下の文章を書いて、一日経っています。それで、文末に、言い残したことを加筆します。政治的真実を含む、もろもろを加筆していきます。。初日の文章に、挿入的に加筆した部分にはアンダーラインを敷いておきます。
昨日、【鍵盤の天皇、井口基成と、その血族】という本を買いました。面白そうです。久しぶりに読むのが楽しみな本に出合いました。有名人一族の噂話と言ってしまえば、その通りですが、愛子先生が、まだ、小学生だったころの、野島稔に「泊まっていきなさい」と、おっしゃって、次の日の朝から、また、レッスンをなさったとか、その野島稔が帰るときには、おうちにある、貰い物の菓子折りをたくさん選んで、「持って帰りなさい」とおっしゃったとか。噂話みたいに見えて、愛子先生のお人柄が、とてもよくわかり、したがって、野島稔の人柄も、わかると、言う、そういう種類の、連携が判ってくるので、とても、楽しみです。
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副題1、『カザルスホールって、今は、日大の所有物らしいのですが、以前は、音楽之友社の神楽坂にある別のホールの、名前だったのではないですか? 日大が、命名権を買い取ったのではないですか?』
私はね。中学時代、新堀真知子さんの日吉の自宅で、木曜日の夜、お母さんが、開いていた、Familier Chorusに、招かれていて、毎週歌っていました。そこも私にとっての、一つの、音楽の泉でした。新堀真知子さんは、たぶん、井口基成先生に習っていたのです。
ただし、新堀夫人(母君)は、某・有名な外交官=明治の元勲=の子孫だと言う事で、きわめて、誇りの高い方でした。で、1958年という、時期(高校受験時)や、1961年(大学受験時)には、まだ、設立後間もない、桐朋よりも芸大の方が上だと、考えた方です。
しかも、さらに深く、真実を言うと、真知子さんの実母ではなかったのです。実母の妹にあたる、おばさんでした。戦前、戦中、戦後では、こういう結婚は多かったのです。で、姉から預かった子だから、立派に育てないといけないという、強い思い込みがあったと思います。
で、実子である妹さんの方はリラックスして育てました。そちらは、都立高校卒業後、(つまり、高校の段階では、桐朋には、行かせなかった)パリのコンセルヴァトワールへ、直接、進学し、そこの教授になりました。お父さんが、東大出の技術やさんだし、お母さんも頭がいいから、姉妹二人とも、ヨーロッパの有名な音大の教授になりました。ただし、日本では、中村紘子さんほど、有名人ではないです。だけどねえ?????・・・・・この疑問符の意味については、特に後半の二日目に加筆したところで、はっきりさせます。
しかし、真知子さんの方は、井口基成先生の弟子だったので、高校から桐朋へ、進学しました。お母さんにとって、芸大高校へ、進学させたかったのですが、井口先生の恩義があり、そこの高校に進学するのは仕方がないことだったのでしょう。しかし、大学でも、桐朋へ、進むことを、お母さんは、ひそかに、嫌がり、芸大に進学することを、(この一行が初日には、抜けていました。意味が通らなかったと思います。ごめんなさい)望んでいました。だから、エスカレーター方式で、桐朋の高校から、大学へ進学することを「だめですよ」と、言われていた(または、それを察していた)、真知子さんは、二つの流派のライバル意識の間で、ほんろうをされ、大変な苦労があったのでした。実は三浪をして芸大へ入っています。それで、(他の原因もあったでしょうが)ピアノは、捨てたのでしょう。
チェンバロ奏者になりました。そして、ドイツ・フライブルク大学の教授になりました。
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真知子さんは、2年か、3年に一回帰国して、神楽坂の、カザルスホールで、演奏会を開きました。
ところが、この時代のカザルスホールって、今、まったく消息不明なのです。壁が木製で、長方形で、天井が高いホールでした。だから、全体的に、茶色だったという印象です。形としては、ウィーンの学友協会ホールを模していて、しかし、二階や、三階のバルコニー席が無いと、言う形です。窓もないです。唯ね。天井が高い、こんな大きな箱を壁と梁だけで、持たせるのは大変だろうなあと、感じてはいました。ウィーンの学友協会の方は、バルコニー席がありますね。あれが、補強していると思います。で、弱い建物だったから、改築したのでしょう。先代の物は。
神楽坂に本社のある、音楽之友社が、今、本社を改築して、その中に、ホールを作っています。でね、私が推察するに、私が、新堀真知子さんの演奏を何度も聞いたカザルスホールって、音楽の友社の、先代の、ホールではなかったか?と言う事です。昔は茶色かったのに、今は、しろっぽいです。大理石や、御影石を多用しているそうです。で、この改装を機に、カザルスホールという名前を、日大に売り渡したのではないかなあ? 私は、日大が所有をするという、駿河台の、カザルスホールには入ったことはありません。
ここで、真実を知るためには、紙の本が大切になります。【音楽の友】の、古い巻を見れば、真相がわかるでしょう。というと、急に音楽の友の古い雑誌が、読めないという形になりそうで、したがって、このケースを言うのをためらっていたのでした。まあ、新聞の縮刷版の、演奏会の広告を見るだけでも、真相が、見つかるかもしれませんが?????
