最初にしたに置いてある写真の説明をさせてくださいませ。プライヴァシーの問題から、大切な登場人物は、目を隠しています。みんなとても幸せそうないい顔をしているのに、それをご覧に入れることができなくて残念です。平塚に大きな子供向けの公園があります。そこへ遊びに行った帰りで、このベンチがある場所は、平塚市立博物館です。私(白髪を染めていない日)が中央に居ます。そして、右側に主人がいます。そして、目を隠していない赤ちゃんが左側に居ます。この子が今回の文章の主役です。実は、有職びなみたいに整ったお顔をしています。ご機嫌の良いときはです。この写真では、それほど、ご機嫌が良くない時みたいです。ただ、色が白すぎて、そして、お顔が整いすぎているので、それが、却って、私には、心配だったのです。下に分布の問題が出てきますが、この子は、頭が良すぎるのではないかと、思って。私自身、他人様から、「あなたは、上のはみ出しだから苦労をするわね」と言われています。この赤ちゃんに、同じ現象が起きるのではないかと、思って。これは五年前の写真ですが、その直後から、3年前ぐらいまでが、この子の親が一番、苦しんだ時期です。今は、おしゃべりもするし、非常に活発で、かわいい性格なので、すっかり、父親も落ち着いています。そして、この子を、とてもかわいがっています。で、私も天に感謝し、落ち着いているのですが・・・・・
副題1、『ひところ、チャイコフスキーコンクール優勝の、神尾真由子さんについての番組をたくさんNHKは、作ったのだが・・・・・』
神尾真由子さんが、チャイコフスキーコンクールで優勝をしたのは、2007年でした。その後、2010年ごろまで、NHKは、神尾さんを主役に据えた番組を多数作ったと、思います。私は、それらを、視聴しました。
で、神尾さんの、演奏は、そう好きではないのですが、神尾さんの考え方と、育ちについては、相当に、共感を抱いたところがあります。まず、外国で、一人暮らしをする時の暮らし方と心構えですが、必ず、安くても(と言う事は、半地下と言う形が多いが)、必ず、独立した家というモノに住むと言う事。シェアハウスでも、自分の持ち分が広くて、壁がしっかりとして、他者としっかりと、隔てられている事。私もマンハッタン島内ではなくて、島の外ですが、半地下の、2DK(60~70平米)を、占有できるところを必ず、選びましたので、それが、共有する考え方です。
その次に、師匠(先生)に対する考え方。100%、言う事を、聞くのではなくて、必ず、自分の考え方を通したり、優先したりすること・・・・・これも私が普段実践をしている事でした。で、そう言う考え方を持っている人間は、日本の公募・美術団体である国画会などでは生きていきにくいと言う事を発見して、そこを自分から去ったわけですが・・・・・
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副題2、『小さいころ、何かが気に入らなくて、ベッドの足にしがみついて泣いたと言う事は、自分でも覚えていると、彼女は言った』
神尾真由子さんの、発言中の表情を、見ていると、彼女がとても気が強い人だと言う事が解ります。それを、周辺の人も肯定して行きます。豊中市の出身で、祖母に当たる方が、小さいころ、おもちゃとして、バイオリン(八分の一サイズか?)を買って与えて、そこから、彼女のバイオリニストとしての人生が始まりましたが、小学校四年生の時に、すでに、何とか、コンクールで、優勝しているのです。
で、非常に優れた人として、NHKは番組を作り上げ、出演者も、次から次へと、褒めまくるのですが、実際には、結構育てにくいところもあったと、親戚の人々は言います。いったんつむじを曲げて、泣きだすと、激しい泣き方であって、しかも、泣き止まないので、周辺は困ったと、言います。
それを、聞いた時に、私の四人目の孫が生まれる前でしたが、神尾さんは、軽い自閉症気味のところがあるのではないかと、思いました。で、四人目の孫が生まれて、2歳ぐらいまで、父親(私の長男)は、ひどく悩むのですが、もっとも、困ったポイントが、大泣きをして、それが、始まると、場所がどこであっても、泣き止まないと言う事でした。だから、神尾さんについての推察が、当たっていたと思います。しかし、彼女は、成功した人として世に出ています。それは、私に希望を与えています。
皆さんも出会ったことが有りませんか? 通勤時間ではないものの、電車の中で、大泣きをしている、お子さんを見たことを。
そういう電車内で大泣きをしている幼児の母ですが、たいてい仏頂面をしています。でね、時には、世話焼きおばさんが、「どうしたの?」と、声を掛けたりしますが、ママの方が、応答しないとか、そう言うケースを見たことが有ります。
おばさんの声が、最初から、ママに対する叱責のニュアンスを含んでいるので、ママが拒否反応を示すのだと言う事が察せられます。しかし、今思うと、そう言うお子さんが、軽い自閉症気味だったら、泣き止ませることが難しいのです。で、ママは、経験上、放って置いているのかもしれません。
