この章は、総タイトルを変更しました。小泉親子の、政治家としての不思議さを前面に、打ち出そうとしていたのですが、途中で、他の方面に入ってしまいましたので、変えたのです。ところで、10日になって、トリックスターとしての、私の苦しみを、前置きとして入れ始めたのですが、それが、また、長大になりそうなので、急遽、その部分は、後日に回します。
トリックスターというのは、自分は、損をするが、その働きによって、世の中を洗浄化していく存在です。私は、ほぼ、15年以上前から、それが、自分の役割だと、自認をしているのですが、最近の、私の損失たるや、もう目に余るというほどのものです。
この章でも、やまゆり園事件の一周忌にあたって、(私が真実を書くことをできない様にするために)、妹を殺害されたエピソードを少し、書いて居ます。100%ではありませんよ。しかも、あろうことか、自殺として、喧伝をされている。
この苦しさと、言ったらありませんよ。でも、一般の方が、それをお読みになって、耐えられるかどうかが不明だったので、いつも通り、自分の被害は、語らない。対抗方向にある、他人(特にご近所様)の、得、特に大いなる得を、語るという方向性で、文章を書いてきたのです。
でね、その一例ですが、あるお宅の御次男は、中学(鎌倉市立御成中学】時代、通信簿に、1と、2しかないと、言う事で、有名なお坊ちゃまだったのですよ。おいちにおいちにのあひるさんと、呼ばれていてね。それなのに、国立大学付属高校にご入学あそばされて、かつ、その後海上保安庁に、ご就職あそばされたのです。
その奥様Y夫人に、べったりで、彼女をほう助しているH夫人のご長男は、今年(=2021年の4月12日)、東大へご入学あそばされたのです。それを、秘匿するために前日の午後から、ここ鎌倉雪の下を、ご一家で、ご出発あそばされましたけれど。秘匿するのはいいんですよ。そういうお宅もありでしょう。だけど、そのお坊ちゃまですが、前年度の秋、ばんばか、ばんばか、ショパンの英雄ポロネーズを弾いていたのです。あの弾き方は、五か月後に東大の入学試験を受ける人の弾き方ではないです。あまりにも派手。あまりにも気分が、高揚していて、楽々です。で、私は彼が高三だとは、夢にも思わず、まだ、高2だと、思っていました。私の孫の一人と同じ年だと、思っていました。
私は、クラシック音楽が大好きですが、それだけに好みも複雑です。実はショパンは、美しいとは思うが好きではありません。情感が過多だと思っていて。ピアノ曲はシューベルトに限ります。でね、その曲のタイトルが判りません。だから、園芸の仕事をしている最中に、通りがかった彼、ご本人に、「あなたが、今弾いている曲って何?」と、聞きました。すると、英雄ポロネーズです」と彼が答えました。その直後です。音が、聞こえなくなったのです。それで、4月11日になってから、なるほど、東大へのご入学は、前年の秋にわかっていたのですね。まあ、一種の推薦入学というやつでしょうが、東大で、それが、すでに、行われているって、言う事は、世間にはまだ、公開されていませんよね。
すごいことです。一方で私の長男は、私立中学二校を、1982年に不合格にさせられています。この章の後半で、歯医者さんについて、いろいろ書いて居るのは、その不合格が、例の瀬島龍三の手配による不合格だったと、言う事を証明したいから書いて居るのです。そのことが孫に対して、もう一度行われたら、本当に大変dなと、思っていて、最近の様な、文章を書いて居ます。
ところで、どうして、H家のご長男が、推薦入学という特典を得て、東大へご入学になったと断言できるかというと、そこの家のピアノですが、それ以前の、12年間、音が出ていたことはないのです。今は、近隣トラブルを恐れて、皆さん、電子ピアノを買っています。ただ、そこの家で、坊ちゃん二人が、ピアノを習っているのは、その教室の二人分の領収書が、私の寝室に置いてあったので、知っています。泥棒は、盗みもするが、嫌がらせの為の入れ込みもするのです。
どうしてそういう領収書が入っていたかというと、私がこういうことを書いたからでしょう。うちにピアノがあったのに、女の子の方には習わせたのに、男の子の方には習わせなかった。今、思うと残念だった。お月謝がないというわけでもないのだけれど、北久里浜における子供の友人関係を考えると、ピアノを習う男の子というと、ちょっと、浮き上がった感じがあった。それで、吉井の田圃へ、子供用自転車に乗って、ザリガニ取りに行っている様な姿の方がいいと、思っていて、お稽古事を男の子の方にはさせなかった。今、思うと、もっと気が強く出て行ってもよかったのだ。しかし、できなかった。残念」と書いたことへの、さらなる、嫌がらせとして、H家のピアノ教室の領収書が、入ってきたのでした。しかしです。いままでの、12年間以上、その家から、ピノの音が聞こえてきたことがないのです。
それなのに、去年の秋だけ、大音量で、英雄ポロネーズが聞こえてきた。その時は、それを東大への、ご入学が決まっている事とは結びつけては考えませんでした。しかし、東大の入学式へ出席するのを、前の日から出かけていく(ホテルに泊まるという形で、日にちを秘匿する)とか、私が彼のピアノの弾き方に興味を持っていると、知った途端に、両親が、彼に、「駄目じゃあないの、音を出しちゃあ」と言ったらしい気配を、感じ取ると、東大への推薦入学があったと、言う事が判ってくる。だから、数年後、東大への推薦入学がありと、公式に発表をされるはずだ。私がここに書いて居ることを打ち消すために。
