で、サブタイトルとして、
『山縣有朋、堤康二郎、五島慶太、田中角栄、江副博正、瀬島隆三、益山・某元海軍参謀、堤義明、ホリエモン・・・・・どうして、蓄財をしたかということと、それ以降の人生がどうなったかということと、・・・・・私の現在の問題へ連なるポイントは、・・・・・』を付随させる必要があることに気がつきました。
では、今日の本文に入ります。
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ある日、大変立派な紳士とお話をするチャンスがありました。社長さん。ただし、不動産会社の人ではありません。でも、氏が白金や神宮前と呼ばれる高級住宅街の住人なので、不動産に関する現況についてを、聞くこととなりました。氏によると、現在東京のブランド住宅街は、中国、韓国の大金持ちたちに買い占められているそうです。田園調布だけは売り物が出ないそうです。また、彼らが山手線の外にある住宅地を買うことはないそうです。それが成城とか、南林間という、日本人にとっては高級だと思われる住宅街であっても、買うことはないそうです。
白金とか、神宮前などの便利で閑静で、一区画の坪数の多いところは、昔は借りてすんでいる白人の駐在員と、日本人だけだったのが、今は、少数の日本人と、後は、空き家、または更地になっているところが多いのだそうです。それはどうしてかというと、中国人と、韓国人が買って入ってくるからだそうです。彼らは住む気持ちがなくて、投機の対象にするので、10%でも値上がりをすると売るのだそうです。で、なんとなく荒れ果てていっているとのことでした。
それから、彼らは、北海道をも、買い占めているそうです。外国籍の彼らは、宅地を買うのは難しいのだそうです。だから東京の方は、会社の名義で買っているのかな。でも、山林や原野などを買うのは、資格が要らず自由なので、北海道が買い占められる・・・こととなるそうです。
この情報について考えるのですが、『そりゃあ、住む人がいないと、荒れるだろうな』と思いました。が、それで中国人や韓国人を、責めるつもりではないのです。そうじゃあなくて、『ほら、やっぱり』と思ったので、それをお話をさせてくださいませ。
それは『日本が、安心できる国だ』ということです。安心できない場所に投資はしません。あきやが増えるのは困るが、尖閣諸島がなんたら、かんたらあっても、個々人の中国人から、『日本の法制度は、安心できる』と見られているわけです。韓国人はニューヨークやアメリカを買うような気がしますが、それは中流階級の話で、大金持ちは韓国人でも、白金や神宮前を買うのかもしれません。
韓国人については、なぜ日本を買うのかは、よくわかりませんが、中国人についてその理由が容易に推定できます。。映像を見たことがありますが、土地の私有制度がなくて、しかもその利用方法は、共産党の幹部(日本で言えば、市役所の吏員)等が、都市計画などというものを振りかざして、今まで50年以上もそこに住み、商売までしていて、生活の糧を得ていた人たちを追い出すのだそうです。そして、追い出された人たちは、日本の白金や表参道を買って移住できるほどの大金持ちではないので、途方にくれるそうです。路頭に迷うといってよいか。
一方で、日本人でも買えない白金や、神宮前をぼんぼん買える大金持ちが中国にはいるのです。こういう社会は、きっと不安定で、『そこに住むのが、幸せではない』ような気がします。
日本が『100%に、いい国だ』とは思わないけれど、こういう流れを見ると、『GDPだけでは、国の良さが、示されないのだ』と思いますね。今、『中国が日本に勝った』とか、『韓国が、日本を上回った』とよく言われるけれど、上のような事例を聞くと、『それらのニュースとか論評を、鵜呑みにする必要はない』と思います。その論調がいうほど、日本を、自分たち自身が、卑下をする必要はないと、思い始めます。
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ところで、ここからさらに話は変わりますが、NHKハイビジョンで京都・東山にある豪華な別荘群を紹介をしています。二回目に見たときに、気がついたのですが、米軍に接収された住宅があり、洋風のトイレやキッチンへと模様替えをされてしまった、ので、それを、もとへ戻す、修復作業の映像を見ました。
『ほおっ。京都にも米軍の占領は及んだのか』と、感慨深かったです。
