銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

エフゲーニオネーギン、【青春は遠く過ぎ去り】・・・・・ひろおちゃんが、脳梗塞を患ったと、28日に初めて知って

2018-05-31 02:00:09 | 政治

 これですが、堤さんが、という文章と順番を入れ替えました。次に来る文章との兼ね合いでそうさせていただいています。

副題1、『本日、18-5-31の午前五時から、BSプレミアムでのクラシック倶楽部で、レオンスカヤが、シューベルトの即興曲を、たった9分だけど、弾くのだわ。よかった、今午前二時だけど、偶然にそれを知って』

 私が、中学一年生の夏休みの時に、「古典派の音楽を一曲選んで聞いて感想を書いてきなさい」と、いう宿題が出ました。雲居佐和子先生と言う大変立派な方が、そうおっしゃったのです。私は、入学試験において、他の子とは、50点も差があると言われるほどに、頭脳が優秀なはずなのですが、常に何かを考えているので、ある部分で、ポーンと抜ける時があるのです。で、先生がおっしゃったことも生半可に聞いていて、古典派という音楽用語を聞き漏らしてしまいました。で、夏休み中ラジオ(FMもない、1955年ですが)にかじりついて、一日に、3時間~5時間ぐらいクラシック音楽を聴いたと思います。全分野にわたってです。で、ラフマニノフのピアノ協奏曲か、シューベルトの即興曲か、どちらかが、素敵だなあと、思いました。

 それで、どちらを選ぶかですが、幼くして、批評の書き方を知って居たと、見えます。これはですね。シューベルトの方が、文章として書くのが難しいのです。専門家でも、同じことを言うでしょう。で、ラフマニノフを選びました。でもね、今にして思えば、好きなのは、シューベルトの即興曲の方です。海外修業をする為に、逗子で一人暮らしをしていたときは、テレビも見ず、新聞も読まず、一切のアウトプットを入れない生活でしたが、一日を、8時間単位で区切って、五時間起きて居て、そのうちの三時間を創作に充て、二時間を雑用に充て、三時間寝て、又起きるという暮らしでしたが、雑用をしている間中に、レオンスカヤが演奏するシューベルトの即興曲を繰り返し聞いていたのです。一枚、8曲で、一時間です。まったく飽きることなく聞いていました。レオンスカヤが、本日BSプレミアムで弾くのは、全8曲のうちの一曲だけです。アンコールとして弾くらしいのですが・・・・・それは、伝統的なナンバリングでは、即興曲90番の第三曲とされており、最近のナンバリングでは、ドイツ番号、899とされている曲です。

 ところで、この宿題を提出する時に劇的なエピソードがあって、私は、今まで、その60%を書いていましたが、ここで、残りの40%を、あたらしく、書き足したいと、思います。

 この時は、一年生の夏休み明けですから、友達関係は、まだ、ぎくしゃくしています。クラス編成し終わって、4か月しかたっていませんし。桐野夏生が、OUTという小説の中で、慶応女子高と思しき、私立高校での、主人公の、外れぶりと、いじめについて書いていますが、私立中学(私の場合は、国立だったが)では、下から上がって来たエスカレーター組と外部から、編入してきた子には、カラーの違いがあって、水と油と言う感じで、なかなか、溶け合いません。内部の子は、受験勉強をしません。で、当然の事、外部からの編入生にお成績では、負けてしまいます。特に一年時では差が大きいです。で、嫉妬心も加わってか、外部生を、「がり勉ね」と、からかったり、疎外したりする傾向はあるのです。しかし、付属小から、慶応や、フェリスへ、中学進学時に抜ける子もいるので、編入生を入れるのですが、最初は、外部編入生の方が苦労をするという構図です。

 その上、私は、とても慎重で、考えて、考えて行動をするので、ほとんど、モノをしゃべらないのです。おとなしめに見えます。弱っちくみえます。ただ、先生方には、どなたからも抜群にかわいがられていました。弱々しそうに見えて、表現力が、無いので、引き出してやろうとするお考えがあったのでしょう。しかし、それもまた、友達に敬遠される理由の一つだったと、思います。「先生に気に入られようとして、いい子ぶっている。いやな子ね」と、思われていて、変わり者扱いをされて、まずくするといじめの対象になりkねないところがありました。この下線の部分が初出の部分です。

