銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

湘南信金の怪ー1と、振り込め詐欺キャンペーンの真実

2012-02-29 19:46:27 | Weblog
 今、午後11時ですが、振り込め詐欺キャンペーンがどうしてあれほど、派手なのかを考えたところで、終わりとさせていただくことといたしました。ですから、これは、文章だけは、完成です。誤変換は残っておりますので、明日までに直しておきます。これは、またまた、個人的な悪口を書いているみたいですが、最大級に、政治的問題を論じている文章です。政治とは個人的な欲望を、いかにも公的なものと見せかけることであると、誰かが言っているそうですが、そういう意味では、ここに書いてあることは、その典型だといえるでしょう。
 
副題1、『湘南信金の前で、原水禁運動のデモが行われている』
副題2、『細かいことを、常に、考え抜いているのは、誰だ。
 そして、恐ろしい諜略行為としての殺人事件は、どうして起きるのか?』
副題3、『湘南信金のカードが青山で使えない』
副題4、『振り込めさぎをやっつけようキャンペーンは、私をいじめるために使われた隠れ蓑だ』

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副題1、『湘南信金の前で、原水禁運動のデモが行われている』

 さて、木曜日の午前中、雨の中を主人に断って、湘南信金というところへ向かいました。ここが、また、自覚的には、非自覚的にかわからないものの、すさまじいまでに、私いじめに利用をされていてね。そのアイデアを出したのは、井上ひさしだと思います。

 それを一つ一つ書いていきましょう。一時期毎日、ここで、4千円を下ろしては、東京へ出かけたことがあるのです。本を出版しながら、切り詰めていたころです。本は、他人に一切を頼まないで、自分ひとりですべてをやっても、大体準備段階で、自宅のパソコンを使えないで、外のパソコンを遣うことを入れれば、すごいお金がかかります。それも妨害を受けているひとつですから、ですから、ほかのことは切り詰める。東京へ行くのに当たって、食費と、交通費しか使わないと決めていたころです。
 
 するとね、湘南信金の前の道路で、千葉の原水禁反対運動の人が行進をしていました。笑っちゃいました。そこは裏道で、アッピール力が低いからです。そんな場所を歩いたって、鎌倉の人間にも訴えられないし、観光客にも訴える力がありません。また、その日のあさ、千葉を出発しても到着できない距離だからです。
  まあ、横浜市の共産党員を動員すれば、ちょうど、その時間帯にそこへ着くでしょう。だったら、つじつまが合います。でも、旗に千葉と書いてある。さすれば、千葉からバスに乗せて、ここまでつれてきて、どこか、近辺(たとえば市役所の駐車場等で、バスごと)休憩してもらっていて、私が家を出る(これは、安野家などが監視していればすぐ報告できることでもあり、そうでも無くても、パソコンを落としてテレビを消したら、私が外出すると敵様は熟知していますので、外出時を見計らって、そこへ、デモ隊を置くのは容易なのです。
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副題2、『細かいことを、常に、考え抜いているのは、誰だ。
 そして、恐ろしい諜略行為としての殺人事件は、どうして起きるのか?』

  特に同じ日の同じ時刻に、廃品回収業者の自動車が、何もものを乗せずに、うるさい放送を流しながら、そこに居ましたので、ピーんと來ました。なるほど、あのデモは、井上ひさしがアイデアを出して、私を脅かすためにあそこへおいていると。
  というのは、廃品回収業者というのは警察の偽装であったり、または、革マルなどで、若い日に教育を受けたアサッシン(暗殺者)の隠れ蓑である場合が多いからです。たとえば中目黒の東大卒の紳士、大原氏が殺害をされました。
  あれもね、私が近所の画家、大原光孝氏の悪を書いている最中に起こりましたので、チョウリャクだと考えています。大原光孝氏の悪を書くことは後ろに居る酒井忠康氏の悪を書くこととつながりますので、
  それを書かせたくないのか、  
 おとといの、私の外出時にも、普段は、鎌倉スケッチに出かける大原氏が、歩いているはずのない時間帯に、石段で歩いていて、私と出会いましたので、ピーんと來ました。彼から挨拶がありましたので、私も儀礼上は帰しました。変ですね。ともかく、彼が我が家のオープンハウスに来た後から、スプーンが移動し始めたり、額が、左側だけ、下がったり、いろいろありますし(まあ、彼がやっているとは断言しませんよ。だけど、アイデアを、提供したのは、確かでしょう。我が家で、何が大切に見えるかを、把握して、そこを、あれこれ、いじれば、私が気に病むと見られています。

  中目黒の殺人事件が起きたころはまさに、酒井忠康氏について言及していたころで、そこルートを確立する立証マンが、大原光孝氏・・・・・プラスその上の段階のキーパーソン柄沢斉氏・・・・・ですから、下手に出て、仲良しを回復しなさい。それによって、今度は日経新聞のもと論説委員、石塚雅彦氏を守ることができるから』と、命令されて、石段の途中で、私と夜の7時過ぎに出会い、挨拶をわざと向こうからしてくれたと感じます。

  大原氏とは、過去に非常にいろいろあったのです。あとで、文末に、それが、どこの何日に書いているかを探し出して添えて置きましょう。
  こういう風に敵が懐柔策に出てきたときに、善人丸出しで乗ったら、大変な損失をこちらが与えられるのは、ここに住んで、27年になりますが、したたかに味わわされていますので、絶対にのせられてはいけません。初期のもk敵どおり、行動をしないとだめです。
  今日、公開する文章はメモだけなら、10日以上前に書いていますし。ハッキングをしている敵は、私が何を書くつもりかは、当然知っていて、人々を、将棋のこまのように動かすのです。ばかばかしい。ぜったイに、乗せられる物ですか。ちょこまかちょこまか、動くから、余計怒りが更新します。
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副題3、『湘南信金のカードが青山で使えない』

 2007~11年3月ごろまでは、伊藤玄二郎と井上ひさしは、自分たちが強いと信じてやりたい放題でしたからね。彼ら銀行を、使い切っている、数々の犯罪まで、企画したとは思いませんが、ここに瀬島龍三と、成岡庸司が加わればありえない話でもないです。
 また、これらの泥棒をはじめとする、悪辣ないじめと違法なことを、もし、警察がやっていたらどうなります。私の方には一点の汚点もないのですよ。ところが、相手方は瀬島龍三ほか、大悪人が大犯罪を重ねていて、それを隠そう隠そうと、種々さまざまなあくを重ねてきているのです。

 そのひとつが、青山で、湘南信金のカードが使えないことがあったことです。毎日、4千円下ろすことを、湘南信金のスパコンに侵入して、察知して、その上で、大型スパコンに侵入して、私の名前と通帳の番号が、日本全国どこのATM(コンビニを含む)で、使用しても、お金が下りないようなバグを入れ込めたのです。
 毎日出かける前に、4千円しか下ろさないのです。往復の旅費だけで、2千円かかります。画廊で、個展をしていた画家が、もし著書を置いていて、それをお付き合いで買ったとしたら、たちまち予定が狂って、東京のどこかで、下ろさないといけません。
 で、青山のセヴンイレブンで、下ろそうとしたら、おろせないのです。ほかのカードを、紛失や盗難を恐れて、もって居なかったために、一瞬青くなりました。実際には青山から歩いてたずねることのできるところにお友達は、二人すんではいたのですが、でも、二千円を貸してくださいとたずねる間柄でもありません。私は結構なレベルでエリート(?)だから、相手のお友達もエリートです。そういう申し出でをしたら、一気に信用を失うでしょう。

 心臓がどきどきするほど、追い詰められました。が、ふと、思いついたのです。セヴンイレブンのATMだって、パソコンなのだ。大型スパコンにつながっているが、パソコンはかわりはない。
 私は、本を作っているのですが、その過程で、いじめられきっていて、しごとがうまくできません。それで、外の貸しパソコンを使っています。が、ときどき、自宅でも仕事をします。そのときに、相手方の妨害をクリアーするテクニックを種々さまざま獲得しました。

 それで、それを使って、青山で、バグの呪縛をとき、お金を7千円下ろし得たのです。これを誰がやっているか? 今までわかっていましたが、黙っていました。が、本当に覚悟を決めたので、申し上げます。全国的にその悪い作用が、利くのですから警察でしょう。
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副題4、『振り込めさぎをやっつけようキャンペーンは、私をいじめるために使われた隠れ蓑だ』

 こういう風にいじめを、銀行を使ってやるころに、ちょうど重なって、展開したのが、『振り込めさぎを、やっつけよう」と言う警察のキャンペーンです。無論、ごく初期の段階で、湘南信金を利用しようと提案したのは、井上ひさしです。
  道路の南側に廃品回収業者の車が停まっていて、北側にデモ隊が歩いている。これって、みえみえに、井上ひさし+伊藤玄二郎の考え出しそうな脅迫行動です。二人はそういう類の人間なのです。それに、あとで、クローズアップ現代に出演して亜貴はまばら事件に関して、警察を擁護したときの井上ひさしの分析を揚げます。
  で、銀行の支店等に勝手に入って、あれこれを命令するのに役立つのが、振り込め詐欺キャンペーンでした。

  私は被害者として、すべてを統括できる立場なので、統括した結果、これらの悪さをする、国際的軍産共同体、すなわち、トップリーダーとして、ロックフェラー4世をいただく、日本人エージェント集団のうち、政治家としてトップに立っているのは、小沢一郎です。
  その小沢一郎を、『日本の王である』と言い切っている評論家・副島隆彦が、『振り込め詐欺キャンペーンは、警察が、自己権力を拡大するために展開しているもので、あれほどの、被害額は出ていないだろう』と言っていましたが、彼のように、私から見れば、あちら側のグループの人間でさえ、おかしいと思うほど、警察は重ねて、キャンペーンを張りました。
 それを横目で見ながら、政治的分析を続けていきました。この日本国の政治って、いいようにやられっぱなしで、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなちゃちなものでしょう。そして、そういうものを助長している、悪辣な芸能人、北野武や、文化人井上ひさしの動向を自分のパソコン内で、被公開のメモとして蓄積していて、30%程度を外へ出していたのです。時々、目に余る悪辣なことが起きるからでした。

 そのたびに、警察庁は、全国から、部長級を集めて、振り込め詐欺の研究会を開催しました。我が家では、月曜日と、木曜日は主人が、休みます。それで、大体午前中、10時までと、午後は、2時過ぎにテレビが着いています。主人は、横浜か藤沢へ、散歩をかねた買い物へ行き、大体、4,5時間で返ってきます。そして、私はテレビをつけるのが嫌いですが、だいたい彼は、つけてあります。そのチャンスを狙って、午後の三時か、四時のニュース,および、五時か、六時のニュースで、その全国会議が写されるのです。
 ふん、ふんと、横目で見てそれをパススルーしてすごしておりました。
だって、こちらには一点も、汚点はないのです。むしろ被害という意味では、類類ですから、たじろぐところはまったくありません。そして、2007年からずっと今まで、五年間、無事にメルマガ、(2008年からはブログも加え、2011年からはフェイスブックもくわえたが、それら)を書き続けているでしょう。

副題5、『大越さんのニュースウォッチも、徹底的に悪用をされている』

 さて、警察が通帳も盗んでいるでしょうし、バグを入れたり、全国的にどこで、お金を下ろしても、すべて、把握できるようにしていて、それを、所在確認に役立てて、脅かしにさらに利用をしているわけですが、それほどの、人権侵害をしても、平気の平左でいるのは、どうしてでしょうね。

 警察庁長官とは、正義というものをどう考えているのだろうか? 不思議でしょうがないのですが、それでも、徹底的な証左が、こちらに得られました。
 それは、2012年の2月21日のニュースウォッチで、最初の段階化r、この振り込め詐欺事件が、大ニュースとして、報道をされ、顔を見せないご婦人が、なんですか、数千万円の被害にあったと、カメラに向かって証言しました。
 これって、ドク入り餃子事件とそっくりです。
 これはね。私が、瓜南直子、金田裕子、高橋真樹を使った、伊藤玄二郎(もしかしたら、まだ生きている井上ひさしも助言している)のアイデアに基づいているだろう悪辣なフェイスブック紙上のいじめを、きちんと書き始めていますね。だけど、体力の不足等もあって、高橋真樹の攻撃が、始まった、2月1日から彼女とは戦端が開かれていて、こちらは「伊藤玄二郎に教唆をされて、こういうことをやっているのですか?}と、質問を投げかけているのに、(答えはないですが、無論答えられるはずがないですが)・・・・・

 それをなかなか、ブログの世界で顕在化しないわけです。1月20日まで、大学クラス会で、抑圧されていて、発言できなかったわけで、そのまま、発言をしないで置いてもらいたいし、そうさせるためには、脅かせばいいのだというのが常の、彼らの手法です。
 『は、はーんやってきましたね』と思いました。これがね、今まで、私は瀬島龍三が作った北久里浜東の岡のSORA HILLS に関する問題(これも一種の知的犯罪で、公有地をほとんどただで自分のものにしている)は、ブログではほとんど述べていません。となると、猫のことで、警官を巻き込んで大失敗した
をした石川和子+柳沢昇、夫婦のもと妻の愛人、伊藤玄二郎を、いまだにひいきして、そちらの言うなりになっているということになります。
 信じがたい汚さです。ともかく、それほど、大変な事件だったら、・・・・・振り込め詐欺のことですよ・・・・・ウエブサイト(ヤフーや、LIvedoorの表紙)でも、フェイスブックの世界でも、皆さんが大問題にして騒ぐと思う。でも、チラッとも騒いでいませんよ。

 みなさん、ともかく、伊藤玄二郎が、どうしてこれほどの特権を持っているのですか? 自分がアイデアを出したのだから、私から委細を書かれても、『はい、わかりました』と覚悟を決めて、受け止めたらいかがなのかしら?
普通の人間だったらそうするでしょう。でも、困ったらすぐ警察に泣きついて、自分ではなくて、警察に脅かしてもらって、自分を救済させる・・・・・これほど、悪辣なことはありません。
 しかも、警察に大キャンペーンを張ってもらって、それを、夜九時からのNHKニュースウォッチで、放映してもらう。どうして、NHKが個人の、下半身を守る(この件は、伊藤玄二郎と、石川和子が、過去に愛人であったということをすべての出発点としていて、それを隠すために行われている大騒ぎです。・・・・)のに、大動員を掛けないといけないのですか?
 あほらしくて、あほらしくて、信じがたいのですが、私の目から見ると、この手の、私個人を脅かすために、公の名前を利用されていることは数多くあります。
  ここで、4時間の休憩を入れさせてくださいませ。少し、呼吸を整えたいです。(笑)、書いていても、怒りで、胸がどきどきしてきますからね。どれほど、無駄な公費が、このつまらない男、一個人の救済のために使われたかと思うと。

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なぜ、個人差があるのか(放射線の害)、  はやぶさの映像と似ている人体内部

2012-02-28 12:32:09 | Weblog
  今、28日の午後8時です。ここまで書いた、5700字で、これは、一応の完成とさせていただき、公開させていただきます。それ以降に続けるつもりだったものは、後日書かせていただきます。どうかよろしく。

副題1、『なぜ、放射線被害には、個人差があるのか』
副題2、『その透け透け、空間は、まるで、はやぶさが飛ぶ宇宙みたいなものだ』
副題3、その『透け透け空間を作っているものは、何だ-1
  ・・・・・太陽系の考察で、予習をしてみよう』
副題4、『古川聡さんの、オーロラの映像からわかるもの
 ・・・・そこから、核オービタルのイメージがつかめるのだ』
副題5、『人間の体は、実は炭でできている・・・・これも真実です』
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副題1、『なぜ、放射線被害には、個人差があるのか』

 今、別のところで、放射線の影響には個人差があるが・・・・・という提言がありました。そこが、実は問題で、放射線被害を、「過剰に騒ぐな」という形で、弾圧され、被害者が、言うべきことを言えないことにつながります。で、それに対して、私の考えを以下に述べさせてくださいませ。

 まあ、直感的な表現となりますが、陽子を地球程度の大きさと仮定をするとマイナスイオン一個(=放射線)は、テニスボール程度の大きさとなるでしょう。それが体の中を高速で、通り抜けていくわけですから、どこで、陽子にぶつかるか、ぶつからないかは、運命によるともいえます。人間の体、一個の細胞の中には、遺伝子があるわけですが、あの模型を見ただけで、その中に、どれだけの数の陽子が含まれているか・・・・・炭素、水素、酸素・・・・・それらの陽子の間は、たとえてみれば真空の宇宙空間のように透けているわけですから、どこに当たるかあたらないかで、その人の病態は、まことに個人差ができるものだと感じています。

 つまり、私たち、人間の目で見ますと、人間の体なんて、ぎっしりと水や脂肪、たんぱく質が詰まっているわけで、どこにも隙間がないように見えますが、電子顕微鏡以上の拡大性能を持っているレンズを通してみると、体の中も、銀河系宇宙のごとく、透け透けの空間が広がっているわけです。そこに弾丸のごとく走っていく最小の粒子(あまりにも小さいので、光とか波動であるとも言われている)が、重要な破壊活動を起こす場所に、あたるか、あたらないで、通り過ぎるかは、神のみぞしると言うところがあります。
人間のからだって拡大すると、あの大宇宙と、おなじ構造になっているのです。そこが不思議ですよね。
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副題2、『その透け透け、空間は、まるで、はやぶさが飛ぶ宇宙みたいなものだ』

 人体内部は、まるで、この銀河系宇宙のように、実は透け透けなのだ。だからその中を通る放射線(イコールマイナスイオン)が、すっと通り抜けてしまうのもあれば、人体に病気を引き起こす重要な場所(たんぱく質を作り上げている炭素、酸素、水素、窒素などの陽子)にぶつかるのもあれば、ぶつからないのもあるわけです。

 核の世界を、私たち一般庶民は、簡単なイメージで捉えることから阻害をされています。が、宇宙開発は、きれいなこととされていて、情報が多量に出ています。日本の探査衛星『はやぶさ』など最近二つの劇場公開映画が、作られました。それをもし、劇場内で見たら、私たちは昔『宇宙戦艦大和』のアニメを劇場内で見たときのように、壮大でまっくらな宇宙空間に息を呑むことでしょう。
 で、そこで、私たちは宇宙を形作っている、原型をマクロに見るわけですが、最小の単位の元素、が、構成している人体の内部も、超高性能顕微鏡の類で、見ると、まったく類似しているのです。ですから、科学は、イメージとして、その基本を捉えてしまうと、他分野へも応用が利く、とてもわかりやすいものなのです。
 これから、お子様連れで、『はやぶさ』の映画をごらんになる方がおられたら、人体の内部はまさに、超・拡大すれば、この様な形になっていて、そこをはやぶさのごとく、高速で走っていくのが、放射能だと、お考えをいただきたいのです。無論厳密に言えば、放射線というのは数種類あるわけですが、その原理としては、マイナスイオン、ひとつを例に取れば十分でしょう。
 
 ただ、ここで、挿入として付け加えれば、はやぶさとか、冥王星の探査機には、高度な地上との連携があり、冥王星の探査機など、一度木星に近づいて、その引力の影響で速度を高めてもらうらしいのです。が、マイナスイオン一個で、構成されている放射線は、そんな高度な頭脳部分を持っておりませんので、その飛ぶ方向はアットランダム(=不随意)であり、人体のどこで、何にぶつかるかは、予想不可能な世界となります。
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副題3、その『透け透け空間を作っているものは、何だ-1
  ・・・・・太陽系の考察で、予習をしてみよう』

 それは、核オービタルと、言われているものです。これをマスターすると、これまた、核の世界が、非常にわかりやすいのですが、イメージとしては、似ているものとして、太陽系を思い浮かべてくださいませ。
 ここで、一種の挿入として言えば、実際には異なるのですが、それは、第二次の問題として後で説明をさせていただきます。
 核についての模型も1980年代までは、中央に陽子があって、その周りを、8本ぐらいの軌道が回っている、まさに太陽系のイメージで表されていました。で、それをまず使うと、よりわかりやすくなるのです。人類史の根本をたどると、原理に近くなるので、よりわかりやすくなります。

 で、元に戻ると、太陽系は、太陽を中心として、惑星が回っています。それは、一種の閉鎖空間であり、ほかの世界から、何かが侵入しようとしても大体跳ね除けるわけです。

 今、太陽系は生きていて、活発に動いているので、ここに侵入してくるものは宇宙塵と呼ばれる程度の小さな物質であり、時々、地球の大気圏まで侵入してきて、流れ星と呼ばれる形で、成層圏の空気との摩擦で、消えていきます。
 時々、宇宙塵のうち、大きなものが入ってきて、隕石と呼ばれていて、クレーターというほどの被害を与えます。地球には空気や水というものがあるので、風や雨の影響で、クレーターが、その原型を変えていくわけですが、月にはそれがないので,クレーターが如実に目に見えるわけです。
 人体の内部に入ってきて、障碍を引き起こす、放射線というのも、類似のたとえとして、陽子の表面に、「クレーターを掘ってしまったかな?」と考えると、影響がゆっくりと現れるのが納得をされます。
 広島や長崎の被害は、あそこに降り注いだ放射線が、あまりにも大量に過ぎたということです。で、ここでは、福島第一の影響を考えていくわけなので、そちらは、少し、わきによけておきます。
 
副題4、『古川聡さんの、オーロラの映像からわかるもの
 ・・・・そこから、核オービタルのイメージがつかめるのだ』

 宇宙ステーションは、付け足し付け足しをしていって、今では総面積サッカー場二つ分にまで拡大をしているとか。そこに日本人宇宙飛行士古川聡さんが滞在して、美しい動画映像を、地球に送ってくださったわけです。

 それを見ると画面いっぱいに円弧を描く地球の中で、雷の発生がみられ、また、オーロラの発生も見ることができました。これらは、地球を囲む成層圏の存在で、生まれた現象です。この成層圏というのが一種のバリアーになって、人間の生活を守っています。これがなかったら、人間は昼と夜の温度差によってたちまちに死滅するでしょう。また、宇宙塵をこの段階で、燃やしてしまうことによっても、相当に守られているのがわかります。
 しかし、炭素、窒素、酸素などの核(主に陽子+中性子)の大きさが地球程度にたとえれば、放射線が、テニスボール一個程度だとすれば、わきを通り過ぎていくことはできるし、成層圏を突き破って、侵入してきて、地球にクレーターを作ることも可能だとイメージを作ってくださいませ。
 これは、厳密に言えば正しくないのです。だけど、人体内部が、透け透けであるということをイメージとして、しっかり把握するためには、地球の周りに厚い成層圏ができているようなものが、核オービタルであると想像をすると、それが、まさしく当たっています。

 ただ、その厚さは、相当なもので、核の大きさによっても変わりますが、人体を形成している物質元素の場合には、地球の直径の数百倍に当たると言えばいいでしょう。そして、その場所の中では、何が行われているかというと、電子が、高速で飛び交っているのです。それで、その作用のために、他の物質は、この核オービタルの中には入ってこられません。
 なお、ここで言っている電子とは放射線を形成しているマイナスイオン(ベータ線)と、まったく同じものなのですが、人体に対する危険性は皆無です。なぜ、そうなるかは磁力によります。陽子はプラスで、イオンはマイナスです。で、お互いに引き合っていて、ちょうど宇宙ステーションが軌道を外れないように、元素内のイオンは、安全な軌道を外れないのです。この軌道のことを、最近では、オービタルと呼びます。

  少し挿入的な話題をここで・・・・・
  ただし、これは、笑い話に近いのですが、その安全なイオンが、人体の内部で、億の二乗倍ぐらいの数があるとみなされます。で、人間は、イオンという言葉を聴いても、なんとなく、それが、被害を与えるかどうかに対して、疑問符を持ちやすいのです。現在の野田内閣の副総裁の岡田さんの実家は大スーパーで、社名をイオンといいます。3.11以降社名を変更しようかという案が出たそうです。無論変更しない方がいいでしょう。変更したら、大衆からの大反発を受けたと思います。それほど、お前は怖がっているのか。それにしては民主党は何もやっていないではないかと攻め立てられたでしょう。
  また、原子力村の住人たちが、多量の知識を持っているはずなのに、シャーシャーとして、核を売りつけている側の教唆に乗っていて、国民への隠蔽を繰り返していますね。その影にノーベル賞の存在は大きいのですが、一方で、この安全なイオンの存在を、彼らが考察していて、『ふん、放射能被害だと、騒ぐんじゃあねえ。人体、一個の内部に内包されているイオンの数に比べれば、数兆分の一に過ぎないぞ。あんたが生きているその空間のインテリア、目の前にあるパソコン、それら全部に含まれているイオンの数を総合すれば、京の三乗ぐらいの数量があるんだ。ばかばかしい。大衆目。大騒ぎして」と、思っている可能性は強く感じます。
  そして、私自身、こうして平静に生きているのも科学がわかればわかるほど、その数量の対比には、たじろいで、福島から飛んできているだろう、放射線の分量については無視しがちになります。日常ではほとんど忘れています。だけど、ここで、また、基本に戻りましょう。放射線として、まっすぐに進むイオンは、その量がどんなに、少なくても、人体に被害を与えることが立証をされているのです。それは、忘れては、ならないことですね。

  さて、ここで、核オービタルについて、さらに、突っ込んで生きたいのですが、その前に、人体を研究するに当たって、もう大切なことを申し上げておかないといけませんね。

副題5、『人間は、炭でできている・・・・・これも真実だ』

 人間の体を、構成しているものの中で、水分が一番多いとは聞いたことがあります。体重のうちで、95%以上は水であるとか。水はあらゆる生き物にとって大切なものですが、しかし、人間が歩き、考え、他者とかかわって生きていくためにもっとも大切な元素は、水ではなくて、炭素です。なんと、人間とはあの炭で、生きている存在なのです。最近の都会では、炭の実物を見る機会など、焼き鳥やの細長いかまどのなかで、燃えているのを見るぐらいでしょうか?
 その炭も微細に微細に分割していって、元素の段階になると、もう硬くなく、黒くもなくて、柔軟無比な物質になるのですが、もっとも大きな特徴は、4本の手を持っていて、ほかの4つの元素と結びつくところです。そのうちの二本はたいていの場合には、水素と結びついています。そして、ほかの二本は、同類の炭素と結びついており、それが、糖分や、たんぱく質といった分質へつながっていきます。10個にひとつ、20個にひとつが、酸素や、窒素、リンや硫黄などと結びついています。
 それが、体内で、種々さまざまな化学反応を起こし、分子としては、分裂して行って、その過程で、エネルギーを放出します。人体の上のほうにある排出口からは炭酸ガスという最も小さな形のものが出てきますが、したの排出口からは、もっと複雑な物質が出てきます。

 しかし、これらの化学変化をもたらすためには、元素が無秩序に並んでいたのではダメで、きちんとした有機化合物として、まとまった結びつきを持っていないといけません。それが、崩れる過程でエネルギーの放出があるからです。たとえば遺伝子という名のたんぱく質を構成しているAという炭素が、隣のBという炭素と結びつくときに、その陽子と陽子は、決まった距離を間に入れて、結びついて、います。その距離を形成するのが、核オービタルであります。それが、物質界の秩序を握り維持しています。

 そして、その炭素Aの陽子が、地球とすれば、たんそBである二つ目の陽子との間には、直径の数百倍の核オービタルがはさまれており、そこは、テニスボールみたいな、大きさとこの場合では、仮定をされている直進するマイナスイオン=放射線は、スムーズに貫徹できるわけです。上に書いたことが、目には見えない放射線が、人体に被害を与えるということに可視的なイメージです。こういう風に捕らえると、非常にわかりやすくなってきます。

 この後で書こうとした事は、核オービタルのことやら、同位体のことです。
が、それを書き表すのが非常に大変です。で、ここまでで、今日は、疲労困憊したので、この続きは、また、別のところで、別の日に語らせてくださいませ。
2012年2月28日  雨宮舜 (川崎 千恵子)
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救急車を舞台とする怪談? フェイスブックへの破壊活動をやっているのは誰?