これから、先を書くつもりですが、ともかく、一回寝ますので、それをお許しくださいませ。実は昨日(28日)の夜、タンスの引き出しの中に入れておいた下着の中にひそんでいた太いムカデにかまれてしまったからです。素肌に、数分間ムカデがぴったりとくっついていて、パソコンをいじり始めたら、それが胸から肩へ移動したのですよ。驚きいってしまいました。しかもそのムカデが二階の部屋の中で逃げてしまったので、どこに行ったのかしらと考えて、よく眠れなかったのです。ムカデは太くて、この後、明日(29日)や明後日(30日)どうなるかと想像するだに恐ろしいと言うほどのもので、かまれてすぐ、全身が痒くなりました。が、幸いというか、なんというか、何度もかまれているので、一種の免疫ができている・・・と主人が言いますが、そのとおりなのか、・・・一日目で、予想より低い影響力で、済むことがわかりました。だから、刺された次の日にも、寝不足中の寝不足でも、銀座に行き、母も見舞いましたよ。くたくたではありましたが、・・・・・
でも、ブログだけは、文章を中断したまま、この下の7行後から、24時間も休みました。珍しいことですが、ムカデのためです。
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ところで、米軍の接収ですが、いまだに沖縄にはあるのですよね。それから、横須賀にもある。だけど、1950年代は、元の日本軍の、軍事施設ではない普通の町が接収されていたのです。横浜も広範囲に接収をされていて、関内牧場と呼ばれた、焼け跡は、私の思い出の中にしっかりと残っています。根岸の丘の上や、本牧の先っぽなどにも、金網に囲まれた米軍施設があったのでした。
まず、そのことを、土地を接収された人たち自身はどう思っているのでしょうね。それを知りたいです。原爆の被害者は何度も映像内で、戦争被害を語りますが、突然に自分の家(NHKの番組に出てきた東山の豪邸は、別荘だから、本宅が別にあったので大丈夫だったかもしれませんが、ほかの地域に住んでいる人たちを心配しているのです)
を、失ったとき、どういう思いがしたかを。
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ここで二十四時間程度中断をいたしました。で、ここから続けます。
で、この接収が京都東山にまで及んでいる事を知って、それが日本全国いたるところに威勢を及ぼした事を改めて確認したわけですが、その間、地代は、どう保証をされたのでしょうか? 無償で相手方に利用をされたのでしょうか?
それとも、後日明らかになってくる、思いやり予算が最初から設定されていて、日本人が日本人のお金で代償したのかもしれません。となると、我が家か、あなた方の税金が、そこの地主の権利を守っていたと成ります。だけど、京都ではなくて、また、沖縄ではなくて、横浜に入っていきましょう。そのほうが私にとって論じやすい場所なので。
その関内牧場と呼ばれていた焼け野原に、今では教育センターという大型の公民館があります。その地下から、三階までは展示室の集合場所となってて、上の階には講堂があります。そこでは多くの研究発表会みたいなものが催されています。
が、戦前からそこが横浜市の土地であったかと言うと、疑問があります。いえ、登記簿を調べたわけではないのです。ただ、直感として発言をしています。
もちろん、戦前からの地主が、横浜市へ売却をしたのかもしれません。また、税制がすでに、現在のものと同様だったら、持ち主が、相続税を払えなくて、市へ物納をしたのかもしれません。
最後の最後の想像として、これはしたくもない想像ですが、空襲によって、持ち主の一家が全滅したのかもしれません。そう言う場所が、日本全国にあったのではないかと、考えるのです。たまたまここは跡地が、大公民館という有意義な使われ方をしていますので、祝福をされていますが、ほかの、人にあいまいなうちに乗っ取られてしまったケースもあるのではないかしら。どさくさ紛れということがよく言われましたでしょう。
アプレゲールというのは道徳規範が、その前の世代とは、全く違うからついたあだ名ですよね。また、そのころはたくましい第三国人という呼び方もありましたし。
戦後史の実態が、ここら辺りでは、詳しく検証をされていないと感じます。テレビの特番は、常に南東アジアへの侵略の映像がドラマとしては、繰り返されます。映画でもフィクションなら、硫黄島からの手紙もそうですし、戦場のクリスマスもそうです。ドキュメンタリー映画だと、靖国を筆頭に、中国南京での大虐殺の映像が繰り返し流されます。
このごろでは、新分野として、シベリア抑留関連のドキュメンタリー番組の放映が多くなりました。五年ぐらい前までは、戦時中の従軍慰安婦・問題が定番でした。そして、原爆関連の記録や、ドラマも引き続いて多いです。
