一回お読みいただいた方も、もう一度のぞいてやっていただけますと幸いです。
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この22日に放映された「空き家」が私には大問題になりました。それは、一見すると社会派の記事のように見えてきわめて私的なものであり、特に私を脅かし書せないがために、制作をされたと申し上げております。その後、すぐNHKが会長を交代させました。日付は22日(実際には、24~5日にかけて書いたもので、スクロールすればこの下の下にある)
この言論弾圧の事ですが、この空き家特集を作った事自体が言論弾圧だったわけですが、すぐさま私に論暴をされたので、敵様たちはすぐさま次の作戦に出てきました。。それが、今のところ、4つもあるので、項目を挙げて書き上げます。
1、NHK会長の交代です。これについては既に論考済みで、左のカレンダー25日をクリックして下さい。
2、日経新聞の26日付夕刊18面に吉田秀和氏のインタビュー記事が載っています。聞き手は、編集委員、池田卓夫氏。これが重要です。吉田秀和さんは鎌倉の住人です。そして、私は電車の中で氏にお歌を歌ってあげたり、また、メルマガ内で、その風貌を書いたりしています。で、またまた、この方が利用をされています。何が目的化というと、私をやっつけるためにです。
そう考えるには、二つ理由があって、Aと Bに分けて論じて行きますが、
A,吉田氏の盛名が利用されて、別の目的が主眼になっているからです、タイトルにある通り、インターネット批判を目的として制作をされた記事だからです。吉田氏は、「インターネット批評が、駄目だ」と仰っているわけですが、氏が私の、この毎回一万字を越える論評をお読みになっている筈はないです。
97歳を超えていらっしゃいます。しかも若い時から音楽評論の著書がある。となると、文章はペンで書く人であり、インターネットなど事実上お読みにはなっていない人である事は、誰が考えても自明の理です。でも、インターネットと特記して書いてあるのは、私に対して、『お前の批判とか、批評とか、は、誰も評価していないのだよ』とまず宣言すること。その次に、対世間、特にこのブログの読者に向かって『最高権威(?)が、駄目だって言っているんだよ』と嘘を知らせ、この世界の格を貶めて、読者数を減らす事』の二つを目的としていると私は考えます。
つまり、池田卓夫という人の誘導で、こうなっています。池田氏がいつ吉田氏を訪問をしたか、その時期についても大問題がありますが、・・・・・
B, 次に、吉田秀和氏には、私が、過去にお歌を歌ってあげたりした事があるので、私の方に、氏に対する興味がある筈だとみなされています。また、それを文章に書いて公開していますので、余計ですね。また、日経新聞の夕刊18面は、私が必ず目を通すであろうとみなされてもいます。柄沢斉さし絵の、『無花果の花』について文章をあげていますから。
もう一つ大きな縁は、(私と、ICU同期の)笠松敦子さんが、吉田秀和氏の本を編集している事です。かの女はプルーストの『失われたときを求めて』の箱入り上製本、または、ファーブルの昆虫記の上製本の編集を担当していた、忙しくも充実していた時期に、突然に、横入りの仕事という形で、朝日新聞社から刊行された、これまた箱入りの上製本、『たとえ音楽が不条理だったとしても・・・・』を担当しました。その完成本を贈って下さった事があります。その時に、以下を(無論のこと、彼女には言わずにですが)内心で痛感しました。
私との間に(ちょっとした物でも)誠実な関係があれば、その人には光が当たります。笠松さんは、大学在学中から、40年を越す友情を保持してきた仲です。彼女は在宅編集者なので、部長になるとか重役になるという席は用意されてはいませんが、仕事としてよいものが依頼されます。こういう風によい仕事を与えて、バーター取引として、私との仲を裂いていくのが敵様の手法です。
ただ、『笠松敦子さんご自身が、(その本を贈呈してくださった時に)、こういう裏側のいきさつを既に知っていて、そして、いわゆる見せびらかしという種類の悪意を持って、その立派な本を献呈してくださった』とは、思いません。彼女は、この出版ごろは、『裏側は何も知らなかった』と信じたいし、信じてもいます。
ただ、その後、彼女の方から「パソコンがおかしくなったので、連絡を切りたい」といわれました。パソコンをおかしくしたのは、私のそれを破壊しているのと同じ組織です。もしこれが、公安警察なら、何の罪もない笠松さんにも、恐ろしい触手を伸ばした事に成ります。だから、私は『自分の被害が、20億円を超える』と、常にいう事となります。