 だから、音楽の知識が豊富なお友達が、「うわー、嫌だ、この子ったら、ラフマニノフなんか選んでいる。古典派(ハイドンや、バッハなどの事)を選ばないといけないのに」と、はやし立てた時に、クラス全員が、私の手元にあるレポート用紙を覗き込む始末でした。提出する時は、蚊の鳴くような声で、「間違えて、居ます」と言いました。ただ、先生は、ちらっと、字でいっぱいのレポート用紙をご覧になって、「いいわよ。これで」とおっしゃいました。そして、返却をされたときには、いっぱい、いいおほめの言葉が赤ペンで書きこまれてありました。クラシック音楽を、聴くという意味で、あれほど、集中した時間は無くて、そして、全分野から、ラフマニノフのピアノ協奏曲と、シューベルトの即興曲を選んだ、私の耳はなかなかに確かなものだったと、ひそかに自負しているのです。そして、先生もそれを理解してくださったのです。中学一年生です。13歳で、「その二曲こそ、全分野の中で、もっとも、素晴らしい」と、言う耳はすごいですよ。あ、は、は。自画自賛していては、始まりませんが、そう思います。私はヴァイオリンの曲はあまりにも、情緒が濃くて、駄目なのです。【G線上のアリア】など素晴らしい曲ですが、ピアノの方が好きですね。心が騒ぎ過ぎませんので。

 そういうわけで、クラシック音楽を聴くのは好きで、今は、クラシック倶楽部は、毎日録画して居て、暇な時間帯に聞いています。この5月29日には、ドミトーリ・コルチャックが、歌いました。その中で、エフゲーニ・オネーギンからの、レンスキーのアリア、【青春は、遠く過ぎ去り】が、あり、私は、その曲に関して、いろいろな思い出があるので、ネットで、他の人が何を感じているかを探りました。

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副題2、『敢えて、そのひとの名前も、ブログ名もここにはさらさないが、思わず、にんまりとするほどの、共感を呼ぶブログを見つけたのだった』

 そのブログの著者は、こういいます。「私は、映像で、【ルネ・フレミング】と、【アンナ・ネトレプコ】の、エフゲーニ・オネーギンを見ている」と。私も全く同じです。ただ、彼女と私の違いは、彼女は、日本で、公演をされた、ドミトーリ・コルチャックがレンスキーを演じた、オペラの舞台を、生で、見ているという点でした。三回ほど、このオペラを見ている事となり、このオペラに関しては、相当な重鎮です。

 彼女のブログの独自性は、「脇役であり、主役のオネーギンを引き立てるはずのレンスキーを、コルチャックが演じて居て、あまりにも、彼が、輝きすぎて居て、主役の二人がかすんでしまっていて、このオペラが、このオペラとしては、成立して居なかった」という部分です。オネーギンには、悪の魅力がある主人公の筈なのに、主人公である事が、感じられなかったというのは、コルチャックが、それほどに、声も姿も、美しかったという事でしょう。それは、とても面白い解釈ですが、私は、その公演を見て居ないので、以前にNHKで、放映をされた、二つの映像の方から、別の種類の、感想を述べます。

 私は【アンナ・ネトレプコ】は何を見ても駄目なんです。『おばさんっぽい、品がない』と、思ってしまって駄目なのです。美形だし美声ですが、駄目なのです。品がないと、常に、感じてしまって、駄目なのです。

 だから、無論のこと、【ルネ・フレミング】がドミトリー・ホロストフスキーを相手役として演じた、メトロポリタン・オペラの映像が、好きですよ。ホロストフスキーは、この主演後、循環器系の病を患って、その後、復帰して、東劇で映画化されたメットのオペラを、大画面で見ましたが、聴衆からは、大喝采でした。スタンディングオヴェーションが何分続いたかというほどに、人気が、高いです。ただ、それでも、私には、絶頂期を過ぎていると見え、オネーギンをフレミングと一緒にやったころが絶頂期だったと、思います。その頃は細身で、とても、美しかったです。

  輸入盤DVDの広告がありますので、その小さな写真でもご覧をいただきたく。

 で、そのオペラの中のもっとも有名なアリア、オネーギンに決闘で射殺をされる、親友のレンスキー(テノール)が歌う【青春は遠く過ぎ去り】について語るのが、この章の主目的です。

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副題3、『私は、このアリアを、音楽という側面では、高く評価をしていない。だから、メロディーも覚えられない。しかし、タイトルが素晴らしい。もし、ロシア語が、理解できたら、歌詞(プーシキン原作)も素晴らしいものなのだろうと、思う。それにうたわれる状況も、タイトルにぴったりの場面である』

