銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

SMBCの移転は、私が仕向けた+警察が私のPCを壊しているのにmakerにsupportもさせないと言う二重の悪 + 東芝は私が愛するがゆえに滅茶苦茶にされた

2023-09-28 23:38:58 | 政治

 以下の写真群が、なぜ、必要なのかについて、また、なぜ、私の意見によって、SMBC銀行鎌倉支店の移転が起案されたと、確信するのかについて、写真五葉の次に文章による、説明を加えています。どうか、29日は、それをお読みいただきたいと存じます。莫大な量の加筆を、以前の文章に加えています。ので、ほとんど、新品です。ただし、皆さまが、お読みになって楽しい文章とは言えないでしょう。それは、わかっています。が、本日頭に浮かんだことなので、披歴をさせていただきます。

 

 

 本日写真を撮ってきました。夜出かけたので、あたりは暗いです。秘密裡に写真を撮るために、無理に夜、外出をしたなんてお考えにならないでくださいね。我が家は朝型の主人に合わせて、夕食がとても早いのです。で、鎌倉市内だけの用事だと、二人で、夕食を一緒に食べてから、外出し、お買い物を済ませて帰ることが多いのです。夜七時ごろ外出をすると、鎌倉市内のありとあらゆるところで、ひとが少ないので、非常に効率的に動けますし。

 ところで、この美しいビルですが、一時期、これを解説した、wikipediaがあったはずです。ただ、本日は見つけられませんでした。

 上は、移転前のSMBC銀行鎌倉支店です。威風堂々たる、レトロなビルの中にありました。・・・・・コンクリート製らしいのですが、磨き上げられた左官職の手際が、美しく、まるで、御影石で出来ているかの如く見えるビルです。

 全体像が入る様に、写真を撮ったつもりですが、グーブログ管理者が、「この写真は、14.7メガバイトだから、(大きすぎて)アップロードできません」というのです。どうせ、嘘です。ちゃんとビル全体を写しているのですが、それをそのままアップすると、美しいビルの外観がはっきりとわかるし、鎌倉見物に来た人が、これを、・・・・・ああ、あの雨宮舜のブログに出て来た話題のビルか!・・・・・ とお考えになるでしょうから、それを阻止したいと思っている連中が、写真をアップさせないと、言う方策をとったのです。

 こういう時のバグ(悪い作用をするプログラム)を、解除する方法は、「もう、手慣れ切っているから、すぐ解除できる」と、言ってよいでしょう。この24年間のアドビ利用経験の最中、1万回ぐらい、やられている妨害ですから。

 ただし、IT的技術を使うのではありませんよ。心理学を利用するのです。81歳の私です。IT技術習得という意味では孤独な私です。だから、正面切って、攻撃を撃破できるわけではありません。違う方法を取ります。しかし、まだ、それは、非公開にさせてくださいませね。

 こちらは、その玄関で、昔はポロラルフローレンが、入っていたのです。左側のドアに貼ってあるのは、9月25日移転をしましたと、言うポスターです。

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 さて、移転後の新店舗です。

 これは、井上蒲鉾というお店の前から、駅方向を望む形で、昔、第一勧銀が入っていたビルの三階に、移転をしたそうです。あかるいガラスの中は、ATM室で、以前より、その部屋自体が広くなっているし、自動現金出入機の数も、増えています。

+

 こちらは、駅前ロータリーから、島森書店側に向け+てカメラを構えたら、撮れた写真です。

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 さて、冒頭に書いた様に、なぜ、この移転が私の会話から、起因したというかというと、前報の後半をこちらにもってきて、解説をさせていただきたいと存じます。

 前報の後半なので、ナンバー8節から始まります。しかし、と言っても、全くお名jいというわけでもないのです。後の時間になるほど、真実が明瞭になって来てはっきりとかくことが出来ます。

 

*8)、私は四六時中、尾行をされ、危険な目に出会っているのだが、この通帳紛失と、再発行に関しても、SMBC銀行においては、非常ないじめを受けた。上で、語っている通り、5つの窓口にある金融機関の内、2023年に入ってからは、SMBC銀行を使って、いじめようと、井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしていますが、本当は、まだ生きていますよ)+伊藤玄二郎、また、その手下として動く、警察庁、特に鎌倉警察署生活安全課の課長は、2023年に入ってからは、SMBC銀行を使おうという路線に入ったからだった。浜銀、みずほ、三菱UFJ銀行、ゆうちょ銀行と、来て、2023年度からは、SMBC銀行が、私に激しいダメージを与える場所として、使われてきたのだった。

 今、あまりにも通帳やらカードが盗まれるので、金庫に入れている。それで、正しい日付が挙げられないのですが、一月に、2022年度中に盗まれ通帳の再発行に行っています。その際に、非常に不愛想で、意地悪な対応を受けました。

 でね。盗んだのも警察であり、(または、警察から合いかぎをもらっているご近所様)であり、一月に対応したSNBC女性行員も婦人警官、もしくは、女性刑事の変装だったと思います。普通なら奥に入る必要がないのに、奥に入ったのは、わからないところを、本当の銀行マンに教えてもらうためdあったと思います。

 さて、その次の、4月14日に紀尾井ホールで、これも、警察が主導した泥棒に、椅子に置いたまま二階に行って、ワインを一杯飲んでいる間に、バッグを椅子に置いておいたので、そこから、銀行の通帳四通が見事に盗まれてしまいました。そのいきさつは、後註βに書いてあります。

 で、その紀尾井ホールでの、盗難後、4月18日の事でした。その日、2時55分に支店内に入り、出たのは、3時50分だった。スマホは、持って居ない。本も持って居ない。のに、50分掛かったのです。

 どうしてそういう事をさせるかというと、この日ごろ、警察は、私をクレーマーとして、規定し、それで、周辺から嫌われる様にしようとしていて、かつ、ご近所様を、CIAの手下として、攻撃主としてあれこれ、使っていることを、私が神経質すぎるからそう書いて居ると、したい・・・・・と、そういう手法で、このブログ及び、私自身をつぶそうとしていたのでした。

 したがって、SMBC銀行に文句を言いだすまで、待たされたわけです。

 これは、、ありとあらゆる場面で使われている手法で、パソコンのサポートをお願いするときに、「何とかの、向上のために、この電話は録音をさせていただきます」と言うでしょう。あれもね。一般の方は、いざ知らず、私は相手が出てから、長時間待たされるのです。最初に人間が出てくるまで、一時間は待たされて、サポートの途中でも、また、待たされて、午後中を使わさせられます。これも、相手(=人間)が出たとたんに、私が文句を言う事を狙われています。

 そして、時には、サポートをしないと、言うケースにも出会います。それで、私も怒ってね。「録音されているのは知っています。録音されてかまいません。今、あなた、その件は、ちょっと調べてきますと、言って、保留音にして、数分を過ごしましたね。でも実際には、上司に呼ばれたのでしょう。そして、上司と会ったとたんに、超不親切になって、まだ、解決をしていないのに、終了させようとしていますね。上司は、警察に命令をされていますね。(というのも、この電話の二日前に、同じ圏で、サポートを受けているのに、また、同じ故障が出たので、サポートの電話(0570ですよ。有料です。意地悪ですね。これも警察の命令でしょう。故障とは、バッテリーが生きているのにもかかわらず、画面表示は、バッテリーが、充電ができないというのです。こうなると、外では、使えません。

 同じことがdynabook (小型、定価24万円のものが展示品と言う事で安く買えたが、全くの新品だった)にも、一年前に起きていて、非常に不便になっているのです。今回起きたのは、NECのやや大きめのノートパソコンですが、これも、だめになったと言うので、これは、おかしいと思いました。そもそも、何の警告もなく、急にバッテリーがだめになる筈はないのです。

 で、NECのサポートに、2023年の9月18日(月)に電話をかけたのです。「何の警告もなく、急に電池が、だめになるっていうのはおかしいのではないですか?」と。すると、Lavie 簡単設定というアプリの存在を教えてもらって、その中のバッテリーという項目を開くと、ちゃんとバッテリーは生きていると、言います。ひどいバグが入れ込められていて、危うくダイナブックと、同じ現象で、悩まされるところでした。

 で、18日の月曜日に、重い方のノートパソコンが回復したのを確かめたうえで、dynabook のサポートに電話をすると、剣もほろろで、そんなアプリは入っていませんと、言います。

 『じゃあね。それは、すでに開発されていると思いますので、ダウンロードをさせてもらえませんか?』といおうとしました。ところが、剣もほろろのついでに、相手から電話が切られてしまったのです。

 その時に、私があきらめたのは、以下の三つの理由があります。

*a)、故障から、一年半が経っていて、故障が固定化している可能性がある。

*b)、東芝は、パソコン部門を売り渡し、どうもシャープが今は、dynabook を担当しているらしい。実際には、東芝にとって、パソコン部門は、もう飼っている部門の筈だ。だが、私が、1999年以来愛用をして居て、(そうだ、真っ赤な新品の、ウィンドーズMEは、アメリカの美大の版画教室で、同級生たちを驚愕させた。パリでも、ニューヨークでも、ほとんどの人はブラウン管型、パソコンを使っている時代だった。お金持ちでもそうだったのだ。私がパリで借りていたアパルトマンは、日本の島田しづさんの持ち物で、しづさんは、どうも、造り酒屋のお嬢様らしくて、大変なお金持ちなのだ。で、アパルトマンは、富裕な人(特にユダヤ人の富裕層)が、おおく住んでいるマレ地区(四区)の特に、サンポール駅から二分という好立地な場所にあり、すんでいる人は、皆、富裕な人だった。のこぎりを借りるためにお隣の、ひとの居間に入って、まっていたことがあるが、ものすごく大きい、かつ真っ白なパソコンが置いてあった。が、それも、ブラウン管型だった。この人がどれほど、富裕だったかというと、サンポール駅前に、割と大きなパン屋があって、日本から、パン屋や、ケーキ屋を経営している人がツァーを組んで、見学に来るほどのお店だったがそこのお嬢さんが、意地悪極まりなかった。私は、最終段階で、ホールケーキを、5,6個買って版画工房へもって行ったのだが(そういう上得意にもかかわらず、箱を、安っぽいランクの方の箱にしなさいと、店員に命令をするほど、私に対して意地悪だった。だが、たまたま、その白い大型パソコンを持って居る人と、パン屋で、前後で、並ぶ羽目になった。夕方はお客が一杯で、長蛇の列なのだ。それで、その紳士と英語で、にこやかに、話し合っていたら例のヒステリータイプのお嬢さんが、うっとりして、その紳士を眺めているのだった。その紳士は、確かに独身だった。そして、40代になっていると思われるパン屋のお嬢さんと、結婚相手とするのなら、年齢的にはふさわしい。買い物の様子から、彼が独身であることをそのお嬢さんは、知っていると思われた。

 パリの場合、地下鉄に乗っている人は、ポリエステル製の、アノラック風のものを着ている人が多い。ところが富裕層は、ウールのロングコート(日本でいうオーヴァーという形)を着ている。特にその白い大型パソコンを持って居る人は、薄いベージュ色のコートだった。しかも、スリムな体にぴったりと合っているし、ウールの生地が上等だと、言う事は私にはすぐわかった。私は、お隣だけど、話をしたのは、そのパン屋での、夕方だけだったが、もう、パリについて、二か月目だったので、英語も思い出して、自由自在に使える時期だったので、意地悪な女性オーナーに対して、フ、フーン、ざまーミロ、という感じだった。彼女がどんなにあこがれてもあの紳士は、あの女性を選ばないと思う。絶対にそれは確かだ。五階(というか、一階をゼロと数えるので、実際は、六階だったが)に、某大学の学長のお嬢さんが借りて住んでいた。もう大学は卒業した年齢だったと思う。父君も実際に見たが、アインシュタインをもっと上品にした様な紳士で、マレ地区が、ユダヤ人の居住区であるというのは納得をした。ともかく、彼女だったらあの四階(実際は、五階)の、紳士と、仲良くなれると、思ったが、パン屋の意地悪お嬢さんでは無理だ。だが、あれ以来、26年がたっているのだ。もう一回訪れてみたいものだが、体力も許さず、お金ももったいないと、言う時代になった。ああ、残念。宝くじでも当たらないかなあ? (苦笑)

 いや、いや、東芝のダイナブックが、どれほどに、優れていたかを何度も書いて居るので、東芝が、パソコン部門を切り離す様に、CIAから命令を受けていると、私は考えて居る。東芝は、USBメモリー部門も、XIOXIAという会社に売り渡したそうだ。まあ、発表はそうなっている。

 からくり儀衛門から出発したものすごい立派な会社なのに、二部上場になってしまって、かつ、近々、上場廃止ですって。それこそ、CIAと、私の対決の結果、(私が大モノゆえに)、東芝が、飛んでもない、いじめに出会っているのですよ。重役連中は、何を聞かされ、何を命令されているのだろう。一般社員は、優良企業に入社した筈なのに、どうなっているんだろうと、大きな疑問に、囲まれているでしょうね。

 まあね。ご近所の平木伸明さん他の分析と解明が済んだら、東芝問題にも取り組みましょう。

 ところで、岸田総理は、大分県に半導体工場(台湾企業)を誘致するために、国税7000億円を出すんですって。奇々怪々ですが、それも、私をいじめると言う方策の一つでしょう。くまモンが、おかしいと、行っていますね。決してかわいくない。それなのに、莫大な、宣伝で、一番有名な、キャラクターになっています。小山薫堂が、東北芸工大の教授だったころ(のちに学長になっていますね)なびす画廊で、個展をする東北芸工大学の学生(特に日本画部)が、優秀だと言うメルマガ・エッセーを書いて居るので、小山薫堂を持ち上げること、持ち上げること。「おくりびと」の脚本を書いたそうですし、くまモンのアイデアも練ったそうです。

 ただし、CIAエージェントの言うなりに動く、熊本県は、地震や、大雨などの、災害に、見舞われ続けていますよね。あまりに人工的なくまモン押しが原因です。そこに、さらに、驚くべきは、7000億円の国税を注入して、台湾の、半導体メーカーを導入するんですって。台湾のですよ。ああ、何が何だか、わからない政府方針ですね。また、熊本県に、悪いことが起こらないといいけれど。核のゴミ問題も持ち上がってきています。私がそれについて、何かを言うと、必ず、反対方向へ流れるので、何も言いません。

*c)、このdynabookサポーターの、超絶不親切の裏に警察が居るのが、見え見えだったので、彼女にしてみると、一個人にしか過ぎない、かつ、種々の悪口をすでに、裏から聞いていると思われる‥・・・というのもNECのサポートの内容は、盗聴されていて、かつ、私ののーとぱそんを壊しているのが、警察そのものだから、何を今から、電話で問い合わせるか、その相手がどこかをすぐ、判断をして、dynabook support部門に、超絶不親切にする様に命令を下したと、わかったからです。で、この時は、まだ、サポート担当者に、あなたは、警察の命令を受けていて、こんなに、ぞんざいな態度をとるのですね」とは、言いませんでした。だって、その機会もなく、向こうから電話を切られてしまったからです。

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 非常に大きな怒りをダイナブックサポーター(今は、シャープらしい。シャープも台湾企業に乗っ取られているのですよね、)に感じました。が、それが沸点に達したのが、水曜日に、NEC Lavie が、また同じ故障を示したことです。そして、月曜日には、まだ、、まともだった、サポートが、水曜日には滅茶苦茶不親切だったので、「録音をされていてもいいのです。だって、本当の話でしょう。今、あなたが保留にしている間に、上司が、サポートをやめろと言いましたね。その上司の裏には、警察が居るでしょう」と、はっきりと、かつ、大きな声で言いました。もう、喧嘩腰です。

 だけど、その時に、この故障は、警察が作っている故障でしょう?とは、言い得ませんでした。言いたかったのですよ。だけど、言い得ませんでした。

 さて、ここで、平木伸明さんに戻ります。平木伸明さんというのは、2013年から敵として、昨日をしている一家です。そして、それゆえに、莫大なご褒美を得ている一家です。金銭的にも名誉的にもね。

 その反対に、私自身、それから子供たち、孫たちがどれほどの、苦しみに出会っているか? そちらをまだ書いて居ません。だが、上に書いて居る様なパソコンの故障など、2007年から、何万回起きたかというほどに起きています。

 それからね。日常生活における脅かし行為をはじめとするもろもろ、

 特に、2023-9-15 大船と、鎌倉の両方で起きた、弾圧行為に、平木さんは、勝った、勝ったと喜びましたね。その詳細は、以下のブログに書いてあります。

デリフランス鎌倉店で、半分腐った物を食べさせられてしまった。で平木伸明さんは大はしゃぎ。O-158で私が死ぬと考えた?     2023-09-18 20:20:00 | 政治

 私は、上にあげたサポートを妨害した警察官、また、大船警察署の生活安全課の課長の名前、又鎌倉警察署の生活安全課の課長の名前を知りません。だからこそ、平木伸明という人物が、重要です。名前が判っている人物が警察の弾圧と呼応している。それが、重要です。平木さんの南側に浅野サンという一家が住んでいました。そちらのご主人は、ちょっと、ヒステリー気味ですが、旧制帝大系の大学の文科系(法科、経済学部、文学部のどれかはわからない)を出ていると思います。そして、平木さんより、世代が、20歳ぐらい上です。私は平木さんも名古屋大学ぐらい出ていると思います。名古屋大学って、旧制帝大ですよね。だけど、理工学部系の学部を卒業しているのでしょう。すると、私の文章を解読する能力がないと、言う形になるのだと思います。または、読んでいない。それは、それで、結構です。読んでいないのなら、私にとって遠慮も会釈も必要がないとなりますので。だから浅野さんは頭が良い。で、引っ越して行きました。この山で、子供をCIA側に、使役をさせたうえで、引き続いて住むとは、高をくくりすぎだと思います。でもね。この山で、私を弾圧したから、坊ちゃんが、東大へ、推薦で入学できたのでしょうから、引き続き、弾圧の役目をになわないといけないのでしょうか? 私は、反対側として被っている、被害を、今まで、書いてきていません。だけど、内心で忘れたことはありません。正反対の方向で、得をし抜いている平木さん一家に対する、観察を、怠った日は無いのです。このパソコンの下書きに容れないとしても、理解し、記憶をしています。

 

 さて、長い長い、挿入を経て、SMBC銀行鎌倉支店で、2023年4月18日、新しい通帳を作るのに、50分も待たされた部分に戻ります。

ビーには、面白い本が置いて居ない。さあどうするか? 最高のやり方・・・・・・(それは、秘密にさせてくださいませ。だけど、その日、SMBC銀行を占拠していた警察関係者は、知っているでしょう。それで、いいです)・・・・・・で、切り抜けた。それを友人宅で、話をしていた。今のところ、その友人は、攻撃をしてこないひとなので、名前を伏せる。ともかく、すごい体験をしたので、それを彼女に話していた。そのついでに、SMBC銀行鎌倉支店に対する、私の観察の結果を話していた。

 要旨は、以下のごとく。

・・・・・・SMBC銀行って、駅から遠いでしょう。だから、お客さん少ないのよ。そして、三時15分からは、私一人なのよ。そして、仕事は通帳の再発行。そんなの、ものすごく簡単な仕事でしょう。それなのに、45分間待たされたの。・・・・・

 これが、盗聴をされていたのでしょう。で、盗聴をしたのは、鎌倉警察署・生活安全課の人間でしょうから、SMBC銀行に、以前から「川崎千恵子には意地悪をしてください。」と、命令をしているわけです。だから、後註α

SMBC銀行鎌倉店での、1月から、4月にかけて、四日間の、特殊な体験・・・・誰が裏で糸を引いているのだ?    2023-04-19 02:33:38 | 政治   これを、後註αとする。

に、書いて居る様に、一月の時点で、去年盗まれた通帳の再発行を、「来てください。放っておいてはいけません」というはがきをくれて、それに応じて、行ったら、その時は、時間の方は、50分は待たされませんでした。だが、非常に嫌な顔をされたし、全体に銀行レディにあるまじき、いじわるをされたので、あれは、女性刑事(または、婦人警官)が変装していたのだと、判断をしています。浜銀でも、にた様なことがあったので、SMBC銀行にも警察の人間そのものが入っているのです。

 で、警察は、この会話を聞いて,ご注進、ご注進とばかり、勇んで、SMBC銀行、鎌倉支店に知らせたのです。「川崎千恵子って悪い人間なのですよ。だって、ほら、こういう風にお宅の悪口を言っているでしょう。だから、今までと同様、これからも、いじめてくださいね。

(浅はかの3)、・・・・・・でね。SMBC銀行は、これから先、私に以前より、輪をかけた意地悪をするかもしれません。だから、窓口を利用する可能性のある場合は、10時半ごろ行った方がいいですね。ほかのお客がいる際には、あまりにえげつないことはしないでしょう。

 ともかく新店舗にはまだ行っていません。ただ、駅前ロータリーに、入り口があるみたいです。これで、駅から、2分のスルガ銀行と、1分の、みずほ銀行は、自分以下の、遠距離の、銀行が無くなったのです。

 さて、SMBC銀行の幹部は、これを読んでも否定するでしょう。だけど、私は、にんまりしているところです。だって、この様に、私が世の中を動かしていることはいっぱいあるのです。そして、私が、勧める方向は正しいのです。移転した方がよろしい。

 以前の店舗はビルそのものは趣があります。三階に、イタリアンのレストランがあった時期には、一階と二階が、ポロラルフローレンでした。三階で時枝ひろ子さんとお昼を食べた時に、提供されたオリーブオイルが、非常に上等だったと言う事。それから、斎藤敏江さん・・・・・・(太洋丸事故で、ご主人をなくして、その後アメリカ大使館員になり、小泉さんとは、瀬見(小泉さんのいとこで、アメリカ大使館員になる前の時代に、斎藤さんが、神奈川県立・大津高校で受け持った生徒でもある女性)・・・・・を通じて、仲良しであり、それゆえに、斎藤さんから、教えてもらったエピソードです。尚、太陽丸とは、商船です。軍艦ではない。ただ、満州を、発展させるために、若いエリートがたくさん乗っていたので、米軍魚雷により沈没をされたのです。対馬丸事件と似ています。

 wikipedia から、大洋丸撃沈のところだけをコピペします。

台湾烏山頭ダム八田與一をはじめ、南方作戦占領地のインフラ整備に召集された鐘淵紡績小野田セメント三菱商事住友商事三井物産などの多数の技術者・営業マンらを含む乗客、軍属、船員他817名が殉難した。のちの1943年2月にやはりアメリカ潜水艦に撃沈された龍田丸も占領地行政や産業・資源開発にあたるはずの有識者・技師等の人材を多数運んでいた船だとされ、両船の沈没の結果、有識者・技師が多数亡くなったことにより、日本の占領地行政は約2年遅れたとも言われる[4]

海底に眠る船体が2018年に発見された[5]

 だけどあそこに店舗を構えるのは、当時の責任者の自己満足でしかないです。絶対に駅前の方がいいです。

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*10)2018年に団十郎の、襲名が急に発表をされたのも、このケースとそっくりだった。それは、音声による会話ではなくて、個人的なメールのやり取りだったが、ある友人との会話を、覗かれて、そこから、急に海老蔵が、記者会見をしたのだった。だが、コロナ価で、伸びた。良かった。あの時点で、襲名したら、カンゲン君も海老蔵も、つぶれていたと思う。」

ところで、話は変わりますが、

 今、【中勘助の恋】を読んでいるところですが、登場人物が、ほぼ、男は東大卒で、女は、お茶大付属高校卒です。東大院学者数だけでは決められない名門性が、お茶大付属高校にはあるみたいですよ。ところで、私はお茶大付属高校出身です。

 

 2023-9-24に後半の初稿を書き、28日に写真を挿入し、29日に、文章部分を挿入して、全体を、完成をさせる。 雨宮舜(本名 川崎千恵子)

参考文、自分で探したのではなくて、読者様が、そこを訪問してくださったので、見つかった文章ですが、この章と見事に連携しているので、そのリンク先をここに置きます。

私のPC破壊は、なぜ起きるのか?・・・私をいじめるとご褒美としてお子さんが、東大へ推薦で入学できる。しかも前の年の秋に。通告を受けると、言う事を書いたからです    2021-05-04 21:06:55 | 政治

 

 

 

コメント
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小池都知事が公園の木を1500本も伐採する本当に理由は?その後編、大宅映子はここでも動いたかな?

2023-09-27 21:24:32 | 政治

 

