銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

妙本寺のお見合いと井上ひさしの再婚は、両方とも政略結婚であり、言論弾圧に利用をされている。+佐野研二郎、ユマニテ、大原光孝、日大アメフト騒動

2021-03-09 05:04:58 | 政治

副題0、『この章を書くにあたってのお断わり』

 前報の総タイトルでは、吉右衛門と、菊之助が、主役です。しかし、その二人の関係性の、どこに問題があるかについて、結論だけは、書いていますが、私が、どうして、そういう結論を提示したかの、各論が、書かれておりません。しかし、本日は、ほかの事を書きたいので、そこはペンディングにさせておいてください。

 また、前報は、看板に偽りありで、途中で、とんでもない方向へ移動をしていってしまい、再び、吉右衛門に戻ることがなくて終わっています。2010年から、2018年ごろまでの、私でしたら、絶対に、次の日に続きを書くところです。それが、私の誠実さの証明でした。で、「吉右衛門さん、菊之助に、自分の芸風を継がせようとするのは、もう、ここで、おやめなさい」と、いう呼びかけを結論とするところまで、7日中に、持っていく筈でした。

 ところが、直近の1週間は、ここ10年以上の長きにわたって使っていた、メモリーが8ギガの大型ノートパソコンを廃棄する事に、大いに時間を取られていて、やっと目星がついたのが、昨日8日だったのです。これも一種の終活ですが、新コロナウィルス騒動に、巻き込まれかかった私は、結構、真剣に終活活動に取り組んでいて、そのパソコンを廃棄し、データを保存移動する活動に、集中をしたのです。で、

 で、前報の後半部分・・・・・特に井上ひさしの結婚について、語る部分・・・・・が、これまた、中途半端で、終わっています。

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副題1、『井上ひさしのゆり夫人との再婚と、妙本寺の若いお坊さんの遠藤家とのお見合い・結婚は、現代に、おける政略結婚の典型である』

 その中途半端なままで、よしとして、2日間を過ごしたのは、理由があります。米原いたると、その二人のお嬢さんについて、本格的に書き始めたのは、初めてなので、急がないことにしようと、思い至っているからです。

 戦前、戦中、戦後の一時期に、連綿として、続く、日本共産党の、歴史と、真実は、現代日本を覆っている、CIAエージェントたちの支配に、到達する一大潮流であり、その象徴的存在が、井上ひさしの、米原ゆりさんとの結婚です。

 だから、これは、一私人の結婚というものではないのです。

 最近、妙本寺のお若いお坊さんのお見合いについて、連続して書いています。これも、現代における典型的、政略結婚で、しかも、昔風に、名家同士が、血の存続を願う種類の政略結婚ではなくて、CIAエージェントとしては、代表的な、存在である、鎌倉エージェントの、伊藤玄二郎と、井上ひさしが、からんでいるお見合いでしょうから、見事に、見事にも政略結婚なのです。

 私から言わせると、たまたま、鎌倉が舞台となっているが、対を成すものである。CIAが裏に存在する意味での政治を語る際の、重要な結婚の、2つであり、間に、15~20年の懸隔があるが、狙っているものは同じである。ここで、いう狙っているものというのは、現代日本政治について、真実を語るものをぶっ潰していくと、いうことだ。その一人が、私なので、上の2つの結婚は、遂行をされた。

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副題2、『私は、バウムクーヘンを作るときみたいに、薄層を重ねて、真実に迫っていく書き方をしている。何回も何回も同じテーマを取り上げていき、少しずつ、より深い真実を開示して行っている。したがって、ありとあらゆるテーマが、中途半端になっている。100%の真実にまでは、到達をしていない。

 比較的、深いところまで、書きぬけたなあと、思っているのが、京橋の有名画廊、ギャラリー山口のオーナーみつこさんが、自殺として喧伝をされているが他殺であると、した文章だ。

 事件は、2010年1月17日に起きて居て、その4月9日に井上ひさしが、自分を公的に死んだのだと、大発表をしたのだが、これも、みつこさんの他殺と関連付けられるのだ。たまたま、2017年の5月に、やっと結論まで、書きぬけた。それは、京橋のこれまた有名な画廊である、ユマニテのオーナー十束(とつかと読む)さんが、驚くべき不親切さを示したので、一気に結論へ到達したのだった。