 超簡単に決めつけると、レンスキーはまじめな青年です。一方のオネーギンは、へらへらとしか動かない、欲望に忠実な不良です。そのまじめな方の、レンスキーが、オネーギンの多情(姉妹の両方に手を出す)の為に、親友だった筈なのに、決闘をする羽目になり、その直前に、悲しみを込めて歌うアリアが、是、【青春は、遠く過ぎ去り】です。

 自分が死ぬかもしれない。または、親友が死ぬかもしれない。そういうぎりぎりの状況で、恋愛とか、何かとかは、吹っ飛んでしまい、悲しみに打ちひしがれながら、歌う歌です。ただ、レンスキーは、20代と言う設定でしょう。それなのに、青春は、遠く過ぎ去りと、歌うのです。かわいそうに。 

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副題4、『私はすでに、75歳であり、かつ、政治にまみれて居て、きりきり舞いをしているので、青春の事など、思い出したこともなかった。しかし、純粋な好奇心は、旺盛で、一方では、青春真っ盛りの老女だと、言えるのかもしれない。

 しかし、石春産業の工事、財務相事務次官の追放、新潟・小2女児・死後轢断事件、大原光孝と言うご近所画家の、跳んだり跳ねたりの大挑発。西隣の天井灯を使った脅かしが、警察がやっているらしいと、分析する話。日大アメフト部の、謀略としての大騒動。日大そのものの凋落。。。。。。上にあげている横浜国立大学付属中学時代の学友にして、ギャラリー山口での、個展をする現代美術系作家としては、その常連だった・・・・・・大久保忠春君の・・・・・暴走老女による、交通事故死(ato cyuu 1)

・・・・・そして、最近起きていて、北九州における、昔の、大久保君の死を、修正してきた事件だと、思う、・・・・・茅ケ崎での、90歳の赤いアメ車の女性【斎藤久美子】の殺人事案、そして、次の、岡山県で、14年前に殺された小学生の犯人逮捕と、こうひっきりなしに、私がブログで、書いている事への、批判事項ニュースが続いては、それを考えることで精いっぱいで、青春の思い出どころの騒ぎではありません。

 しかし、30日(水)の夜は、私は、こ一時間ばかり、青春期の思い出に浸ったのでした。それは、28日(月)の、午後二時15分に八芳園内で、聞いた話から、始まっています。

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副題5、『八芳園で開かれたのは、お茶大付属高校時代の同窓会だから、男性は登場しない。しかし、それが、お開きになる直前に、ある人から、大学時代の同期の男の子、ひろおちゃんが、病気になり、施設に入って居ると聞いた。それを、月曜日と火曜日は、忙しすぎて、咀嚼をする暇もなかったのだが、水曜日になって、静かに反芻してみている』

 私は、鎌倉エージェントと呼ぶ、CIA集団が、私のご近所住民や、銀座の画廊街、及び、同窓会に手を出して、引っ掻き回していることに対して、深い怒りを持っています。親戚も悪利用をしているので、本当にどうしようもないというほどに、伊藤玄二郎一派は悪辣です。

 で、高校の同窓会ですが、2014年の会で、ひどい事があって、あまりにもひどいので、いきさつをすべて、分析しています。それが、正しかったので、2014年度は、修正がありました。しかし、今般は、また、三つほど、微妙な形での攻撃がありました。微妙な形なので、敢えて、詳細は書かない事にしたいです。

 で、このひろおちゃんが、病気になって、施設に入って居ると、言う話を、私が、聞くことになったのは、一つの、いじめである様な気もしていて、従って、書かないで、置こうかと、思ったのです。

 あまりに大量にいじめられているので、いちいち、それを書いて居たら、私の方が、エネルギーを消耗しきって、病気になって死んでしまいます。だから、敢えて、今般の、微妙極まりないいじめに関しては、気が付かないふりをしようかと、思ったのでした。しかし、火曜日に至って、【青春は遠く過ぎ去り】というドミトーリ・コルチャックの歌を聴きました。

 それで、ひろおちゃんの闘病と言う案件が、政治の問題ではなくて、哲学的、心理学的、かつ、宗教学的問題として、胸に湧き上がってきたのです。それで、下書きとしてそれを書きました。しかし、しかし、です。

