銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

川名昭宣君のツネリのせいで I forgot my skirf in a restaurant. But that taugut me later all about CIA

2018-09-13 02:44:54 | 政治

副題1、『古村浩三君と、ベイカーさんと、石塚雅彦さんと、ロックフェラー四世は、国際基督教大学の男子寮に住んでいたと、私は、考えている。そこで、固い絆をはぐくんだと、見ている』

 私は後から考えると、既に、パリで殺されそうになっているし、次の年のニューヨークで、9階に住んでいるのに引っ越しの日にエレベーターが壊れるという憂き目に出会って(あと注1)・・・・段々に、ベイカーさんの真実やら、北久里浜の地籍変更届を実行した、瀬島隆三などの真実と、その悪意に、しっかりと、目覚めていくこととなります。彼らは、底流に生きていて、しかも、悪いことばかりしているので、決して表から、自分達の姿を、見せようとは、しません。必ず、誰か、身代わりの【ぱぺっと】を立ててを、それを、利用しますので、その因果関係を、解明していくのは、直、に、大部なミステリー小説を解いていくかのごとき様相を呈します。

 なお、ベイカーさんが、1960年当時の言葉でいえば、スパイ(CIAの)となったのは、かれがアメリカ人としては、小柄だったので、その劣等感からなったのではないかと、私は考えております。また、東部アイヴィーリーグの名門大学で、日本に来る前には、学んでいたとしても、出身が、中流家庭だったとすると、そこで、出自にまつわる悲哀とか劣等感に見舞われたかもしれないのです。アメリカの私立大学って、ものすごい学費がかかるので、普通は、富裕層しか行かないのです。しかし、何らかの、形で、異分子が混じると、異分子は、劣等感を、覆すために、CIAのエージェントとなるという形で、劣等感を逆転させ、他人を支配する喜びを手に入れられるわけですね。アメリカでも、本当の上流階級は、スレンダーで、背が高いです。180cm以上です。ベイカーさんは、162cmぐらいだし、それは、絶対に劣等感を持つ、背の高さです。ただ、顔はメルファーラーのごときか、もっと美形です。金髪碧眼で、金髪を際立たせる、紫色の、コーデユロイのジャケットを着て、いつも自転車で、走り回っていました。ただ、私は、突然にテリーから、ベイカーさんに会うように、言われて、あった最初の日に、この人は、CIAのスパイだわと、思ったし、また、それを目を見張るという形で、ベイカーさんに、知らせてしまったので、すぐさま、後ろから狙われて殺されそうになったので、彼とは、一切の接触をその後しておりません。彼とは、その日の前にも、一切の接触がないし、その日のあとにも一切の接触がないのでした。彼は、さすがに、私を避けたのだと、思います。でも、1960年代には、こういう真実には、私の方が、気が付いていなかったので、それは、幸いをしました。

 さて、ベイカーさんがどの寮に住んでいたかは知らないのですが、古村浩三君は第一男子ryouに住んでいて、かつ、石塚雅彦さんも同じだったと、思います。ロックフェラー四世が、住んでいたのも四人部屋で、石塚雅彦さんとは、一緒だったと、思いますよ。というのも石塚雅彦さんは、最近に、なって、私の方が気が付いたのですが、堤義明さんと、いとこでしょう。と、なると、ロックフェラー四世は、バックグラウンドを当然のごとく調べるでしょうから、石塚雅彦さんを特別に大切にしたと、思います。

 古村浩三君がどういう出自の人かはさっぱりわかりません。ただ、クラスに、別の、男子で、富裕層の、お坊ちゃんが、数人居たので、そういう人と比べるとエピソードが少ない人でしたね。まあ、驚くべきことに佐野ぬいさん(女子美の学長)の、弟さんもたった、23人のうちの一人でした。でも、威張らなかったですよ。ああ、ねえ。誰も知らなかったでしょうが、私は、「上位6%の税金を父親が納めているから、入学試験上位者がもらえる奨学金が出ない」と、事務室から、言われたのです。しかし、私の実家が、金持ちという事とか、美術的に言って、きれいな家に住んでいるというのは、一人を除いて、誰も知らないことでしたね。私は、ひどく目立たない、下手(したて)に出る方のおんなのこでしたから。

