この文章の総タイトルは、午後1時まで、『久しぶりに政治的英断(?)を見た国立競技場の、イラク人案の廃棄(森喜郎、秋山豊寛、成岡庸司)』としておりました。それ以降、二番目のもの『イラク女史案白紙撤回の今こそ、愛媛丸事件の、本質を考え抜こう。小渕優子問題もついでに』、と瞬間的に直し、かつ、その直後に、上のものに、しております。文章が書きぬけた順番に総タイトルを変更いたしますが、現在の総タイトルが、文意をすべて表しているとは限らず、変更前のものをも、ご勘案いただけると、うれしいです。
副題1、『人には、それぞれの持ち場がある』
私はここで、よく申し上げておりますが、「大勢の人が関心を持つことは、取り上げないのだ」と。
で、そういう問題の一つとして、国立競技場の、新改築案(イラク人女性の案)が、莫大な金額を要するということと、以降、使い勝手が悪いという意見が出始めたのにもかかわらず、政府がもたもたとして、民意に沿わないのについては、取り上げてきませんでした。それは大勢の人が問題にしていることだからです。
大勢の人が話題にしているから取り上げないということと同時に、安倍さんとか、今の政治に、失望しきっていたからでもあります。その現象は、今の日本政治が<とても悪い>という事とか、<幼稚である>とかいう側面の、例証の一つだと思ってあきらめておりました。話のタネにする気持ちもないというぐらいです。
で、私は私独自の話題として、【絶歌】が、ゴーストライターとしての、井上ひさし作であり、その陰には、戦後最大のエージェント瀬島龍三の北久里浜における、土地(=横須賀市の水道山)の詐取(=ただどり)があるということを書き続けてきているのです。それは、まだ、終わっておりません。ところで、井上ひさしは、実際には生きていますよ。彼は、表向きは死んだことにして、実際には、地下潜行をし続けていて、こういう風に、国民をだますアイデアを出し続けています。
それは、私しか書けないことでしょうが、もう一つ、新幹線焼身自殺があります。これも、報道をされているのとはまるで、違った真実が隠されているでしょう。表向きには、林崎容疑者が、ガソリンをかぶって、焼死したということになっていますが、それが、本当の、事件のあらましでは、ないでしょう。複雑怪奇な工作による、策謀で、Kさんと言う整体師は、選ばれて、クロロフォルム等をかがされていて、動けない形になっていて、のどを痛めた、と、想像をしています。または、クロロフォルムをかがされたのちに、筋弛緩剤を打たれたとか?
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副題2、『しかし、BS TBSで、パールハーバーが、放映されると知り、突然に私は、この国立競技場改築問題に、取り組み始める』
副題2の二重ガッコ内に書いた通りで、私は突然に、この問題に、意欲をそそられることと成りました。なぜかと言うと、BS TBSが映画パールハーバーを放映するのは、これから先に、私が書こうとしている問題に対して、機先を制して、止めさせようとする脅かしの、一つだと、考えたからです。
脅かしが発信をする時には、それに屈してはならないからです。で、後注2を書いているのですが、そこでは、肝心なところまで行っておりません。未完なのです。最近では、そういう事が多いのですが、それは、自分の体力が衰えたということと同時に、相当に深く、問題を切り込むことができる様になり、したがって、書くことの内容が重すぎるので、書きながら、以前よりはるかに、しんどい疲労感に襲われるということもあります。
しかし、安倍さんの英断が、出た後なので、落ち着いて、そこで、取り上げたかったことを、ここで、再び書きましょう。
映画パールハーバーは、日本での、評価が、たいへん低いです。たとえば【ミリキタニの猫】は、五段階評価で、4.5~5であるのに対して、2.3から、2.5です。私自身、皆様に録画してくださいと、お願いしていて、自分も録画しているが、公開当時も見る気はなかったし、いまだに、録画を見ておりません。
しかし、何故、今、この時期に、BS TBSがこれを放映するかを考えた時に、これは、それこそ、前報(後注2)で、取り上げたフェリス上げ、と同じ現象であって、政治的意味を持つものなのです。ただし、一億一千万人の、日本人すべてに意味を持つという事ではなくて、真実を語り続ける、私を弾圧するという意味で、たいへん大きな意味を持つのでした。つまり、神経をこちょこちょと、さいなんでやろうとするアイデアです。そこに、秋山豊寛氏の影を見るのです。BS TBSでしたからね。
ここですが、私は、1965年三鷹外人に、1998年パリで外人に、2010年鎌倉の自宅に訪問をして来た外人にと、三度暗殺をされそうになっているのです。が、全部助かっています。
また、日本人には、何度も拉致されそうになっていますが、すべて、機転を利かせて助かっています。また、冤罪で逮捕などできっこないです。逮捕でもされたら私はどうどうとたたかいますので、悪人たちの方が大損をするはずです。彼らの為した悪が、天下(あめがした)に、曝されてしまいますから。