ところで、あそこのお宅だけれど、お母さんは、四年制の大学を出ているらしい。しかし、非常に賢いので、その卒業大学名を明かさないし、お父さんの卒業大学名も、勤務先も明かさない。しかし、育ちがいいことは明瞭にわかる。そういう恵まれた家庭のお嬢様として、お母さんとしても、よくできた人で、私の票かは高かった。お子さん方が、小学生時代は、専業主婦として、暮らして、お子様が、中学に入ると同時に再就職が、できた模様。その再就職だが、ご本人が動いたというよりも、伊藤玄二郎あたりから打診があり、市役所への、是もまた推薦で、市役所勤務がかなった模様。ああ、そして、その2020年の秋にあのお宅は、屋根修理と、壁の塗りなおしを行うのだが、半額、もしくは全額を市役所から出してもらっているはずだ。
どうしてそれほどに、得ができるかというと、保美容疑者が、起こした平成の、やつ墓村事件の時に、お子様方を提供して、Y家の、北側の畑の洗浄化を図ってあげたからだ。私の家の、花畑は、1986年からコンクリート打ちをされていて、使えない。それは、おおもとは、Y夫人の井戸端会議のせいだった。Y夫人というのは、見るからにわかるのだが、略奪婚の人であって、お子様方に対して、真実の愛情がない。で、関心は、もっぱら自分が、この山で、他人に勝つことにある。いわゆるマウントをとりたいタイプだ。そのマウントをとるために、情報収集の場として、井戸端会議を毎日開いて、通底の、ボスとして、機能をしていた。しかも、彼女の家は、ボトルのネックにあたる場所にあるので、それを無視して、通ることが困難な、井戸端会議だった。それで、私の北隣に住んでいた、藤本悌子夫人と、前田清子さんが、大きな争いになってしまって、藤本夫人が、たった、一メートルしかない、道の真ん中に、私的なフェンスを作りますと、言い始めたのだった。「雪の日に滑って転んで、骨折をする人が出て、その人が、訴訟を起こすと困りますので」という理由だった。こんなことって、ただ、単純に前田夫人に対して、大声を出すのをやめなさいと言ったり、前田夫人に対して、藤本夫人を慰謝しなさいと、言ったら、簡単に収まるものを、当時の町内会長中谷共二氏は、裏から瀬島龍三に指図を受けて、それのトラブルを利用して、我が家の東北の崖(山)を崩し、我が家だけ、はなばたけを、失う様にさせたのだった。
北久里浜の丘の上にあった、横須賀市の水道山を益山重夫・智恵子夫妻が、地積変更届の仕組みを利用して、ただで、私有化した。その時に、国有地の青字というものを詐欺の常とう手段として使って、我が家の中に、それが、通っていることにされたので、びっくりした私は、法務局と、財務局へ行って、いろいろ調べた。その時、印紙代を支払って集めた公図等を全部盗まれているので、犯罪性が立証できないが、
私は、益山一派、及び、横須賀市側の、杉本俊一、土木課長とか京急側の、A氏か、すべての人々の悪辣ぶりを全部わかってしまった。それをかかせない様にするために、大阪理財局(最初は、そういう風に発表をされた。最近になって、財務局と言う事になっている)勤務の赤木俊夫氏が、自殺をしたこととなっている。
雅子夫人という女性が、絶対に顔をテレビにさらさないという形で、ぎゃんぎゃん、不幸を訴えていて、かつ、自民党総裁選に出馬する人物に、これを、再審査するかどうか、踏み絵を、メディアが、行い始めた。
それは、小泉父子の、不思議極まりない政治姿勢という文章を書いている私への弾圧の一つである。この赤木俊夫問題は、やまゆり園事件の死者が、19人いたと、言う嘘と同じく、最高レベルで、真実だ、真実だと、喧伝をされているが、メディア総動員の嘘ですよ。
赤木俊夫っという人物は、昔公道に植えられていたチューリップを軒並み、傘で、摘み取り払った男の映像が出てきたのですが、誰も、あの人は、どこそこの誰それだと、チクる人が出てきませんでした。それでね。もともとは、北朝鮮籍だったりする、日本語堪能者が、こういう仕組みに利用をされていると、思います。
しかし、一億二千万人が、これが、真実だと、思い込んでいることを違うんですよと、言うのは、非常に疲れます。だから、時々これを出すが、もういいわよそれでもねと、思ってもいます。ただ、真実は私が語っている通りです。
やまゆり園事件が、いつの間にか、無かったことのように風化していくのと同じで、この赤木俊夫、問題も、いつの間にか、消えていくはずですが、鎌倉エージェントが、、私をいじめたいと、思っている限り、復活をしてくる事案です。
もう一度、H家に戻ります。私は、四月近辺に、実名で、この一件を書いて居ます。
そうすると、誹謗中傷をしていると、言う事になり、ご近所様から、措置入院のたぐいを受け、精神病院に収容されそうになっています。それで、何とか、このブログで、持ちこたえているわけですが、
今度は、ご近所様ではなくて、息子を利用して、措置入院をさせてやろうとする、恐ろしい動きも出てきています。したがって、仕方がないので、自分の方の、損失やら、苦しみを語り始めています。お読みになりながら、のけぞってしまうほど、恐ろしいことが数多く出てくると思います。が、仕方がないのです。では、昨日書いた本文へ入っていきましょう。加筆と推敲は、後で行います。
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ここから以下が、9日の昼間お読みいただいたであろう初稿です。
