マイケル・ジャクソンさんの死によって、遺産相続の噂が出ています(後注1)。そういう方向に流れれば流れるほど、彼が、幸せ(特に心が納得をするという点での幸せ)とは遠かったように、思えます。
そういえば、私が、40歳の後半ごろ、父が私に、「平凡に生きる事が一番難しいんだよ」と言っていました。が、そのときは、どうして、そう言ったのか、そして、平凡に生きると、何が良い点なのかを、理解ができませんでした。あれから、20年強経った今、マイケル・ジャクソンさんの死によって、父のその言葉を、よりよく、理解する事ができます。お金はほどほどにあればよい。で、しょう・・・・
その父ですが、亡くなるときに、まず、腎臓が駄目になり、ちょうど、そのときに主治医の方が北海道に学会出張中だったので、(もしかしたらですが、責任を感じられて)、そして、母も最高の医療を望んでいたので、20年前の当時にしては最高の医療が施されました。
まず、腎臓の代わりをする、腹膜還流と言うのが行われ、そのためにおなかに穴を開けます。その次に呼吸が弱くなったので、気管切開と言うのを行い、首にアナをあけます。点滴用のチューブも、両手足、両足首についているので、あらゆるところに、チューブが這い回り、シーツ交換もできません。
体に穴をあける際の出血が、既に茶色くなって、シーツを汚しています。父はその臨終の五年ぐらい前に、パーキンソン氏病が原因で、転んで脳挫傷を患い、言葉を発せません。だから、父が何を考えているかは、誰にも分かりません。
そして、誰がとは、明言しませんが、回りの人間は、熱に浮かれた状態と見えるほど、奔走して、最高の医療を施そうとしています。また、悪いこと(?)に、医者ではないものの、最新の医療の知識が(旺盛な)人間が、数人回りを囲んでいるので、主治医と対等に協議をして、「ああしましょう」とか、「こうしましょう」と提案するので、主治医さんも追い立てられるような気持ちになってしまうのでしょう。その主治医さんは、既に亡くなっているので、ここまではっきりと書いてしまうわけですが・・・・・
しかし、私はたまたまですが、父と二人っきりで病室に存在している時間があり、そのときに、無言の会話ながら、父が、痛がっているような気がしました。言葉を出せないものの、数センチの傷を体のあっちこっちに付けられるのです。きるときに麻酔をしたかどうかも、ちょっと分かりません。し、穴を空けたあとでは、呼吸さえ弱いのですから、麻酔はとめてあるでしょう。
健康でない、しっかりした状態でないわけで、傷の回復も遅いと想像され、痛いはずです。それでも、それが、生きるためには必要だと思うから、私は何も主張をせず、黙って傍で見守っているだけでした。
しかし、それほどの事をしても、父が、生きたのは、たった一週間でした。腎臓がおかしいと看護婦さんが気がついて、尿道へチューブを通して、尿をベッド脇の袋へ流し始めてから、臨終まではたった一週間の余命だったのです。
そのときに、延命治療はよくないというか、そういうことまでするよりも自然に任せた方が父は、少なくとも、痛みは感じないで済んだはずだと考えました。そして、まだ、肉体が非常に美しいままで亡くなった父に比べて、医療と言う意味では過剰も過剰に施術が施されていたであろう、マイケル・ジャクソンさんの、心の苦しみと、同時に肉体の苦しみも推察することが出来たのです。
彼は顔の皮膚移植手術から始まって、終わり無き、挑戦に終始したのですが、それは、体にとって、マイナスであったのはたしかでしょう。今、ウエブ・ニュース上で、医者が逃亡したのがおかしいといわれていますが、医者としてもかくも有名な人の臨終に立ち会ってしまい、自らの責任を問われることを怖れて、逃亡したのだと、私は想像します。別に誰かに命令されて殺したわけでもないでしょう。
死についてもお金で解決できる(?)延命措置と言うのがあるわけですが、誕生についても、お金は、かかるが、以前より妊娠しぬくい人を妊娠させる施術が進んでいます。それについて、どこまで許容をするかです。どこまで人間が関わることを許されるかです。これについては、今、さしあたって、論評すべき良い例がありません。成功したという話を数々、聞きますが、生まれたお子さんの年齢を考えると言及すべきではありません。
でも、私自身の考えはあります。
でも、それはここに記しません。ただ、ご想像をくださいませ。私がどういう風に考えているかを。
~~~~~~~~~~
ところで、全く話は変わりますが、NHKの衛星放送で、今クリント・イーストウッドの、『続、夕日のガンマン』を放映しています。
それで、私は顔はパソコンに向かいながら、背後で、画面の音を追い、時々、画面を振り返るということをしています。
普通なら、娯楽ものはあんまり見ないのですが、グラントリノを劇場で見たときに、どなたかが、プログラムの中で、「現在のクリント・イーストウッドの映画人としてのスタンスは、このマカロニウエスタン時代に培われたはずだ」と書いていらっしゃったので、興味が急に深まったのです。