敵さんたち悪人は、そんなことを望んでいるわけもないです。だが、彼らは、私をみくびりすぎていて、あまりにも悪いことをやり続けてきていますので、私が生きている限り、それを私が書きぬく恐れがあるので、枕を高くして眠れないと考えているので、今は、私を精神病院に収容するか? 外部からあらゆる項目で苛め抜いて、自分で、「ノイローゼになった」と言わせ様としています。そのために今回使われた、一つの道具が、パールハーバーの放映でした。(後注3)
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副題3、『秋山豊寛氏は、人気者なのか? 曲者なのか?』
そのパールハーバーの放映には、秋山豊寛氏が関与していると、私は見ているのですが、その
秋山豊寛氏は、1990年に、ソ連のソユーズで宇宙に行った後で、1995年から農業に従事することになりました。そのため選んだ土地が、福島県だったので、3.11の被害者となります。それ故に、wikipediaを見ると多大な項目があります。
これは、今、私が自分の敵としての、CIA(主に鎌倉エージェントと呼んでいる)の、一員かもしれないと考えている川名昭宣氏と比べると圧倒的なレベルで、上ですね。川名さんと秋山さんと、私は三人ともICUの卒業生ですが、たぶん、三人とも、1941年から1943年までの生まれです。そして、当時は、一学年たった200人しかいなかったので、顔は、知っている間柄です。しかし、CIAが絡んでいる分野での精神的な関係でいうと、たいへん濃い間柄だと言えるでしょう。
ただ、私から、見ると、二人の重要度は、ほぼ、同じレベルだと、みなされます。行動様式と、性格の違いで、wikipedia の、多数の情報が載るか、載らないかの違いが出ると、見ています。この二人に、ロックフェラー四世と、ベイカーさん、石塚雅彦さん、古村浩三君の四人、+榊原節子さん、の五人が、ICU関係者の中では、対私用攻撃者として、機能している存在です。特に後ろの方にあげた、4人は、同窓会とかクラス会とか第一次、フェイスブック時代で、しこたま、それが、わかった現象がありました。
しかし、前の二人、秋山豊寛氏と、川名昭宣氏の二人は、少し違った形で、対、私として機能をしているのです。
川名昭宣氏は、伊藤玄二郎と、直接の友達である可能性が強く、かつ最近では、後藤健二さん、殺害事件で、後藤健二さんの奥様と言う存在が、クローズアップされましたが、その奥様と、後藤健二さんとの、結婚のお世話をしたのではないかと、推察するところがあって、したがって、あの後藤健二さんは、外国で、生きているのではないかと、推察したりしています。そういう部分で、彼の存在を思い出したりしています。ただし、これは、ここで、初出の思考案であって、傍証が、未だ設定できていませんので、川名氏が、ここで、主役とはなりません。ただ、秋山豊寛氏を、考案するに対して、対になるかな?と、言う面で取り上げたにすぎません。
で、川名氏の方は、知る人(有名な作家たちの事)ぞ知るという大物(編集者)ですが、非常に上手に、ご自分を、大衆にはさらさないという立場を貫いている人物です。ただし、秋山豊寛氏と、同じで、この人にも、そそっかしいところはあるのですよ。そして、彼らが、『あいつは馬鹿だ』と思っているだろう、この私に、X線撮影をするがごとくに、その人物像やら、その行動した結果を、見抜かれているところもあるのです。「ばかにするんではないぞよ」と言わせて置いてください。
誰でも、二重性はありますが、あなた方二人が、内心で、からかいきっているであろう、この私(=川崎千恵子)には、信じがたいほどの、成熟した大人の側面もあり、また、宗教者としての力も備わりつつあるのですよ。私が『将来は、こう成るであろう』と思っている方向に、ほとんどの事は、動いて行っていますので。
ところで、この二人に対して、私は個人的なつながりは何もないのです。大学在学中も卒業後も、お茶など、一回も一緒にしたことのない間柄です。だが、私は誰を相手にしても、一瞬の邂逅の時に、重要なものを感じとる能力のがあって、二人については、いろいろと深く、分かっていることがあります。
人間的な複雑さと面妖さと言う意味では、秋山豊寛氏の方に軍配が上がるでしょうね。今、wikipediaを、開いてみて、攻玉社高校の出身で、『家が経済的に不如意だったので、高校だけで終わり、大学への進学を、止めようと思っていた』と書いてあるので、『えっ、それって嘘でしょう?』と思っております。
彼はひねったおしゃれを前面に出す方で、汚れきったコート(たぶんバーバリーだと思う。ともかく、1960年代の日本では容易には買えないもの)を愛用している人物でした。東大教授の息子だという噂があって、あれほど、ひねった性格なのは、親は東大教授なのに、自分がICUに入ったからだと、私は解釈しておりました。ずっと、50年間にわたって。それが嘘だったのでしょうかね? それには驚いています。