以下の文章の続きを、9月9日の、午前零時から、書き始めます。副題1に、誤解を受けるだろうと、書いていますが、誤解ではなくて、ものすごい攻撃をNHKニュースを、通じて受けました。しかし、続きを、短時間の休憩で書かないでいて、長時間、あいだを、開けたのは、その攻撃に参ったからではありません。どうも、私の影響量が強すぎて、自民党総裁選に対しても、大きな影響力を与えかねないと判断をし始めて、それを、どう考えるかを迷っていたからです。まあ、ともかく、続きを書き始めましょう。
ところで、この章の総タイトルですが、最初は、【中選挙区制度を死守しようとした小泉パパは政治センスの良さ抜群の人物だが、現在原発に反対している。But some doubt remained in my brain】.でした。しかし、午前3時に上のものへと変更しました。
副題1,『前報を描いた、私は、読者様から、相当に深い誤解を受けるだろうと、判断をしている。自分でも、忸怩たる思いがある』
私は、32(=1974年)歳から、横須賀に10年間住みました。北久里浜という言葉をよく出しますが、そこは、横須賀市の、南部の、新興住宅街に当たります。で、42歳の1984年、かまくらへ引っ越すのですが、1996年まで、小選挙区制が、実施されなかったので、長らく、小泉純一郎氏を選挙区候補として、見てきました。そういう人間です。
で、ウィキペディアから、小選挙区制についての記述部分を特に抜き出しますが、
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リクルート事件後の1991年、海部俊樹内閣および自民党執行部は小選挙区300、比例代表171の小選挙区比例代表並立制導入を企図するが、小泉純一郎らが反対を表明し推進派の責任者だった羽田孜に猛反発するなど党内調整が難航し、導入は見送られ、内閣は総辞職した(海部おろし)。
その後1994年の公職選挙法改正(政治改革四法のひとつ)で衆議院選挙において小選挙区比例代表並立制(小選挙区300、比例代表200)が導入され、1996年の衆院選から実施された。
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中選挙区制度は、絶対に、死守した方がよかったのです。小選挙区制度になったので、永田町が、従来にも増して、おもちゃの政治をする様になったのでした。
でね。中選挙区制度を死守しようとした、小泉純一郎氏は、大変政治センスの高い方なのです。
そういう小泉純一郎氏が、原発反対論者として、全国行脚を続けているそうです。誰が講演会の手はずを整えているのだろう?
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副題2,『こういう講演会は、自治体が、講演者を呼び、行うことが多いのです。しかし、原発反対論者を、自治体の担当者が呼ぶことは、考えにくいです。政治的に大きな課題なので、責任を問われかねないですからね。それで、小泉純一郎氏の、講演の陰に、プロデューサーが、いて、その人物が、プッシュしていると考えると、納得がいきます。誰だ?、その人物は?・・・・・それが、もしかしたら、残間理恵子さんであるかもしれない・・・・・と、私は、みずほ銀行鎌倉支店のロビーで、気が付いたのでした。つい、三週間、前のことです』
私は、この2021年の1月18日に大変な意地悪を、みずほ銀行鎌倉支店で、受けてしまいました。200万円の定期を作ろうとして、さんざん、いやな目に出会ったのです。すぐ、裏側が、わかりました。それは、鎌倉警察署の生活安全課の課長が裏にいて、支店長を動かしていたのです。そして、対面型で、定期を作るブースを、その日だけパネルで隠していて、「対面型で、定期を作る場合は、予約制です」とロビーにいる仕分け担当者に、一片の情もない形で、言われて、次に、「どうしても、本日中に、作りたいのだったら、ATMで作ってください」と、これまた、ごく冷たく、命令的に言われて、仕方がなくて、生涯初めて、機械で、定期を作ることにしたのですが、ATMに、バグが入っていて、ちっとも、進行せず、大変な苦労をすることになりました。
200万円とは、私にとっては大金です。鎌倉駅近辺で、使用できる金銭出納用カードを、7枚持っています。が、200万円を入金するのに、「ATMで、やれ」っと、言われたのは、本当に初めてです。屈辱的なことでした。しかし、副題αで、詳細を述べますが、裏側に何があるかを、私の方が、知っているので、仕方がなくて、ATMに向かいました。
で、ATMを操作して、100万円の、定期を、作ろうとしているのですが、何度も同じことを繰り返しているのに、ちっとも、事態が、進行をしないのです。その状態を横目で見て、男性のガードマンが、見かねて、近寄ってきて、「別の機械をご利用になったらいかがですか?」と提案をしてくれました。
その時に、私が考えたことは、・・・・なるほど、支店長は、小林さんという、小太りで、アラフィフの女性(ロビーで仕分けを担当している)には、委細を説明していて、意地悪をする様に命令をしていたのだけれど、私とそのガードマンが直接接することは、予測にはなかったことらしくて、このガードマンには、委細を説明していなかったのだ。だから、彼は、本来は、サービス業として機能している、はずの、みずほ銀行のロビーに詰めている・・・一・・・ガードマンとして、普通のレベルの紳士的な態度をとっている。それは、一つの救いではある。一方で、小林さんという女性は、女性特有の意地悪を全開しているが、いったいどれほどの讒言を吹き込まれているのだろう。北久里浜の、実質的な大詐欺事件である、地籍変更届の事とか、1965年の秋に、ICUキャンパス内で、後ろから首を絞めて、私を殺そうとしたベイカーさんのことなどを、一分で、まとめて、説明できるわけもない。だから、彼女の意地悪は、真正面から、受け止めて、その通りに、やられっぱなしだけれど、ここで、そばに、寄り添ってくれているガードマンは、一種の救いではある。やはり、男性は、弱いけれど、本質にのっとって、行動をする。わたくしは、自分自身が女性だけれど、女性っていうのは、本当に、「女子と小人や養い難しだなあ」という過去の、高僧の言葉は当たっている。
