今は、2022-11-10の23時です。あることを思い出したので、ここに加筆として入れます。本当は下部の、その部分に挿入するべきですが、ここに、入れます。全体をすでに、一読なさった方の便宜のために、そう致します。
尾崎正志という摺師が、シロタ画廊で、熱弁をふるっていたと、言うエピソードが、下の方に出てきます。その時の彼は、長髪で、それを後頭部で、紐(またはゴム)で、結んでいました。女性で言うとポニーテールと呼ばれる髪型です。
シロタ画廊というのは、版画では大変有名な画廊で、大展示室と、中展示室(応接間を兼ねている)と、バックヤード(スタッフの休憩室や、倉庫)を持っている、広い(=お金持ちの方である)画廊です。でね、入り口を入ると、最初に、中展示室があり、そこにすでに、有名になっている版画家の作品がかかっています。しかし、応接間を兼ねているので、そこで、商談が行われている際は、私はそちらの部屋には入りません。で、尾崎さんの熱弁ぶりを横目で見ながら、大展示室へ入るわけです。
シロタ画廊は、地下一階を使っているので、玄関用のガラスドアを開けて中に入ると、あとは、すべて、オープンスペースになっているので、私が大展示室の作品を見ている間中、尾崎さんの声は、響いて、はっきりと内容が聞こえているわけです。彼が売り出したいと、思っている若手を、私は、全然だめだと、内心で思っているので、シロタさんの反応や、如何に?、と、それについては、興味津々でした。
で、シロタさんの大展示室を、新進作家が使う場合、当時の、費用として、作家側が、50万程度、支払う必要があります。中展示室に飾ってある作品の方は画商として、シロタ画廊が扱っている作品なので、作家側は、借り賃を払わず、しかし売れたら、なん十パーセントかを、支払うという仕組みになっているのです。
尾崎さんの希望としては、大展示室を無料で、貸してほしいと、言うことでしょう。「この作家は大変有望なので、今、50万円をご損をなさっても、いずれ、元は取れますよ」と、言う趣旨だったと、推察しています。私は自分を、二人に対しては、なにも、アッピールはせず、ただただ、内心の興味を押し隠して、通り過ぎただけです。結果がどうなったかは下の方に書いてあるので、そこをご覧いただきたいです。
さて、なんで、こんな話を冒頭に置くかというと、ショパンコンクール第二位だった、反田恭平君に対して、私が、辛口の、提言ばかりしていることへの、弁解が、ここでできるからでした。
彼には、テレビ局のインタビューが殺到したみたいで、また幻冬舎が彼の、自著を出版し、大ヒットをしているみたいなので、彼が、侍をイメージして、あのポニーテール姿を選んだということを知っていらっしゃる読者も大勢いらっしゃると、思います。
だけど、私の方は、「やめて反田君。生半可な、日本・近・現代史を振りかざさないで!」と、言いたいのです。現代の日本で、普通のサラリーマンが、他者との同調圧力の下で、使っている髪型は、つまらないと、彼が考えたのは、いいのですよ。でも・・・・あのポニーテールで、侍・精神を・表せる・・・・などと、考えるのはやめてください。
女性がポニーテールにするのは、女性にとって、長い髪が、一種の財産になってはいるものの、仕事をする際、それがうっとおしくて、邪魔になるからです。だから、許せる。一方で、男性が、長髪なのは、私は許せないのです。
というのも、鎌倉時代から、江戸時代の、本当の侍にとって、ざんばら髪と、言うのは、断末魔のイメージだから、決して、良いイメージではないのです。よい家庭に生きている侍というのは、たとえ、高齢で、死の床についていたとしても、家族が、きちんと髷を結ってあげて、畳の上で、布団の中で、死んだのですよ。
今週私は、たまたま夏祭浪花鑑の映像を二回もNHKの番組としてみました。一つ目は、十八世勘三郎の、ニューヨーク公演で、殺される方の舅・義平次は、笹野高史です。もちろん、勘三郎は、最後には、ざんばら髪になります。もう一つは、愛之助・亀鶴の、コンビでした。この舞台の主役は、侠客と言って、今の言葉でいうやくざです。侍のざんばら髪を舞台に乗せるのは、遠慮をしたのだと、思います。江戸幕府って、結構、歌舞伎を規制する力が強かったと、考えますしね。
反田君が、「僕は、ジョンレノンが好きです。だから、長髪をマネしました、でも、ピアノを弾くときに邪魔だから、結びました」というのだったら、まだ、許せる。だけど、侍をイメージして、その髪型をしていると、言うのはやめてください。
と、ここまでの挿入を、10日の深夜入れて、初稿のトップに戻ります。
副題1、『私は、柿沢勇人という俳優を、11月に入ってから、初めて意識した』
22-10-30日の、【鎌倉殿の13人】で、源実朝が、京都から来た高貴な姫君の肩をそっと抱きながら、「あなたとの間に、子供を作ることが出来ない」ということを言います。まあ、想像するに・・・・女性に対して、勃起をしない・・・・と、言う事でしょうが、それを大変上品に表現した、脚本(三谷氏)の、ここには、びっくりして、氏を褒めたいと、思いました。ずっと、嫌いだ、嫌いだと、言い続けて来ていますが、ここで初めて、氏を『上手な脚本家』だと、思いました。生涯で、初めてですが。
実朝が、実際に、同性愛の人だったとか言う、歴史的事実はないのでしょう。よく知りませんが、巷間、そういううわさを聞いたことはありません。でも、歌詠みであると、言うところと、実子がいないと、言うところから、こういう場面を紡ぎだしたと、仮定すると、このセリフは大傑作だと、思います。
それでね。脚本が傑作でも、演じる役者が、下手だったら、そこがおかしく感じられます。不自然になってしまいます。俳優って、実際には、女性に興味満々ですよね。何人もの相手と、下半身の結合をもつのは当たり前だと、されていますよ。
だから、同性愛の青年であるなどいう事を、表現するのは、かえって難しいと思います。でも、ごく自然だったので、『おや、この俳優は、上手ですね。新人なのに』と思って、11月1日ごろ、初めて、かれについてwikipediaを、ひきました。すると、新人どころか、大ベテランだったと、判りました。主に舞台でね。特にミュージカルでね。
しかも、曾祖父と、祖父は、浄瑠璃の演・奏・者として、人間国宝だったとか。お父さんは、一般人で、したがって、一般人で、しかもお金が儲かる仕事というと、サラリーマンだったと、推察されます。それで、かれがミュージカルを志して、劇団四季を、受験したいと言い出した時に、家族は猛反対をしたそうです。そうですね。浄瑠璃の世界だったら、家柄とか、曾祖父と、祖父の人間国宝という勲章が生きて来て、コネも効くでしょう。しかし、一かにとっても、未知の世界に勇人君が飛び込む事は、とても危険に思われたのだと、推察します。そういう世界で、人気が出るかどうかは、誰にも予測できないことだからです。
それに、人間国宝になるほどの、伝統芸能の世界の人だったら、師と弟子の関係がしっかりあるので、修行を続けて行って、ある程度以上の能力があれば、くいっぱぐれはないでしょうが、タレントとか、ミュージシャンとか言う、新しい分野の芸能人は、運と、人気という、本人には、如何ともしがたい、ファクターが関与するので、成功するかどうかは、事前には読めない世界です。だから、親としては、心配で、反対をしたのだと思います。そういう両親というのは、よく理解ができます。