ただし、井上ひさしなどよりは、性格はいいでしょう。ずっと、育ちはいいはずです。
ただね。ICUで、ベイカーさんと言う見え見えの、CIAさんと親しかったので、すでに、20代にして、私が今、わかっている様な事は、彼も、わかっていて、かつ、私とは反対に、彼らの側に入ったと、私は見ているのです。ソ連のソユーズで、宇宙へ行ったことで有名ですが、それは、ソ連とアメリカが、裏では、ツウツウであったことを、傍証していると思うほどです。
さて、秋山豊寛氏は、3.11以降は、京都造形大学の教授になり(この就職は酒井氏が紹介したかな?)、現在は、京都に暮らしているそうです。が、今はパソコンが、有れば、世界中へ連絡を送ることができる時代です。で、秋山豊寛氏も同じく、高度なエージェント化している可能性も感じるのです。ただし、京都は鎌倉では、ありません。鎌倉だと、工事の騒音、鶴岡八幡宮様が出す異常な音の数々、および、防災無線の放送の、様式と内容、それから、暴走族を装った警察官が繰り出すオートバイの騒音、救急車の出動回数等で、CIAさんがどう考えているかが、すぐわかります。その中でも、特に、ある固有なポイントで、井上ひさしが、重要なエージェント化していることが解ったのでした。で、井上ひさしについては、確信をもって語ることができるのですが、秋山豊寛氏については、それほどの、確信を持ってはいません。ともかく、京都市内の秋山氏の家から、直線距離にして、600m以内に住まないと、同じ騒音を聞くことが無理だからです。だから、確信が持てないのですが、
安倍総理大臣の英断の陰に、秋山豊寛氏の名前を、あと注1の文章の中に、出したことが、影響しては、いないでしょうか? これも、あいまいなところではありますが、日本の最高権力者は、安倍総理大臣ではなくて、成岡庸司と言う人物であろうと、みなしている私は、その成岡庸司を、CIAの世界に招じ入れたのは、≪秋山豊寛氏が、ベーカーさんにその名前を告げたことにあるだろう≫と、推察しているので、秋山豊寛氏も、大物エージェント化している可能性を、感じるのです。その大物ぶりは、田原総一郎氏などよりは、上の筈です。対大衆向け、心理操作をする意味での、大物と言う意味ではなくて、世界政治の実際の運営に関して、指導者として、機能するという側面で。
まあ、何度もいう様ですが、これらのケースと思考は、傍証づけが、まだ、ない部分です。でも、当たらずとも言えず遠からずでしょう。
安倍さんの英断が、安倍さんご本人だけの判断で、行われたと信じたいですが、ちょっと前まで菅官房長官が「変更は、あり得ない」と言っていたのに、急に、変更があったのは、秋山豊寛と言う名前を、このブログ内で、出した事が大きく寄与していたかもしれないと、見ています。
でね、非常に失礼な言い方とはなりますが、・・・・・秋山豊寛の名前を出したために、CIAさん方が気弱になって、安倍さんに、「もう、少し、国民の、慰留をした方がいいですよ」と言ったので、安倍さんが翻意したという可能性もある・・・・・と、申しあげましょう。
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副題4、『森氏は、現在の自民党議員の中では、その豪胆ぶりと人柄の、良さぶりで、オリンピック担当が適任ではあるのだが?』
森喜郎氏が、今般、オリンピック担当大臣(?)となり、かつ、あの新国立競技場を、作り上げる役目を担ったことに関して、たぶん、適任だろうと思っておりました。現在の自民党議員の中で、腹が据わっている人間は、そうそう居ないからです。いわゆる大物感を示す人間が、他にいないからです。元オリンピック選手の橋本聖子さんなど、エロチックな事件が報道をされる以前から、まったくだめな人間だと、私は感じていて、彼女がそれを担当したりしたら、たいへんな事になったと思いますので。
しかし、私が、そう思っていた時点では、このキール案が莫大な建設費を要するということを、私自身は知りませんでした。で、結局、森さんが、認定をしたアイデアが、急に廃案に、なったので、氏は、晩節を汚したという雰囲気が出てきましたね。
ここが、非常に複雑なところなのです。
ところで、私が、森さんについて、深く考えたことは、今までに、4回ほどあります。その最初の時点は、愛媛丸事件の時です。その時に、ゴルフをやめなかったと、されて、マスコミから総叩きをされました。ただし、私は、森批判よりも、愛媛丸事件の本質の方に、先に、気が付いていて、それゆえに、森さんのゴルフ騒動も『怪しいなあ、報道をされている通りではないかもしれない』と、当時から思ってはいました。
愛媛丸事件は、公開寸前だった、映画【パールハーバー】の、宣伝効果を高めるために起こされました。あの愛媛丸を下から突き上げた原潜には、民間人が多数乗っていたそうです。それは、映画【パールハーバー】の宣伝を担う記者たちとか、または、今日本を、やっつけて、お前は下っ端なのだと思わせておかないといけないと、思った国際的軍産共同体の幹部連中で、あった可能性は強いです。それこそ、ロックフェラー4世が乗っていたとか?