 で、2000年ごろからは、数年間ワシントンホテル秋葉原を愛用していたのに、貸しパソコンを頼んだら、持ってきた人物が、その数年前に、渋谷・宮益坂郵便局(本局)二階で、掃除夫の姿で、表れた、刑事と、全く同じ人物だったので、びっくりして、それ以来ワシントンホテル秋葉原は、使っていません。

~~~~~~~~~~~~~~~~

*3)、渋谷の郵便局の方は、2017年9月28日の早朝に、ものすごい罠が、張られて、その罠の担い手として現れた刑事でした。前夜から泊りがけで、本の発送の仕事をしていました。午前五時から六時の間に高齢で、背が低い、如何にも掃除不然とした、本当の、掃除担当の男性が現れて、掃除は、すでに済んでいるのに、二度目としてさっきより体格の立派な男が現れたのです。その五分前ごろから、急にあたりに、大音響が鳴り響き、目玉の大きな背の高い男が掃除夫の制服姿であらわれたのです。そして、私が、四冊目の自著の発送を行っているテーブルの周辺を、数回まわりじっと私の顔を見つめました。

 もし、私が、そのぎょろめの男に、「あの大音響は何なのでしょうか?」と、質問をすれば、「え、音なんか聞こえませんよ。あんたは、普通の人には聞こえない音が聞こえるのだから、幻聴があるね。だから、分裂症に違いない。おーい、おーい。みんな、出てこい。ここに分裂症の人間がいるから、入院させよう。入院させないとだめだ」と、どなって、壁の後ろに隠れていた数人の仲間を呼び出して、かれらと一緒に、私を、拘束して、猿轡をはめるか、特殊な薬で、失神をさせて、そして、精神病院へ入れようと・・・・・そういう、策謀を実行するために表れたのでした。

 あれはね。我が家が立っている場所が、165段も上がる山の上なので、800冊と言えども出版した本を持って上がるのが無理なので、

 出版社から、宮益坂の渋谷本局まで、車で、持ってきてもらいエスカレーターで、二階まで上げて、一晩かけて、処々に発送しようとしていた最中です。そして、鎌倉には、メモとして、「かくかく、しかじかのことをするので、帰りは非常に遅くなります。もしかしたら、泊りがけになりますよ」と、書いて置いておきました。しかし、主人がそれを正しく理解できたかどうかが不安でした。でね。私はね。常に主人を愛しているのですよ。ご近所様は、全く正反対だと、思っているみたいですが、絶対に、こちらの方が正しいのです。で、心配させてはならないと思って、電話をかけたのです。

 でもね、本の発送をしていると、言うと、必ず弾圧を受けると、わかっていたので、「急に友達の家に泊まることになった」と、言ったのです。すると「ダメだ。帰ってこい」と電話内で怒鳴るのです。『なんて勘が悪いのかしら?』とこっちが怒りたくなるのですが、仕方がないので、本当のことを告げます。私はスマホを持ち歩かない主義ですから、当時郵便局の前にあった公衆電話から鎌倉へかけています。でね。公衆電話だから、大丈夫かしら?と思ったがさにあらずで、さっそく、敵さんの攻撃が始まりました。トイレを使わせないという形です。それが、夜9時50分からの話で、自宅へ電話して、本の発送をしていると言っただけで、郵便局側が意地悪をしてきたのです。二階にゆうゆう窓口があります。その右側が、自由に出入りできる形になっていて、その奥にトイレがあるのでした。しかし、自由に出入りできるはずのところが、ドアに鍵がかけられてはいることが出来ず、かつ、蛇腹のカーテン越しに、郵便局の人を呼び出そうとしたが、全く反応がありませんでした。主人と電話を交わした以降は、そこの蛇腹カーテンが開くことはありませんでした。

 この時に出版した本は、【伝説のプレス】で、銀座の画廊巡りの話です。まったく政治性は無くて、危険なところは一切ないのです。だからね。ただ、ただ、私の頭が良いと言う事をCIAが1965年から知っていたと言う事が問題なのです。私が、結局は日本のオピニオンリーダーに成って行く・・・・それを、恐れて、すべてを、やらせない。そういう形で、つぶしていこうと、言う策略だったでしょう。

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*4)、ところで、出版の日付は、2007年8月20日に置いていると思います。ちょっと今手元にないので、うろ覚えですが。すると、2009年8月10日付で、山本冬彦さんが【週末は、ギャラリーめぐり】という本をちくま新書として出したのです。山本冬彦さんは、多数の作品を買い上げているから、銀座では有名な人です。奥野ビルに、氏のオフィスもあるし。尚、この本は、奥野ビルの画廊==ただし、その日初めて訪問をした画廊のオーナー(男性)からもらったのです。五階だったかなあ? 山本冬彦さんの本に気が付いて居ない、私に気が付かせるために、そういう企みごとが案出されたのだと思います。

 同じ様なテーマと分野ですが、違いが明瞭にあります。私は、良い作品に出会うと、心が弾み、揺り動かされます。非常に心情的な文章です。山本さんのは、そういう部分は無いです。銀座の画廊のことをよく知らない、一般サラリーマン相手の、案内書です。ビジネスライクです。山本冬彦さんは、画家(美術系作家)ではないのに、美術家連盟の理事になっています。はい、はい、さようですか?と、言わざるを得ない。

 しかし、この時点だと、まだ、笠松敦子さんのご主人が、筑摩書房にいたころですよね。実は、2011年の五月に笠松家に、新百合ヶ丘の公衆電話を使って電話をしています。その時にご主人が出たのです。そして、ものすごいレベルで、バカにされました。その裏に、この山本冬彦さんの新書があって、伊藤玄二郎らから、会食に誘われて(それこそ、芥川賞審査をする料亭、新喜楽でね)「川崎千恵子なんか、ウジ虫ですよ」と笑いあっていたのでしょう。

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*5)、この時、銀座の画廊のオーナー(特に現代アート系の画廊)あてには、一軒に、20冊は送っていた。今は自由が丘で、画廊を開いている芸大卒の黒田悠子さんが、銀座の一丁目で、21+葉という画廊を開いていたころで、スタッフのお人形みたいにかわいい女性が、いつもにらんで、来るので誰かが讒言を入れているとはわかったが、この機会を利用して誰が讒言を入れていたかを推察していきたい。

 黒田さんが芸大卒だから、似た様な攻撃に使われた馬越陽子さんからの、話だったか? 内藤律子さんからの話だったか? それとも、国画会の、芸大卒の誰かからの話だったか? それとも、野見山暁次さんからの話だったか?

 黒田さんは、私と同じく、感情を表に出さない。そのレベルは、栗田玲子さんより上ですね」というほどに、練れているのだけれど、この返却には驚いた。グサッと来た。で、つらくて、そのママにしておいた。ごく最近、クラフト紙をやぶって、やっと開けたのだが「あ、20冊、この本が手に入ってよかった。ラッキー」と、最高にポジティブに考えた。しかし、又それも盗まれているかな? この二年間にそれを画廊で、配った記憶がないし、美術関係者以外に、あげようとも思っていない本だが、今は、20冊ほどもないと、思う。この家には、2冊ぐらいしか無いと、思う。泥棒の被害は計り知れない。

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*6)、山口みつ子さんが他殺であると言う事は、この四冊目の本、伝説のプレスで証明できる。私は、2007年に、ギャラリー山口にも20冊、梱包して渋谷本局から送っている。それが、8月29日に京橋三丁目の画廊に届いたと仮定しよう。その三年と、四か月後の、2010年1月14日だった。山口みつ子さんが、「これだけは、配れなかったのよ」と、返してくれたのだった。白くて、小さいきれいな紙袋に、4X6判の本が、ちょうど四冊程度入る形で、きちんと収められていた。そんな大きさの紙袋を彼女が用意できたのは、文房具、特に封筒関係専門の会社の社長令嬢だと、聞いていたので、ああ、そうなのかと、思った。

 三年も前の、本だ。それに膨大な荷物と作品を処理しないといけないのに、黒田悠子さんとの、あまりの違いに、感動したし、その時のみつ子さんの悲しげな顔が忘れられない。

 ところで、私は別の日に、このブログ内で、その白い紙袋は、スタッフの白川さんから受け取ったと書いて居るだろうか? 今は、13年たっているし、その後、激しい刺激にも何度も出会っているので、どちらが正しかったかを忘れてしまった。だが、もし白川さんからだったら、悲し気な顔の、みつ子さんと、鉢合わせをしたのは、京橋の美々卯の裏辺りだったかもしれない。

 みつ子さんは、コンビニの白いレジ袋を提げていた。そして、そのレジ袋は小さくて、サンドイッチが入っていると、私は感じた。みつ子さんは、レストランで、お昼を食べるのではなくて、コンビニのサンドイッチを持って帰るのを恥じている様に、何とも複雑な顔をした。レストランだと、1200円かかる。だが、サンドイッチだったら、四分の一のお金で買える。銀座の画廊のオーナーとしては、その差が恥ずかしいことだったのかもしれない。

 今ほど、さばけていなかった私は、ただ、黙ってすれ違う以外の、態度をとることが出来なかった。つまり、「ああら、みつ子さん、今日はサンドイッチ、例の小さな公園で、一緒に食べましょうよ。私もそこのコンビニで何かを買ってくるから」と、言えばよかった。そうしたらあのみつ子さんの恥ずかし気で、かつ悲し気な顔を明るいものにしてあげられたのに。

 でも、みつ子さんは、絶対に自殺ではない。それを証明するあれこれをどこかで書いて居るが、今は見つけている時間が無いので、先へ進みたい。私は、一月から三月の間に、理由は原因を説明しないまま、何度も自殺ではないと明言をしている。で、その私を否定するために、オリックスの若手投手が、飛び降り自殺をしたと、報道をされた。赤ちゃんが生まれたばかりだった。3月14日か19日だったと、最近、その日付は、当時の新聞が我が家に入れ込まれて知った。

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*7)、 笹井芳樹さんの死の真実、

 笹井芳樹さんは、もう、真実を暴露したいと、奥様におっしゃったので、殺されたとみている。この事件には三輪喜久代さんという私のICU時代の同級生(特に1965年度の)が絡んでいる。彼女は、長年ロンドン在住で、CIAエージェントの役割を果たしている。1966年4月から春秋社勤務にはいったが、その時代から、伊藤玄二郎とは親しいはずだし。彼女はAFS経験者だから、英語がペラペラな上、日本化学会の会員でもある。したがって、彼女が押せば、NATUREは小保方論文が正しいと信じたはずだ。これは、右翼的とみなされていた私が、浮かれ騒ぐのを狙った引っ掛けだった。無論、引っかからなかったが、笹井芳樹さんは、気の毒なことになった。特に、小保方晴子さんは、高校時代から、いたこ(痛い女子)と呼ばれていて、関係を持つと、ひどい目に逢うと、言われていたそうだ。笹井芳樹さんは、その典型である。

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*8)、 妹の他殺を調べ確信するために、清新町を歩き回って、迷ってしまい、清新町江戸川べりの公園による入り込んでしまった。そして、なかなか出られなかった。その結果、その公園の立派なことに驚いた日のブログがある。それを否定するために小池都知事は清新町の方の公園の樹木を、400本切ると発表した。しかしそれだけだと妹を殺した連中の悪意が見え見えで、すぐさま私に真相を書かれてしまうので、代々木公園の樹木、1100本も切ると発表をした。

 さてその次が妹だ。妹も他殺なのに、自殺だと、言われた。彼女の夫からだ。自殺より他殺の方がいいだろうに、彼は生涯初めて私にかけて来た電話内で、延々と、妹の自殺死体について話した。それ以前に、妹自身から、これも、生涯に初めて、奇妙な電話がかかって来た。両方ともに、長電話である。それが、録音をされて平木さん、及び富沢さん、及び、渡辺夫妻、及び、大原光孝さんに帰化されたら、彼、彼女たちは、当然に、私をバカにするだろう。私は、バカにされてもいい。だけど、それが、孫や、子供に悪影響を与えたら耐えるに忍びない。だから、私は戦う。戦うのはかえってマイナスですよと、言う人もいるだろう。忘却に任せなさい。しかし、平木伸明さんが、攻撃してくる限り、敵は、その電話を録音をして、悪利用をする可能性があるのだ。

 姪は、私を裂ける様になった。セガサミーの一族と結婚をしたので、財界か競馬界からも、指図があるのかもしれない。妹の夫には、千葉大卒なので、共産党からの指図があると思う。他殺だと、知っていて、私にわざと三十分の電話をかけて来て自殺だと言った。それを録音されて、しかるべき時とところで、使われたら、私は目も当てられない。

 妹の他殺を調べ、それを、確信するために、清新町へ二回行った。後で、当時描いた文章のリンク先を探すが、夜になって、方向感覚を失い、歩き回って、迷ってしまい、清新町江戸川べりの公園による入り込んでしまった。そして、なかなか出られなかった。その結果、その公園の立派なことに驚いた‥・・・・そう友一日のブログがある。それを否定するために小池都知事は清新町の方の公園の樹木を、400本切ると発表した。それは、私のブログを読んだ人が、フォローのために、清新町の14階建ての都営住宅(分譲型)を見に行ったり、公園に行ったりすることを恐れての事だった。神戸の連続殺人事件のデータを、地裁には生きさせたのも同じ心理だ。おびえの心理だ。どうい事かというと井上ひさしが、常にかかわっていて、私が酒鬼薔薇聖斗の、声明文は、井上ひさしが、書いたのであろうと、言っている。

ベテランの筆跡鑑定家が、他の、井上ひさしの手書き原稿と照らし合わせれば、すぐわかるはずだ。しかしそれだけだと妹を殺した連中の悪意が見え見えで、すぐさま私に真相を書かれてしまうので、代々木公園の樹木、1100本も切ると発表をした。今度の代々木公園の樹木伐採も同じなのだ。井上ひさしが、やまゆり園事件のアイデアを練った。で、その一周忌を迎えて、私が、再び、真実を語りだすのを恐れて、7月11日(=一周忌の2週前)に妹を殺した。

 本当は私の方を、この三年間の間に殺すはずだったのだ。2020年の暮れには、武蔵小杉の関東労災病院内度トゥールで、ぬるい水に入ったコロナウィルスを飲まされてしまった。5cc~10ccの間だけど。

 だけど常に助かっている。渋谷郵便局の大音量サイレンを利用して、幻聴があることにして、精神病院へ、収容するという罠にも引っかからなかったし、ありと、あらゆる殺人用企み化は、命が助かっている。だが、1965年に後ろから、首を絞められて以来、本当に何度も何度も殺されかかっている。だが、死なない。ほぼ不死鳥みたいなものだ。そして現場で、私は冷や汗をかくでもないし、心臓がドキドキするわけでもない。で、あまりにも泰然としていて、全く動じないので、敵がひるんでしまうのだと思う。常に無事である。

 この平然さは、一度も座禅修行に行ったことはないのだけれど仏教を理解したことが大きい。中学生で、中勘助の提婆達多を読んだ。あの読書で、人間には乗り越えられない壁があるのだと、教えてもらった。提婆達多は、ただ、ただ、シッタルダと、戦うのだけれど、シッタルダは、何も反応しない。自分の心の内を語らない。

 ただ、ただ、敵役にして悪訳中の悪やきうたる提婆達多を、通じて、中勘助は、仏教とは何なのか?を教えてくれた。そして、仏教の要諦はあきらめることにあると教えてくれたのだ。だから、殺人犯に狙われると、私は、結局諦めて、しまうのだ。その姿勢が、外から見ると、泰然自若のごとく、見えるのだろうと思う。

 すみません。途中ですが、四時半になるので、寝ます。では、

@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

と、同じ人物だったので、びっくりして、それ以来ワシントンホテルは使っていません。

 歯ブラシに戻ります。備え付けのものですが、毛の硬さが自分に合っているので、泊まるたびにもらって帰って来て三本ぐらいある筈ですが、普段は、二本だけ台所に置いて居ました。洗面所はあるのですが、その排水溝の、掃除が面倒くさいのです。で、主人だけが使っていて、私は台所で、歯磨きをしています。特に冬は洗面所は寒いので、こっちのほうが楽ですし。

 歯磨き用のチューブは非常に高いものを使っています。植物の味と香りがして、それは、盗まれる可能性があるなあと、以前から、感じていました。ところが、それは、盗まれておらず、歯ブラシの方が盗まれています。それとお風呂の掃除用の、不格好なスリッパ。ともかく金目の物を取ると言うよりも、困らせてやれっという傾向。また、今回の泥棒ちゃんは、味の素のスープストックチューブも、盗んでいます。これって、何度目かの感じがする。相当貧乏らしくて、基本的なものしか買わないらしくて、あ、これ、うちにはないと思うと盗むらしいのです。それと、歯ブラシが盗まれていたのには、四日か、五日前から気が付いていました。包丁も同じ日だったでしょう。ただし、四本ぐらい包丁があるので、私は関孫六のペティナイフというのだけを、好きで、使っていたので、他の包丁が盗まれている事には全く気が付きませんでした。ペティナイフを使い始めたのは、3年ぐらい前からです。キャベツの外側をはがすとか、白菜を切るのは、無理だと思っていたのですが、使い方によってはペティナイフで、すべてできるのです。今の私は、食卓にまな板を持ってきて椅子に座って切っています。まな板は、五枚ぐらいあるがサイズの小さなものを使っています。81歳って、老人ホームに入っている人間もいる世の中です。だからこれでいいと思っています。応用力と開発力と、融通性は、抜群にある人です。だから、一人で、何の伝手もなくてもニューヨークへ行って安全に暮らし、仕事もすることが出来ます。

 会社の先輩や、同僚などの多数の人からの援助を受ける駐在員マダムなどとは、まるで違う、高い能力を持って居るのですよ。あ、は、は、自慢しちゃった。

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*4)、伊東屋の鉛筆

 これは、思い過ごしではないのですよ。県立(神奈川県の事)近代美術館本館(八幡宮境内に存在していた)が、いよいよ、閉鎖になると言うころ、美術館側は、銀座の伊東屋製の記念鉛筆を作ったのです。

 伊東屋の鉛筆は、普通は赤、白、黒で、2B 丸型だったのです。しかし、最近は、丸型は、2B ではなくて、固くなり、しっぽに消しゴムのついてない、6角形のものが、2Bと改変されました。この改悪は、むろん、私の尾行が、伊東屋で、私が、毎回、何を買うかをチェックしていて、その上で、伊東屋に、「こういう風に、改良(実際には、改悪)をしなさい」と命令をしているのだと思います。築地警察署発ですが、間に誰かを入れているのかもしれません。

 なぜ改悪かというと、伊東屋の丸形鉛筆には、お知りに消しゴムが付いているのですが、それが、良質なのです。ほかにも消しゴムが付いている鉛筆は多数あるのですが、みんな消しゴムが硬くて、用を足しません。というのも、この消しゴム付き鉛筆を使うのは、ほとんど、大人の、紙のパズルを好む人だからです。

 神のパズルは、昔は、二コリ独占で、数独と、カツクロがありました。私はカツクロの方を好んでいます。カツクロは、素因数分解を利用しているので、その本の冒頭の説明文の、因数分解というところだけで、敬遠する人があると思いますが、面白いですよ。私は、40~70代まで、週刊誌を読むか、カツクロをするのが、電車内での、習慣でした。5秒に一回ぐらい消しゴムを使うので、伊東屋の柔らかい消しゴムは、最適でした。ほかの会社が固いゴムを使うのは生産から、売れる日までの、時間が判らないから劣化しないがためでしょう。その点、伊東屋は、生産調整ができるので、柔らかい消しゴムをお尻に引っ付けているのです。その丸鉛筆が2Bから、もっと硬くなってしまい、柔らかい鉛筆は、消しゴムが付いていない形になっています。世のパズル愛好家には不便を強いているのです。それでかなあ。伊東屋って、前と比べると展示商品が少なくなっていると思いますよ。大丈夫かな? 入り口もわかりにくくなっています。私みたいに昔から通って居る人間には大丈夫ですが海外からの人はわからないで、帰っちゃうのではないですか? 大丈夫?

 山野楽器店も同じです。入口が全く変わってしまっているので、大丈夫かしら?と思います。

 私をいじめる為のCIAエージェントからの命令を聞いてしまうと、その企業は必ず、衰退へ向かいます。大丈夫?

 さて、神奈川県立美術館が、本館を八幡宮に返還する際に、記念品を作ったのです。それは、何種類かあったのですが、伊東屋の鉛筆もあったのです。印字は、何もしていないのですが、胴体のカラーが、パステルカラーで、塗ってあったのです。銀座の店頭で、売っているものとは、まるで違うのですが、消しゴムの色や、丸みで、すぐ伊東屋製だと、わかるものです。

 私は13本買ったのです。買ってすぐ、5本ぐらいに減っちゃって、これは、おかしいと思いました。その上、今は、二コリのパズル本にも触っていません。忙しくなりすぎたからです。で、鉛筆が減る可能性がないのに、一本か、二本しか残っていません。十三本買ったのに平気で、盗んでいく人間がいるのです。合い鍵を持って居てね。

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副題5、『三菱銀行やら、郵便局の、ラベル付きボールペンが入っていることもある』

 あのね、今、銀行はお客が、何か、紙に記載をしないといけないという際に、長い柄の、昔のペン風なボールペンを使っています。だけど、私の事務用入れ、小引き出しに、普通の形容の、ずんぐりむっくり型ボールペン(先っぽから黒、赤、青の三色が出てくるような太い胴体のもの)が、「三菱銀行」または、「鎌倉郵便局」のラベル付きで、入っていたことがあります。これは、記念鉛筆を盗んだ人間と同じかもしれません。その男は、この引き出しをほかの件でも、しょっちゅういじりますので。

 または、四種類いる泥棒の内、警察官、その物かもしれません。というのも、警察は、井上ひさしのアイデアに基づいて動きます。もちろん、公的には、2010年4月9日に、死んでいる筈になっているので、伊藤玄二郎を経由して、鎌倉警察署は、言う事を聞くわけですが、彼だと、その日以前でも、街歩きはしないでしょうし、銀行にもほとんど入ったことがないでしょう。だから、机上の空中楼閣(想像の世界)で、紡ぎだした、アイデアを、使用させます。彼にとって、大三菱UFJ銀行が、盗難を恐れて、いちいち、ラベルを張るなんてしみったれたことはしないのだと、言う発想がありません。だから、コンビニで、買ってきた様な、ずんぐりもっくりの実際には、使っていないボールペンに、レベルを張って嫌がらせ行為をしてきます。

 しかし、ここで、上からの命令ではなくて、しょっちゅう泥棒に入っている、その、カラー鉛筆を盗んだ男が自分一人で、発案をしたと仮定をしましょう。彼は、最近、銀行に入って、紙に何かを記入する様なことはやったことがないと、推察しています。今、彼が住んでいる居宅は、奥様の名義です。家出してしまっている奥様の名義です。つまり、彼は、銀行の窓口で、数千万円単位の引き出しをするために、紙に、金額を書いて窓口に提出したという経験はないのです。では、数百万円単位の、定期預金の、書き換えをしているでしょうか? 私が引っ越してきたころ、今では家にいない奥さ様とも仲良しだったので、いろいろ、短い会話をしていますが、「うちの主人は、神経が繊細なので、会社勤めはだめなのです」と言っていました。すると一生会社員ではなかったわけです。madame of pig headさんは同じく、夫婦そろって、会社勤めはしたことがなさそうです。しかし、郵便屋さんが秋の一日に厚さ4cmの株主配当金を持って居たので、その配布先が、madame pig shaped head 宅だと、想像をすると、十分に富裕だから、明太子とか、コンソメスープの素を冷蔵庫から、ちょいと盗むという必要はなさそうです。

 すると、例のパステルカラーの、美術館本館・閉鎖・記念・伊東屋・謹製・鉛筆を何本も盗んだ例の男が、このラベル付き鉛筆も自宅にあったものを利用して作ったのだと、言う事となります。まあ、彼の家に、プリンターがあるかどうかはわかりません。奥様が使っていたのがある筈です。が、わかりません。

 で、プリンターがないとなると、こういうボールペンを偽装して、ラベルを制作することは無理になります。しかし、フランス語を教えている奥様が、プリンターを持って居ない筈はないです。家出するのに重い重いプリンターを持って出ますか? ただし、孫男性がプリンターの使用方法を知らなかったと仮定しましょう。ソルト、彼が、入れ込んだのではないと、なります。

 では、警察そのものが入れ込みましたか? まあ、警察も泥棒に入っています。それは、日経新聞のコラム(警察の内部を連載していた)を、読んだときにわかりました。縮刷版を探せばわかります。

 しかし、どうも、このカラー鉛筆の男がやったのではないかと、言う考えを捨てられないのです。それはですね。彼が、私の依頼(花輪夫人のご紹介により、1500円の請負仕事として、食器戸棚(外へ置いていたので誇りまみれに泣ていて、鎌倉市の粗大ゴミに出すのも気が引けたほどに、古いものを壊してくれたのです。主人が、心筋梗塞を患っていて、この山には住めないだろうと、判断をしたころのことです。

 私はなたをふるってもらう場所として土の地面より、コンクリート打ちをしてある場所の方が、やりやすいだろうと、そういいう場所に案内しました。:::::::ここで、挿入ですが、主人は驚くほど見事に回復をして、平気で、石段165段を上下できる様になったので、引っ越しは、無しになったのですが::::::::

 その時、その男は青い瞳をきらりとさせて、クーラーの室外機を見つめたのです。

 この青い瞳をきらりとさせて・・・・・とは、赤毛のアンによく出ている表現で、蒼色のひとみだったかもしれません。ともかく、内心で考えて居ることで、言葉には出てこないが相手(この場合は私)に意味が分かる、目線のことを指します。その男が、室外機へ目線を走らせたことは、α年後に、意味を、成してきます。

 室外機の上に、きちんと重ねて置いてあった、大量の植木鉢に目線を走らせたのです。

 私は彼が植木鉢に注目したと言う事はわかりましたが、何を狙っているかはわかりませんでした。

 ところが、彼は植木鉢を大量に盗んだのです。それは、自宅で使うためではなくて、私を貶める為でした。だらしがない人だと、言う規定をおっかぶせる為だったのです。

 つまり、大量の植木鉢を盗んで、捨ててはいけない日にわざと出したのでした。私は植木鉢を使わない日には、重ねておきます。彼は、大量の植木鉢をわざと、重ならない様に イコール わざとかさばる様に、袋詰めして、出してはいけない日に、大(40リットル入り)一袋、中(20リットル入り)二袋、小(10リットル入り)一袋に入れて出したのです。

 

コメント
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SMBC銀行鎌倉支店が移転をしたのは、私のそこに関する観察談が盗聴をされ、銀行へ届けられたのが原因です。  小池都知事の伐採ー1

2023-09-27 21:07:54 | 政治

 今は23-9-27 20:00ですが、下の文章の推敲と加筆を始めます。小さな修正はアンダーラインで示し、大きな加筆は、緑色で、または、赤で、くわえます。尚、次の日の28日の午前一時半にやっと完成をしました。お待たせいたしました。

この章の総タイトルは、23-9-26 03:15まで、【今、あまりにも泥棒被害が激しいので、2007年9月28日の渋谷郵便局・本局早朝の恐ろしい罠を思い出している】としていました。が、その時点で二番目の物へと変更しました。二番目の物とは、【小池都知事が公園の木を1500本も伐採するのは、私のblogを覆えす為です。裏にMs E.Ooyaが居てH.Inoue & G Itoの意思を伝えているでしょう】でした。その総タイトルの最後の方で、ローマ字になっているところは、大宅映子、井上ひさし、伊藤玄二郎を、当ててください。短縮するためです。逃げているわけではない。

 この章では、山口みつ子さん、オリックスの若手投手、笹井芳樹さん、そして、私の妹などが、他殺でありながら、自殺だと、言われているのが、どれほどに、大きな嘘であるか、を語っていきます。それから、本日二つに分けた、後編の方では、やまゆり園事件の裏に秘められていた、CIAエージェントたちの、真実の狙いにも迫っていきます。決して、ご近所の悪口を言うだけで、終わる小さなテーマではないのですよ。壮大なミステリーを解いていっているところです。しかし、きっかけは小さなことから始まりました、歯ブラシとか包丁が盗まれているところから、これほどの大きなテーマが、読み解けるのです。

 ほかに、後編では、山本夏彦、ミスター笠松(元・筑摩書房社員)、黒田悠子さん、金成悠子さん、北側フラム氏、酒井忠康氏、井上ひさし、大宅映子、小池都知事、などの真実に迫っていきます。

*1) 23-9-24の日曜日は、もともと、書けるかなあ。ブログ」と思っていました。お客が来るからです。ところが、そのお客仕事では、結構、消耗しなかったくせに、NHKが、3チャンネルで【夏祭り浪花鑑】を、放映し、しかも、好きな役者が出るので、相当時間を取られるなあと、思って、ブログを書かないことに決めました。というのは、深くて重い内容を書かないでいると言う事で、短い、軽い内容は、書きます。と、言いながら結構長くなったりして。

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*2)、鎌倉の図書館で、同時に、【鍵盤の天皇】と、【中勘助の恋】の二冊を借りてきました。【鍵盤の天皇】は2022年度中に、自分で買っていたのに盗まれて居ます。書物類は、本当にたくさん盗まれています。 madame of pig shaped head は、そういう泥棒さん達と仲良しだから、どんなに私に対して威張って挨拶をしない時が有っても、私の方は内心で、バカにしています。また、平木伸明さんも、意図的に、無視する作戦をやってくるとして、彼女と同じですが、彼の場合は、特に「子供が東大に推薦入学したのに、まあ、そういう連中(泥棒たち)と仲良しだから、全く尊敬できない」と、考えて居ます。

 ところで、この威張って、あいさつをしないですが、あれは、何時頃だっただろうか? 銀座でね。平野和子さんに、やられたのです。何回も。だから、その時から経験済だから、別になんて言う事もないです。しかし、裏に何かが隠されている可能性が高いので、記録しておきます。

 さて、平野和子さんをここで、説明をしないといけなくなりました。15年前だったら、大勢の人が彼女を知っていたと思います。非常に頭の良い、かつ美術がよくわかる画廊のオーナーでした。特に色のセンスが良くて高い。

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*3)、女性にとって、画廊のオーナーというのは、良い職業の一つです。画廊のオーナーになると言う事は勝ち組中の勝ち組です。経営の手法として、特定の公募団体展のメンバーだけに、誘い掛けるとか、或る美大の教授の知己を得て、そこの大学の学生に、自分の画廊を利用する様に働きかけるとか、いろいろありますが、オーナーが好きである方法を、堅持すると、安定した経営が、可能です。ところで、画廊って、言っても、その形態は、大まかに分けて、二つに分かれます。

 一つは、大正期など、自由主義が澎湃としておこり、モボモガが、銀座を闊歩していたころできたであろう、パリやニューヨークの画廊のシステムを踏襲し、オーナーが好みの作家のスポンサーとなって、その画家の作品を売ってあげると言う主義の画廊‥‥‥そして、もう一つは、戦後日本が、経済大国になり、美大へ進学する学生が、大量に出て来て、彼らが、よい職業(例えばNHKに勤務するとか大手デパートに勤務するとか、大学、高校、中学、小学校の教師になるとかして安定した収入を得る様になると、給料を得ている本業とは別に、好きな絵を描きたい。それは、生活費を稼ぐ手段ではないが、自分のいきがいである‥・・・というタイプの人が出てきたのです。そういう人に、個展をさせてあげる画廊というのも出てきました。しかし、画廊は、オーナーやスタッフの人件費、場所代(テナント料、光熱費、交際費などかかりますので、「それをあなたの方が負担をしてくださいね」という形で、一般的に言うと、名前が貸し画廊と、言う制度が出来たのです。

 男性は違いますよ。だけど、女性が新たに、画廊を開く場合、貸し画廊と、言う形式が多いのです。でも、貸し画廊を経営するのだって、女性としては、勝ち組と言えましょう。

 でね。銀座で、テナントとして、一室を借りる場合、最低でも保証金500万円が必要らしいです。それ以外にもいろいろ経費が掛かるでしょうから、会社員等をして、貯金をしておいて始めるか、誰か、スポンサーが居るかのどちらかでしょう。スポンサーが、他人ではなくて、実家であろうなあと、私が見るのが、山口みつ子さんとか、平野和子さんです。この二人共、そこで、個展をする画家たちにとって、大変優秀なオーナーとして、尊敬おく能わずの、人物だったとも、見ています。

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*4)、『画廊のオーナーとして、山口みつ子さんについては、今まで、いろいろ書いて来た。だが、平野和子さんについては、書いて居ない。15年ぐらい前に画廊をやめてしまったが、名オーナーの一人だったと、感じている。女性としては、特に優れたオーナーの方だったと、感じている』

 山口みつ子さんは、野見山暁次、建畠覚造、堀浩サイ、篠原有司雄、大久保忠春などを擁していました。平野さんの方は、第一期は画廊が、立地条件はいいものの、狭かったので、ギャラリー山口で、個展をする作家とは、違うタイプを選んでいました。より、ちいさい、作品を作る人たちです。ただし、色が良くてマチエールも確かな作家たちで、見物するに楽しい画廊だったのです。それらの作家は、平野さんが画廊をやめた後では、K’sギャラリー、中和画廊、などに、移行をしています。

 私も2000年には、平野さんの画廊個展を開いたのです。そして、銀座雀が驚くほど、売れたのですよね。もしかすると、貸画廊の費用を払っているが、売り上げの45%ぐらい平野さんにあげたのではなかったかな? まあ、ねんねでした。そして平野さんが、どうしてか、威張りまくるので、つい、飲み込まれ切っていて、二重におかねをし払ってしまっていたのです。ただ、山梨県の住所も知っていたし、携帯の番号も知っていたのですよ。しかし、2007年ごろから、明瞭に裏切ってくる人となったので、携帯の番号も彼女の山梨県の家の住所も捨ててしまいました。

 今は個展をする予定が、自宅以外にはないので、度のオーナーに対しても自由自在に発言が出来ます。特に平野さんはある時期から、敵方の人として機能し始めたので、ぐいぐいかけます。

 そのほかの分類として、その女性オーナーが大学を出ているかどうか。また、その大学が、偏差値優秀大学であるかどうかも、経営方針に、影響を与えます。

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*5)、『平野和子さんは、有名大学をでているとおもう。まさか? 東大出で、JALグランドホステスに就職する人はいないだろうから、東大卒ではないだろう。どこか、知らないが、英語に強い大学の卒業生の筈だ。だけど、彼女から、攻撃をされたから言うのだが、結婚も目指していたが、適切な、相手に選ばれなかった、または、適切な相手と恋愛が、成立しなかったので、画廊のオーナーになったというケースではないだろうか? 平野さん(多分、現在75歳)ぐらいだと、適齢期が、25歳と言われていた時代で、男は度胸、女は愛嬌という、キャッチフレーズにあてはめていえば、平野和子さんには愛嬌は無い』

 今、中勘助を、研究中ですが、孤高の文学者と言われている彼も東大卒だし、そのころの友人がすごいのです。岩波重雄、安倍能成、和辻哲郎などです。後、私が詳細を知らないが、格別なエリートと、主に手紙のやり取りで、交流していたのが、中勘助です。さて今、富岡多恵子著の【中勘助の恋】(1993年創元社刊)を読んでいる最中です。恋という意味では、早世した同級生・江木・一家、三人の女性と、深い交流(すべて、所謂プラトニックラブだが、濃い、濃い関係である)がありました。それは、いずれ別の機会に。

 というわけで、中勘助は、東大卒であり、その東大で、一高時代も、帝大時代も、夏目漱石に学生と、教授という関係で出会っていて、かわいがられています。だから、人付き合いをしないでもいいのです。右顧左眄しなくても、岩波の雑誌に連載をしてもらえるのですから。というわけで、中勘助の場合は、東大へ進んだことが一生、彼の生活を保障しました。

 で、平野和子さんの出身大学を知らないのですが、態度を見ていると、栗田玲子さんの、教育大学に匹敵をする、偏差値、優秀大学の出身でしょう。だから、一種のアイスウーマンです。それでも、通っていたのです。

 ともかく、前歴が日本航空、グランドホステス(塔上の際に、チケットを点検したりする役目の女性がいるでしょう。あれ)でした。で、渡辺幸子さんとは、先輩後輩として、大変、息があっていましたね。

 ところで、ふと、気になって、昨日渡辺幸子さんの、新制作内部での、肩書をチェックして見ると、まだ協友でした。これは、他の公募団体展では、会友と呼ばれる立場です。2023年86歳にして、まだ、協友・・・・・彼女は、神奈川県内の女流画家の間では悪女と言う事で、有名です。が、その悪女っていう評判は、私とは別の次元で、すでに、流布され切っている話ですよ。青木繁大賞展の大賞を取っているし、シロタ画廊と、ガレリアグラフィカで、個展を何度もしているのに、まだ会員ではない。それを彼女は、ICU卒だからだと、思い込んでいます。確かに同じ田沢茂先生の塾(グループ)なのに、武蔵野美大卒の、桜井陽子さんは、30年以上前に会員になっているでしょう。桜井陽子さんもアイスウーマンです。だけど、素朴であり、裏がないと言う事は誰にでもわかります。そして、私は、桜井さんの絵を軽いと感じてしまうが、色はきれいです。明るい色、を使っています。で、渡辺幸子さんは、色使いの側面では、センスがないです。だが、まだ、協友なのは、色使いの面だけなのか。それ以外の理由があるのか、ともかく、なぜなのか?

 と、書くと、近々、CIAが彼女を会員にするでしょう。はい、そういうわけです。 

 どうか、新制作展に作品を出している人に、「こっそりと聞くけど、なぜ、渡辺幸子さんは、まだ、会員ではないの、教えて」と、聞いてごらんなさい。こういうサジェッスチョンを、する私って、ちょっと意地悪ですね(苦笑)、いや、大いに意地悪かな? しかし、彼女には、ひどいことを、数多くされているので、このくらい、皮肉を言っても、天はお許しになる筈ですよ。別の章で、私なりの渡辺幸子論を展開します。以前より、深く、深く。

 しかし、本日は、平野さんが、CIAエージェントとして、使われて、私が画廊巡りをする日に、私の前に現れて、無視すると、言う態度をとる様になったと、言うエピソードを語らせてください。私は平野さんの画廊=ギャラリー舫で、一回個展をして、「こんなに多数作品が売れている作家は、いないよ」というほどの評判をとったし、平野さんには色のセンスがあり、私にもそれが、あるのです。その点では増田きよみさんと双璧と言っていいぐらい、平野さんの能力は、高いのですが、私も同じタイプなので、あれほど、作品が売れたのは、フロックではありません。

 あのまま、ずっと、版画及び、画家で、活動をさせていてくれれば、最近の様なブログ文は書かなかったでしょうに、浅はかな、連中は、ちょっとでも勝ちたい、ちょっとでも私を、負かしたいと、思うらしくて、私の進路として、美術系作家(油絵画家、及びヘイター方式という色刷り版画の制作者)という立場を奪い、その次には美術評論家としての立場を奪い、それで、かえって、自分たちの身体に、刃が刺さることになっています。浅はかさの1

 でもね、私がとうとう怒って、「その人の頭って、後ろから見ると豚さんそっくりですよ」という文章を書いた渡辺賢司夫人なんて、8月だったかな。ものすごい回数で、・・・・・(平野和子さんが、銀座で、昔やったことと)・・・・・同じことをやりました)すれ違う時とか、追い抜くときに挨拶をしないという形をとりました。それ自体は、どうっていう事は無いのですが、連動して、嘘事件である猿之助の自殺未遂と逮捕とか、いろいろあったので、

 「豚頭の、渡辺夫人目、いつか懲らしめてやらん」と、私には珍しい程に下品な表現で、彼女を、こき下ろしています。38年間夫婦そろって、働かないで済んでいる、お金持ちです。郵便屋がわざと配当金の封筒を、私に見せびらかし、秋のある日に、それが、4㎝以上ありましたので、5億円以上の、株所有者らしくて、大金持ちらしいし、婦人之友育ちらしいので、ご本人は、プライド満々でしょうが、それでも頭の形を取り上げて、こき下ろしています。というのも、富裕な家庭で育ち、婦人之友で、しつけを受けたというう育ちにしては、ダサいです。洋服の好み、そしてご本人の体形に、都会の香りがないです。ダサいの一言で片づけたくなる女性です。都会育ちなら、160cmの背の高さがあり、ウエストも、きちんとくびれていないとだめです。ずんぐりもっくりはだめです。親は、どういうものを食べさせていたのだろう?

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*6)、泥棒が、4種類いるのだが、非常に性格が悪いご近所様二軒が合い鍵を持って居る。より下の方に住んでいる一軒の方は、警察の協力者ですと、看板を門前に貼り付けて、広言をしているので、警察からもらったと、推察できる。もう一軒の方は、どういうルートで、持って居るかは、知らない。だが、二軒とも、大変性格が悪くなっている。

 本日は、形が珍しい包丁が盗まれていることに、主人の方が、気が付きました。私の方は、それには気が付かなかったのです。が、主人には、以下の様に申しました。「ほら、言っていた通り、四日前からかなあ。愛用の歯ブラシ二本、+サッポロビールが、株主に買わせるタンブラー(花瓶として使っている、)が、一個か二個、そして、だいぶ前だが、こふーフィーカップなども盗まれているけれど、同じ日に包丁も盗んでいったのでしょう」と。それをいうと、彼は、憮然としていました。まだ、四種類の泥棒が居ることを、信じたくないらしいのです。

 歯ブラシの方ですが、一般的には売っていない透明な焦げ茶色です。それは、リッチモンドホテル(ビジネスホテルです。名前程、宿泊料は、高くはない。特に、武蔵小杉にあったので、歌舞伎座の帰りに愛用をしていたら、コロナ対策ホテルとなってしまったので、同じ系列の馬車道店舗を愛用する様になりました。ずっと、東京でいろいろなことをしていて、夜遅くなり、そのために、病後、早く寝る主人のいる、鎌倉まで、帰宅をできない日々があったのです。泥棒対策のために、絶対にチェーンをかけてもらわないといけないので、夜九時前に帰らないと、自宅へ入れません。それで、ホテルに泊まるのです。たまたま、母からもらったアパートが空いたので、収入は激減したが、いろいろ、便利なので、自分が使っています。だけどね。便器が壊れました。ずれている。ひどいでしょう。で、15万円ぐらい、また、余計な出費が要ります。でも、あまり、ギャーギャー言っていません。ともかく、私をいじめることで果報なご褒美をもらっていて、なお、いじめて来る、連中のことを書いて居ます。自分の方の被害を書くとさらに、敵は伸してくるからです。

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*7)、『SMBC銀行は、四つ目の銀行として、2023年一月からCIAの命令により、激しく攻撃をしてきた。どうしてかというと、湘南信金(これは、あまりにも悪利用されてきた銀行なので、通帳を残高1000円にした上で捨てた)三菱銀行(数千万円のお金を藤本悌子夫人に、国庫から差し上げた経由地である可能性が高い)、浜銀(本当にひどいことをこちょこちょ、やられ続けて来ていて、6回ぐらいブログで、書いて居る。したがって、少し、落ち着いてきた。但しすべて警察の命令と、井上ひさしの命令であることは、わかっているが、ともかく、被害が一番、ひどかった銀行だ。)みずほ銀行(見え見えに、鎌倉警察署・生活安全課の言う事を聞くのが、2018年一月18日に明らかになった。それもブログに書いて居る。その後、私のブログが嘘を言っているとするために、ATM呼称がひんぱんの起きて、市民の信用を落としている。お気の毒だが、私をいじめるのだったら、私のブログを一年は、さかのぼって読まないと、企業体としてのそちら様が、大損をすることになるだろう)などについて、すべて、ブログで、書いて居るので、違う組織を利用しようと、鎌倉警察署の生活安全課の課長が考えたからであろう)・・・・・浅はかさの2』

4月14日に紀尾井ホールで、つうちょう四通盗まれたのを書いて居るのですが、そのブログを読んだ、SMBC銀行鎌倉支店が、店舗を移動させました。

 9月26日か、27日に鎌倉駅前に移動をしました。今、日付が確かな記憶として残っているので、そのあたりのブログを確認しているところです。すると、一つ見つかりました。

SMBC銀行鎌倉店での、1月から、4月にかけて、四日間の、特殊な体験・・・・誰が裏で糸を引いているのだ?    2023-04-19 02:33:38 | 政治   これを、後註αとする。

但し今すぐ、これを読むのはやめてください。もっと、適切なものがある筈なので、今から探しますので、お待ちいただきたいと存じます。

 上がなぜいけないかというと、私とSMBC銀行鎌倉支店の面々、及び、同銀行上層部と、、鎌倉警察署・生活安全課の課長、及び、伊藤玄二郎+井上ひさし+ご近所住民の山田さんなどは、上の章に書いてあることを全部わかると思います。しかし、一般の読者様は、?????マークが一杯で、何が書いてあるのかわからないとおっしゃると思いますよ。どうしてかというと、なぜ、SMBC銀行がここで、登場するかが判らないとお考えになるでしょうから。