 けれど、石塚さんに言いたいです。麻布の出身でしょう。すると、東京都内の名門校ですよね。私は、お茶大付属高校出身です。今は東大合格者数で、名門校を決めるみたいなので、お茶大付属高校はランクが落ちちゃっていますが、入学しているお子さんの、実家の、民度を考えると、名門ですよ。

 少しは、私のことを、・・・・警戒するというか、もっと、大切にしてくださったらいいのに、どうして、あれほど、連続的にひどいことをなさっているのですか?・・・・と、言いたいです。古村浩三君が私をまるで、理解しないのは、仕方がないです。彼は、松本深志高校の出身だから、東京都内の高校のランクなど知らないし、文章を描いたり、絵を描いたりすることには、興味がないみたいだから、私の能力など、全くわからないので、足蹴にしてもかまわないと、思っているのでしょうね。

 それにね。彼らは、行動を起こすにあたって、正邪の判定とか、原理とか。論理とかは、尺度として使わないのです。人間関係の、濃さだけです。親密度だけなのです。私は、人と、親密な関係をあまり作ろうとしないのです。お酒を飲むこと、カラオケに行く事、それから、おしゃべりをすること、セックスを気軽にすること、そういう事をほとんどやらないのです。お喋りだけは、しますが、それも、よほど相手を信頼している場合だけであって、ほとんどのケースは、一人で、ポツンと、していると、見えるのでしょうね。

 ポツンとしているのが、好きなのは、常に何かを考えているからです。頭の中は芳醇ですよ。それに、実は、日傘雅水さんが、kounenn教えて、くれたのですが、手相の中に、金星帯というのが、右手にも左手にも、2本ずつあるので、本当は水もしたらるいい女の類だったのです。もてる類の女だったのです。ちいとも、しらなかったけれどね。本当は、市原悦子さんみたいになるのが、向いていたのでしょう。若き日に、歯を、なおしておけば、そういうながれもあったかもしれない。

 ともかく、私は作品として物事を発表するのは好きなのです。他人との関係を、そういうものを通して、間接的に行うのが好きなのです。絵を描き、版画を制作して、個展をする。パーティがあると、そこでお歌を歌う。そういう形で、他人と接触するのが好きなのに、リアルな世界で、誰かと、対面して、あれこれ、親密度を深めたり、親密度を示すというのは、好きではないのです。

 ここで、話していることはすべて、繰り言というたぐいのものです。だけど、石塚雅彦さんは、どうして、ああいう態度をとるのだろうね。(表に見えない裏のことですがね)と、不思議には、思っているのです。

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副題2、『渋谷駅から、山手線沿いに、岸体育館へ向かう途中に、イタリアンレストランがあった。今は無くなっているみたいだ。グーグル検索をすると、そこには、既に、イタリアンレストランはない。もし、私のパソコンが20台以上も、壊されるという事がなかったら、そのレストランの名前もはっきりと書けるのだが』

 ところで、古村浩三君は、一年時の同級生だが、エピソードの少ない人で、目立たない人だった。しかし、今思うとバックにロックフェラー四世を持っているので、自信たっぷりであったらしい。10期生全部の上に立てると、思っていたのだろう。従って、彼が音頭を取って、毎年、クラス会が開かれていて、私は、そこに、来なさいというメールをもらうこととなった。

 彼が主催するクラス会は、主に、居酒屋風の、レストランの個室で開かれていて、サラリーマンである彼が、友人や知人と過去に使った、場所、特に新宿が多かった。金曜日の夜に開かれており、サラリーマン社会の、勝ち組の出席が多かった。私は、そういう人達とは、カラーが違う方なのだけれど、画家とは、名前を売らないといけないものだから、世界的アーチストになるためにと、思って、毎回出かけていて、みんなと、お話し合いをしていた。

 2008年までは、平和な会だった。ところで、たぶん、2007年か2008年のことだったが、渋谷の、その今はなくなっているイタリアンレストランを、借り切って、行われた。とても、珍しい形式だった。いつもは、和風のインテリアで、内部が暗い感じの場所だったのに、その日だけは、明るい室内で、やや、さびれている、傾向がある、レストランであって、なんとはなく、私には、いつもほどの楽しさは、なかった。