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副題2、『伊藤玄二郎・鎌倉春秋社社長は、三輪喜久代(元、東京の春秋社社員、スタップ細胞疑惑をロンドンで、設定した、もろ、CIAエージェント)さんとも、旧知の中であり、かつ、川名昭宣(元、河出書房→河出書房新社。編集員)と、親しいのではないかな? その三輪喜久代と、川名昭宣の二人は、二人とも、私の国際基督教大学の、300人以内の同期生である』
紙の本と言えば、びょんぶという書物が、大問題になります。
伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長という人物が、表立って、私の敵となっています。今回の章は、安倍さん暗殺とは、離れているみたいですが、私の中では、決して、そこから、逃げているわけではなくて、繋がっているのです。
それは、彼は、高野悦子岩波ホール支配人と、共著として、二冊の本を出しているのですが、軽い内容の雑誌風の本は、国立国会図書館で、読みました。または、読めました。ところが、豪華本であるはずの【びょんぶ】の方が、どこを探してもないのです。こちらの本で、ポルトガル国のエンリケ航海王子勲章をもらっているのですから、絶対に読みたいと思うのに、どこにも見つかりません。
2013年に、関西へ旅行をして、金沢21世紀美術館とか、大阪市立図書館(中の島)とか、を、探索しましたが見つかりません。無論、東京圏でも見つかりません。
それは、たぶんですが、奥付けに、「川名昭宣氏への感謝」の言葉が出ているからでしょう。川名君というのは、これまた、私とは、ICU同期入学組です。
その書物を読むことが出来ると、日本の、CIAエージェントに関する、真相解明が、一段階も、二段階も上がると、思います。
何故伊藤玄二郎が、CIAエージェントに成って行ったのかが、今のところ、不明です。しかし、びょんぶの奥付に、もし、川名君の名前が合ったら、川名君の導きとなります。そうすると、川名君は、CIAエージェントとしては、大モノちゅうの大物となります。それを知らせないために、びょんぶという本は隠されているのです。
最近朝日新聞が、一面に高野悦子さんの岩波ホール閉館を大特集しました。確かに閉館が、29日だそうなので、27日に特集をするというのは、期日が、あっていますが、それだけではないでしょう。このびょんぶ隠蔽のこと、それからあれこれと、高野悦子さんを伊藤玄二郎は利用しまくっていますので、それを、お前、思い起こせよという意味での、大記事だったと、感じています。
だけど、本を隠すなんて、しかも、国立国会図書館でさえ、隠すなんて・・・・・父の美術的業績も隠されています。マイクロフィルム化と、その劣化を、口実として、それを新聞に発表をさせて、泥棒を、正当化しています。
我が家には、・・・・・サラリーマン画家ながら、中国の遺跡を油絵に描いた・・・・・父が、戦時中、高い評価を受けていた、と言う事を表す、新聞記事の切り抜きが、11枚はあったのに、盗まれてしまっていて、かつ、国会図書館でも、見ることが出来ません。その泥棒ですが、警察の、一部隊と、そこから、合いかぎをもらっているご近所様など、4,5種類もいるので、私は、神経をずたずたにされるほどの、泥棒被害に出会っています。しかも、それがあるので、私が国会図書館に行くたびにパトカーが何台も止まっているという次第です。ひどいです。ひどい、ひどい、人権侵害です。泥棒の被害は、筆舌に尽くしがたいです。そういう事を平気でやる手合いが、CIAエージェントだから、安倍さんさえ、殺しました。田上徹也というのは、奥の奥に隠されている真相を隠すために、釣りあげられたお人形でしか、ありません。
ナチス時代に、ヒットラーがやったことと、全く同じこと(=びょんぶを隠すこと)をやっています。伊藤玄二郎と安倍さん暗殺の、関係性については、また別の機会に詳しく、述べますが、伊藤玄二郎が、内包しているいやらしさなど、那智の滝の滝つぼの深さに匹敵するだろうと、言うほどに、恐ろしいものです。角野栄子さん、養老孟子先生、鶴岡八幡宮の宮司・吉田茂穂様、栗田玲子さん、みんな、かれとは、親しい模様ですが、彼の本質を見抜けないのでしょうか? 唯々諾々として、彼の言う事を聞いていますね。
