コンクリート打ちをされてしまったので、ほかの19軒が、花を作っている時代に、わが家では、まったくそこが利用できず、がけの草も取ることができず、大迷惑をしています。梶本夫人・・・・・鎌倉の大きな小児科医院の娘、戦前の女学校の卒業だと推察され、したがって、角田夫人とは生き方が異なっており、激しく対立をしてた。それが、基本原因として、百合子の土地が盗まれた・・・・・があなたを狙って、道路を通させない様に、提案したのに対して、身代わりになりました。あなたのために犠牲になっているのですよ。お金に換算をしたら、この30年で、500万円は損失を与えられました』と、言いたかった。しかし、けんかをしない主義の百合子は何も言わなかった。

 そして、この質問をした後で、パソコンは壊され、友達は奪われ、仕事の機会は奪われ、すさまじい損失を、さらに大きく、こうむることとなる。で、彼女が引き続いて、以前と同じ態度で、生活をしていることが解ってくる。というのも、パソコンを壊したりする連中はCIAの配下にあるはずで、CIAにとっては、百合子が自滅してくれる方がありがたいので、角田夫人も、遠野夫人も、自由自在にふるまう様に、特権が許されているのだった。で、増長の極みといってよいほど、増長をさせているのだから。

 百合子は、この時の質問を、彼女を窘めるつもりで出したのだが、何もピーンと来なかったみたいだ。

 大学生活とか、学校制度を知らない人たち、例えば、大川範子やら、遠野夫人を煙に巻くことは容易だろう。ふたりは、舞鶴の海上保安学校を、「大学付属高校に、ご入学おめでとうございます」と、道路を通る百合子にワザと聞こえる様に祝いあっていたので、『なんと、ものを知らないのだろう』と思い、100%、その教養のなさが、わかってしまったが、そういう人たちを煙に巻いて、『自分が、ここでは、一番だ』とふんぞり返っているわけだった。そして、それは、将来とも、治らないはずだった。

 だけど、東大の大学院へ進学して、学者を目指すのならいざ知らず、当時、四年制の大学へ入ることすら、適齢期を過ぎると言って、忌避されていた時代に、女性が都立大学の大学院へ入ってどうなるのだろう? 両親が、それを喜んでいただろうか? 静岡大学時代に、すでに夫の祝二氏と結婚の約束ができていたのだろうか? それなら、『一緒に東京で同棲しましょう』ということで、こういう選択になったのかと、まあ、理解できないでもないが、それでも、百合子の本音を言えば、・・・・と、以下の様な結論になった。

 *****特別に裕福な家庭の娘は、フランスへ留学したり、アメリカへ留学したりした。が、日本国内の、とくに東大と京都大学以外の大学院へ入学するなんて、「あなた、就職できなかったから、大学院へ逃避しましたね」というだけの進路だった。<別に、優れていたから大学院へ行ったわけではない。却って、落ちこぼれだったから、仕方がなくて、大学院へ行ったのだろう。特に専攻を変えたのは、そういう意味合いがありまったね*****と。

 佐土原夫人や、他の、後からひっこひして来た奥さん連中は、ものすごいレベルで、角田夫人を崇め奉っているみたいだが、こういう特殊な1960年代の事情を知らないのだろう。佐土原夫人を巻き込んで、角田祝二が、2013年の5月末に「あんたを刑事訴訟にかける」と、恫喝してきた日のことは忘れない。(後注3)

 その頃、角田氏に向かって、「崖の草をとることができなくて困る。<土なら、はしごを埋め込むことができるが、コンクリート打ちをされているので、金属製の脚立が、きちんと立たず、倒れるから>」と言いかけた百合子に向かって、<>印かっこの中を言うこともできないうちに、角田夫人が、夫に向かって、「あなた、この人って、分からん人(ジン)・だから、何を言っても駄目よ」と、捨て台詞をはいた。だから、ここでいうが、そんな判断は、とんでもない事だった。  

 30年以上前から、角田夫人が田舎者であると、推察していた。それで、問題が山積してくるとも理解していた。それを、20年前に、上記の質問をした時から、静岡大学の名前を知り、確定的に、理解をしていて、彼女の全行動は、そのポイントと、それから、大学四年時に、就職さえできなかったほどの、未熟で不完全な人間であるとのポイントから、見つめていた。で、どれほどの、軽挙妄動の人かというのを、すべての彼女の行動において、傍証づけて来ていた。

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副題7、『政治的使命や目的のないドン・キホーテは、無残で滑稽なだけである』

 あれは、アジサイ畑欺罔事件が起きた年の、鎌倉市立、御成(おなり)中学のPTA総会でのことだった。1986年だから、30年近く前のことだが、百合子にとっては、忘れられないエピソードである。

 角田夫人が、フロアーから突然の挙手をして、堂々と持論を開示して演説をした。百合子の周辺では、声にならないどよめきが起きた。賢い主婦は、中学時代に、母親の方が目立つことが、どれほど、子供(特に男の子)にとって、障害というか迷惑になるのを知っている。で、声にならない声で『うわ、あの人すさまじい自信ですね。お子様って、どういう人』って、語り合った。目で、『東大へ入るつもりなのでしょうね。すごいわね。そんなこと、誰にも予測できないのに』と思いあっていることが百合子には見えた。

私の周辺では、声にならないどよめきが起きていました。賢い主婦は、中学時代に、母親の方が目立つことが、どれほど、子供(特に男の子)にとって、障害というか迷惑になるのを知っています。皆さん、声にならない声で『うわ、あの人すさまじい自信ですね。お子様って、どういう人』って、語り合ったでしょう。目で、『東大へ入るつもりなのでしょうね。すごいわね。そんなこと、誰にも穂予測できないのに』と思っていることが私には見えました。特に、これが、アジサイ畑の大騒動の後だったので、シンから、あきれ返った。『人の土地を、自分が原因となって、盗んでおいて、なんでこの人は、これ程、平気なの?』と、思って。

  むろんのこと、角田夫人の愛する息子は、東大へは入学していない。これから雅子さまみたいに、再入学もあるかもしれないが、30歳までは、東大へは進学をしていない。

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副題8、『娘の恋愛、結婚、出産は、神の采配する領域なのに、それを井戸端会議の餌に提供する角田夫人』

 この山の住人のうち、最も勝気な人である、遠野夫人は、自分が一番になるために、井戸端会議を主催していた。そこに、ほかの女性が参加しなければ、百合子の私道部分が、盗まれることもなかった。最初期は、8人ぐらいが参加していなかったし。そして、明瞭に批判をしながら、そのそばを通り過ぎる夫人もいた。百合子は、なぜ、角田夫人がそこに参加しているのか、不思議でならなかった。國學院大學の講師をしているのだったら、教育心理学等を学んできているはずで、自分が集団的いじめの一翼を率先して担っていることに対する反省が、自然に生まれてきても当然なのに、むしろ、率先して、そこに参加をしている。

 で、角田夫人の学歴が高いことが、遠野夫人の潜在的な希望や、動機を、権威づけてサポートをしているのを、やがて、気が付いてくる。遠野夫人は、多分高卒である。だから、彼女の唯一の優越ポイントは、三人も子供を育てていることにある。本当は、自分の子供ではないのに、そこが、優越ポイントだから、いかにも、いいお母さんらしさを演じている。だが、不自然なことがいっぱいあって、そこが、彼女が略奪婚の人であると、百合子が見抜いた原因だったが、他人を利用することには長けている人なので、角田夫人が自分側についてくれることの利益も重々承知していて、多量なおべんちゃらを使って、懐柔しているとみていた。

 と、同時に、角田夫人は、前の住所で浮き上がっていて、いじめられていたのだろうとも思った。で、『ここでは、うまくやろう』と思っていて、遠野夫人に過剰適応をしていて、『心理的に媚びている』とも、思った。それで、井戸端会議には、積極的に参加し、話題を提供するのだが、東京育ちではないので、<慎み深く>話すというマナーが身についていない。で、サッシを閉めて、自室で、自分の仕事をしている百合子にまで、全内容が聞こえてくる。そこまでは、10mは離れているのだが、この谷が、ギリシャの小劇場風な形になっているので、舞台にあたる、遠野家の門前で、話す声は、全山に響くのだった。

 ある時、角田夫人が「かずこがねえ。湘南高校の子と、付き合っているのよ。結構イケメンなの。だから、早く決めちゃえばと、言っているのにぐずぐずしていて・・・・・」というのが聞こえた。ちょっと、すくんでしまった。それは、23年前の事であり今ほど、深く、神の存在には気が付いていなかったが、それでも、そんなことは話題にしてはいけないと感じた。

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副題9、『桜井氏は、梶本夫人の娘が、未婚であることを、問題なこととして、百合子に吹き込んだ』

 百合子が、この鎌倉ユキノシタの小さな谷に引っ越してきた1985年当時、ここの町内会長をしていた、桜井友二氏は、道端で、百合子と会ったときに、この山における問題点をいろいろ、打ち明けてくれた。彼は女性連中がお互いに、いがみ合っていることに、困り切っていたのだ。それによると、<梶本夫人の娘は、未婚であるとのこと。で、梶本家の対面にある百合子宅の前の住人、堀切氏に対して、嫉妬心があるのだとのことだった。堀切氏は、梶本家に対して、家柄としては劣等をしている。だが、堀切家の娘に孫が生まれた。で、孫が堀切家を訪問をする。それが、梶本夫人の嫉妬心を、喚起させ、二つの家は、大騒動というぐらいの喧嘩になり、百合子の前の住人は、結局引っ越していくこととなった>とのこと。

  その時に、年齢の割には軽い人である桜井氏も、ふたつの家族の優劣関係の本当の原因については、語らなかった。だが、百合子は、その後、梶本家が、どういう家なのかについて、知ることとなり、したがって、東邦映画の重役、梶本正澄氏の義妹にあたることを推察していく。一方、堀切氏は、百合子たち夫婦との、売買契約の席で、「自分は映画館を経営していた」と言っていた。この山は映画界において、一種のゴッドマザーであった洋画輸入業者・川黄多かしこ邸と、地続きの山であり、元華族毛利家のものだったと思う。梶本元東邦重役は、旧制・山口中学で、百合子の父と親友であった。そういうところから、この山の最初期に、梶本夫人は中心にあたる処に、引っ越してきたのだし、堀切氏は、三方を自然に囲まれた、現在は、百合子宅になっている土地を気に入って、転入してきたのだった。