 実は私のブログは、すべて、敵としての、CIAエージェント(その手下としての警察の特殊部隊、または、鎌倉では、生活安全課の課長)との戦いを書いて居ます。しかし、一応表向き、日本では、憲法で、人権と自由が保障されていることになっているので、あらゆる弾圧がだまし討ち、または、引っ掛け、又は嘘の羅列という形で、起こ罠われます。もし、気が付かないでいると、精神病院へ入れられてしまったり(それは、一種の監獄ですね)殺されてしまったりするでしょう。その危険性は常に感じ取っていて、したがって、NHKニュースを利用して攻撃をされたら、「これが、そのニュースの、裏の真実です」と書かないとだめなのです。

 ところで、すべての震源地はわかっています。CIAエージェントとしては、成岡庸司、伊藤玄二郎、井上ひさし、石塚雅彦、酒井忠康などが、第一震源地ですが、彼らは、その名前を出されても、今のところ、平気みたいですね。一方で、桜田門(警察庁とか、警視庁とか、築地警察署とか)と神奈川県警本部(大船警察署、鎌倉警察署】も、これまた、大いに動いているのですが、警察に行きついたら大変なので、

 必ず、代理の代理を使うのです。鶴岡八幡宮様、豊島屋などが使われてきました。だが、最近は、税務申告と、銀行へ移動をしています。ご近所人間も、15軒、実動の家があるのですが、あれを使ったりこれを使ったり、変えてきています。豚頭と、私が、ののしった、女性は、外語大か、上智大学出身だと、私が推察している人間で、インテリですよ。ただ株の配当金で、生きているのだろうと言う推察が正しければ正しい程、以前の居住地で何らかのトラブルがあったのでしょう。だって、最近です。在宅勤務が普通になったのは。だけど、彼らが結婚したであろう1970年代に、在宅勤務で、夫婦が二人とも、どこにも一日中、でかけないのは、普通の人にとっては不思議極まりない事で、したがって、誰何されたと思います。それに対してあいまいにお茶を濁していたので、ご近所様は頭に来たのでしょう。それで、トラブルになったので、さらに、秘密主義になったと、推察しています。普通の日本人には珍しい態度です。強いていえば、一つだけ推察できることは、『かれらが、テニスをやっているのは、鎌倉宮テニスクラブかなあ? そうすると、中谷家の次男とか、酒井忠康氏とお茶する機会があるのかな? で、何らかの讒言を聞いているので、ああなるのかな?』と、思うぐらいです。それ以外の私生活を明かしていません。だから、今のところ、突っ込みどころがないので、遺伝的に受け継いだもので、努力では変えられない彼女の体形を、「ダサい。全体にずんぐりもっくりでダサい。そして頭だけど、威張って挨拶しないで、通り過ぎるのを後ろから見たら、まったく、着ぐるみの、豚みたいな形の頭だった」と言っているわけです。というのも彼女の攻撃を放って置いたら、それこそ、私が、殺されるところへつながってしまうからです。特に意図的に挨拶をしないと言う事は誰かから、私の讒言を聴いていて、こちらが悪人だと信じ込んでいるわけでしょう。または、劣位だと思い込んでいるわけでしょう。で、反対に、私は盗聴も録音も探偵も秘書も使いません。だから、自分の目で見た観察だけを使います。ちゃんと観察し続けているし、それを文章で表現する筆力があります。今の私は、死闘を繰り広げているところです。だから、真剣勝負です。使えることは何でも使います。

 で、SMBC銀行は、2023年の一月から、激しい勢いで、いじめてきています。前の年に、通帳が盗まれているのですが、(ゆうちょ銀行とともに)、再発行をしていなかったら、呼び出しを受けたのでした。後註αとして置いた上の文章の中には、その一月ごろのいじめを書いて居るわけです。

 しかし、その後、4月14日に紀尾井ホールで、通帳四通が盗まれると、言う事故がありました。それについて書いて居るのが、以下のリンク先です。

岸田総理襲撃・・・・の陰に、私は、通帳4通350万円程度を盗まれていた。25時間気が付いていなかったのが不幸中の幸いか?    2023-04-15 22:18:27 | 政治        これを後注βとする。

 こちらのお読みにならないで、結構です。ただ、時期は、岸田総理が漁港で、襲われて、真っ赤な漁師用仕事着を着た男性が、襲撃犯を取り押さえる、日の一日前の事でした。以下のリンク先の冒頭で、どういう形で、盗まれかが書いてあります。

いや、満足しています。で、ブログを書きませんでした。国展、毎日展、水沢勉氏、酒井忠康氏、岡田三郎助    2023-04-17 23:13:27 | 政治       後註γ

 さて、その盗まれた通帳ですが、絶対に戻ってくるはずだと、考えたので、すぐには再発行手続きをしなかったのです。実際に戻されていました。それを発見したのは、五月5日です。普段絶対に触らないところに入っていました、

 で、それを書いたのが、以下のブログです。

翻弄に次ぐ、翻弄・・・・・通帳四通が、不思議なところに、返されていた。     2023-05-07 16:00:47 | 政治

 これを後註γとする。

 4月14日に盗まれたのですが、その見つかった5月7日まで、三行は、再発行してもらっていました。しかし、みずほ銀行はまだでした。どうしようかなあ? 再発行は、手続き料が取られます。しかし、そこで、見つかったと言えば、誰かから、非公式に、私のブログが嘘だと、言いふらされる可能性があります。それで、みずほにも見つかった後で、再発行に行きました。だって、14日に紀尾井ホールに行った時のバッグに、15日は入っていなくて、返された場所は、全く使っていないアテンダントバッグの、しかも狭い狭い、ポケットだったからです。

 でも、それが、見つかった後で、再発行を願いに行ったみずほさんは、見事な罠を仕掛けてきたのです。それは、文章としては、未完成ですが、以下に書いてあります。


23-5-9 みずほ銀行鎌倉支店を舞台として、警察から二度目の大いなる罠=いじめを受けた。ただし、前回より洗練をされていたが?    
2023-05-10 00:06:56 | 政治 

     これを後註δとする

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*8)、私は四六時中、尾行をされ、危険な目に出会っているのだが、この通帳紛失と、再発行に関しても、SMBC銀行においては、非常ないじめを受けた。上で、語っている通り、5つの窓口にある金融機関の内、2023年に入ってからは、SMBC銀行を使って、いじめようと、井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしていますが、本当は、まだ生きていますよ)+伊藤玄二郎、また、その手下として動く、警察庁、特に鎌倉警察署生活安全課の課長は、2023年に入ってからは、SMBC銀行を使おうという路線に入ったからだった。浜銀、みずほ、三菱UFJ銀行、ゆうちょ銀行と、来て、2023年度からは、SMBC銀行が、私に激しいダメージを与える場所として、使われてきたのだった。

 今、あまりにも通帳やらカードが盗まれるので、金庫に入れている。それで、正しい日付が挙げられないのですが、一月に、2022年度中に盗まれ通帳の再発行に行っています。その際に、非常に不愛想で、意地悪な対応を受けました。

 でね。盗んだのも警察であり、(または、警察から合いかぎをもらっているご近所様)であり、一月に対応したSNBC女性行員も婦人警官、もしくは、女性刑事の変装だったと思います。普通なら奥に入る必要がないのに、奥に入ったのは、わからないところを、本当の銀行マンに教えてもらうためdあったと思います。

 さて、その次の、4月14日に紀尾井ホールで、これも、警察が主導した泥棒に、椅子に置いたまま二階に行って、ワインを一杯飲んでいる間に、バッグを椅子に置いておいたので、そこから、銀行の通帳四通が見事に盗まれてしまいました。そのいきさつは、後註βに書いてあります。

 で、その紀尾井ホールでの、盗難後、4月18日の事でした。その日、2時55分に支店内に入り、出たのは、3時50分だった。スマホは、持って居ない。本も持って居ない。のに、50分掛かったのです。

 どうしてそういう事をさせるかというと、この日ごろ、警察は、私をクレーマーとして、規定し、それで、周辺から嫌われる様にしようとしていて、かつ、ご近所様を、CIAの手下として、攻撃主としてあれこれ、使っていることを、私が神経質すぎるからそう書いて居ると、したい・・・・・と、そういう手法で、このブログ及び、私自身をつぶそうとしていたのでした。

 したがって、SMBC銀行に文句を言いだすまで、又去られたわけです。

ロビーには、面白い本が置いて居ない。さあどうするか? 最高のやり方で、切り抜けた。それを友人宅で、話をしていた。今のところ、その友人は、攻撃をしてこないので、名前を伏せる。ともかく、すごい体験をしたので、それを彼女に話していた。そのついでに、SMBC銀行鎌倉支店に対する、観察の結果を話していた。

 要旨は、以下のごとく。

・・・・・・SMBC銀行って、駅から遠いでしょう。だから、お客さん少ないのよ。そして、三時15分からは、私一人なのよ。そして、仕事は通帳の再発行。そんなの、ものすごく簡単な仕事でしょう。それなのに、45分間待たされたの。・・・・・

 これが、盗聴をされていたのでしょう。で、盗聴をしたのは、鎌倉警察署・生活安全課の人間でしょうから、SMBC銀行に、以前から「川崎千恵子には意地悪をしてください。」と、命令をしているわけです。だから、後註αに書いて居る様に、一月の時点で、去年盗まれた通帳の再発行を、「来てください。放っておいてはいけません」というはがきをくれて、それに応じて、行ったら、その時は、時間の方は、50分は待たされませんでした。だが、非常に嫌な顔をされたし、全体に銀行レディにあるまじき、いじわるをされたので、あれは、女性刑事(または、婦人警官)が変装していたのだと、判断をしています。浜銀でも、にた様なことがあったので、SMBC銀行にも警察の人間そのものが入っているのです。

 で、警察は、この会話を聞いて,ご注進、ご注進とばかり、勇んで、SMBC銀行、鎌倉支店に知らせたのです。「川崎千恵子って悪い人間なのですよ。だって、ほら、こういう風にお宅の悪口を言っているでしょう。だから、今までと同様、これからも、いじめてくださいね。

(浅はかの3)、・・・・・・でね。SMBC銀行は、これから先、私に以前より、輪をかけた意地悪をするかもしれません。だから、窓口を利用する可能性のある場合は、10時半ごろ行った方がいいですね。ほかのお客がいる際には、あまりにえげつないことはしないでしょう。

 ともかく新店舗にはまだ行っていません。ただ、駅前ロータリーに、入り口があるみたいです。これで、駅から、2分のスルガ銀行と、1分の、みずほ銀行は、自分以下の、遠距離の、銀行が無くなったのです。

 さて、SMBC銀行の幹部は、これを読んでも否定するでしょう。だけど、私は、にんまりしているところです。だって、この様に、私が世の中を動かしていることはいっぱいあるのです。そして、私が、勧める方向は正しいのです。移転した方がよろしい。

 以前の店舗はビルそのものは趣があります。三階に、イタリアンのレストランがあった時期には、一階と二階が、ポロラルフローレンでした。三階で時枝ひろ子さんとお昼を食べた時に、提供されたオリーブオイルが、非常に上等だったと言う事。それから、斎藤敏江さん・・・・・・(太洋丸事故で、ご主人をなくして、その後アメリカ大使館員になり、小泉さんとは、瀬見(小泉さんのいとこで、アメリカ大使館員になる前の時代に、斎藤さんが、神奈川県立・大津高校で受け持った生徒でもある女性)・・・・・を通じて、仲良しであり、それゆえに、斎藤さんから、教えてもらったエピソードです。尚、太陽丸とは、商船です。軍艦ではない。ただ、満州を、発展させるために、若いエリートがたくさん乗っていたので、米軍魚雷により沈没をされたのです。対馬丸事件と似ています。

 wikipedia から、大洋丸撃沈のところだけをコピペします。

台湾烏山頭ダム八田與一をはじめ、南方作戦占領地のインフラ整備に召集された鐘淵紡績小野田セメント三菱商事住友商事三井物産などの多数の技術者・営業マンらを含む乗客、軍属、船員他817名が殉難した。のちの1943年2月にやはりアメリカ潜水艦に撃沈された龍田丸も占領地行政や産業・資源開発にあたるはずの有識者・技師等の人材を多数運んでいた船だとされ、両船の沈没の結果、有識者・技師が多数亡くなったことにより、日本の占領地行政は約2年遅れたとも言われる[4]

海底に眠る船体が2018年に発見された[5]

 だけどあそこに店舗を構えるのは、当時の責任者の自己満足でしかないです。絶対に駅前の方がいいです。

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*10)2018年に団十郎の、襲名が急に発表をされたのも、このケースとそっくりだった。それは、音声による会話ではなくて、個人的なメールのやり取りだったが、ある友人との会話を、覗かれて、そこから、急に海老蔵が、記者会見をしたのだった。だが、コロナ価で、伸びた。良かった。あの時点で、襲名したら、カンゲン君も海老蔵も、つぶれていたと思う。」

ところで、話は変わりますが、

 今、【中勘助の恋】を読んでいるところですが、登場人物が、ほぼ、男は東大卒で、女は、お茶大付属高校卒です。東大院学者数だけでは決められない名門性が、お茶大付属高校にはあるみたいですよ。

実は、ここで、前編を終わらせたいと感じます。これ以下は、中編、後編として、後日再度アップします。

 2023-9-24に初稿を書き、28日に完成をさせる。 雨宮舜(本名 川崎千恵子)

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河野多恵子は富岡多恵子が伸してくるのを密かに嫌っていた。それが判るのは私が美術界で、嫉妬され続けて来たからだった。渡辺幸子、栗田玲子、平野和子、酒井忠康

2023-09-21 22:42:59 | 心理学

 下の文章の、3日目の、推敲をしました。すると、気が付かなかった点を、20か所ぐらい発見をしたので、そこを直しました。それを、25日の午後四時半に終わりました。特に最後の方で、大量に加筆をしてあります。実は次の章を書き始めています。が、それも未完なので、これを完成させることへ時間を使いました。相当長いですが、完成度は高いと、ひそかに自負しています。

 わたくしが、国画会の主催する国展に出品していたころ、新制作に出品していた大学の先輩、渡辺幸子さんから、強烈ないじめを受けたことがあり、それが、渡辺幸子さんが、河野多恵子の立場であり、わたくしが富岡多恵子の立場であると仮定すると、河野多恵子が、なぜ、ウィリアムモリスの、原画を、自分の自慢作に使ったかが、読み解けるのです。アイデアの剽窃です。が、なぜ、そんな下品なことをしたか? それが、読み解けるのでした。下克上を嫌う河野多恵子の狭量が原因です。

 私はね。河野多恵子の全作品を読んでいるわけではないし、富岡多恵子の全作品を読んでいるわけではありません。しかし、二人の関係の本当のところをズバッと分析できる。それはね大体作家というものは、パイを奪い合う関係だから、嫉妬深いのです。まだ、文筆業の方が、お金が回る量が多いので、真実が、抑えられている方です。だが、河野多恵子の内心には、富岡多恵子に対する、ふつふつとした嫉妬心がわいていたと思います。

 という添え書きを二日目において、原文の頭に入ります。それが、連続しているテーマから離れていることをまず、お断りをしています。

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 しかし、21日は、新しい発想が浮かんでしまいました。以前、他のサイトのブログを持って居た頃は、傾向の違うものは、そこで、書いて居たのですが、毎日、寄らないと、いつの間にか、消えています。サイトが、「ブログをやめました」とか言ってね。AOLとかヤフーとか、Livedoorなどで、経験してきたことです。仕方がないので、ここで、他のテーマのも事も、語ります。

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*1)、この一か月以内に、「中勘助の、【提婆達多】が、自分としては、日本のものとしては、最上の小説だと思っている」と書きました。で、その時ですが、中勘助のもっとも有名な小説は【銀の匙】です。で、その好評または、高評のよって来たる、理由を探したいと考えました。【提婆達多】は構想が、大きな、しかも、純粋な小説ですが、銀の匙は、一種の私小説ですよね。私に言わせれば、スケールが小さい。だけど、大勢の人が、そちらが上だというのは、それは、勘助の実体験に根差しているから、エピソードが生き生きしているからでしょう。と思って、中勘助の、人生の有様を知りたいと願って、wikipedia 等を丁寧に検索しました。

 すると兄(いわゆる長男)が、中勘助に、異様なほどに強烈な支配をしていたと、わかりました。しかも兄は、病気を患って、体が動かなくなります。なのに、どうも威張り続けたらしい。とはいっても、それは、大体の事です。もっと、詳しく知りたいなあと、思って、珍しく、グーグル検索を丁寧に、丁寧に、やっていくと、評伝代わりの書物があるらしいと、気が付きました。

 【中勘助の恋】という書物で、一見すると、評伝ではないみたいです。が、これが、中勘助の、実像に迫るには、一番、適切みたいなのです。で、本日、鎌倉の図書館から借りてきました。もちろん、本日借りて来たばかりなので、まだ、一行も読んでいません。しかし、私が今書きたいことは、内容の感想ではないのです。表紙について、あれっと、思い、そこから、さらにいろいろを、考えたと、そういう話です。この書物ですが、30年間、鎌倉市立中央図書館に保存されていたのです。よかった。初版本を読むことができて。今は、平凡社ライブラリーで、表紙(または、カバー)が、まったく異なるものが出版されています。人気が高い名著なのでしょう。

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副題2,著者は、富岡多恵子で、彼女の夫君は菅木志雄です。菅木志雄とは、前衛系のアーティストです。美術界では、とても有名な人です。しかし、一般社会における著名度の高さとして言えば、妻の富岡多恵子の方が、有名でしょう。それは、活字で、印刷する‥・・・つまり、オリジナルが、一つだとしても、そのコピーの大量生産が可能なので、文筆家の方が、有名になるのです。

 しかし、本日は、二人の間には、世間にさらさないで置く、秘めたる、深い夫婦間の敬愛があったのではないかと、気が付いたこと・・・・・それを語りたいのです。

*2)、良妻とは何だ?

 あさどら【らんまん】の【すえ子さん】が、朝ドラ、三大【賢夫人】のひとりだとする説を読みました。そうだろうと思います。が、すえ子さんを見ていて思うのは、自分の母です。私の母は、父が、不遇の時には、献身的に働きました。だが、家の中が、富裕になってくると、自分の方が上だと、いう感じを出していたと思います。それも父は認めていました。まあ、母が、堅実で着実な人なので、家が富裕になって来たから、それで、いいのですが、しかし、父がパーキンソン氏病と、脳挫傷を重複して、患って、寝たきりになってからは、母は献身的に父を介護しました。お金もかけました。当時は、すべて私費だった、元看護婦さんの専門的介護、お風呂サービスの利用。そして、お医者さんへの付け届け等。そして、自分の肋骨には、微細な骨折が入ってしまったそうです。明治生まれの男としては、父は体格が大きかったので、寝たきりになったら、反転させるだけで、大仕事だったのでした。その母ですが、父が死んだ後では、父の良いところだけを思い出すらしく、父をほめています。「お父さんに、先見の明があったから、不動産をたくさん買っていて、それが、値上がりしたから、うちが、富裕になったのよ。株なんかは、とんとんで、配当金を使えるぐらいのものよ」母の父は、明治時代の高商卒で、そこから株式投資熱は、始まっています。母は、実家からの遺産相続から小さく始めて、自分が、父の会社の経理を担当する結果もらうお給料はすべてを株に注ぎ込んで、大正生まれの女性としては、多額の資金を注ぎ込んでいました。だが、「資産形成に役立ったのは、やはり土地よ」と、言っていました。つまり、芸術家気質で、毎日、しんどい、かつ、つまらないことを繰り返すのは嫌だなあと、言うタイプの父のが、アイデアだけは、豊富で、それに基づいて調査をしては、熟考をして土地を買っていたから、富裕になれたというのです。父には、欠点もありました。母は、それも含めて受容し、敬愛の念を示す様になっていたのです。夫婦間の愛情という意味では、そういう実例を見て、私は過ごしてきたわけですが、

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*3)、1993年刊の【中勘助】の、カバー裏には、装丁家の名前が無かった。

 本日は富岡多恵子の【中勘助の恋】の装丁を、見ているうちに、その存在に気が付いた、多恵子・木志雄間の、夫婦愛について、語りたいです。

 上の写真は、私が手間を惜しんで、パソコンのキーボードの上に置いて、スマホで、撮ったものなので天井灯は、映り込んでいますし、色合いも本物とは違います。

 だけど、わざとこれをここに置いたのは、アマゾンなどの、古本紹介頁には、2000年に、再発刊された、平凡社ライブラリーの方が最初に出てきます。それは、利用してある図柄が、まったく違います。ので、私の主意を説明するために、1993年創元社刊の図書館の本の方の表紙の簡便な写真をここに置きます。

 なお、図書館の本とは、丈夫にするために、がっち、がっちに、セロテープで、巻かれています。だから、表紙と言っても、売り出し時には、カバーだったものです。

 だけど、全体から与えられる印象が、非常に品がいいです。30年前に、出版された書物なのに、新鮮味を感じます。

 絵、その物は(原画は、という意味ですが)、ウィリアムモリスのデザインです。

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 後半で、述べる河野多恵子の、【小説の秘密をめぐる十二章】(2002年文芸春秋社)という別の本にも、ウィリアムモリスの、原画が、デザインが使われていて、そこには、

 装丁  大久保明子

    装画 ウィリアム・モリス

       (壁紙用デザイン 「ジャスミン」)

      写真 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館

 という四行の説明があります。

 これが、文庫化されているのですが、文庫にはさらに派手なモリスデザインの、一種類が使われています。でもね。私は、富岡多恵子の1993年創元社刊の、【中勘助の恋】の、装丁のアイデアの盗みだと思うのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 どうしてそう思うかというと、私が本日借りて来た図書館の書物の方には、

 カバー ウィリアム・モリス「リンゴ」とあるだけで、装丁家の名前がありません。

 私は常になぞ解きを行っているわけですが、装丁家の名前がないからこそ、

  ここで、睡魔に襲われ、書けなくなりました。これから先、書く予定だったことは、河野多恵子批判です。

でも、二階から、一階に降りているうちにかろうじて、眠気が覚めたので、ベッドで、スマホを使って、音声入力をしました。短いので、推敲し誤変換を直して、スマホから、こちらへペーストします。前報では、スマホで音声入力した部分は、長いので、まだ、誤変換直しをしておりません。まったく意味不明になっているでしょう(苦笑)お待ちいただきたく。

 そのカバーデザインですが、富岡と菅の、夫婦の共作としてできていると思います。1993年創元社刊の、方の話です。

 だけどその時、菅木志雄はすでに前衛アーティストとして、有名だったから、装丁家として自分を名乗る必要がなかったのです。しかも、原画にウィリアムモリスを使う事は、彼にとってはまぁ恥であるっていうか何とか・・・・(つまり、自分の作品を使わないのに、装丁家として名前が出るのは、まずいと判断をしたと考えられます)・・・・で、名前を出したくなかったのでしょう。でも、短冊形・白抜きのタイトルをどこに配置するか? その短冊の大きさをどうするかなどについて彼は意見を述べていると思います。ウィリアムモリスの原画を使う事は、富岡多恵子の希望だったでしょう。

 一方河野多恵子は富岡多恵子よりも年上です。私も時々勘違いをして、二人を混同してしまうのだけれど、一般の方も、特にファンではない限り、二人を混同してしまうのではないかなあ。二人は経歴上、似たところがあります。大阪で、育ったらしいということ。しかも卒業した大学が同じです。

 それは、現在の名前は大阪府立大学ですが、その前身の大阪女子大が、二人の母校です。それと、多恵子という名前が同じ。で、とても似ているのですが、河野多恵子の方が、年上で、先輩です。で、先に有名人となっています。特に芥川賞をとっています。

 何の分野にしろ、階級的に、上に存在している人は、後輩が、伸してくるのを嫌います。ひどく怒るのです。織田信長の時代から、いまにいたるまで人は下剋上を嫌うのです。私自身、この件については、2002年ごろに、大学が、同窓で、6期先輩にあたる、渡辺幸子さんに、望月画廊内で、徹底的にいじめられてしまいました。当時、渡辺幸子さんは、新制作(展)に一般出品者として、出品し、わたくしの方は、国展(国画会)に一般出品者として、出品していました。その彼女が激高して、ひどいいじめを行ってきた望月画廊での、展覧会でしたが、それが2002年の二月のことで、それより前は、幸子さんの方が、わたくしに甘えてきていたのです。

 私は、パソコンへの攻撃がひどくて、自宅で、仕事ができない頃、錦糸町のジョナサンで、パソコンを打っていました。すると隣で、会社の労務管理役の課長が、あるカウンセラーと、労務管理の相談をしていました。これは、今思うと、100%CIAが隣に着席する様に送り込んできた、専門家でした。そのカウンセラーと顧客との会話を聞いているうちに、『あれ、是ってチャンスじゃあない? 私もやってもらおう』として、話しかけてみるとすぐさま、乗って来てくれました。

 この話を何年も後になって書くと、ネットの、私が、見ているサイトに、そのカウンセラーが、浮かびました。だから、100%CIAが派遣をしてきたカウンセラーでした。ただ、当時は、そのことには気が付かず、「私もついでに、見てもらえますか? 一万円のお礼をします」と、言いました。友達が、超有名カウンセラーに罹ったことがあり、その時、「謝礼は、1万円よ」と、教えてくれたので、そう、申し出でたのですが、「謝礼はいりません」と言って、その人は話を聞いてくれました。ところが、結論として、「そこから、引っ越しをしなさい」でした。

 つまり、雪の下二丁目では、すでに、いじめという弾圧が始まっている時期で、15年間、仲良しだった、大原光孝さんが、裏切ってきたころでした。安野智紗夫人と前田清子さんは、最初期からダメでした。だけど、大原光孝さんの裏切りには驚いて【ワインが割れて】というエッセイを実名を伏せて書き、メルマガで、発表しました。その筆力の高さに、伊藤玄二郎や、井上ひさしは、驚いたのだと思います。で、・・・・・この雪の下二丁目に置いておいてはだめだ・・・・・と、思ったのでしょう。だけど、私にしては、理不尽ないじめを受けて、逃げ出してどうなるのですか? だから、引っ越しません。それに、お話を交わしている最中から、心底で、「このカウンセラーは、敵方の回し者ではないかしら?」と思っていたのです。それは、当たっていたことが後日証明をされました。

 最近、登場している独立編集者、笠松敦子さん(大学ICUの同期生・・・・・新卒時、筑摩書房入社、のちにお子様が、障害があるので、独立編集者となってからも、豪華本、【失われた時を求めて】新訳本などを、多数編集)が、2008年、私がブログを始めた時、激しく「やめなさい」と、言ってきました。私はその時、何も返事をしないで、やめないという決断をしたのですが、彼女はこの時すでに敵方の人だったのです。

 この間、年賀欠礼を利用して、・・・・・R子さんの引きこもりのご長男が、25歳の時に自殺未遂をしたのだけれど、とうとう、53歳で、実際に、亡くなったのね・・・・・・と、言う間違った、ブログ文を書く様に引っ掛けてきたので、とうとう、はっきりと、てきがたの回し者であると、このブログ内で、書き始めています。

 そして、本日新たに、その事には、2008年から気が付いていたのだったと、かき始めています。文章を書くのをやめなさいと命令してきたのは、桜井万理子東大名誉教授もその一人で、2006年か、7年ごろだったかな?

 しかし、一番つらかったのは、時枝ひろ子さん(旧姓西大寺さん)が2003年ごろ『文章を書くのをやめなさいと、言ってきて、その裏に、井上ひさしが、いたらしくて、彼女が私から、はっきりと去って行ったことでした。そのつらさを思い出させてやろうとして、安倍晋三元総理大臣、奈良県西大寺で、山上徹也に殺されました。衆人環視の中でね。衆人環視の中での殺人という、それだけの、目的で、安倍晋三氏は、殺されたのです。

 どうしてかというと時枝ひろ子さんが去って行ったことが、他の誰が去るよりもつらいことだったからです。だから、西大寺という時枝さんの旧姓と、同じ、地名で、作戦が、実行をされました。私は、各種謀略事件は、実際は、警察の秘密部隊が行っていて裁判にかけられている保見も山田浩二も、植松聖もやっていないのだと、語っています。それを嘘にしていくという目的と、

 私を苦しめるという二重の目的がいまだ生きている井上ひさしの方にあったわけで、安倍晋三さんは、殺されました。

 さて、カウンセラーに戻ります。彼は、「引っ越しなさい」と、命令したわけで、その点は、「おお、やはり敵さんの回しものだなあと、今では、はっきりと言えるのですが、特にこのエピソードをこのブログの世界で書いたとたん、ネットの紹介ニュースとしてカウンセラー集団が何をどうしてこうしてとか、言っていたので、『おお、やはりそうだった』と、なっとくをしました。

 ただ、悪い事ばかり、やったわけでは、なくて、私自身が気が付いていない私が内包している、一面を教えてくれました。それは、心理学的に言うと、ひどく成熟していて、母を支えているのは、私だと、言う事です。一時期の愛子さまと雅子様の関係と同じです。

 私がこの雪の下の連中が企んでいる事、銀座の画廊ガレリアグラフィカのオーナー栗田玲子さんが企んでいる事、それから、高校同期の、宇都宮和代さんが企んでいる事、すべてを見通せてしまうのは、それらの、人物よりもはるかに心理学的な成熟が上だと言う事です。豆腐屋【うかい】における、2014年のたくらみが終わった後で、夜九時ごろ、宇都宮和代さんに電話をかけて、「あなたは、栗田玲子さんを知っていますか?」と言っただけで、パニックに陥った和代さんが、「知らない」って叫んで、電話を切ったのです。それなど、同い年にもかかわらず、彼女がどれほどに、幼い心理状態にあるかを示しています。尚、栗田玲子さんと宇都宮和代さんは、国立大学西洋史学科卒として、仲良しなのです。丸の内線茗荷谷駅を最寄りとして、旧制教育大学(現在の筑波大学)と、お茶の水女子大は、ご近所同士でした。教育大学の方が、栗田さんで、お茶大の方が、和代さんです。イタリア留学でも、親しいし、離婚経験者という意味でも、親しいのではないかなあ。和代さんは、非公開だけど、離婚を経験していると、推察していますよ。

 だって、クラス会の満座の中で、「最近、調子が悪いの。なぜなのかと考えると、恋愛をしていないからだと、気が付いた」と述懐をしたのですよ。ものすごく堂々と。そして、その日の彼女の美しかったこと、美しかったこと。新しい恋愛が始まっていたのでしょう。アレジの実質婚の、妻となった、後藤久美子とどっちがきれいだろうと、言うほどにきれいでした。

 栗田玲子さんは、自分の手元に、山本容子、ヤマザキマリなどのイタリア留学済みタレント(インテリ系)を擁していて、伊藤玄二郎のアイデアに応じて、提供しています。尚、池田理代子さんは、教育大学の縁で、長谷川智恵子さんは、美術の縁で、塩見和子さんは、富裕な女性同士の縁と、CIAエージェントたちの紹介で、グサッというほどに強い縁を結んでいるのです。そして、酒井忠康、渡辺幸子、平野和子、栗田玲子の、包囲網。それらを駆使して、激しい弾圧を加えてきた女性です。まだ、まだ、触れていないけれど、山脈の中の名峰と例えれば、穂高か槍ヶ岳に筆答するほどに、大きな存在としての、CIAエージェントです。

 さて、この青いフォントの部分は最後の行で、締めくくられます。つまり、渡辺幸子さんと、私の間には、年齢差が後妻あって、私の方が年下ですが、ありとあらゆる点で、彼女は子供であり、私は、はるかに高く成長した大人なのです。

 だから、2002年の二月、彼女が誤解に基づいて大きく裏切ってくる前までは、幸子さんに甘えられていた私は、幸子さんのことをよく知っていると、言うわけです。お父さんが破産をして、一家の経済力となるために、ICUを早期退学して、高卒の資格(?)で、JALのスチュワーデスとなり、実家を支えてきたと、言う事まで、知っています。そんなことまで、知っている、彼女が、なぜ、急に裏切って来てひどいことをやる様になったのかは、一種のミステリーで、私は、謎解きに挑みます。だって、2007年ごろには、命が脅かされるほどのことを彼女からやられるのですよ。そして、その分析の際・・・CIAの対私攻撃パターンを読み解くこととなります。平野和子さんが、画廊ボーをやめたくせに、銀座にひらひら表れて、嫌がらせ行為をするのなど、こちら、雪の下二丁目で、偉そうに何度も同じことを繰り返した渡辺賢司夫人のそれと全く同じです。だから、起こった私は、彼女を、 madame pig shaped head とよびました。嫌がらせの効果が表れた年汁彼女は挨拶もせず、後姿を見せて通り過ぎるから、後姿を、詳細にみていると、NHKの人形劇、ブーフーウーの子豚にそっくりな頭の形をしているのでした。そして、それは、この雪の下でも、平木伸明さん一家の政治的役割と、なぜ、ご長男が、推薦で、東大へ、入学することが出来たのかを読み解くのに非常に役立っています。

 その詳細は、別の章で語るとして、私は、そこで、学んだ、政治と心理学の融合の、観点から、河野多恵子の傲慢と嫉妬心を、知覚するのでした。

 特に、失礼ですが、河野多恵子の方が、富岡多恵子よりもお顔がまずい。しかし、作家としては、自分の方が上だと、言う意識はある。そこにアンビヴァーレンツが生じます。

 非常に複雑な感情が生じます。

そしてヘンリー市川生和ロールご主人は日本では素描しようほど有名ではありません00子曰く言い難い子嫉妬の感情があって、ウィリアムリスを自分のヒット作に使ったのでしょうね。小説家の秘密をめぐる十二章は雑誌【文学界】で連載していたそうですから、そこで既に好評だったのでしょう。だから単行本として出版すれば、絶対に話題作になると言う確信があって、つい富岡多恵子に対する嫉妬心が影響したアイデアの剽窃があったのだと思います。原画=ウィリアムモリスを使うと移転でです。しかしね、これが文春文庫に取り上げられて、文庫として、発刊される際にまたもやウィリアムモリスを使っています。しかもとても華やかな明るいカラーのものを使っています。ただ、それは、まだ買っておらず、自分のものではないので、ここに、画像のコピペは致しません。

 でも私の様に、一応前衛アートを専門にする人間から見ると、これはねオリジナリティーに対する尊敬のない態度であって、受容できない嫌な態度と言うことになります。画家としては、本当に恐ろしい行為です。。本人は気がつかない場合もあるでしょう。けれど、銀座の画廊街で、こういう作品を見つけると、まゆひそめるのが普通です。

 私はね図書館で借りてきた後の、22時ごろ、自宅にあった河野多恵子の方を、引っ張り出してきて2つを比べてみているわけです。

 創元社で、1993年に出版された富岡多恵子の、【中勘助の恋】から、文春で2002年に【出版された小説の秘密をめぐる十二章】の出版時間差は、19年です。二冊を目の前で、比較する私から見ると、(繰り返しになりますが)、アイデアの剽窃と言えます。

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 まだ、村松友視が、竹久夢二の、マッチのデザインを使った書物【幸田文のマッチ箱】のケースの方が、ずっと素敵です。竹久夢二のデザインを使うと、類似性を感じないのは、竹久夢二って、一応画家だからです。スタイルはあります。誰が見ても、夢二だと、わかるスタイルがあります。しかし、ウィリアムモリス程、各デザインが似ている作品ではないのです。ウィリアムモリスは、壁紙、または、木綿の生地へのプリント用に、模様を開発した人だから、取り上げる植物名は、違っても、印象がよく似ているのです。

 あ、ここで、大変嫌な挿入に入ります。その【幸田文のマッチ箱】も、すでに、無いです。これは、八重洲ブックセンターで、あまりに表紙が美しくて買いました。もちろん、カバーの事ですが。

 先程、この章を、評伝という方向で、まとめようとしていて、ドゥース昌代の【イサムノグチ】を探したら、無いのです。

村松友視は私が、この書物を、メルマガで、取り上げた後で、タウン誌【かまくら春秋】で、連載を始めました。そのころ、こちらが盗まれたのだと、思います。したがって、他の書物もすべて、例の四種の泥棒が盗んでいるでしょう。CIAエージェントの命令によってです。

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 ところで、大久保明子さんをググってみました。すると、最近では大変有名な装丁家として活動している人でした。又吉直樹の火花とか市川紗生の【ハンチバック】とか。そして、パターン化していない作り方で、村上春樹の【猫を捨てる】などは、中学生時代の絵画を思わせる素朴さです。

 ただ、火花と、ハンチバックは、使っている明るい茶色が似ている色ですね。

 まあ、伊藤玄二郎と、いまだ、実際には、生きている井上ひさしが、何言っているんだ。「お前の100億倍の、お金を稼げる女性なのだぜ。引っ込め」と、言いながら笑っていることは、知っていますよ。だけど、・・・・・私が勇気をもって、少数意見でも、それを述べる人間である・・・・・ことは、ここでも、発揮させていただきます。

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 河野多恵子の、【小説の秘密をめぐる十二章】は、買ったときは、面白いと思って読了しました。しかし、そのころは、インターネットが無くて、河野多恵子をめぐる諸事のエピソードを知らないで、過ごしていた時期です。

 本日=2023-9-21に、一番驚いたのは、文芸家協会への永山則夫の推薦を拒否して、その時、「だって、私怖いです。そんな人が入ってきたら」と、矯声もどきで、発言をしたのだそうです。その状況は、ウィキペディアからとって、%%%%%罫線以下に置きます。

 私は河野多恵子の、その発言にあまりにも驚いています。私は、その【小説の秘密をめぐる十二章】しか読んでいませんが、産経新聞のホーム頁に、【不意の声】に対する、感想がありました。すると、そのあら筋は、以下のごとくらしくて、その部分だけをコピペします。

 「不意の声」は昭和43(1968)年、「群像」2月号に発表され大きな話題を呼んだ作品だ。河野多恵子は41歳。芥川賞を受賞して5年、作家として脂が乗り切った時期に書いた長編だ。新聞、雑誌の文芸時評にこぞって取り上げられ、「劇的迫力のすさまじさには、河野氏の才腕をまざまざと思わせるものがある」(篠田一士)という声があがる一方、「この作者は資質的にムリしているように思えてならぬ」(平野謙)という声も出た。 翌3月の「群像」では武田泰淳、本多秋五、野間宏の3氏による創作合評が行われ、「亭主を殺しているの?」「亭主じゃない、全然わからない男だ」「それはあとなんじゃないの」「ちょっと待って。おかしいな。これは大問題だぞ」と、名うての読み巧者を大混乱に陥れている。
 作中には3つの殺人が描かれる。
主人公の吁希子(うきこ)は夫と諍(いさか)いが絶えない不幸な結婚生活の中で亡父の亡霊を見るようになる。ある日「出て行け」といつになく執拗(しつよう)に責め立て暴力をふるう夫に憎しみが「募りきり」、殺害衝動に突き動かされる。導いたのは父親の「不意の声」だ。
 「やってみるがいい。大丈夫だとも、三人までは…」
 小説には3つの殺害場面が登場する。1人目は「この事態を知らせたくない」と思う老母。2人目は結婚前に付き合った男の小さな息子。3人目はゆきずりの男。実家の居間、幼稚園の帰り道、自宅のフロ場。日常的風景の中に落とし込まれた凄惨(せいさん)な場面が恐ろしい。 「どうだ、楽になったか? 今夜はゆっくり寝ればいい」
 父親の声を聞き、吁希子は冷蔵庫の扉を開ける。
 「蒼白い庫内灯の光りを受けて冷たく眼を閉じている男の横顔に見入り、こんなにおとなしい人なのに、どうして往かせてしまったのだろう。悔いと慕わしさに迫られる慰めを求めずにはいられなかった…」

 この内容こそ恐ろしいでしょう。永山は、ピストルで撃ったのです。だから、ある程度離れていますね。だけど、こちらの場面では、手で、相手を殺しているのです。

 二つの場面は、相似形であり、だから、一種の近親憎悪として、永山則夫を、拒否したのかしら?

 富岡多恵子に対しても、大阪出身、同じ大学を出ている。同じフィールドに進んだ。かの女と富岡多恵子は、一種の双子みたいなものだ。だから、富岡多恵子に、一種の近親憎悪みたいなものを抱きましたか?

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 それほど、残酷な文章を自分が書いて置きながら、なぜ、永山則夫を、忌避するのか、それこそ、近親憎悪に近い感情のむき出しという、子供っぽさを感じますね。ひどくひどく狭量で、女の小ささを、全面表示する嫌なタイプです。結構、小さな社会である、日本文芸家協会ではボスなんでしょう。

 

秋山駿加賀乙彦の2人[注 24]が推薦人となり、日本文藝家協会への入会申請を提出したが[113]、入会委員会(委員長:青山光二)は2回の話し合いで入会拒否を決め、同年3月5日に理事会でその旨を報告した[114]。拒否の理由は「協会の定款第10条にて『法人の利益に反し、又は体面を汚した』ものは除名することが規定されており[注 25]、永山が入会すれば即これに抵触する」「協会は会員の権利擁護をしなければならないが、永山に対しては会員の多くの心理的抵抗感が強い」などだった[注 26][113]。しかし同日、加賀が永山からの「自分は拘置所内での著作活動を通じて著作権を持つ人間だ。『殺人犯だから入会させない』というのは、著作権保護を重要な仕事とする協会の設立趣旨に反する」とする申請取り消しを伝える手紙を読み上げ[113]、5月には入会拒否に反発した中上健次筒井康隆柄谷行人[116][117]井口時男が相次いで日本文藝家協会からの退会届を提出し[注 27][119]、脱会した[117]。また同月には川村湊らが「協会の対応は納得できない」として入会拒否の撤回を求め[113]、6月に開かれた定例理事会でも「永山の入会問題を考えるための小委員会を設置する必要がある」とする意見が出たが、同会(理事長:三浦朱門[注 28]は7月9日までに開かれた定例理事会で「手続きは従来のままで問題なく、是非は運用面で判断すべき」という意見が大勢を占め、小委員会は設置されなかった[118]。その一方で1996年(平成8年)にはドイツ作家同盟・ザールラント州支部から会員として受け入れられている[120]

 

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円マークを入れるという妨害行為。誰がやっているのだ? この電話は録音しますと、最初に相手が言うのはなぜか? あなたはお分かりですか?

2023-09-20 21:59:45 | 政治

 最初にお断りを申し上げます。警察とか、代表的CIAエージェントの、ひさしとかから、一瞬にして大量の円マークが送り込まれました。やった人間は、桜田門に住んでいる(主に昼間)警察か、鎌倉の森の中でら、パソコン破壊用のショートカットキーをもらっている、井上ひさし(いまだ生きていますよ。公的には死んだことにしていますが、未だ生きています)ですが、その目的は、このブログ文を壊すことです。が、その頭脳レベルの単純さに、ただ、ただ、驚きます。警察の特殊部隊が、この文中にれ込んだ 円マーク=¥ですが、一瞬にして、*A*の部分で、1051文字、*B*の部分で、203文字入れられています。

非常に単純です。だってそこで、警察が行っている悪を書いて居るから読者が読めない様にさせられれているわけでしょう? なぜ、そんなに単純化するかというと、例の悪女様、安野智紗夫人を助けるために、最初の悪=パソコンを破壊する=を行っているからです。その因果関係を私が読めないとでも思っているのかしら。とも買う、安面夫人と連携すると、40歳でも、80歳でも、バカ化します。

副題1、『パソコンが壊れて、サポートをメーカーの窓口で、お願いしようとすると、・・・・・この電話はサービス向上のために録音をさせていただきます・・・・・と、よく言います。あれですが、今は、企業相手の電話は、必ず、冒頭に、その言葉が付きます。また、ルフィなどという、泥棒が大げさに大げさに、報道をされていますが、あの手の特殊詐欺を防ぐために、個人の固定電話にも、その種の前置きを入れるサービスが始まっています。あの中尉は、どういう目的でいれられているか? あなたは、ご存じですか?』

必ず、前報の続きを書きます。ただし、18日と、20日はパソコンが壊れて大量の時間をとられたので、本日は、やや、遠回りの話から開始させてくださいませ。時間や体力がないからです。でも立ち上げた話題を忘れるわけでははなくて、必ず、戻っていき、伏線が回収されるでしょう。最初っから、全部は書けないのです。だって、パソコンを使う場合、それを壊してくる相手は、桜田門の精鋭部隊です。書ききれないうちにパソコンが壊されてしまうからです。ワードや、図版(アドビのアプリ)が壊されるのは、2005年ごろから始まって、現在まで、続いていることで50台ぐらいパソコンが、壊されているのですが、最近では、OSへの支配がはじまっています。ここ、10年は、それが目立ちます。しかもサポートの後ろに警察がいて、途中で、切り上げようとしたりします。