 問題は、政治から始めないといけません。で、まず、三輪喜久代と言う女性から始まります。ソーピーというあだ名で、同期生、300人(弱)から呼ばれて居た女性です。過去に書いているので、リンク先を見つければいいのですが、それが、却って大変なので、ここで、短縮して、委細を語りましょう。

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副題6、『私と、ひろおちゃんと、三輪喜久代(=ソーピー)の三人は、1965年には、元中島飛行機の研究所を、活用した国際基督教大学の化学実験室で、湊宏博士の下で、卒業論文用に、書く為の実験をしていた。いわば、同じ釜の飯を食った仲間である』

 その時に、ひろおちゃんと三輪さんが、何を研究していたかは知りません。私は、芳香族炭水化物(ベンゼン核を持つ、石油精製品、ベンゼンとかトルエンとか、キシレンとか呼ばれるもので、有害だと、今では、認定をされている物質)を、使って、炭素繊維を作る実験を担当していました。これが、湊先生が、ご考案なさった様な装置ではできないのです。突沸と言う現象だけが起きて、大量に悪い物質を吸収してしまっています。後日、ネットでしらべてみると通産省の大阪研究所で高圧高温の大規模な装置を使って、やっとできたと書いてありました。

 私は卒業したら、国際基督教大学で、教職(その一番下の助手)になる予定でした。先生のお気に入りは、一生、ついて回るみたいで、私は上の方に可愛がられるタイプなのです.で、50代の教授が、まだ、当時は、30代だった湊先生に、推薦してくださって、私は湊先生の、助手になる予定でした。その後、順調に行けば、助教授、準教授、そして教授になっていたかもしれないのです。国際基督教大学の教授だったら、社会的な立場は、ハイだから、今ほど、いじめられて居ないかもしれません。ボタンのかけ違いを、その時に、やってしまったかもしれないのです。

 しかし、私は直感として、湊先生に対して、恐れおののいて居ました。学生とは、大学にとってはお客様です。そのお客様である学生に対して、「これほどに、過酷な実験をせよ」と迫る湊先生に、もし、職業として、その下に付いたら、何を命令されるか、判らないと、感じました。だから、11月か12月に入ってから、就職の話をお断りをしてしまったのです。

 世間知らずは、世間知らずでした。教授様、何人もが、かわいくて、誠実だと、好意を持ってくださっていることを、学生という下っ端も下っ端の身分で蹴ったのですから、もう、嫌われるのは、必定で、何も、世話をして貰えません。就職先もあわてて、自分で見つけるし、ひろおちゃんと、三輪さんは、日本化学会の会員に推挙されていると思いますが、それも、私は蚊帳の外です。

 ただね。人間の血管には、心臓以外にも全身に弁があるそうですが、私は、その開閉が、もうスムーズには利かないし、骨もずたずたと言うほどに弱いのですって。初めての海外旅行は1982年に、夫婦でトルコへ個人旅行に行きました。その頃は子供がまだ小さくて、猫も飼っているので、主人の弟が、駐在員をしているので、「それを助けとして目指して一人で、行きなさい」と何度も言いました。特に相手側から、「車で、全土を回りましょう」と、提案をされていました。それなのに、「どうしても一緒に」と言ってきかないので、出発前に、無理に無理を重ねたので、イスタンブールのシェラトンホテル内で、四時間も気絶をしていて蘇生術を施されたほどなのです。だから、湊先生の下に就職しなかったのは、それで、正解だったと、思います。で、いいのですが、「湊先生が、国際基督教大学をおやめになるきっかけを、私が作った」という人もいるみたいなので、この件の、影響力も多大だったみたいで、ある意味で、悲しみもあるポイントです。そして、私が、ICU同期生から、悪口をいわれる、一つの原因にもなっているでしょう。

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副題7、『ひろおちゃんは、竹本油脂の創業者一族の御曹司であり、学生時代の、1960年代から、車で通学するほどのお金持ちのお坊ちゃまだった。竹本油脂は、非上場の会社だが、同じ分野の、一部上場会社であるかどや製油の五倍の、規模を持つ会社である。一般人を相手にしては、ごま油を売っている。しかし、会社を上げて取り組んでいるのは、界面活性剤であって、そう言う意味では、化学メーカーなので、湊宏先生に、ひろおちゃんが、つくのは、良い事だった。ただ、私の周辺が、政治的弾圧に満ちてくると、皇太子妃雅子さまが、化粧品の広告に使われていると、言うNHKオンラインニュースが何度も、私のパソコン画面に登場するし・・・・・という事は竹本油脂が、ものすごく高価な、化粧品を作っている可能性を感じるし、