 しかも、この日、私と川名昭宣君の間には、恐るべきことがあった。たぶん、それは、同期生の一人である、入江多喜雄君の死が他殺であることを意味しているのだろうと、思ったので、それで、私は、あまりに驚いたので、自分の、スカーフを忘れて来て、しまった。この節では、川名君の方は、後回しにして、スカーフに、だけ、まず、こだわりたい。

 そのレストランは、岸体育館そばなので、さびれている地域にあった。そこから、みんなが、渋谷駅の方に、降りてきたので・・・・・、一部の人は、二次会に、流れるみたいだった。私はその日は、川名君の態度に衝撃を受け、しかも、その意味合いが、たぶん、CIAが入江多喜雄君を殺した点にあるだろうと、思ったので、二次会には、行く気にもなれず、渋谷駅で、改札を入ろうとした。ところが、スカーフがない。私のスカーフはすべて、母が買ってくれたもので、忘れたのは、ポリエステル製なので、安い方だった。しかし、テキスタイル(繊維)を美大で、学んだ人が言って居たが、最近は、何でも値段を下げるために、生地を薄くしているとのこと。そのスカーフだけは、ポリエステルだから、生地が扱った。母には、何枚ものスカーフをもらって居たが、絹のものは薄いのだった。それで、友人が、殺されているのではないかと、思いながらもスカーフも大切なので、(苦笑)どうにかして、手元に戻したいと、思った。

 それで、古村浩三家に電話をかけることにした。ところで、此処で、ガラ軽とか、スマホの問題が出てくる。一般の人は、そこに、友人の連絡先を入れておいて,katu、最近もらったメール等も入れているだろう。だから、それを持っていれば、今、渋谷kennnaide、二次会を行っているだろう、古村浩三君と、連絡が取れるはずだ。しかし、私には敵がいて、CIAが暗殺をしてやろうとしている存在なので、スマホを持って出ると、そのGPS機能を利用して、行く先々で、いやがらせを受ける。だから、スマホには、誰の住所も電話番号も入れていないし、スマホで、メールを開けることもないので、古村君の、連絡先は手元にはなかった。しかし、個展の案内状をいつも各人間だ。彼の、住所は大体のところで、知っていた。田無か、保谷だったと思う。その二つの町は、市町村合併で、西東京市になっていた。風情のない名前で、古村君はそれをクラス会で、嘆いていた。それで、私も彼が、その時点で、西東京市に住んでいることは頭にしっかり入っているので、104で問い合わせて、番号を知り、家に連絡を入れた。

 その時点で、奥様が塾を経営していることは知っていた。で、塾を経営している女性は、夜が遅いはずで、10時近くなっていたが、電話をかけ、その失礼を詫びながら、委細を言うと、非常にのみ込みの早い、頭の良い奥様で、私は後日、無事に、当日渋谷のレストランにいた、女性の出席者から、郵送で、スカーフを受け取ることとなった。

  非常に短いやり取りだったが、『奥様は、古村君よりもしっかりしていますね。落ち着いた人だ』と、思った。声は、メゾソプラノ系で、しっかりしていて、声だけで、相手の、様子がわかる感じがした。したがって、塾は繁栄をしていると、思った。それが、宮川紗江選手と、奥様が、知り合いであるとの、結論に達したゆえんだ。10年前に渋谷で、スカーフを忘れたことが、宮川紗江選手問題の、本質を解き明かすこととなった。

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副題3、『宮川紗江選手の、訴えというのは、日大アメフト問題が内包している悪と、毒素を、薄めていく目的で、似た様な形で、選手側に記者会見を行わせたのだった。日大アメフト問題で、記者会見をした宮川泰介選手と、紗江選手は同じ苗字なので、親戚か、もしくは兄弟だと、思われる。

 無論のこと、石塚雅彦(日経新聞元論説委員)さんとか、飯田隆(元朝日新聞社勤務、一時期週刊朝日の編集長をしていた)君などの陰の力があって、ああいう目下のものが、めうえのものを訴える記者会見を開くことが可能だったわけだけれど、・・・・・ともかく、日大アメフト問題で、やられにやられた内田直人監督は、気の毒な人だった。財務事務次官と同じ。