 だから、両家は、堀切氏が下手に出るという形で、最初はうまく行っていたはずだ。が、堀切氏の娘と、梶本家の娘が、もし、同じ世代だったら、そこで、競争心や、嫉妬心が生まれてくる可能性はある。特にインテリ派の梶本家と、庶民派の堀切家では、元来が合わない家風があったと推察される処に、大学へ進学し、小学校の先生になった梶本家の娘と、高校を卒業し、どこかに就職をしたのちに、さっと結婚をして、孫もできた堀切家の娘との間に、優劣の逆転現象が起きたと、梶本夫人が感じたとすれば、そこに亀裂が入ってくる。

 特に、位置的に、梶本家より、堀切家の方が、10mぐらい高い場所に、存在しているので、睥睨され、馬鹿にされていると、梶本夫人が、過剰反応を起こした可能性はある。桜井氏は、梶本夫人について、常に、「被害妄想が強いのですよ」と言っていた。

 『ロミオとジュリエットに出てくる、モンターギュ家と、キャピロット家の対立ではないが、近所であるとか、家格が同じであるとか、子供の年齢が同じであるとか、生協に一緒に加入しているとか、いろいろなファクターで、われわれは、親しい友というのを作るのだけれど、家には常に盛衰があり、上下関係に移動が起きるのだから、近隣では、親しい友人を作るべきではない』ないと、百合子は、思い至っている。梶本家と、堀切家は、昔、一時期であっても、親しくしたからこそ、近親憎悪的、憎しみが起きるのだ。

 しかし、角田夫妻には、その種の知恵は、皆無の模様である。ともかく、娘を持つ親にとって、娘の、恋愛、結婚、出産などは、天の支配する領域であって、それを道路っぱたで、開かれている井戸端会議の種とするなどとは、百合子にとっては言語道断な行為だけれど、そんな角田夫人を、冴木家一家全員が、また、佐土原夫人も、また、ほかの家も、尊敬しきっているらしい。それは、百合子にとって、一つのミステリーであり、ぜひ、解いて置きたい謎でもあった。その答えとしては、大学院というキーワードが、役立っているのであろう。だが、百合子に言わせれば、それは、就職ができなかったからの逃避でしかないと、思われるのだが、1960年代の大学生活を知らない人間には、見えない項目であるのだろう。

 14年10月11日から書き始め、13日に、一応前編は、完成したということとする。後編につづく予定あり。

 雨宮舜、(本名、川崎千恵子)

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2514713です。

以下は、参照資料です。小説化はまだ、なされていない原型のぶろぐです。

後注1、

私の住まい近辺には、黒猫が多かった。かわいそうな外猫ジャックを、今でも思い出すが△

2014-10-11 08:10:41 | 

後注2、あとで探しておきます。

 

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私の住まい近辺には、黒猫が多かった。かわいそうな外猫ジャックを、今でも思い出すが△

2014-10-11 08:10:41 | 

 以下の文章ですが、11日の夜10時ですが、やっと完成しました。そのしるしに総タイトル横に、△印を置いておきます。

副題1、『この山には、黒猫が多かった』

 この写真は、どんぐり(くぬぎ)です。でも、地上で拾ったのではありません。

 我が家の屋根の上に乗っていたのです。二階の屋根の上に。我が家の敷地内と、東側の境界線の向こう側にもくぬぎはありません。南側境界線の向こうにあるのかしら?

 どこにあるかはわかりませんが、ともかく、台風16号と、台風18号のどちらかが運んできた賜物です。

 ところで、どうして、屋根の上に乗ったかというと、樋を掃除するためでした。常に落ち葉がたまって、といが、樋の役目を果たさないことが多いのですが、その樋がに役目を果たさないということにも、また、少しはメリットがあるので、放っておいたのです。あれは20年以上は前の話ですが、前のねこ、ちびちゃんが、音楽が非常に好きでした。ただし、私がピアノを弾いたり、歌ったりするのは嫌いで、いつも、ピアノに飛び乗って「やめてくれ」と、自己主張をしましたね。(苦笑い)

 私は、40年以上前は、毎日ピアノを弾きながら、お歌を練習したものです。林隆三さん方式で、勝手な和音アルペジオ伴奏を左手で、つけながら。でもそのおかげで、長調、短調の和音は、フラットにしろ、シャープにしろ、三つぐらいつくまでは、自家薬籠中の物にしたのですが。ですが、子供が小学校へ入ると、もっと、大きなことをしたくなって、ちびちゃんを、わが家で拾って、飼い始めた頃には、ピアノを毎日弾くのはやめていました。ただ、時たま興が乗ると、弾いたり、歌ったりするのですが、それを嫌がるのです。ちびちゃんの耳は非常に繊細で、ただ樋が聞かなくなったベランダから、落ちてくる雨粒の音を聞くのが大好きでした。

 上の写真は、絵葉書の採録で、ちびちゃんそのものではありませんが、まさしく、これと同じ毛並み(模様)だったのです。捨て猫です。この雪ノ下(黒猫が三匹いた)もそうですが、北久里浜の家でも、同じ人が、同じ親から生まれた子供を、連続して捨てるらしくて、ちびとそっくりな毛並みの、ねこを拾ってやったお宅がほかに二軒ありました。

 北久里浜から、鎌倉へ連れてきたのですが、幸いに、慣れて、北久里浜に逃げ帰ることはありませんでした。しかし、困ったことに、外でトイレができなくなったのです。それは、鎌倉春秋窯のねこ(黄色か、赤の首輪をした真っ黒な美猫)に我が家の庭も、占領され、いじめられるからでした。敷地は88坪もあって、木がいっぱいあるのに、ウンチもおしっこも、外でできないのでした。猫はにおい付けをしますので、わが家の庭が、春秋窯の猫の庭になってしまったのです。

 それは、小さいことではありますが、ちびちゃんは、毎日4,5回は、トイレを使う猫だったので、10年以上ずっと大変だったのです。飼い主が傲慢で、わがままだと、飼われている猫さえ、傲慢で、わがままです。でも、ちびちゃんは、家の中トイレで、老衰して、いろいろな場所に垂れ流しをしながらも、私たちが面倒を見続けて、私たちの掌中で、19歳の天寿を全うしました。

 彼女が、自分が猫を盗んでいる癖に警官を呼ぶという大騒動を起こしたので、そのせいで、次の新しいねこ、さびちゃんを外へ出せなくなったら、今度は、安野さんのねこが、そっくり同じ傾向で、庭を制御し、さびちゃんの方のトイレ始末もしなければならなくなったのです。我が家には山というものが、南、東、東北と三か所ありますし、室内から、出せば、絶対に遊びに、遠くまで、出かけてしまう猫だったからです。だから、30年間に及ぶここでの生活のうち、猫トイレ始末は、延々と、20年は続きました。北久里浜より自然が豊かな野に、住んでいる人間が異常だと、とんでもない迷惑をこうむります。

 私が、石川和子さんに、「お宅でも猫を飼ったらどうですか? そうしたら、猫にはテリトリーがあるので、お宅を訪問しませんよ」と言ったら、「あら、旅行に行かれなくなるから嫌だわ」と答えたので、本当にわがままな人間だ。他人を何と思っているのだろうと思った次第です。だって、黒猫を昔、飼っていたのですよ。毎日、わが家の庭を闊歩するから、よく知っています。だけど、こちらは、うちの猫が家の中にいるのだから、絶対に、彼女のねこを家の中にあげないし、むろんのこと、彼女の猫のことで、彼女の家にまで、文句を言いに行くことはありません。

 だから、彼女は、飼うのには慣れているのです。なのに、さびちゃんが、気に入ってしまったからでしょう。それで、他人のねこなのに、執着しきって、大トラブルに発展をしていきました。

 上の写真は、今のねこのさびちゃんの方です。昼間とっているので、瞳が小さくてかわいくありませんが、それでも、賢そうに見えませんか? 目ぢからも強いでしょう。4分の一ぐらいの確率でシャムの血が入ってています。それで、こんなに、活発な性格になっているみたいです。それが、石川和子さんに過剰に気に入られてしまった原因ですが、どうして、この猫が特別に賢くなったかというと、母親から離された後で、動物病院のロビーにおかれたケージの中で、兄弟だけと遊ぶ生活を、1か月以上続けたから、らしいのです。いくら大きなケージだと言ってもケージの中の生活は短調です。だから、病気のペットを連れてくるお客さんになついては、かわいがってもらうことの楽しさを覚えたのでしょう。ひときわ、人間好きで、かつ、会話好きです。

~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『外猫ジャックという、哀切な黒猫』

 上の方で言っている様に、この雪ノ下の山には黒猫が多かったのです。石川和子さんのねこもそうですが、もう一匹美猫がいました。それが、下にエッセイとして書いている、副題2、『リヒテルという美猫』に登場する猫です。

 そして、そのエッセイの最後の方にちらっと登場するのが我が家の外猫ジャックです。人間に絶対に慣れない猫なのでJ-pegは、ありませんが、ちょっと、イラストを描いてあります。来訪しなくなってから思い出に基づいて描いたので、うまく描けているかどうか、わかりませんが、こんなに、怖い顔をしていても、性質の根っこのところは、ひどく良いネコで、わが家の前の猫、ちびちゃんに恋い焦がれ、でも相手にはしてもらえないので、掃き出し窓の外で、じっとちび7ちゃんを見つめていた猫です。それほど、ちびちゃんは、猫の目から見ても美猫だったのでしょう。北久里浜の窓の外にもいつも、雄猫だなあと思う猫が待っていました。ちびちゃんは、しとやかでしたね。今の猫の、さびちゃんとはまるで違うタイプでした。

  