 今日はNECのサポート(Ms T)と、大声で、喧嘩しました。

 「あなたがさっき、保留にした間に、上司に言われましたか? その相手=私の事は、頭がおかしいから、もう、教えなくてもいいと。その上司の裏には、警察がいます。今、終わってしまったら、問題が解決しません。よく、この電話は録音しますと、言うでしょう。録音されて結構です。録音された方がいいのです。だって、わたくしのパソコンを壊すのは警察ですよ。そして、今、あなたが保留にした間に、何か、他のパソコンを調べてくるのかと、わたくしは思いました。で、その結果、ちゃんと教えてくれるのかと思ったら、反対になりましたね。

 *A*の挿入部分、これ以降一瞬にして、¥マークが1051文字入れ込められた。

だから、用心して、同じテーマでも、最初は40%ぐらいの浅さで、書きます。だんだんほかの現象 👉

 *B*の部分、これ以降213個の¥マークが一瞬で入れ込められた。

 

👉の解析などで、真実が、大量に出てくると、平木さん問題(わたくしに苦痛を与えている安野夫人に協力をするので、ご長男が推薦で東大へ、入学できた。普通の推薦入学ではない)にしても、語りやすくなってくるのです。したがって底流としては、以前書いたことの続きを書きたいと思っているのですが、現在の自分が、書ける範囲と、書ける短さのものしか書けません。恐れ入りますが、そういう体力なのです。

 で、一時間前には、この文章の総タイトルを、【平木伸明さん一家が、CIAに優遇をされ始めたのは、平成の八墓村事件の時からである。】としておりました。しかし、パソコンサポートの様子を詳細に書き始めたので、そちらは、本日は、取り組みません。

 なお、上においてある、NECサポート Ms Tとの対話において、バックを薄緑色で、影をつけた部分は相手に向かって、私は、実際には発言していません。お互いにそれまでのやり取りで、わかっている部分だからです。ただ、ただ、今、ここをお読みいただいているあなた様の御理解を、いただくために、添えている部分です。

その「保留にしますので、ちょっとお待ちくださいませ」と、彼女が言った、直前に彼女は、紙のメモ、または、私には、見えない(聞こえない)何らかの連絡方法で、上司に、「ちょっと、保留にして私のデスクに来てください」と、命令をされているわけです。で、たった1,2分で、彼女が命令に従って、私のサポートを切ろうとしたとき、私は、大声で、電話に向かって怒鳴りました。上司の後ろに警察が居るでしょう。私って、何もかも見通しているのですよ。と、ここまで、言ったときに、突然、彼女の態度が変わりました。しかし、もし、彼女の態度が変わらなかったら、以下の三つのことを言うつもりでした。

 私が最初に待たされている15分程度の間に、警察はお宅のサポート部門に、私の事を、不親切に扱う様に言いつけましたねだ。だから、女史を出してください。上司と直接話をしたいです。

 しかし、三つ目のことは、考えて居るうち(ただし、一瞬ですよ)に、ちゃんと声で、発音することに決めました。それは、

 「あなた、または、上司から私のことを頭がおかしい人間だから、相手にするなと、言われましたか? それとも、テロリストだから、相手にするな」と、言われましたか?

 この頭がおかしいと言う方ですが、昔有楽町駅で、刑事が化けた駅員に、言われたことがあります。藤沢駅からZZZ円を払って、新橋駅までの切符を買ったのです。そして、新橋に降りる予定を変えて、有楽町にしたので、延長料金を支払おうとしたら、清算窓口から、生産県が出てこないのでした。30分後で、絶対におかしいと思ってもう一度戻ると、その禿頭の高橋と名乗る、50代の男は、消えていて、正式な、または、本物の、JR東日本の駅員が出てきたので、事情を話すと、彼は、カギをもって、清算期の裏側に回り、清算期を開けて確認をしてくれました。

ここから先は音声入力で、文字を入れているので誤変換多発でしょう。だけど、本日、直している体力がありません。後刻推敲いたします。

その日ね私は藤沢の年金機構に行っていたんです。そこに行く事は警察が知っていたのですどうしてかと言うと現金支払い証明書が盗まれていたからです結んだのも警察から合鍵をもらっているを金城様に検討または警察そのものの4種類の泥棒が盗んだと思います税務申告の領収書外何度も何度も子結ばれています。それは3月のことで3月16日が税務申告の締め切りです。頃中以降だいぶ変わったみたいですが、これは2千13年なので、まだ、3月16日締め切りが厳密に守られていた頃です。3月の10日ごろにね、年金証明書がないことに気がついて、びっくりして、藤沢の年金機構に行ったら、4時半までの締め切りで、あなたはもう使えませんと言われました。あの頃は何をするにしてもいじめられていましたね。全部警察が裏にいるでしょだって盗んでおいてね。再発行してもらいに行ったら、時間が問題で今日はできません。て言われるんです。だからもう一回行きました。でね。鼻腔がついてるってよく言いますが、鼻腔がついてなくても藤沢に行くだろうなって言う事は見なされているんですよ。推察されているで前の日に4時半ではダメだったから。2時ごろ藤沢に着くように出かけました。年金機構事務所を出たのが3時ですからね東京行って頃巡りができると思いましたでたいていは鎌倉から新橋までの切符を買いますでそのつもりで新橋まで帰りましたその日も藤沢からね新橋までの切符を買いましたところが新橋につくとここから始めたんじゃ今の時間ではギャルリーユマニテには行かれないなぁと思いました。私はユマニテには絶対行きたい人なので、有楽町まで電車を延長したのです。つまり、東海道線を降りて山手線に乗り換えて有楽町に降りたのです。するとね、有楽町の精算機が壊されていたわけです。年金の葉書を盗んでおいて、絶対に藤沢の年金以降に行くだろうと見ていて、 年金機構のパソコンをハッキングしていて、川崎千恵子の証明書再発行したのも把握しておいて、そして藤沢駅の切符販売のパソコンにも侵入して、切符を買ったのを確かめて、そして新橋駅じゃなく、有楽町駅に降りたのも確かめて、瞬間的に有楽町南家の精算機を壊したのです。ただそれだけではなく、改札口に刑事が変装した高橋望と言う禿頭の駅員を配置していたのです。私が精算機はおかしいですよ。どうか確かめてください。後から行くと全然おかしくないよ。藤沢からの切符なんか入ってないよと言うのです。で、何回も押し問答してるうちに、彼は私に向かって他の乗客大勢に聞こえるようにそうですね。4時半ですから買い物から帰った人たちが、大勢改札口を通るわけですが、その人たちに聞こえるように大声であんた頭がおかしいんじゃないのと言ったのです。警察はこの件では葉書の泥棒、これはご近所様がやってるかもしれませんが、合鍵をもらうことが誰からもらったかって言えば警察からでしょだから警察が盗んだといえます。それから藤沢の年金機構の巣箱に入ってる川崎千恵子って言う名前で証明書が再発行されたのを確認している。  それで税務申告は忙しくて、まだ銀座の画廊巡りをしていないから、東海道線を使って銀座に行く可能性があると推察をされて、有楽町駅新駅舎が配置されていたのです。本当の金じゃない刑事の変装した駅員が家をされていたのです。そしてその男から斎藤の高橋望と言う男です。50代なんて頭がおかしいんじゃないのと衆人環視の中で怒鳴られることになりました。私はね。 それで税務申告は忙しくて、まだ銀座の画廊巡りをしていないから、東海道線を使って銀座に行く可能性があると推察をされて、有楽町駅に駅が配置されていたのです。本当な金じゃない、刑事の変装した駅員が家をされていたのです。そしてその男から続投の高橋望と言う男です。50代あんた頭がおかしいんじゃないのと衆人環視の中で怒鳴られることになりました。私はね。一旦すごすごとその場を去って有楽町駅近傍の画廊23軒を見た。後でやっぱりこれはおかしい。今日は今寝てまで行かれなくてもいいからもう一回帰って彼に問い合わせてみようと考え直して有楽町駅に戻りました。すると彼はいなくて、結局その日2度目は、絶対現れませんでしたよ。もう帰っていたのかもしれませんね。築地警察署に。ともかく、普通の駅員が出てきました。そして彼は私の説明を聞くと、鍵を持って精算機の裏へ回ってきました。000@鍵の音がしました。そして精算機の中から藤沢新橋と言う切符を見つけて私に返してくれました。先ほど私は高橋望から藤沢有楽町のお金を払えと命令されているので払っています。そして領収証もらっています。なんでも税務申告するわけですから全部私に領収書をもらっています。でその領収証返さないで、駅員に高校こういうことがあったんだよ。ほんとにひどいなぁと言って、自分が本来生産的に入れ込んだヒップをもらって帰りました。大きな証拠になりました。警察がどんなに子23時うにいじめてくるか、そしてね、井上ひさしの命令でしょうが、JRは有楽町の特に南口改札口近辺は大改装しました。全く変わりました。駅事務所がとても広くなって、南北に長い形になりました。昔の禿頭の高橋望がつめていた日事務所はなくなったのです。こういうエピソードを頭の中に浮かべた上で、2023年6月20日、私はNECのサポーター水. he's a demon cat

 

で、サポート担当のMsTni

に向かって、こういうこともあったのですから、警察がこの障害起こしてると考えます。で、あなたに治し方を教えないようにと言ってるのも警察でしょ。何でもいいます。録音されてもいいんですよ。はっきりね。録音されたほうがいいんです。日本て子憲法が守られていないんです。民主主義国家じゃない。私は原発に反対です。そのために言論弾圧を受けているのですが、こんなにこねくり回回した形でね。言論弾圧を受けるんです。何度も言います。どこをされてもいいんですよ。警察が悪いって言うことをちゃんといいます。それが広く広まって欲しい日本はね、本当にひどい国なんですと。こういうところまで言うと、突然警察が飯出したらしいんですよ。それでサポートが進行し、私が抱えているその時の問題、まだバッテリーが充分使えるのにもう使えませんと言う形で指標が出るのです、昨晩100%に充電して寝たはずなのに、次の日使おうと思うと全く起動しません。私がもう50台近くパソコンが壊されたと言っていますが、そのうちの何台かはこれと同じ仕組みで起動しないと言う。そういう故障だったかもしれません。だけど2023年9月18日は、どう考えてもおかしいと思いました。今リチウム電池を使っているためにパソコンは炊いて10時間以上外で使えると宣伝しています。今怖いされたパソコンは大きいんです。重いのです。だからほとんど外に持っていきません。したがって壁の100ボルトプラグにコンセントを差し込んでアダプターを使いながらパソコンを打っています。だからバッテリーがダメになる可能性ないんです。しかもねパソコンのバッテリーがもう弱っていますよと言う警告は全く出ないで急に100%ダメになるなんて、メーカーのNECさんの歌詞ですよねミスですよね。もっと昔 親切だったでしょう。いろいろな警告が出て、そして対応できるように設計されていましたね。笑10 821本日明日か2回も必ず100%充電して寝たのに次の日画面が真っ黒で起動しない。これも警察がやっているダンスの種です。剣道ね私ね去年ねもっと軽量で持った感じが良くて、外でそれを使っていても他の人に引け目を見せないパソコンお秋葉原のソフマップ6号館で新品だけど、展示品と言う形で半額で買えました。普通240,000円なんだけど120,000円で買えました。それがねー。本日のNECとおんなじ現象で外で使えなくなりました。今ね。スターバックスが電源の提供してないのかな?ケンタッキーフライドチキンもしていません。まぁこれはね私が使う可能性のある場所の店舗だけの話かもしれません。私が全然使わない赤羽とか、日暮里のスターバックスだったら電源が提供されているのかもしれません。だけど電源が提供されない食べて提供されない。図書館でも提供されないとなると本当に危うく二台のパソコンが圧倒的に使えなくなる。そうすると120,000 +120,024 −損失を被るところでした。日本中何台も壊れたっていうのの中にこういう異常があったのではないかと今になると思っています。去年のダイナブックの同じ現象もすぐ気がつかなかった。私は念のためパソコンと言って何台も持っていて、ちょっとおかしいと他のパソコンでブログを書いたりしてしまいます。だから保証が固定化してしまいます。しかし全く同じ現象がにだいめとして起こるとさすがに気がつきますよね。それで18日の月曜日NECのサポーターMRエスと話し合って一応解決したと思ったので、そのあとでダイナブックにかけていました。電話サポートね。すると驚いたことに同じアプリ。つまりバッテリーの状態を相当詳細に知らせてくれるアプリがダイナブックにはないんですってスタートメニューで小さいアイコンがバッテリーがゼロですよ。といっても、別のアプリでしっかりと確かめてみると、まだまだバッテリーはちゃんと使える状態なのです。これはマキタのスティック型掃除機でも起こされてる。買ったばかりなのに、使えなくなっている。充電器をつけておかそうとしても動かない。これをねブログで書かないでマキタのサポート工場に行って直してもらえるかどうか聞いてから書きたかったんですけれど、あらゆる電化製品にこういう破壊行為が行われています。大樹さんなんかね。おぼっちゃまが東大で推薦入学になってこれから先何億円もの収入が見込めます。奥様も鎌倉市役所に勤めることができています。坊ちゃんたちが中学生になってからですからもう5年以上ついていますね。そして朝10時から午後4時までと言う優遇的スケジュールで進めることができています。1,100,000円の限度いっぱいの収入であっても、5年で5,000,000円です。それと再就職の先としてもスーパーの商品並べ方とかレジ打ちとか言う仕事に比べればものすごくかっこいいです。私はこの優遇時間帯は市長秘書やってるから可能な勤務時間帯だと思っています。だってね。大部屋勤務でこんな優遇策を被っていたら、他の人がね。労働意欲を失います。それはね市役所全体としてもモラルの低下を招くでしょ。だから熱行の壁で外部から遮蔽されている市長室に勤務してる人なら自由自在です。もちろん男性人がいるでしょ。貴重品は全部で3人以上はいると思います。その1人です。とても綺麗だからぴったりでしょ。上品でねあぁその反対に、私の方がどんな被害を被ってるか、1982年息子が中級の私立中高一貫校一貫校に受験したのに、日向とも駄目だった。そしてそのことをからかうように、小田歯科医院の治郎院長が、何度も何度もお孫さんの私立中学合格、鎌倉学園、立教中学、慶応普通部と全部成功したんですよって言うことをえぐるようにおっしゃる。でね。たまらなくて先生それはいつのことなんでしょうかと聞くとずっと前なんですよ。もう社会人なんですとおっしゃるのです。でもね、私がそれを質問する前には、本当にまるで昨日のことのように嬉しそうにね。自慢なさるんですよ。その反対に音啓さんのご長男の灯台推薦入学があり、1986年の休の家の次男の国立大学附属高校ご入学があるんです。でも子安野家の次男は、鎌倉市立御成中学校で通信簿日人にしかないと言って有名なお子さんだったんですよ。男12-12の阿比留さんと言われていたんです。だけど、国立大学の付属高校にお入りになったそうです。私が出かけるときにわざと聞こえるように、石川和子さんと休の記者夫人がそのことを言わしちゃっていました。だから私に被害を与え、私の周りにいる人に格別な利益を与えるって言う事は、北久里浜のような奇跡変更届、神戸で長谷潤くんの首がちょんぎられて、肛門の辺の上に置いてあり、胴体は水道山のタンク下に置いてあったあの事件と連動しているんですよ。瀬島隆三と松山市重雄、中国、最中のすみきち杉本秀一理子夫妻。またケーキ生の誰か重役個人名が分かりませんが、まあさんかなぁと思ってるんですけどね。わかりません。ともかく京急の誰かが結託して、横須賀市の水道代もタダで集荷したさせたので、私まぁね、当時法務局でたくさんのお金を出して構図とか登記簿謄本をとっており、あらゆるポイントで彼らの悪事を証明できるようにしております。ところが段ボールいっぱい保管していたその書類が一切盗まれています。まぁね。ニューヨークに行ったりパリに行ったりして、それも旅行じゃなくて滞在型でね。長時間いなかったわけです。主人も外出します。子供も会社に行ってます。その間に自由に入れる入れるわけですよ。だから証拠は今手元にはありません。だけど、その一味がCIAエージェントの大物瀬島隆三だったために、私は今こんな苦労してるんです。でもね、鎌倉エージェントの1人である井上ひさしが、あの酒、鬼薔薇、榊原生徒の声明文を代筆してると思いますよ。だから小さいからすべての書類を廃棄させたのです。結局ね、筆跡鑑定師なんかなんで書かれているか筆記用具など特定すれば、それが井上ひさしの愛用の万年筆だったりすれば、結局彼が書いたことがばれるわけですよ。。 

 

 ここが、書きかけ中の最先端です。以下は、当初、書き始めたメモです。

しかもパソコンの世界以外での大きな流れとして、敵さんは、わたくしのお金を減らしてやろうとして、ありとあらゆる手を打ってきています。

副題1、『反町のアパートの二階のトイレが壊された。誰かが二人係でかつ道具を使って、便器総体を床からはがして、5cmぐらい動かしたために、穴に水が入っていかないと、言うことになっている。

 だけど、二か月ぐらい前の話で、・・・・・どうせ、警察の別動隊がやったことだろうなあ・・・・・と思ったので、警察に被害届を出していない。

ほら、平成の八墓村という事件当時は、週刊誌等が大騒ぎをした、周南市の山間の集落、金峰の五人殺しも、事件が起きたのは、日曜日の夜で、わたくしが、火曜日(23)日から、真相を書き始めたので、今では、一切週刊誌が取り上げない。殺人を犯したとされる保美容疑者は、死刑判決を一新でも、二審で儲けているのに、

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デリフランス鎌倉店で、半分腐った物を食べさせられてしまった。で平木伸明さんは大はしゃぎ。O-158で私が死ぬと考えた?

2023-09-18 20:20:00 | 政治

 ところで、今は夜の18日の11時です。総タイトルを変更します。

別にビビったわけではなくて、そこまで、到達できない見込みが出て来たからです。いずれ、一番目の総タイトルだった【養老先生って、伊藤玄二郎から頼まれた子供を、東大へ推薦で入学させる特権を持っているのですか?】は、書くでしょう。だけど、18日の夜ではない。で、二番目の総タイトルが、【全国の漢方薬局さん抗議をして。パンダの鼻風邪が漢方薬で治ったという元上野動物園の園長の話を聞いて、有吉が、ほんとかねと、バカにしたのだった】としていました。ところで、19日の夜九時から推敲を始めますが、そのついでに、総タイトルを、以下の文章の後半を生かした三番目のものといたします。

 前報(後註1)の続きとか敷衍を書くべきです。それは、大変緊迫した文章だからです。ただ頭は、横須賀市立・大津小学校で、1978~9年に一年と二年を受け持っていた、ワタナベ先生(前報までは、W先生と記載をしている)のどす黒い人格が、何をしたのか。また、彼女は、どういう人生経験を重ねてきた人なのか?を書きたいと願っているのです。だって、公になっていないけれど、お母さんが、一人自殺をしています。それと、ワタナベ先生と密着をしていた別の、あるお母さんがいて、その娘が、後日、自宅へ放火をして全焼させたと、言うケースも出てきました。もし、お母さんが、焼死したらどうするんですか? でも、その事案を私に教えてくれた、人は、暗に、その可能性を、含んで、その火事の話を話してくれたと思います。

 私が鎌倉へ、引っ越してきた後の話なので、何にも知らなかったのです。が、難しいワタナベ先生のPTA役員を、二年間も引き受けるぐらいのじょせいだったから、人より上に立ちたいタイプであることは確かです。それがお嬢さんを追い詰めたと考えられますね。

 それが、おとといも、本日も書きたいことなのです。しかし、16日の、夜7時50分ごろ、大船のイトーヨーカ堂で、クレジットカードを使ったために、それ以降、警官二人と、・・・・・警察が、わたくしを威圧したい時に、使う・・・・・イコー(茅ヶ崎の会社)のガードマンが大船駅改札口、およびホームに三人も現れたので、直近の、伊藤玄二郎一派の悪を書くこととなりました。

 そして、総仕上げとして、平木伸明さん一家が登場するというわけです。というのも法廷闘争になった時には、「警官が二人、浜銀、大船支店の前にいました」といったって、何の力にもなりません。「イコーのガードマンが三人も呼ばれていて、逗子行きの電車の、わたくしが乗った車両の前を、その三人のうちの二人が、わざと誇示的にとおりました」といったって、役に立たないのです。しかし、「平木伸明と、言う人物が父親である一家が、シャルリーエブド事件以来、それが、定番として、攻撃用に使われている、誰も中にいない二階の部屋のカーテンを開けて、素通しのガラス越しに見えるオレンジ色の天井灯を、煌々とつけることを、2023年9月16日の夜9時半ごろやっていました」というのは、私の力の一つになるのです。

 しかし、そういう風に平木さんが動いたのは安野智紗夫人からの連絡か? または、平木さんと親しい誰か、他の人物かは、わかりませんが、警察からの要請であることが確かだからです。「大船と鎌倉で、散々虐めたから、まいっている筈だから、さらに追い打ちをかけろ」という連絡が来たから、それほど、派手に動いたわけでした。

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副題1、『ここで、2023年9月16日、鎌倉駅CIAL内、カフェ、Deli France で、起きた肉体への攻撃を語らないといけない・・・・・その1として、医療現場で液晶画面が駆使されていることをも語らないといけないだろう・・・・・また、私が安倍晋三氏を気の毒だと思う由縁も、この肉体への外部攻撃が原因だ。晋三さんの大腸炎は、ひとえに、CIAの攻撃だったと思うからだ』

 2023年9月16日は起床時にこむら返りを起こされるという、攻撃にも出会いました。これは何十回起こされただろうと言う攻撃で、すでに、西洋医学のお医者様から、ツムラの、#68芍薬甘草湯を、処方していただいています。これは、特効薬です。劇的に痛みが停まります。

 寝ている最中に、肉体のどこかに、レーザー光線状のポインターで、攻撃を加えると起きる現象で、20年ぐらい前から、自覚をしている、膝とか股関節の痛み(間歇的に起きていて、痛まないときもある。大病院の先生は、・・・・・たいしたことが無いのに、大げさだなあ・・・・と思っておられるらしくて、・・・・近所の個人クリニックに行きなさい・・・・・と、命令をされているところだ)が起きるのと、リュウマチ状の痛みが、足の指に起きることと、メヌエル氏病が朝起きた時に起きることと、この足のけいれんが起きるのは、ブログと連動をしていて、伊藤玄二郎一派が困るときか、警察が困るときに、起こされる痛みです。

 で、足の筋肉のけいれんは、非常に多数回起こされますが、その前夜、午前八時までかかって書いた、前々報(後註2)が、彼らにとって、公開されては困る事が多数書いてあるので、起きた痛みでしょう。

::::::::::ところで、この筋肉の激痛だけは特効薬があります。ツムラから出ている、#68の漢方・・芍薬甘草湯が、劇的に痛みを抑えます。これは、西洋医学の先生に処方をしていただいているのですが、短時間で劇的に痛みが治まるので、驚きます。病院で処方をしていただくと健康保険がきき、薬代が安いですが、薬局でも、手に入ると思うので、一家に、数袋、保存をなさっておいたらいいです。おすすめします。私は、あまりに薬効があるので、いつも半袋しか飲みません。余ったのは捨てます。だって、聞くのは、化学式で、表現できる西洋医学と同等な物質の作用でしょうが、それが、含まれているのは主に植物ですよね。だから、漢方薬というのは、封を、切ったら、・・・我が家みたいな湿気の多いところでは、・・・腐るとかかびるという心配をしないといけないからです。:::::::::

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副題2、『有吉が、NHKの突撃カネオ君という番組内で、漢方薬をバカにした。これは、いけない。彼が人気があるだけに、これは、抗議をしておかないといけない。全国の漢方薬局の方、NHKと、有吉に、2023-9-16 21:00からの回には、抗議をなさってください。ぜひ、そうなさった方がいい』

 私は【突撃カネオ君】は、とても面白いと思っています。それから、夏目三久アナが読者からの手紙を読む役で、それに対して、有吉と、マツコがあれこれ、意見を言うTBSの番組も、時々見ていました。そこで、共演した三人の内、有吉と、夏目三久が結婚をしてしまったので、マツコデラックスは、置いてけぼりを食ったみたいで、内心で、どう思ったのかしら?などと、心配をしました。

 ただね。この二人が結婚をすると言うのを聞いて、有吉が、すごい人間なのだろうなあと、考えました。とても頭がいい人なのでしょう。

 ところで、突撃カネオ君は、面白いです。アシスタントのたまきそらちゃんが、天然にして上品で、番組全体も、上品です。そして有吉が、出席者6人を、リラックスさせるので、親しみを込めた会話が交わされて、それは視聴者をリラックスさせ、幸せにさせます。ところが、2023-9-16の回だけは、良くないです。非常に下品な発言を聞きました。

 上野の動物園のエピソードを元園長から、聞いていた時のことです。パンダが日本に来るのは、中国側の外交上の施策の一つで、たった、一か月前に決まったそうです。それで、大急ぎで、文献を当たったのだけれど、パンダの飼育方法について書いてあるものは見つからなかったそうです。当時担当した六人は、11日間も家に帰れなかった人が居たほど、苦労をして、パンダを飼育したのでした。ところが肝心のパンダが鼻かぜを引いてしまったのです。どうしたらいいだろうと、すごく悩んで、中国から来たのだから、漢方薬がいいだろうと上野の漢方薬局に行ったそうです。で、パンダが風邪を引いたと言う事は、秘密にしなければいけなかったので、薬局との会話は後で思い返すと滑稽なほどに気を遣ったそうです。しかし、一日で治ったそうです。そのエピソードが終わった後で有吉が、非常に下卑た調子で「ほんとかね」と言ったのです。

 なんというレベルで、他人を小ばかにしているのでしょう。それって、笑いを取れる発言ではありませんよ。ところで、漢方薬の味方をする私の事を、『迷信好きの婆だ』と、思っておられる方もあるやもしれないので、私はorganic chemistry を、専攻したchemist だと、言わせてくださいませ。

 ニューヨークの美大の大学院で、当時版画科の教授だった、デニス・ムーランが、次の学期、一人も講座を取る学生が居なかったので、大学をやめないといけなかったほど、58歳でも、化学の知識を忘れない女性なのです。

 デニス・ムーランはすでに引退した実力者の愛人だと言う事で、学生たちにもばかにされるほど、版画にしても美術全般にしても、実力が無い人でした。その私より15歳も年下の白人女性(苗字から考えるとフランス系かなあ?)が私に激しく嫉妬をしていたのです。それは、入学の時の作品提示で、すごい人だと、私が、FINE ART オフィス全体の評判をとってしまって、それをデニスも聞いていたからでしょう。ところで、私が直接デニスと喧嘩をしたのではないのですよ。間に挟まっていたヤスコという当時、25歳の日本人女子学生が、だめ学生だったのでトラブルが起きたのです。

 版画家にとっては大トラブルと言ってよい、塩化第二鉄原液2リットル(私個人所有の物)を、床にぶちまけたのでした。これは、ヒ素という種類の毒薬ではなくて、強いアルカリ性を持って居るので、極小の液体の粒でも、飛んできて肌にあたると、痛いのです。しかも、10月の末だったので、すでに、私が使っていて、銅が溶け込んでいるので、赤黒く、粘度があるのでまさしく血みたいでした。2リットルは、広がると、ちょうど人間の肉体程度の大きさで、広がって、まさしく殺人事件が起きたかの様でした。私がお昼を食べに行っている間に、ヤスコが、部屋の隅の棚に置いてあったそれを、教壇の前まで持ってきて、ぶちまけたのです。恐るべきヒステリーですが、日本で失恋でもしたので、NYで、草間彌生か、オノヨーコになって見返してやろうという気概は、感じましたね。滋賀県にあるSEIANという美大出身だそうです。背が低くて顔がきれいではないです。で、美的才能も感じさせない女性でした。

 ところがね。人間関係にはさとくて、教授が私に嫉妬しているのには敏感に反応して、私をいじめるのです。教授の代理というか、お先走りというかです。で、プレスと言う機械の使い方とかあれこれで、私は自分の仕事が出来なくて、困惑の限りでした。ところが教授が無能だから、銅板を腐食するための塩化第二鉄希釈液が、無効になったのです。自分固有の腐食剤を持って居ないヤスコは、次週までの課題もできなくて、行き詰ったのです。でね。私の薬を借りたいのですね。だけど、私は、9月に買った現液を深ぼりに使ってしまっていたので、希釈度が判りません。普通は800倍から1000倍にして使います。ヤスコみたいな知識と経験のない学生に貸すのは無理です。だから、頼まれても、事情をちゃんと説明して貸さないつもりでした。

 だけど、ヤスコって、本当に性格が悪いのですね。こういえばいいのに違う言い方をするから、からかいたくなってしまいます。こういえばいいと言うのは、「チエコ、今まで、失礼なことをしてごめんなさい。でも、教室においてある腐食液が無効なの。あなたの原液を少し分けて、貸してくれない?」という文節です。ところが実際の彼女は、こういいました。「チエコ、ねえ。銅板を硝酸につけてはいけないのは何故?」と。引っ掛けてきたのです。からめ手から攻めて、誠実で、正直な私が事情を察して、「貸してあげるわ」というのを待っていたのです。

 私はこういう引っ掛けが大っ嫌いです。この間、笠松敦子さんが、「R子さんから来た年賀欠礼で、亡くなった方が、ご主人ではないわ」という話をしました。それもひっかけでした。井上ひさし(まだ、実際には生きていますよ)が考案し、伊藤玄二郎からの電話で頼まれたのでしょう。その年賀欠礼は、R子さんが出したのではないと思います。偽物でしょう。(後註3)だって、まだ、年賀欠礼の季節ではないですから。去年だったら、正確に誰が亡くなったかは、友人間で、情報が共有されていると思いますよ。ちゃちな嘘です。このR子さんって、子育てが間違っていると、私は、50年前から考えて居る女性で、実際25歳の時に、その子が、自殺未遂をしたと、あんずちゃんが、教えてくれています。私は、R子さんに対して怒っていることがあるので、「あら、やはり、死んじゃったの。思っていた通りですね」という、内容のブログ文でも書くだろうと、そこを、狙われたわけです。しかし、そんな引っ掛けには乗りませんよ。バカみたい。笠松さん、私の事を見くびらないでください。

 笠松敦子さんは大学新卒時に、筑摩書房に勤務しました。のちに独立系編集者となりました。が、ご主人が筑摩で、定年まで、勤務しているでしょう。筑摩は、この20年間、いろいろ、対私への意地悪をし続けて来ています。この間も、東京会館から、筑摩書房に電話をかけて「秋元松代全集の第二巻の付録だけ、見せてください。今から、蔵前に行きますから」と言ったら、「売り物だから、見せられません」ですって。あのね。売り物とは別に社内で、参考資料として、閲覧用にその全集は置いてあると思いますよ。それをちょっと下まで、持って降りてくれればいいのです。しかしのっけから見せないと決まっていたのでしょう。でも、天下の筑摩書房ですからもし東大教授が同じことを言ってきたらすいすい見せるでしょうね。ああーあ。

 そんなことに気がつかないとでも思っているのですか。笠松さん、あなた、例の連中に、支配され過ぎですよ。

 これは、2023年の話です。だが、もっと昔に帰って、1984年の安野智紗夫人の引っ掛けについて語りたいです。

 私はこの山に引っ越してくる二年前に、今の関本家の四代前の住民が売りたいというのを見に来たことがあるのです。すると、持ち主の大学教授は警戒心のない方で、「この山は人間関係が非常に難しくて、家内がノイローゼになりました。ので、自然は豊かで引っ越すのは残念ですが、山を下りて引っ越して行きます」と言われたので、ここに実際に引っ越してきたときは、警戒心満載で、来たのです。次の売りもの≒教授の家から三軒東側に位置する今住んでいる家)が、売りに出されて、東と南の窓から他人の家が一軒も見えないことが気に入って、買って引っ越してきたものの、最初から誰とも、付き合う気持ちがありませんでした。子供が大きくなっているので、ご近所の友達と遊ぶ段階ではないから、親が助ける必要がないからです。でも、すぐに安野家の前で、夫人が開く井戸端会議が、トラブルの源泉である事が判りました。で、彼女が開いている井戸端会議には一切参加しませんでした。するとね。私が参加しないことで、上下関係のヒエラーキーが完結しないのですね。で、誘うために引っ掛けてきたのです。全然付き合っていない我が家のドアをノックして、「うちの子(中二)にお友達が遊びに来たのです。お紅茶を出したいので、お砂糖を貸してくれませんか?」と。お砂糖って、六種類ぐらいあるのですよ。それが、一種類もないのですか? 100%嘘でしょう。それにどうしてお煎茶と袋菓子ではいけないのですか? 袋菓子も買っていないのですか? どうしたの? 町内会・副会長夫人なのに、そんなに、備蓄がない家なのですか? そんなに貧乏なのですか?

 瞬間的に、二、三個の事が判りました。前から、お子さんが本当の子ではないと思っていました。本当の子供が中学生とか高校生だと、精神的な課題が親の方に出て来て、井戸端会議なんて、開いて居られませんよ。しかも毎日ですから、異常です。しかも、本当の子供を育てて居たら、自分の子供のために他人を煩わせると、結局は、自分が他者に捨てられて、孤立化するという経験を経ている筈です。すでに、五歳ぐらいで、それが判っている筈です。中二になるのに、自分の子供の方を他人よりも上に立てるというのは、育ててこなかったというのを明瞭に表しています。まったく恥ずかしい人です。彼女のやっていることはすべてわかっています。16日、警察からの連絡を平木家に入れたと言う事も瞬間的にわかりましたし。

 さて、ヤスコのケースに戻ります。なぜ、硝酸が、ここで出て来たかというとそれは、安い薬なので、デニスは学生に、ひと瓶預けているので、学生が、十分に有効性がキープできる様に取り換えるのです。二リットルの水に、2ccから、5cc、ピペットで、垂らすだけですから、一学期終わっても、50円も使いません。だけど、塩化第二鉄の方は、3倍ぐらいだし、効果がすぐ薄れるので、10倍ぐらいのお値段を消費します。デニスムーランは、日本でいうと講師にあたるので、自分の執務室を持って居ません。だから、自宅から、小瓶に入れて運ぶのだと思うけれど、他のデータも準備しないといけないので、つい、忘れてしまうのでしょう。

 で、ヤスコには、紙に化学方程式を書いて、説明をしました。そのあとで、彼女の目をしっかりと見つめながら、「私はね。東大に勤めていたの。だから、今でも、これが書けるのよ」と言いました。私が東大で、使っていたのは英語の能力で、化学の知識ではありません。だけど、あまりにもお馬鹿さんなヤスコを前にすると、つい、からかいたくなってしまったのです。こういう化学方程式ですが、有名な中高一貫私立だと、中学で教えるかもしれないけれど、ヤスコは、セイアンに入る前は、有名私立一貫校に在籍しては、いなかったと思いますよ。

 ついさらに、chemistと、しての知識をひけらかしたくなってしまいますが、薬って、無機分子を結合させたものです。キレート状態という薬だと、総分子量が大きくなりますが、たいていは、人間を構成する有機化合物、たんぱく質や、脂肪や酸よりも、分子量が、小さいのです。しかし、有機化合物は炭素、水素、酸素、窒素、硫黄などの、小さな基礎分子が、大量に集合したものだから、無機物質が入ってくると結合が切れやすいのです。西洋医学で、処方される薬とは、体を傷つける一種の毒物でもあるのですよ。妹が、千葉大の、薬学部を出ています。だから、薬を信奉しています。でもね。もっと基礎的な部分しか学んでいない私の方が、本質を分かっていると思います。

 漢方薬というのは、一種の有機物なのです。だから、人間とか動物とかの体に入っても、分子結合をめちゃくちゃに切るという働きではないでしょう。とてもいいものなのです。有吉は、調子に乗りすぎていると思います。

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副題3、「鍛治橋交差点そばで、転んで、眼鏡が顔に刺さって、大けがをして、慈恵医大に救急車で運び込まれたことがある。2005年の一月の事。その時、私の脳のスキャン写真が、高さ6mぐらいの、壁の、下の3mから、上一杯、6mまでを使って、大きく、64枚も展開すると言う仕組みになっていた。その時に、ずいぶん見事な手術、4㎝の傷を、40針縫う事で、縫合してくださった。を、担当してくださった脳外科の医師が、液晶画面を駆使する人だと、わかった。後日、こむら返りとかメヌエル氏病を外部から起こされる原理も液晶画面を駆使して行われていると、考える様になった。しかし、これについては、ルーターとか、サーモスタット機能とか、今まで、一応解明をているので、ここでは、繰り返さないで、置きたい。ともかく、外部攻撃として肉体へ、レーザーなどの攻撃を桜田門で、行っても、私の肉体を痛めつけることが出来るという話』

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副題4、『鎌倉駅CIAL内の、Deli France で何が行われたかを話して置きたい』

 このデリフランスでの、出来事は、二重に解析していきます。

 最初は、男性スタッフが、警察の言う事を聞いて、不十分な温め方をしたために、半分腐っていた【菓子パン=ベーコンと夏野菜、あれこれ】の腐敗度をさらに進行をさせ、私は、その二時間後、胃腸の内部にあったものをすべて、トイレの中に排出することとなった。下痢ではない。水状態の便が出たわけではない。だけど、胃腸の中のすべてを排出した。あまりに、早い速度で、胃腸の中を食べモノが移動をしたので、もちろん、腹痛を感じた。だが、夜11時には、もう大丈夫、もう安全だと、感じていた。

 その段階でも、警察が、デリフランスに乗り込んでいたと言う事はわかっていた。どういうことかを言いましょう。

 デリフランスは、前の、インテリアだったころから愛用している。前のお店の方が、飲み物類の種類が豊富だった。で、最近、特にだめになったなと思っていて、魅力を感じていない。それに、新橋のデリフランスで、甘納豆を入れ込んだ、菓子パンがないと、聞き、生産も、していないとも聞き、あれ、是って、私狙いですなあと、思ったり、

 コーフィー用のポーションがスジャータのものと変更になっていたり、岡田登志代さんが、他の人とお茶していたり、いくつもの案件で、敵陣に寝取られているのは知っていた。で、それが嫌だというわけではないが、たまたま9月に入ってからは、一回も行っていなかった。どうして、九月に入ってから一度も行っていないのが判るかというと、このお店は、今月の、サービスメニューと言って、新商品の菓子パンとお茶をセットにして、20円ぐらい安く提供しているのだ。それが一種、後、5種は、定番のフランクフルトが挟まっていたりする菓子パンとか、メロンパンが、提供されたりしている。全部で六種類のセットがある。

 さて、9月13日に、今月初めて、セットを頼むことにした。それ以前には、すべてお持ち帰りだったので、店内で、食べるのは、九月最初だった。あんまり、最近、魅力がないなあと、思いながら、それでも新商品、【ベーコンと夏野菜あれこれ】を注文をした。すると女性スタッフが「温めますか?」と、聞いて来た。私はほとんどの場合、「いいえ」という。だって甘納豆入りの菓子パンなんて、冷たい方がおいしいのではないだろうか? ところが、9月13日だけは、温めてくださいと言った。実はベーコンが好きではない。お料理に使われているのだったらいいのだけれど、むき出しの形で、目の前に現れると、嫌だなあと思う。しかし温めてもらえば食べられるかなあと、思ってその日だけは温めてもらった。

 するとサツマイモが予想外においしかった。・・・えっ、こんな小さなひと切れが、こんなに存在感を示すのだ。驚いたなあ・・・と、感じた。是なら、今月、もう一回か二回、これを食べに来ようと、考えた。おいしいから。

 さて、私は16日は大船で、二キロぐらい歩いて、かつ、二時間もたって過ごした。当然デリフランスには寄りたい。くたびれ切っていた。実は15日は、その菓子パンが無かった。16日もないみたいだった。30㎝幅のバットに、同種類の菓子パンが、いれておいてあるが、夏野菜パンを入れたバットが見当たらなかった。たまたま、パン置き場に女性スタッフがいた。後で、思うと、それは、婦人警官の偽装した店員だったのだ。

 だけど、それに気が付いたのは、五時間後ぐらいで、ただ、単純に、「夏野菜いろいろって、無いみたいね」と言った。すると、二十秒ぐらい間をおいて、「ありましたよ」と彼女は言った。ほかのパンのバットに一個だけ、残っていたのを紛れ込ませてあったのだ。

 五時間後、17日の、午前二時ぐらいに、あれって、婦人警官の偽装だと思い当たると、『あら、腐っているのを、わざと一個だけ置いてあったのね。非常に強い悪意が込められていたのだったなあ』とわかるのだが。

 その女性はデリフランスの店員とは、まるで違っていた。制服は来ていたがメガネをかけている。デリフランスは、上品なお嬢さん、または、奥さんしかとらないのだ。容貌の面で、優れている人しかとらないところだった。だが婦人警官が仮装をしていたとみられるじょせいは、背が低くて、眼鏡をかけていて、普段デリフランスにいる女性たちとはまるで、違っていたから、警察って、食べ物で、食中毒に陥れようとするのだと、わかってくるのだが、

 店内に、いた、夜九時前後で、私が、注目をしたのは男性スタッフが、温めを、手抜きしたことだった。その時は、彼が、警察の命令で、そうしていることはわかっていたが、遠くから、メールとか電話で、依頼を受けていると考えて居た。違うのだ。あの背の低い婦人警官が、指導をしていたのだ。

 だんせい店員が暖めを手抜きしたこと亜hその場でもおわかった。すみません。寝ます。

 十文字ビ美人案の、カフェラテ。下痢。。。。。」

 

@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。以下は、メモです。

そして、それを書いたために、またもや一台パソコンが壊されそうになりました。幸いすぐ、気が付いて手当てをしたので、一年前に、小型ノート(dynabook)に起きた同じ現象を、大型ノート(NEC)では、防ぐことができました。ただし、サポートへかけた電話代と、電話の最中に異音が入って、さらに妨害を受けたと報告をしないといけません。それが大音量だったといわせてくださいませ。だけど、だからこそ、前報に書いたことは事実で、特にいやらしいのが平木さん一家ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ご長男自身が、2020年の10月に、今、弾いている曲は、ショパンの英雄ですといったくせに母親である平木夫人は、2022年1月に、「彼が、あの時弾いていたのは革命です」という嘘をついた。一家そろって、スタイルがよくて、顔も美しく、教養も高そうなのに、恐ろしいうそを平気で突く女性だ』

 こういう行動を2013年以来重ねたので、坊ちゃんが、東大へ、推薦入学が可能になりました。2021年の四月が、彼の新学期ですが、2020年の秋には、東大への入学が決まっていて、はしゃいでいることはしゃいでいること。彼は、その時、高3で18歳だと、思うのですが、その時まで、一切聞こえたことのない、大音量で、ジャンじゃか、ジャンじゃか、ピアノを弾きます。

 私は、それが、大体ショパンだとわかるのですが、ショパンはできるだけ避けている人間だから、タイトルに自信がなくて、坊ちゃん自身に聞いたのです。自分が高くて深い情感を持っている人だけに、ショパンがダメなのです。強い共鳴が起きて、何もできなくなるので、ショパンは避けています。すると坊ちゃんが英雄だと答えました。そしてそれ以来、ぴたっと、また、音が聞こえなくなったのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『平木夫人は私に対して二回うそをついた。はっきりと記録もしてある。後で、リンク先を置くが、一回目は,2020年4月、X日(7日か9日、土曜日だった)、関本家の植木伐採に関する嘘。二回目は、この時、坊ちゃんが弾いていた曲がショパンの革命だといったこと。坊ちゃん自身が、英雄だと、言ったのにもかかわらず、その一年半後の、2022年1月には、あれは、革命ですだって。すごい女性だ。彼女は、その時、自分は鎌倉市役所の福祉課に勤務していますといった。大部屋に勤務している人が、どうして朝10時に出勤して、夕方4時に退勤ができるのですか? 周辺の人の指揮に差し障るでしょう? これも入れると、三回、嘘をついたということになる。多分、松尾崇鎌倉市長の秘書ですよ。で、ここで、こういう風に二年前ぐらいから書いているので、転任があったかもしれませんが、6年ぐらいは、そうだったと、推察しています。きれいな方だけどお子様が偉くなるのだったら、余計うそをついては駄目でしょう? それに何ですか? 16日の夜の二階の天井灯の点灯は? 安野の夫人からの連絡で、そうしたのか? それとも別ルートがあるのか、わたくしは知りませんが、わたくしを苛め抜いている警察に、さらに便乗して、いじめようという策略ですね? いいですよ。だけど、わたくしは、あなた方夫婦が、そういうことをする限り、』

 

伸明さんのご長男が推薦で、東大へ入学可能だったのは、もしかすると養老孟先司生が、一声口をきいていますか?』