ただ、孫が、そう言う事になったので、息子は、一生懸命勉強をして、そういう状況がどうして起きるかを、探りあてたのですが、事前に、子供なりに予定があるそうです。一番わかりやすいのはエレベーターのボタンなどです。自分が押すと決めていたのに、マンションの他の住人、または、ママ、または、パパが、偶然押してしまった。それは、気に入らない事なので、もう、泣き始めて、泣き止まないと言う事となります。こう言う事が、一日中、予想外のケースで発生をするので、パパとママは、その答を、見つけることがなかなかできなくて、したがって、泣き止ませることができなくて、苦しむこととなります。そして、大泣きをした子供を、世間にはばかるので、余計に、疲れ切ることとなります。
今、私がこう言う事を平気で書くのは、そう言うステージが終わって、言葉によるコミュニケーションが取れる様になって、孫が、大泣きをする事が無くなったからです。まご本人も活発におしゃべりをしますし、他人の言う事も理解します。それで、ほっとしています。自閉症だと、しても、軽度だと、思います。本当にほっとしています。だから、こう言う事を明かしているわけです。
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副題2、『世の中には、分布曲線と言うのがあって、私は、「あなたは、上のはみ出しだから大変ね」と、頭の良い方から言われて続けてきていた。中心をゼロとする分布曲線で、ゼロ近辺に、分布されて居る人は、似た性質の傾向と、似た能力の人がいっぱいいて、生きるのがらくであろうが・・・・・』
この孫としては、四人目として2010年に生まれた、男の子は、長男の方の初めての子供でした。で、長男が、『どうもおかしい』と、考えて、悩み始めたのが、2012年ごろでありました。その頃の私はフェイスブックで、瓜南直子さんには、激しいいじめを彼女の投稿と言う形で、受けているし、北海道在住の若手男性画家が、私とは、友達ではないのに、私の友達を次から次へと、奪っていくというなりすまし疑惑(たぶん、ICUの一年生時の同級生古村浩三君が、寮で、ロックフェラー四世と同室だったので、裏でやっていたと、思われる攻撃)の被害に出会っていたし、
母は、90歳を超えていて、人生の終盤に差し掛かっていたので、週に二度は、池袋の向こう側、東上線常盤台の老人ホームに見舞いに行っていたし、で、今から思うと、よくできたと、思うほど、忙しい時期でした。しかも、その常盤台周辺で、野口やと言う豆腐屋に変装した、刑事たちに追われたり、老人ホームに刑事が、乗り込んで来たりしていた時代です。ところで、ここで、はっきりと書きますが、私は何も悪い事はしていないのですよ。ただ、ただ、土地を盗まれていることを文章で書いているので、こういう風に追われるのです。嫌がらせを受けるのです。
特に、ご近所の前田祝一・清子家と、安野忠彦・智紗夫人の家には、『我が家は警察の協力者です』と言う看板が長らく立てかけられていましたしね。
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ところでね。私は、警察に追われる様な悪い事は一切していないのですよ。すべては被害者の立場です。しかし、後注1の副題8に、とうとう、相当判りやすい形で、アジサイ畑欺罔事件のついて触れていますが、そこで、中谷知二氏の次男が、三井物産勤務だと、書いてあります。そして、副題8こそ、どうして、警察が、私の敵さんたち悪人の見方をするのかの理由が書かれています。どうか、副題8を中心に読み直してくださいませ。
この看板ですが、鎌倉市内、17万人の住民がいる場所に、100個もないと思いますよ。ところが、このやまだけで、二つも立っていたのです。たった20戸しか家が無いのにですよ。だから、しかもわが家の土地を盗む原因者たちの、方に、この看板が立っているのですから、警察が、いかに、CIAたる瀬島龍三一派の見方であり、その支配下に置かれているかを、毎日、数十年間、実感しつつ生きてきたのです。だから、今度のやまゆり園事件も、すぐさま、警察の殺人用別働隊が、実行したと、推察可能なわけです。莫大な被害が毎日あるので、瞬時にすべてが判るのですよ。それを全部書き表すわけでもないけれど・・・・・
そして、私が警察の殺人用別働隊が、どうして、こうしてと、書き始めたら、この看板が下ろされることとなったのです。だから、私が書いている、今般の事件も、山田浩二が、大阪寝屋川の中一児童二人を斬殺したとされる事件も、周南事件も、全部、警察の殺人用別働隊が、やったのだと、確信をしています。