本日は、神様が、この男性に乗り移っているのかもしれない・・・・・ということです。
しかし、彼が、親切であっても、私は、その機械から、動きませんでした。「あ、いいんです。これで。バグを解くためには、同じ機械で、やった方が早いので」といいつつ、同じブースで、頑張り続けたのでした。
私は、何万回ものバグ攻撃を、自分のパソコンに受けています。それで、1999年から、パソコンを使い始めていますが、35台以上のパソコンを、この22年間に、壊されてきています。それがどうして可能なのかが、まだ、わからなかった、2007年ごろは、自宅のパソコンでは、きちんとした仕事ができないので、いわゆるノマド生活に入りました。で、そのころから、東京五輪は、失敗に終わるだろうと、はっきりと予測をつけていたのです。どうして、そういうことを言えるかということを次の節(=副題3)で、語ります。小泉純一郎氏からは、しばらく離れますが、全体はすべて、・・・・・・小泉純一郎氏の原発反対論が、本当のものなのか? それとも、国民に対するガス抜きでしかないのか?・・・・・・を問うための、準備の章とお考え下さい。脇へずれている様ですが、私の頭の中では、首尾一貫しており、起承転結は確かについているのです。
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副題3、『パソコンへの激しい攻撃が起きたのは、【伝説のプレス】と、言う書物を準備中の2007年が顕著だった。その書物と並行して【電車の中で】というハードカバーの美麗な本を三冊目として、準備中で、一晩に50回以上のシステム異常を起こされて、しまい、仕事にならないので、外の喫茶店とか、バイキングレストランとかで、仕事をすることとなった。それは、まだ、ウィンドーズ版が、98とか、MEの時代で、バッテリーの寿命が短かかったために、常に電源アダプターを携帯して、コンセントを見つけては、接続することとしている。
そのコンセントだが、東京都の、区立図書館で、そのコンセントに、ガムテープが張られているのを発見した。山手線の、王寺駅で、降りた際の、北区立昭和町図書館でも、それを発見したときに、は、敵さんの悪意の単純さと、しつこさには、驚愕をしたものだった。
ちょうど石原都知事が、東京五輪を計画中だったので、(そして、猪瀬知事が、引き継いだ時期だったので)、私は、そのころから、東京五輪が失敗に終わることを予測していたのだった。むろん、不吉なことだから、口外はしなかったが、確信をしていた。だって、私が、出版した書物はすべて、しいて言えば、心理学とか芸術とか哲学とか、言う分野に入るもので、政治的な弾圧を受ける類のものではない。
ただ、私を有名人にはしたくない連中がいて、ひたすらに弾圧を繰り返してきている連中がいて、私は、彼らを総称して、鎌倉エージェントと呼んでいるのだけれど、むろん、中には、都立大学周辺に住んでいる人もいるし、西東京市に住んでいる人もいるし、アメリカ大使館に住んでいる人もいるのだった。
しかし、石原都知事も、猪瀬直樹氏も、文筆を本業とする手合いである。そういう人物がわたくしの当時の、政治的意味を言えば、何でもない、文章(特にそれを、得意として、死守しているのだが、中学生並みの言葉遣いの会話体の文章)に、弾圧を、加えるなんて、ナチスの行為そのものと、同じである。
私は、ごく一般の専業主婦である。だから、都知事に復讐などできない。ただし、東京五輪は、絶対に失敗に終わるだろうと、この北区立昭和町図書館のコンセントに、ガムテープが張ってあった時には確信をしたのだった。
:::::::::なお、この件ですが、今では、電池の許容時間が長いのと、私が、書物の出版を中断しているので、東京都の図書館を使いません。で、東京都の区立図書館も、この無粋なガムテープをはがしていることでしょう。:::::::::
なお、ここで、血反吐を吐くほどの、苦しいことを語らないといけません。それは、日吉の歯医者さんのトイレに電源コンセントがあったのです。今は、リフォームされていますが、今もあるはずです。ウォッシュレットを、動かすためには、電源が必要ですから。
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副題4、『日吉の歯医者さんが、孫の中学受験の成功を何度も、お話になる。それで、私は、それが、私の長男の、私立中学二校の、不合格をえぐってくるいじめであることを推察した。だが、それでも、我慢をした。だって、そういういじめが始まる前に、40年間も信頼して通っている歯医者さんなのだ。そして名医だったし。
これは、ありていに言って、私が通っているからこそ、選任されたと、思うのだけれど・・・・・といってしまえば、先生がお怒りになるだろうが、あえて、言ってしまおう。・・・・・先生は、歯科医師会・全日本版、会長選挙の参謀を担われたこともあるのだった。先生は弟子を取らない方である。歯科助手も奥様と、別に一人しか雇っていない。施術をする、治療台の椅子も二つしかない。そういう小さな歯科医院の先生が、歯科医師会(全日本版)の会長選挙の参謀(複数いるとは思うが、電話の様子では、先生は重要なメンバーだった)を務めるということは、どれほど、大物扱いの方か・・・・・がわかる。