クリント・イーストウッドは、テレビで大当たりをした後で、ハリウッドで売り出すことを待つか、それとも、このマカロニ・ウエスタンのオファーに乗るかの二者択一の機会があったわけでしょうが、イタリア監督の下で、しかも過酷な条件下で、仕事をするほうを選んだわけです。
つまり、二十代、三十代、の大切な時期に、本国のハリウッドでスターとして売れることをいったんは捨てたわけです。しかし、意外にもその引いた姿勢が幸運をもたらしました。これらの映画は大当たりをして、彼にプロデューサーとしての活躍のチャンスを与えたのです。大金を得ることが出来たのでした。しかも、甘やかされることのない現場での訓練は、彼を真実、豊かにさせたのです。
その大金で整形手術をする方向へは向かず、本来の芸術作品を創作することへ向かったのでした。もちろん、クリント・イーストウッドの方は、白い肌で生まれています。だから、劣等感が少なかったともいえますが、大金を得た人が往々にして、血迷ってしまう中で、賢い、賢い選択をしたといえましょう。
マイケル・ジャクソンさんの不幸は、小さい頃から、大金を稼げるスターであって、周りがちやほやしすぎたために学ぶという姿勢やら、深く、考えてみると言う姿勢が育たなかった点にあるでしょう。
似たような存在として、日本では美空ひばりさんがあるわけですが、彼女はお母さんが亡くなった後で、急速に成長なさった模様で、亡くなったものの、大勢の人から尊敬やら、愛を注がれており、不幸せとも思えません。だから、考える事がいかに大切かを思い知らされます。
もってここに、哀悼の意をマイケルに注ぎます。天国で第二の人生を送り、そこでは平凡で、幸せな毎日をお送りになるように祈りながら・・・・・
∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐
後注1=普通の場合は、妻よりも親や、兄弟の方が、本人を理解するものです。特に、離婚をした妻は嫌われるでしょう。
でも、この死亡の影に過剰な整形手術、たとえば皮膚移植があったとすれば、それは、お金がありすぎる事が、引き金になったわけですし、そのお金を稼ぎ出す金の卵として、親兄弟が、彼を甘やかしすぎたので、彼には、自省の念とか、考えること、つまり、フィロソフィを、育てる機会がなかった可能性を考えるのです。
もちろん、妻たちも既に、有名人であり、大金持ちであったマイケルを好きになるわけですから、一般的な言葉で言えば、善人ではないかもしれません。贅沢を好む女性である可能性はあります。
でも、親兄弟にも、マイケルが本当の幸せを味わえない人生を送ったのについては、いくばくかの責任はあるでしょう。
2009年6月29日 雨宮 舜
そういえば、私が、40歳の後半ごろ、父が私に、「平凡に生きる事が一番難しいんだよ」と言っていました。が、そのときは、どうして、そう言ったのか、そして、平凡に生きると、何が良い点なのかを、理解ができませんでした。あれから、20年強経った今、マイケル・ジャクソンさんの死によって、父のその言葉を、よりよく、理解する事ができます。お金はほどほどにあればよい。で、しょう・・・・
その父ですが、亡くなるときに、まず、腎臓が駄目になり、ちょうど、そのときに主治医の方が北海道に学会出張中だったので、(もしかしたらですが、責任を感じられて)、そして、母も最高の医療を望んでいたので、20年前の当時にしては最高の医療が施されました。
まず、腎臓の代わりをする、腹膜還流と言うのが行われ、そのためにおなかに穴を開けます。その次に呼吸が弱くなったので、気管切開と言うのを行い、首にアナをあけます。点滴用のチューブも、両手足、両足首についているので、あらゆるところに、チューブが這い回り、シーツ交換もできません。
体に穴をあける際の出血が、既に茶色くなって、シーツを汚しています。父はその臨終の五年ぐらい前に、パーキンソン氏病が原因で、転んで脳挫傷を患い、言葉を発せません。だから、父が何を考えているかは、誰にも分かりません。
そして、誰がとは、明言しませんが、回りの人間は、熱に浮かれた状態と見えるほど、奔走して、最高の医療を施そうとしています。また、悪いこと(?)に、医者ではないものの、最新の医療の知識が(旺盛な)人間が、数人回りを囲んでいるので、主治医と対等に協議をして、「ああしましょう」とか、「こうしましょう」と提案するので、主治医さんも追い立てられるような気持ちになってしまうのでしょう。その主治医さんは、既に亡くなっているので、ここまではっきりと書いてしまうわけですが・・・・・
しかし、私はたまたまですが、父と二人っきりで病室に存在している時間があり、そのときに、無言の会話ながら、父が、痛がっているような気がしました。言葉を出せないものの、数センチの傷を体のあっちこっちに付けられるのです。きるときに麻酔をしたかどうかも、ちょっと分かりません。し、穴を空けたあとでは、呼吸さえ弱いのですから、麻酔はとめてあるでしょう。
健康でない、しっかりした状態でないわけで、傷の回復も遅いと想像され、痛いはずです。それでも、それが、生きるためには必要だと思うから、私は何も主張をせず、黙って傍で見守っているだけでした。
