ところで、以下の一文は、公開してから、4日後の、20日に推敲加筆を終えました。
この一文ももしかすると、皆様は、他人の悪口ばかり言って居ると誤解をなさるでしょう。だから、こそ、誤字、脱字があると、困ると、思って戻ってきました。しかし、一万字以上を過ぎると、すごいお話が、初出として出て来るはずです。そうなると、ああ、そうだったのかと、私が本当に言いたいことの、一部がただしく、ご理解がいただけると、思いますよ。
副題1、『NHKが、報道する数値が正しいか、どうかについては、大いに疑問があるが?・・・・・しかし、100万人を超える引きこもりがいると、報道をされた。ざっと計算すると、30人に一人の子供が引きこもりになっているという事になる。中学の場合、一学年に一人が、予備軍になるという事だ。ウーム?!?!?』
NHKで、最近、30~60歳までの、引きこもりが、100万人を超えていると、報道をされました。NHKが報道をする数値には、疑問がいっぱいあるので、信じにくいところがあります。100万人というのは、00000と、ぜろが、五つもつづく数値だから、本当におかしい数値ですしね。しかし、この30年間、多い時と少ない時を、ならしても、子供が、少なくとも一年に、100万人は、生まれているので、30~60歳までに生まれた子供は、概算3000万人になります。そのうち、100万人が、引きこもりという事になると、ざっと、30人に一人であり、特に都市部に多いと、思うので、場合によっては、一つの中学校で、一学年の卒業生のうちに、3~5人が引きこもりになったという事となります。
しかし、家族が、みんな黙っているので、目立ちません。それでも、私は、五~七人ぐらいの、引きこもりの人を知っています。この二十年間に、付き合った人から聞いた間接的な引きこもりが六人ぐらいで、後一人は、私の心を心底、なやませた坊やです。一番、悩ませたのが、・・・・・彼のママが、友達であったと言うこと・・・・・で、母親の言動を知っていて、四十五年前から、間違って居る、間違って居ると、感じていながら、伝えようとしても、伝えようとしても、相手が聞く耳を持たなかったことです。私が、(主人が長電話を好まないので)、鎌倉駅周辺から、夜九時過ぎに、三千円のテレフォンカードを使っても、「その自殺未遂の件をあなたに教えたのは誰?、その名前を言って」と、それだけで終わってしまい、次の日に、大川美術館に行く前に、上野駅構内から、テレフォンカード、五千円分を使っても、同じことの繰り返しになり、結局、その時に伝えたかったことを伝えられなかったことです。その時期は、今から、25年前なので、携帯は、無い時代です。
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副題2、『母親と、男の子の関係は、フロイトの理論を、母親の方が、常に頭に入れて置く必要がある』
最近、驚くべき事件がありました。こちらの、ブログでは、何も触れませんでしたが、フェイスブックで、ちらっと書いたのは、取手市の事件です。事件が起きた時は、さして、重要だと、思わなかったのですが、最近裁判が行われ、罪に服すべき人として、妻を実際に殺した、夫と、その遺体を埋めるのを手伝った母親の二人の顔写真が、NHKニュースに出てきて、その母親が若く見え、かつ美人であったことです。60歳を過ぎているのですが、いわゆる美魔女の類であって、「もう、私は、ばーば(祖母)なのですよ」と、言う雰囲気がみじんもない事です。
心理的に言うと、母子相姦に近いほど、母と息子が密着していて、それを、知った奥さんから、あれこれ、改善を指摘されていたが、できない息子が面倒くさくなって妻を殺したと、推察されるケースです。母親は会社を経営していて、息子は銀行マンです。そんな、金持ち階級でも、道徳観がなかったという事で、世間がおどろいたのです。
フロイトは、エディプスコンプレックスと呼ばれる、理論で、親と子の相関関係に、性を持ち込みました。異性の親子は、密着しやすく、同性の親子は、反発しやすいという事です。
取手のこの殺人事件は、引きこもりではありませんが、引きこもりにお子さんがなる場合、母親側に、問題があるケースが多いのです。
私が、8000円もすでに、お金を無駄遣いしていると、自覚をしながらも、公衆電話から離れなかったのは、以下のことを伝えたかったからでした。
「あのね。坊やを一人住まいさせなさい。お金を、500万円上げる事・・・・・(これは、25年前の、金銭感覚で言って居ます。今だと、800万円から、1000万円の一時金が必要でしょう・・・・・そして、アパートを借りるまでは手伝ってもいいですが、その後、冷蔵庫を買うとか、洗濯機を買うなどは、すべて、お子様にやらせなさい。それから、絶対に訪問をしないこと・・・・・」と、言いたかったのです。
しかし、私が、8000円分もの時間を無駄遣いしながら、なぜ、簡単に、「ああ、それを言ったのは、お杏さんよ」と、答えてしまわなかったかは、此処で、初めて語りたいと、思います。
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副題3、『私は、大変な子供好きだ。それは、うちの子が小さいときに、ご近所ママから、言われたり、言葉ではなくても、態度で示されている。あそこに預けておけば安心だと、みなされている家であって、ツネに、小さな、保育所状態だったから。だから、此処で、仮名を、8050-1号ママと呼んでいる女性よりも、彼女の子供の方が心配なのだ。だから、8000円も、テレフォンカードが無駄遣いになっていることを自覚しながらも、ただ、ひたすらに耐えたのだった。
それと、同時に、彼女が、それよりも、10年前に、「こんど、PTAの副会長になったのよ」と電話内で、言ったので、思わず、「すぐやめなさい」と、強い口調で言った過去がある。まあ、その今から数えれば、35年前の、電話では、私が、彼女を、叱ったと、いう形になっているともいえる。これは、彼女にしてみたら、大変な屈辱だったと、思われる。それの復讐として、此処(25年前)で、彼女が高飛車に出ていると、思ったので、我慢をしたのだった』
それは、ほかの原因もありました。ICU在学時代のわたくしは、前歯の治療の結果として、金冠をはめていました。これは、容貌に対して、大きな劣等感を与えていたので、男子・女子を問わず、下手に出る方だったからです。
しかし、その中でも、本当に高度なタイプとか、お育ちの良い人は、私が、優秀であるという事を認めてくれていたのです。たとえば、私もその人を素敵な女性だと、認めているFさんとか、このブログによく登場する榊原節子さん(上皇后美智子さまの従姉妹にして東大教授のお嬢様にして、東京女子医大学長の、榊原什氏のお嫁さん)とか、笠松敦子(在宅のインディペンデント編集者だが、高級な書物の編集をしていた)さんとか、は、相当なレベルで、きちんと対応してくれる人でした。ただ、それらの女性も、CIAの手が裏から、入ってくると変わってくるのですが。
特に、お杏さんという女性が、1965年ごろから、既に、敵方にリクルートをされていたと、言うのは、この一連のシリーズのエッセイでも語っている事です。ただ、見かけ上は、それらの女性と同じく、高度な人と見えていた、8050-1号ママは、意外と、レベルが低かったと、言うのが、現在のわたくしの結論です。