しかし、赤ひげ現代版というほどに、よい先生だから・・・・・特にインフォームドコンセントも完璧だったし、根幹治療も嫌がらず、丁寧にやってくださったし・・・・・先生が推した候補者は会長にはなれなかったそうである。きっと改革派であって、旧来の、自民党やら、医師会と、結託した候補の、方が、当選をしたのだと、思う。
先生は、この時のストレスが大きかったのか、大腸がんを患われて、一時期は、人工肛門を使っておられたそうである。ただ、先生の外貌は、やせてくることはなくて、いわゆるソクラテス顔貌の方ではない。昔と同じふっくらとして優しい風情の方ではある。ただし、奥様が衰えて、来られた。心臓が悪いそうである。それで、月、水、土曜日の三日間だけ、かつ、午前七時から、11時までしか診療をなさらない。それでも先生を信頼して、上大岡から、通ってくる老婦人とバス停で出会った。そういう名医である。
ただし、トイレのコンセントにガムテープが張られているのを発見した日以来、ほかにもいろいろな面で、先生が、敵方に、リクルートをされてしまったと、言うことが分かった。たとえば、予約が同時刻の患者さんに、私とは対話を交わさない様に、事前に電話をかけておくとか。
誰からの教唆命令で、そうなったかというと、奥様👉、奥様の友人の、ご近所主婦マダムS(=塩野義製薬にお勤めだった、方の奥さま)、👉、その息子さん、👉、その息子さんと小学生の時の同級生(女性)👉その女性の弟君、👉酒井忠康氏、👉伊藤玄二郎ほかの、鎌倉エージェントと、たどっていくことができる。
その女性の弟君というところに、本当に切ないのだが、水沢勉、現・神奈川県(立)近代美術館(葉山と、別館)の、館長が、存在している・・・・・と、私は推察している。
こういうもろもろの意地悪を、上等なカモフラージュのもとに受けながらも、先生が、医療の面で、粗末な扱いをなさることはないだろうと、それだけを信頼して、通っていた。
その治療台の上でのこと、先生は、重要な二つの暗喩を、言ってこられた。一つ目は、私の実家が、今、どうなっているのかということ。先生の治療室は二階にある。東に向いていて、素晴らしく美しい。インテリアとしては、クラシックだが、花の鉢が、いっぱい出窓に並んでいて、奥様の手入れが、胡蝶蘭をはじめとして、素晴らしいので、美しい。その出窓のレースのカーテンを透かして、東に向かう、直線道路が、あって、その20m先に私の実家が見えるのだった。道路の両側にある、五軒の家よりも、我が実家の方が、すっきりと正面に見える。
その実家が、売れているのか、そうでないのか。誰が住んでいるのか、住んでいないのかを、問われるのは、ごく普通の会話みたいに見える。しかし、私は、その質問がある種の暗喩であると受け取った。⁂⁂⁂⁂、歯医者さんとの会話としては、そこへ続く。しかし間に挟まっている問題も、非常に重要なので、ぜひお読みいただきたい。
それは、やまゆり園事件が、2016年に起きて、これは、私の孫が、少々の、障害があって、それをからかうために起こされた事件で会って、19人もの死者はいないと言って居る。それは、現場中継をしていた民放のカメラと記者が、現場の、滞在している警察官に、「遺体は、何人分、運び出されたのですか?」と、質問をすると、警察官は、「まだ一体も出てきていませんよ」と答えたのだった。午後二時ごろの話だった。そして、その一周忌を迎えようとしている、2017年の7月10日に妹が、私をビビらせて、やまゆり園事件についての、真相を書くのを阻止するために殺されたのだった。
11日に、今まで、向こうから電話をくれたことのない、妹の連れ合いが、長々と電話をくれて、妹が、14階から飛び降りて、自殺をしたと、言ったのだった。この電話が盗聴録音をされて、ご近所などに聞かされていると、私は思っている。だから、ご近所がやすやすと、私を軽蔑しているのだ。
しかし、私は、妹の連れ合いが、鳥居薬品勤務なのに、JTの研究所の副所長に任命されて、大坂に単身赴任をしたころから、明瞭に敵方に立った、人物だと、見ている。彼と妹は、千葉大薬学部の出身なのだけれど、その当時から、共産党員だっただろうと、見ている。今、右翼と左翼が、ごっちゃごちゃになっているが、共産党とは、説法は、素晴らしいのだが、実際には、CIAの忠実な手下である。警察も同じであって、文化人を取り込む共産党も、そうだから、私は、本当に大変だ。
ご近所の前田祝一、清子夫妻も、共産党員だとみている。これは、集団訴訟の原告、500人程度をつぶさに、検討して、前田祝一氏の名前が入っていたので、確かなことなのだ。
その前田家の西隣り、旧F家(現在は、借家である)に住んでいる、山田さんという美形の紳士が、警察庁出身の、(新潮社勤務ともいわれている)らしいので、私は、本当に大変である。で、今でも、(そうだ、9月8日でさえも)、ご近所様の、嫌がらせ行為は、続いている。ただし、私はわかっていても、それを、今は、ブログには書かない。それを、書けと、言われている様なひっかけであるかもしれないので、わざと触れないで、置いてある。
ただ、私は、妹の連れ合いが、立派な(ただし、真心がこもっていない。演出ばかり派手な葬儀だった)が住んだ後で、清新町の、都分譲住宅街を何度も訪ねた。妹の住居や、発売当時は、100平米以上のマンションは珍しかった、中層住宅(四階建て)だが、近所に、まだ、14階建てと、彼が言ったマンション群が、5,6頭残っていた。だんだんタワーマンションへと建て替え中みたいだったが?