これは公にしないといけない損害です。
私は、まったくのゼロから初めて六冊の本を作り上げました。彼女には美術に特化した一冊を除いて、そのうちの五冊を差し上げていますので、その返礼として、吉田さんのエッセイも、プルーストの鈴木新訳も下さったのでしょう。私の孤軍奮闘の努力を、評価して下さっていたのです。彼女のパソコンがおかしくなるまでは。
そして、この文章を書く事もまた、身を切られるように辛いです。
水沢勉先生も横浜トリエンナーレ、総合ディレクターというよい仕事を与えられて、「忙しくなった」という口実で離れて行かれました。一種の、当該本人には自覚さえさせない形での、バーター取引としてよい仕事を与え、私との仲を裂いて行くのが敵様の手法です。
まず、このブログが閉鎖されたメルマガの世界だったころに、最も貢献してくれた鶴見厚子さんが泥棒に入られた事を機縁として去り、彼女に続いて、親戚の中野寛さんがNHKで、彼が売りだした松田聖子特集が組まれるのを機縁として変になったこと。そして、美術評論家として信頼し尊敬していた上記の水沢勉氏の離反と、それに続く、四人目としての痛くて悲しい、笠松敦子さんとの別れでした。
ただね、神は面白い裁定をなさいます。水沢先生が、顔の怪我の文章に対して、「転んでもただでは起きないのはさすがです」と感想を下さったように、上記の悲嘆をただで見送ったわけではありません。
鶴見さんと別れているからこそ、彼女が『「青木繁大賞展で、渡辺幸子さんが大賞を取ったのは変だ」といい、かつ、その直後に泥棒に入られた事』を明かす事ができました。で、それは、酒井忠康氏の審査ですから、酒井氏を批判をすると、氏の耳には届かない筈の、パソコン内個人メールでも、恐ろしい反発(大切な祖母からのカタミの指輪が七つ盗まれる)といった具体的な被害がある事を、書き抜けるのです。
特に水沢先生とは別れているからこそ、・・・・・その上司だった酒井忠康氏は、恐ろしい組織(昔の言葉でいうCIA)の支援を得ている文化人です。そして、小沢一郎氏批判を続けている私に対して、美術界を使って苛め抜いている人です。・・・・という事を平気で書けるように成ります。
文筆家に対しても同じです。笠松さんと日常的に電話を交わしていた時期なら、「ああら、井上ひさしに対して、そんな言いかたをしちゃあ駄目よ」と言われかねないから、もっと、おとなしい書き方をしたでしょうし、京都の人文書院の渡辺さんについても、「あら、あの方って社長さんよ。ここは抑えて我慢をして、その事実を外部へ言わない方がよいわ」というくらいの忠告は受けたでしょうね。
ただ、笠松敦子さんご自身が、その本を贈呈して下さった時に、こういう裏側のいきさつを知っていて、そして、いわゆる見せびらかしという種類の悪意を持って、その立派な本を献呈して下さったとは、思いません。彼女は、このごろは裏側は何も知らなかったと信じたいです。
ただ、その後、彼女の方からパソコンがおかしくなったので、連絡をきりたいといわれました。パソコンをおかしくしたのは、私のそれを破壊しているのと同じ組織です。もしこれが、公安警察なら、何の罪もない笠松さんにも恐ろしい触手を伸ばしたことに成ります。これは公にしないといけない損害です。
ただ、一種の返礼として下さったのでしょう。私は、まったくのゼロから初めて六冊の本を作り上げました。それを評価して下さっているのです。彼女にはその内の五冊を差し上げているはずです。もしかしたら六冊全部を。
ここで、挿入ですが、私の本の実際をご覧になった事のない方の為に、少し解説をさせて下さいませ。一万字制限が危うくなったので、読者評についてだけでも。本屋で売っていないのに、六種類のうち、三種に公の書評が出ました。個人的に頂いた好評の手紙は数知れずという具合です。たった400から800冊を、ただ個人的に献呈しただけでそうなるし、インターネットで古本として流通した時期もありまので、自信はあります。
また、ブックオフで流通させようとしたら、敵も、私の人気ぶりに、気がついて、大急ぎで弾圧用の手配をしたらしくて、一切の情報がインターネットから消えました。アマゾンや、ヤフーや、ブックオフがすぐ動かされるという経緯から考えても、自分が・頂・大物扱いをされているのを感じます。『きっと実力があるのだ』と信じてもいます。
で、本を作り始めるたびに、鎌倉中を総動員して音で邪魔されます。私は別にそれでいらいらする事はないのですが、彼らは邪魔する事が可能だと考えています。