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副題3、『三井物産がキーワードになっているのだが、私は、真実をどうしても、全部は、書けなかったのだった。特に自らの損失について、全部を書けなかった。どうしてかと言うと、娘婿が、三井物産勤務だからだ。ここらあたり、は、歌舞伎の世界によく登場するジレンマにも似ているが、伽羅仙台萩の【政岡】よりも、もっと、苦しい状況に陥っている人間が、この30年間の私だった。とうとう三井物産の名前を出したのは谷垣禎一氏が亡くなったと、推察していて、それは、安倍総理大臣、および、鎌倉エージェント全体に対する天からの叱責だと、私は、見ているからだ。と言うのも安倍総理大臣は、安野忠彦氏の息子さんで、中学時のお成績が、1と、2しかないという事で、御成中学校中で、とても、有名だったお子さんを、海上保安学校へ、彼等、CIAは1986年時に、入学をさせ、一億二千万円の生涯賃金を保証してやった。それは、安倍総理大臣には直接には関係が無いが、安倍総理大臣は、海上保安庁長官を現場から採用したり、北朝鮮のミサイルが、発射された時期にもかかわらず、舞鶴の海上保安学校の卒業式に出かけている。と言う事で総理大臣自らが、アジサイ畑欺罔事件の際の主因者(つまり、私に言わせれば犯人側だが、裁判が起こされていないので、単に、悪人側と言っておこう)の、味方をしている。こんな総理大臣は、過去には、いなかったと、思うが、日本も、被植民地化の極致に入っていると、言う事がここからもわかるのだった。ところで、反対に私の方は、子供たちにも被害が及んでいる。それをこれから書いて行こう、やまゆり園事件と言うすさまじい悪が、行われて、いる現在、それを書くことを天はお許しくださるだろう。一種のチャンスだと、思っている。アジサイ畑欺罔事件をマネーロンダリングして行くために前田祝一氏は、テレビ東京のドリームハウスと言う特番に、堂々と登場をして、あたかも一般人特にいい人みたいな顔をしていたが、信じがたいほどの、大量殺人によって、守られている悪魔みたいな存在である。たぶん谷垣さんは、それが、放映をされている最中、もしくはそれの編集済み、DVDが、テレビ東京の放送用、準備室にセットされた瞬間、または、新聞のラジオテレビ欄の原稿が入稿された瞬間に亡くなったのだと、推察している。この2016年7月17日という時点は、メルクマール的時点であって、悪魔と天使が激しくぶつかった日である。谷垣さんは、善人ゆえに、悪魔たちに対する責任を一身に負って、死亡された。善人代表として、この世の中のバランスをとるために、自らの命が天に召されたのだ。こういう裏事情があるために、安倍内閣と、安倍自民党は、谷垣さんの死を発表しないのである』
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副題4、『息子はかどや製油と言う会社に勤務していたのだが、結婚式に出席して、スピーチをしてくださった重役たちが、その後、全部追い出された。三井物産から来た人間によってだ』
三井物産と言うのが使われているなあと、感じた最初のケースは、海賊に襲われた船が、商船三井のモノだったからです。以下、日付とか、その他をwikipedia から抜き出して置いておきます。この海賊ですが、ほぼ、作り上げられたものでしょう。ただ、これを口実にして、自衛隊が、アフリカへ進出する手立てにもなっていますね。この時期すでに谷垣さんは、伊藤玄二郎の支配下に下っていたのでしたが・・・・・
海賊の逮捕
2011年3月5日深夜頃、インド洋北部のアラビア海を航行中だった商船三井のタンカー・グアナバラ(バハマ船籍)が4人の海賊に乗っ取られそうになった。これをトルコの警備艇と米軍が阻止し海賊4人を拘束した。タンカーの乗組員24人に怪我はなかった。
オイルシェール問題。
その次に、オイルシェールの問題があります。この件こそ、私のブログいじめの、モノです。私の父は、満鉄勤務でしたが、実際にやっていたことは、調査部、中央試験所で、石油の開発と探索でした。大同(または、撫順)と言う場所に炭鉱があって、そう言う場所の近辺に、今の言葉でいうオイルシェール、昔の日本語で、頁油岩というモノがあって、そこから、収量の高い石油が取れないかと、研究をしていたのですが、実際には実らなかった筈です。現在だって、非常に深く掘って、そこへ強酸を流し込んで、石灰岩を溶かすそうですから、第二次大戦中の日本に、そう言う資力と、機械力と、強酸を、生産する能力なんって、有る筈もないです。ただ、仕事がそういう仕事であって、優遇をされたので、理科系(または、工学系)の大学に進学をしない限り、学費は、出さないという態度でした。文学部とか芸術系を受験することなど、絶対にダメであって、藤田嗣二が、戦時中に味わった苦悩などを、公に報道される以前に、察していたと、思います。しかし、これほどの、措置をして、獲得した石油が採算が合う筈もなくて、これに手を出して会社は、どの商社も、苦境に陥っていると、聞いています。
そして、かどや油脂への、支配確立です。