私は、芸能人のことはよく知らないのです。昔は、新聞は、しっかり読む人でしたが、テレビはあまり見ない人だったのです.ただ、【北の国から】と、【金曜日の妻たちへ】第一シリーズは、見ました。金曜日の方は、ICUの1966年卒の服部靖・ジ・さんが、演出していたからです。それと、日曜日夜の、教育テレビは見ました。日曜美術館とN響アワーです。
まだ、若くて太っていたころの、野島稔(のちに東京音大の学長、日本音楽コンクールの優勝者、井口愛子さんの子供のころからの弟子。ピアノにおいては、通の間で非常に評価の高い人)さんが、汗を四方八方に飛び散らせながら、N饗と一緒にベートーヴェンを白黒画面の中で弾いていました。そのころには、私にもベートーヴェンをじっくりと聴く体力があったのです。今は、交響曲は、聴きたくないです。誰のものでも、疲れるので、聴きたくないです。シューベルトの、未完成だって、聴きたくないです。室内楽の方を好んでいます。
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副題2、『ラジカセが何台も壊されている。これは、外部攻撃だが、音楽を好きな私に、CDを、聞かせてやらないぞという、鎌倉エージェントのたくらみだと、思う。で、仕方が無いので、今は、NHK BSPの、【クラシック倶楽部】(月~金まで、毎朝5時から、55分間)と【プレミアム・シアター】(日曜日の深夜、四時間)を、録画して置いて、見るのが、唯一の楽しみだ。
時々、別の発想をも抱く。シンプルな機構の中古のレコードプレーヤー(これは、半導体が入っていないので、外部から、操作しにくいだろう)
を買ってきて、お茶の水で、中古のレコードを大量に買ってきて、 レコードで、クラシックを聞こうかと思うけれど、全く時間が無くて、夢の夢だから、テレビの、その二つの番組の録画は、欠かさない。
しかし、もう一つ、録画して置いてみる番組がある。清塚信也が、今三代目の司会者をしているクラシック音楽への啓もう番組である。今のタイトルを、クラシックTVという。
これは、啓もう番組だから、今の私にとっては、つまらない。どこが、つまらないかというと、楽曲を多く紹介するために、すべての楽曲が、省略化されているからだ。短く細切れで、それに関しては、イライラしてしまう。だけど、二つ、長所があって、それで、聞き続けている。
それは、知らないことが出てくることがあるからだ。グレン・グールドが、常に彼、独自のとても、低い椅子を、持ち歩いていて、ひじを県版の下におろして、手首から先だけを鍵盤に乗せて、弾いていたなんて、初めて知った。普通だと、肩からひじ、そして手首へと続くラインは、90度で、曲がっている。しかし、グレン・グールドの上腕部と、下腕部は、30度から、45度くらいの狭さの、扇形になっているそうだ。そんなことは、、初めて知った。映像を見るから、判る事で、CDを聞いているだけでは、判らない。これは、TVが良き効果をもたらした例だ。
もう一つ、長所がある。司会の清塚信也と、サブの鈴木愛理のコンビが、とても、感じが良い。組み合わせが、大成功をしているところで、二人の会話が、聞くに堪えるものとなっている。そこにとても良い形の親密性が、生まれて、視聴者にも、良い影響を与えるのだ。是って、歌舞伎座の城内に生成する、親密性と似ている。
ここまでは、4日(今から、4日前)に描いた文です。初稿としてですが。それを4日後の公開時間にもっていったのが、8日、22時です
その番組が、11月3日の休日に特番として、普段の二倍の長さをとって、ミュージカルの特集をした。
そこで、柿沢勇人が出てきたのだった。その時に、私は、二つの事に気が付いた。で、そのうちのまず、一つ目を語りたい。
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副題3,『彼は、何が原因だったかはわからないものの、劇団四季を退団している。それが、番組の構成に微妙に影響を及ぼしていたと、私は見た』
その番組が始まる直前、10月31日か、11月1日に、wikipedia で、柿沢勇人を引いたばかりで、ミュージカル俳優としての経験を積んでいるのを知ったばかりですから、私は、当然のごとく、彼がその清塚信也が、司会をしているクラシックTV(その日だけは、タイトルが、ミュージックTVになっていた)に出るだろうと、思いました。そして、番組の冒頭でも、ちらっと彼が、歌う映像が出ました。ところが、番組が進むにつれて、あれ、どうしたのだろうと、言う場面に出くわしました。
それは、この親密度が高い番組において、座談会形式で、語る場面があるのですが、出演した彼が、そこに加わっていないのでした。その前、彼の紹介用に、動画が、瞬時流され、それが、【鎌倉殿の13人】の一場面だったので、・・・・・ああ、旬の人なのだなあ。ミュージカル界として、どういう位置に彼はいるのだろう?・・・・・ と、興味があったので、彼のドラマ以外での素顔を知りたかったので、座談会での、発言を聞きたかったのです。
しかし、他の出演者は、車座になってあれこれ、語り合うのに、彼は、そこに加わっていません。誰が、そういう脚本を書いたのか? または、彼本人が遠慮をしたのか? 心理学的に言うと、相当に興味深い画面でした。
しかし、短い時間でしたが、彼が、着ていたダブルのスーツのデザインの大胆さに驚き、こういう風に目立つことが周囲から嫌われ、それで、劇団四季を退団したのかな?などと、余計な想像をしたものです。
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副題4、『彼が着ていた大胆なスーツとは、別布が、一着の間に、使ってある、切り替えを応用したデザインでした。
それを私は、最初は、オーダーだと、考えており、こういう大胆な洋服を選ぶ、彼(=柿沢勇人)の、ヒロイズムというか、目立ちたがり精神が、嫌われたのか?と、考えたりしました。
しかし、cool japanの、ご意見番、小林康夫東大名誉教授が、同じく、切り替えの有るスーツを着ていたので、ああ、もしかすると既製服ですか? そうなると、意外と安いカモしれない?!?!?と、思ったりし直しました。
そういえば、布地が、薄いのです。私はテレビで、それが登場しただけで、使ってある生地が薄いか厚いかがわかります。それは、ですね。洋裁ができるからですが、あまり厚い生地だと、切り替えが、うまくできないからです。切り替えると、裏で、二重になります。そこを、表からは、平らに見える様に、アイロンで、抑えるのですが、使ってある生地が厚いと、ぼてぼてして、縫い際が、目立つので、柿沢勇人が、着ていたほどの、びしっと見えるスーツには仕上がらないのです。ただし、大変目立つものなので、これを、他の番組に出る際に、着て出るのはダサいという形になるので、一回着たら終わりです。黒柳徹子さんが、TBSのクイズ番組に、毎回違う和服を着て、表れた時に、あれは、毎回買ったものではないと、考えていました。
しかし、玉三郎は、舞台衣装を、ほぼ、自前であつらえるらしいですよ。地味目の物は、松竹が、用意したものを着用するかもしれませんが、綸子やちりめんの、絵柄のある着物は、150万円以上、時には、一そろい、500万円ぐらいの高いものを着用していると思います。が、舞台に来て出るので、最低でも、50回は、着用する可能性があるので一回、10万円の眼福をお客に提供していると、言うわけです。プロの覚悟というものでしょう。それと、すでに、地位が確立している人の、収入の高さの反映だとも言えます。