 そこの画廊では金成悠子という女性スタッフがいて、30年間にわたって、私は彼女から、隠微に淫靡に、いじめられてきていた。私は、むろんの事、原因や理由を考えた。その理由だが、一方では、それは、宮崎進氏発のいじめであろう。政治的なものであろうと、思いながら、彼女の、・・・・・ある種の女性がもつ、女性特有の・・・・・「弱いものを苛め抜く。より上位で、強いものには隷従をする」という気質によるものかもしれないし、「東北、相馬市出身がゆえに、東京圏に育った人特有の、常に、他人を対等に扱っておかないと、危ない」という仕組みを知らないのであろうと、思って、看過して来ていたのだけれど、

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副題3、『挿入中の挿入となるが、ここで、自由が丘ホームで、小学校時代の友達と、出会った話をしないといけない。そこで、彼女が、とうとうと話したことが、多摩美、教授の、宮崎進氏が、京橋の画廊ユマニテに、私の悪口を告げていた可能性があるのだ』

::::::::::ここで、美術界に住んでいない人のために、挿入として、付記すると、宮崎進という、作家は、シベリア抑留経験があり、戦後最大の、CIAエージェントである、瀬島龍三から、あれこれ、支配的、命令を受けていたと考えています。一方、たまたまメルマガを舞台に、私は、自由が丘駅で、遭遇したエピソードを書いています。そちらの主人公は、小学校時代の、友人で、初期には、その進学先を中・高・大学とすべてを秘匿していましたが、今では、明らかにしましょう。東洋英和に進んだ秀才でした。彼女は四人姉妹の次女だったので、自分の意思を自由に出す人でした。私は、彼女のご両親からは、ひどくかわいがられていて、毎日、午後は、そちらで、一緒に勉強をするほどの仲でした。それと、六本木の東洋英和の文化祭にも、すでに、小学校時代に、連れて行ってもらったほどです。

 しかし、彼女自身は、それは、私を使って、その好影響下で、自分が勉強をする様に仕向けられていると、感じていて、私を嫌っていました。彼女の方では、私をがり勉とみなしていて、軽蔑していて、嫌っていました。

 そちらのお宅には、クリスマスパーティ他、何の行事でも誘われて一緒に過ごしていたのに、彼女本人からは、嫌われていて、学校では、私の方が、彼女にいじめられていたそうです。と、別の友人が証言しています。そういうお友達と、小学校卒業以来、初めて、自由が丘駅のホームで、急行待ち合わせの瞬間で、出会ったのです。それは、彼女が大学二年生のころで、私は浪人をしたので、一年の事だったと、思いました。一年の後半には、通学が無理だと判断をして、大学のすぐそばで下宿をするので、一年の、夏休みより前の事でした。日吉から、三鷹経由バスで、ICUキャンパスまで、向かうのは、朝が早い大学なので、無理だったのです。

 ですから、このエピソードは、1962年の事です。これを、今、相当にはっきりと書くのは、彼女がすでに、亡くなっていると、聞いているからです。今から、30年も前に亡くなっていると、聞いているからです。それと、オリンピックのエンブレム問題で、6年前に佐野研二郎が、・・・・・最初から、当選者ありきのコンペで、選ばれて、そのプレッシャーに、追い詰められて、海外作家のデザインを盗作をしたと、いうケースが起きて居るから、はっきりと、ここまで書くのですが・・・・・

 私は、彼女が、小学校、卒業以来七年目にして、心から、打ち解けてくれて、大事な大事な、心底を、見せてくれたことがうれしくて、そういう方面から、エッセイとして、そのエピソードを書いたのですが、曲解をされた結果、ユマニテでも、いじめられ切ったのでした。

 ここが、CIAが関与することの忌まわしさなのですが、小学校時代のお友達と、いうわけで、日吉台小学校がまず、特定をされて、自由が丘で出会って、30分程度語り合ったという部分の自由が丘と、いう地名と、美大であると、いう大学の種類で、多摩美と特定をされて、かつ、小学生時代の同級生で、多摩美へ進学したと、いう人物も探り当てられ、彼女が、・・・・・大学の同級生が、話が合わない。つまらない。あなたみたいに、受験勉強をしっかりして、話が合う友達の居る大学へ行きたかった・・・・・と、いったのです。それで、私が多摩美を軽蔑したこととなってしまったのです。