三井物産から来た人間が、重役陣を総とっかえしてしまい、かつ、社員の、給与を二重構造にして、かどや生え抜きの社員を低い給与体系のママで押さえ、商社出身の社員には、高給を与える様にしたのです。かつ、社員個々を、ノルマ達成他で、苛め抜いたので、社員間に、ノイローゼ頻出会社となってしまっています。ユニクロが急に人気を失いましたが、それは、会社の給与体系を世界中同一基準にすると発表をして、日本人正社員の、給与水準が格段に引き下げられる可能性が出て来たからでした。それでも、ほとんどが派遣社員だから成り立つと、柳井氏は、考えたのでしょう。そして、自分は大富豪化しました。でもね、ユニクロの社員と、そのファンはバカではないです。いやな会社だと、心から思ったでしょうね。日本では、ほとんど売れなくなってきていると、聞いています。各支店ですが、閑古鳥が鳴いていますよね。それと似ていて、かどや製油内部の暗さたるや制限が無いほどです。
ただし、どうして、三井物産から人が、入って来たかですが、これが、瀬島龍三やら、石塚雅彦さんやら、その他の、経済界に、幅を利かせる、エージェント達だったでしょう。この時点では、瀬島龍三も、ぴんぴんとして生きていましたから。実際の手配をいろいろしたのが、中谷共二氏の次男だった可能性も感じています。
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副題5、『かどやより、高級なごま油を売っている会社として、竹本と、九鬼と言う会社があるが、竹本の社長は、一時期、私の、国際基督教大学時代の、同級生が、になっていた』
今ごま油は、Ajinomotoからも出ていると思います。しかし、大衆向け商品としては、かどやが、一手に販売をしていたと、思います。しかし、もっと上等なラインでは、別の会社が有名です。特に胡麻を、炒らないで絞る太白と言う種類の製品では、竹本油脂が有名です。
こちらは、株式を上場していません。同族会社の趣が強いのです。ところで、竹本の一族は、日本橋の古い住人で、若き日(ご成婚前)の美智子さまとも、軽井沢でテニス仲間だと、聞いています。それが、館野ひろおと言う、私の国際基督教大学の四年生時の、同級生です。
それも、スタップ細胞疑惑で、私がたびたび取り上げる、三輪喜久代さんと、たった三人で、湊宏先生と言う、優秀な(東大卒後、MITなどで、研究生活を送った)化学科の助教授(まだ30代だった)の下についていました。
私は誰から見てもいい子ちゃんで、容易に支配できるとみなされていたので、卒業後は、湊先生の助手になることに決定をしていました。で、湊先生も私に対して甘えたところがあったのか、絶対に完成しない実験である【トルエンで、炭素繊維を作る】という命題を与えられたのです。
これが、のちに体に悪いと言う事がはっきりとわかって来るトルエン類が、毎晩500cc水銀シーラーと言うものを破って突沸をし、部屋中に、充満する危険な実験であって、私は、相当量のトルエン類(ベンゼン核にメチル基が付いたもの類)を、毎晩、吸ったのでした。で、いまだに後遺症があって、ほぼ、死んでもおかしくないほどの体力不足の人なのですよ。ただ用心と工夫で、生きているだけの人なのです。で、あまりに難しい命題を与える先生なので、湊先生の助手になることを、お断りをしてしまったので、私は日本化学会の、会員には推挙されていません。しかし、三輪さんが推挙をされていると、みなしていますし、彼女はスタップ細胞疑惑において、ロンドンで、NATURE誌と交渉をしたりした、重要な役割を担っているでしょう。
このあたりの、湊先生を囲む三人については、すでに、小説と言う形で、書いているので、後で、そのリンク先を探すとして、ここでは、初出のエピソードに入ります。やまゆり園事件と言うおぞましい事件(植松はやっていないのですよ。警察の殺人用別働隊がやっていて、植松はダミーの犯人です)が起きたので、以前よりすべてにおいて、はっきりと、しかも深めて書けるからです。
さて、私はICU在学中の、1960年台には劣位の学生で、館野君にも歯牙にもひっかけられないという存在でした。それは、前歯に金冠が入っていたからでした。明眸皓歯と言う意味とは正反対ですからね。
ところが、そこの底のところでは、フェロモン横溢のモテル女だったらしいのですよ。自分でも気が付かないぐらいの、水も滴るいい女(?)だったのです。それは、その頃のほぼ、40年後に、日傘雅水と言う、芸能人や文化人に、顧客が多い、手相観の方に指摘をされます。で、『あなたは芸術家でよかった。もし普通の主婦だけが、立場だったら、事件を起こす様な手相です』と言われました。金星帯というのがくっきりとあらわれているからだそうです。不倫問題で、死者が出るという様なポイントですね。
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副題6、『1998年の同窓会で、私はぜひ調べたいことが有った。新左翼系統の学生運動の話なんだけど。それで、まず、お歌を歌って、自分の地位を上げて置いた』
