今は、三十一日の午前六時ですが、やっと真相がわかりました。新浪さんは、慶応大学の名誉を守る為に、担ぎ出されたのです。佐野研二郎のケースと、同じです。彼には、これはまだ早かろうと、文末で言って居ますが、これは、母校を守る為の任務だった模様です。最近書いて居る、水沢勉氏、葉山の美術館、館長とか、横山和生氏
ー私の中学の同級生にして、横浜三田会会長、そして、スクエアエニックスの、創始者であり、妻が、わたしの小学校同級生である市瀬さん。などを助ける為に 、就任するのでしょう。そつなると、わたしのブログ潰しが狙いなので、助ける為の助言を、私がする必要は、無いのです。ああ、そうですか と言う他はない。
と言う前書きを頭に入れて、初稿のトップに戻ります。
本日の朝日新聞夕刊に、珍しい記事がありました。結構、長期間取材をしている記事で、しかも、結論が出ていない記事です。
2023年1月30日 夕刊、第二面の下の方。Another Note という記事です。最下段なので、『えっ、ここに広告がない』と、驚きました。
新聞の購読者が、大朝日といえども、デクラインの方向なのか? で、広告を出す企業が少ないのか?
しかし、この記事にこだわるのは、久しぶりにジャーナリスト魂に触れたと、感じたからです。したがって面白い。しかし、例のごとく、種々様々な方向にずれて、前置きを入れていきます。で、結論までは、お待ちいただきたく存じます。
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私は、その社会的位置、または、地位としては、専業主婦です。で、1999年から、細々と、メルマガを始めました。が、そこの読者は、相当高度な人たちでした。ただし、2004年から、工業生産品としての自著を作り始め、それ以降、激しい攻撃を受ける様になり、
これは、何らかの補強策が必要だとなって、ブログをはじめました。このSNSの世界で、アフリエイトの仕組みが、有ることを、小林篤生さんが教えてくれました。その時に、彼のお話をちゃんと聞いて、アフリエイトを、申し込んでしまっておけば、よかったと、思います。
小林篤生さんと、浄智寺さんとのあれこれ、そして、私が、実家の法事(父の33回忌)に出られなくなったと、言う、非常に大きな政治的課題が、ここに関係してきます。
又吉直樹が、重要なメンバーだった、【オイコノミア】が終わってしまったのも、ここに関係があります。いろいろ、今書きかけ中のことが終わったら、浄智寺さんの、激しい裏切りとか、対・私への攻撃について、書かないといけません。2008年のことだったでしょう。
小林篤生さん自身についても、かれは国際キリスト教大学の一期下であるし、妹の結婚によって、親戚にもなった人なので、5万字は、書くべきエピソードがある人なのです。が、彼を説明していると、新浪さんに触れられなくなるので、ここでは、却って、何も書かないで、先へ進みます。
彼については、せっかく、アフィリエイトのことを教えてくれて、2008年当時は、まだ、敵さんも、今ほど、激しい攻撃を、私に対しては、していなかったのだから、乗ってしまえばよかったなあと、思っている、その点だけで、先へ進みます。
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ごく最近、広瀬由紀子さんについて、書いていると思います。(あと注1)千葉大の、工業デザイン学科を出て、日産自動車に入ったのですが、大企業の創業者一族との結婚で、退職し、その後、彼女から、選んで、離婚となって、デザイナーとして独立して働いてきた人ですが、
実家は安泰なお宅で、すごく良い場所に家もあるので、資産的には、リスクは何もないのですが、・・・・・そうです。破産をするとか、貧乏になるという心配もないのですが、・・・・・
1980年代は、好景気だった日本も、1990年代に入ると、企業の経費縮小なども影響して工業デザインに限らず、デザイン各種一般の、オーダーも少なくなり、彼女は収入が減ったのでしょうね。で、安定した収入を得る道として、中小企業診断士の資格を取りました。
彼女自身に、これは、言ったことはないのですよ。しかし、私は、そちらの仕事には、注文は、少ないだろうと、見ていました。どうしてかというと、彼女は、頭はいいです。お茶大付属高校出身ですからね。だから、国家資格を取ることなど、お茶の子さいさいでしょう。だけど、実家が、商売をしていたとは、見えません。お父さんは、どういう分野だったかは聞いていませんが、サラリーマンだったでしょう。そして彼女自身が、私から見ると、金銭的な、または、労働としての、苦労をしていないと、みえるのです。それと、知的に過ぎるのです。御曹司で、大金持ちの坊ちゃんとの結婚を、自ら蹴ってしまったという事は、相当に自信がある人だと、なります。で、他人に頭は下げられないだろうとみていました。特に、中小企業の、社長と、かんたんあいてらす仲には、なれないでしょう。