・・・・・・私が一人で出版した二冊目の本『れすとらん・ろしなんて』の第3章の採録・・・・・@13 リヒテルと言う美猫
  若い猫と言うのは、人間が働いている姿を見るのが大好きです。特に、人が外で働いているともう嬉しくて、足元にまとわりついてはなれません。そして、道を掃いている私の傍を通り過ぎて行く人に、愛嬌の数々を振りまきます。我が家の今の猫は、毛色は錆び色で、姿形としては決して美猫では無いんですが、下町おきゃん娘と言う形の極みで、別宅を三軒も持っているのです。朝六時にはもう出たがって、或るおばあちゃまの家へ行き、その次は、その隣のゴールデン・レトリヴァ―と遊び、疲れると、ゴールデンちゃんと彼の腕枕で一緒に昼寝をし、午後からは、その隣の陶芸教室の生徒さんたちに、可愛がられると言う始末です。真夜中だけは、我が家で出さないようにしているので、我が家で熟睡しますが。  或る日息子が「こう言うタイプの猫も可愛いけれど、僕はリヒテルも好きなんだよ。あれこそ猫中の猫って言う感じがしない? 全く媚び無いし」と言いました。リヒテル(仮名、本名は別の、有名ピアニストの名前です)と言うのは、まるで、エジプトの猫の彫刻のようなすらりとした姿形の、真っ黒な猫なのです。やや三角形の顔の中に、大きくて丸い金色の眼が有り、その下に、真っ赤な細い皮の首輪をしています。
*****
  ところで、世の中には、捨て猫を繰り返す不届きな人がいて、この我が家近辺の車の入ってこない山の中に、連続して黒い子猫を捨てる人がいるらしくて、その中で生き残ったのが、このリヒテルと、陶芸教室に七年ぐらい前まで飼われていた太郎と、あとから述べる野良猫ジャックです。太郎は、黄色い首輪をしていて、リヒテルより太ったたくましい猫でした。まったく同じに見える黒い毛並みなのに、何より性格が違います。太郎の方がやんちゃです。飼い主に似るのかな。・・・・・リヒテルの飼い主の方がちょっと哲学的思考の強い人なのかも知れません。

 その二匹よりもっと太っているのが、我が家の外猫ジャックです。これは純粋な野良猫で、人間に飼われた事が一回も無いまま、おとなに成ってしまったらしく、どんなに優しくしてやっても、人間に対する警戒心を解きません。生まれた時から、しっぽが半分解けていないし、(母親の子宮の中では、通常猫のしっぽは丸まって入っていて、それが全部解けないで生まれたのが、短尾の日本猫に成ります。しっかり解けたのが普通の猫です)しかも、曲がっているのです。で、まるで折れてしまったように見えて痛々しいこと限りが無いのですが、更に痛々しいのは、耳が誰か(と言っても、犬か猫かは判りませんが)に、噛みつかれて裂けているし、右目も瞳の真中に何かの傷からそう成ってしまったのか、白濁が出来ていて、そちらは視力が利かない筈です。つまり、どこから見ても汚げな満身創痍の猫です。
  もう少し、洗練をさせてやりたくて、馴らそうと七転八倒をしましたが、とうとう馴れることなく、「ジャックはどうも体の調子が悪そうだね」と我が家で人間の家族が話しているうちに、餌をもらいに来なく成ってしまったのです。多分、人知れず、自らだけで、この山の中で、最後の時を迎えたのでしょう。雄々しいものです。

 ただ、完璧な野良猫と言っても、そりゃあ猫ですから、猫としての自発的な考えは有るわけで、一階の大きな掃きだし窓の外で、置いてある小さな猫用の椅子に、きちんと座って家の中をじっと眺めているのです。うちの中にいる当時の飼い猫チビは、日本猫の雑種ですが、白地に赤トラが上品に混じった、これも猫の中の猫で、猫からの人気の高い美猫でした。そちらがお姫様とすれば、与太者風の、しかもホームレスのおじさんが、じっと家の中を『羨ましいなあ』と思いながら覗いている感じがして、人間の方がなんともやるせない気分に襲われてしまうのです。 で、煮干とかペレット、時にはケンタッキー・フライド・チキンの残りを与えて、それを食べるのに夢中に成っている間に、そっと後ろから回って、彼の爪に攻撃されないように、がっちりと抱いてしまうのですが、未だ人間に抱かれた事が無いせいかこの巨体のくせに、恐怖のあまりの暴れようで、体重が七キロぐらいあるので、私のような細腕ではいかんとも御しがたく、腕から解き放って、餌を貰いに来る以上に馴らすのは、諦めるのでした。

 その体のすさまじい重さも、ホームレス故だと思うと更に可哀想でした。いつ食べられ無く成るか、その事への不安が有るのでしょうね。こちらでは、絶対に見放さないつもりでも、相手がそれを理解しない限り、気持ちが通じないのです。だから餌が置いてある限り必ず全部食べます。家猫のチビが見向きもしない鶏の骨でも、がつがつがつがつ最後まで食べます。

 イギリスの作家のドクター・ヘリオットの本の中にも『こう言う馴れない純粋な野良猫を、とうとう家の中に彼らの自発的意思で、入れ込んで、風邪の治療をしてあげる』と言う一章があるのですが、獣医さんが夫婦二人で、しかも辺りが完全なる自然の中ですから出来る事が、普通の人間では、そこまでするエネルギーと根気が続きません。まあ消えてしまったジャックをどんなに、いとしく思っているかは、いつか将来もう一回書くかも知れません。*****

  今日は、リヒテルと彼を囲む人間像に付いてだけ書きましょう。息子は更に続けて 「僕が出勤する時、必ず下の門の前で待っているんだけど、プライドが高いから眼も合わせないし、ごろごろも言わないし、『にゃあ』とも鳴かないんだ。でも、必ず、頭と顎と頬を僕になでさせるんだ。まあ、急いでいるから、ほんの短い間だけどね」と言います。どうもこれは確かな事のようで、息子が海外旅行に行っている間に、私が、彼が通常の日に出勤をする朝の七時二十分に家を出てみると、我が家の門の前で息子に、あごをなでてもらうためにでしょうか、確かにリヒテルが待っているのです。

  夏目漱石が、『我輩は猫である』の中で、「車屋の猫はドラ猫で、おめかけさんの猫は色気が有る」と言っていましたが、どうも、猫は飼い主に似ると言うか、ともかく、飼い主の虎の威を借りる向きは有るようなのです。ですからこの山では陶芸教室の太郎が、一番の威張りんぼうでした。だって弟子が多いわけでしょう。『そう言う人とトラブると面倒くさいわよね』と言う感覚が皆に有って、『まず飼い主の方を、道を空けて通す』と言う感じが近所の人間全体にあるから、猫もそれを感じるのでしょう。太郎はまったくのきかんぼうでした。

 しかし、太郎に比べるとリヒテルの方は、同じ母猫から生まれたと推察されるのに、貴族的なプライドを持ち、つんと澄まして猫同士の争いもしません。が、人間と同じで『内面的にはこちらの方が強い』のではないかと思われます。どうしてかと言うと、その飼い主は、お金持ちで文化人だと言うわけですね。だけどこれから先はよそさまのお財布を覗く事に成るので、分析するのは止めて置きましょう。ただ猫を見るとその家の羽振りとか人気さえわかると言う話なのです。そう言う話なのです。・・・・・  2002年より前の話 