ともかく、あれは、艦長自身の判断か、それとも上からの命令だったのかと、考えれば、むろんのこと、上からの命令だったと思われます。事故だという認定が、下っていますが、事故ではないでしょう。意図的なものです。でないと、米軍の、能力を疑ってしまいます。それほど、能力の低い原潜を持っているのかとなりますので。
これはオスプレイ配備に、再び繰り返されたことですね。
で、この次に何を考察しないといけないかと言うと、・・・・・何故、森喜郎氏を、追い落とすべく、国際的軍産共同体は、頑張ったのか?・・・・・と言うことです。まず、【パールハーバー】と言う映画を作ること自体、日本と日本国民に対するいじめですが、愛媛丸と言う、高校生と先生だけが乗っている平和目的の船を、いとも簡単に撃沈して、(下から突き上げたという形です)【パールハーバー】への宣伝(むろんの事、アメリカ国内向け宣伝と言う事でしょうね。日本人がそれを喜ぶはずもないです)をしないとならないとは、「何が、本質的理由なのか?」を考えないといけません。
この事件が起きた時には、私は・・・それ・・・を知りませんでした。それとは、小渕恵三暗殺説です。だが、まったく偶然に、鶴岡八幡宮様の持ち物・鶯吟邸・の門前で、慶応大学卒と言う色彩センスの良い奥様からそれを聞きました。これは、一部を既に、語っていますが、途中になっています。後でリン先(後注4)でも見つけておきましょう。そこの歩道はたいへん狭いのです。だから、立ち話を、できません。でも、鶯吟邸(旧持ち主は、川口順子元外相の祖母君)の門前には、一種の車歩寄せがあるので、そこに、二人で入って話し込んでいました。
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副題5、『酒井忠康氏、もしくは、伊藤玄二郎氏が、どれほど、私の友達を奪っているかがその日に、判ったのだった』
私は、その女性の着ているニット製のコートが、非常に美しい色、(ただし、グレーとベージュが混ざった色なので、着る人によっては、汚れた感じになるので、身にまとうのが難しい色ではある。材質もよいことが大切で、彼女がお金持ちであり、これは、高価なものだと、感じた)なので、ただ、それをほめたのでした。現在の私はいじめられ切っていて、海外暮らしで得た、自信と開放感を失っておりますが、2012年ごろまでの、私は明るい人で、自分はミダス王になったのではないかと思うほど、誰からも親切にしてもらっていた人間です。ミダス王とは、誰でも、自分の接触する人間をみんな黄金に変ええてしまうので孤独になっていく不幸な王様ですが、ここで、私が、言う黄金とは、相手を親切無比な、天使の様な人へ変えていくという、資質です。あの時期には、会う人会う人すべての人が、親切な対応をしてくれたのです。
ただし、ここでいう誰にでも、と言う相手は、伊藤玄二郎たち、鎌倉エージェントの裏工作が及ばない人間のだれにでも、と言うことが大切であって、一期一会と言うか、初対面の人と言うことが大切です。裏工作が及んでしまうと、駄目になり、その結果、私が怒って、委細を実名で書くと、あわてて、エージェントたちが、「表向きは、親切にしなさい。でないとあなたの名前が文章の中に登場してしまいます」と言うらしくて、表向きの親切さが戻ってきたりします(後注5で書いた前川佳子さんなど、その典型である)が、どうして、どうして、かえっていやらしい出来事と現象であって、だまされている振りとか、気が付かない振りとかをしていますが、その人間の本質部分と、裏工作がどういう風になっているかを、見誤ることはありません。
で、その神奈川県立近代美術館・別館の近所(と言うのは、わが家より、駅から見れば奥にあたる。駅からは遠くなるが、車は、入るので、豊島屋の社長さんとか鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司様が住んでいる豪邸がある一帯である)に住む、その慶応卒の女性が、初対面であるがゆえに、大きく話が弾みました。
そこで、小渕恵三暗殺説を、私は生涯初めての知識として、聞かされるのです。
::::::::しかし、ここで、挿入ですが、彼女が、国画会会員瀬川明甫氏と、友達であり、瀬川氏が、彼女の家を訪問をしたことがあると聞いて、内心で、仰天をして、その日に、確定的に、伊藤玄二郎とか、酒井忠康氏と、瀬島隆三たちが、がっちりとスクラムを組んでいることが解ったのでした。
こういう部分も、天の采配と言う部分です。国画会は、島田章三さんと言う方が、実質的にトップであって牛耳っているのですが、その根拠は、奥様が芸大出身であるということとともに、実の妹さんと、大沼映夫さんの親戚(たぶん、兄弟にあたる人)を結婚をさせていて、国画会内部で、芸大派閥が、優勢になる基礎を築いてしまったからです。
私はその実妹さんと、毎週一回、PTAの広報担当で、3時間程度一緒に過ごしています。そこで、聞いた島田章三さんのエピソードに対しても、妹さんは、自慢の一つとしてお話をなさっているみたいでしたが、私は『嫌な話だなあ』と思って、いつも、聞いておりました。そして、一方で、地元の人たちから島田さんの悪口をわんさと聞いてもいましたしね。妹さんという人は、おいしいケーキを焼けるおっとりした感じの、奥様でしたが、お子さんを亡くされています。そのことに対しても、周辺からの批判は、とても、大きかったですよ。つまり、『あの人はお兄さんのおかげで、今は、上に立って、威張っているけれど、本当はバカなのよ。だからお子さんを亡くした』と言う意味の批判が大きかったのです。
