さて、私はチャン・イーモウ監督のインタビューアーとして、NHK(?)に選ばれた香川照之を迎えたチャン・イーモウが、「あなたのクィズ・ライラは(鬼が来た)、見ていますよ』と、握手を求めてきながら発声をした事を、機縁にその映画について述べたいと思いながら、しかし、香川照之その人に、深く、入り込んでいき始めました。
なかなかに、見事な人生だからです。彼は、そうとうな知識人として、自分を斜め上から見ることの出来る人物で、それゆえに、最初は、脇役から始めました。父親似で、ふっくらとした面立ちであり、今流行の美形(ソース顔)とはいえないからです。
しかし、「鬼が来た」の猛烈な演技で、内外ともに、いや、自他共に、主役を任せられる俳優であることを、示しました。
その後で、もっとも、成功した主役が、オダギリ・ジョーと、兄弟の役をした『ゆれる』です。私はこれを、申し訳ありませんがテレビ放映で見たので、極く最近に内容を知った映画です。多分、東京ソナタの前宣伝としてテレビ放映をされたのでしょう。
東京ソナタは、有楽町の映画館で、予告編だけを見ましたが、ここでは、堂々の主役です。でもね。リストラをされて、それを、家族にいえないお父さんの役です。こういう設定は、10年ぐらい前までは、笑い話に近いニュースだったのですが、今では、非常に切実な問題になっているでしょう。それで、なのか?。こちらの映画『東京ソナタ』は公開されてから相当な月日がたっていると思いますが、未だに、東京でも三館で、実際に上映されております。
次男の視点で、予告編は出来ていました。が、予告編では長男は、何かに絶望をして自衛隊、実際には米軍(これは、海外向けフィルムの編集ではそうなるのかな?)に入隊してしまいます。そして、贅沢なこととして、習得を禁じられているピアノへ次男は向かいます。それぞれが、秘密を抱えている家族なのですが、表面上は普通に、和気藹々と暮らしているのです。
しかし、リストラ後、スーパーにやとわれて、食料品を棚へ飾る仕事をしているお父さんをお母さんが偶然に見つけてしまう場面。そのときの香川照之の表情は秀逸のみぎりです。恥ずかしいのですが、ほとんど無表情に見えるしぐさで、その決まり悪さを表現しています。ただ、この劇的な場面は脚本上の設定であって、実際のお父さんなら、交通費をかけても、家族の視線に出会わない場所のスーパーを選ぶでしょう。
ただ、この脚本が書かれた時点が、相当前であって、職業のブランド意識が強く出ていますね。いわゆる、事務職、ホワイトカラーが上だと言う意識です。それは、世の中に実際にあるのだから、いいんです。だけど、急に世の中が変わって、今では、『昨日はホワイトカラーでした。でも、今日はネットカフェで、一日中過しています』などと言う、若い人が大勢いるような気がします。本当に困った世の中ですが、ともかく、このお父さん役は、香川照之にこそ、ぴったりの役です。年齢といいし、表情や身じまいといいし、昨日までホワイトカラーの事務職であった人が、現場の作業、しかも、運搬ですよね。大きなカーゴに、食料品を詰めて、各棚へ運んでいく役割・・・・・スーパーだって、奥の事務室で、食品会社のセールス担当と折衝を重ねているような、大学新卒で入社したホワイトカラーもいるんですから、お父さんは、正社員ではないのです。そこら辺りの微妙な落差を、表現しつくしています。
これは、どこかの国でよい評価を既に得ているみたいですが、ニューヨークでもよい評価を得たそうです。いわゆる文芸映画として、23丁目の映画館辺りで公開されたのかしら?
