今は、2月2日の午前五時ですが、以下の文章の推敲やら加筆が終わりました。で、恒例の△印を総タイトル横に付けておきます。
副題1、『小保方手記が出たそうだけれど、その目的と理由は?』
小保方さんの手記が発表をされたそうです。それは、私が今書いている、【わりなき恋】の朗読劇云々と言うテーマから、私と読者の双方を、引っ剥がそうとして、今、セッティングをされた可能性があります。 そんなことは見え見えでしょうに、一時、第一節が、一種の伏字化して、読めない様になっていました。それで、かえって書く意欲が出たというものです。急に姿勢がしゃんとしました。
過去に、いちばゆみとか、開発チエとか、瓜南直子を使って、いじめてやれば、彼女を、ぶっ潰すことができると、発案者側は、思っていたのに、実際には、達成されなかった、その目的=私を完璧にやっつけられる=を、次に達成させようとして、すぐさま、違うスター(?)を持って来たと言う事なのでしょう。
岸恵子を使う事で、『どうだ! 参ったか!』と、思っていた、連中は、意外にも、私が彼女の盛名を、全く意に介さないで、その矛盾やら、裏側を、解剖したので、びっくり仰天して、すぐさま、次の案を用意したのです。
まあ、岸恵子の」ちょっと戻りますと、日本には、まっとうな批評精神が無いので、岸恵子は、インテリ女優として確固たる地位を占めているわけですが、
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副題2、『岸恵子は、美形ではあるが、夫にも、娘にも愛されていない、心理的には、哀れな、人間だ。どうしてそうなるかと言うと、何かというか、どこかというかで、センスが、欠けているところが、あるのだろう。何のセンスかと言うと、神の手中に在るものへの、畏敬の想い・・・・などに関する物かな?』
でも、本当のことを言うと、彼女は、演技は、下手な女優さんです。そして、若いころは、それは、きれいでしたよ。だが、頬骨が高くて、もともと、骸骨系に見える顔立ちでもあるし、【わりなき恋】と言う、本当の意味では、・・・・・独りよがりで、かつ、企画をされた恋愛を、得意がっているという、・・・・・醜い主題の、モノに、しがみついている相は、それこそ、安達ケ原の鬼女(能とか、歌舞伎にテーマとして、現れている)の様にも見えるし、
映画【雨月物語】の、夜陰に紛れて、男を接待する骸骨とも見える・・・・・と、言っています。それは、彼女の同世代の他の女優には、見られない、過剰な誇り高さと言うべきもので、それは、一般的には、女性には、求められていないものなのです。特に日本女性には求められていないものなのです。それなら、彼女は完璧にフランス人化していると言えるだろうか? それは、駄目でしょうね。
そして、もっと、恐ろしい真実は、彼女は、誰からも、誠実な愛をもらっていない人だと言う事です。夫にも裏切られ・・・・・それは、当事者のどちらにも原因があっただろうし・・・・・娘にもひそかに批判をされています。そのお嬢さんにも、批判をされるだけではなくて、本当は、好かれても、いないのです。しかも、その両方に、気が付いていない鈍感さが、母親である彼女の方にはある。
お嬢さんは、10代のころは、後藤久美子みたいに、切れのある美女でしたよ。そして、その頃は、ゴクミより、きれいだったかもしれない。しかし、NHKBSプレミアム内で、NHKカメラに、向かって、母親への感想を言うときの彼女は、しぼんでいて、まったくきれいではありませんでした。予想の他の、悪い方への変化でした。ずっと、目撃することのなかったお嬢さんが、急に目の前に現れたものの、中年のしぼんだ感じで、背をつぼめた感じで、モノを語る姿は、衝撃的でした。
で、こういうことを企画している鎌倉エージェントは、『そうか、彼女(=雨宮舜)のいう通りかもしれない。特に、岸恵子は、ネットの世界の、住人には、すでに過去の存在だ。知られていないだろう』と思い直し、急にもっと知られている存在として、小保方晴子さんを用いたと、考えられます。
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副題3、『本は、本当に急いだら、一週間、または、1か月で、出来上がる。講談社などは、社員も多いので、完璧に一か月で出来上がるだろう』