 私ね、本日夕方鎌倉市内にお買い物に出た際に、お財布を忘れて出てしまいました。ただ、我が家に、1万8000えんがのこっているので、預金を下ろしてくないのです。その上、どうも反町の一階の入居者の様子がおかしいです。家賃を入れていません。また、二階と同じく、警察(裏に鎌倉エージェントがいる)の采配で、出るつもりなのかしら?と、推察したりします。

 で、猛然と倹約ムードに入りましたが、それでも、うーん。北久里浜の前の借家人、高尾さんって、300万円ほど、契約違反で、損失をわが家に与えたのですが、あの裏にも同じ手法が隠れていたのでしょうねと、感じている次第です。高尾さんって、自称東工大卒ですが、電気の修理をしています。で、北久里浜の家の庭に、

有楽町駅の禿頭・高橋某が、100%の嘘をついて、運賃を二重に取ったので、鎌倉の安野夫人(=CIA)の悪辣さがますます明瞭に!

2018-03-01 20:48:19 | 政治

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神託で有名なギリシャ・デルフォイの私とCIA(1998年から命を狙われていたんだなあ。今思うとね) + 内閣改造を知らせるnewsを見て、岸田総理って警戒心が強いのだなあと思う

2023-09-16 23:56:04 | 政治

 16日の夜に、録画しておいたニュース類の処理をして行き、さかのぼっていっているうちに、13日の、夜九時のニュースに到達しました。

 その日に岸田総理の内閣、および党役員の改造が、あって、それを見ているうちに、岸田総理って、警戒心が強い人なのだなあと、言う感想を持ちました。

 何に対しての警戒心かというと、自分を追い抜いていく人、または、自分を凌駕しそうな人に対してです。そういう人に対しては、できるだけ、テレビに出ない、はずの、ポジションを与えています。

 テレビカメラに映されれば映されるほど、その代議士の知名度が上がり人気が高くなると、岸田総理大臣は、考えており、次期総裁選に、出馬しそうな代議士を、できるだけ、てれびくるーから、遠ざけておく・・・・・そういう方針が、見えました。

 ただこれ以上の言及は、避けます。どうか、行間を読んでください。

   2023-9-16 雨宮舜(本名川崎千恵子)非常に簡単にかけたので、署名を入れます。

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なお、下の絵は、岸田総理とは、何の関係もありません。ただ、川崎千恵子 画像検索で、あまりにも自分のものがないので、びっくりして、暇なときには、自分の頁に画像をアップしておこうと思い始めました。ので、悪しからず。ご了承を。

場所は、ギリシャデルフォイです。神託を行った神殿です。デルフォイの神託に関しては、若い時から、いろいろ書物を読んでいます。ところで、今、その本を本箱に探しに行ったら無い。1960年代に、渋谷の大盛堂(非常に便利な場所にあり、ペンシルビルだけど、8階まであって、そのころは書店としては、大きい方だった)で買ったと思うのですが、今は、無い。ただ、新宿の紀伊国屋だったかもしれない。そのころは京橋(というか日本橋)の丸善には、あまり行っていないから、その二軒のどちらかで買ったのは確かです。

 えんじ色の表紙の上製本です。(ハードカバー)厚さ三センチ  日本語で読んだから、日本の出版社が翻訳本として出した恩です。

 デルフォイについては、一回、メルマガ時代に書いています。ずっと、前、1998年から、飯田隆君(元週刊朝日編集長)を通じてか、それとも、ポン(東大名誉教授夫人)を通じてか、それともあんずちゃん(外交官夫人)を通じてか、パリで、書いた私のエッセイーを、回してもらって読んでいた、井上ひさしは、そのデルフォイについて書いた文章も出来が良いとして、気にし始めて、彼の家来たる警察の人間

 (桜田門か、それとも、鎌倉警察署の生活安全課の課長かは、わかりませんが)に、「盗んでしまえ」と、命令をしたのだと思います。でもね。警察官が侵入して、それを盗んだかどうかはわかりません。もっと、大切なものが盗まれていて、それは、100%警察です。だけど、書物は、どうだろう。特に【神託】と、言う書物を盗んだのは、警察から合いかぎをもらっている、この山のご近所住民、二軒かもしれません。

 こういう事をミステリーとして解く際には、以下の青い看板が、非常に重要で、役立ちます。

 そのうちの一軒は、門前に、こういう看板を釘付けしていますので、100%、警察の言うなりです。

この青い看板は、この山で、三軒の人が持って居て、私に見せる様にして、「自分たちは警察の協力者である」と、知らせています。そのうちの一軒は、前田祝一清子夫妻で、さすがに、大卒(実際は大学院卒)なので、この白い字をたわしで、削り取って、しかも、地面に寝かせる形で、置いてあります。日本近代史を、きちんと学ぶと、警察と仲良しだなんて、恥でしかないですよ。教養の高い人にとっては。前田夫妻は、戦前生まれだから、それを身をもって知っている存在です。さて、西隣です。戦後生まれです。だけど、門前にくぎ付けするほどのバカではない。

 ではね。神託という書物を盗んだのは誰だろうと、ここで、謎解きに入ります。

デルフォイについて書いたのは、非常に古い時期で、そのころは、泥棒のことはあまり気にしていませんでした。だから【神託】という書物を、月に一度、探したりは、していません。もう読了してあるから、チェックする必要はないと、思っていたからです。だから盗まれていることに気が付いたのは、本日、2023-9-16です。

 でね。警察の協力者という観点から言うと、西隣の白井達雄夫妻もその一人です。奥さんは、非常に嫌な人です。すでに、1000回以上、嫌なことを、私はされています。唯ね。旦那さんが偉いのです。京アニ放火の時に、青葉真司が、ヘリコプターで、運び込まれた近代附属病院を、ググっていたら、BCS賞というのに行き当たり、今度はそれをググっていたら、白井達雄氏が、日本最古の設計家集団、松田平田設計事務所の横浜支店長にして、重役だと分かったのです。

 ミューザ川崎、シェラトンタワーなどが、その会社が、設計したものですが、傾きマンションで、有名な、「ララ横浜(前の建物)も、白井さんが設計したのではないか?」と思っている次第です。

 特に大船のあるカフェで、隣の席に座っていた男性(多分元伊藤忠勤務、大変おしゃれな男性)が、私に面と向かって、言葉でね。『白井さんは、横浜銀行鎌倉支店を設計したのですよ」と、言ったのです。横浜銀行鎌倉支店に迷惑をかけるから、白井達雄氏が、泥棒に入るわけもないです。と、思うのだけれど、白井夫人って、恐るべきレベルで、芯が無いのです。多分東大卒だと思うのですが、どうしてこういう人が国税5000万円を使った挙句に生まれるのだろうと、思うほど、芯が無いのです。安野智紗夫人と、仲良しで、彼女の命令なら、何も考えないで、従う可能性も感じています。

 ご主人が今やっている仕事を、私が知っているのにも関わらず、今週でも、嫌がらせ行為を五回いじょうやってくる女性だから、まあ、どうなのだろう・・・・・よくわからないなあ?と、疑問符一つ残しておきます。ところで、ご主人の最近の仕事とは横浜駅を中心として、西北の位置に建ちつつあるタワーマンションで、住所は鶴屋町です。完成すると、横浜一高いビルとなります。線路を隔てた対照的な位置に、若夫婦向けの、ショッピングビル・ベイクォーターがあり、その後ろに菅義偉前首相が住んでいることで有名なタワマン、ナビューレ横浜があります。そちらのタワマンですが、中古になっても根が下がらない。かえって上がると言う事で有名です。鶴見の駅傍に、ナビューレよりも、便利だと、思うタワマンがあるのです。私は宝くじでも当たったら、買いたいと、ずっと、眼をつけて居るマンションなのですが、そちらは、中古が値が下がっているのに、ナビューレは、下がりません。ナビューレは海が眼下です。

 だけど、鶴屋町の方は、それほどの、高評価は得られないと思います。だって、その低層階には、ショッピングモールが入るのですって。はやらないと思います。すると、そこがシャッター商店街となったらね。上層階の評価も落ちるでしょう。それは、奥様のせいですよと、私は予言しておきます。

 私ね、川崎駅西口のショッピングタウン、ラゾーナが、全国一売上高が多いと、言う記事を見つけて、驚いて東京圏のショッピングタウン、を想像上で、儲け高ランキングをつけてみたことがあるのです。銀座、池袋、吉祥寺、渋谷、川崎、横浜、の、比較です。当時は、渋谷が工事中でした。ヨコハマ駅周辺も工事中で、「日本のサグラダファミリアだ」と、横浜市民は、自嘲的に言っていました。そうですね。私が知る限りでも、70年近く、工事をしていました。最近、渋谷も、横浜も、工事が終わったのです。その両者が工事中に、100平米単位で、考えると、もっともお金が落ちているのは横浜駅周辺だろうと、考えました。横浜は既婚者の町で、渋谷は、若者の街だからです。その時に数えたら、横浜駅周辺には、13の商業施設がありました。横浜高島屋を一つ、ジョイナスを一つ、ポルタと一つ、ベイクォーターを一つ、などと、数えるとです。最近ダイヤモンド地下街というのが名前だけが、ジョイナスに吸収されたみたいです。で、12個になったところへ、13個目として

 鶴屋町のマンションの低層階に新しいショッピングタウンが出来るのです。それにしても、お客の数と、商店の数のバランスが、もう、崩れ始めていると、思いますよ。危ない。アブナイ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私にとっては、うっとおしい、うっとおしい、嫌な人間である、奥様が居る白井達雄夫妻について、長時間を割きました。で、あの夫妻は、神託を盗んでは、いないと、結論付けます。で、警察の協力者として残るのは、前田夫妻です。だが、この神託が盗まれた当時、祝一氏は、駒澤大学の教授であり、清子さんは、國學院大學の講師でした。そして、お嬢様の未来は、明治大学の教授です。そういうメンバー構成の一家が泥棒に入ると思いますか? ありえないでしょう。では、誰が? 私の生活って、24時間謎に満ちていて、謎解きをしないといけないのですが、本日は、書物【神託】を盗んだのは誰だったのか? という謎に挑みます。

 さて、井上ひさし、→、警察、👉、警察の協力者で、この山の住民という意味ではあと一人残っています。だが、或る考えがあって、その実名をさらしません。

 さて、警察から離れましょう。ある住人がいて、その人がヨーロッパに知識を持って居て、神託という語彙を知っている・・・・・そういう存在が三軒あります。渡辺賢司家の奥様が、「私ね、スペインへ行ってきたのですよ。一年間」と、言いました。1.5mぐらいの近さではっきりした声で、私に向かって。私費で、大学に留学する道は、有るのでした。で、もし、大学に留学しているのだったら、学期の間に休みがあるので、当然に旅行をするでしょう。あの夫婦は、どうも株の配当金だけで、生きているみたいで、五億円ぐらいの資産価値のある株を相続しているのだと、推察しています。ある日郵便局員が我が家に「カレンダーがポストに入りませんでした」と、言って、玄関ドアまで、来てくれたことがあって、その時開いている片手に、厚さ4㎝の配当金の封筒を持って居たのです。渡辺家だと、我が家から、9軒目にあたるので、我が家に来た時に、それを片手に持って居るのはおかしい。だから違うでしょうねと、長らく思っていたのです。しかし、浜銀貸金庫で、6キロインゴットを四本保存している人に出会ったことがあるのです。浜銀の女性スタッフが、「まあ、〇〇さん、すごいわね」と、矯声を上げていました。その時に、これは芝居だと分かったのです。浜銀の女子行員で、アンナはすっぱな物言いをしあんな大声をあげる人はいません。それにしても前田清左近の大声を思い出してしまうが、ともかく、銀行に勤める様な女性は、選ばれたエリートだから、容姿端麗で、声もしとやかで、美しいです。男はどういう裏がある人物かはわかりませんが、貧相で、品が無かったです。女は婦人警官、もしくは女性刑事だったでしょう。23-9-16現在、23億円の、価値がある金塊を銀行の貸金庫に、保存しているほどの、品格はみじんもなかったです。あの六キロインゴットは、映画か、ドラマ用の小道具だったと、推察しています。そういう芝居を見せつけられた後ですから、その4cmの配当金の封筒の束も、お芝居だったと思います。わざと、お前は貧乏だよと、気が付かせるためのお芝居だったと思っています。

 特に渡辺賢夫司妻は、服装がダサいです。旦那の方は、格子縞のネルシャツか、ポリエステルのアノラック、濃紺のスーツ姿なんて、見たことが無いです。奥さんの方もウエストが、ぴっちりと、きれいに決まっているウールのスカートをはいている姿なんて見たことが無いです。でも、見せびらかしのお芝居だと、思っていたあの封筒が、本当には、9軒先の、ワタナベ夫妻のもので、宮仕えをしないでも、食っていけるほどの、遺産相続者だと、仮定すると。つじつまが合います。

だけど、奥さんは婦人之友育ちです。羽仁もと子の言葉を読んで育った人が泥棒などするはずがないです。後、一人疑惑の人が居ます。だが、彼については、何も説明をしないで、先へ進みます。午前四時になったからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

次に書く予定は、神託の神殿に昇って、床に空いている筈の穴を探していたら、200mぐらいの遠くから、「上るなあ」と英語で叫んだ男がいた。あたり一面、わたくし以外、人っ子一人いない。観光バスが、周回する場所ではないらしい。ともかく、2キロ、× 4キロぐらいの長方形のエリアに、わたくし以外、誰もいないのに、「そこに上るなー」と怒鳴った人間がいた。ヨーロッパ内の、CIAに、尾行をされていたと、言う事。

1998年9月4日に、バスティーユ駅の改札を出たところで、屈強の男たち5人に拉致されそうになったが、私は何でも瞬間的にわかるので、「あと検札をしたい」という英語を終わりまで、聞かないまま、猛ダッシュして、逃げた。当時、ゴリラだったか、黄色い、簡単な紙の切符(日本円で、70円だったと覚えている)は、回収されることは無くて、三本柱の回転扉を開けて出る、そういう改札口だったと覚えている。入口は、切符を入れないとひらかないのだったっけ?

 ともかくばすていぃーゆのいきさつを書いた後で、朝日新聞がパリは危ないという記事を載せた。私もブログが、単に私狙いだったと、言う事になると困るからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 神託という書物を読むと、著者(むろん外人)は、いけにえの血が、滴り落ちる穴の、下に入ってみたそうだ。まあ、ギリシャ政府も公認の調査だろうと思うが、横からトンネルでも掘ったのだろうか? 書物が今手元にないので、はっきりしない。でも、「いけにえの、血は、今では、ふかふかの土になっていた」と、書いてあった。

 何百頭の、羊が殺されたのだろうか? そして、何千リットルの血が、その穴から、下へ、流れ落ちた事だろうか?

 デルフォイの神殿は、今では、もう、屋根が無い。側柱が数本と、床が残っているだけだ。で、書物によると、奥の方に祭壇があったと書いてある。したがって、私は入り口の石の階段を上った後で、長方形の神殿を奥に進んだ。すると怒鳴られたのだ。あの時、どうしたら正解だっただろうか。彼は、私が神殿に乗ったことを摘みとして、ピストルで射殺するかもしれなかった。そして、高い高い、切り立った崖から、突き落とす。80m~100mはあると思う。

 この崖だが、【神託】の中では、大変切り立っていて、厳しいと書いてあった。で、二本の東尋坊みたいな場所を想像していたが、まるで違った。樹木が多くて、緑が一杯なのだ。東尋坊は寒い。しかし、デルフォイは、地中海性気候で、暖かいからだろう。陽光はさんさんと照り注いで、周辺には、人間がいない。私が海外旅行で、見聞した場所の内、もっとも美しい場所だった。雨とか、曇りだと、これほどに、美しかったかどうかは疑問だけど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 なお、本当はデルフォイその者とか、グレコローマン文化について書きたい。ところが、15日と、16日、警察が尾行をして、かつ脅かしてきた。15日は、こしのひろこさんの家の前で、一人立っていたので、誰何したら、一方方向の道を逆走して来るのを監視しているんですって。嘘ばっかり。

 私が、妙本寺の奥にある人気の高いお医者さん(皮膚科)に電話で予約を取ったので、しかも、その前に清川病院に寄ったので、そこ=こしのひろこさンの、鎌倉の家=の前を通る筈だと、みなされていて、ここに、警官を絶たせておけば、「我々があんたを尾行してることがあんたにわかるだろう(それはあんたを脅かすのに役に立つ)で、脅かされれば委縮して、ブログを書けないだろう」と、言いたいのだった。

 それは、公衆電話の盗聴を利用しての話だったが、16日は、クレジットカードの検索を利用しての話だった。私はその日は、クレジットカードを使わない支出を繰り返した。大船のブックオフで、古本を多数買った。ありがたいことに、桐野夏生の、【グロテスク】も古本で手に入った。そのほかCIAに関する書物も多数買った。

 で、現金の手持ちが無くなってしまった。買ったものを入れるトートバッグ(特大)も買ったほどだ。隣にイトウヨーカ堂がある。そこに粘着テープを転がす柄の長い道具を買いに来たのだった。何本も買ってあるはずだが、これもどろぼうさんが盗んでいってしまって、今は、ないのだった。そして掃除機なのだが、吸い取り部分と本体が合わない様にされている。これは、電話の子機の充電器でもやられたことにあるしうちで、掃除機は、三台もあるのに使えない。生協で、買ったマキタの充電式の掃除機など、20回も使わないうちに壊されている。バッテリーそのものか、それとの、連絡口が壊されているのだ。それは、パソコンにも同様なことが起きているので、明瞭にわかっている。

 で、掃除機がだめなので、粘着テープで掃除をするのは毎日のことだ。で、イトーヨーカ堂ATMではたと迷った。普段使いの浜銀と三菱銀行の通帳を置いて来ていたのだった。現金がたくさん残っているから大丈夫よねと、思い込んでいたのだった。だが、ブックオフ横浜店にはない、珍しい本画いっぱいあった。さすがかまくら知的レベルの高い人が居るらしい。で、ATMによることになるのだが、スルガ銀行の通帳は持って居たが、スルガ銀行とイトーヨーカ堂のATMが提供をしあっていて、対応をしているかどうかが、わからなかった。ATMにカードを差し込んだのに、現金が出てこない結果になると、周辺にいる人がバカにする気配がある。残金が無かったと誤解するからだ。で、他に、証券会社のカードが三枚あった。それぞれ残金はある。だが、それは、反町のリフォームなどに使う予定で、日常生活のために、おろすのは、やめないといけない。クレジットカードでも、現金が下せるはずだが、それは過去にやったことが無かった。で、イトーヨーカ堂で、買った粘着テープ入れ(柄の長いもの)をクレジットカードで買った。これは、本当は現金で買いたかった。合い鍵を持っている二軒の家が、以前も盗んでいって、今度も近々また盗んでいくのかも入れなかったから新しく買ったことは秘密にしたかった。だが仕方がない。

 イトーヨーカ堂から、駅の方へ向かい、歩道が、広い形の仲通り商店街に入った。それと並行して走っている線路に近い車道に引っ付いている歩道は狭くて、すれ違う時に危険だからだった。特に、16日は、コロコロと新しいトートバッグ、生花など、荷物が一杯で、すれ違いが困難だからだった。仲通り商店街とは、リクルートの、スーモが、雑誌に取り上げるほど、有名な商店街で、北側から入ると、数メートルのところに浜銀の大きな視点がある。その前に警官二人が立っていた。大船警察署の生活安全課の課長って、なんと単純なのだろうと思う。NTTドコモ笠間口支店のケースでもそのバカっぷりを書いて居るのに、またやって来た。かならず、浜銀で、私がお金をおろすはずだと、考えて居るのだ。でも、さっきから説明をしている様に、家に通帳を置いて出て来ている。だから、警官二人の姿を見て内心で彼らの単純さを笑ったが、今般は何も誰何せずに、通り過ぎた。というのも、主人が、できるだけ早く帰ってほしいと願っているのを知っているので、三分でも、五分でも時間が惜しい。

 さて、彼らが、もっとも馬鹿さ加減を発揮したのは、浜銀でお金をおろさなかったのは、入り口にいた二人の警官にビビったからだと、考えた事だった。

 前報で、養老孟司先生の大失敗を書いて居る。先生がお見合いを成立させた、妙本寺に嫁いだ遠藤家の、お母さんは、何か月(ほぼ、二年にわたって、こっちが見ていないと考えて、犬の糞尿を含む庭ごみを我が家に掃き入れていた女性だ。そんなははおやをもつ娘さんを伝統ある妙本寺に入れてしまった。それから、養老先生病院へ行くの中では、鎌倉から知人の車で、東大病院へ行ったと、書いてあるのに、NHKテレビ、ネコメンタリー第三篇あたりでは、井上ひさしを擁護するために、歩いて病院へ行ったとおっしゃっている。嘘をついていらっしゃる。それとも、嘘も本当も訳が分からなくなっているほど、認知症状態へ入っていらっしゃるのですか?

 伊藤玄二郎と井上ひさしは、これは困ったと思い、警察を使って脅かそうと、用意周到に準備したらしい。で、イトーヨーカ堂のATMを使わなかったので、絶対に、浜銀で、おろすはずだとか、イトーヨーカ堂で、たった、2060円の、掃除用道具をVISAカードで、買ったぐらいだから、現金を、もう持って居ないので、きっと浜銀でおろすはずだと、考えて、次に警官にビビって‥・・・または、お金が無いことを秘密にしたくて、浜銀でおろさなかった。大船駅には、浜銀のATMがあるが、そこでもおろさなかった。現金は一銭も持って居ないはずだと、考えたらしい。

 だが、スイカがある。スイカは無記名のを使っているが、すでに、番号は把握をされている。それは、税務申告の領収書でもわかるし、他の方法でもすでに、把握をしている筈だ。で、スイカに1000円以上残っていると、知った警察は二つの更に強い脅かし行為をかけて来た。

 一つは、大船駅北改札に詰めているイコーのガードマンを急いで、ホームにおろしたことだ。その日、南改札口にも、警官の代わりのイコーのガードマンが居て、ホームにもいた。しかし、急遽、北改札口の、イコーのガードマンをホームにおろした。そして、ホームで二人がかりで、脅かしてきた。最上の脅かしが利いたと、考えて居ただろう。

 ここからデリフランスでの、厄介ごとに入る。しかし徹夜明けで、しかも、午前7時まで起きている。だから、デリフランスの項目は削除したい。

 で、次の、項目に入ろう。安野智紗、平木伸明の結託だ。これも後で、書きたい。こここそ最悪の悪事が、機能している部分だ。だが、安野夫人の悪なんて、書くのが容易ではないほど、大量で、時間がとられる。

 ただ、敵さん達に、「あんたたちのたくらみなんて表から裏まで、全部見通せていますよ。だから、ちっとも脅かしには、なっていませんよ。そして、大船警察署の生活安全課の課長も、鎌倉警察署の同課長もあほですなあと、内因で笑っているだけですよ。本当にあほざあますね。そして、山崎製パンさん、2023-9-16、8:35~55分にかけての警察への協力が最後のダメ出しとなって、デリフランスは、失墜するはずですよ‥・・・すでに、魅力が亡くなっていて、お客も微妙に気がついているでしょう。食い、グイ失墜するはずです。と、言っておきたい。幸いVie de France には、悪手が入っていないので、無事に経営しつづけられるでしょうが。

 平木伸明さんは、しかるべき材料がまだ足りないのです。だが、私が知りたいと思っていることは必ず、わかるはずだから、待って居ましょう。

 

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養老先生の大切な猫【まる】が死んでしまった真因は? + 子供の担任が、心理的・悪手法を駆使する際の、親の苦しみ

2023-09-15 22:44:23 | 政治

 ポルノ動画を校長室で、編集していた校長(中学)のニュースには、動転しました。しかも、動画に登場するのは、教え子ですって……そこから、先生とか担任というものにまつわる思い出が、グワーッと、沸き起こり、それを、順次書いて居るところです。これは三回目です。

副題1,『私は1974年には大トラブルを抱えていた。ご近所・住人・上滝家では、お嬢さんを、幼稚園に行かせず我が家で、私に面倒を見てもらおうと、カッコウの托卵を決め込んだ。それは、母親に、フロイトの言う、異性の子供はかわいいが、同性の子供はかわいくないと、言う傾向が強く表れていて、娘に対する愛情が無かったからだ。

そこの旦那は、ときわ相互銀行に勤めていて、たぶん社内恋愛結婚だから、妻もフィナンシャル知識がある夫婦で、一万円の通園費(ただし、50年前ではあるので、現在だと、三万円ぐらいか?)を惜しんで、娘の方だけ、幼稚園に行かせないことにしたのだった。投資信託に回せば、相当な利殖になると考えたのだろう。

 これは、のちに養老孟司先生を巻き込む大・政治・問題へと発展をしていく。横浜銀行が、利益を落として行く事になる、東日本銀行(旧名 ときわ銀行)と合併を決め、コンコルディア銀行と改名したのも、この上滝という一家が、主要な人物として、機能して、CIAが動いたからだ。とても、大切な問題なのだが・・・・12日に精魂込めて書いたのに、14日にこのパソコンから消えてしまった。

 上滝という一家は、我が家が北久里浜にあった時期に、西隣だったのだが、養老先生が、妙本寺とのお見合いで、援助した遠藤家は、鎌倉に引っ越してきてからの西隣であり、たぶん、両方ともに、夫(=父親)東日本銀行勤務だと、思われる。

 上滝家のお嬢さんは、今、は、54歳になっている筈だ。遠藤家のお嬢さんが、妙本寺という大富豪に、お見合いで嫁いだように、彼女もお見合いで、高給を、家に持って帰る、サラリーマンと結婚をしている筈なので、上滝という姓は、捨て去っていると思われ、それを頭に入れて、私は、シリーズを書いて居る。しかも政治的に、どういう風に、北久里浜と鎌倉と茨城県が、繋がっているかを、以前よりはっきりと、このシリーズの第一回目(=12日)に描いた。ところが、14日に悪意あるハッカーが、それを消し去ってしまった。

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副題2,『あのネコメンタリー6ヴァージョンによって、私は、妙本寺のお見合いで、養老先生が、仲人の一人だったことを知る・・・・・無論のこと、お見合いそのものは伊藤玄二郎と、井上ひさしの発案であった』

 14日に、どうしてこのブログ文から、重要な、部分が、消えたかというと、大物CIAエージェントである伊藤玄二郎にとって、養老先生は、掌中の玉と言ってもよい程、大切な存在なので、その養老先生が、妙本寺のお見合いに利用をされたと言う事、その時、お嫁さんになった遠藤家の母親は、毎日、毎日、彼女の家の庭ごみ(散歩を絶対にしていない、犬の糞尿を含む)を、我が家に掃き入れていた、とんでもない、道徳心欠如の女性だからだ。

 そのお見合いについては、ご近所マダム富沢夫人から、聞いてはいたが、大富豪の妙本寺に、どうして、当時は借家住まいの遠藤家のお嬢さんが、お見合いで嫁ぐことが出来るのかが判らなかった。資産規模が違い過ぎる。処が妙本寺側が、養老先生夫妻で、遠藤家側が、川合良一先生夫妻だと、比企が谷の方が、言う事を聞くと思う。それが、ネコメンタリーを6ヴァージョンも作り直し、かつ、再放送を繰り返す、そういう方針で、私には、読めた。

ことが、私に突然分かったのは、養老先生がネコメンタリーに、登場し、それが、ヴァージョン6まで、続いたからだった。敵さん達は勝とう、勝とうと、するが、その・やり方のずるゆえに、負けるのだった。養老先生は善人なのだろう。善人が、CIAエージェントに利用をされて、私を威圧したり、恫喝すると、そこに、大きな損失が起きる。

 私は、養老先生と、顔と顔が、50㎝の距離で、二度であったが、善人なのだろうと思った。だから、まるが死に、ご本人も東大病院で、心筋梗塞で、入院される‥‥‥それを、報告した、回のネコメンタリーで、先生は、「歩いて、病院に行きました」とおっしゃったので、伊藤玄二郎達に、悪利用をされていると言う事が、はっきりと、判ったのだ。

 井上ひさしは、実際には死んでいないのだが、死んだことにしている。2009年4月9日(金)にNHK画面を全ジャックして、大ニュースとして、嘘である、自分の死を報道をさせた。が、その時に、死んだという嘘がばれないがための、前段の、小さな嘘として、「父は、歩いて病院に通いました」と、三女が、テレビカメラの前で、言った。井上ひさしの家は、佐助の丘の上にあり(多分、4番地と、13番地の間の、空間)、歩いて行かれる病院としては、ふれあい鎌倉病院と清川病院と、シャトルバスが、駅まで、迎えに来る額田病院の、三つしかない。そこに、井上ひさしが、入院したといううわさは、全く聞いて居ない。

 駅から、そこに至るまでは、道路の傾斜が、急で、肺がんで死に瀕している、老人が、歩いて上がれるはずがない。だから、タクシーを使わないと、帰れないはずだが、井上ひさしは、邸は、昔は、ゼンリンの地図には、家屋の形だけ出ていた。法務局に行って、井上ゆり所有物件佐助、4~13番地(のどこかである。私は、一回見たのだが、今は、正確な番地は忘れている)を閲覧すると、土地の広さ、及び、現在の所有者(ゆり夫人、+ 息子)が判る。

 私は、実際には、生きているのだから、きっと名義書き換えをしていないでしょうと、思って見に行ったのだけれど、そこは、二人羽織にして、盟友の、伊藤玄二郎が、中央大学法学部、政治学科の出身だから、抜かりはなかった。ちゃんと相続をしたことになっていた。

 だけど、繰り返すが、彼の死は嘘である。今、現在も生きていて、いろいろな謀略をひねり出している。

  で、滑稽極まりない嘘を三女に、NHKテレビ内で、言わせて、私に「彼の家から、歩いて往復できる病院は、鎌倉市内にはないので、死亡は、嘘である』と、書かれてしまったので、養老先生に、ネコメンタリーの中で、歩いて、病院へ行ったという嘘をつかせた。【養老先生病院に行く】を読むと、ちゃんと書いてある。「車で、東大病院へ行った」と。

 養老先生を道具として使っている伊藤玄二郎と、ここで、言っているが、養老先生は、中谷共二氏の長男とも親しいはずだ。何十年間もご近所様だった筈だから。それに年齢は違うがお互いに、東大教授だったから。

 昨日赤木雅子さんが、また、NHKテレビに登場をした。それも、井上ひさしたち、CIAエージェントからの司法への命令に、よるだろう。

ただね、この章の、副題1と、副題2という、こういうものを書いても、私には、快感が無いのです。有名人の、意外な裏側を書いて居る。しかし、有名人だから、ひとが呼んでくれるかなあと、言うだけで、書くことの快感は無いのです。しかし、昨日

ポルノ校長から喚起されたたくさんの思い出=2  横須賀大津小学校1978~9、担任が心理的矛盾を抱えていると、ママ達は苦しめられる    2023-09-15 00:34:38 | 心理学

のようなものを書くのは、達成感がありますね。ああいうものを書く方が難しいです。難しい仕事をやり遂げたという意味で。ただ、完成していません。W先生の部分でさえ、完成していないのです。まったく時間とエネルギーを取ります。あの10倍は、書かないと、ひとまとまりが完成しないからです。

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副題3,『まあ、女性の悪というものを相当に、ちゃんと書けたと、思う私は、久しぶりに犯罪小説を読んでみようかなと、思い、桐野夏生が、アメリカで、高評価を得たというアウトを図書館で借りて来た。女性の悪がどういう風に書かれているかを知りたかったのだ』

 50代までは、犯罪小説、特にアメリカで起きた異様な犯罪の実録モノを読むのが好きだった。分厚い本。それを、銀座の画廊巡りの帰りに、福屋書店の二階で、見つけては読んだ。

 しかし、自分が文章を書き始めると、すさまじい弾圧としての悪が自分に加えられ、しかも、高度にひねってあるものだから、自分の周辺で、起きることを書き表す方で、時間とエネルギーを取られるうえに、その悪辣兄辟易しているわけだから、日本でもアメリカの物でも、犯罪実録モノが読めなくなった。無論犯罪小説も読めない。

 まあ、警察の悪が書いてあるなどと聞くと読む。北関東の幼女連続殺人事件について、書いたものは、丁寧に読んだ。

 しかし、自分の長年の収れんが、上の青字のフォントのようなものを書かせたと思う。小学校一年生の、子供の、担任の先生に、「地域社会=池のこと=のこと=が、あなたと、同じママたちの情報を上げて頂戴」と頼まれて、スパイ役を、担って居たままの、自殺を、相当正しく、書けたと思っている。

 彼女が自殺をしたのは、先生から新たな無理難題を押し付けられたからではない。そうではなくて、自分の手法が間違っていたのではないかと、考え始めた実存的不安と、絶望が、本当の理由だった。彼女は、その二年前の私の姿と同じだった。母親である私への嫉妬心から、私の四歳の娘をいじめている担任の秋〇先生との関係をどうするか? 悩みに悩んだ末、絶対の服従を貫いた。毎週視力矯正のために娘を迎えに行かないといけない。そのたびに、上等な箱の鬼中に、上等なお菓子が三十個入っている菓子折りを持参もした。

 幼稚園には、先生が24人いて、担任を持って居ない園長先生と、副園長先生が居る。通園バスの運転手もいる。だから、30個、時には、銀座で買ってきた。または、上野の帰りに日本橋で買ってきた。

 ただ、洋服をもっと質の悪いものにすることには気が付かなかった。この件だけど、明治大学を出たママ友は、「学校行事はすべて和服で行くわ。で、担任の先生に、にらまれたことはない」と言っていた。これは、わが子の担任だったW先生が最も嫌うポイントだった。だが、W先生は、上手に、子供を配分して、明治大学卒ママの子供を自分の担任にはしていなかった。この明治大学卒のママは池田分譲地の住民ではない人だったが、その地域には、その地域用のスパイを先生は放っていたと推察できる。 

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副題4、『難しい先生===母親たちが秘かに、今年は・・外れ・・だった===と思う女性に仕えて、うまくやった様に見える女性にも、後年、恐ろしいことが起きる。自宅が娘に放火され、あっという間の、大炎上で、危うく命を落としかねなかったと、後日、明治大学卒ママから聞いた』

 娘が、母に反抗したくて、自分の家に砲火をしたケースのママも、そういうスパイ役の一人だったと思う。彼女は一年次と、二年次の合計、二年間、役員として、先生と密着していたのだから、精神的にはタフである。どうして、この女性が精神的にタフだったかというと、容貌が、女性らしくなかったからだ。背が170㎝ぐらいで、体重が56キロぐらい。堂々としていて、お顔は、美形とは言えない。したがって、結婚が遅れ、他のママ達よりも年長だった。彼女は、自分が結婚が出来たことを感謝し、娘を非常に大切にしていたと思われる。しかし、高齢出産だから、娘さんが、自宅に火をつけた時には、夫がすでに亡くなっていたのかもしれない。そうなると、密着度が、深くなって、にっちもさっちもいかなくなる場合がある。それに、母親にとってもフロイトの言う、同性の子供は難しいという側面はあるが、娘にとっても、同性の母親は、父親よりは、好きではないと、言う傾向があると思われる。また、こういう大柄なタイプは、他の人に威圧感を与える。

 もし娘さんが、父親の方の遺伝が強く出ていて、小柄だったりすると、放火する瞬間の直前まで、いい子であり、は犯行が無かったのかもしれない。

 娘に殺されかねない、反抗をされたのは、やはり、「しっかりとして、平均以上の人間になってほしい」という母親の希望があり、それに娘がついていけなかったのが、最大の原因だったと思う。その母の願いに、彼女がPTA役員をしていた事がマイナスの要因として働いていると、私は、見る。当時の横須賀には大卒のママは少なかった。クラスに三人程度で、ほとんどのママが高卒。その中で、平役員と言えども、子供が低学年のうちに、二年連続で、役員をする。しかも難しい人だと、みんなが知っているW先生のもとでだ。だから、彼女は、「御覧よー。私の実力ってすごいでしょ。誰にも負けないわよ」と内心で思っていたのだ。そして、娘にも自分と同じく、地域社会で、または、クラスで、一頭地を抜く人間になってほしかったのだと思う。それを暗黙裡に、娘に強いていたので、娘が壊れた。

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副題5、『さて、ここから先、早稲田卒ママ、津田塾卒ママ、明治大学卒ママのケースを比較検証したい』

 さて、クラスで、一番偉いのは早稲田卒のママだった。私のICUなんて、知る人ぞ知るだけの学校で、平均的なママは、「なに? それっ。地方の短大」という程度の認識だった。それに比較をすると、明治とか早稲田は、知名度が高い。しかし、早稲田卒ママについて、私が言及しないのは、別に私が嫉妬しているわけではない。彼女は義父(=舅)が、校長ををしていたので、その舅は、W先生の上司にあたるわけだから、W先生も心得たもので、彼女に役員の引き受けを依頼しなかったし、父兄会でも、そっとしておくだけだった。発言を促したりもしなかった。

 私の場合は、山口県に残った親戚は殆ど先生をしていた。だから、間接的に、学校社会の矛盾点などを聞いていた。先生方が、聖人君子でもないことを聞いていた。で、私は、5mぐらい離れたところで、地ッと身を潜めている早稲田卒ママを見て、『ああ、きっと、いろいろなことを義父と義母から、聞いているんでしょうね」と思った。この女性が、山や谷を隔てた、全く違うソサイエティに属していたので、一度も話をしたことはない。

 

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ポルノ校長から喚起されたたくさんの思い出=2  横須賀大津小学校1978~9、担任が心理的矛盾を抱えていると、ママ達は苦しめられる

2023-09-15 00:34:38 | 心理学

副題1、『文章が、二万字ぐらい消えてしまったので、それを復活させるよりも、今は、違う方向に進んで書きたい。これから書く事は、政治よりも心理学分野の問題である。したがって、登場人物を仮名で書く。記憶しているが、わざと仮名で書く。』

 娘の方が幼稚園時に、担任に悩まされたと、前報で、言っています。当時、その幼稚園は、470人の園児が居て、その地域で、一番大きく、池田分譲地内の、幼児は、ほとんど、そこに通って居ました。小さい子って、地域社会で、生きるしかないので、転園させることが出来ず、非常になやみ抜きました。で、毎週30個の上等なお菓子が入っている菓子折りを担任に持参をしたのです。いわゆる服従とおべっか遣いです。それでも、いじめて来る先生が、娘の頭を大混乱にさせたのではないかと、思っていたのですが、割と大丈夫だったと、言うのが前報で、それが、わかったのが、上滝家の令嬢とのエピソードだったと、いうのが、消えてしまった部分です。

 娘が中学生ぐらいになって、「お母さんは切れたら怖い」と、私の目の前で、お兄ちゃんに言っていたので、びっくりしました。そこで、東日本銀行と、横浜銀行の合併とか、養老孟司先生が、取り持った妙本寺のお見合いなどが出て来て、120%政治の問題へ移行をしていくのです。が、娘が、4歳から、8歳までは、、あまり、表情には出さなかったので、担任からのいじめをどう考えて居るのかはさっぱりわかりませんでした。ただ、内心で、心配をしていました。

 ところで、彼女より一学年上(ただし実際の差は19か月の長男の方は自分が考えて居ることを、すぐ顔に出すので、彼の苦悩は、小さくてもよくわかって、それだけに悩みました。ただね、満六歳は、四歳とは違います。それと、社交的で、地域社会の方で、年上、年下の男の子を含んだ遊び仲間が、がっしりといたので、それは、安心できる一つのよすがでした。

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副題2、『長男が、一、二年時、担任だった女性は、私達、並みの母親よりは、10歳年上で、夫は大学助教授だった。たぶん、横浜国大の助教副。助手時代の夫と知り合って、結婚をしたのか? それとも、同級生だったのかは知らないが、こういう結婚は、一つの勝利ではある。自分の眼中にある同期生(40人の)中で、輝いている男性を、仕留める。それは、他の女性に対する勝利宣言でもあるのだ。

 ここで、笠松敦子さんが、年賀欠礼のはがきの件で、引っ掛けて来た・・・・・と、私が推察している、差出人名義だったR子さんのことへ入っていきたい。彼女は、1965年のICUで、上下500人ぐらい知り合っている中で、もっとも格の高い男性と結婚をした。それは、一つの勝利である。私なんか、共通の友人は一人もいない相手と結婚をしているので、その結婚で、誰かに向かって勝利宣言をする・・・・・そして、見せびらかしたい・・・・という傾向は無い。19歳のころ、ひそかにお互いが、ひかれあって、それを、25歳まで、キープしたというわけだ。

 結婚をした後で、愛されているか?とか、愛しているか?と、言う事は大問題となる。「意外と、この結婚って、間違っていたかしら?」と思う事はある。だけど、私は、「離婚はできるだけ、しない方がいい」という主義だ。これから、語る事でも『へー。そうなんだ。離婚後に、そういう苦しみを、子供の担任から与えられるのだ。知らなかったなあ』と、若い方には思っていただきたい。

 長男が、一、二年時に、担任だったW女史は夫に関しては、プライドがある。学者だ。しかも、教授になる可能性は保証されている。しかし、そういう立派な夫を持った自分が、働かなくてはならないと言う事には、不満がある。1970年代には、先生は、あまり、尊敬されている職業ではなかった。日本経済が、右肩上がりで、発展をしている時期で、民間企業、特に、業績が上がっている企業に勤務していて、高給を家に運んでくる夫を持った妻(または、ヤングママ)は、ほぼ、専業主婦をしていた時代で、W女史は、その手のママ達よりも自分の方が上だとは、思っていた。が、専業主婦ではないことが彼女たちに軽蔑をされているのではないかと、言う、ひそかな、不安を抱えていた。

 厄介なことに、クラスに三人ぐらい、自分が卒業した当時の横浜国大学芸学部よりも、入試偏差値が高い大学を出たママが居た。早稲田卒のママ、津田塾卒のママ、そして、ICU卒の私。1960年代、特に、1966年までのICUって、東大の学生新聞が「東大に入るよりもICUに入る方が難しい」と書いたほど、高い評価を得ていた。入試が全部英語で、短い質問に応じる四択なのだけれど、一分で、一問解かないといけないので、英語理解力と、頭の回転の速さを問われる。で、W女史は、ICUの高い評判を知っていた。1970年代の横須賀で、ICUについて正しい知識を持って居る人は、100人に一人以下だったと思うが、W女史はその一人で、当然のごとく、私を注目していた。

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副題3、『W先生は、ママたちを支配するために、スパイを放っていた。そのスパイ役とは、愛嬌のある女性だったが、結婚前の職業が居酒屋に勤めていたかバーに勤めた居たかだと、言う事が広く知られていた。当時の横須賀の戸建の住宅街では、それは、一ランク下に見られる経歴だったが、私は、むろん、気にしなかった。ただ、W先生は、それを知っていたと、思われる。そして、私の学年の数年上の、お姉ちゃんを担任した時に、このままと、特別な秘密契約を結んだのではないかしら。家庭訪問の時などを利用する。後は電話だけでいい。自分がいつ、どの学年を担当するかは、ご自分で、わかっていると思う。で、その子も、わが子も、1976年に一年に上がるので、池田分譲地内での、母親たちの評判をそのスパイママから、取得していたと、思われる。

 で、W先生は、勝気な女性は外した。地域社会で、威張っている女性も外した。だから杉本正子夫人も、稲田恭子夫人も、W先生の担任からは外れた。そして山の下に住んでいる武蔵野音大卒のママの男の子も外したし、明治大学卒のママの子供も外した。二人はとても美しかったからだ。W先生は、自分が誰よりも上だと、感じないと安心できないタイプだから、あまりに、立派な姿のママが、何人もクラスにいては、落ち着かないのだ。

 なぜ、私を自分のクラスに入れたかというと、当時横須賀・いち・通園児の多い幼稚園の、PTA会長というのは、一種のスターだから、自分が、次の年、二年時の、PTA役員として使おうと、言う思惑があったと思う。

 その次に、私を操作することが可能だと言うのは、私の南隣の、ターちゃんのママという女性と、私がトラブっているというのを知っていて、ターちゃんを、自分のクラスに入れておけば、その女性を武器にして私を支配することが出来ると先生が考えて居たのだった。

 ターちゃんと、ターちゃんのママが、どういう人だったかを次の章で語りたい。ここはスパイママの章だ。彼女が自殺をしてしまったことを書いて置かないといけない。今は絶対に伏せられていて、同じ人が同じ、証言をするとも思われないが、スパイママは、トイレで、自殺をしたとの話だった。お子様から、呼ばれたママ友Cさんが、そちらに行って、真っ赤な血で、染まったトイレを見たと、言っていた。そのママ友が遺体を抱き起して、居間か、日本間に運んだのだろうか? お子様二人に、それを見られてしまったのは、大惨事だ。別の場所で、ロープぐらい使うべきだったと思う。で、そのCさんは、大変しっかりした方なので、私には、それは、なかなか、伝わらなかった。ただし、一か月後ぐらいには、それこそ、稲田恭子さんから、教えられたと思う。

 それは、1978年の、五月以降の話だった。しかし、私は、その半年ぐらい前から、このスパイママが、精神的におかしくなっているというのには気が付いていた。それも、先生とのスパイ問題での悩みだとわかっていた。だけど、10歳ぐらい年上だし、彼女から、「一緒にお茶でも、どうお?」って誘われたこともないし、ほとんどの人が差別意識から軽蔑している彼女と、わざわざ深入りする必要もないと思っていた。で、「ねえ、悩んでいるのではないの?」と、質問するわけにもいかなかった。