 そして、日大も、気の毒な事だった。日本であh、真に実力のある人は生きていくことを許されない。細木数子とか、このうちだなおと監督とか、ホリエモンなど、みんな、同じだ。特に日大は、鎌倉エージェントのメンバーが早稲田。ICU,上智、中央大学等で、構成されているので、小ばかにされている。そういう事で、ああいう事件を起こされた。宮川泰介選手に、焦点を当てた動画が、繰り返し放映をされているのを見てもの、わかる通り、最初から、組み立てられていた、謀略だったのだ。ところで、それが、確定的に分かったのは、宮川紗江選手の方には、wikipedia が立っていて、紗江さんが西東京市の出身だと、出ていたことだった。

 スカーフを忘れた日に、声だけを聞いた古村浩三夫人の、奥様のしっかりした様子、塾が繁栄しているという推理から、何だ。宮川紗江、泰介両選手は、古村浩三、一家が、リクルートをした人材だったのだと、わかってきたのだった。それは、スカーフ一枚が機縁だったが。

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副題4、『しかし、今まで、書いたことは、これから、先に描くことの導入でしかない。私が、スカーフを、忘れたのは、それほど、驚かされた出来事が、渋谷の、イタリアンレストランで起きたからだ。

 それは、大氷山へ取り組むこととなる複雑な事案だけれど、主な登場人物は、テリー、川名昭信君、入江多喜雄君。渡辺某元朝日新聞記者(すでに、ガンで、死亡)と、私と、1967年に、千鳥ヶ淵で、飛び込み自殺を図ったが、助かった、S君と、成岡康司君の、七人だけである。しかも、入江君は、水死という事故で、渡辺君はがんで、既に、死亡なので、生きているのは、5人だけだ.soreha,く知っているのは、成岡康司君と、私だろうと、思っている。その次のレベルで、知っているのは、川名君。テリーは、入江君の死について、どこまで、知っているかは、わからないが、1967年の、ICU時代の、入江君の、行動を私に教えたという点で、もし、入江君が、他殺だったら、テリーが重要な人物となるのだ。

 ここに、こういう事を描き始めるのは、テリーが、私に対して行った悪とはベイカーさんに、私を引き合わせたことだけだと、後注1や2で言って居る。しかし、それは、違うのだ。もと。ある。

 しかし、一つだけといったのは、ほかのものが、難しすぎて、他人に説明しうる自信がなかったからだ。」それは、私が、これから、書き始める重要な案件をブログで、書き表す自信がないので、一つだけといっただけで、テリーがオブラートに包みながらも、対、私に対して行った悪とは、ひとつではない。いくつもある。この。入江多喜男君の死にまつわるエピソードなど、その最たるものなのだ。テリーには罪の意識がないかもしれない。しかし、彼女が、1999年か、2000年に、私に電話で、私に教えた内容が、入江君の死を招いたと、確信をするので、私は、本日、この、難しい話題に、取り組むことを、午後、2時ごろに決意をした。しかし、12時間ぐらいたっているのにやっと、導入部分のスカーフを忘れてしまったというところに到達しただけである。

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副題5、『川名昭宣君がどういう人物かをまず語ろう。表向きのは、河出書房新社の、編集者である。そこに入社する前に、フランス留学住だと、彼から、最近、聞いた。父君は、満州で、官吏もしくは大企業に勤めていたと、私は、推察している』

 今、NHKは、ドイツ文学者、池内紀氏を、ドイツに派遣をして、池内」氏が好きなSLの探訪をさせたり、日曜美術館に出演をさせたりして、大優遇をしています。それは、川名昭宣君を、私より、有利だと、見せつけたいと願っている伊藤玄二郎の発案でしょう。または、発案は、井上ひさし(公的には,jibunnwo死んだ事にしていますが、実際には、まだ生きていますよ)かもしれませんが、NHKに働きかけたのは、伊藤玄二郎でしょう。そして、伊藤玄二郎と、川名昭宣は、とても、親しいのだと、思っています。

 二人は、同期で河出書房へ入社しています。

 さて、上のところまで、13日の午前3時までで書き、その後、入眠をして、今、起きて、パソコンに再び向かっています。時刻は、午前八時です。続きの文章は、私の頭の中では、完成しております。しかし、それを、この章内で、書こうと、トライすると、確実に自分は死ぬでしょう。体力を消耗しきって自滅するという形です。