今日のブログの第一節が、真っ暗な伏字状態になって、読者には、読めない様に一時期なっていた問題ですが、私が切り取りと言う手法で、それを削除したので、今は、普通の状態になっております。しかし、アップ後の状態を確認し無かったら、皆様には、重要なところが抜けているモノをお読みいただくこととなったと、思います。
で、これから、先は、仮定の連続となりますが、小保方手記が、非常に急いで、出版されたとしたら、最短、どのくらいで、出版ができるかを考えてみましょう。
彼女の手記は、読んだ人の感想によると、後半は、一気呵成に書かれているとのことです。強烈な恨み節に近いものであり・・・・・と、言われています。となるとですね。若い彼女だったら、一冊分、190頁、は、一週間で、テキスト形式だけなら、書けたと、思いますよ。書けた内容は、片っ端から、講談社にメールで送ってもらって、三人ぐらいの担当編集者が、誤変換直し、文脈整理係等に、別れて別々に行えば、合計1週間もかからないで、編集は終わると思います。190頁だそうです。それは、薄い本の方となりますが、それでも目次とか奥付があり、各章の冒頭の余白もあるので、文章自体は、原稿用紙換算150枚程度だと、思いますので、60000字です。私なら、ブログ三回分です。
私の方は、誤変換が多発して、それを直すのに、時間が採られるし、システム異常も起こされるので、多大に、余計な時間がかかりますが、それが、無かったら、6万字程度は、三日で書けますね。今、74歳です。もし、小保方さんと同じ30代だったら、2日で書けるはずです。
ともかく、講談社側が、10人の、編集者で付きっきりで、6万字を、編集するのは、2日でできます。デザインですが、ベテランの編集者が、ワードで、頁設定をやって、それを、DTP化すれば、あっという間=2時間でできます。印刷は、一日でできるし、製本も一日でできます。配本も一日でできるでしょう。となると、最短で8日で、本はできるのです。
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副題4、『私は、岸恵子批判を、実際には、1月20日から、開始していた。アップしたのは、もっと後だが、常に、パソコン全体がハッキングを受けているので、私が考えていることは、すぐさま敵さんたちには、わかり、だから、岸恵子分析に対抗する施策は、すぐ、開始されたと考えると、一週間はあったのだ。だから、上の章で、言っているスピードで、作り上げれば、小保方手記が、岸恵子批判に対抗して、作成されたと成る。
けれど、『それは、実際問題として、無理だ』と仮定を設定し直すと、この手記は、【絶歌】に関する私のブログ文(後注1)を否定する為に準備をされた可能性が、次に上って来る。
・・・・・【絶歌】は、井上ひさしが書いた・・・・・という、過去ブログ文(後注1)が、正しかったので、それを否定する為に、小保方手記が準備をされたと言うのが、次に来る、可能性だ・・・・・表紙のデザインが全く同じであるし』
・・・・・編集といっても、講談社側は、誤変換直しと、文脈整理ぐらいの事しかやっていないと思います。小保方晴子さんは、文学者でも小説家でもないです。普通なら、少年A(=酒鬼薔薇聖斗)並みに、指弾されるべき存在ですが、少年Aは、中学卒で、かつ、公的な味方が弁護士以外に、いない存在です。だから、この書物が、指弾をされません。
しかし、私自身は、彼は、殺人者ではないと、見ています。土師淳君殺しを実際には、やっておらず、したがって、CIAは、彼を子飼いにしているのだと、見ていますので、CIAは、彼を許容し、彼に味方をしていると、見ています。
一方の、小保方晴子さんは、週刊誌によれば、故・町村信孝氏が、「小保方さんって、結構いいのではないの」と言ったり、やくみつる氏も、一時期擁護して居たり、小林よしのり氏も、一時期擁護をしていた存在です。しかも早稲田大学卒です。だから、講談社から、出版することができました。殺人者でもないと言う事となっています。だけど、日本と、日本人をひどく辱めた存在です。
そして、笹井芳樹氏は、他殺だと、私は思っていますが、このスタップ細胞疑惑騒動が起こされなかったら、笹井さんも殺されることはなかったので、間接的に小保方さんに責任があります。そんな人物の手記をなぜ講談社が出したのか?