私は、表面では、喧嘩を絶対にしませんが、非常にしっかりとした考え方を持っていて、私の前で、めったなことを話していると、その人のバカさ加減が丸見えになりますよ。お気を付けあそばせ。
その会には、【絶歌】が、出版された大きな動機の一つだろうと、私が考えている、横須賀市の水道山(今は、ルネ北久里浜と言う大マンション群になっている)が、地籍変更届と言う仕組みを利用して、ただで、瀬島龍三と、仲野通巳吉(益山重夫氏の義弟)に、渡った時に、土木課長で、看過した罪があると私が信じている杉本氏の妻杉本正子さんも、加わっておりました。私に言わせると、杉本夫人は、スノビズムの典型であって、章三さんが、「安井かずみさんたちと、よく、遊んでいました」と言う妹さんの話を『素敵な話』として聞いていたみたいですが、私は、『フーン。有名人になるとか、出世するとは、そういうお互い様があるのね。表参道とか、六本木あたりで、遊ぶことが必要なのですね』と内心で思うだけであって、そういう生活を素晴らしいと思う事は、ありませんでした。もう一つ、「兄は、決して、人を紹介してはならないと言っていました」と言う文言も、『フーン、けちですね。大物ではないですね』と思うだけでした。それを聞いた時に、すでに、愛知芸大の教授だと知っていましたが、『ずいぶん防衛主義が、強くて、けちな人だなあ。哲学的には高くない』と、思いいたっただけの事でした。
私の顔は、羊の様におとなしいのですよ。それに決して、威張らないし、大声も出さないです。だけど、非常に冷静で、すべてを観察しています。そして、のちに、だれの紹介でもなくて、国画会に連続入選する様になり、上野の都美館の、西北側にある、三角形の休憩所で休んでいる、島田章三先生を発見して、「批判をお願いします」と言ったら、「あなたは誰か、この会の中で、知っている人が居るの?」とおっしゃるので、知っている人としては、「京都芸大の、真野岩夫先生を知っています」と言うと、突然、ぷいと、向こうへ行ってしまい、何も批判をしてくださらなかったのでした。私は真野先生の作品は、新宿の紀伊国屋画廊で、1970年代にすでに拝見していて、ファンではありますが、応募する作品についてあれこれ、助言をいただいたことはないので、島田章三先生に、批判をしていただいても、裏切ったことにも何にも当たらないのでした。
その時は、1995年でしたが、それよりも15年以上前の1980年に、氏の妹さん(=大沼嘉津江さん)の話を聞きながら感じていた≪島田章三さんって、防衛心が強くて、けちだ≫というのを目の前で、確信させられたのでした。
しかし、こういう人を実質的なトップとしていただくと、組織の内部は、非常に暗いものとなります。奥様の鮎子さんも内心では、鎖につながれた様な気分で、お暮しになっているでしょう。でも、離婚はできませんね。だって、芸大関係と、画壇の、社交的なつながりが濃いですから。あっちこっちと。で、「離婚は恥だ」という観点を、章三さんから植えつけられていると思うし。独立と、国画が、仲良しなのも絹谷さんとか島田さんとか、大沼さんが、仲間だからでしょう。そういう意味で、鮎子さんは、がんじがらめなのです。『鮎子さんは、非常にきれいだけれど、幸せではない感じがあふれているなあ。むしろ、もう、既に、病気なのではないかなあ?』と、ある人物が言いましたが、私も、そう思っております。
ともかく、島田章三さんと、杉本夫妻は、横須賀市の税金を使い放題に使っていると感じています。こんな事を、はっきりと書くのは、画廊るたんで、野口みずきと言う2013年1月の13日当時の、国画会・準会員が、とんでもない失礼な態度を取ったので、『こういう低劣な、マナーの準会員が生まれるのも、島田さんが、そういうレベルの人間だからですね』と感じ取り、はっきりと、書き始めているのです。その前に、愛知県にある大学の教授W氏が、イタリアの画家の絵をそっくり模倣をしていたという事件も、新聞報道をされましたが、それも、島田先生の、・・・・・芸大派閥だけを強化したい・・・・・という意思の間接的な犠牲者だったと思っています。W氏は、芸大卒です。また、愛知芸大ではないものの、愛知県の大学に勤めていたのは、島田さんの、ひきだと思われ、と言うことは、非常に早くから国画会の会員になっていたという事だろうと思います。だけど、国画会内部で、出世を早くできるということと、素晴らしい絵が描けるということは、別問題なのです。会員とは、必ず、何かを出品しないといけないので、やがて行き詰ったのだと思いますよ。これって、石川和子さんが甘やかされきっていて、かえって早死にをしたのと似ています。そのWと言う教授は島田さんに甘やかされきっていたので、駄目になった人物としての典型例でしょう。で、制作上の、エネルギーやアイデアがわかない野に、毎年、会員としての格の高い絵を描かないといけないので、安易に模倣へ手を出したのでしょう。