しかし、小林教授の方は、明度差の少ない、タイプの切り替え布が、挟まっているタイプで、よおく見ないと、別布が入っていると言う事に気が付かないタイプのデザインですが、柿沢勇人の、着ていたものは、大胆不敵なデザインで、非常に目立つものだったのです。つまり、黒地のスーツに、襟とダブルの胸もと、首から、30センチぐらいに、明度差の大きい、灰色を挟んだものだったのです。
それがオーダーではないと仮定すると、思いがけず、安いものかもしれません。12,3万円だったかもしれません。ただし、あまり何回も着られるものではないのです。テレビだと、二回使うことはできず、街を歩くにしても、出会う相手が、決まっている会合だと、二度と、着ていかれない、それほど、特殊な目立つ洋服を買うことが出来ると言うのは、旬にあたっている人で、収入が高いことを証明しています。
ここで、嫉妬の問題に入っていきたいところです。しかし、夜も更け、明日また、外出しないといけないので、本当は、ここで、5000時ぐらい書きたい、育ちの良さと、嫉妬と言いう問題から敢えて離れます。
そして、洋服のデザインの方へ特化して、語り続けましょう。
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副題4、『養老先生にね、この11月4日、鎌倉駅で、あったんざんすよ。そして、先生が、袖に、切り替えを使っているオーダーメイドスーツを着ていらっしゃるのに、気が付いたのね。本当は、それを、言上げしたくて、まず、柿沢勇人の、大胆不敵なデザインへ、言及したのでした・・・・・だから、今までの、字数は、ほんの導入であり、この章の次が、問題なのです。ほかの有名人(特にそのおしゃれ度が目立った人)について触れていき、やがて、政治の問題に入っていこうとしていたのでした』
11月4日の、午前11時28分鎌倉駅発の、横須賀線、7号車が(グリーン車)が停まり予定の場所で、養老先生を見かけたのです。そこは、階段があるために、ホームの幅が、とても狭い場所です。
そこで、出会った養老先生に、「お元気そうで、よろしゅうございましたね」と声をかけて、すれ違い、後ろを振り返ってみて、袖の、切り替えに気が付いたのでした。その袖が付いている本体ですが、相当に着慣れた(または、着古した)、ウールのジャケットですが、背が158㎝ぐらいの養老先生に、ぴったりと合わせたカッティングで、しかも、季節的にアイのジャケットとして、とても上等なものでした。さすが、101冊以上の大ヒット本を出した養老先生です。絶対に既製品ではないと思われる薄手ウールのチェックのジャケットでした。ジャケットだから、スーツと違って、やや派手目な布を使って縫製をしてあります。格子ガラです。
その、明らかにオーダーメイドだとわかる、薄手ウールのジャケットの、そでに、切り替えが入っていたのです。全体に細かい、チェックのガラのウールで出来ているのですが、ちょっと、大きめの同じ色、同じ格子の、布を使って、袖の切り替えに使っているのです。しかも、その大きい方の格子は体に添う方=他人には見えない場所に使ってあったのでした。
安い服というのは、袖が、筒状になっています。縫い目が一本だけなのです。薄い生地を使った場合は、特に、そうなっています。今、人々がよく着ている、ポリエステル製の、コートなどは、生地が薄いので、袖は、筒袖です。
でも、厚めの布(=ウールだと、どんなに薄手でも、木綿の布とか、絹の布よりは厚いので)袖は、二まいに分けて、カットして、それを縫い合わせる形を取ります。人の腕の動きに合わせる為です。だから、縫い目が2本入っているのです。その二枚目の、体に、近い方に、大胆な模様の格子を使うなんて、江戸時代(特に三大改革の時代)の、江戸庶民の発想に近いのでした。つまり、裏地に凝った、というおしゃれの事です。
で、養老先生のジャケットに戻れば、柿沢勇人君と比較すると、圧倒的に、目立たない形で、貫いたおしゃれでした。いや、すごい、目立たない目立たない形で、「自分は大金持ちです」と、示したジャケットでした。
ご近所の花輪夫人(後注1で示すが、この10月6日にも激しいいじめを行って来た、元都庁勤務の年金長者)からも、それを誇示されているのですが、お金持ちが着ているものは、庶民が着ているものとは、材質と縫製が、まるで違うのです。私は子供のころには、常に、日本橋に母が、お財布を満帆に膨らませて、連れて行ってくれて、その季節で、最も新しい子供服で、自分の、気に入ったものを、高島屋か三越で、買ってもらっていたのです。
そして、大学生になったころ以降は、オーダーメイドのお洋服を着ていたので、養老先生のジャケットとか、花輪夫人のセーターなどという、その種の上等なものは、すぐ、材質とお値段が判る人なのです。(苦笑)
友達にも「私服の時は、いいものを着ているのね」と言われています。私服は母が管理していて、制服類は、父が管理をしていたので、学校では、貧しい子だと、思われていました。父からは、ズックのカバンとズックの靴で、通学をする様に言われていたのでした。ほかの生徒が、ほとんど革のカバンと、革靴で、通って居た横浜国大附属横浜中学校時代の話です。1955年から、1958年までのお話です。
あー、今、兵糧攻めで、苦しんでいて、お金を分捕られ続けている私としては、内心で、笑うしかない、お金持ちぶりを、11月4日の、午前11時半に、気が付かさせられた、の、でした。あ、は、は。こういう事を、嘆いたって仕方がありませんからね。笑い飛ばして、明るく振り舞うしかないのです。
その裏にある残酷無比な兵糧攻めの詳細については、10年後ぐらいに語ります。恐るべきレベルで、苦しめられています。理不尽な事極まりないので、怒りを内心で、ため込んでいて、それを外へは、秘めているのです。どうせ、伊藤玄二郎達発の謀略ですから。
後注1,
この後で、緒方貞子さんのおしゃれとか、後藤健二さんが、本当に殺されているのか?とか、石堂順子さんのめちゃくちゃな記者会見は、どうして外人記者クラブで行われたのか? とか、川名昭宣君と、伊藤玄二郎との、本当の関係h? とかいう問題に入っていきたいのです。それが、政治問題というわけです。
だが、兵糧攻めで、追い立てられ続けている私は、最近、疲れ切っているし、明日もその件で、外出しないといけないので、政治的問題とは、何か?と、言う事を、伊藤玄二郎達に、におわせただけで、この章をひとまず、中断をいたします。導入部分だけで、終わりといたします。
この一文は脛物の発想で、生じていて、意地汚いところで、終わっています。しかし、ブログでは、全体像を、書き表せません。三万字という字数制限もあるからです。だから、これで、仕方がないのです。
ただ、養老先生が、目の前に、上等な服で顕現なさったことが、『おお、これも、天の助けだなあ』と、思っているから、この一文を書きました。
そうなんです。伊藤玄二郎達CIA一味が、発想をして企画をしている現在進行しつつある悪事は、すべて、私が見破ることが出来ないだろうと、言う発想のもとで、実行をされています。でも、この一文を書くことによって、・・・・・彼らが何を構想をしているかが、私には、わかっていますよ・・・・・と、彼らに知らせることが出来るでしょう。つまり、お金、特にそれを奪っていく事が、今の攻撃用弾丸です。お金を奪っていくことで、じわじわ、じくじくという形で、殺してやろうと、考えているのが、彼らなのです。
その種のひどい状況を書き表すチャンスを与えてくれたのが、ここに登場する四人の人々のお金持ちぶりでした。
誤変換チェックが済んでいません。でも、すみませんが、ここで、寝ます。明日外出しないといけないので・・・・・