::::::::::::::ここで、挿入を終わります。

 なお、この挿入された短いエッセイに出てくるリヒテルが、わが家の息子や、わが家のお向かいの F 夫人にひどくなついていたころ、飼い主の「お母さん」は、入院をなさっていたのです。それがね。亡くなってから、分かりました。だから、当時は、ひどく、さびしかったのでしょうね。お父さんもお見舞いに行くから夜遅く帰ってくるでしょう。お子さん方(猫にとってはお兄さんやらお姉さん)も同じです。で、昼間、だれにも遊んでもらえないから、F家をしばしば訪問をしていたのです。今思うと、そのせつなさや寂しさが、よくわかります。ただ、F 夫人は医院のお嬢さんで、お行儀のよい人だったので、家の中に、自分の猫が居なくても、リヒテルを自分の家の中に、入れることはなくて、煮干しを、2,3本与えて、優しい言葉をかけては、それだけで、帰していましたね。それが、常識の範囲だと思うし、トラブルを避ける賢い方法だと思うけれど、石川和子さんはまるで違いました。 

~~~~~~~~~~~~~~~

夜9時半まで、これ以降に延々と加筆を続けておりました。副題3以下をです。だが、副題1と、2までと、カラーが違いすぎる文章になったし、両方を一緒にすると、二万字内で、起承転結が完成しない見込みが出てまいりました。で、これ以降は別称へ回します。今そちらを鋭意書きかけ中ですが、もう少し、公開をお待ちいただきたくお願いを申し上げます。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2512097です。

    2014年10月11日、朝の8時に公開し始め、夜の10時に完成とする。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)                                                 

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私が、元大本営参謀夫人に、轢き殺されそうになった1979-10-11(+佐藤亜紀、田中愛子、渡辺幸子)

2014-10-09 11:38:42 | 政治

 今は、11日(土)の午前、10時ですが、今から外出をしないといけないので、下の文章を未推敲の、ママ置いておきます。後で、直します。お待ちくださいませ。

副題1、 ところで、私はこのエピソードをごく最近まで、10年近く秘めていたのですが、しかし、友人にだけは電話で、「失礼な目にあった」と愚痴っています。上の方で言っている様に、日本のトップクラスの人たちから、(それは、後述する様に、阿刀田高さんにも及ぶのだが)頭がいいとほめそやされていて、田中愛子さんは知らなかったでしょうが、佐藤亜紀さんやら、ほかにも四人の大新聞所属の記者たちとタメぐちを聞けるし、一緒にお食事会(ただし、主に同窓会だが)も、催している私にとっては、失礼千万な言葉であり、行為でしたから。

 しかし、ここで、ちょっと余談に入りますが、彼女がベッドさえ伊藤玄二郎と共にする間柄だったら、伊藤玄二郎が、すでに、大物エージェントと化していて、その理由は私にあったと知っていて、ああいう失礼な態度をとったのかもしれませんね。それが、また、今の文章を書く傍証の一つとなっています。なぜ、私が伊藤玄二郎にとって、出世のえさになるかというと、私のご近所に石川和子さんと、言う、自分から『私は伊藤玄二郎の元愛人だから、彼によくしてもらっている』という女性がいて、彼女を使って、種々の心理的弾圧を私の生活に加えてきているので、彼が重要な人物として、のし上がってきたのです。

  しかし、これほど、理不尽なことはないです。この件では電話が盗聴されていることが明白です。後ほど、毎日新聞の縮刷版を検討すれば、この記事が何年の何月に載ったかがわかりますが、それで、田中愛子さんが、どなった後の何年目だったかが証明できるでしょう。そして、どれほどの、準備期間を経て、このインタビューコラムが成立したかも明らかにできるでしょう。

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副題5、『元大本営参謀という知恵者も、間違った情報源に頼ることがあるのだった。そして、命を落とすのだった』

 瀬島隆三に私は苛め抜かれています。今回の朝日新聞の記事の、ノーベル平和賞を憲法9条にというのも、その一つです。それは、実質的にはまだ、生きている井上ひさしに、授与させようという動きです。その井上ひさしこそ、私の文章を検討しぬいていて、どこが、攻めどころかを、逐一探っている人物です。

 今までは、平和賞は人物に下っていました。ところが、憲法9条という抽象的なものに下るので、異例のことだという文化人の言葉が、朝日新聞の、2014年10月9日朝刊、第13版、第39面に、載っていますが、異例ではなくて、実際は通常通り、人物に下るのです。で、それが、決定した後では、また、井上ひさしブームが起きるでしょう。

 でも、井上ひさしがどうして、そういう役目を持っているかというと、伊藤玄二郎とペンクラブ関連で親しいからか、それとも、瀬島隆三直々にリクルートをされたのか、どちらかはわかりませんが、この受賞で、『一気に挽回してやろう、復讐してやるぜ。ブログで、いろいろ、俺の悪口を書きやがって。待ってろ、雨宮舜(=川崎千恵子)目』と、内心で思っているのは確実です。

 ところで瀬島隆三とは、戦後最大のエージェントであって、山崎豊子の不毛地帯のモデルだと言われています。私箱の人と直接戦ったわけではなくて彼の大親友だという益山某元大本営(海軍担当)参謀と戦ったのです。

 この人が大勘違いをして、私をなめきって、その詐欺事件で、私の土地を取得するがごとき動きをしたので、私は戦ったわけですが、益山夫妻が、大失敗をしたのは、ご近所仲間のJ夫妻という人間からの情報を主に使ったからでしょう。J夫妻は、簡単に言うと、当時、ときわ相互銀行(=現在の名前、新生銀行)に勤めている夫と、専業主婦の妻の家庭で、わが家の子供二人より、それぞれ、2,3歳上の男の子と女の子とを育てていました。ところで、その女の子がお菓子を盗み食いをするのです。何度叱っても止めません。で、仕方がないので、隠しました。天袋とか。ところが、いつの間にか見つけて、そして、隠れて食べるのです。ものすごく疲れたし、振り回されました。以前、朝8時45分から、夕方の6時まで預けっぱなしの親がいると、申しあげました。その子も、しつけをぜんぜんされておらず、幼稚園は三円から入園拒否をされるという大変な子でした。それの面倒も見て、この盗み食いをする女の子の面倒も見る。あの時節も本当に大変な時期でした。でも、男の子の方は愛らしいところはあったのです。それに乱暴だったり、ものを壊したりはしましたが、家の中で、母親の目の前で、遊ばせてもらったことがないので、自由行動の結果起きる迷惑行為をやめさせるというしつけが、一切できていないのは知っていました。ところが、こちらの女の子は、そういう部分は大丈夫なのですが、もっと態度と心が陰険で、私の注意など、まったく小ばかにして言うことを聞かないのです。

 子供って、4歳ごろには知能というか、知恵という意味では、大人になっています。そして、子供によっては大人をなめています。恐ろしいが、そうなのです。それで、どうしてこうなるかをつくづく考え抜いたのですが、仲良しだったころに J 夫人が、父は戦死しました。と言っていたので、お母さん自身が、小さい頃、貧乏で育ったということはわかり、それで、今、(1975年ごろ)も、お菓子を買って与えていないのだということは、推察ができました。我が家には、いつも、たいへんに大勢の子供が遊びに来ていたので、午後にお兄ちゃんが帰ってきたら、六人ぐらいに三時のおやつをあげて、午前中には、この女の子と、我が子二人に、一〇時のおやつを上げる予定であって、一週間に二回、袋菓子を、5,6袋X2の、15個ぐらいは買ってきていましたが、それが、珍しいのでしょう。

 繰り返し、皆様に言いますが、ご近所づきあいとか、ママ友とは、必ず、平等にしておいて、貸借関係がないということにしておかないとだめです。この場合も一方的に我が家に預けっぱなしだから、、いけなかったのです。どうしてそういうことになるかというと、幼稚園に行かせていないので、わが家の子供より、年齢が高いので、母親は相手の子供の、子守を兼ねて、面倒を見てあげているというぐらいの、勘違いがあって、遊ばせてあげているのにお礼を言ってくれません。これは毎日、毎回お礼を言わないとだめなのですよ。

 それをやらないと、相手の親とのコミュニケーションがないということで、『あ、お母さんに、このおばさんは言いつけないのだわ』とその子が考えてしまうので、よけい、悪さを続けてしまうのですね。うちの子を支配してしまう。だけど、平等にしていて、「今日はお宅、明日は、うちで遊ばせましょう」ということになれば、子供の遊ぶ、様子が目の前で、よくわかります。そして、親同士もあいさつ以上の話を、子供を引き取ったり迎えに行った時にするでしょう。だが、一方的に私が預けられっぱなしだと、それだけで、すでに、嫌気がさしていますね。そのうえ、どんなに叱っても、そして、どんなに高いところに隠しても、どうしてか、見つけて盗み食いをしてしまう。   

 これには本当に疲れましたが、こういうことは本当に相手には、言いにくいことなのです。

 だからね。安易な気もちで、子供に特殊な環境(幼稚園に行っていない)を与えてはいけません。両親が貧乏だったら、母親が働くわけだから、保育所に預けますよね。だけど、貧乏じゃあないのです。ただ、「幼稚園なんて、ただ遊ばせているだけだから無駄よ」という考えなのです。幼稚園というのは、確かにそうです。だけど、そこで、友達を見つけて、自分の居場所を確保していくのです。そのお嬢さんが、自分と同い年の女の子と遊ぶのだったら、相手の子は、母親に、J ちゃんて、「お菓子盗み食いをするのよ」と告げ口をするでしょう。子供なりに力関係が対等だから。それで盗み食いが原因で、友達の家から、出入りが禁止されて、それで、お母さんが気が付くか、女の子自身が自分で気が付いていくでしょう。

 しかし、うちの子が二才か、三才で、そちらが、四才か五才という、二才の年の差は、大きくて、うちの子には、相手の子を制御する力はないのです。そのうえ、どうも、怖がっていて、母親に何も告げ口はしません。もしかしたら、お母さんに、つねられるという形で、しつけられていて、それで、うちの子に、口止めをしながらつねったりしていたのかもしれません。

 ただ、私の方が、お菓子がいつの間にか、無くなるので、盗み食いに、気が付いたのです。ちゃんと上げようと思っているのです。だけど、午前10時になるまでの、たった、一時間が待てないらしいのです。で、ある日、押し入れの下段に隠れて、東鳩のキャラメルコーンというお菓子を食べているときには、客布団用の、真っ白な、シーツの上に、生キャラメルをべとべとにつけながら、盗み食いをしていたので、とうとう頭にきた私は、お母さんを呼びました。そして、現場を見せました。