中小企業なんて、苦労の連続ですから、そこに彼女が、同調とか、共感ができるかというと、できないだろうと、見ていました。すると、顧客が、「あの先生は、頼りになるわよ。相談して助かった」という口コミで、お客が増えると、言うことはなさそうです。
あのね、皆様、ここで、私が・・・・・単純な、形で、悪口を言っているとは取らないでください。彼女はだんだん大出世していくのです。
で、最終的には、学芸大学の特任教授・広報・担当となります。で、100%生活は安泰となり、名誉もお金も得るのですよ。しかし、それは、私と、友人だからであると、私は見ています。もし、このブログが、彼女の目に入ったら、彼女は、きっと、怒るでしょう。「違うわよ。私の能力が高いので、私は、地位と名誉を得ました」というでしょう。しかし、私の言うほうが、真実です。それを追々に説明をしていきます。
::::::ここで、挿入ですが、一方で、遠藤工務店の話もしています。(あと注2)一つだけ、お気の毒なのには、お子さんが、先に亡くなったという事です。でも、その亡くなった息子さんの、お嫁さんもお孫さんも、ご自分たち老夫婦も、経済的には絶対に困りません。大金持ちらしいので。
その大金持ちになったゆえんは、私の父が、「あの人は、個人の住宅ばかり作っていて、お宮など、つくっていなかったが、技術は、宮大工級だったね」と、言っている、棟梁(新潟出身だと聞いている)が技術的な、指導支配しているのですが、すごく立派だと、言うことと、
お嫁さんが、最高に愛嬌があって、そして、頭が良いのです。カーディガンに、かっぽう着みたいないでたちなのですが、二回、普請を頼んだ時に、・・・・・この人は、本当に頭がいい・・・・と、私は、思いました。
いや、偏差値72以上の大学を、出た人が、この山には、大勢いるのに、安野智紗夫人と仲良くするせいか、失礼ながら、・・・・・バカだなあ。バカなことをやっているなあ・・・・・と、思う現象や、それを行う人が大勢いるのを、毎日見ていますのでね。
私の言う頭の良さというのは、偏差値ではないです。遠藤工務店のお嫁さんは、たぶん高卒ですが、本当に頭が良いです。私が、女性の品定めを得意としているのには、ちゃんと理由があるのですよ。
私は、自分から立候補をしたのではなくて、園長から命じられて、幼稚園のPTA会長をしていました。1976年のことですが。その幼稚園は、470人もの園児がいるマンモス幼稚園で、PTAは、先生方の夏冬のボーナスをバザーで、稼ぎださないといけませんでした。で、ヤングママたちが、ぎりぎりになって、ついには、切れてしまうほどの、深いレヴェルで、労働をしないとなりませんでした。だから、バザーが迫ると、むき出しになる人がいるのです。性格も人格もむき出しになってくる。それで、研究するつもりなんかないのに、女性というものが心底よくわかりました。いろいろなタイプの女性がいるのですが、そのタイプ別に、こういう人がいる、ああいう人がいるとわかってきたのです。
鎌倉に引っ越したのを機に、できるだけ、思索の人となろうとしていて、ゴキンジョサマとも、主婦としてのお付き合いは、まったくしていませんが、彼女たちが出す音と、光、また、すれ違う時の態度で、全員の、ほぼ、全人格が、わかっています。38年も住んでいますとね。相当にひどいことをやられていますが、あらゆる現象を、因果関係、および、起承転結、および、勘の助けによって、分析していて、それに対応する、自分にできることを、やってきているので、心は、常に平静です。
ですから、広瀬由紀子さんの長所とか、欠点もよくわかっています。で、彼女が、出世していったのは、ある意味で、私を突き放していたし(それは、五歳は上の私にとっては失礼なことでもあるのですが、私は、彼女から得るものもあるので、「あなたは、失礼ですよ」、などとは、彼女に、指摘したことは有りません)、
一方で、電話を盗聴している側からみると、私が、取りすがっている様にも見えたので、こういう関係にある二人のうち、雨宮舜ではない方を、出世させれば、雨宮舜(=わたくし、このブログの著者の事)は、大きなダメージを受けるだろうと、考えた、鎌倉エージェントが、出世させたとみています。