だってね、彼女が、PTA副会長を引き受けたことが、引きこもりの最大の原因になっているからです。PTA会長は、ほとんど男性が引き受けて、地域の大金持ちが、なります。彼女の住んでいる町だと、地主が、なるケースでしょう。江戸時代から保有をしていた土地を、一ちょうぶとか,二ちょうぶを売ると、大金持ちになりますからね。一方で、副会長は、たいてい女性が引き受けます。こちらは、大金持ちではなくても、能力や人気で選ばれます。で、選ばれたら、一頭地を抜けたという形で、地域社会のスターとなります。うまくいくと、国会議員にまで、上り詰めることができます。
しかし、だからこそ、子供が注目をされます。しかも、学校側は、お役目を引き受けてくれたことに感謝して、成績に、下駄を履かせます。で、地域一位校とか、二位校に入ります。しかし、お成績に下駄が、履かせられているので、入学した後で、同級生に、ついていかれなくなります。すると、今までは、威張れた立場だったのが、急に反対になるので、そこで、曲がっちゃうケースがあるのです。そういうのは、メディアでは、浮かんでこないのです。人の悪口にあたると、思われますからね。しかし、地域社会に、本当に密着して、暮らしていると、色々な、ケースが目に入り、耳に入ってきますので、自然にそれが、わかってくるのです。
彼女はね。有機野菜の販売店の、売り子をしていたわけで、そこでの、説明とか、客あしらいが、親切で、丁寧だったので、人気が出て、そこから、PTAの副会長へ、選ばれることとなったのは、理解できます。しかし、それはですね。ゲゼルシャフトの世界です。行動パターンが決まっている世界です。やや、楽な世界なのです。何に比べてかというと、子供が小さいときに、子供の行動半径を広げて、人間関係の基礎を作るための、ご近所づきあいに比べるとです。
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副題4、『母親は、ゲマインシャフト(=ご近所づきあい)の世界を経験してこそ、やっと賢くなるのだ』
ご近所に、どんな人が住んでいるかは、現在の様に、住宅地が開発された町とか、マンションだと、全くわかりません。相手が、どういう実家で育ったかとか、現在の夫が、どういう実家で育ったかなどもわかりません。北久里浜で、私が往生したのはおかしを盗み食いするお嬢さんでした。私をなめ切って居て、叱っても、叱ってもやめないし、お菓子を隠しても隠しても探し出してしまうのです。母親に愛されていないという事はわかるのです。幼稚園に行かせてもらって居ませんからね。お父さんは、銀行マンで、収入が低いわけでもない。お母さんは、専業主婦です。これは、のちに横浜銀行と東日本銀行が提携することへつながったと、何度も書いています。
しかし、その前に、もう一人別のママがいて、「ルソーの、エーミールを高校時代の先生が、推奨なさっていたから、私は、エーミール風に育てます」と、言うのです。それでね、下の子が、年子で生まれて、そちらが歩き始めた途端に、3歳児と、2歳児だけで、外へおっぽり出して、外で、ずっと遊ばせるのです。それでね。我が家の隣に引っ越してくる前から、既に、誰か、ご近所おばさんに注意されているのですよ。だけど、反省しないで、別のところへ、転居して、今度は、私に預けるのです。彼女はエーミールを信じているので、「何のしつけをしないでも、人間は育つ」と思って居るのですが、子供って外でだけ、7時間近く遊ぶのは無理なのです。ルソーだって、自分の子供は、自分で育てていないのですよ。孤児院か何かに預けっぱなしなのです。最近、NHKETVで、ルソーについての番組があったはずです。これは、私のブログつぶしが狙いでしょう。よく、考えて動いていることと、苦笑しますが、敵さんが、NHKを支配していることの証明がここにも表れています。
元へ戻ります。道路で、ブリキの自動車を走らせていてもやがて飽きるのですからね。家の中で、色々なものを使って、創造性を発揮する様な遊びも大好きだし、それもやらせないといけないのです。だけど、家の中で、遊ぶと、大人側としては、困るものをいじられる可能性もありますね。それは、叱って教えないといけないのですが、しつけのできているお子さんだと、すぐやめるけれど、しつけができていないと、やめないのです。こちらの幼稚園不合格だった方のお子さんは、悪い性格ではない。お菓子を盗み食いするわけではない。だから、私は、幼稚園入園までの辛抱だと、思ってひたすらに耐えていたのです。しかし、障害児でも何でもないのに、幼稚園の入園試験には、不合格でした。彼女と、夫は高をくくりすぎなのです。
日銭は、すごく入ります。独立した運送業だから。牛乳専門の運送業だから。しかし、会社員ではないので、住宅ローンが組めないそうです。したがって持ち家ではなくて借家に住んでいます。その劣等感を・・・・・子供がご近所のどこの家の子供よりも、優れている・・・・・という事で、埋め合わせようとしています。・・・・・とても、小さいのに、すでに、自立していて、親がそばについていなくても遊べる・・・・・と、言うのが彼女一家、の誇りです。でね、幼稚園は、数園落ちたらしいのですが、其の落ちる前は、『まさか落ちるはずがない。うちの子は障害児でもないし』と思って居るから、私に入試風景を語ってくれるのです。私の方は、幼稚園の入試会場で、彼女とすれ違って居るので、同じ幼稚園を受験したことは知っています。
その時に、胸に食べ物のシミが付いている、Tシャツを着せていたので、びっくりしました。よくお受験塾で、ママのお洋服のご指導があると、言うでしょう。まさか、食べ物=醤油か、桃などの、食べ汚しが、ついた後で、洗濯しても落ちないケース)のついているTシャツを着せて、受験をさせるとは、ただ、唯驚きましたが、試験会場でのお子さんの様子を、聞いてさらに驚きました。はしゃぎ切って、部屋中を走り回ったそうです。ママは、それが、大得意みたいでしたが、幼稚園側では、『こういう子が入ってきたら、手間が、かかって仕方がないと思うだろうなあ』と、私が、思ったら、案の定、不合格でした。現在の日本で、普通の人として暮らすためだけでも、何個かの関所があります。其れを、4歳にして不合格と、言う憂き目を子供に、味わわさせたのです。かわいそうにねえ。
ある時に、この坊やが、ご近所の年下の男の子に、鉄筋で殴られていました。常に外で遊ぶように強いられているので、生きていく為には遊び相手が大切です。その上、幼稚園に不合格だったなどとは、みんなが知っているわけです。金持ちなのに、行かせていないわけだから、みんな、裏事情を、知っているわけです。だから、年下の子だってこの子に対して威張るし、この子は、下手に出るのです。鉄筋で殴られて、手で、防衛をしているのですが、「いたーい」と、叫んでいるのです。しかし母親は出てこない。ここで、出ていったら、自立をしていないという事になるからでしょう。私は目に余るので・・・・・(うちの子は、そこにはいないのですよ。でも、部屋から、見える限り、目に余りますからね)・・・・・電話をかけて、「カクカク、シカジカだから、早く外へ出なさい」と、ママに、いいました。すると、やっと出てきて、自分の子供の方を家に、連れて帰りましたよ。相手の親には、抗議をしないでね。それで、いいのです。ともかく、あれで、脳でも損傷したらどうなるのだろう。
