銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

梨泰院雑踏事故の責任追及が始まったが? + パリ・バスティーユ駅と渋谷センター街で、拉致されそうになった私

2022-11-01 19:43:46 | 政治

 ええと、土曜日だったですよね。韓国で、圧死事件が起きたのは。時差が、少しあるので、NHKでは、9時のニュース、もしくは、7時のニュースで、緊急なニュースとして配信されたと思います。

 そして、3日目の本日=2022-11-1の7時のニュースでは韓国の政府か、警察の偉い人が、これから、責任者を、追及するといっていました。

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 そのニュースを聞いたときに、激しい違和感を持ちました。それは、日本での、そういう事件の後始末のやり方と、同じだろうと、推察した結果、そう考えたのです。

 例えば、明石市での圧死事件の結果です。花火見物に向かった人が、駅から、海岸に向かう道の途中・歩道橋で、圧死事件が発生しました。私の当時の記憶では、市役所の誰かが、責任を問われたと、思っています。でも、今確認のために、それを、ググると、なんと、ごく最近、テレビのアンビリバボーという番組で、それが、取り上げられ、当時、2歳だったお子さんを亡くした両親が出てきて、顔を出して、他者(この場合は、明石市とか、警察の)責任を追及したそうです。それに対して、批判をする記事がいっぱい出てきました。

 で、わたくしが、本日、本当に言いたいこととは離れますが、二歳の子供を、亡くしたご両親への批判は当たっていると思います。だって、二歳の子供の、生活習慣を考えると、夜、10時ごろに家に帰ってくる花火見物に、連れていくなんって、ありえないです。それは、ふつうなら、子供が、寝入っている時間帯ですよね。

 私は、その番組を見ていないし、その両親の態度がどうだったかも、実際には、知りません。

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 これはね。被害者の親が、テレビ取材を受けると、自分が、英雄、または、主人公になった様な気分に陥いると、言う典型だと思います。
 昔、葬式ごっこといういじめ事件がありました。祖母を頼って、岩手まで行った荻窪の中学生が、切符代が、無くて、祖母の家には、行かれず、トイレで、首をつって、自殺をした事件です。
 その時に、お母さんが、盛んにテレビに出ました。スリムなスタイルの女性で、ヘアスタイルは、マッシュルーム、服装は、アンゴラのアンサンブル(上等な細い毛糸で、できた、中のセーターと外側のカーディガンの二枚組)、それが、栗色でした。彼女は、髪を染めてはいないものの、自分が、美しいと、他者からは、見えるだろうと、言う、計算というか、本能が見え見えのお母さんでした。

 今、ググってみると、お父さんは、お子さんを大切に思っていたみたいですね。いじめられていたのも知っていて、行方が知れない様になってから、都心の繁華街を探した模様です。しかし、お母さんは、どうもおかしいです。被害者少年は、長髪でした。そして、友達から臭いと、言われていたそうです。

 お母さんの、子供への愛が、足りなかったと、思います。お小遣いもきちんと上げていなかったと思います。お正月と、毎月のお小遣いがあれば、それを、中学生なら、自分で管理しているから、盛岡駅で、改札を出られなかったということもなかったでしょう。かわいそうです。本当にかわいそうです。

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 私は今、80歳です。その人生をかけて、観察した結果、女性は、性悪です。そして、男性の方が素朴です。私は、身近に、子供を、糧に、自分が他人に優越していることにしようとする、女性を二人、見てきました。そして、ニュースを見ると、滋賀県だったか?  子供に、下水(または、汚い水)を飲ませて、わざと、入院へもっていった、母親のニュースが出てきました。代理ミュンヒハウゼン症候群」というそうです。私は今、その述語が思い出せず、関連する、語彙を並べて、その述語を発見したのですが。。。。グーグルと、産経新聞がネットにあげた記事で、思い出しました。産経の記事を省略しながら、コピペしておきます。

児童虐待が社会問題となる中、子供の病気やけがを意図的につくり出して診察や治療を受けさせる「代理ミュンヒハウゼン症候群」に注目が集まっている。献身的に看病し、周囲の注目を集めようとする倒錯した心理が背景にあるとされるが、専門家は「この病態に関する適切な考え方は広がっておらず、多くの誤解がある」と指摘。「子供を守るため、医療に携わる者がこうした虐待の存在を普段から意識することが早期発見につながる」と強調する。(小林佳恵)

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ここで、那須雪崩事故の裁判が、2022-10-25日に行われたそうで、それに入りたいところです。まだ結審には至っていない模様ですが、これは、また、長い文章になりそうなので、後で、別章で、詳述します。