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昔、神宮外苑(公園)内で、美術のフェアー(お祭り)が企画された時に、日本工業大学が、木で、ジャングルジムを作って、夜、そこへ照明を当てていたところ、その電球の熱で、火事になり、急に猛火になったので、ジャングルジムで遊んでいた五歳の男の子が、焼死した事故がありました。この事故の数年前ですが、広瀬さんは、日本工業大学の広報担当部長だったのです。
この写真は、google 検索で、この事故の各種の投稿を見ているときに、Spread Box! というサイトで、見つけて、そこから、コピペした作品ですが、あまりにも見事に火事になる原因が、示されています。まだ、電源につなげられていませんが、相当大きな投光器が床に置かれていて、ジャングルジムの、あっちこっちにおがくずが、巻き付けられていますね。
私は、夜型行動の人なので、この投光器を使って、北久里浜の庭で、園芸活動をしていました。午後、四時に鎌倉の家を出ると、冬など、北久里浜につくと、もう暗いからです。60坪の敷地があるし、植木類は、1974年かっら、1976年にかけて、植えているので、ソメイヨシノをはじめ大木化していますので、樹木の中で、作業していると、言う感じなので、ご近所迷惑にはさしてならないので、投光器で庭を照らしながら、庭の手入れをしていたものです。で、投光器をしまう時に熱いのは、むろん肌身で知っています。だけど、彼らは、それも知らなかったのでしょうか?
こんなに近く、おがくずがあったのでは、そりゃあ、火事になるでしょう。
なお、詳しく調べると、最初は、LEDライトだけを使っていたのだけれど、もっと明るくしたいとなって、作業中(上は作業中の現場写真か?)に使っていた、投光器を、植木鉢に入れて、持ち込んだそうで、しかも事件後は、LEDしか、使っていないというウソをついたと、言うことも判明しています。また、作品そのものが、4年前に発表されたプロのデザイナーの作品を模倣したものだったそうです。
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この事故の数年前に、広瀬さんと、例のごとく、電話を交わしていた時に、彼女が、「今度、日本工業大学の広報部長になったの」と、私に告げました。この時は、彼女の方は、まだ、まだ、態度も感覚も普通でね。個人事業主であるよりも、寄らば大樹の陰と、言う感じで、サラリーをもらえる身になったことを喜んでいました。もし、佐藤可士和ほどの有名デザイナーになれば、サラリーマンより高い収入が得られますが、デザインの世界も、年齢に応じて、感覚が、注文主とずれてくることもあるでしょうから、50を過ぎた身だと、給料を大組織から、もらえる方が、生活が、安定したと、言うことです。私も無論、お祝いを述べました。
しかし、私は、当然、裏に、鎌倉エージェント(ただし、東京住まいの人も、私は、鎌倉エージェントと、言っているので、このケースは瀬島隆三、直々のご出馬で、決定されたことだったかもしれないが)、がいるので、この就職がかなったと、考えました。だって、その就職の時に、彼女は、50を過ぎていました。女性の再就職、特に、特別な、地位と、高い俸給が出る場合、妹もいったん退職後ヘッドハンティングをされて、50を過ぎてから、J.W.トンプソン(世界第三位の広告会社)に入社する際も、そうでしたが、裏に、CIAのはたらきがあり、たい・私いじめ(わたくしには、収入がない。それをからかっている)の、要素が、必ずあるのです。妹は、私の本の出版を軽蔑しましたよ。注文を受けて制作するのではない勝手な本でしょう? しかも、ウィンドーズ(それって、アップルに比べると汎用パソコンでしょう。つまり、妹は、ウィンドーズ版は、出版のプロが使うパソコンではないと、言っているのです。かつ、妹の出版物は、新薬の医家向け紹介パンフレットなので、頁数こそ、8頁ぐらいであっても、大変高価な印刷物なのです。そして、「世の中の役に立っています」という誇りも持っていました。しかし、妹が、二度目の勤務先を明かさなかったので、これは、CIAエージェントがかかわっているいじめ策だと、思いました。
広瀬由紀子さんが、国家公務員の定年(65歳ですか?)に、のっとって、学芸大学の教授になったとしたら、2012年より前に、学芸大学の教授になっていないとならないので、何か、特権的待遇で、65歳以降も、教授人気があったのではないかしら?