ともかく、芸大出身だと、国画会での出世が、特に、容易な筈です。で、それ以外の取り残されている人々の反発を招いていました。
で、私が平面か、版画で、国展に連続入選をしていた1991~2003(?)年までの、国画会の内部には、激しい対立がありました。しかも、国画会にも、いろいろな人がいて、文字通りに、政治的に動く人もいて、芸大卒ではないのに、島田章三・派閥に所属している人物もいますから、魑魅魍魎の世界でもあるのです。
さて、ここで、挿入から元へ戻ります。鶯吟邸の前で、色彩センス豊かな、慶応大学卒のマダム(ただし、私よりも相当に若いだろう)が「国画会に、出品をなさっていたのですか? 我が家には、瀬川明甫さんが来ましたよ」と言ったので、本当に仰天をしました。
これは、私がパリやニューヨークへ秋に毎年、行っていて、したがって、その自由がほしくて、逗子へひとりで、住んでいた時期の事でしょう。日本の画壇では、『彼女は、存在感を失っている』とみなされていたのでしょうし、鎌倉でも、存在感がないとみなされていたのです。それで、『彼女をこの世から、居ないことにしていくためには、何を、やってもいいのさ。どんなに道徳違反でも、それが、こっちに有利になる事なら、やっちゃぇ、やっちゃえ。それで、いいんだ。ここで、彼女の知人を、こっち側へ引っこ抜こう』と、彼らが動いて、私の知人達が、伊藤玄二郎側に、多数、引っこ抜かれたのです。国画会以外の、知人も大量に引っこ抜かれています。家の真下にある喫茶店、アーミッシュの主人たちも、以前とは異なって、態度がおかしくなっていますし、
この慶応マダムのご近所に住んでいる、奥村土牛さんのお嬢様とも、縁が切れているでしょう。仲良しだったのに。
瀬川明甫さんと、私は別に親しいというわけではありません。ただ、グループ展などで、私の作品を、見て、「いいね」と言ってくださったのですね。ここなのですが、私がそこに出席する予定がある、パーティの設定されている画廊には、盗聴装置が仕掛けられていたということが、これで、分かるわけです。と言うのも、私はそれが、大切なことだし、迷惑をかける可能性もあるから、ブログでは、今日まで、瀬川さんの事は、書いていません。今は、はっきりと、島田章三さえ批判をしているぐらいだから、国画会の事は一切を気にしていないし、捨てきっているから、書けるのですが、それも、最近の事ですよ。
だから、書けるのですが、瀬川さんについては、あまり書いていないから、画廊のパーティでの会話が、盗聴をされていたと、思うしか、瀬川さんが、私から引っ剥がされる理由が他に、ないのです。
そのうえ、のちにこうむった被害である、2010年の4月に森さんの経営する、exibit Live and Moris での、諸処の罠は、ひとえに森さんの画廊が、盗聴を受けていたから始まったことでしょう。森さんは、今でも、対、私用、脅かし人間として、使役をされています。
そして、2010年のその時の罠を、私が見破っているというサインの一つとして、個展の、4日目の8日の木曜日に、鎌倉春秋社に出かけて、『伊藤玄二郎さんに、個展を見に来ていただきたいのですが』と、はがきを社員に手渡しただけで、『裏側が、すっかり私に読まれている』と悟り、ビビりまくったらしい井上ひさしは、次の日の9日に、自分を死んだことにしたのでした。
で、国画会の中で、特に東京在住の人で、私の作品を明快に「いいね」と言った方が、この人だけだから、瀬川さんは、注目をされたわけですね。国画会の人って、特に島田さんが、精神的に、けちな人だから、下の階級の人の絵は、個展であれ、グループ展であれ、あまり、見に行かないと言うマナーが横行しているのです。下の階級の人を、真実の意味で、指導をして、引き揚げてあげようなどと言う意識はないのです。
で、希少な、人物である、この瀬川明甫さんと、私との間を裂こうとしたのが、銀座の事を、詳細にスパイしている人たちです。それについては、今ここでは、名前は上げませんが、瀬川さんを、こちらの鎌倉・慶応大学卒・マダムに、紹介した人物の方は、酒井忠康氏でしょう。慶応三田会・鎌倉支部(もしくは湘南支部)が当然あるでしょうから、二人は、以前から、知り合っているわけです。むろん、瀬川さんと酒井氏が、直接の知り合いではなかったかもしれません。間には、島田章三さんか、大沼映夫さんが入ったか、または、別の人が入った可能性はあります。
だが、わが家から北へ、5分以内に住んでいるそのマダムを選び出したのは、酒井氏であることは、確実です。たいへん細い歩道を通って、奥へ向かうのですから、一種の隘路であって、その人と出会う可能性は高いです。で、瀬川さんが、彼女の家を訪問をする時に、私が瀬川さんに出会う可能性も高いのです。で、瀬川さんがそちらの家には、行くのに、もし、私が、誘っても、我が家に来てくれなかったら、私のダメージは深いではないですか? それが、『彼女の精神を、病ませる事に、役立つだろう』と思われ、それで、狙われた形の、いじめのひとつでした。