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 結局、韓国の事故は、テレビというか、社会のトレンドというものが問題で、そこに責任があると、わたくしは思っています。それは、商業主義というか、資本主義というか、

 金儲けをするための、イベントを主催すると、言うテクニックが用いられているのです。それにテレビというものが、大きな働きをしています。

今、わたくしは、テレビのニュースや、文化番組を通して、いじめられているので、ある時期まで、ほとんど見なかったテレビを見ないといけなくなり、見ていますが、北久里浜の旧宅や、反町のアパートに行くとテレビがないので、本当にほっとします。ただ、ただ、静かな部屋で、大工仕事とか、お掃除をやっているのですが、本当に、心が洗われる様で、それが、うれしくて、重労働も気になりません。

 ところで、圧死事件に戻ります。ハロウィンは、ニューヨークでも、版画工房の先輩(60代の、ネイティブアメリカンの、セレブ婦人)に「見物には、行かない方がいいわよ」と言われました。それは、2000年のことで、その前の年は、版画研修に夢中で、美大の大学院に行っていて、それが、ブルックリンハイツにあり、マンハッタン島を通らないで、クイーンズという住所から、通っていたので、マンハッタン島には、無援でした。たまたま、街を仮装して歩いている、小さな女の子を二人連れのお母さんに、住まいのあった、クイーンズで出会ったら、

 下の子(四歳ぐらい)に、プリンセスの格好をさせて、上の子に、魔女の格好をさせていました。上の子は、かわいそうに、メイキャップも魔女風で、非常に怖い顔に仕上げられていて、なぜか、縮んで、卑屈に見えました。下の子は、威風堂々と、威張って歩いているので、「あ、このお母さん、偏愛がありますね。下の子の方が、かわいいのだわ」と思いました。だけど、それは、もちろん、昼間のことで、街を練り歩いて、お菓子をもらうくらいが関の山で、あのお母さんは、絶対にマンハッタン島には、ハロウィン当日は出かけないと、思いますよ。

 ハロウィンと、花火見物は、違います。花火見物の方は、商店街などが、寄付をして、それを、執り行い、一般庶民を、楽しませる行事です。

 一方ハロウィンは、個人が、自分のお金で、買ったアイテムで、仮装をして、ニューヨークだったら、五番街を、パレードして歩き、集団で、自己顕示をするので、だまされたり、搾取されるわけではありません。しかし、若者が、五番街に集まるのは、前年度の、テレビニュースが、大きな役目を果たしています。そして、アメリカには、NHKのような国営(に近い)放送局はなくて、民放だけですから、テレビコマーシャルの放映権が、儲かる仕組みに寄与しています。

 あの先輩マダムは、セレブマダムだったので、声には出さないけれど、「あなたは、50代で、しかも一人で、五番街(fifth ave.)に行くのでしょう。とても危険だからやめなさいね」と、言っているのでした。それは、理解できたので、いつも通り、夜の10時ごろまで、版画制作をして、24th st.west 9にあるビルを出て、駅に向かうと、仮装した20代の女性や男性のグループがいました。

 ここらあたりは、演劇やらテレビやら、ともかくメディアに出てくるスタッフたちの、遊び場らしいのです。スターではなくて、スタッフ(=裏方たちですよ)だから、無礼講を楽しんだのでしょう。

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 ところで、話は変わり、また、また、すごい話が出てきます。皆様をどっきりとさせるだろうが、これは、事実です。これが、事実だから、警察は、渋谷の、商店街の会長に命令して、センター街を、バスケット通りと、改名させました。しかし、定着しませんでしたね。

 渋谷のスクランブル交差点辺たりの、ハロウィンを警察が盛り上げようとしたのは私を拉致するためだったのですよ。

 或る夏の夜のことです。私は大体、8月20日をめどにして、一年に一冊の本を作り上げようと計画をしていました。表紙、挿絵、本文を書くこと、頁設定、ヘッダー、フッター(頁番号)などを、印刷機にかける直前の、ITデータに直してから、それを、印刷会社に渡して、本を作るわけです。そのITデータですが、PDF化して渡します。そのPDF化をたった一晩で、仕上げていたものです。

 というのは自宅では仕事にならないほどの、妨害を受けていました。で、外でビュッフェスタイルのレストランで、仕事をするとか、図書館で、仕事をするとか、ネットカフェで、仕事をするとかいう工夫をしていました。しかし、同じ場所で、1時間半も仕事をすると、また、破壊用ハッカーに見つけられて、自宅と同じことになってしまうので、