 その現場を見たら、やはり、大いに恥ずかしかったでしょう。で、恨んだり悪口を、あとで、言ったりしたらしいのですよ。だけど、見当違いも甚だしいです。こういうお子さんは、あの北久里浜の住宅街でも、めったにいませんでしたよ。つまり、母親が本当の愛をもってしつけていないのです。非常に安易に怒りつけて、言うことを聞かせているはずです。だから、子供は、心から、納得をしたという形で、善悪を身に着けていません。四歳の子供でも、すでに、面従腹背ということを知っていてその典型です。世の中のお母さんに本当に言いたいのだけれど、子供のしつけって、すさまじいエネルギーがいるのですよ。そして、自分の全人生の反映でもあります。

 この経験から、私は真実のしつけとは、親しかできないし、その親も子供に愛情を持っている場合でないとできないのだと、とことん感じいった次第です。

 本当に困りました。親は、『幼稚園なんて、無駄だ』という考え方で行かせていませんでしたが、絶対にほかの人と同じような暮らしをさせるべきなのです。J家が、特殊な道を選んだのは、地形も関係があります。三浦半島の狭い丘の上で、目に入る範囲に、8軒しか家がない場所であって、そのうち、小さい子がいないので、近所づきあいをしていない家が、四軒もありますので、他人からは批判をされないと思ったらしいのです。つまり、『他人から、あの家は、けちだと思われ、冷笑されなぜ、私は瀬島隆三に、情念のこもったいじめを受けるのか? その理由をかいつまんでここで語ろう』ることが、ここなら、ないだろう』と思ったらしいのです。他人は確かに、そんなことに首を突っ込んではきません。でも、子供が、盗み食いをしてしまうのです。幼稚園に行っていれば、午後からしか近所では遊べませんね。すると、大勢の子が一緒に、遊びます。となると、子供同士の監視の目があるので、こういう悪さはできません。

 さて、益山さんが、大きな、実質的な詐欺事件(表向きは、地籍変更届という合法的なもの、でも、すでに、建売住宅に使ってしまって、自分の持ち分が公簿上、たった、一坪しかないのに、一二〇〇坪にただで、増えていくのだから、変なものです)を完成させるためには、11軒の地境地主の実印を書類に押してもらう必要がありました。

 で、益山さんが、もっとも、上位において片腕として使ったのが、ミスターJであり、最もバカにしたのが、私でした。で、私に関して、J 家側からの恨みの情報だけを仕入れていたのです。それでは間違います。わたくしは、お母さんを呼んで、汚れた布団は見せました。そして、ずっと長い間、私が我慢をし続けてきたことも告げました。だが、当時はブログなどやっていませんから、私がどれほど、長い間、苦しんだか、そして、我慢を続けたかが表に出てきてはいません。

 そこを勘案しないで、私を馬鹿にしてはいけません。私はものすごく強いので、近所の人に、うわさ話を流して、うっぷん晴らしをしようとは思っていません。それに、子供のことですから、悪い癖が治れば、また、一緒に遊ぼうと思っていました。そういう抜群に深い心と頭脳を持っていることが、J 夫妻などには、まったく見えないし、読めてもいないでしょう。格が違うのです。で、自分たち側から見た、私像を告げ口しているがために、益山夫妻は、とち、くるってしまったのです。で、法務局も財務局も、<これが、実質的には、犯罪なのだが、通さないといけないのですよ>と、私に説明しないといけない羽目になったりして、本当に青息吐息でしたね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『困り果てた益山夫人は、私を車で轢き殺そうとした。だが、私は助かり、ご主人が、かわりに(?)死んだ』

 私は何度も言っています。性善説の人です。で、益山夫妻は、夫が、元大本営参謀(海軍担当)であり、奥様は、都立大学(現在名・首都大学)の土木工学科出身です。だから、殺人未遂までやるなどとは夢にも思っておらず、その1979年の秋から、母校の国際基督教大学に学士入学していました。で、今思うと、私の留守の間に、子供たちが J 夫妻にいじめられきっていて、とても、不安を感じていたのです。だけど、夢にも人を疑わないので、毎日4時ごろ帰って来ていました。10月でも4時ならまだ明るいです。

 益山夫妻は、元大本営参謀ですから、彼らなりの調査はしているのです。電話の盗聴は無論です。わざとそれをやっているのを誇示するがごとく、わが家の真南にある電話線を工事人を呼んで、いじったりしていました。で、私が学士入学をしているのは知っています。母校のICUは、三鷹駅からさらにバスに乗って、20分ぐらいかかるところにあるので、一日に、一単位か、二単位取るだけでも、帰宅は四時過ぎになるのでした。その午後四時を狙って、益山夫人が車で、強引に轢き殺そうとしたのでした。それは、1979年10月11日のことだったと覚えております。

 ところで、以下の写真は、私の北久里浜の家の周辺です。J-peg が、ぼんやりとしていますが、真ん中にとおっているのが道路で、上が南になります。その日だけは、いつもと違う場所に、益山夫人の車が止まっているので、変だなと、考えました。

 この図の下の方、赤い色で、人間が漫画チックに描かれていますが、それが、私です。そして、その上の方に、黒い格子模様で、埋められていて、かつ、緑色のふちで彩られているのが、益山夫人の車で、その日だけは、そこに、止まっていました。普段の益山夫人は、この道路を使って、元町ユニオン(その鎌倉支店かな?)にまで買い物に行くので、さーっと通り過ぎて、そんな場所には止まっているはずはないのです。彼女は、セレブを、自認していて、近所づきあいを一切しませんでした。町内会にも入っていませんでした。原節子に似た美人で、インテリです。しかも、当時は、普段使い、とくに女性が乗るにしては、最高級車だった白の、セドリックハードトップツードアに、シェパードとご主人を乗せて、パーッと通り過ぎるので、その日の停車は、異常なことでした。

 私は小さい時から両親に腺病質だと思い込まされてきているので、とても、やせていて、しかも色が白いので、弱々しく見える人です。で、益山夫妻は、高をくくって、私にとんでもない嘘をついて、自分たちの悪事に加担をさせようとしました。しかも、そのためには、私の家の一部を奪うという形さえ取りました。だが、私は現代最高の頭脳を持っていますので、たちまちに夫妻の悪だくみを見抜いていしまいました。この大規模な詐欺事件(ただし、書類上は形が整っているので、犯罪には当たらないが、元横須賀市の水道山1200坪を、ただで、自分のものにしてしまった)は、横須賀市、法務局、財務局を巻き込んでいるものなので、私は、自己防衛のために、それらの役所に、内容証明を送りました。で、益山夫妻は、対・役所という意味で、それ以前は、エリートとして、君臨していたのに、その面目を失ったし、五年間は動けないことにもなったので、窮地に追い詰められ、なんと、私をひき殺そうとしたのです。

 だが、この日の車には、いつもとは違って、奥さんだけしか乗っていませんでした。シェパードも旦那さんも。だから、もしかしたら、それは、奥さん一人の出来心だったかもしれません。ただし、それが失敗した10時間後に、益山氏は急死します。それが、自殺なのか、脳溢血などの、循環器系の急病なのかは、私は、知りません。

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副題7、『私は五度の暗殺未遂にであって、ことごとく助かっているが、自助努力もあるし、天の助けもあると、思う』

 ただ、この暗殺が未遂に終わったのは、私は非常に勘がいい人間であって、いつもとは違う場所に、違う時間帯に、しかも絶対に停まることのない益山夫人の車が停まっていることに、違和感を感じたのです。それが潜在意識内で、逃げる準備を促してくれたのでしょう。上の図はラフなもので、わが家は60坪あるので、益山夫人の車は実際には、これ程、大きくはありませんが。

 この道は南に向かって昇る角度があるので、益山夫人が車を急発進させたときに、『あ、狙われている。坂を下る加速があるので、自分は死ぬ可能性がある』と、直感をしました。で、横っ飛びに逃げたのです。その時に逃げ込んだ場所が、上の図の真ん中の右側に、ピンク色の斜線で囲んである部分(くぼみ)です。

 益山夫人もばかではないです。もし、このくぼみにまで、車を突っ込んだら、意図的に殺害をしようとしたことがばれてしまいます。だけど、道路の真ん中で、轢き殺したら、過失致死で済むでしょう。それは、彼女も瞬間的に判断をして、ただ、さあーっと、左側を通り過ぎました。

 私はよく神様は存在すると言っています。この時もそれを強く感じました。もし、この道がまっすぐだったら、私は100%殺されていました。また、私の家は、下側(=北側)から見ると、右側(=西側)にあるので、そちらを選んだ方が近いので、私は半分より右側を歩いていました。もし左側を歩いていたら、突起しかないので、殺されていました。こういう偶然が重なったのも天意だと思っております。そして、自分が思っていたよりも運動神経が良かったのは、自助努力にあたるのか、天の助けなのかは知りません。ただ、父は戦前の神宮の陸上大会(今のユニヴァーシアードと、国体がミックスした様な大会)で、走り幅跳びの選手をしていたから、そういう血がぱっとよみがえったのかな?~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『子供に申し訳なかったなあ。あのころ、私の子供たちは、ミスター J (おとなの方)にいじめられていたから』

 私はね。この章で、急に昔の話をしていますが、それは、ノーベル平和賞が憲法9条の会へ、下賜されるらしいと聞いて、そういう風になっていったわけです。それは、見事に、益山夫妻とか、渡辺幸子さんを支援する人たちの動きをグローバルに拡大した動きだからです。ノーベル賞と聞くと、格段に、スケール違う様に見えますが、根っこはすべて同じです。もし、ノーベル平和賞が、憲法9条に下るのだとしたら、それは、明瞭に私が書いている文章に対する復讐となりますね。で、そういう方向へ向かってしまったのですが、本当は、相変わらず、佐世保バラバラ殺人の高1少女のお母さんを問題としたいわけです。

 そのお母さんは東大卒です。で、仕事に目が向いていて、次子である彼女には愛情も与えておらず、注意の目も向いていなかったと推察しています。ところで、だからこそ、昔の話を思い出したのですが、この1979年に、私がICUへ学士入学をしたころ、うちの子供たちは、本当はひどく寂しい思いをしていたのでした。というのも J 家が、益山夫妻のお気に入りになったことを、力のよすがとして、なんと、私に復讐して来たのですが、その矛先は、子供の遊びに向かったのです。子供たちだけで遊んでいる場所だったのですが、みすたーJが支配する様になって、しかも、私の子供たちを排除してきたのでした。私は、この1970年の、五年ぐらい前は、子供の遊びにくっついて注意しまくっていましたが、すでに、小学生になった子供たちにはくっついてはいません。