  そのほかのいろいろもあって(それは、過去に書いているが、あまりにどぎつい事なので、今は、病気になったと聞く、ひろおちゃんの為に、伏せて置こう。)私は、竹本油脂が、私を、いじめたり弾圧する道具として使われ始めていると感じる。

 親戚(たとえば画家の、道仏仁子さん)でさえ、自分達の役に立てようと使ってくる鎌倉エージェントなのだから、大学同期生を使うことなどあり得る事だった。

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副題8、『ここで、三輪喜久代さんが、スタップ細胞疑惑の重要な立役者となっていることは語らないといけない。三輪さんは、1966年に卒業をして、春秋社に入って居ます。是もまた不思議な就職です。化学科卒の人間が、宗教書などを出版する出版社に就職するのですから。ただ、親戚等が居るのかもしれないし、または、ベイカーさんが、CIAエージェントとして彼女を育てるために、そこへ、入れたのかもしれません。

 というのも、対私と言う意味で、最も大きな敵の一人となっている伊藤玄二郎は、春秋社に対してはべたべたの、取り入りをしている男性だからです。もし、彼が、現役で、中央大学に入学し、留年しないで・卒業をしたのなら、1966年に、河出書房に入社した事となります。そして、たった、一年で、やめて、起業をしています。会社名を鎌倉春秋社として、東京の、大本の春秋社に、入り浸って社長に取り入って、社名を分けてもらっています。

 そこで、三輪喜久代さんと、伊藤玄二郎は、親しくなった可能性があるのです。もし、伊藤玄二郎が、浪人して河出書房に入社したと仮定をすると、1968年から三輪喜久代さんと伊藤玄二郎は、親しくなったと、言えます。

 結果ですが、今では、ソーピーも伊藤玄二郎も、二人ともCIAエージェントとして、非常に重要な役割を果たしています。で、私は、1984年にこの雪ノ下に引っ越してきて以来、ご近所に、自ら、「自分は伊藤玄二郎の元愛人だったから、よくしてもらっている」と語る、石川和子さんが、住んでいるので、・・・・・伊藤玄二郎が、瀬島龍三に、その時点から、リクルートをされて、・・・・・1985年ごろから、特別な役割や、特別な、権利を与えられているのだ・・・・・と断をしていましたが、

 1965年から、用意周到に、準備をされていたのかもしれません。もし、この新しい推察が当たっていると考えると、ベイカーさん(1960年代ICUに留学をしていたアメリカ人大学生。私が頭がいい人間であることを発見してしまった男)も、いったんは、おっちょこちょいをしたが、猛反省をして、考えに考えて、私を追い詰め破滅させる仕組みを作ったという事になります。1966年から、既に、となります。

 この弾圧は、最初は、ベイカーさんの失敗から起きているのですよ。「僕は三鷹警察署の署長と親しいので」と、彼が言うので、私が目を丸くしたのです。それだけで、彼は『僕は、失敗した。彼女は殺さないといけない』と考えて、それを闇夜に紛れて、実際に、実行を、したのでした。私は、中島飛行機の滑走路で、首を後ろから絞められたのですが、本当に死ぬかと思うほどに強い力でした。しかし、偶然が幸いして、救われたのですが、現在の苦境もその時から始まっていると考えると納得がしやすくなります。

 三輪喜久代さんは、今ロンドンにいます。そして、まだ、日本化学会の会員でしょうから、その信用を利用して、雑誌NATUREに小保方晴子さんの、嘘に近い程乱暴な論文の、発表をねじ込んだのです。

 伊藤玄二郎、三輪喜久代、私、ひろおちゃん、の四者は、その周辺に、衛星の様に、・・・・・井上ひさし(まだ実際には、生きています)、成岡庸司(日比谷高校、早稲田の政経卒)、石塚雅彦(ICU卒 日経新聞論説委員 早稲田大学教授)、古村浩三(システムエンジニアの草分けとしてのおおもの。ひろおちゃんを含む大学同期生のひとり)塩見和子(大学同期のひとりだが、日本では、最初期の帰国子女の一人であって、英語がよくできるので、私達一般の学生とは、別コースを歩んだ。だが、健康美にあふれた美少女の典型であり、在学中から非常に目立った。1978年から、笹川良一のもとで、日本財団の、理事長となり、ストラディヴァリウスなどの、古・弦楽器を、演奏家に貸与する仕事に、ついて居る)・・・・・・などを引き連れて、すこぶる大きな政治ユニットを形成していると言えるでしょう。その中で、只一人、ターゲットとして、被害者役を担っているのが、私です。