そういわれて思い出してみると、30代のころ、幼稚園の、PTAの会長をしたのですが、その打ち上げの時に、二曲、歌っただけで、やんやの喝さいを、ママ友たちから、受けました。『そうだ、あれなんだ』と、思い当たりました。
私はとてもおとなしい人間で、リアルな世界では、対外的な迫力を見せることができないのですが、1998年の同窓会の時だけは、調べたいことが有って、自分が同窓会内で、大物扱いをして貰う必要を感じていました。どういうことを調べたいかと言うと、私が卒業した後の、1967年に、S君と言う日比谷高校出身の男の子が、学生会館で、精神的な、リンチを受けて、それで、苦しさと悔しさのあまり、千鳥ヶ淵で、入水自殺をしたのだそうです。だが、早めに手当てを受けて助かったのだそうです。と言う事を、35年後の、2000年になって電話で、女の同期生の一人から教えてもらっていたからです。それを、リンチする側でやったのが、誰かを知りたかったのでした。
この同窓会ですが、いろいろな収穫がありました。まず、主宰者が、川名昭宣君です。どうして、多士済々の、国際基督教大学、1966年卒業生(10期)の中で、彼が、偉い立場に立てるのかが、10年以上、私には、不明だったのですが、伊藤玄二郎と河出書房内で、親しくなっていて、いわゆる、CIAさんたち特有の、隠されては、いるが、最高の実権を握る特権階級の一人と、すでにこのころには、内面では、なっていたので、特別な、自信があったのでしょう。
特に、川名君が、すごかったのは、大学紛争時に暴れまわっていて、1967年の、入試を行わせなかった、入江君をこの会に招いて、マネーロンダリング(洗浄化)をしてあげた事でした。私がそんなことを提案したら、私が放校を、されてしまうでしょう。川名君が特別な人間であると言う事は、この時に見聞した事の経験も大きいのです。
さて、目的をかなえるために、私はこの時に、オペラカルメンから、男を挑発し誘う歌である【ハバネラ】をマイクを使って歌ったのでした。ひどく楽にしかもアッピール力高く、歌えました。マイクを使って歌うのは、先に言った、幼稚園のPTAの打ち上げ以来、人生で二度目だったのですが、両方とも徹底的に受けました。ただ、PTAと、同窓会で、大きく異なっている点は、同窓会の方では、褒めてくれる人もあればけなす人もあると言う事でした。褒めてくれる方の人は、私に対して、嫉妬心など、みじんも持っていない、自分自身に、自信のある女性であり、露骨に嫌な顔をする人間は、私をそれ以前は、下手だと、見くびっていた存在だと、判りました。ところで、館野君は、露骨に嫌な顔をした方で、「酔っているんでしょう」と、いいました。私は内心で、は、は、はっと笑いましたね。それ以前に、どれほど、下手に見ていたかがわかったし、
『でも、何にも感想を言われないよりは、ランクアップしていますね』と、思ったからです。
しかし、館野君の反応は余技の方で、本来の目的は、リンチで、S君を自殺未遂にまで追い込んだ学友が、誰であるかを調べることでした。会話で、それを調べるわけにもいかないので、態度で、推理しましたが、のちほど、朝日新聞の記者となって行ったW君と、一時期放校措置を受けていた川名君にとってのこの日の主役(または、主賓)だった入江君だろうと、推理いたしました。
しかし、この日はそれでよかったのですが、ごじつ、このW君は癌で、入江君は川に落っこちたという原因で、早めに亡くなってしまいます。この二人の影に伊藤玄二郎は見えないし、この二人から具体的に悪意を持っていじめられたという記憶もないので、例の、・・・・・伊藤玄二郎と付き合ったから、特に、私をいじめるという任務を与えられていたから、早死にをした・・・・・と、言う範疇で、谷垣さんと同列に置いた五人の中には、加えていないのですが、それでも、早すぎる死だと、懸念はしているのです。この二人もCIAによって殺されたと、判断をすると、すでに、7人の人が、寿命より早い感じで、亡くなっています。いや、山口みつ子さんクラスを含めると、10人は下らない人数が、彼らによって、殺されている可能性を感じています。
川名君の事は、その後も数ポイントで、変だ。変だと、思う様になって行き、やがて、『彼は、たった一年で、当時は、つぶれそうな状態だった、河出書房を、去った、一種の裏切ものでもある、伊藤玄二郎とは、今でも、相当に親しいはずなのだ。それで、こういう風に異常な感じを、私が、川名君から、受けるのだ』と、確信をする様になります。それを証明する本が【びょんぶ】(河出書房新社刊)と言う豪華本なので、2013年を中心に、私はそれを探し回りますが、国会図書館をはじめ、どこにもありません。そのホンによって、伊藤玄二郎は、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章を受けたはずですが、見当たりません。