だから、彼女は、ジャングルジムの火災事故とは、本当は、関係がないのです。だが、直感で、あれは、CIAが意図的に、私をいじめようとした、ことへの天のお怒りだと、感じました。
でも、個人事業主から、Fランクだと、2チャンネル(または、5チャンネルで)言われる、私立
私は、よく、この世は、神様がすべていると、言っています。この火事は、即座に、・・・・・天がCIAエージェントたちをお叱りになったのだ・・・・・と、思いました。で、一本ブログを書いています。今、その事故の日付を知りたくて、google 検索をかけてみると、学生たちを叱る意見が、ものすごく多いです。そしてその通りでもありましょう。・・・・・だけど、私にダメージを与える為に、よく電話を交換している広瀬さんを、出世させた、CIAエージェントを、天が、叱っている・・・・・と、も、考えました。
それについて、一本ブログを書いています。
日本工業大学の、元・広報部長が、学芸大学の教授へと大出世を遂げている。それが問題なのだ。外苑前幼稚園児焼死事件ー2
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今ね。さんざん、ブログ類を検討していると、この催しの主催者は、Tokyo Design Week という、この催しの為だけに設定された組織のようです。日本語名で言うと、工業デザイン何とからしい。
となると、国立・千葉大を出ていて、しかも、もと、日産自動車勤務という広瀬さんは、相当に、大きな存在だったと、思います。銀座の画廊街で、国立・教育大学・西洋史学科を卒業している、栗田玲子さんが、一頭、地を抜いて、目立っていて、(実際は、威張っていた)のと、同じでしょう。
今はなくなっていますが、国画会に島田章三さんという大物がいました。この人の妹さんと、しょうがっこうのPTA活動で、長時間一緒に過ごしたので、章三さん(次兄)についてあれこれ、彼女が話したのを聞いています。
それを聞いて、島田章三という人物は、なんと計算高い人なのだろうと、思ったし、妹さんも、そういう兄の態度のすべてを、超肯定的に話すので、人々が、彼女の、大悪口を言うのを、郁子なるかなと、思って聞いていたのです。この妹さんが、あれほどに、身内のことを肯定的に話すのは、父親が、当時か、その前か、後かは知りませんが、横須賀市議会の議長をしていたのですね。その父という人が、千葉大(むろん戦前のことで、高等工芸と言っていた時代のことだが)の卒業生で、裏がドックで、船のインテリアを、やっていたのです。そして長男が東大、次男が、芸大卒なので、横須賀では、名士中の名士の扱いを受けていたのでした。
だから、同じ大学の同じ学部を卒業している広瀬さんが、工業デザイン部門では、一目を置かれる存在であり、Tokyo Design Weekでは、枢要な地位を占めているメンバーだったと、推察しています。
遠藤工務店の方へ戻ります。いやね。北久里浜の方は、「だいぶ高いですね」で済んだのだけれど、鎌倉の方は、山の上に、資材を持ち上げるのが、費用が掛かって、1986年の増築で、すでに、つぼ単価、100万円でした。その36年後の今でも、「坪、100万円で、家を建てます」と、言う工務店や、プレハブ住宅がある中で、遠藤工務店は高いです。しかし、本当にしっかりした家を作ってくれています。
私はあの棟梁とお嫁さんのコンビが、成功を招いたと、思っています。で、このお嫁さんの、人格と態度と、広瀬由紀子さんの態度を比較すると、本当に違うのです。まあ、いいでしょう。
というのも、どうして、広瀬由紀子さんに入っていったかというと、
彼女がある日「チャンスは、前髪をつかめというでしょう」というのです。彼女は、自分に降りかかってくるありとあらゆる幸運をつかみ、今では、お茶大付属高校卒業生の間でも、大きな地位を占めています。