 そこに、ミスターJは、キャッチボールを指導する人として乗り出してきたのです。なんとおぞましいことと思いますが、平気でやるのです。だけど、お子さんにお菓子の盗み癖があったのは、両親が駄目だったからですけれどね。愛していなかったのです。特にお母さんが。お父さんは、普通は女の子をかわいがるものですが、その家では、妻の、おしりに敷かれていて、言うなりだったのでしょう。1970年代から80年代にかけて、日本経済は右肩上がりの成長期で、常盤相互銀行(現在の新生銀行)だって、お給料は良かったと思いますよ。それが、お母さんが働きもしないで、幼稚園の月謝とか、お菓子代をケチっていたのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題10、『平木氏が、ミスターJとそっくり同じことをしているが、だれから教唆をされたのだろう』

 突然、雪ノ下の方へ戻ります。たった、20戸しかない小さな集落だと常々申し上げております。その中で、小さなお子さんのいる若いご夫婦って、本当に少ないのです。何分によらぬ、高齢化社会であって、中古を買って新しく参入してきた家の中でも、お子さんのある家は少ないのです。この地域が、車のつかえないちょっと、古臭い、インテリ好みの地域だから。

 でも、平木さんという、健康で、お上品な家族が引っ越してきて、まるでお人形の様にかわいい男の子二人を育てています。ここで、このご家族の名前を表記するのは、そこのお子さん自体に何の問題もないからです。だが、親(特にお父さんの方)が、何か悪いことを、ほかから、教唆されていて、恐ろしいことをやってこられるところがあるので、ここに名前を記載します。

 それは、上に書いた、ミスターJ と、そっくりな遊びです。父親が、主導するキャッチボールのことです。それを何と我が家の前でおやりになるのです。石段があるところだから、そういうところで、キャッチボールをすること自体が、危険なのに、おやりになる。ほんとうに、遊びが優先なら、いくらでも山の下に平らで安全な場所があります。

 非常に悪意ある行為でした。ただね、わが家の子供たちは、既に、40を超えていて、この家には、同居をしていません。だから、ミスターJ とは、違っていて、うちの子を排除するという要素はありません。もし、そういう要素まで、命令されていたら、平木さんも、そういう行動をとらなかったと思います。だが、全く透明で悪意がないとはとても言えないのでした。まったく、別の悪意が込められているのです。それは、アジサイ畑欺罔事件で、盗まれた我が家の土地を、泥棒したのではないと、言うことで、確定したいと願う、安野忠彦氏とか、前田祝一氏の意向を呈していると見えます。

 どちらが命令をしているのか? ただし、私は、この北久里浜の話をそれほど、詳しくはブログの世界で語っていませんね。ただ、小説の形でまとめたものはありますが、それは、表向きんは前田さんにも読めないし、安野氏にも読めないはずです。ただし、ハッキングの権利を与えられている井上ひさしとか、伊藤玄二郎が、読むことはあるでしょう。それとも、安野氏も前田氏も、そのアプリをすでに与えられているのですか?

 まさか、平木家が、その権利を与えられている。そんな汚い行為に加担をなさると、将来非常に悪いことがお子さんの身の上に起こりますよ。彼らは、本当に悪らつなこと、悪魔が、やる様なことを平気で、やってくる連中ですから。それから、これは、お父さんがいないウィークデイの話ですが、お母さんが、電話か何かで頼まれて、子供たちに、「前田さんの家に行きなさい」というのかしら? で、その前田家では、平木家のお子さん方に、「安野家に行きなさい」と、言うのかな? で、お子さん方は前田家に寄った後で、安野家の裏庭に入ります。そこは安野家の門を入って、しかも、急なはしごを使わないとは入れない(?)野菜畑ですが、

 そこに、平成の八墓村事件の直後、23日に何回も入って大騒ぎをして遊んでいました。ね。それから、私が交通事故に出会った、4月7日の直後、9日にも大騒ぎで遊んでいました。だからこそ、その二つの事件が、意図的に作り上げられたもので、前田家とか、安野家を助けるために、徳山の山間の、5人の老人は殺されたみたいです。保見は、やっていないでしょう。五人も殺しておいて、裁判が行われていません。へんですね。2013年の12月に、精神鑑定の結果、裁判に耐えられると発表をされたはずですが。

 恐ろしいことです。自分たちの礼儀知らずが原因で、私の土地が盗まれたのに、反対に、安野家は北側に20坪ぐらい新たに開墾をして、土地を作り上げ、前田家は、私が引っ越してくる前に、(どうも前の持ち主がやったことらしいのですが)私道部分を自宅の石垣を作って占有しています。反対に、私はほぼ、30年にわたって、自分の土地を使えず、しかも東北の角は、許可もしていないのに崖を崩されています。この理不尽さと汚さ。そういう汚いことに、大切なお子さん方を人身御供として差し出しているのですよ。一種の「道具として、どうぞ、使ってください」と言っているのと同じことですよ。恐ろしい。本当に恐ろしいです。

 本当に些細なことで、一気にことが逆転をすることがあります。若宮大路の桜並木が、2012年までは、普通だったのに、2013年に急に衰えました。八幡宮様は植え替えをなさるそうです。だけど、あまりに成長した木を植えると根付かない可能性もあるし、本当に難しいことです。平木さん、あなたがお子さんを提供したことさえ、その桜並木のダメージぶりに寄与しているのかもしれないのですよ。単純なことでも、正しいことでもないのですよ。どうして、何を聞かされているので、そういうことが平気でできるのかなあ?

 それから、一つの推察を加えさせてくださいませ。まさかと思うが、安野忠彦氏の引退前の勤務先って、新生銀行ではないでしょうね。ともかく、銀行ではないかなあと思っていましたが、もし、新生銀行だったら、見事にリングが完成しますから。ミステリーの謎解きが一気に前に進みます。鎌倉には新生銀行の支店があるし。新生銀行とはときわ相互銀行だけではない複数の銀行の、合併体らしいので、元っ長銀でも、元あおぞら銀行でもいいのですが。

 後刻、推敲やら、加筆をしてそのあとで、日付を入れ、署名も入れます。

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2510647です。 

 後注1、下のリンク先へ入ってから渡辺幸子さんの項目を探してくださいませ。

同窓会について

 

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本日、電車が50分も、遅延させられたので、瓜南直子さんとの、悲哀に満ちた2011年を思い出した△

2014-10-08 05:43:27 | 政治

  今は、8日の午前3時ですが、下の文章の推敲が終わりました。で、恒例の△印を総タイトル横につけておきます。最初は意味不明なほどの、誤変換があり、文脈も乱れがありました。だが、延々と10時間も時間をかけた推敲の結果、ずっと読みやすくなっているはずです。お約束したよりも、長時間かかってしまっていて、申し訳ございませんでした。それはノーベル物理学賞が、発表をされたせいでもありました。

 なお、この章も、総タイトルは、推敲後に、変更しました。その中に含まれている本日とは、2014年10月6日のことです。その日に、2011年の、自分の苦難を思い出させられてしまいました。電車が、遅延したせいなのです。それは、むろんのこと伊藤玄二郎たちを助けようと誰(?)かが仕組んだことだったからです。で、伊藤玄二郎つながりで瓜南直子さんのことを思い出したわけです。

副題1、『私は50代には、よく銀座8丁目で本を買ったものだ』

 私は画廊巡りをほぼ、30年続けているのですが、昔は今より元気で、たくさんの画廊を巡った後で、さらに本屋で、本を渉猟する時間がありました。特に8丁目にあった福屋書店が好みでした。小さい書店ですが、らせん階段風の階段を上った二階が時によっては、スターのサイン会の会場になるらしくて、それゆえに、片づけやすくするためにか、そこらあたりに美術書が、ゆったりと置いてあって、その空間のひろびろとした感じが好きだったのです。その、時には、どかされてしまう筈の、美術書のすぐ前に、翻訳本のコーナーがあり、西洋のノンフィクションが置いてあり、それを買って帰るのが好きでした。

 1940年代生まれの私は、友人もそういうのですが、小説を読むよりもノンフィクションかエッセイを読む方が好きです。第二次大戦とその敗戦と、安保闘争と、大学紛争を、若い時期に経験しているものですから、この日本が平和国家とも思えず、もし、危機が来たらと、いつも、心の準備を怠らないところがありますから。

***********ここから先、ある本が見つからないということを語っておりますが、本日、犯罪事件の方から見つけることができました。で、その部分、1000字が、不要になったので、削除をさせていただきます。***********

副題2、『種々様々な嫌がらせを受け続ける私だが・・・・・?』

 私が文章に取り上げた、モノが証拠隠滅を図られるという傾向は言葉そのものにも及んでおり、

 都立大学は、首都大学へと変更され、横浜国立大学学芸学部は、教育人間科学科と、名称変更され、獣医学部は、生物環境科学科とか、何を研究するかわからない名称へと変更され、

 きちがい、という言葉や、めくら、びっこなども使ってはいけないとなっています。またヒステリーという言葉も使ってはいけないとか? これらは、私の文章に一回は出てきた言葉であり、その後、そのような変更が起きています。いやあ、私が大物であることは驚くべき程度ですが、

 停電も、3.11以降、わが家近辺では、6回もあり、中には、4時間から6時間、夜じゅう続いたものもありました。だが、文京区に住まいする人には一回もなかったとか? 狛江市でも一回もなかったとか?

 本日、台風16号が、関東を四時間で横切って、鎌倉が晴れてから、私が主人に、『私たちの親戚はすべて、大丈夫な一帯に住んでいるわね』といった15分後、すでに、絶対に晴れているはずの、「茅ケ崎市で、避難勧告がでました」と、NHKが言いました。12時のニュースでもそれが繰り返されました。茅ケ崎にはむろん親戚がいます。だから又もやニュースを使って嫌がらせを受けました。まったく晴れている時間帯に、避難勧告が出たそうですよ、NHK総合チャンネルのアナウンサーはそういいますが、本当かしら? 

 また、午後は、銀座へ出かけたのですが、行きも帰りも電車が、非常に東戸塚近辺でスローに動き、帰りなど、横浜から鎌倉まで、通常は25分で到着するものが、50分もかかりました。鎌倉到着後、次の電車もその次の電車も五分間隔で到着するそうですから、これも対私への嫌がらせでしょう。それだけ、大物なのです。と苦笑しつつ言っておきます。ただし、神様を信じる私には、そういう嫌がらせを受けても、反対に天の音調もあったよねと、思うのでした。たとえば、私は新橋からは、座れなかったのですよ。遅延現象のために混んでいて。ところが、横浜駅で幸いなことに目の前の人が下りたので吸われました。で、座ってから駅まで、50分もあったので、十分すぎるほどうたたねができたのです。で、銀座へ行って帰った後ではとてもではないが疲れていて、ブログを書くことができないのですが、本日はそれができるというわけです。