 河岸を変えます。このころは、必死だったので、主人にも断って外で徹夜をしました。池袋、新宿、渋谷、は、取り換える河岸がたくさんあるので、 6冊の本は、ほとんど、この三か所で、最後の仕上げをしたものです。ただ、PDF化直前のデータを作るために、徹夜をする日もあって、何十回というほど、外で、徹夜をしています。

 或る夜、渋谷センター街で、二店舗展開しているバグースというネットカフェを、駅に近い支店から、駅に遠い支店に、とりかえて使おうと、していたのです。で、センター街を下から上へと昇っていました。夜の12時近かったのですが、あたりは、まだ、人でいっぱいでした。渋谷って、新宿よりも、池袋よりも、むろん銀座よりも夜がにぎやかです。 もちろんハロウィンの日ではないのですよ。しかし、夜の12時前後、まだ、まだ、若者で、いっぱいのセンター街を上から、降りてくるグループがあって、それが、周辺とは、全く違うテーストを持っていたのです。

 周辺の若者は、カラフルな服装で、だらしないパンツ(ふと目で、丈が短いもの)を履いていて、女性とカップルをなしている連中が多いのです。背も低いです。ゲームをやったり、女性と恋愛ごっこをしたりして、不健康な生活をしているので、背が低いのです。

 ところが、彼らは、白い開襟シャツで、グレーのサマーウールのおズボン姿です。全員が同じです。頭は坊主ではない。だけど、アラサーかアラフォーにして、高校生の夏の制服みたいなものを、みんなが着用しています。しかも、大変しっかりとした体格です。剣道でもやっていそうな体格です。

 私は、すぐさま、彼らが、CIAのブルーカラー部門であり、アサッシンを主たる任務としている人間たちだと、理解できました。で、ちょっと、ぞっとしたのです。私の顔って、ものすごく、表情が豊かなのですよ。それは母も言うし、一番最初(1965年)に出会ったCIAエージェント、ベイカーさん(エール大学の学生で、交換留学生として、ICUに来ていた。ただし、彼)が、僕は三鷹警察署長と知り合いだからと、言うので、びっくりして、眉をひそめたのです。

 それだけで、ここまでひどい弾圧被害を受けているわけなので、理不尽極まりないのですが、被・植民地国家日本では、頭の良い人間は、生かしては置けないらしいですよ。で、その表情を認めたリーダーらしき男性(三番目ぐらいを歩いていた)が、中止とでもいったのでしょうね。渋谷センター街って、とてもうるさいのです。だから、リーダーの日本語は聞こえなかったものの、襲撃は中止になった模様です。私って、実は相当に豪胆らしいですよ。いったんビビったものの、彼らが何もせずに私の左側を通って、坂を下りて言った後、上のバグースに移動をして、ちゃんと本のITデータを作る仕事の続きをしたからです。

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 なぜ、リーダーが中止といったかというと、パリのバスティーユ駅での、ヨーロッパ・CIAの、失敗が共有されていたからだと、推察しています。あれは正確に覚えています。1998年9月4日です。パリについて最初の仕事をした日だったからです。
 逗子の住民である女流画家・島田しづ先生に紹介された版画工房(大規模)で、摺りを頼もうとして行っているのに断られたのです。その時、初めて他人に摺りを頼むので、相場を知らなかったのですね、わたくしは、へいたー方式という特殊な手法をとっているので、日本だと、一枚するのに、一万円をとられます。
 だから、パリでは、一枚につき、50フラン(20㎝正方)100フラン(30X50cm)と言わなければいけなかったのです。でも、10フラン(720円)程度の申し出でをしたので、断られたのでした。一種類ではなくて、一枚、それだけのお値段をとられる、手法なのです。すごいことをやってきたわけですが・・・・・?
 でね、あまりにもがっかりしたので、サンポール駅を乗り過ごして、バスティーユまで、行ってしまったのです。で、地下鉄一号線が、バスティーユに入る直前に、太陽の光が差す瞬間があるのです。ちょっと丸ノ内線の御茶ノ水駅に似ています。で、自分が乗り過ごしたことに気が付いたのね。それで、慌てておりました。

 すると、改札を出てところで、180㎝体重70キロぐらいの、男性たち(リーダーは、上品な俳優みたいな紳士、特にグレンチェックのウールのジャケットは、上等だった。ほかは、鋭い顔をした、スキンヘッドだった。角とか,階級が違う組み合わせだったと思う)に出会い、リーダーから「あと検札をするから、ここで、立ち止まって」といわれました。
 その瞬間、彼らが悪人で、わたくしを拉致しようとしているのが、分かったのです。それで、瞬間的に走り出し、猛スピードで逃げました。版画の、模様をすでに付けた(それを美術界の述語では、制版というが)銅板を数枚持っていて、紙袋に入っているので、袋が切れて、銅板が、下に落ちないかと、心配をしながらも、猛スピードで、通路を走ったのです。