 道路ですれ違ったのは、冬だった。彼女は黒いオーヴァーコートを着ていた。今でいうモフモフのコートでフェイクファーか? いや、もしかすると、本物の毛皮のコートだったか?。1970年代は、まだ、毛皮をダメだと、言う社会風潮は無かった。だけど、驚いたことに、その前・身ごろに、点々とご飯粒が付いていたのだった。あまりに驚いたが、注意はできなかった。どうして、こうなったのかを考えると、注意することが彼女の恥になるとわかっていたからだ。

 冬だけど、暖房をつけていない? それは変だ。だって、彼女が、貧乏だとは思わない。旦那さんは、彼女を愛していて、しっかりと働いてくれるとてもいい人だ。

 ただただ、何かに、うつろになっていて、コート下に、いいお洋服を準備できなくて、パジャマか、パジャマ代わりの古いセーターを着ているので、ぼろ隠しの意味で、毛皮のコートを家の中で、すでに、朝から着ていたと、考えられる。でも、それにしても、当時の定番だった石油ストーヴをつければ、毛皮のコートは着ていられない。暑いよ。暑い。

 もしかすると石油ストーブの灯油が切れていて、彼女は、それを入れるのが億劫だった?

 でも、それでも、普通に、めしじゃわんを使って、ご飯を食べれば、これほどの粒のご飯粒が、こぼれる筈はない。もしかすると、電気がまから、小型のおしゃもじ、または、大型のスプーンを使って、直接、食べましたか?と思う。テーブルの上に、小型タッパーウエアに入れた、柴漬けなどを置き、それを、左手で、ひと切れつまんでは、口の中に入れ、右手で、小型おしゃもじで、救ったご飯を食べましたか?と、思った。そして体は悪くないのだから、外出はできるのだった。ご飯を食べている途中で『柴漬けだけでは栄養が足りない。下に行って、とんかつでも買ってこよう』と考えたのではないかしら?

 彼女が自殺をしたと、聞いたのは、五月過ぎだったが、すぐ理由は分かった。それは、ぼっちゃんが、また、W先生の受け持ちになったからだった。今までの、二年間も超大変だった。が、是から、また、それが、二年続くと思うと絶望にかられたのだと思う。

 また、私の生き方と、自分のそれとを比較して、自分が間違っていたとも考えて、それも絶望に繋がったと思う。

 私は、見かけは、利口そうには見えないと思う。だけどバカではないし、おとなしそうに見えても、スケルトンがある人だ。W先生の行動様式や、人格を見て、絶対にこの人と、共同作業はできないと思っていた。やってはいけないとも思っていた。父兄会の中でも、いじめられながらも、「次の年度の役員をしなさいね」と、期待をされているのを、ひしひしと感じた。それは思い過ごしではなくて、一年次の役員さんから電話で、直接の打診があった。1月ごろだった。だが断った。長男が、いじめられる可能性は、大いにあったが、もし、あの先生とタッグマッチを組んだら、私は、人格崩壊をするだろう。絶対に役員をしてはならないと、それだけは、固く決意をしていた。それと何度も言う様に、長男が娘より、年が上で身長も高かったことも、それを支えた。より大きいのだから、きっと、自分で、道を切り開くはずだと、信頼していた。

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副題4、『役員を二年、連続して引き受けたママのお嬢さんが、自宅に放火をしたと、鎌倉へ引っ越し後、28年ののちに知る』

::::::::::::::一年次、及び二年次の役員をしていた、女性の家で火事があったと、ずっと後、そうだ、鎌倉に引っ越してきてから、28年後に聞いた。お嬢さんが、親を嫌がって、親を懲らしめるために、自宅に、放火をしたんだと、聞いた。聞いたのが、28年後だったので、実際の火事がいつ起きたかは知らない。普通、親への反抗期は、高校受験期、大学受験時、就活時、婚活時に、親に反対されると起きるものだ。だけど、自宅に放火するほど、親との関係が悪いのだと、結婚や、就職はとても無理だから、高校時代から、引きこもっていて、それを焦った、あのお母さんが、あれこれ、注意をしたものだから、それに絶望をしたお嬢さんが、お母さんを殺したくて、放火をしたとも考えられる。そこまで、想像はしたが、そういう事を音声では他人には語らない私であり、それを教えてくれた人も、同じく、語らない主義だった。賢い人とは、時には口にチャックをするものだ。

 ここで、一年と、二年時に、役員を連投した女性の体格について述べたい。1940年ごろか、それ以前の生まれだろうが、それにしては、異様に背が高くて、170㎝を超えていた。つまり、スパイママと同じく、平均よりは高年齢なママだったと言う事。男性が、自分より背の高い女性を嫌うために、結婚が、なかなか、できず、子供を産んだ年齢が高いと言う事。体重はあって、65キロ以上。だから、威圧感がある。

 すみませんが、午前3時半になったので、もう寝ます。

 と書いたのですが、私が意地悪な人だと誤解を受けそうなので、W女史とターちゃんの本当の関係を、かたらせてください、ある日、北久里浜斧駅に降りていくと、ターちゃんが一人で、ススキを二三本、手に持ち、それで、線路の、手すりを叩いて居ました。彼は、線路を向いていたので、後ろを通る私には気が付かず、私は,、時計を見ました;昼11時半

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ポルノ動画編集校長のnewsに動転し数多い思い出が蘇る・・1   緒方貞子、寺島しのぶ→国立劇場の建て替え、杉本正子、横浜市大病院と横須賀市吉井との距離

2023-09-12 22:32:32 | 政治

 

 今は、23-9-14の午前9時です。以下の章の更なる推敲を始めます。12日に初稿を書き始めたのですが、13日にも大量に加筆をしています。それは、今まで、薄い紫で書き表していました。が、14日からは、黒い太字に変更します。そして、14日に書き加えた部分だけ、薄い紫を使います。ただし、政治的に特に重要な部分は、反転の薄い紫を使います。

 なお、前報、特に焚火の問題(=廃棄物処理法案の改悪?)の続きは、将来、いつか書きます。

 ところで今日の総タイトルトップに来ている、練馬区の三原台中学校の校長ですが、この校長は性欲と金銭欲の二つを同時にマスターして居たらしいです。そのエネルギーの高さに驚きますが、逮捕時の動画を見ると、やせた貧弱な男です。不思議です。ただ、彼については、あまり知りません。で、この章は、先生というものの中に、とんでもない人が居ると、言う事を、スケルトンにして、あれこれ、いろいろなことを語ります。

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副題1、『ここでは、最初の12日には、総タイトルに入れていたショマショマという中国語を解説しています。それは、また、別の日に回します』

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副題2、『私は先生像として、生涯で、四人ほど、嫌な先生に出会った。子供の担任で二人、自分の担任で、二人。で、計四人。娘が幼稚園の時に担任だった、女性教師には、とことん、苦しめられた。そこから、浜銀(=コンコルディア銀行)の現況、特に利益の減退に入っていきたい』

 娘が四歳と五歳の時に担任だった10歳ぐらい年上の女の、先生には、本当に苦しめられました。先生は、同じ台地の、徒歩三分ぐらいのところに住んでいるので、私の家を休日に、ひそかに見に来たのではないかしら。クラスで、受け持っているほかの子供の家(四軒ぐらい)も、見に来ていたと、推察します。私も数年後、先生の家を見に行きました。敷地は20坪ぐらい我が家の方が、広かったです。それも、先生の嫉妬の原因の一つでしょう。

 私は、自分をこのブログでは、「ぶす、です」と書いて居ます。が、40代のころ、公募団体展で、知り合った女流画家たち(特に山寺重子さんを筆頭に)にさんざん虐められるので、画家の先輩で、賢くかつ親切な女性に「なぜ、こんなに、いじめられるのでしょうか?」と質問をすると、「あなたって見るからに育ちがいいと、わかるからよ。それは、大人になってからでは、獲得できないものですからね。それで、みんな悔しいのよ」と、答えてもらいました。

 それとね。思春期に母が日本橋の高島屋と三越で、シーズンで、一番好きな洋服を買ってくれていました。その時代のおしゃれ感覚を維持したくて、洋裁を習い、自分のサイズ(背が高くて、やせている。既製服がまるで合わなかった)にぴったりのスーツとかスカートを自分で手作りして、着ていました。

 今は、ミシンが三台も敵さんから壊されているので、それが出来ませんが、もし、あの当時と同じレベルの洋服を着て歩いたら、今の鎌倉でも、鎌倉在住だったらしき緒方貞子さんにも負けなかったでしょう。

 緒方さんから、グリーン車ではない普通の車両内で、じっと見つめられたことがあります。緒方さんは、北側フラムと同じく、40年以上前から、私の顔を知っていたと考えられます。そして私を威圧するために、その日だけは、グリーン車ではなく、普通車両に乗っていたと、考えられます。意地悪な目つきではなかったので、寺島しのぶの、眼が吊りあがった意地悪ぶりと比較すると、さすが、緒方貞子さんだと、思っていますよ。広い世界を知っている方だから、誰かから、何を命令されても、川崎千恵子(雨宮舜)の、本性を自分が見抜きましょうと、言う、そういう目でした。

 一方、寺島しのぶは、緒方貞子さんと比較をすると数段下です。単純すぎる頭脳と人格の持ち主です。国立劇場の改築は、あそこを舞台にして、何度もいじめられたのですが、寺島しのぶからのいじめをこのブログで、書いて居ることが一番大きい原因でしょう。

 今から、10年ぐらい前、歌舞伎座で豆まきがあったのです。その日に、二歳か、三才だった幼いころの寺島まほろが、紋付き袴姿で、出てきたのです。丑之助、亀三郎も同じ姿で。私は、女性客に「あの三人の、お子さんは誰ですか?」と、聞くと、その人が、「右端は、寺島しのぶの子供のマホロちゃんです」と教えてくれたので、「そういう情報はどこで、わかるのですか」を聞くと「インターネットでわかるのです」と答えます。その後、寺島しのぶのブログを開くと、お子さんをMと、呼び、あれこれ、母親らしい気遣いのあふれた文章を書いて居るのを、見つけました。で、それを、開いて読んでいると言う事は、私のPCは24時間ハッキングを受けているので、当然、敵さん方が知ることとなるのです。で、伊藤玄二郎から、寺島しのぶに、「雨宮舜(本名 川崎千恵子)をいじめなさい」と言う命令が下るわけです。

 その日、私は、10分ぐらい遅く劇場についたので、ロビーには他のお客さんは誰もおらず、しかも、普通は梨園の妻たちは、壁際の長テーブルのそばに立っている筈ですが、その日だけは、寺島しのぶと、富士純子が、ロビーの真ん中、エスカレーター前で、立っているのですから、当然に話しかけます。通り道をふさぐ様に立っているのですから。

「Mについての、あなたの、文章っていですね」と言おうと思ってロビーで、彼女に近づいた時に、彼女からは、にらみつけられるだけで、何の応答もなかったのです。それをこのブログで書いて居るから、国立劇場は、改築をされるのです。何も傷んでいないし、役者たちに、その舞台機構も、とてもいいと言って、好評な劇場なのに、私のブログに現れた、場所、事物、人物は、消し去っていくという攻撃手法が、井上ひさし(いまだ、実際には生きていますよ)達、CIAエージェント達がとっているのです。それはCIAの典型的手法でしょう。それほど、私をいじめたいと、伊藤玄二郎たち、CIAエージェントは考えて居るのです。 

 緒方貞子さんについて、まあ、立派な人だなあ。寺島しのぶと、比較すると、数段上だと、認識した時期から、昔へ蘇ります。その時期から、四十年前に戻ります。現在から数えれば、50年前の娘が四歳ぐらいの時に戻ります。

で、幼稚園時代のママ友稲田恭子さん(のちに、杉本正子さんに、教唆されて、裏切って来る人)からも、「あなたが、いつもスカートをはいているのには、感心するわ」と、言われていました。彼女は手仕事が好きな人間で、それが、私の尊敬と興味を喚起し、北久里浜時代、もっとも、長時間話し合った女性です。

 しかし、それが、敵さん達が、稲田恭子さんを使おうと、判断した由縁であり、その結果、この15年間、激しい頻度で裏切ってきている女性が恭子さんです。

 陰に、杉本正子さんが居るのは、ビンビンと、わかっています。そこが政治ですよ。杉本正子さんの夫は俊一という日大卒の男性で瀬島龍三たちに、協力して、横須賀市の水道山を只で(実質的には詐欺である===地積変更届を利用して)譲り渡した、横須賀市吏員(事件当時、家を只で供給されていた、土木課長)であった男です。その後、この時の瀬島たちへの協力の見返りとして、副市長に成って行き、名誉と富を独り占めした人物です。・・・・但し正子夫人が仲良しだと、思っている大沼嘉津江さんの、実兄、島田章三氏へも、大金を市税から流入させて行く。

 尚、助役という、役名が、副市長と言葉替えをされたのも、この一件から、始まった事でしょう。

 彼女は、その後、50年にわたって、他の主婦たち(例えば、北村充子さん=後註1にリンク先を置く)などを、教唆命令して私を苦しめてくる悪女中の悪女です。安野夫人より、実の子、二人を育てていますので、エネルギーレベルが高いですが、やることが、とても似ています。

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副題3、『ここで、私と稲田恭子さんとの、仲の実態を書いて置きたい・・・・・友人を裏切らせる方向へ、CIAが教唆指導をしていき、それに従う女性として、典型的な、一人だった』

 当時の私は、主婦としては、細身すぎて、売っている既製服だとだぶだぶになるのに、そういうみっともない既製服を着ないで、いつも、身体のサイズと、ぴったりと合う洋服を着ていたのです。それには、稲田恭子さんは、感心してくれていたのです。「あなたがいつもスカートをはいているのには、感心をするわ」と。当時の私にとって、そんなことで、感心してもらうのは、意味が分からなかったです。だがね。あれから、40年が経って見ると、自分の体にぴったりと合ったサイズの、ウールのスカートをはいている人は、逗子駅で、降りる、現役の富裕層夫人だけだったのです。例えば、私の甥は、多摩美の教授なのですよ」という様な、如何にもインテリで、かつ、美しい老女が、しゃんとした、スカート姿なのでした。私の方は、30代にして、いつもしゃんとしたスカート姿だったわけです。

 ここから先、2万字ぐらい12日と13日に書いたもの、が消えているので、再び、努力をして入力していきましょう。どうして、消えたかというと、杉本正子夫人にとって、稲田恭子さんのあれこれを書かれることは、つらいことだからでしょう。ちょっと、調べ物をしている間に、文章が消えています。二万字ぐらい、恐ろしい連中です。が、再現をさせていきましょう。だけど、まあ、杉本夫妻が、すでに、CIAエージェントだと仮定をすると、鎌倉のCIAエージェントたちが、彼女の代わりに削除をした可能性もあります。

 ここから蛇足1へ、飛びます。どうして、続きなのに、ここで、披露をしないかというと、私の顔写真等を使うので、美人(?)であることを自慢していると誤解をされると、困りますので(苦笑)いやあ、化粧をすると美人らしいですよ。あ、は、は。結婚式の時に東大助教授様が、「本当は美人だったんだね」と、驚いてくださいました。

 上のエピソードは40年ぐらい前のものです。で、さらにさかのぼり、50年前に戻ります。娘が四歳の時に、娘をいじめて来た幼稚園の先生の話に戻ります。

 夫が家出をしているとのこと、そういう自分と比べると、10歳年下の私が、ひどくひどく、幸せそうに見えたのでしょう。この幼稚園の先生が、私への嫉妬のあまり、娘をいじめてきたのが、女性は、如何に競争心が強いのか?と、言う現実を認識した、最初期の経験です。30代であり、まだ、上野の公募団体展(女流展と、国展)には、参加していなかったころです。

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副題2,幼稚園の先生が、娘に対して、どんないじめを行ったか、それを実際に語らないといけない。二つ、はっきりと覚えている。人間が、時によって、どれほど、落ちるか、という一つの見本になるし、今、現在、または、過去に、他人から、ひどい事をされている人への救いにもなると思うので、ぜひ、語って置きたい。詳細にだ』

 ここから先ですが、12日には、一言も書いて居なかったので、シンプルな黒の活字で書きます。初出ですが、普通の色のフォントで、書かせてくださいませ。

A, ・・・・・お弁当を食べさせてやらないぞ・・・・・という事件、娘は、四歳なのに、午後三時まで、絶食をしないといけなかった。母親としては、本当につらい日だった。

 皆様も、電車の中で出会ったことがあるでしょうか? 非常に分厚いレンズの眼鏡をかけている、幼児です。遠視の度数が強い子で、近場の物を見る時に、焦点が合いにくいので、矯正します。1974年から、当時は、浦舟町にあった、横浜市大病院へ、矯正のために通って居ました。週一度、午後3時が、予約時間だったと思います。幼稚園は、横須賀市、池田三丁目にあります。今は住宅街として開発をされており、大マンションが建って居たりする地域ですが、1970年代は、辺鄙な、田舎でした。そこには、電車も通ってい無し、バスも通っていません。その幼稚園に子供を通わせるのは、通園バスで、お迎えが来るので、親としては、楽です。が、途中で、早退をしようとすると、お迎えに行かないといけません。当時の富裕層は、車を持つのが普通で、我が家にもあったかもしれません。赤い車は妹からもらったもので、白い車は、自分たちで買ったのだったっけ。10年間で、二台保有しています。

 ただ、私自身は、免許を持って居ません。母から、あんたは、事故を起こすはずだから、絶対に、免許を取ってはだめと、言われています。いつもものを考えて居るからです。だから、歩いて、娘を迎えに行かなくてはなりません。四歳の娘の歩幅は、小さいです。北久里浜の駅から、ほぼ、一キロの地に幼稚園はあり、子供の足では、歩いて、三十分かかります。でね、京浜急行と、横浜市営地下鉄の両方を使い、降りてから歩く時間を考えて、市大病院まで、二時間半を取っていて、幼稚園には、12時半に迎えに行く事にしていました。12時から、お昼時間となり、十分に、お弁当を食べ終わっているから、それで、いいのです。

 ところが、担任の先生は、私の娘が在籍しているそのクラスだけ、お昼を、遅くして、12時半からお弁当タイムとしたのです。教室に入ると、みんながしーんとして、お弁当を食べており、外には、430人近くの子供たちが、お昼休みで、大騒ぎです。遊んでいます。立ち騒いでいます。すぐ先生の悪意を感じました。「お母さんが迎えに来るのが、12時半で、もうすぐだから、あなただけは、お弁当を開いてはだめよ」と言われていたのでしょう。しかも、自席で母親を待っているのではなくて、クラスの子が、みんなが見る、真正面に立たされていました。まるで、罰を受けているみたいに。そのころは、北久里浜駅周辺に、子供連れで入れる様なレストランは無くて、浦舟町の方にもありませんでした。しかも、時間が迫っているので、そういうところに寄ってはいられないのです。ちっちゃな体で、矯正の時間を入れて、5時間ぐらい何も食べさせられ無かったのは、本当にかわいそうだと、思いました。

 もう一つあります。すごく恐ろしいことが。それはです。上履き袋の名札を、先生が、わざと、取ってしまったうえで、娘を叱ると言う案件です。当時は、白いズック(スニーカーの単純なもの)を土曜日持って帰って、その日のうちに洗って、日曜日に完璧に乾かして、月曜日に、ビニールの上履き袋へ、いれて、持たせて、一周間幼稚園で、それを使って過ごすというシステムでした。月曜日に帰って来た娘が、「お母さん、・・名札が入っていなかった・・と先生に叱られた」と、言います。変だなあと思いましたが、次の週には、きちんと入れました。しかし、「また、同じことで叱られた」と言います。でね。その先生の、非常にいやらしい目つきを、思い出すと、絶対に先生がとってしまっているのだと、確信をして、両面接着テープで張り付けたのです。1cm×4cmぐらいの小さな紙片を、紺色のビニールの上履き袋に直接貼り付けたのです。先生がたとえとっても、透明な両面接テープは、残っているでしょう。もし、それもはぎとられて居たら、先生が、悪をなしているのが確実です。すると、三週目だったか、四週目だったか、月曜日に、何も注意を受けなかったらしい形で、帰ってきました。

 これが、小学校とか、中学校で行われていたら、生徒達は、先生の悪意を敏感に察して、ターゲットを集団で、いじめる様になります。茨城県で、お父さんは、たぶん筑波学園都市で働いている理系のエリート、お母さんは、音大卒の(または、聖心とか、東女等の、女性にとっては、あこがれの大学を卒業した)美女、そして、お嬢さん本人も、ものすごくかわいい・・・・・美しい赤のドレスを着て、ピアノの発表会へ出ている動画がNHKニュースに出て来た・・・・・の両親が茨城県を通り越して、文部科学省に、いじめ問題で、調査をしてほしいと、お願いを出したと、言うニュースが報道をされました。私が、「先生が、母親に嫉妬していて、その余波で、お嬢さんが担任にいじめらえていたのだ」という一文を書いた後、続報がNHKでは出なくなりました。しか・・・・・いじめによる自殺、中学生、茨城県・・・・・と入れて、ググると、出てきました。担任の先生の名前も、顔写真も出てきました。しかも、数多い文章が出ていて、担任が、悪かったと言う事が判ります。しかもその担任は調査委員会には、出てこないそうです。かわいそうにと思いますが人生で、なんどか、ひどい教師に出会うものだと思います。なんとか見つけて、被害者は、中島菜穂子さん、担任は、佃香織と言う事が判りました。ただ、私がブログで書いた赤いドレスの写真は出てきませんでした。

 鎌倉および日本全体で、御大として大きな顔をしている=日本ペンクラブ会長だった、井上ひさしが、私の文章力に嫉妬していますので、ちょっと、いい論考を書くと、NHKから、ニュースそのものが消えてしまいます。

 ともかく、子供の自殺のニュースを聞くたびに、「娘の方が二年間担任をされてしまった、秋〇女史と、息子の方が、二年間担任をされてしまったW女史に、私が出会ったのが、子供が、両方とも小さい時でよかったなあ」と、思うのです。

 ここで、午前一時半ですが、息子の方のケースを思い出してしまって、困っています。息子のケースは蛇足2というところで、できるだけ短く書きましょう。そして、別の機会に膨らませます。

@@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

 幸いに、娘は、あまり反応を示さず、鈍感なのかな?と思ったり、上の子と、19か月の差で、生まれたので、何時までも、私が彼女をおんぶしていて、その豊富なスキンシップで、おおらかなのか?と、思ったりしました。

 しかし、或る時、娘が「お母さんは、切れたら怖い」と言ったのです。でね。自分を弁護するわけではないが、娘を、大きく、叱った覚えはないのです。でね。なぜ、そういうことを言うのか?と、一生懸命考えてみました。すると、「あれだな」と思い当たる節があったのです。それは、娘が三歳の時の遊び友達・・上滝家の、お嬢さん・・のケースです。

ここで、上滝家という実名を出したので、ドキッとなさった貴方。大丈夫です。この子は、今では、54歳です。で、結婚をしている筈なので、上滝某と、言う54歳の女性は、現在地球上には、存在していない筈だからです。私もバカじゃあないです。

(蛇足1)

 今、当時の写真を探していたのですが、無いので、結婚式の写真を置きます。フォトショップがあれば、自分だけを切り抜けるのですが、ブログにあげた写真は、編集できない模様なので、大きいサイズのママで恐れ入ります。

 これは、既製品ではなくて、私自身のデザインで、洋裁師さんが、縫ってくれたものです。ただし、化繊の生地で作ったので、ラインが固いです。1960年、幅が広い、白い絹地は、売っていなかったのです。ちりめんの反物は、手に入りました。だが、それを、洋裁師さんに預けると、彼女の仕事が増えちゃって、断られそうなので、化繊にしました。今は、化繊でも、ちりめん風の柔らかい生地を生産できる模様ですが、1960年代のポリエステル生地って、硬かったのです。

 

 ただし、彼女=稲田恭子さん=は、この種の件で、嫉妬してきたことはありません。実家が富裕だし、夫が高給取りだからです。すごくかわいらしいエピソードがあります。私が母からもらった、二重になっている編み物のコートを手洗いしたら縮んじゃったのです。今買えば、4,50万円のもので、絶対にドライクリーニングをしないといけないものだったのですが、当時、サラリーマンの妻になった私は、手洗い主義を貫いていたからでした。それを彼女に話すと、「あら、それなら頂戴」と言われたので上げた記憶があります。彼女は私より体が小さいのです。40年は前の話なので、すでに、彼女は捨てていると思いますよ。色も赤(表)と白(裏)だったから。でもね。そういう事が平気で出来るのは、彼女の育ちが良くて、私も金銭的な意味で、言えば富裕層だったからです。今だと、私の方は、「上げない」というでしょう(苦笑)で、スカートか何かへとリフォームすると思います。倹約する人となったからです。

 そんな風にとても仲が良かったのに、CIAエージェントたちは、自分たちの悪を隠ぺいするために稲田恭子さんを、敵陣営内の人へと変えていったのです。しかし、彼女と、私は、今は遠く離れて住んでいます。彼女は、昔からの住所を変えていないので、徒歩三分のところに、杉本正子さんが住んでいます。それで、こうなるのは、まあ、仕方がないと、思っています。

 

 

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鎌倉いじめ主婦軍団の・・過去の悪業・・を隠ぺいする為に、国家の法律が二度も変更される? 廃棄物処理法案と建築基準法

2023-09-11 18:52:35 | 政治

副題1、『徳島阿波踊りの、特別席、2万円が、建築基準法違反である‥・・・というニュースが何度も何度も出てきたのは、他の目的があるのだ。私のご近所の前田清子さんを救済するためである・・・・』

 と言っているブログ後註1の、副題2を、ここにコピペします。但し、紫色のフォント部分は今、書き足す部分です。また、意味上で、特に問題で、重要だと、私が思うところは前書いたものも、今書いて居る部分も、青いフォントで、表します。特に重要なところは赤い字で。

::::::::::::副題2,『わたくしが、今、問題にしているのは、阿波踊りの、特別観覧席が、建築基準法違反で、それを使った、人には、使用料20万円を払い戻すと、言うニュースです。これは、大体1000万円です。そして建築業者、または、企画者が払うわけではなくて、官房機密費から出されるでしょう。だから、あのニュースに出てくる人は、責任を負わされても、へらへらとしていて、抗議をしません。・・・・・これは、ひどいです。15cm程度の違反をとがめて、1000万円を払い戻すなんて・・・・・という抗議をしません。

 私は、それが、報道をされ始めた当初は、・・・・・重箱の隅をつつく様な小さなことを・・・・・暇人たちですねと、・・・・・と、思って気にも留めなかっのです。ただ、阿波踊りが終わってから、二か月もたつのに、何度も繰り返し、報道をされるので、変だぞとは、思い始めたのでした。で、あれ、ちょっと違うぞ。これは、重要な謀略ニュースだと、気が付いたのでした。特に問題なのは、私が9月5日に、心覚え用のメモを作ろうとして、新着ニュース欄から、9月4日、報道の部分をコピペして、このブログの、下書きボックスに入れようとすると、無いのです。

 こういうケースは、裏にCIAエージェントが居て、彼らが、自分たちに都合がよいように作り上げたニュースの際に、典型的に表れる特徴です。私のブログに利用させない様にするためにNHKオンラインで、文字化されない・・・・・それが、嘘を含むニュースの特徴です。ただ、この阿波踊りのニュースは、嘘の部分が、国民には、みえない様に、相当に、考えた作り上げ方をしています。ただ私には、国民が「建築基準法ってばかばかしいですね』と思い込む様に、洗脳していくためのニュースだと、言うのがはっきり見えていました。

 目的は、三つあって、*1)、新しい法律改正をするにあたって、国民がりょうしょうする様に、前もって洗脳をしておくこと。やまゆり園事件とは、措置入院という、語彙を、国民に広く知らせ、そういう事をしていいんだと、思い込ませることが目的でした。それで、ご近所が結託をすれば、自分たちの都合の悪い事(殺人未遂に近いひどいことを何度もやられています)をブログで書き続けている私を精神病院へ、入院させることによって、ブログを書けない様にして、そのうち、このブログのアカウントを停止させれば、すべての悪事を、消し去ることが出来ると、そういう目的で、やまゆり園事件は、起こされたのでした。19人もの死者はいませんよ。京アニの放火でも、死者36人は、嘘でしょう。

 今度のケースは、検知器基準法って、ばかばかしい事を問題にするのですねえと、思い込ませるのが目的です

*2)、それによって、得をするのは、建築基本法違反の造成地に建っている住宅に住んでいる前田清子さんと、そのさらに奥に、旧中谷邸を買って、シェアハウスにしている、前田清子さんの長男です。

 で、わたくしが死んだら、違法であろうがどうであろうが、今の家を取り壊して、新築をする予定が、あの、長男にはあるでしょう。彼は、朝日新聞の販売(専売)所を経営していたのだが、最近、本社の、記者に格上げされていると、考えられます。私が最近引っ掛けられそうになっているR子さん名義の、年賀欠礼の、主役が、この事案の関係者なら、全員が下の名前を知っている元・ICU・テニス部の部長=御父さんではなくて、28年前に自殺未遂を起こした長安んさんであると誤解をさせて、わた串が、その方向で、ブログを書くことを狙われているわけですが(それが、引っ掛けだというわけですが)そのお父さんは、新卒時は、中央公論に入社だったと、語っているのは、前田家のご長男のあまりにも得をしている状況を語りたかったからです。その坊ちゃんは、日大農獣医学部の新卒時は、朝日新聞社入社ではなかったと思います。だってね。彼女は、34年前の事ですが、私の土地が盗まれてしまった、問題中の問題の安野家の前の安野智紗さん主催の、井戸端会議で、こういうことを言っていたのですよ。

 「うちの△△子がね。湘南高校で、付き合っているのよ。結構、イケメンなの。だから、さっさと決めちゃえば、って言っているのに、ああだ、こうだと言って、なかなか、決めないのよ」と。びっくりしました。子供の結婚って、神様の支配する領域です。それをね、「きめちゃえば」ですって。湘南高校の生徒たちって、ペニスをワギナに、突っ込むのを平気で行っているのですか? 日常的に誰もが行っているのですか? アエラによると、小学生でも、友人宅で、集団リンチとしての性交をすると、書いてありました。だから、頭のいい子が集まっている湘南高校でもやっているのかしら? ご長男の方は、20代で三人のお子さんのパパとなっているので、前田家って、そういう方面は手早いのでしょうね。西原理恵子のおすすめと、同じ手法で、生きているのかしら。四人のご家族が? さん人のお子様だとわかっているのは、我が家の盗まれた土地で、お孫さんの写真を撮っていたからですよ、ひどいですね。のちにテレビ番組、【489日の難工事(石井秀樹邸の新築工事・経過・記録のTV東京の特番)】内でも、我が家から、前田清子さんのせいで、盗まれた私道部分に立って、ここは、環境が良くて、なんてうそぶいているのです。

 あなた、それで、駒澤大学の教授なんですか?と、問いたいです。だって、本当にあほだと思う。「自然環境がいいです」と、テレビカメラの前で、言いたいはわかりますが、それを、よりにもよって、奥さん、清子さんのせいで、盗まれて使えなくなった我が家の私道ぶぶんの土地に立って、自慢しているのですからね。ほかの土地に建って語ればいいでしょう。違いますか? しかも、自分の方は私道部分を不法占拠しているのですよ。

 それが、建築基本法違反ですが、きっと、この徳島の、一人分20万円の椅子が、建築基準法違反である事を国民への洗脳事項として、いずれ、前田家のシェアハウスは、新築化されるのでしょう。やりたい放題です。

 旧、中谷家の、ペンキ塗り直しも、公金で、行ってもらっていますね。だから、基礎の木材が塗ってないし(と書くと、塗りに来るでしょうが、)北側も、塗ってないです。私に対して、自分たちが、如何に得をしているかをに見せびらかすのが目的でしょうから、見える所だけ、きれいにしたのです。→ → →

 皆様、この章は、全く持って未完なのですが、ここで、中断をさせてくださいませ。昨日、夜九時から起きています。だから、もう、寝ないとだめです。以下はメモとしてお考え下さい。ただ、リンク先をお読みになると、私が、言いたいことは、相当に推察可能だと思います。今は、とても体が弱ってきているので、入眠させてくださいませ。では。続きは、後日書きましょう。ただ、ここで、昨日、苦しめられたケースを語っておきたい。そういう苦しみに出会うから、上の様にはっきりものごとを言う。すべては、安野智紗夫人の井戸端会議にあるし、かのじょのあくらつぶりが、いまだに続いているし、さらに進行しているので、上下の文章を書かないとならないのだ。

 9-9の土曜日に長男から電話があり、手伝いに行ってあげるという。で、日曜日に来るとわかっていたが朝6時まで、起きていた。彼が、反抗的な人間なので、私が寝不足で、余裕がないと、まずいので、主人に、12時まで寝かせてね。彼には二時に帰ってきますと言ってくださいと、言って、就眠した。

 案の定、九時に電話がかかって来た。今日行くって。だけど、主人の対応がまずかったので、彼が、誤解をした可能性がある。母親が居留守を使ったと。それは、決定的にまずい。

 私は誤解を解くために茅ケ崎に行こうとした。すると、主人が止める。それを振り切るために、口論となった。

 でも、茅ケ崎に、行くと言っているので、それが、盗聴をされて、必ず山をおりる筈だと、みなされて、安野夫人がさっそくいじめに動いた。まだ、九時代なのに、花輪夫人を呼んで、如何にも仲良く、という感じで、井戸端会議をしていた。それは、私が忘れ物をしたので、二回か、三回、山を上下したので、相当著時間続いたのが判っている。

 これは、もちろん、ポンが、「R子さんは、人柄がいいので、ご近所人間から、ものがたくさん届いて、火事の後、物を買わないですんだ」と、言った事実を、いじめ用に、使っている。そうですか?と、ポンには何も逆らっていないが、ポンがもし火事を出したら、ご近所から来た中古品を使いますか? まあ、どうして、ミスターHTは、うつ病気味なのですか?

 で、も、すぐさま、・・・・・この山では、自分がすべての人と仲良しなのよと、あなたは違うでしょう・・・・・と、言いたい。安野夫人のお芝居を感じ取った。ラインを取得している間柄か、ショートメールか電話かはわからないものの、花輪夫人を呼び出して、協力をさせたと思う。花輪夫人は、その連関をわかっていて、協力をしたのだろうか? 何回か、引き返すうちに、自転車に乗って駅方向に向かう、花輪夫人と出会ったが、にやりと笑っていた。

 三回も上下すると疲れたので、もう茅ケ崎に行くのをあきらめて、長男に電話をかけることとする。

 ところが通じない。で、スマホも使う。主人のも使いたいと、思ったが、どこにあるかわからないと言う。

 警察が、邪魔しているのは明らかにわかっているし、ともかく、行かないのなら、電話をかけて、誤解を解いて置きたいと思うが、まあ、20回目ぐらいにやっと通じた。それは、警察が、やっと気づいたと言う事だろう。私が、その不通に対して、どういう事を考えて居るかが、二十回目ぐらいに、やっと、分かったと言う事だろう。私は電話が、警察に邪魔されていると、むろんわかっている。そして、わかってしまった限り、いずれブログに書くだろうと、みなされたから、通じさせたのだろう。

  息子には、「もう20回もかけたのに、通じなくてね」と、言っておいた。すると、一時間後、末尾、0120-XXXX-3017? という番号の人物から「間違い電話が四回ほど、自分にあった」という。だけど、通話履歴には、この番号は浮かばない。警察は、全く持って汚い小細工をする。人権侵害もいいところだ。本当にひどい。

 日本では警察と、CIAは、ほぼ、どうたいである。この妨害は、神奈川県警が行っていると思うが、夕方のニュースで、警視総監が出て来た。脅かしが利くと思っているのだろう。安野・前田、白井、平木軍団も本当に幼稚だが、日本の警察というのも庁が付くほどに幼稚だ。今、右手の手のひらに、リュウマチ状の痛みを感じた。一か月前に再燃したい民で、2012年に安藤てる子さんが、自分にも起きると、言っていた。彼女は、刑事だと思うので、一種の脅かしであろうが、最近、これを使ってきている。その痛みである。神様、どうか、お守りくださいと、言っておく。

  

  → → → あきれてものが言えない。腸詰屋さん。ここをしっかりと、読んでおいてくださいね。いずれ、あなたも関係してくることだから。

 テレビ番組に出ることは勝つことだからね。それで、川崎千恵子(雨宮舜)を黙らせることが出来ると考えて居るみたいです。そうかしら?と、聞きたいですよ。

 ああ、このセリフですが、15mくらいの距離のあるところで、話をされているのですよ。そして、私と前田清子さんの間には台所がある。それでも聞こえるのです。それで、私はエッセイメルマガとか、ブログで前田清子と言いう実名は出さないで、事情を書き始めました。だって、彼女の大声が原因で、我が家の私道部分だけが盗まれることとなったからです。我が家よりも安野家に、三分の一の距離で、近い藤本悌子夫人が、大迷惑をかけて来る前田夫人に復讐をしようとしたとばっちりで、そういう事となりました。

 で、こういう事情を、2007年ごろから、限定された読者のいる、メルマガで、実名を伏せて書き始めました。が、やまないのです。反対に在ろうことか、東隣の早稲田の政経卒の紳士を使って、「前田さんの声はね。地声だから直せないんだって」と言わせています。その人は、東京に本宅があり、ここは、別荘です。

 私はね。例のごとく、ただ黙って、その人の顔を見つめているわけですが、さすがに、その人も、きまり悪そうでした。だって、彼は、所謂ぱしりとして、使われているわけですよ。恥ずかしいでしょう。しかも前田さんの前の住民は、この山の男性を相手に不倫関係に陥っちゃったんですって。。で、それがばれて慌てて引っ越して行ったので、長男の家(旧中谷家)も相場より安く買っていると思いますが、親世帯の方も、きっと安く買っています。しかも、いろいろな事情を正しく知っているので、前田さんが悪いと言うのも知っているのでしょう。でも、私の味方もできないのです。だって、CIAの日本人トップは早稲田の政経卒の、成岡庸司君だと、私は考えて居るので、その紳士=長嶋さん=も、当然、CIAには逆らえないわけです。

 でも、「下の駐車場が、(40年前は)、自民党の大物の所有物で、反対側の敷地は、栗田書店のもので、云々カンヌン」、と、私に言われるので、・・・・この人、法務局に行って、あれこれ、身元調査をしているのだわ。ローン設定のことなど、調べて居るのだわ。でも、なぜだろう?・・・・と、思いました。が、後で早稲田の政経卒と、ご本人から聞いて、なるほど、じゃあ、法務局は、自分の居間のようなものですねと、納得をした次第です。趣味と遊びの一つとして、法務局訪問をしているというわけでした。

、元の前田家に戻ります。ご長男の住所ですが、シェアハウスの案内書に表記されている住所が・・勝どき・・のマンションになっていましたからね。非常に高いと思いますが、朝日新聞の記者なら、高給取りでしょうから、二三年、しょうひを、おさえてちょきんをすれば、勝どきのマンションも買えるし、今般シェアハウスにした、旧中谷邸を、1970万円で、買う事もできるわけです。

 ただ彼が、朝日本社勤務になったのは、最近というか、新卒時ではないです。、朝日新聞本社の記者に、なっていると考えられる、特権者中の特権者)が、得をして、ついでに、前田・安野・白井夫人に代表をされる、この小さな谷戸の中の、警察への協力者が、勝ち、

 20坪程度違法に、私道部分を40年以上、違法に、造成し、自分の庭として、使っている前田清子さんに、ついて、あれこれ、わたくしが、過去に書いてきたことが、わたくしの方が間違っているということにされかねないこと。

 私の方は、反対に、37年も、私道部分が、コンクリート打ちをされてしまって使えず、大損をしているのに、それが、裁判を起こしても逆転をすることがなく、永遠に、こっちが負けたということにされ、もしかすると時制が40年分、短縮をされ、こっちが誹謗中傷をしたということにされかねないこと。

 

 

 それが、証明されるのは、2023年に、廃棄物処理法案というのが、改悪されて、自宅で、焚火をしてはいけないと、言う事になりました。それが、これまた、前田清子さん救済法案だから、私は、そういっています。

 私はたまたま、昨日は、過去ブログ、pig head 豚頭というブログを探していました。すると別のブログ二つが見つかり、『お、是って、廃棄物処理法案について、のちに、書いたものですなあ。昔(というのは、20年?近く前、

 【山狭(やまあい)の煙】という、エッセイーを書いて居ます。それの、一種のスピンオフです。で、これを使ったら、説明ができるかしら?」と、思い当たり、この章を書き起こし始めています。

岸田淳平夫人の癌による逝去は、私に責任があるのか?、それとも前田清子+安野智紗に在るのか?     2022-11-26 21:09:43 | 政治 

ジンジャーの伐採と曼珠沙華の攻防 (雪ノ下黒物語の、スピンオフとしてのお話)     2022-11-21 13:58:32 | 政治

 上の二つの章を、私自身、今、まだ、詳細に読んでいないのですが、そこに書きたい、原初の、山間の煙とか、

前田清子さんが中心となって、私が、強烈にいじめられた体験です。それも、彼女たちの誤解に基づく、一種の冤罪的いじめですので、深い、深い怒りを持って居ます。

 

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副題2、『ところが、私自身は、1965年から、ベイカーさんと言いう、アメリカ・イエール大学在学中に交換留学生として、ICUに在学していた、金髪碧眼の美青年、(映画俳優のメルファーラーに似ている)から、殺されそうになっています。最近、千鳥ヶ淵に、にゅすい自殺・未遂を起こした、佐藤忠一君と、彼を、500人以上の学生を使って講堂内部で、一人だけ、追い詰めた、(いわゆるリンチ事件、ただし、ゲバ棒を使ったとは、聞いて居ない。純粋に言論だけを使っていた)入江多喜男君について書いて居ます。(後註2)のリンク先の副題4

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副題3,『CIAは、ルーティンワークとして、攻撃したいターゲットに、知り合いから、正対してすれ違う様に、設定し、そちらが、ターゲットを無視してあいさつをしない様にする、または、にらみつける様にする。と、言う手法をとっている。前報で出てきた北川フラムもそれを使ったし、中谷家の次男も同じである』     そして、前田家が三代目町内会長をする前に、町内会長だった中谷共二という人物が、北久里浜の件で、わたくしに復讐をしようとする瀬島龍三に協力をして、我が家の東北の崖を無断で、削って、藤本悌子夫人が異様に入れた地境石を正当なものとしてしまったのを書いているので、今度は、中谷家の次男(三井物産勤務)が、三井物産で、もっとも、剣呑できついことで有名な人物・佐野雅明氏をかどや製油に送り込んできて、19年勤務していたかどや製油を、息子が辞めざるを得ない様になる様に苛め抜いたのでした。     息子は何も愚痴を言いません。いじめる上司の個人名も言いません。でも、何かが、おかしい、と私が、思ってかどや製油の株を買って、株主総会用の資料を見たら、重役候補に、佐野雅明(〇〇年、三井物産入社)とあったので、わかりました。三井物産から来た、重役がいじめ抜くは、もちろん、裏に中谷氏の、次男がいるのです。    この中谷共二氏の次男という人は、旧県立近代美術館本館前の、狭い歩道で、対抗方向からやってきて、わたくしをにらみつけたので、彼が裏で、上記のことをやっているのは確かなことです。お父さんと顔がそっくりなので、すぐわかりました。     心理学の用語で、投影現象というのがあるのです。自分が相手に悪いことをしている場合に、相手の方が悪いと思い込む現象です。そうでもしないと心理的なバランスが取れないからです。その典型でした。    北川フラムが、にらみつけてきた  一部省略   のも、この中谷家の、次男が、時間を合わせて、対抗方向からすれ違う様にして、にらみつけてくるのとまったく同じ手法をとっているわけです。CIAの基本的攻撃方法なのでしょう。裏でね。監視、とか、尾行などをつけて、ぴったりの時間にすれ違う様にするのです。  一部省略   まったく同じことを花輪夫人(実働15軒という少数のご近所様のひとり。だけど、わたくしが、一番、頭がよいと認めている存在)が、やってきても、それは、もう、どうってことはないのです。ただね。政治的な動きとして、すべては、書いておくのですよ。CIAが、今何を考えているかを、把握するために、彼らの道具として、行動する花輪夫人も、記録をしておきます。だけど、屁の河童ですよ。

 

後註1、

京アニ放火初審関連newsにはビビらない私だが、20万円の席は建築規準法違反であるにはビビっている     2023-09-04 22:23:17 | 政治

後註2,

1960年代の学生運動華やかなりし頃の思い出話。川名昭宣君がCIAの大物Ajentであると分かった時期の話     2023-08-29 01:41:34 | 政治