 ともかく、そういう嫌がらせを受けるのは、私が書いていることがすべて正しいからでしょう。それと最近では携帯を帯同して歩いています。だから携帯が持っているGPS機能を利用して、こういう嫌がらせをするのです。むろん電源を落としてありますが、その電源をすべて、自由自在にいれたり入れていなくても、電源を入れたのと同じ様な現象を起こすことができるのは、パソコンを10年ぐらい持ち歩いて仕事を外で続けた結果、私が熟知することとなった・・・・・庶民にはまだその知識が、公開をされてはいない・・・・・技術です。すべて、鎌倉駅からのバスの時刻(特に乗りたいものが決まっているが、それ)に間に合わない様に、設定をされた遅延現象です。

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副題3、『国会図書館は、伏魔殿のごとく、CIAたちに支配されきっている。悲しい日本よ。文化面での独立が損なわれているのだ』

 というのも、わが家からは、既に、父と母を映した、戦前、戦時中の写真や、父が非常に絵が上手で、コンクールで一等を取ったりラストエンペラーの宮殿や甘粕大尉の執務室を飾っていたという新聞記事の切り抜きが、盗まれていたり、

 でも、大丈夫よ。国会図書館には、満州に関連した新聞があるはずですからと思っていたら、満州の新聞はすべて、マイクロフィルム化されているそうで、それを点検したら驚いたことに、文化面はすべて削除をされて、タブロイド判の、1~3頁までしか保存をされていなかったのでした。刑事コロンボだったら、すべての謎とうそを解くことができますね。新聞とは裏表にするので、偶数頁であることが必須です。また、これを書くと、今度はマイクロフィルムが劣化したというニュースが流され国会図書館が嘘をついたり、資料を失っている事実そのモノの証拠が消されていくのです。

 また、書物そのものも、『びょんぶ』というものが、国会図書館を始め、全国的に秘匿をされております。それは、河出書房新社・発刊で、著者は、伊藤玄二郎と、高野悦子・岩波映画・総支配人です。高野悦子さんの、wikipedia は、訪問をしたことがないのですが、伊藤玄二郎のwikipediaでは、(特に、2010年ごろには)、この書物で、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章をとったことが明記されていました。

 しかし、この書物には、どうして、私が現在、これほどの、被害をこうむらなければいけないのかについての大きな秘密が隠されている模様です。とんでもない言論弾圧の仕組みを、だれがどういう風にやっているのかの証拠の一つになる可能性があります。しかし、こういう文章を書いた後で、急にスペインのアストゥリアス皇太子勲章に関する記事が沸騰的に出回り始めました。それは日本のパソコンゲーム開発者宮本茂氏(=マリオブラザースの開発者)に授与されたはずです。

 こういうニュースも私の文章を、それで、低劣化させる目的で、作られている現象だと思います。というのも、それが、どういう事かというと、『へ、あいつ、スペインとポルトガルを、間違えてやがらー』と、せっかちな人が、私の文章の方が間違えていると、取るだろうと考えて、こういうニュースを作り出すのです。そうすれば、びょんぶという本に関する一切を隠すことができると、例の連中が、考えているのでしょう。この裏側を、以前解説した文章が出てきました。後注1として文末に置きます。

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副題4、『瓜南直子さんの、早すぎる死の原因についても、私には思い当たることがあるのだが』
 
 でも、本日言いたいのは、映画のカタログも盗まれているということです。瓜南直子さんが鎌倉在住の画家として、また、フェイスブック紙上のライターとして、その両面から、私よりも上の人物であると、言いたい伊藤玄二郎一派は、瓜南さんを、2011年度、ひっぱりまわしたのですが、それが、瓜南さんの死を早めたと、私は見ています。でもね、
 
  世間一般の人は、どうして、瓜南さんが、私を弾圧している事となっているかが、よくわからなかったと思います。が、今、上の文章の流れから、ちょうど語るべき時が来たと思いますので、書いていきましょう。
 
 覚園寺さん、浄智寺さん、金田佑子さん=====(同志社大学卒猫好きなOLで、瓜南さんの執事を名乗って、鎌倉、豊島屋のお菓子、源平まきを話題に、軽快な漫才を二人で繰り広げていた人・・・・だけど、その裏側に警察とか、伊藤玄二郎の陰が見え見えで、ひどくあくどいものだった。私にとっては、笑い話とは、遠いものだった)======との関係を詳述すれば、皆様にもお分かりいただけるのですが、ここでは、映画のプログラムについてだけ述べたいと思います。
 
 我が家から映画のプログラムが盗まれています。特に映画『TOKYO 』のプログラムが盗まれたのは大事(おおごと)なのですよ。それが千葉景子元法務大臣の、自らの死刑反対論に逆らった死刑執行と、死刑場公開へつながっていくものだし、谷垣前法相の、9人に及ぶ死刑執行にもつながっていく話なのです。その映画の第二部は、従軍慰安婦問題どころではない、すさまじいほどのひねくれたひねりを利かせた、世界中の、インテリだけに向けた、大反日映画なのです。が、それに文化庁が資金援助をしているということが、プログラムには記載をされているのです。ところが、すべてのこの種の伊藤玄二郎と、井上ひさし(むろん、その映画が、企画をされた時点では、彼は生きていました)が、関係している事案は、後付けで証拠が消されていきます。で、文化庁自身ではなくて、文化庁と民間団体が合同した団体が、資金援助をしたこととなっています。
 でも、紙に印刷されたものは消えません。で、「わが家からそれが盗まれていて、困った」と書いたとたんに、
 
 『瓜南さんに映画のプログラムについて書かせれば、いかに、私が不遇な人で、瓜南さんが、幸運な人であるかを示すことができる』と、伊藤玄二郎たちは考えたと推察されます。
 で、伊藤玄二郎本人、または、彼に使役された第二グループの人間が、瓜南さんを呼び出し、お酒好きな彼女に、酒とお料理をただでふるまいながら、言うことを聞かせていたと、推察しています。
 
 私は確かに、瓜南さんの映画のプログラムに関する投稿を見て、「Always 三丁目の夕日』などのプログラムについて、語っているかの女のフェイスブック紙上の文章は警戒であり、何の嫌味も彼女のファンは感じなかったと思います。
 しかし、私にとっては、この日本が、レオス・カラックス監督という名声と人気のある人の手によって、手ひどく貶められている映画を語る必要が絶対にあるのに、それをさせまいと、プログラムは盗まれているのです。日本国内では、短縮されたDVDしか出回っておらず、肝心のポイントは削除されているでしょう。しかし、それが短縮されない形で海外で出回ると、ひどい悪印象を海外の人が日本に対して抱く恐れのある映画なのです。絶対に語るべき、まじめなテーマを持っている私をあざ笑うがごとくに、エンタメ的な、文章を映画のプログラムに関して、語り続ける瓜南さんは、例の暗殺集団の、一角を担う重要なスナイパーとかしていたのですよ。
 
 ですから、それがどんなに軽妙に書かれていても、それを読めば、当然のごとく、私は、嫌な感じを受けました。
 そして、瓜南さんに、もし、『ルネ北久里浜が内包している悪を知っていますか』と、問うてみたり、『わが家の北側で起きたアジサイ畑欺罔事件を知っていますか?』と、問うてみたり、しても何も知らないと答えるでしょう。さらに言えば、『崖を、無断で崩すという悪も知らないし、猫のことで、警官さえ巻き込んだ悪(または、失敗)を実行してしまった、石川和子さんの、悪も知らないし、前田祝一氏と清子夫人、および、安野忠彦氏と、その妻、また、それらの人たちに二次利用、三次利用をされている小野寺夫人が行ってくる悪や嫌がらせのことも、知らなかったでしょうね?』
@@@@@@@
 むろん知らなかったでしょうね。しかし、銀座でもリアルな世界で、私は瓜南さん発だと思われる損失を被っています。ひどい話が連続しています。
 ここら辺りは、注2として置いた文章と重複する部分があるとは思いますが、
 
 瓜南さんを呼び出して、鎌倉にあるという映画プログラム専門のバー(テレビで一度見たところによると、裏駅、レザンジュの近所にあった、カフェ映画館の男性側オーナーが、そちらへ移転している様に見えたが)へ、いざない、ここのプログラムのどれを使ってもいいからフェイスブックで、面白い投稿をしてくださいと、頼んだ人物がいるはずです。
 私はそれが、伊藤玄二郎か、または、彼に使役をされて動く様に頼まれた人物だったとみています。そういう依頼の際に、必ず、お酒が使われたとみています。浄智寺で、鎌倉五山のトップと覚園寺さんを招いてラーメン談義が行われたそうですが、その席でも無論のこと、お酒は出たでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題5、『瓜南さんと、金田さんが友達になったのは、私の紹介故なのに、なんという、二人の、裏切りぶりであっただろう』
 
 実は瓜南直子さんと金田佑子さんが友人になったのは、私の紹介故なのです。それなのに、私を、瓜南さんは、苛め抜きます。全日本あすはが連というのもアジサイ畑欺罔事件の証拠隠滅を助ける投稿文章なのです。駒詩通りの共同溝工事が、二〇〇八年から、二〇一二年までは、本当にちんたらちんたらと進行し、しかも、元の敷石に道路が戻らず、アスファルトになったのも、私の文章への証拠隠滅の一つなのですが、瓜南さんは、そこをえぐる様に、からかってくるのです。それが、全日本あすはが連という語彙を用いた文章でした。
 
 彼女がそれを自覚してやっていたとは、むろんのこと思えません。ただ、ただ、悪人一派に教唆されてやっておられたことだと思いますけれど、
 それでも、それは、心理学を利用した殺人事件の一環でした。それは瓜南さんが躍起となって、私をいじめようとしていた、2011年から三年後、具体的な殺人未遂事件として保土ヶ谷のネットカフェで、実行されます。後注3へ。

 上の文章以外にもいっぱい、その頃には、驚くべき話が、登場します。 で、もしかしたら瓜南さんの家へ出かけて行って、「もう、やめてくださいね。映画のプログラムについて投稿するのは」とか、「全日本、あすはが連という、面白おかしく笑いのめした文章の投稿も、止めてください」と、言いに行くべきだったでしょうか? 彼女からは、私のお料理の投稿を、忌避されています。でもね、最後のツィートを読むと、どうして、私の投稿を彼女が忌避したかの理由もわかり、気の毒で今前、それを一切言っていません。

 どういうことかというと、彼女はお漬物の権威でした。だが、お漬物とは、余った野菜を有効活用する仕組みでもあるのです。これは、実は後日、佐世保のクラスメート殺人事件の少女に関連する文章でも書こうと思うのですが、私は決して自慢をしないし、語らないのですが、お料理のことをよく知っている人が見れば、見ているだけで、私が、非常に裕福だとわかってしまう生活をしているのでした。言え、ぜいたくな牛肉などは使っていませんよ。だけど、常に、野菜や、肉のバランスが取れている豊かな食事をしているのです。それをコメントとして彼女の頁に引っ付けたら、ひどく嫌がられました。でもね、かわいそうな瓜南さんは、最後のツィートで、経済的な不如意を語っておられます。

 その頃、私は、彼女のパートナーの伴清一郎さんの情報には一切接しておりません。だけど、パートナーがいるのに、経済的な不安を訴えるのは、奇妙であり、あまりにも伊藤玄二郎たちにひっぱりまわされていて、外出が多いので、夫婦の危機にあったのではないかと想像しています。