 私ね、前から、自分は、自分の指先で、世界を動かす人間となってしまったと、言い続けています。佐野研二郎が、都庁のバルコニーを利用して、7000万円もの費用をかけて、エンブレムの披露をして、普通に生活を行っている、世界各地のデザイナーから盗作であると、おしかりを受けている経過を見て、

 やはり、この件でも、自分が世界を動かしていると、推定しましたよ。だって、自由が丘というだけで、美大とは、多摩美であると、しかも、小学校時代の友達が、多摩美に進学しているので、これは、確かだと、まで、特定をされたのは、CIAが私をいじめるために、文章のテーマを利用して、攻撃をしてきたからですからね。

 ここでは、金成裕子という女性に向かって、こういいたいです。お宅の画廊って、普通の画廊と違って、二週間に、一度作品を展示替えしますね。で、私は、三中年間、銀座を経めぐっていますので、各画廊に、1500回は、訪問を重ねたこととなります。お宅は、二週に一度なので、750回訪問をしたこととなります。で、あなたが、展示室に不在だった日もあるので、少なめに見積もっても、300回は、あなたと展示室内で、出会っています。そのたびに、言うに言われない、嫌みオーラをあなたから、受けました。で、それは、致し方ないと、いいましょう。あなたには行動の自由がある。特に選択の自由がある。

 だけど、一回ごとに、あなたに、反発の態度を見せない、私が、あなたが思っているほどに、力のない存在だと、お思いになってはいけないわよ。

 まあ、ともかくの事として、地下のマグマの様にたまっていて、心理的滓(澱)が、表面に出てきた時が、2017年の五月でした。その時まで、『金成悠子って、低レベルな女性だ。こういう女性は、雪ノ下にもいるではないか。安野智紗夫人や、前田清子さんが、こういうタイプだ。それらと、同じレベルの人間で、安野夫人が、どうしてああなるかは、まだ、原因が確かめらえずにいて、不思議だが、前田さんの方は、田舎育ちである。金成悠子の方も、田舎育ちが、丸見えですね』と、だけ思っていたのですが、オーナーの十束さんは、紳士ですと、そこに依拠して、金成悠子の嫌味を振り払っていたのでした。

 しかし、引っ越しを、一か月前まで、知らせてくれなかったときに、あ、そうですか。金成悠子の嫌味は、十束さんが、指導をしていた態度だったのですね。そういうことだったのですね。鍛治橋通りにある、或る交差点で、目の前に立っている、金成悠子さんの耳たぶが真っ赤な血潮で満ちていた日、の事を思い出しました。自分の時計を見ると、7時半でした。そのころ、ユマニテは、6時半で、営業終了という形にしていました。多分ですが、私に作品を見せてやらないと、する、作業の一環だったでしょう。ここから先は、口にチャックですが、その真っ赤な耳たぶを見た日の事を、その引っ越しを、たった、一か月前に私に初めて教えたと、いう得意満面な二人を見ているうちに思い出したのです。私を、いじめるということで、黒田ゆうこさんとか、秋山祐徳太子に他、報告をすれば、お褒めの言葉をいただけるからでしょう。

 その日、一気に十束さんと、金成さんの連合の程度の深さに気が付いた私は、最大の懸案に取り掛かることとしたのです。それが後注1に置いた、山口みつ子さんは他殺であると、書きに抜いていった、一連の文章です。

 皆様が、リンク先をお読みいただけるかどうかを知らないので、簡単にまとめますと、

 1、私が出入りをしている画廊には、盗聴がかかって居る。ギャラリー山口にもむろんのことかかって居た。

 2、作家(美術系創作家としての、川崎千恵子=雨宮舜の本名)は、国画会の、島田章三さんを通じて、つぶしてやった。ところが彼女は、そのわなから、うまく逃げおおせて、今度は、美術評論家として、作家たちからの、好評を獲得しつつある。それは、つぶさないといけない。