 秘匿されている殺人事案というのは、もし私が、このブログ内で、それの因果関係を、書けば山脈のごとき、大部なミステリーになるだろうと、思う事案を、5つぐらい抱えています。

 簡単に、被害者の方の、実名を挙げると、既に、因果関係を描きぬいてある、山口みつ子さんが殺された2010年の一月の一件、

 今まで、ブログでは、触れて来なかった(ただし、電話で、いろいろ、友人に話しているので,CIA側は、私が真相を知っていると、わかっているだろう)、この入江多喜雄君殺し、(2004年から、2008年の間のどこかで、行われた事案である。水死とされているが無論、他殺である)

 そして、父君が、文化勲章受章の数学者高木貞三氏であり、ご本人も文学博士である、高木きよ子先生、そして、古村浩三君の、おくさまと、おなじく、成功した塾経営者である、佐久間操さん(こちらは、2014年から、2017年の間のどこかでに、なくなっていると、不思議な形で、私は情報を、与えられている)など、などがあるのです。

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副題6、『入江多喜雄君の水死に疑問があると、見ている川名君は、その原因が、私にあると考えていた模様だ。そして、私に対して、復讐するために、その渋谷のレストランに現れたと、私は推察している。そして、彼は、実際に、私に復讐した。私の手を、彼の腕で、がっしりとテーブルに押し付けて、動かせない様にしたまま、手のひらを爪で、ちびりちびりと、つねり上げたのだった。いたかった。もちろん痛かった。

 普通だったら、「あら、何をするのよ」と、声を上げるところだろう。しかし、裏側にあるものを瞬時に悟った私は、声も上げなかった。しかし、驚きのあまり、スカーフを忘れて帰ってしまったのだ』

 その渋谷のレストランは、広さが、12畳程度の一間だけしかない、レストランであり、全部で、五個のテーブルが置いてあった。カウンターに近い四個に、ほとんどの人が群れていた。親し気に話し合っていた。

 川名君は、ドア近いテーブルに一人で座っていた。私は、1960年代の学生時代には、川名君とは、親しくなかった。

 会話すら交わしたことがない。しかし、自分で,本を、制作・出版する様になると、川名君をはじめ、出版業界にいる学友に積極的に近づいて行って、学びを得ようとしていた。

 それもあるし、

 テリーから、聞いている、

・・・・・・1966年にICU内部(ディッフェンドルファー記念館)の講堂で、起きたとされている、一種の、ことばによるしかも多人数による、たった、一人に対するリンチ事件と、その犠牲者が、千鳥ヶ淵で、入水自殺を図って、その後、救われて、精神病院内での、強制的、長期間・睡眠により、苦痛から回復したと、言う話の、主役(加害者の方)が入江多喜雄君であるので、・・・・・

 その件に関して、1998年ごろに、川名君に電話をかけて、あれこれを聞いている。というのも、川名君が主催して、大きな同窓会を、開いた。そして、その主意は、入江多喜雄君の復活を願う会だとも、聞いていたからだった。

 電話内で、直接川名君から聞いたことだが、彼は、入江君を高く評価をしており、入江君が退学、もしくは中退者として、ICU内部に市民権がないのは、かわいそうだから、入江君の復活を願い かつそれを祝す、同期会だと、言う。

 私は大変不思議なことだと、思った。入江多喜雄君は、埴谷尾高、もしくは、吉本隆明になりたいと、思っていたgakuseiであって、1965年から、1967年にかけて、ICU内で、起きた大学紛争の首領様だ。つまり、今の金正恩にあたる存在だ。しかも、彼のせいで、1968年、2月の入試が中止になってしまって、1967年度新入生というものが、秋に、入学した帰国子女以外は、いないはずなのだ。それで、その時点で、ICUは、急速にランクダウンをして、今では、上智の後塵を拝している。1968年より前は、ICUの方が格段に上だったのですよ。しかし・・・・・