 しかし、私は、慎重な人間です。最初は、政治的課題を書きません。むしろ下世話な事、普通の事を書く事から始めます。ひろおちゃんについても同じです。

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副題9、『私が最初に書いたのは、三輪喜久代、ひろおちゃん、私との間の三者で、繰り広げられた疑似恋愛のことである・・・・・・それが【青春は、遠く過ぎ去り】という歌とともに思い出されて来るのだった』

 私は国際基督教大学では、劣等生の方でした。と言うのも大学入学後の学生には、恋愛の時代が訪れ、それに勝利する女性が、偉い位置に立つからです。男性も同じです。もてる男の子は勝者となります。

 ここで、私は、負け組です。前歯に金冠をはめる治療をして居たので、明眸皓歯の正反対ですからね。しかし、私はICU入学以前に予備校で、主人と知り合っていました。そして、1962年の夏休みに、住所を教えて居ない主人から手紙をもらっていて、ひそかなキープ君と彼が既に、なっていたのです。しかも、主人は私の助言を受け入れて、その後、商学部から工学部へ転学、転科しているほどでした。私は主人をひそかに、ロマンローランのジャンクリストフに出て来るおとなしいインテリ男性、オリヴィエ・ジャンナンになぞらえて、運命的な結びつきは感じていました。が、いわゆる、ボーイフレンドと言うタイプではないのでした。キスも求められないし、もちろんベッドインもないのです。ですから、私の周辺には男の影は無いという雰囲気です。

 しかし、ここが、超不思議な処なのですが、自分の主観に反して、実は、私は、水も滴るいい女の一人だったのです。いや、・・・だったらしい・・・・のです。いま思えば、杉村春子か、市原悦子か、瀬戸内寂聴級の、タレントになった方が良かったのでした。しかし、親がそういう職業を許すはずもない家庭だったので、自分が最も向いている分野に、就業したわけでもないのです。

 これは、青春は、遠く過ぎ去りの舞台だった、1965年から、30年以上も、後の、1998年に、有名な手相観の、日傘雅水さんに言われるのですが、「あなたは芸術家でよかった。これが、専業主婦だったら事件を起こしていますよ」と、言うほどのフェロモン横溢の女であるという手相をしているそうです。それは金星帯と言うのが両手に二本ずつある事で、日傘さんにはわかる事だそうです。でも、創作とは、もっともアドレナリンが大量に出る快楽だそうですから、このブログを書いているだけで、私は、現実社会では、新聞沙汰になる様な事件を、起こしておりません。(苦笑)

 しかし、ここでは、1965年に戻りましょう。

 そして、多分ですが、ひろおちゃんにもそれがあるタイプだったのではないかしら? それで、言わず語らず、空中で、二人の金星帯が、結び付いて反応をし合っていて、ひろおちゃんは、・・・・・私が、彼に懸想を、していると判断をしたのです。それは、彼にとっては困る事なのです。金冠を前歯に嵌めている様な、みっともない女性と、皇后美智子さまとも、おつきあいがある様な、自分は、結婚ができないです。しかし、『それをはっきり、私に言うのは、失礼だ』と、彼は思っています。で、或る対策を講じて、それを、実行をしました。

 それは、彼と三輪さんが、恋愛関係にあるという擬態を演じる事でした。ここで、プソイドと言う言葉を使いたいです。三人とも化学科卒ですからね。分かるでしょう。pseudと書いて、擬態とか、疑似と言う意味で使います。もし、本当にソーピーと、ひろおちゃんが、恋愛関係にあったのなら、二人は、結婚をしていると、思います。お兄さんが、そういうケースですから、「ひろおちゃんも同級生と学内で、結婚をしました」と言う事で、有名な兄弟カップルとなるでしょう。しかし、ひろおちゃんと、ソーピーの、きわめて、派手な恋愛は、プソイド(=擬態)だったのです。