原爆に比較すれば、東京や横浜、そして、福岡? 大阪? などで、空襲にであった普通の人々の記録が少ないです。かろうじて、早乙女勝元と言う作家が、3.10の東京大空襲の記録を残そうと言う運動をしています。『ガラスのうさぎ』や、『蛍の墓』など、の児童小説分野では、いくばくかの、名作がある模様です。
実は、ここで、ジャーナリズムの怠慢を問いたいです。あらゆる人が取り上げている話題しか取り上げないと言う臆病さがありませんか。戦争関連番組でも、ある一定の方向に沿った(つまり、二度と戦争を起こしてはいけないという主張のみの)番組しか制作をされず、放映をされません。
「それが、中国になめられる原因ですよ」といったら大変なことになるかな(う、ふ、ふ)・・・・・過大な軍国主義はいけないが、「主体的な判断で、国家とは動くべきです」と言いたいが、実際には、それも出来ないから、日本は、被・植民地国家であるというのです。
菅首相もまさにその典型ですが、小学校や中学校時代の優等生が、隠れ番長とか、不良にばかに弱くて、腰がひけているというのは、みなさん、教室で傍目で見てきて、良くご存知のことでしょう。それが国際関係にも出ていますが、喧嘩する際に大切なげんこつを振りかざすことができない日本は世界中からのいじめられっ子です。
国民が、苦虫を噛み潰していて、首相の弱腰をせめても、大構造ががっちりと、方向を付けられているので、どうにも動きようがないのが、現在の日本です。
そこまで言ってしまうと私の身辺被害はますます拡大すると思いますが、でも、こう言う事をさえ、(そこまで)言うのが、私の独自性であり、プライドの存在するところです。
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さて、今日、この場で本当に言いたい事は、『アメリカ人が、土地接収の問題に関して、欲張りだった』と言うだけでもありません。そうではなくて、土地を支配する形式について問題にしたいのです。『それが、過去にどう変わっていったか』を論じたいのです。ただ、この接収時代ほど、外国人に、損害を与えられ支配をされた事は、過去にないとは言えます。それが、今現在の日本人を、過剰にびびらせているかとも思いますが・・・・・・それでも、言いたい事はそこには、ないのです。
つまり、歴史的に正当な権利がないのに、突然にその土地を所有すると言う事を、どう考えようかというのが、今日のテーマの主たる狙いです。
ここで『明治維新とは何だったのだろう』と、なります。つまり、その時に大量の、『土地の無法な略奪』が行われた可能性もあるのです。米軍が勝者として無法きわまりなかっただけではなく、官軍と賊軍という名で、分けられた日本人同士の間でも、無法極まりないことが行われた可能性を考えたいのです。
江戸時代、山手線の内側の、現在の皇居から東側は、商業地であり、庶民の町でありました。銀座を始め、築地、深川、浅草など。
しかし、皇居を中心として、北、西、南は、ほとんどの面積が、大名屋敷で占められていたはずです。それは江戸落城までは、外様・親藩入り混じっていたでしょう。薩摩藩など、上屋敷と下屋敷があったそうですね。六本木には、毛利藩の藩邸があったそうですが。
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NHKでハイビジョンで紹介されていた京都東山の大別荘群は、山縣有朋の別荘が、最初に出来た事を機縁として開発されたと述べています。どうも、一区画が二千坪で、三区画買った人物もある様でした。が、当初は、南禅寺の寺有地を、(NHKはそれを言わなかったが、私が推察すれば、強引な政策によって取り上げ)、工業団地にする予定だった土地だそうです。
その場所に工場誘致がなかなか進まない中、突然に山縣有朋へ、一部分が払い下げ(?)に成りました。ここらあたり、現代の庶民から見ると、大きくも、不透明なところがあります。南禅寺さまは、どういう風にこの推移をお考えだったでしょう。
たまたま、南禅寺様というのは、個人が相続し続ける私有地ではありません。仏教とは一応宗教であり、お釈迦様は無欲である事を説いておられます。「あれは、私たちのものだよ。返してくれーっ」とお寺側は仰いません。歴史的な事実があっても、もう、別荘群は売られたものであり、現在の持ち主がいます。土地の私有制度がある限り、その権利者のものでしょう。
対する山縣有朋は、日本庭園の愛好者だったと聞いております。それで思い出したのですが、椿山荘(フォーシーズンズホテル)も戦前は山縣有朋のものでしたね。『さて、その椿山荘は、江戸時代までは、誰のものだったのだろう』と、今改めて、推測をするのです。すると、ともかく、佐薩長土肥出身の下級武士だった、山縣有朋のものではなかったはずです。