 というわけで、入江君の裏に、ベイカーさんがいようが、どうしようが、入江君の復活を同じレベルの、学生である、川名君が行うというのは、おかしいことなのです。というわけで、川名君が、CIAエージェントの、一人であるという事は、私は、1998年から、見破っていると、言ってよいでしょう。

 彼については、wikipedia 等が、全く立っていないのですが、北野武監督の、フランスでの、勲章受章などの手配を裏で、行っていた可能性をも感じています。したがって、北野監督よりも、上位の、存在です。

 川名君は、それ以降も、後藤健二さん事件、スタップ細胞事件などに,kansite、ある程度の関与をしていると、思いますよ。

 しかし、それらの活動の陰には、ベイカーさんがいて、ベイカーさんが操っていたに、過ぎない哀れな存在だとも言えます。

 そう、あわれな、存在だから、復活させて、市民権を与えようと、しているのが川名昭宣君でありますね。

 ここいら辺は、100万字ぐらい使ってて、複雑な真相を描きたいところですが、本日は、さらっと進みます。

 繰り返しますが、私は、その電話内で、既に、1998年に、川名君は、CIAと、関係があると、見破っていたのですよ。しかし、リアルな世界では、喧嘩をしない主義の私だから、川名君との電話のやり取りで、すべてを私がわかっていたとは、彼は、考えていなかったと、思います。私がこれだけの、筆力をもって、真相を描きぬく人間であると、知っていたら、あのレストランで、ちびり、ちびりと、爪で、私の掌をひねり上げる。または、つねり続けるなどという事はしなかったでしょう。

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副題7、『川名君は、入江君が、死んだのは、自殺だと、考えていたのか? それとも、他殺だと、考えていたのか? それは、わからない。私は、入江君の死が、…・・・・散歩中、側溝に落ちて水死した・・・・・と、伝えられたが、そんなことは、ありえないと、思っている。

 今なら、大雨被害が多いので、そういう事案もありうると、考える人もいるだろう。だけど、このケースは、2004年から、2008年の間に起きていたので、土浦市に、大雨被害は、なかった。そして、散歩好きの入江君が、たとえ、思考が深くて、注意不足だったとしても、土浦市内の側溝で、人間が、窒息死するほどに、深い側溝があるとも思わないし、ガードレールがそこになかったとも思われない。・・・・・彼は、どこかで、後ろから、突き落とされたのだろう・・・・・と、私は思っている。その衝撃で、思わず、水を飲み込んで、窒息死したと、私は考えている。そして、その後、もう少し広い川に流れていって、発見をされたと、見ている。発見者自体がCIAの、ブルーカラーとしてのエージェントであったとも考えている。

 ICUキャンパス内で、既に、1965年に、後ろから首を絞められて殺されそうになった私には、そこら辺に

 しかし、川名君がそこまで、察知していて、私に復讐したとすると、それは、おかしい。彼だって、怒りの先は、CIAと、そのブルーカラー部門だというぐらい、わからないはずはない。

 でも、実際には、私に対して、怒りを向けて復讐をしてきている。

 ともかく、1966年の、ICUディッフェンドルファー記念館内での、言葉による、リンチ事件が重要だ。それにはベイカーさんと、テリーが深く、かかわっている。裏側での、日本支配の、エポックメーキングな出来事だった。

 そして、お堀に飛び込んだと、されている被害者が、なぜ、救い上げられたのか? むろん、尾行がついていたのだと、思われるけれど、その少年が、日比谷高校の出身者なので、同じく、日比谷高校に、進学した成岡康司君が助けたのではないかと、私は考えている。

 そして、実のことを言うと、この入江君の死が他殺であると、推察していたがゆえに、その数年後に、起きた、山口みつ子さんの死も喧伝をされているような、自殺ではなくて他殺だと、瞬時に分かったのだった。彼らは、無辜の人々(例えば、熊谷氏の六人ほか、)も、軽々と、殺していくが、有名な、人物(メディアには載らないが、その世界では、相当な、人物たち)をも軽々と、殺していくのだから。

 kokode,honjituは、閉めとしておきます。でないと、私は、死んでしまいます。疲労が濃くてね。

なお、このブログの、2010年より数え始めた、のベ訪問回数は、4899538です。推敲を終えたら、書いた日付と署名を入れます。リンク先や、写真も入れたらです。どうか、お待ちください。 

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