副題4、『川名君が、わたくしの手を痛めつけたのは、入江多喜男君の死に、わたくしの方に責任があると考えたから、一種の復讐として、そう、したらしいが、私にとって、ICU在学中に、・・・・・いとしい人だ。気の毒な人だ・・・・・と、考えたのは、入江君がいじめぬいた、佐藤忠一君の方だった。まず、佐藤忠一君の苦難を語りたい。佐藤君は、1966年に千鳥ヶ淵で、にゅすい自殺・・未遂・・を起こしている。したがって、今まで、実名を書かなかった。しかし、入江多喜男君の方の、実名を挙げる限り、彼が、いじめた、佐藤忠一君の名前の方もきちんと、上げておきたい。だって、すでに、80歳か、81才だろうから、許してくださいね。林真理子を批判するため、また、日本から原発を無くすために必要なのですから。私自身だって、ものすごい損害を受けています。だから、あなたも損害という意味での、一役を買ってください』     ここで、一部略   1962年に戻ります。私が古村君と一緒だった、27名のクラスに入江多喜男君という別の男性が居ました。この人は英語はからっきしだめで、ICUは合わなかったと思います。ところがね、自分は優秀だと、思う気持ちがあって、三年後に学生運動のリーダーになります。そして、1967年度の入試を中止させてしまうほどの大活躍をするので、退学処分を受けます。     私は、1966年の三月に卒業してしまうので、1966年度ちゅうにICUで起こったことは知らなかったのです。      しかし、海外修行をするために、それを許さない主人から離れて、逗子のマンションをアトリエにして、一人暮らしをしていた時に、今まで禁じられていた夜の長電話ができるようになったのです。でね。それは2000年のころだったので、ほとんどの人は、60代で、まだ、仕事があり、夜しか話せません。で、結婚以来、初めて、大、大的に、開放をされて、友達に、夜、長電話をしまくったのです。      そのときに、佐藤忠一君の、驚くべき話を聞くこととなりました。佐藤君本人ではなくて、女性の友人からです。古村君、入江君と、私と、同じたった27人だけの、同じ、クラスにいたテリーという女の子(むろん、日本人だが、AFS経験者なので、アメリカで、ついた、愛称をその後もずっと使っていた女の子)から、驚くべき思い出を聞くのでした。その年、留年する人がひどく多くて、彼女も留年をしたし、入江君もしたし、これから先の主役、佐藤忠一君も留年をしたのです。      ICUには、当時、二つ、講堂というものがありました。そのうちの一つディッフェンドルファー館内の講堂での事だそうです。テリーが言うのには、「そこで、学生集会が開かれたときに、佐藤忠一君が、たった一人だけで、500人程度の学生から、つるし上げにあったのよ。でね、佐藤君は、苦しくって、千鳥ヶ淵で、にゅすい自殺をしたの。だけど、救われてね。それから、精神病院に収容されて強制的に10日間ぐらい、眠らされてね。それで、治ったの。回復したのよ」と。      本当にびっくりしました。佐藤忠一君は、日比谷高校出身なので、千鳥ヶ淵は、校庭みたいなものでしょう。だけど、普通だと、飛び込んだら助ける人はいない筈ですよね。特に夜だったでしょうから。だから、死にます。でも、助けられたと言う事は、尾行が付いていたと言う事。と、わたくしは考えます。・・・この後一部略・・・ 2023年の8月の話から、元へ戻ります。1966年の秋に戻ります。しかもその尾行は、日比谷高校で、佐藤忠一君と同期だった、成岡庸司君だっただろうと、私は考えて居ます。    成岡庸司君は、早稲田の政経に、在学中で、革〇の委員長でした。バスの中で、1965年の秋に、私が秋山豊寛(のちにTBSの報道記者になる。立花隆、筑紫哲也などと、友人関係にあり、ソ連の衛星で、宇宙遊泳をしたことでも有名)に、・・・・・自分の、まじめさをからかわれたので、対抗上「私は、成岡庸司君とは、友達なのよ」と、話したせいで、CIAエージェントに、成岡君が、リクルートをされていったのだと思います。     で、成岡君は、佐藤忠一君を人物として知っていたのだと思います。日比谷高校は、在学生の多い高校だと思います。だから、二人が個人的にも知り合いだったというのは、奇跡に近いです。特に、成岡君と佐藤忠一君はまるでタイプが違いますから。      まず、女の子にもてるかどうかで、圧倒的に二人は違うのです。成岡君は、美形だし、演劇好きで、表現力が豊かです。だから、革〇の委員長を務めることが出来る。早稲田でも1963年には、大隈講堂の芝居に出演していましたし。      一方、佐藤君は体が小さくて、かつ顔も美形ではない。彼と、狭い部屋で、少人数で、じっくりと話すと、すっごく頭がいいし、芯もしっかりしているのが判るのだけれど、初対面の相手には、全然アッピールをしない、そういう男の子です。ICUの中では、全然目立たないタイプです。彼も、留年組でした。1960年代当時の、ICUって、単位の取得がとても厳しいのです。しかも教員免許を取ろうとすると留年しないと無理だから、留年生が多いのでした。      600人以上の学生が集まった、講堂で、言論的リンチを受け続けながら、一切、身を引かなかったというのは、私にはよくわかります。佐藤忠一君には、いざとなったら、そういう強さがあるのです。しかし、下校時に、やはり、悩んだのだと思います。次の日に登校したとして、自分が、どういう風にほかの学生たちに、扱われるのか?についてです。      そういうことに悩んだのだと、思います。だから、千鳥ヶ淵で、にゅすい自殺を遂げようとしたのです。そして、変装してD館の講堂の、ICU生だけの学生集会に、出席をしていた早稲田出身の、成岡君も、自分自身は、入江多喜男サイドであっても『かわいそうだなあ。佐藤忠一 』と考えたのではないかなあ。

 

 

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日大事件の真実の目的は、林真理子を偉くする為です。 + 引きこもりは、親の方に大きな原因があるよ

2023-09-08 20:36:49 | 政治

副題〇、『この章の目的をまず書こう』

 以下の事は年賀欠礼を使った、引っ掛け(=だまし討ち)について書いた、前報 →

偽の逝去情報?(=年賀欠礼に拠る)で、引っ掛けられそうになった私、    2023-09-07 22:30:57 | 政治

 → を、さらに、解説する為に書いて居ることです。非常に嫌なことを前段階に置きますが、そういう状況であるからこそ、深く突っ込んだ、解釈を、他の登場人物についても、さらすと言う事となります。R子さん名義の、年賀欠礼を、もし、彼女が本当に、出したと、仮定したら、マダムR子は、私を殺そうとする一味の、仲間となりますので、徹底的に分析させていただきます。それに入る前置きが、副題1~〇までです。ただし、どうも偽物らしいという判断も、私の方にはあり、それを考慮しながら書いていくこととなるでしょう。年賀欠礼は、手書きではないです。大体、文体が、決まっていて、亡くなった人の場所だけ、固有名詞を入れる形で、彼との続き柄も入れます。だから、パソコンで一枚だけ作るのも簡単です。大型プリンターで、印刷するとプロに頼んだ、年賀欠礼とほぼ同じ仕上がりになりますので、偽ものを作るのは、容易です。

 笠松敦子さん(新卒時、筑摩書房入社、その後、独立系編集者となり、【失われた時を求めて・新訳・箱入り上製本】ほか、立派な本を続々と編集する)から、電話で、内容を聞くという間接的な形だったので、わざと誤解する様へ誘導されたとも、考えるのです。続き柄が、書いて居ないらしいことは、ご主人ではない」と、言う部分が、ありました。夫君は、私も彼女も、よく知っている男性です。その名前ではなかったというだけで、死んだ人が、夫君ではないと敦子さんは、言いました。ただし、子供なのか、甥なのか、兄弟なのかは、笠松さんは、言いませんでした。それだけでも怪しいです。私が、誤解する方向への誘導がある。

 私が、ご長男が死んだと早合点をして、猛烈な母親(=R子)批判を開始して、その後「あっかんベー・違うんだよ。ご長男は、元気だ」という展開になるのではないかと、その電話中に、気が付きました。それでね。その罠には、引っかからない様に、気をつけながら、数日を過ごし、やっと、9月7日になって、友人四人に電話をかけたのです。するとね。二人が居留守を使い、二人には、年賀欠礼が来ていないと、わかりました。居留守を使った人(後で出てくるあんずちゃんと、ポンですが)たちには、敦子さんカラか、川名君からか、または、別の人から、この2.3日のうちに「年賀欠礼が来たと、言ってくれ」と頼まれていて、かつ、その嘘を上手につく自信が無かったので、居留守を使ったと思っています。

 笠松敦子さんには、伊藤玄二郎か? 川名昭宣君が「川崎千恵子=雨宮舜の本名=が、いずれ電話をかけてくるはずだから(というのは、1966年の同窓会報を、最近、寝室に入れ込められたので、それについて、同期生の誰かに電話をかけて問い合わせる筈だから)、こう、こう、こういう風に答えてくださいね」と、頼んでいたと、かんじます。そう感じないと、敦子さんのご長男と、同い年の長男を持っているわが身としては、情けなさすぎる。こんな悪女がお母さんなのですか?となるからね。違うでしょう。あなたって、もっと、もっと立派なそして賢い・人でしょうと、言いたいです。でも、自分一人で、この引っ掛けを考え出したとすると、それじゃあ、R子さんの欠点を書いた後で、あなたの欠点を、これから先、シリーズとして書かないとならないじゃあないですか?と、なります。

 伊藤玄二郎と笠松敦子さんが直接関係があるだろうと、言うのは、吉田秀和氏の上製本を、彼女が担当したからです。しかも献呈をされたからです。ありがとうございます・でも、あります。が、葬儀に招かれなかった私としては、その献呈を嫌味と感じました。吉田秀和氏については、何本もメルマガエッセーまたは、ブログ文を書いて居るからです。それをちゃんと読んでいたら「葬儀には、一緒に行きましょうね」と言ってくれるはずだから、読んでいないでしょう。その上に、葬儀に誘ってくれなかったのは、伊藤玄二郎の命令であろうから、もう伊藤玄二郎と、親しいのだなと、わかりましたよ。ただね、伊藤玄二郎と、川名昭宣君は、これまた、通通の上の通通という間柄だから、川名君から、「こういいう風に言ってほしい」と、頼まれた可能性をも、強く感じています。

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副題1、『パスポートについての感慨、あれこれ・・・・・その盗難(私の分2冊)』 

 今、録画しておいた、カンブリア宮殿を見て居たら、凸版印刷は、二けたの数に及ぶ外国のぱすぽーとを印刷しているそうです。

 また、別の日にNHK ETVで、放映をされている【こころの時代、遠藤周作篇・・・深い河】でも、パスポートが出て来て、それで、大いなる、嫌な気付きをもたらされました。遠藤周作の深い河は、1950年のフランス留学への船の中で、神父の井上洋治氏(1927~2014)と知り合い、その井上洋治氏が、重要なモデルだと、いう場面が出てきました。その際に、遠藤周作のパスポートが出てきたのです。

 遠藤周作が、37歳の時です。

 その時に、非常に嫌なことを思い出しました。私はね。パスポートを二度も盗まれているのです。

 ICU時代の友人で、アメリカ留学をした人たちは、1966年にパスポートを取得した筈です。ICUに入学する前に、AFSに合格した人たちは、17歳の時=1959年にパスポートを取得した筈です。

 私が取得したのは、1980年です。38歳の時です。すぐトルコへ、個人旅行(ただし、主人と一緒)して、その後、イランへ個人旅行(主人と一緒❓いつだったかしっかりと覚えていない)、イタリアへの旅行(阪神旅行のツァー?)、フランスパリ(文化庁の在研・滞在三か月1998)、スペイン旅行(主人と弟と一緒1998)、ギリシャ旅行(1998 単独)、ニューヨーク滞在(3か月=1999 単独)、ニューヨーク滞在(3か月2000 単独)、ニューヨーク旅行(2002,11日)、台湾旅行(2006~2014 の間、❓6日間)などの旅行をしたはずです。

 遠藤周作は、若い時に結核を患っているので、そのフランス留学時のパスポートでは既に痩せていて、その後、彼が、一般社会でも有名人となった姿と、顔貌は、同じです。

 しかし、私自身の顔は、非常に違うでしょう。でね。遠藤周作の人生を見ると、小田急【玉川学園駅】もよりに、居を構える前には、二、三回転居をしていると思います。それでも、紛失しないで、ちゃんとパスポートが、ある。有名人のパスポートは盗まれていないのに、一般人のパスポートは盗まれる。この国って、変でしょう? おかしいです。

 青山敦子さんという高校時代の同期生が、弁護士をしていて、1978年には助けてもらえました。そのころは、ご自宅で、お昼ご飯をごちそうになりながら、相談するというほどの仲良しだったのに、その北久里浜の水道山を瀬島一派(CIA軍団)が、只で、私有化する地積変更届以降、どうもすべての東大卒の弁護士に、私を助けるなと、言う指令が下ったらしくて、こういう無残なことが、頻発しているのです。後程出て来るポンというあだ名の、東大教授夫人にも誰かが讒言を下していると思うのですが、それが、ご主人からだったりして?????

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副題2,『パスポートが必要なのは、どの国に、何年に、行ったかを思い出したいからだが、何時も絵をスケッチしてきて、そこにサインを入れているので、わかるはずだと思ったが、その絵が無い。盗まれていた。

 ある日、側溝(雨用・・・・特に西隣との間の側溝)に、鎌倉の町で出会った美女の鉛筆スケッチが、ボロボロになって入れ込まれていたので、絵の泥棒は、大原光孝さんだと、わかった。というのも、この女性を、スケッチするのは、相手に報酬を支払うわけではなくて、美人だから、お願いをしているので、千載一遇のチャンスだから、その当時、仲が良かった、ご近所住まいのプロの画家・大原光孝さんに、「ご一緒にどうぞ」と誘ったら、「そのひとは肌の色が白いですか?」 と質問をされたので、「うーん」と否定すると、「じゃあ、いいです。僕は、肌の色が白い人が好きなのです」と言って、断られた。その女性は、東京在住だが、お嬢様であることは確かで、鎌倉ではサーフィンをしに来たのかもしれない。だから、日焼けしていた?

 彼は、柄沢斉の弟子だそうで、それゆえにか、柄沢斉の版画集は盗まれている。それと、保田春彦(武蔵野美大教授・・・故人)から頂いた、奥様の業績を集積した、厚さ5cmのA四版の画集も、盗まれ、(この二冊は、水沢勉氏から頂いた)

 ご近所住まいだった、品のよい紳士で、前衛俳人だった、中村光三郎の、【春の距離】も、盗まれている。これは、ご本人から頂いている。

 そのほか買った本で【鍵盤の天皇】は、読むのを楽しみにしていたのに、盗まれている。3000円で再度買うのがばかばかしい。

 大原光孝さんは、瀬島龍三 → 酒井忠康 → 柄沢斉 (または、家出中の、美枝子夫人)などから、合いかぎ、をもらっていて、「泥棒を、やっていい」と言われていると、思う。だけど、酒井氏が、関係していると、書いて居るのに、泥棒を、やり続けるのだろうか? バカとはさみは、使いようという。酒井氏は、うまく使っていて、私は下手に使っていると、言う事だろうか?。

 こういう事をなぜ書くかというと、前報に書いて居る、引っ掛け、だまし討ちについて、説明をしたいからだ。お待ちいただきたい。でも、最近、冷蔵庫から夕食のおかずを入れるのにちょうどよいサイズの、タッパーウエアが、盗まれた。こういうものは、「泥棒に入ったぜ」という脅かし行為なので、大原光孝さんがやっているかどうかはわからないが、 彼は、今では、こういう弾圧行為に対する報酬を、内閣官房機密費から、「絵を買ってあげます。画料です」という項目で、もらっていると、思うので、裕福になっているのだが、この町に1984年に、引っ越してきてから、6年後の、1990年から、私が、女流展、とか、国展に、入選する様になって、絵を募集前に見てもらうことにした。上品な指導で、こうしなさいとか、ああしなさいとは言わず、ただ、テクニックの側面だけ指導をしてくれるので、感謝していた。彼にとっても楽しかったはず。

 で、外見的には、上品な人なので、金銭的謝礼をするのを、失礼なことだと思って、食べ物を、お礼にもっていった。そこで、感謝される言葉から、わかってしまったのだが、一生、宮仕え(サラリーマンであると言う事)をしたことのない彼は、非常に貧乏だったのだ。食費代は、奥様から、10万円ぐらいもらっていたと思う。または、奥様は五万円で、養母さんから、5万円だったかもしれない。だけど、医者だった、養父さんが、厚生年金に入っていなかったと、仮定すると、養母さんは、お金を出したかどうか、怪しくなる。

 そのお金で、主夫業(お料理を担当する。買い物も含めて)を行い、余った分を自分のお小遣いにしている、そういう生活なので、とても、貧乏だった。で、我が家の冷凍庫から、明太子が、数パック消えている時は、なるほどと、思ったりした。明太子って、鎌倉で普通に買うと意外と高い。だが、私は、京急久里浜駅に、一か月に一回程度、直接出張して来る、九州の生産会社の、明太子を買うので、大量でも、千円で、買える。キリコというのだが、大量なので、自分で、五袋ぐらいに分けて、冷凍保存をしている。これが何度も盗まれたので、この山には、異様に貧乏な人が居るとは、わかっていた。

 泥棒は、四種類いるので、大原光孝さんが、明太子を盗んだとは、言わない。だけど、明太子って、第一次的に必要なものではないので、10万円を一か月、分散的に使う人が、この山にいたとしたら、買わない日が多いと思う。で、冷凍庫の中で、真っ赤なので、目立つので、つい持って帰ってしまったのだろうと、考えて居る。だけど、何度も言おう、今は、内閣官房機密費から、酒井忠康氏を通して、「絵を買い上げます」という形で、年間、数百万円が入っていると考えられる。したがって裕福であるはずだ。とても、いいものを着ている。だが、嫌がらせ行為として、または、脅かし行為としての泥棒行為は、続いている。だが、彼以外にも、泥棒は、三種類は、いるので、どの物品を盗んだのが、彼だとは言わないで、置きたい。

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副題3、『日大アメフト騒動は、古村浩三夫人が、自分が経営している英語塾の生徒だった、宮川泰介君を呼んで、・・・・・こういう風に行動をして。その後、こういう風に記者会見で言って・・・・・と、指導をしたと考えられるので、

 最初は、大原光孝さんを、アゲアゲにして、私を悲しませるのが目的であろうと考えた。そういう風にブログでも書いて居る。どうして、そういえるかというと、大原さんの娘はフェリスに通って居て、わが娘は、日大に通って居た。だから、フェリスより、日大を下に置けば、大原光孝さんが威張れるわけだ。しかし、最近の林真理子を見ていると、林真理子を日大理事長にするためにあの事件が、計画をされたと、わかってきた。フェリス VS 日大の、上下関係を鮮明にすると、言う目的が、15%だと、仮定すると、林真理子を理事長にすると言う目的は、85%となる。

 つまり、林真理子というのは、出身大学を、足蹴にすることによって、最大の利益を得たモンスターなのだ。もちろん、彼女自身が手配したり、企画をしたことではなくて、井上ひさし等が、仕組んだことだけれど、結果は、彼女が肥大して、モンスター化した。

 林真理子は、お飾り理事長だったと、言う説があるが、真っ反対で、林真理子が主体で、日大は、彼女のお飾りである。8月8日の記者会見に、短いニュースを見たが、中央の学長や、右端の副学長よりも、圧倒的にマイクの数が多かった。そう繰り返して言おう。林真理子を上げ、あげ、するために、日大アメフト違法タックル事件は、計画され、実行をされた。

 あれは、宮川君がわざと、違法タックルをして、その場面だけをしつこく、何十回も、テレビ画面で繰り返すことによって、大事件であるかの如く、日本国民を洗脳していった事件だった。

 宮川泰介君は、今は、wikipediaでは、Mと、呼ばれている。これは、鎌倉エージェント、特にいまだ生きている井上ひさしが案出した謀略に、共通する表現方法で、宮川泰介君は、CIAの、いっこの核弾頭として、計画通りに行動したに過ぎない。平成の八墓村事件でも、一審で死刑、二審で死刑になった保美死刑囚は、今では、H と、表記されている。

 しかし、wikipedia では、出てこない宮川泰介選手の名前は、fujitsu の選手として、別の場所で、ちゃんと出て来る。なるほど、これが、報酬だったのですね。と、私は理解している。

 こういう結論を堂々と、開示する陰に、古村浩三夫人の存在が大きい。彼女は、覚悟の決まった人というか、腹の座った人と、いう感じを私に与えたのだ。声だけで。私が一生で知り合った女性との電話内会話で、彼女が一番強い人だという印象を持って居る。で、宮川泰介、紗江両選手を自分が、経営する英語塾で、自分が教えた過去を、利用して、「こうこう、こういう風に行動をしなさい」と、説得をしたと、考えて居る。別に男性的な低温だと、言っている若江は無い。つやのあるめっぞソプラノで、十分に女性らしいのだが、強いと、感じさせる声だった。

 その古村夫人の声を説明するために川名昭宣君が、イタリアンレストランで、ずるいずるいやり方で、私に暴力を加えた話が、必要になって来る。ほかの人が誰も気が付かない形で、手のひらに爪で、絞り上げる、または、つまみ上げる痛みを与えたのだ。それで、驚いて、スカーフを忘れて、古村家に、それを渋谷から、告げる際に、古村夫人と対応をした。それが、長大な川名昭宣シリーズとなっている。だけど、あれが、書けて良かった。今まで、ずいぶんと省略した形で、書いて来たが、相当に、深い真実を書くことが出来た。それも、林真理子のおかげである。(苦笑)

 ところで大原光孝という人物については、この1000倍か、10000倍、書かないといけないのだが、今は、年賀欠礼が、問題なので、彼について書くのは、もうやめて、先を急ごう。

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 さて、ここから、引っ掛けに乗ったわけではないが、R子、批判を開示したい。

副題4、『500人が作るソサイエティの中で、もっとも輝かしい男性をゲットした、R子は、勝利者なのだけれど、実は勝つことが目的であり、夫君を愛していなかった。したがって、お子さん(特に長男)をも、愛していなかった』

 ICUは、純粋日本人(四月入学組)だけで、280人ぐらい在籍していました。上下の学年とも接するので、500人ぐらいの人と知り合うと言う形になります。1960年代のICUって、非常に人気が高かったので、女性には、美女が多い大学でした。

 でもね、はっきり言って、R子さんは、美人の方ではなかったと言えます。般若系の顔で、かつ、鷲鼻で、肌の色が黒く、眼は小さい。しかし、態度は優美で、声も美しい。それから、さそり座だから、セックスについて、強い関心があり、ベッドマナーとしては、上手かもしれません。どうしてこんなひどいことを言うかというと、お仲間の一人、ポンという女性が、「R子さんは、美人だからね」と、私に言ったり、「R子さんは、人柄がよいからね。火事を出した後で、みんなが、必要な品を持ってきてくれたそうよ。だから、買わなくて済んだんですって」という風に、私に向かって、特に電話の中で、ほめるのだ。

 ポンと言うあだ名の女性は、のちに説明をする様に、東大名誉教授夫人だし、小さい時から、茶道はマスターしているし、いざという時は、着物でお出ましの優美な女性で、普通の場合、電話の中で、良いことであれ、悪いことであれ、人のうわさなどしない人だった。だから、これは、わざと、そういう様に教唆命令されている発言だと、思う。

 ポンに言いたい。笠松敦子さんにも言いたいが、私はバカではないよと。後程、出てくるあんずちゃんにも言いたいが、あんずちゃんとポンが、裏切ってくるのには、或る明瞭な理由があった。私は、1998年にあるお願い事をした。それで、とても親しいと、考えられたからこそ、離反をさせる様な動きがとられたのだ。その一つが、R子さんを私より上に置くと言う事。その論拠の一つが、R子さんが、夫として、テニス部の部長であり、医者の息子であり、新卒爾の就職先が、中央公論社であったと言う事が大きいだろう。尚、1060年代の中央公論は、まだ、石壁の、どっしりとした、旧ビルで、仕事をしていて、読売新聞と合併模していなかったので、中央公論新社と、言う今の名前とは、違う名前を使っていた。

 ICU卒業生、280人の中で、二人だけを選んで、あるお願い事をしたのだが、今、思うとヘヴィーデューティだった。だが、ひとを信じるにたけている私は、彼女たちにとって、週に三回ぐらい、3000字のエッセーを読むなど、全然たいしたことではないと、信じていたのだった。

・・・・・私は今から文化庁の在外研修生制度で、三か月パリに行きます。パリで、感じたことを文章に表して、コピーして、お二人、と、もう一人、飯田隆君(元朝日新聞社、週刊朝日・編集長、中学の同期生)に送ります。「読んでください」と。

 私は、中学時代も、高校時代も、国語の先生にべた褒めにされるほどに、表現力が高かった。長じての今でも、プロのライターに、「あんたは、筆力があるからね」と、言われており、実際に読んでいる人には、恐れられてもいるし、尊敬もされている。で、1998年にも、そのパリで書くもので、第二の沢木耕太郎に、なれることを疑わなかった。

 その後、2004年から、2009年にかけて、私がひとりで出版した6冊の本の内、ニューヨーク版画修業記【黄色いさくらんぼ】は、10年以上、10800円で流通していた。最近は、2712円だとか? だが、15年目だし、流通させたのが、500さつていどなのだから、如何に面白いかをご想像いただきたい。

 ところで、当時のICUにいた、150人程度の、才媛の中で、二人を選んだ理由だけど、まず、専業主婦である事。また、うっすらとだけど、自分が、CIAに弾圧を受けているのにも、気が付いていて、それに対抗するにあたって、二人は、十分な強さを持って居ると判断をしたので、選んだ。

 ポンはすでに、ご主人が東大教授だった。だから、エリート中のエリートで、仕舞か、謡を習っていると言う事だった。だから、弾圧を受けないと思った。あんずちゃんの方は、1965年時には、とても親しくしてくれて、彼女の、実家から、昔家出をしたという実母にも会わせてくれた。実母さんが、ICUキャンパスから、徒歩圏内に、住んでいたからだ。そういう行動は、すべて、CIAに筒抜けで、したがって、彼女には、その後、良い事ばかり起きる。 

 私との間を、離反をさせるためにだろうと思うが、まず、大森実という毎日新聞出身の、政治評論家(アメリカ在住)の秘書になる。大森実は、当時、アメリカに住んでおり、あんずちゃんは、英語と日本語ができる有能な人材として、大森実に雇われていた。若い方は、ご存じないだろうが、当時の大森実って、今の佐藤優と、日高義樹を合わせたほどの、有名人だったのだ。

 その後、外交官と結婚をする。金曜日の妻たちへ第三部)みたいな、パーティをよく私たちは開いていた。その中で、彼女は、「平屋で、60坪の家に住んでいたのよ」と、笑いながら言っていた。「中東の国の公使時代は、そうだった」と。ところが、彼女は、私の才能は買ってくれていた。で、彼女が所属する、公務員宿舎内の、絵画サークルに「一緒に行こう」とか、彼女が出演する舞台を「見に来て」と言ってくれていたので、私は親しいと感じて、信頼しきっていた。

 二人の内、まず、あんずちゃんがおかしくなった。私が電話をかけると、まだ、用事がおわっていないのに「娘の食事を作らないといけないから、もう切るよ」という。いかにも小ばかにした扱いだった。でも、まあ、それでもいろいろニューヨークのことなどを話した。そうしたら、渡米早々は、石塚雅彦さんが、自宅に泊めてくれたそうだ。えっと、驚く、石塚さんは、日経新聞の特派員だったから、それなりに広い家に、住んでいたと思われるが、まだ、新婚早々だった筈で、そこに、招かれるにしては、アート部の後輩というだけの、キズナは、あまりにも弱い。で、その時から、すでに、CIAは、彼女を、対私へのライバルとして、優遇することを決めていたのだと、思う。

 その、石塚夫妻からの、親切な、おもてなしの、件を聞いたのは、ずっと後だった。1965年ではなくて、2012年ごろだったろうか? 

 だが、石塚さんが、対私いじめ・用のアイデアを提供しているCIAエージェントのひとり、であることには、すでに気が付いていたので、『なんだそうだったのか? だから、あんずちゃんは、石塚さんから、私と、付き合うなと言われているんだと、考えて、彼女の無礼を、納得をした。

 しかし、あんずちゃんは、無礼だろうが何だろうが、とても、重要なのだ。今回の年賀欠礼の表向きの主人公R子さんの長男が、自殺未遂を起こしたんだと、1995年に、教えてくれた人間だから、まだ、まだ、このブログの世界では、重要人物である。

 今回の年賀欠礼が、引っ掛けであると言う事は、私が、「とうとう、ご長男が亡くなった。1995年以来、何年目だろう。計算してみると、18年目だ」という風に、考えることが目的だからだ。笠松敦子さんのあいまいな説明で、私が勘違いをして、ご長男が、死んだという事実があるのだと、かんがえ、それを、それ見た事かと、飛びついてR子さん、批判を開示して、行く、そうしたら、(それが、小保方さんのスタップ細胞疑惑と同じく)、「嘘でした」となって、このブログが炎上して、その結果、唯一の防衛手段である、このブログを失い、したがって、その後、何らかの方法で、ひそかに、殺されて、しかも、私が自殺をしたことにして、外部に発表をされることを、想定した。

 したがって、ご長男は、無事に生きていて、ちゃんとやっている。特に沖縄に行ったと、言うところまで、聞いているので、そちらで、仕事を見つけて、働いているし、結婚もしたかもしれないし、子供も生まれたのかもしれない。

 だけど、それは、それとして、R子さん批判は開始したい。ただし、今、午前二時になったので、本日はそれを、やらないで、眠りたい。

 ところで、中学の同期生、飯田君は、まだ、現役のサラリーマンだったが、一周間に二階か、三回、三千時ぐらいのエッセーを送っていた。かれは、プロだから、まだ、朝日新聞社の仕事があるが、十分に読みこなしてくれるだろうと判断をした。飯田君が、昔、成岡庸司は死んでいると思いますよと、言っていたので、私の文章が、飯田君からCIAに回されているとは、まるで、気が付かなかった。滑稽だったね。それだけはね。で、井上ひさしは、私の文章を1998年から、読んでいると考える。

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偽の逝去情報?(=年賀欠礼に拠る)で、引っ掛けられそうになった私、

2023-09-07 22:30:57 | 政治

 これは、最初の総タイトルを、【大泉洋のそれだけは面白かった発言・・もしお婿さんを一発殴ったら、今なら結婚が無くなります】としておりました。しかし、8日の午前二時半に上の物へと、変更しました。たぶん、本当の親ではなくてCIAエージェントなどが、パソコンで、一枚だけ、作ったのではないかなあ?

副題1、『生涯で、初めて、彼のTV内発言に笑った。23-9-7の夜11時25分の

ことだ。笑ったのは何に?と、問われれば、笑いをとれるMCとして、また、笑いをとれる俳優として、超・有名らしい、大泉洋の、ある、一行の、発言にだ』

 今、まったく予定しなかった、内容のブログを書きます。夜11時25分ごろ、NHK ソングス、上半期特集で、大泉洋が、「今なら、結婚が無くなります。その歌は、1978年制作ですからね。それで、(歌詞が)、いいわけですが」には、大いに笑わせられました。

 さだまさしが、この番組のゲストとして、昔、きていて、12分間のながいきょくをうたったそうです。ただ、昔といっても、2023年の、上半期のどこかでですが、・・・・・

 ただし、その期間全部の、短縮型、特集ですから、たくさんのゲストと、その出演場面が繰り出されるので、さだまさしの歌も、一、二分流されただけです。が、大泉洋が、突っ込んだ部分の・・歌詞を・・歌うさだまさしの姿は、わたくしもパソコンから目を離して、TVへ移動して、見ました。さだまさしが、結婚する娘に、送る歌という内容で、タイトルは、【おやじの、一番長い日】です。グーグル検索を見ると、多数の項目がこれに、関して出てきます。

 ソングスという番組ですが、わたくしは、大泉洋が、嫌いなのです。アフタースクールという映画が、大宣伝をされていたので、見に行ったら、徹頭徹尾、警察の宣伝だったのです。

 しかも、わたくしは、そこに出てくる、移動用ルーターとか盗聴装置とかで、ずっと、17年間、苦しめられているわけです。だから、なんて、いやな映画だろうと思って、主演の、大泉洋が、大っ嫌いになりました。だって、わたくしにとっては笑い事ではないです。

 ただし、嫌いで、たまらない大泉洋の番組、NHKソングスをなぜ今日、見ていたかというと、文字化された、京アニ放火の、報道を集めていたのです。そういう仕事をしながら、並行して、録画番組を消費していくわけですが、パソコンの、作業に、困難度が、濃くなると、録画番組を、注視してもいられず、自然とテレビは、お留守になるのですが、あまり、お留守になると、チャンネルを回しもせず、ただ、ただ、画面が、現在放映中の、番組を流しているという状態に入ります。

 そこで大泉洋が、もし、今、結婚する娘の父親が、お婿さんを殴ったら、一発でも、結婚そのものが無くなりますよ」と、言いました。それには大笑いをしました。今、結婚する若者が少ないうえに、若い人が計算高いので、結婚が難しいのです。

 朝どら【らんまん】に出てくるすえ子さなんって、はるかに遠くなりました。で、結婚してくれるのなら、相手を大事にしなくてはならないと、親世代は、考えるから、低姿勢です。さだまさしが、描いたおやじ像は、今では、通用しないのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『ところで、結婚をしない若い世代の、人のことで、わたくしは、昼間、振り回され切っていたのです。で、予定していた、ブログ作業をできなくなりました。前報を改修し、かつ、展開する予定でした。が、まったく別のことを考えたり、

 自分の考えが正しいのかどうかを、別の友人に問い合わせていたのです。

 今、大学時代の、同期生、川名昭宣氏について、書いている文章が、途中ですが、三本もあります。

1960年代の学生運動華やかなりし頃の思い出話。川名昭宣君がCIAの大物Ajentであると分かった時期の話   2023-08-29 01:41:34 | 政治

池内紀が、NHKのお金でドイツの蒸気機関車巡りをした番組の裏側をご存じですか?・・・・日本の左翼運動を総括する     2023-08-31 02:10:25 | 政治

川名昭宣君が、そのCIAエージェントとしての特権を発揮する事は2001年にすでに私には見えたのだった    2023-09-01 05:06:59 | 政治

その三本は、すべて、林真理子とは、なにものか? ということの分析のために、書いているのです。

河出書房新社の、編集部員として、須賀敦子、池内紀、群洋子などと、親しい、川名氏が、直接、林真理子と関係があるわけではありません。

 しかし、古村浩三君が、幹事をしたあるイタリア料理店での、同期会で、川名君は、わたくしの手のひらに、傷を負わせかねないほどの、ずるいずるい暴力を加えたのです。ほかの友人には見えない形にしてね。私は、わたくしに加えられたすべての損害に対してけんかをしない主義です。我慢をする主義です。でも、絶対にあとで、書いてやるぞ、と決意をしているわけで、その時も、『川名氏が、おかしなことをやっています。痛い、痛い」と叫んで、3m後ろのいる友人たちを呼ばず、ただ黙っていて、上の三本、もしくは、過去に書いた数本、また、将来書くであろう、数本を書くと、決意をしたのです。

 なぜ今かというと、わたくしはあまりに驚いたので、そのレストランに、スカーフを忘れて帰ってしまったのでした。冬です。ただ、20分ぐらい歩いて、渋谷駅まで、戻った時に気が付いたので、すべての、人員は、散会していました。でもね。幹事の古村君の電話番号は覚えていました。スマホは、むろん契約済みでした。が、それを、持って外出すると、異様ないじめに出会うので家へ置いて外出していた時期です。

 古村家の電話番号を覚えていたのはかれが、IT的意地悪(最先端技術を駆使してあるので、わたくしは、そのサイトを開くことがなかなかできなかった)を、同期会の記念スナップ集に関して行うので、どうしたら、それが、開示されるのかを電話で、何度も、問い合わせていたから、覚えていたのです。彼は、西東京市に住んでいるので、電車を利用するとしても、まだ、帰り着いていません。だけど、古村浩三夫人は、とても頭の良い女性であり、委細を飲み込んでくれて、後日スカーフは自宅へ届きました。

 私は、観察がたいへん鋭い人間です。で、声だけで、古村夫人がどういう人物かがわかるのでした。古村夫人がどういう人物であるかは、ここでは書きません。

 ただ、日大アメフト、違法タックル問題の、引き金を引いた、宮川泰助君に、

 こうしなさい、とか、ああしなさいとか、教唆命令して、彼に、CIAエージェントの描いた絵図どおりに、行動する様に、飲み込ませる、力量と、理解力があると、後日、日大アメフト問題が起きてから、感じる様になります。

 私が電話で、聞き取った、数百人の女性のうちで、もっとも、腹の座った、女性だと、思いました。しかも、英語塾の経営者として、成功をしていて、人から、尊敬を受けている女性だとも、スカーフを忘れた日に悟ったのです。

 川名君が、クラス会で意地悪をしたから、スカーフを忘れて古村夫人の声を聴くことになったのですから、これも、天のお恵みだと、思っています。

 しかし、本日は、日大アメフト問題には、入り込まず、人の生死について、うそをつかれる問題へと、入っていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『わたくしは、このブログ文で、すごいことを書いてきているのだが、・・・・あなたの書き方は、ここが間違っています・・・・と、当事者から、文句をつけられたことはない。ただ、それが起きた場所が、消滅していったり、人が死んだりする。

 場所が消滅するのは、北川フラムが、廊下で、すれ違いざま、にらみつけてきた、銀座六丁目にあった、村松画廊は、一切が、消えてしまった。いったん、京橋3丁目の、路面店舗へ移動したが、閉鎖して、次にイデミスギノという有名パティシェの経営するカフェになったが、それの閉店をした。

 こういうケースは、鶴岡八幡宮内でも、5か所は、発見しているほどなのだけれど、本日は、それは、看過したい。

 それよりも、人が死んだケースで、それが嘘である可能性が高いケースを問題にしたい。井上ひさしの2010年4月9日(金)の死が、最大のウソである。

 その次に古村夫人が、「うちの主人は、2016年に死にました」と、この2023年に入ってから、言ったことだ。私に直接電話内で、彼女はそう、言った。だけど、うそだと思っているが、まだ、真贋を調べてもいないし、ブログでも何も書いていない。

 本日は、もう一人、違う人物の死を暗示させられた。そして、それが、また、うそだと、思うのだ。だが、古村君のケースより、よりひねってあって、複雑化しているので、

 その嘘の構造は、書いておいた方がいいかなあと思っている。

 その死は、年賀欠礼を利用して、知らせを受けた。ただし、死人が、実際に出た家の、奥様マダムR.T.から、わたくしに年賀欠礼が来たわけではなくて、共通の同期生=マダムA.K.に年賀欠礼がきたそうだ。

 今、まだ、九月だから、年賀欠礼を発送する時期ではない。だから、その年賀欠礼は、去年、または、二年前、または、三年前に届いたことになる。はずだ。となると、他の人にも届いているはずだ。で、共通の知人、四人に電話をかけてみた。二人は逃げた。それは、この話を、マダムA.K.から、聞いた日から、4,5日が経っているので、準備をされたと、考えた。「あのね。お子様、特にご長男が亡くなったと、雨宮舜(=川崎千恵子)には、言って」と、石塚雅彦さんあたりから、頼まれていて、・・・・・しかし、嘘を言うのが嫌なので、居留守を使ったと、推察している。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『小保方晴子さんのすたっぷ細胞疑惑というのは、1月29日に発表をされた。すぐ、謀略だとわかった。当時佐々木俊尚と早稲田出身の、ライター(または、政治評論家)が朝日新聞の【売れている本・・・・・堤未果篇)というコラムの中で、わたくしが、当時準備中だった【消された映画】という書物の登場人物を引き合いに出して、わたくしのことをネトウヨだときていをした。・・・・・で、ネトウヨのわたくしが、大喜びで、「日本人は偉いのだ」と書いたら、噓でした。すたっぷ細胞は、できませんでした。と、暴露するはずだと、わかっていた。あほどもの大騒ぎを、横目でにらんでいたら笹井芳樹さんが、殺されてしまった。自殺とは、嘘ですよ。氏が、奥様等に、「もう、真実を話したい」と、おっしゃったのが、室内盗聴で、喜んで、わたくしが何かを書く・・・・・と、推察されて、準備された謀略だと感じた。

 だって、ヴィヴィアン・ウエストウッドの、ウールのワンピースを着て、その上に、ポリエステルと、綿の混紡の薄い白い生地のかっぽう着を着て研究するなどありえない。水がしみとおって、ウールを濡らすので、ドレスが、縮んでしまい、一週間後には、体が、入らなうなるはずだ。

 ただ、今度も似た感じを受ける。マダムA.K.はこのブログでも、すでに、実名で、登場している人物だが、名前を伏せるのは、主要な人物=死んだ人が、まだ、誰かが、わからないからだ。私は、そのはがきの実物を手にしていない。

 はがきを投函したと、される、マダムRT¥。¥¥¥¥。¥¥¥¥¥は、七人兄弟の末っ子だ。ここで、たくさんの¥マークが入るのは、最近の妨害の一つの手法です。で、それが入っている業は、真実だと、考えますので、そのまま放っておきます。

 だから、親の死のお知らせではない。絶対に違う。で、夫君ではないと、知らせてくれた女性マダムAKは言う。夫君は、テニス部の部長だったので、グループ全体で、名前を共有している。だから、夫君ではないと、すぐわかる。

 で、お子様は、二人いる。で、長男とも、次男とも書いて居ないらしい。誰か、が、一枚だけ作った偽物のような気がする。だけどねえ。人の死を種にして、私に間違ったないようの、ブログ文を書かせようとするのは、本当に悪質ですね。徹底的に悪質です。

 もし、その死んだ人がご長男だとすると、私は、ものすごく、かわいいと思っている少年だったのです。顔がじゃあないですよ。その育てられ方が、間違っていると、思うので、余計、かわいいと、思うのです。かわいそうだと、思うので、余計可愛いのです。その子を種にして、私をひっかけようとするのですか?

 というわけで、読者の皆様には、わかりにくい事おびただしいでしょうが、私は、愛するそのご長男のことを思って、そりゃあ、心痛しました。だから、本日の予定の、ブログ文は、書けません。

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京アニ放火初審関連newsにはビビらない私だが、20万円の席は建築規準法違反であるにはビビっている

2023-09-04 22:23:17 | 政治

副題1、『京アニ放火の犯人、青葉真司の初審が始まりました。私は、「これは、謀略であり、一人も死者はいない」と言っています。青葉真司が、やけどをしたとか、彼が、ガソリンをまいたというのは、真実です。だが、被害者に関する鵜部分は、全部嘘です。ただし、本日は、触れません。私が今取り掛かっているのは、林真理子の真実とは何か?です。それの関連事項として、北川フラムとか宇留野某とか、金成悠子という人物、が出てきているところです。その続きを書くつもりです。

 ただね。時間がないので、それは、後日に回して、もっと、短い形で、書けるものを書きたいと思っています。ただし、私にとって、これは、まったく新しい形での狙い撃ちであり、

 今まで、あほだ。あほだと、言ってきた彼らが、相当に上等にひねってきた罠ですので、書くにあたって面白いのです。で、書きたいという意欲がわくテーマなので、これに、集中をさせてくださいませ。CIAエージェントたちは、・・・・・・俺たちは頭がいいんだ。お前にばかとか、あほと言われる筋合いはない・・・・・と言ってきているので、わたくしの方が、緊急に、,防衛しないといけなくなったからです。

 なお、字だけでですが、敵と真っ向から戦う文章となるので、途中で多数回妨害を受けるでしょう。15分間 程度の時間だけで、5回ぐらいすでに、妨害を受けていますし、昨日、+++++罫線以下をパソコンに取り込み、かつ、井上ひさしに関する前書きを書いたので、昼間、具体的人間6人ぐらいを使って、いじめ(=弾圧)を受けたし、今も、書くにあたって、10回以上の頻度で、妨害を受けています。だから、未完成のうちに、公開をさせていただきます。少しずつツィター方式で書かせてくださいませ。つまり、このテーマは見かけの小ささに比較をして、意外と大きいのだと、言わせてくださいませ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『わたくしが、今、問題にしているのは、阿波踊りの、特別観覧席が、建築基準法違反で、それを使った、人には、使用料20万円を払い戻すと、言うニュースです。私は、それが、報道をされ始めた当初は、・・・・・重箱の隅をつつく様な小さなことを・・・・・暇人たちですねと、・・・・・と、思って気にも留めなかっのですが、または、9月4日に、NHKが、再び、報道をしたので、あれ、ちょっと違うぞ。これは、重要な謀略ニュースだと、気が付いたのでした。

 目的は、三つあって、*1)、新しい法律改正をするにあたって、国民がりょうしょうする様に、前もって洗脳をしておくこと。*2)、それによって、得をするのは、建築基本法違反の造成地に建って住宅に住んでいる前田清子さんと、そのさらに奥に、旧中谷亭を買って、シェアハウスにしていて、五日、わたくしが死んだら、違法であろうがどうであろうが、今の家を取り壊して、新築をする予定の、長男の(朝日新聞記者に最近なっていると考えられる、特権者中の特権者)が、得をして、ついでに、前田・安野・白井夫人に代表をされる、この小さな谷戸の中の、警察への協力者が、勝ち、20坪程度違法に、私道部分を40年以上、違法に、使っている前田清子さんに、ついて、あれこれ、わたくしが、過去に書いてきたことが、わたくしの方が間違っているということにされかねないこと。