2012-02-25 16:25:03 | Weblog
これは、政治に関する問題を書いています。今、27日の23時50分ですがやっと推敲が終わりました。ものすごいレベルで誤変換が残っておりましたね。誤変換の多いのも一種の破壊活動を受けていることだと思っていますが、ともかく、努力努力で、進むしかないです。

副題1、『三菱銀行、鎌倉支店長は背が低いかな?』
副題2、『小沢一郎、派手な記者会見を、24日にする』
副題3、『救急車が、脅迫用に悪用をされる』
副題4、『すさまじいレベルで行われたフェイスブック破壊活動』
副題5、『野田総理が、小沢氏と面会ですって。!?!?!』

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副題1、『三菱銀行、鎌倉支店長は背が低いかな?』

  さて20日に三菱銀行のシンドウ嬢は、「あなた様の4冊の通帳はみんな盗難届けが出ています」(そのうちの二通は、16日に窓口で押印決済をしてもらったばかりだから、もちろん、嘘ですが、支店長への面会もなしのつぶてで、逃げようとしたわけですね。でも、その二日後の22日に三菱銀行へ、普通口座の通帳紛失とカードの届け出を出しに行ったら、さすがに礼儀正しい対応だったわけです。

  ということは陰に隠れている真犯人に一歩ずつ、さらにちかづいてるわけです。「まさに、そこへたどり着いたかもしれない」というスピードで近づいていますね。『だから彼らも、少しは反省したのかな? で、三菱銀行へ、あの人へは、丁寧に対応するようにと命令したかな』とは思いました。ただロビーに座って処理を待っている私を、おくから、じっと見ている二人の男性が居ます。一人は小太りで、背が低くてめがねをかけて居ます。紺のスーツを着ています。で、私は二人をさらっと眺めながら、窓口を乗り越えて、「あなた支店長でしょう。月曜日にコールセンターのシンドウさんを動かし手うそを言わせた人物はだれですか? 教えてくださらない」と言おうかと思いました。が、常に、30%で抑えることにしてる私は、それを、やりませんでした。

 で、その男性二人を見たときに、三菱銀行さんが、表面上は丁寧に変化したものの、依然として、袖の下によろいを隠しているのは、わかったわけです。
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副題2、『小沢一郎、派手な記者会見を、22日にする』

 それが、水曜日のことですが、一応でも、真犯人側が反省をしたと、見ましたのに、それが、そうでもなかったわけです。小沢一郎が堂々と次の日の23日の午後に、記者会見を行いましたのでね。野田総理の批判ですが、常に彼のやることは日本政府を困らせて、ちゃんとした政治ができなくなることです。ただ、この時点で、名乗りを上げたのは、無論この私の一連の文章が関係があります。彼こそ、ここに出てくる諸・怪奇現象に、守られている政治家だからです。で、この一連の文章で、日本政治の真実がますます、国民の目に明らかになりますね。で、あんまり静かにしていると、自分が、不利になると感じて、突然に派手な会見を打ちました。・・・・・おや、おや、賽の河原ですが・・・・・が、私の居ない時間帯です。

 一般的に、私は月曜日と木曜日に外出します。大相撲の壊滅作戦のときも重要なニュースは必ず、その二日を選んで流されましたし。
 これから長い時間を掛けて書いていきますが、その日、湘南信金を尋ねて、そのときに「これから日吉へ向かう予定です」といってありますし、その後での鎌倉駅での、ガードマンの出現、それから、日吉駅でのエスカレータの故障、こういうことは、『お前がどこにいるかを、こっちは知っているのだぞ」と言うサインの数々です。

 そして、私が日吉に居る間に、小沢一郎は、<<<あの威張ったらしい・・・・しかも日本政治を、いちいち後戻しさせるような意見>>>を世間に開陳しました。主人はひどく怒っています。主人は、消費税は必要だという考えですから、野田総理大臣の足を引っ張るといって。

  もちろん、一般の読者様は、「あなたの御主人より小沢一郎の方がえらいでしょう」とおっしゃるでしょう。それもそのとおりですが、だが、小沢一郎が、あの威張っているとおりの、人格識見を持っているとはとても思えません。

  何度も言っていますように、彼は、核燃料を売りつけている国際的軍産共同体側の最もかわいがっている政治家ですから、日本に居る、エージェントたちの総力を挙げての支援があるわけです。佐高信、田原総一郎、ほか、有象無象の政治評論家の支援も受けていますが、
  私が、独自に申し上げている、一般社会には、その名前が、ほとんど知られていない、成岡庸司君とか、国際協力資金の理事長(小沢一郎との、直接の結びつきは見られませんが、北野武監督を大支援しています。それが曲者です)とか、成田豊氏などの支援を受けています。で、格別に強く出られるわけなのです。

  なお、この成田豊氏は、死亡したと伝えられていますが、もしかすると地下潜行をした可能性もあります。というのも、私が瀬島龍三を俎上に揚げようとしたトタンに、彼の死亡説が、報じられました。それは、井上ひさしとそっくりな経過をたどりました。
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副題3、『救急車が、脅迫用に悪用をされる』

  井上ひさしだけは、鎌倉の住人で、鎌倉市内で放送される防犯協会の放送やら、救急車の出動(これは、私への脅迫に使われるための出動が数多いはずです。多い日には、8回も超えますが、ない日には、一件もありません。その数の変化は見事に私のブログと連動しています)によって、彼の死がまったくの嘘であることは、確信しています。それはまた、別項目で詳しく書きます。

  ちなみに、救急車ですが、音によって、私を苦しめるために、女声で、「右へ曲がります」とやかましく放送しながら通ります。時には、それに環を掛けて運転中らしい男声も混じって,大声で、『右へ曲がります』と発声します。だけどよおっく聞いていると左へ曲がらなければいけないときにも、「右へ曲がります」といいます。本当に笑っちゃいます。
  2008年から、始まった音によるいじめ(伊藤玄二郎+井上ひさし・・・・・の二人羽織の発案であることは見え見えである)の一環です。救急車は、母の見舞いに訪れる、常盤台でも頻繁に脅迫に使われました。

  あまりに演出が多いので、・・・・特に常盤台駅前で、数十分とまっているのが居るので、「どういういきさつでとまっているのですか」と、ドアを開けて問い合わせると、中に老人が確かに寝ています。で、「交通事故ですか?」と聞くと、「違います」と救急車の隊員は答えます。でも、そこいら辺で、お店を経営している人、数軒に問い合わせても、誰も異変には気がつかず、救急車を呼んでいないそうです。
  この救急車というのも、一時期は多用されて、横浜駅の東口に、六台も詰めていたり(それは、本を出版すると必ず、郵便局から発送をし、いちいち計ってもらうために、主人が帰宅後に外出する私は、大きな郵便局を利用するので、どこかの郵便局前で、脅そうとするのです。
  戦端が開かれていて、しかも、彼らが、自分たちが勝っていると信じているときは非常にこれが多いのです。

  昨日、言ってしまってありますので、ここでも、はっきり言ってしまえば、私を追いかけて脅迫をしているのは警察だとわかっています。だが、その原因は、数十兆円の大もうけを不正に獲得した瀬島龍三からの讒言によるものか、それとも、成岡庸司が伝え聞いている、ベイカーさんからの讒言によるものか、それとも御近所のわがまま女性、石川和子の猫の失敗(警官が悪用された)に、よるものか、そのどれにしても、私にとっては到底、うべなえるものではありませんから、こちらは、絶対に引っ込むつもりは無くて、激しく戦うつもりになっているのです。
  そこが、どうしてもわからないのが、幼稚な命令者です。それが警察庁長官だと思うと、日本人として恥ずかしくてしかたがなくなります。
  だから、アイデアを提供したであろうと思う、そして、直近の事件で、最も自分を守りたいと思っているだろう、伊藤玄二郎をその原因者、命令者であろうと規定しているわけです。
  それは、今回のこの文章の発端になった、高橋真樹、瓜南直子、金田裕子の三人に直結する人間としては、因果関係上、伊藤玄二郎しか居ないからです。そこから考えても、すべての悪は彼から発していると考えるのが妥当でしょう。だが、鎌倉で大きな顔をしている人間がここまで悪辣だとは、本当に信じられなくて、今まではっきりとは書けなかったのです。

  私はね、これほど、偏執狂的にいじめられると、その総合点は、非常に大きくなりますので、いずれ、この伊藤玄二郎の精神面での異常性は、暴きだせると思っております。
  まあ、こういう風な、エージェント役をすること自体、正常ではないですね。それに、ほかの人のブログで、過去のいつかに読みましたが、彼の経営する鎌倉春秋社では、ノイローゼにかかる人が多発しているそうです。そうでしょう。当たり前でしょう。こんな異常性格者の下で働くのは大変だと思います。
  彼とかかわって、その言いなりに動くと、八幡宮様の現在の宮司さまみたいに、ご自分の本業でとんでもないことが起こります。本当に悪魔の化身であるというほど、次から次へとずるい手法を編み出す人間が伊藤玄二郎です。

 本日2012年2月26日の早朝も、ASという上智大学出身の女性がフェイスブックの世界で教唆をされて、動かされました。その詳細は被害が続けば書くでしょう。今は、概要をアルファベットのイニシャルだけで、示しておきます。高橋真樹、瓜南直子、金田祐子の3人について、ここまで書いてもなお、何かを仕掛けてくるいやらしさ。ほかにもAS的に動いている予備軍数人もあって、そちらも被害が続けば書くこととなるでしょう。

  上智大学出身の女性が動かされるのは、井上ひさしが、まだ生きている証拠となります。彼も上智大学の出身ですから、私の800人を超えるFB友達の中から彼女がそのポイントで目を引き、選ばれて、半刺客として、養成されつつあるところです。正式には死んだことになっているので、直接、彼がその女性に電話をすることはないでしょうが、だれか上智大学出身者の有名人を利用したのでしょう。たとえば、一時期私のメルマガの読者だった、有名な美術評論家TK氏だとか。そのうち、それも正しくは誰であったか、私にはわかってくるでしょう。
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副題4、『すさまじいレベルで行われたフェイスブック破壊活動』

 ここで、木曜日の小沢一郎会見に戻ります。
 でも、それが、わかったのは夜の九時、NHKの大越さんのニュースを見てからです。携帯を持っていない私は、外出先では、逐一ニュースを追いません。
 すぐ、『私の留守を狙って、やられたな』とわかります。上のほうで書いてあるように、日吉駅で、エスカレーターの故障を見たのと、国立国会図書館の前に、機動隊のバス(去年の夏より小型だったが)が、二台待っていたからです。去年の夏は、徹夜明けで、自宅を出たので、朝の六時に国会図書館前に到着しました。

 周りには、誰も居ないのに、機動隊のバスが、エンジンをふかしながら二台も待っていたので、わざわざ近づいて「何のためにここに居るの?」と質問をしましたが、あいまいに、用事があるというだけでした。が、はっきり言います。泥棒(実印とか、通帳とか、それ以外の重要なもの、たとえばノートパソコンのバッテリーはわかっているだけで、7本)を盗んだのが警察だとすると、ありとあらゆる意味で「やっつけたい」と願っていて、この手の脅かしでも効果があると信じているのでしょう。しつっこいしつっこい、かつ、冤罪以上に悪質です。時々、出版物のなかに、『薬剤上の警察』と出ていますが、本当だと思います。

  自分たちの失敗を棚に上げて、被害者を抹殺して、自分たちの失敗がなかったことにて置こうというのは、ある個人が取る態度ならまだ許せます。だが、警察本体が、自分で、考えた上で、そう出てくるのなら、これは、一国民として、絶望的になりますね。だから、今までの4年間、必ず、アイデアを提供した方、つまり、因果関係上,
警察を利用してでもいいから、私を抹殺したほうが得だと考えている伊藤玄二郎と、井上ひさしとそのほかのエージェントたちの名前だけをあげておりましたが、その手の悠長な手段では、すでに間に合わないほど、多額の損失が積み重なっています。父の写真など回復不可能ですから、怒りに震えます。

  ところで、この二月に、こういう形でのいやみないじめが多発したのは、相手方が『勝ったぞ。勝ったぞ。この手法は有効だ。ここで、一気に抹殺まで行ってしまおうと考えたからでしょう。その理由は、フェイスブックでの激しい攻撃にあります。
  それに対して、私は無抵抗で、12月から2月半ばまで、静かにしていました。
  で、味を占めてしまったのでしょう。
  でも、私の方は、やっている人間には、暗喩的なメッセージを送っていたのですよ。こういう破壊的な技術のアイデアを提供しているのは、古村浩三君であると確信していました。それを彼に示すために、何度も、それをにおわすような個人的な連絡を送っていました。

  ところが、かれは、(または、かれらは、)絶対に引きません。しかも彼の後ろにいる、石塚雅彦氏やら、ロックフェラー4世の支えを得て、11月の時点で、1月20日にクラス会を予定してきたのです。

  『やられたな』とは思いました。というのも、その時点で、私が古村君の名前を出したら私の方が、単純に悪人にされてしまいます。で、クラス会に出られなくなるでしょう。どうするか悩みに悩みましたが、一応彼らの悪辣さに沿って、黙っていることにしました。

  いま、ここで、そのフェイスブックは会社の名前を発表しているのは、銀行の通帳三通が、家の中からさえ、盗まれて、それが警察らしいということが、三菱銀行が、発した嘘などから確定的にわかってきたから言っているのです。ここまでされると、同窓会がどうのこうのとも言っていられないでしょう。同窓会という余裕のある時間の問題ではなくなってきていて、ごく普通の生活ができないとなってきています。

  こういうこと(=通帳を三冊も盗むなど)は、どんな人が考えても悪でしょう。そこまで被害が積み重なるまで我慢をして待っていたのです。忍耐のきわみです。
  フェイスブックの破壊活動とは、いろいろありますが、まず、字を入力すると二重になって、よく読めません。そして、書いているうちに、画面がゆらゆらして書きにくいです。またデータが表に出てこない。
  表に出ても、一瞬で大量のほかのデータが入り込んできて、私のアップしたものが一瞬で後ろへ行ってしまいます。しかも、ほかの人たちにも大量に迷惑行為が多発しているらしい。私には、何も関係がないヨーロッパ在住の人にまで、被害が及んでいるとか。

  で、それを、止めさせる為に、「1月21日に大変なことがあるから、今は政治問題を抑えている』と、ブログの世界では予告をしておきました。
 実は1月20日が本当で、21日と書いたのでは、一日、日にちを間違えていることになります。それは途中で気が付きましたが、そのままにしておきました。その方が、お互いに、逃げ道もできて、それがいい点でもあると、推察がつきましたし。

  まあ、私は高橋真樹が、使われたこと、また、使われた結果、彼女が行ったことに、非常に腹を立てて、いつも「30%で抑えて置きます」と言っているたがをはずしたのです。
  それでも、古村君の名前を出した後、一日後、二日後には、同じ現象が続きましたので、これが、古村君がやっていないというデモンストレーションなのか、そうではないかが、わかるのを待っているところです。

  結局のところ、中学の同窓会に続いて、大学の同窓会も捨てたわけです。それは、古村君が、ここ10年ぐらい幹事をしていますので、彼が、フェイスブックの大破壊工作の、真犯人だなどと言ってしまったら、もう、出られなくなるでしょう。

  それは覚悟です。ほとんどすべてを捨てるつもりでありますからね。
  でも、そうは言っても、1月20日まではそれが束縛となって、政治的な発言は抑えたのです。
  その間に、週刊誌等を動かして、小沢復活を着々と用意してあったのでした。サンデー毎日まで使われたので、この小沢一郎という人物が、どれほど、例の大権力者、ロックフェラー4世に、かわいがられていて、どれほど、援助を受けているかをまたまた、確認をさせられたのです。

  でも、この11月から1月の末までの我慢、我慢の間に、私は、この手の悪辣な状況を書き表すのに、うんざりしてしまったのです。今だって、これを書きながら、いやなことを書いていると、自分でも思っていますよ。だけど、しかたがないのです。彼らのしつっこさと頭の悪さに対抗して、自分を守るためには。
  で、文章を、11年ぐらい前までの、テーマに戻して、芸術の話とか、猫の話とか、心理学的分野に限っていたのです。

  が、それが敵の大いなる誤解を招き、『あいつは脅かしたら、負けるのだ。そうなると、俺たちは安泰だ』と思わせてしまったようです。で、小沢一郎は、陸山会事件では無罪になり、また、挙句の果ては、24日に、復権したかのごとく、大記者会見か何かを開き、NHKニュース内で、何分も使って自己宣伝をしたわけです。
  だけど、皆さん、何度も言うようですが、私は弱いから、引いたわけではありません。そうじゃあなくて、面倒くさかったからです。この手の汚いことを書くのが。
  これから、クラス会で、大勢の人に会わなくてはいけない場合に、無用な騒ぎを起こしたって、多勢に無勢で、まけるにきまっているではないですか?  だから、その我慢をしている時期には、暗喩にとどめておき、古村君の名前は伏せておきました。
  そして、静かに、2月の10日まで、過ごしたのです。

  しかし、何度も言うように岩手大学卒であり、株式会社のびあ代表でもある高橋真樹という女性のとんでもない攻撃に怒った私がどんどん、この手の文章を書き始め、そこには、これらの中枢の人物も登場しますが、瓜南直子というような政治的に見れば、小物・・・(だけど、その存在が人気がある)・・・に及んでは、伊藤玄二郎の足元が、危なくなります。

 人たらしの天才、そして、鎌倉に仕事場を持ち、大磯に自宅を持って、家人(妻)が、愛猫にジュリーとなづけるような実人生まで、脅かされるところまで来て、やっと、すこしっは、連中も反省したでしょうか?
  しかし、ASという上智大学出身の女性が引き続き、25日の深夜まで使われましたから、油断も隙もないのですが、ともかく、一時期とっていた、「勝ったぞ勝ったぞ」、路線で彼らが、進むと、こちらも対抗上、時田史郎君をはじめ、川名昭宣など、伊藤玄二郎が、恩義を感じているであろう、自分より上だと、みなしている文化人たちに壊滅的な被害を与えると、彼らも、少しは、気がついたのではないかですか?

  おっちょこちょいで、幼稚すぎる彼らも、少しは大人になってきたかな?

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副題5、『野田総理が、小沢氏と面会ですって。!?!?!』

  24日の木曜日に小沢氏がNHKで、大きな顔をして、また、もや、日本政府に、ぐらつきをあたえるマイナスのうごき===野田総理の方針に大きな文句をつけた===という件でも、私は、怒りが爆発して、ブログで、それを今、書いている最中ですね。
  それで、急に、小沢一郎復権が早すぎたと、思い始めたのでしょう。この件をどうまとめていくかの反省会が開かれたもようです。真実は小沢氏が弱すぎるのですが、表向きの形としては、、野田総理が、慰謝のために、小沢一郎氏と面会する予定だ』と、なった模様です。

  あくまでも小沢一郎を傷つけないように、そして、国民に真実をさとられないように、でも、このまま小沢一郎をつっぱしらせると、私がどこまで内情を明らかにするかどうかわらかないからです。

  だけど、それを横目で見ながら、『泥棒が警察である』と言う真実と、『フェイスブックで大破壊活動をしたのは、古村浩三と、石塚雅彦のコンビであると、発表をさせていただきました。それほど、彼らの行動はあくどいからです。

  ともかく、私が皆様へお願いしたのは、こう言うニュースの解釈を間違わないようにしていただきたいということです。これは、一見すると、野田総理大臣が、下手に出ているように見えます。が、私の、感じる真実は、野田総理が、小沢一郎氏に救いの手を差し伸べたということでしょう。去年の5月のある瞬間に、野田総理は小沢一郎氏と手を打ちました。だから、総理大臣になることもできたのです。

  そして、いま、自分から救いの手を差し伸べているとなると、野田総理は、結構力があるとなりますね。まあ、私にしてみれば、どっちも、どっちの政治家ですが、小沢氏が、アドバルーンを揚げたが、引っ込みがつかなくなって、どうしようもないところを、いい子いい子で、付き合ってあげて、救ってあげるという構図です。

  どうか皆様NHKニュース、特にその狙っている方向に沿って、その言うなりにご解釈をなさらないで、くださいな。国民が利口になれば、よい政治ができるはずです。今のところ、『悪人たちは、この日本の、国民なんか軽くだませる』と思っています。演出ばかりの政治ニュースが蔓延していますが、どうかだまされないでくださいませ。
  ここの読者の方は大丈夫だと思います。が、永田町を馬鹿になさっていて、そこに注目をしないという傾向があるのではないかと心配です。そういう文化人面に乗っかって、悪人がいいようにしていますので、ぜひそちらにも、注目をしていただきたく。
NHKニュースは大衆操作のきわみです。だから、馬鹿ニュースが多いです。だが,それを馬鹿にしきっていて、見ないで居ると、せっかく立派な意見を持っている人たちのその意見が、政治に反映をしなくなります。

  2012年2月24日に書き始め、27日の23時50分にやっと推敲が終わる。    雨宮舜(川崎 千恵子)
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通帳の盗難と、大規模、公共用地取得詐欺事件との結びつき(瀬島龍三)

2012-02-24 13:19:37 | Weblog
  皆様、これは、フェイスブックの世界で、メモとして書いたものを今推敲中です。午後の二時に始まり、夜の10時に完成させました。

副題1、『通帳の盗難と、鎌倉小町通りの、道路工事の関係』
副題2、『警察からスパイを頼まれた? 金田裕子さん』
副題3、『通帳の盗難と、横須賀市における大規模な土地をめぐる詐欺事件の話』
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副題1、『通帳の盗難と、鎌倉小町通りの、道路工事の関係』

  その20日の夕方です。昔の私でしたら、すぐ、そのいきさつをパソコン・・・・・特にブログで書くのですが、最近の私はある部分を乗り越えた気分がしていて、落ち着いていて、すぐさま現況を書きません。それはね。瓜南直子さん、金田裕子さん、高橋真樹さんとか、が、どれほど深く、また、どういう風に悪に利用をされているかを書いたらね。それらは、実際に生きている人間ですから、敵様たちも、証拠を握りつぶしようがないわけです。となると、ずるいずるい彼らも、ついに、真犯人に到達しそうですね。だから、私としてはずっと、落ち着いているのです。もうすぐだ。このとんでもない泥棒に追いつくのは、もうすぐだと思って、まったく落ち着いているわけです。
  で、夕方パソコンを打たないで、外出をしました。ブログも書かないし、メルマガも書かないし、フェイスブックも書かないで外出したわけです。で、鎌倉から、バスで行けば、20分(電車なら五分)のところにある商業圏で大船であっちへ寄ったりこっちへ寄ったりして、買い物をしていたのです。私はただでさえ、忙しい方で、普通の主婦みたいに毎日買い物には行きません。主人が野菜や肉や魚など食料品は、相当に買ってきてくれますが、でも、細かい日用品がなくなることもあります。三通もの通帳がなくなっても、心は、ひどく落ちついていますから、たった、二駅の電車なら往復10分に過ぎない、とても近いショッピングタウンなのに、三時間も掛けて往復したのです。ですから、風邪が重い今では、帰宅したときには、つかれきっていて、何もこの『三菱銀行の変さぶり』についてはパソコンでは書きませんでした。
  ところが、それは、敵にとっては、大喜びの現象だった模様です。敵が喜ぶとさらに『やってやれ、やってやれ、いじめてやれ』となって、ひどい脅迫行動が、二重三重に重なるのです。
  そのひとつが、鎌倉駅にJRのガードマンが立っていること。これは、毎日ではありません。が、敵がすさまじいことをやって來て、私と彼らの間で、戦端が開かれているときに、特に、『こちらが弱みを見せたな』と、このJRのガードマンが居るのです。母の見舞いで、ときどき、東横線を利用するのですが、JRへ乗り換える横浜駅でも、彼らが今は好機だ。やっつけられる。最終的に襲い掛かろうと、推定すると、必ず立っているのです。それを私はどう考えているかというと、彼らの狙い通り、やっつけられるわけではなくて、自分が正しいことを書いている証拠だと考えています。20日も私の考えたことは瓜南直子、金田裕子、高橋真樹がどんなに悪女であるかについて、30%だけ、書いたのに、こうだから、さらに、70%ぐらい進んで書いたら、彼らはどう出てくるだろう。だけど、この30%だけでも、真実だったとなります。それは、経験上わかっております。
  ところで、最近の私は非常に体力が落ちていて、鎌倉駅から歩けば、12分の山すそまででも、歩かないで、タクシーを多用しています。で、歩けば小町通りを通り、タクシーを使えば、若宮大路を通ることとなります。もちろん、小町通りで、工事をしていなければ、タクシーは小町通りを通りますが、小町通りで、工事をしていると、若宮大路へ回ります。で、駅の中の改札前ロータリーのところで、すぐに、彼らが私を脅かすための、例の工事をしているのか、していないのかがわかってしまいます。
  『ふーム。この二番目の点からも、彼らが、相当に勝ち誇っているのがわかるな』と私は判断をします。とても幼稚な頭脳構造の連中です。そして、自分たちが絶対に負けているアジサイ畑欺モウ事件というのの、証拠隠滅を図ろうと必死です。その余波(ここがまだ、皆さんに丁寧に説明できていないところですが、後回しにいたします)で、小町通りの共同溝工事は、2008年の2月8日(私たちが静岡美術館に言っているその日)に始まりました。が、2012年の2月になった今でも、終わっておりません。あっけに取られるほどの、ずさんな計画です。どうしてかというと、これは、私を脅かすために始まった工事であり、私を脅かしきるまでは終わらせるつもりがないからです。
  どういうことかというと、私が書いた『敷石を磨く男』という優れた(笑)エッセイの現地証拠である、小町通りの敷石をはがしてしまうことが目的であって、それでもって、いじめようとしているのがひとつ、それと、「工事人や、ガードマンに脅されている」と、私が繰り返して、書くものですから、それで、私が工事人やガードマンを『怖がっていると判断をしていて、それで、脅迫に役に立つとみなされているのです。
  そして、それにさらに磨きを掛けるべく、瓜南さんは、『全日本、アスはが連』というのを作って、はやし立て笑っています。瓜南さんは、鎌倉市内に二つの住まいがあるみたいです。そのうちのひとつは、小町通りを、鉄の井辺りで、東側にちょこっと入ったところにあります。
  で、本人も、その延々と続く無駄な工事によって迷惑をこうむっているはずなのに、伊藤玄二郎(または、間に誰かを挟んでいるが)の教唆によって、道路工事を笑いのめしているのです。伊藤玄二郎がどうして、私をやっつけようとしているかは、このブログの世界では何度も繰り返し、猫のことで、彼の愛人であった、石川和子が警官を巻き込む大失敗をしていると、申し上げていると思います。最近、『風のかたみ』という伊藤玄二郎のエッセイ集の一部を読みましたが、家人が猫にジュリーという名前をつけたという一説があり、その家人の手前だけでも、石川和子と愛人だったというのは伏せたいので章。だけど、どうして、自社と同じ名前・・・・鎌倉春秋社を他人に与えます。石川和子の陶芸教室は鎌倉春秋がまと言います。当然のこと、特別な関係にあったと誰もがみなすでしょうに。

瓜南さんは、私にこれだけのことを書かれても、平気なのでしょうが、もしかしたら、書くはずがないと、高をくくっていたのかも知れません。ところで、私の方には、娘の出産をめぐって、血みどろの苦しみを伊藤玄二郎と井上ひさし、そして、その手下として動く、例の闇の軍団にすさまじい恐怖を与えられた経験があって、それゆえに、瓜南直子、金田裕子、高橋真樹の三人を許すわけに行かないのです。が、この娘の出産をめぐったいじめこそ、まだ書けない部分であって、私が常に、30%で押さえているという部分です。近々書きますが、高橋真樹さんは、お若いお母さんたちを糾合して、「のびあ」と言う会社を経営しているから、絶対に許せないところがあるのです。伊藤玄二郎と、井上ひさしは、悪魔の化身です。それを、いつかは書きますが、どうも彼ら自身は、自分のやったことをすべて、一瞬で忘れるらしくて、被害者側の人間がすべて覚えているということさえ忘れているらしいですね。ここで、いったん切って、3へ続くといたしますが、さきほど、

1を書いたとたんに、<<<これは、時間とともに画面が動いていく、フェイスブックに固有の現象ですが、突然に間に、9本も別の情報が入れられてしまいました。それも、一日前とか言う、めちゃくちゃな時間帯のものを間に入れて、私の情報を画面ないでは、見せないという形にするのです。これも、いじめというか、諜略行為の一種ですが、それを誰がやっているかについても、そろそろ、固有名詞を揚げるべきでしょうね。・・・・3へ、続く
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副題2、『警察からスパイを頼まれた? 金田裕子さん』

  で、20日の夜は敵様が勝ったと思っているのを知りましたが、その第三に、挙げる証拠が、若宮大路に7台も重機の車が出動していたことです。こんなに、道路幅を狭くする工事なら、事前に予告をしないといけないのに、これは、横須賀中央駅の近辺にあるクリニックに行くときにやはり、重機の車が終結していて、その荷台に、緊急出動要請用自動車と書かれていたことがあって、そのときに、『は、ハーン』私を脅迫するために、神奈川県内、および東京都内の、建設業関係者の間で、抜群の工事費の無駄遣いが行われているわけですね。と、わかったわけです。

  ところで、金田裕子さんは建築現場の足場を組む会社の事務員です。だから、社長さんから頼まれて、私へのスパイ役を担ったのかもしれません。スパイって何をと、皆さんは、お思いでしょうか? 私はこう見ています。このハッキングをやっている手合い、それから、泥棒をやっている手合いが、警察である可能性を、私はすでに悟っていますが、それを私が口外するかどうかを警察は、知りたいのです。口外するつもりなら、その前にやっつけて、精神病院にでも入れてしまおうとしていて、その証拠を握りたがっています。または、ブログやフェイスブック等の世界を壊して、私が発言できないようにしようと虎視眈々で狙っています。で、私と彼女の二人が打ち解けて会話を交わしているところを盗聴したいのでしょう。

  それが11月でしたね。私は二ヶ月待ってここに、「通帳でも実印で、それを盗んでいるのは警察です」と、とうとう、公開しているわけです。どうして公開したかというと、高橋真樹という女性に怒り心頭に達したからです。金田裕子さんと、瓜南直子さんには子供がいないでしょう。二人の年齢とフェイスブックへの打ち込み方を見れば、それはすぐわかります。50前後で、子供がいて御覧なさい。大学受験のこと、就職試験のこと、恋愛の成就のこと、結婚をするかどうかのこと。親は、心配して待っていることが何件も合って、フェイスブックでちゃらちゃらなんか、絶対にしていられませんよ。

  もしそれでもやっていたら子供に将来問題が起きるでしょう。結婚をしても離婚をするとか、会社を辞めるとか・・・・・肝心の時期に、親が控えめにしない家では、後日、大問題が起きてくる。
  そういうわけで、フェイスブックをやっている女性は、子供のいない人が多いでしょう。または、子供が小学生未満とか、すでに成長して家を出てしまったとか。で、中学や高校時代の子供を持っていてさらに、フェイスブックでちゃらちゃらしているお母さんのいる家では将来必ず、子供に悪い変化がおきるでしょう。それは私が何かを復讐するということではなくて、自然の成り行きなのです。どういう成り行きかというと、「ひと粒の麦、もし、地に落ちなば」という言葉があるように、親というものは、子供を育て上げるためにはいったん死なないといけないのです。それが人間という種が、つぎの世代を育てるということなのです。一年か二年で子供が成育するので、親が子供(特にオス)を追い出すことができるライオンなどとは、違うのです。一緒に18歳~時には40歳ぐらいまで、一緒に暮らす現代社会では、両方が、『主役を主張していては、子供は生きていかれません。だから、親は仮の死を装って、
一回後ろに引っ込まないといけないのです。外へお金を稼ぎに行っている人は、死方が無いけれど、母親の方は一回仮の死を迎えないといけないのです。それなのに、母親が、威張りまくって、近隣社会で、名誉や地位を得て御覧なさい。必ず、子供が失敗して、予測どおりには育たない、とんでもないことになる。安心して孫を抱いていますという老後は訪れません。

  ここで、おせっかいながら、お子様のいない女性に忠告をしておきたいです。というのも、瓜南さんと金田さんが、二人組んで、次から次へといじめ作業をしてきたから、それをやらせないがためにも、気がついたことです。

  いや、おやりになってもいいのよ。いくらいじめても、だけどね。私も、『こりゃあ大変だ』と思いましたから、きゅうきょ銀座の画廊街を捨てました。となると、非常に自由になるのです。たとえば、シロタ画廊というのがあります。それを考えると「柄沢斉についてはいえないことがあるわよね」となります。そこから敷衍して、石塚雅彦さんについてはいえないわよねとなります。柄沢斉は、日経新聞が総力を挙げてサポートしている版画家ですが、
  石塚氏が裏で、私に対して何をやっているかについて書くことが自由になるし、フェイスブックがあれまくった影に、古村浩三氏のテクニックが利用されたであろうことも遠慮なく言えるようになるのですから、損失ばかりでもないのです。
  しかも、瓜南直子、および、金田裕子のコンビ、および岩手で突出しtいじめ役を果たした高橋真樹について、タネがなくなったら、御近所主婦について書けばいいのです。彼女たちについては、すでに、単行本6冊ぐらいのタネは手に入っています。

  その上、こちらは天の成敗が着いている分野です。まず、石川和子が死んでいます。自然死なら神様に叱られたということだし、他殺だったら、「ほら、ほら、あなたの実力以上に持ち上げられて、名誉やお金を鎌倉市の税金から掠め取った挙句に、舞い上がりきって大失敗をしたら、トカゲの尻尾きりで、殺されるのですよ。面白いわね。本当に客観性のない人間はどうしようもないのね』と言って置けばいいわけです。明瞭にして簡単極まりない。

  そして、鎌倉の世界遺産登録です。これも、大エージェント、伊藤玄二郎を守り育てるために、ユネスコは許可するでしょう。だけど、鎌倉自体が荒れ果てるでしょうね。
  今、小町通りは無法な工事のおかげで、タクシーで通っても、がったがたです。あれと同じことがありと、あらゆるところで起きるはずです。伊藤玄二郎がかもし出す汚い精神に覆い尽くされて、魅力を自ら失っていくでしょう。

  でね。ともかく、子供さんのない女性は、御自分がまだ知らない世界があるということを自覚してほしいのです。それは、子供が居ると、絶対に我慢をするレベルが深いので、相手が引いたり黙っているときに、それを弱いと誤解をされないことです。相手はあなたを馬鹿にするから黙って、身を引いているかもしれないのですよ。御自分が知っているレベルよりはるかに深いレベルで我慢をしているかもしれないのです。それを11月に示したのに、ずいぶん後まで、瓜南さんも金田さんもいじめを行ってきましたね。

  そして、高橋さんも二回も同じことをやってきた。子供がいるくせに、恐るべき攻撃意欲です。ともかく、人をいじめると自分へ帰ってくるし、その苦しみはもっとも大切な子供に現れることもあるのです。それをたいていは知っているので、普通の人は、子供がいる限り残酷なことをしないのですが、なぜ彼女はやったのか? 影にどういう教唆があったのか? 知りたいと思っています。ずっと、追跡していくでしょう。