 つまり、毎日同じ時間帯に、ひろおちゃんの車で、ソーピーが一緒に帰るのです。しかもそれを、私に、見せつけるのでした。ひろおちゃんがどこに住んでいるかを私は、知りませんでしたが、ソーピーは、吉祥寺に住んでいるそうで、そこまで、連れて行ってあげるのを、毎日、見せ付けられるのです。化学実験室は、一階にあって、大きな窓があります。窓の下で、部屋の前を、5メートルぐらいは芝生が敷いてあって、その向こう側にコンクリートうちの、道路がありますが、毎日、窓から手に取る程の距離に、ひろおちゃんが、車を駐車場から持ってきて、停車させます。そこに、三輪さんが、きゃあ、きゃあ、さわぎながら、乗り込んで、一緒に帰るのを、目の前で、見せ付けられるのでした。

 私ね、二重三重の意味で、恥ずかしかったです。誤解を受けているわけですね。私が、今の主人を当時から、どれほど、好きであり大切にしているかは、一年、(=1962年)の秋に入江多喜男君と言う同級生にバスの中で、目撃をされています。主人が、フェロモン度が高いか高くないかは知りませんが、たいへん清潔な感じの少年なのです。その日バスの中で、彼の、隣で、はしゃいでいる私を見て、もし、入江君が、「これって想定内の事だ。普通だね」と、思ったら、空いている席を、目指してバスの中を奥まで、進んできて、私たち二人を見ながら「なあんだ。あんた、ボーイフレンド居るのだ。堅物ではなかったんだね」と、いうくらいの事を言って、笑ったでしょう。

 しかし、その日の、入江君は、運転手の隣で、ポールをしっかりとつかんだまま、フリーズして、こちらを見ようともしなかったのでした。私は、自分が彼等、学内で、奥さんを見つけて行った、恋愛過多な子たちと、比較して、本当は、最も上等な恋愛をしていることを知り、『入江君に、うらやましがられている』と、感じ取りました。それで、ひそかに得意になったので、却って、『誰にも、この大切な少年を、見せたくない』と、思って、学園祭なのに、学生がいる方向には向かわず、当時は、バカに広かった、(五万坪もあった)キャンパスの中で、教室などの、人のいない所を案内しただけで、キャンパスを去りました。

 このこと(=ヒロオちゃんがソーピーと、組んで、私に辱めを与えた事)は、このブログ内で、何度も、書いたのですね。別に政治の真ん中の事ではないので、書いても、安全だと、思ったし、三輪さんの、性格を、よく説明しうるエピソードだからです。つまり、申し訳ないけれど、はっきり言えば、一種の、あばずれ女の雰囲気を、たった22歳で、すでに持っている女性だったのです。私は、ソーピーが、どうしてそういう雰囲気になってしまったのかは、AFS留学中の出来事が、大きいだろうと判断をしています。その他、彼女の体型(背が低くてビヤ樽みたいに、太っている)や、肌の色(アメリカでは、インディアンの子孫だと、間違われるだろうと、思う程、茶色い)から、来るものがあると、思っています。実は彼女は、『自分が、普通の、種類の結婚を、いい男性を相手としては、できないのだ』と、すでに、思い定めていたので、あれほどに、はっきりと、おばちゃん風にさばけていたと、考えているのですが、ここでは、それにつては、詳細には、触れません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ここから先は、31日の午後、1時から再開する部分です。

副題10、『私は28日にも、「昔に比べると強くなった」と言われる。それが、始まったのは、階段状の変化だったが、特に、大画廊ユマニテを、切ったことが大きい。相手も、淫靡にいじめるという形で、以前から長い期間にわたって、こちらを、捨てて居るのだけれど、こちらも、そちらを、捨てると、決意した日からだった。それによって多大な損失も、受けてはいるが、(後注2)

 ブログを書く上で、もっとも書きにくくて、大きな課題であった、・・・・・ギャラリー山口のオーナーの、・・・・・死の真相・・・・・を書くことができて、それ以来、物事には、プラスと、マイナスがある事をはっきりと知り、何事をも恐れなくなったからだ。

 別の画廊で、・・・・・・お客さんが多い事で、有名な、・・・・・・ギャラリーアーチストスペース・・・・・が閉鎖される、予定がある・・・・・と、公開をされているが、それは私が書いている・・・・・山口みつ子さんが、他殺である・・・・・と、言う事が、真実だったことを反映している・・・・・と、思っている。