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副題7、『最近、三宅坂の国立劇場に行き始めてから、確信をし始めたのだけれど、千鳥ヶ淵で、お堀に飛び込んで、入水自殺をしたら、絶対に助からない筈だ。特に夜だと、助からない筈だ。だが、S君は助け上げられた。不思議だ。これは、日比谷高校出身の、成岡庸司君が尾行をして居たからではないかな・・・・・と言う事が、判った、と言うか確信をもって、身に沁みついてくる』
私は、1965年の秋に、バスの中で、しつこくからかってくる秋山豊寛氏を、黙らせるために、「私は、早稲田の学生会委員長、革〇の成岡君とは、中学校の同期生なのよ」と、言い放ちます。
だって秋山君は国際基督教大学の新聞部で、新左翼系の学生運動をやっていて、入江君と、秋山さんのどっちが上か、下かと言う大騒動を起こしているわけですから、威張る事、威張る事、際限がないからです。で、この時はそれだけの話だと、思っていたのですが、その後、もし、これを秋山さんが、当時国際基督教大学へ留学生として来ていた、金髪碧眼の、アメリカ人ベーカーさんに、告げたら、ベーカーさんは、もろに、CIA なので、『これは、いいとっかかりができた』と、思って、成岡君を自陣内に取り込むはずなのです。
と言うのも、誰だって、人生を不利にはしたくないですね。しかし、成り行き上、早稲田で、有名人になってしまった成岡君は、もういいところへは、就職できる見込みはないのでした。特に、内ゲバを起こしているとされる革〇の委員長となれば、もう、いいところには就職できないと、自分でも、思うわけです。一方で秋山さんは違います。彼は、東大教授の息子です。だから、既に、親の代で、エスタブリッシュメントなので、何をやっても、許されるわけです。それで、大会社の一つであるTBSに、就職ができました。
しかし、成岡君は、もしかしたら、在日の出自を持っている人間です。それが、彼をして、革〇に走らせたのかもしれませんし。と言うわけで、どうしても、出世の糸口が無いのでした。しかし、ベーカーさんの甘言によって、「あなたを、真実の日本の支配者にしてあげます。首相より偉い、本当の支配者にしてあげます。ただし、表社会からは、身を隠してください。一生を日陰の身として過ごしてください。手当と言うか、お金は弾みますよ」と、言われれば、そりゃあ、乗るでしょう。
彼は、瀬島龍三亡き後の、日本では、真実トップの実力者です。ただし、1966年時とか、には、未だぺいぺいで、具体的な仕事に手を染めていたと、考えられます。入試が、一回途切れる前までは、知る人ぞ知る優秀な人材のあつまる大学が、国際基督教大学であって、そこにいる、真に優秀な人材を潰すのが、彼の目的でした。当時の日比谷高校の定員が、一学年、300人以上だったと仮定をしても、彼は、S君の性格とか、能力は、正しく知っていたと、推察されます。S君は、CIĄが早めに潰しておきたいと考える典型的人間の一人でした。つまり、高度にカモフラージュされた支配様式で、日本を支配しているアメリカ大富豪たちが、最も恐れる真実を知り、それを外部に発散して行く類の人間だったのです。
実はなにあろう、この私もそういう人間の一人なのですよ。だから、潰されそうになっているのです。ところで、元に戻ると、今もそういう形式は使われているのですが、秘密裡に、会合をもって、人間を教唆して行くという形で、成岡君も含めて、W君とか入江君は教唆をされて行き、S君を集団リンチ(と言っても言論世界の話ですよ)に掛けたのでした。400人程度が入る講堂で、それは、行われたと、2000年に入ってから、聞きました。その会場の隅で、成岡君も事の推移を見ていたのではないかなあ? で、成功はしたものの、S君のダメージを受けた様子があまりにもひどかったので、尾行を開始したのではないかしら? さすがに高校時代の、学友だから、心配になってね。
S君は中央線で、新宿に出ます。そして、1960年代だと、二つしか地下鉄路線が無かったので、丸ノ内線で、赤坂見附まで行って、銀座線に乗り換えて、虎ノ門に出るはずです。ところがS君が丸の内線に乗り続けて、国会議事堂前で、降りて、お堀へ向かった時点で、成岡君は、S君がこれからやろうとしていることを推察したのだと、思います。日比谷高校出身者ですから、ここらあたりのチリは熟知している筈ですし。それで、公衆電話か特殊なトランシーバー状のもので、警察や消防へ、連絡を取り、もしS君がお堀に飛び込んだら、救出するという手はずをとったのだと、思います。
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副題8、『館野ひろお君は、その後、見直してくれて、「日本橋・室町の会社に、遊びにいらっしゃい」と、行ってくれたほどだったが、驚くべきいじめを、2012年に、私に対して行うのだった。それは、無論の事、古村浩三君、もしくは、三輪喜久代さんが関与しての、教唆された故の、話だった筈だが』
副題6と、7も、重要なエピソードなので、力を入れて、時間をかけて書きましたが、本章は、息子が主役です。特に息子に加えられた大損害について、語ることが主題です。で、それを語るためにかどやと、竹本を比較しているところです。