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ところが、私は反対です。横須賀でも、市役所の(どうも自治省=霞が関)から、派遣をされているらしい、教育関係の課長さんが、「あなたを主催者にして、母親の啓もう活動を開始しましょう」と、おっしゃったのですが、固辞しています。1976年か、1977年のことで、母親クラブという名前で、横須賀で、始まり全国に広まったとみています。横須賀では、マダム奈良という方が、長らくトップを占めていました。この人が、扇千景にそっくりで、見事にはまり役で、20年近く、その役についていたのではないですか? ただ、横須賀ほど、公的予算が、豊かではない地域では、活発ではないみたいですね。
、自治体にお金がないところは、休止したとgoogle では出ています。1984年に横須賀から、鎌倉へ引っ越してきたのですが、鎌倉にはありません。鎌倉って、有名人に手厚いのですが、こういう風に一般市民に幅広く啓もう活動をする、そういうシステムには、お金を出さないのです。
有名人に手厚いというのは、私を、ひどいレベルで、いじめた(場所は、新橋駅ホーム)角野栄子さんに名誉市民を与えて、年金等を、支給しているのではないですか?
それから、毎日、自分の家の庭ごみをはいて、一メートル低い我が家に、掃きこんでいた、2006ねんまでは、西隣の住民だった、遠藤家のお嬢さんを、妙本寺に嫁がせた川合良一邸には、毎年、素晴らしい作業をする高級植木屋が入っていますが、歴史的建造物と、言う指定を受けているので、あの植木屋の費用は、鎌倉市が、負担をしていると、思われます。
これじゃあ、東京都から、引っ越してきた人などは、びっくり仰天の、市民への福祉放棄です。特に旧中央公民館の、ソファー、碁、将棋盤、それを対戦できる机といす。週刊文春とか、猫日和などの読み物を、全部撤廃してしまった(免振装置を、いれるという口実で、リフォームしたのちには、そうなった)など、本当に忌まわしいリフォームです。
その反対に、ご近所様が、大変顕著ですが、大金が降り注いでいます。詳しくは別章にかいていますけれど。
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小学校時代の、友人市瀬紀美子さんが、2022年の秋に電話をかけてきて、うちの子が、東工大の、教授になりました。しかも、三十代でよ」と、言ったのは、東工大と、医科歯科大学が合併すると、言うニュース発表の直前でした。
私と同じ学年の彼女は、その電話をくれたときには、79歳でした。美形の彼女が、慶応大学の理事になっているご主人と、結婚したのは、25歳より前でしょう。塾を経営していたって、お母さんや、妹さん、また、下宿とか、アパートを持っていて慶応の学生に貸しているので、いくらでも、アルバイトで、先生役を代わってもらえます。そういう周辺の環境が整っている彼女が、いくらご主人が、ゲームソフトメイキングに、熱中をしていて、スクエアエニックスが、ヒット作を出すまで、ご主人側の収入が不定期だったとしても、40になるまで、子供を産まないなんて、言うことはありえないのです。
これは、日吉の小田歯科医院の先生が、2020年に入っても、孫の、市立中学受験の成功をあたかも昨日の事のようにお話になるのと同じで、伊藤玄二郎か、まだ、実際には、生きている井上ひさしか、または、成岡庸司君か、それとも、川名昭宣君か、石塚雅彦さんか、誰か、わかりませんが、アイデアを出してそれぞれに、連絡を取って、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)をやっつけてやれっと、命令した結果でしょう。
でも、小田先生の自慢は、先生、「それって、いつのことでしょうか?」と私が質問をしただけで、とても、恥ずかしそうに、「昔のことです。彼はもう社会人です」とおっしゃったのです。そして、このケースをブログ化させないために、カリタス小通学バス襲撃事件は、起こされたのでした。