しかし、それほどの事をしても、父が、生きたのは、たった一週間でした。腎臓がおかしいと看護婦さんが気がついて、尿道へチューブを通して、尿をベッド脇の袋へ流し始めてから、臨終まではたった一週間の余命だったのです。
そのときに、延命治療はよくないというか、そういうことまでするよりも自然に任せた方が父は、少なくとも、痛みは感じないで済んだはずだと考えました。そして、まだ、肉体が非常に美しいままで亡くなった父に比べて、医療と言う意味では過剰も過剰に施術が施されていたであろう、マイケル・ジャクソンさんの、心の苦しみと、同時に肉体の苦しみも推察することが出来たのです。
彼は顔の皮膚移植手術から始まって、終わり無き、挑戦に終始したのですが、それは、体にとって、マイナスであったのはたしかでしょう。今、ウエブ・ニュース上で、医者が逃亡したのがおかしいといわれていますが、医者としてもかくも有名な人の臨終に立ち会ってしまい、自らの責任を問われることを怖れて、逃亡したのだと、私は想像します。別に誰かに命令されて殺したわけでもないでしょう。
死についてもお金で解決できる(?)延命措置と言うのがあるわけですが、誕生についても、お金は、かかるが、以前より妊娠しぬくい人を妊娠させる施術が進んでいます。それについて、どこまで許容をするかです。どこまで人間が関わることを許されるかです。これについては、今、さしあたって、論評すべき良い例がありません。成功したという話を数々、聞きますが、生まれたお子さんの年齢を考えると言及すべきではありません。
でも、私自身の考えはあります。
でも、それはここに記しません。ただ、ご想像をくださいませ。私がどういう風に考えているかを。
~~~~~~~~~~
ところで、全く話は変わりますが、NHKの衛星放送で、今クリント・イーストウッドの、『続、夕日のガンマン』を放映しています。
それで、私は顔はパソコンに向かいながら、背後で、画面の音を追い、時々、画面を振り返るということをしています。
普通なら、娯楽ものはあんまり見ないのですが、グラントリノを劇場で見たときに、どなたかが、プログラムの中で、「現在のクリント・イーストウッドの映画人としてのスタンスは、このマカロニウエスタン時代に培われたはずだ」と書いていらっしゃったので、興味が急に深まったのです。
クリント・イーストウッドは、テレビで大当たりをした後で、ハリウッドで売り出すことを待つか、それとも、このマカロニ・ウエスタンのオファーに乗るかの二者択一の機会があったわけでしょうが、イタリア監督の下で、しかも過酷な条件下で、仕事をするほうを選んだわけです。
つまり、二十代、三十代、の大切な時期に、本国のハリウッドでスターとして売れることをいったんは捨てたわけです。しかし、意外にもその引いた姿勢が幸運をもたらしました。これらの映画は大当たりをして、彼にプロデューサーとしての活躍のチャンスを与えたのです。大金を得ることが出来たのでした。しかも、甘やかされることのない現場での訓練は、彼を真実、豊かにさせたのです。
その大金で整形手術をする方向へは向かず、本来の芸術作品を創作することへ向かったのでした。もちろん、クリント・イーストウッドの方は、白い肌で生まれています。だから、劣等感が少なかったともいえますが、大金を得た人が往々にして、血迷ってしまう中で、賢い、賢い選択をしたといえましょう。
マイケル・ジャクソンさんの不幸は、小さい頃から、大金を稼げるスターであって、周りがちやほやしすぎたために学ぶという姿勢やら、深く、考えてみると言う姿勢が育たなかった点にあるでしょう。
似たような存在として、日本では美空ひばりさんがあるわけですが、彼女はお母さんが亡くなった後で、急速に成長なさった模様で、亡くなったものの、大勢の人から尊敬やら、愛を注がれており、不幸せとも思えません。だから、考える事がいかに大切かを思い知らされます。
もってここに、哀悼の意をマイケルに注ぎます。天国で第二の人生を送り、そこでは平凡で、幸せな毎日をお送りになるように祈りながら・・・・・
∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐
後注1=普通の場合は、妻よりも親や、兄弟の方が、本人を理解するものです。特に、離婚をした妻は嫌われるでしょう。
でも、この死亡の影に過剰な整形手術、たとえば皮膚移植があったとすれば、それは、お金がありすぎる事が、引き金になったわけですし、そのお金を稼ぎ出す金の卵として、親兄弟が、彼を甘やかしすぎたので、彼には、自省の念とか、考えること、つまり、フィロソフィを、育てる機会がなかった可能性を考えるのです。
もちろん、妻たちも既に、有名人であり、大金持ちであったマイケルを好きになるわけですから、一般的な言葉で言えば、善人ではないかもしれません。贅沢を好む女性である可能性はあります。
でも、親兄弟にも、マイケルが本当の幸せを味わえない人生を送ったのについては、いくばくかの責任はあるでしょう。
2009年6月29日 雨宮 舜