私が保育所で、子供を育てるのを反対するのは、幼稚園だと、預かってくれる時間が短いのです。(今は違うかな?)。で、帰宅後の、自由時間があります。そこで、こういう事態に、遭遇し、それで、子供を、しつけることができます。また、今は、幼稚園も三年保育らしいですが、ともかく、三歳までは、手元に置いて、家の外か、家の中の両方で、自由自在に遊ばせられます。それで、何をやってはいけないか、何をいじっていけないかを、教えられます。保育所だと、遊びが限定されています。だから、本当のしつけができないのです。ほかにも、自分で友達を作っていくという経験ができません。今、現在、引きこもりで、困っているご家庭に聞きたいが、「小さいときに、保育所へ入れていませんでしたか?」と。
ともかく、日本は、被・植民地国家だから、奴隷状態でもあって、男も女も働け、働けと、追い立てられていますが、日本社会全体が、近未来には、壊滅的状況へ陥るでしょう。平成までは、かろうじて、戦前生まれとか、戦後の、苦境時代を知っている人がいましたが、令和になると、そういう人がみんな死ぬので、恐ろしい状況が訪れるでしょう。だけど、・・・・予言者は、世に容れられらず・・・・の典型で、私の言葉がメディアで、主流になることはないと、思います。一人一人の親がひっそりと、その真実に気が付いていくほかはない。
私の友達は、ほとんどが、専業主婦として、子育てをしています。ただ、自分の次の世代で、キャリアウーマンとして、娘を優秀な立場に置きたいと、思う人は多くいて、祖母として、孫の面倒を見ています。だから、幼稚園に行かせている筈で、自由時間は、確保して置いて、そこで、の、しつけ等を、やっている筈です。息子しか生まれなかった祖母の立場の人が、お嫁さんと協力して、孫を預かり、幼稚園の送迎をしていて、幼稚園帰宅後の面倒を見ているケースもあります。
数年前に、「保育所、落ちた。日本死ね」と、言う投稿が大きな話題になりました。あれは、普通のママが投稿した自然な、ものではありません。たぶんですが、今は、まだ、本当は生きている井上ひさしあたりが、得意になって作り上げたキャッチコピー原文で、(または、コピーライターとしての過去がある林真理子あたりが頼まれて作ったか?)其れを、山尾しおりあたりが、投稿をしたのだと推察しています。だから、山尾しおりが、あれほどに、いやなことを平気でしているのに、いまだ、メディアでは、重要視されていて、婦人公論で、誰かと対談をする様な記事が出て来るのです。AERAだったかもしれないが?
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副題5、『私は、長い間、外には、秘めてきたが、潜在意識の中では、・・・・・1983年二月、長男が、私立中学二つを、不合格だったのは、瀬島隆三たちが裏から手をまわしたのだ・・・・・と、思ってきた。これは、語るにあたって、非常に難しいことだったが、2017年7月に妹が他殺の憂き目にあって、突然に、腹を決めてものを書き始め、この恐ろしい事実を、下書きメモとして、非公開で、書き始めている。すると、NHKニュースが連動をして、それを否定する様に、あれこれ、報道をし始めたので、より、傍証づけられてきた』
この件ですが、此処で、傍証づけは致しません。しかし、もしかしたら、この章でも、後ろの方で、できるかもしれませんが今は、やらないで、ほかのことを書き始めます。
私は潜在意識の中では、それを、感じたが、当時は、其れについては、動かない人だったのです。今だったら、日能研などに、合格ラインを調べてもらって、先生と答え合わせをして、合格だったか、どうかは、判定できるのですが、当時は、そこまで、動くつもりはありませんでした。ただし、どこかの医大で、合格点を、受験者の、状況に応じて変えていくというニュースが、最近、出てきましたね。『それも、ああ、そうか、そうだったのだろうなあ。もしかすると、私のブログ、特に、した書きメモと、関係があるなあ』と、思わせるニュースの一つです。その医大では、浪人に対しては、合格ラインを上にしていたと、聞きました。浪人は現役より頭が悪いはずだと、みなされたわけです。女性に対しても差別があったと、聞いています。ただ、問題化してから改正していったと、報道をされています。ただし、私が子供が不合格だった事の傍証づけにあたるニュースというのは、これではありませんよ。下の方で語る、別の、多数のニュースです。
で、ここで、子供を傷つけたわけです。だから、その後、より年上の、15歳になって、受験に関して、お子さんを、親が主導して、学校選びをして結果として、不合格にさせて、傷つけている、8050-1号ママに対して、其の予定を、事前に聞いた時から『ああ、危ないなあ』と、心配のみぎりになったわけですね。
12歳の時の、我が子の場合ですが、その「二つの私立を受験しなさい」と、言ったのは、私ではありません。主人でもありません。日能研の先生です。うちの子の成績を見て、第二位レベルの、しかも、通学範囲に在る私立中学として、勧めてくださったのです。神奈川県では、栄光、聖光というのが、1983年当時、男子が受ける私立中学の第一位レベルでした。が、そんなところを狙ったわけではありませんよ。
で、親が導いたわけではないので、比較的、傷が少なかった方です。しかも、北久里浜のご近所では、ほかに私立中学を受験をするこどもが、居なかったので、友達と比較して、自分の方は駄目だと、思う気持ちは、無かったと、思います。友達と比較しては、です。しかし、彼の心底では、傷ついたと思いますよ。
それが、本人のせいではなくて、親のわたくしが、瀬島隆三たちの土地を巡る、大悪事の秘密を知ったためで、瀬島たちの復讐だっただと、すると、本当に、つらい事ですね。しかし、此処で、つらいと言ってしまうと、彼等はもっと、ひどいことをやってきますので、これは、本当に書くのが難しい問題です。
次の年に、北久里浜のご近所で、フェリスに入学したお嬢さんが出ました。我が家の、近所は、根岸町二丁目といって、当時は、10軒程度しか家がなかったのです。が、連続した、丘に在る、400戸程度の、別の分譲地、京急池田分譲地(池田町六丁目)で、或るお嬢さんが、フェリスに合格しました。前後6年間ぐらいの中で、たった一人ですよ。で、大いなる噂になって、あれこれ、内情が伝わってきました。すると、そこの家では、ママが、小学校へ、お弁当をもって車で迎えに行って、車の中で、お食事をさせ、それから、塾に送って、一度、親は家に帰る。ふたたび、夜の九時半ごろ車で、迎えに行って、今度も軽食を車の中で、食べさせる。家に帰ると、又勉強をする。それで、フェリスに入学できたと、の、ことです。