 その通路ですが、レオス・カラックス監督の映画【ポンヌフの恋人】でジュリエット・ビノシュが走った、まさしくあの地下道です。

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 私は、その時、彼らを、ヨーロッパ・CIAだとは思わず、ただ、ただ、臓器売買のマフィアだと思っていました。だから、かえって、逃げられたのです。知らないがゆえに、怖がらないと、言う形です。そういう誤解をも含めて、常に神様が守ってくださると、思っています。

 特に走って出た、地上が、サンポールへ向かう、三丹とわーぬ通りだったから、さらに幸運でした。バスティーユ広場って、広くて、地下街では、8本物、地下通路が、地上へ向かっています。だから、間違った地下通路を選んだら、ほかの出口から、彼らが出てきて、待ち伏せされる恐れもありますよね。だから、それも含めて、幸運だったのです。

 ところで、そのヨーロッパCIAのリーダーが、言った「あと検札」という言葉ですが、それこそ、日本の井上ひさしのアイデアではないですか? 彼って、ほんとうに、現実を知らない人なのです。実生活の体験がない人なのです。だって、パリは、当時、2フランの紙の切符しかなかったですよ。今は知りません。日本の改札機と、同じものをヨーロッパでも作って、使用しているかもしれないが、1998年は、大変シンプルだったのです。まだ、カードもなくてね。

 それが、1998年ですが、1999年のニューヨークも2000年のニューヨークもほとんど同じです。当時17ドルだった、一週間用カードを買えば、乗りたい放題でした。だから、1998年にあと検察という言葉は、パリでは使うのがおかしいのです。むろん英語で、言われたわけですが、英語は、ICU卒の私にとっては、まあ、分からないということはないのです。

 それからね。井上ひさしは、ボローニャを訪問をしています。だけど、NHKが、番組を作るのに、便乗しているわけなので、移動も車でしょうし、(第一、ボローニャに、地下鉄があるかどうかも、不明ですしね)、通訳もついているでしょうし、期間も一週間程度でしょうし、海外に行ったといっても、現地での、一人暮らしの体験はないわけです。有名人だから、それだけのサポートがあるというわけでしょうが、感じ取るものは、圧倒的に少ないはずです。一方、わたくしは、今ざっと数えてみて、281日、一人で、海外暮らしをしています。訪問をしたのは、8か国です。だから、1998年当時のパリでは、地下鉄は、2フランの、黄色い付箋みたいな、紙の切符しかなかったことを、彼は、知らないのですね。ヨーロッパCIAのメンバーは、地下鉄に乗らないので、この「あと検札をするから、立ち止まって」というセンテンスが、おかしいということに気が付かなかったのかしら? 私なら、二秒で、気が付きましたけれど。

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 ここで、12時半を過ぎたので、渋谷スクランブル交差点のハロウィンをどうして、警察が、DJポリスカーなどを出してまで、盛り上げて、その後、しぼませたかについて、説明をするのを、省かせてくださいませ。で、韓国の圧死事件に戻ります。

 NHKニュース、11月1日の夜七時の、ニュースでは、

 韓国の政府か、警察の誰かが、調査をすると、言っていました。私は、そんなの無理で、結局は、今の資本主義社会のテレビや、SNSを利用した、情報の拡散に、原因があると、言うことだと、思います。

 私は、2000年のミレニアムの時は、銀座の和光前に、親戚の人と一緒に行きました。そして、時計塔を見つめていました。ただ、銀座に集まった群衆というのは、アラサー以上が多くて、スーツ姿の男女が多くて、押し合いへ試合をするなんて言うことはなかったです。だけど、まだ、50台だったのに、ものすごく疲れたから、人が、集積するところは、歌舞伎座か、国立劇場ぐらいしか行かない様になりました。 

 以下は、朝鮮日報の記事のコピペですが

 こういう調査が可能だろうか? そしてその結果に、何の意味があるのだろうか?と、思います。

 2022-11-1~2   雨宮舜(本名 川崎千恵子)

梨泰院雑踏事故:「5、6人が故意に押した」 相次ぐ証言…警察が監視カメラ映像の分析に着手

配信

朝鮮日報日本語版
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