  ところで、警察がいじめを率先して行い、教唆も行い、泥棒も行ったとして、どうしてそうなるかの原因については口をすっぱくして繰り返しておかないとなりません。

  私の猫をめぐって、石川和子と、柳沢昇が警官を呼んだときに、やってきた警官が青ざめたのは、この近所に起きているアジサイ畑欺モウ事件の存在を彼らが知ったからです。『それじゃあ、猫のことで、川崎さんを責めている場合じゃあないのだ』とはっきりわかってきてね。青ざめながら去ったのですよ。しかも、調書をコピーして返す前に彼らは遁走していました。どうして、あんな、おかしなことを警官がやったかといえば、推理は簡単です。

  柳沢昇と、石川和子が、自分たちは、鎌倉の有力者、伊藤玄二郎の親しい人間で特権階級であると警官たちに思い込ませたからです。
  それと平行して、この私の住んでいる雪ノ下2-3の山の中で、リンチとみまごういじめ事件が多発していることも言わないとだめですね。この27年間、引越しが多発しています。
  住民が少なくて、たこつぼ的(つまり、やくざが経営する建設現場の飯場みたいな、というか、中学の番長のいじめみたいなムードが蔓延しているのです。そういう力関係支配に、ながれやすい主婦軍団のうちで、安野夫人、石川和子、前田清子が特に悪質です。ここで、どうしてそうなるかというと、安野夫人がいわゆる略奪婚の結果の女性なのですね。それは、暮らしぶりを見ていて、というか、見せ付けられるものですから、私がここへ引っ越してきた直後一ヶ月以内にわかりました。とても特殊なありえない暮らしぶりの人なのです。中学や高校の子供が三人も居るのに、一日に、2時間ほど、御近所主婦を集めて、井戸端会議を主催して、御近所主婦の間に、上下関係の順列を作ろうとしています。
  これが、賢い主婦ならありえない発想なのです。ともかく、これからわが子に種々の通過儀礼が着ます。大学入試、就職、結婚、それらに対して、ただ、見守りつつ待たないとダメなのです。待つということがとことん疲れるのですよ。それで御近所様と遊んでいる暇などないのが普通なのです。そして、そういう井戸端会議は、子供が小さいころに、ほとんどが、済ませているものなのです。公園デビューとか、幼稚園のお出迎えバス停での、お話し合いとかでね。そういう中で、御近所に好きな人が居るとは限らないとか、ご近所だけに期の合う人が居るとは限らないと気がついていて、ご近所にはこだわらないとなっていくのが普通なのです。
  それが、異常にこだわって、順列を創ろうとする。もちろん、その真の目的は自分がほかの人を、うまく、支配していく点にあります。どうしてそんなことが必要なのだろう。都会で、そんなことを御近所様同士で、やったら、生きていかれなくなるのにと、ある程度以上にベテランになっている子供が中学時の母親なんて、思うもので、子供が学校へ行って暇な時間があれば、公民館とか、PTAのコーラスにでも参加して、暇つぶしをするとか、編み物教室に参加して、そこでおしゃべりをするというのが、生きる手法なのですよね。
  それが、この地域社会にはない。

  で、「安野夫人はともかく、子供のことは一切気にしていない。ということは子供の実母ではない。だけど、継母特有の雰囲気もない。ただ、勝気さだけが見える。ということは、略奪婚なのですね。だから、ママは母だともいえないのだ。と、どんどん、わかってくるわけです。
  だって、彼女たちの争いが、紛糾して、その結果、引っ越してきたばかりの我が家は、みんなどこに家でも持っている花畑を、何の落ち度もないのに、コンクリートうちをされてしまうのですよ。その上、山も崩されてしまいます。怒りが沸騰しますよ。で、それ以来黙っているが、常に、連中を観察しています。特に声が、大きくて家の中で静かにしていても全部会話が聞こえるので、御近所主婦のキャラクターは全部わかっています。

  ここで、お説教的な、挿入に入りますが、『あなたが、現代日本社会の住人だったら、絶対に、個人的な欲望を満開させてはいけませんよ』ということをお伝えしておきたいです。安野夫人は高卒で、銀行か何か、高卒の女性が勤める先としては、優秀なところにお勤めができた賢い女性だと思いますが、私なんか、引っ越してきてから、一ヶ月もしないうちに、そのご家庭の裏側が全部見えてしまいました。
  彼女の性格や行動を嫌がって、私が、知っている限りで、9戸の住人が入れ替わっています。それは、ある家では三回入れ替わったなどということをプラスしていますが、それでも、異常な一帯であることは確かです。
~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『通帳の盗難と、横須賀市における大規模な土地をめぐる詐欺事件の話』

  この三人を裏から操作して、特に私をいじめるように使った、瀬島龍三の存在があります。
  瀬島龍三がなぜ、私をやっつけたいと願うかというと、それは、横須賀市、根岸町、2の103番地近辺に広がる、大マンション群(京急北久里浜駅の東側の岡に立つ)の土地取得に関して、大きなスキャンダルがあるのを、私が一種の目撃者として知っているからです。NHKも、各新聞社も、こっちを取材なさいと言うほど、悪辣なこと、・・・・・つまり、横須賀市の水道局が使っていた山全体を、いつの間にか私有地にしてしまった、地籍変更届を利用した大規模な詐欺事件が隠れているのですが、それを、私が当時そこに住んでいて、詐欺に巻き込まれそうになったので、防衛上すべて、知ってしまったということがあります。1980年にそれをやったのは名義上は中野某であり、実質的な指導者は、益山某でしたが、その増山某は、元海軍参謀で、元陸軍参謀の瀬島龍三とは親友の間柄でした。

  その横須賀市根岸2-103の土地から私が引っ越して観察をやめた後で、瀬島龍三はさらに詐欺を大きくしていき、ついには横須賀市の、水道山はすべて、大検産業(益山某氏と中野某氏の会社)と、伊藤忠何がしの所有する土地になってしまっているのです。その裏側に何があるのか、大体想像ができますが、ここでは、逐一を見ていませんので、最終的な事実だけいっておきます。
  ところで、そのマンションから駅まで、大体五階分の高低差があり、それを、エレベーターで、上下するようになっているのですが、それを自由には変えないようにしてあるのですって。変でしょう。つまり、私、川崎千恵子にはそれは、「売らない」ということでしょう。でないと、悪辣な秘密がばれてしまいますから・・・・・
  この件も横須賀美術館の開館と、その所蔵作家として、島田章三氏の優遇の問題とか、さまざまに『私だったら、その裏が読めるわ』ということがありますが、ここでは触れないでおきましょう。

  結構なパーセンテージで、瓜南さんを動かしたのは、島田章三さん、もしくは島田鮎子婦人だったりして・・・・・?????

  その360度の眺望を誇る、大マンション群は、全棟で、売値としては、数十兆円に上る利益の上がるものであり、土地代がただだだとしたら、目撃者である川崎千恵子を壊滅させる、運動資金など、容易に出てくるでしょう。でもね、莫大に小町通の工事などの無駄な工事を、私の出没する先先で、行う費用まで、伊藤玄二郎と、瀬島龍三が出しているはずは無くて、したがって、彼らは、ずるいずるい自分たちを守るために、めちゃくちゃなレベルで、公費を無駄遣いをしているわけです。
  結局、結論を言えば、伊藤玄二郎 が特別に出世をさせられたのも、彼の元(?)愛人が、私の鎌倉の家の御近所に住んでいて、 集団いじめの手先として、利用できるからでした。

  その伊藤玄二郎の出世パターンは、北野武監督のそれとそっくりコースが同じです。そこからも、瀬島龍三をトップとした、国際的・軍産共同体のエージェントたちの行動様式が手に取るように私にはわかってきているわけです。瑣末なことを書いて、まるで、御近所の愚痴を言っているように見える私の文章が、極めて力を持っているのも、そこまでつながっていて、しかも私がそれをすべて見抜いていることが重要なのです。

   ところで、数時間だけ、鎌倉警察署の『子供を守りましょう』キャンペーンというタイトルにしていたと思います。しかし、そこまで論点を進めるエネルギーが本日は残っていません。その上、字数も一万字に近くなりました。で、本日はここで終わりとさせておいてくださいませ。
   後で、誤変換を直したら、署名を入れます。
   一部、を、22日に書き、一部を24日に加筆する。
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三菱銀行・鎌倉支店  通帳盗難 (政治100%)

2012-02-24 06:27:38 | Weblog
6ヶ月前に実印、銀行印、金庫(銀行)の鍵が盗まれました。そして、この5日間で、重要な通帳が三通盗まれました。そういう現象の狙いは、鎌倉の各銀行の支店に、私が<ひどくだらしがない>と言う印象を与えることでしょう。さまざまな形で、先に悪口を言って歩いていて、その後でそれにふさわしい証拠を作っていこうというわけです。私は各銀行の支店にすでに、三回は「印鑑がなくなりました」とか、「通帳がなくなりました」と、届け出をしている一種のとんでもない困ったチャンです。が、そういう悪意ある諜略行動にも負けないで、平静な自分を保持し、文章を書き続けています。ずっと音楽の話でしたね。これこそ、セルフコントロールの極致です。パニックに陥らず、また、すぐ復讐習をせず。そんな自分に対して、深い誇りを持っています。誰がどう誤解しようと、毅然として、わが道を歩くのみ・・・・なお、したには、一切の政治的な文言が入っておりません。そこが、言うにいえないところであり・・・・

  そういうわけで、相当に苦しい時期もあったにはあったのですが、それでも、毎月13万円は使える体制にはあったわけです。で、私の場合は、敵様が考えるほど、貧窮してはいないわけですが、それでも、銀行が弾圧とか、いじめように、使われたケースは数多いのです。  
  で、二つ目は、三菱銀行様の方から、不思議な電話がかかってきた話を、させてください。すっからかんの時期もあって、母が毎月活動費を援助してくれている時期もあったのですが、そういう時期も耐え忍んでいるうちに、また、母から遺産が入ることとなりました。まあ、必死で、この国を守ろうとしている私には、こういう形でいいことも訪れるわけです。でね、一部を外貨預金にしようかと考えました。父が死亡したときは、母の勧めで、オーストラリアドル預金をしました。が、最近の私は本当に忙しいので、金融商品のフォローなんかやっていられないので、アメリカドルで、貯金をすることと決めました。遺産のごく一部です。が、アメリカを批判しているからこそ、ドルには、関心が薄れないだろうと思ってそういたしました。普通口座は、2011年の3月18日に開き、定期の口座は、7月に開きました。その、定期の口座を開いたトタンに、猛烈な円高が始まりました。『まさか、私をいじめるために円高にしたのではあるまいね』とは思いましたが、社会外交的に、それほど、急激な円高を招く要因が無かったので、結構それが正しいかもしれません。それほど、自分の書くものがニュースを作り出している、または作り出していくことには、ほかにも多数例気がついていますし・・・・・
  でも、そんなことは他言をするべきことでも無くてね、ただ、ひたすら、沈黙をしていて、そして、ほうったらかしにしておくわけです。そして、その間、銀座で相当数の絵を買いました。お互いに互助精神を発揮しようというわけです。私だって個展で、絵が売れればうれしいからです。2011年は、ずいぶんなレベルで、絵を買いました。月平均にして、4,5万円になったでしょう。
  で、円高を気にしないでいるのに、三菱銀行から、去年の11月か12月に電話がかかってきて、「円高差損を、防ぐ工夫がございます。この件についての御相談は、三時過ぎでも承っていますから、ぜひ、お電話をいただいた上で、御来店をくださいませ」というのです。驚きました。私の周辺にはすさまじいレベルで、大金を動かしている人たちもいて、一口6千万円単位での投資が、どうのこうのという話も聞いていますから、・・・・・そういう裏口もあるのかな?と、一応はお話を最後まで聞くことにいたしました。
  その時点で7、80万円ぐらいの損はしていましたので、それが、回復できればうれしいと思ってね。だけど、真一文字に信じたわけではありませんよ。電話はひどい引っ掛けが行われるわなの一種ともなっているからです。昨日2012年の2月20日に鎌倉駅の公衆電話からかけた主人相手の電話では、数秒待たされた挙句に電話口にベートーヴェンの田園交響曲がなったのです。これは、私としては大好きなメロディではありますが、我が家には今は、CDはないです。だから、主人が聞いているはずもないです。こういういたずらもされます。しつこく何度も電話すると主事が出ましたけれどね。電話って、今はスパコンを使っているから途中で、切り取って、別のところにつなぎ、こういういたずらをするのも容易なわけです。

  で、三菱銀行さんからのうまい話というのにも、私は、簡単には乗らないわけです。で、ていねいに聞いていると、その救済措置というのは、三菱銀行の内部でやるのではないのですって。つまり、お客の外貨を、別の会社に移して、そこが、投資信託をして、りえきをあげ、その利益還元によって円高差損を、挽回させるそうです。私は昔から、投資信託というのは大っ嫌いです。自己責任が問われないし、それだけ、こちらが馬鹿になったような感じがします。三菱銀行の普通か、定期かで預けておけば為替差損は、自己責任です。が、投資信託となると、こちらのあずかり知らぬところで、全額がゼロになってしまう可能性もあるのです。
  その、振り替え先が、投資信託であると聞いたときから、『おや、おや、相当に怪しい話だ」とは思いましたが、三菱銀行が優良のお得意さんを、どういう風に優遇をするのかを、知りたくて、その別会社の名前と、上場場所を聞いたのです。それによって会社の信用度も大体が、わかりますから。
  ところが、驚いたことに、その会社とは、三菱銀行の子会社ではなくて、まったく別の会社で、しかもアメリカ資本の会社なんですって。
  アメリカの銀行って、普通の顧客には通帳させ渡さないのですよ。ひじょうにわかりにくくて、お客を馬鹿にしたシステムのところが多いのです。しかも銀行ではない、単なる投資コンサルタントに毛がはえた程度の会社を、紹介してきたのです。

  そのときに、内心でずいぶんと怒りましたけれど、それでもね、相手をしかりつけることはしないで、「はい、はい。だけど、お願いしないと思いますけれど」と言って電話を切ったのです。でね、不信感が強く涌きました。

  その後、実印と銀行印と、銀行の金庫の鍵が盗まれていることを発見して、『何だ。これに気が付かせようとして、ああいう電話がかかってきたわけですね』と納得をした次第です。でも、三菱銀行鎌倉支店が、一種の使いっぱしりとして、私を脅迫をするために、利用をされたのは確かでしょう。そういう素地があった上で、この20日の月曜日に、この三菱銀行鎌倉支店の、驚くべき悪意に、再び接することとなります。

三菱銀行鎌倉支店・・・・・3

  最近の私が、書いているものが、真実をうがちすぎるので、核燃料を日本へ入れ込め、日本人を実験動物としてしか扱っていない、例の国際的軍産共同体の連中は戦々恐々としているわけです。特に、フェイスブックの会員を具体的に使った弾圧にも触れ始めていますのでね。何でもかんでもやってやるという悪意むき出しで來ています。
  それが、現役の通帳三冊が、この一週間以内に盗まれた現象として現れたわけです。で、最初に言ったように、この狙いは、私がとても、困った、かつ、信用の置けない人間であるとの印象を各銀行の鎌倉支店に与えることですから、防ぎようがないのです。で、私もね。あまりにもたびたびなので、居直ってね。電話で処理をできるところまで電話だけでやってしまいます。電話をかける労力とか、再発行の手続きの労力、また、再発行の諸費用、すさまじくも面倒ですが、最初期のようにはパニックには陥りません。実印、銀行印、銀行の金庫のカギが盗まれても、三ヶ月もほうっておいたほどです。その11月の被害の修復に取り掛かっている最中にまた、新たな被害が、起きたわけです。
  ところが、三菱銀行の鎌倉支店になかなか電話が通じない。まるで大手のプロヴァイダー各種みたいに番号をあれこれ選べとか、シャープを押せとか、半年前までは無かったシステムが面倒にも採用をされています。
  まあ、それは、一般的な誰に対しても行われる措置であり、改変であるとしても、その後の行員さんのせりふは、驚くべきものでした。シンドウさんだったと思います。彼女の言うには、「川崎さんの通帳は、四冊とも全部失われたとの届けが出ています」というのです。が、私は、この二月の16日にはそのうちの二冊には押印、決済をしてもらったばかりなのです。今、手元にありますから、紛失届けなど一切出していません。
  でね、私はすぐ、こういう悪意ある言質の狙いがどこにあるかはすぐ、推察に入るわけです。すると、外部の誰かから、支店長は、教唆をされて、行為言動をとっているということがわかります。その連中が盗みもやっていますね。別に一人でやっているわけではありません。昔の言葉でいうCIAとか、瀬島機関とか、革丸等の闇の組織でしょう。が、その闇の組織が、表社会のエリートである、三菱銀行鎌倉支店の支店長を教唆利用して、こんなちゃちな脅かしを掛けてきているわけです。

  これは、本当に何度も言っていますが、鎌倉には、例の国際的軍産共同体のエージェントが二人いて、そのアイデアの貧弱で子供っぽいこと、あきれるほどなのですが、いつも、そういう子供っぽい幼稚さで、いじめてやれ、いじめてやれと、来るわけです。本当に頭の中は、クソが詰まっているのでしょうねというほど、幼稚なのですが、それに、東大か、早稲田慶応卒である、三菱銀行の鎌倉支店長が乗せられてはいけませんよ。絶対にいけません。

  デモね、この時点で最初の電話をかけてから、1時間はたっていますので、電話を盗聴しているその闇の世界の人間が、またこれらの奇妙奇天烈なかつ、ばかばかしいアイデアを捻出して、銀行の支店長へ、命令をしたのでしょう。
  で、私は怒って、その女子行員シンドウさんへ向けて、『いつでしたか? 日付を教えてください』といったのです。すると、相手は、「それは、わかりません」というのです。私ものすごく怒りました。怒髪天をつくといってよいほど、怒りました。『あのね、お待ちしますから調べてください。それから、この16日の午後三時ごろにお宅の、千代田さんに、それは、決済印をもらっていますから、この電話を千代田さんへ転送してください」と言ったのです。すると、まあ、育ちのよいお嬢様であろう、シンドウさんは、その電話を転送はしたのです。

  で、私は千代田さんに、向かって、その日に交わした個人的な内容、つまり、千代田さんは、その珍しいお名前にもかかわらず、横浜出身だとのことを、思い出してもらったのです。で、その日、彼女の目の前で、4冊の通帳のうちの2冊は見せたわけですから、四冊とも紛失しているという届けなど出しているわけもないのです。それを思い出してもらった後で、一回電話を切って、こんどは、支店長に面会を申し込みました。

  それを取り次いだのはイヅツさんです。だが支店長は、席をはずしているとか言ってらちがあきません。私は午後4時50分には絶対に訪問をして、ATMのインターフォンで,呼び出して面会をするつもりでした。その準備をしている段階で、千代田さんから電話がかかってきて、「シンドウが間違えておりました」とのことです。それで、一応イヅツさんに再度電話をして、一応支店長との面談を取り下げることにしました。が、今度はイヅツさんまで逃げ腰で、席をはずしてリ宇野だそうです・。なんと言う幼稚さ。幼稚園児ではないでしょう。三菱銀行鎌倉支店さま、あなた何考えていらっしゃるの?  と、お問い合わせをしておきます。公開質問状の一種です。
  ともかく、この泥棒と、銀行が、結託をしているのは確かですね。特に三菱銀行がひどいです。まあ、文章の内容も常に30%以内で抑えておきますと宣言しております。だから行動も押さえておく、部分があります。が、あの日、支店長と、面会をしてしまった方が良かったでしょうね。そうしたら、観察眼鋭い私ですから、裏から教唆をしたのが誰かは、大体白状させてしまったと思います。ほんのちょっとの、顔の表情の変化だって読み取りますから。

  そして、これほどのことを書いていても、これでも、こういう悪辣な泥棒の件についてその全貌のうちの、40%も書いては、いないのですよ。あとの60%はまだ残しておきます。

  月曜日と木曜日に必ず、小沢一郎氏が、テレビに出る。その理由は。-1

  私は現役の良く使っている通帳が三冊もこの一週間に盗まれて、それが何度目かのことなので、20日の月曜日にさっさと電話でできるところはそれを処理してしまったのです。こういうことは珍しいです。ここ、五年間に似たようなことは何度も起こり、まず、自分の不始末かと、考え込んで探している時期もあったし、こういうものではないもの・・・・特にUSBメモリーちおっぷとか、PCの電源アダプターの類はこっそりと返してあった(ただし、段差の影とか、敷居の裏とか、とても気が付きにくいところだけれど、ともかく帰してあったこともあるので、私は、なかなか、簡単には、行動に移さないのです。そして、とてもおかしな形で、鎌倉市役所とか、逗子警察署に届けられるケースもあるのです。それもまあ、聞いてみるとまっとうは理由もあることはあるが、50%はなんか怪しいなあと思っているのです。それでも、それを押して京都旅行をしたのは、そういう連中の支配に、100%屈しているのも悔しいからですね。でも、京都でも、目の前で、地下鉄四条河原へ降りるエスカレーターが、止まっていて、一緒に居た、京都のおばさんたち、・・・・バスで仲良くなった・・・・も変だといっていましたが、そのエスカレーターが、止まるというのが、本日、日吉駅でもあったのです。
  これのアイデアは生きているうちの井上ひさしから出たのか、瀬島龍三から出たのか、それとも伊藤玄二郎から出たのか、はっきりしませんが、<<<または、JRをいいように支配できている革丸の成岡庸司君から出ているのかはわかりませんが>>>、ともかく、泥棒が入るがゆえに、貴重品を必ず、身辺に持って歩く私が、荷物が多いので、通商ころころと呼ぶアテンダントバッグを使用しているからこそ、『これで、いじめてやれば有効だぞ』と、やってくるいじめのサインであって、「お前が、本日、東急の日吉駅を利用することはわかっているのだぞ』と敵さまは、言いたいわけです。
  これは、どうして、そういう風にわかるかというと、私が、20日の月曜日に電話をかけた銀行が、三つあって、そのうちのひとつを、22日の水曜日に処理しましたので、後の残りの二つは、木曜日に処理するだろうと、敵様も推察しているわけですね。
  で、二つ目の湘南信金鎌倉支店を訪問したわけです。午前中に、主人に「今日は私を優先的に、外出させてくださいね」と頼んで。さて、20日の電話内で、三菱銀行のコールセンター職員を名乗る、シンドウという女性からひどい嘘を言われて、抗議をして、支店長と会いたいといったら、15分後に向こうから『こちらが、間違えておりました』と言う謝罪の電話があったので、支店長との対面をあきらめたと、申し上げてあります。

  なお、これには続きがあります。お待ちくださいます。
   また下には、昨日深夜揚げた別のエッセイも入っています。
    
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My Way と、長崎の女・・・・・いじめをすっきり覆す話

2012-02-23 09:51:08 | Weblog
副題1、『My Way (フランクシナトラが、唄う)・・・・PTAという政治の現場に巻き込まれてしまう』

  23歳から56歳までの私は主体性ということとは無縁でした。世の中には今でも似たような生活をしている女性は多いと思いますが、子供が生まれると、いろいろな面で制約を受けて、自由がなくなります。今、私がフェイスブックでお付き合いをしている人たちは表現者としての自分を確立している人が多いので、その点である程度以上に幸せな人たちだと感じます。が、そういうことができない、おさない子を抱えた母にとって、学校とか、幼稚園で、子供がいじめられるということほど、恐怖の体験はありません。私はね、自分自身が先生にいじめられたり、友達にいじめられたりしたことは、あります。だけど、それを、今書こうと思うほど、それは、辛いことでもなかったのです。だけど、まだ4歳の娘が幼稚園の担任の先生にいじめられているのを知ったときほど、恐怖と辛さを味わった時期はありません。
  毎週、毎週、娘が『ぞうり袋の名札が、取れていると、先生に叱られる』と、土曜日に半べそで、私に訴えます。それは、洗った上履きを入れて、月曜日に幼稚園に預けて、土曜日に子供が汚れた上履きを入れてかえる、ビニール袋に、縦5センチぐらいの名札ウィンドーがついている形式です。で、無論のこと、私が名札を入れ忘れるはずがないので、不思議に思って、ある週だけ、両面テープで、名前を書いた小さな画用紙の裏をとめておいたのです。
  すると、その週は、土曜日に、ちゃんと名札がついた形で、ぞうり袋を持って返ったのですが、小さな画用紙の上に、斜めに爪で引っかいた跡はありました。想像通り、先生が、いつの間にか爪で滑らせて名札を取ってしまい、その上で、娘をみんなの前で叱るのでした。恐ろしくも汚い心の先生だったのです。目が意地悪そうで、人相からして嫌いでしたが、予想通りのひどい先生でした。

  このときは、どういう風にこの苦境を逃れようかと悩みに悩みました。
  ともかく、原因は、複雑でした。先生自身の家庭が乱れていたのです。それは二年後に先生の坊ちゃんが、高校受験に失敗するという形で、地域社会中にうわさが広まって、私も知るところとなりました。神奈川県では、高校はほぼ全入に近くて、子供が高校へ行かれないというのは特別なことだから、地域社会中のうわさになったのです。原因は、家庭内別居かな。または、お父さんが、家出しているのかな? で、その手の隠されたストレスを、優しい人であり逆らわないであろうと先生の方が見ていた私に、一手にぶつけてきていたのです。それから、これは、言いたくないのですが、もうひとつ原因があって、それは、私にどうも、魅力があるらしいということです。先生方というのも、自信が無くて、母親に嫉妬することがあるのです。それは後日、べつのお母さんが別の先生に親子ともいじめられているケースを傍見して、『実際に、あるのだ』と、納得をしました。その、先生の方が気にして嫉妬するポイントは、出身大学の名前(入試偏差値の高さのこと)だったり、そのほか多種多様なのですが、ひとつ、確実にいえるのは、お母さんの方になんらかの輝きがあるといけないみたいです。でも、わかいお母さんは無理をしなくても輝いているものですから、これは、母親の方にとっては、防衛するのは、至難の技というものですが、ともかく、何かで、目立つ優越点のある、お母さんは先生に嫌われることがあるのです。
  私はね、劣等感の強い方で、徹底的にじみ目に暮らしているのですが、どうしてか、何かで、目立つ華やかさがあるそうで、女性からいじめられたことは数多いのです。そして、このときの娘へのいじめも、やはり、10歳ぐらい年上の先生の私へのなんらかの嫉妬が原因だと、今はわかるのですが、分析をいくら重ねたって解決のしようが無くて、これほど、辛いものはありませんでした。
  しかも当時、娘は遠視が強いので、横浜市大病院へ、矯正に通っていて、週に三回早引けをしなくてはならず、そのたびに現場で、そういういじめの現象を見るわけですから、辛さもきわまります。ただ、娘が結構けろっとしていて、今でも、当時も、愚痴も言わず、へなちょこにはならなかったのには、本当に助かりました。
  ああいうケースで、苦難を、解決をするためには、引っ越す以外にないと思いますが、年子で、長男が同じ幼稚園内にいて、そっちの担任には問題が無くて、その子は移転をさせられないとなると、本当にがんじがらめで、進退きわまりました。
  で、仕方がないので、週に三回行くうちの、一回は菓子折りを持参することとなりました。迎合して下手に出たわけです。すると、お金持ちと誤解をされる方の、目立つお母さんのほうになりますよね。それで、次の年、に、PTAの会長に任命されてしまいました。
  これもまた、たいへんに困ったことでした。大幼稚園で、園長は金儲け主義です。で、26人もいる先生方の夏冬のボーナスを、PTAは、バザーで稼ぎ出さないといけないというシステムになっていました。子供の数が少なくなったいまどき、そんな変なシステムがあったら、すぐ 悪評が立って、つぶれると思いますが、あのころはベビーブームの時代で、新興住宅地では、幼稚園側が売り手市場で、威張っていたのです。
  で、26人いる先生に今のお金にして夏に五万円、冬に五万円のボーナスを出すとして、260万円を利益としてあげるバザーを、取り仕切るのがPTAで、その全責任が私にかかっているわけです。バザーって不要不急のものを売るのです。刺しゅう入りのエプロンとか、刺しゅう入りのバッグとかを売るのです。またはお汁粉とか、おでんとか。
  幼稚園バスで生徒を集める仕組みですから、バスの便もない不便なところに、御父兄に、来てもらって、一家で、一万円以上の散財をしてもらわないと、総売上が、500万円を越えません。必死のバザーです。私は平役員だった前の年に、『どうして、そういうことが、特に儲けるべき金額が、ハナカラ決まっているのですか?』と質問をしてしまっていました。これは、ごく当たり前のことです。クラスに40人以上の子供がいて、毎月一万円以上のお月謝を取っています。上手に運営すれば、ボーナスはお月謝から出るはずです。『何か忌まわしいからくりが、裏に、あったのですが、それに御父兄が、気がついてしまうと、困る。だから、彼女をまつり上げて、トップにしてしまい、かえって、それで、発言ができないようにしてやろう』という目的で、会長にさせられたのでした。
  で、実質上は会計の人にすべてをやらせて、私はお飾りで、いわゆる無能の人扱いになりました。悔しかったですが、前の年の、娘が担任にいじめられているという足かせもあって、その流れの中のことなので、逃れられないくびきとして、辱めをうけつつ、おかざり無能PTA会長をやり続けたのです。
  で、この恥を何とかしてそそごうと考えました。前の年に、どういう風な打ち上げパーティがあるかを知っていました。大変派手なものです。コース料理が振舞われ、プロのギター弾きがきて伴奏してくれる中で、お歌自慢が歌います。
  私は、せめてその席でがんばろうと誓いました。『お歌なら、うたえるはずよ。娘のためにも、お母さんが、地域社会の中で、劣った人だ、という評判だけで終わったらダメでしょう』と思い、ひそかに練習を開始しました。
  私は楽典のことは、とてもよくわかっていて、誰に習わなくても、伴奏用和音のつけ方は、わかっていました。で、右手で、ピアノでメロディを弾き、左手で、伴奏用の分散和音をつけながら、どんどんどんどん、お歌を練習していきました。これもまた、三ヶ月ぐらいです。
  何か、ひとしごとを、まとめるのには三ヶ月は、必要にして十分な期間であるようです。秋のバザーが終わって練習を始め、打ち上げごろには、なんとかMy Wayがマスターできていました。その歌詞は、とても、素敵でした。自分の気持ちを、ぴったりと、代弁してくれていました。
・・・・・私はひたすらに努力をしました。そして、ずるいことはやりませんでした・・・・・と、言います。絶好の歌でした。で、私は英語の歌詞と、日本語の歌詞を必死で暗記しました。

  しかし、パーティの当日、その歌はお客様には、受けませんでした。盛り上がりませんでした。大失敗でした。さあ、どうなる、川崎千恵子さん。・・・・・『会稽の恥をすすぐ』という中国の故事がありますが、もう、恥はすすげないのです。娘のために思って取り組んだことが不成功です。さあ、さあ、どうする千恵子さん。。。となりますが、・・・・この後は『長崎の女(春日八郎、唄う)へ続くとさせてくださいませ。 · 2月19日 2:55
2月19日 3:15 · いいね!