で、私は瞬間的に、そこまで、分かりましたが、別に彼女を詰問をすることはなく、丁寧な応対を続けたまま、小渕恵三暗殺説まで、聞き取ったわけです。彼女が、それをだれから聞いたのか、裕福そうなマダムなので、ご主人が家庭内で、そういう話題を出しているとは考えられず、本当に仰天はしましたが、瀬川さんの名前が出た途端に、酒井忠康氏の影を感じましたので、酒井忠康氏が、あれこれ、こういう政治的な話を、彼女に吹き込んでいると、推察が、なされました。それで、酒井忠康氏が、エージェント化していると、言う観念が、ますます強くなったのです。
@@@@@@ここが推敲中の最先端です。
だって、1999年から始まったメルマガや、2008年から始まったブログで、これほど、鋭い分析をしている私だって、小渕恵三暗殺説(=太平洋にヘリコプターで連れ出され、海にドボンと浸けられた。そのせいで、脳が駄目になったのだ)などは、その時までは、知りませんでしたから。
これは、秘密中の秘密の話なのでしょう。ただ、中丸薫さんが、著書の中に書いていると、聞きました。私は読んでいないし、日本全体で、知っている人は少ない話でしょうね。
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副題6、『その場所に、刑事が変装していると思われる運転手が、運転する、車が横付けした。その横に、精養軒と書いてあった。私は、その時に、携帯を保持していない。だから、どうして、私がそこにいたかが警察に判ったかが、不思議でもある。たぶん、≪相手の携帯を使って、会話が、盗聴をされていたのだ≫と、推察される。どこまで、私が、追跡され、どこまで、研究されているかが、その日に判った。が、それが、始まったのは、柳沢昇が、警官たちを、猫の事で、呼んだ日からだったから、私の怒りは、いや、増しに、いや増す・・・・・そして、私は、こういう恫喝から、かえって、自分が大物であることを、いや、増しに実感をして行くのだった』
私は今まで、散々な嫌がらせを受けて居ります。泥棒ですが、カマとか、布団たたきなどと言う生易しいものではなくて、すさまじいものも、盗まれていますよ。そして国会図書館まで悪人巻き込まれています。そして、再現不可能な戦前に撮影された両親の写真が、盗まれてもいたのですが、引き出しを点検することが無くて、それに、気が付かないでいる私に、わざわざ芦屋から電話をかけてきて、父母の写真が盗まれていることに、間接的に気が付く様に、会話を持って行った友達(?)もいます。一時間半の長さの、親しさを装う、電話になりましたけれど。
でね、芦屋からの電話ではなくて、鶯吟邸の前で、話し合った日に戻ります。鶯吟邸と言うのは、わが家の東南の角に、そちらの西北の角が接しているお隣さんです。しかし今では、鶴岡八幡宮様の持ち物で、天皇陛下や、皇后陛下などの、貴賓をお招きする接待所となっていると、推察しています。我が家の真東は、これまた、八幡宮様の持ち物の、駐車場です。ですから鶯吟邸の前で、話し込むということは我が家から出てすぐの場所で、話し込んでいるということと成ります。
で、彼女の色彩感覚をほめながら、一方で、『変だなあ。絵が好きだと言ってもコンクールにも入選したとも言わないし、公募団体展に入選したとも言わないし、個展をしたとも言わない、単なる鑑賞者側なのに、どうして、瀬川明甫氏と、親しいのか。それを考えると、酒井忠康氏が、どれほどの、いじめ行動をしているかが、明快に分かるなあと。これは、・・・・・・例の、杉並区の、空き家特集(NHKスペシャル)で、私が尊敬してやまない女流画家が、精神を病んでいることを種に、脅かされ切った番組だった。北側潤一郎さんが、出演者として、協力をしたものであり、秋山裕徳太子等が、間に挟まっているが、原初のアイデアは、井上ひさし、伊藤玄二郎、酒井忠康ノ山者であろう)・・・・・騒動以来の激しいいじめ行動ですね(後注三)』と、思いながら、それを一切表に出さず、楽し気に、話し合っていると、歩道に乗り上げんばかりにして、すぐそばを白いライトバンが通り、私達二人の、3mほど、北側で、停車しました。脇には精養軒と言うロゴが張ってありました。
それを見て、とっさに私は、「私達の会話が盗聴をされているわ。あれは、警察の車でしょう」と言うと、彼女も「そうね」と言いましたので、また、私は驚きました。それで、ともかく、彼女は、私と合意の上で、すぐ帰っていきました。北へ向かうのです。私は銀座へ行こうと思っていた日なので、南へ向かいます。
だけど、再び、彼女に対しての深い疑問が起こりました。私は、瀬島龍三を二番目の人物として、たくさんの悪事の目撃者となっている人物です。だから、CIAの連中と、その手下である警察から、命を狙われています。だから盗聴とか尾行とかいう問題には敏感です。
しかも、徐々にですが、そういう事情を書き始めていますね。全部ではないですよ。もっと、実態はすさまじいものです。だけど、読者の皆様が怖がるといけないので、軽いお話しか書いていないのです。
ただ、最近は、相当に深いことまで書いています。だから、尾行をされています。盗聴もされています。でも、わが家よりは駅から遠いとは言っても平地なので、車が入るので、高額な一帯に住んでいる慶応大学卒の奥様です。盗聴を気にしたり、尾行を気にしたりする必要はないでしょう。どうして、これほど、ビビるのかしら?と、思っているうちに、酒井忠康氏がビビッているのだと、いう事が、想像できました。久米宏と同じです。