親藩大名(江戸幕府派)または、それに連なる人、または徳川幕府そのものの用地だった可能性はあります。山縣有朋が、その元の所有者に、現在のような、不動産システムで割り出した、土地の評価額に基づいて、金銭で保障をしたであろうか。正式な売買契約をしたであろうか?」と、疑問をそこへ持っていけば、『ノー』であろうとは、だれにでも、推定できる話です。
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庶民と権力者の格差は、ここで歴然として現れます。萩の士族の家に生まれた私は、親から、冗談っぽくも、明治の元勲たちの若い日の有様が伝わっています。伊藤しゅんすけ(後の伊藤博文公)は、「はしっこい子で、賢かった。吉田松陰と、高杉晋作たちとの間、そのほかの間、の使いっぱしりをしていたので、得をした」などと聞いているわけです。
人間はすべて平等だと考えたり、正義を追求したいと考えている私などから見ると、こと、土地の所有、または、私有の件では、山縣有朋など、大いに怪しいです。疑問符がつきます。
土地が誰に帰属するかを決定したのは、大雑把な日本史の記憶では、律令制度のころと、豊臣秀吉の検地・刀狩りが有名ですよね。それ以前は戦国大名は自分の領地の拡大に努めていました。が、農民にとっては、田畑の所有は殿様とは関係が無かったはずです。農村内部では、賢いひと、勤勉な人が、開墾などで、所有地をふやして行ったでしょう。が、それが殿様のものではないはずです。
殿様の側では隣の藩との、一応の領界・地境を決めて、その範囲の庶民から、お米と言う形で税金を納めさせました。だから、土地の所有権は小作を除いては、地主(庄屋)にあったはずです。都市の町民(商人)の方はどうなっていたのか、寡聞にして、覚えていませんが。
ともかく、莫大な量の土地が、対価を払わず、所有権を移動したのは、日本においては、明治維新が、初めてだったかもしれないのです。
で、明治維新については、一応『近代化へのプラスだった』と言う歴史的評価が定まっているわけですが、敗者側から見ると、特に江戸で豊かに安定した暮らしをしていたのに、家屋敷を捨てて出て行かなければならなかった側から見ると、『あれーっ、これはどういうことだ。一種の泥棒に出会ったようなものだ』となるでしょう。だれも、そんな事は言いませんがね。
ただし、ここで、こんな事を言うのはジャーナリズムとか、学問というのは、まず疑うことから始まると思っているからです。
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さて、ココから、二つの方向へ入ります。
一つは戦後でも、こう言う発想で、『土地は、それに気がつかれない限り、元・誰のものであっても、蚕食して、自分のものにして良いのだ』と言う発想を持つ人間が現れるのです。皆さんは、まさかと仰るでしょうが、そう言う人間はいるのです。第三国人ではなくて、純粋な日本人、しかも一種のエリートの中にあらわれてくるのです。
その挙動や企図が潜む無法性と悪に、横須賀で、気がついてしまったことが、今の私の苦難の始まりと原因です。そして、それは先へ続いていきます。だから、いじめとか、いじめられの心理学的な問題が一切登場してこないこの章もまた、前後と、連絡をしていることをお知らせさせていただきたいです。
こののんびりとして始まった、今日の文章も、実は、前日までと続いている文章なのです。
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しかし、その大テーマ(?、私にとっては確かにそうだが)に入る前に、近代史でも、そう言う例があるが、どうして、ある部分の瑕疵が誇張をされ、拡大をされるかについて述べたいと思います。
私がこれからいいたいことは、『マスコミが、躍起になって取り上げるニュースには、別の目的がある場合が、あるだろう。それに、庶民はだまされないようにしよう』ということです。
たとえば田中角栄元首相です。立花隆氏が、金権疑惑を取り上げ、それが原因となって、田中角栄が失脚しました。それに対して、庶民は喝采を上げたはずですね。
今太閤と言われるほどの権勢を誇りましたが、失脚をしてしまい、娘の真紀子さんは、大マスコミの、からかいの対象とさえなっています。一種独特の人気もありそうですが、繰り返し足を引っ張られています。
私が見るところ、