其れを当時のわたくしのママともたちは、とても奇妙な事として、噂をしあいました。しかし、それから、35年後の現在では、東京圏の、中流のほとんどの、ご家庭では、似たようなことをしていますね。そして、大学より高校、高校より、中学、中学より、小学校と、小さい年齢になるほど、受験が、楽だと、なって、私立小学校向けのお受験塾も今は盛んです。小さいほど、受験が楽だというのは、競争相手が、数として、少ないからです。で、小学校へ受験するための幼児教育塾があるわけですが、その種の塾の日本のトップクラスのところの、トップが、【かなこさん】といって、私を、2014年の高校時代の、同窓会で、いじめてきたと、言う話を最近しているところです。カリタス小に、子供を通学させていた、エリート外交官一家も、そういうご家庭の一つでしょう。
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副題6、『私は前田清子さんは、そういうご家庭の一つであって、東京で、ぼうやの、私立中学受験(1984年)に失敗したので、鎌倉へ逃げてきた一家だと、推察している。ただね。それ以前の段階で、・・・・・これでは、一位校には、合格できない・・・・・・とみて、引っ越しをして来たのかもしれない。そこのところはどちらかは、わからない。』
場所によっては、受験者が、多い公立小学校がある。私が卒業した、横浜市立・日吉台小学校もその一つで、50%が私立受験をするそうだ。それが、また、全国一の数値だった時期があるとか。読売新聞に出ていたそうだ。友達が教えてくれた。そういう地域では、どこそこに、合格したとか、失敗だったとかは、かならず、噂になるのだ。それで、子供なりに傷つくケースがあるが、それが次の段階での頑張りになって、いい大学へ進学する人がいる。日吉台小学校卒で、進学する先としては、公立中学を経由して、翠嵐高校があるが、そこが、今では、湘南高校を抑えて、神奈川県の、人気第一位の、公立高校となっているそうだし、翠嵐を出て、上智とか、慶応に入学する人は多いのだから…
私の妹は、田園調布に在る女子だけの学園に合格したが、私は「男女共学の方がいいよ」と、勧めて、彼女は、公立中学から翠嵐高校に行き、その後、千葉大へ、進学した。その妹の受験の六年後だったかな、行かない様にと、私が進めた女子だけの私立から、永田洋子という、リンチ事件で、妊娠した女性の腹を裂くという恐ろしい、女が出てきたので、公立コースを選んだ方がよかったのだった。何が幸いするかはわからない。まあ、私は、1961年ごろから、予感の能力があったのだなあと、自分で、自分をほめているけれど、違うだろうか? (苦笑)
前田清子さんに戻ります。私は、彼女から、多大な、被害を与えられているので、今から語る様なことを語るのだが、・・・・それも、今週さえも、被害が、おきたので、此処まで語るのだが、・・・・・彼女の家は、不動産やに言わせると瑕疵物件だ。以前住んでいた人が、造成を、建築基準法に違反する方法を取ったのだった。私道部分を出していない。
しかし、その家の、奥さんが、ご近所紳士を相手に、不倫騒動を起こして、悪い噂が立ったので、急遽引っ越して行くこととなったので、お安い物件として、売り出して、お安い物件として、前田家の、手に入ったのだと、思われる。いや、こんなことを私が知っているなんて、すごいでしょう。小野寺夫人は知っていましたか? 平木さんは、知っていましたか?(苦笑)
私の場合、別に探偵を雇って居るわけでもないし、電話を盗聴しているわけでもないのですが、神様が助けてくださるから、文章を書くにあたって、必要な事実はほとんど、座して手に入るのですよ。
・・・・・前田家の、建築基準法違反を、我が家の北隣の人が、責める為、または、攻めるため、または、復讐をするために、ついていったのです。なぜかというと前田夫人は性格が悪くてね。中学生並みの集団いじめをするのです。そのころは、そちらに住んでいた藤本夫人という女性が、前田夫人のターゲットだったから、藤本夫人が反撃をしたのです。それが、一メートルしかない道の真ん中に、彼女宅のフェンスを作るという申し出でで、そうなると、誰も、引っ越しもできないし、増築や改築もできなくなります。それで、私の家の私道部分が犠牲となって、コンクリート打ちをされたのでした。アジサイ畑欺罔事件として、何度も語っているし、雪ノ下黒物語として何度もそれを語っている話のことです。・・・・・
でね、大勢の私立中学受験者がいる地域で、失敗をすると、噂になります。特にお母さんが、ご近所から嫌われていると、噂になります。実は上に書いたフェリスに、合格したお嬢さんでも、お母さんが、ご近所から、嫌われているから、否定的なうわさで、もちきりだったわけですからね。どうして、お母さんが嫌われているかというと、『自分は、あんたがたとは、違うのよ。上なのよ』という雰囲気を出すからです。彼女の場合は、合格でも、不自然だと、言ううわさになったわけですが、それが、もし、不合格だったら、さらに、悪い噂でもちきりになります。それでね。其れを予防するために、前田清子さんは、お子さんが、
小学校六年生の段階で、逃げてきた可能性を感じています。鎌倉って、ブランド住宅街の一つです。で、御成小学校とか、おなり中学は、いい学校だと、みなされています。だから、此処を選んできたと、推察されます。
その時期ですが、実際の受験シーズンが始まる前に、予防的に逃げてきたのかもしれません。でね。前田夫人は、前の住宅街で、自分が嫌われていて、みじめな、つらい思いをしているので、こちらでは、失敗をしたくないと、思って居ます。それで、ボスには忠実に生活しようと願っているわけです。彼女は、一見すると強そうですが、実際には、弱い人です。弱い犬程よく吠えると、言うでしょう。その典型です。で、この山のボスは、安野夫人だと、彼女は、見抜いたのでしょうね。たしかに、私が、雪ノ下黒物語を公開ブログとして書く前までは、安野夫人がボスだったので、前田夫人は、安野夫人に過剰適応をして、彼女の家来として行動をしています。しかし、安野夫人はうまいから、学歴的に上である、大学院卒の前田夫人を、体よく上置きとして、立てながら、実質的に、自分が支配をするわけです。
前田夫人の、おなり中学のPTA活動を見ていると、見事にそれが、わかるのですよ。で、あれこれをすでに書いていますが、あそこの家では、お父さんも、昔から妻と一緒に、子育てをしています。特に小さいときに保育所育てだと、思いますが、お父さんが、送迎をしていると、みなしています。お父さんは、のちにフランス語とか、フランス文学の教授になっていく人ですが、それは、自分の家で、勉強とか、研究ができる分野です。しかもポスドクといって、収入が少ない時期があるので、お母さんは、ずっと、先生をして、生活を支えてきたはずです。
で、お子さんは、まずくするとまずくなる(というのは、現在問題としている引きこもり等の、青年となる)のでしょうが、お父さんが、お母さんより、穏やかで、出来が上だから、お子さん方は、ちゃんとした、生活者となっています。坊ちゃんは、三人もお子さんができました。ただし、お母さんが望んでいた通りの医者にはなっていませんね。それは、私が前報で、書いた、短大卒だけど、真実、賢いお母さんとは、違うポイントです。後者は、お子さんを二人とも医者にしました。普通のサラリーマンなので、ヒキや、コネは、全くない立場なので、えらいですよね。比較して、前田夫人を見ていて、賢い人だとは、とても思えませんので。