このポイントについては、後に別章を上げて書きます。
しかし、絶歌も、井上ひさしたち、鎌倉エージェントが裏に居るものですし、今回の小保方さんの手記も、また、スタップ細胞騒動そのものも、鎌倉エージェントが、裏に居るものです。たまたまかもしれませんが、両方とも、表紙のデザインが同じです。白地に文字だけですね。まさかと思うが、鎌倉春秋社ないのデザイナーが、作った? まあ、彼ら側に立つ、有名デザイナーは、たくさんいるので、瞬時に、作ってもらえるでしょう。表ざたにはできないが、佐野研二郎が、両方とも請け負っていたりして・・・・・
さて、絶歌は、2015年の6月に、世間の、注目する問題と化したのですが、すぐ、私は、それを、論評しています。世間とは、まったく違うポイントで、論評をしています。世間では、少年Aに対する風当たりが強かったみたいですが、私は、「それは、少年Aが書いたものでは無い」と、言い出しています。井上ひさしが、書いているのだと、言っています。井上ひさしは、公的には、2009年に自分を死んだことにしているが、実際には、まだ生きていて、この書物の原稿をゴーストライターとして書き、それを、伊藤玄二郎が、見城徹に、正しい事情を説明したうえで渡して、見城徹は、正しい情報を伏せた上で、太田出版に渡していると、言っています。(後注2)ほか、
しかし、井上ひさしは、高をくくっていたでしょう。まさか、世間の人は、そんなことを信じるわけはないと、思ってね。
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副題5、『塩見和子と、三輪喜久代の名前を出したことは、CIA側に立つ人間にとっては、相当な痛手だったと、私は見ている』
しかし、彼が高をくくってはいられない文章も、私の手から出てきます。それは、今は、リンク先を見つけるのが面倒なので、本日(2016-2-1)はそれをいたしませんが、代わりにここで、短くまとめて言うと、・・・・長谷川智恵子問題で、塩見和子と言う名前が出てきた事です。この女性は、ヴァイオリンの名器を数十本(または、ちょう)買ってコンクールなどで、よい成績を残した若手ヴァイオリニストに貸し出す笹川財団の金庫番を、1979年から務めているものすごい大物ですが、彼女がどういう風に動いたかを、私が、見事に分析しぬいてしまったので、これは、井上ひさしだけではなくて、別の、エージェントである石塚雅彦氏などにとっても、痛手だった筈です。で、復讐の措置の一つとして、小保方手記が準備されたと、みなすこともできます。
もう、一つはスタップ細胞疑惑の論文をNATUREに、載せる様に手配をした人間が、三輪喜久代さんであろうと、喝破しているところです。こちらも、今は、リンク先を見つけるのが面倒なので、ごく簡単にまとめると、私の国際基督教大学時代の、たった、3人の同級生(4年生の時に同じ教授について、卒業論文(または、卒業実験とも言う)を書き、しかも、同じ年度に卒業した、のは、3人だけと言うほどの少人数制の大学なので、よく知っている人間ですが)・・・・・日本化学会の会員資格を持っているはずなので、NATURE側にも信用が利く人間です。しかも英語がペラペラの筈で、普段ロンドンに住んでいるので、動きやすいでしょう。
しかも、1966年、大学を新卒後、入社した会社が、出版社(春秋社)です。この春秋社の社長にしたい寄って【春秋】と言う名前をもらって、伊藤玄二郎は、【鎌倉春秋社】を起こしたのです。ですから、お互いに、一、二才しか年が離れていないわけですし、三輪さんも伊藤玄二郎も、いわゆる恋愛巧者ですし、相当に深い知り合いだったと仮定する露、このスタップ細胞疑惑など、ちょちょいのチョイで、出来上がるわけです。こういうことをサラッと書いてしまったのも、
こちらも、連中=鎌倉エージェント達にとっては、ものすごい痛手だったでしょう。そこから、小保方手記が準備された可能性があるのです。それは、10月ごろの事だったと思います。後で、調べておきます。そこから準備をすれば3か月余裕があるので、普通の本を作るスピードで、作り上げることは可能だったでしょう。
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副題6、『しかし、もう一つあるのだった。それは、朝日新聞の書評欄に、私が言及したことだった。それは、【初日への手紙2】と言う書物への書評であって、是こそ、井上ひさしが、まだ、実際には、まだ生きている証拠であると、私が言っている事なのだ』
・新刊「初日への手紙 2『紙屋町さくらホテル』『箱根強羅ホテル』のできるまで 」(白水社)