22-11-8~9にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
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【蛇足】ー1
*a)・・・・安倍晋三氏の大腸炎とは、パソコンへの攻撃の肉体版である・・・・
その件に関して、安倍晋三元総理大臣のケースをまず語りたい。
私は安倍晋三元総理大臣の国葬には無論反対です。しかし、8月の半ばから、は、それについて何も述べませんでした。すると、四方八方から国葬に反対だと、言う声が上がったので、それで、良かったと、思っています。しかし、安倍晋三氏個人に対しては、気の毒な方だったと思っています。安倍夫人が、正常な精神の持ち主でよかったです。夫を大切な存在と思っていることが、示されて、良かったです。
それに反して、世界中に、酔った姿をさらすという、謀略に引っかかってしまった、中昭正一大臣の奥様って、スケルトンが無い女性みたいです。夫の身代わりで、代議士になった後で、不倫の恋愛に陥ったとか? 父親の最後をつらいと思っている、息子さんと争いになっているとか? 本当に、困ったことです。
安倍昭恵夫人が、代議士にはならないつもりだとか、義母が亡くなったら、山口県で、暮らすつもりらしいと、報道をされていることは、晋三氏にとって、良かったですねと、言いたい。お子様が無いにしても、今の段階では、それでいいのです。五年後とか、10年後に、彼女に、新しいパートナーができたとしても、人々は、それを許すと思いますよ。今の段階の態度で、人々は、ずいぶんとほっとした事でしょう。
ところで、除染等を始めてしまった安倍晋三氏は、谷垣禎一氏を間に建てて、伊藤玄二郎の言う事を見事に聴く人だったので、国葬なんて、とんでもないとは、私の方は思っていても、それでも、その私が、氏を気の毒な人だと、感じているのは、安倍氏への肉体的攻撃があったと、感じるからです。
というのも第一次安倍内閣を放り出した原因である、特殊な大腸炎は、当時は、一般国民には、全く知らされていなかった手法による、外部攻撃だと、私は、確信をするからです。というのも安倍晋三氏は、右翼的な政治家だと、みなされていました。CIAにとって、右翼的政治家とは、つぶすべき対象で、安倍晋三氏の場合は肉体への攻撃として表れていると、感じました。
田中角栄氏は、ロッキード社からのピーナッツでつぶされ、
小渕恵三氏は、太平洋に連れ出されて、ロープで縛られた肉体が、海へ漬けられて、脳梗塞状態になったと、言ううわさがあります。
森喜朗氏には、愛媛丸事件が起こされて、ゴルフをしていたと、言う件で叩かれ(実際には、ゴルフはしていなかったともいわれているが????)
小泉純一郎氏は、集団訴訟で、靖国参拝が違憲だと、散々叩かれていて、
安倍晋三氏は、肉体への攻撃(特に排せつの機能障害を起こされる事)で、2007年には、沈没せざるを得なかったのです。
私は、2007年には、まだ、こういうっ攻撃が可能になるメカニズムを知りませんでした。ただ、直感として安倍氏の大腸炎は、外部攻撃による、ごくごく政治的なものなのだと、考えていて、やがて、それが、当たる日がやってきます。偶然土曜日に、あきはばらに出かけていきました。パソコンが壊れたからです。すると、UDX前広場で、日の丸を乱立させて、安倍晋三氏の、自民党の選挙出陣式に出会う事となったのです。しかし、私が通りかかると、すぐ、現場がしーんとしました。丸川女史もマイクを抑えて、静まり返りました。
この一事をもってしても、私が、実は、どれほどに大モノなのかを知ることとなるのですが、安倍晋三氏から、警戒をされるとは、右翼とみなされている安倍晋三氏が、すでに、2014年ごろには、CIAのかわいこちゃんになっていたのです。
しかし、CIAの方にもまだ、遠慮があって、表現が、上品でした。岸田総理大臣は、あまりにも見え見えに動かされている人です。しかし、国民からの、支持率が落ちているそうで、それは、その通りだろうと、私は思っています。
*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*ー=ー*
*b)・・・・・安倍晋三氏の大腸炎が、外部からの人為的な攻撃によるものだと、私が確信をしていたのは、まず、私への攻撃があるからだった。とても隠微な形でだが・・・・・・
我が家には、1980年代には、もう、NECのパソコンが買ってあったと思います。しかし、私は使いませんでした。子供がね、偏差値優秀大学へ入れなさそうで、それゆえに・・・・・母親が、インテリであり、かつ優秀であると、家の中で、家族に見せること・・・・・・を、とても嫌っていました。1970年代生まれの子供たちって、第二次ベビーブームの世代だから、どこの家でも、親よりは、偏差値の低い大学にしか入れないという形で、それが、また、引きこもりへつながったりしています。で、私は、自宅では、パソコンを使うことが出来なかったのです。私は入力(キー操作)が、ネイティブアメリカンさえ驚くほど速いし、文章は英文でも、日本語でもすいすい書けますから、この雪の下の家で、私が、もし、パソコンを使ったら、また、また、子供にプレッシャーをかけたと、思いますよ。(なお、2022年の今では、80歳を超えたので、さすがの私も入力のスピードが落ちていますけれど)
で、1999年にニューヨークへ版画修業に行く際に、初めて、ノートパソコンを買って持っていき、使い始めたのです。ニューヨークの美大の、版画工房の作業机の上で、それを打っていると、まわりの学生みんなが驚愕をしてくれました。ほとんどの学生が、ブラウン管式パソコンを使っていた時代で、私のダイナブックが美麗な上に小さいし、そこで、英文をさら、さら、さらっと、書いて居る私に、驚愕をしてくれたのです。外見がアジア人のおばさんですから、なおさら、驚いてくれました。
しかし、学生はそれでいいのです。特にアメリカ人とか、ヨーロッパから来た学生は、それで、いいのです。アジアから来た学生でも、真実優秀な人は、他者に嫉妬しませんから。ところが教授がだめだったのです。その時期はすでに引退している学部長(実力者)の愛人だから、教授にしてもらっているという噂の女性で、彼女の私への嫉妬が、悪賢い日本人女子大生を巻き込んで、大波乱を起こしたので、次の学期、誰も、その講座を取らなかったそうですよ。まあ、その話は、過去に書いてあるので、ここでは、詳述をしません。
しかし、上の方で、清塚信也の番組、特に11月3日に、ミュージカルを取り上げた際に、柿沢勇人が、座談に加わらなかった、または、加われなかったのは、陰に嫉妬の問題が、横たわっていたからだと、思います。それでも、その筋(ミュージカル界の、あれこれ)を、私が解説する必要もないので、触れません。
あの1998年12月から、2002年8月までの、逗子での一人暮らしを、私は、海外へ行くために、それを許さない家族から離れたと、言い続けています。それが、むろん第一の目的でした。しかし、実際に一人暮らしを始めてみると、思いがけない余得がありました。それはです。100%自分本位に時間が使えると言う事。誰からも、邪魔されず、集中的に仕事ができることです。
これが、専業主婦には無理なんです。どうしても、他の家族の補佐役としてしか、機能できないのです。つまり、家族という集団の中では、一番劣位の人間となってしまうのです。ただし、子供が小さいときは、自分が面倒を見た方がいい。保育所は、だめですよと、言いたいです。すると、専業主婦になりがちですね。ここが大矛盾です。なんとか、おひとりおひとりで、工夫をなさってくださいませと、言うだけです。