私は小田先生の態度から、自分の長男が、市立中学二校に不合格だったのは、裏に瀬島隆三がいたからだと、考える、そういう考えに、確信を持つようになりました。あれは、瀬島たちが、地積変更届という仕組みを利用して、横須賀市の旧水道山を、ただで、自分のものにした、1978年のたった四年後の、1982年のことでした。普通受験って、偏差値の違う二校を受けます。一つ目立って、一位ランクではなくて、二位ランクでした。二校目、滑り止めは、三位ランクで、日能研の先生が、保証してくださっていたのです。
ひどい人生を彼に与えてしまったし、今は、孫四人のことを心配しきっています。両親の法事にも参加できないし、お正月、ニューヨークにいる、娘に挨拶のメールも送りません。
それは、孫が受験をするので、私の長男に起きた事が、孫に繰り返されたら大変だからです。
私は、両親とも交流を断ち、(法事に参加しないという形をとった)、
子供とも交流を断っているのですよ。
じゃあ、ブログを書かなければいいのですか? いいえ、このブログを書かないでいたら、別の方向から、殺されてしまいますよ。だから、最低限、自分の命を守るために、このブログは、書かざるを得ません。
最初は、後ろから、首を絞める(1965年。三鷹国際基督教大学正門前の、旧中島飛行機の滑走路で、公暁みたいに、木の陰に隠れていた、ベーカーさんに、)
車で、ひき殺そうとする(1978年、自宅そばの道路で、待ち伏せをしていた益山智恵子さんの車に、)
拉致して、暗闇の中で、殺す(1998年パリ・バスティーユ駅、改札そばで、五人の屈強な白人たちに)
画商を名乗り、自宅まで訪ねてきて、ピストルで、撃つつもりだった模様(2010年のことで、かれが、コートを脱がなかった・・・・・・だから、きっとピストルを持っているか、毒薬を持っていて、紅茶等に入れるつもりだったでしょう。名前も名乗らなかった。だけど、私は、何でもわかっているので、主人に、仕事を休んで、もらって、その外人を二人で、迎えました。で、無事だった。山口みつ子さんが、他殺で、自殺ではないという根拠を持っている私に対して、
この外人とのいきさつを、「つまらない文章ですね」と、言ってきたのは、近藤実さんでした。その近藤実さんが、「山口みつ子さんが、自殺をしましたよ。毎日新聞に出ています」と教えてくれたのでした。
あのね、私は、一種の宗教家の域に達しているので、いろいろな人から、悩み事を、聞かされます。でね。今では、それが、はっきりしていますが、スマホ、もしくは、パソコン(?)または、尾行者が、持っている高度な、盗聴器で、盗聴をされて、私が、それを聞いた途端に、その悩みを漏らしたという形にされるのだと、思います。
だから、知人や、友人が裏切ってくる。そういうことだと、思います。その上、物理的に、殺すのが不可能だとなって心理的に、ノイローゼにさせてやろうとされています。発狂させてやれば、精神病院へ、入れられる(措置入院)となるので、ブログを書けない様になる・・・・・という形で、日常的に知人にいじめられています。
今日は、渡辺賢治司氏の夫人でしたね。ミキさん(または、マキさん?)です。
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でもね、ここまで、いじめられると、あ、あれを逃したのは、失敗だったかなあと思います。
一つ目は、湊宏先生の助手として、国際基督教大学の助手となる話。ふたつめは、二人の東大卒の人とのお見合いの話、三つめは、上で言っている、母親学級の主催者いなるのは、どうですか?という話。
なぜ、広瀬さんは、「チャンスは、前髪をつかめと、言うでしょう。私は、そのことわざを守っています」といったのに、自分は、そうではないかというと
私はね。神様という時には、キリスト教に近いのですよ。だけど、中学生の時にすでに、中勘助の【提婆達多】を読んでいて、「この世に生きている限り、かなわない望みがあり、越えられない壁があり、欲をかいては、自分が苦しむだけなのだ」と、言う発想を得てしまったのです。