 で、ここで、大原光孝というご近所住人画家が、中島千波さんの、事前の、請負によって、創形美術学校卒の、後輩の画題と、そっくり同じテーマで、雑なマチエールで、べニアの板の上に、アクリル絵の具で、制作をして30号から50号の大きさの、しかも額も自家製の絵を三越の春季院展で、展示をしたのだった。その件以来、彼は、天下を背景に、あいつに勝ってやるぜという勢いで、やること、やること、最大限の、攻撃を日夜繰り返している。5日の朝も、富沢夫人と我が家の前で、井戸端会議をしていたと、考えているが・・・・・つい先だって、石春産業の、道路補修工事とか、実家の墓石を、隠微に壊している件について、書き始め、過去ブログを検索したところ

 

後注1、

1、

私への拷問の一手法として、画廊のトイレに鍵を掛ける話・・・・・佐野研二郎の盗作の裏をここで再び語ろう  2017-05-01 20:03:25 | 政治

 2、  

刑事が変装した、ファンを名乗る女性安藤てる子が、水先案内人となって、子供や孫が、多大な損失をこうむっている。  2017-05-17 22:05:43 | 政治

3,

上大岡で、小1男子をひき殺した88歳暴走老人が無罪放免されたのは、日本が無法地帯と、化した事を象徴している  2017-05-25 20:34:52 | 政治

4,

大久保忠春君と山口みつ子さんの死は、秋山裕徳太子氏と保坂涼子=航子さんが引き金を引いたと、感じている。無論、実行者は、殺人専門集団だが、心理的には、そうなるのだ   2017-06-07 00:33:19 | 政治

5,

Climaxに、いよいよ差し掛かりますよ。その前に浜田知明とbutter不足が、山口みつ子さん他殺に関与していることを語りたい 2017-06-09 21:00:34 | 政治

 6,

東芝のメモリー部門の売り込み先に、政府主導で、韓国が加わったそうですが、何故なのか?+山口みつ子さんの他殺説、最終章△  2017-06-21 23:45:48 | 政治

後注2,

1,

伊集院静と、大原光孝の類似点・・・・柄澤斉の、裏には、北久里浜における瀬島龍三+益山重夫の、財務局の悪利用もあって、   2018-04-17 19:48:34 | 政治

2、

柄澤斉に教唆されて私を攻撃をしてくる大原光孝の、妻は、白井・小野寺夫妻が、引っ越してきて以来、家出をしている。何故か?△   2018-04-13 23:03:20 | 政治

3、

今、私は旅に・・・・・もし、私がブログを書けなくなったら、それは、柄澤斉のせいである・・・・と、大原光孝の行動から、言わざるを得なくなる   2018-04-10 05:22:05 | 政治

4、

大原光孝と暴力論・・・・・・何が、暴力なのだ? そして、その量を考えないといけないと、私は信じているのだが   2018-04-08 22:51:37 | 政治

5、

西隣からの脅かしは、警察が行っている。そこと仲良しの筈の大原光孝は、町内会費の値上がりに苦しんでいる・・・・・皮肉だ  2018-05-18 22:47:01 | 政治

6、

日大アメフト問題も謀略であり、裏に隠れている日大学長を、かく、動かしたのは、堤義明氏か、奥島孝康氏だろう   2018-05-20 22:13:05 | 政治

7、

日大の選手はあの日、泣いていた=朝日新聞dijital・・・是も、雪の下の悪魔的主婦達を救う為の策謀です。日大選手は犠牲者です  2018-05-22 10:39:22 | 政治

 8、日大びとよ。怒れ、内田監督に対してではなくて、伊藤玄二郎と、安野智紗夫人に対して   2018-05-23 01:01:57 | 政治

9、

雪ノ下住まいの画家にして、柄沢斉と師弟関係を結ぶ大原光孝が、新潟小二殺し、及び引き続くアメフト事案の起因者である    2018-05-24 21:56:23 | 政治

  10、

新潟事件で、小林燎が使ったとされる黒い車の内部を、取材させないのも、やまゆり園事件の失敗を、繰り返したくないが為である  2018-05-28 01:24:29 | 政治

11、

堤義明さんの動きをつくづく感じている。日大アメフト問題にも、八芳園にも、鎌倉霊園にも△   2018-05-30 23:55:14 | 政治

12、

青春は遠く過ぎ去りー4、・・・・・従軍慰安婦問題、林真理子インNY、大原光孝、働き方改革、妙本寺   2018-06-04 21:09:28 | 政治

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