この山中の住人の内、特に安野家というのは命令されて、楽器練習を窓を開けてやっています。楽器はチターですが、音階練習なので相当にうるさくて、汚い音です。また、鎌倉の救急車の出動、廃品回収者の横行、それから、野口屋(チャルメラを鳴らして豆腐を売るという設定の店)などの横行。
これは、私の本作りが笠松さんの仕事より、複雑で難しい事をさしています。笠松さんは一般的な編集者として、テキスト形式で文章を編集して行くでしょう。が、私は本の形に頁設定をした上で、編集作業をして行きます。
それは、自分が著者なので、文章を減らしたり、増やしたりが自由にできるからですが、そのためにも頁設定後の方が、そういう作業には、向いているからなのです。本というものにはさまざまな約束事があり、最初は奇数頁から始まります。また、大きな段落が始まるのも奇数頁です。で、奇数で、X段落が終わったら、増やして、その終わりを偶数頁にしないと、効率が悪いとなります。
しかも、パソコンは常に妨害を受けていました。これからも、もし、本作りを始めれば大きな妨害が始まるでしょう。ともかく彼らは私が本を作る事を異常にといってよいほど、怖がっています。という事は、電子書籍より紙の本の方が資料として力があることを指し示していますね。
ともかく、私はパソコンに精通している人間(彼らがハッキングをしたり、こわしたりするわけですが)こそ理解できる、非常に難しい仕事をしていますから、ちょっとした妨害で、自滅をする筈だとみなされています。
で、この音による攻撃ですが、初発の案は私の文章を常に精査している井上ひさし辺から出ているでしょう。そして、伊藤玄二郎が警察へ、そこから、各電鉄会社へ回りますが、それとは別に、直接にまたは、いろいろな人を経由して八幡宮様を動かすわけです。で、八幡宮様が、ご自身にとっては、要らない時と場合に、大・音響をあげられるわけです。
確かに私は音楽が好きです。で、そこからも音に敏感であろうとみなされたでしょうし、吉田秀和氏が引っ張り出される事となったでしょう。しかし、一番彼らが誤解をしているのは井戸端会議の事なのです。そして、そこから派生してしまったアジサイ畑欺もう事件こそ、敵が最も恐れている、外へ出ては困る真実のひとつなのです。完璧な泥棒であるというしかない現象です。
さらに、崖がまるくゆがんできていますから、崖を作り直すと、高さがあるので、何千万円もかかるでしょう。敵たちはその賠償するつもりはなくて、ただ頬っかむりをしたいので、私を、『ノイローゼにさせて、ここから、引越しをさせれば、万事好都合だ』と考えています。で、その事実を押さえ込み、外部へ発表をさせないがために、すべての企画が発案をされ、実行をされているわけですが、吉田秀和さんが、実際には見た事もないであろう、インターネット批評をけなしたのも、そのひとつだと言うわけです。
そのアジサイ畑欺もう事件を敵が気にしていて、しかも罪を相手方に一方的になすり付けるために『彼女は音に敏感すぎるだから、井戸端会議など大問題にするのだ』という発想を抱き、音による攻撃を与えて、私をそれでノイーローゼにしてやろうと常に考えています。彼らにすれば、『井戸端会議の中身が詳細に聞こえるなんて、それは嘘だ』と思うのでしょうね。
都会に住んでいたりしたら、確かにあたり一面車をはじめとする騒音だらけですから、10m先の井戸端会議の内容までは判らない筈です。が、この山は、下の道路の騒音が、タブシイという常緑樹の密集した葉にさえぎられ、静かな事極まりない環境なのです。その上、地形が特殊です。まさしくギリシャの円形劇場の形をしているので、音が響きやすいのです。エフェソスの円形劇場の現場に立った事がありますが、あれは2000人収容だそうです。拡声器もない時代に、下の舞台で発声すれば、最上段まで届いたほど、音響効果がいいのですが、それでも、直径が150m以上、もしかしたら200mはあります。同じ形をしたこの山は東西は50mで、南北は40mです。
舞台(たとえてみれば、帆立貝のちょうつがいのところ)の位置に存在する、安野家前で女性が甲高い声を上げると、サッシの窓を閉めていても、すべての会話が内容を伴って、聞こえます。話している本人たちは大いに気持ちよがっていますが、一種の示威行動(かつ、集団での弱いものいじめ)としてそれをやるから、大勢の女性たちが内心、『本当に嫌だわ』と思っていました。で、家を売りたくなります。売り手のご主人が「家内がノイローゼになりましてね。だからここを引っ越して行きたい」と私に仰ったケースもあります。そちらは、大学教授で、ご自分に自信や誇りがあるから無防備でそう仰いました。
ほかにも引っ越していった人が多くあり、その主因は必ずあのいじめ主婦軍団にあった筈です。