しかし、それらのマンションにはいってみて、わかったのだが、なんと、14階へ入れないのだった。これは、警察が、それを知らなかったか、妹の連れ合いが、それを知らなかったかのどちらかだが、14階から飛び降りることはできないのだった。妹は、何らかの形で、自宅へいる際に、気絶をさせられて、外へ連れ出されて、外で、車にひかれるという形で、下半身が、(特に骨盤辺たりが)、粉砕したらしい。これは、別の文章で詳しく委細を書いているが、山口みつ子さんが、帰宅をしたときに合いかぎを使って、すでに、内部に入っていた、CIAの、ブルーカラーとしてのエージェントたちに薬で、気絶をさせられて、窓から生きた状態で、突き落とされて、しかも、こちらも、私を脅かすために、自殺だと、喧伝をされているのと、同工異曲だった。
これから先、妹が他殺であると、言う傍証は、いくつもあるのだが、すでに、午前三時になったので、先へ進みたい。
⁂⁂⁂⁂ ここで、先生(歯医者さん)との会話に戻ります。先生が「実家がどうなっているの?」と質問をされるのは、最初のうちは、普通の会話でした。母は、妹の強引な、処置で、2004年ごろに、この実家から、離れて老人ホームに入りました。先生が、「実家がどうなっているの」と、質問をされるのは、2015年ごろまでは、普通の話だったのです。「空き家になっているのかなあ。この頃」、と、ご近所様が、噂をしているのは、普通の事でした。
しかし、2018年以降は、違うニュアンスが、込められていたと、思います。ただし、これは、ごく頭の良い人々同士の会話です。この一帯(ときわ台)は、戦後開発された、地域で、日吉本町と、比較すると、同じ東急の分譲地でも敷地が狭いです。田園調布は、ひと区画が、300坪だったと、推察しています。が、日吉本町は、200坪で、篠原町(妙蓮寺を最寄り駅とする一帯で、岸恵子の実家とか、松沢成文氏の家がある一帯)は、150坪程度で、常盤台は、100坪以下です。
しかし、民度は、極めて高いです。父は、父の入学当時は、非常に人気の高かった学部を備えている今でいう国立大学出身です。子供たちは、私を除いて、国立大学の出身です。わたくしの道路を一本挟んでの北隣は、慶応卒で、お子様は、慶応と早稲田卒です。その東隣は、東大卒です。道路を隔てない側のお隣は、たぶん国立大学卒ですが、そういうことを話題にしない方でした。しかし、一流企業の重役で、三区画を買っていて、しかも建物は、竹中工務店が、設計施行をするわけですから、中卒、高卒であるはずがないです。そのさらに東は、同じく、三区画を買った方で、これまた一流企業の重役で、東大卒です。そして、その家の道路一本隔てたおたくは、お子様が東大卒です。西の方で、道路一本隔てた、反対側は、お子様が、横浜国立大学卒です。
::::::::ここで、余談ですが、道路一本離れた慶応卒の人が、家を売って、元街に引っ越してしまいました。元街(しかし、裏通りですが)に小さいながらビルを建てられたわけなので、どれほどにこちら日吉が、高く売れたかが推察できます。ただ、その解体中に、私は、ちょうど歯医者さんに通っていて、まるで、武蔵野の森みたいだった、お庭が、大きな鉄の球で、根こそぎ、倒されていくのを見ました。わたくしの実家の方は、父と母が、年に二回植木屋を入れていたので、はっぱは、茂らず、樹木の高さも、抑えられていて、武蔵野の森という風情ではありません。だが、幹は太くて、綱島から移植した富有柿の木など、樹齢百年を優に、超えていたと思います。私は、父と母の思いが詰まったこの家を死守したくて、宝くじを買っていました。北隣が売れたころに比べると、地価が下がっていました。が、弟が、「一億四千万円なら、売ってもいいなあ」と、言っていたので、三億円以上の当たりくじが当たることを願っていましたが、当たらないうちに弟が売ってしまったのです。(苦笑)
なお、これも余談中の余談ですが、北隣を買った方は、真田宏之、手塚理美夫妻でした。私は手塚さんが、この山の雰囲気になじみたいと思いすぎたのが、離婚の原因だったと、思います。つまり、お子様を有名大学に入れて、サラリーマンにしようと考えていたのが、お餅つきなどの町内会への協力に現れていたと思います。
「慶応に入れたくて、日吉に引っ越す人もいる」と、林真理子が、揶揄していましたが、手塚さん夫妻は、ごくごく、まじめで、好感が持てると、母は、言っていました。母は、手塚さん夫妻から、気に入られていて、プレゼントももらっていて、母も、あの夫妻を好ましく思っていました。だから、離婚の件で、週刊誌が押し寄せてきても、一切応答をしなかったそうです。
ただ、私に言わせると、真田さんの方が、この山の、あまりにもまっとうな明るさと、まじめさと、硬直さと、サラリーマン優先・価値の横行が、いやだったのだと、思います。この山は、いくら地価が高くても、芸能や、芸術を志向する人には向いていない一帯です。:::::::::という挿入を入れて元へ戻ります。