が、私は、思い切って、58歳で、一人暮らしを始めました。大変良かったです。独立した個人として、集中的に、やりたい事(主に、日本にいる時は、文章を書く修行、海外にいる時は、版画=ヘイター方式という特殊な版画)を修行する‥・・・という形ですが、あの時点で、それが、できたのは、本当によかった。体力は頭脳において、ギリギリだったと思いますが、それでも、修行をして、自分を、追い詰めて、能力を高めることが出来る、時期だったのです。
文章を書き、挿絵を描き、本を出版するにあたって、機械にかける直前の、IT的データを、自分一人で作るなんて、逗子の一人暮らしの時期が無かったら、絶対に獲得できなかった能力です。
この逗子のアトリエですが、実際に訪問をしてきた人は6人+宅急便だけです。寝泊りをした日々は、3年強で、その後、日中だけ使いました。合計7年間保持していたと思います。
6人とは、主人、大家さん、市川さん(版画家だけど生活費のために、東美藤沢店に勤務していて、材料を持ってきたり、国展や女流展に出品する版画や油絵を、搬出入をしてくれた人)
藤沢の版画家(この人はお金に関して、非常に嫌な思いをしたので、名前を忘れています。
八幡宮のぼんぼり祭りに、献灯することになったのですが、最初は気張って、自分の専門分野の版画を出そうと思いました。これがだめなのね。あのお祭りは、美術展ではないのです。一般の方が判って楽しめる様な、餌出ないとだめなのです。で、二年目からは、その摺師には頼まなくなったのですが、初年度は、気張って、専門分野の作品で、ぼんぼりを作ろうと思ったのでした。その際に、ヘイター方式というのは、銅板上の模様の部分が、アルプス山脈状にとがっています。その上に和紙を載せて、版画を摺ることに、自分としては、
が、私は、思い切って、58歳で、一人暮らしを始めました。大変良かったです。独立した個人として、集中的に、やりたい事(主に、日本にいる時は、文章を書く修行、海外にいる時は、版画=ヘイター方式という特殊な版画)を修行する‥・・・という形ですが、あの時点で、それが、できたのは、本当によかった。体力は頭脳において、ギリギリだったと思いますが、それでも、修行をして、自分を、追い詰めて、能力を高めることが出来る、時期だったのです。
文章を書き、挿絵を描き、本を出版するにあたって、機械にかける直前の、IT的データを、自分一人で作るなんて、逗子の一人暮らしの時期が無かったら、絶対に獲得できなかった能力です。
この逗子のアトリエですが、実際に訪問をしてきた人は6人+宅急便だけです。
6人とは、主人、大家さん、市川さん(版画家だけど生活費のために、東美藤沢店に勤務していて、材料を持ってきたり、国展や女流展に出品する版画や油絵を、搬出入をしてくれた人)
藤沢の版画家(この人はお金に関して、非常に嫌な思いをしたので、名前を忘れています。この人は、八幡宮のぼんぼり祭りに、献灯する際に、和紙の上に、ヘイター方式の版画を摺ることに、自分としては、切れてしまうのではないかしらと、言う風に、思って、自信が無かったので、摺りだけを、専門家に、頼んだのです。10枚だったかな。サイズとしては、非常に小さいものなのに、一枚一万円を摺り代として、彼は、請求しました。その上、片付けをして行かなかったのです。ヘイター方式って、ガラス版二枚に広がったインクや、ローラー日本の上に広がったインクをきれいにしなくてはならず、片付けが、とても、大変なのです。二時間ぐらいかかります。彼が、摺る人なのだから、当然に片付けまで、こみの値段だと、思っていたのに、片付けをして帰らなかったし、なんとお金も、一万円ちょろまかされたと、思っています。
どういうことかというと、1枚、一万円だと事前に聞いていたので、10万円をちゃんと封筒に入れて、準備していたのです。ところが、狭い玄関で、<9万円しかありません>と彼が言うのね。でね。今の私だったら、<自分にも渡してください。自分でも数えてみます>と、言えるんだけど、あの際は、先輩から、育ちがいいことが、誰に目にも見えるので、嫉妬されるのよと、聞いていたし、確かに、40台から、60台にかけて、美術界で、女性に嫉妬されまくりましたので、
お金に関してもめることが耐えられなかったのでした。今なら、あらそうですか、こっちによこしてください。私も数えますから」と言えるのですが、20年前は、品の良さにこだわり過ぎました。しかし、残りのお金を銀行の封筒で、チェックしてみましたが、私の方は、間違えていません。非常にひどい男です。
ただね。現代アートの世界で、特に、版画を摺り師とか、版画工房経営とか,版画教室の先生だけで、食っていくのは大変です。家も建てたばっかりだと言うし、妻もいるし、子供もいるのだそうです。だけど、嫌な感じです。で、名前を忘れています。
ところで、彼の前に、接触した人物が尾崎正士氏です。この人がまた、派手ないじめを行ってきています。彼については、2,3本エッセーを書いて居ますが、彼、及び、藤沢の摺り師、及び市川さん、及び、市川さんが個展をよくする、画廊T.boxのオーナー高橋典夫氏などから、手ひどいいじめを受けているので、
こうなると裏に政治があると、見えてきます。
藤沢の摺り師ですが、一枚、千円ぐらいで、柄沢作品を摺っている可能性を感じます。柄沢斉が、平均、50枚の版画を画商に、一枚一万円で、持ち込む(いや、実際には、画商が、彼の家に、取りに来るのでしょうが)として、その10分の一を摺り師に渡す可能性は、大いにあります。もし、摺った分が全部売れると、見込めば、摺り師に、一枚2000円を払っても大丈夫ですね。柄沢斉が、制版と言って、木口の、面(硬い)材木を彫る時間が何時間かかるのかは知りません。だけど、月に三種類彫ったと仮定して、或る版については、「出来がすごく良いです。二万円で、引き取ります」と、画商が言ったと仮定します。すると月に、200万円の収入となります。
そのほか、雑誌の挿絵等に、使われたり、ポスターに使われたりするケースもあるので、月収、300万円と仮定しましょう。ほら、有名人って、そういう収入がある人なのです。
摺り師側にとっては、50枚を、一枚千円で、引き受ければ、5万円であり、一枚二千円で、引き受ければ、十万円となります。摺りに必要な時間ですが、一種類五時間だと、推察します。で、一時間につき、一万円か二万円となります。それとは別に版画教室の運営等で、儲けて生きているというわけです。
私の電話はアトリエと言えども盗聴をされていたでしょう。で、藤沢の摺り師に、お願いをしますと、言ったのも、CIA連中に通じていて、酒井忠康氏から、柄沢斉氏に連絡が入り、柄沢斉氏が、藤沢の摺り師に、「彼女を軽蔑してもよいのだ」という内容の讒言を告げた可能性があります。
さて、お金にまつわる汚い話なので、藤沢の摺り師の名前は、忘れたままにしておきます。しかし、尾崎正志さんのいじめは、お金に関係がありません。
もちろん、こちらにも裏があると、思いますよ。尾崎さんがだれの讒言を入れて、ああいう態度をとっていたのかは知りません。だけど、新横浜の版画工房(新横浜駅から徒歩10分以内だった)から、横浜市鶴見区駒岡(こまがおかと読む)に引っ越したのは、ちょっと、レベルが下がったと、見ますよ。やはり、・・・・・川崎千恵子をいじめたら、災いが起きますよ。事業主(=会社社長)なら、その会社の経営は、利益が下がる筈・・・・・の典型ですね。