まあ、今度、彼女についてこの35年間に、感じているエピソードをまとめておきます。其れを読むと、絶対に賢くないと、いう事が読者の皆様にも、はっきりとお分かりになるでしょう。だって、三人のお孫さんを、CIAの道具として使うのですよ。チヨコレート遊びを、しかも、夜やるなんて,とても、賢いなんて言えません。しかもよその子まで、CIAの悪の手先として使うのですから、驚き入ります。それは、以前書いています。リンク先をここでは示しませんが、周南事件他、数多い事例があります。
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副題7、『私は、長男が受験に失敗したので、逃げてきたわけではない。ただ、此処への転居は、今考えると、瀬島隆三たちが組んだわなだったと、わかって来ている。前田夫人や、安野夫人、そして、そのころは、生きていた、石川和子さんなどは、私をいじめる様に、どこかから(例えば、中谷共二氏から)、誘導をされていた可能性がある。で、・・・・・たこつぼ的、閉鎖状況の中で不利、不利の状況を重ねていって、つぶしていこうという策謀のもとに、北久里浜の我が家に、この山の売り家・一軒分だけ・・・・・の情報が何回も入ったこと・・・・・なのだった・・・・・と、今では考えている』
私は、受験騒動の前に、既に、この山へ、売り家を、見に来ています。今、考えるとありえない広告でした。三浦半島に続く、横浜市、鎌倉市、横須賀市、逗子市などは、間に峻険な山があるので、東京湾沿いと、相模湾沿いは、連絡がしにくくて、お互いに、行き来するのが、不便で、不動産やの、チラシだって、画然と、扱い物件に差があるのです。しかし北久里浜の我が家の、ポストには、A4一マイの紙に、大きくパソコン印字された、こちらの鎌倉市雪ノ下二丁目の、山の中の売り家・一軒分・だけの広告・が何度も入るのでした。
そのころは、この雪ノ下二丁目の、特殊な環境は、今よりももっと自然環境は素敵でした。今は、前田祝一氏が先導になって、木々を、多く枝払いしたので、すっかり、普通の、田舎になってしまいましたが、34年前は、まさしく、深山幽谷の気配のある地帯だったのです。ただし、最初に見に来た物件は、敷地の余地が、もうない物件である上に、床が傷んでいて、抜けそうでした。この山は、湿気が多いのです。すると、全部を建て直しをしないといけないが、それは、ちょっと、金銭的に、無理でしたね。前の家を売らないで、買うつもりでしたので。・・・・・それで建て増しの余地がある、今の家の方を、最初の訪問から、二年後に買って、東側に在った余地に、総二階15坪を当時も、坪単価100万円で、増築したのです。人力でしか材料を運べない高い山の上なので、建築費は、とても、高いです。それで、やっと快適に暮らせる様になりました。特に子供たちが独立した後の33坪で、夫婦二人だけで、暮らしていますから、夫婦・別・寝室にもできるし、早寝型の主人に嫌われながらも、それでも、ブログを真夜中に、書くこともできる生活となりました。OK、OKです。
しかし、35年前には、この家への転居には、娘が大反対をしたのです。その35年後に、丁寧に、考察すると、この家に引っ越してきたことは、娘には、意外とメリットがあり、息子の方には、ディメリットばかりかなと、いう事となりました。皮肉な結果になりました。
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副題8、『1985年になって、初めて知ったのだが、神奈川県の場合、高校への、中学からの内申書は、中二の、二学期のものを使うのだそうだ。これは、唯、一点、私いじめの処方だったと、思う。中学期なんて、子供はひどく変わる。だから、三ねんになって、急に、伸びる子もいるだろう。しかし、中二の二学期に限定されるそうだ。
それは、三ねんの、二学期になってから、初めて知らされた事だったが、我が子は、横須賀から、鎌倉へ、引っ越してきた途端にもらったのが、中二の、二学期の通信簿で、そこで、横須賀時代と、各教科全てが、一ランク落とされていたのでした。私は、横須賀市と、鎌倉市では、民度が違うから、こうなるのだろうと、あきらめていましたが、次の年に、中二の二学期の通信簿の成績を高校受験に使うと、聞されて愕然としました。引っ越しで、行われた、ゲタを穿かせるのの、正反対の措置で、優秀な子だった、はずの我が子が、とても、成績の悪い子と変化していたのです。しかし、中二の、二学期、中三の、一学期と、段々回復して行ったのです。しかし、その回復が反映されないのでした。この措置が、思い過ごしではないことは、それ以降、一万軒以上上げることができる、いじめいじめの連続があるので、証明できます。
こういうことを言っても、読者の中には、さもしいことを言って居る。嘘でしょう。きっと、あなたのお子さんは、成績が悪いのよと、おっしゃる向きもあるでしょう。だから、今までは、こんなことは語りませんでした。しかし、今は、いろいろ、判明した事情があるし、例の、8050-1号ママに対して、どういう気持ちで、私が接していたかを説明するために、これが、必要なのです。で、語りました。
私は、自分の子がいろいろ、不利になっているのは、例の連中の悪(*1)・・・・・水道山1200坪と、其の北部の土地等は、水道山の端だった筈、800坪・・・・合計2000坪をタダで私有化した・・・・・を、
知っているからではないかと、潜在意識の中では、ひそかに心配はしていました。しかし、性善説の人である私は、
・・・・・まさか、彼らが、そこまでのことをすることはない・・・・・と、信じていて、そういう風には考えなかったので、無事に、私も生き抜くことができたし、子供も生き抜くことができたと、思います。ただ、成績を悪くされた損失は、回復できてはいませんよ。社会階層上の、表むきはです。でも、主人が、あの子はいい子だと、言いますし、色々なポイントで、私もそう感じます。しかし、それを書くと、又、そのポイントで、攻撃がありますので、何も書けません。
時々、主人に、自分の心配を手紙に書いて知らせますが、「心配するな。彼は、とても幸せな人生を歩んでいる」といいます。ここから先は、3日後に入れる挿入ですが、昨日(19日、水曜日が、勤務が休みである)も遊びに来て、釣果のキスを置いていって、そして、私の作った焼うどんを食べて帰りました。子供のころの、私の料理がおいしくなかったと、言う思い出を、給食と比較をしながら、大いに、しかも、笑いながら語ったのですが、焼うどんは、おいしかったそうです。まあ、私にできる事は、ただ、唯、忍耐強く見守ることだけしか、ないのです。その見守るという事が、大きな、エネルギーを必要とするのです。
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副題9、『1970年代に、子供を産んだ親は、相当に大変だ。子供の数が多く、しかも経済は、下り坂になったし、・・・・・しかも、子供は親の時代ほど、楽に大学へ入学ができない時期になっていたので』
私と同世代の、親子では、問題が、たくさんある時代でした。非常にスムーズに行って居る様に見えても、就職してから、引きこもりになったりしてね。親は、気が休まる時期がないと、いうほどでした。