でね、別れてから、その件は、あとで考えることとして、先ほど、二人が解れる原因となった自動車を注目しました。脇にロゴで、精養軒と書いてあるけれど、鎌倉に精養軒はありません。車が停車した場所は、鶯吟邸の通用門前ですから、仕出し料理を運んできたということはわかります。だが、15年ぐらい前に、鶯吟邸の門が、木製からブロンズ製のものへ変更となったので、中の雰囲気が見えます。すると、人の気配がありません。お客が来ていません。で、車の中を覗いてみると仕出し料理が乗っておりません。そして、降りてきた運転手の顔は、どこかで見た様な顔です。つまり、とても硬い怖い顔、これが、秋篠宮さまの、2ちゃんねるまとめに出てきた、警察には別働隊があって、殺人をしていると、言われる連中だと思うのです。
そして、こういう連中が、猫を連続殺傷しているとも想像しているのです。たとえば保健所に行って、黒い手帳を見せれば、保健所はガス処理をする前の猫を、簡単にくれるでしょう。それを殺せばいいのです。そして普通の日本人(特に主婦や、小さい子供)が怖がるであろう、スーパーとか学校の前に置けばいいのです。こういう人材のうち何人かは、二回とか三回現れていますので、もう、分かっているのです。
で、彼女とは、一時間近く、話し合っているので、彼女の携帯が、盗聴機能に利用されたとして、小渕恵三暗殺説を、私が知ることは、CIAさんにとっては脅威であり、避けたいという事だったと、感じます。瀬川さんの件は、それよりも前に話し合われたことでした。だが、精養軒と言うロゴを作るのに手間取ったかな? そういえばロゴとして、『銀座のうぐいすから』をもじった、『恋のうぐいすから』と言うお酒を「川崎さんと飲みたかったですね。東京または、鎌倉で』と、言われました。が、これも罠として、2011年11月に、広島在住の金田佑子さんと言うOLから、フェイスブックを通じて言われたのですが、このロゴも販売をされていないお酒であって、急遽、私を脅かすために、印刷されたロゴなのです。何度も使われた手です。そして、そういう事に酷使をされた、瓜南直子さんは、たった、6ッか月後、急死するもでした。だるい、だるいと言いながら。もともと悪かった肝臓が酷使によって、急速に悪化したのでしょう。
仲良しのようにふるまいながら、結局は彼女を殺してしまった、伊藤玄二郎とか酒井忠康氏を、やはり、目的が悪いと、そうなりますね。選択は大切です。謀略を次から次へと繰り出すと、善人は犠牲者になりやすいのですね。『伊藤玄二郎さん、そして、酒井さん、あなた方には、何も起こらないから、よほどの悪人なのでしょう』と、思いながら、見ているわけです。
ともかく、そのマダムの携帯で、会話が盗聴をされたとして、どうして、携帯を持っていない私が、そのマダムと、鶯吟邸の門前で、話し合っていることが解ったのでしょうか?
ここから先、二つの仮説を立てます。
一つは、室内盗聴をされているので、私が外出する気配は、主人との会話、玄関の開け閉め、そして門の開け閉めで、分かるわけですね。それが、もし、安野家にツウツウに入っていて安野家が、どこか、しかるべきところへ、「彼女は、今外出しました」と報告をするとしましょう。それがあるからこそ、駅側から、受動喫煙監視員とか、が、一列、横隊で、四人もが、北へ向かってくるなどと言うことの謎が解けます。
そして、この鶯吟邸の前での会話の行われた日は、安野家から通知が行っているのに、駅前に現れない。で、駅構内にあるだろう監視カメラに、私の姿が映らない。で、変だと思った警察などが、鶴岡八幡宮様のガードマンに問い合わせをすると、仮定をしましょう。で、ガードマンが、警察に、「川崎千恵子は、鶯吟邸の車寄せで、誰かと話し合っています」と、報告をすると仮定します。すると、そこからは、慶応大学卒業のマダムの携帯が、特定をされ、自動的にそちらに、電源が入れられ、盗聴機能が開始されます。そして、それは、東京桜田門(警察庁)か虎ノ門(アメリカ大使館)に、すぐ、転送され、それで、頭の良い人間に、記憶されている部分、つまり、小渕恵三暗殺説が、盗聴者に、ピンときて、これは、中止させないといけないとなり、しかし、盗聴も、相手に読まれてはいけないし、
どうするかと言うことを、伊藤玄二郎たち、鎌倉の地元民へ、相談をかけ、それなら、鶯吟邸への仕出しを装って、正確な盗聴機能を持つ機械を、乗せた車を現地に派遣をして、盗聴を正確に開始しようとなったのではないかと思います。だから、彼女の携帯に、盗聴機能があるというのは、まだ、まだ、達成をされていない技術かもしれないし、達成されている技術かもしれません。それから、盗聴が、向かう先は、警察庁や、アメリカ大使館ではなくてもいいのです。安野忠彦氏宅でもいいし、井上ひさし宅でもいいのです。ともかく、どういう形でもあれ、私は、精養軒と言うロゴが、脇に入った、車で、脅かされたのでした。面白い話を聞いている最中でしたが、中断させられたのです。
ここにおいて、安野家と、前田家の門前に置いてあった警察との仲良しぶりを証明する看板が重要になってきます。
その手のスパイ行動をする様に依頼をされていて、それで、月にいくばくかの謝礼が出てるのではないかと、思うことが多いです。今は、これが、取り払われていますが、内実は、どうなっているか、分かりません。
後注1、
後注2、