提婆達多は、いとこにあたる、シッタルダに比較して、自分は、けっして劣っていないと、考えるのです。そしてあらゆる努力をして、シッタルダと同じぐらい、自分が、優秀で、魅力のある人間だと示そうとするのです。が、ある時期からシッタルダ(仏様)は、何もしなくなるのですね。工作をしない、努力をしない。
そういう何もしないシッタルダに対して、提婆達多は、勝てないのです。
すみません。この章は、延々と、考察が続きます。しかし、午前四時になりました。寝ないと、死ぬので、生きるために、ここで、この流れは、いったん、中断をいたします。
実は、旧姓西大寺さんと広瀬さんと、私は、年齢が、ひどく離れているのに、お茶飲み仲間だったのです。そして、安倍さんが殺されましたね。あれは、鎌倉エージェントが、自分たちが助かるために伯父(弁護士)を通じて、教唆命令した事件です。山上徹也は、妹に、辞書を差し入れてほし。勉強したい。特に外国で」と言っているそうです。
でね。西大寺さんは、広瀬由紀子さんのオフィスを、訪問しています。私も広瀬さんからか西大寺さんからかどちらかからは、忘れましたが広瀬さんのオフィスの写真をみせてもらっています。全体にピンクを使っていて、白いレースのカーテンが揺れている、非常にフェミニンな感じのするオフィスでした。でね。それを、知っていらっしゃるので、私の攻防もみたいとおっしゃるのです。その時は、すでに、鎌倉へ帰っていて、寝るのは、鎌倉だから、6畳二間+12畳があっても、布団を敷く場所もないほどに、絵のキャンバスと、版画の道具類に満ちていて、むろん、接待用の場所などないのです。カーテンもないのです。大型の温風ダンプウキが置いてあって、それで、温かさは、確保できるので、カーテンもいらないのでした。ただ、ただ、無機質で、無彩色です。私は、その方がいいんですが、工場みたいな場所で、スペースは、流しの前、1mX2mだけ、残っているぐらいでした。
そこでは、いろいろなものを洗うために、余地が残してあったのです。そこに簡易な、パイプ椅子を二つ持ってきて、二人で、歓談をしあったのですが、その時、旧姓西大寺さんは、私の貧乏っぷりに驚いてしまったのです。
私としては、そこに置いてあるプレスという機会をはじめ、すべてに莫大な、お金がかかっているので、自分を貧乏だなどとは、まったく思っておらず、アトリエに人を入れたくないのは、ただ、お掃除が行き届いていないだけだったのです。
でも、画家ではないと、100号の油絵を描くのに、どれほどの、絵の具が、必要かは、わからないですね。それが、30枚近く、置いてあるのです。だけど、見かけ上は、まったく装飾のない部屋です。しかも、いすを置く場所に苦労するほどの、作品群を見て、『この人は、深い、深いレベルで、労働をしている。しかし、報酬をもらっていない。なんと哀れなことだろう』と、思ってくださったらしくて、「預言者は、世に入れられずだわね」と、しみじみとした、口調で、おっしゃったのです。
私は肉声で、聞いたセリフとしては、この言葉を一番ありがたいものだと、思っています。
私は、安倍晋三元、総理大臣に対しても、2012年の11月にすでに、預言を放っています。「総裁選に出ては、だめですよ」と。
ともかく、総タイトルの左側、新浪さんに戻ると、「新浪さんに、その椅子に座らせたくないと、反対する人がいるのは、よくわかります」と、言っておきたいです。新浪さんがその椅子に座るのは、今は、早いです。お顔がそれに、ふさわしいお顔ではないです。10年後だったらいいかもしれない。だけど、今は、良くないです。安倍晋三さんが、2012年の暮れに総裁選に立候補なさろうとした時にも反対しました。
やっぱりその通りになったでしょう。国葬ですって。なんとむなしいことか?
@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下は、発想だけが、まず、起きたので、メモっておきます。後で、充実させるつもりです。
今は、中断をしている・・・・・というか終了をしてしまった、絵画における芥川賞、または、直木賞に当たる、
だが、小林篤生さんについては、アフィリエイトを教えてくれたのに、載らなかったのは、