親自体は、大学を出ています。しかし、子供は、親と同じレベルの大学へ進学できるかどうかに、自信が持てません。どうしてかというと、親世代より、はるかの多くの人間が、数として、大学受験に挑む様になったので、いわゆる突破できる偏差値が上がったのです。子供は、親が言わなくても、敏感にそれが、わかっています。で、そこから、自信を無くしていきます。
しかも、以前と違って、社会全体が豊かになっていて、したがって、親子共に、大ヒット朝ドラ【おしん】の世界に見られた、忍耐力が欠けています。努力をする度合いが、小さいのです。テレビゲームなどの娯楽もあるし。テレビそのものも家庭で、手に入る娯楽ですし。母親の方も、電化製品を使って居るために、家事で、苦労をして居る様には見えません。したがって、子供の方に、母親を大切に思う気持ちが欠けています。親の為に頑張ろうなどと、思った、今から、50年前の、世代とは、違うのです。画然と違うのです。、
その上に、単純ではなくなっています。何がといって、生活すべてがです。親世代では、テレビは、見ないで、勉強をしたものです。テレビは、総・白痴・化を促すものだと、大宅壮一が言って、いました。其れを信奉したわけではないでしょうが、私の両親は、私にテレビをみるのを禁じていました。しかし、私は、自分の子供に対しては、そんなことは、禁じられません。
:::::::::ここで、挿入に入るのを許してください。或る時、歌舞伎座で知り合った素敵な、奥様が、自分は、全くテレビを見ないのだと、言って居ました。彼女自身、高校の先生で、かつ、お子様は、医者だそうです。そして、自分もお子様も、アマチュアだけど、交響楽団に入っていて、弦楽器か何かを担当していると、聞きました。私は、『今時の若い人の中に、まだ、こういうエリートも居るのだ』と、ひどく驚きましたが、それはね。・・・・・自分は、絶対に上流階級であって、そこから、下へ、は、落ちません・・・・・と、言う自信のあるご家庭は、そうなりえます。私がお歌を教えて貰った、音楽の先生は、徳川慶喜公の曽孫でいらっしゃって、ご主人も元華族様の出で、しかも、仕事が大学の学長ですから、テレビは、一切見ないそうです。非常に古い丸っこい、受像機が置いてありました。
ただ、それから、ほぼ、30年後の、歌舞伎座で、目の前にもあったから、驚いたのです。世代的には、徳川様の子孫よりは、50歳は、若い人です。だが、そういうエリート性が、数十年続くとは、思えないのが、現代日本なので、私は、ただ、唯、目を丸くしたのです。なんというか、社会の中での定常性が、失われていて、激変が訪れているのが、現代日本です。中流階級の失墜と、二極化が、言われて久しいですよね。
三代続けて東大へ入れるのは無理だったわと、言ったお友達がいましたが、医者にするという意味だけでは、・・・・・三代も、四代も、続けて、医者をしています・・・・・というご家庭もあるのでした。しかし、一方で、子供のことで、うまくいかないと感じて、悩むご家庭もいっぱいあるのです。どういう違いがあるのか?
不思議な事ですが、そういう社会で、でもあるのですよ。今の日本はです。で、挿入から元へ戻ります。::::::::
私は安野智紗夫人という人にも、ひどく苦しめられています。それも、雪ノ下黒物語で、書き続けていますが、警察から合鍵をもらって居て、自由自在に夫婦で、侵入して居ると、みなされます。最近、珍しいタイプのお化粧品が、二つも量が減っていて・・・・・と、これは、彼女がやっていることだろう・・・・・と、思い当たりました。布団に縫い針(わたくしが、持っていないタイプの太いもの)が、刺さって居たり、いろいろ、異様なことが、我が家には起きていて、その種の・・・・・合鍵を持っている泥棒は、四種類ある・・・・・と、言い続けてきていますが、そのうちの一人は、だいどころ用品とか、指ぬきとかを盗むのです。食器洗い用のスポンジをいくつ買ってもなくなる。と、思って居ました。本日は、腕時計が二つ無くなっているのにも、気が付きました。ベルトが茶色いものは、夏は使わないのですが、いつの間にかなくなっていました。ベルトが白いものは、外部から、時々壊されるのですが、二か月前に、ヨドバシカメラで、「直すと高い」と、言われていて、あきらめているのですが、時々、敵にさんの意思が変わると、動き出すので、保存をしてあったのですが、その二つが盗まれていたのです。で、そこから、あっさりと、これも語ってしまいますが、
安野夫人が、略奪婚の人だと、言明するのは、彼女が。中学生と、高校生の母親であるのにもかかわらず、しかも三人の子供がいるのにもかかわらず、毎日家の前で、井戸端会議を開いているからでした。
14歳の壁というのは、最近、はっきりといわれる様になりました。そのころ、親の命令を聞かなくなるのです。第三反抗期というのかな? で、親は、自分の態度を変えないといけません。それが、又、しんどい事でもあるのです。我が家では、生まれ月が早いうえに、体格も大きかったので、13歳から、それが、始まりました。で、「この時代を、平気だったわ」などという親は、超鈍感な親です。
私は一ノ瀬智恵子さんのことを、あれこれ、書いていますが、彼女は、画家のくせに、超鈍感だったと、思えます。私は、葉山の美術館で、片岡球子展の初日に、帰途、彼女と、横須賀線車中で、一緒だったのですが、その時にすでに、ひどい目に合わす渡辺豊重さんを、批判しないものですから、『この人は、将来お子さんのことで悩むことになるだろう』と、思って居ました。渡辺豊重さんは、貧乏で育ったそうで、それなりの、いやらしさを持っている人だから、私をいじめても、仕方がないのです。しかし、一ノ瀬さんは、育ちがいいのですから、他人をいじめたりしてはいけません。で、『これは、まずいなあ。恐ろしい将来が訪れるだろう』と、思ったのです。その通りになったわけですが、まさか、殺人事件に、まで、発展をして、お子さんが、恐怖に遭遇しながら、亡くなるとまでは、思っておりませんでしたよ。・・・・・将来、この人の、お子さんは、引きこもり状態になるだろう・・・・と、言うぐらいの想像でした。そして、彼女は、友人ではないので、おせっかいはせず、何も注意もせずに、わかれていますが。あの事件の当日だって、朝、何度目かの事として、警察に訴え出ているのですよ。その上で、お子さんの帰宅時に母親が家にいないなんて、考えられないほどの不注意です。どうして、他のストーカー犯罪を研究しなかったのだろう。そして、家にいればあの男の子が、室内で、動く気配も察することができたはずです。または、男の子が、犯罪へは向かわなかった可能性もあります。どうして、ああいう、非常に大切な時期、日時に外出をしたのかが、わかりません。よほど、鈍感なのだと、思います。
吉祥寺から、鎌倉へ戻ります。
エフェソスの円形劇場で、最上段に登っていた時に、舞台で、柏手(かしわで)を打っている別の観光客の手の音が、二千席もある、座席の最上段近くで、きちんと聞こえるのです。
