銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

盲学校を、偶然、訪問して救われるー1

2009-08-14 23:55:32 | Weblog
 私は50年前に、都立文京盲学校を偶然にも訪れて、生徒や先生に大歓迎を受けた事があります。私は当時の生徒さんと同じ年の17歳であり、その日はあることで打ちのめされていて、非常に気弱になっていた日でした。

 今、都立文京盲学校のホーム頁をあけると、立派なビルとなっています。が、当時は、三階建てぐらいの棟が何棟かある形式で、門のすぐ傍で、陸上の短距離走の練習をしている女子生徒がいました。

 私は外の道路を偶然通りかかっただけなのですが、どうしてか、ひきつけられきってしまい、通りから入り込んで、傍に立って、その練習をじっと見つめていたのです。

 その日の私は借りてきた猫以下の、おとなしい気弱な状態で、今のように、電車の中で活発に外人に話しかけるなどと言う事は、できない状況で、ただただ、黙ってその練習を見続けていました。

 その少女は目の辺りがくぼんでいました。多分目が発達しないと言う形での全盲の少女でした。でも、体は非常に美しい少女でした。鍛え上げられた足は、細いが充分に筋肉が発達していて、『カモシカのような』という形容詞がまさにぴったりでした。

 普通は白い杖で、辺りを探りながら進む全盲の人が、全速力で走るためにはその不安を取り除く装置が必要です。それは、幅が60センチぐらいの鉄製の手すりのついた、特別な道でした。少女は、その間を、全力で走り抜けるのです。

 私が見始めたのはスタートの地点で、終点まで走ると、先生がストップと仰るのでしょう。または、何か足元に、しるしがあって、そこが終点だと分かる仕組みになっていたのかも知れません。

 しかし、私が感動を与えられたのは、師弟愛の方でした。これほど、陸上に堪能な全盲の少女は他にいないのでしょう。だから、先生はこの少女一人に付きっ切りで教えていらっしゃいます。

 全盲の人が全速力で突っ走ると言う事がどれほど、怖い事であるかは、十分に推測をされ、その怖さを乗り切って走る少女は、先生の指導を信頼しきっているのです。あとで、お聞きして分かるのですが、この少女は三年生だったはずで、だから、先生とのコーチと弟子のコンビは既に三年にもわたっているのでした。

 読者の皆様へのお断り、

  今回の文章は、全部で六回ぐらい続く形で展開すると今は、感じています。ただ、今日は本当に疲れていて、この第一回目さえ完成させる気力と体力がありません。それで、この導入部分だけで終わらせておいてくださいませ。

              では。  2009年8月15日、早朝も早朝
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