 山口みつ子さんは、秋山裕徳太子と、保坂涼子さんの、私へのすごいレベルでの、弾圧行動が初因として、殺されている。ユマニテは、保坂涼子さんが、航子と名前を変えて発表をするのを支援したのだった。しかも、間隔をあけてだが、二回もなのだ。ひどい仕打ちだと、思っている。できるなら、他の画廊で、やってほしかった。私が、行かない画廊は、今ではいっぱいある。そういうところで、やってくれたのなら、別にあそこまでの、真実を書くまでもなかった。

 ギャラリーアーチストスペースに戻ろう。そこは実際のオーナーは、埼玉県の額縁やさんだと、聞いているが、ほぼ、秋山裕徳太子さんの、お手持ち画廊として、機能してきた画廊である。で、このお知らせは、秋山裕徳太子さんが、銀座から、撤退しようとしている事を、私に知らせていると感じている。

 この山口みつ子さん他殺の件で、私が書いたこと(=秋山裕徳太子が果たした役割)が、あまりにも正しかったので、今、引退しようとしていることが、この、アーチストスペースの閉鎖という件に繋がっている。

 宮本和雄ほか、三人のスタッフの生活費は、どうなるのだろうか? 彼ら、鎌倉エージェントは、金銭的な面では、将来ともに、お手当をして行くみたいだ。だから、アーチストスペースの、スタッフ三人は、収入を失う事は無いだろう。それは、exibit Live and Morisの、オーナーだった森さんのケース他で、熟知して居るので、安心をしている私だった』

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  すみませんが、今は、31日の、午後三時です。本日になって、上の副題10を加筆し、さらに、そこから派生した画廊に関する文書を書き始めていますが、そちらも、そして、こちらも、完成を見ないうちに、外出をしないといけなくなりました。こちらの文章は、6月1日以降、続と言うか、その二として新しい文章を起こして、完成させます。次に、今日、ちらっと書き始めた、画廊るたんをめぐる話の方は、その後で、完成をさせます。政治的問題である、日大アメフト問題からは、離れますが、やむを得ません。また、『日大が、大損をさせられているのを、横目で、見ながら、私も同じですから、仕方がないねえ、ああいう敵を相手にしてはねえ』と、思っている次第です。しかし、将来、きちんと分析していくつもりです。私の方が、あらゆる点で、正しい事を語っているからです。将来、神様へのお供え物として、この件を書き表すつもりです。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問階位数は、467XXXXです。

 ここで、終わらせることと、今、決意しました。続きを書く時の為に、ここで、署名を入れておきます。

 2018年5月30日から、31日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

後注1、

上大岡で、小1男子をひき殺した88歳暴走老人が無罪放免されたのは、日本が無法地帯と、化した事を象徴している  2017-05-25 20:34:52 | 政治

後注2 ここでは、数本を纏めておきます。  

私への拷問の一手法として、画廊のトイレに鍵を掛ける話・・・・・佐野研二郎の盗作の裏をここで再び語ろう   2017-05-01 20:03:25 | 政治

大久保忠春君と山口みつ子さんの死は、秋山裕徳太子氏と保坂涼子=航子さんが引き金を引いたと、感じている。無論、実行者は、殺人専門集団だが、心理的には、そうなるのだ  2017-06-07 00:33:19 | 政治 

Climaxに、いよいよ差し掛かりますよ。その前に浜田知明とbutter不足が、山口みつ子さん他殺に関与していることを語りたい  2017-06-09 21:00:34 | 政治

東松山市リンチ事件の真相が・・・・銀座にて17-6-9に見た事から・・・・判って来た。やはり、真犯人は、CIA配下の警察の特殊部隊か?  2017-06-20 12:14:36 | 政治

東芝のメモリー部門の売り込み先に、政府主導で、韓国が加わったそうですが、何故なのか?+山口みつ子さんの他殺説、最終章△  2017-06-21 23:45:48 | 政治 

京橋に60階建てのビルが建つー1 Pen Stationを舞台にした拉致未遂が2014年にあったからこそ、その情報が今までNHKには出なかったのだろう   2017-06-24 02:57:09 | 政治

京橋の画廊で、私が大恥を搔かされた後で、大宅映子さんが、メディアを占拠。表向きは女性会員問題だが、実際はスタップ細胞疑惑を再度押す為だった   2017-06-26 01:53:06 | 政治

保坂涼子、金成悠子、杉田和美、黒田悠子、井上ひさし、瀬島龍三、石川和子、伊藤玄二郎、柳沢昇、前田清子、安野智紗、etc   2017-06-27 19:47:40 | 

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