副題2『長崎の女(春日八郎が、歌っていた)・・・・ああ、助かった。芸は身を助けるのだ』

  私は緊張しきって、My Wayを唄いました。ただ、幸先がよくなかったのは、ギター弾きがこの歌を知らなかったことです。私は親戚がレコード会社に勤めていたので、試聴版(ラベルが白いもの)のLPをたくさんもらっていて、いわゆるポピュラーという分野の英米のバラード調の音楽を、たくさん聴いていて、My Wayなど、自家薬籠中のものでした。が、まだカラオケのない当時、横須賀市内を流して歩いているというギター弾きさんは、それを知らなかったのです。
  で、私は「Dです」と言いったのですが、それもわからないみたいなので、彼が恥ずかしく思わないように、小声で、「レファラでお願いします」と、言いました。Dとは、ニ長調の主和音で、レファ#ラで、構成をされています。だけど、そう言ってもなんとも、把握ができないみたいで、もしかすると楽譜は読めないタイプだったのかもしれません。だけど、素敵なヤングママたちの大宴会に呼ばれている人ですから、格好は悪くはない人ですよ。でも、私の言うことがすべて、把握をできないし、歌そのものも知らないみたいでしたので、まったく伴奏の役目は果たしませんでした。それだけで、今の言葉で言えばしらけるわけで、盛り上がりません。

  で、フロアー全体から、冷やかな空気が伝わってきました。「あら、いやねえ。川崎さんたら、まーた、偉ぶって、英語の歌なんてうたっちゃってさー。大卒なのを見せびらかしている。いやあーねえ。実力も無いくせに。ほら、本当の働き者は私たちよ。彼女、それが、わかっているのかしらー」という感じです。

  私は自分の目論見が外れたのを知りました。でも、できるだけさりげない形で席に戻り、できるだけさりげない形で、お料理を食べたり同じテーブルの人とお話を交わしていたりしました。そのうち、次から次へと、マイクがわたり、一応の芸達者ママは歌い終わりました。で、二度目とか三度目としてマイクを握る人がでてきました。

 その中で、誰もが『彼女の前身は水商売だろう。多分、芸者さんだったのだろう』と、思うママがいて、アップの髪を高々と盛り上げ、着物はやや着崩して、そして、演歌を何か歌いました。私はビールの酔いに任せて、彼女の演歌に、乗っていきました。とても、気持ちよくてリラックスのきわみになりました。

  それで、まったくの予定外でしたが、つと立って、下座(上座からは、20メートルは離れている)のマイクを握り、「もう、一曲唄わせてくださる。今度は長崎の女」と言いました。すると、まってましたとばかり、ギター弾きの人が伴奏を始め、私はそれに乗っかって、『恋ーの旅路ーは、』と唄い始めました。ギター弾きは上座にいます。私は下座で歌を歌っています。二人は乗りに乗っています。ということはまず、物理的に皆さんを巻き込むことになります。広くて豪華な宴会場を満たす、春日八郎の長崎の女です。

  これには何のメッセージもこめられないので、私は事前には歌うつもりはまったくありませんでした。が、『あのパーティで、お母さまのお好みは大体、フォークか演歌でしょうね。世界民謡の類ではない。映画音楽でもないかもしれない。もちろんのこと、オペラアリアではない』とは、思っていて、演歌も数曲、練習だけはしていたのです。この春日八郎の『長崎の女』は珍しくもハ長調で、お歌としては全体的に明るいのでした。三橋美智也の歌とか、三波春夫のそれと比べると単純で、かつ弾むような明るさもあるのです。それは、当時の会場にいた若いママたちの気分にフィットする歌だったのでした。私もそれが、わかりましたが、ギター弾きもすぐ、お客さんが乗ってきているのを感じて、とてもうれしそうに、伴奏もさることながら、彼本人が歌いだしてしまいました。
  背が高くて、健康的な感じの男性で、声も素直で艶のあるものでした。

  私は、二番ですでにお株を奪われてしまったわけですが、それを悔しいとは思わないでとっさに、バックコーラスぶぶんを、非常に高い音程で、唄い始めました。そんな場所は練習さえしていないのに、見事にそれは、曲の一部であり、その場で、歌いこなせたのです。で、主役の言葉を言う男性の声にかぶさって、華やかに展開するバックコーラスを私が歌うのです。会場がひじょうに盛り上がってきて、三番が終わると、ギター弾きは一番の歌詞を再びうたい始めました。私は一番はしっかり歌詞を覚えていたので、彼と、ほぼ同じ声量で、下座で唄いました。お母様たちが、きゃーっと言う嬌声を上げたのにも気が付きました。私たち二人は、まるで、『ちあきなおみが歌っていたら、このぐらいに受けるだろう』と思うほどの、大歓迎を受けていました。
  信じがたい成り行きでした。私は狙っていなかった歌で、自分の望みどおりの成果を挙げることができたのです。それはあの『元芸者さんだ』と、みんなが目している特別な雰囲気を持つママの、導入のおかげでした。私は彼女の雰囲気に乗っかって、彼女と、同じように自分の自意識を捨てて、お色気を全開して、かつかわいらしく、忘我の境地で唄ったのです。

  宴会が終わって、狭い階段を通って、ニ階から一階へと皆さんが降りていきました。そのときに私は、腕を触られたり、肩を触られたりしながら、「川崎さんって、私たちとは、ぜんぜん違う人なのね。やっと、川崎さんがなぜ、会長に選ばれたのかがわかった」と、言ってくれる人や、「素敵だったわア」とあこがれるような目つきで言ってくれる人たちに、囲まれていました。 なんとほっとしたことでしょう。『ああ、娘が来月から学校へ行く。でも、お母様方には、誰もいじめる人はいないわ』と思って。
  それ以来、いじめを受けても、『何とか挽回できる』、そして、『きっと、挽回ができるものだ』という信念を持ちました。そして、それは当たっていて、だんだんにいじめを受けないようにもなって行ったのです。
  あれは、本当に、うれしい経験で、そして、『芸は身を助ける』を実感した次第です。三ヶ月にわたるひそかな努力や練習が実った瞬間でした。
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  24日に署名を入れます.雨宮舜(本名,川崎 千恵子)
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『楽に寄す』、『ローレライ』、『イムジン川』(音痴かも知れないという恐怖との戦い)

2012-02-21 14:50:10 | Weblog
副題1、『絶対に人前で、歌えない自分になった理由』
副題2、『楽に寄す(シューベルト)』
副題3、『ローレライ(ドイツ民謡)』
副題4、『イムジン川(加藤和彦採譜?)・・・・(セロ弾きのゴーシュのごとく、歌い続けた1965年)』
~~~~~~~~~~~~~~
副題1、『絶対に人前で、歌えない自分になった理由』

  音楽に対する思い出がうわーんと押し寄せてきた、16日ですが、二つ目のお話をさせて下さいませ。それは、大きなトラウマを抱えていて、人前でうたうことができない私が、どういう風に自己改造をして、ついに、クラス会とか、500人以上の大パーティの席でもしれっとして歌えるようになったかのお話です。それは、複雑ですが、一種の聞くも涙というお話です。でも、辛いことだから克服する必要がありました。し、今その辛い欠点を克服しえていて、それも、従容として死に付くと言うことに役立っていると思うので、ここに御披露をさせていただきます。
  一つ目のラフマニノフのピアノ協奏曲のお話で、先生が助けてくださったと申し上げました。その先生は試験(一人一人が、先生のピアノ伴奏で課題曲を歌う)のときでもずいぶんと励ましてくださいましたが、私は恥ずかしがりやの極致の人で、どうしてもみんなの前で、一人でうたうことができませんでした。私が人前で、どうしても声が出せなかったのには理由が三つほどありました。
  ひとつは小さいころ、居候をさせてもらっていたおじの家で、年上のいとこに、『声がキンキンンしていてうるさいわあ』と言われてしまい、母が気兼ねをして、「声を抑えなさい」と言ったので、自分の声に自信がもてなくなっていたと言うことがあります。
  二つ目は、母が父をからかっていたと言うことがあります。母は父が寝たきりになってからは、献身的な看病をした人ですが、父が元気なころにはしょっちゅうシニカルにからかっていました。そのひとつに、父が大変な歌好きなのに、どうしてか、音痴だったと言うことがあります。父の兄は、音楽好きで、数学の教師なのに独学で音楽科も教えられるようになっていました。が、父の音痴をまずからかって、「千晴(ちはる)は、変タ調だからね」とよく言っていたそうです。おじは明治32年の生まれで、変ロ長調をもじって、父の音痴を、変タ長調といってからかったわけですから、あの兄弟は二人が二人とも、相当にモダンなことが好きな、おしゃれな人間ではありました。
  やがて居候生活は終わり、核家族で暮らすようになりました。が、今度は母が、「お父さんは、変タ調だから」と家の中で笑う現象に接しなくてはならなくて、それを聞くのは私にはとても辛いことで、それによって私は歌うことに対して極端に萎縮していきます。

  父には、職業的な挫折がありました。戦後飛ぶ鳥を落とす勢いのある経済安定本部と言うところ(中央官庁のひとつで、後に経済企画庁と名を変えた)に勤務中に収賄事件がおきたのです。下っ端なので、罪には、問われませんでしたが、大変な苦痛で、友人も職場も失いました。これは、ありとあらゆる物資を自由に買うことができない時代で、経済安定本部が一手に分配していたのです。統制経済といいます。その中で、父の部署は石油(もしくは重油)を扱っていたわけなので、大きな狙い目の場所でもありました。
  父は、失職の寂しさと苦痛を忘れるために、よく、小さな恋人としての私を連れて、都会へ遊びに行っていました。大変おしゃれな人間で、遊ぶことは戦前から大好きで、浅草オペラは、たくさん見ていて、エノケンのお歌を覚えていて、愛唱をしていたのです。「小さな喫茶店」とか。そのころ、東武野田線と言うのは、人も少なくて、そこで、父は立って、良くうたっていました。それは、小学校、一年か二年の私には、恥ずかしくてたまらない現象でしたが、父が大きな挫折を経て、さびしい境遇だったのは子供心にわかっていて、音楽が慰みになっているのは知っていました。それなのに、最大の味方でなくてはいけない母が、「変タ調が、また、うたっている」とからかうわけですから、私は辛くて、辛くて、それで、お歌が大きな、トラウマになってしまったのです。あれほど、からかわれるのだから、音痴って、とてもいけないことなんだわ。自分が音痴だったらどうしようと思ってね。それが、怖くて、怖くて。
  こういうことって、とても不思議なことなのですが、家族ってお互いにわがままになるものなのです。遠慮がないということです。それが、時には、何もいわない、小さな子供の心を痛めきっていても、大人は、気が付かなかったりするのです。

  そして、歌が唄えない三つ目の理由は、どうしてか、『私に両親の期待がかかっているわ。だから、失敗しちゃあダメなのよ』と思いがあって、自分で自分を縛っているのでした。無論、この想像は正しかったのです。日吉と言う地域社会で、一番成績がよくて(?)有名だったわが子に、一家の再生やら、再興を、両親が託して、願っていたのは、ひそかに、自覚をしていて、それゆえに、礼儀正しく、絶対に悪いことをしない子でしたが、面白みは無かったでしょう。18日土曜日 1:42

副題2、『楽に寄す(シューベルト)』

  中学校はお若い男性の先生が多く、雲居先生は紅一点であり、決して威張らないけれど華やかで明るいムードの方でした。そこは横浜国大付属中学です。で、高校は東京へ進学して、お茶大の付属高校へ入りました。こちらの音楽の先生は、岩永先生とおっしゃって寡黙な方でした。が、大正生まれの女性としては、非常に、知性にあふれたお顔をなさっていて、骨格はしっかりした背の高い方なのに、やや、やせていて、女性としては地味な方でした。中学時代の雲居先生のように、内面からあふれるエネルギーがあるとも見えませんでした。が、個人的に、ひどい抑圧を内面に抱えている私には、先生の寡黙さの中に、何かを感じて『素敵な雰囲気の方だなあ』と思っていました。無論芸大出身です。

  ところがある日、音楽室で、驚くべき話が出ていて、私は、嘘だろうか、本当だろうかと悩むこととなります。それは、こちらにも音大進学志望のお嬢様がいて、その人がやはり、情報通であり、ほかの人へ披露をしてくれた話なのですが、『岩永先生は、失恋をして自殺未遂をなさったので、声がつぶれたのよ』というものです。このお友達のその後を語って、彼女を弁護すれば、お茶大の付属って、日本一のお金持ちとか、日本一の官僚の娘とか、大臣の娘とか、生まれたときから銀の匙をくわえて生まれて来るお嬢様が多いのです。で、挫折を知らないので、残酷になってしまうケースもあるのでした。
  彼女はその後、お子様に恵まれなかったり大病をされたりしたので、ものを深く考えたり、表現も慎重になっていくのです。だから、今、こんな話をしたら、「まさか、私がそんな話をした覚えはありません」とおっしゃるとは思います。が、少女期には、あらゆることに恵まれた人特有の、ある種の残酷さがあったのです。

  私はその話を聞いて、岩永先生に深い同情心をもったし、自分の裏側にある家族が抱えているどうしようもない悲しみもありましたので、何もお話をしていないのに、岩永先生と心が通う感じはありました。

  で、また、試験の時期がやってきました。先生はベートーヴェンの『アデライーデ』と、シューベルトの『楽に寄す(今は寄せるとも書くらしい)』を課題曲として選ばれました。私は例のごとく試験が怖くてたまらない人間ですから、早く終わる曲として、より短いシューベルトを選びました。リズムも四分音符やら、二分音符が多くてシンブルでした。だから、『できるだろう』と思ったのに、実は、うたうのには、大きな恐怖を伴う曲だったのです。何が恐怖かと言うと、音程が、ひどくかけ離れた声を出さないといけないのでした。 
  ソドドミーラと、ニ長調で運んでいくのですが、最初のソと、ドの間がポーンと上がる感じで4度の差があり、かつ、その後で、急に下がるドとミの間が、6度です。上がって下がってと言う感じが、遊園地の恐ろしく刺激的な遊具に乗っている感じで、先生が伴奏をお初めになったとたんに、一種の高所恐怖症のに、かかったようになって、その二つの音程の差が怖くて怖くて、もう、声は出せないのでした。
  岩永先生は励まして励ましてくださって、前奏だけを、六回ぐらい弾いてくださったのに、結局のところ、私は歌えませんでした。顔、青ざめて、足が震えるだけでした。で、岩永先生も、とうとうあきらめてお仕舞になりました。そのまま、先生とはお別れしていて、現在の状況をお見せできないのは、本当に悲しいことです。ただ、私の死後はもう一回お会いできると信じていますが・・・・・死後の世界があるだろうと信じていますので・・・・・

副題3、『ローレライ(ドイツ民謡)』

  でね、お歌と言う意味では、生涯暗黒の中に閉じ込められるはずでしたが、この高校で、ひとつの救いに出会います。それは、文化祭の発表にドイツ語部が、ローレライをドイツ語でうたうという挑戦をしたのです。
  そのころの私は人前でうたったことがないのですから、自分がどのパートにむいているかもわからないわけですが、でも、下手だからこそ、難しいパートはダメだと感じて、メロディそのものをうたうソプラノを選びました。

  その歌詞をドイツ語で歌うと言う件ですが、実は私は暗記と言うのが大っ嫌いな人間でした。で、これが不思議な功を奏しました。ドイツ語にかかりっきりだったので、いわゆる自意識と言うのを捨て去ることが、自然にできたのです。先ほど述べた、4度と6度の音程を超えられなかったと言うのも『ここで、とんでもない音痴振りを発揮してしまったら、恥ずかしいなあ。みんなが見ているわけだし』と思ったからですが、それも自意識のひとつでしょう。

  でも、あまりにもドイツ語が、難しいと感じたので、そればかり考えていて、そのほかのことは何も考えられませんでした。むろん、音程をはずしたりして、恥ずかしい結果になるとも思いませんでした。だって、合唱ですから15人ぐらいいるソプラノパートの一人です。その中で、みんなに溶け込めばいいのです。そのことは安心しきっていました。
  その演目のときに、舞台前の座席、一列目に、のちに東大の理一に進む友達が座って、聞いていました。彼女とはまったく親しくありませんでした。良く大賢は大愚に似たりと言うでしょう。彼女は遠目には、素敵には見えない人でした。いろいろなことを深く考えるのが好きで、良く慣れている人にしか心を開かない私は、好きなことの分野がかぶらない彼女のことは、まったく知らなかったのです。クラスも一度も一緒になったことも無くて、会話も交わしたこともない間柄でした。

  しかし、お歌が終わって、舞台を降りると、その将来の理一さんが、「しろちゃん、あなたって信じがたいほど、声がいいんだね」と言ってくれました。ちなみにしろちゃんというのは当時の私のあだ名です。

  私はきょとんとはしました。だって、それは、生まれて初めて聞く言葉でした。でも、思い返せば、自分が、自由自在に歌えていたのにも気がついていました。生涯はじめて、自由自在にお歌がうたえて、そして、それを、目の前の、親友でもなんでもない、ただ、133人のうち、36人の、高校から入学したと言う共通点があるだけの子が、ほめてくれている。将来、理一に進むような女の子ですから、口数も少なくて、『むしろ、ぶっきらぼうな人だなあ』と思わせるような普段の言動の人です。

 が、そういう人が、ほめてくれたのですから、信じました。『あれ、私、いわゆる無明の境地だといい声が出るのかも知れない』と、思ったのは、のちのちの大いなる救いにつながっていきます。
土曜日 2:36

副題4、『イムジン川(加藤和彦採譜?)・・・・(セロ弾きのゴーシュのごとく、歌い続けた1965年)』

  今、私はわが音楽体験を書いているわけです。高校まで進みました。でも、堅苦しくて、しかもたくさんのコンプレックスを抱えている私は、お歌どころではないのに、とても華やかなお嬢様がいっぱいいる、大学へまたまた、進学してしまいました。国際キリスト教大学と言うところです。高校時代だけで、すでに、お嬢様方にはへきへきしていたはずなのに、英語が好きだということや、国際関係のことが好きだというのと、何しろ暗記が嫌いで、受験勉強にはむいていないなどと言うことが、この大学を選ばせました。この大学の入試には、暗記は関係ないのです。英語力があり、応用力があれば解ける問題を、大量に短時間に処理すれば入れるのですから、自分には願ってもないほどぴったりでした。
  そこへ、上位20番以内で、入学できて、奨学金さえいただけるはずでした。その書類に判をもらいに高校へ行ったら、担任の先生がとても喜んでくださいました。ただし、父の納税額がおおくて日本の上位6%以内であると言うことで、奨学金はもらえませんでした。父は若い日の大失敗に懲りて、羹に懲りて膾を吹くというほど、慎重に暮らしましたので、納税額は大きかったみたいです。だけど、そんなに大金持ちではないのですよ。

  そこへ、私は政治とか、経済の部門を勉強するべく入ったのですが、時はベトナム戦争の時代です。政治を勉強すると言うこと、特に国際基督教大学でそれをするということはアメリカに対して、絶対に反対しない人間になるということを差すような気がしてきてしまいました。
  実際には、そこらあたりを厳密にしないでおいた方が、人生は得だったでしょうね。ともかく外国大好き人間だから、57歳で、はじめて海外一人暮らしをするのは遅かったと思います。もっと早く海外に出ているべき人間だったと思います。ただ、仮定についてあれこれ、考えても仕方がないので、当時の実情を言いますと、私はひそかに、小さな胸を痛めながら、政治学専攻よりも化学に転科しちゃおうかなあと、考え始めました。

  つい最近クラス会があって、帰りの電車内で、当時の同級生が、私の心のうちに踏込んで質問をしてくれたのです。それで、その人のおかげで、自己分析も見事に果たすことができたのですが、・・・・・実は政治が、好きなほうで、政治分析が好きな人間であって、だからこそ、なんとはない恐れを抱いて、わざと政治学から遠ざかったのではないかと、・・・・・言うのが真相のようです。

  で、大学時というのは、みなさん、華やかでね。男の子や女の子で、恋愛を始める子が多いのですが、私は慎重にして、傷つくのがいやな子ですから、予備校時代に知り合った、主人と手紙を交わすぐらい(そして、一年に一度会うぐらいの交流にとどめて)、大学時代に誰かと恋愛関係に入ることはありませんでした。ともかく地味な方だったのです。
  大学の校舎はウィリアムズ・ヴォーリーズの設計で、中央に階段ホールがあり、両翼に長い廊下があります。それで、校舎の中で歌を歌うと、ものすごい音響で響くようになっておりました。
  のちに、朝日新聞の記者になった、W君という格好の良い男の子などが、校舎を歌いながら闊歩すると大変美しく、声がひびきました。
  そういう校舎内で私は昼から夜に掛けて、一人ぼっちで、10時間を過ごさないといけないという羽目になりました。化学実験に、長時間が必要なケースだったのです。
  あまりにも退屈で、しかたがないので、ふと、W君のまねをして歌を歌ってみたのです。すると、自分の声が、ものすごくいい声のように聞こえるのです。
  化学実験室というのはドアが常に開いている部屋であって、そこから声が、ほぼ200メートルはあるだろう廊下に逃げていくわけですね。天井高は、4メートル程度ですが、辺り一面に本物か、人造かはわからないものの、大理石が張ってあるのです。で、ものすごい反響です。しかも節電など考える必要も無かった1960年代ですから、校舎内のその長い廊下は、ピッカピカです。そのトンネルを、私の声がはるか遠く200メートルの東側の入り口まで届く感じで伸びていくのです。しかも誰も聞いていないので、恥ずかしがる必要がないのです。すごく気持ちがいいです。
  で、毎晩、お歌を、二,三時間歌ってすごしました。そして、『もしかしたら、私の声って、あの東大の理一に進んだ、ぶっきらぼうな友達が言ってくれたように、いいのかもしれない』と、ひそかに思うようになっていきました。
  そのころ愛唱したのは、当時の学生の愛唱歌で、ロシア民謡、インターナショナル、イムジン川などです。世界民謡アンニーローリーや、ローレライ、(ああ、いまでも、イム アーベント ゾーネン シャインと、ドイツ語で歌えるほど、暗記嫌いの私が唯一歌詞をドイツ語で覚えた歌なのですが)等々。それらは小さな歌集(歌詞だけの刷ってあるもの)に頼ってうたって行きました。この少し後の世代はビートルズや、に耽溺していくのですが、私の生まれた1942年までの学生は、上に上げたような歌が好きなはずで、それは今、歌声喫茶の再来とか言われていて、東京では熟年の間で、はやっているらしいです。

  その後、共産圏国家の凋落が激しくなりました。特に北朝鮮の裏側の忌々しさが明らかになり、イムジン川など、そのタイトルを口に出すのもはばかられるようになりましたが、美しいメロディラインを持つ曲です。
  ところで、この1965年秋の数ヶ月ほど、集中して、お歌を歌う時間があったことはありません。そして、誰も聞いていない中で、だから、恥ずかしさも感じないで、何十回も同じ歌を、大きな声で、誰にも気兼ねせずに、歌うことが、実は、大きな音楽の自習、勉強になっていたことを、後で、気が付くのでした。
   
  補遺、今、いろいろとグーグルで検索してみて、イムジン川を、採譜して、はやらせたらしいフォーククルセーダーズの加藤和彦さんが、2005年公開の映画パッチギの音楽を担当して、この曲を大いに使ったと出ていました。で、映画のおかげで、この曲の命は永らえたみたいですね。
  それはそうと、私は1962~1965年ごろまで、テレビもラジオも一切聴きませんでした。下宿や寮に暮らしていて、そこにはテレビは、無かったと思うし、ラジオを聴く趣味がなかったので、あの大学時のイムジン川のメロディをどうして覚えたかが不思議です。それは、ラジオではやり始めた最先端のころです。だから、学友の誰かが好きになって、校舎内で、歌っていて、それを聴いて覚えたと思われます。

  2012年2月18日に初稿として書いたものを、21日に整理して、こちらに揚げます。
               雨宮舜(本名、川崎 千恵子)
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ラフマニノフのピアノ協奏曲・・・本当の先生(横国大附中=雲井佐和子=芸大卒=様)に出会う

2012-02-20 01:29:56 | Weblog

  皆様、政治の裏側をめぐる汚い話が続いてしまったので、自分でも身を清めたくなりました。これは、きれいなお話です。

ラフマニノフのピアノ協奏曲

 中一のときの夏休みの自由課題として、『古典派の作曲家から一曲を選んで、感想文を書いて来なさい』というのが出ました。1955年の話です。ところが、いつも夢見る夢子さんだった、私は、先生の言葉の中にあった、古典派という部分を聞き漏らしてしまいました。実はバッハとか、ハイドンから選ぶ必要があったのですが、そこをまったく失念をして、全分野から選ぶのだと勘違いしてしまったのです。で、夏休みにラジオで、次から次へと曲を聞いていき、すぐ感想文を書いて準備を始めました。すごく楽しい宿題でした。クラシック音楽が大好きになったのもあの宿題のおかげかもしれません。

 で、9月になって提出しようとしたら、友達が、私の感想文の表題を見て、「うわーい。間違えている。古典派なのに、ラフマニノフなんて選んで」と教室中に
響く大きな声で、はやし立てました。

  このお友達は、実はお母さんが継母(と...いってもおばに当たる)で、そのお母さんが、『どうしても、姉から預かった、この子をクラシックの演奏家にする』と決めていて、小学校のときから芸大に入学するように運命付けられていたお嬢さんですから、音楽に関する知識は抜群に高かったのです。と、同時にどこかで、ゆがんでいたのでした。その『実母ではないお母さんの望みである、芸大に入学して有名なピアニストになる』という目標へ、プレッシャーを感じていたのだと思います。彼女はその後、三浪(途中で別の音大へ一回進学済みだが)して芸大へ入りました。高校に桐朋を選んだのも失敗だったといっていましたが・・・・・・ともかくストレスの多い・・・・・・だがある程度以上に成功した音楽家として一生を終えました。ヨーロッパで音大の教授になりましたから大成功といえるでしょう。
 
  一方の私ですが、お勉強だけは抜群にできて、優秀でした。入学試験もほかの子と50点も差がついていたそうです。が、言葉を自由に出せない人間で、喧嘩なんか一切できない人間でした。だから、教室中に響く声で、からかわれて、恥をかいても、一切抗議もできず、もちろん、泣くわけにも行かなくて、ただ、凍り付いているだけでした。

  授業が始まって、先生が回収をされるときに、恐る恐る小さな声で、お断りというか、謝罪をしましたが、先生はチラッと、レポートを見て、ぎっしりと鉛筆で書かれている小さな字を、期待を持つ様な目で、一瞥なさり「いいわよ。これで」とおっしゃいました。そして、後日返してくださるときに、たくさんいい励ましの言葉が書かれていたと記憶をしています。

  ともかく、その夏の一ヶ月、私は膨大な数の曲を聴き、シューベルトの即興曲にするか、それとも、ラフマニノフのピアノ協奏曲にするかを悩みに悩んで、ラフマニノフの方が、言葉をたくさん使って、自分がどうしてすきなのかを表現できると考えて、そちらを選んだのでした。

  が、その後、一生を通じれば、シューベルトの即興曲の方が好きになっています。でも、あの中一の夏休みには華やかなラフマニノフの方が書きでがあると感じたのです。これは、美術でも同じだと思いますが、傑作を言葉で還元するときに素材が単純であるほど、言葉で変換しにくいのです。

  私ね、あのときの先生の「いいわよ」という、意地悪さが微塵もない感じに救われて、音楽を嫌いにならずにすみました。ずっと、音楽を聴くのは好きで、一生を送って来ています。先生が生徒をかわいがる感じを、見事にお示しになった先生は雲居佐和子先生とおっしゃいます。もちろん芸大出身です。
   2012年2月17日に初稿は書く、雨宮舜  (川崎 千恵子)

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瓜南直子を中心として、銀座、鎌倉、そして、フェイスブックを使った弾圧の実例集

2012-02-18 14:10:07 | Weblog
 今2012年の2月19日午後5時です。推敲しながらさらに文章を付け加えていきます。
 この文中では、副題3まで、岩手在住の高橋真樹女史が、弾圧用核弾頭として、使用をされた傍証用の原稿を揚げたのですが、それ以降の8700字はさらに後回しにして、今日は副題4以降を初稿として上げます。そちらの方が最先端の攻撃に触れています。し、本日の私の頭の中に浮かんだことだからです。高橋真樹女史の汚さを分析するためには、予定どおり、その引っ込めた9千字を、先にあげるべきだとも思いますが、神様が、いま、この頭におろしてくださる文章を、常に優先すると言う私は、本日は、副題4以降をライブとして、書き進めます。そして、19日になって、副題8以降を付け加えます。

 ところで、私は、文章を書くときに、相当に時間が経って、終わってしまってから、書きたいほうです。特にグーブログにおいては、ほとんどの話題が、数年前に終わったことを書いています。が、フェイスブックを利用した攻撃は、時間の推移とともに、あっという間に、そちらの情報が秘匿をされて、読めなくなることがあるので、ほぼライブ(同時中継として)で、書かないとダメだから、今日の副題4以下は、現在も現在の、フェイスブックに現れている現象を書いています。

副題1、『横浜国立大学付属中の住所録が2冊も盗まれている-1』
副題2、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれている-2』
副題3、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれているー3』
副題4、『瓜南直子女史が、敵として使役されてくる
  ・・・・・映画のプログラムの件で語る・・・・・・』
副題5、『執事、金田裕子と、お嬢様、瓜南直子の名コンビ』
副題6、『泉涌寺と、西部進と、瓜南直子・・・VS・・・馬越陽子』
副題7、『11月になり、柴田悦子画廊へ、顔を出してみる』
副題8、『お風呂にさえ、安心しては、入れない』
~~~~~~~~~~~

副題1、『横浜国立大学付属中の住所録が2冊も盗まれている』

  2月10日はさすがに、書くことをいとわず得意にしている私も、疲労困憊しました。小さいころから、50年を超えて、付き合っている有力な友達時田史郎君に疑念をぶつける文章ですから、書くほうも、必死なのです(笑)・・・・・そうですね。それは、時間にしては、あしかけ4日と、連続していましたし。しかも、あと4,5人付属中学時代の友達だけで、『この人の動きはおかしい。やはり、裏から鎌倉エージェント==核燃料を売りつけている側の家来)に、動かされていますね』と言うことを問題にしていかないといけないのです。オー、しんどいよ。しんどいよ。です。また、歴史秘話ヒストリアの司会をしている渡辺あゆみさんが、今、どうなっているかも、問題にしないといけません。一時期、いい関係でしたけれど、今、現在彼女が私をどう思っているかも・・・・・彼女とは教育実習を一緒にした仲です。年齢は違いますがね。同じ中学の卒業生なので。

 ともかく、これらの人物たちについては、「お前、書けないだろう。そこまで書いたらお前もおしまいだ』と、そこまで、狙って、あの二人====元福音館社長の時田史郎君と、そのほかの友達===が、攻撃用弾丸として利用をされたことも、見え見えなのです。ですからいつかは書くと、おなかの中で決意しておりました。だが、それが、いつであるかは、常に、自分の意思ではなく、天にお任せしております。
 実は、すさまじくも、深いレベルで、私は自分が天から慈しみを受けているのにも気がついているのですよ。苦難は果てしないほど、この身に降りてきますが、ときどき、すかっというほど見事に天が、あだ討ちをしてくださるのです。しかし、それが、何を指すかは申し上げません。私は自分の幸福やら、幸運を誇る気はありませんので・・・・・