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副題3、『しかし、水沢勉(現在葉山の美術館館長)先生から、2005年に、メルマガへのご返事として、「転んでもただでは起きない姿はさすがです」と、言われたこともある私です。転んだ、原因は、ユマニテに行こうとして、鍛治橋交差点近辺で、良くは見えなかった、低い形の中央分離帯に躓いたからでした。そこ、転んで(両手に本を持って居たので、顔から道路に突っ込んで)、眼鏡が顔に刺さったのです。慈恵医大で、40針も縫ってもらったのですが、50日間ぐらい顎近辺にたまっている内出血が、青黒い形で、消えなかったのでした。その時を思い出して、今回も、転んでもただでは起きないという形をとれば、
伊藤玄二郎達から、24時間に及ぶ、しかも四方八方からの攻撃を受けていて、だから、こそ、私は、自分を大物だと、内心で、規定し始めます。びょんぶが、金沢でも、大阪でも、見つからず、勝市立図書館で、当時は、大阪府知事だった、橋本徹氏が、私が、訪問していた時間帯に、いたのだそうです。そして、大阪城北詰口駅では、切符売り場で、醍醐イサムの醜態(または、隠された真実の姿)を記録したビデオカメラが、置き引きの手法で、盗まれるとか、いろいろあって、もろに政治的な、動きだったと、見ています。だから、橋本徹氏が、週刊誌で、たたかれているのを見て、おかしなことだと、思っていましたよ。
だって、この2013年の関西旅行の、私の身に起きた、処々の顛末から見ると、橋本徹氏は、伊藤玄二郎の味方=CIAエージェント側に立っているわけです。それなのに、一般庶民向けの、公の世界では、メディアから、いじめられる。こここそ、安倍さん暗殺の真実と通底するポイントです。
つまり、鎌倉エージェントとは、永田町の議員など、おもちゃの政治を行っている、自分たちの道具だと、考えています。で、ご都合主義で、朝令暮改です。安倍さんを、2013年3月以降は、谷垣禎一さんを中保者として、散々に利用をしていながら、この2022年7月8日には、別の目的のために殺しました。自分たちの手が、血で汚れているとは、見えない様な工夫の限りを尽くしてですね。
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副題4、『旧姓・西大寺さんを、本日、2022-7-30日から私は、心の中から、捨てます。西大寺さんが言う、カソリック系言葉は政治問題をカモフラージュするものだと、思うので、私は、反論をしたいし、そのための、お茶のみをお誘いできるほど、今は、親しくないので、こちらから一方的に、西大寺さんのお言葉を否定させていただきます。本日より、師弟関係、または、上下関係はなくなり、対等となりました。よろしいでしょうか?』
なお、上の節で、水沢勉先生から、2005年に頂いたありがたい言葉を使っていますが、2007年以降は、明瞭に、水沢先生は、私から去っています。こういう現象について、旧姓・西大寺さんは、次の様に教えてくれていました。
「川崎さん、ある人があなたに親切だったと、仮定しましょう。その人の右肩には、その時に天使が停まっているのです。しかし、天使には、羽が生えています。だから、自由にどこかへ飛んで行ってしまうのです。もし、今まで、親切だった、ある人が、急に不親切になったと仮定しましょう。親切だった時には、その人の右肩に天使が停まっていたのですが、ある時以降、飛んで行ってしまったのです」と。
「ああ、そうですか!」というしかないです。つまり、「あなたは、諦観を抱きなさい。すべての、良い事を、あきらめなさい」と言われたわけです。長年大切にしてきたメンターからです。
・・・・・その時のつらさを思い出せよ。・・・・・と、言われたのが、今回の安倍さん殺し(西大寺駅前で、事件が起きた)だったのです。
この言葉を彼女から、聞いた時に、水沢さんと、別れることも、彼女と別れることも納得はしました。しかしですね。カソリックの教義って、そういう事を教えるのだろうか? それって、ある一個の人間を打ちのめす方向ですよ。変ですねと、思いました。
その上、水沢先生が去って行ったのは、酒井忠康氏の、助言を装った命令に従ったからでしょう。二人には、神奈川県立美術館という職場において、上下関係があります。ごく、極、政治的なものです。天使の羽のせいではないです。
同じ様に、旧姓西大寺さんが、私から去ったのも、関口台の、教会での、人間関係の上下を利用して、誰かからか、命令を受けておられます。
だから、二人の離反は、宗教的な、ものではないのです。
今日は、ここで、寝ます。未完ですが、午前五時半になったので、寝ます。そして、ここが、二日目の加筆中の最先端です。以下は、一種のメモで、後で、加筆推敲しないといけない部分です。