ところで、尾崎さんの、笑うべき姿は、三度見ています。だが、一度目が、最も強烈なので、それをまず書きましょう。当時のOMには、女性事務員が二人いて、後、男性社員が、合計3人か、4人いました。一番偉い立場の人は芸大卒で、3階で、版画を摺っているプロ、または、セミプロ、または、始めたばかりの人たちのお世話をしていました。その人には、問題はありません。
で、二階に画廊と、事務室がありました。私は始めたばかりで、版画材料の専門店の存在を知りません。で、OMの事務室で、版画材料を買っていました。
二人の女性スタッフが居ました。一人は美大卒、または、美大在学中のアルバイトかな?と、いう感じで、ツーと言えばカーという感じで、物事の理解がまともです。ところが、お顔のかわいい、もう一人の女性がてんでえ、だめなのです。
:::::::ここで、挿入ですが、彼女が、尾崎さんの命令で、わざと仕事ができない様に、商品を売ってくれなかった可能性すら感じるほど、ちんぷんかんぷんな対応でした。:::::::
で、これは、1998年の初夏の事で、まだ、CIAの存在など、感じていませんから、上の:::::罫線内のことなどは、思いもよらず、
どうして、この人は、これほど物が判らないのだろうと、思って、私は彼女を叱ったのだと、思います。すると、それが、尾崎さんに通じたらしくて、ある雨の日にとんでもない形で、私より、彼女の方を大切にする尾崎さんに出くわすのでした。
ところで、そのえぴどーどに入る前に、その若いお嬢さんが、どういう風に応用能力が無いかを語っておきたいです。
皆さんは、銅板画というと何を思い浮かべられますか? 浜口陽三のさくらんぼ?の連作ですか? あれも、メゾチント手法という、ちょっと特殊な銅板画です。それでも、使う銅板は、薄くてよいのです。私は薄い銅板を買ったことが無いので、今文房堂のホーム頁を開けて、薄い銅板の、仕様をチェックしました。
すると、0.3mm、0.5mm、0.8mm とあります。最後のものがメゾチント用と書いてあります。しかし、私が欲しいのは、1.2㎜です。日本ですと、そうで、海外だと、1.6㎜を使用します。
ところで、とても性格の良い画家である上條陽子さんがある日、私に向かって、『版画って、いやよ。だって、面倒くさいんだもの」って、おっしゃったのね。まず、そうですか?というしかないのですが、確かに油絵を描くよりは、ずっと、面倒くさいし、制作ちゅうに慎重であることが要求されるし、各種の知識も必要です。日本画も、油絵に比較をすると面倒くさいです。しかし、版画の準備の必要性とか、各種段階の複雑さを思えば、日本画の方が楽よねと、言う風な次第です。
ところで、そのお顔のかわいいお嬢さんですが、版画そのものを愛していないのです。唯通り一遍の、OLでしかないのです。で、通り一遍の仕事で終わらせたいのですが、それでも、版画工房だから、銅板画とは別にリトグラフ用の道具や、インクをそろえて売る必要もあるし、シルクスクリーン用の道具や、インクをそろえておく必要もあるしで、事務員だって、大変たくさん覚える項目があるのです。でね、通り一遍だから、新しい知識を入れようとしません。で、ヘイター方式というのは厚い銅板が必要だと言う知識がありません。
で、彼女の頭の中には、『うちには、ちゃんと、0.8mmの上等な銅板を置いてあるのよ。それを使えばいいじゃあない。なんで川崎さんは、別のものを欲しがるの? 0.8㎜だと、へなへなと、曲がりやすいから嫌なの❓ それって、ただ、扱い方が乱暴だと、言うわけでしょう。わがまま、言わないで頂戴』と、言う風な思い込みが渦巻いているのでしょうね。だから、いくら頼んでも、買ってくれません。
今の私だったら、どこに電話をかければ、二日目には、それが手に入るのだと、言う知識があります。しかし、24年前の1998年初夏には、まだ、それが無くて、頼ることが出来るのは、版画工房しかないのに、スタッフが全然動いてくれません。もう、本当にいらいらしました。が、もう一人いるスタッフが詰めている日にやっと、動いてくれて、手に入れることが出来ました。注文を出してから、10日目ぐらいだったと思います。
その後、驚くべき復讐を二人から受けました。彼女と尾崎さんの二人からです。
それは雨の日でした。個人のお客は、三階で、仕事をしているわけですが、その部屋には窓がありません。べニア板で、周囲を囲まれています。だから、外の景色も見えないし、外の音も聞こえません。で、午後五時ごろ、一階に降りていくと、玄関で、雨が降っているのに、出くわしました。で、私は、もう一回、二階に戻って、事務室で、「置き笠はありますか、貸してください」と、言いました。
私って、CIAや、その手下としての警察に脅かされる前までは、ひとから、意地悪をされたことがあまりないので、ひとを性善説で、考えており、例のスタッフがむくれて復讐をしてくるなど、思いもよらなくて、『自分は、ここで、お金を払っているお客だし、こんな大きな組織で、お客さんは、過去も入れれば、50人を超すでしょう。当然、置き傘はある筈よね』と思って、居たのです。しかし、ふくれっ面の彼女に、「傘は、ありません」と言われて、そのふくれっ面ゆえに、一種の復讐をしているのだと、判って、もう、びっくりしました。しかし、「絶対にいじめます」という風情なので、「だめだ。貸してはもらえない」と、覚悟をして、エレベーターのない建物を一階まで、また、とことこ、階段を下りて行ったのです。
さて、玄関で思案投げ首です。どうしようかなあ?と、考えていると、後ろから、靴音が聞こえました。しかも、とても誇示的にどたどたと、踏み鳴らす感じです。驚いて振り返ると、尾崎さんと、さっきの、かわいい顔のお嬢さんが、一本のビニール傘の柄を両側から持って、相合傘という形で、降りてきたのです。
ものすごく驚きました。尾崎さんに対してです。私は顧客であり、彼女は、使用人です。どうして、使用人の方をお客より上に置くのですか? と思ってね。
でも、その時に、国語、特に古文で出て来る『寝屋の語らいすまじき物』と、言う文言をしっかりと思い出しました。それは、「女の人がベッドの中で、相手に向かって、願い事をするのは、やめないといけない」という文脈で出てくる言葉で、男性が、国をつかさどる立場にある際に使われます。女の願いを聞いているうちに、政治が、ごちゃごちゃになって国が亡びる場合、その女性を傾城の美女と呼びます。
尾崎さんは、社長です。車も当然、持って居るでしょう。で、車で、彼女を送って行けばよいではないですか? ちょっと、けた外れの可愛いがりぶりでした。ただし、社長の器ではないなあと、私は、思っただけです。
しかし、その数年後(または、、数か月後、パソコンが、40台も壊されているので、正確な年度が判らないが)尾崎さんが、またもや、私を意識して、今度は「作家としての、お前を、僕は、絶対に、上にたてては、やらねえんだぞ」と言う意思を示す場面に遭遇します。
あれは、年末の事でした。二階にスタッフや、尾崎さんの子供や奥さんが全員集まって、大掃除をしていました。大変にぎやかな場面です。奥さんは背が高くて、筋肉質な女性です。お子さん方は、海外で、学んでいると、誰かが言っていました。つまり、尾崎さんが大変裕福だった時代です。横浜駅至近の高層ビルにも、一区画を、オフィス用(または、他の用事のために?)に彼が、買っている時代でした。そして、例のかわいこちゃんは、その大掃除の日には、ぶすっとしたふくれっ面でした。