学生時代、特に、1965年ごろには、歯牙にもひっかけてくれなかった館野君と、2003年ごろには、同窓会を通じて、その場所では、親しく会話を交わす様になりました。この同窓会ですが、川名昭宣君と古村浩三君が、開く気持ちを持っていて、かつ、実際に幹事を引き受けています。何度も言う様に多士済々の、1965年度卒業組の中で、この二人が頭目を務めるのは、それぞれ、バックにご支援があって、自信があるからでしょう。で、会の様式が、違います。
川名君は、公の施設を使って、お昼に、大きな会(したがって、立食パーティとなる)を、催すのが好きですが、古村浩三君は、上品な居酒屋を転々として、掘りごたつ形式で、金曜日の、夜に、飲み食いをする様式を選びます。この古村君の会の方は、現役で、成功をしている人が主に参加をします。女の子も、AFS経験者が、おおくて、収入もあるひとかどの、成功者ばかりやってきます。私は本当はお呼びではないタイプです。しかし、パリに文化庁の在外研修生制度で、行ってから、私費で、何度も、海外研修をしているものですし、日本でも、一人暮らしをしながら、メルマガを運営をして、同期生にも活発に送信しているので、急速にランクが上がって、この会にもお招きを受ける様になりました。
館野君は、この会にはあまり来ません。と言うのも、実際には大きな会社を経営しているのですよ。だけど、そこが上場をしていないし、他の、上場企業に、就職をして、社長になりましたと、言う人々に対しては、楽に人生を送ってきてしまったと、いう、負い目があるのではないかなあ? それで、あまり、出席をしていなかったのです。
でも、たまに出席をしているときに、私は息子がごま油を扱っていて、竹本の商品の説明もよくしてくれていたものですから、その話題を引っ提げて、横に座りました。すると、いろいろ話してくれて、「実は、界面活性剤も扱っているんですよ」と、彼は言います。驚きました。これは、儲かる筈です。と言うのも一種の薬ですから。薬と言うのは「くすり、九層倍」と言って、楽な作業で、大きく儲かる物品です。それに、2016年7月29日の、本日に初めて発見をしたのですが、高級な化粧品も作っています。これも、儲かる筈です。うは、うはの状況でしょう。
それで、彼が、国際基督教大学の湊宏・研究室に入ったのも理解をしました。湊先生は、アメリカとツウツウで、当時の化学界の、最先端の、情報を握っている方だからです。
本日竹本のWIKIPEDIAも、開いてみましたが、さすがに、化学工場です。かどやより、大規模な感じがします。それと【カネカ】のすぐそばにあります。なるほど、お互いに、製品を融通しあったりしていますね。
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ここで、余談に入りますが、私はたぶんですが、【カネカ】の株も持っています。山田浩二が、寝屋川で、深夜にうろうろをしていた中一の男女二人の児童を殺したとされる事件と、今般の、やまゆり園大量殺傷事件は、そっくりで、あの時も私は、自分を狙った嫌がらせ用事件で、警察の別働隊が、二児童を殺したのだと言っていますが、
あの事件の、目的を本日初めて、言います。二つあって、一つは、年恰好や、体格が、私の孫の一人に似ていると言う事。だから、孫の命を心配せよという脅かしでした。もう一つは、女児の遺体が捨てられていた場所が、当時はその株を、私が、持っていた【センコー】と言う会社の駐車場だったと言う事です。それもまた、心理的には脅かしの役目を担います。私が気が付かなかったら、孫狙いの方だけでいいし、気がついたら、資産減らしの目的を持っている行動なのだよと、気が付いてくれよと、言う事でしょう。旭化成建材データ流用疑惑も同じですね。
NHK他の大メディアは、女児の遺体が、捨てられていたのは、高槻市にある駐車場だと、言っていましたが、嘘ばっかりです。特殊なものを企業間で、主に、運搬しあう【センコー】はトラックにセンコーと言うロゴを入れておりません。真っ白なトラックばかり駐車させています。それに、センコーだと判った上で、会社側から、もち分の駐車場の、住所を、チェックして行くと、確かに、寝屋川市内、住所に、あの広さの駐車場を、センコーは持っているのです。つまり、二人の子供がうろうろしていた、アーケードから、たった1.2キロの場所にあの駐車場はあるのです。・・・・・と、私が書き始めたら、NHK他のテレビ局は、以前の、中継場所(=遺体発見現場)名を、訂正しませんでした。が、ネットでだけ、「高槻の全農の駐車場だったらしい」という情報が流されました。あの時も矛盾だらけの監視カメラの映像というモノが使われました。今回とパターンが同じです。