あす、病院で、膝の、定期健診があるので、もう寝ないといけません。でね。冒頭のしょもつに戻ります。目次を開けたわけではなくて、偶然開いた頁に、中村紘子さんが出てきました。中村紘子さんは、井口基成一派を痛烈に批判をしているそうです。
私はその部分を読んで、大喜びをしました。なぜかは、どうか皆様も、この書物を買って読んでみてください。632頁で、3000円は絶対に安いです。お買い得です。中央公論新社刊です。
ところで、私が、そこを読んで、なぜ大喜びをしたかというと、
中村紘子さんというのは、1942年の8月、まさしく、私と同じ時期に、満州において、または、中国において、のちに、日本の大物政治家となる、男性と、縁を結んだお母さんの恋愛によって生まれました。そして、日吉で、線路の東側と、西側で、10代を過ごしています。
お母さんは、相手との、入籍結婚、または、略奪婚を求めなかったのです。その方が、能力のある女性としては、行動が自由だからです。しかし、その政治家とは、ずっと、懇意にしていました。仲良くしていました。こんなことは知る人ぞ知るで、一般社会に、公開してはいけないので、私はその政治家が、どういう活動をしたかを語りません。
但し、紘子さんが、ロシアを中心として、大活躍できたのは、その父親の、権威が、あったからだと思います。
但し、そういうプラスアルファと、美貌で、人気者になっている紘子さんの、演奏は、私には、何の感動も与えません。
ところで、ただ、ぱらぱらとめくっているこの本の紘子さんに関する記述の中でも、また、野島稔が出て来るのです。それには、驚き入ります。紘子さんの母・曜子さんが、野島稔に向かって、「変な癖がついて居なくていいわね」と言ったんだそうです。(かか、大笑)
尚、この本の中に、曜子さんという名前は出てこないのですよ。だけど、私はある筋から、(NYに一人、日本に二人という、3人の、生存者がいるので、まだ、真相は、語れないが)月光荘の地下室に、だれが毎日遊びに来ていたかを聞いているのです。有名な国会議員です。で、中村家の内情については、相当に詳しいのでした。
ここらあたり、音楽がテーマなのに、読者の方で、勝手に、メディア論まで、考察が及んで、しまう、本当に面白い書物です。では、本日はここで。
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ここから先が二日目の加筆部分です。
なお、中村家の内情を教えてくれたのは、国際キリスト教大学時代の、友人ではありませんよ。その友人の企画・版画・展に数年おきに、お招きを受けて、曜子さんが亡くなった後で、月光荘の地下室へは、何度も、入っていますが、その時に、聞いた話でもありません。
それから、日吉台小学校時代の、友人からでもありません。そして、そのおしえてくれた人物はあけすけに、実情を教えてくれたわけでもありません。ただ、「月光荘の地下室に、曜子さんが、どういうお客様を毎晩招いているか?」と言う事を、教えてくれただけです。でも、それだけで、私は、すべてを推察してしまいます。月光荘の地下室には、革張りのソファーなどないのですよ。エスニックな木彫りの長椅子があるだけです。だから、お客様は長居をしないで、帰ったでしょう。ワインを一杯飲んで、よもやま話をしてね。
だけど、ほぼ、毎日会う。かつ、仲良しの雰囲気で出会う。これは、50歳を超えた、男女の関係としては、最高の形です。理想の夫婦関係に近いものです。だから、母子家庭育ちの紘子さんには、みじんも、引っ込み思案なところとか、控えめなところとかがありません。
私は、紘子さんには、最初は、演奏ではなくて、文章という形で、入りました。「猫に関するエッセイ」です。そして、それを気に入りました。だから、40代まで、紘子さんに批判心を持ったことはありません。
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ところで、私には、敵がいます。その敵が、企図して、山上徹也という41歳の独身男を発見し(多分、呉の自衛隊にいたころだったでしょうね)、訓練をして、アサッシンとして、育て上げ、安倍さんを殺しました。その件に関して、自説は全く変わっていません。ただし、それを、傍証付けしていくことを急がないと、言うだけで、時には、他の事を話題として取り上げている次第で、本章など、まさにそれです。