この鎌倉雪ノ下の、山の地形といったら、それと、そっくりで、安野夫人の井戸端会議は、まさに舞台の位置にあるので、直線距離で、15メートルぐらいの位置に在る、我が家からは、内容が、全部聞こえるのです。なんとくだらない会話だろう、と、ただ、唯、びっくりしました。それは、1984年の事でしたが、其の10年前に、横浜市・東本郷住宅で、『私は短大卒だから』と、常に卑下するお友達と話した内容と比べても、数段劣るのでした。で、『どうしたの? ここって鎌倉でしょう。ブランド住宅街なのに、どうしてこれほどに、くだらないの?』と、疑問が出て、考え始めます。すると、そこに参加している人が、別に友人同士でもないと、言うことがわかってきます。その会議は、ただ、唯、安野夫人が、ボスとして、有利になるために、情報集めの為に開いているものだったからです。そこから、『何だ。そうだったのか!』と、思うほどの、色々なことが、わかってきます。すべて、彼女の行動様式を見ていると判明することなのですよ。【頭隠して、尻隠さず】とは、彼女の様な人を言うのです。
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副題10、『というわけで、13歳から、20歳までの子供を育てている母親とは、とてもしんどいものだ。それなのに、そこで、大丈夫、何も苦労をしませんでしたと、いう母親は、よほど、鈍感だと、思われる。それぞれの家庭の、事情は、違うが、既に、五才の時から、そのお子さんの、行く末を心配していた、8050-1号ママのケースは、大いに悩まさせられた。
一ノ瀬さんとは、違って、寮で、朝、晩を共に過ごした仲間だったし、卒業後もグループで、何度もホームパーティをした仲間だったから。
私は、彼女が、お子さんが、中学の時に、働くことは反対だった。そのしんどい時期に、丁寧に、お子様を見守るためには、よほど、注意深くなくてはならないので、ご主人から、「おくさまではなくて、そと様だね」と、言われるほどに、外へ出て活動をすると、当然につかれてしまうからだ。ただ、唯、心配して見守っていた。次の次の章(あと注α)で、とうとう、その会社の、実名を語ることになるが、ご主人は、有名出版社勤務なので、高給取りである。妻が働く必要は、みじんもない。
そして、子供に、必要なものを与えるのには、タイミングというものがあって、既に、彼女は、タイミングを逃していると、私は見ていた。しかし、「PTAの副会長は、即座にやめなさい」と、言えたが、お仕事の方をやめなさいとは、言えなかった。人生のすべての局面に、おいて、そこまで言っては、出しゃばりすぎとなるだろう。
だけど、15歳にして、無気力だと、いうぼっちゃんを、家に残して、外へ出歩くのは、全く間違って居ると、思ってはいた。愛情不足なのだ。『母親は、僕の事なんか愛していない』と、坊やは、考えている。それは、小さいとき、彼女が、お子さんよりも、自分を大切にしてきたからだ。お子さんが、発するサインを読み取るという事が少なかったからだ・・・・・と、推察していた。愛情とはエネルギーなのだ。それをいっぱい浴びた子は、元気いっぱいだ、活気にあふれている。
しかし、愛情を与えるべきだと、言っても、日本では外国の様に、子供をハグしたり、キスをしたりする習慣がない。
ああ、ここで、急に、思い出したが、あの大奥さんと、さいきんでは呼ばれている、お子さんを二人とも医者にした短大卒の、奥様は、ご主人が外出するときに、「必ず、お互いに、抱き合ってキスをする」と、言って居た。毎朝の事だそうだ。それをお子さんにも、見せると言って居た。それから、お子さんを強く抱きしめるとも言って居た。ご主人が外語大卒なので、照れないで、そういうアメリカ式マナーに、応じてもらえるみたいだった。
しかし、我が家ではそれは、無理だ。で、私は、あの頃、プリンを作るのに凝った。必ず、子供が帰宅を、したときに其れを、出して、それを食べさせたのちに、私自身は外出して、図書館へ行った…子供たちだけが、家にいる時間を二時間は作った。それは、リラックスさせるためだった。「パソコンゲームをしては。いけない」とは、私は、言わない。だが、子供自身が自己規制をして、やらない。だけど、やりたいのだ。私自身、子供が留守の間、ドラクエIIIから始まって、Vまで、やったが、非常に面白いので、『こどもは、これを、やりたいのだろう』と、思う。だけど、親が家にいると、自己規制をしてしまう。親の目のない時間に、それを自由にやらせたいと思ったのだ。だから、外出をした。図書館に行った。
いじめで、自殺をしてしまうお子さんが、NHKニュースで、報道をされると、『お母さんは、何をしていたのだろう』と、思う。学校から帰ってきたときに、その様子を見るのは、非常に大切だ。無事であるか、又、機嫌がよさそうか、そういう観察をするべきだ。そして、無事では無かったら、何とか、配慮を、するべきなのだ。
そう言う注意深さを、親が、見せることが、大切だと、思う。特に子供に、問題があると感じたら、其れをするべきだ。そして、それは、結構しんどいことなのだ。報酬をもらえるわけでもないし、昼間は、孤独だし、誰からも褒めてもらえるわけでもない。しかし、中学生などの時期の子供に「愛しているよ」と、示すのは、せいぜい、このくらいの、やり方しかないのだ。その注意の仕向け方が、少ないと、立派なご家庭でも子供が曲がってしまう。子供自身が勝気だったりすると、不良のリーダーになるし、おとなしいと、引きこもり状態に陥る。
東京綾瀬市の建売住宅の中で、無関係な女子高校生を策略をもって、拉致して来て、軟禁をして、火をつけたろうそくから、滴り落ちるロウを、被害者の、股の間にたらすなどの、性的、いじめを繰り返して、40日後に死なせてしまった、【少女コンクリート詰め殺人事件】が起きたのも、そのころだったし。この恐ろしい事件も、同世代の子供が起こしたものだった。主犯の親だが、父親は、証券会社(当時は、人気の職種で、エリートが、入社し、高給を取っていた)勤務であり、母親は、音大出(?)のピアノ教師だった。その年で、音大を出ているとは、お金持ちのお嬢差だろうが、お子さんを、本当に愛するとか面倒を見るとか、いう事よりも、自分のピアノ教師としての、キャリアを大切にしたのだった。
私自身は、幼児期に子供に多くのエネルギーを注いだと、言う自信があったので、小学生の時期に、ちょっと、であるき、過ぎた。特に、三鷹のICUまで、学習に行って居た。それは、合計、9時間、又は、それ以上の長時間、外出すると、いう事だった。それは、小学三年生の子供にとっては、大問題だったのだ。だから、中学期に難しくなった。その上、私立中学入試を、外部から、瀬島龍三に阻止された可能性があるので、さらに難しくなっていた。だから、中学期は、家にいて、最上級の、エネルギーを子供に注いでいた。そういうつもりがある。だけど、目に見える形は、ただ、帰宅時に家にいて、「お帰りなさい」と、言うだけだ。そして、二時間ぐらい外出して、その後、帰宅をし、一緒にご飯を食べ、テレビを見る。それだけだ。だけど、何かを指導したい気持ちを抑えるのは、相当に大変で、それに、エネルギーが要る。口に出して指導をしては駄目だ。絶対にダメだ。