 私の方は、反対に、37年も、私道部分が、コンクリート打ちをされてしまって使えず、大損をしているのに、それが、裁判を起こしても逆転をすることがなく、永遠に、こっちが負けたということにされ、もしかすると時制が40年分、短縮をされ、こっちが誹謗中傷をしたということにされかねないこと。

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副題3,『CIAは、ルーティンワークとして、攻撃したいターゲットに、知り合いから、正対してすれ違う様に、設定し、そちらが、ターゲットを無視してあいさつをしない様にする、または、にらみつける様にする。と、言う手法をとっている。前報で出てきた北川フラムもそれを使ったし、中谷家の次男も同じである』

 そして、前田家が三代目町内会長をする前に、町内会長だった中谷共二という人物が、北久里浜の件で、わたくしに復讐をしようとする瀬島龍三に協力をして、我が家の東北の崖を無断で、削って、藤本悌子夫人が異様に入れた地境石を正当なものとしてしまったのを書いているので、今度は、中谷家の次男(三井物産勤務)が、三井物産で、もっとも、剣呑できついことで有名な人物・佐野雅明氏をかどや製油に送り込んできて、19年勤務していたかどや製油を、息子が辞めざるを得ない様になる様に苛め抜いたのでした。

 息子は何も愚痴を言いません。いじめる上司の個人名も言いません。でも、何かが、おかしい、と私が、思ってかどや製油の株を買って、株主総会用の資料を見たら、重役候補に、佐野雅明(〇〇年、三井物産入社)とあったので、わかりました。三井物産から来た、重役がいじめ抜くは、もちろん、裏に中谷氏の、次男がいるのです。

 この中谷共二氏の次男という人は、旧県立近代美術館本館前の、狭い歩道で、対抗方向からやってきて、わたくしをにらみつけたので、彼が裏で、上記のことをやっているのは確かなことです。お父さんと顔がそっくりなので、すぐわかりました。

 心理学の用語で、投影現象というのがあるのです。自分が相手に悪いことをしている場合に、相手の方が悪いと思い込む現象です。そうでもしないと心理的なバランスが取れないからです。その典型でした。

 北川フラムが、にらみつけてきた

芸大祭、文化庁、Gユマニテ、金成悠子、宇留野某、保坂航子、山口みつ子、秋山裕徳太子、北川フラム 日笠雅水    2023-09-03 17:01:18 | 政治

 のも、この中谷家の、次男が、時間を合わせて、対抗方向からすれ違う様にして、にらみつけてくるのとまったく同じ手法をとっているわけです。CIAの基本的攻撃方法なのでしょう。裏でね。監視、とか、尾行などをつけて、ぴったりの時間にすれ違う様にするのです。

 北川フラムのケースは、普段は、通らない通りにある、村松画廊で、内藤律子さん(芸大出身、わたくしにとっては、お茶代付属高校の同期)が、個展をしていて、案内状をもらっているので、絶対に、来るはずだと、考えて、ガレリア・グラフィカの二階で、待っていて、村松画廊からの連絡で、現れたのでしょう。私が帰る時に彼が、来るという形で下から、完璧にそうです。私は二階で、在室中の律子さんと、5分は話をしています。木材(バルサ材だそうですが)を使った立体で、展示室(bis)、いっぱいの大きな作品でした。分解して作ってきて画廊内で、組み立てたのでしょう。

 まったく同じことを花輪夫人(実働15軒という少数のご近所様のひとり。だけど、わたくしが、一番、頭がよいと認めている存在)が、やってきても、それは、もう、どうってことはないのです。ただね。政治的な動きとして、すべては、書いておくのですよ。CIAが、今何を考えているかを、把握するために、彼らの道具として、行動する花輪夫人も、記録をしておきます。だけど、屁の河童ですよ。

 むしろ、わたくしの愛が、薄れるだけ。それは、花輪夫人にとって、何らかの損害をもたらすでしょう。私は意外と強い。意外と、大きい存在ですよ。私の愛が、2011年11月18日に、徹底的に失われたとたんに、瓜南直子さんは、急激に痩せて、日暮文庫(鎌倉で、プチ文化人が集まる居酒屋)でも、12月からは、やせ細ってきて体力も無くなって、ソファーに寝ていたそうです。そして、2012年の6月に亡くなりました。

 彼女のフェイスブック紙上での投稿と、執事を名乗る、金田佑子さんとの、やり取りを読んで、『もう、捨てましょう。この人は』と決意したからです。これはね。下の方で出てくる8050ママの、年賀欠礼の話に通じるのではっきりと書きます。ほかの人には、真実は、わからなかったでしょうが、2011年の、6月から、11月18日までの直子さんの投稿は、サブリミナル効果を狙った、わたくしへの攻撃でした。今は、すべて、読めない形になっています。特に全日本あすハガレンと、映画のプログラムに関する、投稿は、わたくしいじめだったのですよ。全日本あすハガレンは、雪ノ下黒物語で、丁寧に書いている我が家だけを狙った私道部分の、盗み(我が家だけ、コンクリート化されていて、植栽をできない)をからかう投稿だし、映画のプログラムに関しては、侮日映画【TOKYO 第二部メルド】の、プログラムが盗まれていることを直子さんが、からかってきているのだし、反日映画、【靖国】の、プログラムが盗まれていることをも、からかってきているのでした。

 両方のプログラムがなぜ、大切かというと、そこに、文化庁が、800万円の援助をしたと、誇らしげに書いてあるからです。どうして、こういう恐ろしい映画に国民の税金を使うのですか?と、言う論陣を張っているのですが、その証拠物件が、盗まれて、手元に、ないのでね。困るのでした。文化庁を、京都に追いやったのは、わたくしが文化庁を訪問するのを阻止するためです。それと、国立劇場を改築するのも、そのロビーで、寺島忍に、したたかにいじめられたのを書いているからでしょう。

 彼らは、わたくしがブログで、書いたものを消滅させていくのです。それは、八幡宮境内で、四つぐらい家訓をしているので、確かです。被害妄想ではありませんよ。

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副題4、『花輪夫人がなぜ、そういうことをするかというと、前田清子、安野智紗、白井夫人などが形成する、この実動15軒の、小さな社会の、主流派にくみしたいからだった。

 中谷氏は、藤本悌子さんと前田清子さんが争いになった時に(前田清子さんって、藤本家の、すぐ隣の家=安野家の前で、開かれる井戸端会議で、大声で、超くだらないことを話すのです。医者の娘で、付属のPTA会長をした、藤本夫人には、たまらない拷問だったと、思いますよ。我が家の方がずっと、遠い場所、しかも、東北側の、10m下で、話されるのですが、詳細に、内容がわかるのですよ。私の座っている場所の後ろには、台所があるのにもかかわらずです。しかも前田夫人は、藤本夫人に挨拶をしないし(10年以上後から引っ越してきたのにもかかわらず、かつ年下であるのにもかかわらずです。なんか、中学生の番長、または、裏番長というのかな? そういう感じです。非常に未熟で、だから、共産党員だろうと、推察してしまいます。共産党員の中で、1942年生まれで、大学院まで、出ている女性って少ないでしょう。だから、女王様扱いだと思います。それで、未熟になっているのです)

 対抗方向から現れると、藤本夫人を、にらみつけるのだそうです。でね。藤本夫人は、前田夫人をやっつけるために道路の真ん中に、自分で、電動のこぎりで、切れ目を入れ始めたのです。アルミフェンスを、自分の私道部分の境界に作るのだそうです。当時、道路は、幅、1mしかありませんでした。北側の藤本夫人側は、高さが4mをこす、まさきが何本も茂っているし、反対の南側の我が家は、大きなアジサイが、20本程度植えてあったので、(つまり、私道部分には、植栽が、あった。これは、今でも同じで、我が家以外、全戸に花畑がある)藤本夫人の行動は、彼女以降に住んでいる人、17軒が、引っ越しも、改築、新築もできないということとなります。

 でもね。本音は、前田夫人に対する復讐でした。17軒のうち、一番憎いのは、前田夫人で、「あなたみたいな子供っぽい人間は、この、理由に対抗できますか。あほ目』と、藤本夫人は、思っていたのです。どういう理由かというと、

 「ここには、少し傾斜があります。もし、雪の日に誰かが滑って転んで、訴訟を起こしたら、困るので、手すり用に、わたくしが、自費で、フェンスを建てます」というもの。

 さて、境界の山が、無断で、崩壊をさせられた私は、びっくりして、法的な戦いを始めるつもりでした。

 するとね。こういう悪さをしてきたのは、すべて、瀬島龍三の命令的依頼だったでしょうから、瀬島龍三がびっくりして、「決して、彼女の法的措置を取らせてはだめです。弁護士は、こちら側にすべて、寝返りさせています。ただ、彼女は弁護士なしでも、戦える人間です。だから、そういうムードになってしまったら、ただただ、平身低頭して謝罪をするほかは無いのです。道路で、立ち話程度ではだめですよ。益山が、道で、「100万円上げるから、はんこ押して」と言ったら、フンという感じで、返事もしなかったそうですから。形だけで、いいですから、ギリギリのところで、渾身に見える形で、謝罪をしてください」と、言ったはずです。

 で、今は前田家の長男の持ち物になってシェアハウスとなっているあの家に、呼び入れられて、自分のプライバシー(いってよいこと、優越できることだけだけど)を、さらけ出しながら、平身低頭をしていました。ただし、おちゃしかでなかったけれど、中谷氏が、カリフォルニア大学を出ている帰米二世で、かつ、羽田空港の、ジェット機、および、飛行機用、燃料を一手に、占優販売するガソリンスタンドの社長だそうです。っ長男はその時、東大助教授(のちに宇宙工学研究所所長。これは、大原光孝が教えてくれたこと)、次男は、慶応卒・・・・・などなど。

 それを聞きながら、中谷氏が、戦時中は、CIA要員だったとも考えたし、今ブログに書いている様なことはすべて、わかったのですよ。先週の日曜美術館は、八島太郎を取り上げていました。同じですね。八島は、自分の絵を、アメリカ側宣伝ビラに使っていたので(美校=芸大入学組だから、彼の画風を知っている人は大勢いて、故郷の人に、米軍に協力したことを、知られることとなり、故郷に自分の、日本の家を再考することができなかったそうです。土地を買いたくても誰も連絡をくれなかったそうです。中谷氏は、画家ではなかったのが幸いをしました。しかし、同じことで、氏の態度を見ていると、それが、しっかりと、わかりましたね。

 父の満鉄時代の上司は、根岸譲二(または、次)博士と言って、カリフォルニア大学の出身でした。むろん理系です。そして、弟さんがノーベル賞をもらいましたね。その方とも、ジョージ博士とも、わたくしは、直接は、会話を交わしたことがなかったけれど目黒のお屋敷の庭が広くて、竹林があるのを、知っています。だから、中谷氏の会話を聞いて、カリフォルニア大学に学んだわけではなくても、イメージは正しく把握できるのです。

 その後の中谷氏って、わたくしに会うたびにおびえていましたね。でね、さらに真実を言うと、その後、わたくしは固く決意をして、この一件を文章に書くと、考えました。で、その時、何の措置も取らなかったのは、捜索をするためには、毎日同じ様なスタイルで、生きないといけないからです。発想が常にわくためには、余計な仕事が入ってきたらダメなのです。

 なお、ついでに言うと、2010年に、本を出版しなかったのは、母が死にそうだったからです。親が死にそうなときは、子供は体力温存に努めた方がいいです。敵のパソコンへの攻撃に負けたから、2010年の本づくりをやめたわけではありません。ただし、2011年は、福島第一の事故があったので、ブログを書くのが、忙しかったからです。これも、敵に負けたからではありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『やっと阿波踊りに戻ります。9月4日にも、そのニュースが出てきて、変だなあ。だってあわどりって、八月だったでしょう。そして、小さな人数がかかわっている事件です。まあ、実際に、利用したのは22組ですって。一人で、こういう席を利用するはずがないので、全部、カップルだったとしても、800万円程度の事件です。

 しかも、建築基準法違反はたった、15cm程度です。阿波踊りって、八月だったでしょう。どうして今(=9月四日)に、ニュースとして出てくるのですか? と思ったのですよね。

 この時点では、CIAの謀略かどうかについては、確信を持てなかったのです。でも、なんともな、違和感があるので、一応文字化しておこうと思って、NHKオンラインに入り、新着ニュースを見たら、四日付で葉は無くて、8月28日のニュースがまとめとして出てきたのでした。なお、今は、4日付のNHKニュースもグーグル検索で出てくるみたいですが、夜10時ごろは出ていなかったのです。

 これは、CIAが私狙いで、作り上げたニュースの典型です。そういえば、前田家が、このニュースが始まって以来、ばかに強気で、強い光度で、玄関灯をつけているのでした。

 で、このニュースは国民に、「建築基準法なんて、ずいぶん、ばかばかしい法律ですね」と思わせることが狙いでしょう。そうなると、副題1に書いたことが正しいとなります。

 前田清子さんが、自分の失敗を国家が法律を変えることで、助けてもらうのは、二度目です。一度目は、もう、書いています。で、今は、再び、説明をすることは、やめておいて、書かず将来に、似たことが起きた時に、示せる様に、リンク先を探しておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『しかし誰かが、協力して、徳島サイドに納得をさせておかないと、二重に、お金を使うことになる、人間は、嫌がるだろう。だけど、補填は、官房機密費で、行います」といえば、全員納得をするはずだ。それに、これは、警察庁長官と、もと、日本ペンクラブ会長を助けるための、方策です」とも、聞けば、御の字で、言うことを聞くだろう。では、だれがその労をとったのか?といえば、元、NHK7時のニュースを報道していた、ミスターKだと思う。彼の実名はさらさない。

 メルマガ時代に、いろいろなコメントをもらったり、電話で、忠告をもらったりしている。「川崎さん、コトダマっていう言葉を知っていますか? だから、苦しくても、自分の損失を書いてはだめですよ」と、言ってもらっている。

 それに、北川フラムみたいな、直接的な暴力をふるったわけではない。一部を、陰で、担っただけだから。

 彼が、実名なしで、出てくるのは、川名昭宣君が企画した大クラス会で、司会をしたと、書いている。

 そして、西大井に住んでいるとか、富山の支局長時代に、卵で、有名で、アート支援者である、大富豪とも、直接交流があり、おもしろいひとだったとか、引退後は、徳島に帰るとか、料理が趣味ですよなどと、聞いている。水沢勉氏と同じぐらいの、レベルで、文章を読んでもらっていたと、考える。したがって、(メルマガを送ってはいないけれど)、ずっと、親切だったと、言う思い出がある、葉っぱちゃんと同じで、とても、実名をここにあげる気がしない。ただ、CIAエージェントに協力するのは、二回目であるはずだ。それでも、実名を書く気がしない。

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【まとめ】阿波おどり「プレミアム桟敷席」が違法状態 経緯は

  • 2023年08月28日

徳島市の阿波おどりで、1人20万円の「プレミアム桟敷席」が建築基準法に違反した状態で提供されていたことが分かりました。阿波おどりの実行委員会は問題のいきさつや原因を確認し、9月の会合で報告することにしています。問題のいきさつをまとめました。

1席20万円 「プレミアム桟敷席」とは

「プレミアム桟敷席」は徳島市の阿波おどりに海外の富裕層を取り込もうと、ことし初めて設置されたもので、東京のイベント会社が企画や会場の設営を担当し、踊り手団体や経済団体、それに市役所などで作る実行委員会が全体の運営を担いました。

市内の藍場浜演舞場に1人20万円で1公演につき最大20人分が用意され、県産食材を使った食事や踊り手と交流できるサービスが提供されました。
阿波おどり期間中は、台風で中止された最終日を除き8月12日から3日間、あわせて6公演で提供されました。

なぜ“違法状態”で提供? いきさつを確認へ

徳島市などによりますと、仮設のやぐらに設ける桟敷席が完成した開幕前日に市の建築指導課が検査し、建築基準法で定められた基準より、階段の幅や手すりの高さ、出入口の幅がいずれも10センチ足りないことがわかりました。
検査した職員はその場で阿波おどりの実行委員会や運営会社に改修を指示し、席を使うのに必要な検査済証は交付しませんでした。

実行委員会ら運営側は、指摘を受けたあと、手すりの高さと出入口の幅は改修したものの、階段の幅は変えることができず、検査済証がない違法な状態のまま3日間あわせて6公演でサービスを提供していました。桟敷席の利用者にけが人はいませんでした。

実行委員会は夜に利用客を誘導するスタッフの数を増やし、階段にも照明を新しくとりつけたことを理由に「安全が確保できると見込んだ」としていますが、市の建築指導課に対応を報告しなかった理由や違法な状態だと認識したうえで提供していたかについては、28日時点で「担当者が不在で答えられない」として明らかにしていません。
そのうえで実行委員会は「違法な状態だったことは利用者に心配をかけているので申し訳ないと思っている」としています。また28日付けで公式サイトに謝罪文を掲載しました。実行委員会は問題のいきさつや原因を確認して9月4日に予定される会合で委員に報告することにしています。

一方、市の建築指導課は「検査済証を交付していないことは認識していたが、実行委員会側が法的な問題はクリアしただろうと思っていた」としています。
また徳島市の内藤市長も「実行委員会がプレミアム桟敷席を建築基準法に違反した状態で提供したことについては遺憾に思う。2度とこのようなことが起こらないよう取り組んでいきます」とコメントしています。 

観光庁が聞き取り調査

「プレミアム桟敷席」などの阿波おどりによるインバウンドの活性化事業には、観光庁が5500万円の補助金を交付することにしていましたが、今回の問題を受けて観光庁が28日、補助金を申請した東京のイベント会社に聞き取り調査を行ったことが分かりました。
観光庁によりますと、建築基準法に違反したか電話で事実確認を行い、会社側は違反を認めたということです。

観光庁は今後、必要に応じて阿波おどり全体の運営を担う実行委員会にも聞き取ったうえで、交付の見直しを検討することにしています。
観光庁の担当者は「安全の確保と法律の順守が前提だ。ルールを踏まえて適切に対応していく」としています。
 

台風への対応でも・・・問われる実行委員会の判断

徳島市の阿波おどりでは、台風への対応をめぐっても実行委員会の判断が議論を呼びました。
3日目の8月14日には、台風7号が接近する中、実行委員会がメンバーの多数決で開催を決めたため、当日夜には市内全域に避難情報や暴風警報が出ていましたが、踊り手たちは大雨にぬれながら屋外の演舞場を練り歩きました。

実行委員会は開催を決めた時点では警報が出ておらず、雨も少量の予報だったことなどを開催の理由にあげています。

一方、徳島市の内藤市長は避難情報を出す予定があるとして、実行委員会に中止を求めていたことを明らかにしています。

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芸大祭、文化庁、Gユマニテ、金成悠子、宇留野某、保坂航子、山口みつ子、秋山裕徳太子、北川フラム 日笠雅水

2023-09-03 17:01:18 | 政治

 

北川フラム氏の画像です。3日の日曜美術館からとりました。9日の夜再放送があるはずです。

 この顔ですが、30年前は、美形だったのですよ。今はそれほどでもないですね。それだけ、温和に成った様に見えますが。なお、北川フラムで、画像検索をかけると、私をびっくりさせた、ひどいにらみつけ度の、その時代の太っていて、正方形だった顔が出てくるでしょう。

 なお、恐れ入りますが、本日は、この章の最後の続き部分は、書けません。4時間しか寝ていないので、こういう難しい文章には、取り組めないのです。恐れ入ります。しかし、中間部分まででも、十分に面白いと思いますけれど。

 まあ、過剰に自信を持っている。と、おっシャル方もおありでしょう。おもらしの話や、お小水の話なのに、自信があるだって!と、お考えになってね。だけど、それらは、超勇敢である、私でなければ書けない文章でしょうからね。それで、自信満々なのですよ。

   しかし、さらに、本音を言えば、そんなおちゃらけた話ではないのです。保坂涼子=航子の、きちがい度120%の、罵りメールは、本当に彼女が書いたのか?と、いうポイントに突っ込んでいっています。

 多分、ごーうすとらいたーとして、井上ひさしが書いたのだろう。それが、真相だろうと、言っています。だから、保坂さんは、わたくしと出会っても、のほほんとしていて警戒心、皆無でした。それは、今年=2023年の5月でしたけれど。

 ですから、30年前、銀座で、わたくしをにらみつけて来た、北川フラムは、CIAの一員というか、一巨頭なのです。だから、越後妻有、大地の芸術祭を、主催することができるのです。だけど、シロタ画廊のオーナーに比べると幼稚ですねえ。本当にこどもです。

 越後妻有、大地の芸術祭は、越後妻有トリエンナーレと言っていたのです。昔はね。言葉替えが、なされています。それは、わたくしが、どこかで、一回、北川フラムについて書いているからでしょう。

 だから、常に言葉替えを、日本社会へ、進行させている、井上ひさしとお仲間なのです。はい、多数の殺人事件が起こしてもらってやっと、わが身の平和をキープできている、例の

 鎌倉エージェントの一員なのです。はい、そういうこと。

 その日、というのは、2023年の5月の事ですが、昔=2005年、文章をめぐって、大悶着が、起きた保坂さんと、18年ぶり(ただし、実際に顔を合わすのは初めてでした)に、あった

 同じ日に、ぎゃるりーユマニテのオーナー・十束さんは、「金成悠子は、やめました」と言いました。それも嘘じゃあないかと、今では思っています。二人が別れるはずはないです。「そういう様に、言って、かなり悠子をかばいなさい」と、どこからか、命令を受けていたのではないですか? 私が、かなり悠子を叱責すると推察されたので、いないといいなさいと、急遽命令されたのでしょう。

 という前置きを、4日に入れておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『NHKニュースの情報に基づいて、本日は、芸大に、行ってきました。ものすごく人気の高い学園祭を行っていました。芸大生(もしくは、実行委員)は、法被を着ていてね。すぐわかる状況でしたが、一般人の見物客もいっぱいでした』

永らく、美術の世界に居るのに、芸大の学園祭に行った事が有りませんでした。父親が厳しくてね、人文科学系、の大学に行くのなら、学資は出さないと言って居ましたので、受験もできない大学なので、特に敬遠して居たのだと思います。

 ところが、九月二日 土曜日のNHKニュースで、「文化庁が、作家の法律的な苦境を、解決するための、相談会を、芸大で、開いて居ます」 と言うお知らせを、開示したので、土曜日は、早めに寝て、体力温存を図ったのです。最近はね。本当に体力がなくてね。そうするよりほかはないのです。だから、ブログが、更新できませんでした。

 いやあ、驚きました。 芸大の文化祭って、ものすごい人気がある催しなのですね。ちっとも知りませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『NHKニュースによれば、文化庁主催の、芸術家に対する法律的な支援会があるそうだった。わたくしは、父の代から、美術ではお金は、稼げないと、言い続けられてきていて、美術で、お金を稼ぐ、必要性を感じてこなかった。ところがなのだ。孫の一人に、発達障害が出て(ただし学校は普通に行っていて、一つの科目以外は、とても優秀だそうだが?)その子の父親である息子から、「お母さん、おばあちゃんからの遺産は使わないで、僕に残しておいてね」といわれる様になった。

 そうなると、急にお金に厳しい状況が出てくることとなった。で、このブログは人気が高いはずなので、アフリエイト収入があるはずなので、それが、どうして来ないのだろうかと、相談に行ったのだ。弁護士さんがアフリエイト収入について、大変丁寧に、説明をしてくれて分かったのだけれど、「そばにある広告に、」読者の人が、クリックして、商品を買ってくれないと、アフリエイト収入には、ならない」そうだ。昨日はノートンの、広告が付いていて、今日は天野フーヅの広告が付いている。それを読者様が「買います」というクリックをしてくれないと、アフリエイト収入にはならないと、いうことだった。それも、数千人ではだめで、数万人単位で、買ってくれないとだめだそうだ。

 だから、皆様も、同情してくださって、それを、買う必要はありませんよ。だって、このブログを読んで、インスタント味噌汁を買いたくなる人っていないでしょう。ともかく、資本主義社会って、「商品を売ります。買います」という作用を、根本としているので、私の様に、自分の主張ばかりしている人は、アフリエイト収入は、見込めないのだった。でも、質問に行ってよかった。ちゃんと納得できた。ともかく、好きなことで、収入を得るのは難しい。それと、40代で気が付けば何とかなったが、80近くになって、急にお金が欲しいと、言っても、無理なのだろう。世間に甘い話は転がっていない。

 最近、このブログによく登場する葉っぱちゃんが、「好きなことで、お金を儲けるのは、難しいわよ」と10年ぐらい前に、言っていた。親も昔からそういっていた。それを本日、深く、深く、納得をした。

 たまたま、その父が1986年に亡くなったので、遺産をもらった。そのときに、家裁の調停委員が、「あなたは、本当のお子様ですか?」といったほど、妹と、弟とは差があった。それは、不動産がバカ高い時で、不動産をその時、二つずつもらった、妹と弟は、何も貰わなかったわたくしに比較すると、賃貸収入が入るので、結局のところ、それ以来、母が死ぬまでに、35年間に、二億か三億、私より、余計にもらっている。母としては、「千恵子には北久里浜の家を建てる時と、鎌倉の家を買うときに援助してあげているから、自分が死ぬときに、あげる反町の小さなアパートで、我慢して頂戴ね」と、いうことだった。まあ、それはそれとして、家裁の調停員が、「本当のお子様ですか?」というほどに差があったということは、私が、二人の弟妹の、五分の一以下だということだった。母と妹と弟は、「お姉さんに、相続に反対しないでもらうために、・・・・弟がもらった、遺産から2千万円を現金で、お姉さんにあげましょう・・・・それで、納得してもらいましょう」と、決めたらしい。

 わたくしは常に頭を使って、モノを考えている人なのだけれど、・・・・だから母から、免許取得をやめなさいね。事故を起こすはずだから・・・・と命令されているのだけれど、1986年当時は、お金のことなど、考えたこともなかった。抽象的なことばかり考えていたのだった。で、弟が礼節を尽くして、「お姉さん、僕が2000万円上げますね。だから、この遺産相続に賛成してくださいね」といったので、すっかり、自分は、お金持ちだと勘違いしていたのだった。だから、本当のことを言うと、父の死亡時の、遺産相続で、妹と弟に比較をしたのは、今であって、当時は、本当のところ、・・気が付きもしない・・ほどだった。

 で、今は、倹約をしている。ところが泥棒が入る。「実印を盗まれた。で、いろいろ調べて、作り直したのだが、盗むのは、CIA連中なので悪用される心配はない」と思っていて、改印の届け出はしていない。が、銀座の伊東屋と鎌倉の月乃印鑑店(ものすごい高級品を作っている。最低の柘植でも、12万ぐらい。本物の象牙あたりだと50万円以上する)を、訪問して調べるだけで、余計なお金がかかるので、本当にがっかりする。だが、この二店舗より、もっと誠実な感じのお店で、作り直している。

 でもね、皆様、私には、神様が付いているのですよ。まさか、お金までは恵んでくださらないでしょうが、そのほかのポイントで、恵んでくださっています。だから、自らの生活については大丈夫でしょう。倹約したり、いろいろな、工夫をする頭は、まだ残っているのですよ。だから何とか大丈夫ですから、同情はしないで、くださいね。大丈夫です。

 下の方に、有名な手相観の、日笠雅水さんが、出てきます。彼女が、教えてくれた、私自身が気が付かない、私に関する、真実の一つに、「あなたは、ものすごく親に恵まれていますね。あなたほど、親に大切にされている人間はいませんよ」というのがあって、身に着けるものは、1958年のクリスマスの絹のスカーフ(自由が丘のブティックのものだが、絹繊維がたくさん使ってあって、どっしりとした重みのあるもの・・・・・最近まで、50年以上大事にしていた)から、2005年ごろのダイヤモンドの指輪に至るまで、私が欲しいといわないのに、買ってくれていて、私は、欲望が喚起される間もなかったのだ。ICU時代も銀座マギーの生地を母が買ってくれて、それを母が見つけた洋裁師に、縫ってもらって、私にぴったり合わせた、スーツを着ていたのだった。これは、当時は気が付かなかったが、相当なぜいたくで、自分の子供には、そんなことはできないし、自分自身も銀座マギーの生地で、誰か、洋裁師が仕立ててくれたスーツなどは、今は、着ていない。そして、身に着けるもの以外で、もっと、高額のものは、父が手配してくれたもので、北久里浜の土地も父が手配してくれた。しかし、両親がしてくれたのと、同じことは、私は、子や、孫に対してはできない。

 でも、違うことで、もっと大きな世界で、奉仕をしていると、いう自信があるので、気分はしゃんとしている。81歳にしては、気分は元気な方だろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『わたくしは実は、この2023年5月に、ぎゃるりーユマニテ(地下一階)で、保坂航子さんに出会ったのだ。7分から10分ほど、和気藹藹で、普通に、美術評論チックな会話を交わして、去ろうとすると、保坂さんが「ぜひ、芳名帳に、署名をしてください」といった。私は、彼女が展示している石の立体が素材として、どのくらいの厚みで、手に入るのか?とか、どこで、買うのか?とか、どこ産なのかを質問をしていったのだけれど、彼女の彫刻が薄いのは、材料の時期から、薄いものを買うのだと思う。海外産の大理石を本年は、使っていた模様だが、これがベテランになると、作品の売れ行き先が、決まっているので、厚い石(御影石)などを使う。イサムノグチなど、大変、大きな石を使っている。

 だけど、「薄い石を使っている彼女が、まだ、貧乏だからね」などとは、微塵も、感じさせない会話をする。私の美術評論が、とても、評判が高かったのは、常に作家の立場に立って作品を見るので、、そこに、どういう独自な工夫があるのか? について、すぐわかる。それをこちらから、指摘をするのではなくて、質問という形で、投げかける。こういう美術評論家は、他にはいない。

 ただ、保坂さんが、私の顔を知らないでいて、しかも、私を優れていると考えていて、何度も「署名をしてください」といったのは、幸いだった。これが、神様の事件全体に対する、幕引きなのかと、思った。

 だけど、2006年から始まった、いやな、いやな話は、ここで、きちんと、盛り返しておかないといけない。お金の話でもあり、画廊のオーナー、山口みつ子さんが、他殺であることを証明する話でもあるので、きちんとしかも、新しい解釈を加えて、行わないと、いけないからだ。で、軽く楽しげに始まった、この章も突然に、陰惨なCIAの本質に入っていく。

 わたくしは、メルマガで、美術評論をしていたのだったが、たまたま、保坂さんをほめた文章は、月刊ギャラリー2006年2月号へも掲載された。今のぎゃるりーユマニテの、一階イコール2005年当時のギャラリー山口の一階での、初個展で、壁にかかっている、写真と詩をほめた。で、その作品を見たので、彼女を繊細で、口下手で、体も小さいのだろうと思い込んでいた。が、違った。実際の彼女は体格が大きく、会話の調子も世慣れていた。まあ、18年の歳月を経ているので、変化もあるだろう。

 しかし、ここから先が、今まで、書いていたことと違うのだが、二つの理由から秋山裕徳太子が、謀略の担い手となり、保坂航子を利用して、私と山口みつ子さんの仲を裂き、かつ、私の、美術評論家としての立場を壊すために、山口みつ子さんを殺す・・・・・ということが、その2005年ごろに、決まっていたのだと、いうこと。これは、まったく新しい解釈だ。

 すごい、すごい、話で、書きにくいことおびただしい。すでに、午前一時だが、久しぶりに無理に無理を重ねて、書いていこう。

 秋山裕徳太子は、武蔵野美大の卒業生で保坂さんは後輩にあたる。実際の個展の五年後ぐらいの2009年ごろ、山口みつ子さんが私に教えてくれたのだが、保坂さんは、「雨宮舜(本名、川崎千恵子)に、いくら謝礼をしたらよいでしょう」と、秋山裕徳太子に・・ギャラリー山口・・内で、質問をしたそうだ。すると秋山裕徳太子が「雨宮舜、何するものぞ」と力んだそうだ。

 どうしてそういうことを彼女が教えてくれたかというと、私があの画廊内で、「保坂さんから、罵りの言葉を、36行にわたって書いたメールが来たのよ。しかも、101回も繰り返して」といったからだった。そして、その返事として、まず、「まあ、きちがいだわね」と、みつ子さんは言って、そのほかの詳しいことをも、教えてくれた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4,『保坂航子さんの詩を読むと、こんな恐ろしい文章を書くとは思えず、何かがおかしいと思っていて、それで、五年も誰にも言わずに黙っていたのだった。

 今、初めていうが、彼女が書いたのではなくて、・・・・・いろいろ、他人の名前を使って、あれこれを書く鎌倉エージェントの中の一人が、ゴーストライターとして、書いたものだったのかもしれない。で、保坂航子さんのパソコンには、私のブログが絶対に読めない措置が取られていて、保坂航子さんは、私のブログなど、読んだ、事がないので、ここに載せてある顔写真とか、フェイスブックも、見たことがなくて、したがって、私に対する何の警戒心もなくて、だから、今年の五月、彼女本人と会話をした時も、私こそ雨宮舜(本名、川崎千恵子)であるとは、気が付かなかったのではないか?・・・・・と思っている。

 このブログは、とても恐ろしいことが書いてあるので、誰も、コメントなど、よこさない。ただ、ある男=保坂さんが、私に送ってきた恐ろしい文体のメールを、書いた=そう私がいまではおもっているその同じ男だけがコメントをよこす。署名には、「ヘーガデール、ウンチョース」と名乗っている。

 屁が出る。「ウンチをする」という意味の、名前だ。プロの作家として、ユーモアを売り物にしている作家だが、酒鬼薔薇聖斗の、かな釘流の、手書き宣言文とか、その酒鬼薔薇聖斗が罪を終えて、出獄した後では、少年Aと名乗り、太田出版から、【絶歌】というのを出版したが、それもそのゴーストラタ-が書いたと考えている。

 そのゴーストライターの名前を言おう。井上ひさしだ。彼は、2009年4月9日(金)、大々的にNHKニュースを占拠して、自分が死んだことにしたが、実際は生きている。

 で、この間、地方裁判所から、データを捨てさせたのも彼であり、目的は、酒鬼薔薇聖斗の宣言文が、自分が手書きで書いたものであることを、将来見破られることを恐れたのであろう。土師淳君のお父さんは、私のブログを隅から隅まで五年分ぐらいをお読みになることです。そうしたら、真実がわかるでしょう。

 私が突然に、この五月に、ユマニテを訪ねたのは、電車の中で、おしっこを漏らしたからだ。自然なことではなくて、身体への外部攻撃だが、桜田門の大画面に、ポインターを当てて、排尿機能を促して、私の意思に反して、おしっこが出てしまうと、いう状況に陥いらせた。電車の中に、普通の場合の尾行ではなくて、桜田門で、出された命令を中継する小型(ただし、性能は、抜群に良い)を持った、特殊部隊の人間がいたと思われる。

 幸いに麻でできた夏用のロングコートを着ていた。それが、パンツ=ながいズボンの事、下着のパンツではない=を隠してくれるので、電車の中、および、新橋駅構内にいた、他人はだれも、気が付かなかった。誰も、その濡れを指摘する人間はいなかった。

 しかし、その日のわたくしは歌舞伎座に行く予定があった。歌舞伎座の椅子は布張りであり,たとえ麻のコートが濡れていなくて他人が、おしっこを漏らしたことに気が付かなくても、これで、歌舞伎座に行くことはできなかった。しかし、ここでも、神様が、お助けくださった。私が画廊巡りを30年間続けてきたのが、ここで、役に立った。どこで、新しい洋服を買えるかをわかっていたのだった。

 しかし、これが、CIAエージェントからの外部攻撃であることが、100%わかっていたので、私は歌舞伎座の帰りに、銀座の二つの画廊に、寄ることを決意した。トイレのことで、いじめてくるギャラリーK と、ぎゃるりーユマニテだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『この失禁が外部操作であったことはその日のギャラリーK のトイレのカギの状況を見たことと、それ以降ブログにギャラリーK という名前を入れた、トイレ問題や、失禁問題を、書いていないのにもかかわらず、

 ギャラリーK から、個展の開催状況を知らせるメルマガが来なくなったことでも、証明できる。

 わたくしは、この二つの画廊以外で、トイレを使いたいと、いう意思を示したことはない。というのも、スペースの大きなビルで、ワンフロアーに、テナントが何軒も入っているビルだと、全テナントが使う共同トイレがあり、そこを使うのは、自由だからだ。

 しかし、たいていの画廊は、まず、展示室があり、その次に事務室があり、そのさらに奥にトイレがある形式なので、その週、作品をそこで、展示している作家(画家など)以外は使えない。で、新橋から歩き始めると、銀座6-13-7新保ビル、や、銀座1-9-8奥野ビルなどが、気兼ねなく使える、共同トイレがあるビルなのだが、10年ぐらい前までのわたくしは、まだ、まだ、老齢化は、来ていなくて、トイレの間隔が長かったので、別に用心もしておらず、新橋駅で、用足しをしてから銀座に入るということもなく、奥野ビルで、トイレを済ませることもなく歩いていたので、突然に、京橋3-9-7のポイントビルで、トイレに入りたくなることがあった。

 このビルは、ワンフロアー、ワンテナントという形式で、本来なら、共同トイレはないのだけど、たまたま、トイレが、エレベーターを降りると一番最初に位置するドアになっていた。その次のドアを開けると、作品展示室になり、かつ、事務室はさらに奥にある。だから、ギャラリーK 個人のものだが、使いやすいのだ。しかし、あまり使ったことがない。というのも、この画廊を預かって、運営をしている作家、宇留野某氏が、いつも剣呑な顔をするからだった。30年間、画廊巡りをしているのだけれど、この章の初稿(外で、スマホを使って書いている段階)で、取り上げた、美術評論家、北川フラムが、30年前ごろに見せた、恐ろしいにらみ方とそっくりだからだ。同じ美術評論家(多分酒井忠康氏だが、間に、誰か、家来格の人間を挟んでいるかもしれない)が、「雨宮舜(本名、川崎千恵子)をいじめなさい」と、言っているのが明瞭だった。

 しかし、どうしても、ここを使いたいと思うときがあって、トイレのドアノブをひねったら、鍵がかかっていた。すぐ、自然なことではないと感じた。で、それに気が付いた時以来、必ず、ドアノブを回してみることにした。すると必ず、鍵がかかっていた。

 そこで、ある日、宇留野さんにこのことを質問をしてみることとした。というのも、尿を排出させないということは、大便を漏らす気の毒な第一次内閣時代時代の安倍晋三氏と同じ、抵抗できない人権侵害だから、画廊、特に現代アートを展示している画廊と、いう意味では、日本の上層部としては、やってはいけない、措置だと思うからだ。恥を知れ、CIAエージェントよ」と言いたい。で、かれらが、「えっ、裏側がわかっちゃったのか?」と思えば、やめると判断をした。

 ところが、宇留野さんは、堂々、シャーシャーとして、「うちのトイレは、個展をしている作家にしか使っていただかないことにしています」といった。

 この違いだけど、トイレの問題だけは、築地警察署の生活安全課の花鳥画命令しているので、宇留野さんは、強気だったのだろう。酒井忠康氏が、いじめなさいと、言って、田んぼを耕している。そこへ、警察から、「雨宮舜が、お宅を訪問するときは、必ず、知らせるから、トイレの鍵を閉めておいてください。彼女は、こうこうこういうわけで、殺さないといけない人物です。でも、一気に殺すことができないので、いじめる形で、徐々に殺していくしかないから」と、命令すれば、あっという間に、知るでしょう。その裏にある複雑極まりない、北久里浜1978年とか、ICUキャンパス内、1965年とかは、知らないことで、まったく一辺倒の、知識のもとに動くからです。

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 すみません。ここで、午前四時になったので、中断します。寝ないと死にますので。

 

@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

 私は、美術評論家としての、立場を、

 秋山祐徳太子、野見山暁次、渡辺豊重、北川フラム、酒井忠康、瀬木慎一、ワシオトシヒコ、秋山裕徳太子、ほかに、疎外をされてきているのです。→

::::::::挿入に入ります。で、芸大祭りに行ってみたら、おや、おや、2003年ごろに、芸大祭りを見ていたら、もっと、力強い美術評論家になっていて、敵の攻撃など、蹴散らせていたかもしれないと、思った次第です。 油絵棟、8階大学院生、および、7階、学部生(四年生)だけ見ただけですが、いろいろな感想を持ちました。で、70人ぐらいの作品を見たら、もう、疲れ切って、あとは、油絵科の、1~3年生、彫刻棟、金工棟など、見ないで、帰途に就いたのです。元に戻ります。::::::::

 → などの人に疎外をされてきているのですが、たまたま、本日の日曜美術館に、北川フラムが出てきたので、この人のケースを書きたいと思います。この人は三十年近く前、旧 村松画廊に入る一階の廊下で、極悪の睨みをして来たのです。全く、面識が無いのに、どうして⁇  と思いますが、本日、中谷芙二子さんの霧に関する日曜美術館を見て居て、うっすらと、感じて居た名前がはっきりと特定出来ました。中谷さんは、1930年代生まれなのに、ノースウエスト大学留学と聞いて、すぐ中谷博士のお嬢様だと、気が付きました。当たっていました。お父さんは雪、ご本人は霧のスペシャリストです。

 中谷芙二子さんが、越後妻有、トリエンナーレに招かれたときの動画に、北川フラムが出てきたのです。

 この人と初めて会ったのは、26年以上前です。村松画廊が、まだ、7丁目のビルの二階にあったころ、一回の暗い、廊下で、すれ違ったときに、異様に強い目力で、しかも「嫌いだよ」と、いう意味を込めて、見つめられたので、不思議なことと思い、ほぼ、30年は、前のことなのに、はっきりと覚えているのです。

  内藤律子さんの個展に招かれて居たので、絶対に →

 

  → これはね、その後 何百回と繰り返されるCIA連中固有のイジメ策です。

  本日も朝 11時 45ー48ふんの間に花輪夫人にやられました。でね、それも腸詰康と関係が有るので、分析しなくては、いけないのですが、本日は芸大に行って居た事も有り、美術の方へ特化しましょう。雪の下黒物語に入る前にそれを致します。 

 →  花輪ふじんのいじめなど何百回目かしら? と思うほどのものなので、あ、そう!  と言うだけのものですが、北川フラムに睨まれた時はね、まいった とか苦しい とか悲しい と言うよりもね、

 うわー、なんて美形なんだろうと思って、そう言う側面で、メルマガでエッセーを書いた記憶が有ります。その当時は、私は、自分が他人から攻撃されるなんて、夢にも思わず、ただただ美形だなあと思っただけなのです。

 まえほうで、私が主人をICU祭に招いて、とてもはしゃいでいたら、それを見た途端に、大物中の大物である入江多喜夫君が、バスの中に入って来なくなったと言って居ます。それでね、入江君て、もしかしたら 私の事を好きだったのかしら?  なんて書いて居ます。私は、前歯に金冠を嵌めて居たので、容貌には、からっきし自信が無かったのですが、この年 1962年の35年後有名な手相観 日笠雅水さんに見て貰ったところ、 あなたは、アーティストで良かった。これが専業主婦だけだったら、事件を起こす女になって居ます。といわれました。

 日笠さんはね、日大芸術学部出身の才媛で、しかも、坂本龍一達のYMOのマネージャーをして居たそうで、コネのある人しか見ないらしいのです。でもね、著書を見ると 太陽戦と言う芸術を司る、線についての解説が最も詳しいので、あらゆるコネを利用してみて貰ったのです。三回みて貰ったのですが二回目かなあ、表参道の交差点でわざと出逢う様に計らって、かつ、強烈なイジメモードを出してきた人です。それはね、今日は来ないで、と言うサインだったらしいのですが、私は、現在の朝ドラの主人公、冨太郎博士とおんなじで、人を疑わない主義だし、その日も予約を入れて居るのだから、みてもらいに行きました。でもいい加減でした。ただ一回目に驚く様な診断をして貰って居たので、一年後、二年後は、どう変わって居るか知りたくて、三回訪ねて居ます。

 これは自分の為ではなくて、日笠さんを守る為に言うのですが、週刊女性  京橋の私が、毎週そこを通るところに編集部がある  に私の手相を悪い手相で、二重人格だと書いたのでした。しかし、私は、全然恨んでいません。ただし、彼女が、その様に変質したのは、赤瀬川原平、もしくは

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