そういえば、20年も忘れられない物として「のぶこがさあー、湘南高校のイケメンと付き合っているから、さっさと決めなさいよといっているのだけれど、なんだか、ぐずぐぐしているのよー」という前田清子さんの言葉があります。それには当時も、私は震撼したものですが、今でも身が震えます。恋愛とか、結婚というのは人事ではありますが、一方で、神の領域に属する事です。それを示威の手段として使うのは、傲慢極まりなく、また、娘への本当の愛情もないと言う事の証明です。ここで、示威行動になるというわけは、この山では子供の進学高校で、人々のランクを決めています。で、それを知らないであろう私などに大声で知らせたというわけです。
町内会もそういうランクで会長が選ばれます。ただ、27年間も続いている副会長(安野)家で、お子さん方が、湘南高校だったかどうかは、私は知りませんが。
また、さらに彼女の潜在意識をはかれば、それを誇示しなければならない勝気さが、以前に失敗を招いているからの悪循環でした。御成中学のPTA総会で、あまりにも堂々と勝つ、えらそうに彼女が演説をした時に、フロアーにいたお母さんはみんな思ったものです。『あ、あの人って、こどもを東大の医学部へでも、入れるつもりなんだわ』って。母親って中学記には静かにしているものです。特に男の子を持った場合には。母と子が男と女の違いとか、引力の関係を意識しはじめる時期だし。それなのに、真理にも堂々としていれば、『そのくらいの勝利を予測しているからでしょう』と、みんな思いますよ。
だけど、結果はご長男は湘南高校へ進学しませんでしたね。
だからこそ、次子であるお嬢さんの湘南高校進学は誇りたいことだったのでしょう。『それも、恋愛という項目で語れば、本意が隠されるから、おしゃれに見えるはずだわ』と考えたのでしょうね。だから、あんなばかげた大声が出た。
その後、20年を経ていますが、その当の、お嬢さんはまだ、結婚はされていない模様です。もちろん某大学のスタッフとして、高給取りの道を歩んでいらっしゃるのだからそれで、いいんですが、私のあの日の身震いは、当たっていたなあとも感じるのです。
こういう手合いである前田夫人を、国学院大学の講師に推薦なさったのが八幡宮様だとしたら、それもあるし、2008年から2009年にかけて大音響を発せられた事も加味して、大銀杏は倒れたと考えられます。
ところで、これほど前田夫人をこき下ろしていますが、もっとあくどいのは略奪婚のあげく、さらなる勝利感を確保したがった安野夫人です。前田夫人は安野夫人に比べれば弱い人です。安野夫人への一種のおもねりさえ感じます。が、これらの二人に石川和子が加わると、更なる化学変化がおきて、どうしようもないいじめ軍団へと変化してしまうのです。そして、それは、私個人への20億円に喃喃とする被害だけではなくて、
交通遅延現象を含めれば、数十万人への精神的、経済的被害を生んでいますから、言上げしないといけなくなります。
そして、もっとも問題なのは、安野家が我が家の花畑を使えないようにした反対に、堂々と最近開墾して使っている自分卓の花壇(または野菜畑)をいじくるときが、小沢一郎氏が大活躍をする時期と、100%連動をしているということです。
どうしてそうなるかというと、私が25年以上前に電話で、これらいじめ軍団主婦の存在を友達に愚痴ったからです。引越し前も、引越し後も我が家の電話は、瀬島隆三に盗聴されていたと考えるとつじつまがすっかり合ってきます。
瀬島隆三は私怨をもって、私をいじめたいとおもっていましたので、この軍団主婦たちを支援したのです。それが、伊藤玄二郎が、ポルトガル国の勲章をもらっていることにまでつながっています。ところで、このブログを読みなれていない方のために改めて説明をさせて頂くと、瀬島隆三の私怨とは、益山某という紳士の言動から生まれています。
益山某は、私が横須賀に住んでいた時代の地境地主でしたが、地籍変更届けという仕組みを悪用して、当時の金額的価値4億円もの土地を、横須賀市の水道山から、略取して自分のものとした人間です。が、その際私を小ばかにして巻き込んだので、しっかりと戦ったのです。
自分でも気がつかないほど、真剣になると私の力は大きいみたいです。で、益山氏は自分の失敗を恥じ入って、急死する事態となりました。それが瀬島隆三の私怨の始まりです。
で、横須賀市根岸町二-103-○○という土地には、伊藤忠何がしという共同名義の土地があるはずです。これは、向こう側の測量士を名乗る人間が、そういえば、こちらがひるむだろうと思って言ったことですが、はんたいに『アラ、立派な証拠ですね』と私は思っただけですが・・・・・その地番にまだ、伊藤忠何がしの共同名義が残っていたら、瀬島隆三の死が本当です。