でも、ありがたいことに、無気力になったことはない。それに、ひどい通知簿と、内申書でも、ともかく、輪切りといわれた時代に、第三位校だけど、県立高校に入学できた。うーん、というか、あの時代、私立高校と違って、県立高校の特に第三位校だと、大学受験が難しくなる。でも、ともかく、そういう成績でも大学へ入り、アルバイトをして、恋愛もして、結婚もした。子供も生まれた、マンションも、現金、一括で買った。親は、結婚式の費用も出していないし、マンションを買う援助もしていない。そして、結構賢いと、思う。いう事を聞いていると、そう思う。最大限、幸せとは言えないが、主人は、あれで、いいのだと、言う。私は、彼が、職場まで奪われる攻撃を受けているので、、いまだに気が休まる暇もないが、手を出すな、口を出すなと、主人に言われているので、こういう文章を書いて、彼を守るしかない。だけど、いつも守りたいと、思って居る。
そして、今は書けないけれど、時期が来たら、あのことを書こうとか、このことを書こうとか思って居る。
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副題11、『1985年の冬に戻ろう。我が家では子供自身の意思で、受験する高校を決めた。三者面談というのがあったが、親の私は、何も口を出していない。それの前にも、家では、何も口を出していない。すべては子供の意思で決めた。これは、神奈川県の様式なので、違う県に住んでいる、8050-1号ママに、状況は、どうなっているのと電話をかけて、聞いてみた。すると、結果としては別の事に入ってしまったのだった。しかも、とんでもないことを聞いてしまったのだが、特別なルートの入学試験の事を探るために電話をしたのではなかった。それは、天地神明に誓って言って置こう』
神奈川県では、当時、輪切りといって、先生が、内申書で、子供の受験先を決めるシステムでした。子供の自由はありません。ただし、県立と併願して私立を受験すれば、県立の方で、冒険をして、自分に提示された高校よりも上のランクの学校を受験することができます。そういう状況下で、別に負けたという気分ではなくて、自分自身で、明るい気持ちで、第三位校を、決めたのです。
さて、電話をかけてみると、8050-1号ママは、とても明るい感じで、新設の私立があって、そこは、成績(特に通信簿とか内申書とかペーパーテスト)ではなくて、個性で、選ぶので、アメリカ式であって、云々、カンヌんと続けました。
其れを聞きながら、私は、うん、いい手を考えたなあ。逃げとして、これほどいい手はないと、思いました。そんないい高校なら、自分の子がそこを受験できるだろうかと、考えました。
だってね、現在の日本では、人間はすべて、学校の成績で、ランク分けをされます。しかし、それだけで、優劣を決めるのは、つらい事です。もっと別の面で、いいところを持っている子供は、きっといるはずですから、我が子も、そういう風に、個性を認めてもらえるのなら、そこを、受験したいものです。しかし、一瞬で、鎌倉から、そこへ、通学するのは、無理だから、だめだ。と、考えました。私の場合は、逃げの一手はないのです。でもね、・・・・・自分は、PTA副会長ではないのだから、いいわね。別に地域社会で、注目されている立場でもない・・・・・と、考え直しました。だから、逃げの一手は必要がないのです。
ただね。これは、35年は前の話です。インターネットもパソコンもない時代です。坊やが、自分で探し出してきたわけではないだろうとも考えました。そして、『それはまずいなあ』と、思いました。『彼女は、何にも分っていない。相変わらず、自分優先だ』と、思いました。続いて、・・・・・自分の名誉を守るために、そういう新設校を探し出してきたのだだろう。アメリカ式の教育をするというのは、知的レベルが高くて、いい仕事をしているご主人側に入ってきた情報だろう。それに、一家は飛びついたのだ。だけど、一点だけ危惧は残っている。子供自身が選択をしていないらしいことだ。・・・・・と、そういうようなことを、一瞬で、考えるわけです。が、すべては口に出せないことです。だから、ずっと黙っていました。
私が黙っているという事は賛成していないという事です。これが、後日彼女から、「あなたは、私を操作しようとしている。だから嫌いなの」と、言われることへつながります。で、それはさておき、後日ではなくて、その日に戻ります。
私がずっと黙っているので、彼女は、うらやましがっているとでも考えたのかな。さらに説明を加えました。「演劇という項目で、受験をするの」と、言いました。ここでちょっと訂正をいたします。
長らく彼女の同期生が、有名俳優になったので、彼女は、その男の子が高校時代は、おとなしかったので、自分の子供も演劇ができると考えていると、言ってきました。でもね、今ねんの為にwikipedia を、調べたところ、当該の、俳優は、兄弟が、三人いて、全部有名な俳優なのですが、三人とも彼女より年上でした。それは、2019年6月16日に初めて知ったことです。でも、そうなると、彼女がどうして、自分の子は演劇に向いていると考えたのか、その理由が、皆目わからなくなります。実家が、其の俳優一家と親しいのかな? お隣同士だったりして。それで、何らかのコネを、頼めるとでも思ったのかしら。
まあ、ともかくの事として、其の坊やが10歳の時に、既に、一種の引きこもり状態、(心理的に言えばデス。友達を作ることができない状況下に在る)を、私は、知っていたわけです。その上、おや自身も、15歳の彼を指して、「無気力なの」と、私に、言う状態なのに、どうして、すべての志願者が、自分を打ち出す激しい世界である演劇に、向いていると、考えるのか、今日にいたって、皆目わからなくなりました。
有名俳優と、非常に親しいので、子供と、其の俳優を同一視して、演劇を子供に勧めていると、誤解をしていた時期だって、無理だと、考えていましたが、本日に至って、本当に分からなくなりました。
で、又、此処で、1985年の冬に戻ります。私は、内心で、『いけないなあ。それは、きっと不合格に決まっている。子供が自分で選んだ道なら、耐えられるが、親が選んだ道で、不合格にでもなったら、相当大きなダメージを与えるぞ、やめなさいと、言いたいが、そんなことを言っていい権利は、私にはない』と、思ったので、黙っていました。
だって、お子様の将来に対する不吉な予言ととられるでしょう。だから、黙っていました。
私は、その電話を切った後で、腹が立って、腹が立って仕方がありませんでした。私はね。神奈川県とは、東京駅をはさんで反対方向にある、その県の、高校受験システムがどうなっているかを聞きたかったのです。それは、心理的な部分を含まない質問です。しかし結果としては、とんでもない心理的な重荷を背負ってしまいました。まあ、なんて困ったことなのだろうと、思いましたよ。
この件は、続きます。しかし、別の章を立てて、語ります。あまりにも疲れたので。
尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5424431です。
初稿(16日)から、推敲(20日)まで、5日間かけて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)
後注α
自由の森学園、吉岡秀隆君、福音館書店、その社長だった、時田史郎君、元革〇リーダー成岡康司君▢ 2019-06-18 05:07:32 | 政治