 しかし、今の伴さんは、フェイスブック等に活発に投稿をなさっておられる様で、しかも、瓜南さんとの交流を誇示なさっている模様なので、夫婦は仲良かったのだとおっしゃるでしょう。

 だけど、その一〇か月後に急死する瓜南さんが、すでに、体がだるかったと推察され、その彼女が、泉涌寺へ登る坂を、日本画の額(これは、パネルを使っているので油絵より重い場合がある)を、抱えて上がっていた時に、脇をすうっと通り抜けて行った伴さんのタクシーに向かって、『拾ってくれればよかったのに』という思いを吐露した、フェイスブック紙上の投稿を見て、種々様々な感慨と感想を持ちました。

 一見するといつもと同じ、軽やかな文章ですが、パネル枠がどれほど、重いかを知っている(版画額も似たような作りになっているから)私には、決して軽妙には見えなかったです。拾ってくれなかった伴さんを、恨めしく見送っている瓜南さんの気持ちは痛いほど、その時点で分かったのですが、伴さんは、単純に気が付かなかったのでしょう。でも、夫婦なら、お互いに何時に鎌倉を出発して、同じ宿に泊まるでしょうね。それで、どうして、一緒にタクシーに乗って泉湧寺へ行かなかったのでしょうか?

 伴さんが、いま、どれほど、瓜南さんと、自分は仲が良かったのだと、誇っておられても、二〇一一年の八月以降亡くなるまで、相当の離反があったはずです。そしてそれは、伊藤玄二郎のちょっかいというか、支配が、原因だったとみています。伊藤玄二郎は間接的に支配をしたのかもしれませんが、・・・・・ともかく、彼女のフェイスブック紙上の投稿は読んでいたか? ツィッター上の投稿は読んでいて、しめしめ、これで、川崎千恵子は相当イライラしているはずだと、にんまり以上ににんまりしていたと思います。

 自分の利益のために、彼女を支配しているのですが、それでも、人たらしの天才だから、瓜南さんは、最後の時まで、伊藤玄二郎が自分にとっては大切な人だという思い込みの中で、死んでいったと考えられます。

 でも、万が一のこととして、私が彼女に、事情を説明しに行っていたらどうなっていたでしょうか? 彼女が、『え、そんな裏があるのですか? それは知らないで、投稿をしていました。ごめんなさいと言ってくれたら、そうだったら、彼女は神様に疎まれることもなく、もっと長生きをしたでしょうか? 50ちょっと超えただけの死でしょう。早すぎます。

 彼女の家と我が家は、直線距離に直すと、150mもないです。石段を降りる時間が余計にかかるが、3分以内で、行かれます。で、玄関のブザーを私が、押したと仮定をしてみましょう。で、彼女が在宅だったとしても、実際には、私が、名乗った途端に、聞く耳を持たないでしょうね。で、ドアをぴしゃっと閉めて、一種のけんかとなる? そういう予想が付いたので、もちろん、訪問をしてはいません。で、彼女は真相を何も知らず、迷妄のうちに亡くなりました。しかも急死と言っていいほどの、あの、いじめ用の投稿と、死までの、時間的な差が、近かったです。

 金田佑子さんと、源平まきを話題にして、漫才を繰り広げていたのが、2011年の11月の中旬だったと思います。逝去は、次の年の六月のはずです。最後のツィートが4月です。あのつぶやきがあって、本当によかったです。あのつぶやきがあったからこそ、病死だと確信できますから。でないと、石川和子さんみたいに、・・・・・さんざんに使役をされたうえで、・・・・・増長をしすぎて失敗をしたから・・・・・トカゲのしっぽきりで、殺してしまおうと、・・・・・より上部の人間が考えて、・・・・・不思議な形で暗殺されたのではないか・・・・・・と誤解をするところでした。
 
 石川和子さんは表向きは癌で亡くなったそうです。だが、その三か月前には、まだ、ぼてっとして重い体重のまま、元気で小町通りを歩いていたのです。その同じ、彼女が、そのたった三か月後に死ぬのは、納得ができないのです。癌で死ぬ場合、普通は、ソクラテス顔貌と言ってやせ細ってから、死ぬものらしいです。それが、三か月弱で、考えられないほど、彼女は太っていました。いや、世間一般の平均からすれば、太っているというのではないかもしれませんが、私とほぼ、おなじ身長であっても、体重差は、15キロはあったはずです。
 
 まあ、石川和子さんは、ここでは放っておいて、瓜南直子さんに戻ります。瓜南さんは、4月に最後のツィートを登校したころには、『ここまで、体調が悪くては、自分は病気だろう』とは、自覚をしていたでしょう。だけど、それが、死に直結するほどの重い症状だとは思っていなかった様に見えます。
 
 だから、そこには辞世の句もないし、自分の人生を総括する言葉もありません。彼女はその頃、50歳になったばかりであり、人並みの寿命(75歳ぐらいまで)を生きられると思っていたと思われます。
  芸術家なのに、それでは、あまりにもかわいそうでしたね。特にお子さんがないのだから、最後のしめは、整えてから、逝った方がよかったのに。
 ところで、私の方ですが、10年ぐらい前から死を意識しています。人間はインモータル(死すべきもの)であって、いつ、それが自分の上に降りかかってくるかはわからないが、2005年ごろには、まだ、死ねないと思っておりました。ところが、それからすでに、10年が過ぎ、だいぶ悟ってまいりましたよ。
 
 というのも、『結構、達成しているじゃあないの』と、自分でも思っているからです。社会的な名声という意味ではだめです。しかし、私が最も好きなことは考えることです。そして、考える事というのは文章を書かないと、先へ進めません。それを毎日やることができます。しかも、以前より、ペースダウンしても、心が平静であり、満足をしています。
 それは、パソコンで書いた文章をすでに、紙の本六冊へ直しました。実は後、14冊分ぐらい原稿はあると思います。それを全部紙の本に直すのが夢です。夢が全部はかなえられていないのは、妨害のせいです。それは、分かっていて残念には、思っていますよ。それは、当然そうです。
 だけど、その14冊分の出版には、取り組まず、『まあ、ここらあたりで、いいかもね』と思って安心をしているのは、なぜか?というと、『不幸であるのも、いいかなあ?』とも思っているからです。不幸であることこそ、人生に余力を残していると同義語だと思います。100%の幸福を味わっている人間には、あとはマイナスばかりしか残っていない様な気がしますよ。
 
 執事・金田佑子さんと、お嬢様・瓜南直子さんのコンビがはしゃぎ切って、私をからかっていた現象は、私にとっては哀切極まりないものでした。苦しいものでした。しかも、それはそっくりそのまま、開発ちえさんと、梅森伸一君のペアで繰り返され、2011年は何重の意味でも苦しめられました。後注4へ。
 
 しかし、なんでそういう現象が起きるかというと、私の政治や社会に対する分析が、すべて正しいからだということも私だけにはわかっています。原発についても核燃料についても、最近では小保方ミステリーと称している諸般の現象についても、また、平成の八墓村と称されている、保見容疑者の一件についても、私の書いていることが、すべて正しいから、これほどの、弾圧を受けるわけでしょう。
 
 今のところ、『ここまで書いても、まだ、私の把握している真実のうち、65%程度の開示だなあ』と思っております。でも、ここまでの表現ができていること自体、これは、不幸や悲しみが鍛えてくれたおかげの、ご褒美というたぐいのものなのです。不幸や苦しみに見舞われったから、ここまで勇敢になれたし、また、ならないと生きてこられなかったのです。
 私の文章はいわば、遺言の連続みたいなものです。ものすごく長い遺言であって、読むのが大変ですが、サービス精神を読者に向けて発しなくても、書いていく様になっていますが、それも、一種の、得難い境地といったものです。
 先ほど、名声がないと言いました。
 その件についても、今では気にしていないのです。こういう文章を書いている人はほかにいないのだから、世間が、これを利用して、どういう利益を生むかなど、一切考えるはずがなく、したがって、私の周辺ではお金は動かず、したがって、人間も動かず、したがって、私は名声とは無縁です。
 しかし、それほど、新しい仕事をしているのです。新しい分野を開拓しているのです。そのことについては、自覚と自信があります。
 
 世の中には、無駄なものは何もないと思います。だから、瓜南直子さんの、あの軽妙なる文章(しかし、裏があって、一一が、手裏剣として私の心に刺さっていたのだが)も、今日のわたくしを作り出す、一助となっています。
 ですし、すべての現象は平衡状態に達しようとするのです。ひどいいじめを受け続けると、それに相殺する、ご褒美が天から、与えられる。それは天の摂理なのです。それを目撃したと思っております。悪いことも数々目撃しました。だけど、神とか天という存在の証さえ、目撃をすると、これは、もう、人生の最終段階ではないかと思うのです。
 
 本日は、佐世保の少女の育成過程を、また、分析するつもりでした。だが、説明のために、途中で寄り道をしていたら、疲労困憊をしてしまいました。だからここで、終わりにしたいと思います。
 
 普通の場合、銀座の画廊巡りをした後では、何も書けないのです。しかし、いじめるために電車が遅延され、横浜から、鎌倉まで50分もかかったせいで、うたたねをしてしまい。それが、40分近いものだったので、一種の熟睡の領域に達していて、頭がすっかり冴えわたり、一本のブログが書けてしまいました。(笑い)
 
 こうして、神様は、すべてを相殺されるのです。
 そういうと、まるで童話か、神話の世界の終わり方みたいですが、究極の真実とはそういうものです。
 使役された瓜南さんは、かわいそうですが、「他人をいじめてはいけませんよ。それは、人間としての、基本なのです。何かをやる様に、人に教唆された場合には、その裏側の意味を探らないといけません。それが生きていくということなのだから。・・・・・生きていくことはなかなかの困難を伴います。そういうことなのです。簡単にクリアーできないことがいっぱいある世界です」と、天国にいる瓜南さんに告げて、この一文を終わりたいです。明日7日に署名と日付を入れます。と、書いていましたが、実際にはノーベル賞の発表があったので、推敲が途中で止まってしまい、推敲が完成したのが、8日の午前二時半になってしまいました。お許しくださいませ。
 
 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2502469です。
2014年10月6日から、8日にかけてこれを書く。             雨宮舜(本名、川崎 千恵子) 
下のリンク先が見えないみたいに見えても、クリックすると、リンク先へ飛びますので、ワンクリックしてくださいませ。
 
後注1、スペインの勲章が、スーパーマリオに与えられたが・・・・・初稿は完成
 
後注2、瓜南直子の死を10月17日に初めて知った私が、偶然にも、その前日に書いた宗教観△△
 
注3、保土ヶ谷のネットカフェ内での、罠
 
注4、FBが地獄であった頃の話(開発チエ、梅森伸一、三瀬夏之介、古村浩三、榊原節子、)
 
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