もし、共同名義が抜けていたら、しかも、そのタイミングが2010年だったら、瀬島隆三が生きていた証拠となります。彼の死は偽装だと、感じる向きもありますし。ただ、ここで、こういえば、それこそ、CIA軍団ガいろいろ、工作をして変更になる可能性は多いので、なかなか、これをはっきりとは外部へは出しませんでしたが、今日は出しました。
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さて、夫人たちのいじめの問題から戻って、音でのいじめに戻ります。八幡宮様のいじめとは、工事です。特に駐車場のことです。我が家の下の空き地は長らく無料だったのです。
だけど、その地所が二つとも有料駐車場に変化したのは、大音量を上げるために、ともかく、重機が入る工事が必要だったからでしょう。それは、どどどどっという大音量を上げますが、時期的に言えば2008年と9年の夏でした。まさしく私が本を作っている最中です。
別の音ですが、この29日(土)冬で、まだ、寒いのに、太鼓橋あたりでお神楽の練習をしているみたいでした。最近、間隔をあけての二度目ですから、私狙いの音による邪魔の可能性はあります。
これは、八幡宮様本体の行事ではないが、私がNHKの空き家特集への批判をしていた文章を、書けなくするための措置として利用をされているとみなせます。普通はこの寒い時期一月には練習をいたしません。主に夏です。子供が主体の練習ですから、この寒気の下で、可愛そうにと思いますが、こういう発案をする連中はほかの人間のことなど知ったこっちゃあないタイプですから、やりたい放題を貫きます。しかもとても幼稚な発想で、これなら勝てると信じることは何でもやります。それだけ、あのNHKの特集に対する私の批判が的を得ていたのでしょう。
というところまで書いて、スピンオフから離れ、今回の主役たる吉田秀和氏および、その最近の著書を編集した笠松敦子さんに戻ります。特に笠松さんが返礼として、吉田秀和著朝日新聞車間の箱入りのエッセイ集を贈呈してくださったところへ戻ります。
で、私がその数年後、さきほどの本への返礼として、自分の六冊目の本をかの女に上げようとして、郵便が使えないという現象にであい、そこで、彼女の自宅を訪ねるという話につながって行くのです。が、『どうして郵便が使えないか』という理由を先に、述べないといけません。
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2009年の本の出版の時に、驚くべき形で速達を京都から頂き「出版をやめなさい」と命令をされた事は以前述べました。しかし、差し止められた本の内容はさして重要なものでもありません。しいて言えば、禁煙運動の燃え盛りを批判しているぐらいかな。しかし、穏当な批判をした結果は、さらに大げさに禁煙運動が進行しました。相手方は意地になっているみたいで、それも、私が常に相手方を幼稚だと言うゆえんです。
しいて言えば、井上ひさしが気にする文章が入っています。『秋葉原の車椅子』と『二人だけの音楽会』のふたつ。それを、原因として彼らが、大きくて悪辣ないじめを私に対して過去に起こしていますから、それが出版されると、『自分たちの悪事が固定化されてしまうので、寝覚めが悪い』というやつです。それなら悪事をしなければいいのに、今回も吉田秀和さんを使って、際限なく、続けるわけです。
それに私だけではなく、一般庶民も巻き込んで迷惑をかけています。秋葉原のホコ天が二年七ヶ月も開かれなかった真因は、町内会と商店街の対立ではありません。町内会とは、今では、警察のいうなりです。
警察がどうして、秋葉原に対して神経を尖らせるかというと、私のパソコンを四六時中ハッキングをしていたのが警察だったとするとうなずける事と成ります。無辜の市民であり、犯罪被害者でしかない私を、四六時中ハッキングしておいて、一方で午前五時から、携帯で、犯罪予告をしていた加藤某という犯罪者から、無辜の市民を防衛できなかったわけです。『そんな、警察の無様さを、批判される事を、徹底的に恐れているから、強烈にホコ天再開を遅らせるのに、こだわった』と考えるとぴったり来ます。
が、私の六冊目の本の中の文章には、警察への批判は、一切入ってはいません。
ところで、初稿では、うえだけで、五千字です。つまり半分が二倍になってしまいました。ですから、皆様にとっては、目新しい部分、特に笠松さんと私とのいきさつが一切抜けてしまいました。それは次の章で語ります。お許しください。
2011年1月29日から、31日へかけてこれを書く。 雨宮舜