しかし、これも嘘なのです。すぐ、グーグル地図で、全農の駐車場を検索し出して、その上で、グーグルアース(航空写真)で、確認をすると、全農の駐車場には、屋根付きのたてものがあります。それに全農の駐車場に停まっているトラックは、横にロゴが入っていますね。だから、報道内容の方が、嘘なのです。山田浩二もダミーの犯人で、あの二人の児童を殺したのは、これも、警察の殺人用別働隊ではないですか? 何のために、それを起こしたかと言うと、前田祝一・清子、安野忠彦・智紗夫妻、故石川和子・柳沢昇夫妻、白井・小野寺夫妻、当時は活発に前田家に協力をしていた渡辺賢司・ミカ夫妻、等が行ってきた、悪事を消し去るためです。まず、私をノイローゼにさせて、このブログを閉鎖させると、彼等が助かると思っている手合いが、彼等を助けるために、起こした事件です。今般もほとんど同じ流れです。植松聖は、ダミーの、犯人で、真実の形で、40人以上を殺傷したわけではありません。
さあて、竹本油脂の工場の話から、【カネカ】に移り、【センコー】に移り、山田浩二と、やまゆり園事件に移ってしまいました。が、竹本油脂の経営者一族のお坊ちゃまにして、皇后美智子さまの、テニスクラブ仲間でもあった、館野ひろお君に戻ります。
2003年ごろには、「こんど、室町(日本橋)に在る本社に拠りなさいよ。遊びにいら謝意」と、言われるほどになっておりました。ところで、これを伏線として、置いておいて、しばらく、孫の話に戻ります。
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副題9、『孫が、心配で、心労がたまった、息子は、自分からかどやを、退職してしまう。これから、再就職の話を含めて、息子は大変な苦労に見舞われていくのだが、その一方で、同じころ、かどやを、辞めた、同世代の、友人だった人材が、竹本に、就職したと聞いた。普通なら、秘密保持のために、また、業界同士のモラルを守るために、同業他社に、勤務していた人材を引き抜く(?)事はしない筈だ。特に、館野ひろお君は、お坊ちゃま育ちで、優しい性格だと、推察している。
これは、裏があると、見抜いた。激しい悲しみと、苦しみに撃たれた。繰り返しになるが、館野ひろお君は、心底から、意地悪な人ではない。どうして、そう言う風にあからさまないじめをしてくるのだ? 私は考え抜き、やがて、古村浩三君や石塚雅彦さんの、差し金である可能性を感じ始める。
また、三輪喜久代さんからの連絡で、こう成っていたかも、知れないと、も、思い当たって来る。三輪喜久代さんが絡んでいた、昔(=1965年時)の、化学実験室での、エピソードを思い出し、そこから始まって、スタップ細胞疑惑とか、諸種の、暗闇の世界が謎が、ほどけて来るのだった。この嫌がらせは、三井物産勤務の、故・中谷知二氏の、次男が絡んでいると言う事も、判って来る。そして、かどやに入っている元三井物産勤務の人間S氏も、かどやないをブラック企業化して行き、息子が辞めざるを得ない様にさせていくことが目的で、その結果、二次的に、対私への、弾圧をすることになるのが目的で、かどやに、転入してきたと言う事も、判って来るのだった。三井物産から来た人間と、生え抜きの人間の給与体系を、別にするなんて、アメリカの人種差別にも似ているすさまじい暗さがあるし』
ここは、二重ガッコ内だけで、他の言葉を、追記しないで、先へ進みます。
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副題10、『私は何とか、息子を助けたいと、思い、この件を書こうとするが、非常に難しいのだった。と言うのも書いている好きに新たな攻撃を受けるからだった。大きな苦しみの中を、忍従を続けながら、ともかく、小説と言う形で、書き始め、最初に、息子が最も悩んでいた頃を描写した。すると、早速に攻撃用、反応があった。それが、長谷川智恵子の、障害児は、妊娠中に、遺伝子診断をして、妊娠中絶をして、茨城県が、障害児・者向けの予算を拠出させない様にいたしましょうと、言う発言だった。
驚いた。これは、見事にも、対私狙いの、発言で、私をいじめるために起こされた事案だった。で、すぐ戦わないといけないの絵、裏側を分析した。銀座の画廊ガレリアグラフィカのオーナー・栗田玲子さん、そこで、個展をした、国際基督教大学出身(ただし、本当は中退なのに、卒業資格を与えられている)の画家・渡辺幸子さん、渡辺さんがJALのスチュワーデスだった関係で、知り合いになっている筈の笹川財団のトップ管理者・塩見和子さん、そして、渡辺幸子さんと親しい石塚雅彦さん、そして、石塚さんの裏か、栗田玲子さんの裏に、伊藤玄二郎がいて、伊藤玄二郎の裏に、井上ひさしがいるという構図で、この事案が起こされたのでした。
そして、それが、ばれてしまったために、更に問題を拡大して、大げさにして、障害者を嫌っているのは、長谷川智恵子だけではないと、言いたかったのが、今回のやまゆり園事件なのです。ここで、19534字です。で、ここから先リンク先を、見つけて付与しないといけないので、初稿としての本文は、ここで、強引に、終わりとさせていただきたいです。
後注1、 特に副題8が重要です。
後注2、