私が、その日、出かけて行ったのは、個展の招待状が来たからです。主役は、国画会の所属者でもなくて、知らない人でした。だから、その招待状は、尾崎さんが出したものだと、判りました。その日個展をしている作家は、眉目秀麗な、30代の男性で、尾崎さんが、有名作家として、売り出そうとしているらしい、リトグラフ(昔は、石版画と言った。今は、石を使わないで制作するが?)の作家でした。
その後、シロタ画廊の、事務室で、尾崎さんが、シロタさんに対して、熱弁をふるって、この作家を売り込んでいる場面にでくわしました。しかし、その日以降に、この作家が、シロタで、個展をした可能性が無いのです。
当時の私は、ほぼ毎週、銀座京橋を画廊巡りをしていて、シロタ画廊も抜かしたことはありません。でも、シロタで、この作家の個展を見たことはないし、この作家が、リーウーハン級の有名人になったとも聞いて居ません。
私は、2010年以降、銀座京橋界隈で、最も頭の良い人として、シロタさんを上げています。その根拠が、五つあるとすれば、この尾崎さんを体よくあしらっていた場面も、その一つです。自信満々な男である尾崎正士を軽蔑しない形で、帰宅をさせながら、絶対に、その審美眼を、シロタ画廊の中には、いれない人でした。かっこいいです。かっこいいです。
だって、その作家って、大掃除をしている喧騒の中で、B全般のコピー紙(画廊で、売る方は、上等な紙に摺ったリトで、彼が描いているのは、原画だから、安い紙)に、墨汁で、しかも、ホームセンターで、売っている様な、刷毛で、書いて居るわけです。お茶ら気、切った、作画です。芸術への冒涜だと、思われる姿勢でした。でも、その青年が当たってね、一枚が、30万円で売れる様になったら、尾崎さんは、左うちわになります。だって、制版も、摺りも、非常に簡単であろうなあと、思う様な、単純な、曲線だけの形象ですから。幅が、15㎝ぐらいの曲線でしたが・・・・・・
私はね。本日は外部からの侵略で、体に痛みを覚えることを書こうと思っていたのですが、すでに、午前五時なので、ここで終わっておきます。私は、こういういじめによって、ブログの種を拾い、そして、文章の創作によってアドレナリンがぴっぴと出てくるわけです。だから、いじめられても、いじめた方が思うほどの、効果は出ていないのですよ。あ、は、は。
2022年11月8=9にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)
生誕1957年2月12日
出身地東京都
学歴国立音楽大学
主なプロデュース
ビーチボーイズ ORIGINAL SOUNDTRACK
西遊記
明石家さんま
ASKA
日本の有名音楽プロデューサー30傑の中の一人、27位の武部聡志の画像です。これは、どうも、yahooが、提供する画像らしくて、著作権請求マークがありません。
まあ、著作権を請求されたら、それが妥当なお値段だったら、お支払いをいたします。そして、その請求者から、武部聡志の連絡先を教えてもらいましょう。
どうして、こういう事をするかというと、本日の午前10時5分に、見事に、過去、武部聡志が行って来た悪を擁護するための異様なサイレン音を鎌倉市が、防災無線から、発生をさせたからです。
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その結果、伊藤玄二郎、+、まだ実際には生きている井上ひさし、鎌倉市長・松尾崇氏、ご近所の、前田清子さん、安野智紗夫人、鶴岡八幡宮のしかるべき、担当者(もしかすると、本日も、龍村さんでしたか?)そして、鎌倉警察署の、生活安全課の課長の事を、なんと、お馬鹿さんな人たちだろうと、相変わらずの、失笑をしている次第です。
結局、ここに名前を挙げた人たちは、すべて、安野智紗夫人が、過去、36年間、行って来た悪を糊塗するために動いている人たちなので、ここにも、・・・・・彼女と仲良くすると、ばか化する・・・・・と、言う典型例が見られるのです。それで、失笑をしている次第です。
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副題2、『武部聡志が、過去何をやって来たかと、私なりに語りたい』
*1)、一青窈を、売り出したと、聞いています。鎌倉に住んでいるのか? 祖母が、お茶大付属高校卒で、ご本人は、ICU卒の吉野直子さん(ハープ奏者)も、自分の方へ取り込んでいます。
*2)、素朴な形であった鶴岡八幡宮の夏の演芸祭を、とんでもない形の商業主義へ持っていったのが、誰かはわからないが、そのプロデューサーを引き受けていたのが、武部聡志らしい。
私は、45台ぐらいパソコンを壊されているので、メディアに取り上げられるほどの大事件に関連したものではないと、リンク先を、見つけるのが困難になる。
でも、かろうじて発見した文章によれば、それ=鶴舞音楽祭=は、2016年に第一回が催された。そして、急に入場が困難になった。
・・・・・ただ、我が家からは、音で、その音楽祭の、すべてが判ってくるが?!?!? それほど、舞殿に近いところに住んでいる。八幡宮様とは、地境地主となっている。ただし、駐車場とのお隣さんであり、高低差はあるが・・・・・
もっとも、著名な出演者は、平原綾香だった。その平原綾香に、次の年(=2017年)に、私が、20年来、愛唱歌として、大切にしてきた【カタリ=カルディルロ作曲】を、【ジュピター】風に、彼女の声域に合わせて、転調をさせ、日本語の歌詞をつけて、少し崩して歌わせたが、全くヒットしなかった。
伊藤玄二郎達は、私がそれ以降、パーティで、カタリを歌う時に、聞いている人が、『平原綾香の歌を、あの人、歌っているけれど、あの人(=川崎千恵子)の方が下手ね』と、思わせることが狙いだったと、思う。私は平原綾香より、より高音な原調で歌うし、歌い方が、彼女のように崩さないで、テノール歌手のように歌うので、全く別物となるのだけれど、テレビなどのメディアを使って、大量に流される平原綾香の、【カタリ】が、もし、ヒットしてしまったら、すでに、30年以上にわたって、愛唱歌として、歌って来た持ち歌の一つを、使えなくなる。
::::::::6日の夜の11時になってから、カタリについて調べました。これは、別名というか、正式なタイトルを、‘Core ‘ngrato’,(コーレンオグラート=つれない心)と、呼ばれますが、冒頭に、カタリ、カタリと、切なく呼びかけるところがあって、それで、つい、皆さんが、カタリと、呼ぶようになったのでしょう。作者のカルディッロ(または、カルディーロ=salvatore Caldello )は、同時代の名テノールシャリアピンが、アメリカに来たときにこれをささげたそうでう。カルディッロは、ナポリで、生まれ、29歳の時にアメリカにわたって、映画音楽も作ったそうです。純粋なイタリア民謡ではなくて、少し歌曲の趣がある曲です。アメリカでは、ほぼ40年を過ごしています。イタリアでは、先輩たちが、活躍しすぎていたので、居場所がなかったのかもしれません。
そういう悪意を持って、武部聡志は、平原綾香に【カタリ】を歌う様に勧めたのだと思う。しかし、ヒットしなかった。それで、ショッピングタウンなどの街中で、平原綾香の、カタリを聞くことは短期間で終わった。クラシック音楽を好きな人は、パヴァロッティの持ち歌として、元から知っている曲だが、一般の人の耳には残っていないと思う。神様は、ここでも、その存在をお証になった。
*3)、武部聡志が、三つ目の事として行った悪とは、海老蔵の、源氏物語に、ルネッサンス期の音楽を入れ込めることだった。その前に、じゃぱんオルフェオ(日本イタリア修好150年記念オペラ)で、使われた曲だった。