~~~~~~~~~~
しかし、その前に主役をした、『ゆれる』も素晴しい演技です。映画そのものもすばらしくて、2006年度の映画賞を総なめにしたそうです。日本アカデミー賞では、オダギリ・ジョー(都会的で、美形で、女にもてて、ちょっと、こずるい割り切り方をする弟の方の役)が主演男優賞を取っていて、香川照之が助演男優賞のようですが、よこはま映画祭では、香川を主演男優賞に当てています。私はオダギリ・ジョーも素晴しい俳優だと思っています。アメリカで修行をした事があるらしくて、自分の演技を、相当理性的に研究できるタイプです。
だけど、このときの、ちょっと、とろく、見える。そして、風姿は冴えないお兄さん役。しかも、どうしてか、恋人を殺害したと、疑われる役柄・・・・・それは心理学的に言えば、弟が、真の原因者なのにと、観客は倒序法で、知らされているのですが、ミステリーは複雑に推移し、一刻も眼を離させません。
すごい映画でした。別にピストルがぶっ放されるわけでもないのに。すごい演技でした。
ところで、おとなしめに脇役で人生を始めた香川照之が、こんな難しい役でも主役を堂々と存在感確かに演じきる影には、『鬼が来た』の主役体験が、大きな影響を与えていると信じる私ですが、また、きょうも、それについて、言及する事ができませんでした。ごめんなさい、明日、あさってをお待ちくださいませ。
2009年1月31日 川崎 千恵子 (筆名 雨宮 舜)
なかなかに、見事な人生だからです。彼は、そうとうな知識人として、自分を斜め上から見ることの出来る人物で、それゆえに、最初は、脇役から始めました。父親似で、ふっくらとした面立ちであり、今流行の美形(ソース顔)とはいえないからです。
しかし、「鬼が来た」の猛烈な演技で、内外ともに、いや、自他共に、主役を任せられる俳優であることを、示しました。
その後で、もっとも、成功した主役が、オダギリ・ジョーと、兄弟の役をした『ゆれる』です。私はこれを、申し訳ありませんがテレビ放映で見たので、極く最近に内容を知った映画です。多分、東京ソナタの前宣伝としてテレビ放映をされたのでしょう。
東京ソナタは、有楽町の映画館で、予告編だけを見ましたが、ここでは、堂々の主役です。でもね。リストラをされて、それを、家族にいえないお父さんの役です。こういう設定は、10年ぐらい前までは、笑い話に近いニュースだったのですが、今では、非常に切実な問題になっているでしょう。それで、なのか?。こちらの映画『東京ソナタ』は公開されてから相当な月日がたっていると思いますが、未だに、東京でも三館で、実際に上映されております。
次男の視点で、予告編は出来ていました。が、予告編では長男は、何かに絶望をして自衛隊、実際には米軍(これは、海外向けフィルムの編集ではそうなるのかな?)に入隊してしまいます。そして、贅沢なこととして、習得を禁じられているピアノへ次男は向かいます。それぞれが、秘密を抱えている家族なのですが、表面上は普通に、和気藹々と暮らしているのです。
しかし、リストラ後、スーパーにやとわれて、食料品を棚へ飾る仕事をしているお父さんをお母さんが偶然に見つけてしまう場面。そのときの香川照之の表情は秀逸のみぎりです。恥ずかしいのですが、ほとんど無表情に見えるしぐさで、その決まり悪さを表現しています。ただ、この劇的な場面は脚本上の設定であって、実際のお父さんなら、交通費をかけても、家族の視線に出会わない場所のスーパーを選ぶでしょう。
ただ、この脚本が書かれた時点が、相当前であって、職業のブランド意識が強く出ていますね。いわゆる、事務職、ホワイトカラーが上だと言う意識です。それは、世の中に実際にあるのだから、いいんです。だけど、急に世の中が変わって、今では、『昨日はホワイトカラーでした。でも、今日はネットカフェで、一日中過しています』などと言う、若い人が大勢いるような気がします。本当に困った世の中ですが、ともかく、このお父さん役は、香川照之にこそ、ぴったりの役です。年齢といいし、表情や身じまいといいし、昨日までホワイトカラーの事務職であった人が、現場の作業、しかも、運搬ですよね。大きなカーゴに、食料品を詰めて、各棚へ運んでいく役割・・・・・スーパーだって、奥の事務室で、食品会社のセールス担当と折衝を重ねているような、大学新卒で入社したホワイトカラーもいるんですから、お父さんは、正社員ではないのです。そこら辺りの微妙な落差を、表現しつくしています。
これは、どこかの国でよい評価を既に得ているみたいですが、ニューヨークでもよい評価を得たそうです。いわゆる文芸映画として、23丁目の映画館辺りで公開されたのかしら?
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しかし、その前に主役をした、『ゆれる』も素晴しい演技です。映画そのものもすばらしくて、2006年度の映画賞を総なめにしたそうです。日本アカデミー賞では、オダギリ・ジョー(都会的で、美形で、女にもてて、ちょっと、こずるい割り切り方をする弟の方の役)が主演男優賞を取っていて、香川照之が助演男優賞のようですが、よこはま映画祭では、香川を主演男優賞に当てています。私はオダギリ・ジョーも素晴しい俳優だと思っています。アメリカで修行をした事があるらしくて、自分の演技を、相当理性的に研究できるタイプです。
だけど、このときの、ちょっと、とろく、見える。そして、風姿は冴えないお兄さん役。しかも、どうしてか、恋人を殺害したと、疑われる役柄・・・・・それは心理学的に言えば、弟が、真の原因者なのにと、観客は倒序法で、知らされているのですが、ミステリーは複雑に推移し、一刻も眼を離させません。
すごい映画でした。別にピストルがぶっ放されるわけでもないのに。すごい演技でした。
ところで、おとなしめに脇役で人生を始めた香川照之が、こんな難しい役でも主役を堂々と存在感確かに演じきる影には、『鬼が来た』の主役体験が、大きな影響を与えていると信じる私ですが、また、きょうも、それについて、言及する事ができませんでした。ごめんなさい、明日、あさってをお待ちくださいませ。
2009年1月31日 川崎 千恵子 (筆名 雨宮 舜)