その敵がパソコンをも壊すのですが、ラジカセも壊します。何台も壊します。でね。紘子さんの演奏は、聞いたことがありませんでした。紘子さんに限らず、内田光子もまだ、聞いて居ません。CDは、むろん持って居るのですが・・・・・
しかし、鎌倉にきてから、そして、BS放送が始まってから、クラシック倶楽部という、朝五時から、始まる番組に気が付きました。毎日録画して置いて、暇な折りに聞いています。そこに、中村紘子さんが出てきました。で、動く映像として、音を伴って、彼女を見たのですが、ただ、ただ、唖然茫然です。激しい腕の動き、そして、華やかなふくらみを見せるドレス、華やかな顔。しかし、音が無意味でした。無味乾燥と言ってよい程、それには、本当に驚きました。
@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
私が、中村紘子さんにこだわるのは、それが、現代メディアの、有様の典型だからです。誰かが、「この人物を、売り出そう。それによって、日本大衆社会を支配しよう」と考えたと仮定します。すると、その人物は雪だるま式に、肥え太ります。そして、正当な仕事ぶりに、反する莫大な利益を得ることとなります。
雨宮舜(本名、川崎千恵子)
小泉純一郎氏、人生最後の取材!愛息・進次郎“総理への道”を語った「大事なのは失った信頼を取り戻すこと」
その目の光、声の張りに衰えは感じられなかったーー。
元首相・小泉純一郎氏(80)。政界を引退後、脱原発派へ転じ、講演などで「原発ゼロ」を主張してきたが、今年4月、その活動も終了した。
「さすがにこの年だからねえ。講演はもうやらないと決めた。取材もこれが最後だ」
嘘か実か、本誌が人生最後のインタビューとなったわけだ。だが、その弁舌の勢いは、今も往時のまま。小泉氏はこの日も、原発の話から始めた。
現在のエネルギー価格高騰を機に、与党を中心に原発再稼働を求める声が強まっているが、真っ向から反論する。
「原発は安全でコストも安い、CO2も出さないクリーンエネルギーだと経産省は言っていたが、大ウソだった。だいたいCO2どころじゃないよ。核のゴミをどうする。何千年も隔離する必要があるし、そもそも最終処分場がない。そんな危ない原発を、なぜ政府は再稼働しようとするのか。
それに、ロシアはウクライナ侵攻で原発を攻撃した。日本でも原発が攻撃の標的になり得る。国民に向けた核兵器を持っているようなものだ」
折しも参院選が戦われているが、原発は争点にもなっていない。
「自民党が『脱原発』を言わないのはどうしようもないが、野党も言わないんだ。(電力総連など)労組に反対されて言えないんだな。野党がまとまって『原発ゼロ』を公約にしたら、自民党は負けるかもしれない。だが、今の野党は批判することを忘れて、野党でも与党でもない“ゆ党”になってしまっている」
環境大臣を務めた愛息・進次郎氏も、以前は「脱原発」を口にしていたが、最近はあまりその言葉を聞かなくなった。
「オヤジが言っていることだから、親子で同じことを主張してもしょうがないと思ってるんだろう。いずれにせよ、将来は『原発ゼロ』にせざるを得ない。やっぱり自然エネルギーだという声は、必ず大きくなる。それは、進次郎もわかっている」
進次郎氏といえば、世論調査で「総理大臣になってほしい政治家」として、毎回のようにその名が挙がった。だが、昨年9月の総裁選で、河野太郎氏を支持して敗れたこともあり、今は“下積み”を余儀なくされている。進次郎氏が「総理候補」として、再起する道はあるのか。
「それは運なんだ。(総理になれるかなれないかは)才能半分、運半分。でも、いちばん大事なのは信頼。ただ、進次郎は周囲の信頼を失っている状況だ。今は、しっかり信頼を取り戻すことだけ考えていればいい」
チャンスは必ずめぐってくる。父の言葉はそう聞こえた。現在の日本は、経済が低迷し、周辺国からの脅威にも晒されている。はたして希望はあるのか。
「幕末から明治の志士たちはまさに、今の痛みに耐えて明日をよくしようという精神を持っていた。ところが現代は、将来世代に痛みを背負わせようとしている。今度の選挙でも、公約はバラ撒きだらけだ。痛みの先送りに希望はない。だから『米百俵』の精神を取り戻すしかない」
日本人は自信を失っているようにも見えるが…。
「そうでもないよ。けっこう、みんな自信をつけてきてる。大谷翔平とか、スポーツ選手だけじゃない。経営者や芸術家も、どんどん世界に出ている。日本人には対応力があるんだよ。日本は必ずよくなる。もっと自信を持っていい」
「やればできる」が信条の小泉氏。父の意志を継ぐ進次郎氏は、総理として政策に結実できるか。