そのために源氏物語が、演劇として体をなさなかった。こんなことをしていて、・・・・・特に武部聡志が、かかわる・・・・・と、歌舞伎界はだめになると思ったが、その2022年この秋に、それが、証明され始めている。
海老蔵の切符が売れなくなったと、ネットで、記事が出ていた。菊之助も切符が売れないそうだが、猿之助が売れますか? 勘九郎と七之助だと、売れますか? 歌舞伎座支配人は、トイレの中に、受動喫煙防止マークを張ったころから、『ああ、衰退に向かいますよ』と思ったが、伊藤玄二郎と、井上ひさしを大切にして、私を貶めている限り、大きな衰退に向かうと思う。私は海老蔵のファンではない。海老蔵の、秀明発表は早すぎると思っていた。コロナ禍で、伸びたので、それは、彼と、カンゲン(今度、新之介になる)にとっては、時間稼ぎになった。しかし、ネット記事に書いてある、海老蔵の、女性関係が原因で、銀座のマダムたちが、切符に手を出さなくなったと、言うのは、100%の真実ではないと、思う。
歌舞伎界が、悪い方向で、鎌倉からの支持を受けて、それを守っている限り、衰退に向かう筈だから。
ただ、これは、本筋とは関係が無いが、切符を売ろうとする人たちが、坊ちゃんを表にたてて、売っていると、聞いた。確かにカンゲン君は凄い。彼に驚かされた、ブログが、見つかったので、そのリンク先をここに置きたい。
大・大・大スター誕生の瞬間を目撃して、涙が、8分間も止まらなかった。堀越かんげん君、お見事! 2019-07-04 18:40:06 | 歌舞伎
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*4)、
その前にアッと驚くことがあった。ジャパンオルフェオは、土曜日と日曜日公演の筈だったが、その二日前に、例の異様なサイレン音(今朝=2022年11月5日)の午前10時、鎌倉旧市街地、西から雪の下、小町、西御門、二階に、響き渡ったのと、同じ音が、武部聡志によって、発生をさせられていることを知った日の事だ。
それを発見した日の詳細が、本日、偶然にも見つかったので、蛇足1として、巻末に置きたい。
その異様な音は、シンセサイザーのミキシングで、生まれるのだった。武部聡志は、得意気に、その機械の、突起ボタンを、ぴゅーぴゅーと左右に動かして、ジャパンオルフェオの、舞台が、50時間後に始まるのにもかかわらず、その異様にして、迷惑音でしかないものを、「マイクの試験中です」という言葉とともに、雪の下と、小町、西御門一帯に、大音響で、ばらまいていたのだった。
その時に、私は、この音が、流鏑馬の日に朝九時から流される、迷惑音と同じものだと、気が付いた。流鏑馬は、音楽と関係が無いので、武部聡志が、作った音源を、鶴岡八幡宮様が、神宮内スピーカーで流すのか、警察が、軽トラに乗せた、スピーカーで、流すのかは知らないが、
音源は、武部聡志の物だった。それで、流鏑馬の、被の朝に、大音響で流される、「マイクの試験ちゅう」という音が、一人で、本(印刷機にかける直前のデータまで)を作ると言う、人間としての限界を超える、仕事をしている、私の邪魔をするために、鶴岡八幡宮を発生源として、流される、異様なぷわーんぷわーんという音源を発生させているのが、
ミキシングを新しく、行う機械操作は、音楽会だけの日かもしれないが、流鏑馬の、日のご近所迷惑でしかない、あの大音響を出す人間が、武部聡志に、収斂した、伊藤玄二郎と、いまだ、生きている井上ひさしの悪であることを確信し、それを、
書いたのです。すると、反省するのではなくて、さらに攻撃する方向で、出てきたのですが、何の罪もない、観光客に、ひどい負担をかけて、彼らがやっと、境内に入ると、今度は止まるな歩けと言って、別の道を通って、三の鳥居から出るように責め立てて、流鏑馬を落ち着いて、見ることは一切できなかったのでした。
罪もない観客が、それほどに、苦労をした、2018年秋の流鏑馬は、すべて、武部聡志に、原因があるのですが、彼は、また、後ろに、鎌倉の地縁で伊藤玄二郎の、教唆命令があるので、そう動いているのでしょうし、
もう一つ、麻布高校出身で、このブログの主要な登場人物の一人であ、武部から見れば、15歳年上の、石塚雅彦さんの命令で、動いている可能性もあるのでした。それが、(蛇足2)の部分です。
ミステリーを解くわけなので、ありと、あらゆる可能性を考えて、論を張っておきます。
(蛇足ーーーー1)
武部聡と、ジャパンオルフェオ
副題4、『犬も歩けば棒にあたるという。その日山の下へ降りていって、音源に接したことは、非常に良いことだった。ミキシング装置を扱っているのが浅黄色の袴の神官ではないことをも知ったし、
何よりも、その音源をつかさどる人間の、悪意に満ちた表情と、私の、言う事を一切聞かない態度から、類推して、彼が、武部聡志本人だと、確信をしたし、
その、他人からの常識いっぱいの、質問に、応じない態度とか、いう事を聞かない、態度というのは、その一年半後に示された石春産業の、工事人たちの態度と、通底するので、裏で、伊藤玄二郎が、控えていて、あれこれを、命令教唆していることは明々白々だったし・・・・・・』
ともかく、音源は、おお石段の、下右側の、テント内にありました。そのテントが、武部側が持ち込んだものか、八幡宮様側が貸与したものかは、知りませんが、そこは、お正月などの、大きな行事のある時は、一種の出張社務所と、して設定がなされる場所で、神官が、一般の、お客たちに対応をするところです。ですから、鶴岡八幡宮様にとっては、枢要な場所の一つです。ぼんぼりまつりでも、県知事と、市長の雪洞がたつ場所です。
そんな場所にミキさーしつがあるなんて私は,ひどく驚きました。歌舞伎座にしろ、宝塚劇場にしろ、シアターコクーンにしろ、ミキサー室なんて、お客さんの目には、触れない処にあるものです。私は事前には、社務所内の、一か所を、使わせてもらっているのだろうと、推察していたので、実情の差には、ひどく驚きました。
最初は、NHKの中継車が、何台も来ていたので、そちらかと思って、そう質問をすると、違うと答えます。もし、NHKが、あれほどの、非常識な時間帯に、かつ、あれほどの、非常識な音量で、忌まわしい、ぷわーん、ぷわーんという音を流したのだと仮定をすると、私は質問攻めにしないといけませんし、このブログでも、その非常識さを、また、対応の傲慢ぶりを問題としないといけないのです。
NHKとは、エリートの集団ですよ。しかし、その運営は、一応税金に等しい視聴料で、なされています。だから、お客様は、神様なので、もっと、丁寧にかつ紳士的に対応をしないといけないのです。
しかし、驚くべき傲慢ぶりでした。信じがたい威張り様でした。で、二年後の、今では、あれは、武部聡志であり、それ以前に、行われた何回(11回を数えた)かの、鶴舞音楽祭において、鶴岡八幡宮様と、懇意になり、それをバックにして、私を軽蔑しきっているのだと、考えました。
今では、それにプラスして、私が誰であるかを事前に、知っていたと、考えます。そして、私に関する悪口を石塚さんからか、または、伊藤玄二郎からか、聞いていると、推察しています。どういう話が出たのかは知りませんが、それを、うのみにして、私を虫けら以下に扱いました。彼が言う二は、気象状態とかで、音声が変わるので、二日前からチェックしているそうです。気圧や、湿度が問題なのだそうです。ただし、二日前だからこそ、当日とは、気象状態が、変わるので、別に試験放送をする必要はないと思いますけれどね。ただ、ただ、そういう答えを出す様に、命令をされていたのでしょう。それを聞いたときに、私はその案を出してのが、井上ひさしだったら