そういう頭の良い人たちが住んでいる一帯の、高度にソフィスケイティッドな、会話としての、「実家は、どうなっているの?」です。私は、それを、「あなたの妹さんは、自殺をしたそうですね。だから、もう、実家に帰ってくるのはやめた方がいいでしょう。売ったらいかがですか?」と、言う暗喩として受け取りました。とても、いやな話でした。しかも、と、同時に、ほかのいじめも始まっていました。治療台が一台、空いたら、すぐ招じ入れられて、いろいろ、奥様と雑談をしていたのに、急に、そこが空いても、招じ入れられない様になりました。雑談をしたくないのだという雰囲気に変わりました。
しかも、待合室でもつらいことが起こりました。そこは、四畳半程度ですが、ものすごく、感じの良い空間でした。奥様が描いた絵手紙が、15枚程度、壁に張ってあるのですが、絵も文章も素晴らしくて、合同展にもお出しになる模様です。また、生花が高さ一メートル幅一メートルぐらいの盛花として、いけて在り、小さなお人形も季節ごとに入れ替わって飾って有りました。そして、そこに集う患者たちが、高度でした、教養が高くて、性格の良い奥様方が、常にソファに座っているという状態。だから、そこで交わす会話は、お勉強にはなるし、楽しいしで、本当に天国とはこういう場所を指すのだと思っていました。
ところがある日、朝日新聞を読んでいる奥様がいて、読み終わったのを膝の上に置いていました。わたくしは、自宅で朝日新聞をとっています。しかし、普段から読むひまがないうえに、最近、午前中、しかも、11時ごろまでしか、先生が、診療をしておられないので、鎌倉を出る際に、朝日新聞を読んで出てくる時間がありません。で、彼女に向かって、そういう事情を説明して「貸していただけませんか?」というと、聞こえないふりをします。私は、この医院で、こんな人をかつて、見たことがないので、裏があって、先生の奥さまから、私の風体を聞かされていて、「対応をしない様に、してください」と頼まれているなどとは、夢にも思わず、もう一度同じことをお願いをしました。すると今度は、何か、むしゃむしゃと、話をしましたが、意味不明でした。ともかく、貸してもらえませんでした。
今、この件のさらに高度な解釈をいたします。私が、何か電話で、時間を決めてアポを取った外出をすると、それは、警察が、狙うところとなります。それで、安野夫妻に、私の外出を見張っていて、報告をする様に依頼がいきます。それで、報告をされていると、思います。それは、2019年の12月27日の、夜の七時半に、鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司が、洋服姿で、お馬に乗って、パカパカと、軟化をされていったことでも、証明できます。吉田茂穂宮司は、誰かに勧められてそうなさったのですが、それは、私が書いた、「雅子様のお馬のアレルギーについての文章が、まさしく図星だったので、そういう企画がなされたのです。そういう行動で、威圧をできると、敵さんは、考えている模様です。しかし、私の方は反対に取りました。やはり、雅子様のお馬のアレルギーとは、井上ひさしの発案だったのだと。
それから、これは、数年前の、昼間の話です。カソリック雪の下教会の前で、清泉小学校の、上級生と思われる少年の一団が、私を追い抜いて、走り去った際に、特別に太った少年が、振り向きざまに、「逮捕するぞ」と、どなったのです。これもタイミングを考えると、安野夫妻の、上奏が利用されていると思います。井上ひさしの発案を百合夫人が生鮮に伝えて、校長か、担任かの、どちらかが子供に命令を下したのです。
さて、ここで、午前五時になったので、寝ないといけません。本日、午後一時にみずほ銀行鎌倉支店に行かないといけないし。ところで、先生ご夫妻が患者に、そういう命令を下すわけもないので、その新聞を、見せてくれなかった患者とは、熟年警官の返送した姿だったのかもしれないのです。そういう女性(特に同じ人)が、私が治療に行く時間帯に、待合室にいたことが二度はありましたので、そういう風に感じます。
ところで、これから先に書く予定の事を言います。先生は、実はお孫さんが、有名私立中学に合格をされたことを何度もおっしゃるのです。で、それは、うちの子が、私立中学入試に、失敗をしたことをえぐってこられているとは、わかっていました。だが、これも、気が付かないふりをずっとし続けていたのです。
しかし、或る時に、先生其れは、去年あたりの事ですか?と、質問をしたのです。すると、ずっと前で、お孫さんはすでに、社会人になっておられるということでした。それで、私は「ああ、そうですか」といって帰ったのですが、そのあとで、カリタス小通学バス襲撃事件が起きて、ミャンマー語に堪能な外交官が殺されました。
この事件は、この歯医者さんの、ひっかけやいじめを、欠かせないが為に起こされた事件でした。この先生に、私の悪口を言った、塩野義製薬勤務の人が、ぞふるーざ事件の、原因だし、その北側のお宅のお嬢さんがカリタスに通っていたことを、使って、私を脅かす事件だったのです。.