2015年10月出版 ISBN 978-4-560-08423-6 20cm 395p(#142 参照)
ここですが、まだ、書けないのです。たいへん複雑な事なので、節目するのに、体力も、時間も足りなくて。だけど、結構、これが、真実(=彼がまだ生きているという事)への突破口になるかもしれないという書物なのです。しかし、以前に、2行ぐらいは、それについて触れております。そのことに震撼したので、復讐開始と言う事で、小保方手記、へ、ゴー発信と言ったのかもしれないのです。
なおこのブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、3335636です。 2016年1月31日から2月2日にかけてこれを書く。
雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
後注1、
【絶歌】出版の裏には、CIAが居る筈。淳君の死体を水道山まで持ち上げたのも、聖斗ではない筈 2015-06-19 22:35:08 | 政治
後注2、
見城徹は、CIAに許容をされた編集者なので、大活躍ができる・・・【絶歌】総まとめ△ 2015-12-10 03:47:16 | 政治
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以下は、ネットで見つけた記事のコピペです。私はこの文章に賛成するものでは無いのですが、小保方手記が問題になっていると、言う事を表現した記事の一つなので、ここに置きます。
理研に衝撃…小保方さん“反論手記”に書かれた核心部分
2016年1月29日 10時26分
関係者などによると、出版を持ちかけたのは講談社サイドで、小保方さんは昨年夏ごろから体調不良を押して極秘裏に執筆。現在も療養中で、出版会見を行う予定はないという。
さて、問題の手記では冒頭で世間を騒がせたことを謝罪。出版の動機については〈このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、卑怯な逃げであると思い〉などとつづり、捏造などと批判された論文の「図表」については〈誰かを騙そうとしたわけではない〉〈一片の邪心もない〉などと“潔白”を主張。何度も自殺を考えたこともほのめかしている。
手記の前半では研究者を志した理由や、論文の共著者である山梨大教授の若山照彦氏、一昨年に自殺した理研副センタ―長の笹井芳樹氏(いずれも当時)らとの出会いなどについて淡々と記しているが、論文発表から撤回、理研退職、早稲田大による博士号の取り消しに至る後半部分は、次第に“ヒートアップ”。
騒動が過熱するにつれ、理研サイドや若山氏は自分たちの身を守るため、事実とは異なる情報を一方的にリークしたと主張。〈本当に最後まで、私からは、真実を何も発信できない状況が、政治的にも、肉体的にも、精神的にも、固められ〉、自分ひとりが〈悪者〉に仕立て上げられていったなどと反論している。
批判の矛先はバッシングを続けた大マスコミにも向けられ、中でも「捏造の科学者 STAP細胞事件」(文芸春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した毎日新聞の須田桃子記者は実名まで挙げ、〈脅迫〉のようなメールを送られ、〈取材攻勢は殺意すら感じさせるものがあった〉などと書いた。
小保方さんと笹井氏が男女の仲だったかのような一部報道についても、〈二人きりで出張に行ったことは一度もない〉と否定。なぜか若山氏が週刊文春に“2人の関係”の証言者として登場していたと疑問を投げかけている。
■理研などには衝撃走る
そして肝心のSTAP細胞については、再現のための検証実験で〈私が担当していた実験部分の『STAP現象』の再現性は確認〉されたが、若山氏の担当部分が本人の協力を得られなかったために失敗に終わり、確認されなかったと結論付けられたという。
笹井氏の自殺などもあり、体重が30キロ台まで激ヤセした小保方さんは、〈魂の限界〉で戦う術もなく、博士号取り消しも〈再指導の結果として不合格を出すという、生け贄の儀式が行われるだけなのだと思った〉。
こうして研究者の道は幕を閉じたと締めくくっている。真偽については再検証が必要だろうが、いずれにせよ「理研をはじめ、関係者の間では衝撃が走っている」(文科省事情通)。
毎日新聞に問い合わせたところ、「記事は十分な取材に基づいて掲載している。一方的なリーク情報の垂れ流しとの批判は当たらない。なお、本の出版前に小保方氏から弊社への取材はまったくなかった」(社長室広報担当)。若山氏の研究室にも聞いたが、きのうまでに回答はなかった。