 ただ、それは、奥の奥、決して語られない深奥で、そのことが言えるだけの話で、表面に現れているところは、私の悲劇は計り知れないと言ってよいと思います。わがこころの温床であった、同窓会を私は捨てたわけですからね。心理的には裸一貫に、なって、荒野にすっくと立つという心境です。・・・   2月11日 10:44
~~~~~~~~~~~~

副題2、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれている』

  夕刊フジに出身高校別で、現代日本社会の人脈を明かしている記事があり、時々紙の単行本になるみたいです。これは、いい企画です。学閥というのは努力すれば入り込める出世の手段です。ヨーロッパみたいにまだ、身分の固定化している社会(1998年ごろの観察によれば、思いがけず、そうなのですよ。日本の方がずっと自由化されています)に比較すれば、そこに自由裁量の余地が残っているのです。日比谷高校に入学したければ、賃貸マンションでもいいから、千代田区に住所を補遺すればいいのです。住んでいることにするだけですからワンルームマンションでもかまわないわけで、お金の力で、そうしておいて、中学時から郊外から通学するようにしておいて、学校の成績を良くしておけば、伝統があり、優秀な先輩の多い日比谷高校に、自動的に入学できるでしょう。
  ただし、経験豊かな母親の一人として言えば、その学閥で成功しようとして、教育ママになり、両親そろって、子供を型にはめて、とんでもない失敗に陥るケースも多いので、学閥にこだわるのも、人生の選択肢が、100%あるとして、ほんの5%程度にとどめておいた方がいいとは、言っておきたいものでもあります。価値は多様です。
  今、引きこもりが、何十万と言われています。または、引きこもりにはなっていなくても、有名大学を出て、一流企業に勤めたのに、ちっとも役に立たない人間が大勢居ることもいわれていますよね。
  また、学校社会でも、先生にノイローゼになる人が多発しています。それは、小学校時代や、中学時代に、なんらかの無理がかかっていて、背伸びをして、一流大学を出たものの、人間の根幹に当たる部分に未発達なところがあり、バランスを欠いているケースが表面化したといえるでしょう。
  良い学校に入れようとした無理が、人生の半ばに現れていると言えます。2月11日 11:15
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副題3、『横浜国大付属中の住所録が2冊も盗まれているー#3』

  で、心理学や教育学の分野から、政治の分野に戻れば、出身高校の形成する閥は大きいと言えましょう。これは、東京を中心とする日本社会全体にも当てはまりますが、各県別に、旧制一中と言うのがあって、それが、自動的に、県立名門校へと発展していますので、その出身者をフォローすれば,その県固有の政界、財界は、ほとんど、その人脈を分析できるはずです。土建的な企画の談合など、その手のネットワークが大活躍をしているはずです。
  で、その県立高校の定員が、300人として、そのまた、一割の30人程度は、各県庁所在地に一校は、ある、付属中学から入学して來ているのです。
  これは、東京や横浜と言うほど、人口が多いところではさして目立ちませんが、茨城、福島、宮城県・ほかでは、相当に、大きな力を発揮しているはずです。

  さて、現在の私は特殊な人になってしまっていて、一種の仙人と化してしまっています(笑)、欲望を捨て去っています。だから、最近書いているようなものが書けるわけですが、そこに到達してしまったのは、弾圧を受けているからでして、それに気が付かない以前は、普通の人であり、人生の発展を信じて、努力をおさおさ怠らない人でした(笑)。

  私が初個展をしたのは、1994年で、銀座一丁目のGセンターポイントと言うところでした。松坂屋から、合計53万円のケータリングを取って、華やかに展開しました。銀座雀として有名な、近藤実さんだったか、渡辺豊重さんだったかのどちらかが「最近、これほど、にぎやかなオープニングをやった人いませんよ」というほど、大勢の人が集まってくださったのです。国画会の人だけは固い、硬いヒエラーキーがあるので、まだ、新人の私が大個展をするのは生意気だとみなされていたのでしょう。オープニングには来ないで、みんな別の日に来ましたけれどね。あまりにもお客が多かったのではっきり覚えていませんが、例の時田君さえ來てくれていたのかもしれません。

  作品だって、オーナーの新田さんが「川崎さんの作品って、川崎さんの作品だけを集めるときれいなんですね」と驚いてくれたように、色を殺した、グレーを多用していたので、上野の都立美術館で、となりに別の色の作品がぴったりと、張り付いて展示をされていると目立たないのですが、画廊で、100号正方形だけを、11枚程度並べると、きれいなのです。中間色が多用されていると、そうなるのです。

  そういうわけで、私は自らを画家として、どんどん出世させるつもりですから、住所録を集めはじめました。横浜国大の付属中学のそれなど、青いラシャ紙の表紙のそれと、黄色のそれの二冊ほど持っているぐらいでした。
  それをぺらぺらっとめくると、いろいろなことがわかるのです。横浜と言う特殊な地域性から、神奈川県内だけではなく、東京にでしゃばって出世をしている人は多いのでした。
  NHKアナウンサーのうち、A,B,Cと枚挙にいとまが無いほど、出身者が多いとか、種々さまざまなことがわかってきているのです。

  しかし、です。ごく最近、気がついたのですが、その住所録が二冊とも盗まれているのです。仕事をする方向で、妨害してやろうというのは、ここにきわまれりと言うほど、次から次へとアイデアをひねり出す彼らなのでした。2月11日 12:01
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副題4、『瓜南直子女史が、敵として使役されてくる
  ・・・・・映画のプログラムの件で語る・・・・・・』

  写真も盗まれているし、映画の目録などの資料も盗まれているし・・・・・そして、私にフェイスブック上の友達関係を、何のお断りも無くきってきた瓜南直子さんは、わざと、映画の目録について、文書をフェイスブックで公開するし・・・・・ですから、これは、当然のごとく、例の鎌倉エージェントもかかわった泥棒の仕業でしょう。いえね、別の組織がかかわっているとしても、それらが、より効果を挙げるために、鎌倉在住の彼らが「瓜南直子の方が、芸大出身だし、格が上ですよ』とみなしている、瓜南直子女史にいじめ役を指南し頼んだと言うことは大いに考えられます。

  で、私が2010年に用意した単行本『消された映画』は、いまだISBN番号もバーコードもつけておらず、オンデマンド方式で、6冊ぐらい試行的に出版しただけで抑えているのですが、この瓜南さんの部分も加えて、編集しなおす必要が出てきました。
  瓜南さんは、そのほかにも全日本アスファが連(これは、小町通りの、繰り返し行われるばかげた道路工事を正当化するおちょくり運動)とか、柴田悦子画廊と親しいとか、夢松洞と親しいとか、種々さまざまないじめ運動の先頭に立っていることがわかっています。
  それらは、後で、また別項目を立ててお話をしないといけません。
        この部分は、2012-2-17の午後2時に書く。
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副題5、『執事、金田裕子と、お嬢様、瓜南直子の名コンビ』

  特に、金田裕子さんという、私の初期フェイスブック友達を使った攻撃の忌々しさは、優に一冊の本と化すぐらいのエピソードに満ちています。今日は30%ぐらいそこへ言及します。100%はいたしません。そこまですると、私の疲労度が、最高潮に達するでしょうから・・・・・
  金田裕子さんは、2010年の11月初めから明瞭に敵のスパイとして、または、攻撃用弾頭として使役をされ始めたのですが、私は2月のはじめまで、友達関係をキープしておきました。が、今、彼女のデータが、一切私の目から見えない形となっています。これこそ、敵の攻撃用弾頭として使役をされたことの有力な証拠です。前報に述べた高橋真樹をはじめとして、
  実際に使役をされた人材たちは、その人たちに対して、私が言及をすることを恐れて、ブロックと言う手段を使って、私の目の前から姿を消すのです。

  でも、金田さんがいまだに、元気でフェイスブック内で活躍していることは、瓜南さんの頁を見れば一目瞭然なのです。

  瓜南さんの投稿は人気があります。私はそこにファンが集って、たくさんのコメントが入る人たちを一種の星雲になぞらえていますが、瓜南さんは、その一人で、金田裕子さんは、私が引き上げてあげたおかげで、瓜南さんと交友関係ができたと思いますが、すぐさま、瓜南さんのファンになったのでしょう。
  それから、金田さんが、使役をされ始めたか、それとも、私に恩義がある人間だからこそ、使役をされ始めたかは、鶏がさきか、卵が先かの論になってしまうのですが、
  ともかくにして、金田裕子と、瓜南直子は、大親友となります。

  お互いのやり取りを、公開しているのがスレッドと言って、コメントのやり取りですが、必ず、執事金田裕子が、お嬢様瓜南直子を、褒めちぎりもてはやす文言を交わして二人で、踊りくるっています。
  これは、例の鎌倉エージェントたちの脚色にも、支援されているとは思います。たとえば、上京した金田裕子さんが、『恋のうぐいす』というラベルのお酒を見つけて、「それを、私がファンである、銀座のうぐいすさんへあげたい」と書いた大きな頁がなんども、フェイスブック紙上の私の目の前に現れるとか、
  瓜南さんが、広島の金田さんへプレゼントをしたらしい、鎌倉銘菓の源平巻が、何度もフェイスブック紙上で、話題とナリ、それが、私がフェイスブックを開けると、とたんに、目に入るように設定をされているとか、

  こういうのは、2007年以来、繰り返し行われてきた作法なのです。特殊な攻撃用手法なのです。『お前、神経が痛むだろう。悔しいだろう。金田裕子はお前を裏切って、お前の敵として、突然、友達関係を切ってきた、瓜南直子とかくも親しいのだぜ』と、言われているわけですね。

  で、私は常に、彼らの狙いは、わかりますから、すぐ、反対方向へ向かうわけです。はっきりと、瓜南直子と、金田裕子が敵であることを自覚をして、常に、敵がどう動くかと言う点検のために、彼女たちがフェイスブックに上げる情報を、確認をしているわけです。この部分は2012年2月17日の午後三時に書く。
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副題6、『泉涌寺と、西部進と、瓜南直子・・・VS・・・馬越陽子』

 『瓜南直子さんが、全国区としてもお前よりえらいんだ。お前の前に立ちはだかって、お前をつぶしてやる』という道具として利用をされているのは、2011年の夏に、京都・泉涌寺で、開かれたグループ展に彼女が出品をしたこと、および、ほぼ同時期に、西部進さんが開いた討論会(MTV)に出演したことなどで、ピーんと来るわけです。

  瓜南さんの2011年8月は、本当に充実していました。京都の泉涌寺で、彼女を中心としたグループ展が開かれ、東京テレビで、西部ススム氏を司会者とした番組の出演しています。
  ところで、私はそれらをわきから見ていながら、『ふむ、ふむ。私がフェイスブックで、友達であるからこそ、ライバルとして、彼女が出世させられるのね。特に鎌倉在住らしいし、芸大出身だから、絶対に私より上だということで、ライバルとして当てられている』とは感じていました。でも、そんなことは今までも数多く経験をしていることです。馬越陽子さんが、京橋の画廊で待ち構えていて、「北京で個展ができて、その凱旋個展を三越で、するのよ」と自慢たらたらで、いじめ役を果たしたときにも『なんてかわいい人なんだろう』と、私より10センチ以上は背の低い馬越さんを上から見下ろしていたこともあるくらいですからね。と言うのも馬越さんは敵である(?)私に向かって、自分が命令されている役目の馬鹿らしさを愚痴るものですから、スパイとしても中途半端で、笑っちゃうぐらいなものですから。
  つまり、彼女は逆らえないほどの相手から頼まれて、夕方からずっと京橋で、車の中か、美々卯などで、待っていたのでしょうが、その時間の無駄に耐えられなくて、「ああ、疲れたわ。疲れたわ」とつぶやいたので、かわいくてならないほどです。それは、5年ほど前のことでしたが、
  瓜南さんのやっていることもそっくりです。

  ただ、瓜南さんの方が馬越さんより、人間として練れているかな。よりわがまま度が少ないかな? それは、パートナーの伴さんという芸術家と、今もペアを組んでいることに現れていますね。馬越さんは相手が自殺をしてしまっています。相手に自殺をさせるぐらいなら、離婚でもなんでも、ある種の風穴を開ける必要があったわけですが、まっとうな処理ができないほど、馬越さんは、子供です。

  比較して瓜南さんの性格がいいことは、彼女の投稿を見ていればわかります。サービス精神があります。それって、ともかくのこととして、他人を大切にしないと、生まれない発想です。
  で、2011年の夏には別に瓜南さんへの敵対心などもっておりませんでしたよ。『彼女はしし座らしいので、夏が主役ね。だからこういう風にいいことが集中するんでしょう』と言うのが、私の考え方です。

  西部さんが使われたのは、小沢一郎を嫌いであると言うことを、私が見咎めて(?)どこかに書いたので、使われたのだと感じます。絶対に連帯したがっているぞ。本でも献呈して贈るつもりだろう。だから、『西部ススムは、こちら側の人間だ』と、宣言しておくのは意味がある。・・・・・と、考えられてここで、使われたと、考えていました。
  今、半年以上を経て、グーグルで検索をすると、西部進氏は表現者と言う雑誌を発刊していて、その表紙を瓜南さんが担当しているそうです。だから、昔からの知り合いでもあるわけでした。
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副題7、『11月になり、柴田悦子画廊へ、顔を出してみる』

  しかし、11月になり、広島の建材会社に勤めている、金田裕子さんから、東京出張を利用して、「あいたい。デートをしたい」と申し出でがありました。瞬間的に、『うわ、スパイとして、彼女が使われたんだわ』とひどくいやな気分になりました。このときは瓜南さんの役割にはまだ気が付かず、でも、金田さんの方には気がついて、2日ほど、はいはい、と、フェイスブック内で答えておいて、3日目に『やはり、お目にはかかれない』と断っておきました。こういう策略に、一応、特に表向きは親友と目されている人間を使ってくるのは、すでに、自分の方では分析済みで、昔の2003年ごろのデートでさえ、そうであったと気がついているぐらいです。だけど、どれほど、心理学的に言って汚いことか、あなたさま、ご理解できますか?
  そして、ばれた後では、「やっちゃれ、やっちゃれ」と、二人がかりでいじめてくる執事金田裕子と、お嬢様瓜南直子のコンビです。鎌倉銘菓のやり取りを、わざと見せ付ける二人の裏に誰がいるのか?

  それを確認するために、銀座の柴田悦子画廊に顔を出してみます。この画廊は伊藤玄二郎と、関係があります。鎌倉春秋社の本に挿絵を描いた作家のものなどを良く展示してあります。そして、そういう人に特有な意地悪な感じを表現します。それは、鎌倉の夢松洞のオーナーが一番ひどいやり方で示すものですが、こちらの柴田悦子画廊のオーナーも大体似たり寄ったりです。作品は日本画が多くて、すでに売れている作家のものが多いです。だから、勉強に役立つ画廊ではなくて、毎週は行きません。顔を出したくない画廊です。でも、金田裕子、瓜南直子・・・連合攻撃ラインに接触してはその影にある伊藤玄二郎が今どういう傾向でいて、どういう考えを持っているかを探らないといかません。そうしないと、ごく普通の生活の安全さえ守られないのです。
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副題8、『お風呂にさえ、安心しては、入れない』

  それは、どういうことかというと、ある時期、お風呂に入ると、そとで、リーんリーんと鈴が鳴ります。そんなに大きな音でもありません。だけど、なんとなくお風呂に入れば必ずなると言うのが気にかかります。そして、それは、12時過ぎであろうと、午前一時近くであろうと鳴ります。
  それで、ある日、お風呂には入らず、洋服を着たまま、お風呂場に電気をつけて、20分ぐらい待ち、鈴がリーんりーんとなり始めたのを確かめた後に、外へ南側の掃き出し窓からでて、誰がそれをやっているかを確かめました。すると夫婦そろって、この27年間すさまじい被害をこちらに与え続けた安野氏でした。この様に24時間自分の家に住んでいても攻撃をされるのですから、状況を丁寧に正しく把握しておかないと、普通にただ、すんでいることさえできないわけです。

  この安野家を用いた悪事のうち、最大のものは娘がこの山の中で、痴漢に襲われ、そのときに、夜の12時過ぎなのに、洋服をちゃんと着ている安野夫妻に助けてもらったというものなどでしょう。ここは、引っ込んでいる地域ですし、あたり一面,夜の12時過ぎになると、誰も通らないのです。この近辺に家がある人が電車から降りると、こつこつと自宅へ向かって歩いているだけです。そこに痴漢がいるなんて、もちろん諜略行為として、わざと計画されたもので、そういう計画があるから、かくかくしかじかと、行動せよと命令された安野家が、普通なら寝ている時間帯に、きちんと起きていて、夫婦で、そろって,偽の痴漢
を、追い払い、娘を助けてくれたそうです。そこまでの芝居をしてくる彼らに対して激しい怒りに震えます。

  そして、留守中に額がすべて左側に三センチ斜めにゆがんでいたり、トイレのドアに黒いマジックで、矢印が書いてあったり、パンツが移動していたり、真夜中にまるでお隣からであるように石をぶつけられたり・・・・・
  その手の異常はすべて、伊藤玄二郎と、小沢一郎氏に直結しています。
  自分の書いたもの、NHKのニュースの類、ご近居、特に安野家、前田家、石川和子プラス柳沢昇夫婦、大原家などの、家族の様子、こういうものの分析で、
  全部一点に集約していくのです。その名前は伊藤玄二郎。

  で、伊藤玄二郎が今、何を考えているかは重要です。で、柴田悦子画廊を訪問をすると、いかにもな意地悪ぶり・・・・・なるほど、これで、瓜南直子さんは、伊藤玄二郎に依頼をされて、ああいう言動を取っていると確認ができるし、それを、内包して、金田裕子さんからのいじめにも、対応をしておくわけです。そして、私は彼、彼女らの悪意が燃え盛っているときは、無視しておきます。だって、この件だって、彼、彼女らの数を合わせれば、4,5人になります。夢松洞のオーナーや、北鎌倉の小料理屋、侘び助夫婦を入れればすぐさま、10人になります。

  そして、示威行動のひとつでしょうが、北鎌倉五山のたっちゅうと、覚園寺のお坊さん瓜南さんが一緒に会合を持ち、何かを食べたと言う報告さえフェイスブックに出てきます。
  出ね、私は別に、そういうところで、買っていますというつもりはまったくないです。だが、留守の間に、パンツをいれば所を変更する。トイレのドアに、黒のマジックで、矢印を書いておく。普段人の出入りが少ない部屋のストーブのスイッチを入れておく。額をすべて、左側だけ三センチ下げておく・・・・・こういう悪さ、・・・・・そして、上のほうに言った、映画のプログラムを全部盗む・・・・・・そのことをわざと気が付かせるために、

  瓜南直子に、古い映画のプログラムを題材にした、エピソードをフェイスブックの世界に書かせる・・・・・

  そういうことがすべて、連動をしていて、伊藤玄二郎一点に、集約をするといいたいのです。
  まあ、瓜南さんについて言えば、全貌は何も知らないでしょう。そして、一種のいじめゲームの快感に酔っているだけのはずです。

  だけどね。ここでまとめますが、ともかく、伊藤玄二郎+、栗田玲子女史の結びつきは、栗田女史おかかえ作家、山本容子を、定期的にBSプレミアムに特番を、設定させるメリットを与え、

  瓜南さんにも上に上げたようなメリットを与え、・・・・・

  そして、その裏側で、必死になって原発に反対している私のブログが、閉鎖になるように、奉仕をしているわけです。
  ともかく、いじめていじめてノイローゼになるようにさせてね。

  まあ、今日はここで、やめて起きましょう。北鎌倉の侘び助と、そこから、週刊ブックレビューが終わってしまう、本当の理由など、私にわかっていることは多いのですが、自分でもうんざりしています。
  こういう汚いことを書き連ねていくことにね。

  だから、今日はこれで終わります。あと、いろいろありますけれどね。
  これでも、瓜南さんの果たした悪い役割について、40%も書いてはいませんけれど・・・・・
  でも、彼女に向かって、ここで、宣告はしておきたいですね。あなたがどんなに人気を集めるユーモアで、お料理などの安全な話題を提供して、フェイスブックの世界で、一種の星雲として、周りに人を集めようとも、私から見たら、原発核燃料をこの日本へ売り込み、

  日本人に、この国に安心して住めないようにしている悪人どもを延命させる役目を果たしているにしか過ぎないのですよ。
  それが、被、攻撃者、つまり、あなたのいじめの被害者である、私にはしっかりと見えてしまい、ここで、きちんと記録をされたというだけの話です。なんらか反応が起きてくれば、また、あらたに、それを書き抜くだけですが・・・・・
           2012年2月17日19日に推敲して一部分を足す。   雨宮舜(川崎 千恵子)
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二号機の、温度上昇という嘘ニュース。+石川議員の調書、却下

2012-02-17 19:09:41 | Weblog
副題1、『陸山会事件、石川代議士の調書不採用』
副題2、『高橋真樹を救うために創られた嘘ニュース
      2号機の温度上昇』
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副題1、『陸山会事件、石川代議士の調書・却下』

 さて、皆様、前報を4日間も連続してあげていて、更新をしないでいて申し訳ありません。それは、わざとでした。じっと、世間がどう動くかを見つめていたのです。
 高橋真樹という存在を守るための動きが出てくるだろうと見ていましたが、今のところ、3つ感じ取っています。
 その第一は、二号基が温度上昇をしたというニュースです。これは、もっとも明瞭に、高橋真樹を守るために、起こされた偽ニュースです。そして、それについては、後で、詳述をいたします。

 二つ目は、本日16日の朝に報道をされたシーシェパードをめぐる、裁判を拒否されたと言うニュースです。ロサンジェルスの法廷に、日本側が、シーシェパードに対する訴えを起こしているが、それが、拒否をされたと言うニュースです。これは、今、朝日新聞の夕刊を見たり朝刊を見たりしましたが、どこにも出ていません。つまり、それほど、重要なニュースではないと言うことです。が、午後零時のNHKニュースで放映をされました。理由はなぜかと言えば、私を脅かすこと。それは、なぜかと言えば、私が前報で、書いたこと、・・・・すなわち、高橋真樹と言う女性を使って弾圧をしたという事実が、逃れようもない真実であるからです。
 でも、国民がひどく嫌がっている、シーシェパードまで使って守られている高橋真樹のやったことがどれほど、悪人たちにとって重要で隠したいのかを示しています。だけど、悪いことをして、
 しかも、捕鯨関係者を、大いに悲しませながら、自分一個を守ってもらえる女性、高橋真樹がどれほどの悪女であるかは、皆様もどうか、まっすぐに見詰めて御理解をいただきたいところです。

 真実を書いたトタンに、いじめよう脅かしのニュースが繰り返されるのは、本当に慣れっこですが、さらに、黙ってみていると、

 小沢一郎の復権と言うか、救済と言うニュースが訪れました。
 つまり、原子力を、輸入させている・・・・・・そして、この国を不幸のどん底に陥れている、国際的軍産共同体が、最もかわいがっている政治家が、小沢一郎氏であり、その小沢一郎氏を救済する必要を、感じたのが、私が書いた前報の信憑性です。

 つまり、現代の言論弾圧はいかに巧妙に、それとはわからぬ形で行われるかの仕組みを、因果関係を含めて、明らかにしています。ので、その大構造の分析は、いろいろな側面に応用ができるわけで、ことフェイスブックに関してもほかに、だれそれが、そういう爆弾として、利用をされてあくどい行動を私に対して、見せてきたかと書くことは将来容易なのです。

 私は、この3日間、隠忍自重して、それに取り組んでこなかったわけですが、敵は待ち構えていたのです。自分たちが過去に使役して動かしてきた女性は数多いし、それらについて、書くか書かないかを固唾を呑んで見守ってきていたと感じます。で、すぐにはそれに取り組まない、私の姿を、「弱いぞ、あいつ」と思った敵が放ってきた、新しい脅迫用爆弾が小沢一郎の救済案です。NHKニュースは小沢一郎のもと秘書石川議員の調書が不採用になった。で、あの裁判は成立しないと言っています。

 で、私がそれをどう考えているかと言うと、『ふーん。だけど、あの陸山会事件そのものの、発端が茶番劇だから、こういう展開になっても、別に痛くも痒くもない』です。つまり、小沢一郎氏と言う議員には、過去にも現在にも莫大な金銭が、その国際的軍産共同体から流入をされ続けているでしょう。それを、国内から献金されたように見せるのが、陸山会事件ですから、そもそもの発端が、彼を救うところにあるのです。それが、100%の救済と言う単純な形になったと言うだけの話です。

 ですから、法廷でも小沢氏は悪びれず、堂々としているわけです。で、私としては、早く、国民が真実に目覚めてくれればいいと思っているわけで、この高橋真樹分析も、そういう傾向へ役立てれば、その一里程標となるわけですから、それで、小沢一郎が、かくも容易に救済されるのなら、4日間も、この同じ文章を公開していた、効果が出たと考えるわけです。
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副題2、『高橋真樹を救うために創られた嘘ニュース
      2号機の温度上昇』

 私ね、この文章を書きながら、実はうんざりしています。汚いことを書いているわけですから、内心でぞっとしても居ます。
 が、岩手県に住む、国立大学出身の女性で、今はタウン誌の編集長をしている女性高橋真樹を使って、私をへこませようと考えて、

 しかも、それが見破られて失敗したら即座に彼女の情報を私の目から隠して、彼女を守ろうとしている、そのいきさつを記録しておくことは、ひじょうに大切で必要なことだと思っており増す。その汚さには、反吐が出ますが、でも、それを丁寧に書いておく必要はあると思っています。

 私が、2月10日にフェイスブックで、一万二千字を費やして、書いたことは、17日の零時(お昼)を期して、この世界で公開をさせていただきますが、
 その中では、一行も、被災地の人に対しては触れておりません。

 ところが、高橋真樹女史は、偉そうにも「もう少し、被災地の人々に気を使った表現をしてくださいませんか?」ですって。何にも本文を読まず、ただ、命令されたとおりの文章を私に対して送ってきたのです。

 すると、真相を知らない人間は、私がきつい表現をしていると勘違いしますね。そこを狙っています。被災地の人へ本当は深い同情心を持っていますが時々しかりつけている私を、国民の大多数、特に被災地のかたがたと、分断させることが狙いです。あくどい、あくどい、表現です。しかも、言われたとおり、命令を受けたとおり、お人形さんとして、それを、外部へ出している人間なのです。個人的なメッセージで、「どうして、こういう書き方になるのですか?」と、問い合わせても何も返事がありません。

 そして、彼女が使役された道具にすぎないと、ばれたトタンに、彼女を守るために、『二号基の温度が、急に上昇をした』という嘘ニュースが流されました。全国的に流されました。それは、私がすぐそれに飛びついて新たに、原発事故についてあれこれ書き始め、となると、もっとスケールの小さいこの高橋真樹の話は、更新をされて、後ろに去っていくだろうと、みなされたわけです。それは、例の鎌倉エージェントたち、井上ひさし、(まだ生きています)と、伊藤玄二郎の頭脳レベルではそういう運びになるとみなされていたわけでしょう。
 
 私は後で、暇なときに、フェイスブックで、このニュースに乗っかって騒いだ人間があるかどうかを調べてみるつもりです。それに乗っかって騒いだ人間は軽いし、原発事故の、本当の技術的なことがわかっていない人間です。しかも騒ぐように裏から命令されていたら、そちらも偽善者だとなります。こんな嘘ニュースは、即座に嘘だと見抜いて、決して、だまされてはいけません。

 でも、一般の人が、これに乗っかって、心配をなさったのは、しかたがないと思います。だけどね、私の高橋真樹に対する怒りは深いです。
 だって、彼女を守るために、こんな嘘ニュースが流されたのですよ。

 ご本人は、いかにも自分が被災者に見方みたいな顔をして、私をしかりつけていますが、とんでもない悪人です。自分が引き起こしたことが原因で、2回目として、被災地の人々を、大きく心配をさせたのですから。まあ、お子様もあることだし、22軒の店舗が、彼女を信じて毎月の広告料を出しているのでしょうから、そこに免じて、悪人ではなくて、言葉を変えて、大・大・偽善者だとしておきましょう。

 本当にいやな話ですが、これは、伊藤玄二郎の本質も明らかにする、大きな里程標です。私の文章は、50年、100年の命を永らえて、現代日本史の真相のひとつとして、記録をされていかないとだめです。

 なお、これだけをごらんになっても、意味が通じない方もいるでしょう。それは、ひとつ前の文章、または、左のカレンダーで、12日をクリックしていただけますと、詳細が出てきます。
 その文章のタイトルは、『偽善者、T真樹を、裏で動かしたのはだれか? 大天使ミカエルに、なって悪人どもを、刈り取らん』です。
   2012年2月16日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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偽善者、T真樹を、裏で動かしたのはだれか? 大天使ミカエルに、なって悪人どもを、刈り取らん。

2012-02-12 13:05:43 | Weblog
 今、2012年2月の15日の夜10時です。足掛け三日かかった文章をやっと完成しました。どうかよろしく。

副題1、『鎌倉雪ノ下一丁目の工事』
副題2、『CDプレーヤーがだめにされること』
副題3、『高橋真樹とは、何者なのだ』
副題4、『屁がでて、ウンチがでて、げろが出るというペンネームは誰が使っているのか?』
副題5、『おためごかしの偽善者、高橋真樹、は、どうして生まれたか?』
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副題1、『鎌倉雪ノ下一丁目の工事』

さて、本日ここにアップをさせていただく文章は、高度に政治的な文章です。で、例のごとく、ツィッター方式で書かせてくださいませ。一見すると、単なる女の争いに見えるでしょうが、実情はさにあらずです。

ところで、ここで、俎上に乗る高橋真樹さんと、私を比較すると、私の方が、事実上強いのかもしれません。となると、『あなた、ここまで、お書きになって、それは、意地悪ではないですか?』といわれかねないでしょう。読者から、その様に誤解を受ける可能性はあります。で、それを避けるために、実は、この4日間ずっと、同じCDを聞き続けており、それが、どのように分断をされ、聞くことが妨害を受けているかの検証もしたと、申し上げさせてくださいませ。

それは、シューベルトの即興曲という私にとって、一番好きなピアノ曲なのですが、『それを聴いて、心を癒している』とフェイスブックのあるところで、小さく書いたとたんに、CDプレーヤーが破壊をされ始め、この四日間に、大体、80回以上は演奏を、中断されました。

  このように、電気製品がうまく動かないというのは、ほかの方も一種の脅かし策として、自分にも行われていると、おっしゃっていますが、こと、私の場合は、このCDプレーヤーの破壊は特別に大きな意味を持っています。それは、2011年の9月に予定をされていた、演奏会へ、参加不可能になった経緯があって、そのときに始まった現象なので、敵様の悪意をしたたかに感じる現象なのです。だから、見逃せません。

  というのも、そのときに演奏する予定の曲は、三位一体のミサ曲といって、モーツァルトの数多いミサ曲の中では、あまり、ポピュラーではなくて、しかも、練習開始時期ではなくて後で入ったというか、途中はいりの私にはCDの視聴は欠かせないものでありました、