しかし、私は歯医者さんがご自分の孫の自慢話をするという形で、私をいじめてきたからこそ、私の息子の私立中学二校の不合格は、瀬島隆三が、北久里浜の地籍変更届の裏側を見抜いたことへの復讐だと感じました。特に主役の益山千恵子さんが、私を午後五時半ごろ、車で、ひき殺そうとした1978年10月13日の深夜に、夫だった、重夫氏が、死んでいます。それに対する復讐として、私の子供の進路を絶ったのでした。そして、私は、信頼しきっていた歯医者さんに、その件を30年後に、えぐられ、苦しめられることとなるのでした。
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副題5、『上の様ないじめと並行をして、私は、横浜銀行鎌倉支店に、言い様に苛め抜かれることとなった。そして、貸金庫もあれこれ、いじられていると、言うことを推察することとなった。すると、威圧のために、自ら、<<<<私は、鎌倉警察署の、生活安全課の課長です>>>と名乗る男性が、ATMロビーに若い女性警官と一緒に待機しているということとなった。それで、私は、一応借りているけれど、浜銀の貸金庫は、実際の役には立たないのだと、判断をして、みずほ銀行の二階に向かい、周辺にいた女子行員の一人を呼び止め「お宅では、貸金庫を使わせる際に、貯金の額を問いますか?」と、質問をして、「いいえ、致しません」という言葉を聞いてから、「一個、一番小さいのを貸してください」と頼んで、契約を開始した。
しかし、定期が、100万円しかないので、さすがに気が引けていて、島忠がニトリに買収された株価の、代金と、NTTドコモが、上場廃止をしたので、同じく手に入った株価代金の、合計200万円を、みずほの、普通預金に、入れておいた。むろんの事定期預金を増やすという目的だった。
しかし、警察は、私を苛め抜いているから、浜銀とは、別の金庫を借りるのを、許さない…‥そうなると、せっかく浜銀、鎌倉支店を舞台にした、いじめ策が、通じなくなるではないかと、考えて、みずほ銀行鎌倉支店に、「安易に金庫を貸し出したのが、まずい」と、言ったらしい。それで、2021年度からだと思うのだけれど、以前は、気楽に見渡せたし、気楽に言葉がけができた二階の、オフィスが、全面、シャットアウトされて、ナンバー錠を開錠しないと中には、入れないことになっている。
そして、一月18日周辺で、私が三時前に家を出る日を安野夫妻に、連絡をさせて、三時前に家を出たら、みずほ銀行鎌倉支店によると、言うことで、策略を手配していたのだった。わたくしは、ATMで、200万円の、定期を作って、景品を一個だけもらって帰宅をした。ほかの銀行だったら、椅子に座って、口座を作り、もっと、たくさんの景品をもらえただろうに(苦笑)と、思いながら、すごすごと、帰宅をした。
しかし、すぐには、それを分析して、書くことは、やらなかったのですよ。しかし、みずほ銀行に、ATM不具合などが多発して、とうとうトップが、辞任をして、しかも予定をされていた、銀行協会会長の座をも、辞退をするとなって、一文を書いた。後注1へ、
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副題6、『そういう一文を書く前までは、みずほ銀行側があくどい一方の、いじめ方だったが、あと注1を書いた後では、みずほ銀行鎌倉支店に嫌われても仕方がないと、人情の上では言われるかもしれない。
だけど、私側から見たら、そもそも、一月18日のいじめがひどい。鎌倉警察署の生活安全課にしてみたら、・・・・・どうだ。我々はお前が,定期預金を作りに来るのを察していたのだ。頭がいいだろう。お前は、警察が、あれこれ、やっていると書いているから、こっちは、復讐してやるんだぜ。どうだ・・・・・と、言っているのは、わかるのだけれど、そもそも、安野家と、大原光孝さんに、合いかぎを渡していて、自由に侵入させることだって、人権侵害の冴えたるものだから、
みずほ銀行鎌倉支店を使って、いじめてくるのもあり得ない、出来事だった。まあ、一応びっくりするし、ひるむこともあるが、それに引っ込んでいたら、ほかの件でも彼らは、勝った、勝ったと、思ってさらに弾圧が、厳しくなるだろう。それで、今借りている貸金庫のサイズを変更してもらおうと、申し込みに行った。
あまりに薄すぎて、パソコンの周辺器具、特にハードディスクの補助電源用アダプターが入らない。もし、我が家に嫌がらせ用泥棒が入らなかったら、こんなものを入れるために、貸金庫を借りる必要はない。金塊を入れたり、現ナマを札束、三十個として、入れるわけでもない。でも、特殊な環境だから、申し込む。浜銀は、もう駄目なのだ。ただ、みずほは、過去の、富士銀行(=大銀行であった)としての、プライドにかけた。
ところで、三週間前に申し込みに行って、やっと、三週間後の本日、9月9日に処理可能だと、聞いている。もう、笑ってしまうほど、明々白々の嫌がらせ行為だった。銀行ってサービス業でしょうと、言う根本を問い合わせたくなる。浜銀だと、貸金庫担当の、行員は、三人ぐらいいる。その人たちが、一日三ケースを処理したとしても、三週間、後とは、45件となる。貸金庫を申し込みに来る人とかサイズ変更をしに来る人が、三週間で、45人もいるとは、考えられない。みずほの、この申し出では、100%の嫌がらせである。
しかも、三週間前に訪問をしたときにも、ロビーでは、単純に待たされているだけで9月9日の訪問が決まったわけでもなかったのだ。帰宅してから、電話で、お知らせが入った。だけだった。だが、こんなに七面倒なことをすべてのお客にやっていたら、みずほは、本当にお客に見放されるだろう。支店長さんは、そこのところを、どういう風に考えているのだろう。
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副題7,『上に書いた最後の節の部分が終わるまで、私は、また、また無為の時間をロビーで、過ごす様に待たされた。しかし、もし、リアルな世界で、何らかの文句をつけたら、・・・・・・ほーら、言った通りでしょう。彼女は異常なレベルで、クレーマーなのですよ・・・・・・と、あとで、言われるに決まっているので、黙って待っていた。
で、みずほ銀行鎌倉支店の内部をしみじみと、観察することとなる。珍しく、雑誌が置いてあった。最近では、ロビーに、ざっしをおいていない支店(銀行の場合特に)が多いのだが。で、私は、一冊、【清流】という雑誌を手に取った。パラパラと、めくってみると、驚いたコトに、残間理恵子が、出ていた。
司会者として出ていた、それで、急に、その雑誌に興味を抱いた。
その時に突然に頭にひらめいたことがある。・・・・・なんだ。残間理恵子が、プロデュースしているのかもしれない。小泉純一郎の、原発反対講演の、講演会のスケデュールの事だけど、・・・・・そう考えると、一切のつじつまが合っている。で、ここで、 冒頭へ、戻ります。