田中角栄元首相の失墜は、彼が、日本独自の路線を歩もうとしたために、日本を支配する真の権力者である、(主にアメリカに住んでいる)国際的軍産共同体の怒りを買い、失脚をさせられたところにその真因があり、立花氏は、実は日本国民の士気を落とし、脆弱な自身のない国民へと変化させていくのに、役立ったと見えます。
そして、田中角栄の書生から人生を始めた小沢一郎氏は、なんと、今では、その真実の権力者側に立ち、苦境に立つ、真紀子さんに手を差し伸べているそうです。もう、笑止千万な軌道修正であるとというか、なんというか。
世の中は本当に変わります。何がなにやら、分からないといってよいほどです。
だけど、確実に言える事は、一般庶民が接することの出来る情報は、確実に操作をされて、与えられていると言うことです。
一時期、堤康二郎と言う人の土地買占めが、大きく論壇の話題として、雑誌に次々とその記事が載りました。そのころは、文芸春秋型の総合誌が、中央公論とか、現代をはじめ多数ありましたので、そちらで集中的にたたかれ、ついに、その後を継いだ、義明氏は引退も同然の姿になりました。
もちろん、・・・・・税金を納めないで済むシステムをうまく構築した・・・・・と言う事を攻め立てられているわけです。そこには逃れようもない、責任があり、国民の前から尻尾を巻いて逃げ出さざるを得なかったのだと断言しても良いのかもしれません。
しかし、戦前・戦後の土地買占めのすさまじさは東急を率いる五島慶太氏と、二人が双璧をなすと言われ、二人とも強引であったのです。五島氏の方は強盗慶太とあだ名され、堤氏の方はピストル堤とあだ名されました。
五島慶太氏は現在、東急電鉄が走っている一帯を買い占めたのでしょう。そして、子孫が、上品な生活をされている(らしい)から、叩かれません。一方堤氏は鎌倉や三浦半島を始め、西武鉄道沿線を買い占めたのでしょう。
また、都心の一等地を買い占めて、プリンスホテル王国を作り上げました。『その件で、あくどいことをした』と大量の物語が語られ続けたのです。戦後の身分制度の改悪(一部の人にとっては改善であろうが、一部の人にとっては改悪でした)を利用して、旧華族から、その屋敷を次から次へと取り上げたのです。弱みに付け込んで二束三文で買ったといわれています。それが面白おかしいストーリーとして語られ続けていました。大量にです。
今思うと、その真の目的は義明氏の能力を恐れて、氏が社会的な尊敬を失うところにあったのではないかしら。つまり、堤義明と言う、実力者をぶっ潰すことで、日本と言う国の士気を落とすこと。そういえば野球の西武が、たたかれ続けていますよね。それも同じ路線かな。
海外からの侵略と言うのも、昔のような単純なものでもないのですが、それを予防する人間へと義明氏が成長するのを阻害するためにあの大情報が流されたと、私は見るのです。
義明氏の父である、堤康二郎氏は、いわゆる『英雄、色を好む』と言うタイプで、実質的な奥様がたくさんいて、異母兄弟も多かったのです。でも、父が、『この子が』と認めたのだから、堤義明氏は、・・・・・どこか、豪胆で、マクロに物を考えることの出来る立派な人材であったのではないか・・・・・と思っているのです。だからたたかれた。そして義明氏が育てたスケート、特にフィギュアーが、政治的に利用をされている。いやな意味で、利用をされている。日本人が悲しくなるような方向で利用をされている。
また氏をたたくことによって、ホテル業界の自由化が果たされてしまい、海外の高級ブランドホテルが続々と日本に設立をされ始めました。時期がずれている様でもありますが、土地取得の交渉期間、設計期間、建設期間を合わせれば、その因果関係は、証明されてくる可能性があります。
で、戦後、その人に、真の実力があるばあい、マスコミ利用という、一種の人民裁判で、次から次へと、つぶされていったということに気がつきはじめます。、それをあげると、この堤義明氏を始め、江副博正氏、ホりエモン(氏)とあまたいる事が分かります。守屋事務次官が収監されたそうですが、ああいうのも、さじ加減一つでしょう。ともかく、村木厚生なんとか局長は、あやういところで、助かってよかったですね。
最後に私が、皆様に、お願いしたい事は、『大ニュースが起きているときこそ、乗せられないように、気をつけよう』ということです。大相撲壊滅作戦は、猛火をあげ、大変な大事みたいに見えました。でも、あれも、作られて、さらに、あおられたニュースにしか過ぎません。尖閣諸島もそうです。毒入り餃子事件も同じです。『落ち着きましょう』と提案をしたいです。
では、今日はここで。2010年9月28日にはじめて、10月1日の、しかも夜の八時に完成した。久しぶりに硬派な話題に取り組んだので、私も疲労困憊です。 雨宮舜