  あの頃の、敵方、特に伊藤玄二郎と、井上ひさしの頭脳レベルの幼稚さにはあきれ返るのですが、ともかくとして、伊藤玄二郎は、私のブログをつぶしたいわけで、ありと、あらゆる機会を利用するのです。この演奏会も利用をされました。思い過ごしではないことは、雪ノ下一丁目にある、あるわき道道路(地図上でいうと鏑木清方美術館の近辺です)が、2011年の6月以来、しょっちゅう道路工事の対象になっていたことからも、傍証をできます。

  伊藤玄二郎は、自分の元愛人の大失敗を糊塗するがために、県や、市のお金を利用して、工事をしまくり、<<<その仰々しい騒音と、仰々しい姿のガードマンを使って、私を脅かすことができる>>>と常に考えています。最初は、私も嫌がって、文章にそれをよく書きました。つまり、いきさつを全部明かせば、あの二人が恥ずかしがって、やめるということを狙って、文章に書いたのですが、一切やめないし、さらに脅かしに利用をしてくるので、最近では、工事についてはあれこれを書かず、ただ、工事がやられる際の意味の判断に使っています。
  私のブログのうちで、彼が、どれを嫌がっているかを判断するのに使っています。

  で、雪ノ下一丁目の工事は、そこに脇本さんという、この時の合唱演奏会の、鎌倉側の役員が住んでいるのです。で、この演奏会向けの練習が不定期に行われるがために、私は脇本家をしょっちゅう訪ねて、練習日を質問したりしますね。だから、小町通から、脇本家へ、入る道で、工事が行われたというわけです。
  そこをたずねるはずだから、そこで工事をやって脅かしてやろうと言うわけです。見え見えに単純ですが、そう出てくるのが彼らの発想です。
  で、私は対抗上、自己防衛のために考察し抜いて伊藤玄二郎が最も嫌がることは、酒井忠康氏について書かれることであることを知りました。これは工事のおかげなのです。幼稚な伊藤玄二郎一派は、それによって、自分が勝てると思っていますが、工事をやられれば、やられるほどに、彼らの本心もまた、私には、読めて來るというわけですね。

  で、そういう風に、事は流れすすんで、私は、酒井忠康氏の悪というものを分析し続けているわけですが、それでも、まだ、30%も、書いていないのです。これも『いつ、何を書くか』については、神様にお任せをしているところです。頭の中に文章が降りてくるのを、じっと待っているといってよいかな?
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副題2、『CDプレーヤーがだめにされること』

  さて、私は繰り返し彼らの頭脳レベルが低いと皆様に申しあげているのですが、この合唱の演奏会の時も別に障害を起こさず、スムーズにやらせた方が彼らに、とってはずっと得だったのです。だって、モーツァルトのレクイエムしかも三位一体のミサ曲を演奏するような合唱団の練習についていくのはなかなかに大変で、したがって、そこの練習に頭や時間がとられれば、このブログの方も、当然にお留守になるからです。が、頭脳レベルが幼稚なので、そういう風にロングスパンで、ものを考えることができません。で、目の前のことは何でも、かんでも妨害をしてやろうと思っていますから、CDプレーヤーを動かさない方向で、意地悪を仕掛けてくるわけです。
 ともかく、私の本心としては、すでに、二年前に、人生の店じまいをして、政治に関する文章を書くのを止めるつもりでした。すでに、70歳近いですね。戦いの最前線に、立って戦い続けていくのもしんどいのです。で、時間の割り振りとして、好きな音楽へ捧げる時間を増やし、パソコンで文章を書く時間を減らす方向で、検討を重ねて來ていたのです。

  しかし、例のあの短絡集団は、そういう思考形態をとることができないのです。目の前にある限り、何でもかんでもやってみるというほんとうに単純な思考しかできない集団であり、この2011年9月の演奏会も、『彼女はそこにでたがっているはずだから、それをつかって、苛め抜き、それでもって、ブログをやめさせる好機だ』と、とらえた模様です。で、横浜方面の別の合唱団の役員をしている紳士加藤某氏を使ってきました。鎌倉の合唱団と、そちらの横浜の合唱団が、総勢80人ぐらいで、演奏会をするのですから迫力が出るというわけです。
  で、ほとんど普段の面識がない、紳士加藤氏が、午前中はニコニコしたメールをくれたのに、銀座へ出かけている最中に突然に心変わりをした、恐ろしいメールをくれて、ブログを引っ込めろと言ってきたのでした。もちろん、引っ込めるつもりはありません。
  さすがの悪人伊藤玄二郎も、
脇本夫人を鉄砲玉として使うのは遠慮をした模様です。というのも脇本夫人は、同じ鎌倉の住人です。しかも、顔がものすごく、広いです。となると、何がどう逆転をするかが読めないからです。

  で、横浜側の代表という紳士が、敵対者として、突然にメールの世界に現れたので、戦ったわけです。で、かれらと同じ土俵には乗りません。全く異なった土俵で戦うつもりですから、ブログは引かず、合唱の演奏会に出ない方を選択をしました。
  それは、合同で練習をした総勢7、80人に対して、恥をかくことであります。裏側を全員に説明することは不可能なので、誤解をされ切ったまま、お別れをしないとなりません。大損です。が、考えに考えた結果は、そちらをとるほかはないのでした。
  そして、そこで、負けておいた方がいまでは、よかったと考えています。

  人間とは、敵の攻撃よりも、自分自身に負けることが多く、自分との戦いほど、大切なものはありません。どうしてそうなるかというと、予測の不安というものに負けるケースがあるからです。実際に負けるよりも、『もしまけたらどうなるだろう』と、事前に予測を立てるときの方が、自分が相手を怖がっているものです。その予測の過剰な不安を、払拭するためには、予測よりも実行することなのです。事実上負けてみること。そこで、どれだけ、自分が、悔しいと思うか、人に会いたくないと思うかなどを、見聞しておくことが大切です。

  そのときに負けてみて、わかったことは、私自身が何のダメージも受けていないということでした。もし電車の中で当事者に出会っても、ひるむことなく、「こんにちは」と言えるでしょう。実際に鎌倉で、20年前は、一緒にその合唱団に所属していた人に出会ったので、「あ、モミジ坂の演奏会どうでした?」と闊達に質問をすることができましたよ。彼女はもちろん、機器に行っていて、首尾を教えてくれました。
  私は、そんな苦しい目に出会っても、何って言うこともないのです。悪巧みの裏側がわかっていますので、むしろ、「一本取ったぞ」と、思うくらいなのです。で、こちらに残るメリットは、次回以降、同じような攻撃を受けた時に、できるだけ、省エネで、戦うことができるようになるということです。

  戦いを長引かせない。消耗戦に持っていかないことです。で、そのような事前の解説付きで、最近の核弾頭として、ぶつけられて来た高橋真樹(まき)という女性についてのいきさつとやり取りを、ここに書かせていただきます。

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副題3、『高橋真樹とは、何者なのだ』

 私は、この4日間、高橋真樹分析に入る前に、非常に丁寧に過去の記録を確かめて板のですが、かの樹下らの攻撃は、1月28日が意識されたのの、最初のものです。で、普通なら、私はすぐさま、防衛用の分析に入るわけですが、ほぼ、18日間もほうっておいたのはなぜかというと、

 彼女の普通の女性っぽいところがネックになっていて、それを、丁寧に、確認したいなあと願っていたからです。今まで、私への攻撃用弾丸として用いられてきた男女ともの人材は、必ず、欲張りであったことは確かです。欲望がとても強い人たちで、まず、女ながらに出世ということを願っている人たちです。有名じんになっていこうとする意欲がとても強いのです。だからこそ、えさに引っかかった人たちです。で、私は文章ではそれをかきませんでしたが、内心では、ふんと、鼻でせせら笑ってきた対象たちです。つまり、動物的なレベルが、強いわけで、『ふーん。まあ、おがんばり遊ばせ・・・・・だけど、死のとこで、あなたは、必ず、自分の人生を悔やむことがあるでしょう』と、思っていて、どんなに攻撃されても、「へっちゃらです」と言うところがあったのです。が、今回の高橋真樹という女性だけは、やや、大人しめに見える活動振りです。

 つまり、その人生のあり方って、もしかしたら、私がたどってきた道かも知れず、となると、同類項なのです。それが、厄介で、いままで黙っていました。、ともかく、地元岩手では、小中高と、優等生でやってきて、岩手大学を出て、挫折も知らず、結婚をして子育てをしているうちに、PTAで、活躍をして、さらに余力があるので、タウン誌編集出版をはじめ、その仕事上、岩手で、大勢の女性の知遇を得ていると、言う現状の基に、生活をしている存在のようです。
 いったん家庭に入った女性の理想的な、再出発のように見えます。だから、彼女に悪意があるということを証明するのが厄介なタイプです。

 彼女が、地元の名士(たとえば元知事の娘)であるとするとさらに厄介ですが、それは気にしないこととして、さらに分析を重ねていくと、絶対にどこかでは挫折が訪れるはずなのです。まあ、攻撃を受けたからはっきりいいますが、この手のお母さんの場合、男の子が難しくなるのです。デモね、それは、20年後の話であって、今現在は、それはまだ目に見えておらず、かのジョは自信満々で、私をしかりつけたり、批判したりして、気分を悪くするように勤めているのですが、

 1月28日の時点から、これが、自然でも素直なことでもなくて、背後から、そうするように頼まれた文章をただ、オウムのように言うなりに、こちらへ送り込んでいると感じました。

 で、公にはならない形で、内々に、それを彼女に向かって問い合わせたのですが、それが、かの女には届いていなかったのか、届いても、ドウ返事をしていいのかわからなかったのか、1月の28日は、一切の否定の言葉はありませんでした。で、否定がなかったからこそ、私は彼女は伊藤玄二郎の教唆の元に動いているパペットで結局のところは、この国へ核燃料を入れ込んでいる側に奉仕をするとんでもない悪人であるとの、断定を下していたのです。28日の深夜にすでに、高橋真樹は、とんでもない悪人であるとの断定を下していたのです。

 しかし、この真樹さんを動かしているほうは、何度も言うように、頭脳レベルが、超がつくほどに低くて幼稚な連中ですから、私が非公開のままで、問題を終わらせて、公開討議に入らなかったがために、『う、うまくいった。危うくだが、逃げおおせた。こいつは将来何度でも、使える玉だ』と、みなした模様です。

 でも、私の方はてぐすね引いて待っているという形ですから、頭の中に、彼女が株式会社『のびあ』というのを経営していて、それは、滝沢村字鵜飼△森というところにあることはしっかりと頭に叩き込みました。これは、盛岡市の中心部からバスで、5駅ぐらい離れていて、10分ぐらいの距離でしょう。

 で、伊藤玄二郎の経営するタウン誌、鎌倉春秋にあこがれていて、自分で発酵する前に、鎌倉へ研修に来たことがあったりしたとしたら、伊藤玄二郎とすでに、個人的な面識があるわけですから、私への攻撃用核ミサイルとして、彼女が使われる可能性は、十分あると考えました。

 私はそれで、彼女が、もう一度、攻撃をしてくるのを楽しみに待っていたほどです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『屁がでて、ウンチがでて、げろが出るというペンネームは誰が使っているのか?』

 で、私の方は、今度高橋真樹が、ひどいことをしてきたらそのときこそ、伊藤玄二郎のしっぽがつかめるときだわ』と、楽しみにしながら待っているわけですが、一方で、幼稚な伊藤玄二郎もわくわくしながら待っていた模様です。それは、策略のひとつである、鎌倉を世界遺産にしましょうという案が政府で、許可され、進行するという目論見が通ったこと。それによって、鎌倉市内における自分の権力がさらに、いや増しにいや増されること・・・・・そういうことによったのか、またまた、下品な尻尾をお出しくださったのですよ。

 それは、2010年の7月16日アップの文章、『酒井忠康、栗田玲子、山本容子』を引っ込めさせるための薄汚いコメントをよこしたことです。

 今、それをコピペして、皆さんにお見せしようとしたら、その文章そのものが開かないという形になっています。これも、伊藤玄二郎が、どれほど、悪辣にして、権力を握ったエージェントであるかを明らかにしていますが、言論弾圧のきわみが、その日付の文章が開かないということで、見事に証明をされています。

 ともかく彼は勝った勝ったの大喜びをしたらしくて、『ゲロシネア、ヘーガデルン、ウンチョース』というペンネームで、またまた、汚い文章を寄せて来ました。で、こちらは無視・・・・・

 それが、引っ付いていたのが酒井忠康という名前で始まるっ文章ですから、彼がどれほど、酒井忠康に気兼ねをしているかがわかります。だけど、私は引く気は一切ありません。ひどい攻撃を仕掛けてくるのは常に、そちら側です。私は常に、そういう事実を淡々と分析するだけです。やられたことを丁寧に書いていくだけなのですよ。

で、この『ゲロシネア・・・・・云々というペンネームを使って、ひどく汚い文章をコメントとして寄せる裏側に、それを書いた人間の勝ち誇った気持ちを読み取ることができるわけです。それが、ほとんど伊藤玄二郎であることは間違いがないでしょうが、それでも、一応論考いたしましょう。なぜ、彼がそれほどに、勝ち誇った気分でいるかの理由を。

 いくつも、いくつも挙げられますが、ここでは、5つだけあげておきます。

 一つ目は、このブログの2月4日付で挙げているように、政府が、鎌倉を世界遺産へ推薦したというニュースです。その件に関して、伊藤玄二郎は、自らの悪事の数々を一気にマネーロンダリングできると信じており、うれしくて仕方がないこと。

 二つ目は、頼朝の墓を壊す人間が、包丁を持っていて、鶴岡八幡宮の境内で、逮捕されたとか、
 三つ目は、福島第一原発の2号機の一つの温度計が、冷温停止状態を突破して、80度を超えた温度を示しているとか、言う、ひっかけようニュースで、こちらが間違ったことを書くだろうと、手ぐすね引いて待っていること。

 四つ目は、原田あおいという、若くて独身の女性を使って、これまた、大きな攻撃を私に対して仕掛けたのですが、それを論考させないうちに、原田あおいをFBの世界から、特に私の目の前から消してしまったので、これ以上追及をされる恐れがないこと・・・・・うは、うは、しめたと、思っていること・・・・・・

 そして、五つ目は、まだ、温存をしている、高橋真樹を、しかるべき時に、うまく使って、私のライターとしての人気を失わせてやれると、考えていること・・・・・これらが、あいまって、彼を、一種の有頂天状態にさせていると、私はみなしておりました。で、
 すこし、横っ面を張ってやる必要があると考えて、

 もと、福音館社長の時田史郎君が、失礼な挙動を取ったこと、とくに、クリスチャンにあるまじき意地悪な措置を取ったことを、書きぬいたわけです。それは、このブログの世界では、2月10日にアップされたことになっていますが、フェイスブックで、メモ程度で、書き起こした時期は、もっとさかのぼります。『げろをして、ウンチをして、屁が出る』というペンネームの人間が酒井忠康氏に関する文章へ、コメントを寄せたことに怒ったからです。

 はっきり言って、伊藤玄二郎は酒井忠康氏に気兼ねをしていて、巻き込んで、自分の手下として使役したことを、申し訳ないと思っていると思いますが、その気兼ねの程度は、時田史郎君に対してはもっと、大きいはずです。酒井忠康氏とのかかわりは、鎌倉という地域社会に根差しているものですが、

 時田史郎君とのかかわりは、業際、業界を同じくする世界での話です。巻き込んで、川崎千恵子をいじめるのに役立てたが、それは、あくまでも、裏がばれないという前提でやっていて、時田君の、個人的な好みの問題で、終始するはずでした。だが、私は時田君という人間をよく知っています。3年間たった100人しかいない学校で、同期生として、一日六時間以上を過ごしたのです。本当によく知っています。隅から隅まで、知っています。その彼が、お茶も出さないで、しかも玄関に顔も見せないなどということは、非常に不自然なのです。むしろ、ちゃんと知っているからこそ、それがあり得ない態度だとわかるので、裏があり、その裏とは直接であれ、間接的であれ、伊藤玄二郎が、保身のために動いたに過ぎないのです。
 何の保身のためというと、昔、情をかわし、それにより、絶対に裏切らない密偵として、鎌倉の文化人の動静を探るべく各公民館の支所に陶芸教室を開かせた、石川和子女史が、ばかの極みで、警官を巻き込む大失敗をしたことを、糊塗して、世間に流さないようにするためだけに、使役をしているのでした。

 酒井氏も、時田君も、その目的のために使役をされているのです。

 しかし、フェイスブックで、メモ程度でも、それを書き始めたら、彼、伊藤玄二郎は焦ったのでしょう。
 出版社の格と規模、知名度のすべてにおいて、鎌倉春秋社と、福音館の二つを比べたら、たとえ、こども向けの本だけを出版しているとはいえ、福音館の方が上であるのは、確かです。そこに、大ご迷惑をおかけしているということになります。

 本当に私からみれば、伊藤玄二郎なんて、そこいら辺のコンビニの前に、夜中にたむろして、インスタントラーメンを食べながら情報交換をしている少年たちとなんら、変わりのないレベルのチンピラにしかすぎなくて、ただ、私の手のひらに乗っけて泳がせているにしかすぎないのに、自分の方が上だと大勘違いをして、次から次へと策略を考え出すわけです。それで、その策略を、これまた、次から次へと見破って、こうして、日本全国民の前に提示していくのが、最近の私の仕事とさえなってしまったというわけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『おためごかしの偽善者、高橋真樹、は、どうして生まれたか?』

 さて、私は、2012年の2月11日に延々とフェイスブックで、早稲田大学の革マルの忌まわしさについて書き続けておりました。それを、一万二千字ほど書いたところで、休憩を取りました。そして、休憩後に、フェイスブックを、開けると、高橋真樹名義で、

 『被災地の方々への言葉の使い方,もう少し配慮できませんか』と、はいっておりました。グッと、冷水を浴びせかけられた気分があります。というのも彼女が岩手県に住む、人間であることは、一回目の嫌味で、意地悪なコメントの入れ方で、私の頭にしっかりと入っております。でね、こっちも少しの間はひるんでしまいました。もしかすると本日書いた文章の中のどこかに彼女の言うとおり、被災地の住民に言及しているところがあるかどうかを、心配したからです。

 しかし、ほぼ、五日間かけて、丁寧に丁寧に検討しましたが、その日アップしたすべての文言、1万2千字の中に一か所も被災地に言及したところはありませんでした。

 彼女に背後関係がなくて、意地悪で怜悧なコメントは、すべて、一人で考え出した文案であると仮定いたしましょう。すると、岩手大学、およびそれ以前の彼女の通った、高校の国語担当の教師、教官は、彼女に文章、一行をも読み取る力を授けなかったということとなります。

 彼女の年齢から考えれば、それらの教師、教官は、そういう教育を果たしたというわけです。偉そうにして、人をけなす女性は、文章の読解力が一行もないのです。自分は被災地の人間だそうです。が、彼女の住んでいる岩手県、盛岡市の近郊は、津波の被害に出会った場所ではありません。さすれば、彼女の家、および株式会社『のびあ』が入居しているビルに、倒壊などの被害があったのでしょうか? これから、国会図書館にでも行って、岩手県の地方新聞を検討する必要があるのでしょうか?
  
 ともかく、なぜ、彼女は間違った情報に基づいて、しかも、自分の方がまるで目上の人間であるかのごとき、文章を寄せたのでしょうか? 無論のこと、背後から教唆を受けてそれをやっているパペットに過ぎないのです。無内容な操作されたお人形に過ぎないのです。
 ともかく、伊藤玄二郎に采配をされているのは確かでしょうが、それがないとして、素手で、私に立ち向かうとして、それほど、自信満々で、ご自分の方が偉いと規定できる、資格がどこにあるのかを、確かめていきましょう。

  昨日14日まで、その全貌を隠していた、株式会社のびあのホーム頁は本日は全開をしています。それによると、協賛企業が、22あるそうです。つまり、それらの企業から、月に二万円の広告料が入るとすれば、まず、44万円は、確保できたといえます。もし、月に二回タウン誌を発行していて、月に一回は、二頁ぐらいの特集を入れるとすれば、月三万ぐらいの協賛金をもらえるでしょう。すると、すでに、66万円の収入になります。

  長女を17年前に出産をして、第二子もいるらしい。ここまで読んで、どうして、この人がご自分を私川崎千恵子より上だと、みなしているかが理解できません。だって、私にはよそのお店の宣伝をしてあげることなんか一切興味がありませんので、彼女を私が偉いと思うどおりもありません。そんなことは、オリジナリティとも、芸術とも無関係な世界です。でも、彼女はご自分を偉いと規定して、私をしかりつけています。

  もしかすると、地方の国立大学出身者特有の井の中の蛙、大海を知らずの傾向があるのかな? 都会の私学の名前も偏差値も人気も知らないのではないですか?
  1962年に国際基督教大学がどれほど、人気があって入学が難しかったか?何も知らないのではありませんか?

  まあ、無知による傲慢というので、突っ走ってもいいですよ。こちらは、その手の大好餌、前田清子さんがありますから、彼女の分析をあなたの代わりに行うだけのことです。

  この前田清子という女性は、25年もご近所様として、悪辣ないじめを数々、やられてきていますので、すぐ大分析ができるのです。伊藤玄二郎が、『うんちが出る、屁がでる。げろが出る」というペンネームを使って、私のブログを攻撃してきたちょうど同じころ、干し物を堂々と、違法に占拠している土地に干していました。

  それを、この2月5日の夕方から次の日の早朝まで、部分的に、12時間程度アップしていったん引いています。どうして引いたかというと、別の話題にエネルギーを注ぎたかったからです。が、高橋さん、あなたのこのとんでもない攻撃を受けて、それを、いつか丁寧に書き直してアップしましょう。

  そうすると、お困りになるのは八幡宮様です。というのは、八幡宮様は前田清子夫人をひいきされて、国学院大学の講師に推薦されております。前田清子さんは、それに感謝して身じまいをただせばいいのに、真っ反対で増徴マンの限りをつくして、人を苛め抜きます。八幡宮の大銀杏が倒れたのには、彼女のその驚天動地の行動の影響も20%は寄与していると思います。その部分を情理を尽くして再び書くこととなるでしょう。異端引いたのは遠慮でもなんでもなく、ただただ、興味が別の主題に移っただけでありますから、いくらでもそこにエネルギーを注ぎこむことはできるのです。

  で、ここで、ほとんどなにも私のことを知らないくせに、まるで欠席裁判のごとく、私を断罪して、そのコメントを呼んだ人々に、私がまるで、残酷な人間ででもあるかのように思いこませた、高橋真樹さんに、はっきりと宣告しておきます。

  『あなたは、鎌倉の鶴岡八幡宮に大迷惑をかける可能性が出てきました』とね。<あなたは、私のグーブログ、『銀座のうぐいすから』を、一本も丁寧に読んだこともなく、かつ、人から命令されたあくをなす時に、その裏側を検討することもなく逡巡することもなかったので、これから、起きることには当然のごとく、責任をおとりになるのでしょうね>とも。

  私は普段は、これほど、厳しい人間でもないのですよ。だけど、伊藤玄二郎は、事をやりすぎています。そして、私ほど被災地の人々に純粋な同情心を寄せている人間もいないと思うのに、私のことを何も知らない、高橋真樹という、岩手大学を出て、ずっと盛岡市周辺で生きてきたらしい井の中の蛙に断罪をされては、許せないです。

  たまたま、数か月前に取り上げた日本初期洋画の研究の中に、大天使ミカエルの像というのがあったのですよ。大天使ミカエルははかりと、鎌を持っていて悪魔を狩るのです。私ね、この高橋真樹のコメントを見た時以来、自分が大天使ミカエルになった気分です。本当に、悪魔であることよ。この連中はと思っております。高橋真樹は、ふたりの子供のお母さんだそうですが、やっていることは悪魔に加担することであり流れからいうと、核燃料をこの国に入れ込める側に協力をしたというに他ならないのです。

  えらそうに、しかも見当はずれに、被災者に向かって、言葉に気をつけろと言っていますが、内実、自分が悪魔の手先となって、核燃料を売りつけている側に協力をしている大、大の付く偽善者です。

     久しぶりに簡単に決めつけえる相手を見つけてすっきりいたしました。笑っちゃうほど、健康に役立ちますね。長い間のインフルエンザも、ここでやっと脱出できるかな?

  それから、パソコンに侵入を受けている人々にも申し上げます。高橋真樹さんが、何も私の文章を読んでいないのに、ああいうコメントを入れたのは、伊藤玄二郎に教唆をされたとして、伊藤玄二郎は、どうして、フェイスブックの私の情報を知ることができるのでしょうか?

  これも大問題です。どうして、こういう特権が彼には許されているのですか? 前々から、私の個人的な情報が彼には通通であることは知っていましたが、フェイスブックは最近、おかしなことが続いていますよね。このブログの読者であり、フェイスブックの読者である方ならすぐ肯定をなさるであろう、おかしな現象が続いています。文字がダブって見えたり、情報が突然消えてしまったり、そういう忌まわしい工作をしている人物や集団から特別は優遇措置を受けている存在が、伊藤玄二郎でもあるのです。   2011年2月13日から15日へかけて書く  雨宮舜(川崎 千恵子)
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頼朝の墓が、破壊をされた

2012-02-12 13:05:43 | Weblog

頼朝の墓が攻撃されたが・・・・・これも偽物ニュースか?

  さて、私は鎌倉が世界遺産へ推薦されたことに関して、『それは、悪人エージェントたる、伊藤玄二郎を、マネーロンダリングするに過ぎない』と、言う論調を張ってるわけです。そのうえで、古い現象ですが、自分の身近な存在が、次から次へと敵へと、宗旨替えをしてしまう現象を書いています。
ただ、重いインフルエンザにかかっているので、銀座の画廊めぐりもできず、ただひたすら自宅にいるわけですが、花がほしかったり、お刺身が食べたかったりして、ちょっと夜の鎌倉にお散歩に出ることはあるのです。で、金曜日の夜にお買い物に出ると、鎌倉春秋社のビル(4階だての4階部分)に赤々と灯がともっていて、伊藤玄二郎氏が、夜の八時でも、残っているのが、推察されました。私は、「おや、まあ、また、策略を練っているのでしょうね」と思うわけですが、土曜日の夜のNHKニュースとして、頼朝の墓が攻撃をされ、犯人は、八幡宮境内で、包丁を持っているので、逮捕されたというニュースが報道されました。
 おや、おや、これが、今回のお二人(?マークとしてわざと名前を上げませんが)のアイデアですか? と、感じ入ります。警察はよく、包丁を抱え持っている不審者を逮捕できましたね。

 が、私の推察では、これは、プロの人間です。たとえば革マルという組織で飼われているような手合いでしょう。・・・・・と、私がここで、書けば、より詳しい犯人像が出てくるとは思いますが、いわゆる微罪として、顔写真が、公開されることもないと思います。

昔、街路樹のチューリップを傘の先でなぎ倒した男の映像が公開されましたがが、あれと同じ類の作られたニュースでしょう。チューリップの方の犯人は逮捕されていません。毒入り餃子事件、厚生省事務次官殺し、中目黒の東大卒製紙会社役員大原氏殺害事件等、すべて、怪しくて、諜略のにおいがする事件です。つまり、悪人たちが追いつめあられると、必ず、この手の事件を起こすのです。

  が、私がこういうニュースをさんざんに分析をし始めてから、犯人が逮捕されるようになりました。が、厚生事務次官殺しにしても、遠く離れた二か所で、車も持っていない犯人が、殺害までを行えるのか、疑問はいっぱい残っています。

こういうニュースは、国の政治に関して、真実が広まらないようにと願ってでしょう。ということは、早稲田大学卒にして、福音館元社長の時田史郎君について書いた私の文章はひどく重要だということを示唆しています。ともかく、こんな快晴の土曜日に包丁を持っている不審者など、鎌倉には現れるはずがないのです。で、作られたニュースであることがわかります。ただし、どうして、頼朝の墓が狙われるかというかというと、あそこら辺りは矢倉が多いのです。矢倉とは、がけに掘られた洞窟で、砂岩で、がけができている鎌倉には多いものです。鎌倉時代にはお墓として利用をされていました。
私は、最近は昼間の散歩をしないのですが、  
25年ぐらい前は、よく昼間も散歩していて、この手のやぐらの中をよく見たものです。中には布団が置いてあったり茶わんが転がっていたりして、『おお、ホームレスが、ここに寝ているのか』と、驚いたこともあります。そして、それをエッセイに書いてすでに、発表をしています。
だから、この近辺なら鎌倉では、もっとも不審者が表れやすい場所だとみなされて、頼朝の墓あたりが狙われたのでしょう。ともかく、そう乱用ニュースに右往左往をしないことは大切です。

続・頼朝の墓破壊・・・・・大和市に巣窟がある?

  一夜明けて朝日新聞を見ると、頼朝の墓を破壊して、包丁を持っていて、八幡宮境内で、逮捕された男は大和市在住の46歳だとあります。「う?」と私のアンテナが立ちあがります。・・・・・鎌倉の裏駅に映画館という喫茶店がありました。そこが急に立ち退きを迫られて、跡地を持ち主が、売ったのですが、2007年の12月27日のたった一日間で、三度転売をされていて、大和市の会社が所有していることになっています。この場所ですが、映画館のオーナーは、私にとっては、非常に重要な証言者です。で、エッセイで、それを書けばお客がそちらへ向かって、さらに証言を確認する可能性があるとして、大船へ、引っ越しをさせられてしまいました。
  それは、私の近所に人格が未熟な女性陶芸家がいて、猫のことで、警察を巻き込む大騒動を起こしているのですが、その女性石川和子が、伊藤玄二郎の愛人だったと、証言をしてくれた人が、その喫茶店のオーナーだからです。
  石川和子という女性は、鎌倉市の公民館を、最大限に利用をして、その結果、月に200万円の収入があるのだと豪語していましたが、そういう生活ぶりから、わがままで、わがままで、まるで小学生なみの感性で生きていて、私の猫さびちゃんが、気に入ったからと言って、返してくれないのです。
  しかも、このごたごたが、煮詰まりきって、解決不可能になったら、警官を呼んで、その脅かしの力で、強引に解決をしようともくろんだのでした。猫を盗まれる、私の方が被害者として、警官を呼んだのではないのですよ。私はそんなバカなことはいたしません。あくまでも猫なのです。自分で解決をいたします。
実情は、反対なのです。驚天動地の発想ですが、加害者側、すなわち猫を盗んでいる方が、警官を呼んだのです。理由は、猫に逆らわれ逆上をしたからです。つまり、私の猫は、彼らより、私の方が好きなのですが、それを、彼らの目の前で、証明しちゃったので、逆上をしたのでした。それで、警官に、あそこの奥さんを旦那に叱ってもらいたい・・・・・それを、警官が命令してくれ・・・・・というものです。
  また、そこに呼ばれた警官がお馬鹿さんの極みであることには、交通事故の調書さえ取って私を脅かしたのです。全く、どこがどうなっているのやら、もう、驚きも通り越しますがね。・・・・・・この山は、全山急峻な崖に囲まれていて、石段を、100段以上足で上がるほかはない場所で、交通事故など起こる可能性がない場所です。警官のばかげていること、ばかげていること。そもそも、加害者側に味方をするというのが、ばかげていますが・・・・・
  で、このバカ夫婦のおかげで、大変な迷惑をかけられてしまっている私ですが、伊藤玄二郎は、この二人に謝罪をさせるという方向ではない形で、物事を、修復をしようとしています。それで、次から次へとおかしな策略を重ねてきているのですが、その一つが、喫茶店映画館の立ち退かせであり、そこを買った、大和市の会社の存在です。そして、鎌倉の世界遺産への登録があり、・・・・・・この頼朝の墓を破壊した男の存在も、彼の原案である、策略である可能性があります。・・・・・

ともかく、快晴の土曜日の八幡宮境内で、包丁を懐に持っている不審者が、どうして警官に逮捕されたかが不思議でなりません。だって、警官が常駐はしていないと思いますよ。特別に参拝の多い日は別として。となると、その男が特に、異常な行動をとったのでしょうか?

もしかしたら、特別に異常な目立つ行動をとったとみなされます。それが不思議なのですが、大和という土地に、もし、国際的軍産共同体の別動隊、革マルなどのアジトがあれば、ことは、理解可能な程度で落着をしていきます。彼は、プロであり、騒乱を起こすことが目的であり、逮捕されることも計画の中の一手だったと考えれば、騒ぎを起こして逮捕される可能性は大きいのです。裏で報酬が後で出るとすれば、覚悟の上での演技でしょう。
まあ、私自身は、深入りも、したくは、ありませんが・・・・・・ともかく、時田史郎君などは、その伊藤玄二郎の愛人だったという石川和子女史の驚天動地のばかっぷりを、ロンダリングをするために、使役をさせられているだけのことなのです。時田君ご本人は何が何やら、ちっとも、真実はわかっていないでしょうがね。

  

そして、この件も、煮詰まりきったので、石川和子女史が、この世から姿を消すーーーガンで死亡するーーーという形が取られていますけれどね。三か月前にまで、小町通りを、彼女がぴんぴんした形で歩いているのを見ている私には、不可思議なことの連続としか思えません。

まあ、この頼朝の墓破壊という、最新のことはこだわると、私の意向を覆す方向で、事件がいかようにも料理されていきますので、こだわらない方がいいのです。

ただね。昨晩、高橋真樹という女性を使った攻撃があったので、この件にこだわって記録をしておきたいと願っているわけです。多分、タウン誌関係の知遇で、伊藤玄二郎が高橋さんを動かしたのだと思いますけれど。


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時田史郎(元・福音館・社長)君へ・・・貴君は鉄砲玉として利用されていないか?

2012-02-10 10:52:31 | Weblog

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・1

   私は昨日の深夜、島谷晃と言う早稲田大学出身の画家の忌まわしい性格と行動について述べています。で、彼らが一種の偉い人として、文化庁の在外研修生の同窓会展などを、その人選の際などに、私物化している恐れさえ、見つけているから、さらに深い嫌悪感を持っているものです。しかもある時期までボランティア活動、文化庁の在外研修生の同窓会ですが、秘書役をして私を使い、自分を権威付けることに散々使っておいた上で、伊豆美というコンクールで、応募表を裏返しに張るという恐るべき意地悪で、コンクールには、ほとんど落選をしたことがない、私を落選させた策略の人でもあるから、ますます、深い嫌悪感を持っています。でも、自分をマネーロンダリングするのに、早稲田大学卒という肩書きを、最大限に利用していますから、同じく早稲田大学卒の有名人である時田史郎君にもお問い合わせをします。
   「あなたは、こういう人物と同窓生であることを恥ずかしく思わないのですか?」と。特にあなたの会社は、『こどもの友』という絵本を出しておられます。それは、福音館という社名からも明らかなようにキリスト教精神に基づいています。
   ここで、新しい質問へ入ります。聖書の言葉に「時には蛇のごとく賢く、時には鳩のように従順なれ」と言う言葉があります。ある人間、この場合は私のこと。を抹殺するために、応募表を上下反対にして裏に張り、そしてともかく、御自分が審査委員長のお礼はもらえた伊豆の展覧会は開かれました。子供たち(+親たち)は、そういう忌まわしい裏のある美術展を、自分の税金を使って開き、そして、鑑賞したのです。
         ・・・・・2へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・2

   さて、私と宮島洋(現在、早稲田大学教授)、飯田隆(元週刊朝日編集長)、成岡庸司元早稲田の革丸委員長の4人は、たった100人しか同期のいない横浜国大付属中学の卒業生です。時田君を含む残りの95人を入れれば、現代の日本の文化的なトップ層を、形成しています。
   そして、私は、その100人の男女を含む生徒の中で、誰にも解けなかった数学が全問正解でそれゆえに入学式総代で、その流れのまま、中三あたりまでは、成績が良くて、卒業生総代でもあります。これがなぜ大切かというと、2009年の冬に信じがたい失礼な措置を時田君から、受けたものですから、その裏側を解くためには、それを分析しておく必要はあるのです。これは記録文学ですから、原発に反対する人間に対する弾圧がどういう風に進み、結果として、どう、効果を挙げるかは記録し続けないといけないのです。

   ところで、時田君の示した信じがたい意地悪とは、私の本と関係があります。
私はじぶんの本を出版し続けているのですが、その製作の段階で、アドビも、マイクロソフトも言うことを聞かず、しかも外部から誤変換が入れこめられたり、御近所や、山下から、騒音が送りこまれるという、おお苦労の上で、作り上げます。
   その段階で、一般の出版社が掛ける労力の1万倍の労力を掛けています。・・・・3へ。

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・3

  時田君、あなたは伝統ある出版社を引き継ぎました。そしてつつがなく運営発展をさせ、無事に三代目へ譲り渡し、いまは悠々自適のみですね。そして、私が毎回、必死の思いを持って、血の涙を流しながら作り上げて、あなたに献呈した本に対して、礼状一本よこしたことも、ありません。私は直木賞受賞作家とか、大学教授とか名望ある方から、数多くの感想付き礼状をもらっていますが、あなたからは一度も來たことがありません。公的書評も,6冊のうち,三冊に来ていますが、一度も覗いたことも無いから、そのよさも一豪も感じたことは無いのでしょう。常に、それは、ごみでしかないと、・・・・・私は推察しています。
  でも、それでも、私はあなたを含む、ありとあらゆる知遇に対して、本を献呈し続けてきました。それは、必死の作業の結果の作品なのですから、見ていただく、内容を受け取っていただくことがないと、労働の完結を見ないからです。読んでもらえるかどうかは相手に任せます。が、届けるところまでは、私の作業です。

  そのようにして、すでに、6冊も作り上げているわけですから、画廊を含めて、どこの最寄り駅には誰が住んでいるかはほとんど、頭に入っています。そして、ひと晩に5、から6冊分くばるべく、主人に断って外出をします。
  というのも、昼間出かけると、泥棒が入るからです。私はひどいレベルで、弾圧を受けていますが、本を出版すると、その本がもっとも、効果が高い立派なものらしくて、それを配布させないがために、ありと、あらゆるいやみな攻撃を受けるのですが、そのひとつが、泥棒が入るということなのです。   ・・・・4へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・4

  さて、普段の銀座画廊めぐりの際にも、実印をはじめ、ありとあらゆる盗まれたら困るものをキャリーバッグに入れて、まるで横浜メリーさんみたいに、それを引きずって歩いているのですよ。それが重いし、画廊の中にはエレベーターのないところも多いし、私は大学時のトルエン系物質多量使用の卒業実験で、体を壊していますから・・・・・そのキャリーバッグを駅のロッカーに預けて、画廊めぐりを重ねていました。
  ところが、最近友達になったA子夫人も同じ経験があるそうですが、駅のロッカーを利用してもものが盗まれるのです。パソコンのバッテリーだけが盗まれるとか、驚くべき泥棒がこの世の中にいるのです。

  この泥棒ですが、そのタイミングとなぜ、それが盗まれるかを考えると、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康、石塚雅彦などの名士と必ず、関連があるのです。それは、すでに、グーブログの方で、何十万字を費やして書いていますが、

  問題は、本日、名前を挙げている時田史郎君が、そちら側の人間であるということなのです。別に、時田君、ご自身が、私の外出を追いかけてきて、駅のロッカーをこじ開けて、PCのバッテリーを盗むわけではありません。そういう汚いブルーカラーの仕事をする人間は別同部隊があるのです。が、精神のあり方を言えば、彼は、恐るべきことに、そちら側の人間なのです。つまり、この日本に、核燃料ビジネスを持ち込み、いまだに、原発を廃棄させず、あわよくば、再開させてやろうとたくらんでいる勢力の、一人なのです。

  何度も繰り返し行っています。現代日本では、少しでも上流階級のくらしをしている人間は、ほとんど、実質的に、原発容認派なのであると。まだ、時田君など、運動をやっていないのが、誠実なほうで、反対運動をやりながら、裏では、真っ赤な舌をぺろっと出している人間モ大勢いるのですよ。 ・・・・5へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・5

  パソコンのバッテリーは覚えているだけで、5個盗まれています。パソコンそのものが壊されているケースもれいれれば、買ってから、すでに10台は使えないようにさせられているでしょう。しかし、私はめげるということはないのです。たえに耐え、しのびにしのんでいますが、苦難が大きければ大きいほど、一方で、天の恵みもまた大きいのでした。お金がなくなったな。もう本はできないかな? と思っていたら、母が93でなくなり、遺産を残してくれました。主人が言うのですが、「お前ほど、恵まれている人間はいない」と。
  文章を書くという高等遊民の生活を続けながら、夫はいて、子供はいて、孫はいる。この世で、人間が楽しむことはほとんど経験してきた。(あ、ただし、ゴルフ、スキー、車の運転、テニス、乗馬はやっていません。スポーツ系は、スケートをやったことがあるぐらいかな?)上に、衣食住の、心配も老後の心配も無いのです。

  海外には自由にいくことができて、三回に分けて、270日も版画だけ作って暮らすことができた。
  この鎌倉の家には、夫婦二人だけで住んでいて、親の介護も、孫のお世話も必要がありません。
  しかも、もし、裏側の苦難を書かなければ、現在日本の最上級の人士とリアル友達である。それほど、恵まれています。ただ一点、24時間、神経を煩わされる、その弾圧のことさえなければね。それから、すでに、有名出版社から五冊のホンは出ていても良かったのにという逸失利益を、悔やむ気持ちも捨てればね・・・・・

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・6

  時田史郎君の家を訪ねたときには、19時半を過ぎていてました。駐車場には三台の車が置かれていて、家の中はにぎやかでした。11月3日を間に挟む連休で、こどもさんが孫を連れてたずねて來ているのです。逆噴射機長が住んでいたことで有名なその住宅街は駅からは、バスで30分近くかかるので、私の体はすっかり冷えていました。
  が、出てきた奥さんは、玄関内にさえ招じ入れず、門のところで、本を(いやいやながら受け取ると)何の愛想もなしに、返ってくれという態度を示しました。私はだんなと友達であり、奥さんとは友達ではありません。だが鎌倉での、個展などには、ある種のありばい証明のように、奥さんが来てくれていましたから、すでに、顔なじみであり、会話を交わしたこともあるのです。だから、彼女のあまりにも無愛想な処遇には、ちょっと、こちらの決まりが悪すぎて、耐え切れず、「お孫さんがいらしているの?」といいました。で、奥さんは「はい」と答えました。が、状況にはなんの変化も現れず、私は負け犬中の負け犬となって、その門前から離れ、バス停に向かいました。
  このイトーピアという住宅地は、最初の販売価格も高い場所で、ほとんどの住人が時田家クラスのお金持ちで、しかも駅から歩くのは不可能なので、どこの家でも、車は二台持っていました。だから、バスは有名無実であり、使う人がおらず、ましてや休日なので、一時間に一本しかなく、私は、あと、40分も、寒い中で、待たないとダメでした。

  携帯は、GPS機能の関係から暗殺さえ恐れている私は絶対に持ち歩かない危険な道具であり、しかもたとえ、携帯を持っていて、そこにタクシー会社のナンバーが保存をされていたとしても、逗子駅からタクシーがここまで配車される可能性はありませんでした。その時間だけで、30分以上かかるでしょう。私股の間に、本を入れたキャリーバッグ(ころころ)をぬれないようにはさみながら、氷雨の中をひたすらバスの来るのを待っていました。
  すると、おしっこに行きたくなってしまったのです。

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・7

   この高級住宅街の中でバス停は一種の公園になっていました。が、外部のひとなど誰も来ない場所で、もちろん公衆トイレなどありません。私は植え込みの影で、おしっこをすることを決断しました。だって、少しでももらしてしまったら、この寒さの中、風邪を引くのは確かですし、次に予定している友達の家も訪問ができません。
   しかし、植え込みにしゃがんで、実際に放つ前に、走馬灯のように過去の栄光が頭をよぎりました。学士会館で、阿刀田高さんに『あなたほど、頭の良い人はかつてであったことがない」と言われたこと、・・・・・その数年後、阿刀田さんに二冊目の本を差し上げたいが、有名人なので、積読(ツンドク)で終わると困るから、電話をかけてみたら、「ええ、もちろん、あなたのことは覚えておりますよ』といってもらったこと。その数年後阿刀田さんは、日本ペンクラブの会長になること。
   1999年のニューヨークPratt Institute という美大で、DENISSE MULLENという女性教授が私に嫉妬して意地悪の限りを尽くしたこと。ただし、次の学期に彼女の授業を取る学生が一人もおらず、彼女は大学を辞めざるを得なかったこと。
   若いころ、東大に勤めていたことがあって、当時の教授に「結婚をしても辞めない方がいい」といわれていたことと。「あんたは、東大出身じゃあないけれど、ものすごく頭がいいから、将来、必ず、東大教授になれる。やめないほうがいい』と言われていたこと。

 そして、中三のときなんか、今日いじめ切ってきて、バス停の植え込みで、おしっこをしないとならない原因を作った時田史郎君なんかより、圧倒的に優秀だったのです。時田君は単に神奈川県内の公立高校(ただし、旧制一中ではある緑ヶ丘高校だが)へ進学したのに対して、私は東京の御茶ノ水大学、付属高校へ進学したのでした。そちらの方が入学は無論難しい。神奈川県から進学できたのは、私一人だけでした。
  しかし、いま、私は彼の意地悪に負けて、屈辱的な形で、雨の中、かがんで、おしっこをしないとならないのでした。

  私はひそかに、神様に訴えかけました。「神様、時田史郎夫妻とはパリサイ人です」と。「毎週教会へ通っているそうですが、信者とは名ばかりの偽善者です」とも、訴えていてました。      ・・・・8へ

時田史郎(元福音館社長)君へ・・・・・・8

  今までお話をしたエピソードは2009年の11月のことで今から2年以上前のことです。3.11よりも前のことです。が、時田夫妻が示した強烈な悪意が、普通のものではないこと、必ず裏があることはすぐ推察できました。葉山というのは鉄道が入っていない場所なので、どこを訪ねても車を運転しない限り不便極まりない場所です。ですから、バスか、タクシーで訪れたお客は必ず、駅まで、送るのが、住民側にとっての不文律です。それを、『どういたしましょうか?』とも、質問をさえ、しない付属中学の同級生が、この世にいることはありえないのです。今は、神奈川県にも、いろいろな学校ができていますが、55年前の当時は、横浜随一のエリート校だったのです。しかも、女の子は、35人だけ・・・・・

  私は無論のこと、正しい状況は推察できています。つまり、どこやらから教唆をされていて、わざと意地悪をするように頼まれていたのです。つまり、国際的軍産共同体は、特にその中の文章解読担当エージェントたる井上ひさし(この人はまだ生きています。地下潜行しているだけです)などは、私の文章が、力があることを知っています。特にそれが、紙の本へと直っていると半永遠の命を持ちますから、脅威のマトとしています。

  それで、私に対して、紙の本を出版をさせないようにするためなら、何が何でもやるつもりになっていて、ありとあらゆるチャンスは利用するつもりになっていたのです。この2009年11月は表向きにも井上ひさしは、まだ生きていました。彼が、自分を死んだことに直したのは、2010年の4月9日です。
  で、彼本人が時田君にメールか電話で頼んだか? それとも、伊藤玄二郎か、酒井忠康氏を動かしたか? それとも、東京で、時田君に影響力を持つ人間が動いたのか?

  ともかく、私がどうどうと、タイトルに個人名を書いて、論を張って行っているのは、別にこれが、感情だけの問題ではないと信じているからです。私自身、個人的なむしろ時田君に対しては、逃げ道と、弁解の余地を残しておいてあげているのですよ。大変に、親切な人が私なのです。

  明け方五時に、「彼女はスパイだったかもしれない」とわざと書いたら、その日の夕方7時に電車に乗って、A子夫人は尋ねてきてくれました。私が横浜市営地下鉄を利用して反対ルートで彼女のお宅を訪ねたときには、2時間かかりました。彼女も二時間かかったそうです。でも、それで、誤解をとくことができました。
  今、私はカゼがひどくて、痰がうす緑色になった段階です。で、どなたにも対面で、お話をすることができません。だけど、時田君、お考えがあるのなら、私の個人的なメルアドを御存知のはずですから、どうか、一本でも、8本でも、メールをよこしてくださいませ。

  さて、一般の読者のかたに、申し上げます。この問題は,まだ、4分の1も、表現をされていないのです。あとの75%が残っております。が、私が個人的な復讐のために、この一文を書いているわけではないというところまで、書けたので、いったん、中断し、休憩を取らせてくださいませ。いまから、就寝しますが、起きたときに、この続きを書くか、別の問題へ取り組むかは、その時点で、また、新たに決めさせていただきたいと思います。

  私に文章を書かせてくださる方は、すべて、神様です。私は、自分の力で書いているわけでは無いのです。では。

復讐のためではなく、原発廃棄のためにそれを書いている
・・・・・・時田史郎君の悪意1~8までを書いて、思うこと。・・・・・・・

  私はすっす、すっす、疲れも知らず、大量の文章が書ける人間として、昔からのリアルな知り合いの間では、有名です。なぜ、それが、可能かというと、自分の意思で、文章を書いているのではなくて、神様が、書かせてくださっているからです。だから、大体疲れるということがありません。どこにも無理が無いからです。無理に背伸びをしたりすることはありません。

  ところで、時田史郎という個人名を冠した文章を、1~8まで書いたわけですが、私は早急に時田君に反省してもらいたいと思っています。彼は、こどもの成長に役立つ絵本を出版している会社の社長です。が、私になさっていることは、ほかでもない。原発推進派の、側の弾丸となって、原発反対派である私を苛め抜き、抹殺しようとする方向です。わかっていらっしゃるのかしら?

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島谷晃、と、スメルジャコフの類似性、・・・・・汚い行動の人だなあ!

2012-02-09 03:12:05 | Weblog
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー1

  島谷晃という人がいます。FBの会員かどうかを知りません。早稲田大学の出身で、鵠沼の住人で、画家であり・・・・・文化庁の在外研修制度の同窓会の役員を長らくしていた人です。今もそれを継続しているかもしれません。彼は、2012年現在では、自信満々の強気の人である模様ですが、2004年ごろまでは、わりと謙虚な態度を私に対して見せる人でした。それは、足が悪い。そういうハンデも影響をしていたと思います。それで、自己を強化させるために、いわゆるボランティア活動の、秘書役を頼まれていました。彼は同窓会の事務局長をしていたのです。

 で、一年に一回、五月ごろ同窓会が、開かれますが、そのときに、家来として、島谷さんを、形式的にですが、ささえる役です。別に書類を用意したりする必要はありません。ただ、お飾りで、島谷さんを立派に見せる役目です。
 
 これは、横浜のサッカー場の天井画を描いた渡辺豊重さんが、必ず、取る社交上のテクニックでもあります。渡辺豊重さんは、美術界の社交的な催しがあるときには、必ず女性の画家同伴で現れます。誘われる人は、そこまでの行き帰りで、情報交換できるし、豊重さんのコリーグ(仲間)として振舞えることは、それなりに御自分の他者から、大切にされることだから、喜んで付き合うみたいで、常連となっている人が、居ます。その上、豊重さん自身は、誰かから、絶対に攻撃をされないという利便性があります。こういう世界もいろいろあって、良いしごとを次から次へと頼まれる豊重さんは、それなりに、他人の嫉妬の視線を浴びていることを感じることも多いでしょうから。

  今日は、私への政治的な弾圧に、こういう人が如何に利用をされているか? そして、そういう動きを示唆し、命令しているのは誰であるかを語りたいのです。今までは、主に、パソコンへの破壊という現象について語ってきています。が、そろそろ、人間を利用した攻撃がどういう風に行われているかという部分にも取り組みましょう。

 というのは、これらは、古い話で、私は、この二人に、会う必要がすでになくなっているからです。で、一種の記録として残しておきたいのです。私の文章は、すべていわゆるゴッホの手紙として、後世のひとが資料として利用してくれたらいいと考えていますし・・・・・2へ

島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー2

   ところで、本論に入る前に、今現在の瞬間的に行われるパソコン技術的な弾圧・・・・特に、フェイスブック上でのそれを語りましょう。私がこの論考の1をアップしたトタンにそれが消えました。これはしょっちゅう起きることなので、『あれ又、削除をされたかな?」と思いましたが、画面をスクロールして下へ向かうと、下の方にあることはありました。が、私の後に、私より前に揚げられたより古い情報が、六本も入れこめられているのです。このように、FBにアップした文章が、目立たなくなるように、目立たなくなるように工夫をされています。特に驚いたことは、月曜日の14時に揚げられたものが、突然にここに現れたことです。今はすでに木曜日です。間に、いったい何時間がたっていますか?

  もちろん、それを、やっているのは、その情報をあげた御本人ではありません。いわゆるエージェントとして、雇われている人です。大体、わかっていますが、その人物を特定するかしないかは、いつも迷います。というのも、この様に他人の情報を自由自在に来ることができるとは、相当に恐ろしいことですよね。しかも「私の情報が削除されてしまっているわ。どうしてかしら」と嘆いている人へ、あなたの嘆きは、○○◇◇氏がやっていますと、次げたらどうなりますか? 大騒ぎになるでしょう。だから、この人がやっていると断言をすると、その人の社会的な立場を相当、低劣化させるでしょう。となると、個人的な恨みを買う恐れがあります。だから名前を特定できません。

   だけど、これから、書く島谷さんのなさったことは、同じ悪でも、そうとうに、人間的であり、むしろ、こっけいにちかい部分があるので、読み物として、よりのんびりしている話題ですから、おちついて書き進めます。・・・・3へ

島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー3

  一時期、町おこしに美術が使われたことがあります。伊豆は、東京から行きやすい行楽地とみなされており、池田21世紀美術館などがあり、伊豆美というコンクールを催していました。今では、母から、遺産が入ったので、お金に困ることがなくなりましたが、勤務先のない身で、出版社として、次から次へと、自分の本(だいたい600~800部)を出版していたら、金欠病になるのは当たり前で、私はお金を稼ぐために、こういうコンクールへ応募することにいたしました。
   そして、審査委員長は、島谷晃氏でした。私は女流展も、国展も、事前運動を何もせずとも連続入選しています。コンクールとしては、長らく大権威を誇っていた毎日新聞主催のそれに入選していますし、上野の森大賞展にも入選しています。そして、現代アートの方では、そうとうに権威があるとされる、神奈川県展にも、入選しています。
   だから、一等賞は取れないまでも、50人は選ばれる、一般入選にも、選ばれないということは、夢にも想像しておりませんでした。それなのに、その一般入選にも入らず、単なる落選作として、絵が戻ってきたときは、ひどく驚いて、どうしてなのだろうと、遠くから引いて、その絵を確認したりしました。
   本当に信じられませんでした。何か、不審な感じがあって、裏へひっくり返してびっくり仰天、そこには悪意の証拠が明瞭に残っていました。ぞっとするような悪意が、証拠として残っておりました。

島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー4

   そのコンクールは大きさとして、上限が30号であり、それは、キャンバスとしては軽いものです。私は、そこに円形の上部を持つ窓型を描き入れており、抽象画ですが、明瞭に上下関係があります。しかし、裏の応募票の貼り付け方は、上下がさかさまでした。いったい誰がこんないたずらを。
   私という存在を知っていて、その作品を落選させたいと、願い工作したのは、審査員の中では、島谷氏しかいませんでした。島谷氏が張りなおした? その可能性は捨て切れませんでした。それは、早稲田大学の出身だからです。
   早稲田大学は大相撲の壊滅作戦のときに、奥島孝康氏が動いたように、(しかも、奥島氏は、山内ゆり子サンと言う友達の女流画家にお見合いを世話をして、その結果、ゆり子さんを、私から引っ剥がしたように、ほとんど、総力を挙げてというほど、躍起になって弾圧を仕掛けてきているのです。その理由は、元革○の委員長である、成岡庸司君が私の友達であり、しかもかれが日本のエージェントの総帥を担っているからだと思うのですが)・・・・・

  本当に、総力を挙げて、私を苛め抜いています。 ・・・・5へ

島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー5

  このFBの世界でも、私の大勢の友達の中には早稲田大学出身の人が大勢居ます。そのうちで、個人的な交流を開いていない人は、影響を受けていませんが、ある時期、こちらが相手のウォールへ、コメントを入れたり、いいねボタンを入れた人は、どうしてか縁が切れるのです。それは、自然なことだとはとても思えません。こういうことを言えば、自分が損をするのですが、本当に身命を賭して書いていますから、損得を別として、発言をします。すべて、真実を優先となります。
  で、この伊豆美コンクールで、応募表をさかさまに張りなおして、絵を一気にまともなまじめなものから、こっけいなものへと突き落としたのは、島谷さんに違いないと確信をしました。
  そのときに、身体的なハンデを持っている人の、心の闇の深さというものを感じました。劣等感を、ばねとして、大輪の花をさかせる人もいますが、暗くずるい行動様式を平気で、実践してしまう人間もいるのです。その最大のものは麻原ショウコウですが・・・・・

  さて、その直後だったと思いますが、池田21世紀美術館で、島谷晃展が開かれるというポスターが銀座で、出回りました。なるほど、『私を苛め抜いて、・・・・・つまり、ノイローゼにさせるという大目的へ、貢献したので、ご褒美をもらいましたね』と思いました。
                    

島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー6

  島谷さんに、ここで、申し上げたいのですが、「私、川崎千恵子の眼力と、頭脳レベルを小ばかになさってはいけませんよ。あなたはあの時点では、まだ、それほど、大きな活動をなさっておられませんでしたね。私はこの20年間銀座で、あなたの個展を一回も見たことはないし、グループ展でも見たことはないし、・・・・」と。つまり、あなたがびっこの足を引きずって歩くので、ハンデのある人をいじめたらダメだと感じる相手の、一瞬のひるみにすぐ乗じて、どんな場所からも、どんな相手からもチャンスを拾い出し、それを利用しきってきましたね」と。

  さて、伊豆美の審査時に信じがたいほどの暗い心から発した意地悪をした件から、ここで、少し離れます。時も過ぎますし。

  ところで、文化庁の在外研修生で、派遣をされた人たちの同窓会展が開かれます。ところで、それに私は一度も招かれていません。もちろん、そんなことを声高に述べたって、ひがんでいるとみなされるだけですから、いままで一度もそれを述べたことはありません。だが、本日は島谷晃さんという人物の悪人振りを書いていますので、ついでに、申し上げるとあの制度も国家からのお金を利用するくせに、相当に私物化されている、ところがある・・・・・と言うことです。審査の段階で、それがあるなどと明言してしまうと大変なことになりますので、それには触れませんが、行って帰ってからが問題です。こういう同窓会展でも、得をする人と、損をする人は、私に限らず大勢いることでしょう。

  特にある年に、六本木の新国立で、開かれたそれは、派遣直後展でも無く、大義名分が不明なものでした。しいて言えば、活躍している画家を集めたということになるのかな?
  しかし、その活躍をしているという意味が客観的なスケールで、表示できるものではありません。

  島谷さんのように、右顧左眄して、御自分の存在感を増すという事を指すわけかもしれないですから、作品のレベルにおいて、それほど、魅力のあるものは少ないのでした。つまり、御仲間内、救済、お手盛り中のお手盛り展だったのです。
  
島谷晃・・・・早大・・・・伊豆美・・・・政治的弾圧ー7

  ところで、その展覧会で、私は、その入り口に詰めている黒いスーツ姿のお嬢さんを一人捕まえて、「島谷さん、来ていらっしゃいますか」と聞いてみました。すると「はい」とのこと。内心で『当然でしょうね。展覧会の費用は国費、なら、重要な自分に役立つお客が來たら、お茶を一緒にして、さらに、人的コネをより強固なものにしていくつもりでしょうから』と思ったものです。で、高いコーフィー代を負担したって惜しくは無いでしょう。でも、彼のことだから、自分のためのデートでも、お茶代は相手に出させたりして(笑)

  などということを考えながら待っていました。すると、戻ってきたお嬢さんは、大変困った顔をしながら「いらっしゃると思っておりましたが、すでにお帰りになったとのことでした』といいました。私は一瞬、虚をつかれたような顔をしたと思います。
  どうしてかというと、大の男性、しかも、私より年上であり、池田21世紀美術館で、個展をしたほどの作家が、あまりにも幼稚な嘘をつくからです。

  でも、大切な事実として残ったのは、ともかく、彼は逃げたということです。ということは伊豆美のコンクールに出した私の作品の裏の応募票を、上下さかさまに貼り付けた人物は彼に他ならないということです。・・・・・島谷晃という人間はそういう男だったのです。恐ろしいわね。・・・・・・お子さんあるのかしら? もしお子さんがあったとして、それらから、彼は、父親として尊敬されているのかしら?
  私はカラマーゾフの兄弟のスメルジャコフを、強烈に思い出させられていました。

島谷晃氏を分析し終えて今思うこと。

   私は相当厳しい話し方で、本日、島谷晃氏を分析いたしました。常に神様が頭の中におろしてくださることを文章に書くというルールを自分に課している私には、本日はこれが、頭の中に降りてきたわけです。昨日のうちにこれを書こうとか、朝のうちに、これを、書こうとか、計画をしていたわけではありません。ただ、書いているうちに、腹が立つというか、あほらしいというか、人間のおろかさぶりに、あきれ果てているところです。または、人間とはかくも低劣になれるものかという点に、驚いているのです。
   で、あの大相撲壊滅作戦の際に、大活躍をした二人の早大教授(奥島孝康氏と伊藤滋氏)に伺いたいのですが、こういう人物が早稲田卒ですと名乗っていて、恥ずかしくお感じになりませんか?

   又、最近交流が無いけれど、中学の同級生の宮島洋君にも聞きたいのです。『あなたは、早めに東大教授を辞めて早稲田の教授になりましたね。だから、今、70歳でも、まだ、教授をなさっているでしょう。こういう人が卒業生であることを恥ずかしくお思いになりません?そして、同じく友達である飯田隆(元週刊朝日の編集長)君にも聞きたいのです。あなたはどうおって。まあ、飯田君の答えだけは、想像ができます。あなたは、『いえねえ。なにぶんにも人数が多いものですから・・・・・は、は、は」っておっしゃるでしょう。で、それを聞いて、私も、あ、は、はと、笑っておくことしか、できませんけれどね・・・・・
   なお、いま念のために、美術家連盟の名簿で確認をしましたが、島谷晃氏って、1943年生まれで、私より一切年下でした。年上に見えましたが・・・・・
  2012年2月8日に書き、9日に整理する。雨宮舜(川崎 千恵子)
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桜の花のつぼみ(小説)・・・・・夫を寝取られた妻を、どう救うのか?

2012-02-08 00:59:26 | Weblog
これは、一見すると、個人的な問題であり、かつ、心理学オンリーの問題に見えるでしょう。が、#4で、軽くですが、突然に政治へ入っていきます。つまり、パソコンを使ったいじめの話へ入るからです。つまり10年も前からパソコンを使ったいじめが始まっていた可能性を感じるからです。

 今、私がグーブログ『銀座のうぐいすから』で、書いているものが、重要で面白いことは、読者数などから、確信を得ることができます。そこに集中したいのですが、ここに新たな課題が出現しました。それは、窮鳥として、懐へ入ってきたA子夫人を救わなければいけないということです。彼女は政治的な発信者ではないのに、大きな被害を受けています。しかも、彼女とリアルに出会ってわかったことは、この手の被害者は、少なくないということです。

 何か、大きな黒いクラウドが、この日本の空を覆っていることを感じます。で、それに対する戦いですが、こちらには、お金も組織もありません。ただ、ひたすら個人としての、自分を強化することしか防衛策は無いのです。で、以下の小説を、A子夫人へささげます。で、これを書くのはとても大変だったので、政治的課題が、すっぽり抜けてしまっていますが、でも、
 これもまた、広義の意味では、政治的課題を果たすことと同義でもありますから。急遽、そちらへ舵を切りなおします。・・・・・彼女は私とは何の関係もない段階から、パソコンが外部の力によって破壊させられ始め、特に、クライアントのデータが破壊をされるので、社会保険労務士の仕事を止めなくてはならなくなり、悲嘆にくれていたところ、私のブログへ出会い、被害者が自分だけではないころを知り、やっと生きる気力が出たとおっしゃっています。

 で、彼女を救うための小説を書き始めます。バルザックみたいに、冷徹な小説を書きます。なお、こちらの小説の方のモデルになった女性は、「千恵子ちゃん、私のことを小説に書いて」・・・・と、頼んでくれていました。が、今まで取り組まなかったのは、彼女の希望が、悲劇のヒロインとして、自分を美しく表現してもらうことだったと推定していて、そういう小説なら書けないと、判断をしていたからです。ここでは、相当にリアルに人間心理をうがっていきます。途中、パソコンを悪しく利用される場面が出てきますが、それは、今につながる問題となっています。  

桜の花のつぼみ(小説)-1

 百合子は、クラスで、一番きれいな子は、桜子ちゃんだと思っていた。真っ白な肌。品の良いお雛様みたいな顔の造作。だが、不思議なことにあまりよくお勉強ができなかった。で、自分が加わっている地域で、一番お勉強のできる子達で形成するグループには彼女は入っていなかった。そのグループは、船長夫人が経営する一種の受験用塾で、3組から、それぞれ、トップの女子が三人ほど、男子が、1人か、2人、入っていたが、母親どうしのライヴァル心もあるのか、招かれていない優秀な女の子は何人か、ほかにもいたけれど。
 桜子ちゃんは、その塾の2分と離れてないところに住んでいたのだから、本当は招かれないといけなかった。後から参入してきた船長夫人と、戦前からの住民(桜子ちゃんの母)の間に対立でもあるのだろうか?
 しかし、これらの謎は、50年後に一気に解ける。

 その50年後だが、世間一般の例に漏れず、百合子たちは同窓会を開始した。クラスのうち半数が集まる盛会だった。そして、子供時代に親の力によって先生にもっともかわいがられていた男の子も女の子も、すでに死んでいるのが、不思議なことではあった。

 百合子は、桜子ちゃんの変化に半分、満足をして、半分は不満だった。彼女はある有名企業の社長夫人として収まっていて、外見は何不自由が無いように見えた。会話も明るく活発になっていた。が、子供のころの美景振りが、思いがけずも、発達しておらず、平凡な人になっていると見えた。
 そのころ、百合子は、修行のために、ひとり暮らしをしていて、それは一応のところ、みんなの興味を引いたが、やがて、当然のことであろうと、誰も話題にしなくなった。小学校のころから突出して大人っぽく、突出して、学業優秀だったのは、誰もが認めてくれており、『普通の奥さんには納まっていられないんだろうね』ぐらいなところで終わりだった。

 しかし、百合子の一人暮らしは、電話を活用するという意味では最高の環境だった。実は電話を盗聴している、又、パソコンも常にハッキングをしている闇の大組織があるなどとは、夢にも思っていなかったので、夜や、昼、5日に一度ぐらい、友達に電話をかけては、深い深い心理学的な問題を語り合っていたものである。

 が、ある日、桜子ちゃんから、「ねえ、百合子ちゃん、何を着ていったらいいか、相談に乗って」と切迫した電話がかかってきた。それが、地獄の門が開いた瞬間だったのだ。桜子ちゃんは、実は煉獄の業火に焼かれている最中だったのだ。それは、他人にはまったく見えない部分だったのだけれど。

桜の花のつぼみ(小説)ー2

 「どこに着ていくの?」と問う百合子に、「クラブなの」と桜子は答える。「う?」と、絶句する。「主人がね、来週の火曜日に同伴をするの。そこに、來いというの。で、何を着て行ったらよいかしら?」と、説明が追いかけてくる。百合子は、昔見たテレビ番組内で、同伴というのを見たことはある。クラブに勤めている女性にとって、お客と一緒に夕方店に登場するのは、プラスアルファの金銭をもらえるのだった。だから、夕方になると、彼女たちは電話を掛け捲る。銀座で、正装のまま道を歩きながら電話を掛け捲っている姿も何度も見かけた。それを思い出しながら、「やはり、奥様らしいスーツがいいでしょう。高島屋で、20万円ぐらいのスーツを買って、ちゃんとしたところの奥様であるという自信と誇りを見せて」と答えた。この時点では、桜子ががんじがらめにはまってしまっている修羅の実装を知らなかったので、こう答えた。

 百合子は、大勢の人から、すこぶる頭が良いとは言われている。が、それは熟慮に次ぐ熟慮を重ねるからでって、瞬間的な把握は鈍い方だ。だから、電話が終わっても、15分間ぐらいは、事態が良く飲み込めなかった。が、15分過ぎに、やっと、正しい事情が飲み込めた。彼女の夫は、その愛人とぐるになっていて、彼女をからかい、苦しめようとしているのだ。正札付きの悪だった。夫かそれとも愛人か、どちらがその悪巧みのアイデア元かはわからないものの、桜子は、嵐に揺れる湖上の落ち葉といった風情だった。で、あわてて電話をこちらから、かける。

 「あなたね。そんなところへ出かけちゃあダメよ。絶対に出かけちゃあダメ」という。しかし、桜子は、納得をしない。「百合子ちゃん、うちの主人ってね。こういうこといっぱいあるのよ。もてるの。慶応ボーイの典型だし。今までも、あやしいケースはいっぱいあったの。でも、今度だけは、本気みたいなの。で、心配でたまらないの」「わかった。で、その女性はどういう人?」「元OLらしい」 百合子は内心で、お嬢様育ちで、経験が足りない桜子は、太刀打ちできない女性であろうと、感じ、くりかえし「あっちゃあ、ダメよ」と言い聞かせた。

 しかし、桜子は、自制が利かなかったらしい。結局は出かけていったみたいだ。しばらくの間、連絡が無かった。百合子は、「結果はどうだった」などというような電話をかけるタイプではない。
 で、季節は経巡って、又、同窓会の季節がやってきた。

 百合子たちの卒業した小学校は、日吉にあるのだが先生を敬って,先生の地元である町田で、行う。一次会は、先生同席だから、何も崩れない。さて、二次会へ流れる。そこでも、別に崩れるわけではない。ただ、人生のあれこれを、語るだけだ。

 だが、その中で、男の子の中で、輝くような出世頭の、昭君が、いる。そのこが、「桜子ちゃん、僕のところへおいでよ」といったのだ。百合子はドキッとして、桜子を見つめた。昭君の方は当時は独身で、結婚の資格がある。親は軍人で、本人は上智出身のクリスチャン。最初の奥様はドイツ人だったが、死亡。そして、現在の、彼は、社長でもある。ぴったりの組み合わせだ。桜子が、苦境を電話で、すでに愚痴っているのだろうか。だから、こういう提案が彼から出た? いや、それは無いであろう。となると、昭君の勘とは鋭すぎる。
 でも、彼に桜子の苦行がわかるとすれば、それは、彼がいかほど、桜子を愛しているかの証明でもある。又、愛しているから、桜子の顔に出ている苦境を察せられるのであろう。そうだ。一節前にもいったように、桜子は、もっと美人になっているはずだった。それが平板な顔になっている。それだけでも、勘のいい人間には、何かが変だとわかるのだ。

桜の花のつぼみ(小説)-3

 さて、バルザックのような小説を書くと前文で宣言している。どこにその特徴が出て來るかといえば、百合子は主人公、桜子を美化しない。小説としては、わかりにくくなり、感動を生まなくなるが、桜子が犯した過ち、・・・・・頑迷さと、ば・か・さから、脱却をできなかったこと・・・・・についても、触れるつもりだから。それは、新しい窮鳥、A子夫人にも、正しく学んでほしいからだ。自分の苦境を救うのは、自分である。しかし、もっともきつい戦いを、自分に課さないといけない。つまり、自分を変える必要があるのだ。

 自分をどう変えるか? に、当たって、他人の忠告を受け入れるのは、必要だ。しかし、受け入れたつもりになって、実際には何も受け入れておらず、そのまま追い詰められきって、自殺をしてしまったのが、桜子だ。そうなったら、子供に大きな傷をのこす。幸いにして御主人の実力のおかげで、腹膜炎をこじらせたという表向きの建前は通り、実際に入院後なくなっている。
 ただし、無論のこと、彼女は包丁で、腹掻っ捌いたのだ。
 しかし、異常なことであるから、友人には入院も知らされず、葬式も行われず、ただ、ただ、パソコンうちの年賀欠礼として、一行、妻、桜子(享年59歳)がなくなったので、云々、かんぬんとあった。・・・・・・どうも、そのはがきは、百合子一人のために、御主人が作った模様である。
 それが、来ただけでも、良かった。出ないと、真相が何もつかめず、結局、助言者としての、自分に自信を失った百合子は、今のように、A子夫人を助けようなどとは、思うことも無かったであろうから。
@@@@@@@@@@

 さて、こんな理屈ばかり並べていたのでは、小説としては面白みがない。やはり、具体的な事実で、肉付けをしておこう。

 最初の「同伴に来い」とだんなから命令されたという驚天動地の話だけれど、もしあれが、それより前の、夫婦喧嘩の挙句の言葉であったらどうだろう。実はだんなを良く知る人が、「そんなに悪い人間じゃあないんですよ。いわゆる、もてるは、もてるタイプだけれどね」と言っていた。そして、桜子が、百合子たちの前に見せる姿とは別に、逆上した姿をだんなに見せていたと仮定する。『あわせてよ。その女に合わせてよ』と怒鳴ったと仮定してみよう。すると、売り言葉に買い言葉となって『じゃあ、火曜日に、同伴するから、お前来いよ。かおり(関内にある古いレストラン)に』となったのかもしれない。

 そうなると、だんなと愛人と妻が三人で会食をするというあの驚天動地の申し出でも、桜子には、断れるはずも無く、又、断るつもりもない申し出でとなる。

 そして、かわいそうなことには、こういうだんなだから、釣った魚にはえさはやらないの典型で、妻には十分なお金を渡していなかったりしていて、彼女は高島屋で20万円のスーツを買うお金など持っていなかったのかもしれない。

 無論、人間には素地の美しさというものがある。が、それを、十分に持っているはずの彼女は、どうしてか、嫉妬の闇に足を取られ、自分の本来の良さを発揮しえていないのだった。社長夫人であるのに、それほど、高価なものを着てはいなかった。同じグループ内に、塾の経営で、大成功をしている女性があって、彼女こそ、大高級ブランド・・・・・それこそ、一着が、すべて、20万円以上のものを・・・・・・着ているのだけれど、桜子はそうではなかった。

 衣装に自信が無く、立場の上でも、自信がない彼女が、どんな思いでレストランに出かけたのだろう。

 実際には、御主人が、家に午後4時ごろ電話をかけてきて、『今日は止めたよ』とでも、言ったのかもしれない。ともかく、その件は今となっては闇の中である。そして、百合子は、その後、延々と、桜子に付き合うことになっていく。そして、父親が、東大出で、終戦後、不倫をしてしまった話などを聞いていくことにも、なる。そこに、彼女が頭が悪くなってしまった秘密が隠されていた。

 ちっとも言うことを聞いてくれない彼女に、内心でいらいらしながらも、忍耐強く、繰り返し、繰り返し、同じ助言をしながら付き合う。
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桜の花のつぼみ(小説)-4

ある日、夜9時過ぎに桜子から電話があった。「ねえ、主人、外泊しているのよ。また、あの女のところだと思うけれど、百合子ちゃん。話さない」と。こういうときに、逗子のアトリエ一人暮らしは便利だった。もし、鎌倉の自宅へいたら、真夜中に電話をかけあう。とくに、長電話など許されるはずがなかった。百合子の夫は、地方のサラリーマン家庭の出で、普通のサラリーの中で、四人の男の子を全部大学へやったので、極端に切り詰める方であり、電話でながはなし等するのは、とんでもないという主義なのだ。

 百合子は、「ああ、いいわよ」という。百合子の方も、そろそろ、本腰を入れて、彼女を納得をさせないといけないと考えていた。つまり、すでに、何回か言ってきていたが、「家政婦に徹しなさい」ということだ。『本当の妻の座をうばわれたくないという、その気持ちを捨てなさい』という方向で、芯から彼女に、納得をしてもらう必要があった。

この時点までに、相当な長話は電話で、交換をされており、百合子もほぼ正確に状況がつかめていた。桜子は何の落ち度もない奥さんではあったが、ただ、それだけの人物でもあった。唯一の利点は、子供がいること。それ以外は、特に頭の良さでは、愛人に負けていた。愛人は、男がほしがるもの・・・・・安心感、安らぎ、意欲更新、・・・・・そういうものを与えることのできる女性で、ご主人は彼女と新しいパートナーシップを開始したがっていた。が、親せきづきあいや、社交の場もあること、もろもろを総合して、ご主人は、対面上は、離婚をせず、妻を家政婦の位置に置いておこうとしていた。が、なんともこずるいことに、セックスは、桜子との間にもあるのだそうだ。
そして、桜子が、判断ミスによって、血まよい加減に責め立てるものだから、相当に嫌気もさしてきていて、ノイローゼにして、入院させようと企んでいた。だから、桜子が、方針をここで、変えない限り、まるで、敷かれたレールに乗っているかのごとく、精神病院へまっしぐらとなるであろう。自分を守るためには、早急に方針を変えないといけない。

 特に夫婦共有のパソコンの中に、不思議な新しいファイルが浮かんでいて、それは、アルファベット上では、ご主人と、愛人の組み合わせであるそうだ。

 この部分は後日、別のタイトルを立てて論じます。というのも、当時の私は彼女の言葉をそのままに受けていて、御主人がやっていると思っていました。が、10年後の今は、違う可能性も感じています。つまり、闇の組織がやっていた可能性です。で、元に戻れば、

『自分が、ここでは、いったん負けなさい』ということを、彼女に、納得をさせないといけないのだけれど、それが、また、大難事であった。というのも、桜子が、自分の言うことを聞いてくれないのは、対等だからだろうと思って、専門家にかかるのを勧めたことがある。で、彼女はテレビに出ている某有名人を頼ってカウンセリングを受けたそうである。一時間、一万円を取られて、言われたことは、たた、「あなたは、今、夜叉になっておられます」だけだったそうだ。彼女はぷんぷんに怒っており、「ねえ、百合子ちゃん、百合子ちゃんの方が絶対に優しい。百合子ちゃんが頼りよ。だから、よろしくね」と言われていた。

 が、百合子は内心で、このあたりから、ぞっとし始めてもいたのである。もし、百合子が上のような言葉を、カウンセラーから受けていたとしたら、絶対に、それを他人には言わない。だって、それは大きな恥だから。だが、桜子は、平気でそれを、百合子に告げる。それは、「そんなバカげた嘘を言うのよ。その人」という批判の気持ちしか彼女にはないからだ。相変わらずあるご主人と愛人への他罰的な感情だ。どうして、こういう風になってしまったのかという自己反省的な、気持ちがない。

 本当は、この時点で、百合子は大きく興ざめして、気持ちが離れていた。で、賢くふるまうつもりなら、電話が来るたびに、『あ、今てんぷらを揚げているの』とか言
って逃げ出し、自然に縁を切るという手がある。しかし、結局最後まで、相手との会話を切らない百合子だった。とくに、この日の、延々4時間に及ぶ電話は、二人の交流のハイライトだったであろう。
 そして、百合子は、その長電話の中で、はじめて、桜子が、東大卒の父と名門出身の母を持っていること。そして、それほどいい遺伝子をもちながら、どうしてか、頭が悪い、その、本当の理由を知ることとなる。そして、そこについては深い同情を禁じ得なくなるのだった。・・・5へ


桜の花のつぼみ(小説)・・・5

 百合子は、ご主人は、すでに愛人にマンションを買って与えていると推察していた。それは、今、桜子が住んでいるものより広く、新しいインテリアのもので、ご主人は毎日、そこに寄っているとも、推察していた。つまり、キッチンの流し台が桜子の家では、ステンレスであり、愛人の家では、大理石であるような違いがあるはずだ。しかし、桜子は、そんなことは夢にも想像をしていないみたいだった。それが哀れで仕方がなくて、離婚をした方がいいのにと、思っていた。特に、同窓会の二次会で、昭君が、ぽろっと、「桜子ちゃん、僕のところに来たらいいのに」と発言をしたのを聞いてしまってからは、今がチャンスだと思うようになっていた。
 そういえばと、はるか遠くを思い出す。昭君は例のご優秀グループに招かれていなかった。お母さんが、美人すぎる・・・・・また、軍人だった夫の給料が急に無くなった
ために、食堂をやっていたからだろう。それは、昭君にとって、幼い胸を痛める屈辱的な出来事だったはずだ。だけど、そのご両親の遺伝子で、昭君は、子供のころから凄味のある美少年だった。東千代の介に切れ味を加えたような美形。で、お雛様みたいな美形の桜子とは、ちょうど対をなす、クラス一の美形同士だったのだ。現代でいうタレント的な美形ではない。祖先が、高い階級なんでしょうね」ということを示す美形。

で、昭君と結びつくことを想定しないでも、離婚を主張したら、家だけは確実に彼女のものになるだろう。生活費だが、あのご主人は出さない可能性はある。だけど、人間、精神がしっかりしていたらあとは何とかなるものだ。当座はお子さんに帰ってきてもらって、そこから生活費を出してもらう。

あまりにも堂々巡りをして、何の進歩もない、桜子の代わりに、さっさとそこまでシュミレーションを立てた。そのうえで、「ねえ、離婚する気はない?」と聞いてみる。
すると、「百合子ちゃん、私、離婚はしないわ』という。『ああ、やはり、また同じだ』と、思ってがっかりした百合子は、しばらく無言となる。
すると、桜子が、「わたくしの両親、離婚をしているの。だから、私は絶対に離婚はしないわ」という。百合子はびっくりする。なんと、桜子は、そんなに新しい女性の子供だったのか? じゃあ、反面教師として、こんなに古いタイプの女になっちゃったの?
急に疑問がいっぱい湧いてくる。
戦後すぐに、女性の解放が言われ、ロマン・ローランの『魅せられたる魂』や、ボーヴォワールの『第二の性』は、女性たちのバイブルになっていた。

百合子は苦笑しながら、「なんだ。そんなに勇ましいお母さんの子供なのに、どうしてそんなに、ふにゃふにゃ、めそめそしているのよ」と言ってみる。すると、しばらくの間、桜子は無言。そして、そのあとで「百合子ちゃん、何か、誤解をしていない。私の母って、離婚をした後で、セミの抜け殻みたいになっちゃったの。絶対に離婚をしない方がよかったのに、離婚をしますと、自分から、宣言しちゃったので、とても不幸になってしまった人なのよ。自分から、切りだしたから、家も財産も何ももらえなくて、そのあとで、親せきのお世話になるしかなかったの。日吉はね。あれ、私の家ではないのよ。親戚の家なの。私は、あの母を見ているから、絶対に、離婚はしないわ」と、言った。

百合子は、しばらくの間、何も言えなかった。桜子の、単なる聞き分けのないわがままに見えた、夫への執着の影に、だれも知らない、それほどの負の連鎖があったとは。6へ。

桜の花のつぼみ(小説)・・・5

 百合子は、ご主人は、すでに愛人にマンションを買って与えていると推察していた。それは、今、桜子が住んでいるものより広く、新しいインテリアのもので、ご主人は毎日、そこに寄っているとも、推察していた。つまり、キッチンの流し台が桜子の家では、ステンレスであり、愛人の家では、大理石であるような違いがあるはずだ。しかし、桜子は、そんなことは夢にも想像をしていないみたいだった。それが哀れで仕方がなくて、離婚をした方がいいのにと、思っていた。特に、同窓会の二次会で、昭君が、ぽろっと、「桜子ちゃん、僕のところに来たらいいのに」と発言をしたのを聞いてしまってからは、今がチャンスだと思うようになっていた。
 そういえばと、はるか遠くを思い出す。昭君は例のご優秀グループに招かれていなかった。お母さんが、美人すぎる・・・・・また、軍人だった夫の給料が急に無くなった
ために、食堂をやっていたからだろう。それは、昭君にとって、幼い胸を痛める屈辱的な出来事だったはずだ。だけど、そのご両親の遺伝子で、昭君は、子供のころから凄味のある美少年だった。東千代の介に切れ味を加えたような美形。で、お雛様みたいな美形の桜子とは、ちょうど対をなす、クラス一の美形同士だったのだ。現代でいうタレント的な美形ではない。祖先が、高い階級なんでしょうね」ということを示す美形。

で、昭君と結びつくことを想定しないでも、離婚を主張したら、家だけは確実に彼女のものになるだろう。生活費だが、あのご主人は出さない可能性はある。だけど、人間、精神がしっかりしていたらあとは何とかなるものだ。当座はお子さんに帰ってきてもらって、そこから生活費を出してもらう。

あまりにも堂々巡りをして、何の進歩もない、桜子の代わりに、さっさとそこまでシュミレーションを立てた。そのうえで、「ねえ、離婚する気はない?」と聞いてみる。
すると、「百合子ちゃん、私、離婚はしないわ』という。『ああ、やはり、また同じだ』と、思ってがっかりした百合子は、しばらく無言となる。
すると、桜子が、「わたくしの両親、離婚をしているの。だから、私は絶対に離婚はしないわ」という。百合子はびっくりする。なんと、桜子は、そんなに新しい女性の子供だったのか? じゃあ、反面教師として、こんなに古いタイプの女になっちゃったの?
急に疑問がいっぱい湧いてくる。
戦後すぐに、女性の解放が言われ、ロマン・ローランの『魅せられたる魂』や、ボーヴォワールの『第二の性』は、女性たちのバイブルになっていた。

百合子は苦笑しながら、「なんだ。そんなに勇ましいお母さんの子供なのに、どうしてそんなに、ふにゃふにゃ、めそめそしているのよ」と言ってみる。すると、しばらくの間、桜子は無言。そして、そのあとで「百合子ちゃん、何か、誤解をしていない。私の母って、離婚をした後で、セミの抜け殻みたいになっちゃったの。絶対に離婚をしない方がよかったのに、離婚をしますと、自分から、宣言しちゃったので、とても不幸になってしまった人なのよ。自分から、切りだしたから、家も財産も何ももらえなくて、そのあとで、親せきのお世話になるしかなかったの。日吉はね。あれ、私の家ではないのよ。親戚の家なの。私は、あの母を見ているから、絶対に、離婚はしないわ」と、言った。

百合子は、しばらくの間、何も言えなかった。桜子の、単なる聞き分けのないわがままに見えた、夫への執着の影に、だれも知らない、それほどの負の連鎖があったとは。6へ。

桜の花のつぼみ(小説)-6

 百合子が、じっと黙っていると、桜子が、「あのね。親戚にお世話になっていたころがあるの。大きな家で、大勢が一緒に暮らしていました。で、親せきの中の一人が、父を好きになってしまったの」という。百合子はかろうじて、「東京のおうちは焼けてしまったの?」と聞く。すると、「違うの。父は、〇〇省に勤めていたのだけれど、戦後パージに出会ってしまったの」と答える。

 ここで、百合子は、初めて、桜子の父親が東大の出身であることを知るのだった。というのも、本省勤めで、パージに合うと言えば、それは、課長以上、局長以上をさすからで、それは当然のごとく東大卒であろう。となると、昭君と、桜子ちゃんは、双璧をなす、名家の子供となる。
それで、百合子はある一つの納得に達する。桜子の頭の固さというか、悪さの中に、どうしても、腑に落ちないアンバランスを感じてきたが、東大出の父の子供であることを、自分が何を聞かなくても、いままで直感的に感じるからこそ、抱いた怪訝さだったと。この人って、もっと頭がよくて、物分かりがいいはずよという思いがある。だからこそ、頭が悪い、頭が悪いと、今まで、平気で書いてきた。根っこのところで、愛し、尊敬しているからこそ、抱くイライラ感だった。
東京の戦後には食べるものがなかった。配給は少量で、大勢の人が飢えていた。まともな給料をもらっている人も闇物資を手に入れないと生きていかれなかった。どんな人も、価値のありそうなものをもって田舎をおとずれた。卵を分けてください。ほうれん草を分けてくださいといいに。

しかし、もし、基幹となる、お給料がなかったら、それも、成り立たない。一家が、長野県の旧家に保護を求めて、帰郷をしたのは当然だった。満州から引き揚げた、百合子一家が、父の兄の家に寄寓をしたのと同じだった。しかし、どうも、そちらの家族構成は、百合子の親戚より、人数が多くかつ、複雑だったらしい。

中に、ちょうど、『初恋の来た道』に主演したころの、チャン・ツィイーを思わせる少女がいた。その人との間に、ことは起きたらしいのだ。東大出身の眉目秀麗な紳士が、何もすることがなくて鬱屈している。それを見かねた少女は、「オジサマ、セリでも、摘みに行きませんか?」と誘ってあげたと仮定しよう。単に、善意からだ。二人は、田んぼのヘリで、せっせ、せっせと、セリを摘み、バケツの中に保存をしていく。
ふと、「ちょっと休もうか」となって、あぜ道へ並んで腰を下ろす。
「オジサマ、東京のことを教えてくださいな」と少女は頼む。男にとって、ただひたすら、自分を見つめるまっすぐな瞳はまぶしい。
そんなところまで達して、百合子は、疑問を挟む。
「ねえ、どうして、お母様の方が、身を引かなくちゃあいけないの。お母様には、3人のお子様さえあるのに」と。すると、桜子が言う。「母はプライドが高かったの。で、許せなかったと思うわ」・・・・・それを聞いて、「でも、それなら、お父さんは、お金を出してもよかったのに」と聞くと、
「母は、私だけを連れて家を出たの。男の子は、父に預けたの。やがて、パージが解けたら、父は復活すると信じていたのね。そうなると、女の自分には、育てられない。大学へ、進学させる学費が出せないとなってね。兄と弟は、父のもとに残したの」

百合子は、一人推察を重ねる。何親等の差なのだろう。姪か。従妹か、それとも、妻側の親戚だから、結婚に無理はないのだろうか? それにしても、無残な話だ。出産は、死ぬ覚悟さえ必要な危険で、痛い仕組みである。それを、三回も、やってあげた大切な男を、自分の姪か、いとこかに、譲って、自分が身を引かなければならないなんて。

「だいぶわかったわ。だけど、お兄様たち。よく反抗をしなくて、立派にお育ち上がりなさったわね」というと、「そうね。彼女はできた女性なの。父と結婚後、医学部へ進学をしたのよ。そして、実際に医者になって診療も、続けているの」
「本当。それは参ったわね」と、言うしかない百合子だった。・・・・・7へ

桜の花のつぼみ(小説)-7

 「そう。じゃあ、あなただけ、ひとりお母様と暮らしたのね」という。いいながら、初めて謎がとけた気がした。母と娘は愛情の交流が実はないのだ。むしろ、ライバル心をもつと、フロイトは言っている。普通の家庭で、家族が安心しきって本音を交わすときに、それが見事に表れる。桜子はその母親と二人きりで、しかも経済的な庇護を受けている親戚の中で、息をひそめて暮らしてきたのだ。なんとかわいそうなことだろう。だから、桜子には、未発達なところがある。会話をするときに、は、彼女はとてもバカとは思えない。しかし、大切な判断をするときに、他人では、信じがたいほどの馬鹿な判断をする。

 ただ、百合子は、自分の姿勢が、ずっと穏和になっているのを感じた。で、とても、優しい聞き方で、「お母さま、あなたと、どんな遊びをしてくださったの?」と聞いた。フロイトによれば、反発しあう母娘でも、お互いに、その二人しかいないのなら、愛し合うはずだ。夜は絵本でも読んでくれたのだろうか? すると、これまた、思いがけない返事が来た。「ううん、母ってね。まるで生きた骸だったの。話しかけても答えてくれない感じ。離婚のことを、とても後悔していたのだと思うわ。そして、とても早く死んだの。私が短大を卒業する前に、ろうそくが消え入るように、死んだの」という。

 百合子は、ほとんどすべてを納得できた。なんとかわいそうな少女期を送っているのだろう。そして、そういうかまってもらっていない人生だからこそ、彼女は頭が悪いのだ。よいご親戚に囲まれて生きてきた。だから、不良だったり、曲がったりは、していない。でも、ほかの人間だったら、「こういうことなのよ」と説明すれば納得するところを、彼女はどうしても納得しない。
 しかし、その原因はなんと外部にあったのだ。つまり、大切な父親にあったのである。父親が自制心を働かせて、新しい妻との関係を深入りさせなければ、桜子は、こうはならなかった。彼女は、さびしい人生を送っている元の妻へ、与えられた一種のペットというか、おもちゃだったのだ。

 百合子は、ふと、聞いてみた。「お父様との関係は、どうなっているの?」と。すると「母が死んだあとで、父が引き取ってくれたの。私、その時に初めて、人に愛されるということを知ったの。すごくうれしかった。あれがあるから、人間として、自信が付いたような気がするわ。そして、父が嫁入り支度をしてくれて、父の家から結婚式へ向かったの」と、彼女は答えた。
 それを聞きながら、『よかったわね』と祝福をした。しかし、それは、80%程度のこころで。後の20%で、『お父様、ずるいわ。あなたって、桜子から、最後の最後のチャンスを奪ったわ。人間として成長できる最後のチャンスよ。つまり、あなたを批判することが必要だったのです。・・・・・つまり、彼女は『お父様、どうして、お母様を捨てたの。私ね、今のお母様と、お父様が組んで参列してくださるより、もちろん、本当のお母様と、お父様が、手を組んで、参列してくださる方がずっとうれしかったの』と、言うべきだったのだ。が、初めて接した、あふれるような愛と親切さの洪水の中で、その本質が鈍らされてしまった。その後、35年たっている。桜子は、まるで駄々っ子のように、夫と愛人の手を切らせようと必死である。
 その姿勢は、とても、大人のそれとは思えなかった。
   前半部分、完

@@@@@@@@@@@
 エピローグ。

 この小説には、後半部分があります。そちらの方が、動きがダイナミックで、いわゆる本当の小説となっていくでしょう。しかし、本日は書きません。疲れています。体力の残りがありません。しかし、その続きを明日書くか、あさって書くかと問われれば、まるでお約束できないとなります。頭の中に、今はその詳細が降りておりますが、いったん寝た後で、そのディテールが復活するかどうかは、保証の限りではないのです。

 で、筋が完結していない段階で、どうしてこの小説をさらしたかですが、ここまでの部分でも、評論としては成立していると自負するからです。
 何を評論をしているかというと、一人の人間を成長させるために、必要なものは何かということです。普通の家庭、そして、普通の喧嘩、普通の意地の張り合い。そして、普通の思いやりの交換、そういうものがすべて必要なのです。

 その普通の家庭を保持するためには、まず、両親が、恋に落ちたり、ましてや新しい縁組を組みなおしたりしてはだめなのです。それは、子供が二十歳を過ぎるまでは、絶対にやってはいけないことなのです。
 人間の脳を鍛え伸ばすのは、拙速主義のドリル学習ではありません。2歳ごろから、お受験に取り組むなど、徹底的に間違っていると思います。

 美しい人、だけど、心が未発達だった人、桜子さんに、仮に主人公になっていただいて、今日の私はそれを語らせていただきました。では、本日は、これで、さようなら。
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